どごぉっ、と盛大な効果音を発しながら、さとりは顔面を地霊殿の床へと叩き付けた。
今回の転倒の原因は、風呂上りで滑りやすくなった足だった。
「さとり様、本日4回目の転倒です」
燐が、まるで飛ぼうとして地面に落ちた雛鳥を見るような目でさとりを見ていた。
さとりは、何も言わずに転んだまま涙を流した。悔しさのあまりの涙だった。
「いやあさとり様、本日4回目の床との濃厚なキスですね!
1日5回ぐらい転んでますし、恋愛漫画ならそろそろ本格的にフラグが経ち始める頃ですよ!」
空が、無邪気に笑いながら言った。
こいしは、その横で腹を抱えて笑い転げていた。
「まあいいんじゃないですかねえ、ここの床ならさとり様の日常のあられもない姿全部を見てるわけですし」
「そうだね、良いお嫁さんになってくれるんじゃないかな?」
空と燐は、さとりの転倒の度にこんなギャグを言うのがお決まりになりつつあった。
さとり的には、深刻に受け止められるよりもこの様に笑って流されるほうが幾分か楽であった。
それでも、やはりペット達から笑いものにされるのは精神的に堪える。
床とキスを続けたまましばらく無言で泣き続けると、さとりはそのまま立ち上がって自室へと歩いていった。
「はああ……私の威厳って一体何なのかしら」
ひりひり痛む鼻を撫でつつ、さとりはベッドの中で思索にふけった。
普段は、ゴム付きのスリッパを履くことによって転ばずに歩くことに成功している。
ただし、階段のように場所が平面で無くなる場合や、今回のように外的要因が入るとすぐに転倒の可能性がつきまとうのだった。
「せめて、せめてもうちょっと足が長くなればつまずかずに済むのにぃ!」
とかなんとか独り言を言っていたが、しばらくするとすやすやという寝息を立て始めた。
◆
さとりは、夢を見ていた。夢の中で、さとりは一人の見知らぬ少女と向き合っていた。
少女は、にこやかにさとりに向かって話しかけてきた。
「はじめまして、古明地さとり」
「あ、はじめまして」
さとりは、突如目の前に現れた少女を前に、夢の中と言うこともあって変に冷静に観察していた。
背丈はさとりと同じくらいで、姿は少女のようでありつつ、それでいて齢を重ねているようにも思われた。
「えっと……どちら様で」
「ほら、いつも貴方の傍に居るじゃないの」
目の前の少女がそう言うと、さとりは大きく目を見開いた。
「いつも傍? じゃあ、あなたは……こいしだったのね!?」
「え、いやちが」
「ああ、ついにこいしが私の趣味を理解してくれた!
前々から真っ白な髪は女の子らしく無いと思っていたのよね、そのことが判ってくれて嬉しいわ。
それにしても、古風な黒髪ロングの女の子になってくれるなんてねえ。私の趣味どストライクで本当に――」
「待って! 私は貴方の妹じゃないわよ!」
少女は、危ない目をして突然語りだしたさとりの台詞をなんとか遮った。
少女がこいしでないと判ると、さとりはさらに妖しく目を輝かせながら言った。
「え、こいしじゃないの!? ……じゃあこいしは何処に行ったのよ、こいしを返しなさい!」
「落ち着いてさとり! 私は、言うならば地霊殿の精霊よ」
「地霊殿の……精霊?」
「そう、私が地霊殿で、地霊殿が私なの」
なるほど、とさとりは思った。それなら彼女のどこか古びたような外見にも、先ほどの「いつも傍に居る」発言も合点が言った。
「えーっと、その地霊殿ちゃんが私に何の用よ……」
「それはですね、責任を取ってもらおうと思って」
「せ、責任ですか? 確かにこの地霊殿の管理者は私だから確かに責任はあるけど」
「そうですよ、責任とってくださいよ! 今日の5回目のキスなんてよりによって口じゃなくておへそにするなんて……」
「ええっ、私がいつキスを……ってまさか、貴方転んだ時本当にちゅーされてたの!?」
「そうよ、毎日毎日激しくちゅーされて……もうお嫁に行けない」
そう言って地霊殿ちゃんは、顔を赤らめてその場にへたり込んだ。
さとりは、さっと彼女の肩を抱きしめて耳元で囁いた。
「わかった、私が地霊殿の主として貴方のことを責任持って娶るわ……」
「さとり、じゃあ私に誓いのキスを……」
いつの間にか付いていたスポットライトに照らされ、二人はゆっくりと唇を――
「うわっ! なんか変な夢見たぁ!」
地霊殿ちゃんと唇を重ねるその瞬間、さとりは思い切り目を覚ました。
ぶんぶんと頭を振って目を覚まし、今まで見ていた夢を反芻する。
「いやあ、流石に地霊殿ちゃんは無いわよね……」
ふう、と一息ついて、ふとベッドの中に違和感があるのに気づいた。
どうやら、誰かがもぐりこんで寝ているらしい。さとりは、空がまた寂しがってきたのだろう、と布団をめくった。
すると、其処には先ほどまでの夢に登場していた地霊殿ちゃんが眠っていた。
◆
「はじめまして、地霊殿の精霊です!よろしく!」
突然、朝食に現れた少女に地霊殿の住人達は呆然としていた。
さとりは、非常に気まずそうな表情をしてご飯を口に運んでいた。
しばらくの間みんな無言で朝食を食べていたが、急に空が口を開いた。
「ねえ、地霊殿ちゃんとさとり様ってどんな関係なの?」
空の何気ない質問に、地霊殿ちゃんは頬を赤らめながら答えた。
「それは……もうらぶらぶです」
「らぶらぶなんだ! やっぱりさとり様がちゅーしまくるから?」
「もう、さとり様の痕が体のいろんなところに付いちゃって……」
「ほわー、それはすごいらぶらぶなんだね! ところで名前長いから地子ちゃんって呼んでいい?」
「良いですよ!」
空の無邪気さのお陰で、一気に地子に対する警戒心は薄まっていった。
地子は、燐や空の質問に明るい笑顔で答え、時々はお互いに笑いあい、食事が終わる頃にはすっかり地霊殿の食卓に馴染んでいた。
それから、すっかり空と地子は意気投合して、二人で一緒に地霊殿のペット達に挨拶に行ったり、皆で仲良く過ごしたりして一日を終えた。
「地子、貴方は一体どこで寝るつもりなのかしら?」
「そうねー、別に寝なくてもいいけどさとりと一緒に寝ようかな」
「う、私余り人がベッドに寝てると寝付けない性格なのよ」
「心が流れ込んでくるから? でも、私の心って読めないでしょ?」
地子が、自信満々にそう言うと、さとりはなるほどと首をかしげた。
言われてみれば、地子の傍にいても地子の思考は少しも読めない。
「あれだよ、私は地霊殿そのものだからね。水にすむ魚が水に気付かないのと同じよ」
「なるほど、まあ余計な気遣いが不要な分楽かしらね」
「でもさとりが嫌なら、私はその辺で寝るよ。じゃあ、おやすみ」
地子は、そう言ってすっと地霊殿の床の中へと潜ってしまった。
◆
ごごごごごごごごごご。
次の日、さとりは、世界が揺れる感覚で目を覚ました。
「ふにゃ!? 一体何が起きたというの!?」
「さとり様、大丈夫!?」
その揺れに主の危機を感じたのか、空が臨戦態勢でさとりの部屋に入ってきた。
「こ、これは一体なんなのよ空」
「わかんないけど……外は揺れてないから地霊殿が揺れてるみたい」
「地霊殿が、揺れてる?」
しばらく、二人は黙ってじっとしていると、揺れは収まった。
「……一体何だったのかしら」
「んー、地子ちゃんは大丈夫だったのかなあ。どこで寝てるんだろあの子」
「地子は確か……あ、あの子なら何かしってるかも!」
すると、その言葉を待ってましたとばかりに地子が床から飛び出してきた。
「おはよー、さとり! 私のモーニングコールは如何かな」
「もーにんぐこーる……ってこれはあんたの仕業だったのね!?」
さとりが、驚き呆れながらもそう言うと、地子はえへへと笑いながら答える。
「だって、さとり様毎日ペット達に起こされてるじゃない。しかも、『あと10分だけ……』とか言って起きないし」
「うぐぅ……」
さすが地霊殿を見てきた少女、といわんばかりの説明にさとりは顔を赤くする。
「だからって地霊殿ごと揺らさなくても……ぐゅ」
「なーんだ、じゃあ今度からは迷惑にならないようにさとり様の部屋だけ揺らしてね」
先ほどまでの真面目な表情は何処へやら、空は笑顔で地子に語りかけた。
「うー、わかった」
そう言った地子の表情に、どこか悲しいような表情がちらりと見えたのをさとりは見逃さなかった。
空に指摘されて拗ねてるのか?と一瞬考えたが、見た目とはかけ離れた地子の精神年齢を考えてもそれはおかしい。
むしろ、その表情はどこか罪悪感を感じているような表情に見えた。
さとりが、何か言わないうちに地子は「それじゃーね!」と言ってまた地霊殿の床へと潜った。
「むう……とにかく朝ごはんにしましょう」
「はーい、さとり様」
さとりは、とりあえず今の出来事を意識の片隅に保留して、一日の日課を始めることにした。
◆
その日の晩のことだった。
地霊殿のメンバーが一堂に集い、夜ご飯を囲んで「いただきます」と言った瞬間、また朝と同じような揺れがやってきた。
「あらま、また揺れてるねさとり様」
「地子、出てきなさいな。あなたの分のご飯が欲しいなら今用意しますよ」
さとりが、少し厳しめの口調でそう言った。しかし、地子が出てくる気配は見せなかった。
それどころか、少しずつ揺れは大きくなって、食器棚から食器が転げ落ちて派手な音を立てた。
「な、何だか様子がおかしいようね。空、燐、逃げましょう!」
そう言って立ち上がった瞬間、さとりの周りには真っ白な世界が広がっていた。
「え? あれ?」
さとりには、その空間には見覚えがあった。ちょうど、二日目にこれと同じ景色を見ていた。
「確か、地子と有った夢の中」
「正解。さとりはドジだけど記憶力だけはあるわよね」
「地子……!」
ちょうど二日前の夢と同じように、地子がそこに立っていた。
地子は、口調はいつもと同じだったが、その目には涙が光っていた。
「地子、これは一体!?」
「あのね、私もう死んじゃうみたいなのよ。いや、正確に言うと壊れちゃう、なのかも」
「どういうことなのよ」
「いわゆる、建物の寿命って奴ね。正直、こればかりはどうしようもないわ」
「なんで、なんでそれを私に言ってくれなかったのよ! それを知ってればどこからか人を呼んで……」
「一緒に死のうかな、って」
地子は、ふっと視線を横にずらしながら、ため息を付いた。
「大好きな、ずっと見てきたあなた達と一緒に死のうかなって思ったけど。
やっぱり、皆が好きだからそういうのは良くないかな、って思って。ねえ、さとり。私はみんなの事好きだったよ?
私は建物で、心なんてないけど、私が始めて意識を手に入れたとき、最初に見えたのは幸せそうなあなた達だった。
ずっと、ずっとあなた達の幸せを見てきた。それで、いつかあなた達と話がしたいと願ってた」
涙ながらに語りながら、地子の姿は少しずつ薄くなっていた。
「それで、自分自身の寿命が来たって気付いた日の夜。私は夢の中で貴方に会うことが出来た。
そして、さとりの想起の力を少しだけ借りて、私は、貴方の世界ににちょびっとだけ存在することができた。そりゃ、心が読めなくて当然よね。
ねえ、さとり、私の事好き?」
さとりは、無言で頷いた。
「ありがと」
地子は、そう言うと、さとりの唇にそっと自分の唇を重ねた。
一瞬、全ての時間が止まったようにさとりは感じた。さとりは、地子の小さな体をぎゅっと抱きしめた。
「この前の夢の続き、できたね」
地子は、笑ってそう言った。
「……あ、そろそろお別れの時間みたい。じゃあね、さとり」
そう言って、地子はさとりの体からふっと離れて、空へと上って言った。
さとりは、現実へと少しずつフェードアウトしていく意識の中で、肺の奥から必死に叫んだ。
「地子! 私はずーっと貴方のことを覚えてるから、どこかでまた会いましょうね!」
ぼんやりしていく世界の中で、地子はそっと笑ったような気がした。」
◆
「あ、起きた」
さとりは、空の腕の中で目を覚ました。
「大丈夫? さとり様、なんかうなされてたけど。ていうか、地霊殿崩れちゃったよ……また建てなきゃね。
しばらくは、ペット達と一緒にペット達の小屋で過ごさなきゃね……あれ、さとり様泣いてるの?
やっぱり地霊殿が壊れたのって悲しいよね、さとり様には思い出があるもんね。あ、そういや地子ちゃんはどこに言ったんだろう……」
さとりは、ぐちゃぐちゃになった心が落ち着くまで、空の腕の中で泣き続けた。
◆
地子は、生まれ変わった。
物に宿った精霊が生まれ変わるのか、果たして彼らのそれは「魂」なのか、という疑問はあるだろうが、
とにもかくにも彼女は、人間として生まれ変わったのだった。しかし、地霊殿だった時の記憶は残っていない。
だが、彼女の魂に刻まれた名前である「地子」だけは、彼女の名前として引き継がれた。
彼女の生まれた家は幸運にも身分が高く、家の物の行いによって、彼女は人間から天人になった。
皮肉なことに、地底の建物であった彼女は、天の存在となった。
ある日、彼女は思った。
退屈だ、何かをしなければならない。しかし、何をしよう。
ふっと、彼女の無意識に芽生えた意識は「誰かに会わなければならない」だった。
誰かに会いたい、だけどその誰かがわからない。
それならば、どうやってその誰かを見つければよいだろうか?
彼女の答えは、異変を起こして人を集めることだった。
さて異変を起こすことは決めた、どういう風にすればいいか。
雷を落とすか、雨を降らせるか、雪で埋めるか。
やっぱり、地面を揺らそうよ。彼女の心の声はそう言った。
あるいはそれも、彼女の心の中に刻まれていた声だったのかもしれない。
ともかく行動の理由は決まった、行動の方法も決まった。
思い立った天子の行動は早く、あっと言う間に地上へと飛び立って言った。
そして、彼女の起こした地震は、地底を含めて幻想郷の全てを揺らした。
その発想力が妬ましい
>しばらくの間みんな無言で朝食を食べていたが、急に空が口を開いた。
「ねえ、地霊殿ちゃんとお姉ちゃんってどんな関係なの?」
これこいしの台詞?
確かに話は急展開過ぎたかも知れないけど面白かったから問題無い。
そして、この発想はねーよ。
だが、アリd……やっぱねーよ
かなり感動できた