Coolier - 新生・東方創想話

運命の人

2011/01/04 22:49:47
最終更新
サイズ
18.71KB
ページ数
1
閲覧数
1158
評価数
2/14
POINT
480
Rate
6.73

分類タグ

 ――慌てるな、機を待て。
 湖の畔に屹立する、毒々しい紅色の外装に覆われた館。その正門を窺える位置の木陰で、少女は自身に言い聞かせながら、息を潜めていた。
 かれこれ三十分はこうしているだろうか。館に侵入しようとしているのだが、門番がなかなか隙を見せないのだ。
 頭数でいえば、妖怪が一匹に妖精が八匹。このうち妖精のほうは、戦力的にはものの数にも入らない。しかし、中華風の服装をした妖怪が厄介だった。妖精たちを相手にへらへらと雑談をしているようでも、不審な気配に対する警戒は少しも緩むことがない。
 可能であれば塀を乗り越えていきたいところだが、それができないのは下見であらかじめわかっていた。正規の出入口以外には魔法の結界が張ってあって、妙な力で押し返されてしまう。敷地内に侵入するには、一つしかない門を通るしかないようだった。
 正面からの強行突破でも、あの中華妖怪を倒していく自信はある。とはいえ、館の中にはどのような障碍が待っているかわからないし、標的である当主姉妹との戦いは困難を極めるだろう。できることなら騒ぎを起こさずに侵入したいし、こんなところで体力を消耗したくはない。
 やがて、門前に動きがあった。中華妖怪が何やら指示を出すと、妖精の半数が門の奥へと引っ込んでいったのだ。交替の時間で、次の妖精たちを呼びに行ったのだろうか。普通なら先に代わりが出てきて引継ぎをするものだが、そのあたり妖怪だの妖精だのといった連中は、いいかげんな意識しか持ち合わせていないのかもしれない。
 さらに見ていると、中華妖怪のまばたきの回数が増えてきた。だけでなく、だんだんと瞼が下がってくる。睡魔に襲われているらしい。その証拠に、これだけ離れていてもわかるほど張り詰めていた『気』が、みるみる散漫になっていく。やがて、瞼が完全に落ちた。
 ――好機。
 少女は木陰から飛び出した。足音もなく、風景に姿を溶かし、全速で中華妖怪へとすり寄っていく。懐から、銀のナイフを取り出して。
 と、待ち構えていたように、中華妖怪が目を見開いた。射るような視線とともに、威嚇を叩きつけてくる。
 ――釣られた!
 思わず舌打ちが出た。とっくに少女の存在には気づいていて、執拗に気配を探っているのもわかっていて、中華妖怪はわざと隙を見せたのだった。
 妖怪といえば野卑なイメージがあり、こんな駆け引きを仕掛けてくるとは思ってもいなかった。まんまと引っかかってしまったが、いまさら止まるわけにもいかない。そのまま突っ込んでいく。せめて周りの妖精たちが反応できないでいるうちに、一撃で厄介な奴を仕留める。
 腰を低く落として、中華妖怪が身構えた。まったく綻びの見えない、素晴らしい構えだ。やはり粗暴な妖怪のイメージとは異なる。とはいえ、感心している場合ではなかった。
 綻びが見えないのなら、作ってしまえばいい。
 交錯の瞬間を狙って、中華妖怪は足を踏み出した。鋭い腰の回転に送り出されて、覇気みなぎる掌底が迫る。が、少女は怯まない。
 ――時よ、止まれ!
 念じた瞬間、少女以外の全ての時間が止まった。
 掌底をかいくぐって中華妖怪の懐に入り、鳩尾めがけてナイフを突き出す。そこで、時間はまた動きだした。
「うえっ?」
 さすがの中華妖怪も、大いに驚き、うろたえたようだ。しかし、そこからの対処が異様に速い。ナイフが鳩尾へと届くより先に、間に腕が差し込まれた。
 刃先が腕を穿つ。
 少女はすぐにナイフを引き抜こうとしたが、腕に力を込められてしまい抜けない。次のナイフを出そうと、空いている手を懐へ。だがその手を掴もうとするように、中華妖怪の無傷のほうの手が、恐ろしい速さで伸びてくる。とっさに時を止め、腕に刺さっているナイフは諦めて手放し、思いきり後ろに跳んだ。
 中華妖怪の手が、空を握った。
 距離をとって、ひとつ、大きく息をつく。うっすらと滲んだ冷たい汗を、少女は首筋に感じていた。
 先程の中華妖怪の反応は、まるで少女の能力を――時間を操る能力を、知っているかのような動きだった。本当に侮れない。そうこうしているうちに妖精たちが手に手にクナイを持ち、及び腰ながらも戦闘態勢に入ってしまったが、少女のほうも多少の間を必要としていた。気を取り直し、プランを描きなおす。
「銀髪、ですか」
 中華妖怪が言った。確かに少女の、というより少女の一族の頭髪は、鈍く輝く銀色をしていた。調子を崩されたことに、苛立ちが湧いてくる。
「生まれつきだ。悪いか」
「銀髪のナイフ使い、ですか」
「見ればわかるだろう。文句があるのか」
「そして時間を操る、と」
「わかるのか」
「ええ、そりゃもう」
 少女は驚きを禁じえなかった。彼女の能力は事前知識がなければ、百回見たところで『わけのわからない能力』としか認識できないのが普通だ。それを一回見ただけで見抜くとは、よほど勘が鋭いのか、時間を操る能力を持つ者が他にもいてよく見知っているのか、それともその両方か。
 ますます戦闘を長引かせるわけにはいかない。新たなナイフを構える。しかし中華妖怪は殺気を受け流すように、少女に掌を向けてみせた。
「狙いはレミリアお嬢様と、妹様――フランドールお嬢様、でしょう?」
 少女は何も答えない。中華妖怪はそれを肯定と受け取ったようにうなずいて、自分の腕に刺さったナイフを抜き捨てた。
「案内しますよ。ついてきてください」
 そう言って、背中を見せる。
 ――どういうことだ、何かの罠か。
 戸惑いながらナイフを下ろした。その場で立ち尽くしていると、中華妖怪が振り返った。
「何をしているんですか。さあ、来て」
 先程までとは別の理由で、足が動かなくなった。
 中華妖怪の表情に、初めて怒りが浮かんでいたのだ。いや、怒りだけではない。悲しみ、嘆き、憤り、そんな感情がない交ぜになって、ぶつけどころもなく爆発しそうになっている。そんな表情だった。
「歓迎しますよ」
 とてもそうは思えない顔と声で言って、中華妖怪は門の奥へさっさと歩きだす。傷口から流れるままの血を、点々と地面に残して。
「速やかに報告を。時間を操るヴァンパイアハンターさんが来た、と。あとパチュリー様と……妹様にも、教えてあげて」
 妖精に指示を出しながら、中華妖怪はどんどん進んでいった。
 わけがわからない。が、招き入れてくれるというのなら、乗ってみるのも手か。罠だったなら、そのときはそのときだ。
 少女は遠巻きにする妖精たちの視線を浴びながら、中華妖怪の背中を追った。



 中華妖怪の言うとおり、少女はヴァンパイアハンターだった。文明から取り残された怪異を狩る、文明から取り残された一族だ。
 銀髪を特徴とする彼女の一族は、数百年の昔から吸血鬼狩りを使命としてきた。他の人外を狩ることもあるが、その場合はあくまで報酬が目的であり、あくまで使命とは次元の違う話だ。
 そんなヴァンパイアハンターの一族にとって、『スカーレット狩り』は最高の名誉とされてきた。
 いずれも桁外れの力を持つ吸血鬼の中にあって、スカーレットの名を継ぐ者たちの恐ろしさは特に抜きん出ている。身体能力と魔力が優れているのはもちろんのこと、その力に裏打ちされた誇り高さこそが、吸血鬼中最高の名家として畏れられる所以だった。
 一族の歴史の中で、スカーレット狩りに挑んだ者は数多い。しかし、実際に成し遂げた者の数は、片手の指が余るほどに少ない。一族の中でも特に腕利きの者がスカーレット狩りに挑んでは、ほとんどが無残に殺され、幸運にも生き延びた者でも、身体か精神に深刻な後遺症を植えつけられ、二度とナイフを握れなくなった。
 レミリアとフランドールの姉妹が幻想郷なる土地に移住してからは、スカーレット狩りを試みること自体も難しくなった。幻想郷に侵入するには、結界の綻びが生じるタイミングを狙わなければならないからだ。首尾よく侵入できたとしても、そこは危険な妖怪たちが闊歩する世界だ。スカーレットの住処である紅魔館にたどり着くことすらできず、道半ばで命を落とす者も少なくない。
 それでも挑もうとする者は減らなかった。少女の一族にとって、名誉は命よりも重たいものなのだ。
 ただし少女にとってのスカーレット狩りは、また違った意味を持つ。
 少女には二つ年下の妹がいた。
 才能あふれるハンターだった。身のこなし、ナイフの扱い、状況判断、どれをとっても大人顔負けで、十歳になるころには既に一族で一番の使い手になっていた。勝ち気で強気な性格も手伝って、子供ながらに吸血鬼狩りの実績も多数あげていた。
 その妹が、スカーレット狩りに挑む精鋭部隊の一員として選ばれた。
 両親は大変喜び、妹は平然とした様子で日々の修行を続けた。よほど自信があったのか、それともヴァンパイアハンターにとって当たり前の考え方として、名誉を得るチャンスの前では命の危険など些細な事柄にすぎなかったのか。ただひとり少女だけが、不安というより悲しみで眠れない日々を過ごしていた――と、少女は思っていた。
 いよいよ精鋭部隊の出発を翌朝に控えた夜。いつも以上に寝つけないまま時を潰していると、少女の寝床に妹が潜りこんできた。妹は無言のまま、少女にしがみつき、胸に顔を押しつけた。
「怖いよ……」
 真夜中の静寂の中、同じ部屋に眠る両親にも聞こえないような小声で、妹は言った。言って、体を震わせた。
 少女は初めて知った。いや、きっと心のどこかでは前から気づいていたはずだった。どれだけ優れた才能を持っていても、装束に身を包んでいる間は完璧なハンターでいても、妹はあくまで歳相応の弱さも脆さも持った、甘えたがりの女の子なのだ。普段の強気で勝ち気な振る舞いは、両親や周囲の期待に応えるための演技。そのために自分本来の性格も感情も殺してしまえるほど、心優しくて真面目な女の子なのだ。
「行きたくないよ……」
 ――じゃあ、やめよう。一緒に逃げよう。
 喉をせり上がってくる言葉を飲み込んで、少女はただ妹を抱きしめた。
 その夜、妹は少女の腕の中で声を殺して泣きつづけ、両親が目覚める前に自分の寝床へと戻っていった。
 朝、妹は大人たちとともに幻想郷へと向かった。表情はいつものように、自信に満ちていた。
 ――どうか、命だけは。
 少女の願いもむなしく、数日後、ただ一人瀕死で帰ってきた男の口から、他の者はみな紅魔館で命を落としたことが伝えられた。
 ハンターにとっては、身内の死すら日常茶飯事。両親はもちろん妹の死を悲しみはしたが、それはもう仕方のないこととして、じきに気持ちの整理をつけられたようだった。
 だが、少女は違った。悲しみと、そして怒りに、いつまでも囚われたままだった。スカーレットへの怒り。妹の弱さをわかっていながら、あの夜、逃げようと言ってやれなかった自分自身への怒り。
 それから少女は、憑かれたように修行に明け暮れた。怒りと悔恨が少女の中の何かを壊してしまったおかげか、時間を操るという不思議な能力にも目覚めた。これはきっと、スカーレットを狩るために運命が与えてくれた力なのだと思った。そして少女は、わずか一年の間に一族で一番の使い手へと上りつめた。
 前回の挑戦で、一族は多くの戦力を失った。再びスカーレット狩りに挑むのはまだ待てと、長も両親も言う。だが、もう待てなかった。単身幻想郷へと移り住んで、紅魔館の下調べもして、今日ついに実行に移ったのだった。



 紅い廊下は、無限に思えるほど長く続いている。
 外から見た限りでは、いくら大きな館だとはいえ、これほどの広さはなかったはずだ。空間を弄るとか、そういった妙な力が作用しているのだろう。吸血鬼の住処なのだから、魔術的な仕掛けが施されていたとしても不思議はない。
 さんざん歩いて、ようやく大きな扉に突き当たった。
「この先の広間に、お嬢様がお待ちです。どうぞ」
 中華妖怪は、すっかり出血の止まった手で扉を示し、
「それじゃ、私は門番の仕事に戻りますから」
 それだけ言い残して、来た道を引き返していった。そっけない言動の割には、背中から抑えきれないものがいろいろと迸っていた。
 罠か。それとも、たかが人間と見くびっているのか。あるいは、もっと別に何らかの意図があるのか。いずれにしても、中華妖怪の言葉が嘘でないことは、扉を開ける前からわかっている。気を抜けば腰が砕けてしまいそうなほどの威圧感が、すでに少女の前髪を揺らしていた。
 意を決めて、重い扉を開く。
 窓が少なく薄暗い広間の奥、幼い容姿の吸血鬼が、深紅の椅子に身をうずめていた。
 目が合う。
 その瞬間、少女は思わずナイフを投げていた。何もすることなくただ見つめあう時間に、一瞬たりとも耐えることができなかったのだ。それほどまでにスカーレットの恐怖は圧倒的だった。
 吸血鬼の鼻先までナイフが迫る。しかしそこで、横から飛んできた別のナイフに弾かれた。
 ここで少女は初めて、吸血鬼の斜め後ろに立つメイドの存在に気づいた。
 年齢的には中年から初老といったところだが、端正な顔立ちをしている。鈍く輝く銀髪を見るに、ヴァンパイアハンターの一族と何らかの所縁がある人物だろうか。空気を全く波立たせない静かな気配が逆に、このメイドも只者ではないということを示していた。
「ほら、お嬢様。運命の人ですよ、やっぱり」
 微笑みながらメイドが言うと、
「初対面の挨拶も無しに攻撃を仕掛けるなんて、いつぞやの誰かさんのときと同じだな」
 苦虫を噛み潰したような顔で、吸血鬼が応じた。ふふ、とメイドが笑う。
「まあいい」吸血鬼は不機嫌そうに足を組み替えた。「紅魔館当主、レミリア・スカーレットだ。まあ、言わなくてもわかっているだろうが」
「私は――」
 言いかけたところで、少女が入ってきたのとは別の扉が乱暴に開いた。
「レミィ! 咲夜!」
 紫色の女性と、続いて赤髪の悪魔が、慌しく駆け込んでくる。紫色はさらに何か言おうとしたが、激しく咳き込みはじめて、何も言えずその場にうずくまった。悪魔が取り乱した様子で紫色の背中をさする。
「ぱっ、パチュリー様、だから走らないでって――」
「げほ、ありがとう、もう大丈ごふっ」
「無理しないでくださいってばぁ」
 紫色はひとしきり咳き込んで、それがおさまるとようやく落ち着いた様子でレミリアに向き直った。
「彼女、もう来たのね」
「まあ、少し早かった気はするけど、こんなもんでしょ」
「いいのね、レミィ?」
「いいも悪いも、最初に受け入れた時点で、もうこの運命からは逃れられなくなってるんだよ。私も、咲夜も」
「……そうね。お世話になったわ、咲夜」
 神妙な面持ちで言う紫色に、メイドが微笑みかける。
「とんでもない。紅魔館のメイド長として、当然の仕事をしただけですわ」
 そのとき、床が揺れた。下から突き上げるような強大な力によって、部屋全体が軋んでいる。
「フランが、泣いている」
 レミリアが下を向いて、ぽつりとつぶやいた。メイドと紫色、それに悪魔も、倣うように視線を落とす。
「光栄です」
 噛みしめるように、メイドが言った。悪魔が指先で、そっと目尻を拭う。
 やがて揺れがおさまり、静寂が戻った。わけのわからない内輪の話に区切りをつけるように、レミリアが顔を上げて言う。
「それじゃあパチェ、それに小悪魔、悪いけど席を外して」
「……わかった」
 紫色と悪魔が退室する間に、メイドが前へと進み出て、少女とレミリアの間に立った。その手には、いつの間にやら銀のナイフが握られている。
「それではお嬢様、お元気で」
「ああ。今までよくやってくれたよ、ありがとう」
「――光栄です」
 今度こそ話を打ち切って、メイドは少女にナイフを向けた。
「レミリア様の従者、十六夜咲夜が相手をするわ。さあ、かかってきなさい」
 今のところ、レミリアは戦うつもりはなさそうだ。最悪、四人を同時に相手しないといけないかと思っていたのだが、それと比べればこの状況はずいぶんと好都合だった。まずは速攻で一人、頭数を減らす。
 メイドは雰囲気こそ穏やかなものを纏っているが、ナイフを持つ手つきはよほど熟達した者のそれだった。とはいえ、時間の止まった世界では達人だろうが凡人だろうが同じことだ。
 床を蹴り、距離を詰める。時間を止めると同時に、ナイフを振った。刃はメイドの首筋へと迫っていき、的確に頚動脈を――切り裂くことなく、メイドのナイフに弾かれた。
「えっ?」
 少女は慌てて飛びのいた。
 メイドがナイフを防いだとき、まだ時間は動きはじめていなかったはずだ。つまりメイドは、止められた時間の中で動くことができたということになる。ということは――。
「貴様……」
 メイドも、時間を操る能力を持っているということか。
「今のあなたの攻撃、幻想郷のルールでは反則なのだけれど」メイドは少女の能力に驚いた様子もなく、「いいわ、特別に外のルールを認めてあげる。私はこちらのルールの中で戦うけどね」
 メイドの姿が、消えた。と思ったら、何もなかったはずの空間に八本のナイフが現れ、少女に向けて飛んできた。
 かろうじて全てのナイフをかわし、敵の姿を探す。
 ――後ろ!
 気づいて振り向いたときには、目の前にナイフが迫っている。たまらず時間を止めて防ぐも、メイドの動きは止まらず、次のナイフが放たれた。
「ほら、どうしたの? その程度じゃ、私の面接は不合格よ」
 余裕たっぷりでメイドが攻めたてる。一本のナイフが、少女の頬を薄く切り裂いていった。
 ――くそっ!
 少女にとっては不本意ながら、明らかにメイドのほうが格上だった。
 ナイフの扱いと、身のこなし。メイドは優雅に広間を飛びまわり、絶えず攻撃を仕掛けてくる。少女は常に四方八方から大量のナイフに狙われている状態で、完全に防戦一方だ。
 そして時間を操る能力でも、大きな差がついていた。少女が止めていられる時間は最長でもせいぜい二秒くらいのもので、しかも精神集中の度合いによって、発動・解除のタイミングに無視できないほどのラグが生じる。対してメイドは、短く見積もっても数十秒もの時間を、かなりの精度で自在に操っているようだ。
 だが、勝利の可能性が完全に絶たれているわけではない。逆転の糸口が二つ、少女には見えていた。
 まず第一に、スペルカードルールの存在。
 少女も事前に調べていたとおり、ここ幻想郷では決闘を行う際、スポーツ的に勝敗をつけるためのスペルカードルールなるものが適用され、メイドの戦い方もそれに則っている。
 ルールに守られた戦いは、『弾幕ごっこ』の呼び名が表すとおり、絶対に避けられない攻撃を仕掛けてはならない等、あくまでゲームとしての要素が強い。つまりメイドの攻撃は厳しいように思えても、いずれも殺すための攻撃ではなく、避けられるか否か相手の力量を試すことに主眼が置かれており、多分に手ぬるさが含まれているものだった。
 おかげで少女はこれだけ攻められながらも、紙一重のところで決定的なダメージを避けることができていた。
 第二に、単純な身体能力。
 明らかに全盛期を過ぎているはずのメイドが、瞬発力で少女にさほど劣っていないのには驚かされた。が、持久力はそうはいかない。ナイフは無尽蔵に出てくるが、動きは次第にキレがなくなっていった。
 少女も苦しいが、耐えていれば必ず勝機はやってくる。手の届くところに勝機が転がってくるまで、必死に耐える。集中力と気力がどこまで続くか、そこが勝負の分かれ目だ。
 かくして延べ数千本のナイフが飛び交った後、全身浅い傷で覆われた少女と、息も切れぎれのメイドが立っていた。
 メイドの攻撃が止まった。その間に少女が久々の反撃に移る。四本のナイフを同時に放った。
「こんな単調な――」
 言いながらナイフをかわしたメイドの、足がもつれた。
 その隙を、勝機を、少女は見逃さない。残った力を振りしぼって突進しながら、時間を止める。メイドも時間を止めたが、崩れた体勢を持ち直す余力は残っていない。
 少女は、全力でナイフを突き出す。
 銀の刃が、メイドの胸に根元まで食い込んだ。
「うあああっ!」
 ナイフを引き抜いて、夢中でまた刺す。三回、四回。
 ふいに視界が揺れ、体が浮いた。
 衝撃。
 気がつくと、壁際に横たわっていた。状況が把握できないまま、震える膝に鞭打って立ち上がった。
「もうやめろ。もう、終わっている」
 幼い声が低く響く。見ると、レミリアが拳を前に出した姿勢で立っていた。彼女に殴られたのだと、少女はようやく気づいた。
 レミリアはその場に膝をつき、倒れていたメイドを抱き起こした。胸から腹のあたりはどす黒い赤に染まり、すでに事切れているようだった。
「咲夜……」
 つぶやいて、レミリアはまたメイドを横たえた。立ち上がり、少女に視線を向ける。
 空気が、紅に燃えていた。
 蝙蝠のような翼が大きく開く。次の瞬間には、少女はまたレミリアの拳を頬に受け、壁に叩きつけられた。
「貴様、貴様っ!」
 次々と拳が顔に食い込み、そのたびに後頭部が壁に打ちつけられる。膝から崩れそうになったが、レミリアに胸倉を掴まれ、強引に引っ張り上げられた。
 ――ああ、殺される。
 もう指一本も動かない。諦めかけた少女の耳に唇が寄せられ、冷たい声が流し込まれた。
「おまえに新たな名前を与える。今この時から『十六夜咲夜』と名乗れ」
「……は?」
「この私に絶対の忠誠を誓い、生涯私に仕えろ、十六夜咲夜」
「……憎き妹の仇に、どうしてそんなこと」
 レミリアの瞳から、また怒りが溢れた。
「おまえに拒否権はない。全ては運命によって決められたことだ」
「馬鹿らしい」
「いいから従え」
「死んでも嫌だ」
「殺されたいのか」
「殺せ。吸血鬼の僕になるよりはマシだ」
「だったら――」
 声が震えた。レミリアの腕から力が抜ける。そして、紅い瞳から――涙がひと筋、流れ落ちた。
「だったら、返してよ! 私の咲夜を……返してよぉ……」
 押し殺された嗚咽。胸にすがりついてくる幼い吸血鬼を、少女は呆然と見下ろした。
 背格好。
 声。
 そして、触れ合う肌の感触。
 胸元を濡らす涙が、厚手の装束に深く染み込んで、皮膚に直接温もりを伝えてくる。憎悪の対象だったはずのレミリア・スカーレットが、少女の中で、妹の記憶と重なった。
 ――ああ、この娘は、スカーレットの名を持つ者として畏れられるに相応しい強さを身に纏って、誇り高さに見合う振舞いを自らに課して、でも私の胸の中では、こんなにも弱い姿を隠さずに泣いてくれるんだ。
 傷の痛みは、不思議とどこかに飛んでいた。怒り、悲しみ、憎しみ。そんなものは全て、この小さな体の前では、どうでもいいことに成り果てた。負の感情はことごとく浄化され、代わりにもっと奥深いところから、どうしようもなく温かいものが湧きあがってくる。
 ――なら、今度こそ、私が守ってあげなきゃ――。
 腕は自然と伸びて、レミリアの体を抱きしめた。その背中はしなやかな弾力があって、でもやっぱり華奢で、妹と同じ抱き心地だった。



 こうしてこの日、『十六夜咲夜』は死に、次の『十六夜咲夜』が生まれた。
 全ては、運命によって定められたままに。
SS投稿スクリプト「Megalith」が「Megadeth」に見えて困る。
いや、べつに困りませんが。
汗こきハァハァ
簡易評価

点数のボタンをクリックしコメントなしで評価します。

コメント



0.360簡易評価
5.50名前が無い程度の能力削除
「十六夜咲夜」は役職名だったのか
7.70名前が無い程度の能力削除
せやな