迷いの竹林の中で珍しい音が響いていた。
月は高く夜半を示し、しかし妖怪達が最も活動する丑三つ時には遠い。
響かせるのは永遠亭、その炊事場だ。
"人間達のように"夜は眠る屋敷、特にこの時間には冷たい暗さを見せるはずの場所は今、暖かな火の色と白い湯気、そして明るい紫色がそっちこっちへと動く様を見せていた。
動く長い髪の色は、邪魔にならないようにと上に結わいてまとめている。
その持ち主の少女は、鈴のように軽やかな声で、
「てゐー、お蕎麦できたから持って行ってよ」
四角いお盆に陶器の器、それぞれに汁と茹でたての麺を入れながら呼びかけた。
すると入り口からひょっこりと少女の顔が出る。身長は幼い子供と同じくらい、ピンクの柔らかそうな、しかしどこか古い時代を感じさせる衣装に、短く垂れた兎耳。
てゐと呼ばれた少女、因幡てゐは鼻をひくつかせながらも、
「……なんで蕎麦なのよ鈴仙」
鈴仙、鈴仙・優曇華院・イナバは首を傾げ、
「なにって、年越し蕎麦」
言いながらてゐにお盆を渡した。てゐは湯気を立てる丼と鈴仙を交互に見つめ、
「饂飩なのに蕎麦なんて……」
「あんたの蕎麦だけ全部短くした方が良かったかしら」
「兎殺しー」
「あと千年は大丈夫そうね」
「亀に負けるかいな、私ゃもう少し長生きしてやるさ」
「はいはい」
火の始末をしてから、鈴仙はてゐに続いてその場を後にした。
少し冷えた廊下を歩む途中、
「そういえば丼二つだねぇ」
「一応茹でればまだあるわよ、昼間、里で買ってきたから」
「いやいや、あと二人分」
「輝夜様とお師匠様の? あの二人なら蕎麦は食べないって。もう長生きする必要も無いから」
「ああ去年もそうだったね、思い出したよ。私にゃ理解できないけどね」
「私からするとてゐもお師匠様達と変わりないわよ」
「それはないね」
「どうして?」
何気なく問うて、歩みが止まる。ぶつかりそうになり慌てて立ち止まるが、抗議の声を出すことは無い。何故だろう、と思う気持ちが先に来たからだ。
靴下越しに足裏に冷たさを感じるようになって、ふいにてゐが溜息を吐いた。
「……ま、あんたみたいな"若造"にはまだ理解できないさ」
言って、何事も無かったようにてゐは歩き始めた。鈴仙は追いかける形で歩みを再開し、
「ちょっと、なによそれー」
「鈴仙こそ月にいた方が長生きできたってのに、なんで?」
「それは……」
「言葉に詰まる内はまだまだってね」
「はあ、お師匠様にしてもあんたにしても、長生きはどうして訳の分からない事しか言わないかなあ」
「鈴仙も四桁ぐらいになったらわかるさ」
「うへえ、考えたくないわね」
数歩して部屋の前に着いた。こたつにみかんも用意した八畳間。永遠亭の中では狭いが、二人だけで年越しをするには十分だ。
鈴仙はてゐと蕎麦の為に襖を開け、先に入った。
「あ、どうも」
鈴仙は記憶を辿る。
こたつに入ってぬくぬくと兎の癖に猫背でみかんを頬張っている水色の玉兎。
服装は自分と同じ、月の戦闘兎の冬制服。
そして、"あの方々"にお仕えしている、同じ名前の少女。
「なんであんたがここにいるのよ――!?」
少女、レイセンは照れくさそうに頭をかいて、
「いやあ、ほら、あれですよあれ。えーと」
「今考えてるでしょ特に理由ないんでしょどうやって来たのよっていうかまたあの方達が来てるんでしょ」
「まあまあ」
「おや、月の二号」
「あ、どうもー。おやお蕎麦じゃないですか、こっちの風習でしたよね確か。早く食べましょうよ」
「無視するなあ!!」
●
「で、あの方々は来ていないのにどうやって来たのよ?」
レイセン用の蕎麦を急ぎ用意してこたつに入り蕎麦をずるずるしながら、鈴仙は尋ねた。
あの方々、とは綿月豊姫と依姫の事だ。月から地上に来るには豊姫の能力である『海と山を繋ぐ程度の能力』が必要であり、他の方法もあるが今のレイセンはそうやって来るはずだ。
「そりゃあ、静かの海から来ましたよ」
「豊姫様が貴方を寄こしに?」
「いえ、あそこ今空きっぱなしなことが多いので」
鼻から蕎麦が出そうになった。
「今すぐ閉じるよう言いなさいよ! 月の軍勢が輝夜様捕まえに来たらどうするのよ!!」
自分の今の主である蓬莱山輝夜、そして師匠である八意永琳は月では罪人扱いだ。綿月姉妹は永琳の弟子であり捕らえることを考えていないが、もし他の月人に見られでもすれば追手が来かねない。
「大丈夫じゃないですか? あの海なんて普通の人は来ませんし、兎も」
「そりゃあそうだろうけど……」
「ねえねえ、れいせん」
黙って蕎麦をすすっていたてゐが呼びかけた。
「なに?」
「なんですか?」
「……いや、水色の方」
「……紛らわしいわね」
彼女また同じくレイセンの名前を持っている。呼ぶ上で紛らわしい事この上ない。
「ですねえ、私の前の名前で呼びます? ****」
「はい?」
「ああダメ、地上の生き物には発音できないし、****」
「じゃあさ私うどんげって呼ぶから、二号、あんたレイセンね」
「なんでうどんげなのよ私、本家レイセンなのに」
「良いじゃないさ、お師匠様の付けた第二の名前みたいなもんじゃない」
鈴仙・優曇華院・イナバ、本名はレイセンだが優曇華院という名前を八意永琳から送られた。しかしそれをさらに略してウドンゲなどと呼ばれる。正直、本名で呼んで欲しいが、
「良くないけど……仕方ないわね。で、てゐなんだってのよ?」
「そうそう、レイセン。あんたなんだって地上に来たんだい? 基本、御法度なんでしょ?」
「まぁ、私の場合綿月様に使えてるので"地上の独自偵察"とか言い訳できますけど」
「それ言ったら依姫様に搾られるわよ、ええこってりと」
どんな内容だったかは思い出せない。きっと本能が止めてくれているのだろう。
「……なんというか、暇だった物でつい」
「暇ってあんたねぇ」
「玉兎のほとんどは暇してるんですよ、幽霊の噂だけじゃ七十五日も持ちませんし」
「わかるけど、わかるけど、下手すると敵前逃亡……」
「いやうどんげが言うな」
てゐが即座にツッコミを入れた。
「仕方ないじゃないの、それに昔のことを!」
「あー、そういえば鈴仙……じゃない、うどんげがどうして地上にいるのか聞いたこと無かったですね」
「うぎ」
「確か綿月様達は私に名前をくれた時、地上に逃げたって……」
「うぐぅ」
「うどんげさ、たい焼き食べたいの?」
「なんでよ?」
「なんとなく」
とにかく、だ。そう、鈴仙は心の中で前置きし、
「……貴方には関係のない話よ」
「そう言われるかと思いまして、同僚の玉兎の方々にお越し頂きました」
窓側の障子が開いて三人ほど見知った顔が現われる。いずれも同じ服装で、
「どうもー、レイセン元気してた?」「うどんげだっけか今」「あ、なんか垢抜けた顔」
「長視『赤月下』、私は消える」
「あ、消えた」
てゐとレイセンがきっちり出入り口を封鎖して、残り三人で探す。
「おーい、うどんげ出ておいでー?」
しかし出てこない。
「うどんげさー、久々なんだから飲もうよー、ねー」
声すらも聞こえない。
「ほらほら出てこないと……」
その手に乗るか、と見えぬ鈴仙が腕組みすると、
「――恨み辛みこの場で呪詛の如く言い放つ」
「待った、ごめん、その、ごめん、悪かった、だから、ね? あのさ、帰ってくんない?」
「「「その性格変わらないねぇ……」」」
●
八畳間に五人分の影がある。
二人はこたつに入り、一人は体育座りで泣き、三人はそれを囲んでいた。
「まあさ、あれよ、元気出しなよ。私らそんな気にしてないんだしさ」
「ぐすっ……本当?」
「嘘だけど」
「うわーんやっぱり私地獄行きなんだうわーん!」
壁を向いてしまった。
「……ったく、なんで余計なことするかなー」
「いやだって、逃げたしエリートだし弄りやすいしこの愛い奴めウリウリ」
「やーめーてーよぅー」
「それが本音か」
二人の玉兎が呆れて眺めてると、後からこたつの中のレイセンが、
「あのー、ところで先輩方」
「なに? 二号」
「二号って……、あの、どうして逃げたのか教えてくれますか?」
その問いに泣きがピタリと止まった。三人は少し考え、
「良い年してオネショしたから」
「綿月様の秘蔵していた水飴舐めたから」
「私が襲ったから」
「『幻朧月睨』」
「きゃー」
「人の古傷抉って楽しいかあんたら! 今すぐ帰りなさいよほら穢れ穢れ」
手で穢れたっぷりの地上の空気を送り込む。
「あー、地上の空気もうめえ」
三人はたっぷりと深呼吸。
唸り声を上げて威嚇する鈴仙だったが、やがて立ち上がると諦めたように、
「はあ……もういいわ、とりあえず、ほら」
「なに?」
鈴仙が両手を組み、差し出した。
「捕まえに来たんでしょ? 打ち首? それとも兎鍋?」
覚悟を決めた、とでも言うように淡々とした表情で言う鈴仙を、三人はしばし互いの顔を見つめ、苦笑し、
「あのねぇ、そんなわけないじゃん」
「そうそう、そんなことするなら先に綿月様達がしてるはずだし」
「だってさよならも無しにレイセンいなくなるんだもん、心配するさ」
思わぬ言葉に、鈴仙は一瞬言葉を詰まらせ、
「……だって私は……」
「はいはい言いっこ無し無し。それよりさ、私らの分も蕎麦作ってよ」
「あ、それ楽しみだったんだ。年越し蕎麦」
「いいねいいねー」
「みんな…………」
込み上げてくる感情がある。腹の底から、喉の奥から、心の内から。
目尻に溜まって、それが流れ出す。
そんな彼女の背を、優しく叩く少女がいた。
「うどんげさ」
「てゐ……」
「私ももう一杯食べて長生きしたいからさ、早くね」
言って、丼を差し出す。
「あ、うどんげ私もー」
手を振りレイセンが続き、三人が見やる。
鈴仙はハンカチで鼻をかんで、目を袖で拭いて、
「し、仕方が無いんだから! えーと、人数分だから……」
指差し確認した。人数は、
「八人分ね」
言うより早く、襖を開けた人が口にした。
「師匠!? それに、輝夜様までなんで!?」
「馬鹿ね、あんだけ騒いでたり変な反応があれば気付くわよ」
「イナバがいっぱいね今日は。八畳間じゃ狭いけど、温かいからいいわ」
「輝夜様……」
ガタンと障子が開き、
「ふふっ、もう少し狭くしても大丈夫でしょうか?」
「豊姫様――ッ!?」
レイセン達が背筋を伸ばし、
「お姉さま、少しは遠慮というか空気というものをですね……」
「依姫様――ッ!?」
鈴仙も含め逃れようとした。
「ちょっ、貴方達なんで逃げるのよ?」
●
狭くなった部屋で、十人が蕎麦をすする音が響く。
外から低い音が聞こえてきた。てゐが顔を上げて、
「あ、除夜の鐘」
「鐘? ああ、本当ね。なんの鐘かしら?」
「命蓮寺とか言ったわね、新しく人間の里の近くに出来た寺」
永琳の話を聞いて、鈴仙も思い出した。確か空飛ぶ船が寺になったらしい。今度調査してみよう、と思う。
「へぇ、その寺の鐘が夜中になんて珍しいですね」
寺の鐘は時刻を示すものだと聞いた。しかし昼間の話で、夜に鳴らすとは聞いたことがない。今までも鳴っていたかもしれないが、冬だから聞こえるのだろうか。
「良い事ウドンゲ? 除夜の鐘というのは人間の煩悩の数を示すのです。全部で百八つ鳴らされるその鐘は月、気、候の三つの数を合わせた数と同じで、それらは一年という時を示し、つまり人間は一年中煩悩に塗れてるということです」
「はあ……」
「レイセンに新しいレイセン、それに皆も八意様のお言葉を胸に刻んで、節制した生活を取るようにしなさい、特にお姉さま」
「な、なんで私なの!? もぐもぐ」
「ほら蜜柑なんて食べて……輝夜様もいるというのに」
「私は気にしなくて良いわ、依姫。所詮、咎人だものねぇ」
「え、あ、いや、そのようなつもりでは」
「貴方のそれ、鈴仙の真似?」
「「な、なんですかそれ?」」
輝夜と永琳、豊姫が口を揃えて笑った。
顔を真っ赤にする二人を置いて、鐘の音が再び響いてきた。
「あら、百七つ」
「お師匠様、数えていたんですか?」
「頭の端っこでね。これぐらい出来るようにならないと」
「そうですよレイセン、百七つ程度の数ぐらい数えられないと」
「ちなみに百七つは、今、鳴ったけどね」
「よしよし」
「慰めなくても良いです!」
「おっ」
聞こえてくる音がある。
「あっ」
聞こえてくる音がある。
「やっ」
きっと幻想郷で誰もが聞いているであろう音。
「百八つ」「鳴ったね」
そして聞こえたならば、言うべき事がある。
「うん」
鈴仙の目が合う。そして、彼女の声で始まる。
「それじゃあ……」
一息、
皆可愛いな。
こういう話を待ってたんだ
つくねさんありがとう