Coolier - 新生・東方創想話

釈然としない晩酌

2010/12/28 05:59:36
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※妖怪に関しての独自解釈あります
※オリキャラが多数登場します
 


 彼女自身、自分の外見は人間と変わらないと思っていた。

 雲山もその場には姿を見せていなかった。
 しかし先ほど店員は釣銭を渡す時に微妙に顔を強張らせていたし、ほかの客もさり気なく彼女とは一定の距離
を開けていた。
 それとなく解るのだろう。
 彼女自身も同じ気持ちを味わうことになる。

 真昼の、商店が立ち並ぶ人里。
 寺小屋教師に、白蓮と水蜜、一輪が、改めて人里内部の案内をしてもらっている最中。
 立ち寄った雑貨屋にて。
 客に混ざったある女性が妖怪であると、雲居一輪にもすぐ解った。
 割と賑わっている中、別に恐怖で取り乱す者が出た訳ではないが、熱が明らかに変わる。
 一輪も思わず体を強張らせた。

 「こんにちは」
 「―――こんにちはー」
 「…こんにちは!」

 寺の中、聖が入室した際の、入門している妖怪達の反応を不意に思い出したが、あんな暖かい親愛なものでは
ない。

 「ああ、あの方が……」
 「ええ、風見幽香です」

 一行も、同じように丁寧に頭を下げる。
 風見幽香は本人は、至って他の人間の客と変わらず普通に、むしろ朗らかな表情で買い物をし、こちらにも挨
拶をする。
 正直、却って恐ろしかった。
 悠々と反対方向へ歩いて行く幽香を見つつ、聖もしばらく押し黙って見送っていた。行く先々で、人間達はき
ちんと挨拶をしている。

 「よく来られるんですか?」
 「時折ですが、礼儀正しい妖怪ですよ」

 寺子屋教師は慣れているらしい。
 解りやすく里の中の施設等について命蓮寺の一行に、スムーズに説明してくれる。
 その素振りや接し方に、妖怪である一輪達に対し、恐れはない。だから、里に踏み込んでから気になることは
なかった。
 しかし――――先ほどの一輪に対する、店員の態度が、少し忘れるのが難しそう。
 改めてほかの人間と接触する機会があると、この様なことが起こるのだと実感する。
 入口付近やその周辺には、外見からして完全に人間から離れた連中も割と見かけられたが、中に入ってしばら
く進めば、妖怪自体が姿を消した。

(やっぱり、 正直気まずい)

同行している水蜜も、表情には出していないが同じ気分だろうか?
 聖はどうだ?
 熱心に教師の説明を受けてはいるが、もう気づいているだろう。
 ややあって、今までの質問や感想とはやや違うトーンで呟いた。

 「堅実な習慣と教育が行き届いていますね」
 「―――ええ。基本ですから」

 誰であろうと、挨拶一つできない共同体は共同体では無かろう。

 「いえ、素晴らしい事ですよ」
 「……………」
 「――――とは言え、何と言いますか――――壁が高い」

 むろん、里の周囲を囲んでいるものの事を言っている訳ではない。
 「心の壁」なんて単語を、一輪はちょっと口には出せなかった。
 もう少し後に話し合うと思っていた話題が、道中にもう向き合うことになった。命蓮寺の理念は寺子屋教師も
知っているだろう。しかし彼女は調子を変えずに続けた。

 
 「壁は必要ですもの」


 水蜜は一人あわてた様子を見せ、一輪は下を向いてしまう。
 聖は頷いて神妙な顔で返した。

 「”衣食足りて礼節を知る”ですか……」
 「―――――いえ、それ以前に身の安全の前提がなくては、食事も満足にとれません」

 里の中での人間が食われてしまうのが許されるようならば、お互い挨拶すらできないのだ。
 しかし

 「その壁があって――――お互いに理解しあえないと余計な迫害が起こる事を、身を以て体感しまして…」
 「…元々、お互い”そういうもの”ですから」

 妖怪と人間。
 捕食者と被捕食者
 獣と餌
 被差別民と差別主義者
 ――――例えはいくらでも挙げられるが、根本は剣呑な関係が前提なのだ。お互いの歴史はずっとそうだ。
 それは誰しも解っているが――――

 「その、食事だって大人数で食べた方が楽しいと思いま……」

 水蜜は最初元気よく切り出したが、最後まで言う事はできなかった。自分でも気の利いたことを言ったと思え
たのだろう。
 しかし、聖は笑いながらもいつも程は笑わなかったし、寺子屋教師は表情も変えない。
 それはそうだ。
 一緒にいる相手によって、食事なんて極端に味が変わる。―――自分達がそう思われる側である事は百も承知
だ。
 口をつぐんでいる水蜜がやはり気になるのか、幾分明るく、寺子屋教師は昼食へ向かうことを切り出した。






 深夜。
 命蓮寺にて。
 寝返りを打ちながら、一輪は思い出す。
 蕎麦屋での昼食は楽しかった。上白沢慧音というあの教師は、素直に気持ちの良い人間だったし、4人での会
話も弾んだ。
 水蜜も美味しそうに食べていた。

 しかし、店を出る時、蕎麦屋の店員も顔を少し緊張した面持ちで、釣銭もやや上空から落として渡す形だった。

 周囲の事に若干気を回せなかった中、周りの客はどう思っていたか。何かに煩わされずに過ごせたのも、皆に
信頼される慧音先生がいたためか?

 (下らない)

 何をちっぽけな事で悩んでいるのだか。
 しかし―――とにかく昔には体験しなかった事だった。
 なかったというか、そもそも人間に気を使わなかった。たまに一般人の振りもしたが、その場合は正体を気づ
かれなかった。
 自分自身が変わってしまったし、人間も環境も何やら変わってしまった。
 聖も、復活させてくれた人間から聞いたと言っていたが、世の中も、妖怪の立ち位置もかなり変化した。
 それは多分、良いことなのだろう。
 しかしその分、胸に小さなしこりができて、里も中心部に差し掛かるころには随分大きくなってしまっていた。
 昔には体験しなかった事だった。
 なかったというか、そもそも人間に気を使わなかった。たまに一般人の振りもしたが、その場合は正体を気づ
かれなかった。
 自分自身が変わってしまったし、人間も環境も何やら変わってしまった。

 ――考えていたのと違う―――

 少なくとも聖の思想と相容れない世界だった。ただ、状況がやや複雑に感じる。
 隣を見ると、水蜜は目を開け、寝返る事もなく天井を睨んでいる。
 一輪も疲れていたし、声をかけるつもりもなかったので背を背けたが、水蜜は自分から話しかけてきた。

 「一輪」
 「何」
 「私達って、そんなに怖いかな」

 怖いと思うよ。
 前から同じことを考えていたのだから言う。
 職業が本来人間を無差別に殺すことなんだから。主に食べるために。
 そんな水蜜本人が、本能的に周囲に来た人間を片端から水死させているし、本気でこんな疑問を投げかけてい
る姿こそが、ほんの少しだけ一輪にさえ恐怖だった。


 「妖怪だもの」


 聖の理想実現への道程は、何とも遠い。
 しかし、「無理解で傲慢、脆弱な人間ども!」と昔のように怒る気には、一輪はなれなかった。
 思えば、昔はシンプルだった。愚かな人間を一喝し、聖の理想を教えれば上手くいくと信じていた。
 人間自体に対する憤りも不信感も根っこにはあるが、それは却って邪魔になると、自分でも思っている。
 今の聖の心境を考えると、張り裂けそうになる。

 妖怪が天下の世だというのに
 自身もひどい目に遭わされたというのに
 つくづく頭を悩ます世界といえよう

「――――あの人里、信仰してくれると思う?」
「してくれなくても、私は聖に従うまで。――――最悪妖怪だけでもいいんじゃない?」
「それじゃ解決にならないでしょうに」

 だが、本来なら言い辛い事を、一輪がきっちりと言い切れるのは、そこから一つの希望が導き出されるからだ
った。
慧音先生もそれらしい事を少し話していた。

 ―――本当に人を襲うのは、人間に恐怖を与えんがため。
    殺戮し、その肉を食らうのは人間に畏怖を持たせ、思い上がらせないようにするため。

 これが要諦であり、詰まる所人肉の摂取は殊更必要ではないという論だ(勿論、きちんと食べなければ自身が死
んでしまうような仕組みの妖怪もいるだろうけれど)。
 今でこそ人肉を断っている一輪だが、聖と出会い、本格的に控える様になった頃は健康に影響がでるのではな
いかと不安だったが、実際それで体調が崩れる事も無かった。

 (水蜜に至っちゃ、大量に虐殺を繰り返していたが、別に逐一食べていた訳ですらないんだからさ)

 だから―――お互いの行き着くところは、殺し合いでなくとも許されるはずだ。
 要は、形式上でも怖がらせることができれば、本当の平等関係に行き着く事ができるのではないか?
 慧音先生も、少し寂しそうだったが、最後は笑って言っていた。
 「過去の歴史は非常に血腥いけれど、これでもかなりお互いに穏やかになってきた」のだと。


 ―――が、その、「恐怖」が最大の壁なのだ。


 「そりゃあ、怖いのは解るけれどね」
 「ああ、あの店員さん、色々嫌がってた気がするわ」

 本格的に寝付けない事を悟り、一輪はけだるげに布団から出た。

 「どこ行くの」
 「用足しに」

 ――暗い、深夜の渡り廊下を歩いて、厠へ向かう。
 この行為、妖怪が出まいと出るまいと野外だろうと屋内だろうと、外の世界においてでさえ、人間の幼児の原
初的な恐怖の一つなのだという。
 理屈は解る。
 だが、妖怪として、それと同じ恐怖を体感することは不可能だ。
 しかし今日町の中で会った妖怪は怖かった。あと、恐怖の種類は違うけれども、聖を復活させてくれた人間も、
色々怖かった。

 (あいつらも怖がってた)

 聖を封印した連中は――――まあ、浅ましく身勝手と、どうしても怒りは覚えるが、悪人というよりは恐怖に
支配されていたのだろう。
 さて、用を足し、渡り廊下から覗くと、疲れているだろうに、聖の部屋にはまだ明りが点いていた。
 寝付けないのか、まだ仕事があるのか。
 すぐにでも部屋に行ってみたかったが、何が言えるだろう。
 立ち止まっていると、不意に雲山が手ぬぐいを持って横に漂っていた。

 「ありがとう。大丈夫」

 無言で床に戻ろうとする一輪に、同じく無言で雲山が並行した。

 「―――いや、解ってる。別に迷っている訳じゃないよ」

 一度心から信じた道だ。
 今更ただでさえ一番辛い聖に心配をかけてどうする。
 第一、こんな事で、当の本人は今更くじけまい。

 「ただ、信じて行くしかない。それだけさ」

 殊更、水蜜は一輪よりその決意が強いから大丈夫だろう。これ以上は考えるまい。
 そもそも聖の思想に共鳴したというよりは、本人の仁徳に魅かれたのだし―――――

 「………いやいやいや」

 それでは逆に聖が気の毒か。
 その信念への同意が二の次になり過ぎるべきではないし、妄信的になるのはお互いのためではない。それは結
局、自分が楽をしているだけだろう

 「”楽”か」

 襖を開けると、水蜜はうつぶせになって本を読んでいた。
 ――――と、その本は―――――

 「確か、明日里の見学は午前中一杯よね」
 「そうだけど、どうした?」

 本当に楽しい事
 夜
 そして人間。
 並べ替えると、一気にきな臭くなる要素の単語だが、一輪はすぐさま着替え始めていた。

 「?」
 「あんたも着替えて 聖も連れて行こう」
 「どこへ……?」





 しかし、聖の部屋の横は星の部屋で、階段の音で察したのか、入口の前で待っていた。

 「明日も早いのでしょう?」
 「いや、確かにそうですが。起きておられるなら、むしろ星さんもご一緒に……」

 別段眠そうでもなしに、少し首を傾げて星は水蜜が抱えている本の表紙を見た。

 「ああ……”そこ”ですか」

 『幻想郷縁起』――― 所謂ガイドブックのあるページを、ずっと親指を栞代わりにして二人は着替えてここ
まで来た。

 「ご存知ですよね?」

 流石に前々から読んではいるのだろう。
 しかも、「それ」ではなく「そこ」と言うからには、もしかしてページと大体どこに何が書かれているかを把
握しているという事か?
  
 「居酒屋ですね」

 深く考えずとも、これ以上楽しい場所はあるまい。
 人間は特に昼間から飲む訳にはいかないから、昼食に蕎麦を食べる時も、この発想は生まれなかった。
 やはり規則正しく妖怪として夜に起きていなくてはまともな思考はできないという事か。
 しかし、星は何故か妙に困り顔だ。

 「改めて、ご一緒に!」
 「ほらだって―――― ここに……」
 「『妖怪も人間も』ですか――――――――」

 一歩踏み出して、神妙な顔

 「残念ですが、聖は連れて行かない方がいい」

 なるほど、確かに一番疲れているし、今は何らかの仕事中で、深夜の深酒は体に悪い。
 しかし、体力は皆より元々十分あるはずだし、今から行って一杯だけでも飲んで来れば睡眠はとれるはずだ。

 「いや、『人間も妖怪も盛り上がる』『一緒に飲める』と考えているのでしょう」
 「そう本に書いてありますもの」
 「ええと、あなた達、少し前に神社で宴会がありましたが、ああいう事が人里でも起きると思ってます?」
 「?」

 そう―――――あれは楽しかった。
 あまりにも飲み過ぎて――――考えてみれば風見幽香も、慧音先生も途中から姿を見ていたような気がするが
――――途中から割と妖怪とか人間とか理念とか、そうしたものを過去のしがらみや人間への憎しみと共に忘れ
かけた。 
 というか、目を覚ますまで、一輪は本当に忘れた。
 酒以上に旨いものなどこの世には無いとさえ思えた。
 まあ、あそこまで痛飲することは思うが………

 「流石にもっと行儀良く飲むとは思いますが」
 「あなた達が行く事は止めませんが……聖には行かせたくない。いや、見せたくない…………」

 星は、行ったことがあるのか。
 となると―――――

 「何を見たんですか?」
 「……………」
 「深夜の人里というと………」
 「上手く言い辛いなあれは。とにかく論より証拠。行って見て下さい」

 もったいぶらずに全部言えばいいのにと思ったが、どうやら本気で上手く表現できないらしい。ボキャブラリ
ーの無い妖怪では無い。ただ、浮かべていた表情は恐怖ではなかったので、何か代わりに嫌悪感を催すことでも
あったのかもしれない。
 それを夜中に部屋の前で問い質すのも嫌だし、二人で見てみればいい。

 「それでは………」

 妖怪の本来の活動時間。
 相手のテリトリーとはいえ、かなり無防備な状況で食事の場にお互いいるのだ。

 「雲山」

 金の輪を軽く握る。
 雲山が少し拡散して縦横に広がり、すぐにいつも以上の濃度を取り戻してから一輪に頷く。
 水蜜は本を閉じ、人里の方向を見つめている。
 今は、人間へ肩入れするつもりも、妖怪と一緒になって元々の本分を果たそうと思わない。
 ただ、見た事をそのまま受け止めようという決意だった。
 
 



 昼間にもらった、簡易な商店の案内冊子が役に立った。
 少し驚くほど、深夜営業の店が多い。
 つまりそれだけ人間以外を相手にしているという事だろう。人口の割合を考えれば、妖怪の方が多いのだから
確かに利益にはなるのだろうが、経営している人間の生活サイクルはどうなっているのだろう。
 最近は昼間に活動しすぎている一輪達が言える事ではないが、それは人間の営みから外れていよう。
 主に夕食(妖怪にとっては昼食か朝食)のための店もあれば、飲む事が目的の店も多い。
 星が「ここがいい」と教えてくれた店は、昼間の蕎麦屋から大分離れた所にあった。
 割と新しく赤々と綺麗な提灯の元、暖かく明りの灯った店内からは、元気な喧騒が聞こえてくる。
 これだけならば、不快感も不安も無い。
 さて?
 人里の夜。
 いかなる光景か?
 3人はあまり何も考えていない様な表情を作って、中に入る。

 「――――これ………」

 入ってすぐに、彼女達―――殊更雲山を見たらしいカウンターの奥寄りの真ん中に座っていた中年女性の人間
が会釈し、「こんばんは」と挨拶する。
 一人言うと続いて、店中で「こんばんは」が連呼させる。勿論顔見知りではないが、昼間と同様、きちんと挨
拶がされる。

 ―――――――店の半分だけでだ。

 やや広いカウンターを見てみると、最初に挨拶をした人間の隣に河童と思われる少年の妖怪が座ってチビチビ
と飲んでいるが、こちらを一瞥しただけで何も言わない。
 その横から、一輪達のいる玄関にかけて、つまり半分は、妖怪だけが座っていた。
 皆一輪達を一瞥するか、まるで無視するかして、妖怪同士で話したり、黙々と食事をとっていたりする。
 視線をそのまま移動させると―――――ちょうどそのカウンターの、河童と中年女性を境にして、店がきれい
に分断されていた。
 すなわち


 きっかりと人間と妖怪とで解れて飲んでいる。


 酷い壁がある様だった。
 厚さは2席分ほどで、幅は店の隅から隅まで。
 高さは、天まであるような。
 越えられる気がしない。
 河童は、飲んでいるグラスを空にすると、徐に立ち上がり、入口側にやはり3席分程移動し、元々そこで飲ん
でた三つ目小僧に会釈して詰めて座った。
 そして無言で、空いた席に一輪達を促す。
 つまり、多少窮屈な思いをしても、人間のすぐ隣に座る気はないということなのだろう。そして妖怪である一
輪達に気を使って、中年女性と一席分のスペースを取ったという事になる。
 心遣いが痛い。
 いきなり詰められて窮屈だろうに、三つ目小僧も特に気にする様子はない。

 これが、この店での常識なのだろう。

 後ろのテーブル席では、それぞれがどこも盛り上がっていた。
 しかし、酔って大笑いしているろくろっ首の一人が、そのまま首を揺すると、人間達側のラインを超えてしま
い、途端に大きな舌打ちが連呼するので以降は大人しくなってしまったり、人間の一人が少し立ち上がって、ふ
らついて妖怪側に入ると、山童(やまわらわ)が片足を上げると地響きを立てて一発足踏みをした。
 妖怪達の談笑は止まらないが、人間達は一瞬無言になる。

 「一輪、これは………」
 「ああ…………」

 やや眩暈を覚えたが、あまり主観を持たずに状況を判断しようと一輪は思った。
 基本的に、種族の条件として「自分の都合しか考えない」とされるのが妖怪である(実際一輪も水蜜もそんな生
活だった)。それが先程からこうした心配りも見せてくれた事自体が特異だ。
 山の方では、かつては鬼を頂点に、今では天狗を中心とした確固たる社会体系が組まれているらしいから、そ
の影響もあるのだろう。
 人間は――――共同生活しているくせに、同族相手にさえこうした差別を行ったりラインを引きたがる浅ま
しい連中という事はよく知っている。
 考えてみれば、驚く事ではない。
 当然、居酒屋という限定された空間でお互い飲むなら、まあこうなるだろう。
 「住み分け」という言葉があるのだ。
 本当の修羅場や殺し合いを目の当たりにした訳ではなし

 (いや………………)

 一輪は、自分自身へのその言い聞かせが、何かとても気に食わないものに思えた。
 二人は焼酎をそれぞれ一杯ずつ頼む。
 お通しに出された漬物は本当に美味しかった。
 真ん中辺りに座っていた人間の中年女性は、近くで見ると存外ガラが悪く、キセルをずっと吹かしている。そ
の奥に若者や初老の男性が何人か飲んでいたが、何が気になるのか、こちらを見ている。
 不意に、二人の前に、湯豆腐が置かれた。
 横を向くと、河童の少年が無言で差し出していたのだった。

 「おごりじゃ」
 「あ。どうも………」

 更に、河童は席を詰め、横にいた三つ目小僧は窮屈そうな顔をしていたが、構わず席を開け、手招きしている。
 人間から少しでも離れて、こちらに寄れ、という事か?
 三つ目小僧が更に押されているが、その横の金髪おかっぱ頭の妖怪の少女(種類は不明)は無言で丼ぶり飯をか
きこんでいる。
 しばらく考えて、水蜜だけが河童の方に寄った。

 「あんた達、あれかい。最近できた駆け込み寺の?」
 「ええ」
「いきなりでこんな店に入って驚いたじゃろう。あんた達の言うとる事ぁどうにも優しすぎるみたいだしなあ」
 「―――そうですかね」

 河童に悪い印象は無い。
 しかし、カウンターの一番端にいる老人が、こちらを睨んでいることに一輪は気づいていた。

 「まあ何だ。色々な奴等が集まってくるだでな。今更驚きゃせんけども、『妖怪と人間の平等』なんて言い出
したのはあんたらが初めてじゃろね」
 「そうでしょうか」
 「それだけ平和になっちまったって事かね」
 「いや、外の世界が酷いって事だ」

 空いた一輪と水蜜の間の席に、徳利を持ったまた別の妖怪がドッカと腰を下ろす。
 こいつも何の妖怪かは解らないが、割と人間に近い、青年の妖怪だった。鋭い犬歯と隈だらけのあまりにも悪
い目つき、水色に近い肌が碌な印象を与えない。 あと、鼻が異様に長長大で目立つ。天狗ではなかろうが、
トガリネズミとかそこら辺の動物の妖怪だろうか?

 「俺がここに来たのは300年くらい前だった。もう駄目だ。あそこは」
 「ええ……」

 ジクジクと、黒い泡が脳に湧き上がる様だった。
 先程から藪睨みの老人といい、何も言わない隣の女といい―――昼間の店員や客たちといい、何よりあの封印
を説いた連中といい―――まあ――――そもそも、ここに来てから人間に対して良い思い出など一つもない。
 確かに、聖の理念をしっかり解釈した上で、人里の連中には怒らなかった。
 それは、やはり、無意識に抑えていただけか。

 「人間どもは自分の都合だけで好き勝手土地は荒すわ色々汚しまくるわ、自分達が世の中で一番偉いと勘違い
してやがる」
 「ああ、それは全くですね」

 後ろのテーブルのろくろっ首も、首を伸ばして話してきた。

 「第一弱すぎ。すぐ死ぬくせに、こっちが何もせんでもあいつらは勝手に殺しあうんだよね」
 「醜い」
 「自分に都合の良いものや格下の弱いものだけ周りに集めて、そうしないと偉くなった気がしないのさ」

 連中が妖怪を嫌がる理由の一つはそれもあるだろう。
 同じテーブルの面々も加わり始めた。

 「基本的に責任は全部他人のせい。環境汚染も垂れ流し」
 「自分の都合しか考えないからねえ あいつらは」

 これには一輪も苦笑してしまった。
 昔は自分も人間を食い殺したし、周りにそんな奴もいるのに人間に「妖怪を殺しても平気なのか」と売り言葉
に買い言葉で言い放った事もある。勝手なのはお互い様か。
 しかし、気分は悪くなかった。
 思い切り愚痴を吐き出したり、元々抱いていた感情を吐き出すと、少し心も軽くなる。
 確かに――――こうした場面は聖には見せたくない。
 だが、同じ様にひどい目にあった妖怪達の嘆きはずっと聞き 続けて来たではないか。口汚いが、これは許容
範囲だろう。星は心配し過ぎだ。
 店の人間達を一応見たが、皆一輪を気にも留めていない。
 こうした事は日常茶飯事で慣れているか。
 思わずぶちまける。
 聖に起こった悲劇。
 ここまで来た経緯。
 封印を解く前に出会ったかの人間の暴言。

 「自分達の都合が悪いからって!! 勝手に疑心暗鬼にかられて!! 今まで味方していたのに平気であいつ
らは裏切る………!」

 そして今日の昼間に、人里で感じた事。
 
 「怖がり過ぎなんですよ! 何もかもが弱いし、そこから高みに這い上がろうともしない!! 本当に存在が不
自由な連中ですよ」

 まあ、横で当の人間もその話を聞いてはいるが、これは仕方あるまい。
 水蜜は先程の河童と話し込んでいる。お互い水と共に生活しているので気が合うのか
 印象の悪かった隣の妖怪も、随分親しいと思えてきた。
 彼は、ポンポンと肩を叩いて言った。

 「その点、ここは良い所だよな」
 「――そうですかね?」
 「まあある意味、『人間牧場』なんて、外にはどこ探しても無かったしなあ」
 「八雲紫様様さね」

 ――――それは

 「いやあんた達、『牧場』ってそりゃあ………」
 「ああ、気にしなさんな。この店の人間どもは」

 違う。
 人も食えば、怒りも覚えるが、少なくとも、一輪のそれとは違う。
 それだけは違う。

 「―――いや、私も幻想郷に来てから日は浅いですが、別にそうした環境を望んでいる訳では……そんなに食
べられる訳じゃないし…」
 「なに、襲えないのは里の中だけ。夜中にうかうか出歩く様な奴は食い放題さ」
 「外来人も定期的に来るしな」
 「そんなに自由には食べられないって聞いたけど?」
 「だから、あんたらには感謝してる」

 酷い笑顔で、隣の妖怪は酒を一輪に注ぎながら言った。

 「あんたの寺は、『妖怪退治はやめろ』って言ってるそうじゃないか」
 「そこまでよく自分だけに都合のいい解釈ができますね」
 「退治する相手がいないなら食い放題が許される訳だ」
 「いや、そんな一方的な話じゃない!大体殺生自体を肯定している訳じゃなく………」

脳から引いていた黒い泡も、無くなっていた胸のしこりも、一気に噴き出して爆発する様。
こんなに声を荒げたのはいつ振りだろう。

 「相手に殺生を戒めるのですから、こちらも好き勝手する訳には………!」
 「じゃあ、あんたは、人間の味方か」

 どちらかと言えば「聖の味方」だ。
 ――――これは、逃げでも盲従でもない。

 「何で2元論しか出てこないのよ!?」
 「人間が餌だからさ。向こうからすりゃ『天敵』だか『宿敵』だか。 まあそれ以下でもそれ以上でもないっ
  てこった」
 「だから、あんたらの白蓮さんには期待してるんだって」

 あんたらに不利益な事は言うとらんぞ―――妖怪達は不自然な程屈託無く話す。
 今まで言った事は皮肉では無いのなら――――

 (そうじゃない! それじゃ駄目だ!)

 一番最初に聖に会った時、一輪も同じ解釈をしていたのだ。聖はそれを否定したが、理解するには、時間がか
かった。
 その間の自分が、こうした妖怪と同じ視点だったとしたら―――聖はやはり、あの時悲しんでいただろう。
 一輪の気持ちがどこかしらで伝播したか、単純に妖怪達の言い方が気に入らなかったか、雲山もその場に湧き
上がり始めた。
 一瞬ぎょっとした妖怪達だが、何故一輪が怒っているかまるで理解できない、といった素振りで、動じること
なく飲み続ける。

 「本当に殺すか殺されるかだけでしか、人間と妖怪の関係は語れないはずでしょう!?」

 例えば

 「この水蜜だって、幽霊になって船を沈めて人間を殺し続けて来たけど、その代わりになるものを見つける
事ができた。私だって、人間はもう食べない」
 「ああ、そりゃ無理だ。無理無理」
 「想像できんなあ」

 特に、隣の妖怪はヘラヘラと笑って答えた。

 「俺の体は人肉を求めている。他の物が食えない訳じゃねえが、結局要るのは人間なんだ」
 「何だかあなたの話を聞いてるだけだと、聖白蓮は人間の味方したいのか妖怪の味方をしたいのか解らないの
だけど結局どっちなのかしら?」
 
 カウンター端の、どんぶり飯を食べ終わった金髪おかっぱ頭の少女の妖怪が、別段敵意やあざけりの意も無く
投げかけてきた。
 少し前の一輪ならば、ここで「妖怪と人間の味方」 と言っただろう。
 だが――― 一つ分かったことがある。

 「聖白蓮は」

 水蜜は、グラスを持ったまま固まって一輪を見ていた。


 「苦しんでいる奴の味方なんですよ」


 ずっと前から。
 人間が嫌いだったのでも、妖怪が好きだったのでもない。
 迫害されたり、業に苦しんでいるのを目の当たりにしたのが、妖怪だったので、その力になろうとしたのだ。
弟との死別で、その本来の恐怖を知ってしまった人だ。
 考えてみれば、水蜜も―――――

 「あんたら、長い間妖怪ライフを送ってきて、本当に退治されて死にかけた事はある?」

 自分だって、本当の地獄を見た。

 「本当の戦いで、腕や足をへし折られたことは? それくらいあるなら、体のどこかを切断されたり、引きち
ぎられたことは!? そうして動けなくもなって、仕方ないから半日近く誰にも見つからないように、また元通
りになるまで痛いのも、気持ちと一緒に全身が風化しそうになる感覚も我慢して――――でも、その後こうし
てお酒を飲んだり……ご飯も食べられたり…………」

一輪は腕や足を一本引きちぎられても、時間が経てばいずれは何とかなる。
 人間は体のどこが引きちぎられても、もう元には戻らないし、大抵放置するとそのまま、苦しんで死ぬ。
そんな体のあちこちを、容易に引きちぎる事ができる連中と、「壁」一枚隔てて近距離に暮らしている。
 考えてみれば、正気の沙汰ではない。
 妖怪だって恐怖はする。理解はできるのだ。だが、それを人間にあえて与え続けなければならない。その
「怖い」という感覚を、この連中はどれだけ解っているだろう?
 何故だろう
 あれだけ腹を立て、普段から意識の底では見下げていた人間が、馬鹿にされる事が今はどうしても許せなか
った。聖や水蜜が元は人間だとか、こうした妖怪達の態度が却って状況を悪くしているとか、そうした思いか
らではない。
 自分より弱いと解っている相手を見下し一方的に虐殺を望み、恐怖を理解しない事は、少なくとも強いという
事はないはずだ。
 何人かの妖怪達は押し黙り、テーブルにいた河童――――少女で、カウンターにいるのとはまた別――――は
何か気まずそうに舌打ちを始めた。

 「あんた自身の言いたいことは解ったよ」

 カウンターの河童が、徳利にまだ残っていないか確認しながら、少し間を開けて言った。

 「わしかて、多分あんたよりも痛い目に遭ったことはあるだでな」

 河童はもともとそれ程強くはない。人間に退治もされやすければ、妖怪の山での天狗辺りとの諍いもあるかも
しれない。
 どんよりと酔いで濁った眼で一輪を睨み、また店の奥を睨む。

 「だが、こっちが色々努力したところで―――――人間の方はどうかの。向こうがこちらを受け付ける事がで
きると思うかい?」

 それは解っている。―――そもそも出発はそこだった。
 しかし、だからこそ、自分から変わる必要があるだろう。
 人間に変わってほしいと妖怪が思えば、妖怪自身が自分を変える必要があるし、人間が妖怪に変わってほし
いと言って来れば、自分が変わるように、と言うしかないのだ。

 「わしかて、尻子玉抜き集めの趣味は、かなり前に卒業したし、昔からここではよく飲むし――――人間も子
供の内は素直で可愛いから、話したり、たまに構うのも面白いが……」
 「あと、肉が割と旨い。滋味は無いけど」
 「――――お前らは黙ってろ。 最初の内はいいんじゃ。わしは特に見た目が子供のままじゃから、一緒に遊
んだもんさ。川に遊びに来たやつに色々教えたり、溺れさせたり食ったりするどころか溺れた所を助けた事さえ
ある」

 水蜜にもう一杯注いでもらうと、あまり酔った様子もなかったのに、河童は顔を赤くして続けた

 「じゃが、そんな事も最初の10年ほどだけじゃ! どいつもこいつも、親に言われたか寺子屋で何を教え
とんのか知らんが、『妖怪だからもうつきあえない』だの、『体力的についていけない』だの『やっぱり怖い』
だの、所詮こっちがいくら合わせてもてんで受け付けん! 結局水と油じゃよ!」
 「ぜ、全員がそうって訳じゃないんじゃ………」
 「そらたまには骨のある奴もいて、怖がったりもしなければ、そこらの雑魚妖怪にも引けを取らんようになる
傑物も定期的に出るわ」

 しかし――――………
 あの巫女さん達との戦いが脳裏をよぎる。

 「そういう奴等に限って、妖怪退治業に走ったりする!!!」

 乱暴にグラスをカウンターに置き、河童は、しっかと目標を定めて怒鳴った。
 気づかなかったが、相当酔っている

 「弥助えええ! わしじゃあ! 今更知らん振りする訳じゃあるめえな!? おめえ一人だけ釣りができんか
たから、よく寺子屋帰りに川で教えてやったじゃろ! 
河童の亀甲蔵すばる(キッコウグラスバル)じゃ!
『うちそんなに余裕ねえから、こんなんしかねえけど』とか言って、別に調理するでもなしに、毎日茄子か人
参を、お前もお礼に持ってきたじゃろ!」

 ―――そこは流石に、胡瓜を渡せばよかったのに、と一輪は少し思った。

「――――勝手に一人でジジイになりおって…………これだから人間は。
 よく相撲もとったじゃろ! おまえ………しかも何度かわしに勝ったよな! どうせそういう都合の良い
記憶も覚えとらんのじゃろ! 人間はすぐに忘れるからな! 特に大人になるとすぐ何でも忘れよる! も
う儂の事も忘れたじゃろ? 勝手にどんどん年を取って………」

 最後に、河童は、「退治屋なんかになりやがって」と絞り出すように呻いて、一杯煽る。
 ――――弥助という老人もこちらを睨んでいたが、それは気まずさや怒りではなかった。
 一輪自身鬱陶しいと思っていた老人だったが、その目はとにかく悲しそうに見えた。
 「それじゃ却って話しかけられないよな」と、横で三つ目小僧と、金髪おかっぱ娘がボソボソ話していたが―
―― 一輪は何も言えなかった。
 
 「解ったろ?」

 こいつも多少酔っていたと思っていたが、至って冷静な声で、隣の妖怪は言う

 「こっちも向こうも合わせる気はねえのさ。あんたも妖怪なんだから、こっちがいかに上手く肉を調達できる
かを考えるこった。上手い事な」
 「それにしても」

 ろくろ首が、さも心底馬鹿にしたよう言った

 「これだけ言われて、何も言い返せないんだからなあ」

 つくづく惨めで心も弱い生き物だ と笑う
 ――――そう、何かおかしい、とは思ったが、数が少ないとは言え、人間達の声がほとんど聞こえない。
 まあ、一方的に妖怪とばかり話していたという事もあったし、最初の内で、人間もこうした事には慣れている
と勝手に決めつけていたためもある。
 とは言え、当事者が同じ店内にいるというのに、その存在を忘れていた一輪自身も十分軽く見ているという事
だし―――― 一応自分達の安全圏内なのに、何も言い返せないとすれば、相当卑屈な態度と言わざるを得まい。
逆に言うと、それ程まで抵抗できないほど力の差があり、脅かされているのか?

 「お前、何人食ったんだっけ?」
 「800人かしらね。あんたは」
 「300……いや、2000―――10000は下らないな。 ………いや7000人か」

 事もあろうに、後ろの席では貉の少女とのっぺら坊は、隣の妖怪と食い殺した人間の数を話し始めた。一輪に
対しての皮肉でもあるのだろうか。
 近くでは、夜雀らしい少女が「いちいちよくそこまでたくさん覚えていられるなあ」とあきれた声を出してい
たが、随分適当な計算だ。300から10000に変わったと思えば、最終的に7000と、どんぶり過ぎる。
 話は更に人肉談義へと移り―――――

 「水蜜、もう帰ろう」

 星の言っていたことが解った。
 確かに盛り上がりはするし、「住み分け」もできている。
 平和は平和だ。
 だが――――

 「ここに、もう見たいものはない。大体分かった」

 水蜜は悲しそうに顔を上げた。
 いつの間に頼んだのか、焼き魚を名残惜しそうにつついていたが、「いらないのなら」と、金髪のおかっぱが
言うので渋々渡す。
 ――――まだ、この先に何かがあって、それを見届けないまま帰るのが辛そうな、そんな子供じみた表情。
 何を期待するというのだ。

 「もう、帰るのかい」

 それは――――妖怪ではなく、カウンターにいた人間の中年女性からだった。

 「ええ」
 「―――――そうかい」

 別に引き止めはしなかったが――――何故人間が言ったか、気になった。
 立場が逆なら、自分だったら外部の者にこんな所を見られたくはない。
 一輪が支払いを済ませている間だった。
 ぼそりと、しかし良い発音で―――――カウンターにいる、店主の髭面の老人が、言ったのだった。


 「何言ってやがる―――――― “長っ鼻”が」


 妖怪の声のトーンが小さくなった。
 なおも隣の妖怪は何か言っていたが、そのペースに全く合わせることなく、主人は

 「長っ鼻」

 と言い続けるのだった。表情が読み取れない。
 それから3回ほどそれを続けて、ついに妖怪は黙ってしまった。
 店内はやや静かに。 目を丸くしている一輪に、人間の客の一人が―――怯えを振り切る様に―――
一言告げた。

 「こいつ、『こういう鼻の妖怪』じゃないんですよ」
 「雲居さんでしたっけ? こいつ呼ぶ時は、“長っ鼻”でいいですよもう」

 何と言う種類の妖怪かは知らないが、実は気にしているのだそうな。
 しばらく何事か考えて“長っ鼻”は何かを言かけたが、すぐに店主が遮るように言った

 「長っ鼻」
 「同じことしか言えないのかぁ………?」
 「前の”でかっ尻”より、こっちの方が効くんだな」
 「体の事とか言うなよ……」
 「お前だってある意味言うとるじゃろうが」

 しかし十分に効いている。
 妖怪は――――精神的な攻撃には弱いのだ。 レベルの低い話だが…………
 そして、中年女が切り出した。

 「大体何だいさっきから。黙って聞いてれば――貉も、のっぺらも、お前も、言うほど人肉ばっかり食べて
  ないだろうに」
 「食べてるよ」
 「嘘つきな。たまに里に来ても菓子ばっかり買いやがって」
 「ていうか、この前ルーミアからのお裾分けを断ったそうじゃねえか。『胃がもたれた』とかで」

 いくつ他からも声が上がる。

 「―――何で知ってんだ………」
 「いや、ルーミア本人から、お前が来る前に聞いたんだよ」
 「ごめん。もらした」

 そういえば「幻想郷縁起」にも書いてあったか。あの反省した様子が全く無いおかっぱ頭がルーミアという訳
か。
 妖怪達は、“長っ鼻”が言い返せない状況を容赦なく笑いきっている。
 先程の人間達への罵倒とはまた違って、心から楽しそうだ。
 ――――確かに、元々仲間意識の低い奴等だが……

 「お前ら、人里が安全だからって………」
 「ああ……それもまあ、あるだろうが、お前の能力そんなに怖くないし―――人を襲う向けじゃないだろ」
 「弱点知ってるからなあ、こっちは。 ――――あ、ちなみに猿が怖いのね、こいつ」

 水蜜に律儀に教えてくれる。
 もしかして“ひょうすべ”か?この妖怪は……

 「どうしようもないわね、長っ鼻」
 「あんたもどうなんだいリグル。」
 「何よ?退治屋崩れ」
 「あんた、お勝手口に竈馬を」
 「――――あれは違うって」
 「虫の報せサービス、頼んだのに忘れるあんたよ。それ位忘れるでしょ?」

 中年女性は元退治屋か何かだろう。
 蟲と思われる、緑色の髪の妖怪と一対一で口論が始まった。
 先程中心になって、からかい始めていた人間が一人の妖怪にかかりっきりになったので、他の人間達は各々が
それぞれ他の妖怪について、それぞれ暴言を吐き始めた。
 先程、普通に怖がっていた様なのに。
 一瞬、一輪は止めかけそうになった――――が、水蜜がそれを止める。

 「…………何だこれ?」

 ややあって、店の中では最年少であろう少年が、山童について何か言っている内に立ち上がり、ほぼ同時に山
童自身も立ち上がった。
 両者罵り合いながらの鍔迫り合いがしばらく続き――― 妖怪側のテーブルを周りが開け、山童が色々自分の
腕力についてみているこちらが恥ずかしくなるような自慢話を吐いた。
 そうこうしている内に、腕相撲が始まった…………人間の少年は両手で、山童は指一本。
 “長っ鼻”も、同じ様にいかにもいきり立って、少し退行でもしたように思えるほど感情に任せた言葉を吐き
続け、人間のある一人の男性は、見ていて不安に成る程――――というか、一輪も殴りたくなるほど不遜な態度
で応じ、ついに、喚きまくる“長っ鼻”に店の外に連れられて行った。
 似たような鍔迫り合いと、一対一の罵り合いはそこらじゅうで起き、本当に人間を天井近くまで投げ飛ばす妖
怪や、逆に妖怪相手に関節技を決める人間がいたかと思うと、それぞれの年寄り達は将棋や花札を持ち出した。
――――――ここら辺になると、お互いの罵り合いの内容も単純にその娯楽についての話題だった。
 中年の人間女性はなおも、リグル、と呼ばれる蟲の妖怪と口論を続け、途中で人間の少女と、夜雀が止めに入
ったが更にその二人を巻き込み始めた。収拾がつきそうになくなった挙句、どちらともなしに宣言した

 「4枚!」
 「―――5枚!」
 「えっと……3枚」
 「こっちも4枚で」

 4人は店から出ていく。
 更に外では、先ほどの不遜な人間と、“長っ鼻”の大声が聞こえたが、ややあって非常に明るく輝き始めた。
――――これはもう―――何が起こっているのか解る。
 店の外へ出ていく者は他にもいた。
 主に女性で、店内で枚数を宣言するのだが、男性も少なからずいてそんな場合は必ず外で

 「3枚!」
 「4枚!」

 とやけくそ気味な、何とも小恥ずかしさをこらえるような大声が聞こえるのだった。

 店内は阿鼻叫喚の坩堝と化した。
 一つ、この状態を形容すると、ものすごく 「わざとらしい」 「熟練している」 という言葉を一輪は考え
た。
 そう―――実際、妖怪と人間の腕相撲などという形式的だがこんなに危険な事が行われているはずなのに、ほ
ぼ怪我人は店内では出ていない。
 そんな中、一人無言で飲み続けている妖怪がいた。
 先ほどいらだたしげに舌打ちをしていた河童だった。
 ――――考えてみると、この娘にはどこかで会ったことがある。
 彼女はとりあえず徳利を空にして、周りを少し疲れた顔で見渡してから、カウンターの店主と目を合わせた。

 「面倒だなあ」
 「今週はお前さんが当番だから仕方あるまい」

 徐に立ち上がり、聞こえよがしにグラスを強く置いて、河童の少女は声を張り上げた。

 「『やめろてめえら』―――― ん……… いや『やめたまへ、きみたち』!!!」

 と、不自然なまでに、途轍もなく簡単に、喧騒がやんだ。

 「『少しは静粛に飲めないのか? 人間も妖怪も、等しく酒が好きなはずだろう。そこに何故戦いやお互いの
確執をもちこむ?』――――『人食いだとか攫うだとか退治とかよく解らないが、本当は妖怪も人間もお酒
が好きという点では同じじゃないだろうか?』 ――」
 「………………」
 「………………」
 「あー………『こんな所、あの巫女さんに見せられるのか、君達は!?』」
 「そうだな。ちげえねえ」
 「飲み直すか」
 「飲もう」

 全員座り、

 「やりすぎた……」
 「にとり、日に日にやる気なくなってくな………」
 「次美鈴さんにやってもらおうか――――って最近来なくなったわね」

 といったやり取りがほんの少し起こり、飲み直しが始まった。

 「こ、これは………」
 「ああ…………」

 一輪も、水蜜も、雲山だけが呆然と立ち尽くしている。そして、思いの言葉をつぶやいた
 何と言う何と言うこれは――――

 「感動的な……」
 「茶番だなあ」

 水蜜は一輪の呆れ顔を無視して、同じく感動したらしい雲山とその気持ちを確かめあっている。
 どっと疲れが出て、座り込んだ一輪に、店主が言った

 「左様」

 頼んでもいないのに、一杯注いで、里芋の煮っ転がしなぞを添えて渡してくれる。

 「茶番だ。じゃが、こうもせんと、始まらん。週に一度はこうなる」


 今は、人間も妖怪も、同じ席で飲み始めている。

 「――――………」

 形容する言葉が、ちょっと一輪は見当たらなかった。
 ―――ひねくれた解釈はしたくなかったが、水蜜と雲山の様にストレートに感動するのは、何だか負けた気が
するのでやめた。
 「人間と妖怪の友好」「心の壁をなくす」―――などという言葉は、絶対に使いたくない!!
 そんな言い方で定義できるほど、安易な関係では無いと思った。
 逆に改めて、人間と妖怪の間にあるとんでもなく高い壁や、相容れなさを見せつけられた思いだった。

 (わざわざこんな事までしないといけないんだから)

 それでも、絶望感は今は湧かない

 「結局皆本気言ってたじゃなかったんですね」
 「いや、半分は本気で言っとるよ。だから、ここで言いたいことを思い切り言って罵り合うんじゃないか。
  ま――――妖怪どもは相当脚色して言ってるがの」

 こんな態度でも ―――――怖いものは怖い――――― 店主は言い切った。
 最初に、何も人間の客が言い返せなかったのは、素なのだろう
 
 「その割には、わざとらしい……」
 「皆飲みたがってるからのう」
 「でも中には本気で外で決闘始めちゃった連中もいますけど?」
 「―――こんな機会でもなけりゃ、男も弾幕”ごっこ”なぞできんじゃろ」

 ―――最初から、全員素直になりゃいいもんを。いや、それは無理か。
 店主は、グビグビと一人で焼酎を呷った。
 一輪も飲んだ。
 殊の外強く、一瞬視界が変わった。
 そんな中、外にいた面々が店の中に戻ってくる。
 一戦終えた面々は、弾幕になった者達は後腐れなく割と爽やかな様子だった。店内の、腕相撲に負けた人間
の少年辺りに比べれば………
 “長っ鼻”は、目に大きな痣を作って帰ってきたが、取っ組み合っていた人間は顔中を腫らしている。手加
減をしたのかしてないのか今一解らないので、結局の所“長っ鼻”がどの程度強い妖怪なのかはわからなかった
が、まあ雲山には手も足も出ない程度だろう。
 先程と同じ位置に座り、随分違う態度で、一輪に会釈した

 「色々言ってすまなかった。まあ、あんたもガス抜き代わりにってか、思い切り怒鳴ってすっきりしたかな?」
 「いや、ストレスたまったわよ………」
 「それはすまなかった」
 「あんな“誇張”なんてしなくてもいいでしょうに」
 「あ、それは一部本当なんだ」

 ――――「体が求めている」という部分が 、と“長っ鼻”は付け加えた

 「人肉を、 というか、『人間を食べる』って行為というか、実感が俺にはどこかで必要らしくてな。 
  4ケタも食べやせんし――――自重してるが、定期的に、どこかで食べないと体が保てん」 
 「………………」
 「あんたらの言ってる事、本当は解っとるつもりよ。―――まあ、とにかくふざけ過ぎた」

 「面倒くせえな」 と店主の老人は頭を振った。
 顔を腫らした人間の男が、空気をあえて壊すように、「次こそは…」と呻いている。
 水蜜が、“長っ鼻”と何か話したそうにしている。
 カウンターの端では、現役退治屋だという老人の隣に、あの河童の少年が座っていた。
 ―――よく見れば、二人とも体は古く深い傷だらけだった。
 すすり泣く老人に、半笑いで河童は酒を注いでいるが、すぐには飲もうとしない。

 こうした状況を、聖に見せたらどう思うか―――――?
 星は見せたくないと言っていたが………… 一輪はさほど暗い状況が想像できず、改めて注文した筑前煮を食
ながら、明日も早い事を思い出していた。
 そんな事は関係無しに、店内は来た時以上に盛り上がっている。
 と、思い出したように、店主が一輪と水蜜に渡したものがあった。

 「良かったら行ってみんかえ?」
 「「う、う~~~ん……………」」



 二人は、「紅魔館主催野外パーティー」の招待状を見て、思わず顔を見合わせた。
はじめまして。初投稿させてもらいました。
まずは拙文をここまで読んで下さった方々、ありがとうございます。

「幻想郷では、『東方』以外の人間や妖怪はどんな生活をしているんだろう?」と昔から疑問に思っていました。
やっぱり力の無い妖怪も、特に里の人達も辛いのかな?
それでも、できれば名前の無い全員も、楽しくやっていてほしい――――色々悩み続ける内に生まれた話です
14階
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コメント



0.910簡易評価
10.90名前が無い程度の能力削除
いいですね。こういう人と妖怪の距離感は見ていて面白い。
根源的な対立と幻想的な友好、そこに手を出そうという妙蓮寺の面々。濁った溜まりにこれから手を突っ込もうという期待と困惑を併せ持つ、良い作品でございました。
13.100緋向削除
人間と妖怪はどこまでいっても平行線…
だからこそ、こんな事をしなければ始まらないのかも…
面白かったです。
15.100名前が無い程度の能力削除
うおおやられた!
実は朝に携帯から読んでたんですが、一日中このテーマを考えっぱなしでしたわ……
お見事でした
17.100名前が無い程度の能力削除
うん、いい。
軋轢と交流、敵意と友好。矛盾してるくせに、妙に仲の良い二つの言葉が生きているSSだと思いました。
18.70名前が無い程度の能力削除
成程。幻想郷らしさを他の人妖に求めるとしたら、この考え方はとても「らしい」な、と思いました。
お約束でも良いじゃない。幻想郷だもの。

少し残念なのですが、文章全体で文法的に妙な箇所が散見されます。誤字誤用はそれ程多くありませんが、通して読むと文章の繋がりで引っ掛かります。

また会話についても、誰が何を語ったか明確でない箇所が多く、混乱して何度か読み返しました。
特に居酒屋のくだりでは、途中途中にキャラクタが追記されている事もあり、場面を想像し難い印象です。恐らくここが作者様の一番書きたかった場面だと思うのですが、実に惜しい。

折角の面白いテーマですから、文法や描写の点で引っ掛かるのは実に勿体無いと思うのです。
次回作、楽しみにしてます。
20.70名前が無い程度の能力削除
他の方も言ってますが居酒屋に入った辺りから少し文章がごちゃごちゃしていて想像しづらい印象を受けました。

もう少し無駄な文章を落としてスマートに展開させて行くと良くなるのではないかと思います。


しかしそれの点を踏まえても爽快!!
中盤まで鬱憤が溜まりに溜まってどう収拾を付けるのかと心配になりましたが最後見事に消し飛びました。

複雑ながらも14階さんの書きたい事がビシバシ伝わって来ます。
情抜きの評価で付けたのは70点ですが個人的に好きか嫌いか答えると超100点。
22.80シックス削除
馴れ合い

東方における人間と人外との関係がそれと言われてますが、それをこの上ないほど表現された渋い作品でした。ご馳走様です。
互いのアイデンティティーを抑えつけた仲良しこよしの薄い友好ではなく、適度にいがみ合って適度に仲良く適度に愚痴りあう、複雑な関係が面白いです。
この距離感が何とも心地良い。
23.100名前が無い程度の能力削除
みんな仲良し幻想郷、もいいけど、自分はこの方が好きです。続き楽しみにしてます。
30.90名前が無い程度の能力削除
食う方と食われる方がおなじ文化圏で生活するなんて複雑にもなりますよね
茶番劇を演じてでも割り切ろうとしている辺り、幻想郷らしいと言えるのかもしれない