師走のある日。午後のお茶の時間。今日は久々に紅魔館の主だった者が食堂に集まり、歓談を楽しんでいた。咲夜がたまには皆でお茶会をしようと提案した結果を受けてのことである。
皆より少し遅れて、紅魔館の主吸血鬼レミリア・スカーレットが得意げな顔で食堂に顔を出した。
「あらお嬢様、その帽子はどうされたんですか?」
咲夜はすぐにレミリアの服装の普段との違いに気付いた。いつものモブキャップではなく、ニット柄のハンチング帽子を身に着けている。口にはパイプをくわえて、時折そのパイプを上下に動かす。得意げな笑顔をたたえ、右手にはステッキを持って振り回していた。黄金時代の大英帝国紳士風ルックと言った身なり。食堂に居た他の面々、パチュリー、美鈴らも主へ視線を向ける。
一同の視線を受けてレミリアは口からパイプを外すと、こほんと咳払いを一つして、「今の私は名探偵エルキュール・レミリアよ。そう呼んで頂戴」と得意げに言った。同時に背中に生えた羽根も得意げにばさりと一揺れする。
「はあ? エルキュールお嬢様でございますか」
いささか呆けた表情で咲夜は首を傾げた。
「大方、探偵小説物でも読んで感化されたんでしょうよ。まったく単純なんだから」
口をはさんだのは自分の席について新聞を読んでいたパチュリーだ。既にレミリアからは興味を失ったようで、薄眼になって新聞記事に目線を向けている。やれやれ、またいつもの悪い癖が始まったか。そう思っているのがありありと分かる呆れ顔。そのパチュリーの言を受けて、咲夜は「なるほど」と頷く。レミリアは得意げな笑顔を変えないまま、眉間に皺を寄せた。図星を指されて内心かなりイラッときたが、表面上は平静を取り繕う。
「地震の時はうまくいかなかったけど、今度こそ名探偵としてデビューするわよ」
「デビューするって言ったって、事件もないのに探偵はできないでしょ」
新聞を見たままで、白けた声でパチュリーは茶々を入れる。それを受けてレミリアのこめかみがぴくぴくと動く。
「そうね、私はやはり吸血鬼だから、安楽椅子探偵が似合うわよね。外は雪だし寒いし」
「だったら丁度いいですよ、今、人里で事件が起きてるんです」
咲夜の発した一言で、レミリアは表情を一変させて、目をきらきらと輝かせて咲夜を見つめ直した。
「事件?! なになに! 聞かせて!」
「まずはお座りになってお茶にしましょう。その事件を推理してみてはいかがですか」
咲夜に促されてレミリアは小さな体を大きな椅子に収めると、紅茶を一啜りして、ふふん、と鼻を鳴らし、パイプを右手に持って瞑目した。「では、事件について聞こうじゃないか」
気分はすっかり名探偵だ。咲夜の口からもたらされるであろう謎に興味津々で、羽根もわくわくを表現して小刻みに震えている。咲夜は紅茶を笑顔で給仕した後、少し深刻そうに表情を変えた。
「里で聞いてきたことなんですけどね、変死事件があったんですよ」
「変死事件ですって? まさしくミステリーじゃないの!」
興奮を抑えきれず、レミリアはテーブルを叩いてはしゃいだ。振動でがちゃんと紅茶の入ったカップが揺れる。それを流し目で見て溜息を一つついた後、パチュリーが新聞を下ろして咲夜の顔を見た。
「それは始めて聞いたわね。殺人事件なの?」
「パチュリー様も興味を持たれましたか?」
「今日の朝刊には載ってなかったわ。せっかく購読してあげてるのに、この新聞全然ニュースを反映してないのね」
「天狗の新聞は人里の時事ネタには対応が遅いですから」
部数を増やそうとしてスキャンダルばっかり追ってるからそうなるのね、ジャーナリズムなんて口先だけね、とパチュリーは毒づいた。咲夜は何食わぬ顔でそのパチュリーの様子を見ている。気のせいか、幾分話し始めた時より表情が和らいだように見える。
「この話は午前中、里にお買いものに行った時に、里の自警団の方から直接聞いたんですよ。なんでも、一週間前の早朝、太陽の畑で人が一人死んでたそうなんですよ」
太陽の畑と言えば、人間の里を挟んで紅魔館とは逆の方向にある場所で、年中向日葵が咲いていることで知られている。稗田阿求編纂の求聞史紀が人里でベストセラーになって以来、この畑の近所に風見幽香という強力な妖怪が住んでいることが良く知られるようになった。そのため、現在では人里の人間は彼女を恐れてほとんど近付いていないはずだ。
レミリアの表情に怪訝さが入る。幻想郷で人が死んでるいるという光景は、珍しくないとは言わないが、原因となることは多数考えられる。妖怪に襲われるという死因もあるし、現在の季節は真冬。大雪が降っている天候を考えれば、凍傷の上野垂れ死にする可能性だってかなりある。どの辺りが変死なのか。その辺をレミリアは咲夜に尋ねてみた。
「それがですね、太陽の畑で死んでいたのは人里からかなり離れた山奥の集落の住人で、七十歳の男性だったんですが」
「人間にしては高齢な方ね。何で向日葵畑なんかうろついていたのかしら。このクソ寒いのに」
いまいちピンとこなかったらしく、顔をしかめてパイプの先をかじりながら、レミリアは再度質問した。先程火をつけてみたところ、むせて咳き込んだので、現在は火は消して唯くわえているだけだ。
「そこが不思議なんですよ。男性といってももう老人ですから、普段はほとんど出歩いたりしない人だったんです。彼の住んでいた集落は、里を挟んで太陽の畑とは真逆の方角にあります。おまけに、遺体が発見されたのは早朝でした。その前日には、息子夫婦が男性の住む家を訪れて、彼が生きている姿を確認しているんです」
「待って、息子夫婦が訪れて生きているのを確認したってことは、被害者は普段一人で住んでたの?」
「はい。なんでも被害者の住んでいた場所は、集落でもかなり奥まった所にあるので、前々から息子夫婦も引っ越しを奨めていたそうなんですが……その男の人がかたくなに拒むので、仕方なく別居状態になっていたそうです。男性は奥さんにも先立たれて、一人で暮らしていたんですが、生まれ育った場所を動くのが嫌だったそうで。男性の住んでいた屋敷はかなり古い時代から続いていた旧家で、愛着があったんですね」
「ふうん、外界では孤独死が流行っているって言うけど、幻想郷でもそんなことがあるのね。そう言えば変死体っていうけど、死因を聞いてなかったわね。男性が死んだ原因はなんだったの?」
「心不全だそうです。外傷はなかったようです」
「凍死じゃないの? 外で死んでいたんでしょう?」
「心不全ですね……太陽の畑は他の場所と比べると真冬でもかなり暖かいんですよ。特に向日葵の咲いている付近は真冬でも雪が積もらない程なんです」
「それで、妖怪の仕業だってことなの?」
「それが、わからないんですよ」
「現場には妖気の痕跡は残っていなかったのかしら。確か、人間の間で事件が起こって、妖怪の関与が疑われる時は、里の妖怪退治屋も現場検証に同行するわよね」
人里には何名か妖怪退治を生業とするものが住んでいる。彼らなら、妖怪の発する気や、残した気配を察する術も心得ているだろう。パチュリーがそう発言すると、すかさずレミリアも横から咲夜を指刺して、そうよその通りよ、その辺どうなってるのよと指摘した。
「かすかに妖気は検出されたそうですが、何分太陽の畑には幽香という強力な妖気を放つ妖怪が住んでいますし、その他の妖怪も出入りしないわけじゃありません。他の場所より少し強いというだけですと、妖怪の犯行と断定するまでの材料にはならないそうですよ」
「なるほどねー」
レミリアは初めて聞いたことだったので、ただ素直に頷いた。
そこまで聞いて、パチュリーは皆に聞こえないように一つ溜息をついた。今までの話で、他の皆が気付いていないことで、彼女だけが分かったことが幾つかあった。
人里では自警団が警察活動を肩代わりしている。咲夜は部外者であるから、本来人里の事件捜査情報を教えてもらえるはずがない。だが、稀に起こる難事件の時や、妖怪の関与が疑われている時には、自警団が人里の有力者であり知恵者でもある上白沢慧音や、妖怪退治の専門家である博麗の巫女の協力を仰ぐことがある。慧音と紅魔館の面々は顔見知りだ。咲夜はおそらく、里に住む慧音の筋から捜査情報を教えてもらったか、慧音側が能動的に咲夜に情報を伝えるなりしたのだろう。無論、できれば紅魔館に住んでいるとある知識人の知恵を拝借したいという慧音の目論見が働いたことは容易に推察できる。
やれやれと、これも皆に見えないようにパチュリーは小さく首をすくめた。図書館に籠って知識をむさぼっているような、知的探究心の強い者は、当然不思議な話、奇怪な話には目がないと相場が決まっている。知恵者の慧音のことだから、咲夜を使って、自分の性格をくすぐって乗せようとしたのだろう。そう読まれることも想定済みで咲夜に捜査情報を漏らしたのだろうが。
確かにパチュリーにとっても興味のある話ではあった。実の所、パチュリーも大のミステリー好きである。しかも、小説の冒頭に犯行現場の見取り図が描いてあればくまなくチェックし、登場人物の情報はメモを取って整理し、本気で犯人当てを行うほどの本格派だ。知的好奇心がうずく。パチュリーの瞳に、面白い玩具を見つけた時の子供のような、爛々とした輝きが宿る。顎に手を当てて、パチュリーは少し思案した。なぜ人里離れた太陽の畑で、老人が変死体でみつかったのか……。既に彼女の脳は高回転で動いて考えられるパターンの分析を始めていた。しかし、そこで彼女の思索を断ち切るように、大音声が食堂内に轟いた。
「犯人がわかったわ!」
いきなりレミリアは席を立ちあがると、皆に向けて言い放つ。午睡に入っていた美鈴もはっとなって飛び起き、食堂に居た者全員がレミリアを注視した。
「この事件の犯人は……風見幽香よ!」
びしっと一同の前に人差し指を立てて宣言する。
「あの妖怪は凶暴さで知られている。きっと幽香がその人間を殺してしまったのね。動機はそうね……食事目的か、幽香なら凶暴だから、単に自分の土地に侵入して腹が立ったからカッとなってやってしまったって線も考えられるわね」
どう贔屓目に見積もっても、あまり名推理とは言えない結論だ。短絡的とも言える。レミリアが言い終わったなり、がくり、と頭を垂れるパチュリー。額を押さえて小さく一度首を振る。
「早すぎよ。そんなあっさり解けるわけないでしょ。もっと状況を詳しく聞きなさいよ。あなた探偵なんでしょう?」
「世紀の名探偵よ!」
「世紀の名探偵さんならもっとそれらしくしてほしいわね。今の情報だけじゃ犯人を断定できないでしょ。だいいち、まだ他殺かどうかも決まってないんだし」
なにを、とレミリアが喰い下がって反論しようとしたときに、咲夜がええと、と苦笑しながら二人の間に割入ってきた。
「その、第一発見者がその風見幽香さんなんですよ」
なにィ、とレミリアは目を丸くする。
「彼女は里にも良く顔を出すので、里の自警団に通報したんですね。遺体を運ぶのも手伝ってくれたそうです」
「ふむ。第一発見者が犯人というパターンもミステリにはあるわね」
腕を組み難しそうな顔を作ってレミリアが言う。
「だから犯人じゃないって。自分の管理している畑で殺人起こすわけないじゃない。真っ先に疑われちゃうでしょ。ねえ咲夜、被害者は心不全で亡くなったってあなたさっき言ったわよね。死体で倒れている所を幽香が見つけたってことなの?」
「ええ、幽香が発見した時には既に死んでいて、里に遺体を運びこんでから、町医者が死因を調べたんです。なにしろ外傷がありませんから、他殺かどうかも疑われています。高齢でしたから、老衰の可能性もあります。人間には意図的に心不全を引き起こしたりするのは難しいですし」
「妖怪の仕業よ。魂だけ抜き取ったんだわ」
レミリアが得意そうに言った。
「呪術師の中には呪いで相手を殺すことができる者もいるというけど、まあそんな術を使ったら何らかの痕跡が残るでしょう。自然死にしてもおかしい所があるわね」
最大の疑問はやはり、普段出歩かなかったはずの被害者が何故、人里遠く離れた太陽の畑で死んでいたのか、というところだ。
「太陽の畑と被害者の住んでいた集落、二つの地点の距離を考えるに、被害者が夜通し歩かないと、夜中に家に居て早朝までに畑に辿り着くことは不可能ね。体力的にも老人の足で、雪の夜道を歩くのは厳しいわ。自殺行為に近い。被害者は空を飛んだりはできなかったのよね?」
「ええ普通の人間です。ですから、自警団は今のところ、容疑者を一人に絞っているようです」
「容疑者がいるの? 誰?」
「男性の息子です」
「なるほど、前日の夜に家に居たって言う目撃証言自体、その息子が言っていることだものね。息子夫婦が共謀して嘘をついているとすれば。全てが覆るわね。疑われるような材料があるのかしら。動機とか」
「それが、息子夫婦は材木の卸売をやっていたのですが、この事業がうまくいっていなくて、多額の借金を抱えていたんです。ところが男性が死んでから三日後に急に羽振りが良くなって、借金を全部返し終えたとか。男性が死んだことによって遺産が入ったんじゃないかと近隣の住民は噂しているそうです」
「それじゃ、犯人はほとんどそいつで決まりじゃない」
なんだ、とレミリアは肩を落とす。確かに現時点では息子の遺産目当ての犯行という説が一番無理なく、有力に思える。借金で首が回らなくなったが、親からは援助してもらえない。すぐにでも金が入用だった。そう考えれば、辻褄は合う。レミリアはミステリーだと信じ切っていた反面、期待を裏切られて途端に落胆する。だがパチュリーはまだ考え込んでいた。
「ここは幻想郷なのよね……」ぽつり、とパチュリーは呟いた。
「ねえ、幽香は遺体発見当時、自警団に対して何て証言してたのか聞いてる?」
「ええ、彼女は向日葵畑から少し離れた草むらで、男性が倒れているのを発見したと告げたそうです。自分が発見した時には既に心臓が停止していたとだけ話しています」
「何か、普段とは違うものを目にしたとは言っていなかった?」
「いいえ、別にそのようなことは聞いてませんね。ただ、男性が倒れていたと。容疑者らしき人物も見かけなかったそうです」
「ふむ、なるほど。こんなところか」
「え、なになにどういうこと? 息子が犯人で決まりでしょ?」
「あなたね、息子が犯人だったら、何で遠くの太陽の畑に運ぶの? 殺してから運ぶにしても、太陽の畑に連れ出すにしても、相当な手間よ。わざわざ不可能犯罪を装わなくたって、物盗りのゆきずり殺人にみせかけるとか、自分達が疑われないやりようがいくらでもあるじゃない。それに被害者が死んだことによって一番利益を受けるのが自分達だってことは、考えれば誰にだって分かるでしょ。そんな見え見えの犯行をするかしら?」
なるほど、そういう考え方もあるか。ほう、とレミリアは感心したように頷いた。
「もう少し深く考えてみなさいよ。限られた断片的な情報から推理して、犯行の一部始終を想像し、席を動かず遠隔地に居ながらにして犯人と手口を言い当てる。推論と明察。それが安楽椅子探偵の醍醐味でしょ」
言われてレミリアは考え直し、再度思考に入った。目をつぶり、腕を組んで黙考する。
「犯人は誰にも見られずに、向日葵畑まで被害者を連れ出し、殺害できる者……。そうか、犯人がわかったわ!」
間髪入れずに大声でわめくレミリア。考えていたのは二秒間だけだった。だから早すぎるっての。もう、当てずっぽうで言ってるようにしか思えない。パチュリーは目を細めた。
「一応聞いてあげるわ、言ってみて」
「八雲紫よ!」
がくっ、とパチュリーが頭を落とし、危うく机に額を打ち付けそうになる。
物の境界を操り、郷中に隙間を開いて表れる隙間妖怪、八雲紫。たしかに彼女なら、一晩で遺体を移動させるという離れ業も可能である。というか、基本どこでもワープして出現することができるので、どんな不可能犯罪でも彼女なら可能だ。大変にミステリ殺しな存在である。
「あのね、この郷にいるもので八雲紫に殺せない人間なんてほとんどいないでしょ。そんなこと言ってたら、この里で起きた殺人事件は全部八雲紫の仕業になっちゃうじゃない。それに彼女みたいな大妖怪が、大した意味もなくこの里の人間を殺すはずないでしょ。妖怪と人間の里の間には、幻想郷内の人間は食料にしないという取り決めがあるんだから」
また半分呆れた顔でパチュリーにくどくどと言われたので、レミリアは口をとがらせた。
「そんなこと言って、パチェは揚げ足を取るばかりで、自分の推理は明かさないじゃない。それともなんですか? あなたにはもう犯人が分かっているっていうんですか?」
「そうね、些か情報が足りないけど、おおよそは見当が付いたわ。多分間違いないでしょう」
「犯人が分かったんですか?」
咲夜が驚いてパチュリーににじりよる。
「ええ。あとは証言をいくらか取れば、特に証拠はなくても犯人が割り出せるわ」
「ほんと? 強がって嘘をついてるだけじゃないの?」
レミリアが不服そうに横槍を入れたが、パチュリーはそれを無視して、咲夜に向き直った。
「咲夜、これから私が言う人物に会って話を聞いてきてほしいんだけど、お願いできる?」
「構いませんが、一体誰に会えばいいんでしょうか?」
「二人だけでいいわ。風見幽香と、橙」
「風見幽香でしたら、夕食の買い物のついでに済ませられそうですけど、橙はどうでしょう。会えますかね?」
八雲藍の式である橙は、マヨイガに出没する。マヨイガは不思議な屋敷で、どこにあるのか場所が定かではないので、行こうと思って行ける場所ではない。
「橙に関しては、とにかくあなたが以前彼女に会った場所に行ってみて。運が良かったら会えるでしょう。彼女達に会って、これから教えるとおりに質問して欲しいの。メモを書くわ。ちょっと待ってて」
パチュリーはさらさらとメモ書きをすると、その紙を咲夜に渡した。咲夜はその紙を受け取って、文面を読んだ。
「これぐらいだったら、移動中に覚えられそうですね。では、早速行ってきます」
「お願いね」
レミリアはパチュリーのやっていることの意味がわからず、目を細めてさらに訝しげな表情になるばかりだった。話が終わって、咲夜が出立することになり、パチュリーとレミリアは彼女を見送った。
咲夜が去ったあと、パチュリーはレミリアの顔を見る。
「八雲紫が犯人っていうのは論理的じゃないけど、瞬間移動したっていう考え方は、いい線行ってると思うわよ」
「え、ホント?」
それだけ伝えると、パチュリーは自分の住処である図書館の方へ歩いて行った。レミリアは褒められたので、少しだけ嬉しくなったが、すぐに首をひねり始める。咲夜が出発する前に、パチュリーが渡したメモの内容も見せてもらったが、いくら考えてもパチュリーの真意や咲夜にやらせていることの意味が分からなかった。
咲夜は紅魔館を出ると、空へ飛び立ち、まずは遠い方、風見幽香の居る太陽の畑へと向かった。
「聞かれたことは全部自警団の人に話したわよ」
風見幽香は畑の手入れをしつつ、後ろ向きで咲夜を応対した。余り協力的な姿勢ではないようだ。単に仕事の邪魔をされるのを鬱陶しく思っているだけかもしれないが。
「もう一度、自警団の人に話したことを教えてくれませんか?」
「何度聞かれても同じよ。畑の外れの草むらで、倒れているあの男を見つけた。呼びかけても返事が無いから、近寄って、手を取って脈をみたけど、もう死んでた。犯人らしき人物を見なかったか、と言われたけど、見てない。……それだけよ。気が済んだ? 私、忙しいのよね。冬場は雪を除ける為に畑の周りに細工をしないといけないから」
「あの、一つ聞きたいんですが、八雲家の方とは仲が良いんですか?」
「どうしてそんなことを聞くの?」
畑の土をいじる幽香の手付きが止まった。
「……私と八雲紫が仲良いわけないでしょう。むしろ天敵よ。会うたびに戦ってるわ」
「いえ、紫さんとではなく、八雲家と言ったんです」
「どういう意味?」
「例えば、橙さんとはお会いしたことがありますか?」
「……以前、向日葵畑に迷い込んできたことがあるわ。私のチャレンジ精神をくすぐるほど強い妖怪でもなかったから、その時に少し遊んでやっただけ」
「そうですか。じゃあもう一つ」
「いい加減にしてくれないかしら? だいたいなんでメイドが刑事の真似ごとなんかしてるのよ」
「もうひとつだけ。自警団の人はあなたに、犯人らしき人物を見なかったか、と聞いたんですよね?」
「そうよ。さっきも言ったじゃない。誰も見てないわ」
「では、普段とは違ったものを畑の周りで見なかったか、とは聞かれなかったんですか?」
咲夜がそう言うと、幽香は立ちあがって、横顔だけを向けた。無表情なので感情は読み取れないが、多少気迫のようなものを感じて咲夜は一瞬たじろいだ。
「……聞かれなかったわ」
「聞かれなかったから、答えなかったんですね。では、普段とは違うものを畑の周りで見ませんでしたか?」
咲夜が尋ねると、幽香はしばらく沈黙した。やがて、瞬きを一度すると、重そうに口を開いた。
「男性の、足が向いていた方角に、森があったわ」
「……?」
「それまであんなところに森はなかった。男性の遺体があることを自警団の人間に告げて、また畑に戻ってきたら、森は消えていた」
幽香からパチュリーに言付かった内容を全て聞き終えると、咲夜は以前冬の異変で橙と遭遇した森の上空へ向かった。
「あったわ、マヨイガ。居るといいけど」
深い雪をかぶった森林の一角に、大きな屋敷がある。煮炊きの煙が吹きだしているのが上空から見えるので、誰かが中に居ることは分かる。
降りて軒先を除いてみると、大量の猫達と一緒に炬燵で丸くなっている猫耳の少女を見つけた。橙が大量の猫を飼育しているという話は、咲夜も周囲の友人から聞いて知っている。咲夜が庭に降りたって数歩、雪の上に足跡を付けると、橙が気付いて炬燵から出て縁側に歩いてきた。
「おや、メイドのおねーさんじゃないの。久方ぶりだねー。どしたの? 急に来るなんて」
「どうも橙。お久しぶりね。今日はあなたに聞きたいことがあって来たの」
「私に? なんだろー。まー、そんなとこにいたら寒いでしょう。あがって炬燵にあたってくださいな」
橙から進められて、咲夜は家に上がり、炬燵に入った。橙はお茶や蜜柑を炬燵の上に置いて、笑顔で咲夜を応対している。
「それで、聞きたいことって何?」
橙は炬燵布団に寝転がっている猫の喉を撫でながら、話を始めた。
「ちょっとね、太陽の畑に住んでる風見さんって知ってる?」
「ああ、幽香さんのこと? 知ってるも何も。マブダチだよ!」
些か古い表現で返される。夕日の河原で殴り合った仲のようだ。
「そんなに仲いいんだ」
「うん、とってもいい人だよ。よく向日葵を分けてもらったりしてるんだ。猫達も畑で遊ばしてくれるし」
「ねえ、橙、これから聞くことは、あなたにはちょっと変な風に聞こえるかもしれないんだけど、聞いてもいいかしら」
「なに? 言われないとわかんないなあ。言ってみてよ」
「もし風見さんが困ったことになってたら、橙は風見さんの役に立ちたいと思う?」
「それは……勿論だよ! 友達だもん。助けてあげたいよ。幽香さんの困った顔は見たくないからね」
「そう、わかったわ。橙は友達想いなのね」
「へへ、褒められちゃった。メイドのお姉さん、今日泊っていく? 雪は深いし、外は寒いよ」
「ううん、帰らなきゃいけないの。買い物の帰りによっただけだから。ねえ、橙ってここで一人で暮らしてるの?」
「ああ、ここは猫を住まわせておく屋敷なんだよ。たまに藍様も来るし、いつもは紫様の屋敷で寝泊まりしてるよ」
「どうやってここから紫様の屋敷まで移動するの?」
「実はね、私、すきまの術が使えるんだよ。紫様に教えてもらってるんだ」
「ほんと? すごいわね。じゃあどこでも好きな所に行けるの?」
「どこでもじゃないけど。ほんの少し。紫様ほどどこでも行けるわけじゃないよ。それに式の契約が外れちゃったら使えないし。紫様の力を借りてるだけなんだ」
「ねえ、その術、もしかして風見さんの前で使ったりした?」
「幽香さんの前で? うーん、何回かは見せたかなあ」
「風見さんは、このマヨイガに来たことはあるの?」
「マヨイガに? ううん、ないよ。マヨイガに住んでるとは言ったことあるけどね。そうかあ、幽香さんをここにかあ。それいいね、呼んでみたいね。喜んでくれるかなあ」
「あとね、もう一つだけ聞きたいんだけどいいかな?」
「うん、いいよ? 言ってみて」
「このマヨイガなんだけど、いつもこの場所にあるの?」
「うんにゃ。マヨイガはね、いろんな場所を行ったり来たりしているんだよ。今日はたまたまここに戻ってくる日だっただけ」
「ということは、ここを移動してもしばらく待てば必ず戻ってくるのかしら?」
「だいたいそうだよ。周期っていうのかな? この場所だったら三か月に一回は戻ってくるかな」
「そうだったんだ……じゃあ今日たまたま来た私は運が良かったのね」
「会えたのが黒猫だから、幸運なのかどうなのかわかんないけどね」
そう言って橙はへへへと悪戯を成功させた子供みたいに、意地悪そうに笑ったが、咲夜には悪意は感じられなかった。
「そうね」
「運と言えば、そうだお姉さん、この家のもの何か持って行ってよ。そうだ、この湯呑なんかどう?」
「え、どうして?」
「あのね、マヨイガで使ってる日用品を持って帰ると幸せになるんだよ。そういう言い伝えなんだ。お土産に持って行って」
「ありがとう、橙。頂くわ」
咲夜は橙から貰った湯呑を買い物籠に仕舞うと、マヨイガを後にした。
紅魔館へ帰った咲夜は、幽香と橙から聞いた一部始終を食堂でまた皆に報告した。
「いったいどういうことなの? 犯人は誰なの?」
「あら、まだわからないの。もう話の中に出てきてるじゃない」
頭を抱えるレミリアに、パチュリーは肩肘を付いて言った。
「出てきてる……? やっぱり幽香? それとも息子?」
「違う……犯人はね」
皆の視線がパチュリーに集中する。さすがにパチュリーも少し勿体ぶって間を置く。直後にちょっと芝居がかり過ぎかと思い直して、頭をぽりぽりと掻いた。
「犯人はね、マヨイガよ」
「マヨイガ?! じゃあやっぱり八雲家じゃないの。私の推理が当たっていたのね!」
「先走りしないで。彼女達は違うわ。もうひとつのマヨイガよ」
「もうひとつのマヨイガ……?」
「死亡した男性は、生まれた時からずっと同じ屋敷に住んでいたって言ってたわね」
首を傾げるレミリアをよそに、パチュリーは咲夜に尋ねた。
「ええ、だから愛着があって、そこを離れたくなかったとか…………!」
そこで咲夜は閃きを感じ、目を大きく見開いた。
「もしかして、屋敷自体がマヨイガになってた……?」
「そういうことよ。マヨイガはどこにあるのか分からない屋敷。山奥で道に迷った人間が、偶然周りの風景とは不釣り合いな立派な屋敷を発見して、一晩その家に泊まる。山を抜けた後に再度屋敷を探しても、辿り着くことができない。それがマヨイガの伝承。どうしてマヨイガができるのかはわからないけど、一説によるとマヨイガは古い家が妖怪化したものだと言われているわ。橙はマヨイガはある一定の時間を置いて元の場所に戻ってくるって言ってたのよね?」
尋ねられた咲夜はこくりと頷いた。
「多分、マヨイガというのは一定の領域内を、周期的に移動する妖怪なんでしょう。だから、同じ場所を探しても見つけられないことがあるんだわ」
言われて皆は神妙な顔になった。迷子の家だから、迷い家。帰り道を探して、同じ所をぐるぐる行ったり来たりしている家。
「でも、マヨイガってそんなにぽんぽんできるんですか?」
「四六時中生まれているってことはないでしょうけど、橙の住んでいる一つだけって限定される理由はないでしょう」
「ということは、マヨイガになった男性の屋敷は、場所を移動して太陽の畑に行っていたってこですか?」
「幽香が戻ってきた時には、既に移動していてまた元の場所に戻っていたのね。現場には微かに妖気が漂っていた。マヨイガの放つ妖気は小さいから、ほとんど誰も妖怪だとは気付かない。咲夜も雪の異変の時に、マヨイガに寄ったから覚えているでしょう? マヨイガが妖怪だって気付いた?」
パチュリーの問いに、咲夜は首を振る。
「いいえ、まったく。だから、急に橙みたいな妖怪が出てきてびっくりしました」
「夜のうちにマヨイガは移動して、早朝には太陽の畑に隣接していた。幽香が見た森というのは、屋敷を包んでいる庭の林のことでしょう」
「それで集落とは反対側の太陽の丘に出てきていたのか」
隣で聞いていたレミリアも、真顔で相槌を打った。
「でも、それだったら被害者は誰が殺したんですか?」
「そうよ、マヨイガは単に移動するだけなんでしょ? それなのに犯人ってどういうことよ」
「誰が殺したんでもないわ。被害者は、移動したことが原因で死んでしまったんじゃないかな」
パチュリーの言ったことの意味がわからず、レミリアと咲夜はお互いに顔を見合わせた。
「ただ場所を移動しただけで心不全で死んでしまうんですか?」
「被害者は高齢の男性だった。多分、前々から心臓が弱っていたんじゃないかしら。これはあくまで推測の域を出ないのだけど、ヒートショックという現象を知っているかしら」
「存じません。どういうものですか?」
「急激な温度変化で、人間の体がショックを受ける現象よ。真冬の早朝、旧家の家には夜中から常時つけておけるような暖房器具が無い。老人の一人暮らしで、おそらく室内は氷点下にまで冷え込んでいた。そこで、男性は朝起きて、自宅の周囲の風景が、普段とは違ったものであることに気付き、外に出てみる。太陽の畑は、年中暖くて花が咲いている。畑を管理している風見幽香がそうしているせいもあるんでしょうけど。温度計ったわけでもないし、死因は正確には追求できないけど、雪の降り積もる寒い山奥の寒村から、急に気温の高い向日葵畑に出る。体は急激な気温の変化に対応するために、血圧を急激に上昇させる。たぶんだけど、心臓発作を引き起こしたんじゃないかしら」
皆はきょとんとした顔をしてから、すぐに眉を少し顰めて神妙な面持ちになった。
「事故死……ですか」
「不幸な事故……なのかしらね。長年大事に住んだせいで、たまたま屋敷が妖怪化していた。男性の息子が急に羽振りが良くなったって言うのは、遺品として屋敷から何か貰って来たせいじゃないかしら。生前、男性が大切にしていた日用品か何か」
言われて咲夜は記憶を探ってみる。マヨイガにある日用品を持って帰ると、幸運が訪れるという言い伝えがある。咲夜はついさっき、マヨイガの住人である橙からそれを聞いている。パチュリーはおそらく、男性が金銭的に豊かになったという情報から、屋敷がマヨイガになっていたのではないかと推理したのだろう。
「待ってよ、おかしいわ。いくら風見幽香が他人に興味のない自閉症の妖怪でも、自分の管理している畑のすぐそばに森や屋敷が現れたら、さすがに不自然なことが起きているって気付くでしょう? なんでそれを他の人間に言わなかったの?」
レミリアが溜めていた疑問をパチュリーにぶつけた。
「聞かれなかったから、言わなかったんでしょう。彼女は自警団の者から、犯人らしき人物を見なかったか、としか聞かれなかった。だから、普段とは違う風景、マヨイガが自分の管理する畑に隣接していたことを、言わなかったのね。質問されていないことを答えていないだけなら、偽証罪には問われないから」
「バカバカしい。そんなの単なる詭弁じゃないの。誰かが他に怪しいものを見なかったかって質問すれば、結局風見はマヨイガのことを答えざるを得ないじゃないか」
「それで幽香に聞いたんですね、普段とは違った光景を目撃しなかったかって」
咲夜は合点がいったという顔をした。
「なんで風見はそんなことをしたのよ?」
「風見幽香は時間稼ぎをしたかったんでしょうね。森を見た時、風見はすぐにマヨイガの可能性に気付いた。そして、以前交遊を持って親しくしている橙がマヨイガを管理していることを知っていた。だから、彼女がスキマの術を使ってその男性を攫い、食料として襲って殺してしまったんじゃないかと考えたのね。レミリアが言ってたみたいに、魂だけ吸い取って食ってしまう妖怪や、生気だけを吸い取る妖怪というのもいるから」
「でも、仮に橙が犯人だったとしたら、本格的に調査が始まった場合、結局ばれてしまうじゃないですか。例えば巫女なりが調査に乗り出したら、隠し通すことはできないですよ。風見幽香はそんなことをわからない妖怪じゃないと思いますけど」
そうよそうよ、とレミリアが咲夜の後ろに回って彼女の疑問を後押しする。しかしパチュリーは落ち着いた表情を崩さない。
「だから単なる時間稼ぎなのよ。この郷の妖怪たちは、幻想郷内に昔から住んでいる人間の血族は殺めないという暗黙の協定を、人里と結んでいる。このルールが破られたら、お互いの信頼関係が崩れてしまう。人里の人間は妖怪たちを信用しなくなり、また以前の、妖怪と人間が殺戮し合う無法状態を引き起こす可能性があるわ。だから、時間を与えて、犯人が自首してくるのを待っていた。橙の主人格の八雲藍も、その主人の八雲紫もとても英邁な妖怪。いずれは自分の部下の不始末に気付く。そしたら、妖怪と人間達の仲が険悪になることを懸念して、謝罪なり犯人の処罰なり、なんらかの行動を起こすだろう。そう考えたんじゃないかしら。その前に、幽香が聞かれもしないのに知っていることを全部、自分の推測も含めて包み隠さず話してしまったら、人間達はマヨイガに住む橙のことを真っ先に疑ってしまうわ。橙が人間達の捜査で捕まってしまっては、自首じゃなくなってしまう」
なるほど……咲夜もレミリアも頷いた。いつの間にか話に参加していた美鈴もその隣で頷いている。自ら名乗り出て過ちを犯したと告白するのと、隠し通した上で逮捕されるのでは、周囲に与える印象が違ってくる。幽香は橙を告発することまではできなかったが、暗に自首を促していたのだ。
「ところが一週間経っても八雲家は何のアクションも起こさない。それもそのはずよね。八雲家の者は事件とは無関係で、今回の件はたまたまマヨイガに住むことになった老人が引き起こした、単なる事故だったんだから。内心、風見幽香はかなり慌てていたんじゃないかしら」
「すぐに、里の自警団に話してみます」
話を聞き終えると、咲夜は席を立ち、食堂の扉を開けて出て行った。
パチュリーは既に事件から興味を失ったようで、また新聞を開くと紙面に目を向けていた。側で見ていた美鈴はぽーとした驚嘆顔でパチュリーの横顔を見つめている。レミリアは不服そうだった。
日が暮れてから咲夜が屋敷に戻ってきた。
「里と連絡を付けてきましたよ。早速、巫女に屋敷を調査してもらうよう依頼するそうです」
「それでマヨイガだとはっきりすれば、一段落するわね」
新聞に目線を向けながらでパチュリーは答えた。
「生まれたてのマヨイガか。どうなるのかしらね。まあマヨイガは現象の妖怪だし、人格があるわけじゃないから、里の人間もその辺は理解していると思うけど」
パチュリーの言葉を聞いて、咲夜は思案気な顔を作った。事故とはいえ、妖怪と人間が絡んだ不幸という事実は変わらない。単純に住んでいる人間に妖怪化に関する知識が足りなかったために起きた事故と言えば、その通りなのではあるが。誤解して遺族などが妖怪に怨みを感じたりしなければいいが。パチュリーはそのことを懸念したのだろう。
二人が見つめ合って、今後のことに少し気を回していると、パチュリーの席の隣で、ぷんっと息を吐いた物がいた。
レミリアだ。膝を抱えて体育座りで地べたに座り込み、ふくれっつらをして、少し俯き加減でつまんなそうにしている。
「なにしてんの、レミリア」
「なんで謎を解いちゃうのかしら……私が全く活躍できなかったじゃない……」
どうやら、パチュリーが全て謎を解いてしまったので、すねているようだ。右手の人差し指を床のカーペットにおしつけてぐりぐりしている。
「だって、あなたが推理してみろって言ったんじゃない」
「最後までやっつけてしまうことないじゃない……少しは残しておていくれてもよかったのに。つまんない!」
ブリブリと怒るレミリアを尻目に、パチュリーは紅茶を一口啜ると席を立ちあがる。
「ねえ、咲夜、他に何か事件ないの?」
「そんなすぐには。この郷も基本は平和ですし」
苦笑して咲夜は答えた。パチュリーはこれ以上難癖をつけられないように、食堂を出るとまたいつものように図書館の方へ退散していった。
後日談。
図書館で読書中だったパチュリーの元へ咲夜がやってきた。
「この間の件、進捗しましたよ」
「そう」
気だるそうな声で、そっけなく返答するパチュリー。
「おや、興味なさげですね」
「あらかた解けてしまった謎は、面白みが薄れるでしょう。その口ぶりだと、事実は私達の推理通りだったのね」
「お察しの通り、おおむねパチュリー様の推理通りでした。でも、謎がもうひとつ残ってますよね」
「あら、そうだったかしら」
「何故マヨイガは太陽の畑に移動したのか?」
咲夜は人差し指を天井に向けて、些か芝居がかった口調で言った。
パチュリーは瞬きを一つすると、読んでいた本を机に下ろして咲夜の顔を見る。
「何の縁も所縁もない場所に出るのはおかしいわね。通常妖怪っていうのは、縁故に強い結びつきがあるものだから」
「パチュリー様は、マヨイガは現象の妖怪で、人格は持っていないっておっしゃいましたわね?」
「おっしゃいましたね」
パチュリーはまた本を持ちなおすと、ほとんど顔が付くぐらいの距離にその本を構えた。いつもの彼女の読書スタイルだ。その体勢のままページをめくるのだから、めくったページが頬や鼻先に当たって時折、さらさらと音を立てる。
「実は、男性の家を自警団の人が調べてみたらしくて、その結果を今日里で聞いてきたんですよ」
ぴくり、とパチュリーのページをめくる手が止まる。それを見て咲夜は微笑した。
「調べてみたところ、居間に大きな向日葵畑の絵が飾ってあったそうです。男性が自分で描いて飾ったものだとか」
「どうしてそんな絵を?」
「奥さんが生きていた頃、二人で太陽の丘へ旅行に行ったことがあるそうです。今で言う新婚旅行みたいなものですね」
「そう。奥さんは何年前に亡くなっているの?」
「三十年前です。だから、もう彼岸では待っていてくれないかもしれませんね」
「そんなに時間が経っているのなら、転生の旅路に出ててもおかしくないわね」
「それでここからは私の推測、というか推理なんですけど」
微笑しながら咲夜は言った。
「死が間近に迫った老人が、一人孤独に暮らしている。毎日彼の目に浮かぶのは、若い頃愛した妻と一緒に行った思い出の場所ばかり。そんな時、朝目覚めたら窓から金色に輝く向日葵畑の光景が見える。遠い記憶の中に置いてきた風景。愛した妻が生きていた時の、幸せに包まれていた頃の。懐かしさで一杯になって家を出て、その畑へ歩み出てみたら、美しい少女の姿が丘の上に見えた。胸が高鳴る。久しく忘れていた感情が去来する。逆光で顔は見えないけど、もしかしたらと思い、彼は駆け出した――」
咲夜は時々身振り手振りを入れて語りだした。よくもまあそんなに感情移入できるものだとパチュリーは少々呆れる。だが、この場は合わせて彼女も想像を膨らませてみた。
弱った体を忘れるぐらい息せき切って、よぼよぼの老人が自分に縋るように歩みよってくる。だが、丘の上に居る自分の所まで辿り着く前に、力尽きて倒れ込み、そのまま事切れてしまった。何事かと思って抱き起こして顔を見ると、どこか見覚えがある。面影がある。そして思い出す。それを見て、目撃して、風見幽香はどう感じたのだろうか。死の間際のおぼろげな意識と定まらない視線で、老人は少女をどう見ていたのだろうか。昔の、美しかったころの妻の面影を少女に重ねたりはしなかっただろうか。
「――なるほど、ロマンチックではあるわね。結果はあまりロマンチックではないようだけど。というか悲劇だわ」
いささか喜劇のエッセンスも含まれている。笑えない。
「幽香は随分前から太陽の丘を管理していたそうです。老人が、青年だった頃にも。昔はあの丘にも大勢の人間が訪れる頃があったらしいですよ」
「だから、遺体を里まで届けるのを手伝ったのね。ただ橙をかばうだけなら、遺体を自分で処分してしまうという方法もあった。それをしなかったのは、顔見知りだったから」
「随分前に妻と一緒に自分の畑を訪れた人間だと気付いたんですね。彼女、侵入してくる強者には厳しいけど、礼儀正しい弱者には紳士的に応対しますから」
「まあ、本当のところは分からないけれどね。実際にあの戦闘狂ヴァイオレンス・サドが何を考えていたかは私にはわからないわ。実際に風見幽香が老人を見て過去を懐かしんだかどうかも、彼に同情を感じたかどうかも。私達の勝手な推測にすぎないわ」
「もし真実じゃなかったら、私達かなり妄想してることになりますね」
咲夜はそう言って、くすりと、爽やかに笑う。
「もともとアームチェアディテクティブってそういうものでしょう。探偵の推理なんて、間違っていたら単なる妄想狂の戯言に過ぎないわ」
「確かにそうですね」
「それにしても、あなたの話のおかげで私も安心したわ」
「何がですか?」
きょとんとした顔を作る咲夜。
「いやね、ヒートショックが死因じゃないかって言ってしまったじゃない?」
「ええ」
「あれから文献を調べてみたんだけど、確かにヒートショックで死亡した例はたくさんあるんだけど、それは暖かいところから寒いところに移動したパターンばかりで、寒いところから暖かいところに移動した場合に死んだという例は見つけられなかったのよね」
「えええええええ、そうなんですか?」
パチュリーが全くの無表情で打ち明けたので、咲夜は余計に驚いた。
「温度差で体がショックを受けるというのは間違いないんだけど、たぶん体温との温度差が問題なんだと思うわ。暖かい所に移動しても、大して体温と変わらないからさして問題ないってことじゃないかしら」
「…………」
「でもあなたの話で、男性が心臓発作を起こしたのは、年甲斐もなく激しい運動をしたからっていう可能性が高くなってきたわね。それで安心したわ。やっぱり医学のような専門分野は素人の浅知恵じゃ限界があるわね、気をつけないと」
「ま、まあ里の人達はその辺りを余り詳しく調べることはできないと思いますが……」
咲夜としては苦笑するしかない。それは黙っておいた方が格好が良かったんじゃないかとすら思う。
「ところで最初に言ってたことだけど」
「あ、はい」
「あなたはもしかしてこう思ってるんじゃないかしら。マヨイガは老い先短い主人の切願を叶えるために、妖怪の力を使って、自分とは縁も由縁もない太陽の畑に移動した、と」
咲夜は微笑を浮かべた。
「マヨイガには人格はない、というパチュリー様の説とは矛盾してしまいますけどね」
「あら、特に矛盾はしないわよ」
「あら、そうなんですか?」
「修正は必要かもしれないけど。ふむ、面白いかもしれないわね。人の望みを叶える家か。私の妖怪論を完成させる新しい材料になるかも」
「妖怪論、ですか?」
「この郷に来た時から考えてたのよ。妖怪の本質とは何かについての考察。まあ、ライフワークみたいなものね」
「へー、そんなことやってらしたんですか。もしよろしかったら、その妖怪論、私にも聞かせてくれませんか?」
「また今度」
「あら、つれないですね。どうしてですか?」
「まだ未完成なのよ。そうね、完成したら読んでもらうかも」
「そうですか。じゃあ楽しみにしてますね」
それだけ言うと、咲夜は机の上に置いてあった紅茶のセットを持ち上げる。「これ、片付けておきますね」そう言ってお盆を持ち上げると、部屋から出て行った。後に残ったパチュリーは、読んでいた本をまた持ち上げると、思索に戻った。
ある意味、とても東方らしいミステリだと思います。
あと、お嬢様の仕草がいちいち可愛い!
やー、ミステリーって良いですね。
お嬢様の願いは叶ってないよ!?
ともあれおもしろく読めました
探偵モノっぽさが伝わってきます
思わずちょっと真剣に読んでしまった
面白かったです。
本格ミステリとはいえませんが、ちょっとホームズっぽくて楽しかったです。
真相が完全に明かされてないところがミステリーっぽいと感じました
おぜうの立ち位置は「よし、分かった!」の刑事。
火を見るより明らかだった推理対決の結果に瀟洒なメイド長も思わず苦笑い。
って、ちょっとちょっと! これじゃレミ様があまりにも不憫じゃありませんか。
もう少し彼女が誇る灰色の脳細胞を活性化させてあげても罰は当たらなかったんじゃ……。
ん? そういえば脳あったっけ、お嬢様に?
えーと、とにかくすらっと読めて楽しい物語でした。感謝!
でも、面白い。
環境じゃなかったっけ?
それで人の領域と妖怪の領域とで住み分けしてたような気がするんだが……
登場したキャラがみんなとても魅力的に描かれていて、
ミステリーも、幻想郷ならではの設定で、大満足でした。
またこういうの、読みたいですねえ。
『黄昏の郷の黄昏』のような終末ものも『アリスといっしょ』
のようなコメディも凄く上手いし、オールラウンダーですねえ。
お嬢様の脊髄反射のようなぬけさくっぷりが微笑ましい。
それと、締めの咲夜さんの推理がいいですね。じいさんは最期に幸せな幻想を見れたのかな。
安楽椅子探偵と言えば引きこもり。つまり、フランちゃん大勝利の予感。
ちょっと不思議でロマンティックな解決編が良かったです。
真・解決編も素敵でした。
こういう不思議ミステリ大好きです