Coolier - 新生・東方創想話

サンタ魔理沙は苦労人!

2010/12/25 23:45:37
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 寒い朝だった。
 今日は十二月二十三日。四季の中で最も凍える季節に入り始めた、そんな日だ。
 風は冷たく、身を切るような鋭さである。たぶん、もう少し温度が低くなったら実際に切れるだろう。
 とはいっても、家の中にいる自分には何の影響も無い。
 魔法の材料や食料の調達など、必要不可欠なお出かけをする場合はできるだけ暖かい時にしている。
 だから、今日みたいな日に外に出ることはないのだ。
 自由な時間に起床し、目覚めのブラックコーヒーを啜り、のんびり読書や研究をする。
 そのはずだった。
 おかしな訪問者が訪ねてくるまでは。

「は~い、善行積んでますか? 霧雨魔理沙」
「……ただいま留守だぜ。御用の方は出直すと吉」

 魔理沙は開きかけた扉を閉めた。
 すぐさま錠前と魔法錠の二種類をかけ、ついでに無理やり突破された場合のトラップも仕掛けておく。
 相手が相手なだけに止められるとは思わないが、これだけ拒否の意思を伝えていれば帰ってくれるはずだ。
 と、期待してたのだが。

「ちょっと話くらい聞きなさい~。今日はお説教しに来たんじゃないから~」

 妙に間延びした声がするが、耳を塞いでシャットアウトする。
 聞こえない聞こえない聞こえない。ひたすら祈った。さっさとどっかに行ってくれないかと。
 だが、そんな魔理沙の願いを裏切るように、彼女は扉の向こう側で呟き続けた。

「はて、私って嫌われてるんでしょうか? それが仕事の弊害とはいえ、ここまでされると傷つきますね。どうしたものでしょう……名案がある? 聞かせてください」
「……? 他に誰かいるのか?」

 魔理沙は首をかしげて耳を澄ました。
 先ほど扉の隙間から見えた顔は一人分だったのだが、もしかしたら影に隠れていたのだろうか。
 まあ、それが誰だとしてもここを開く気は毛頭ない。
 別に彼女個人をそこまで嫌っているわけではないが、食事をしても酒を飲んでも口から出るのは説教の文句ばかり。
 なので、なるべく顔を合わせないようにしたくなるのだ。
 少しだけ可哀想な気がしないでもないが、耳に痛い正論を延々と聞かされるのは苦痛以外の何物でもない。
 たとえ大爆発が起きようと、目の前の扉を開けぬことを心に決めた。

(さあ、来るなら来い!)

 しかし。

「霧雨魔理沙! 早くここを開けないと、ラストジャッジメントですの!」
「うおい!? とある団体から苦情が寄せられそうな発言するな! 迷惑極まりない!」

 予想だにしなかった発言に、魔理沙は扉を開けてまで突っ込みを敢行した。
 しまった、と顔を歪める魔理沙の前には、少女が背筋をピンと伸ばして立っていた。
 にこやかな笑みを浮かべるのは四季映姫・ヤマザナドゥ。
 そして、その隣にもう一人。

「……珍しいな。お前が地上に出てくるなんて」
「わわわわわ訳あってのことですから……。そ、それはそうとガチガチ中に入れてくれませんか? 寒くて寒くて……震えが止まらないんです」

 古明地さとりは青ざめた表情で歯を鳴らしながら、そう言った。








「んで、まさか風をしのげる場所を探しに来たわけじゃあるまいな?」
「ガチガチガチガチ……」
「ええ、もちろんです。あなたに頼みたいことがあって訪問しました」
「ガチガチガチガチ……」

 魔理沙の問いに、映姫が答えた。
 彼女はのんびりと魔理沙の出した紅茶を啜っている。お茶請けも要求されたが、そこまでする義理はないので安物の煎餅で我慢してもらっている。
 そんなことよりも、魔理沙には気になることがあった。

「おい。あれ、大丈夫なのか?」

 あれ、というのはさとりのことである。
 彼女は今、魔理沙の貸した火鉢の前を陣取っている。
 被った毛布が震えているので、まだ体の芯は冷え切っているようだ。

「ちゃんと警告したんですけどねぇ。地霊殿は年中暖かいですから『寒い』というのがよく分からなかったようで、私の方の時間も逼迫していたので強引に引っ張ってきました」
「時間? そういや、お前裁判はどうしたんだ?」
「休憩時間に抜け出したので、あと三十分は問題ないです。いやー、小町がサボってても仕事は忙しい。閻魔は楽じゃないですね」

 なんて呟きながら、映姫は自らの肩を辛そうに叩いた。
 ちらりと視線を向けることから、肩を揉めと言いたいらしい。
 無視しよう。

「そんな貴重な時間を使って、何でここに?」
「ずばり、依頼があるからです。霧雨魔理沙、あなたにサンタクロースを演じてもらいたい」
「サンタクロース? 白い髭に紅白の衣装をまとった爺さんのことか?」

 映姫は頷いた。

「実は、近頃心境の変化がありまして。お説教をすれば他人の行動が変わるわけではないと思うようになってきたんです。ですが、何もさせずに地獄に落とすのは忍びない。なら、間接的に善行を積ませる方向に向かわせればいい!」
「要するに、自発的に善行を行わせるのか」
「そう! ですが、幻想郷に住む人妖はみんな偏屈で頭が固い自己中心的な者ばかり。どうしたものかと頭を悩ませていたところに、天啓が閃いたのです! そうだ、プレゼントしてしまおうと!」

 ……待て、今途中で話がぶっ飛んだぞ。
 そんな魔理沙の心を読み取ったのか、映姫は言い聞かせるように言葉を紡いだ。

「つまりですね、己にとっての善行を喚起する物品を与えようということなんです」
「なるほど。じゃあ私の場合、嘘をつかせないように貴重なマジックアイテムでも貰えるのか?」
「もっと直接的です。あなたは飴玉でも舐めときゃ嘘つく回数も減りますよ」
「……それって単に発言が少なくなるだけじゃないか?」
「結果オーライ。ともかく、そのプレゼントを幻想郷にばら撒いてほしいんです。自慢のスピードを活かして」

 ひと段落ついたのか、映姫は紅茶を飲み干してお代わりを要求してきた。
 仕方なく次を注ぎ、ミルクティーにグレードアップ(?)させて出すと、映姫は喜んで口を付けた。
 その姿は外見相応のものだが、不愉快になると悔悟の棒で叩いてくるのは勘弁してもらいたい。

 まあ、依頼内容はだいたい把握した。しかし、そうなるとあいつは何故ここにいるのか。
 あいつ、とは火鉢と八卦炉(温風モード)を伴って部屋の一角を占拠しているダルマのことである。

「なんだってさとりを連れて来たんだ? 今の件と無関係っぽいが」
「あなたの手伝いをしてもらうためです。今回はあなたが他者の家に侵入することを黙認する形になる。なら、お目付け役が不可欠でしょう? 普通の魔法使いは手癖が悪いようですから」
「否定はしないぜ。だけどな……」

 魔理沙はさとりを見ながら思案に耽る。
 寒空の下で幻想郷を駆け回るのなら、寒さに弱い彼女はどう考えても不適格だ。
 夜は短い。今回は夜を引き伸ばせないので、なるべく荷物は背負いたくないものだが。
 ひどいですよ、と抗議する声がしたが、偽らざる本音なので許して欲しい。
 だが、映姫はこの反応を予想していたようだ。
 湯気の立つミルクティーを息で冷ましながら言った。

「一つはさとり妖怪の能力。あなたが犯行に及ぼうとしたときに、すぐさま反応できる人物ですから。そして、もう一つは彼女が旧地獄の管理人であること。形式上は私が雇用主ですので、色々とお願いしやすいんです。寒さに関しては重ね着すれば解決する問題でしょ」

 ……なるほど。二重の意味で使いやすく、かつ寒さへと対策も完璧だということか。
 魔理沙はその言い分に深い納得を示しつつ、しかし釈然としない想いを抱いた。それが何なのかは分からなかったが。
 ひとまず、すべての事情は聞き終えたと判断して、考える時間をもらうことにする。

「それじゃ、返事はまた後日ということで……」
「何を言ってるんですか。返事はすでに白黒ついてます」
「は?」

 映姫は花開くように微笑み、悔悟の棒を体の前に立てて宣言した。

「ここまで聞いて今更断れると思っているなら、あなたは少し考えが浅すぎる。霧雨魔理沙」











 ◆




「あ~、寒いなぁ。さっさと終わらせて熱燗でもいきたいなぁ」

 現在の時刻は午前零時を少し過ぎたところ。
 魔理沙は白い息を吐きながら、幻想郷を一望できる場所で箒に乗っていた。
 何故こんな夜中にこんな場所にいるのかというと、今夜閻魔からの依頼を果たすからである。
 クリスマスの前夜とは、もっとも人気がない時間帯だからだ。

 幻想郷には信心深い人妖は本当に数少ない。
 博麗神社、守矢神社、命蓮寺など信仰対象となりうる人物は存在すれども、その信仰を生活に組み込んでいるのは当人たちぐらいだろう。
 しかし、クリスマスは違う。
 人妖の誰もが聖者の誕生を祝うわけではないのに、人妖の誰もが今日という日を楽しみにしている。
 すなわち、大宴会を行える絶好の口実として。
 それは本物の神様も例外ではない。彼女たちも今日は博麗神社に赴くか自分たちの神社で宴会を行うはずだ。
 その前夜である今……というより昨夜は、みんなが一日中行われる宴会に耐えるだけの体力を確保しようとする。
 故に、閻魔が選んだ作戦の実行日時は、最も他者に発見されない時間帯なのだ。
 とはいえ、上空は風が吹き荒れて寒い。待ち人は未だ来ない。

「誰でもいいから早く来てくれ~、このままじゃ凍えちまうぜ~」
「じゃあ、私があっためてあげる!」

 そう耳元で声がした瞬間、真綿のような温もりが背後から襲いかかってきた。
 驚いて、しかしそれを黙って甘受する。しばらくして、じんわりとした熱が背中に伝わってくる。
 充分熱を交換し合って、彼女はようやく魔理沙の前方にやってきた。
 相変わらずの神出鬼没に感心しつつ、相変わらずの笑顔に安心する。
 魔理沙は少女に片手を上げて挨拶した。

「よお、こいし。こんばんわ」
「こんばんわ、魔理沙! 今日はデート日和ね!」

 こいしは星も嫉妬しそうなほど輝かしい笑みを浮かべた。
 今日はさすがに寒いのか、厚手のコートをしっかりと着込んでいる。手袋、マフラー、帽子もだ。
 魔理沙はその姿にちょっとした違和感を覚え、それがなんであるかすぐに分かった。
 帽子の色が違うのだ。
 魔理沙の帽子と同じように黒かったそれは、装飾で華やかに彩られ、しかも赤と白で統一されている。
 サンタクロースを意識しているのは明白だった。

「可愛い帽子だな、すごく似合ってるぜ」

 忌憚のない感想を述べると、こいしは照れたように微笑んだ。

「えへへ……魔理沙も、サンタさんみたいだね」

 こいしの指摘は正しかった。
 魔理沙の帽子は装飾こそないものの、いつもの黒地が赤一色に染まっているのだ。
 そして、防寒着も出来るだけ赤と白のみで構成している。昨日、徹夜でクローゼットをひっくり返し、選び抜いたものである。
 ちなみに帽子は魔法で色を変えただけで、チチンプイプイの三秒で完成させたものだ。

「それで、さとりはどうしたんだ?」

 魔理沙は寒そうに引っ付いてくるこいしを抱き返しながら聞いた。
 本来、ここに来るのはさとりだったはずだ。風邪でも引いたのだろうか。
 するとこいしは、ばつが悪そうに目を逸らした。

「それがそのー、魔理沙の顔が見たくて、つい……」
「こら、こいし。荷物を放り出しちゃ駄目でしょうが」
「あいた! ご、ごめんなさいお姉ちゃん」

 後ろからこいしを叩いたのは、ダルマより若干細いさとりだった。
 先日の反省を生かしたのかマフラーに手袋、厚手の上着と防寒対策はばっちりである。こいしと同じように、サンタっぽい帽子も被っている。
 さとりは魔理沙を見やると不機嫌そうに眉をひそめた。

「……魔理沙さん。こいしといちゃいちゃしてる暇があるんですか?」
「え」
「これから私たちはみんなに夢を運ぼうとしているのに、そんな世俗的な行為に及ぶとは何事かと聞いているんです。サンタクロースがいたとして、彼がクリスマス以外では普通に農業やってるくらいの衝撃ですよ。子供の夢を壊すのはいただけません。ましてや本来のパートナーである私を差し置いて妹と抱き合ってるなんて……」
「さとり様、待ってくださいよ~! あたいとお空じゃ、五つも持てませんから!」

 話の途中で、重そうな袋を両手に抱えた燐と空が飛んできた。
 彼女たちもサンタ帽子を被り、なおかつ服も赤白とめでたい色だ。ノリが良すぎである、地霊殿。
 
 燐は寒さに弱いのを自覚しているのか、この中で最も重装備だった。手袋マフラー上着は当然、下の耳にイヤーマフラーまでしている。この様子だと、毛糸のパンツでも穿いていそうだ。
 対して、空はいつもの格好に薄い上着を羽織った程度。当たり前だが、とても寒そうだ。
 実際震えてるし。

「お空、そんな装備で大丈夫か?」
「だだだだだ大丈夫よ……問題、ないガチガチガチガチ」

 大丈夫じゃない、問題だ。
 彼女が普段いる場所は灼熱地獄跡。おそらく地上の寒気を甘くみたのだろう。
 おまけに空は両手に荷物を提げているため、自分の体を抱いて温まることもできないようだ。
 仕方ない、と呟いて自分のマフラーを取って空の首に巻いてやった。
 解決にはならないが無いよりマシだろう。
 空は鼻水を垂らしながら微笑んだ。顔が凍っているからか、ずいぶん強張っているが。

「あ、ありがとうまりさ。その気持ち、すっごく嬉しい」
「今日はお前も手伝ってくれるんだろ? 正直ありがたい。とりあえずその荷物を――……は、はっくしゅん!」

 首下に冷気が入り込み、思わずくしゃみが出た。
 するとすかさずこいしが駆け寄ってきて、自分のマフラーを優しく巻いてくれた。
 えへへ、と可愛らしく微笑むこいし。だが、次の瞬間には。

――くしゅんっ。

「……まったく、あなたも寒いのは苦手でしょ? 私のをあげるからちゃんとしなさい」
「は~い、ありがとうお姉ちゃん」

――くしゃんっ。

「さとり様、どうぞ。あたいはたっぷり着てるので、一つ二つ無くなってもいいです」
「お燐……優しいペットがいて、私は幸せ者だわ」

――ぶしゅんっ。

「おおおお燐、私のマフラーをっ」
「いやいやいや。一番アンタが寒がってるじゃないのさ!」
「でででででも……」
「お空、その荷物を寄越せ。んでもって、すぐに出発だ」

 これ以上ここに留まるのはまずい。主に空が。
 魔理沙は空の持っていた大きな袋を奪うようにして受け取り、肩に担いだ。
 さとりたちも燐から荷物を貰い、同じように担ぐ。遠目で見れば一応サンタクロースの一団に見えると思う。。
 そして、我先にと箒を走らせた。
 風の強い空から逃れるように滑空し、ぐんぐん地上へと迫る。
 空気を切る音に負けないように、背後にいるさとりに声を張り上げた。

「さとり! プレゼントを配る順番とか誰に何をあげるとか、閻魔から詳細を聞いてるか!?」
「はい! 順番は特に指定されませんでしたが、時間に余裕があるわけではないです! この位置からですと最初に紅魔館で、その後は時計回りで行くのが効率的かと!」
「了解した! かっ飛ばすから、ちゃんとついてこい!」

 視界に紅い館を収め、魔理沙たちは今宵一夜のサンタクロースとなった。










 ◆




 紅魔館はひっそりと寝静まっていた。
 いつもは侵入すると妖精メイドから歓迎されるのだが、今回はそんな事態にはならない。
 何故なら、こちらには無意識を操るこいしがいるからだ。

「しっかし、こいしの能力は反則だよな。幻想郷にいる奴らはみんなそうだけど」
「認識させないだけで必ず気づかれないわけじゃないよ。以前幽霊連れたお爺さんに会ったんだけど、『空気が揺れてるから』って理由で見破られちゃったし」
「まあ、それは例外中の例外でしょう。それに今日は害意があるわけでもなし、プレゼントを置いてさっさと行きましょう」

 一同は頷いた。
 現在はメイド長を除き、ほぼ全員にプレゼントを渡し終わっている。

 閻魔は幻想郷にいるすべての人妖にプレゼントを渡すわけではなく、あらかじめターゲットを絞っていたようだ。
 例えば紅魔館なら、門番、吸血鬼姉妹、魔法使い、メイド長である。
 元々『善行を積ませる』という名目のプレゼントなので当然ともいえる話だが。
 ちなみにプレゼントはすべて閻魔のポケットマネーから出されているらしい。やはり閻魔の考えはよく分からない、ということを再認識させられた。

 紅い廊下を静かに飛び、自分が記憶していたメイド長の部屋に着いた。
 細心の注意を払って扉を開け、入室する。ベッドには期待通り、十六夜咲夜が横になっていた。
 銀のナイフと呼ばれるメイド長もさすがに就寝中はリラックスするらしい。
 険のある表情は消え、安らかな眠りの中にいるようだった。

 燐に合図し、咲夜用のプレゼントを後ろ手で受け取る。
 しかしその本の外観を見て、魔理沙は言葉を失った。

「……おい、『今すぐ出来る友達百人』ってなんだ」
「知らないよ。だって閻魔様のリストにそう書かれてるんだもの」
「人間に冷たすぎるって友達がいないと同義……なのか? 合ってるような外れてるような」
「まあいいじゃない。ここは怖いよ、さっさと退散しようよ」
「だな。咲夜だし、気づいた瞬間ナイフの雨あられなんて笑い話にもならんな」

 ははは、と場を和ませるために冗談を口にするが、笑う者はいなかった。
 本を咲夜の枕元に置き、すぐに退散すべく回れ右をする。
 しかしその途中で、魔理沙たちは時間が止まったかのように固まった。
 部屋の隅に置かれたテーブル。どうやら咲夜が書類仕事をする際に使用するものらしい。
 その上に、湯気の立った紅茶を乗せた御盆が置かれていたのだ。
 カップにして、五人分。
 芳醇な香りがかすかに鼻を掠める。それが入れたてであることは明白だった。
 恐る恐る咲夜の方に視線を向けると、先ほどと変わらない体勢で静かに寝息を立てていた。
 ただし、ほんの僅かだが口角が上がっている。

「……お言葉に甘えてるかい?」
「……そうだな、咲夜のお茶は絶品だし」

 紅茶は身にしみるほど熱く、美味しかった。








 白玉楼。
 ここは紅魔館ほど警戒する必要はない。幽霊は言葉を発しないし、そもそもこちらに興味が無いからだ。
 かといって騒がしくする必要もない。ほどほどの速度で飛び、屋敷に着いたら二方向に分かれた。
 さとり、こいし、燐は亡霊姫の方へ。魔理沙と空は庭師の方に赴くことになった。
 こいしがいないことに若干の不安を覚えるが、それほど時間に余裕があるわけではないのだ。

 空と共に忍び足をしながら縁側を歩く。
 月の光を反射する枯山水の庭を目の保養にしながら、音を立てないように障子を開けていく。
 大きな屋敷なのでもっと時間がかかるかと思ったが、意外にも五分ほどで発見できた。
 庭と接する大きくも小さくもない一室、そこで魂魄妖夢が休んでいた。傍らには随時身に着けている白楼剣と楼観剣の二振りが並べられている。
 出来れば彼女の枕元にプレゼントを置きたかったが、近づきすぎると斬られるかもしれない。

(ここらへんで妥協するか)

 魔理沙が頷くと、空は背負っていた袋から大きな『それ』を取り出した。

「……お空、ちょっと待て。それは……それは、なんだ?」
「うにゅぅ……私にもわかんない。でも、紙にはこれって書いてあるし」
「土台は木だな。パッと見、人型に見えなくもない。でも足の部分はネチョネチョした……魚? ウロコあるし。どうやったら立つんだこりゃって立ったし。理論が分からん。腕は五本あるのか? こっちは見たことない物質で出来てるな。以前拾った『はっぽーしちろーる』に似てるが。頭部は……筆舌に尽くしがたいな。気持ち悪い……」
「ま、まりさ。これ置いて帰ろうよ。きっとここの人なら可愛がってくれるよ」
「それはない。ないと断言する。お空、紙見せてみろ……『辻斬りにはこれを使いなさい』? ……マジかよ」
「えんまさまってセンスがないんだね」
「ああ。びっくりするほど同意だ。さっさとずらかるぜ」

 あまり触れたくないが廊下に放置するわけにもいかない。
 嫌悪の感情を我慢しながら、なんとか妖夢の部屋にプレゼントを押し込んだ。
 だが、如何な半人前といえど彼女は立派な剣客だった。邪な気配を感じ取ったかのように布団が身じろぎし、短く切り揃えられた銀髪がこちらを向く。
 まずい、と一歩下がったとき。
 布団から突き出た細い腕が傍にある長刀――楼観剣の柄を握り締めた。
 金属が擦れあう音が空虚な屋敷内に響き渡り、暗闇の中で楼観剣が鈍く光を反射した。

(――やばいっておい!)

 魔理沙は舌打ちしながらプレゼントを室内へと蹴り飛ばす。
 それを囮にして時間を稼ぐつもりだが、その間に妖夢がかぶっていた分厚い掛け布団が跳ね上がった。
 ――鋭い瞳に射抜かれる。
 けれど交差した視線は一瞬。正体がばれたかは分からない。
 それでも少ない可能性に賭け、放心していた空の襟首を掴んで夜空に飛び出した。
 全力で上空に駆け上がる最中に、妖夢のものらしき悲鳴が背中に届く。
 さとりたちが無事に脱出していることを祈りつつ、冥界の入り口である幽明結界へ急いだ。

 その後、事なきを得たさとりたちと合流し、次なる場所へ行った。







 夜が深まるごとに肌に当たる冷たさが増していく。
 人里の上空。そこで魔理沙たちは地図を確認していた。
 空は地上に降りることを提案したが、今は月明かりが必要であるし里に下りるのは危ない。
 そう言い聞かせ、次の目的地を模索しているところだ。

「残るは永遠亭と命蓮寺、そして紫の寝床か。どう回ればいいと思う?」
「そうですね……妖怪の賢者は後回しにすべきでしょう。どことも離れてますし、何より危険です。荷物は少ない方が宜しいかと」
「でも、私の能力なら今まで通り気づかれないんじゃない? あのおばさんだって」
「あれは化け物です。あれに近寄ると、あたいの毛がぞわぁーっと逆立つんですよ。怖すぎます」
「がたがたガチガチ」
「ふむ。じゃあ永遠亭に行くか? でも、竹林で時間をロスすることを考慮すると命蓮寺の方が……」
「ですが、そうするとここを往復する形になります。それこそ時間の無駄かと」
「お燐の尻尾、カバーが付けられてるね。お姉ちゃんの手作り?」
「そうなんですよ! よく見ると分かりますけど、手編みなんですよ手編み! 貰った時は本当に嬉しくって……」
「……寒いの、もう……いや……」
「急いでる時ほど着き難い。医者が住まう場所として良いんだろうか?」
「存在意義について悩む前に今のことを考えましょうよ。といっても、心の中では行くと決めているようですが」
「それにしても、うちの裁縫係は優秀よね~。サンタの衣装を作れーって言ったら作ってきちゃうんだもん」
「彼女、泣いてましたよ。『こいし様がいきなり無理難題出してきたー!』って。それでもやっちゃうのがあの子のすごい所なんですけどね~」
「私、もう、いや!」
「「「っ!?」」」

 会話の輪に入っていなかった空が突然大声を出した。
 その叫び声はどこか緊迫な響きを含んでおり、魔理沙たちは何事かと彼女に視線を集中させる。
 皆の目の前で、空は自身の能力を操るするために必要な制御棒を右腕に装着した。
 その意図をいち早く理解したさとりは、彼女を押しとどめようと手を伸ばした。

「お空! やめなさい、それは……」
「寒いの嫌なの! もう我慢できない!」

 空が制御棒を真上へ振り上げ、そこで魔理沙はようやく空がやろうとしている理解した。
 おそらく、いや間違いなくここで力を使う気だ。
 眼下には人間の里。こんな真夜中にそんなことをすれば、里を襲撃しに来たと勘違いされてもおかしくない。
 最悪、空が霊夢たちに退治されてしまうかもしれないのだ。
 そんなの――。

「そんなの、やらせるかよ――!」

 自分でも驚くほどのスピードで八卦炉を懐から取り出し、空に向けた。
 すでに空はチャージを始めてしまっている。単なる弾幕ではその制御が失われ、暴走しかねない。
 だからこそ撃つべきは、恋符。現在持ちえる最強のカードで核融合の力ごと空を撃墜する。
 魔力の集中を過去に例が無いほど最速で行った。――こちらの方が早い。
 心の隙間に油断が入り込んだときだった。

「……うわぁ!?」

 生温い風が吹きつける。
 だが、次の瞬間には火傷でもしそうなほどの高熱の壁となって、魔理沙を飲み込もうと顎を開いたのだ。
 彼女が飲み込んだ八咫烏の力を発揮する際に顕現する、言わば副次的な生産物だ。
 魔法による防壁が間に合わず、腕を十字にさせて防ぐという原始的な防御を余儀なくされた。
 産毛の焦げる匂いが鼻にまとわりつく。
 しかもその熱波に押されるように、魔理沙は後退してしまった。
 集中が乱れ、八卦炉に溜まった魔力が空中に霧散する。
 自身の不甲斐なさに歯軋りし、助けを求めるべく他の者に目を配った。

(……駄目か! 全員遠すぎる!)

 絶望的な状況だった。
 空を止められそうなさとりとこいしは自分と同じように押し出され、体勢が崩れたまま。
 常日頃から灼熱地獄跡で活動している燐は耐えたようだが、事態を把握できていないのか、友人の暴挙をただ眺めるだけである。

 永遠のような刹那が通り過ぎ。

「……もっと」

 核融合。人類究極の幻想にして、絶対無比のパワー。

「もっと、熱くなれよおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」

 それが、人里の上空で無情にも炸裂した。








 一見、花火のようだった。
 高く高く打ち上がった炎塊は球形を保ったまま、夜空を瞬く星に迫る。
 だがその途中で呆気なく炎は停止し、落下を始めた直後に破裂した。
 その光景はまさしく花火だった。一つの炎は数百の火となって、それこそ流れ星のように辺り一面に散り堕ちていく。
 そのまま幻想郷を焼き尽くすかと思いきや、それらは突然その動きを静止させた。
 提灯のように揺らめく炎の欠片は、その外見に見合わぬ熱量を誇ったまま、ゆらゆらと空中を漂っていた。

 魔理沙はたっぷり十秒ほどその光景に見惚れ、ふと我に返った。

「お、おいお空! あれは一体なんだ!?」
「新しいスペカ! すっごい力をぎゅうっと縮めて、ばーんって弾けさせたの! これでしばらく暖かくなるはずよ!」
「いや、暖かくって……。ん? たしかに、あんま寒くなくなってきたな」

 手袋を脱いで素手を外気温に晒す。
 ほんの数刻前は冷たいというより痛かった風が、ほんのりと温かくなっているではないか。
 上着が必要なくなるほど暑いわけではないが、春のそよ風のように快適な気温になっていた。

「すごいでしょ? 最近頑張って作ったの! 名前は暑符『フレアフェアリー』っていうのよ!」
「……すごいけどさ。まあ、とりあえず」

 どうだと言わんばかりに胸を張る空に近づき、空の頭部をしっかりと両手で固定する。
 目標良し、位置良し、加減なし。体を後ろへと反らして反らして反らす。
 十二分に力を蓄えたことを確認して。

「? まりさ?」
「教育的指導ぉ!」

 自分の額を、ぼんやりとしていた空の額に思いっきり叩きつけた。
 ごきん、と嫌な音がして、魔理沙の周囲は完全に沈黙する。誰一人として声を上げることはない。
 ひりつくような痛みが額を這いずり回り、若干脳がバウンドしたかのようで平衡感覚がおかしくなった。
 それでも彼女の方が痛いはずだ。覚悟をしていた者といなかった者。その決定的な差が二人の間に横たわっているのだから。
 少しだけ涙が出てきた。
 額を離し、彼女の顔を真正面から見据える。
 空は案の定、今にも泣き出しそうな表情で目を潤ませていた。喉の奥からはかすかに嗚咽が洩れ出ている。
 まだ泣いてないだけ上等なものだ。そう思いつつも、口には出さない。
 霊烏路空は『間違った』ことをしたのだから。

「お前は今、自分だけでなく私たちをも危険に晒した」
「……えぅ」
「ここは地底じゃない。みだりに能力を使えば、それだけ地霊殿にも迷惑がかかるんだ。特にお前の力は」
「ぅぅぅぅぅう……!」
「それと、悪かったな。お前が辛かったことに気がつかなくて」
「うわああぁぁぁぁぁぁぁぁん!」

 魔理沙は空が泣きじゃくるのと同時に、彼女を全力で抱きしめてやった。
 空は抵抗するように腕を振り回すが、それでも放してやるものかと半ば意地になって抱きしめ続ける。
 やがて徐々に抵抗がなくなっていき、代わりに魔理沙の背中にも震える腕が回る。
 空は咽び泣きながら、顔を魔理沙の胸に力いっぱい擦りつけた。これでもか、というほどに。

 魔理沙は空の頭を撫でながら、天を仰いだ。
 後付のような慰めを行うことで罪悪感を消そうとする、自分の弱さに辟易しながら。







 その醜くも美しい場面に、さとりは心を奪われていた。
 ペットの暴走。それを叱るのは自分の役目のはずなのに、ある意味被害者である少女が果たしたのだ。
 悔しさのあまり、唇を噛みしめて俯いた。
 彼女に要らぬ世話を掛けてしまった申し訳なさと、いの一番に謝罪すべき自分がのんきに呆けていたことへの怒り。
 何より、この事態についていけなかった己の無力さが、さとりの心を深く抉った。
 いち早く空の異変に気づいたはずだ。
 主人として、体を張って止めなければならなかったはずだ。

(なのに、私は……!)

 言葉をかけるだけで一歩も動かず。
 魔理沙のようにスペルカードを出すことなく突っ立って。
 叱り諭す役ですら彼女に丸投げして、事の成り行きを見ているだけだった。

 結果的には、大した被害も出なかった。
 空は暖房としてスペルを放ち、冬とは到底思えない気温を演出しただけだ。
 かつて博麗の巫女は長引く冬を異変と捉え、見事それを解決したと聞いたことがある。
 しかし見たところ、空のスペルは里を中心としたせいぜい百数十メートル程度の効果範囲しかない。
 一番敏感そうな妖怪の山には届いていないし、博麗神社もぎりぎり外れているようだ。

――では、これが事件でないと誰が言い切れる?

 さとりはぶるりと身を震わせた。
 単なる異変ならば弾幕ごっこで勝敗は決する。
 だが、これが里を狙った『攻撃』と見なされれば、自分たちは幻想郷の敵となる。
 最悪、地霊殿を取り潰されてしまうだろう。
 あそこに住んでいるペットたちに罪はない。それに、ここにいる四人にも責任を負わせたくない。
 家族が死ぬのは見たくない。死なせたくない。みんな大切な人なのだから。

「――……大切な、人?」

 吐息のような声が、他人の物のように届いた。
 走馬灯のように巡った家族の顔をもう一度ゆっくり思い浮かべる。
 その中に、何故か普通の魔法使いが入っていた。

 しかし、そのことを疑問に思う前に事態は動いていた。

「っ!?」

 さとりの第三の眼が、真下にある人間の里から『意識』を感じ取ったのだ。
 か細い蜘蛛の糸のような薄さだが、この上空に届くということは強いベクトルをこちらに向けているということである。
 しかもそこに含まれている感情は興味と……敵愾心。
 それを理解した瞬間、さとりの体は猛スピードで地面に落ちていった。
 被っているサンタの帽子をしっかりと押さえながら、一目散に『意識』の放たれた家へと向かう。
 加速と重力による体への負荷に歯を食いしばって耐え、その勢いのまま屋内に転がり込んだ。

「な、なんだあんたは!?」
「――ごめんなさい」

 さとりは驚く住人に素早く弾幕を撃った。
 もちろん殺傷力はなく、威力も普通の弾幕ごっこより格段に落としている。
 しかし弾幕ごっこをしたことがないその人はあっさり直撃し、たやすく失神した。

――本当にごめんなさい。

 心の中でもう一度謝罪し、その家を飛び出して走る。
 第三の眼が感じた『意識』――目覚めた者たちを、再び夢の世界へ突き落とすために。




 さとりは幸運だった。
 まず、空のスペルが意外と規模が小さかったこと、誰もが就寝している真夜中であったこと。
 さらに狙われたのは里ではなく強風が吹きすさぶ上空だったことだ。
 妖怪退治を生業とする狩人たちも危険を感じ取れず、結果として起きたのは極少数である。
 それもうっすらと違和感を覚えたくらいで、再度眠りについた者がほとんど。
 故に、偶然にもこんな夜中に起きていて、かつスペルを見た者しか危機感を抱かれなかった。

「……ふう、あと一軒くらいね」

 軽くあがった息を整えながら、さとりは最後であろう家屋に近づき――目を細めた。
 どうやらここは『ハズレ』だったようだ。安心しかけた己に発破をかけるべく、小さく頬を抓った。
 ひりひりと尾を引く痛みが伝った。
 気合を入れ直し、木製の引き戸に手をかける。だが、そこで停止した。
 緊張で神経が焦げ付く。唾も飲み込めない。鼓動がこれ以上になく高鳴る。指先が勝手に動き出す。
 それら全てを精神力で捻じ伏せ、ひたすら待った。
 戸の向こう側にいる、凶暴な気配を持った獣が自ら飛び出してくるのを。

 たった一枚の戸を挟んで両者は息を殺して対峙する。
 自分から動ければどれほど楽だろう。助かるだろう。しかし、さとりには先制攻撃をする利点が無かった。
 それはシンプルな答え。単純に、火力不足である。
 心を読むことで相手の位置と距離をおおよそ把握できる。しかし、相手を一撃で仕留められなければ危険が跳ね上がるのだ。
 だからこそ、さとりは待ちに徹しなくてはならない。攻撃をかわして、その隙を正確に穿つために。
 また、ここは里のど真ん中。
 仮に魔理沙の恋符を使えたとしても、やはり出来ないだろう。
 そんなことをすれば『事件が起こってますよ』と大声で吹聴するようなものだからだ。
 だからこそ、動かない。
 自分は今日里の上空で起きたことを、『無かった』ことにするために行動している。
 六感と第三の眼を総動員し、最小の動きと最低限の弾幕で、屋内にいる強敵を迎え撃つ。

 そして。

「――っ」

 とうとう、敵が動いた。

「おおおおぉぉぉぉ!」
「っ!」

 痺れを切らした敵が、戸もろともさとりを破壊せんと突進してきた。
 頑丈そうだった戸はあっけなく砕け、木端を街道に撒き散らした。その勢いを殺さず、戸を破壊した張本人は振り返る。
 自分の攻撃は当たっていたか。それを確かめるためだったが、それこそさとりの狙い通りだった。
 さとりはすでに敵の懐に飛び込んでいた。
 無論、身体能力でさとり妖怪が勝てる見込みはない。さとりとて、それは承知している。
 しかし、さとりはただ待っているだけではなかった。

「想起『二重結界』!」
「なにぃ!?」

 さりげなく顔を隠しつつ、手の中に生まれたカードを地面に叩きつけた。
 と同時に、さとりを守るようにして正方形の強固な結界が生成され、二重のそれは敵の体を直撃する。
 よもやこれほど早い反撃を受けるとは予想していなかったのか、敵は何の抵抗もなく弾き飛ばされた。

――ここでもさとりは幸運だった。
――あと数日すれば満月だったからだ。

 とはいえ、今宵の勝敗は決した。
 羽毛のように軽やかに舞った敵は呻き声一つ発さず、その体を街道の中央に投げ出した。
 事前に全神経をもって敵のトラウマを読み取っていたのだ。
 さとりは全身全霊を注ぎこんだ三秒の激闘に、たまらず膝をついた。
 肺が求めるまま酸素を送り込み、震えが止まらない手足を叱咤激励するように撫でる。
 そして、ほっと息をついた。
 そのとき。

「よくもやってくれたね。大したもんだよ、あなた」
「っ!?」

 さとりの頭が帽子ごと掴まれ、力強く大地に押し付けられた。
 さらに弛緩していた腕の関節を決められ、さとりは完全に動けなくなった。

「いやあ、慧音も真面目すぎるよね。あんな花火、何の害もないのに」

 まるで知人に世間話をするような気安さだった。
 だがさとりが口を開こうとすると的確に封じることから、彼女もまた友好的な人物ではないということが窺えた。

「だけど一応捕縛させてもらうわ。別に私は警備隊じゃないんだけど、友人を倒されて良い顔できるほど人間が出来てるわけじゃないのよ。ああ、あと何千年生きれば成長できるのかな」

 独白のような台詞で、答えを期待しているわけではないようだ。
 さとりはどうにか脱出しようともがくが、すぐにそれは不可能だと悟るしかなかった。
 トラウマを読んでも口を開けず、弾幕を撃とうとしても寸前に腕を捻られて諦めざるをえない。
 だらりと透き通るような銀髪が目に入る。
 心を読む限り、彼女には余裕はあるが油断は一切無い。最悪だった。

「残念だけど、逃がす気はない。あの花火の意味も聞かなきゃならないし、どうしてこんな時間にいたのかも知りたいし。ま、必要ならあの乱暴な巫女に突き出すしかないわね。サンタクロースさん」

 その言葉を聞いて、さとりはとうとう青ざめた。
 今夜のことが明るみに出れば一巻の終わりである。
 別に閻魔から頼まれたサンタクロースの役割などばれようがどうなろうが構わない。
 しかし、空がスペルカードを使った事実を博麗の巫女がどう解釈するか。
 おまけにさとりはそれを隠すために里の住民を攻撃し、昏倒させていった。
 それは明らかに侵略行動ではないか? いや、間違いなく軽くはない処罰があるだろう。

 ぽたり、と乾いた土に涙が落ちる。
 言葉を発せず、依然動かない身体。未来への恐怖。命の危機。
 この最悪の状況が、さとりをどうしようもなく絶望の淵へと追いやった。


 けれど、さとりは忘れていた。
 ――自分が一人ではないと。


「えいっ」

――がん。

「いだっ!?」


「にゃーっ」

――ざしゅ。

「いったー!?」


「さとりさまを、いじめんな!」

――ごちん。

「うげっ!?」


「すまん、妹紅」

――ピチューン。

「……ぐはっ」



 不意に体が軽くなった。
 さらに何者かに腕を掴まれたと思ったら、浮遊感の後に視点が高くなる。
 立ち上がらされたのだと回らない頭でも分かった。

「いよう、大丈夫か?」
「……え? 魔理沙、さん」

 足に力が入らずふらつく。
 それを、変わらない笑顔を浮かべる普通の魔法使いが支えた。
 そして目をパチクリさせるさとりを、大事な家族たちが取り囲む。
 皆、一様に心配げに表情を曇らせていた。

「お姉ちゃん、ちょっと無理しすぎ! 言ってくれたら手伝ったのに、一人でさっさと行っちゃうんだもん!」
「さとり様、怪我は無いですか!? 痛いところがあれば舐めて差し上げますんで! 合法的に!」
「さとりさまさとりさまさとりさま!」

 こいしが怒る。一人で抱え込むなと。何も出来なかった自分を責めるなと。
 燐が心配する。さとりに傷はないかと。もしあればそこで気絶している人間を八つ裂きにしなければならないと。
 空が泣く。自分の浅慮な行動で迷惑をかけてしまったと。そのせいで主人が苦労したと。

「……みんな、ありがとう」

 堪えきれず、先ほどとは違う意味で涙が零れた。
 家族だと思っていた。大事な人たちだと思っていた。出来るなら生涯手放したくない宝物だった。
 さとりには心が読める。相手もそう考えてくれていると分かっていた。
 でも、それを実際に目の当たりにすると、これほど嬉しいものなのか。
 胸の奥から湧き上がる感情はたやすく防波堤を突破し、余すことなく全身に行き渡る。

 さとりは、あらためて『家族』の価値を知って、泣いた。







「あのー、そろそろいいか?」

 魔理沙は小さな疎外感を振り払うように、四人に声をかけた。
 この美しい家族愛に泥をかけるつもりはない。しかし、いつまでも人里の街道で立ち尽くすのは如何なものか。
 そこで地に伏している里の守護者と竹林の案内人を放っておくわけにもいかない。
 案の定、方々から強いブーイングが起こった。

「何よ、あたいたちが邪魔だっての?」
「まりさ……そんないきなり水をさすようなこと、言っちゃ駄目だよぉ」
「そんなに寂しいならいっそのこと仲間に入る? はいはーい、こいしちゃん魔理沙のお嫁さんに立候補!」

 ……嫁云々はともかく、寂寥としたものを感じたのは事実だった。
 それはともかく、空が徐々に白み始めている。夜が明けるのは時間の問題だ。
 まだ三箇所も回らなければならないので、悠長としている暇はない。
 微妙に焦りながらも彼女たちを説得しようと一歩踏み出す。
 しかしそれを制するように、晴れ晴れとした表情のさとりが声を上げた。

「みんな、行きましょう。迷惑かけちゃってごめんなさい」

 さすがに庇っていたさとり本人からの言葉は大きかった。
 魔理沙に抗議をしていた燐たちもそれには逆らえず、渋々と頷いて準備を整える。
 これで出発できる、と自分も相棒の箒を取り出してほっと胸を撫で下ろした。
 すると。

「……さとり?」

 その手を、さとりが控えめに握ってきた。
 何事かと目を白黒させると、さとりは穏やかに微笑んだまま箒を指差して。

「疲れちゃって。後ろに乗らせてもらってもいいですか?」
「……お、おう。疲れたのなら仕方がない……」

 妙に距離が近いさとりにどぎまぎしつつ、魔理沙は箒に跨った。
 ――夜明けは待ってくれない。









 永遠亭では帰り際に警報装置を起動させてしまったものの、なんとか難を逃れ。
 命蓮寺では何故か聖白蓮以下命蓮寺組が読経しており、不審に思いつつもプレゼントを寝室に置いた。









 そして。
 魔理沙たちはようやく、ラスボスの家に辿り着いた。

「……とうとうここまで来たな。奇跡的にも、今まで見つからず失敗せず。ミッション完了は時間の問題だ」

 ずいぶんと軽くなったプレゼント袋の肩にかけ、魔理沙は神妙に呟いた。
 それに同意するように頷くのは、これまで苦楽を共にしてきた友人たちである。
 その顔はどれも誇りと戦意に満ちており、しかしこれから踏み込む魔境への恐怖も滲み出ていた。
 魔理沙たちは目の前に建っている家を見上げた。

 幻想郷最強と名高いスキマ妖怪、八雲紫の家である。

 普通の日本家屋だった。
 家の周りを囲うのは魔理沙の腰辺りまでしかない石垣。それも長い年月を経ているのか、所々砕けて雑草が顔を出している。
 大きさ、土地の広さも大したことはない。庭は洗濯物を干せて、かつ猫が遊びまわれる程度。
 正直、このレベルの建築物ならば人間の里に紛れていても何の不信感も抱かないだろう。
 だというのに、魔理沙の全身から冷や汗が止まらなかった。

(……くそっ、なんだってんだ)

 魔理沙は不可視の圧迫感に呼吸を遮られ、喉へ手をやった。
 このプレッシャーは今まで訪れたどの場所にも存在せず、また自分が場の雰囲気に飲まれるなど想像していなかった。
 寒さか寒気か、どちらともいえないものが背筋を駆け上がる。
 じゃり、と音がした。
 咄嗟に視線を向けると、自分の靴が砂利を踏んだ音だった。
 呼吸を再開すると、今度は際限なく空気を肺に送り込んでしまう。過呼吸で目眩までしてきた。
 心が折れかけた、そのとき。

「魔理沙さん」

 肩を叩かれた。
 驚いて振り返ると、そこには戦友たちの姿があった。
 古明地さとり、古明地こいし、霊烏路空、火焔猫燐。
 懸命に不安を顔から追い出した彼女たちは、無言で首を縦に振った。
 それを見て、魔理沙はようやく腹を据えた。据えられた。
 鋭い眼差しで目前の家を睨みつける。――すでに恐怖はない。背中は皆に守られている。

「行くぜ」

 ぼそっと号令を発し、魔理沙たちは八雲邸に侵入した。
 サンタクロースとして、プレゼントを渡すために。



 屋内も外観と同じく平凡そのものだった。
 異空間への扉だとかワープ駅だとかどこでもなんちゃらだとか、そういった仕掛けは一切無い。
 といっても、下手に触るとこいしの能力を以ってしてもばれる可能性大なので、紫本人やその式に式の式を探している最中の印象だが。
 それほど広くない屋敷だが、無意識に加えて忍び足をしているため、予想以上に時間がかかっていた。

「(橙には渡し終わった。あとは九尾と紫だが……)」
「(あいつ、溺愛されてるね。最新式の爪とぎ道具がいたるところにあるとは)」
「(お燐、ああいうのが欲しかったの?)」
「(いえいえ。最新刊のニャンニャン通信に載ってたから気になっただけです)」
「(……寒いなぁ。でも我慢しなきゃ)」
「(そういえば、お空って大きな羽が生えてるのにどうやって服着てるんだろ?)」

 という具合に、随時ひそひそ話である。
 もちろん声も聞こえないようにしているが、念には念を入れる徹底ぶりだった。

「(ストップ!)」

 魔理沙が片手を小さく上げて停止を呼びかける。
 みんなそれに従い、廊下の壁に張り付くように息を潜めた。
 かすかに聞こえてくるのは鼻歌と足音。しかもだんだん近づいてきている。
 現れたのは八雲紫の式、八雲藍だった。
 寝間着姿で楽しげに歌を口ずさみながらこちらに向かってくる。
 手には何も持っていないが、しっかりと目を開いていることから、一時的な起床ではなさそうだ。
 外の様子をこっそり見てみる。……まだ日は昇っていない。
 こんな時間から仕事とは、まったく恐れ入る。だが、これはピンチと同時にチャンスだった。

「(ちょうどいい。さとり、藍の頭からあいつの部屋と紫の部屋が分かるか?)」
「(待ってください……はい、分かりました。私が案内します)」
「(よし、頼む……)」
「ん?」
「「「っ!?」」」

 なんと、藍は魔理沙たちの脇を素通りしかけたのだが、訝しむように鼻をひくつかせたのだ。
 魔理沙たち五人の心臓が絞られたかのように収縮し、目を大きく見開いた。
 周囲を警戒するように視線を巡らせる藍に、一同は緊張しながら次なる挙動に注目する。

「……ふん、気のせいか」

 しかし、藍は首を傾げながらもそのままどこかへ行ってしまった。
 荒れ狂う動悸を静めるために深呼吸を数回してから、さとりに先頭を譲る。
 さとりは首肯して九尾の部屋に向かう。しかし心の中では深い感動の余韻に浸っていた。
 先ほどの一瞬、皆の心が一つになっていたのだ。

――もうやだこの家、さっさと爆発すればいいのに。






 藍の部屋にプレゼントを放置して、ようやく本番のスキマ妖怪。
 さとりが読んだ限りでは、八雲藍は必ずあと一時間は八雲紫の部屋には近づかない。
 朝食の支度や掃除で忙しいのだが、それ以上に紫は朝に弱いのだ。
 いくら揺さぶっても殴っても起きることはない。なので、彼女が自然と目覚めるまで待つしかないのだという。
 その間に働き者の九尾は朝食、掃除、洗濯物、布団干し、洗い物、結界のチェック、見回り、買い物を行うらしい。
 それが終わったら自分の式を起こし、その後紫の様子を見に行く。
 故に、猶予は一時間。
 それだけあれば充分でもあったが、なるべく早く終わらせて帰りたい。
 それが魔理沙たちの総意だった。

 さとりはある襖の前で止まった。
 そして魔理沙に目線をやる。それだけで意味が分かった。
 魔理沙は恐怖と戦いながら、できるだけ優しく襖を引いた。

「あらぁ、ずいぶんと遅かったわね」
「!?」

 その言葉と共に、魔理沙は何かに引っ張られたかのようにつんのめった。
 それはさとりたちも一緒なのか、まるでドミノ倒しのごとく魔理沙の上に重なり合う。
 苦しい、と思う暇もない。
 手を伸ばせば届く距離に、件の八雲紫が優雅に佇んでいたのだ。
 いつものようにスキマに座り、無様に転げた魔理沙たちを見下ろしている。
 口元は扇子で隠しているが、彼女は明らかに笑っていた。
 間抜けな侵入者を嘲笑っているのか、あるいは閻魔に踊らされた滑稽な道化を冷笑しているのか。
 それは本人にしか分からない。

「ずいぶん若いのね、サンタクロースさんたち。そろそろ世代交代の時期なの?」
「……ああ、私たちは爺さんの足元にも及ばない未熟者でな。五人でようやく半人前なのさ」
「ふぅん。妖夢ですら一人で半人前なのにね」

 紫はますますおかしそうに笑みを深める。
 どうやらこちらをサンタクロースとして扱うらしい、というのは分かった。
 茶番のような会話だが、彼女が乗っているうちは安全だと信じるしかない。

(さとり、体勢を立て直すぞ)

 語りかけるように心で呟くと、魔理沙の上に乗っていた重量が消えていった。
 さらに姿勢を正す時間を稼ぐため、なるべくゆっくりと言葉を口にする。

「良い子は寝てる時間だ。なんだって今日はこんなに早起きなんだ?」
「何故かって? 私は貴方達をずっと待ってた。つまり、今日はまだ一睡もしていないのよ」
「なんだって?」

 ということは、紫は予測していたというのか?
 閻魔のプレゼント企画を知る者は関係者以外にいないはず。いや、その境界を操る能力で聞き耳を立てていたのか。
 相変わらず反則的だ、と嘆息するほかなかった。
 すると、紫は勝ち誇るように両手を広げ、宣言した。

「サンタクロースは実在する! 私は誰も出来なかったことを、とうとう証明したのよ!」
「「「な、なんだってー!?」」」

 驚きのあまり、思わずテンプレのような反応をしてしまった。
 紫は構わず続ける。淡々と、けれど確かな苦労を切々たる声色で。

「サンタクロースの存在を知ったとき、私の心は猛りに猛ったわ。誰にも気づかれず、良い子を的確に判別してプレゼントを渡す者。まるで私の境界……いえ、間違いなくその上位互換の能力だと! いくら私でも行ったことのない場所にスキマは開けない。けれど、サンタは見知らぬ子供を良い子悪い子判別して、わざわざ見つかりやすいトナカイソリで空を移動……ロマン溢れるわ」
「(……真に迫ったジョークだと思うんだが、お前らはどう見る?)」
「(彼女は今達成感と幸福感に満ち溢れてます。どうやら本気でサンタクロースを信じているみたいですね)」
「(これはないわー。痛い子ってレベルじゃないよ)」

 ぼそぼそと会話する魔理沙たち。
 しかし、紫は見向きもしなかった。

「さっそく捕獲作業に移ったわ。私の部屋にまんべんなくスキマを敷き詰めたり、サンタが来そうな子供の家を張ったり、サンタの住処を世界中回って探したり、存在するすべてのトナカイをマーキングしたり、その他諸々若さにまかせて無茶したわねぇ……でも、とうとう捕まえた! サンタは私の手にあり、そして何より欲しかった物を手に入れた!」
「(お空、こういう大人になっちゃ駄目だからね?)」
「(うにゅぅ……お燐、いくらなんでも馬鹿にしすぎだよ。こんなの氷の妖精だって笑うレベルじゃない)」
「ちょっと貴方達、聞いてるの!?」
「「「はい、聞いてます!」」」

 機嫌を損ねたらどうなるか想像に難くない。
 魔理沙たちは口をつぐみ、熱弁をふるう紫に注目する。
 それを満足げに見つめ、紫は搾り出すように驚愕の言葉を口にした。

「サンタが来たということは! この、八雲紫は! 自他共に認める『良い子』なのよ!」

 これには「な、なんだってー!」という言葉も出てこない。
 魔理沙たちはただただ絶句し、喜びに舞い踊る紫を呆然と眺めるしかなかった。
 だが、それも束の間。
 紫は立ち竦む魔理沙に、何故か手を差し出した。

「はい」
「……? なんだよ、この手は」
「なにって。貴方達、プレゼントを渡しに来たんでしょ?」

 まるで幼子のように素朴な笑みを浮かべる紫。
 そこで魔理沙の脳が活動を再開した。たしかに、肩にかけた袋には紫用のプレゼントが入っているはず。
 魔理沙は袋に手を突っ込みながら、みんなに目配せをした。

――これを渡せば生きて帰れるかもしれない。

 その意図を正確に受け取った四人は、まったく同時に頷く。
 残り少ない袋の中身はたやすく『それ』を掴ませ、その姿を現した。
 しかしそれを見た五人は、これまでにない虚脱感と絶望に襲われた。

  防 臭 靴 下 (婦人用)

 それは蜘蛛の糸から縄のロープまで太くなった生還の道を、完全に断ち切るプレゼントだった。
 ある意味、予測しうる事態だったかもしれない。閻魔のセンスは今までのプレゼントにもしっかりと表れていたのだから。
 けれど、なにも最悪の人物の前でそれを発揮しなくてもいいではないか。
 ここまで来ると、もはや天然というより兵器である。

「……いや、これが閻魔の計画だったのかもしれない」
「……どういうこと?」
「邪魔な奴を、自分の手が汚れないように始末する。きっとそういう魂胆だったんだよ……」
「……そうだね。同感だよ」
「……温泉卵、もう食べられないのかぁ」
「……みんな、三途の川は一緒に渡りましょう。きっと遠足気分よ……ふふふ」

 誰も彼もが魂の抜け落ちた声でやり取りする。
 そこに、何の希望もなかった。

「ちょっと~、何話し込んでるのよ。プッレゼッント、プッレゼッント!」
「……はい、八雲紫さん。あなたのプレゼントです。メリークリスマス……」

 魔理沙が完全に生気の消え失せた『それ』を紫に手渡す。
 子供のように喜色満面だった紫はそれを受け取って、途端に顔を強張らせた。
 ぷるぷると『それ』を持つ手が震える。あと少しでも力を込めれば袋が破けるのではないか、というくらいに。
 そしてぶち殺しの眼差しがこちらを向いた瞬間、魔理沙は命を捨てた。放棄した。
 はは、と乾いた笑いが漏れ出す。ピントがずれたかのように視界がぼやける。

 両手を温もりがそっと覆った。
 何事かと半笑いで見ると、まったく同じ表情をしたさとりたちが、手を握ってくれていた。
 みんな一緒だ、と。あの世にも一緒に逝こう、と。
 その心意気と優しさに無限の感謝と無窮の信頼を捧げて。

「……貴方。こっちを見なさい」

 はい、と蚊が鳴くような声を出して、死神の方を向いた。
 死神は、満面の笑みだった。

「ありがとう!」
「はい……え?」

 何故か、心底嬉しそうに『それ』を胸に抱きながら頭を下げられていた。
 混乱の極みに陥った魔理沙は、目の前の光景が偽物ではないかと目を疑った。または、自分はすでに死んでいるのではないかと生存を疑った。次に、これは彼女の演技ではないかと真実を疑った。最後に、これは妄想ではないかと正気を疑った。
 けれど、何度瞬きしても変わることはない。
 まことに信じがたいことだが、これは現実だった。
 魔理沙は恐る恐る紫に尋ねた。

「あの、ありがとうって?」
「これよこれ! これが欲しかったの! この頃足の匂いが気になってたんだけど、藍たちの手前、防臭靴下を買ってくるのは恥ずかしいじゃない? だから霊夢の神社に行くのもやめてたんだけど……これで堂々とコタツに入れる!」
「あ、そうですか。それは良かった。じゃあ帰ってもいいですか?」
「いいわよ~。あ、そうだ! ついでだから送ってあげる。ソリはどこ?」

 ソリ? と疑問に思ったが、紫の話を思い出して合わせることにする。

「近くの森に隠してあります」
「そう! じゃあまた来年ね! 私、楽しみに待ってるから!」

 紫が扇子をパチンと鳴らすと同時に、足場が消失した。
 スキマに呑まれたのだ――と理解した時には、すでに尻が地面についていた。

「……あ?」

 そこは森だった。
 膝頭まで伸びた雑草に、小さな虫がそこらじゅうにいる。頂点辺りを白い絵具で塗りたくったのかと思うほどに明るい木々。
 瘴気や化け物茸がないことから、魔法の森ではないことは確かだった。
 となると、紫が言っていた通り、ここは八雲邸を囲む森のどこかなのだろう。
 ぼんやりと周囲を見渡すと、そこにはアホみたいに口を開けて呆然とするさとり、燐、空、こいしが座っていた。
 やがて見られていることに気がつくと、目をパチクリと開いて閉じる。

「……私たち、生きてる?」

 誰かが言った。

「……生きてる、と思いたい」

 誰かが答えた。

 それを何回も何十回も繰り返して。

「私たち、生きてるよな」
「うん、生きてる」
「生きてるわよね」
「生きてるんだ」
「生きてる!」

 そしてみんな一斉に息を目一杯吸い込み、

「「「生きてるぞー!」」」

 叫んで、ついに歓喜が爆発した。

 空を見上げれば、そこはすでに真っ青に染まっており。
 顔を出した太陽は魔理沙たちを祝福しているかのように、微笑んでいた。










 ◆




「いやー、大変な目に会ったな。寿命が十年くらい縮んだ気がするぜ」
「私は百年縮みましたよ。最後なんて、声も出さなかったですから」

 魔理沙とさとりは地底の入り口前で立ち話をしていた。
 仕事を終了したので満場一致で帰宅となり、魔理沙は彼女たちと一緒にここまで来ていた。
 ちなみにこいしとペットたちは『疲れた』と言い、我先にと地霊殿に帰っている。
 さとりは魔理沙を見送るためか、最後まで残っている。

「でも、今思えば楽しかったぜ。貴重な体験だったしな」

 魔理沙は今回のことをそう締めくくり、さとりに手を差し出した。
 さとりも笑顔でそれを握った。ありがとう、お疲れ様、助かった、さようなら……色々と詰まった握手だった。
 箒を取り出し、横向きで乗る。
 挨拶は終了した。あとはこのまま霧雨邸に直行し、風呂で汗を流して夜までぐっすり寝る。
 心身疲れきっているようで、まだまだ狂乱の宴に顔を出していたい。そんな不思議な気分だった。
 最後にもう一度さとりに向かって笑いかけ、

「じゃあな。メリークリスマス」

 勢いよく飛び出そうとしたとき。
 スカートが軽く引っ張られる感覚がした。

「……どうした?」

 さとりがスカートを控えめに掴んでいた。
 その顔は心なしか朱に染まっており、見られたくないのか顔を伏せている。
 まだ言ってないことがあったのか、と魔理沙は推察し、箒を近くにやった。

「なんだ、言い足りないことでもあるのか?」
「あの……その、ですね……」
「ん~? 悪いが聞こえん。もうちょっと大きく言ってくれ」

 ぼそぼそと口ごもるさとりに、より耳を寄せる。
 さとりは決心がついたのか、息がかかるほど近距離に顔を近づけて、言った。

「クリスマスパーティやるんです!」
「……はぁ。そりゃ、クリスマスだし」

 道中でこいしが嬉しそうに話していたのを思い出す。
 今日は博麗神社でも夜から大宴会だし、何も不思議じゃない。
 ただ、何故さとりがそれを言い出したのか。
 さらなる質問をぶつけようとするが、限界と言わんばかりに真っ赤な顔で首を横に振った。
 これ以上は自分で考えろということか。
 そう判断して思案を巡らせる。……五秒ほどでそれらしい答えが見つかった。
 ちらりとさとりに視線を向けると、変わらず恥ずかしそうに顔を伏せている。
 紫の家で元気付けてくれたさとりはどこに行ったんだろうか、と疑問に思った。
 でも、強いさとりも弱いさとりも、どっちも本物のさとりなのだろう。
 強いさとりはとても心強く、弱いさとりはこんなにも可愛らしい。
 それでいいじゃないか、人間だもの。いや、妖怪か。

「さとり」
「……なんでしょうか」
「クリスマスパーティ、私も参加させてもらっていいか?」
「……条件があります」

 なんだ、と問いかける。
 するとさとりはそろそろと箒を指差して、こう言った。





「後ろに乗せてください……寒いので」



 おう、寒いなら仕方がない――。












 文々。新聞  十二月二十五日 

『サンタクロースが幻想入り!?』

 幻想郷各地でサンタクロースが確認された。
 サンタクロースとは、博麗の巫女のようにおめでたい紅白の服を着ながらプレゼントを配り歩く白髭の老人である。
 その姿を見た者は心臓発作を起こして神隠しに遭うという噂がある人物なのだが、彼は年齢はおろか人間か妖怪かすら知られていない謎の男性だ。一つだけ確かなのは、彼は良い子の家を訪れて枕元にプレゼントを置いていくのだという。残念ながら記者は、見たことも会ったこともない。
 そんなサンタクロースが、今年大いに猛威を奮ったという報告が入ったのだ。
 被害者の数は確認されているだけで十五人を越えている。今後も増える可能性はあるだろう。今回の新聞ではその中の、ほんの一部を紹介していく。さらなる詳細を知りたい人は定期購読をお勧めする。
 最初に紹介するのは、紅魔館の十六夜咲夜。彼女は本らしきものを貰ったようだが、それを読んだ瞬間に泣き出したらしい。何か深いトラウマを抉られたようだったと妖精メイドたちは話している。主たちが必死で慰めているが、どうにも効果は見られない様子。紅魔館は現在機能停止状態だそうだ。
 次は白玉楼の魂魄妖夢。クリスマスの夜から異形のストーカーに追われてるとのこと。「斬って斬って」とせがみながら迫り来るストーカーは、斬られたら喜んで無視されたら寂しそうに上目遣いするらしい。亡霊姫はその姿にショックを受けて寝込んだとの情報が入っている。
 そして人里の上白沢慧音と藤原妹紅は、里で一番の熱々カップルになった。なんとこの寒空の下、朝まで抱き合って寝ていたらしい。本人たちは「サンタクロースに襲われた!」と主張しているが、誰もそれを見た人がいないので嘘か真かは我々が決めればいいと思われる。
 また、人里で大きな花火が打ち上がって真夏のような気温になったという証言を得たが、こちらも残念ながら見た人間がいなかった。これだけは、サンタクロースとの関係性が不明である。
 八雲紫氏はなにやら凄い勢いで論文を書いていると八雲藍氏から聞き出すことが出来た。内容はまだ秘密だそうだが、サンタクロースに関するものだと推測される。彼女の今後に注目である。


 少し列挙しただけで新聞の一面を飾れるようなネタばかり。どうやら、サンタクロースは私にもプレゼントを与えてくれたようだ。彼が幻想郷の敵か否かは分からない。ただ、一つだけ言わせてもらおう。


 メリークリスマス!
どうも、ごはんつぶです。
今回はサンタクロースなお話でした。読んでくださった方に最大級の感謝を。
クリスマスはどうだったでしょうか。私? 聞かないでください。
三作目で文章を書くのにも慣れてきましたが、まだ不安一杯です。なのでコメントいただけると嬉しいです。

それでは、ここまで読んでくださってありがとうございました!
ごはんつぶ
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コメント



0.1980簡易評価
6.80名前が無い程度の能力削除
緊張と緩和のバランスがいい


>その他諸々若さにまかせて
え?
7.100名前が無い程度の能力削除
さとまり!
最後まで面白く読めました
8.100風峰削除
こんな地霊殿&魔理沙を待っていた! 面白かったよ!
ハッピーメリークリスマス!!

……過ぎてるーーー!!?
9.80奇声を発する程度の能力削除
面白かったです
11.100名前が無い程度の能力削除
理想型です
29.100名前が無い程度の能力削除
面白かったよ、しかし…

こんなサンタで大丈夫か?
33.80名前が無い程度の能力削除
少し展開が急だったり無理があると感じる場面もありましたが、ネタの造りや微笑ましい場面は面白かったです。私的に思ったことで言うのははばかられますが、展開の波が粗いと思いました。ギャグとシリアスの境界が曖昧で、うまく話を感じ取ることが出来なかったです。伝えたいこととやりたいことをはっきりさせるのが吉?などと長々と失礼しました。
37.100名前が無い程度の能力削除
幻想郷にサンタが来ることは2度と無さそうだwww
ハードってレベルじゃねぇぞww
41.80名前が無い程度の能力削除
ギャグとシリアスのレベルは高かったけど、バランスがちょっと悪く感じました。
48.100名前が無い程度の能力削除
これはハードサンタですか?いいえルナティッククリスマスです。