戸口で対面するなり、白い吐息の火花が散った。
「相変わらず面白くない顔してるね」
「相変わらずふざけたお顔ですね。この寒い中わざわざ歩いてきたのです、表情が渋くて当然でしょう」
「ご自慢のペットに車を引かせたら? 偉いんだからさ」
「生憎馬や鹿はいませんので。可愛い子に外で重労働はさせられません。貴方ならともかく」
また始まったと、通りの誰かが思念でぼやいた。喧嘩っ早さに酒気の加わった小鬼が、やっちまえ勇儀さんと拳を上げる。私は振り向いて、
「酒屋のツケを忘れてはなりませんよ。期限は今夜まででしょう」
にこやかに浅い記憶を抉った。懐中時計の鎖を鳴らす。きら雪の積もる髪を、毟るように撫でられた。手枷が激しくじゃらついた。
「うちの可愛いのを脅すな。入りなよ、つまんないお説教があるんだろう」
「ええ、覚悟してくださいね」
邪魔者を片付けるように、暗い家内に押しやられた。暖のない一階は、氷を研ぐ冷たさ。いつもの冬に、私は苦笑した。
旧都四天王、星熊勇儀。
地霊殿の主人、古明地さとり。
私達は、非常に仲が悪い。
梯子のような急勾配の階段を、布鞄を引いて上った。酒瓶も荷物にあるから、用心して手をつく。斜め下から、のろいねと声がかかった。
「たまには運動しなよ、ひ弱はますますもてなくなる」
――不健康ここに極まれり。骨が透けそうだ、情けない。
――ゆっくりでいいよ、競争じゃなし。気をつけな。
彼女の喉と心は、一致しながら食い違う。共通の箇所が残る。差異は奥底に潜っていく。水面に浮かぶ羽根と、沈む錘を想像する。軽いものだけを覚っていれば、私達は不仲で平和だ。
世の中が、煙や羽毛や雪の切れ端でできていればいいのに。願って襖を開ければ、火鉢と炬燵が待っている。重たくて、到底浮上しそうにない。意外と器用な彼女の活けた、小菊と金柑の水盤も鎮座する。
大丈夫、私は喜んではいない。ばれてもいない。上達しませんねと冷評して、天板に持参した書類を並べた。灼熱地獄跡の運営報告、是非曲直庁からの定期連絡、守矢神社との往復書簡、怨霊管理表他。正座する私の右はす向かいに、彼女は胡坐を落とした。私の出さなかった荷を、横目で眺めている。
「酒当番、用意しようよ。杯はあるからさ。半素面で文字の読み合いはきつい」
「前回は貴方の火酒の所為で、まともな会合になりませんでしたから。さっさと終わらせて飲んでください。怠惰は堕落の第一歩です」
「私は私で働いてるんだけどねえ。まとまったらあんたも一瓶空けなよ、鬼の礼儀にも従いな」
――こいつは変なところで生真面目でいけないね。宴の味を知らない。
――会議終了即帰宅は勘弁して。楽しみにしてたんだよ。
困ったひとだ。最も重要な文書を、お札のように押しつけてやった。
「核融合発電、都全域に回す許可が出ました。貴方の署名で工事が始まります。念のため、条項をご一読ください。あとはほぼ普段通りです、頑張りましょう。お酒は付き合いますから。別の手土産もありますし」
「え、何」
身を乗り出す彼女を制止して、鞄を後ろにやった。
「気になるなら目と手を動かしましょうね。墨も磨らずに何をしていたのだか」
「上手くならない生け花を少々。筆よかまだ色気がある」
――詩歌より感覚と実践ってね。華道がわかるんだ、その先も理解しろ堅物。
――凄く浮かれてた。歓迎したいんだ。力作だったんだけどな。
硯の埃は一ヶ月分。前に私が使わせたきり。彼女は綴るよりも、話して想う。花活けに用いた水で、適当に書の準備を始めた。手抜きの試し書きは、健やか伸びやか。褒めると調子に乗るから、教えてやらない。
電気式の行灯を寄せて、彼女は約束文を読み進めた。責任者や緊急時の項目で、胸が止まった。大半は、地霊殿と山の範囲で収まっている。災害や不祥事の始末は、私と神社の担当。恩恵にあずかる旧都社会は、承認さえすればいい。厄介事は放っておける。
――幸運。でも待て、いざというとき口出し不可? 鬼の譲った妖怪の山相手だから、さとりが関係を薄くした? 私らに不利かも。
――これ決めるの、こいつ相当無理したんじゃ。旧都にエネルギーは欲しいけど、明るければ治安よくなるけど、あー。
思考がぶつかり合って、署名欄が空白になった。彼女と私の責務を同等にせよとの、要望書が認められた。ろくに乾かぬうちに、再提出と手渡された。
「要らない計算を。本当に不利益を呼びそうだったら、私が貴方に伝えますよ」
都市と古明地は、互いに関わりながら独立している。覚り妖怪への敵意と恐怖心は、一般住民の団結に役立っている。真に街の安寧を思うなら、高慢な私の施しを受けるべきだ。不快な隣人の塩は、地底を発展させるだろう。
(無茶もしなかった)
読心面談ならば、私に負けはない。二、三の穏和な指摘で通せた。
「猫と鴉が暴れた後だ、私もつけるのが筋」
「不信ゆえですか、なるほど。送っておきます。多分いい返事を得られますよ」
得させる。彼女に有利で、地下の均衡を保てる形で。
星熊勇儀は輝かしい一個人で、危なっかしい長だ。一対一の正義を、集団にも当てはめようとする。ひとが増えれば、曲がらなければいけない状況も生まれるのに。真っ直ぐは、愚かで羨ましい。誰もができることではないから。濁らせたくない。
怨霊の警備隊を派遣させろ。私が行くのもあり。河童と天狗はともかく、新参の神と交渉はさせろ。情の滲む乱暴な命令を、冷淡にあしらった。書面争いに疲れた彼女の、
「ああ可愛くない奴」
正直な文句で仕事の話は完結。
「愛想がないのは生まれつきです。欲しくもない」
素焼きの深杯に、無銘の赤葡萄酒を注いでやった。自家製かと問われて、半端に頷いた。貰い物に、台所で一手間加えた。砂糖と肉桂、生姜、八角、レモン。林檎も混ぜた。アルコールが飛ばないように煮て、寝かせた。
「冷やしたままでも。温めると身体に効きます」
一口舐めて、彼女は火鉢に器を埋めた。勧められて、私も加熱を頼んだ。
「薬草酒を果実酒で割ったような感じ。覚えてる、昔もあんたに飲まされたっけね。冬場の風邪予防だって」
「鬼の知らない西洋の知恵です。美味しいばかりがお酒ではありませんよ」
「確かに盛り上がる味じゃないね。ちびちびやる系統」
――もっと酔っ払えないもんかね、湿っぽい。
――これはこれで。のんびりやれるか。味付け変えたのかね、前の方が旨かった。
彼女の味覚は鋭い。私はレシピを弄った。香辛料を足して、より薬に近付くように。私といても、上等な酒宴にならないと思い知らせる。自然に離れさせる。もう来るなと言わせれば、こちらのもの。
――まーだーかーなー。旧版で作ってくれないかな、今度の集まり。
――新年の挨拶、招待してみるか? 立場抜きでやりたい。
こっそり肩を下げた。このひとは、全然わかっていない。角先で酒器の位置を調整し、
「さとり、手土産って何」
寄越せと炬燵布団をはたく。手を取られそうで怖かった。急いで品を触れさせた。肌が、次いで他の五感が想起した。障害物のない炬燵板に、綺麗に据えられた。
針葉樹の板を加工した、特殊な木箱。縦にやや長い直方体。上三分の二は、簡略化されたもみの木一本。下三分の一は、二十四個の引き出し。古数字で番号がつけられている。十二月になったら、一日一個開ける。中のオーナメントを、緑の樹に引っ掛ける。明日、二十四日でツリーが完成。異邦の聖者の降誕祭を迎える。
――アドベントカレンダー。
一月に満たない暦表の名を、彼女は思い出していた。かつての、箱の在り処も。
地上の家で、私とこいしが遊んでいた。私達姉妹の仕えていた、西方妖怪の形見だ。地底移住の前後に、彼女と装飾したことがある。
古明地家の十二月は、熱いワインと神様の月。瞳の力も合わせて、鬼と相容れるはずがなかった。
彼女は戸惑っていた。
「土産で済む道具じゃないよ、これは。いいの? 私が貰って。うあ、ちっとも飾っちゃいないし。二十三日だってのに」
「持ち運ぶのに、小物が落ちては大変ですから。先日、家族に新品を贈られました。妹や皆は、お菓子入りの甘いカレンダーがいいそうで。倉庫で眠らせるのも何なので、貴方に」
小指ひとつ分、彼女の側に進めた。戻された。
「その程度のものなのか」
怒声は低く、耳から私を圧迫する。表層は、遺品のぞんざいな扱いに憤っていた。深層は、己と過ごした日々の放棄に落胆していた。
供養すれば、物体に精神は宿らない。時節の感情をなすりつけるのは、ひとの悪癖だ。
「その程度のものですよ」
いちいち、倉で出会いたくない。不注意で壊されたくもない。彼女辺りに任せるのが、好都合。
持たせたい。
激昂して、追い出してくれないだろうか。事務的で険悪な、最低限の連携で安定させる。四天王が覚りをしっかり敵視すれば、地下世界にひびは入らない。現状が完璧になる。
「渡すなら今日らしくしなよ。飾りつけよう、二十三個。いや、日付を越えて二十四個になるかな」
――珍しい酒の肴だ。許してやる。
――あんたが捨てても、私が毎年やっておくから。手入れもする。
彼女の澄んだ心は、私を裏切って悩ませる。光るものは、溢れるほど与えられた。今以上に、幸せにしなくていいのに。
熱した香酒で乾杯させられた。オーナメントの箪笥を、一日ずつ交互に開けていった。
十二月一日、藁の花束。
私達は、同じ妖怪の山で暮らす他人だった。
妹と私を拾い雇った老妖が、晩秋に逝った。第三の瞳を愛で、家事や戦闘の基礎を叩き込んだ恩人。死後、弔問客の多さに驚いた。声を失って隠居するまでは、精力的に活動していたそうだ。ただ、義理の遺族が覚りと知るや、来訪者は去っていった。
西洋風の一軒家に、閑古鳥が鳴く頃。四天王を代表して、彼女が弔いに現れた。鬼退治対策に追われて、訪問が遅れたという。読まれたくない、貧乏くじ引かされたと素直に嘆いてもいた。山の主の威厳は何処へ。哀れだったので、なるべく中身を覗かないようにした。淡々ともてなして、献花の糸水仙を鉢に盛った。人間のいない、安全な帰路に導いた。
無愛想、可愛げがない、けれども悪い奴ではない。怯んでごめん。彼女は私を認め、新天地に誘った。
何百人、何千人と守る。零さない、ついて来い。うっかり、眩しい意志を直視してしまった。愚直で格好悪い彼女が、鬼の頂点にいる理由を感じ取った。
十二月五日、金塗りのベル。
彼女に、妖怪の転居の手伝いを依頼された。第三の視界で、人のいない道を確認。預かった河童の通信機で、護衛の彼女に伝達。混乱を防ぐために、覚りであることは隠した。明かしたがって渋る彼女を、辛く諭した。こいしは便利屋扱いを厭い、動物と新居に籠もった。
宵の山道に、電磁波の声が飛び交っていた。
「南西に移動してください。沼の抜け穴を使いましょう。古井戸の通路を塞がれなければよかったのですが」
「小鬼を立ててたんだけどさ。狩りとぶつかって逃がしたんだよ」
「で、お偉い貴方が地上勤務と。お疲れ様です。力量と地位を比例させるのはどうなのでしょうね。下が荒れますよ」
「あっちにも指導役は置いてる。皆自分のできることをやってる、それだけだ」
お前も喋りが偉そうと、雑音で擦れて聞こえた。彼女といる妖衆の娘が、無邪気に質問していた。ほしぐまさん、だれとおはなし?
「仲間」
陽気な返答で、便利屋も悪くないと思えた。
夏の夜雨で、機械の音声が潰された。耳を澄まして、異変を感知した。
罠。先行け。戻ってくるな。通信が弱まって、切れた。最後は手首の金枷の、呼び鈴めいた音しか聴こえなかった。他所に害が行かぬよう、わざとうるさく招いている。鬼の猛者のしるし。
負傷していても、村単位の人間に襲撃されても、彼女なら勝てるだろう。巡回鬼に救助されるかもしれない。私も、速やかに避難すべき。
でも、万が一のことがあったら?
初めて仲間と呼んでくれたひとを、見捨てたくない。
沼道に向かって飛んだ。赤い瞳を凝らして、周囲の気配を探った。雨中に猟師はいない、
――全員助かった? 渡し守は美人がいいね。
大掛かりな追儺の術に、生気を吸われる彼女はいた。脚に焼ける紋が上って、立てずにいた。移住経路を読まれて、設置されたのだろう。会話機は泥のように融けていた。
「死神の選り好みができれば平気ですね。帰りますよ」
「さとり」
私は感謝され、怒られた。
「先に行ってな。鬼の命令だ、従え」
下手するとあんたにも伝染るよと、警告された。彼女が推測するに、古代の結界の再現か、怨霊をねじ曲げた縄とのこと。耐えているけれど、内側は激痛を訴えていた。皮膚と骨の、双方から火傷をしていくかのよう。
――地獄の手前で霊とはねえ。つくづく運がない。
「霊害であれば私が解呪できるでしょう。人は接近したら倒します」
「言うこと聞こうよ、あんたが危険に」
「貴方の指示は受けません。苦情は全快してからどうぞ」
地底の廃獄に巣食う難題、怨霊。彼らは私とこいしを恐れ、逃亡したり従順になったりした。彼女を捕縛しているのが、青黒い悪霊ならば、
「繋がりました。術を内部から削らせます」
凝視して、強制的に剥がす。焦げた縄目が、肌から抜け落ちていった。進みは芳しくない。小鳥が餌を食むような速度。雨滴が汗を拭った。痛みが和らいでいくのは読めた。
外さない金輪の手で、彼女が私の髪を梳いていた。胸中は乱雑、燃えて弾けていた。生意気、宴会で絶対ぶちのめす、妹が心配してるぞ、自分が恥ずかしい、なってない、救われた、強くなりたい、
――けどまあ、
「よかった、あんたがいて」
ぬかるみに、様々な雫が落ちた。彼女の鈍さが有難かった。
鎖つきの手のひら時計は、彼女の枷に憧れて入手したのかもしれない。
縁の下の力持ちは、密やかに解任されるもの。目立てば損をする。表役者の彼女は、作法を無視して私を紹介した。拍手も礼金もなく、視線の罵声を浴びた。広場の隅で、一部始終をこいしが視ていた。
十二月十日、雪の結晶。
十二月十一日、片角の取れたトナカイ。
十二月十二日、割れ蝋燭。
十二月十三日、曇った鏡のビーズ。
黒い猫と痩せ鴉、今日のお燐とおくうに騒がれて起こされた。妹の、覚りの面が死んだ。眼球は喪服の色をしていた。
予測できていたから、慌てなかった。泣かなかった。老いた妖のときと変わらない。薄情者だと自嘲した。
死者不在の葬儀に、ただ一人。彼女が見舞いに来た。かまどを占拠された。燗酒と、和風の酒肴を詰め込まれた。大雑把に掃除をされた。アドベントカレンダーが、昨日のままだと言われた。細工物を吊るして、徐々に悲しみを自覚した。私は、傷口を深部に追いやっていた。亀裂は、平時の務めに淡く浮かんでいた。
慰めは、市街の騒動で中断された。新たな都の治安は、住民の諍いと怨霊の難で悪化していた。彼女に乱闘の場を告げ、私は霊の鎮圧に赴いた。
「また飲もう。空気が不味いけど、直によくするから。正面以外の声は放っとけ」
「とっくに立ち直っています。お構いなく。貴方こそ、不用心な真似をしないように」
全方位から、目を瞑っても悪口が襲いかかる。灼熱の怨霊は、覚り妖怪が操っているのではないか。鬼神に牙を剥いて、下の世を支配する気か。四天王を籠絡しようとしている。星熊さんは誰にでも親切だから。だが、それで騙されては。信用ならない。どうにかできないのか。
疑念と実害が彼女に及ぶのは、避けたかった。あのひとは、理想を貫くべき。笑いと祭りの中心が似合う。
怨霊の制御を通じて、私は是非曲直庁と縁を持った。閻魔経由で、鬼に提案をした。数日後、呼び出しの手紙が届いた。
十二月十七日、フェルトのハート。
旧灼熱地獄は、鬼の手に余るようです。覚りの私に管理を一任してください。霊を統べる腕前はご存知でしょう。お礼は職場の洋館と、現物報酬等で結構。厄介者がいなくなって、都市部の治安向上にも繋がるはずです。
旧都上層部に、直接申し出ればいいものを。彼岸の圧力を利用している。しかも我々を見下して、屋敷や物を要求。驕っている。
会談席の鬼達は、怒鳴り散らした。彼女が一喝して静めた。苛立ちは、彼女の内にもあった。ただし、他の大鬼と根を異にしていた。
――なんで相談しなかった。あんたが背負うことじゃない。役目を奪うな。連中、賛成するぞ。私が阻止しないと、
止めさせない。
「貴方がたに倣って、事実をありのままに話してみたのですが。私が使えるのは本当でしょう、皆様が怨霊に太刀打ちできないのも。街を明け渡せとは言っていません。それなりのものが欲しいだけです。互いの利益になりますよ。幾千の地底移民が助かります」
自らを殺して全体を庇う、彼女の在り様と重ねさせた。たった一人のために、彼女は信念を折れやしない。否定すればそこを突く。黙認すれば、彼女の籠絡疑惑は晴れる。どちらにせよ、
――陰で正義の味方気取りかよ。だいっきらいだ。
私は恨まれる。交流を絶って、彼女は使命に尽くすだろう。嫌悪は鮮烈で、左胸に沁みた。よく読めない、想念も漂っていた。彼女が沈めようとしていた。
採決は、私の望みを叶えてくれた。恐怖と憎しみもたんまりついてきて、最高だった。地霊殿計画という、仰々しい名称も授かった。
けれども、帰り際に刺された。見送り塩撒きの、彼女と別れるとき。
「お前一人で、どこまで守れるんだかね」
――いつだって偉そうに澄まして。旧都を敵に回したな。
批難とは別に、もうひとつ。彼女の溺れさせていた、心情が固まった。一瞬、視えて隠れた。
後悔とわがままと、私には苦しい想い。大切で、貰っていいものではない。遠ざけたくて、
「何百人、何千人と。こいしを零した貴方よりは、有能なはずですよ」
卑怯にも、妹の名を唱えてしまった。金属音の直後、頬を打たれた。
「帰れ」
――不幸を振り回すな。
――どうして殴ってるんだ私。責められる側だろ、しくじった。謝らなきゃ、違うんだよさとり、私は。
心が枝分かれして、直らなかった。彼女は堪え、私は目を背けて逃げた。
お姉ちゃん、何かかなしいことがあったの? 玄関でうずくまる私を、こいしがあやした。
十二月二十日、リボン編みのリース。
「私を嫌ったのでは? 何故地霊殿との連絡係になったのですか。叩き足りませんか、罵倒をご希望ですか」
「他の奴らはおっかなくて御免だと。多少なり関わりのあった、私が適任。位も釣り合う」
――貧乏くじ引かされた。
――貧乏くじ引いてきた。
彼女の家に上げられて、向かい合わせ。改めて挨拶された。内心呆れた。せっかく盾になって、支援したのにこの馬鹿は。自己の周りが見えていない。私が、透視し過ぎるのだろうか。
「疎ましいのなら、書簡や通信器具でも」
「筆は好かない。機械は故障しただろ」
これでは無下に拒めない。
毎月自宅に報告に訪れること。お酒は当番制。会議か宴席か区別のつかない、ルールが定められていった。
「おかしいです、貴方は。恨めしい妖怪と、杯を交わして愉しいですか」
「酒なしでやってられるか。私の燃料だ」
――気が済むまで喧嘩する。私は退かない。
――あんたも私が守る。切り離すな。ずっとついてる。
深みの情熱は、重く埋もれた。損得勘定なしで、彼女は私を幼稚に憎んでくれた。余計な部分を払えば、彼女の防御は万全になる。旧都の皆に慕われ、元気に戦えるだろう。正しい、正義の味方だ。
私は彼女のために、努力して仲違いをした。幾らか馴染まれても、懸命に。星熊勇儀と、古明地さとりは不仲。大衆も私達二人も、未だに決めつけていられる。
十二月二十一日、矢を射る天使。
十二月二十二日、改心する悪魔。
童話の魔王は、敵軍の英雄を好きなのではないかと思った。あの手この手で成長を促し、鍛えている。倒されると解っていて、決戦のページに留まる。勝者の旗に意味を添え、人々をひとつにするべく。
私達の絵本は、両陣営の睨み合いで停止している。調和の一風景だ。血なまぐさい結末は、なくていい。うちの主人公と、嫌われ者の物語は続く。
十二月二十三日、つがいの鳩。
一枚板のもみの木は、煌びやかになっていた。葡萄酒は二瓶目。褐色瓶の、底が見えつつある。
明日の始まりを逃さないように、時計を天板の角に載せた。二十四日は、ツリーの頂の硝子星。私がつける。
「出来上がったらお暇しますね」
「そんなに経ってたか」
次は来年。干支の兎鍋にするかと彼女は考え、窓の降雪を見遣り、
――どこにも、
歯痒く悔しく、
――どこにも行くな。
左手を、私の右手に被せた。情で火照っていた。
覆ってから、焦っていた。今の読まれなかったか? 忘れて引っ込めろ。でも手やっちゃってる、うっとうしいんだろうな。アルコールで惚けてる? 視るな、覚らせるな。
――こいつが街の不満を吸ってることくらい、無知な私にもわかるんだよ。年月があれば。私も乗って頼ってる。悪者だ。戦争ごっこ、止められないのかな。いつまでも縋れるものじゃない。
変えたい、よくしたい。頭痛のように唸っていた。
どかしなさいと叱れなかった。私が視まいとしてきた彼女は、存外大人だった。敵役に甘んじて、欲求を自制していた。瞳を防ぐほどに。直線に、善い柔軟さが備わっていた。
ヒーローの進歩は、少し嬉しかった。しかし、何が動かせよう。妙案はない、心理は時に暴走する。
「いい子に年齢制限ってある?」
「アドベントの聖者曰く、ひとは皆お子様だそうです。サンタクロースにねだる物でも?」
辛口純米酒。木工磨き。花弄りの腕。体力。勇気。お祭り世界平和。願望は膨らんで、
「自力で獲得しないとね。やったことにならない、がんばる」
勇ましく萎んだ。大願の代わりに、うっすらと覗けた。私も、同じことを祈っていた。
一分一秒でも長く、触れていられますように。
彼女は更に続けて、
――繋がりが、将来の芽になるから。
目映い未来を見据えていた。暗がりを裂くように。
零さないと、信じていいのかもしれない。現実を悟って猶、彼女は闘う。
初対面の光に、心を奪われたこと。「仲間」の一語で、私が行動を変えたこと。証拠はないけれど、真実だった。
いつか、地霊殿に彼女は乗り込んでくる。刃ではなく、酒と宴を携えて。
手の重なりが、あたたかく約束してくれた。
懐中時計の短針と長針は、とうに十二時を越えていた。
彼女は気付かない振り、私は視ない振り。
生誕の星は、鮮紅の角にあった。
意地っ張りな悪役と主人公の関係は見ててとてももどかしかったです。
二人のハッピーエンドはまだまだ遠いでしょうが此処は一つ頑張ってもらいたいです
久しぶりの深山さんの文章に思わずテンション上がってしまいました。
今回も涙腺直撃ありがとうございました。
意地っ張りで健気なさとりに、愚直だが眩しい勇儀、どちらも愛おしく想わせてくれる魅力がある
だから、あれだ……もってけ☆100点
イイハナシダナー。
さとりはどんなツラして勇儀と対面しているのか……オフスオフス
こいしの目にも言及して、今の二人の在り方に繋げる見事なお点前。この分量で、この物語性と心理描写に脱帽です。
頬を伝う、温かな涙をありがとう。
ちゃんと計算した上で行動しているのもらしいと思いました。
なにこの切なさ
綺麗です
いつか、二人が素直にお酒が飲める日が来るといいですね。
>この勇儀姉さんがクリスマスプレゼントに欲しい
>勇儀姉さんはほんまに漢
魅力的に描けていると嬉しいです。靴下に入りますように。
>勇さと
>意地っ張りな悪役と主人公の関係
>お互いに想いあってるのになあ
>いつか、二人が素直にお酒が飲める日が来るといい
勇儀とさとりは、対等な空気があって好きです。きちんと計算のできる、責任感のある大人。同じような高い立場ゆえに、逆に立場を剥がしたひとらしい面を書ける気がします。
二人の姿に、何かしら感じてくだされば幸いです。
>ふたつの心の表現
読み辛くなっていないか、心配でした。お言葉にほっとしました。
もっと、心のごちゃついた様子も描写してみたいです。
>最初の一文
少し後で加えました。会話で始めていたのですが、どこか物足りなくて。
絵として浮かぶといいなぁと思います。
毎回毎回あとがきで「書きました」を「キーを打ちました。」と表現するのが気になる
前後も好きなのですが、この一文が本当に良いですね。さとりにとって勇儀はヒーローなのだという認識がさとりの告げない部分からビシビシに伝わってきて、温かくも歯がゆい気分になりました。
ラストの、繋がった手から勇儀の感情が流れてくる瞬間と、それによってさとりが望んだ「いつか」が、遠くない将来に訪れるであろうことが、
読者である自分にも救いになりました。
これ以上は読み手が分からなくなるかもっていう心配はいっそ捨ててその時出せる全力で表現すれば、
もっと凄い物が出来るんじゃないかと思う。
簡易評価やった後なんだけどあまりにも素晴らしいので言わずにいれなかった…かんべんかんべーん!
勇儀姐さんも貴方が書くと、心情を汲み取れる大人になって素敵です。
――短文続きで、読むのに苦労する。頭の弱い自分にはつらい。
――すてきだ。しびれる。次も読みたい。どうか、このスタイルで。
青い私は、ついついもどかしくも感じてしまいますが、これくらいがちょうどいいこともわかる気がして、何とも言えない気分に陥っています…。
でも心地よい気分であることは、間違いありません。
いつの日かふたりが、正直なまま、隣に居られますよう。
素晴らしいよね
まもるひとがいるって
貧乏くじ引いてきた
ここすごい