親愛なる聖白蓮へ
この手紙一通を残しての、私の突然の失踪に対して、聖は随分と戸惑っているのではないでしょうか。
いえ、聖だけではありません。きっと命蓮寺の他の面々も、右往左往している事でしょう。
寂しがり屋なぬえは、泣いてしまうかもしれない。
せっかちな星は既に、ナズーリンに対して私を捜索するよう、命じてしまったかもしれない。
真面目で義理堅い一輪は、一言も相談せずにこの寺を出て行った私を、そして私の心の在り様に気付いてやれなかった自分自身を責め、雲山はそれを宥めていることでしょう。
けれどそれらの一切は、無用で無益な事です。だって私は、自分の意思で此処を出て行くわけですから。
そして聖にお願いがあるのです。この手紙の内容は秘密にして欲しい。そして命蓮寺の皆には、私のこの想いを伝えないで欲しい。
彼女達の悲しみは、貴女がそっと癒してあげて欲しい。
何故なら、私は彼女達に嫌われたくないから。いつまでも掛け替えのない親友・同志だと思っていて欲しいから。
無責任で自分勝手であるという事は、重々承知しております。「本音を打ち明けられずになにが親友か」と言われれば、返す言葉は御座いません。
ただ私は、今から書き記す以下の事を十分に、彼女達に説明できるとは思えないのです。
何故ならこの想いはとても薄汚れていて、この明るく美しい命蓮寺には不釣り合いなものなのですから。
始まりは、些細なことでした。
聖を救出に向かう途中の、ある麗らかな春の日の午後。皆で甲板に出て日向ぼっこをしていた時、一輪が呟いたのです。
「無事に姐さんを助けだしたら、その後はどんなにか楽しい毎日が待っているだろうね。私達は何をして過ごそうか?」と。
春の日差しにすっかり気持ちよくなって、うとうとしていた星は、眠たげな声で確かこんな事を言いました。
「それは勿論、毘沙門天の代理ですよ。聖の信仰を助け、同時に自分の修行も続けるのです。一輪、貴女は?」
一輪が答えます。
「私は姐さんの下で修業の続きね。私はまだまだ未熟だから、学ぶべきことが沢山ある……ナズーリンは?」
子ネズミ達の餌やりに気を取られていたナズーリンは、少し考え込み、やがてニヤリと笑って答えました。
「まあ、色々とやりたいことはあるけれど……何はさておき、御主人のお世話だな。何せこの毘沙門天代理様は、優秀な癖にそそっかしいところがあるからね」
ナズーリンの言葉を受けて皆が笑いました。勿論、私も表面上は。
「ちょっと機関室の様子を見てくる」と機転を利かせてその場を逃れることが出来たのは、幸いでした。
船内に入り扉を閉めたと同時に、私は不安と恐怖から猛烈な吐き気を催し、その場で嘔吐してしまったのです。
そう、私はあの時気付いてしまった。
この船旅の目的は、聖を助けだす事。ならば聖が解放された時、この船は役目を終える。それはつまり、私もまた役目を終える時だという事を。
ああ、想像してみて下さい。当時の私の焦り、孤独感、そして葛藤を。
私は聖に救われた妖怪・村紗水蜜です。聖に対しては、それこそ海よりも深い恩がある。
貴女を助け出さずには居られなかったし、その為にはどんな労苦をも厭わず、全てを……そう、この命でさえ犠牲にしてもいいと思っていた。
地下に封印されていたあの千年間。全てを赦し、包み込むような貴女の笑顔が、どれだけ恋しかった事か。
しかし私は同時に、聖輦船の船長キャプテン・ムラサでもあるのです。
貴女を救い出し船を降りるということは、私自身を生きながらにして殺す事に等しいのです。
少し気持ちが乱れてしまいました。この手紙も、寺の皆が寝静まった直後に書き始めた
筈なのに、今の時刻を確かめると、もう深夜です。
此処で少し落ち着いて、私と聖、そして聖輦船との出会いを振り返ってみましょう。
聖も御存知の通り私は、海運業を営み年中航海を続ける両親の下に、生まれました。
船に優しく打ち寄せる波の音を子守歌として育ち、物心ついた時には船員に混じって父を手伝い、荒波を制していました。
船を海を愛するその暮らしは、しかし、私が十六の歳に水死したことで幕を下ろしました。
難破の原因は船の操舵設備が壊れた事ですが、それが何に因る物なのかは、今でも分かりません。
成人の祝いとして預かったあの船に、元々不備があったのか。
或いは年若く女である私が船長である事に、不満を持った船員の誰かが、少しだけ私を困らせてやろうと思って施した、悪戯が引き金となったのかもしれません。
兎も角確かな事は、副船長以下全員が海の藻屑と消えた事、私一人が舟幽霊としてこの世に残った事です。
なにしろ父からの借りものとは言え、自分の船を手に入れたばかりだったのです。舟幽霊となるのに必要な未練は、たっぷりありました。
それからはずっと、他人の船を沈めてばかりいました。
盆の時期には、両親を慰めに行きたいと強く思ったものですが、自縛霊ですからそれも叶いません。だからその時期にはむしゃくしゃして、一層多くの船を沈めてやりました。
つらかったのは、私のあの船に似た船を見つけた時です。やや小振りながらも、美しいボディの新造船……そういう船を沈めるときは、嫉妬と哀しさで胸がはち切れそうになりました。
聖に救われるまで、私はそうやって日々を過ごしていました。
ですから聖に船を預かった時は、本当に嬉しかった。
飛倉を私の船にそっくりな聖輦船へと変化させながら、聖が仰ってくれたあの御言葉を、私は今でも覚えています。
「もう一度、貴女に船を任せたい。今度はきっと大丈夫よ。よろしくね、村紗水蜜……いいえ、キャプテン・ムラサ」
私は再び自分の船を……いえ、今度は皆の翼を手に入れたのです。
今だから白状しますが、「キャプテン」と呼ばれたのはあのときが初めてでした。
私が人間の船長だったあの極めて短い期間には、ずっと「水蜜お嬢さん」だの「水蜜ちゃん」だのと呼ばれていて、誰も私を船長とは呼んでくれなかったのです。
聖輦船に纏わる私の想い出は、枚挙に暇がありません。
千年以上前、未だ聖が封印される前に、教えを説いて各地をまわった時のこと。どんな悪天候の中でも、聖を待つ人が居る限り、私は全力で舵を取りました。
光り溢れる地上に向かって、約千年ぶりに聖輦船を発進させた時の、あの興奮。絶対に聖を救い出してみせるという、燃えるような決意。
荒れ果てた寺でべそをかきながら、膝を抱えて座っていた星との、あの再会。傍らでそっぽをむいていたナズーリンの眼に、うっすらと涙が光っていたことを覚えています。
そして何より、聖が封印され、私と一輪が地下に落とされていた時のこと。
地下に居る間、聖の安否を、そして己を偽りながらも寺を守った星の苦しい心の内を想いながら、私はずっと船を整備していました。一輪は暇さえあれば、経を唱えていました。
「この船がある限り、例え今は離ればなれになっていたとしても、いつか必ず再会できる」私はそう信じていました。
一輪にとっては貴女に習った経が、星にとってはあの寺が、そして私にとっては聖輦船が、聖との繋がりを示す、かけ替えのない拠り所だったのです。
その船旅が終わる。私と聖の、千年来の関係が終わってしまう。
それは地下に封じ込められることよりも、格段に苦しく遣る瀬無いことです。しかしその想いを、仲間に打ち明ける事はできない。
「聖を助ける。皆でまた楽しく暮らす」この単純で、けれども純粋なスローガンの一体どこに、私の私欲が入り込めたでしょうか?
もっとも、ただ一度だけ……この苦しい胸の内を、星に告白してしまった事があります。
沈みゆく陽を受けて黄金色に染まる雲海を眺めながら、つい感傷的な気分に浸っていた私は、傍らにいる星に向かって、こう呟いてしまったのです。
「この旅が、ずっと続けばいいのにね」と。
しまった、と慌てて星を見遣ると、彼女は笑って答えました。
「そうですね。このまま順調に旅が進んで、一刻も早く聖を救出できるといいですね」
私はただ頷く事しか出来ませんでした。それから二人で、沈む夕日を見ていました。
もしもあの時、心の内を全て曝け出して相談していれば……いいえ、そんなことはできません。
「じゃあ貴女は、聖が復活しなければいいとでも思っているの!?」……こんな具合に、涙眼の一輪や星に問い詰められることなど、想像したくもありません。
取り留めもない事を書いているうちに、いつの間にか朝が近づいてきたようです。東の端がほんのりと、紫色に染まり始めています。
皆が起きる前に、早くこの手紙を書き終わらねば。結論を急ぎましょう。
私が懼れていた通り、聖を救出した後に聖輦船は姿を変え、この命蓮寺になりました。
遥か昔私を救い出し、以来ずっと共に在った聖輦船が……嬉しいときも悲しいときも私と共にあったあの船が……眼の前で、命蓮寺へと姿を変えていく。皆の祝福を受けながら。
私はそれを、唇を噛みしめながらずっと見ていました。
けれどもこれは仕方がありません。聖には幻想郷の妖怪を救うという、大切な使命があります。やはり寺を構えなければならない。
いつまでも船に乗って飛びまわっているわけには、いかないのです。
皆もそれぞれ、自分のやるべき事を見つけた様です。
一輪と雲山は修行の続きを、星は毘沙門天の代理を、そしてナズーリンはその補佐を。新入りのぬえも少しずつではありますが、仏の教えに興味を持ってきているようです。
ただ私は、いえ
私だけが
自分の道を定める事が、出来ていませんでした。修行の真似事をしてみても、全く熱が入らない。
今の私には有難い説教よりも、引いては返す波の音や、揺れる甲板が恋しい。
皆が活き活きと毎日を過ごし、前進し続けているのに、私だけが大きな欠落を抱えて立ち止っている……そんな感じです。
実際、「皆に置いて行かれる」という悪夢にうなされたことは、何度もあります。
「進歩し続ける命蓮寺には、自分は相応しくない」と独り泣いた夜は、数え切れません。
為すべき事も無いままに一日が終わり、眠れずに布団に横たわる時に考えるのは、博麗霊夢と対峙した時の事です。
聖が創りだすであろう理想郷について、必死になって語る私に、霊夢は殆ど耳を傾けませんでした。
その時はなんと不真面目な巫女だと腹を立てたものですが、今になって考えてみますと、きっと彼女は気付いていたのでしょう。私の心に迷いがあるという事に。
私がいとも簡単に彼女に敗れたのも、その為かも知れません。己の中に迷いを持つ者が、他人に勝てるわけがありません。
九尾の狐が迎えに来ました。もう私は、出発せねばなりません。
結局私が選んだのは、海のある外の世界でやり直す道です。沈没船を引き上げて、幽霊船に改修して使おうと考えています。
しかし、今度は舟幽霊としてではありません。聖白蓮の弟子として、海に迷える自縛霊達を救いに行くのです。
聖が私を救ってくれたように、次は私が、未だ知らない誰かを。
これが、私の下した決断です。これこそが、わたしの進むべき道です。
八雲紫には以前から話をつけてあり、計画は万全です。幻想郷から出た途端に消滅などという「へま」はしませんので、心配しないでください。
私はこの寺が大好きです。小難しい事など考えず、ずっと此処に居たいという気持ちもあります。
未練もあります。例えば今度開かれる、命蓮寺クリスマスパーティー。
寺院にあってクリスマスパーティーを提案するぬえにもそうですが、それを快諾する聖には、つい苦笑してしまいました。
皆建前として興味無い振りをしていますが、実際はすごく楽しみにしているんですよ。
星はツリーの飾り付け様にと財宝を集めていますし、ぬえと一輪は紅魔館に通って、十六夜咲夜の下でクリスマス用の料理を習っています。
ナズーリンは子ネズミ達に、余興の為の踊りを覚えさせようとしていて、雲山に至っては自分が雪の様に姿を変え、ホワイトクリスマスを演出するだなんていう計画を立てているようです。
できれば私も参加したい。でも、参加しません。楽しければ楽しい程に、別れがつらくなりますから。
さて、それではそろそろ筆を置きます。
今迄本当にお世話になりました。聖と、そして皆と過ごした楽しい日々は、決して忘れません。
最後に一つだけ、私の奇妙な空想を語って終わりにしましょう。
意外と思われるかもしれませんが、私は外の世界で手に入れるであろう船に、聖や命蓮寺に関する名前を付けるつもりはありません。
でもそれは決してあてつけや、聖及び命蓮寺との決別を意味するものではありません。船の名前なんかには、頼る必要が無いからなのです。
例えどんな名を冠した船に乗っていても、私がキャプテン・ムラサと呼ばれて霊達を助ける限り、私は命蓮寺の一員である、そんな気がしてならないのです。
だって「キャプテン・ムラサ」の通称は、貴女がくれたものだから。
終始丁寧な文体に引き込まれました。
手紙は確かにそれだけで決意を感じる文章でしたが、これを小説として読んでみるとちょっと薄ぼんやりした印象を受けました。
これを受けて命蓮寺一行はどうするのか、村紗は果たして本当に聖と決別してしまうのか、そこを掘り下げてくれたほうが、エンターテインメントとしては面白かったかなあと思います。
というわけで、興味深いけど盛り上げきれていないところが惜しく思ったのでこの点数で
行っちゃやだあああああああああああああああああああああーーー!!!!
確かにこの後も見てみたいですね。
彼女の苦悩、決意、そして瞳に涙を携えながら手紙を書く様子(想像)がありありと伝わってきました。
だからこそ焦らされるのであえてこの点数に致します。
ほんと、ぜひとも前後を増補したこの話の続きを書いてほしくてたまりません…!
なので期待値込みでこの点数を。完結を待ってます。
私個人としては続きが気になってしょうがないですが、
今の貴方が好きなので、好きなように書いた作品をこれからも書いて行ってください。
あのメンバーの中で村紗は確かに仏法から距離を置いていますし、スペカから分かるように妖怪であることに執着を示していますからね
作品自体素敵でしたが、やはり他の方の意見同様続きが必要な作品かと思います
村紗と 命蓮寺のみんなのエピソードが見たかったなぁと 野暮なんだろうけど
思っちゃいました そう思わされる位惹き込まれるモノがありました
次作も楽しみにしてます!
違和感を作品にしてくれたぶんの点数を
キャプテンの船出に幸あらんことを。
これ以上続きが書かれてたらこんな読後感にはならなかったと思う。
だから私はこの終わり方が好きです。
この度は本ssをお読みいただきまして、ありがとうございます。
たくさんのコメントを頂戴することができまして、嬉しく思います。
「続き」に関して多様な意見を頂けた事を、非常に興味深く思います。
結論から申しますと、今現在、このssの直接の後日談の様なものは考えておりません。続きを望んで下さった方には、申し訳なく思います。
指摘して下さった方もいらっしゃるように、少し物足りない位の方が、却ってよろしいのではないかと考えております。
とはいえこの後の展開は、私自身気にかかる所であります。
外に飛び出したムラサが、大切な仲間を失った命蓮寺の面々がどのように考え、どのように行動するかは、興味深い題材だと考えています。
いつか関連するssを書く時が来るかもしれません。その時はまた、お付き合い願えれば幸いです。
今後とも、ご指導のほどをよろしくお願いします。
村紗が船長としてはじめて認めてくれたのが白蓮だったからこそ、
その船を失うと言うことが耐えられなかったのでしょうね。
でも命蓮寺の仲間とならきっと上手くやっていける、そう思いたいのです。
少しもの悲しく、素晴らしいお話をありがとうございました。