Coolier - 新生・東方創想話

共に永遠を

2010/12/23 14:21:51
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 家の格というものは、ひとえに当主の器量によって決まる。
 どれだけうまく人をまとめられるか。どれだけうまく組織を動かすことができるか。こういった当主の資質は思いのほか重要で、有事の際の対処などといった大きなことはもちろん、館の掃除の行き届き具合といった小さなことまでも、あらゆる面で明確に表れてくる。逆に言うと、見る者が見れば、末端の使用人の何気ない所作からでも当主の器量をうかがい知ることができるのだ。
 我が紅魔館を例にとってみよう。
 初めて足を踏み入れた者は、あまりの広さに驚くはずだ。外から見てもそれなりに大きな館ではあるのだが、中にはその数倍もの空間がある。私に絶対の忠誠を誓うメイド長、十六夜咲夜が空間をいじって広げているのだ。そしてそこでは、数えきれないほど多くの妖精たちがメイドとして働いている。
 本来、妖精というのは力が弱く、頭も弱く、身勝手で、気まぐれだ。うちの妖精たちも、正直なところ、メイドとしてさほど役に立っているようには思えないし、警備員としても束になってようやく多少の戦力になる程度だ。が、普通は妖精など従わせようとしてもなかなか統制がとれず、かえって大混乱になるのが関の山だ。その点、個々の能力は低くても見事に統制され、少なくとも足を引っ張るようなことはないうちの妖精たちの働きぶりは、時として見る者に感動すら与える。メイド長として彼女らをまとめる咲夜の指導力と統率力は、並大抵のものではない。
 館の中を、もっとよく見てみる。どれだけ隅々まで観察したとしても、掃除の行き届いていない場所を見つけることはできないはずだ。窓ガラスはどれも曇りひとつないし、箪笥の奥にも塵ひとつ落ちていない。咲夜が毎日、手を抜くことなく掃除をしている成果だ。
 侵入者に対する警備も、レベルは非常に高い。妖精や並の妖怪なら、門番と妖精メイドで袋叩きだ。かなり強い妖怪でも、メイド長のナイフの餌食になる。それをも突破できる者といえば、それこそ行動を起こせば幻想郷内のパワーバランスに影響を与えてしまうような、ほんの一握りの連中に限られる。
 外交面も万全だ。吸血鬼事変、そして紅霧異変と、二度にわたって軽く暴れてやったことで、紅魔館の知名度は著しく上がった。逆に、春雪異変のときは咲夜が単独で、永夜異変のときは私と咲夜が動いて事態の解決に貢献し、紅魔館の株を大いに上げた。
 有事の際のみならず、平時の対外交流も抜かりない。咲夜の応接は礼節に則りながらも堅苦しいばかりではなく、相手に合わせて適度にユーモアを交えたもので、来客からの評判も上々だ。私が余所に出向くときに必ず咲夜を連れていくのも、単なる日傘持ちという意味だけではない。
 ……こうしてみると、ほとんど咲夜のおかげのように思えるかもしれないが、勘違いしてはいけない。なにも当主が自らいろいろなことに手を出す必要はないのだ。要は、館が問題なく動いていく状態さえ整えておけばいい。それさえできているなら、極端にいえば当主は寝ているだけでもかまわない。つまり、十六夜咲夜を従えた時点で、私レミリア・スカーレットの当主としての仕事は大成功なのだ。
 そんなわけで、普段の私はあまりやることがない。今日も退屈だ。
 暇つぶしの相手になってもらおうと地下の図書館を訪れたのだが、パチェは取り急ぎ調べたいことがあるといって、魔導書から顔を上げようともしない。とても居候とは思えない態度だ。まあ、私も彼女のそんなところが気に入っているからこそ、何十年も親友をやっているのだが。
 仕方なく一人でできることをと考えて、Fight Fire With Fireのジェイムズパートをフルダウンピッキングで弾くことに挑戦してみた。思いつきで始めたものの、これがなかなかいい暇つぶしになった。吸血鬼の身体能力をもってしても簡単にはできないのだが、まるで手が出ないほど難しくもない。この丁度いい難易度が面白くて、気がつけば時間を忘れて没頭していた。
「よし、大分できるようになってきたわね」
 右の手首から先をぶらぶらと振って、一息入れる。次はステップアップだ。弾きながら、歌う。
「ねえパチェ。私がジェイムズやるから、あなたジェイソンの声だけやってよ」
「嫌よ」相変わらず魔導書にかじりついたままだが、返事だけは寄越してきた。「私、クリフしか認めないもの」
「ドケチ。ちょっとぐらいいいじゃない」
「トゥルージロでよければ小悪魔がやってくれるわよ。顔コピだけど」
「却下。もういい、一人でやる」
 本棚の陰から小悪魔が何か言いたげにこちらを窺っているが、知ったことではない。弾き語りにとりかかる前に喉を湿らせておこうと、机の上の紅茶に手を伸ばし、口に運んだ。
 ――ぬるい。
 それもそうか。咲夜に淹れさせたものの、口もつけないまま忘れて放置していたものだ。ギターに夢中になっている間に、淹れてからかなりの時間が経っていたらしい。
 ぬるくなった紅茶をすするなど、スカーレットの名にふさわしくない行為だ。
「さくやー」
 軽く声をあげる。言い終わるか言い終わらないかのうち、何もなかったはずの私の斜め後ろの空間に、銀髪のメイド長が立っていた。
「お呼びでしょうか、お嬢様」
 相変わらず完璧だ。
 紅魔館のどこにいても、私が呼べば咲夜はすぐに現れる。図書館だろうが寝室だろうが、声を張る必要はない。普通に呼べば、咲夜は必ず聞き取ってくれる。私を待たせるようなことはない。手を止め、時を止め、何事にも優先して駆けつけてくれる。そして涼しい顔をして、きれいな声をかけてくれるのだ。
 そんな完璧なメイド長に、指でティーカップを示す。
「淹れなおしなさい」
「かしこまりました」
 空気すらも波立たせないような洗練された動作で、咲夜は紅茶を引き下げた。あれこれと理由を言い足す必要などない。最低限の用件さえ伝えれば、聡明な彼女は瞬時に覚ってくれる。たとえ理由がわからなくても、なにくわぬ顔で従ってくれる。
「パチュリー様も、お代わりいかがですか」
「もういいわ」
「かしこまりました」咲夜は空になったパチェのカップも下げると、机の横で一礼した。「では、少々お待ちくださいませ、お嬢様」
 一瞬のうちに咲夜の姿が消える。お待ちくださいませと言われても、せいぜい一分もすれば新しい紅茶が届くだろう。狂いかけたチューニングを直している暇もない。椅子に背中を預けて、ぼんやりと天井を眺めた。
「ちょっと、レミィ」
 親友が私を呼ぶ。――が、いつもとは少しばかり声の調子が違った。彼女の柄にもなく、多分に棘を含んだ言い方だったのだ。
 パチェは基本的に、他人のことには干渉したがらない。知識欲をかきたてられる物事に対しては人が変わったかのように食いつくが、それ以外にはまるで無頓着だ。今のように非難めいた物言いをするケースとしては、誰かが本を雑に扱っているようなときなどに限られる。
 だから、理由がわからなかった。私の手の届きそうな範囲には、本など一冊も置いていない。読みかけにしてほったらかしているものも、確かなかったはずだ。なのにパチェは、普段から半開きの目をいっそう細くして、こちらを睨んでいる。ただ張りつめた空気だけは感じて、私も背もたれから体を起こし、続く言葉を待った。
「あなた、少し我侭が過ぎるんじゃないの」
「……何が」
「さっきの紅茶、レミィが淹れさせたんでしょうが。それなのに、ろくに口もつけずに放っておいて、挙句ぬるくなったから淹れなおせだなんて、咲夜に悪いとは思わないの?」
 よくも言ってくれる――居候の身で。にわかに湧き起こってきた強烈な怒り、それが私を戸惑わせた。
 確かに身内からはっきりと批判を浴びせられたことは、五百年ほど生きてきた中でも本当に少ない。だからといって、この程度のことで奥歯が軋むのを止められなくなるような、懐の狭い当主であるつもりはなかった。なら、どうしてこんなにも頭が熱く沸き立っているのか。考えてみようとするだけでも胸がむかついて、さらに苛立たしくなるだけだ。
 ともかく、事実として私は今、うろたえている。それを気取られることは、たとえ相手が親友といえども、吸血鬼の誇りが絶対に許さない。表面を必死に取り繕おうとする意識が、余計に視界を暗くさせた。パチェを居候させているのは半分は私自身が望んだことなのに、それすらも口実にして、怒りはいっそう膨れ上がっていく。
「主が従者に命令して、何が悪いっていうのよ」
 もはや怒気は抑えきれず、声に乗って溢れ出てきた。小悪魔は図書館の隅で縮こまっているが、パチェは全く動じていない。それだけ魔法に自信があるということ、そして、本気の喧嘩に発展する危険性を承知の上でなおも引き下がれないほどの、重要な話であるということ――。
「あなた、一番近くに従えておきながら、ろくに咲夜の顔も見ていないのね」
「……どういう意味よ」
「気づいていないの? 目尻の皺」
「は? 咲夜の? まさか、そんなこと」
 あるわけがないと思って、顔の前で手をひらひらと振った。が、喉は不自然に締めつけられた感じがして、息をするのもひと苦労だった。
 あまりに立ち居振舞いが落ち着いているためかなり大人びて見えるが、人間の成長曲線から考えて、実際には咲夜はまだ少女と呼ばれる年齢だ。紅魔館のメイド長という職責が人間の身には激務だとしても、顔に皺などできるはずがない。ただ、そこまで注意して彼女の顔を見ていたわけではなかったのも事実で、反駁しつつも心の中ではドス黒い不安が生まれてきていた。
 一方のパチェは、確信をもった目つきをしている。
「確かにあるのよ。もう何日も前から」
 そして、親友がこんな類の嘘をつくような性格ではないことも、私はよく知っている。信じたくもないことだったが、否定するには根拠があまりにも薄かった。
「疑うのなら、紅茶を持ってきたときによく見てみなさい」
「……いや、もういい。信じるよ」
「あらそう」
「でも、わからない。どう考えてもまだ二十歳にもなっていないのに、どうして――」
「能力のせいに決まってるでしょ。あの、『時間を操る程度の能力』」
 ああ、やはりそうか。
 人間である咲夜に紅魔館のメイド長が務まっているのは、『時間を操る程度の能力』を持っているからだ。普段の掃除や料理から、外敵との弾幕ごっこに至るまで、あらゆる場面で惜しげもなく能力を使っている――おもに、自分の時間を速め、周囲の時間を遅くする、あるいは止めてしまう方向で。
 周囲の時間を止めている間、ひとり動いている咲夜は、そのぶん余計に老いているのか。それとも、老いはあくまで実時間によるのか。かねてから気にはかかっていた点だ。気にかかりつつも、もし悪い答えが確定してしまったら嫌なので、わざと考えないようにしてきた。それでも心のどこかでは、どうせ悪いほうの答えが正しいんだろうな、とはうすうす思っていた。思いつつも、有限の猶予に甘え、無為の日々を消費していた。
 もう、目を背けつづけることはできない。鷲づかみにされた心臓に、淡々とした親友の声がさらに杭を打ちつける。
「私にとって、咲夜は大切な友人よ。レミィにとっては単なる下僕でも、ね」
「下僕だなんて、そんな……」
「使いつぶして、また次を見つければいいとでも思ってる? 咲夜ほどの優秀なメイドは、五十年に一人もいないわよ」
「違う……」
「仮に見つかったとしても、果たしてそんなに優秀な人間がメイドの立場に甘んじて、あれほどの忠誠をレミィに尽くしてくれるかしら?」
「黙れ!」
 たまらず、拳を机に叩きつけた。天板の端がえぐれ、積み上げられていた魔導書が崩れる。そのうちの一冊を、パチェはゆっくりと拾いあげた。
「わかってる。レミィも、気持ちは私と同じなんでしょ」
「パチェ……」
「有能とか云々以前に、咲夜はかけがえのない友人であり、家族だものね。ずっとずっと一緒に居たいに決まってる」
 黙って、うなずいた。パチェも納得したように、小さくうなずいた。
「だからいろいろと考えてみたわ、ずっとずっと一緒に居る方法。ひとつには、魔女化というのがある」
 以前から折にふれ考えてきたのだということを、パチェは静かに話して聞かせてくれた。
 人間でも魔女化すれば、つまり種族としての魔法使いになれば、寿命という概念からは解放される。しかし咲夜には、魔法に関する知識がない。魔法に対する興味も薄い。そして何より困ったことに、魔法の才能、センスがない。
 霧雨魔理沙も決して才能に恵まれているわけではないが、努力次第ではあと数年で魔女化も可能だ。だが魔法使いであるパチェの目から見て、咲夜の才能のなさは絶望的で、たとえ今すぐメイド長の任を解いて魔法の習得に専念させたとしても、百年以内に魔女化可能なレベルにまで到達するのは無理だという。
 ならば考えられるのは、外部からの力による方法だ。すなわちパチェが咲夜に、不老不死の魔術を施す。
 ただしパチェの知る範囲では、不老不死の魔術などというものは存在しない。この図書館の蔵書には、どこにもそんなものは載っていなかった。幻想郷を隅から隅まで探したとしても、不老不死の魔術は見つからないだろう。そんな需要が高そうな魔術が存在するのなら、ちらりとでもパチェや魔理沙の耳に入らないはずがない。
 なければ、自分で創ればいい――そう思ってパチェは、特に咲夜の皺を発見してからの数日間、寝る間も惜しんで魔導書を読みあさった。頭がよじれるほど考え抜いた。
「でも――」
 パチェは突如、魔導書を持つ手を震わせた。頭上に大きく振りかぶり、床に思いきり投げつける。角から落ちた魔導書は、表紙を開きながら横に転がっていき、いくつかのページを折り曲げた状態で突っ伏した。
「どこにも見つからない! 蔵書を洗いざらいめくってみても、糸口すら掴めない! 絶望よ!」
 空気の震えが消えた後、図書館の中は時が止まったかのような静寂に支配された。パチェの荒い息づかいの最後に、ため息が付け加えられた。
「ごめんなさい。まだ、諦めるには早いよね。私だけじゃ無理でも、アリスや魔理沙にも協力してもらえば、なんとかなるかもしれない」
「そんな、パチェが気に病む必要なんてないよ」
 本心からの言葉だった。博識さでは幻想郷で指折りなのだから、むしろ胸を張ってもいいぐらいだ。
 真に責められるべきは、私。
 親友がこんなに悩んでいる間にも、私はただただ怠惰に溺れていた。さらにあろうことか、咲夜に残された時間をより縮めるような我侭放題を続けていたのだ。この事実に気づいても、魔法の知識など持たない私は、パチェの研究に手を貸すことすらできない。
 本当に、何をやっているんだ――悔しさに、ふがいなさに、歯をくいしばる。拳を強く握りすぎて、爪が掌の皮膚を突き破ったが、痛みなど感じなかった。
 いや、私にだってできることはある。だが、咲夜本人がそれを望まない。だから無理強いはしない。ということは結局、何もできないのと変わらない。役立たずの当主は椅子で頬づえをついて、老いる従者と苦しむ友人を見ていることしかできないのだ。
 二人で同時に、深く深く息を吐きだす。ふとパチェが、扉のほうに目をやった。
「そういえば遅いわね、咲夜」
 ただ話に区切りをつけるような、特に深い意図もなさそうな言葉だったが、それが私の全身を粟立たせた。咲夜が退出してから、おそらく十分ほどは経っている。これまで決して私を待たせることなどなかった彼女が、たかが紅茶にこれほど時間をかけるなど、明らかにおかしい。
 まさか、咲夜の身に何か――。
 悪い予感に衝き動かされ、駆けだした。パチェの呼ぶ声を振り切って図書館を出て、妖精メイドを突き飛ばして厨房へと向かう。
 角を曲がったところで、足を止めた。廊下のど真ん中に茶器が転がって、絨毯に中身をぶちまけている。そのすぐ向こうに、銀髪のメイドがうずくまっていた。
「咲夜!」
 駆け寄り、抱き起こす。呼吸は荒く、不規則だ。汗のにじんだ青白い顔、その目尻には、パチェが言ったように確かに、小さな皺が刻まれていた。



 咲夜の部屋からパチェが出てきた。ずっとドアの前で待っていた私は、すぐさま詰め寄り、両の肩を掴んだ。
「どうなの、咲夜は!」
 パチェは薄く微笑んで、私の腕にそっと手を添える。
「少し疲れが溜まっていただけみたい。休ませれば良くなる」
「そうなんだ……」
 安心で、全身の力が抜ける。だがパチェは、「でもね」と付け加えた。
「老化の徴候は、確実に表れている。これまでどおり湯水のように能力を使って激務を続けていれば、じきに体がもたなくなるわよ」
「そう、なんだ……」
 空気が重い塊となって、背中にのしかかってくる。鋼鉄だってこんなに重くはないだろうに。
 やはり、これ以上うだうだと先延ばしにするわけにはいかない。ひとつの決心を胸に、そっとパチェの手をほどいた。
「パチェ、しばらく咲夜と二人にさせて」
「いいけど……話は手短にして、ゆっくり休ませてあげなさいよ」
「わかってる。大丈夫だから、誰も入れないで」
 パチェはまだ何か言いかけたが、途中でやめて、諦めたようにうなずいた。
 静かにドアを開き、咲夜の部屋へと入る。
 質素な部屋の奥、硬そうなベッドの上に、小悪魔の手で寝間着に着替えさせられた咲夜が、おとなしく寝て――いなかった。何を思ったか、布団をはぐって体を起こし、片足を床に下ろしている。
「何やってるの、咲夜!」
「あ、お嬢様、申し訳ありません」布団を被りなおすかと思いきや、「すぐ仕事に戻りますから」
「まだ無理よ。寝てなさい」
「いえ、そろそろ食事の支度に取りかからなければ」
 そんなことを言いながら、もう片方の足もベッドから下ろして、どう見てもまともに仕事などできなさそうな動作で立ち上がる。どこまで頑固なんだ、と苛立ちを覚えた。
 咲夜に歩み寄り、肩口を軽く押した。彼女は人形のようにあっさりと、ベッドの上に尻餅をついた。
「ほら、やっぱり。人間なんて、横転したバスの下敷きになった程度で死んでしまうような脆い生き物なんだから、もっと自分を気遣いなさい」
「はい……」
 顔を背けながら、明らかに不満げな返事。おとなしく布団を被ろうとはしない。精神力が強すぎるのも考えものだとは思ったが、こういう咲夜を見るのは新鮮だった。いつも超人的な仕事ぶりで紅魔館を切り盛りしている姿ばかりを見ているためか、彼女の素の部分を垣間見るのは、どことなく楽しくて嬉しいことだった。
 もっと見たい。まだ知らない咲夜のいろいろな姿を、もっともっと見てみたい。そのためには、人間の寿命は短すぎる。さらに通常よりずっと速く歳をとっていくとなれば、余計に足りない。もっと時間がほしい。咲夜を全て知り尽くすのに充分な、悠久に等しい時間が。
 それを手に入れるための言葉は、これまでにも何度か口にしてきた。ただし口にするときはいつも、冗談めかした言い方だった。逃げ道を完全に塞いでしまうのは、耐え難いほどに恐ろしかったから。結果、そのたびに咲夜は冗談めかして受け流した。
 咲夜と並んで、ベッドに腰かける。横目で近距離から窺ってみると、彼女の顔も手も、肌の張りや潤いが失われつつあるのがよくわかった。体調のせいだけではないはず。私が二の足を踏んでいる間に、彼女の体には相応の歳月が蓄積されてしまった。
 決心の時だ。もう、冗談に逃げたりはしない。咲夜の袖をつまみ、伸び上がるように顔を寄せた。
「ねえ、咲夜。私の眷属になってみない? そうすれば、ずっと一緒に居られる」
 声が震えそうになるのを必死で抑えながら、笑いを交えることなく、真顔のままで言い切った。すぐにでも目を逸らしてしまいたいのをこらえて、まっすぐに目を見つめたままで返答を待った。
 それなのに咲夜は、
「私は一生、死ぬ人間ですよ」
 いつものように優しく笑って、いつものように子供をなだめるような口調で、いつもどおりの言葉を返してきた。
 紛れもない、拒絶。
 膝の上で、スカートの生地をきつく握りしめる。視線は知らずと、その手の上に落ちた。
「どうして……」
 他の我侭なら、全部禁じられてもいい。掃除が面倒だと咲夜が言うのなら、館の隅から隅まで私が掃除する。食事の支度が面倒だと言うのなら、みんなのぶんまで私が用意する。紅茶を淹れるのが面倒だと言うのなら――これはかなり惜しいことだが、それでも――私が飲むぶんは自分で淹れよう。だが、これだけは絶対に譲れない、そんな願いを、咲夜は笑顔で払いのけた。他のいかなる我侭にも応えてくれてきた、この完全で瀟洒な従者が。
「大丈夫ですよ。生きている間は一緒に居ますから」
 あかぎれの目立つ手で、私の手をそっと握ってくる。その手が、裏切られた私の心を逆なでした。何を考えるよりも早く体が動き、咲夜の胸ぐらを掴んで、ベッドに押し倒す。
「それじゃ足りないって言ってるのよ!」
「いけません、お嬢様」
「私とずっと一緒に居るのが、そんなに嫌だっていうの!」
「おやめ下さい」
 笑みが消え、端整な顔立ちの奥に若干の動揺が見えた。馬乗りになった私から逃れようと身をよじるが、腕力で勝負になるわけがない。時を止めようともしているようだが、体調のせいか焦りのせいか、うまく能力が使えていないようだ。
 こうなれば力ずくだ。ここまで来て、もう後に退けるものか。
「観念なさい、咲夜」
 力を込めて服を引っ張る。ボタンがいくつか外れ、咲夜の白い首筋が、浮き出た鎖骨が、あらわになった。心臓がばくりと一つ、大きな音をたてた。
 単なる食事のために血を吸うのと、眷属を作るために血を吸うのとでは、明確な違いがある。これまでに眷属を作ろうと試みたことは、一度もなかった。誇り高き吸血鬼の眷属となるに値すると思える人間は、咲夜より他に一人もいなかったからだ。でも、眷属を作るにはどうすればいいのか、誰に教えられたわけでもないのに、私にはわかっている。今この瞬間、本能が教えてくれた。
 咲夜に覆いかぶさり、上から抑えつける。首筋に舌を這わせ、薄い肌を濡らす。寝間着の裾から手を差し入れ、締まった腹を撫で上げていき、行き着いた先にある慎ましい乳房を、情念を塗り込むようにまさぐった。
「ん、あっ……」
 咲夜の口から、抑えきれないような声が洩れ、私の鼓膜をくすぐった。かすかに開いたままの唇を、唇で塞ぐ。唾液が混ざり合う。全身を巡る血が、熱く激しく沸いている。
 眷属を作るための鍵、それは感情の昂りだった。
 もう大丈夫。準備は整った。
「さあ、共に永遠を」
 できる限り優しく、首筋に牙を突き立てた。咲夜の体が、一度だけびくりと大きく震える。
 これまでに味わったことのない甘美な蜜が、口の中に流れ込んできた。一滴も逃さないように、大事に大事に喉の奥へと運んでいく。
 二口。
 三口。
 …………。
「ぐぼっ?」
 突如、口から血が噴き出た。
 紅く染まった咲夜を、呆然と見つめる。飲みこんだつもりの血が、押し返されるように溢れてきたのだ。
 喉を塞ぐ、抗いがたい感覚――それは、満腹感だった。
 まだまだ足りない。咲夜を吸血鬼にするためには、もっともっと多くの血を飲まなければならない。強引に口を開いて、また首筋に食いつこうとする。しかし咲夜が、それを押し止めた。
「もう、いいでしょう」
「まだまだ」
 なおも咲夜を組み敷く。顔を寄せて、そのとき、ある言葉が頭をよぎり、愕然とした。
 ――スカーレットデビル。
 小食のせいで血を飲みきれずにこぼし、服を汚した姿からつけられた異名。眷属を作るのに必要な量の血を、私は飲むことができない。
 私の気持ちを知りながら、あくまで咲夜が吸血を拒みつづけた理由。それは、私がこの事実に気づくことによってプライドを傷つけられ、同時に咲夜を不老不死にできないことで自責の念を抱くことを、なんとしても避けようとしたからではないのか。咲夜が首を縦に振らないうちは、全て彼女のせいということで済まされる。
 全身から、力が抜けた。なんと完全で瀟洒で、扱いづらい従者なのだろう。私はあきらめて、咲夜の胸に頬を押しつけた。
「気づいてしまわれたのですね」
「ああ。もう、おまえの血を飲ませろなんて言わない」
「それは助かりますわ」
「その代わり」顔を上げ、咲夜と目を合わせて言った。永遠には無理だとしても、せめて少しでも長く一緒に居たい。「今後、周囲の時を遅くしたり止めたりすることを、固く禁じる」
「あら、そのご命令に従うことはできません」
「なに?」
 平然と拒否の意を示されて、思わず眉根が寄った。
「だって能力を使わなければ、メイド長としての仕事が追いつきませんから」
「それは使える人員を増やすなりして、咲夜の負担を減らすよう調整をつける」
「お断りです」
「は?」
「お嬢様はご存知ないでしょう。毎日の仕事をこなしている間、私がどれだけ幸せなのか」
 歌い上げるように、咲夜は言う。
「掃除をしている間、お食事の用意をしている間、全ての仕事がお嬢様のためになるのだと思うと、胸が張り裂けそうなほど嬉しくなるんです。言ってみれば、生き甲斐です。いくら時間がかかろうとも手を抜くことなんて考えられないし、一部でも他人に仕事を任せるなんて、とんでもない。私の幸せな時間は、誰にも邪魔させませんよ。それがたとえ、お嬢様の命令だったとしても」
「でも、それじゃ……」
「生きている間は、一緒に居ますから。それに」
 咲夜の手が伸び、私を抱き寄せる。
「私が死んでも、次の『十六夜咲夜』が、お嬢様にお仕えしますよ」
「……そう」
 どうあっても、咲夜の意志は変わらない。それがわかると、全てがどうでもよくなってきて、彼女の胸に顔を落とした。
 この温かい場所でだけ、私は威厳とか誇りとか、そういういろいろな煩わしい事柄から自由でいられる。好きなだけ我侭を言って、好きなだけ甘えていられる。親友にすら見せられない部分を、何から何までさらけ出すことができるのだ。
 咲夜が望むなら、思いきり甘えてやろう。ただし、二人きりでいるときだけ。
 数十年のうちに、誰にも弱みを見せられなくなるときが、必ず来る。そのときに毅然とした姿でいられるよう、今は子供のように、咲夜の胸に抱かれていよう。そのときが来るまでは、何もできない無能で怠惰な主でいよう。
「ちょっと、レミィ」
 ノックの音とともに、パチェの声がドア越しに響く。
「いいかげん、咲夜を休ませてあげなさいよ」
「んー、もうちょっと二人にしといて」
 適当に応えて、また心地良い体温と鼓動に身を沈めた。次第に、二人の呼吸が同期していく。
 やがて、穏やかな眠気が私の身を包んだ。
小悪魔「見てほしかったのに、私の低空飛行ゴリラ……」
汗こきハァハァ
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コメント



0.500簡易評価
5.100名前が無い程度の能力削除
咲夜さんがお嬢様の眷属になるのを拒む理由が新鮮でした。
本当に瀟洒で完全な最高のメイドさんだ。
10.100 削除
二人のイメージにぴったりしっくり!いいものを読ませていただきました!またレミ咲書いてください!