最初に告白しておこう。
これは夢オチだ。
何故なら――私はこれを夢だと認識している。確信している。
認識して、確信している。
だから、この物語の終焉は目覚め以外あり得ない。
ただ一つのゴールを目指す一本道。選択肢の無いゲーム。
つまりは本のようなもの。最初から最後まで、始めから決定されてしまっている。
バッドだかグッドだかわからぬままに決定されたエンドに邁進する。
何も知らないままでも――辿り着く結末は絶対に同じ。
味気ない。味気なくてあっけない。夢から覚めるのはひどくあっけないものなのよね――
ま、今の私にはそれがどんな感じなのかさえさっぱりわからないのだけれど。
「――ふぅ」
さて。
溜息から始まる一日というのは憂鬱なものだ。
なんて文句を言ったのは誰かしら。
私かしら。私かも。私だったりして。
しかし言い訳をさせてもらえるなら宜なるかな、なのだ。
何せ『これ』が夢だと気づいてから大分経ってしまっている。
結構な月日が流れた筈だけど――流石に年月ってほどじゃない筈だけど――
私は、もう何度も寝ては起きてこの夢の世界で生活していた。
生きて、活きていた。
朝と夜の繰り返し。朝起きて昼活動して夜眠る平平凡凡な生命行動。
寝ている時は夢を見た――ような、記憶もある。いや、感覚と言うべきか。
なにせ私はどんな夢を見たか、まるで説明できない。
おぼろげで、抽象的で――言語化なんて不可能だった。
夢ってのはそんなもん、と言い切ることが出来ないのはこの世界もまた夢であるから。
夢と云うものは見ている間は兎に角リアルで、五感全てが刺激されている――らしい。
実際昨日料理中に切っちゃった指の痛痒はとても夢とは思えない。
よく聞く話で夢の中で頬を抓って痛くないからこれは夢だ、と気づくのは嘘っぱちだという。
ならば夢の中で夢と気づくにはひどく現実から乖離した体験に違和感を覚えるとかしかないのだが。
例えば――私がアラブの石油王でちょっと旅行に行く度に札束ばら撒くとか、そういうの。
しかしそんな突拍子の無いことは一切していない。
私はいつも通り神社の掃除をし、滅多に入ることのない賽銭箱の中身を確認する毎日を送っている。
極々平凡な神社の巫女さんの日常。
これで何故私が夢だと気づけたかという話に戻るのだが、それは嘘っぱちの説の方がマシな理由だった。
なにせ勘である。ある日ぴんと「ああこれは夢なんだ」と気づいたというだけのこと。
過程をすっ飛ばして答えに至る――私、神社の巫女さんである霊夢の特技であった。
特技ではあるが、それも困りものである。なにせ過程を経ないから原因がわかったところで対処出来ない。
どうして、何故、どうなって、というのが決定的に抜け落ちている。
算術なんかは解答より過程の式に重きを置くというが、納得できる話だ。私算術嫌いだけど。
「どーしたものかしらねー」
天を仰ぐ。
晴々とした空は悩み続けている私を小馬鹿にしているようだ。
トンビとかぴーひょろろーなんて明らかに馬鹿にしてるわよね。
撃ち墜としてやろうかなー。
「動物虐待」
どこから聞こえるのかわからない声。
勘を頼りに振り返れば、真後ろの何もない空間から手が生えていた。
ホラーである。
と、普通なら可愛らしく悲鳴の一つも上げるところだが生憎見慣れた光景だった。
白々とした絹の手袋をした手はどんどん出てきて肩、頭、胴、足と――人間の形が現れる。
「いけないわねぇ、霊夢」
量の多い金の髪。
透き通るような白い肌。
和装が似合いそうにない顔つき。事実洋装を纏っている。
浮かべる表情は笑っているような泣いているような胡散臭いもの。
まるで人間性を感じさせない異質さだけが際立つむらさき色の瞳。
歳の頃は十を過ぎたか過ぎないか――といった容姿の少女。
いや、彼女は妖怪なのだから外見なんて関係ないのかもしれない。
――そう、私は認識している。
「なに、心でも読んだの紫」
「あなたの考えてることなんて後頭部を見れば丸わかりですわ」
また微妙なところから読み取るなこいつ。
脳? 脳なの?
「えい」
「わきゃっ!?」
ぐしぐしぐし。
指通りいいなーこいつの髪。さらっさら。
「なにするのよ!?」
「あー。頭引っ掴めばあんたの考えてること読めるかなーとか」
「あなたいつから妖怪になったの!?」
む。まあ人間にはそんなスキルないか。
というか妖怪ならそういうスキル持ってたりするんだろうか。
改めて妖怪ってぱないわね。ぱない。ぱねーわ~♪
「いい加減手を離して」
っち。誤魔化し切れなかったか。
「ああもうぐしゃぐしゃじゃない」
大人しく手を離すと紫は手櫛で髪を整えた。
残念。もう少しあの柔らかい髪の感触楽しみたかったんだけど――
なんて、雑念は消えてしまう。紫の行動は歳相応、じゃなく……外見相応だった。
見たままの、子供みたい。私より年下の、十歳前後の子供。
違和感を感じる――なんてことはないけれど、何も引っ掛かることはないけれど、気になる。
この夢の世界の住人として、続けられる日常の住人として、おかしなところはない。
なのに、気になる。
神社に遊びに来る妖怪だからとか、そういう真っ当な理由じゃないところで。
毎日遊びに来られてるから麻痺してるのかもしれない。
いつだったかもううちに住めばと冗談を言ったことを憶えている。
私と会うことがルーチンワークに組み込まれているかのような行動。
ルーチンワーク?
畑の手入れじゃあるまいし。ああ、里の寺子屋に通っていればそういうのもあるのかな。
だけど、妖怪である彼女には――この夢の世界にはそぐわない、システマチックな行動だった。
数式のような、方程式のような、決定された枠組みに囚われている――?
「………………」
初めて――違和感を、覚えた。
なんだ今の思考は。
ルーチン?
システマチック?
数式?
なんでそんな――発想が出てくる。
おかしい。変だ。どうして。
私は、霊夢は算術が嫌いなのに。
同じ発想でもからくり人形とか、そういうのが先に出て然るべきなのに。
私と云う個にあり得ない発想。あり得ない思考。あり得ない――違和感。
ルーチンワークから外れている。
システムとして成り立ってない。
数式として決定的に破綻している。
なら、ならこれは――?
「霊夢?」
紫が私の顔を覗き込んでいた。
「どうしたの? 変な顔して」
「変って」
悩んでただけだっつの。
――なんて、今の私は流されない。
まるで別人になったかのように頭脳が回転を続けている。
文系と理数系が切り替わったかのように――全く別の活動を開始している。
きっと、夢から覚める為の鍵が揃ったんだろう。
繰り返された日常から出ていく時が来た。
目覚めの時、だ。
「紫――」
罪悪感がないわけではない。
「うん?」
この少女と別れることに、何も感じないわけでは、ない。
それでもその時が来たのなら、私は私の役目を果たさなければ。
夢は覚める。
夢は終わってこそ観測される。
終わらない夢なんて――救いがないだけだ。
「ねえ紫、悪夢の定義ってなんだと思う?」
「は? 唐突ね――まあ、怖いってことじゃない?」
私の問いに少女は首を傾げた。
適当に放り出されただけの答えを否定する。
「怖いだけじゃないと思う。というより、それは包括されて然るべき要素かな」
「ミクロじゃなくてマクロで語れって、難癖? まあ、じゃあ――」
胡散臭い笑みで、彼女は答えた。
「不自由さ。これが悪夢の定義じゃないかしら」
「その心は?」
「普段出来ることが出来ないっていうのは中々にストレスを感じることだわ。故に悪夢。
例えば走ってるつもりなのにすごくゆっくりしか移動できないとか、ね」
「ふうん。なるほど――――じゃあ、これは悪夢ではないわけね」
「……霊夢?」
さらに重くなる罪悪感。
悪夢ではないと云うのなら、この日常がそのままの意味だとするのなら――
それでも止まれない。切り替わった部分ではなく、元の霊夢の部分で。
終わるものは、公平に終わらせなければ。私はそういう人間だ。
「ねえ紫」
それがどんな想いでも……終わりたいと云う願いは叶えなければ。
「これは私の夢? それともあなたの夢?」
空気が張り詰める。
どちらも緊張は見せない。紫は笑っている。
だけれどこの息苦しさは間違いようもなく彼女から発せられていた。
「意味がわからないわ、霊夢」
柔らかく、紫は微笑む。
こんな時だからこそ――その笑顔は異質だった。
拒絶しながら笑っている。威嚇しながら笑っている。
妖気を隠しもしないで、子供らしさを覆い隠して、紫は笑っていた。
「……あなたが夢じゃないと言うのなら、そう主張するのなら、私の夢なのかしら」
「寝惚けてるの? 顔でも洗ってきた方がいいんじゃない」
崩さない笑顔。彼女はどこまでも私の言葉を否定する。
でもダメよ紫、今の私は勘だけじゃなく式で解答に至っている。
あなたの否定は届かない。
「何を守っているの、紫」
「私は誰も守らない。私が守るのは世界だけよ」
無駄にスケールが大きい。
いや、マクロじゃなくてミクロか。
彼女が守ろうとしている世界は――あまりにも小さい。
「ああ、これで確定ね」
彼女が守るのは、
「これはあなたの夢」
彼女が愛したのは――このなんでもない日常だった。
私は舞台装置に過ぎない。この夢の世界を回し続ける歯車の一つ。
夢見る者を夢に固定する道具だった。
――こうやって、自我みたいなものがあるのだけは、意外だったけれど。
かたんと、書割の空から色が失われた。
「気づいちゃったんだ」
紫は笑っていた。
さびしそうに――笑っていた。
「そうね、これは夢。限りなく現実に近いけれど、ずっとずっと遠く遠く未来のお伽噺」
芝居染みた足取りで歩き出す。
「無限の選択肢の中から選んだ、私が望んだ未来――」
私の周りを一周して足を止めた。
お芝居そのものに、大仰な動きで私を見る。
「じゃ、ないのかもしれない」
「締まらないわねえ」
「だって私の願望が多分に入っちゃってるんだもん」
「それはしょうがないんじゃない?」
理解するよりも先に、その言葉は出た。
「あんた、まだ子供なんだし」
彼女がどういう方程式でこの夢を作り上げたか理解する。
莫大で膨大な何万何億と連なる方程式を理解する。
人間の頭脳では何万年かけても辿り着けない夢想の世界。
それでも――その言葉が出た。
「子供って、妖怪なんだからあなたより」
「精神構造の話よ。あんたの心はまだ子供」
「……いつから心を読めるようになったの?」
「読めなくても、勘に頼らなくてもそれくらいわかるわ」
ずっといっしょだった。毎日遊びに来られた。
ずっとずっと言葉を交わし続けた。胡散臭い笑みが瞼に焼き付いた。
傍らに居るのが当然と思うほど。居ない時間の方が落ちつかなくなるくらい。
そんなあなたのことがわからない筈がない。
時折見せた素直な笑みこそがあなたの素顔だって――知っている。
「――終わらせちゃうの?」
「まあ――気づいた以上は、ね」
紫の顔から笑みが消える。
当然の結末。決まり切ったゴール。
それを彼女は拒絶する。
否定しないで、拒絶する。
「なんで?」
その声に胡散臭さなど微塵も無い。
「どうして終わらせなきゃならないの? ずっとこのままでいいじゃない。何がいけないの?
楽しくて平和で――みんなが居るじゃない。終わらせる必要なんか……っ」
苦渋に歪む幼い顔。
「だって終わったら、終わっちゃったらあなたは――!」
ええ、その結末は知っている。
あなたが目覚めたら私は消える。
役目を終えた舞台装置は泡沫に消える。
……怖くないなんてことはない。作り物だと理解しても、消失は恐ろしい。
余裕なんか無い。爪では足りず指を喰う程に生に執着している。
だから、そんな私を守ろうと拒絶するあなたを止めたくないとも、思ってしまう。
だけど――私は、知っちゃったから。式で解答を導き出しちゃったから。
この世界の全てを、理解しちゃったから。
「でもね、それじゃあなたはずっとひとりぼっち」
どれだけ精巧に作り上げられた世界でも虚構に過ぎない。
どれだけ自然に微笑もうと、この世界の住人は人形でしかない。
この世界は、どこまでいっても――紫の一人芝居でしかない。
「……なおのこと! このまま続けた方がいいじゃない! 起きたって私はひとりぼっちだもの!
このままがいい! みんなが居る方がいい! 夢を見続けることの何が悪いのよ!!」
知っている。私の演算能力は現実の紫にまで及んでいる。
暗闇で生まれた彼女。そこから出ても何をしてよいかわからず彷徨い続けた。
だから、彼女が最初に覚えた感情は――さびしさ、だった。
だから、彼女は……こんな世界を作り上げたんだ。
紫を直視する。端正な顔が見る影もない。
彼女にこんな顔をさせてしまったのは己だと思うと、さらに罪悪感が増す。
されど私は止めさせる。この世界を終わらせる。
それが、私の…………
「願望が入ってる。そう言ったわね、紫」
冷酷に告げる。
「だったら、あなたの願いで生み出された私は――私のこの残酷さは、きっとあなたの願いなのよ。
目を覚まして、友達を作って、あなたが夢見たこの『未来』に至れるように頑張りなさいって突き放す」
淡々と――告げる。
「そのために私は居るんだわ」
与えられた役割。
舞台装置としての役目。
生へ執着しているのを押し殺す。
それでも死にたくなんかなかった。
消えたくない、一分一秒の生が狂おしい程に愛おしい。
ただ、ただ――今の私には、それよりも、恋しいものが、あるから。
「――がう……っ」
絞り出される声。
「違う違う違う違う違う違う違う!!」
真実それは、少女の小さな体から絞り出された叫びだった。
「霊夢は、そんなことするために作ったんじゃない! 私の好きな人のカタチで作ったんだもん!
思い出せない、手が届かない、八雲紫が始まる前に好きだった人のカタチで作ったんだから――!
やめてよ……っ、なんでそんなこと言うのよ……! 私が願ったのは――っ」
「だから、私なんでしょう?」
悲痛な叫びを遮る。
「思い通りになる人形なんて嫌だったから。本当に好きだったから。望まぬ願いを私に託した」
残酷に計算から導き出された解答を告げてゆく。
「あなたは、私に――……」
目を瞑る。
……まだ解答の途中だ。
数式は半分も言葉にされてない。
彼女を納得させるには、彼女を目覚めさせるには足りてない。
そんなこと、十分過ぎるほどにわかっているけれど。
「ごめん」
止める。
別人のようになった脳髄を停止する。
数式なんて要らない。計算なんて要らない。
「うん。ダメね、御託をいくら並べたって、数式じゃ気持ちは伝わらない」
舞台装置なのにその役目も果たせないことに苦笑する。
きっとこれは正解なんかじゃない。正しい解き方なんかしていない。
解答に至れるのかもわからないことを私はやろうとしている。
でも、きっとそれでいい。
じゃなきゃ私は消えられない。
正しさだけじゃ死なんて受け入れられない。
「ごめんね紫。実はさ、役目とか、どうでもいいの」
私は……彼女と過ごした日々で育んだ想いで、言葉を綴る。
「これはね、あなたに立ち止まって欲しくないって、私の
理屈も何もない言葉で、紫に微笑みかける。
「こんな私、きらい?」
一歩だけ近寄る。
今日初めて彼女に歩み寄る。
逃げられるかもしれない、拒絶されるかもしれないと思いながら、もう一歩。
呆然と私を見上げる小さな少女に歩み寄っていく。
そっと、手を伸ばす。
「……きらいになんか、なれない」
震える手を、そっと握る。
「ウソでも――まやかしでも――作り物でも――」
かたかたと世界が欠けていく。
櫛の歯が抜けるようにその輪郭を失っていく。
ぽたりと、私の手に水滴が零れた。
「それでも――あなたと過ごした毎日は」
抱き寄せる。
私の為に泣いてくれる少女を――守るように。
「――――偽物なんかじゃない」
これ以上言葉はいらない。
ウソでまやかしで作り物の私でも、それくらいはわかる。
わかるくらいに――偽物じゃない日常を送らせてもらった。
あなたを好きになれるくらいに、人間として生きさせてもらった。
「さようなら――あなたに逢えるのを楽しみにしてるわ、霊夢」
もう殆ど暗闇のような世界にそんな声が響く。
ああ、それは気に食わないわ。
ゆっくりと……溶けてゆく体に目もくれずむらさき色の瞳を見据える。
「じゃあ、約束してやるわ」
紫の泣き顔が驚きのそれへと変わる。
「あんたが作ったこの『霊夢』は、そういう性格らしいの」
ほんの少し愉快。出来れば日常の中でそういう顔を見たかった。
「絶対にあんたを見つけて、捕まえてやるわよ。紫」
彼女に見えるかわからないけれど、満面の笑みを浮かべる。
「だからさよならはなし」
何もかもが消えてしまう寸前。
確かに私はその言葉を伝えられた。
うん。この約束があれば死ぬのも怖くない。
きっと安らかに眠れるだろう。
次に、目が覚めることがあるのなら――――――
「またね、紫」
あの小生意気な少女をどうしてやろうかしらね?
夢から覚めた紫に幸せになってほしいです。
面白かったです
彼女との約束の為に
彼女に捧げるスペル
―結界「夢と現の呪」―
そういうことだったんですね。
猫井さんの作品の紫は、メリーとは別物の妖怪だと思ってたけど、案外そうでもないのかな?
まあ、何であれ、良かったです。
メリー=紫かどうかは多分この作品では関係がないように思える。
いやでも面白いね
見ていて心が重くなるのがこの面白さのベクトルなのかなと思う