できることならば喉が裂けるまで叫びたかった。この声枯れるまで、怒号をはりあげたかった。肺中の酸素が無くなって、ああ、私は窒息死してしまうのではないだろうか、そう思えるほどまで声という声を出し尽くしたかった。
それを邪魔する賢将たるプライドは、今や私にとっては重荷でしかない。
Farewell 上
注意:星と水蜜が恋人である前提がございます。特定カップリングの百合要素を含みます。苦手な方は、回れ右をお願いします。
1
死してなお現世に居座り、肉体を失ってなおその存在を顕界に留めようとする。
それは生に対する比類なき執着。
生きたい、生きたいという、根源的な、欲望。
生を終えても裁きを拒否し魂の精算を行わず、なお今の生にしがみつく……
そんな、欲望の塊と言っても過言でない魂が、現世の欲から解放されるために修行することを目的とした"お寺"という場所に棲みつく事。
「それ自体が、問題である」
何も無い空間に、低い声が響いた。
「………………」
「再び輪廻の輪に戻るよう、成仏させよ」
「………………お言葉ですが……生への執着ではなく、現世への未練があるために死してなお顕界に留まっているのであるからして……問題では、ないのでは、と」
「現世への未練。失くした舟を探し出すこと。既に叶ったと、おまえの部下より報告を受けているぞ」
「………………」
「不自然な状態を許すべきでない。我らは、絶対的な正義を貫くことを目的としている。それこそが秩序」
「はい」
「では、行け。かの舟幽霊を、自然な状態へ」
「……………………毘沙門天様」
「行け」
「…………………………しかし」
「お前は、妖怪か?それとも、毘沙門天か?」
目を見開きわが主を見上げた。
しばらく音が聴こえなかった。
目に何が映っているかもわからなかった。
だんだん息が上がってきた。
はぁ、はぁ。
呼吸が早くなってきた。
はぁはぁはぁ。
肩が上下している。
滴った汗が頬の温度を奪い、ヒヤっとした感覚に、ようやく己を取り戻した。
「お前は妖怪か?それとも」
再度の問に、聖の影が、チラついた。
「……………………毘沙……門……天………………です」
**********
目を開けた。
四畳一間の寝起き以外を目的としない自室。
そこに持ち込んだ、小さな小さな毘沙門天立像。
仏像を前にして行っていた瞑想をやめるとゆっくりと立ち上がる。
中腰になった辺りでふらっと態勢をくずした。軽い眩暈を覚えたからだ。
まだ、息は上がっていた。
はぁ、はぁ。
体勢をなおして立ち上がり、横目でちらっと小さな仏像を見た。
仏像もまた、大きな威圧感を持ってこちらを睨んでいる気がした。
引き戸を開けて廊下へ出る。
板張りの廊下と素足を隔てる足袋は薄布。この季節、この時間の廊下の温度から足を守るにはかなり心もとない。
「さぶっ………ふぅ」
廊下に一歩。踏み出して、一息。
四足の頃の比ではないが、全身の毛がぶるぅっと逆立つ。
「よし」
気合を入れると、意を決して板張りの上を歩き出す。
一歩、一歩毎に新しい冷気が足の裏から体内へ突き抜けていく。
毎日の事ながら、慣れることのできない感覚だ。
そろりそろりと廊下を歩きだす。と、この時間には珍しい顔に出会った。
「おはよー星!」
「おはよう。早いな」
「今日は庫裏の掃除当番だからね。さっさと終わらせようと思って」
「そうか。ご苦労様、一輪」
軽く一言二言交わし、庫裏を出る。目指す先は金堂だ。
「おはよう」
「ああ、おはよう」
朝のお勤めのために向かった金堂。その入り口で、彼女は腕を組んで立っていた。
挨拶を終え、脇を通り過ぎ堂内に入ろうとする。
「君。しっかり、やるんだよ」
「?」
ナズーリン、何か言ったかい?そう言おうとして、今の言葉を頭の中で反芻した。……意味を理解した。
「うまくやるんだ。上司への報告はきちんとしてあげるからさ」
彼女は済ました顔で言う。
「ナズーリン。何の、話だ……?」
わかっているけれど、確認したかったのだろうか。私はもう一度ナズーリンに尋ねた。
「決まってるじゃないか。ムラサ船長のことさ」
寒気が走った。
「必要とあらば私もサポートするよ。船長も並みの妖怪ではないからね。一筋縄ともいかないだろう。もしかしたら一輪やぬえなんかも敵に回すことになるかもしれないし。まあ、私と君、そして毘沙門天様のお力があればなんとでもなるだろう」
……ナズーリンの口からいとも簡単にそんな言葉が出るとは。ムラサの存在を消そうということに、なんの躊躇いも無いのだろうか。それが、毘沙門天様の優秀な部下であるという証拠だとでもいうのか。
その場に縫い付けられたように体が動かなかった。まるで体内の血液が一度に凍りついたのではないかと思うほどに、私の体はいうことをきかない。
「……どうしたんだいボサっとして。朝のお勤めだろう?聖がお待ちだよ」
「あ……ああ」
凝り固まった体を床から引き剥がすようにゆっくり移動させる。このままナズーリンの表情を直視する勇気も出ないので、お堂の方を真っ直ぐ見て、足を動かそうとする。
そこに追い討ちをかけるように、ナズーリンは一言かける。
「なあに……。敬愛する聖だって見捨てることが出来た君なんだから。簡単に出来るさ」
返事すらせず、私は足早にお堂の聖の下へと向かった。
2
朝のお勤めは、大抵二人きり。
聖と、私。
時々、一輪がやってくる。共に聖の後ろに座し、経を読む。
最近は、ぬえがやってくることもある。本人曰く聖への服従の態を表すためであるらしい。大人しく経を読んでいる様は、普段の行いを顧みるに、こう言うと不謹慎ではあるが、面白い。
ごくたまに、ナズーリンが同席することもある。長い間読んでいないと忘れるのでね、と言って、それでもすらすらと暗謡してみせる。毘沙門天様の優秀な部下なのだと再認識すると共に感心する。
ムラサは。
……まず、来ることはない。
理由は至極簡単。 彼女が念縛霊であるからだ。
死後なお未練を持ち顕界に留まろうとする幽霊、それが念縛霊。
そして幽霊である彼女はお経を嫌がる。 曰く、お経を聴くと体がふわーっと軽くなり、意識が朦朧とし、そして安らかに眠りに落ちるように……つまりは、成仏してしまうような気がして怖いのだと言う。 幽霊がお経で成仏する、というのはなるほど筋が通っている。
つまり。
ムラサの言うことが本当であれば、今私がここで毎朝読んでいるお経を唱えるだけで、ムラサは成仏するのだ。
読経。
ただ、それだけ。
ただそれだけの手慣れた行為をいつも通りに行うだけで、私は何ら苦しむことなく毘沙門天様からの命令を果たすことが出来る。
そう。それだけでいい。
一体何を迷うことがあるのだろうか。
それだけで、私は毘沙門天の正義を守ることができるのだから…………。
ぺちん!
「あ痛ッ!?」
それはそれは綺麗な音が本堂中に響き渡った。私の頭の、隠れて見えはしないが丁度耳のところが随分痛い。
聖の平手だった。
「ひ、ひじり……」「……痛いです」
聖はニコッと笑む。
「それはもちろん。はたきましたから」「星、それ、逆」
「へ…………? あ、はわわっ!」
聖に指摘され、初めて私は手にしていた経典の上下がさかさまであったことを知った。
「それに星、さっきから同じ一説ばかり唱えていましたよ」
「すすす……すみませんっ!」
赤っ恥になるよりも、冷や汗を垂らして私は経典をひっくり返す。そしてぴしっと背筋を伸ばすと、再び読経の態勢に戻る。
「……星」
「は、はいっ?」
正しく持ち直した経典を睨みながら答える声は裏返っていた。
「……悩み事、ですか?」
「!…………い、いえっなにも……!」
経典とにらめっこをする私は問いかける聖のほうをちらりとも見ない。
「……そう」
「……言いたくないのであれば構いません。……しかし、困ったときはいつでも話してくださいね?あなたは独りではない。素晴らしい仲間がたくさん近くにいることを忘れないでください」
私に目線を合わせ、ゆっくりとそう言う聖。
できれば合わせたくないが、こうして見つめられるとそっちを向かざるを得ない迫力というかかりすまというか……そんなものにひきつけられ、私は聖の目を見てしまう。
それは、にこやかに優しく微笑んでいた。菩薩の如くに。
耐え切れず私は再び経典に目を落とした。
……誰かに相談できればどれほど楽だろうか。しかも、相手が聖であったならば。それはどんなに心強いだろうか。けれども……それこそ、"できない相談"なんだ。
"ムラサを成仏させるかどうか"
そんなことを迷っているなんて……今聖が言った"素晴らしい仲間"への裏切り行為と大差ないではないか。
「はい……。ありがとうございます、聖」
結局、社交辞令に過ぎない礼を言うに終わる。聖は一つため息を小さくこぼすと、再び座布団に正座し読経の姿勢に戻った。
3
ムラサ……いや、水蜜。
二人きりでいる時は、名前で呼ぶ。それが私たち2人が立てた誓約である。
二人でいる時は、なんて言わずに他目をはばからず水蜜と呼べばいいのだが……如何せん、恥ずかしい。それが為に、私は未だ普段、水蜜をムラサと呼んでいた。
朝のお勤めを終えた私は境内に一際高くそびえる榧の下で水蜜と二人、昼餉までの時をのんびりと過ごしていた。
私の膝の上に頭を乗せ、寝そべる水蜜。小さな寝息を立てて胸をゆっくり上下させ、いかにも気持ち良さそうな顔をしている。
思わず頬がゆるみそうになるのをぐっとこらえ、視線を外し、空に向けた。
……毘沙門天様の命令は、絶対。
絶対の正義。
拒否は出来ない。
拒否するということはつまり…………毘沙門天の正義の否定……己の、否定。
ふぅっと、一息ついた。
膝の上の水蜜を今一度見やる。
うじうじ悩もうとどうせいつかやるのだ。ならば早いほうが良いに決まってる。迷い続けても、徒に苦しい時間を延ばすだけだ……。
毎日毎日唱えているお経の言葉を、頭に思い浮かべる。
息を、すぅ、と吸った。
「……なに難しいカオしてるの??」
「いや、ちょっと考え事を…………。おおおおぉぉぉぉおお?!」
「うわ、びっくりした」
「び、びっくりしたのはこっちだ水蜜!!!!」
「え、ごめ……ん?」
目をぱちくりとしばたかせた後、大きな欠伸をひとつして、水蜜は起き上がった。
「……起きてたのか」
のそりと身を起こすと水蜜はくるりと半回転してこちらを向いた。
どうしたのだろう、と頭に疑問符を浮かべる私。
水蜜は私の膝の脇に両手をつき、ずいっと迫ってくる。近寄ってくる水蜜の顔に慌てて頭を引いた。
「ぁだっ!」
後ろに引いた頭が木の幹にぶつかり、私は小さく悲鳴をあげた。しかしそんなことは意に介さず、水蜜はさらに近寄ってくる。
「み、みなみつ……っ」
じぃ~……っ
「ち……近いって……」
じぃ~……っ
「な、なんだ……?」
じぃ~……っ
「星」
「ぁうっ?」
ようやく聞こえた、第一声。
「……一人で抱え込んじゃ、やだよ?」
「……え」
「……何か……悩んでるんじゃないの?」
「…………い、や……」
しばらくじーっとこちらを見つめる水蜜。しかし私が何も語らぬと見るや、諦めて引き下がる。
「なにかあるんだったら……相談してよ、ね?」
「あ……あ、ああ……」
「星の力になるんだったら、私、なんでもするから!」
にこっと。破顔。
無垢な水蜜の顔をまじまじと見つめたまま、私は返事ができずにいた。
しばしかたまっていると、胸にぽふっとよりかかってくる重み。……水蜜の頭が、自分の顔の直ぐ下、私の胸の中にうずまっていた。鼻を撫でる髪の香りはまるで潮騒のように心を落ち着かせる。ちら、と盗み見た表情は、幸せな、とか、満ち足りた、とか……そういった類の言葉を全部合わせても表しきれない、そんな笑みだった。
水蜜の背中に手を回す。
「しょぅー……」
「……ん」
………………。
だめだ。
……できない。
彼女を目の前から消し去ろうなんて。この、今私の胸に寄りかかる水蜜の存在がいなくなるなんて。
水蜜がいない世界なんて。
こんな私を信頼し、体重をあずけてくる、この少女がいない世界なんて。
……私は今、天秤計りの前にいるのだ。
一つの皿に乗るは、水蜜という存在。もう一方の皿に乗るは、毘沙門天という存在。
……私が毘沙門天であることを貫く……それは大事なことだろうか?
この腕に抱く舟幽霊がいなくなってしまうことと比して、それはそれほど重いことだろうか?
天秤計りは、揺れる。
かつての決断を思い出す。
聖が封印された、あの日。
あの日。私は水蜜たちを助けなかった。
己が毘沙門天であることを守らねば聖の寺が守れなかったから。聖の意思を守ることができたのは、妖怪であると人間たちに悟られることが無かった私だけだったから。
本来ならば。あの時水蜜、一輪を助け、聖輦船を取り返し、聖を助け、人間たちを皆で力を合わせて追い返すことは容易であった。
しかし私はその選択をとらなかった。
私が妖怪であると知れれば、寺が守れない。風評は地に落ちる。
聖の理想を守るための最善の決断だった。
故に……一面的であるとはいえ、私は聖を、水蜜を、一輪を見捨てた。
では今は?
私が水蜜を見捨て、毘沙門天であることを貫く……意味は?
…………あるのか?
意味は。
その存在を確かめたくて。彼女の柔らかい髪に手を置いてみる。水蜜は「えへへー」なんて言いながら私の法衣を小さく握った。私は目を閉じ、お返しとばかりに彼女の儚い体をぎゅっと強く抱きしめる。
そして、決意を固めた。
4
できることならば喉が裂けるまで叫びたかった。この声枯れるまで、怒号をはりあげたかった。肺中の酸素が無くなって、ああ、私は窒息死してしまうのではないだろうか、そう思えるほどまで声という声を出し尽くしたかった。
それを邪魔する賢将たるプライドは、今や私にとっては重荷でしかない。
お経が止んだ。聖とご主人様による朝のお勤めが終わったようだ。
今しがた捕らえてきた弱小妖怪をネズミたちでも食べよいように一口大にちぎり分けてばらまくと、私は部屋を出る。
革靴のボタンをぷちぷちととめ外に踏み出せば冬特有の皮膚を突き刺すような冷気が容赦なく襲い掛かってくる。寒さに震えているときの私の尻尾はおそらく一年中いついかなるときと比べても一番長いのではないだろうか。そのくらいに、ピンっと伸びる。この張り詰めた冬の空気の感触の如きに。
ざくざくと霜柱を踏み潰しながら境内を歩く。
見つけた。
境内に一際高くそびえる榧の傍らに、われらが聖輦船の船長……村紗水蜜が座り込んでいた。しばらく待つとほどなくしてわが主人、寅丸星がやってくる。
この二人は毎日こうして半刻ほどの時間を共に過ごしているらしい。よくも毎日毎日、二人で出来る話題があるもんだと半ば呆れつつ様子を伺う。
別に、そこに割って入ろうとは思っているわけではない。二人だけの時間を大切にしたいのであれば、それでいい。残された時は短いのだから。
二人が立ち上がりお堂へ向かうころあいを見計らい、ご主人様に声をかけた。
「やあ、ご主人殿。最期の別れは済んだかい??」
いつものように船長といっしょに昼餉に向かうご主人様を呼び止める。ご主人様は船長に先に行くように促す。二人だけになったところで私は話を切り出した。
「さて。そろそろ話し合おうか。いつ、どこで、どうやって船長を成仏させるか」
「ナズーリン。それなんだが」
「うん。何かいい作戦でもあるのかい?」
「やめよう」
「…………」
「……すまない、良く聞こえなかったよ。何を、言ったのかな??」
「やめよう。ムラサをこの世から消し去ることなんて、私にはできない」
しっかと両の目を見開いて私を見据える毘沙門天。
はて。今までご主人様がここまで凛々しく物を口走ったことがあったろうか。
「っはは。何を言うかと思えば。……相応しいかどうかはこの際不問にするとして……君は毘沙門天だ。毘沙門天様のたくさんいる弟子のうちの一個だ。なればこそ、毘沙門天様の意思を実行することこそが君の使命なんじゃないのかい」
明確に感じた狼狽を、確実に隠して私は返す。
……ややあって、ご主人様から返事が来る。
「……確かに。毘沙門天様の命令は絶対だ。これをやれ、と言われれば必ずやそれを遂行せねばならない。それが正義であるから。しかしそれは……」
「うん?」
「私が毘沙門天であることを貫くならば、の話だ」
「………………」
体が震えた。
「君、まさか…………ッ?!」
「ああ。そのとおりだナズーリン。どうあっても毘沙門天様の命令を守らねばならぬというのなら、私は、私が毘沙門天であることを」
「ご、ご主人様ッ!」
信じたくない事実は、口に出さない出したくない出させたくない。
だから、懸命に、遮った。
「……なんだ?」
遮った先の二の句は考えていなかった。ただ、それ以上口にさせまいと焦ったに過ぎない。
それでも私は説得しなければならない。
一度小さく深呼吸する。
そして、努めて平静に返した。
「……そうは言うけどね。今船長を成仏させなければ、後悔するのは君だ」
説得を、しようと。
「ナズーリン」
「君。考え直せ。今此処で毘沙門天様の命令を拒否したら……本当に辛い思いをするのは、君自身だ」
「ナズーリン」
「考えても見ろ。毘沙門天様の元を去るということは、同時に聖の元を去るとい」
「ナズーリン、私はムラサが。いや。水蜜が好きだ」
「………………は」
「私は、水蜜が好きだ。心の底から好きなんだ。愛しているんだ」
「………………なにを、急に……」
「私は自分の気持ちに嘘をつきたくない。たとえ毘沙門天の弟子という肩書きを捨ててでも水蜜を守りたい」
……ご主人様。
「何を馬鹿なことを、と、ナズーリンは言うかもしれない。私たちは同性だ。それを愛するなどと…………。しかし、それでも……本気なんだ」
嘘だと、冗談だと言ってくれ。
「水蜜と共に過ごせなくなるなんて、考えられない」
そうでないと、私は。
私の心中など察するわけも無くご主人様は続ける。すでにハラの内は決まっている。覆すことは不可能だと、そう告げてくる。私の説得など、意味を成さないのだと。
「ナズーリン、もう決めたんだ。毘沙門天さまを裏切ることとなろうとも致し方ない。毘沙門天様に破門されるようなこととなろうとも。水蜜がいれば。水蜜さえ存在してくれていれば……何も、いらない」
そう言い放ったご主人様の瞳は凛と輝いていて。もう何と反論しても届きそうにない。
「今夜にでも、私の意思を毘沙門天様に伝えようと思う。……すまないナズーリン。協力してくれようとしていたのに、無碍にしてしまって」
あまりの暴言に何のリアクションもとれずに固まっていると、もう話は終わった、とばかりにご主人様はきびすを返した。こちらに向かって軽く会釈をしてから食堂(じきどう)へと歩いていくご主人様。だんだん遠ざかり、その姿は消えていく。
寒空に残されたのは、ネズミ一匹。
「………………っはは」
自嘲。
私は。
私は、ご主人様に想いを寄せていた。しかしご主人様が船長と恋仲にあることはまあ心得ていたので、すでに諦観を決め込んではいた。
しかし。
しかしここまで、完膚なきまでに、打ちのめされようとは。
「……………………たまらないね」
目の前で想い人に拒否を突きつけられた。明確に、ばっさりと。
呆気にとられた心に、だんだんと体の深奥から湧き上がってくるものがある。
この感情に名前をつけるなら………怒りだ。
ふつふつと、全身の血液が頭に上りつつあることを自覚する。それはムラサ水蜜へ向けた怒りであり、寅丸星へ向けた怒りだ。自分が抱くこの感情はきっと理不尽なものに違いないが、だが理屈でどうにか抑えられるものではなかった。
煮えくり返るはらわたを……処理する術を、私は知らない。
同時に、湧き上がる悲しみ。
目からこぼれる物をぐいと袖でふき取ると、私はお堂の方を見る。
「……もうどうなろうとも知るもんか……」
小さくつぶやく、呪詛の言葉。
「せいぜい苦しむが良いさ……己の違えた選択を……!!!」
5
目を覚ました。むくりと体を起こす。四畳一間の寝起きだけを目的とした部屋に満ちる空気は昨日よりも幾分軽くなったような感じがした。
部屋を見渡す。家具類は一切無く、目立ったものといえば経典の束とすずりが乗せられた文机くらい。そしてその目先にぽつんと置かれた小さな小さな毘沙門天立像は、もはや何の威厳も放ちはしなかった。
がらり。
引き戸を開け、板張りの床に一歩踏み出す。昨日と同じ冷気が足元から襲ってくるが、体は震えなかった。
「おはよー星」
「ああ、おはよう……あれ。一輪、昨日も掃除当番じゃなかったか?」
「そうなんだけどね。ナズーリンが代わって欲しいって」
「……ふむ、珍しいこともあるもんだな……頑張って」
「んーありがと。そっちもお勤めごくろうさん」
ひたひたと廊下を歩き進む。
毘沙門天様との会話を思い出していた。
毘沙門天様は尋ねた。
「"毘沙門天の正義"を、否定するのか」
私は答えた。
「それが毘沙門天の正義であるならば……私は、"私の正義"を貫く」
「なれば、寅丸よ。お前は、毘沙門天であることをやめようと言うのか?」
「毘沙門天様。今の幻想郷は平和です。人間も妖怪も……何の分け隔てもなく、暮らしている。もう昔の様に私が妖怪であると周知されることを恐れずともよいのです。聖が望む、人間と妖怪が平等な世界。それはすでに実現している。もう、妖怪が毘沙門天の皮をかぶる必要はなくなったのです。」
「よいのか?白蓮はなんと言っている」
「……まだ、何も」
「尚早ではないか寅丸」
「そうかもしれません。しかし。しかしムラサをこの世から消し去ることを正義とする。それは、いかなる理由があろうとも私は受諾できない」
「己の感情を優先しようというのか?」
「………………もう……」
「………………もう……嘘を、つきたくありません」
「寅丸」
「自分に嘘をつくことはもうしたくないのです。水蜜を失うくらいなら、私は、毘沙門天でなくて良い!」
「おまえは大局が見えていない」
「何を持って水蜜を消すことを是とするのですかっ!」
「考えろ、寅丸。村紗水蜜という存在のゆがみを」
「ッ……歪んでなどいないっ!私が必要としている………それで、それだけで存在する理由は充分です!!!」
「それがおまえの是か」
「それのなにがいけないのですか!!!」
「………………………………」
「そう、か」
「あい、わかった」
「毘沙門天様」
「うむ」
「……今まで、ありがとうございました。毘沙門天様にお受けしたこの名。"寅丸星"。今を持って、返還いたします。私はこれから、ただの妖虎、星……ショウに戻って、生きていきます」
「馬鹿な弟子だ」
「はい」
「私が面倒を見た中で一番馬鹿な弟子であった」
「はい」
「馬鹿で、頑固で、一途で、素直で……」
「はい」
「……優秀な……弟子であったぞ……ショウ」
「ありがとうございます」
「どこへでもいけ、不肖の弟子よ。もうその姿、見せるでない……!」
「はい。……ありがとう、ございました」
庫裏を出た。金堂と庫裏を繋ぐ渡り廊下を歩く。なんとなしに見上げた未だ暗い夜明け空は雲ひとつない快晴だった。
お堂に一歩、足を踏み入れた。
6
「聖……私は、毘沙門天さまより破門されました」
第一声。朝のお勤めを始める前、聖にそう告げた。壇上を向いたきりこちらを一切振り返らない聖の背中をびくびくしながら見る。しかし聖は「そうですか」と小さくつぶやいたきり、それ以上何も言わなかった。前を見据えたまま。
……その声は幾分冷たい響きを伴っていた。
「……ですから、私が聖たちといっしょにいる理由はなくなってしまいました」
私は続ける。
「私は聖に毘沙門天として選ばれ、そしてお寺に置いてもらっていました。私が毘沙門天であることを放棄した今……もう、私がここにいる理由はありません」
聖の表情は、依然伺えない。
「ですが……聖」
「私は……できれば、ここにいたいです。皆といっしょにいたい。ここ命蓮寺で、毘沙門天としてでなくて良い、一介の門下生として、聖の元で暮らしていたいです………!」
私が言いたいこと、言うべきことは、それだけ。あとは聖の返事を待つだけだ。
額に汗がじんわりとにじんでいくのが感じられた。握り締め膝の上に置いたこぶしもまた、ゆっくりと汗で濡れていた。無限にも感じられた時間を置いて、やがて、聖が振り返る。
「ショウ……星」
そう呼びかけられ、向けられた顔は
「ええ。いつまでも……星が望む限り、ここにいてください」
とても慈愛に満ちた、笑顔であった。
「貴女は私たちと理想を共にする仲間です。仲間である限り、ずっと、このお寺で共に暮らしていて良いのですよ。……毘沙門天としてでなく、貴女として」
「聖……………!」
「では。朝のお勤め、始めましょうか」
聖は経典を開け、壇上の厨子を向いた。
「はいっ!!」
**********
「なあ、水蜜」
寒空に向かって緑葉を伸ばす大木。榧の下で、水蜜の腿に頭を置いたまま私は言った。
「んんー……?」
私が見上げた先に居る水蜜から漏れたのは気のない返事。
「私は、毘沙門天さまから破門されてしまった」
眠たそうな顔をしていた水蜜が、もともと大きな目をさらに大きく見開きこちらを向いた。
……特に弁解のしようもない。だから、何も言わずにその瞳を見つめ返した。ややあってから「……そう」とやはり気のない返事がきた。
「すまない」
「そうだね」
「毘沙門天でなくなった私がまだこの寺にいる意味はない……だけど。私は、ここにいたい」
「そう」
「聖も、変わらず私がここにいることを認めてくれた」
「………………」
水蜜からの返事は無かった。 私達はそれきり黙ってしまった。
そして昼餉を迎える。食堂に足を踏み入れるとすでに皆が仕度を始めていた。
全ての門下生が集うこの時間は一日の中で命蓮寺がもっとも騒がしくなる時だ。私は聖が注いだ味噌汁を配膳しながら、ちら、と周りに目を向けた。
……命蓮寺建設当初こそは、食事の準備も掃除と同じで当番制であったのだが、お互いがお互いを気遣い手伝っているうちにいつしか自然と皆でするのが当たり前となっていた。確か今日は聖の番であったはずだ。しかし、食事が運ばれてくるまで席についてただ待つだけのものなどおらず、皆が右往左往していた。
一輪は箸を並べている。
水蜜はごはんをよそっている。
ぬえは勝手場から煮物の大鍋を運んでいる。
ナズーリンは
……?
きょろきょろと辺りをうかがう。
「……まだ、来てないのか」
ナズーリンがいなくなることはままある。ダウザー業に繰り出している時や、毘沙門天さまに呼ばれるときなど。彼女も忙しい思いをしているのだな、などと考えながら配膳を終える。
あわただしい準備も終わり、皆が席に着き、聖が頂きますの音頭を取る。
いつも通り楽しい会話で弾む食事の席。
いつものようにぬえがヒトのおかずに手を出して水蜜の一喝を喰らい、一輪が静かにしろと二人をはたく。そしてそれを聖がにこやかに見つめているのだ。ここにナズーリンの「君はこんなみっともない真似しないでくれよ」という軽口が入ると完璧である。
やがてごちそうさまの掛け声と共に食事が終わる。準備と同じく片付けも皆で一斉に終わらせて、食堂は元の静けさを取り戻す……
「皆さん、お話があります。席についてもらえますか?」
食事も終わりめいめいが目的の場所へ移動しようというところに、聖が声をかけた。なんだろう、と皆が再び席に着く。全員の着席を見届けたところで、聖が口を開いた。
「既に気付いているでしょうが。今日は、ナズーリンがいません。彼女がいなくなるのはいつものことですね。もちろん、私も外出の旨を聞いて認めています……しかし、今回の外出はすこし特別なのです」
?
一同の頭に疑問符が浮かぶ中、聖は、言った。
「彼女は。ナズーリンは、もう、命蓮寺に戻ってくることはありません」
(続きます)
それを邪魔する賢将たるプライドは、今や私にとっては重荷でしかない。
Farewell 上
注意:星と水蜜が恋人である前提がございます。特定カップリングの百合要素を含みます。苦手な方は、回れ右をお願いします。
1
死してなお現世に居座り、肉体を失ってなおその存在を顕界に留めようとする。
それは生に対する比類なき執着。
生きたい、生きたいという、根源的な、欲望。
生を終えても裁きを拒否し魂の精算を行わず、なお今の生にしがみつく……
そんな、欲望の塊と言っても過言でない魂が、現世の欲から解放されるために修行することを目的とした"お寺"という場所に棲みつく事。
「それ自体が、問題である」
何も無い空間に、低い声が響いた。
「………………」
「再び輪廻の輪に戻るよう、成仏させよ」
「………………お言葉ですが……生への執着ではなく、現世への未練があるために死してなお顕界に留まっているのであるからして……問題では、ないのでは、と」
「現世への未練。失くした舟を探し出すこと。既に叶ったと、おまえの部下より報告を受けているぞ」
「………………」
「不自然な状態を許すべきでない。我らは、絶対的な正義を貫くことを目的としている。それこそが秩序」
「はい」
「では、行け。かの舟幽霊を、自然な状態へ」
「……………………毘沙門天様」
「行け」
「…………………………しかし」
「お前は、妖怪か?それとも、毘沙門天か?」
目を見開きわが主を見上げた。
しばらく音が聴こえなかった。
目に何が映っているかもわからなかった。
だんだん息が上がってきた。
はぁ、はぁ。
呼吸が早くなってきた。
はぁはぁはぁ。
肩が上下している。
滴った汗が頬の温度を奪い、ヒヤっとした感覚に、ようやく己を取り戻した。
「お前は妖怪か?それとも」
再度の問に、聖の影が、チラついた。
「……………………毘沙……門……天………………です」
**********
目を開けた。
四畳一間の寝起き以外を目的としない自室。
そこに持ち込んだ、小さな小さな毘沙門天立像。
仏像を前にして行っていた瞑想をやめるとゆっくりと立ち上がる。
中腰になった辺りでふらっと態勢をくずした。軽い眩暈を覚えたからだ。
まだ、息は上がっていた。
はぁ、はぁ。
体勢をなおして立ち上がり、横目でちらっと小さな仏像を見た。
仏像もまた、大きな威圧感を持ってこちらを睨んでいる気がした。
引き戸を開けて廊下へ出る。
板張りの廊下と素足を隔てる足袋は薄布。この季節、この時間の廊下の温度から足を守るにはかなり心もとない。
「さぶっ………ふぅ」
廊下に一歩。踏み出して、一息。
四足の頃の比ではないが、全身の毛がぶるぅっと逆立つ。
「よし」
気合を入れると、意を決して板張りの上を歩き出す。
一歩、一歩毎に新しい冷気が足の裏から体内へ突き抜けていく。
毎日の事ながら、慣れることのできない感覚だ。
そろりそろりと廊下を歩きだす。と、この時間には珍しい顔に出会った。
「おはよー星!」
「おはよう。早いな」
「今日は庫裏の掃除当番だからね。さっさと終わらせようと思って」
「そうか。ご苦労様、一輪」
軽く一言二言交わし、庫裏を出る。目指す先は金堂だ。
「おはよう」
「ああ、おはよう」
朝のお勤めのために向かった金堂。その入り口で、彼女は腕を組んで立っていた。
挨拶を終え、脇を通り過ぎ堂内に入ろうとする。
「君。しっかり、やるんだよ」
「?」
ナズーリン、何か言ったかい?そう言おうとして、今の言葉を頭の中で反芻した。……意味を理解した。
「うまくやるんだ。上司への報告はきちんとしてあげるからさ」
彼女は済ました顔で言う。
「ナズーリン。何の、話だ……?」
わかっているけれど、確認したかったのだろうか。私はもう一度ナズーリンに尋ねた。
「決まってるじゃないか。ムラサ船長のことさ」
寒気が走った。
「必要とあらば私もサポートするよ。船長も並みの妖怪ではないからね。一筋縄ともいかないだろう。もしかしたら一輪やぬえなんかも敵に回すことになるかもしれないし。まあ、私と君、そして毘沙門天様のお力があればなんとでもなるだろう」
……ナズーリンの口からいとも簡単にそんな言葉が出るとは。ムラサの存在を消そうということに、なんの躊躇いも無いのだろうか。それが、毘沙門天様の優秀な部下であるという証拠だとでもいうのか。
その場に縫い付けられたように体が動かなかった。まるで体内の血液が一度に凍りついたのではないかと思うほどに、私の体はいうことをきかない。
「……どうしたんだいボサっとして。朝のお勤めだろう?聖がお待ちだよ」
「あ……ああ」
凝り固まった体を床から引き剥がすようにゆっくり移動させる。このままナズーリンの表情を直視する勇気も出ないので、お堂の方を真っ直ぐ見て、足を動かそうとする。
そこに追い討ちをかけるように、ナズーリンは一言かける。
「なあに……。敬愛する聖だって見捨てることが出来た君なんだから。簡単に出来るさ」
返事すらせず、私は足早にお堂の聖の下へと向かった。
2
朝のお勤めは、大抵二人きり。
聖と、私。
時々、一輪がやってくる。共に聖の後ろに座し、経を読む。
最近は、ぬえがやってくることもある。本人曰く聖への服従の態を表すためであるらしい。大人しく経を読んでいる様は、普段の行いを顧みるに、こう言うと不謹慎ではあるが、面白い。
ごくたまに、ナズーリンが同席することもある。長い間読んでいないと忘れるのでね、と言って、それでもすらすらと暗謡してみせる。毘沙門天様の優秀な部下なのだと再認識すると共に感心する。
ムラサは。
……まず、来ることはない。
理由は至極簡単。 彼女が念縛霊であるからだ。
死後なお未練を持ち顕界に留まろうとする幽霊、それが念縛霊。
そして幽霊である彼女はお経を嫌がる。 曰く、お経を聴くと体がふわーっと軽くなり、意識が朦朧とし、そして安らかに眠りに落ちるように……つまりは、成仏してしまうような気がして怖いのだと言う。 幽霊がお経で成仏する、というのはなるほど筋が通っている。
つまり。
ムラサの言うことが本当であれば、今私がここで毎朝読んでいるお経を唱えるだけで、ムラサは成仏するのだ。
読経。
ただ、それだけ。
ただそれだけの手慣れた行為をいつも通りに行うだけで、私は何ら苦しむことなく毘沙門天様からの命令を果たすことが出来る。
そう。それだけでいい。
一体何を迷うことがあるのだろうか。
それだけで、私は毘沙門天の正義を守ることができるのだから…………。
ぺちん!
「あ痛ッ!?」
それはそれは綺麗な音が本堂中に響き渡った。私の頭の、隠れて見えはしないが丁度耳のところが随分痛い。
聖の平手だった。
「ひ、ひじり……」「……痛いです」
聖はニコッと笑む。
「それはもちろん。はたきましたから」「星、それ、逆」
「へ…………? あ、はわわっ!」
聖に指摘され、初めて私は手にしていた経典の上下がさかさまであったことを知った。
「それに星、さっきから同じ一説ばかり唱えていましたよ」
「すすす……すみませんっ!」
赤っ恥になるよりも、冷や汗を垂らして私は経典をひっくり返す。そしてぴしっと背筋を伸ばすと、再び読経の態勢に戻る。
「……星」
「は、はいっ?」
正しく持ち直した経典を睨みながら答える声は裏返っていた。
「……悩み事、ですか?」
「!…………い、いえっなにも……!」
経典とにらめっこをする私は問いかける聖のほうをちらりとも見ない。
「……そう」
「……言いたくないのであれば構いません。……しかし、困ったときはいつでも話してくださいね?あなたは独りではない。素晴らしい仲間がたくさん近くにいることを忘れないでください」
私に目線を合わせ、ゆっくりとそう言う聖。
できれば合わせたくないが、こうして見つめられるとそっちを向かざるを得ない迫力というかかりすまというか……そんなものにひきつけられ、私は聖の目を見てしまう。
それは、にこやかに優しく微笑んでいた。菩薩の如くに。
耐え切れず私は再び経典に目を落とした。
……誰かに相談できればどれほど楽だろうか。しかも、相手が聖であったならば。それはどんなに心強いだろうか。けれども……それこそ、"できない相談"なんだ。
"ムラサを成仏させるかどうか"
そんなことを迷っているなんて……今聖が言った"素晴らしい仲間"への裏切り行為と大差ないではないか。
「はい……。ありがとうございます、聖」
結局、社交辞令に過ぎない礼を言うに終わる。聖は一つため息を小さくこぼすと、再び座布団に正座し読経の姿勢に戻った。
3
ムラサ……いや、水蜜。
二人きりでいる時は、名前で呼ぶ。それが私たち2人が立てた誓約である。
二人でいる時は、なんて言わずに他目をはばからず水蜜と呼べばいいのだが……如何せん、恥ずかしい。それが為に、私は未だ普段、水蜜をムラサと呼んでいた。
朝のお勤めを終えた私は境内に一際高くそびえる榧の下で水蜜と二人、昼餉までの時をのんびりと過ごしていた。
私の膝の上に頭を乗せ、寝そべる水蜜。小さな寝息を立てて胸をゆっくり上下させ、いかにも気持ち良さそうな顔をしている。
思わず頬がゆるみそうになるのをぐっとこらえ、視線を外し、空に向けた。
……毘沙門天様の命令は、絶対。
絶対の正義。
拒否は出来ない。
拒否するということはつまり…………毘沙門天の正義の否定……己の、否定。
ふぅっと、一息ついた。
膝の上の水蜜を今一度見やる。
うじうじ悩もうとどうせいつかやるのだ。ならば早いほうが良いに決まってる。迷い続けても、徒に苦しい時間を延ばすだけだ……。
毎日毎日唱えているお経の言葉を、頭に思い浮かべる。
息を、すぅ、と吸った。
「……なに難しいカオしてるの??」
「いや、ちょっと考え事を…………。おおおおぉぉぉぉおお?!」
「うわ、びっくりした」
「び、びっくりしたのはこっちだ水蜜!!!!」
「え、ごめ……ん?」
目をぱちくりとしばたかせた後、大きな欠伸をひとつして、水蜜は起き上がった。
「……起きてたのか」
のそりと身を起こすと水蜜はくるりと半回転してこちらを向いた。
どうしたのだろう、と頭に疑問符を浮かべる私。
水蜜は私の膝の脇に両手をつき、ずいっと迫ってくる。近寄ってくる水蜜の顔に慌てて頭を引いた。
「ぁだっ!」
後ろに引いた頭が木の幹にぶつかり、私は小さく悲鳴をあげた。しかしそんなことは意に介さず、水蜜はさらに近寄ってくる。
「み、みなみつ……っ」
じぃ~……っ
「ち……近いって……」
じぃ~……っ
「な、なんだ……?」
じぃ~……っ
「星」
「ぁうっ?」
ようやく聞こえた、第一声。
「……一人で抱え込んじゃ、やだよ?」
「……え」
「……何か……悩んでるんじゃないの?」
「…………い、や……」
しばらくじーっとこちらを見つめる水蜜。しかし私が何も語らぬと見るや、諦めて引き下がる。
「なにかあるんだったら……相談してよ、ね?」
「あ……あ、ああ……」
「星の力になるんだったら、私、なんでもするから!」
にこっと。破顔。
無垢な水蜜の顔をまじまじと見つめたまま、私は返事ができずにいた。
しばしかたまっていると、胸にぽふっとよりかかってくる重み。……水蜜の頭が、自分の顔の直ぐ下、私の胸の中にうずまっていた。鼻を撫でる髪の香りはまるで潮騒のように心を落ち着かせる。ちら、と盗み見た表情は、幸せな、とか、満ち足りた、とか……そういった類の言葉を全部合わせても表しきれない、そんな笑みだった。
水蜜の背中に手を回す。
「しょぅー……」
「……ん」
………………。
だめだ。
……できない。
彼女を目の前から消し去ろうなんて。この、今私の胸に寄りかかる水蜜の存在がいなくなるなんて。
水蜜がいない世界なんて。
こんな私を信頼し、体重をあずけてくる、この少女がいない世界なんて。
……私は今、天秤計りの前にいるのだ。
一つの皿に乗るは、水蜜という存在。もう一方の皿に乗るは、毘沙門天という存在。
……私が毘沙門天であることを貫く……それは大事なことだろうか?
この腕に抱く舟幽霊がいなくなってしまうことと比して、それはそれほど重いことだろうか?
天秤計りは、揺れる。
かつての決断を思い出す。
聖が封印された、あの日。
あの日。私は水蜜たちを助けなかった。
己が毘沙門天であることを守らねば聖の寺が守れなかったから。聖の意思を守ることができたのは、妖怪であると人間たちに悟られることが無かった私だけだったから。
本来ならば。あの時水蜜、一輪を助け、聖輦船を取り返し、聖を助け、人間たちを皆で力を合わせて追い返すことは容易であった。
しかし私はその選択をとらなかった。
私が妖怪であると知れれば、寺が守れない。風評は地に落ちる。
聖の理想を守るための最善の決断だった。
故に……一面的であるとはいえ、私は聖を、水蜜を、一輪を見捨てた。
では今は?
私が水蜜を見捨て、毘沙門天であることを貫く……意味は?
…………あるのか?
意味は。
その存在を確かめたくて。彼女の柔らかい髪に手を置いてみる。水蜜は「えへへー」なんて言いながら私の法衣を小さく握った。私は目を閉じ、お返しとばかりに彼女の儚い体をぎゅっと強く抱きしめる。
そして、決意を固めた。
4
できることならば喉が裂けるまで叫びたかった。この声枯れるまで、怒号をはりあげたかった。肺中の酸素が無くなって、ああ、私は窒息死してしまうのではないだろうか、そう思えるほどまで声という声を出し尽くしたかった。
それを邪魔する賢将たるプライドは、今や私にとっては重荷でしかない。
お経が止んだ。聖とご主人様による朝のお勤めが終わったようだ。
今しがた捕らえてきた弱小妖怪をネズミたちでも食べよいように一口大にちぎり分けてばらまくと、私は部屋を出る。
革靴のボタンをぷちぷちととめ外に踏み出せば冬特有の皮膚を突き刺すような冷気が容赦なく襲い掛かってくる。寒さに震えているときの私の尻尾はおそらく一年中いついかなるときと比べても一番長いのではないだろうか。そのくらいに、ピンっと伸びる。この張り詰めた冬の空気の感触の如きに。
ざくざくと霜柱を踏み潰しながら境内を歩く。
見つけた。
境内に一際高くそびえる榧の傍らに、われらが聖輦船の船長……村紗水蜜が座り込んでいた。しばらく待つとほどなくしてわが主人、寅丸星がやってくる。
この二人は毎日こうして半刻ほどの時間を共に過ごしているらしい。よくも毎日毎日、二人で出来る話題があるもんだと半ば呆れつつ様子を伺う。
別に、そこに割って入ろうとは思っているわけではない。二人だけの時間を大切にしたいのであれば、それでいい。残された時は短いのだから。
二人が立ち上がりお堂へ向かうころあいを見計らい、ご主人様に声をかけた。
「やあ、ご主人殿。最期の別れは済んだかい??」
いつものように船長といっしょに昼餉に向かうご主人様を呼び止める。ご主人様は船長に先に行くように促す。二人だけになったところで私は話を切り出した。
「さて。そろそろ話し合おうか。いつ、どこで、どうやって船長を成仏させるか」
「ナズーリン。それなんだが」
「うん。何かいい作戦でもあるのかい?」
「やめよう」
「…………」
「……すまない、良く聞こえなかったよ。何を、言ったのかな??」
「やめよう。ムラサをこの世から消し去ることなんて、私にはできない」
しっかと両の目を見開いて私を見据える毘沙門天。
はて。今までご主人様がここまで凛々しく物を口走ったことがあったろうか。
「っはは。何を言うかと思えば。……相応しいかどうかはこの際不問にするとして……君は毘沙門天だ。毘沙門天様のたくさんいる弟子のうちの一個だ。なればこそ、毘沙門天様の意思を実行することこそが君の使命なんじゃないのかい」
明確に感じた狼狽を、確実に隠して私は返す。
……ややあって、ご主人様から返事が来る。
「……確かに。毘沙門天様の命令は絶対だ。これをやれ、と言われれば必ずやそれを遂行せねばならない。それが正義であるから。しかしそれは……」
「うん?」
「私が毘沙門天であることを貫くならば、の話だ」
「………………」
体が震えた。
「君、まさか…………ッ?!」
「ああ。そのとおりだナズーリン。どうあっても毘沙門天様の命令を守らねばならぬというのなら、私は、私が毘沙門天であることを」
「ご、ご主人様ッ!」
信じたくない事実は、口に出さない出したくない出させたくない。
だから、懸命に、遮った。
「……なんだ?」
遮った先の二の句は考えていなかった。ただ、それ以上口にさせまいと焦ったに過ぎない。
それでも私は説得しなければならない。
一度小さく深呼吸する。
そして、努めて平静に返した。
「……そうは言うけどね。今船長を成仏させなければ、後悔するのは君だ」
説得を、しようと。
「ナズーリン」
「君。考え直せ。今此処で毘沙門天様の命令を拒否したら……本当に辛い思いをするのは、君自身だ」
「ナズーリン」
「考えても見ろ。毘沙門天様の元を去るということは、同時に聖の元を去るとい」
「ナズーリン、私はムラサが。いや。水蜜が好きだ」
「………………は」
「私は、水蜜が好きだ。心の底から好きなんだ。愛しているんだ」
「………………なにを、急に……」
「私は自分の気持ちに嘘をつきたくない。たとえ毘沙門天の弟子という肩書きを捨ててでも水蜜を守りたい」
……ご主人様。
「何を馬鹿なことを、と、ナズーリンは言うかもしれない。私たちは同性だ。それを愛するなどと…………。しかし、それでも……本気なんだ」
嘘だと、冗談だと言ってくれ。
「水蜜と共に過ごせなくなるなんて、考えられない」
そうでないと、私は。
私の心中など察するわけも無くご主人様は続ける。すでにハラの内は決まっている。覆すことは不可能だと、そう告げてくる。私の説得など、意味を成さないのだと。
「ナズーリン、もう決めたんだ。毘沙門天さまを裏切ることとなろうとも致し方ない。毘沙門天様に破門されるようなこととなろうとも。水蜜がいれば。水蜜さえ存在してくれていれば……何も、いらない」
そう言い放ったご主人様の瞳は凛と輝いていて。もう何と反論しても届きそうにない。
「今夜にでも、私の意思を毘沙門天様に伝えようと思う。……すまないナズーリン。協力してくれようとしていたのに、無碍にしてしまって」
あまりの暴言に何のリアクションもとれずに固まっていると、もう話は終わった、とばかりにご主人様はきびすを返した。こちらに向かって軽く会釈をしてから食堂(じきどう)へと歩いていくご主人様。だんだん遠ざかり、その姿は消えていく。
寒空に残されたのは、ネズミ一匹。
「………………っはは」
自嘲。
私は。
私は、ご主人様に想いを寄せていた。しかしご主人様が船長と恋仲にあることはまあ心得ていたので、すでに諦観を決め込んではいた。
しかし。
しかしここまで、完膚なきまでに、打ちのめされようとは。
「……………………たまらないね」
目の前で想い人に拒否を突きつけられた。明確に、ばっさりと。
呆気にとられた心に、だんだんと体の深奥から湧き上がってくるものがある。
この感情に名前をつけるなら………怒りだ。
ふつふつと、全身の血液が頭に上りつつあることを自覚する。それはムラサ水蜜へ向けた怒りであり、寅丸星へ向けた怒りだ。自分が抱くこの感情はきっと理不尽なものに違いないが、だが理屈でどうにか抑えられるものではなかった。
煮えくり返るはらわたを……処理する術を、私は知らない。
同時に、湧き上がる悲しみ。
目からこぼれる物をぐいと袖でふき取ると、私はお堂の方を見る。
「……もうどうなろうとも知るもんか……」
小さくつぶやく、呪詛の言葉。
「せいぜい苦しむが良いさ……己の違えた選択を……!!!」
5
目を覚ました。むくりと体を起こす。四畳一間の寝起きだけを目的とした部屋に満ちる空気は昨日よりも幾分軽くなったような感じがした。
部屋を見渡す。家具類は一切無く、目立ったものといえば経典の束とすずりが乗せられた文机くらい。そしてその目先にぽつんと置かれた小さな小さな毘沙門天立像は、もはや何の威厳も放ちはしなかった。
がらり。
引き戸を開け、板張りの床に一歩踏み出す。昨日と同じ冷気が足元から襲ってくるが、体は震えなかった。
「おはよー星」
「ああ、おはよう……あれ。一輪、昨日も掃除当番じゃなかったか?」
「そうなんだけどね。ナズーリンが代わって欲しいって」
「……ふむ、珍しいこともあるもんだな……頑張って」
「んーありがと。そっちもお勤めごくろうさん」
ひたひたと廊下を歩き進む。
毘沙門天様との会話を思い出していた。
毘沙門天様は尋ねた。
「"毘沙門天の正義"を、否定するのか」
私は答えた。
「それが毘沙門天の正義であるならば……私は、"私の正義"を貫く」
「なれば、寅丸よ。お前は、毘沙門天であることをやめようと言うのか?」
「毘沙門天様。今の幻想郷は平和です。人間も妖怪も……何の分け隔てもなく、暮らしている。もう昔の様に私が妖怪であると周知されることを恐れずともよいのです。聖が望む、人間と妖怪が平等な世界。それはすでに実現している。もう、妖怪が毘沙門天の皮をかぶる必要はなくなったのです。」
「よいのか?白蓮はなんと言っている」
「……まだ、何も」
「尚早ではないか寅丸」
「そうかもしれません。しかし。しかしムラサをこの世から消し去ることを正義とする。それは、いかなる理由があろうとも私は受諾できない」
「己の感情を優先しようというのか?」
「………………もう……」
「………………もう……嘘を、つきたくありません」
「寅丸」
「自分に嘘をつくことはもうしたくないのです。水蜜を失うくらいなら、私は、毘沙門天でなくて良い!」
「おまえは大局が見えていない」
「何を持って水蜜を消すことを是とするのですかっ!」
「考えろ、寅丸。村紗水蜜という存在のゆがみを」
「ッ……歪んでなどいないっ!私が必要としている………それで、それだけで存在する理由は充分です!!!」
「それがおまえの是か」
「それのなにがいけないのですか!!!」
「………………………………」
「そう、か」
「あい、わかった」
「毘沙門天様」
「うむ」
「……今まで、ありがとうございました。毘沙門天様にお受けしたこの名。"寅丸星"。今を持って、返還いたします。私はこれから、ただの妖虎、星……ショウに戻って、生きていきます」
「馬鹿な弟子だ」
「はい」
「私が面倒を見た中で一番馬鹿な弟子であった」
「はい」
「馬鹿で、頑固で、一途で、素直で……」
「はい」
「……優秀な……弟子であったぞ……ショウ」
「ありがとうございます」
「どこへでもいけ、不肖の弟子よ。もうその姿、見せるでない……!」
「はい。……ありがとう、ございました」
庫裏を出た。金堂と庫裏を繋ぐ渡り廊下を歩く。なんとなしに見上げた未だ暗い夜明け空は雲ひとつない快晴だった。
お堂に一歩、足を踏み入れた。
6
「聖……私は、毘沙門天さまより破門されました」
第一声。朝のお勤めを始める前、聖にそう告げた。壇上を向いたきりこちらを一切振り返らない聖の背中をびくびくしながら見る。しかし聖は「そうですか」と小さくつぶやいたきり、それ以上何も言わなかった。前を見据えたまま。
……その声は幾分冷たい響きを伴っていた。
「……ですから、私が聖たちといっしょにいる理由はなくなってしまいました」
私は続ける。
「私は聖に毘沙門天として選ばれ、そしてお寺に置いてもらっていました。私が毘沙門天であることを放棄した今……もう、私がここにいる理由はありません」
聖の表情は、依然伺えない。
「ですが……聖」
「私は……できれば、ここにいたいです。皆といっしょにいたい。ここ命蓮寺で、毘沙門天としてでなくて良い、一介の門下生として、聖の元で暮らしていたいです………!」
私が言いたいこと、言うべきことは、それだけ。あとは聖の返事を待つだけだ。
額に汗がじんわりとにじんでいくのが感じられた。握り締め膝の上に置いたこぶしもまた、ゆっくりと汗で濡れていた。無限にも感じられた時間を置いて、やがて、聖が振り返る。
「ショウ……星」
そう呼びかけられ、向けられた顔は
「ええ。いつまでも……星が望む限り、ここにいてください」
とても慈愛に満ちた、笑顔であった。
「貴女は私たちと理想を共にする仲間です。仲間である限り、ずっと、このお寺で共に暮らしていて良いのですよ。……毘沙門天としてでなく、貴女として」
「聖……………!」
「では。朝のお勤め、始めましょうか」
聖は経典を開け、壇上の厨子を向いた。
「はいっ!!」
**********
「なあ、水蜜」
寒空に向かって緑葉を伸ばす大木。榧の下で、水蜜の腿に頭を置いたまま私は言った。
「んんー……?」
私が見上げた先に居る水蜜から漏れたのは気のない返事。
「私は、毘沙門天さまから破門されてしまった」
眠たそうな顔をしていた水蜜が、もともと大きな目をさらに大きく見開きこちらを向いた。
……特に弁解のしようもない。だから、何も言わずにその瞳を見つめ返した。ややあってから「……そう」とやはり気のない返事がきた。
「すまない」
「そうだね」
「毘沙門天でなくなった私がまだこの寺にいる意味はない……だけど。私は、ここにいたい」
「そう」
「聖も、変わらず私がここにいることを認めてくれた」
「………………」
水蜜からの返事は無かった。 私達はそれきり黙ってしまった。
そして昼餉を迎える。食堂に足を踏み入れるとすでに皆が仕度を始めていた。
全ての門下生が集うこの時間は一日の中で命蓮寺がもっとも騒がしくなる時だ。私は聖が注いだ味噌汁を配膳しながら、ちら、と周りに目を向けた。
……命蓮寺建設当初こそは、食事の準備も掃除と同じで当番制であったのだが、お互いがお互いを気遣い手伝っているうちにいつしか自然と皆でするのが当たり前となっていた。確か今日は聖の番であったはずだ。しかし、食事が運ばれてくるまで席についてただ待つだけのものなどおらず、皆が右往左往していた。
一輪は箸を並べている。
水蜜はごはんをよそっている。
ぬえは勝手場から煮物の大鍋を運んでいる。
ナズーリンは
……?
きょろきょろと辺りをうかがう。
「……まだ、来てないのか」
ナズーリンがいなくなることはままある。ダウザー業に繰り出している時や、毘沙門天さまに呼ばれるときなど。彼女も忙しい思いをしているのだな、などと考えながら配膳を終える。
あわただしい準備も終わり、皆が席に着き、聖が頂きますの音頭を取る。
いつも通り楽しい会話で弾む食事の席。
いつものようにぬえがヒトのおかずに手を出して水蜜の一喝を喰らい、一輪が静かにしろと二人をはたく。そしてそれを聖がにこやかに見つめているのだ。ここにナズーリンの「君はこんなみっともない真似しないでくれよ」という軽口が入ると完璧である。
やがてごちそうさまの掛け声と共に食事が終わる。準備と同じく片付けも皆で一斉に終わらせて、食堂は元の静けさを取り戻す……
「皆さん、お話があります。席についてもらえますか?」
食事も終わりめいめいが目的の場所へ移動しようというところに、聖が声をかけた。なんだろう、と皆が再び席に着く。全員の着席を見届けたところで、聖が口を開いた。
「既に気付いているでしょうが。今日は、ナズーリンがいません。彼女がいなくなるのはいつものことですね。もちろん、私も外出の旨を聞いて認めています……しかし、今回の外出はすこし特別なのです」
?
一同の頭に疑問符が浮かぶ中、聖は、言った。
「彼女は。ナズーリンは、もう、命蓮寺に戻ってくることはありません」
(続きます)
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