オリジナル設定が出てきます。苦手な方はご注意下さい
ある暖かな日の出来事である。
妖夢は日常行っている些事を手馴れた調子で片付けていた。
最も時間を掛けて行っている庭の掃除を行っていると、何者かが来訪を告げる声を上げていた。
掃除を切り上げ来訪者を検めに向かうと、意外な人物が其処にいた。
「こんにちは。いや、久しぶり、と言うべきかもね」
彼女は藤原妹紅という。
妖夢の主である西行寺幽々子が唯一苦手と言う不死者が一人。
「…何か御用ですか」
主が苦手とする人物の来訪に表情を保ち続けられるほど、妖夢は成熟しておらず。
とどのつまりものすごく不満げな貌で対応を始めた。
…最も死と無縁なモノがやって来た事に対する警戒も一応はあったが。
「そんなに邪険にしなくても良いじゃないか。…仕方ないかもしれないけれど。ま、取り敢えずあたしは喧嘩売りに来た訳じゃあない。ちょっと話をしたくてさ」
「で、あればその内容の方を。幽々子様に御合わせするか否かは私が判断させて頂きます」
間髪をいれずに答える。『こういう対応をしてはいけない』という良い見本である。
しかし、妹紅は意に介した様子も無く、むしろ優しい眼差しであった。
それは、子を見守る親の如く。しかし未熟な妖夢にそんな事が察せる訳もなく。
「如何なのですか。それとも私には話せぬような内容で?」
黙った事を言葉に詰まったと解釈し、畳みかけるように言う。
一刻も早く追い払いたいと言う気配満々である。
妹紅は貌を顰め、頭を掻いた。言うべきか言わざるべきか。
なによりも然したる内容でも無い事が口を重くしていた。
しばし逡巡した後、
「なぁ、あんたの姓は魂魄、で合っていたかな?」
「…そ、うですが、それが何か?」
唐突な質問に訝しげに相手を見る。果たして彼女は微笑んでいた。
「うん、やはり間違いないようだ。なぁにあんたの主人に話すのは大したことじゃあない。
タダの思い出話さ。あんたの御爺様との、ね」
客間に通された妹紅は一人思い出す。あの老人の事を。
とはいえ、彼女が逢った時はまだ完全な白髪では無かった。
まだ壮年と言うのが相応しい見てくれだった。
と、襖が開けられる。現れるは妖夢。盆の上に茶と茶菓子を載せている。
「どうぞ」
軽くお辞儀をする妹紅に、妖夢が声を掛ける。
「あの、妹紅…さん。何故、祖父の事を…?」
いまだ警戒が解かれていないらしい。いや、むしろより警戒されたようだ。
「直接本人から聞かされたのさ。まだあんたは生れていなかったみたいだけどね。あたしが聞かされたのは子共が結婚したので孫が生まれるかも、と言う話さ。あんたが孫だと判断したのは、子供にしちゃあ若すぎると思ったからさ」
ずず、と茶を啜る。本当は依然修行中という様子も理由にあったのだが、黙っておく。
少しばかり時間をおいて白玉楼の主が現れた。
「こんにちは。余り嬉しくない客人かと思ったけれど、妖忌の御話、と聞いては、例え遣り辛い相手でも聞かずには居れないわ。今回ばかりは不死の者に対して感謝するべきなのかしら?」
皮肉交じりの言葉で挨拶する西行寺幽々子。
優雅な仕草で対面へ座る。
「いや、感謝される謂れもないからね。辞退させて戴くよ。私と思い出を共有できる相手が偶々貴方だっただけさ」
さて、と佇まいを正し、
「じゃあ聞いてもらうかな。…あれは何時の頃の話だったか――
それはまだ侍、武士と言われるものが存在していた頃。
江戸の初めの頃か、それよりも多少前か。余り覚えていない。
腰に刀をぶら下げた人々が歩き回っていた頃の話だ。
魂魄妖忌は、今で言う外の世界を旅していた。
子を成し、落ち着いた己が心に不満を抱いた。子も大きくなり自ら道を選択できるだろう。
ならば今一度一剣士として生きよう、かつての様に真剣勝負の真っ只中に身を投じよう。
そうして旅を始めたばかりであった。この近辺であれば人も少ない。
浪人、武士、盗賊、山賊。ありとあらゆる腕自慢達が何もせずとも勝負を仕掛けてくるだろう。
期待と共に力強く歩む。と――
「そこな人」
透き通るような、若々しい声であった。ゆっくりと振り向くと一人の剣士が立っていた。
笠を被っていて貌は見え辛いが、年の頃は二十は回っていないだろう。背も余り高くない。
しかし妙に引き付けられるモノがあった。それは見た目に相応しくない程の気のせいか。
あるいは、その美しい白髪故か。数瞬、妖忌は声を出せなかった。
「真剣勝負を、お願いします」
其れは予想していた言葉。故に己も即座に返す。
――良かろう。いざ尋常に――
しかし、口から出るものは違った。
「…若人よ、生き急ぐ必要はない。今一度考え直せ」
妙であった。己は何時相手に情けを掛けられるほど強くなったのか。
――己は未熟者である。故に情ケ無用、刹那の間に切り伏せるべし。其れが己の誓いだった筈。
自らが放った言葉に愕然としていると、
「無用に御座います。真剣勝負を、お願いいたします」
二度目の願い。
――そうだ。この者は死に場を探す者だ。今までに切り伏せた者と、奴達と、お前と同じものだ…。
目を閉じ、心中で唱え、ゆっくりと目を開ける。
刀を抜き、構える。呼吸を整え、
「いざ…尋常に――」
「「勝負――!」」
勝敗は一瞬で付いた。
妖忌は血を払い、少しばかりの落胆と共に刀を鞘へと納める。
白髪の少年は、首を落とされていた。余りにも呆気ない勝負。
少年の刀の腕前は、得体の知れない雰囲気に見合わぬほどに低かった。
それは、そう。
まるで始めから斬るつもりの無い様な―――と疑るほどだった。
しかし、心が落ち着くにつれ、然したることもない。唯の死にたがりだったのだろう。
先程の奇妙な雰囲気は錯覚か勘違いだ、と自らを納得させ、亡骸を背にして歩み出そうとした――瞬間。
「御見事!!」
亡骸から声が響いた。
(あり得ない…)
自分は半人半霊という特殊な存在だ。しかしそれでも死ねば其れまでだ。
蘇る事の出来るモノなど居るはずが…思いながら振り向く。
「実に素晴らしい太刀筋に御座いました。この眼に捉えられぬ程の速さもそうですが、
何よりも一点に確実に撃ち込む手腕。驚嘆に値するものです!」
可笑しな光景であった。首の無い体がゆるゆると、朝の目覚めの如く置きあがり、
足元に転がる自らの頭をひょい、と拾い上げる。
若者は、首元に触れながら続ける。
「切断された首も、この美しい切り口ならば容易にくっ付くでしょう」
朗らかに微笑む貌。頭を小脇に抱え立つ首無し。狂気の光景だろう。
しかして、妖忌は恐れるでなく、拒絶するでなく、それを受け入れた。
己が人ならざるものである事と、先程の奇妙な直感が其れを許容させた。
「信じられぬが…受け入れざるを得んな。御主、不死の者か」
「如何にも。私怨にて不死となり、既に如何ほど生きたのか。私にも分かりませぬ。
幾ら時が経てど朽ちる事も無いこの身、唯意味も無く不死であり続ける事にも飽いてまいりました」
抱えた頭を元の位置に戻す。するとみるみるうちにキズが消えていき、指で血を拭うと。
綺麗さっぱり傷痕は無くなった。そして真剣な面持ちになり告げる。
「感銘を受けました。その技術、その気迫、我が物にしたい」
「私を弟子にしては戴けぬか」
「と、言うのが初めての貌合わせだった」
一息置いて茶を啜る。
「あの頃は、妖怪退治にも飽きて無気力に生きていたのだけど、このままではダメだ、って一念発起して体を鍛え出したころだった。妖術は大分通じていたが、剣術や拳法と言った技術については素人同然だったからね。妖術が通じない=勝てないって状態だった。其れをカバーするモノを手に入れようってね」
ふふ、と笑んで幽々子が話す。
「恐らくまだ白玉楼で私の世話を始める前の話ね。私の世話を始めた時には既に綺麗な白髪になっていたもの。…弟子って事は妖夢の姉弟子って事になるのかしら?」
部屋の隅に座っていた妖夢は、呆と聞いていた話に自分の名が突然出た事に驚いた。
其れを横目でちら、と見、幽々子と妹紅は笑った。
弟子入りは直ぐに認められた。奇妙な直感がそうさせた様だ。
基本的な体運びや刀の握り、構え等に始まり、素手での戦い方、生き抜くための狡猾さ、様々な事を学んだ。多くの面で妖忌は妹紅の師であった。
長い時を共に過ごした。確実に今までの、そしてこれから先の人生を含めて一、二を争う長さだった。
ある日、常となった夜営の際の事。
「妹紅よ、何故御主は不死となった。私怨、と申して居ったな」
「…余り語りたくは無い話です。ともすれば逆恨みとも言えることなのでね」
この頃には妹紅の口調は大分砕けた調子になっていた。互いに人外である事が気易くさせていたのだろう(とうに女である事は知られていて、口調について妖忌に幾度か女らしく喋れんのか、と突かれた事もあったが、断固拒否した)。
「逆恨みか、まぁ語り辛ければ話さんでもよい。……しかし、お前は如何するのだ?」
「如何する、とは?」
「かつて話していたな。不死である故一つ所に留まれない。妖を退治して回る事を当座の目的としているようだが、お前の旅の終わりは何なのだ?怨む相手に手を下す事が其れか?」
苦虫を噛み潰したような貌で妹紅が答える。
「……恨みを果たす、と言うのであれば、既に果たしてしまった。私が不死に為る事こそが其れです。相手も既に手の届かぬ所へ消えてしまいました。終わりの無い旅が私の旅です。…其れに、もう何処へ向かえば良いのか、私には分からない」
項垂れた妹紅の脳裏に今までの記憶が蘇る。辛い、苦しい、哀しい思い出。人は不死を受け入れるほど強くは無い。不死者を受け入れる事も、不死に成ってしまった己を受け入れる事も同様である。
――妹紅は永遠に気づくことはないが、不死になったことを悔いていたのだ。
その様子を見る妖忌がボソリ、と語り出す。
「…此の地より遥か北に、幻想郷なる場所が存在すると聞いた。私の子はその地に到達し、そこで暮らしているという便りを貰った」
何の話か、と目を妖忌へと向ける。
「その地では妖怪と人の住む地で、積極的に人ならざるものを迎え入れると言う。多くの者は長命であったり、不死に近いと聞く。しかし人間も居る。ある種の共存であると言えるな。
――私の旅の目的は、当初は剣の道に生きた頃の精神を取り戻すことだった。其れは一度叶ったが、…私も丸くなったのだな。子と共に、生きるのも悪くない。そう思うようになった。便りには結婚したとも書いてあった。孫の顔を見る事が出来るやもしれん。……恥ずかしながら今の私の目的は、幻想郷に至る事だ。一度お前と共に通った場所だ。何故か、結界を抜ける事が出来なかったがな。今一度私は向かってみようと思う」
呆然とする妹紅に向けて続ける。
「お前とは違い、私の旅には終わりがある。お前は如何するのだ妹紅よ。――共に行くと言うのであれば、止めはせん」
妹紅は再び項垂れ黙り込んでしまった。
月が少し傾いた頃、妹紅が口を開いた。
「私は…恐ろしい…その地ですら、拒絶されてしまったら…私は何処に行けばいい?何処に私居場所が…」
嗚咽を漏らし、
「私はまだ…其処へ向かえない…怖い…!」
妖忌とは違い、彼女にとって同族は既に存在しない。それはどれ程の恐怖なのだろうか。
「そうか…」
妖忌は不死では無い。しかしその苦しみの一欠けら程度は理解できる。よって強制する事も出来ない。
「お前に教える事はもう、何も無い。一人で進むだけの力を得ている。お前は南に向かうが良い。そしてそれでもなお居場所が無ければ、幻想郷を目指すがいい」
妖忌は続ける。
「幻想郷には、到達できていればだが、私がいる。私が消えても、子や孫にお前の事は伝えておこう。お前の『居場所』を、作っておこう」
妹紅の方に手を触れる。
「安心するがいい。急ぐ必要もない。不死者であるお前を必要とする者は必ず現れる!お前と言う人間を好いてくれる者が必ず出てくる!それまで、納得の行くまで彷徨うのも良いだろう。だが忘れるな。私はお前の事を、離れていても思っておるぞ」
妹紅の目には未だに涙が浮かんでいる。しかしその意味は変わっていた。
そうして初めて彼女は運命に感謝した。この人と出会わせてくれて有難うと。まさしくこの人は、私の師匠であった。その喜びの中、彼女は眠りに就いた。
其れが彼との最後の時であった。
眼を覚ますと彼は消えていた。そんな予感がしていたので、哀しくは無かったがひどく寂しかった。
自分の体には彼の羽織が掛っており、すぐ傍には石で縫いとめられた手紙があった。
『再び会える事を願う』
とだけ書かれた手紙には、それ以上の、彼からの言葉が込められている様に感じた。寂しさは薄れ、不思議な暖かさが満ちていく。
もう彼女は挫けないだろう。悲しみに暮れていた少女の面差しは消え、唯一人の十全なる人間が其処にいた。
身支度を整えた後、自分と妖忌が昨晩語り合った場所を見やった。そして、柔かな微笑みと共に背を向け歩き出した。
これが妖忌と妹紅の思い出。これより数百年後、彼女は幻想郷へ至る。
「これが彼との全て。話はおしまいっと」
話し疲れた様に既に冷めた茶を啜る。
「幻想郷に着いた当初は、此処が幻想郷だってことも分からないまま隠れ住んでいたからな。知ってからは、其れまで師匠の姿を全く見なかったから、少し怖くって探せなかった。決心が付いたのはこの間あんたらが大挙して押し寄せた時妖夢を見てからさ」
「そうね~確かに妖夢の雰囲気は妖忌に似てるわね。ほんの少し、ちょびっとだけね」
「で、後後姓が魂魄だと聞いて間違いないとは思ったんだけど、結局今日まで引き延ばしちゃった。あたしもまだまだってことかな?」
ふぅと一息ついて、
「――聞いてるよ。御爺様はどこかへ消えたってね」
妖夢に向けていう。
「ええ。今何処で何をしているかも、知りません」
少し悲しげな眼差しで言う。
「そうかい。ま、あの人らしいとは思うよ。どこか捉えどころのない感じだったし、帰る所があってもワザと帰らない様なヒトさ。いずれひょっこり帰ってくるかもしれないよ」
妖夢は気付いているだろうか?妹紅が妖夢を慰めようとしている事を。
きっと気付いてはいない。気付いていても中々認められない。彼女はとても難儀な性格だから。
「さて話したい事は話した。あたしは帰るけど…また今度、次はあんた達の知ってる師匠の話を聞かせてもらってもいいかい?」
「ええ、構わないわ。あと、帰るのはちょっとはやいわよ?」
微笑みながら幽々子が言う。そして妖夢に何事か告げると、妖夢は客間を去っていった。
「如何いう事だ?」
「実はね。貴方に妖忌から言伝があったの。貴方に、と言ったけど、本当はこうよ。『私の弟子を名乗る者が現れたら伝えて欲しい。会えなくて済まないと』ってね。あともう一つ。預かり物があるの」
と、言い終わるとほぼ同時に妖夢が現れた。手に持つは封のされた手紙と一振りの刀。
「『その者にこの手紙とこの刀を渡して貰いたい。私にできる数少ない謝罪だ』。そうもいっていたわ。そして私達の前で決して開けるな、ともね」
そうして白玉楼を後にした。幽々子には『次来るときには茶菓子を持ってきてね』等と言われてしまった。舌の肥えてるだろう彼女に贈る菓子とはどの様なモノが良いのか、早くも考えなければならない事柄が出来てしまった。
自宅に着き、一息つく。
暫し呆とした後ゆっくり手に持った刀へ眼を向ける。
其れを手馴れた動作で引き抜く。以前その美しさを失わない刀身。並みの剣士ならその美しさに見惚れて固まってしますだろう。しかし、妹紅はそのままの動きでかつて教えられた通りの構えになる。其処から手順通りに動く。
懐かしさと共にしっくりと手に馴染む刀で今まで最高と言える程の動きが行えた。師の教えが完全に身に付いている事に感動を覚えながら納刀する。この刀は飾っておくよりも、実際に使用していた方が彼も喜ぶだろう。
そうして、もう一つのモノ、手紙に目をやる。
彼が失踪する前に認めたモノ。彼との最後の繋がり。そう考えると開封するのが躊躇われた。師は私の事を一人で進むだけの力を手に入れた、と評した。しかし、まだ私は依然弱い心を持ったままなのだ。どれだけの年月を過ごそうとも、失くすことは恐ろしいのだ。
そうして逡巡した後、箪笥を開け、その中に手紙を仕舞い込んだ。
――――まだ、あたしは弱いままだ。だから、もう少し強くなってから。此処にいていいと、自信を持って言えるようになってから、読もう。
そう決めた。
彼女は遠からずその手紙を読むだろう。彼女の周りには親愛の情を持って接してくれる人々がいる。長命な友人がいる。奇妙な巫女や普通の魔法使いもいる。何より不死の仇にして喧嘩相手もいる。恐れる事は無い。
彼女は、もう居場所を手に入れている。あとは其れに気付くだけ。
ある暖かな日の出来事である。
妖夢は日常行っている些事を手馴れた調子で片付けていた。
最も時間を掛けて行っている庭の掃除を行っていると、何者かが来訪を告げる声を上げていた。
掃除を切り上げ来訪者を検めに向かうと、意外な人物が其処にいた。
「こんにちは。いや、久しぶり、と言うべきかもね」
彼女は藤原妹紅という。
妖夢の主である西行寺幽々子が唯一苦手と言う不死者が一人。
「…何か御用ですか」
主が苦手とする人物の来訪に表情を保ち続けられるほど、妖夢は成熟しておらず。
とどのつまりものすごく不満げな貌で対応を始めた。
…最も死と無縁なモノがやって来た事に対する警戒も一応はあったが。
「そんなに邪険にしなくても良いじゃないか。…仕方ないかもしれないけれど。ま、取り敢えずあたしは喧嘩売りに来た訳じゃあない。ちょっと話をしたくてさ」
「で、あればその内容の方を。幽々子様に御合わせするか否かは私が判断させて頂きます」
間髪をいれずに答える。『こういう対応をしてはいけない』という良い見本である。
しかし、妹紅は意に介した様子も無く、むしろ優しい眼差しであった。
それは、子を見守る親の如く。しかし未熟な妖夢にそんな事が察せる訳もなく。
「如何なのですか。それとも私には話せぬような内容で?」
黙った事を言葉に詰まったと解釈し、畳みかけるように言う。
一刻も早く追い払いたいと言う気配満々である。
妹紅は貌を顰め、頭を掻いた。言うべきか言わざるべきか。
なによりも然したる内容でも無い事が口を重くしていた。
しばし逡巡した後、
「なぁ、あんたの姓は魂魄、で合っていたかな?」
「…そ、うですが、それが何か?」
唐突な質問に訝しげに相手を見る。果たして彼女は微笑んでいた。
「うん、やはり間違いないようだ。なぁにあんたの主人に話すのは大したことじゃあない。
タダの思い出話さ。あんたの御爺様との、ね」
客間に通された妹紅は一人思い出す。あの老人の事を。
とはいえ、彼女が逢った時はまだ完全な白髪では無かった。
まだ壮年と言うのが相応しい見てくれだった。
と、襖が開けられる。現れるは妖夢。盆の上に茶と茶菓子を載せている。
「どうぞ」
軽くお辞儀をする妹紅に、妖夢が声を掛ける。
「あの、妹紅…さん。何故、祖父の事を…?」
いまだ警戒が解かれていないらしい。いや、むしろより警戒されたようだ。
「直接本人から聞かされたのさ。まだあんたは生れていなかったみたいだけどね。あたしが聞かされたのは子共が結婚したので孫が生まれるかも、と言う話さ。あんたが孫だと判断したのは、子供にしちゃあ若すぎると思ったからさ」
ずず、と茶を啜る。本当は依然修行中という様子も理由にあったのだが、黙っておく。
少しばかり時間をおいて白玉楼の主が現れた。
「こんにちは。余り嬉しくない客人かと思ったけれど、妖忌の御話、と聞いては、例え遣り辛い相手でも聞かずには居れないわ。今回ばかりは不死の者に対して感謝するべきなのかしら?」
皮肉交じりの言葉で挨拶する西行寺幽々子。
優雅な仕草で対面へ座る。
「いや、感謝される謂れもないからね。辞退させて戴くよ。私と思い出を共有できる相手が偶々貴方だっただけさ」
さて、と佇まいを正し、
「じゃあ聞いてもらうかな。…あれは何時の頃の話だったか――
それはまだ侍、武士と言われるものが存在していた頃。
江戸の初めの頃か、それよりも多少前か。余り覚えていない。
腰に刀をぶら下げた人々が歩き回っていた頃の話だ。
魂魄妖忌は、今で言う外の世界を旅していた。
子を成し、落ち着いた己が心に不満を抱いた。子も大きくなり自ら道を選択できるだろう。
ならば今一度一剣士として生きよう、かつての様に真剣勝負の真っ只中に身を投じよう。
そうして旅を始めたばかりであった。この近辺であれば人も少ない。
浪人、武士、盗賊、山賊。ありとあらゆる腕自慢達が何もせずとも勝負を仕掛けてくるだろう。
期待と共に力強く歩む。と――
「そこな人」
透き通るような、若々しい声であった。ゆっくりと振り向くと一人の剣士が立っていた。
笠を被っていて貌は見え辛いが、年の頃は二十は回っていないだろう。背も余り高くない。
しかし妙に引き付けられるモノがあった。それは見た目に相応しくない程の気のせいか。
あるいは、その美しい白髪故か。数瞬、妖忌は声を出せなかった。
「真剣勝負を、お願いします」
其れは予想していた言葉。故に己も即座に返す。
――良かろう。いざ尋常に――
しかし、口から出るものは違った。
「…若人よ、生き急ぐ必要はない。今一度考え直せ」
妙であった。己は何時相手に情けを掛けられるほど強くなったのか。
――己は未熟者である。故に情ケ無用、刹那の間に切り伏せるべし。其れが己の誓いだった筈。
自らが放った言葉に愕然としていると、
「無用に御座います。真剣勝負を、お願いいたします」
二度目の願い。
――そうだ。この者は死に場を探す者だ。今までに切り伏せた者と、奴達と、お前と同じものだ…。
目を閉じ、心中で唱え、ゆっくりと目を開ける。
刀を抜き、構える。呼吸を整え、
「いざ…尋常に――」
「「勝負――!」」
勝敗は一瞬で付いた。
妖忌は血を払い、少しばかりの落胆と共に刀を鞘へと納める。
白髪の少年は、首を落とされていた。余りにも呆気ない勝負。
少年の刀の腕前は、得体の知れない雰囲気に見合わぬほどに低かった。
それは、そう。
まるで始めから斬るつもりの無い様な―――と疑るほどだった。
しかし、心が落ち着くにつれ、然したることもない。唯の死にたがりだったのだろう。
先程の奇妙な雰囲気は錯覚か勘違いだ、と自らを納得させ、亡骸を背にして歩み出そうとした――瞬間。
「御見事!!」
亡骸から声が響いた。
(あり得ない…)
自分は半人半霊という特殊な存在だ。しかしそれでも死ねば其れまでだ。
蘇る事の出来るモノなど居るはずが…思いながら振り向く。
「実に素晴らしい太刀筋に御座いました。この眼に捉えられぬ程の速さもそうですが、
何よりも一点に確実に撃ち込む手腕。驚嘆に値するものです!」
可笑しな光景であった。首の無い体がゆるゆると、朝の目覚めの如く置きあがり、
足元に転がる自らの頭をひょい、と拾い上げる。
若者は、首元に触れながら続ける。
「切断された首も、この美しい切り口ならば容易にくっ付くでしょう」
朗らかに微笑む貌。頭を小脇に抱え立つ首無し。狂気の光景だろう。
しかして、妖忌は恐れるでなく、拒絶するでなく、それを受け入れた。
己が人ならざるものである事と、先程の奇妙な直感が其れを許容させた。
「信じられぬが…受け入れざるを得んな。御主、不死の者か」
「如何にも。私怨にて不死となり、既に如何ほど生きたのか。私にも分かりませぬ。
幾ら時が経てど朽ちる事も無いこの身、唯意味も無く不死であり続ける事にも飽いてまいりました」
抱えた頭を元の位置に戻す。するとみるみるうちにキズが消えていき、指で血を拭うと。
綺麗さっぱり傷痕は無くなった。そして真剣な面持ちになり告げる。
「感銘を受けました。その技術、その気迫、我が物にしたい」
「私を弟子にしては戴けぬか」
「と、言うのが初めての貌合わせだった」
一息置いて茶を啜る。
「あの頃は、妖怪退治にも飽きて無気力に生きていたのだけど、このままではダメだ、って一念発起して体を鍛え出したころだった。妖術は大分通じていたが、剣術や拳法と言った技術については素人同然だったからね。妖術が通じない=勝てないって状態だった。其れをカバーするモノを手に入れようってね」
ふふ、と笑んで幽々子が話す。
「恐らくまだ白玉楼で私の世話を始める前の話ね。私の世話を始めた時には既に綺麗な白髪になっていたもの。…弟子って事は妖夢の姉弟子って事になるのかしら?」
部屋の隅に座っていた妖夢は、呆と聞いていた話に自分の名が突然出た事に驚いた。
其れを横目でちら、と見、幽々子と妹紅は笑った。
弟子入りは直ぐに認められた。奇妙な直感がそうさせた様だ。
基本的な体運びや刀の握り、構え等に始まり、素手での戦い方、生き抜くための狡猾さ、様々な事を学んだ。多くの面で妖忌は妹紅の師であった。
長い時を共に過ごした。確実に今までの、そしてこれから先の人生を含めて一、二を争う長さだった。
ある日、常となった夜営の際の事。
「妹紅よ、何故御主は不死となった。私怨、と申して居ったな」
「…余り語りたくは無い話です。ともすれば逆恨みとも言えることなのでね」
この頃には妹紅の口調は大分砕けた調子になっていた。互いに人外である事が気易くさせていたのだろう(とうに女である事は知られていて、口調について妖忌に幾度か女らしく喋れんのか、と突かれた事もあったが、断固拒否した)。
「逆恨みか、まぁ語り辛ければ話さんでもよい。……しかし、お前は如何するのだ?」
「如何する、とは?」
「かつて話していたな。不死である故一つ所に留まれない。妖を退治して回る事を当座の目的としているようだが、お前の旅の終わりは何なのだ?怨む相手に手を下す事が其れか?」
苦虫を噛み潰したような貌で妹紅が答える。
「……恨みを果たす、と言うのであれば、既に果たしてしまった。私が不死に為る事こそが其れです。相手も既に手の届かぬ所へ消えてしまいました。終わりの無い旅が私の旅です。…其れに、もう何処へ向かえば良いのか、私には分からない」
項垂れた妹紅の脳裏に今までの記憶が蘇る。辛い、苦しい、哀しい思い出。人は不死を受け入れるほど強くは無い。不死者を受け入れる事も、不死に成ってしまった己を受け入れる事も同様である。
――妹紅は永遠に気づくことはないが、不死になったことを悔いていたのだ。
その様子を見る妖忌がボソリ、と語り出す。
「…此の地より遥か北に、幻想郷なる場所が存在すると聞いた。私の子はその地に到達し、そこで暮らしているという便りを貰った」
何の話か、と目を妖忌へと向ける。
「その地では妖怪と人の住む地で、積極的に人ならざるものを迎え入れると言う。多くの者は長命であったり、不死に近いと聞く。しかし人間も居る。ある種の共存であると言えるな。
――私の旅の目的は、当初は剣の道に生きた頃の精神を取り戻すことだった。其れは一度叶ったが、…私も丸くなったのだな。子と共に、生きるのも悪くない。そう思うようになった。便りには結婚したとも書いてあった。孫の顔を見る事が出来るやもしれん。……恥ずかしながら今の私の目的は、幻想郷に至る事だ。一度お前と共に通った場所だ。何故か、結界を抜ける事が出来なかったがな。今一度私は向かってみようと思う」
呆然とする妹紅に向けて続ける。
「お前とは違い、私の旅には終わりがある。お前は如何するのだ妹紅よ。――共に行くと言うのであれば、止めはせん」
妹紅は再び項垂れ黙り込んでしまった。
月が少し傾いた頃、妹紅が口を開いた。
「私は…恐ろしい…その地ですら、拒絶されてしまったら…私は何処に行けばいい?何処に私居場所が…」
嗚咽を漏らし、
「私はまだ…其処へ向かえない…怖い…!」
妖忌とは違い、彼女にとって同族は既に存在しない。それはどれ程の恐怖なのだろうか。
「そうか…」
妖忌は不死では無い。しかしその苦しみの一欠けら程度は理解できる。よって強制する事も出来ない。
「お前に教える事はもう、何も無い。一人で進むだけの力を得ている。お前は南に向かうが良い。そしてそれでもなお居場所が無ければ、幻想郷を目指すがいい」
妖忌は続ける。
「幻想郷には、到達できていればだが、私がいる。私が消えても、子や孫にお前の事は伝えておこう。お前の『居場所』を、作っておこう」
妹紅の方に手を触れる。
「安心するがいい。急ぐ必要もない。不死者であるお前を必要とする者は必ず現れる!お前と言う人間を好いてくれる者が必ず出てくる!それまで、納得の行くまで彷徨うのも良いだろう。だが忘れるな。私はお前の事を、離れていても思っておるぞ」
妹紅の目には未だに涙が浮かんでいる。しかしその意味は変わっていた。
そうして初めて彼女は運命に感謝した。この人と出会わせてくれて有難うと。まさしくこの人は、私の師匠であった。その喜びの中、彼女は眠りに就いた。
其れが彼との最後の時であった。
眼を覚ますと彼は消えていた。そんな予感がしていたので、哀しくは無かったがひどく寂しかった。
自分の体には彼の羽織が掛っており、すぐ傍には石で縫いとめられた手紙があった。
『再び会える事を願う』
とだけ書かれた手紙には、それ以上の、彼からの言葉が込められている様に感じた。寂しさは薄れ、不思議な暖かさが満ちていく。
もう彼女は挫けないだろう。悲しみに暮れていた少女の面差しは消え、唯一人の十全なる人間が其処にいた。
身支度を整えた後、自分と妖忌が昨晩語り合った場所を見やった。そして、柔かな微笑みと共に背を向け歩き出した。
これが妖忌と妹紅の思い出。これより数百年後、彼女は幻想郷へ至る。
「これが彼との全て。話はおしまいっと」
話し疲れた様に既に冷めた茶を啜る。
「幻想郷に着いた当初は、此処が幻想郷だってことも分からないまま隠れ住んでいたからな。知ってからは、其れまで師匠の姿を全く見なかったから、少し怖くって探せなかった。決心が付いたのはこの間あんたらが大挙して押し寄せた時妖夢を見てからさ」
「そうね~確かに妖夢の雰囲気は妖忌に似てるわね。ほんの少し、ちょびっとだけね」
「で、後後姓が魂魄だと聞いて間違いないとは思ったんだけど、結局今日まで引き延ばしちゃった。あたしもまだまだってことかな?」
ふぅと一息ついて、
「――聞いてるよ。御爺様はどこかへ消えたってね」
妖夢に向けていう。
「ええ。今何処で何をしているかも、知りません」
少し悲しげな眼差しで言う。
「そうかい。ま、あの人らしいとは思うよ。どこか捉えどころのない感じだったし、帰る所があってもワザと帰らない様なヒトさ。いずれひょっこり帰ってくるかもしれないよ」
妖夢は気付いているだろうか?妹紅が妖夢を慰めようとしている事を。
きっと気付いてはいない。気付いていても中々認められない。彼女はとても難儀な性格だから。
「さて話したい事は話した。あたしは帰るけど…また今度、次はあんた達の知ってる師匠の話を聞かせてもらってもいいかい?」
「ええ、構わないわ。あと、帰るのはちょっとはやいわよ?」
微笑みながら幽々子が言う。そして妖夢に何事か告げると、妖夢は客間を去っていった。
「如何いう事だ?」
「実はね。貴方に妖忌から言伝があったの。貴方に、と言ったけど、本当はこうよ。『私の弟子を名乗る者が現れたら伝えて欲しい。会えなくて済まないと』ってね。あともう一つ。預かり物があるの」
と、言い終わるとほぼ同時に妖夢が現れた。手に持つは封のされた手紙と一振りの刀。
「『その者にこの手紙とこの刀を渡して貰いたい。私にできる数少ない謝罪だ』。そうもいっていたわ。そして私達の前で決して開けるな、ともね」
そうして白玉楼を後にした。幽々子には『次来るときには茶菓子を持ってきてね』等と言われてしまった。舌の肥えてるだろう彼女に贈る菓子とはどの様なモノが良いのか、早くも考えなければならない事柄が出来てしまった。
自宅に着き、一息つく。
暫し呆とした後ゆっくり手に持った刀へ眼を向ける。
其れを手馴れた動作で引き抜く。以前その美しさを失わない刀身。並みの剣士ならその美しさに見惚れて固まってしますだろう。しかし、妹紅はそのままの動きでかつて教えられた通りの構えになる。其処から手順通りに動く。
懐かしさと共にしっくりと手に馴染む刀で今まで最高と言える程の動きが行えた。師の教えが完全に身に付いている事に感動を覚えながら納刀する。この刀は飾っておくよりも、実際に使用していた方が彼も喜ぶだろう。
そうして、もう一つのモノ、手紙に目をやる。
彼が失踪する前に認めたモノ。彼との最後の繋がり。そう考えると開封するのが躊躇われた。師は私の事を一人で進むだけの力を手に入れた、と評した。しかし、まだ私は依然弱い心を持ったままなのだ。どれだけの年月を過ごそうとも、失くすことは恐ろしいのだ。
そうして逡巡した後、箪笥を開け、その中に手紙を仕舞い込んだ。
――――まだ、あたしは弱いままだ。だから、もう少し強くなってから。此処にいていいと、自信を持って言えるようになってから、読もう。
そう決めた。
彼女は遠からずその手紙を読むだろう。彼女の周りには親愛の情を持って接してくれる人々がいる。長命な友人がいる。奇妙な巫女や普通の魔法使いもいる。何より不死の仇にして喧嘩相手もいる。恐れる事は無い。
彼女は、もう居場所を手に入れている。あとは其れに気付くだけ。
子供
>故に情ケ無用
カタカナになってました(あえて?)
妖忌や妹紅の過去話は大好き!!