「暑いぜ……」
ぽつりと、心底だるそうに魔理沙が呟いた。場所こそはいつもの香霖堂内での定位置に収まっているものの、その身体からはいつもの覇気は感じられない。彼女はただひたすら、自らの身体に纏い付く熱気を払うかのように、その手に持った帽子で胸元を扇ぎ続けている。
その茹だったような表情の為か、はてまたその体格のせいか。はだけた胸元や暑さの為に乱れた服装からは扇情的な雰囲気は全く感じられず、寧ろはしゃぎすぎた子供そのもののイメージを増幅させる。
そんな魔理沙の行為には全く目もくれず、番台に座り込んだまま黙々と手元の本に目を落とす者が一人。言わずもがなこの香霖堂の店主、森近霖之助である。彼は魔理沙のように暑さに負けて服装を着崩すなどと言う事はせず、寧ろ熱気などどこ吹く風とでも言わんばかりに涼しげな表情を浮かべている。
いつも通り全身を覆った服装からは着衣の乱れなど一つも見られず、その為にここが真夏の室内と言う事さえ忘れてしまいそうな佇まいである。
霖之助としては、突然乗り込んで来て暑いだの何だの喚き散らす者は始めから客扱いをしない。よって先程から我関せずと言った面持ちで読書に没頭しているのだ。彼女が諦めて退散する時を待ちながら。
「暑い……あぁ、暑い。この暑さをどうにか出来る奴がいたら、是非礼を言いたいものだぜ」
魔理沙は目線を中空に彷徨わせたまま、彼女の言う「どうにか出来る奴」と交わそうとはしない。何故なら、相手が興味の無さそうな表情を装いつつ、その実しっかりと自分の一挙一動に聞き耳を立てている事を彼女は心得ているからだ。
「生憎、私には暑さを吹き飛ばす良い方法が思いつかないからな。いっその事マスタースパークで全部吹っ飛ばしたらすっきりするか?」
それでもいつまでも無反応を決め込む霖之助に痺れを切らしたのか、魔理沙は爆弾じみた言葉を投げかける。霖之助はその爆弾を受け取ると、流石にそれが炸裂した際の恐ろしさを身を以て味わうのは避けたいらしく、観念したような表情で目線を本より魔理沙に向けるのだった。
「で、凶悪犯は何をご所望だって?」
「さっきから言い続けてるだろ、涼しくなれる道具か何かないかって。それと私は客だ」
「さっきは『どうにか出来る』というえらく漠然としたものだったからね。誰に言ってるのか判らなかったんだよ。それと客なら代金は払うんだな?」
「私が納得できるものならな。その辺、店主さんなら自信があるだろう?」
魔理沙の煽るような熱の籠もった言葉が霖之助の耳朶を打つ。霖之助もその熱に感化されたのか、上手い事乗せられたのを自覚しつつも、何とかして魔理沙をやり込めてやりたいものだと冷めた身体に静かに炎を灯す。
「全く。涼しくなりたいのならわざわざここに来なくとも、近くの川でも何でも行けばいいじゃないか」
霖之助は上手い対処を考える時間を稼ぐ為、他愛もない話を魔理沙へと振る。これで上手く店から出て行ってくれたら儲けものだという、若干の打算も含みつつ。
「ここが一番家から近かったからな。ま、香霖が駄目だったら大人しくその提案に乗るぜ」
霖之助の計算とは裏腹、魔理沙は更に霖之助を試すような言葉を重ねた。当然、霖之助としては面白い訳もなく、より一層自らの熱を高めていく。
一応『涼しくなる為の道具』とやらは店にもあるのだ。しかし、未だに使用方法が判っていないのが現状。それでは、どうやってこの小生意気な娘に一矢報いるべきか……。
霖之助は脳髄が熱くなるのを知覚する。そしてその熱はある一角を溶かし、古い記憶を霖之助の脳内へと染み出させた。
「そうだな……では、古来より涼を取る為に行われてきた事を試してみようか」
「ほう、それは?」
興味津々と言った様子で身を乗り出してくる魔理沙。乱れた服装など最早お構いなしだ。
「決まっているだろう? 『怪談』だよ」
「へぇ、香霖みたいな気の利かない奴がそんな気の利く話を持ってたとはな。それじゃあ、ありがたく聞かせて貰うとするか」
えへん。ともっともらしい咳払いを一つ打つと、霖之助は組んだ両腕を番台の上へとのせ、神妙な面持ちで語り出した。
「これは本当にあった話でね。昔、旅人が先も見えぬ雨の中を進んでいて、ある小屋を見付けたそうだ……」
◆ ◆ ◆
「くそっ、ついてないな」
降りしきる大粒の雨に打たれながら、旅人は独りごちる。確かに、里を出た時は既に天蓋へと分厚く暗い幕が掛かっていたのだが、まさかここまで酷い事態になるとは。
気ままな一人旅という誰にも気兼ねする必要の無さが、この様な見通しの甘さを招いた訳だったが、今の旅人にはそのような自分の未熟さを省みる気持ちなど寸分もなく、今はただこの驟雨をどうにか凌ぐ方法を考えるのが精一杯だった。
しかし、ここは先程後にした人里と次に目指していた目的地との中間地点と言える場所。元々辺鄙な地方を旅していた事も相まって、辺りはひたすら平坦なあぜ道。都合良く雨露を凌げる場所などは簡単には見つかりそうになかった。
それでも辛抱強く目を凝らせば、あるいは雨宿りの出来そうな木の一本くらいは見付けられたのかもしれない。しかしそのような集中力のいる作業、為す術もなく空より飛来する弾丸に撃たれ続ける旅人には到底無理な話だった。何しろ身体に当たって跳ねる飛沫で、はっきりと目を開けている事さえ困難なのだ。
旅人は自らの失敗を棚上げして我が身の不幸を呪いつつ、ただ前を目指して歩みを進め続ける。全身は隙間無く濡れそぼり、衣服は水を吸って重く身体に纏わり付く。身体の震えは寒さの為に止まる事がない。打ち据える雨は容赦なく彼の感覚を奪い、最早彼は自分が足を進めているのか、それとも後ろに向かって進んでいるのかさえ理解出来なくなっていた。
次第に彼はまともにものを考える事すら億劫になり、目を伏せたままでただただ歯車のように足を回すだけになっていた。
あぁ、何でこんな事に。誰でも良いから暖かい火に当たらせてくれ。そうしたら僕は何だってしてやる。旅人が自暴自棄になりつつ天に唾棄でもしようかと目を上げたその時、思っても見なかったものが彼の視界に飛び込んできた。
それは、小屋だった。何の変哲もない、古ぼけた小屋。
あぜ道に沿ってぽつんと建っているその小屋は、雨霞に包まれているせいか酷く朧気で、今にも雨の中に映った幻ではないかと思えるほどだった。
早く辿り着かないとすぐにでもかき消えてしまう。そんな焦燥に駆られた旅人は、ありったけの力を込めて足の歯車を回す。幸い、その小屋は旅人が近付いても蜃気楼のように消え去る事はなかった。
間近でその存在を確認すると、それはまさしく廃屋としか形容の無さそうなものだった。木々を組み合わせた外壁は長年風雨に晒されてきた為か、建てられた当時の姿が想像できないくらいに色褪せている。屋根も、少し強い風が吹けば飛んで行ってしまいそうなほどだ。
「ごめん下さーい。どなたかいらっしゃいますかー?」
旅人としても、この様な掘っ立て小屋に主人がいる事など想定していなかった。ただ何故か、何者かが中に潜んでいるような、そんな妙な直感が背筋を走ったのだ。
しかし、その勘はどうやら見当外れだったようで、彼の声はむなしく雨音の中に溶け込んでいった。
旅人は意を決して戸に手を掛けると、横に開いた。意外にも戸にがたつきはなく、誰かに開かれるのを待っていたかのように滑らかに動く。
玄関の敷居を跨いだ瞬間、旅人は再び直感、と言うよりも寧ろ悪寒とでも表現すべきものが自らの身体の芯を駆け抜けるのを感じた。
いかん、風邪でも引きかけたかな。旅人は先程外れた直感など信用せずに、今し方身体が感じたものをただの生理現象の一つと断じると、古ぼけた独特の匂いが漂う小屋の内部へと目を凝らした。
太陽の光など欠片も通さない雲の厚さと、窓など存在しない小屋の造りが相まって、建物の中は暗闇に塗り込められていた。それでも、なんとか大体の様相は感じ取れる。四畳ほどの土間に、六畳ほどの居間。それに柱が四本ほど立っていて、天井の梁を支えている。居間の真ん中には申し訳程度の囲炉裏が付いている事が、旅人を殊更喜ばせた。
生活用品がまるっきり見当たらない所から、ここは休憩場所か何かだろうか。それにしては床には厚く埃が幕を張っていて、人が訪れた形跡を見付けられそうにないのが不思議だが。旅人は微かな疑問を抱きながらも、心をほぼ占有している早く温まりたいという気持ちに急かされ、放り投げるように靴を脱ぐと囲炉裏へと足を向ける。当然のように足へと纏わり付く埃は、この際気にしない事にした。どうせ雨と泥跳ねで悲惨な事になっているのだから、今更埃程度では変わりようがなかったからだ。
幸い、囲炉裏には先住者が残していったのだろう燃えさしの薪があり、後はそこに火を付けるだけで暖を取れる状態となっていた。
旅人は懐より火打石一式を取り出す。厳重にくるんでおいたおかげか、全身濡れ鼠となっていても火口や付け木は湿っていなかった。旅人は手早く火が付いてくれる事を祈ると火口を軽くほぐし、震える手で火打石を火打金へと打ち付ける。暗い小屋の中で瞬いた火花は一直線に火口へと向かい、赤い火種を生み出す。次は慎重に火種を付け木へと移し、囲炉裏へと放り込む。
小さな火花から生まれた炎は瞬く間に広がり、囲炉裏を赤く染め上げていく。その赤は小屋の内部を暖かく包み込み、黒と寒さを隅の方へと追いやる。旅人はここに至って、漸く人心地を付ける事が出来た。
火の側で暖まる事暫し。服もある程度乾いて不快感が消えてくると、急に眠気が旅人へと襲いかかってきた。どうやら思っていた以上に自分は疲れているらしい。身を包む妙な圧迫感を自覚すると瞼は途端に重くなり、最早眠るのは時間の問題だった。
床の汚れなど一切気にせず、旅人は睡魔の任せるままに身体を横たえる。そうすると彼の目は必然的に天井を見上げる事になるのだが、不思議な事に梁に汚れなどは見られても、腐って折れているものなどは全く無い。床にこれだけ厚く埃が積もるほど放置されているのにも関わらず、屋根の方にも穴一つさえ無いのだ。そう言えば、と旅人は思い返す。外壁にも汚れはあっても、眼に見えるほど大きな傷は一つもなかった。
これではまるで、古ぼけた小屋に偽装して自分を待ち構えていたようではないか。それに気が付くと、頭のどこかで警鐘の音が響くのが聞こえたのだが、微睡みつつある現状ではその鐘の意味を理解する事は出来なかった。旅人は何かに誘われるような耐え難い眠気の波に身を任せ、深い眠りへと落ちていった……
◆ ◆ ◆
「そして翌朝。旅人は横になったまま生気を吸われ、冷たくなっていたという……」
霖之助は厳かにそう締めくくると、満足そうに目を閉じる。横槍も入らずにひとしきり語り尽くした事で、いつの間にか彼の心中は穏やかになっていた。
「一見何の変哲もない、ただの古ぼけた小屋。しかしその小屋の真の姿は『妖怪屋敷』ならぬ『屋敷妖怪』だった訳だ。しかも恐ろしい事に、その屋敷妖怪は『この幻想郷内の何処か』に現存しているらしい……。どうだい、少しは望み通り涼しくなれたかな?」
「んー、薄気味の悪い話だとは思うぜ。ただ、本当の話だって信憑性は疑わしいがな」
こちらの言葉を素直に受け取らない魔理沙に対して、霖之助は微かに眉をしかめた。それに伴い先程の熱がぶり返し、穏やかだった心に再びさざ波が立つ。
「フムン。真偽を疑うのは君の勝手だが、精々気を付けた方が良い。うかうか泥棒家業に精を出していると、いつか蜘蛛の巣に引っ掛かるかもしれないよ」
「生憎だが私はそんなドジは踏まないぜ。正面から突っ込んで、罠があったら食い破るのがモットーだからな」
波に任せて小言めいた事をつい口に出してしまっても、彼女にとってはまさに馬耳東風だったようだ。魔理沙は臆面もなく『正面突破で泥棒を行う』という矛盾めいた宣言を告げた。
「さて、思ったような涼は取れなかった訳だし、次案を実行するとするぜ」
そう言って、魔理沙は当てが外れたにしては残念さなど欠片もない表情を浮かべると、香霖堂の外へと飛び去っていった。霖之助は魔理沙のその表情に、初めから自分など当てにしていなかった事を感じ取ると、やれやれと溜息を吐く。自分としてはとっておきの話をしたつもりだったのだが。そう、先程の小屋は本当に存在するのだから。
霖之助は大きく伸びをするように天井を見上げる。魔理沙は気が付いていただろうか、先程まで自分が実際に話中に出て来た小屋の中に居た事に。この香霖堂こそが『屋敷妖怪』そのものだという事に。
霖之助が語った『怪談』。そこに登場した旅人の正体は、何を隠そう霖之助本人なのである。つまり彼は自分の実体験を語っていただけという訳だ。
もちろん、最後の『生気を吸われて冷たくなった』部分に関しても本当である。ただしこの事については些か誤謬があり、正確には『人間としての生気を吸われて身体が冷たくなった』というのが真相である。普通の人間であったら確かに死んでいたかもしれないが、霖之助の半妖としての体質が彼の命を繋ぎ止めたという事になる。
霖之助が屋敷妖怪と出会って以来、両者の奇妙な共生関係は続いている。屋敷妖怪は霖之助に道具屋としての住居を提供し、霖之助は生気を差し出す。
生気を吸われ続けているせいか、夏でも涼しく過ごせるのが通常の屋敷と異なる利点の一つだ。そのせいで冬が寒いのは難点と言えなくもないが、それは別の道具を用いる事で今の所はどうにかなっている。
そしてもう一つにして最大の利点。それは話の中で掘っ立て小屋を演じていた事からも判るように、屋敷自体がある程度自分の姿を変えられる、というものだ。しかも屋敷にあるまじき行為、即ち移動さえも出来るのだと言うから驚きである。
このおかげで、霖之助は自分の理想そのものと言える間取りを持った店を、思うがままの立地条件で手に入れられた。しかも店を補修する必要さえもないのだから、素晴らしいと言う他ない。生気を与える関係上、店から長い時間外に出られなくなってしまったのは少々痛いが、その分は本と言う広い世界の中に没頭する事で充分補填出来ている。
そんな具合に、彼と屋敷の支え合いはまだまだ長い事続きそうである。
ぽつりと、心底だるそうに魔理沙が呟いた。場所こそはいつもの香霖堂内での定位置に収まっているものの、その身体からはいつもの覇気は感じられない。彼女はただひたすら、自らの身体に纏い付く熱気を払うかのように、その手に持った帽子で胸元を扇ぎ続けている。
その茹だったような表情の為か、はてまたその体格のせいか。はだけた胸元や暑さの為に乱れた服装からは扇情的な雰囲気は全く感じられず、寧ろはしゃぎすぎた子供そのもののイメージを増幅させる。
そんな魔理沙の行為には全く目もくれず、番台に座り込んだまま黙々と手元の本に目を落とす者が一人。言わずもがなこの香霖堂の店主、森近霖之助である。彼は魔理沙のように暑さに負けて服装を着崩すなどと言う事はせず、寧ろ熱気などどこ吹く風とでも言わんばかりに涼しげな表情を浮かべている。
いつも通り全身を覆った服装からは着衣の乱れなど一つも見られず、その為にここが真夏の室内と言う事さえ忘れてしまいそうな佇まいである。
霖之助としては、突然乗り込んで来て暑いだの何だの喚き散らす者は始めから客扱いをしない。よって先程から我関せずと言った面持ちで読書に没頭しているのだ。彼女が諦めて退散する時を待ちながら。
「暑い……あぁ、暑い。この暑さをどうにか出来る奴がいたら、是非礼を言いたいものだぜ」
魔理沙は目線を中空に彷徨わせたまま、彼女の言う「どうにか出来る奴」と交わそうとはしない。何故なら、相手が興味の無さそうな表情を装いつつ、その実しっかりと自分の一挙一動に聞き耳を立てている事を彼女は心得ているからだ。
「生憎、私には暑さを吹き飛ばす良い方法が思いつかないからな。いっその事マスタースパークで全部吹っ飛ばしたらすっきりするか?」
それでもいつまでも無反応を決め込む霖之助に痺れを切らしたのか、魔理沙は爆弾じみた言葉を投げかける。霖之助はその爆弾を受け取ると、流石にそれが炸裂した際の恐ろしさを身を以て味わうのは避けたいらしく、観念したような表情で目線を本より魔理沙に向けるのだった。
「で、凶悪犯は何をご所望だって?」
「さっきから言い続けてるだろ、涼しくなれる道具か何かないかって。それと私は客だ」
「さっきは『どうにか出来る』というえらく漠然としたものだったからね。誰に言ってるのか判らなかったんだよ。それと客なら代金は払うんだな?」
「私が納得できるものならな。その辺、店主さんなら自信があるだろう?」
魔理沙の煽るような熱の籠もった言葉が霖之助の耳朶を打つ。霖之助もその熱に感化されたのか、上手い事乗せられたのを自覚しつつも、何とかして魔理沙をやり込めてやりたいものだと冷めた身体に静かに炎を灯す。
「全く。涼しくなりたいのならわざわざここに来なくとも、近くの川でも何でも行けばいいじゃないか」
霖之助は上手い対処を考える時間を稼ぐ為、他愛もない話を魔理沙へと振る。これで上手く店から出て行ってくれたら儲けものだという、若干の打算も含みつつ。
「ここが一番家から近かったからな。ま、香霖が駄目だったら大人しくその提案に乗るぜ」
霖之助の計算とは裏腹、魔理沙は更に霖之助を試すような言葉を重ねた。当然、霖之助としては面白い訳もなく、より一層自らの熱を高めていく。
一応『涼しくなる為の道具』とやらは店にもあるのだ。しかし、未だに使用方法が判っていないのが現状。それでは、どうやってこの小生意気な娘に一矢報いるべきか……。
霖之助は脳髄が熱くなるのを知覚する。そしてその熱はある一角を溶かし、古い記憶を霖之助の脳内へと染み出させた。
「そうだな……では、古来より涼を取る為に行われてきた事を試してみようか」
「ほう、それは?」
興味津々と言った様子で身を乗り出してくる魔理沙。乱れた服装など最早お構いなしだ。
「決まっているだろう? 『怪談』だよ」
「へぇ、香霖みたいな気の利かない奴がそんな気の利く話を持ってたとはな。それじゃあ、ありがたく聞かせて貰うとするか」
えへん。ともっともらしい咳払いを一つ打つと、霖之助は組んだ両腕を番台の上へとのせ、神妙な面持ちで語り出した。
「これは本当にあった話でね。昔、旅人が先も見えぬ雨の中を進んでいて、ある小屋を見付けたそうだ……」
◆ ◆ ◆
「くそっ、ついてないな」
降りしきる大粒の雨に打たれながら、旅人は独りごちる。確かに、里を出た時は既に天蓋へと分厚く暗い幕が掛かっていたのだが、まさかここまで酷い事態になるとは。
気ままな一人旅という誰にも気兼ねする必要の無さが、この様な見通しの甘さを招いた訳だったが、今の旅人にはそのような自分の未熟さを省みる気持ちなど寸分もなく、今はただこの驟雨をどうにか凌ぐ方法を考えるのが精一杯だった。
しかし、ここは先程後にした人里と次に目指していた目的地との中間地点と言える場所。元々辺鄙な地方を旅していた事も相まって、辺りはひたすら平坦なあぜ道。都合良く雨露を凌げる場所などは簡単には見つかりそうになかった。
それでも辛抱強く目を凝らせば、あるいは雨宿りの出来そうな木の一本くらいは見付けられたのかもしれない。しかしそのような集中力のいる作業、為す術もなく空より飛来する弾丸に撃たれ続ける旅人には到底無理な話だった。何しろ身体に当たって跳ねる飛沫で、はっきりと目を開けている事さえ困難なのだ。
旅人は自らの失敗を棚上げして我が身の不幸を呪いつつ、ただ前を目指して歩みを進め続ける。全身は隙間無く濡れそぼり、衣服は水を吸って重く身体に纏わり付く。身体の震えは寒さの為に止まる事がない。打ち据える雨は容赦なく彼の感覚を奪い、最早彼は自分が足を進めているのか、それとも後ろに向かって進んでいるのかさえ理解出来なくなっていた。
次第に彼はまともにものを考える事すら億劫になり、目を伏せたままでただただ歯車のように足を回すだけになっていた。
あぁ、何でこんな事に。誰でも良いから暖かい火に当たらせてくれ。そうしたら僕は何だってしてやる。旅人が自暴自棄になりつつ天に唾棄でもしようかと目を上げたその時、思っても見なかったものが彼の視界に飛び込んできた。
それは、小屋だった。何の変哲もない、古ぼけた小屋。
あぜ道に沿ってぽつんと建っているその小屋は、雨霞に包まれているせいか酷く朧気で、今にも雨の中に映った幻ではないかと思えるほどだった。
早く辿り着かないとすぐにでもかき消えてしまう。そんな焦燥に駆られた旅人は、ありったけの力を込めて足の歯車を回す。幸い、その小屋は旅人が近付いても蜃気楼のように消え去る事はなかった。
間近でその存在を確認すると、それはまさしく廃屋としか形容の無さそうなものだった。木々を組み合わせた外壁は長年風雨に晒されてきた為か、建てられた当時の姿が想像できないくらいに色褪せている。屋根も、少し強い風が吹けば飛んで行ってしまいそうなほどだ。
「ごめん下さーい。どなたかいらっしゃいますかー?」
旅人としても、この様な掘っ立て小屋に主人がいる事など想定していなかった。ただ何故か、何者かが中に潜んでいるような、そんな妙な直感が背筋を走ったのだ。
しかし、その勘はどうやら見当外れだったようで、彼の声はむなしく雨音の中に溶け込んでいった。
旅人は意を決して戸に手を掛けると、横に開いた。意外にも戸にがたつきはなく、誰かに開かれるのを待っていたかのように滑らかに動く。
玄関の敷居を跨いだ瞬間、旅人は再び直感、と言うよりも寧ろ悪寒とでも表現すべきものが自らの身体の芯を駆け抜けるのを感じた。
いかん、風邪でも引きかけたかな。旅人は先程外れた直感など信用せずに、今し方身体が感じたものをただの生理現象の一つと断じると、古ぼけた独特の匂いが漂う小屋の内部へと目を凝らした。
太陽の光など欠片も通さない雲の厚さと、窓など存在しない小屋の造りが相まって、建物の中は暗闇に塗り込められていた。それでも、なんとか大体の様相は感じ取れる。四畳ほどの土間に、六畳ほどの居間。それに柱が四本ほど立っていて、天井の梁を支えている。居間の真ん中には申し訳程度の囲炉裏が付いている事が、旅人を殊更喜ばせた。
生活用品がまるっきり見当たらない所から、ここは休憩場所か何かだろうか。それにしては床には厚く埃が幕を張っていて、人が訪れた形跡を見付けられそうにないのが不思議だが。旅人は微かな疑問を抱きながらも、心をほぼ占有している早く温まりたいという気持ちに急かされ、放り投げるように靴を脱ぐと囲炉裏へと足を向ける。当然のように足へと纏わり付く埃は、この際気にしない事にした。どうせ雨と泥跳ねで悲惨な事になっているのだから、今更埃程度では変わりようがなかったからだ。
幸い、囲炉裏には先住者が残していったのだろう燃えさしの薪があり、後はそこに火を付けるだけで暖を取れる状態となっていた。
旅人は懐より火打石一式を取り出す。厳重にくるんでおいたおかげか、全身濡れ鼠となっていても火口や付け木は湿っていなかった。旅人は手早く火が付いてくれる事を祈ると火口を軽くほぐし、震える手で火打石を火打金へと打ち付ける。暗い小屋の中で瞬いた火花は一直線に火口へと向かい、赤い火種を生み出す。次は慎重に火種を付け木へと移し、囲炉裏へと放り込む。
小さな火花から生まれた炎は瞬く間に広がり、囲炉裏を赤く染め上げていく。その赤は小屋の内部を暖かく包み込み、黒と寒さを隅の方へと追いやる。旅人はここに至って、漸く人心地を付ける事が出来た。
火の側で暖まる事暫し。服もある程度乾いて不快感が消えてくると、急に眠気が旅人へと襲いかかってきた。どうやら思っていた以上に自分は疲れているらしい。身を包む妙な圧迫感を自覚すると瞼は途端に重くなり、最早眠るのは時間の問題だった。
床の汚れなど一切気にせず、旅人は睡魔の任せるままに身体を横たえる。そうすると彼の目は必然的に天井を見上げる事になるのだが、不思議な事に梁に汚れなどは見られても、腐って折れているものなどは全く無い。床にこれだけ厚く埃が積もるほど放置されているのにも関わらず、屋根の方にも穴一つさえ無いのだ。そう言えば、と旅人は思い返す。外壁にも汚れはあっても、眼に見えるほど大きな傷は一つもなかった。
これではまるで、古ぼけた小屋に偽装して自分を待ち構えていたようではないか。それに気が付くと、頭のどこかで警鐘の音が響くのが聞こえたのだが、微睡みつつある現状ではその鐘の意味を理解する事は出来なかった。旅人は何かに誘われるような耐え難い眠気の波に身を任せ、深い眠りへと落ちていった……
◆ ◆ ◆
「そして翌朝。旅人は横になったまま生気を吸われ、冷たくなっていたという……」
霖之助は厳かにそう締めくくると、満足そうに目を閉じる。横槍も入らずにひとしきり語り尽くした事で、いつの間にか彼の心中は穏やかになっていた。
「一見何の変哲もない、ただの古ぼけた小屋。しかしその小屋の真の姿は『妖怪屋敷』ならぬ『屋敷妖怪』だった訳だ。しかも恐ろしい事に、その屋敷妖怪は『この幻想郷内の何処か』に現存しているらしい……。どうだい、少しは望み通り涼しくなれたかな?」
「んー、薄気味の悪い話だとは思うぜ。ただ、本当の話だって信憑性は疑わしいがな」
こちらの言葉を素直に受け取らない魔理沙に対して、霖之助は微かに眉をしかめた。それに伴い先程の熱がぶり返し、穏やかだった心に再びさざ波が立つ。
「フムン。真偽を疑うのは君の勝手だが、精々気を付けた方が良い。うかうか泥棒家業に精を出していると、いつか蜘蛛の巣に引っ掛かるかもしれないよ」
「生憎だが私はそんなドジは踏まないぜ。正面から突っ込んで、罠があったら食い破るのがモットーだからな」
波に任せて小言めいた事をつい口に出してしまっても、彼女にとってはまさに馬耳東風だったようだ。魔理沙は臆面もなく『正面突破で泥棒を行う』という矛盾めいた宣言を告げた。
「さて、思ったような涼は取れなかった訳だし、次案を実行するとするぜ」
そう言って、魔理沙は当てが外れたにしては残念さなど欠片もない表情を浮かべると、香霖堂の外へと飛び去っていった。霖之助は魔理沙のその表情に、初めから自分など当てにしていなかった事を感じ取ると、やれやれと溜息を吐く。自分としてはとっておきの話をしたつもりだったのだが。そう、先程の小屋は本当に存在するのだから。
霖之助は大きく伸びをするように天井を見上げる。魔理沙は気が付いていただろうか、先程まで自分が実際に話中に出て来た小屋の中に居た事に。この香霖堂こそが『屋敷妖怪』そのものだという事に。
霖之助が語った『怪談』。そこに登場した旅人の正体は、何を隠そう霖之助本人なのである。つまり彼は自分の実体験を語っていただけという訳だ。
もちろん、最後の『生気を吸われて冷たくなった』部分に関しても本当である。ただしこの事については些か誤謬があり、正確には『人間としての生気を吸われて身体が冷たくなった』というのが真相である。普通の人間であったら確かに死んでいたかもしれないが、霖之助の半妖としての体質が彼の命を繋ぎ止めたという事になる。
霖之助が屋敷妖怪と出会って以来、両者の奇妙な共生関係は続いている。屋敷妖怪は霖之助に道具屋としての住居を提供し、霖之助は生気を差し出す。
生気を吸われ続けているせいか、夏でも涼しく過ごせるのが通常の屋敷と異なる利点の一つだ。そのせいで冬が寒いのは難点と言えなくもないが、それは別の道具を用いる事で今の所はどうにかなっている。
そしてもう一つにして最大の利点。それは話の中で掘っ立て小屋を演じていた事からも判るように、屋敷自体がある程度自分の姿を変えられる、というものだ。しかも屋敷にあるまじき行為、即ち移動さえも出来るのだと言うから驚きである。
このおかげで、霖之助は自分の理想そのものと言える間取りを持った店を、思うがままの立地条件で手に入れられた。しかも店を補修する必要さえもないのだから、素晴らしいと言う他ない。生気を与える関係上、店から長い時間外に出られなくなってしまったのは少々痛いが、その分は本と言う広い世界の中に没頭する事で充分補填出来ている。
そんな具合に、彼と屋敷の支え合いはまだまだ長い事続きそうである。
もうちょっと二人の関係について詳(ry
そのうち紅魔館×博麗神社とか出て来そうだなw
できれば夏にやって・・・
もうすでにあのスレでは……そのジャンルやったんです かなり前にw
どんだけよwと思いましたw
あー……でもssで書いた人は貴方が初めてです やりましたね!!
良好な関係のようで。
んなもん予想できるかーw
なんとも涼しげな関係で羨ましい
「りんのすけ~もっろぉ~」なのかww