その部屋は、紅魔という名の館の一室に相応しかった。
質の高い調度品や寝具が程好く並び、綺麗に整えられたそれらは一つの絵の様にそこに存在している。
ともすれば部屋である事にすら違和感を覚えてしまうであろう、一つの空間の中。
「ここね」
訪れる者を萎縮させるその部屋に臆する事無く入って来たのは、一人の妖怪だった。
その立ち居振る舞いや部屋を見渡す視線から、彼女がこの様な雰囲気に慣れている事が分かる。
そして彼女は一人部屋の真中に立ち、呼びかける。
「それでは、お話を聞かせてもらいましょうか」
細い声の届く先に、一人の少女の姿が在った。
天蓋付きのベッドの縁に腰掛けて腕と脚を組み、セミロングの銀髪の下から鋭い瞳だけが妖怪少女の方を向いている。
人を警戒する目付きをしながらも、メイド服に身を包むアンバランスな様相が、一際光っているとも言えるだろう。
彼女は妖怪少女の呼びかけに応じるつもりなのだろうか、音も無く立ち上がる。
「初めまして、十六夜咲夜さん。 私は古明地さとりと申します」
十六夜咲夜と呼ばれたメイド少女は、メイドらしく丁寧に一礼をする。
しかし、上げたその顔に生気は無く、青白い肌が虚ろな眼と相俟って、不気味な人形の様に映っている。
「――――」
ぼそぼそと、目の前に居るさとりにすら微かにしか聞き取れない声が、咲夜の口から漏れる。
挨拶の言葉も無いのはメイドとして問題ではあるのだが、咲夜もさとりも全く気に留めていない。
「あの日、一人で博麗神社に行った私は、魔理沙と弾幕ごっこをしていました」
会話ですらない、誰かに説明する様に、硬い言葉で話している。
さとりは一言も喋らず、じっと聞く側に徹していて、その意図は読み取れない。
「結果はいつも通り私の優勢、直線の動きが多い魔理沙の弾幕を、私が避けられない筈が無いのです」
淡々と語り続ける咲夜。 語り口に感情の一つも無いまま、話は続く。
「でも、あの時は偶然が起こりました。
私が勝負を決めようと魔理沙の後ろに回りこんだ直後に、魔理沙が当てずっぽうに放ったマスタースパーク。
それが、私に当たったのです」
言葉に色が篭る。
「その偶然が、私の右腕の肩口から先を滅茶苦茶にしていきました。
普段は威力を抑えているからこそ弾幕ごっこで使っていたのでしょうけど、あの時は忘れてしまっていた様ですね」
今度は、咲夜の顔に色が点る。
強い怒りを無理矢理押さえ込んだような引き攣った頬が、さとりの能力を通すまでも無く咲夜の心を表している。
「事故でした。 ええ、事故でした。
弾幕ごっこに不慮の事故は付き物。 その説明は聞いていましたし、今回の事が故意だとは考えられません。
だから、これは事故だったのです」
感情が篭ると共に、途端に饒舌になる。
「だから私は、その事に関しては魔理沙を責めませんでした。
本人も何度も謝っていたし、これはただの事故。 それで、この問題は終わりにしようと、霊夢は言っていました」
全てルールに記載されていた事であり、お互いにルールに違反した行為は無い。
ともなれば、その判断を否と言える者は誰も居ない。
「その後、永遠亭の尽力のおかげで、私は命を繋げる事ができました。
しかし、どれだけ月の技術が進歩していようとも、失った腕を再生させる事は出来ませんでした」
人間は妖怪と違い、身体や感覚の一部を失えばそれが元通りになる事はまず無い。
眼を失えば光を見られず、耳を失えば音を失う。 それは、その部分が世界から切り離される事に等しい。
「片腕を無くした私は、お嬢様の計らいで今まで通り仕える事を許して貰いました。
思えば、あれが間違いだったのかもしれません」
僅かに言葉が歪み、声が震える。
苦しげに顔を伏せ、それでも咲夜は言葉を続けようと、口を開く。
「お嬢様に仕える者として、これほど辛い、事は有りませんでした。
紅茶を乗せたお盆は傾いて、紅茶を淹れる時間はずれて、塵取りは持てなくて、投げられるナイフも半分だけ。
私の今までの時間が、全て否定されたのかと思いました」
咲夜とて、初めから完璧超人で在った訳ではなく、人間の身に在りながらその努力と才能を伸ばし続けて、今の実力を身に付けたのだろう。
それが、それまでの生き方が、たった一度の事故で、一瞬にして消し飛ばされた。
「それから私は、何度も何度も、何度も、憎みました。
私がこんな風になったという事実と、私をこんな風にした人。 それに、何にも出来なくなった私自身も」
咲夜の表情に、怒りが色濃く浮かび上がる。
同時に、時折混じるうめき声の様なものも、より大きくなる。
「……私は、お嬢様に仕える事が第一であり、それが私の全てでした」
ただ一人幻想に入り、人から疎まれ恐れられ避けられていた咲夜が、苦難と奇跡の末に手にした平穏な日常。
自分の生きる目的を見つけ、自分の居るべき場所を得て、満たされた未来へ進む幸せな今。
その全てを、咲夜は片腕と共に失ってしまった。
「心のままに復讐を終えて、私に残った物は何一つ有りませんでした。
紅魔館でのメイド長としての生活も、練習し続けて漸くお嬢様に認めてもらえた紅茶の淹れ方も、弾幕決闘の技術も。
私が培ってきたもの全てが、元通りにはなりませんでした」
心の衝動を抑えるかの様に、苦しげに身体を震わせる。
息は荒く、左手で胸を強く抑え、掠れそうな声を絞り出して、咲夜は心を吐き出していく。
「私に出来る事は、ただただ自分を憎む事だけでした。
何にも出来ない自分が恨めしくて、自分の右腕が無いのが憎たらしくて、私は――――」
言葉が止まり、咲夜は左手を高く上げる。
その手には鈍く光るナイフが一振り。 咲夜のお気に入りの、柄に翼の細工が施してある大振りのそれが握られていた。
逆手に握られた刃は下を向いている。 その手を振り下ろせば、刃は上向きになるだろう。
肉を切り裂き骨を穿つ鈍い音と共に、銀色の剣閃が、咲夜を貫いた。
「……ここまでですね」
咲夜が語る間何一つ言葉を出さなかったさとりが、漸く口を開いた。
その目の前に咲夜の姿は無く、部屋の真ん中に立ち尽くすさとりは一息吐いて、ベッドの方に振り向く。
「これが真実です、レミリアさん」
その先、天蓋付きのベッドの上に、大きな一対の羽を携えた少女が座り込んでいた。
レミリアと呼ばれた彼女は、立ち上がってベッドから飛び降り、さとりの元へと歩み寄る。
「なるほど、よく分かったわ」
僅かに伏せられた顔からは、レミリアの様子は窺い知れない。
しかしその声色は、普段のレミリアの様子に似つかわしくない、暗いものだった。
「それにしても、貴女の能力ってこんな事も出来るんだねぇ」
「全てを再現出来る訳ではありません、これは彼女のトラウマを映し出しただけに過ぎませんから」
さとりの目の前から姿を消した咲夜――正確には、さとりが再現した咲夜のトラウマが、咲夜の心を暴いた。
彼女を幸せな世界から引き摺り下ろした、その事故と共に。
「トラウマ、ね」
「……それでは、私はこれで失礼します」
さとりは一言だけ残して、紅色の部屋から逃げる様に出て行った。
至る所、咲夜の血に塗れた、咲夜の部屋から。
「そうだったのね」
残されたレミリアは、微かに呟いた。
いかに我儘な彼女とて、大切な従者の苦しみに気付いてあげられなかった事には、心を抉られる。
何を聞いた所で『大丈夫です』の一言しか零さなかった彼女が、どれだけの苦しみを抱えていたのか。
想像も付かない心を目の前にして、レミリアはじっと涙を堪えるばかり。
「でも、もう大丈夫。 何も気にしなくて良いんだからね」
微かな震えが止まり、狂気を孕んだ笑顔が、ベッドの上のもう一つの人影に向けられる。
「咲夜も、私と同じなんだから」
隻腕の吸血鬼は、何も応えなかった。
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質の高い調度品や寝具が程好く並び、綺麗に整えられたそれらは一つの絵の様にそこに存在している。
ともすれば部屋である事にすら違和感を覚えてしまうであろう、一つの空間の中。
「ここね」
訪れる者を萎縮させるその部屋に臆する事無く入って来たのは、一人の妖怪だった。
その立ち居振る舞いや部屋を見渡す視線から、彼女がこの様な雰囲気に慣れている事が分かる。
そして彼女は一人部屋の真中に立ち、呼びかける。
「それでは、お話を聞かせてもらいましょうか」
細い声の届く先に、一人の少女の姿が在った。
天蓋付きのベッドの縁に腰掛けて腕と脚を組み、セミロングの銀髪の下から鋭い瞳だけが妖怪少女の方を向いている。
人を警戒する目付きをしながらも、メイド服に身を包むアンバランスな様相が、一際光っているとも言えるだろう。
彼女は妖怪少女の呼びかけに応じるつもりなのだろうか、音も無く立ち上がる。
「初めまして、十六夜咲夜さん。 私は古明地さとりと申します」
十六夜咲夜と呼ばれたメイド少女は、メイドらしく丁寧に一礼をする。
しかし、上げたその顔に生気は無く、青白い肌が虚ろな眼と相俟って、不気味な人形の様に映っている。
「――――」
ぼそぼそと、目の前に居るさとりにすら微かにしか聞き取れない声が、咲夜の口から漏れる。
挨拶の言葉も無いのはメイドとして問題ではあるのだが、咲夜もさとりも全く気に留めていない。
「あの日、一人で博麗神社に行った私は、魔理沙と弾幕ごっこをしていました」
会話ですらない、誰かに説明する様に、硬い言葉で話している。
さとりは一言も喋らず、じっと聞く側に徹していて、その意図は読み取れない。
「結果はいつも通り私の優勢、直線の動きが多い魔理沙の弾幕を、私が避けられない筈が無いのです」
淡々と語り続ける咲夜。 語り口に感情の一つも無いまま、話は続く。
「でも、あの時は偶然が起こりました。
私が勝負を決めようと魔理沙の後ろに回りこんだ直後に、魔理沙が当てずっぽうに放ったマスタースパーク。
それが、私に当たったのです」
言葉に色が篭る。
「その偶然が、私の右腕の肩口から先を滅茶苦茶にしていきました。
普段は威力を抑えているからこそ弾幕ごっこで使っていたのでしょうけど、あの時は忘れてしまっていた様ですね」
今度は、咲夜の顔に色が点る。
強い怒りを無理矢理押さえ込んだような引き攣った頬が、さとりの能力を通すまでも無く咲夜の心を表している。
「事故でした。 ええ、事故でした。
弾幕ごっこに不慮の事故は付き物。 その説明は聞いていましたし、今回の事が故意だとは考えられません。
だから、これは事故だったのです」
感情が篭ると共に、途端に饒舌になる。
「だから私は、その事に関しては魔理沙を責めませんでした。
本人も何度も謝っていたし、これはただの事故。 それで、この問題は終わりにしようと、霊夢は言っていました」
全てルールに記載されていた事であり、お互いにルールに違反した行為は無い。
ともなれば、その判断を否と言える者は誰も居ない。
「その後、永遠亭の尽力のおかげで、私は命を繋げる事ができました。
しかし、どれだけ月の技術が進歩していようとも、失った腕を再生させる事は出来ませんでした」
人間は妖怪と違い、身体や感覚の一部を失えばそれが元通りになる事はまず無い。
眼を失えば光を見られず、耳を失えば音を失う。 それは、その部分が世界から切り離される事に等しい。
「片腕を無くした私は、お嬢様の計らいで今まで通り仕える事を許して貰いました。
思えば、あれが間違いだったのかもしれません」
僅かに言葉が歪み、声が震える。
苦しげに顔を伏せ、それでも咲夜は言葉を続けようと、口を開く。
「お嬢様に仕える者として、これほど辛い、事は有りませんでした。
紅茶を乗せたお盆は傾いて、紅茶を淹れる時間はずれて、塵取りは持てなくて、投げられるナイフも半分だけ。
私の今までの時間が、全て否定されたのかと思いました」
咲夜とて、初めから完璧超人で在った訳ではなく、人間の身に在りながらその努力と才能を伸ばし続けて、今の実力を身に付けたのだろう。
それが、それまでの生き方が、たった一度の事故で、一瞬にして消し飛ばされた。
「それから私は、何度も何度も、何度も、憎みました。
私がこんな風になったという事実と、私をこんな風にした人。 それに、何にも出来なくなった私自身も」
咲夜の表情に、怒りが色濃く浮かび上がる。
同時に、時折混じるうめき声の様なものも、より大きくなる。
「……私は、お嬢様に仕える事が第一であり、それが私の全てでした」
ただ一人幻想に入り、人から疎まれ恐れられ避けられていた咲夜が、苦難と奇跡の末に手にした平穏な日常。
自分の生きる目的を見つけ、自分の居るべき場所を得て、満たされた未来へ進む幸せな今。
その全てを、咲夜は片腕と共に失ってしまった。
「心のままに復讐を終えて、私に残った物は何一つ有りませんでした。
紅魔館でのメイド長としての生活も、練習し続けて漸くお嬢様に認めてもらえた紅茶の淹れ方も、弾幕決闘の技術も。
私が培ってきたもの全てが、元通りにはなりませんでした」
心の衝動を抑えるかの様に、苦しげに身体を震わせる。
息は荒く、左手で胸を強く抑え、掠れそうな声を絞り出して、咲夜は心を吐き出していく。
「私に出来る事は、ただただ自分を憎む事だけでした。
何にも出来ない自分が恨めしくて、自分の右腕が無いのが憎たらしくて、私は――――」
言葉が止まり、咲夜は左手を高く上げる。
その手には鈍く光るナイフが一振り。 咲夜のお気に入りの、柄に翼の細工が施してある大振りのそれが握られていた。
逆手に握られた刃は下を向いている。 その手を振り下ろせば、刃は上向きになるだろう。
肉を切り裂き骨を穿つ鈍い音と共に、銀色の剣閃が、咲夜を貫いた。
「……ここまでですね」
咲夜が語る間何一つ言葉を出さなかったさとりが、漸く口を開いた。
その目の前に咲夜の姿は無く、部屋の真ん中に立ち尽くすさとりは一息吐いて、ベッドの方に振り向く。
「これが真実です、レミリアさん」
その先、天蓋付きのベッドの上に、大きな一対の羽を携えた少女が座り込んでいた。
レミリアと呼ばれた彼女は、立ち上がってベッドから飛び降り、さとりの元へと歩み寄る。
「なるほど、よく分かったわ」
僅かに伏せられた顔からは、レミリアの様子は窺い知れない。
しかしその声色は、普段のレミリアの様子に似つかわしくない、暗いものだった。
「それにしても、貴女の能力ってこんな事も出来るんだねぇ」
「全てを再現出来る訳ではありません、これは彼女のトラウマを映し出しただけに過ぎませんから」
さとりの目の前から姿を消した咲夜――正確には、さとりが再現した咲夜のトラウマが、咲夜の心を暴いた。
彼女を幸せな世界から引き摺り下ろした、その事故と共に。
「トラウマ、ね」
「……それでは、私はこれで失礼します」
さとりは一言だけ残して、紅色の部屋から逃げる様に出て行った。
至る所、咲夜の血に塗れた、咲夜の部屋から。
「そうだったのね」
残されたレミリアは、微かに呟いた。
いかに我儘な彼女とて、大切な従者の苦しみに気付いてあげられなかった事には、心を抉られる。
何を聞いた所で『大丈夫です』の一言しか零さなかった彼女が、どれだけの苦しみを抱えていたのか。
想像も付かない心を目の前にして、レミリアはじっと涙を堪えるばかり。
「でも、もう大丈夫。 何も気にしなくて良いんだからね」
微かな震えが止まり、狂気を孕んだ笑顔が、ベッドの上のもう一つの人影に向けられる。
「咲夜も、私と同じなんだから」
隻腕の吸血鬼は、何も応えなかった。
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まあ、それよりももっと狂気にまみれさせたかったんだろうけど
現状だと咲夜さんおめでとう心の壊れた咲夜さん可愛いよ、という感想しか出てこない。
吸血鬼ならなんでもできるよね。ふひひ、猟奇的なプレイとか。
……ってならないためには、もう一つ何か、これを悲劇、あるいは狂気とする伏線が足りないのだと思います。
だって、俺が吸血鬼で、目の前に死にかけてる奴がいたら絶対血注ぐし。
なんか読みミスってそうだけど読解力ないから仕方ないね
腕を吹っ飛ばした理由がなんとも。
知り合い同士なのにそんな危険な弾幕ごっこまでするかっていう。
もちょいそこら辺のエピソード考えて欲しかったです。
ただまあ、片腕を失った状態でまた仕え始めてから憎しみに囚われるまでの間は、シーンを別出しにしてもっと深くしてもいいんじゃないかなぁとも。
その部分がよりドラマチックだったらよりクるものがあったんじゃないかと思います。
ただ、静かな文体と、徐々に力をため、最後に持ち上げる書き方は評価できると思いますのでこの点数です
上の方も仰ってますが、片腕を無くした状態で仕え始めてから憎しみに囚われる間や、
復讐を果たしてから、それが何の意味もなかったことに気づくまでの間など
ここをもう少し掘り下げたら更に良くなるように思います
段々と気持ちが崩れていく様があったらもっと良かったかなと思います