弐.不知のおわり。
驚くべき効果を発揮します 新しい自分に出会えます
ただし中毒性がございます
用法・容量をお守りください
RADWIMPS-[有心論]より
慧音の営む寺子屋は、里の中で全ての道に通った場所にある。それは慧音が古くからこの幻想郷に住んでいることと、彼女ができる限り里の子供たちに勉学を教えたいため、通いやすいような土地に建てたことを表していた。
そして、慧音の自宅は、寺子屋に寄り添うようにして建てられている。ここで慧音は、寝食と自らの能力である歴史の創造を行なっていた。
「けーねー?何処にいるんだー、返事してくれー」
妹紅は、その慧音の自宅に上がりこみながら、彼女の姿を探していた。いつもならすぐに出迎えか、返事が返ってきたのに、今日は何故か物音ひとつしない。もしかしたら寝ているだけかもしれないと思い、妹紅は遠慮なく家の中を探していたのだ。
体調不良の慧音の手伝いを始めてから、もうそろそろ一週間になる。
今までならば慧音に案内されるだけだった里や彼女の家も、もう何がどこにあるのか判るぐらいに馴染んでいた。
しかし、妹紅にできることは少ない。不老不死の身に成り果ててから、医療方面の知識には疎くなっている。食事も焼くだけ、煮るだけで、とりあえず中毒死という無駄な死を避けることができれば良い、そんな適当具合の料理しかできない。
果たして、自分が今行なっているものは慧音の役にちゃんとたっているのだろうか。彼女を手伝うことを決めてから何回も自問した考えだ。
廊下の角を曲がり、慧音を探しながら、この問いに意味はないと妹紅は自嘲した。答えが己の内側にないような問いは、螺旋のごとく自分の心の深くまで抉り捩じ込まれるだけだ。
「慧音、まだ本調子じゃないのに…どこ行ったんだか」
せっかく手伝いに来たのに、病人が見つからないのなら、話にもならなかった。寺子屋も捜索の候補に挙がっていたが、あの慧音が子供に風邪を移すようなことをするとは思えない。そうすると、自然に探す場所は限られてくるのだが、未だに痕跡さえも見つからないとは。
どうしようもなく、頭を乱暴にかきながらも、妹紅は慧音の姿を探し続けた。
里に昔から建てられていた古い家屋のため、慧音宅は他の家よりかは敷地面積が広い建物だった。また、慧音の趣味とも言える書物を納めるため、多くの部屋が存在していて、外見からは分かりにくいが、意外にも内部の構造は複雑だ。まだ必要最低限の部屋の位置しか知らない妹紅に、慧音をすぐに見つけ出せというのが無理な話だ。
だが遥かな記憶となった、妹紅の生まれた家よりかは断然狭いのだから、彼女を見つけられないわけがない。そう自分に言い聞かせて、妹紅はさらに廊下を歩いた。既に自分が何処を歩いているのかも、正直妖しいものだった。もはや慧音を見つけなければ、この家から出られない。
そのためにも、はやく慧音を見つけなければ。段々、目的が変わってきていることも否めない。
「……ごめんください、…いらっしゃいますか?」
遠くの、おそらく玄関から誰かの声がした。誰の声か判別まではできないが、この声は妹紅にとって渡りに船だった。
もし慧音がいるのなら玄関へ向かうだろう。出かけていたとしても、妹紅にとって玄関の位置を見つけられるし、慧音が帰ってくるまでの間、ここに居座れる理由もできるかもしれない。
とにかく、妹紅は声がした方向に向かって歩き出した。幸いにも、玄関までの距離は妹紅がいた場所から、さほど遠くなかった。慧音の姿がなく、訪問者が所在なさげに立つ景色が、最後の曲がり角をまがるとあらわれる。
「すまん、いま慧音の姿が見当たらないんだが……あ」
「あら、そうなんですか…って、げぇっ」
互いに相手方を見ることなく、自分の用を済ませようした結果、自分が誰と話しているのか理解するのに、一瞬の間が必要だった。
「「なんでこんなところに!?」」
同じ口調、同じタイミングで、妹紅と目の前にいた鈴仙が相手を指差しながら、思わずといったように叫んだ。昨晩のこともあって気まずい空気が辺りを包むのがわかる。
どちらから話しかけようかと、アイコンタクトでしばらく無言の応酬を交わしていた二人だが、先に鈴仙が折れた。
「はぁ、私はあなたに用はないのです。いつもの薬販売です…慧音さんは御在宅ですか?」
「うんにゃ、私も慧音を探して家の中で迷っていたところだ」
「竹林じゃないんですから、たかが家で迷わないで下さいよ…」
「竹林じゃ、一度も迷ったことはないんだけどなぁ」
「……」
妹紅は鈴仙のどこか呆れたような表情に気付かず、彼女の傍に置かれた薬箱へ視線を動かした。
背負えるよう、丈夫な肩ひもがつけられた木製の木箱で、そのなかに大小いくつもの戸棚が収まっている。華奢な体つきなのに、よくこれを背負って歩けるものだと、思わず妹紅は感心した。
「これでも戦闘を任されていて、体力はあるほうなんですよ」
妹紅の疑問を感じ取ったらしい鈴仙が、どうでもよさげに答える。妹紅としては、こんな雑魚に戦闘を任さなければいけないほど、月は暢気なのかと呆れてしまう。
「あ、もう、話題が逸れちゃいました。慧音さんは本当に、家に居ないのですか?今日は薬を渡す約束をしていたのですが」
「ああ、私も一通り家の中を探してみたけど、見つけていない」
「どうしよう…もうそろそろ、薬の効果がきれちゃうから早く渡せって師匠に言われたのに、本人がいなくちゃ渡せないよ」
「……よくわからないが、どうせだったら私が預かって、あとで慧音に渡しておこうか?」
妹紅の提案に、鈴仙は長い髪を揺らしながら首を横に振った。
「駄目ですよ、師匠と慧音さんの両方から直接渡してくれと伝えられているんです」
そこで、さすがに疑問を浮かべる。薬など、別に他人から間接的に渡されてもかまわないものだろう。なのに何故、直接でなければいけないのか。
真っ先に浮かんだ答えは、他人に見せてはいけない、もしくは見せたくないものだから。そこから連鎖したのは、見せたくないというのは、見せたら迷惑をかけるかもしれないという考えがあるのかもしれないということ。特に慧音はそういった考えに傾倒しがちだからうなずける。
「そういうことなら詮索はしないさ…お前、この後の予定は?」
「え、もう他の住民には薬を配り終えたので、あとはここだけですけど」
「うん、なら、しばらくここで茶でもしばけ」
まるで我が家のような妹紅の態度に、もはや鈴仙は口に出す言葉もない。
「何だよ、その顔。別に考えなしというわけじゃないさ。今から用事を思い出したから、少しここを出る。そこで慧音と入れ違いになっても嫌だからな、お前がここにいれば薬を渡せるし、私が来たことも伝えられる。ほら、一石二鳥」
「そ、そんな、なんで私がそんなことしなきゃいけないの!?」
「薬はもう配り終えたんだろ?どうせ、ぐうたら姫のお世話ぐらいしかやることないだろうし、丁度いいじゃないか」
「それとこれとは、問題が違いますって!それに私は帰って師匠の手伝、い、を……」
鈴仙の反論は、妹紅の発する熱気が増すにつれて、口すぼみになっていった。昨晩の一方的にやられかけた恐怖が再び背筋をはしり、鈴仙は結局、頷くしかなかった。
罪悪感が芽生えないこともないが、妹紅にとってはとりあえず予想通りに事が運んだ。
「ほ、ほんと少しの間だけですよ?あと、あなたは出かけるって、何処に行くのかも教えてもらわないと困ります」
妙なところで律義な兎に苦笑しつつ、妹紅は玄関の間際で行き先を伝えた。
「なに、すぐそこの場所さ。
阿求……稗田家に、ちょっとお前のお師匠から出された宿題の手伝いを頼みに、ね」
***
稗田家。
慧音が綴る歴史とは異なる歴史を独自に有する、もうひとつの時代の伝道者。
そのなかでも、始祖である阿礼の魂をもつ九代目阿礼乙女の稗田阿求とは、歴史家の友人を介して妹紅にも浅からぬ縁ができている。加えて何度か永遠亭に彼女が赴く際に護衛したこともあり、今では顔をみせるだけで容易に阿求の書斎へ訪れることができるようになっていた。
「す、すみません。わざわざご足労なさったのに、このような部屋に通してしまって」
半ば涙目になって焦る阿求と、その部屋の惨状に、妹紅は思わず苦笑いをするしかなかった。
先日の宴で、現在阿求が吸血鬼の館にある図書館へ通っていることは知っていた。また、阿求の体調も考えて直接通うのではなく、蔵書を稗田家に運んで読んでいるのだろうと予想をつけることもできた。
妹紅と入れ替わりに図書館の司書役である小悪魔が、本を手一杯に抱えながら赤髪を揺らして部屋を飛び出すのも見えていたことがなによりの証拠だ。
それでも妹紅に、ここまでの蔵書量、乱読ぶりであることまで考えることはできなかった。
「す、すごいな。もはや本が壁や家具代わりになりそうだ」
実際、言葉の通りだ。和書から洋書、大小様々な本が所狭しと散らばり積み上げられ、おそらく本人しか判別の付かない分類で部屋を埋め尽くしていた。これではあの図書館の主と同じく、喘息にかかってしまうのではないかと不安になってしまう。
「ここに来る相手全員に言われたことだろうが、体調には気をつけろよ」
「ええ、返す言葉もありません……」
本と本の間から顔を覗かせていた阿求が、申し訳なさそうに縮こまる。再び本に埋まってしまい、阿求がどこにいるか判らなくなってしまう前に、妹紅は阿求を抱えあげて自分の目の前に座らせた。
「時間がなくてな。いきなり本題に移ってすまないと、先に謝っておく。趣味の時間に悪いんだが、すこし手伝ってくれないか?」
「いえ、この阿求に手伝えることがあるのなら、なんなりと」
「そうか、ありがとう」
胸を張り宣言する阿求に、妹紅は素直に感謝の意を示す。
阿求は本をずらし、なんとか二人分の座れる空間を確保すると座るように促した。
本来なら、客間に案内させることが礼儀なのですが……、そう言いかけた阿求を手で制す。彼女の容態を危うくさせないためにも、あまり急な運動をするべきではない。この本に塗れた部屋に居すぎることもまた、健康的とは言い難いものなのだが、今は構わないだろう。
「それで、今更こんなことを聞くのもおかしいけど。阿求、お前は慧音……いや、“ハクタク”についてどこまで知っている?」
「ハクタク、というと慧音さまのことではないのですか?」
この質問に当然抱くだろう疑問を阿求が口にした。それに対して妹紅は、静かに首を横へ振って否定する。
「いや、慧音のことじゃない。種族としての、分類上の“ハクタク“という妖怪についてなんだ」
妹紅は昨晩のあらましを阿求へ語った。
鈴仙をいびったことはさておき、重要な部分は永琳との会話だ。彼女の言葉は、どこにだって何かが含まれている。隠喩の塊だ。
「しゃくなことだが、言いかえればあいつが意味のない話をしたことはないんだ。ただ、私たちが理解できていないだけで、いつだって八意永琳は嘘ではない知識を探求している」
純粋すぎる探求者だからこそ、犯さざるべき罪さえも厭わない。妹紅の不老不死という体質の元凶であるはずの彼女を輝夜ほどに恨むことができないのは、そういった理由があるからかもしれない。
恨まないのではない、恨めないのだ。
次元が、違いすぎるから。おそらく、両者は互いのことを決して理解しあることはできないから。永琳に対して、妹紅は恨みつらみの感情よりも先に諦めの想いを抱いてしまう。
それでも、全てを理解できなくとも、彼女の言葉の端の意味でも気がつくことができれば、何かを変えることができるかもしれない。
そんな砂の一粒に等しい希望が含まれた思いつきを、妹紅は実行する。不老不死になって、変化を最も恋するようになったからだ。
「そうですね……たしかに、八意さまの言葉には引っかかるものがあるように感じられます。今まで彼女と慧音さまは、さほど関わりを持っているように見えませんでしたし」
「そうだよなぁ、興味を持ったとしても、里か私の喧嘩以外に関連が見いだせないから、すぐに判ると思ったんだが…そうでもなさそうだ」
何故、永琳が慧音に関した発言をしたのか。慧音とハクタクに、何があるのだろうか。
まだ全てがあやふやで、朧だ。今から自分の手で、その霞を掴んで朧な答えを明確にすべきなのだ。
だが、明確な答えではなく、はっきりとしない境界線もまた、不安を呼び起こすが、安堵を生む。無知は罪ではあるが、気づくことがなければ、無知の世界ほど幸せなものはない。
知識を手にすることは、新しい認識を手に入れること、変化することと同義である。
そして、認識一つで世界が様変わりすることは、ままあることだ。果たして、今回の阿求への依頼で妹紅の世界はどう変わるのだろうか、もしくは変わらないのだろうか。
それこそ、知識を手に入れなければ判らない。
やり直しはきかない。コンテニューなど、ありやしない。不老不死いえど、それは自分の肉体だけであって、時間の流れは不可逆だ。この身一つで、死亡フラグを掻い潜り、正しいかもしれない答えを探さなければならない。
「でも、私の親友に対して、無知であり続けることはそろそろやめた方がいいのかもしれない。あっちは、私のことを良く知りたがるから、これでおあいこってやつかもな」
出会った頃から、慧音は自分のことよりも妹紅のことを知りたがり、話をせがんでいた。根負けして、他人に自分のことを語ったのは、彼女が初めてで、おそらく最後だろう。
だからということではないが、こちらにも彼女のことを知る権利ぐらいならあるのではないか。
そう思っての発言だったが、目の前の阿求が何やら笑いをこらえているような顔つきになっていることに気がついた。
「何がそんなにおかしいのさ?」
「い、いえ、おかしいのではないのですっ、その、あれですよね、慧音さまに今の言葉を直接お言いになったら良いのにと思いまして」
それを聞いた慧音さまの表情を想像したら笑みが勝手に浮かんでしまったのです…という阿求の言葉に、妹紅は反射的に赤面する。
「ばっ、馬鹿、こんなの言えるわけないだろうっ!」
彼女のことを親友と称せるのは、目の前に本人がいないからこそ、言えることなのだ。
もし慧音がここにいたら気恥ずかしいというものどころではない、しばらく穴を掘って地底生活を行ないたくなるほどの恥ずかしさだ。
昨晩と似た反応をしてしまったと、言い終えてから気がついて羞恥の意味合いの赤みも頬に帯びる。その意味に気がついたのか、無意識なのか、阿求は優しく微笑んで、妹紅を諭した。
「藤原さまの性格から考えまして、たしかに難しいものでしょうけど……時には以心伝心の仲だとしても、言葉にすることは大切だと思いますよ?」
外見は幼女だが、その言葉は老練としたものが含まれている。自分でも自覚している課題なだけに、妹紅は気まずくなって顔をそらした。
「どりょくは、する」
かすれたような小さな声で、そう付け加えながら。
妹紅は、変わらなければならない。自分であることを一歩踏み出して、不老不死だからと言って変化を諦める自分から、変化しなければならない。
その、自覚はある。ただ、実行が少々難しいのだ。
阿求は、そんな妹紅に対して困ったような、楽しそうな笑みを浮かべていた。同世代の友人の扱いに困っているのか、それとも母親として手のかかる子供を見ているのか。その両方にとれる笑みだった。
「兎も角、“ハクタク”に関しての詳しい記述を調べるとなると、私も一度は資料の整理を行なわなければなりません。基礎的なものならば、すぐにお渡せるのですが…藤原さまは何かご予定でも?よろしければ、この後に紅魔館の魔法使いと懇談を予定しているので、彼女に聞いてみるのも、一つの方法ですが」
今回の話題を締めるように、阿求は妹紅へ問いかけた。妹紅も一瞬、特に予定がないから相席に加わろうと考えたが、すぐさま自分が何を待たせているのかを思い出す。
「その誘いは随分と魅力だが、慧音の家に兎を留守番させていることを忘れていた。あいつが不貞腐れるよりも前に帰らなければ、またそのお師匠にいぢめられてしまうよ」
そう言いながら妹紅は立ちあがって、本をかき分けながら出口への道を確保した。積もり積み立てられた本の大樹を不用心に押し倒すと、二次災害が起こってしまう。
「そうですか、待ち人がいるのなら仕方ありませんね。調べ終えたらすぐに連絡をいれますので、よろしくお願いします」
本の山を見て、再び申し訳なさそうな顔になっていた阿求が、崩れそうになった一角を慌てて抑える。二人であたふたしながらも、妹紅は無事に出口へと行き着いた。
「ああ、そうしてもらうと助かる。こちらこそ、突然ですまなかったな」
「いえ、人と話すことは良い気分転換になります。本を読み過ぎで、朝起きたら紙虫になっていた、なんてことになってしまいそうですから」
部屋の状況から、あながち否定できない冗談だけに、笑いどころかどうかわからなかった。
***
驚くべき効果を発揮します 新しい自分に出会えます
ただし中毒性がございます
用法・容量をお守りください
RADWIMPS-[有心論]より
慧音の営む寺子屋は、里の中で全ての道に通った場所にある。それは慧音が古くからこの幻想郷に住んでいることと、彼女ができる限り里の子供たちに勉学を教えたいため、通いやすいような土地に建てたことを表していた。
そして、慧音の自宅は、寺子屋に寄り添うようにして建てられている。ここで慧音は、寝食と自らの能力である歴史の創造を行なっていた。
「けーねー?何処にいるんだー、返事してくれー」
妹紅は、その慧音の自宅に上がりこみながら、彼女の姿を探していた。いつもならすぐに出迎えか、返事が返ってきたのに、今日は何故か物音ひとつしない。もしかしたら寝ているだけかもしれないと思い、妹紅は遠慮なく家の中を探していたのだ。
体調不良の慧音の手伝いを始めてから、もうそろそろ一週間になる。
今までならば慧音に案内されるだけだった里や彼女の家も、もう何がどこにあるのか判るぐらいに馴染んでいた。
しかし、妹紅にできることは少ない。不老不死の身に成り果ててから、医療方面の知識には疎くなっている。食事も焼くだけ、煮るだけで、とりあえず中毒死という無駄な死を避けることができれば良い、そんな適当具合の料理しかできない。
果たして、自分が今行なっているものは慧音の役にちゃんとたっているのだろうか。彼女を手伝うことを決めてから何回も自問した考えだ。
廊下の角を曲がり、慧音を探しながら、この問いに意味はないと妹紅は自嘲した。答えが己の内側にないような問いは、螺旋のごとく自分の心の深くまで抉り捩じ込まれるだけだ。
「慧音、まだ本調子じゃないのに…どこ行ったんだか」
せっかく手伝いに来たのに、病人が見つからないのなら、話にもならなかった。寺子屋も捜索の候補に挙がっていたが、あの慧音が子供に風邪を移すようなことをするとは思えない。そうすると、自然に探す場所は限られてくるのだが、未だに痕跡さえも見つからないとは。
どうしようもなく、頭を乱暴にかきながらも、妹紅は慧音の姿を探し続けた。
里に昔から建てられていた古い家屋のため、慧音宅は他の家よりかは敷地面積が広い建物だった。また、慧音の趣味とも言える書物を納めるため、多くの部屋が存在していて、外見からは分かりにくいが、意外にも内部の構造は複雑だ。まだ必要最低限の部屋の位置しか知らない妹紅に、慧音をすぐに見つけ出せというのが無理な話だ。
だが遥かな記憶となった、妹紅の生まれた家よりかは断然狭いのだから、彼女を見つけられないわけがない。そう自分に言い聞かせて、妹紅はさらに廊下を歩いた。既に自分が何処を歩いているのかも、正直妖しいものだった。もはや慧音を見つけなければ、この家から出られない。
そのためにも、はやく慧音を見つけなければ。段々、目的が変わってきていることも否めない。
「……ごめんください、…いらっしゃいますか?」
遠くの、おそらく玄関から誰かの声がした。誰の声か判別まではできないが、この声は妹紅にとって渡りに船だった。
もし慧音がいるのなら玄関へ向かうだろう。出かけていたとしても、妹紅にとって玄関の位置を見つけられるし、慧音が帰ってくるまでの間、ここに居座れる理由もできるかもしれない。
とにかく、妹紅は声がした方向に向かって歩き出した。幸いにも、玄関までの距離は妹紅がいた場所から、さほど遠くなかった。慧音の姿がなく、訪問者が所在なさげに立つ景色が、最後の曲がり角をまがるとあらわれる。
「すまん、いま慧音の姿が見当たらないんだが……あ」
「あら、そうなんですか…って、げぇっ」
互いに相手方を見ることなく、自分の用を済ませようした結果、自分が誰と話しているのか理解するのに、一瞬の間が必要だった。
「「なんでこんなところに!?」」
同じ口調、同じタイミングで、妹紅と目の前にいた鈴仙が相手を指差しながら、思わずといったように叫んだ。昨晩のこともあって気まずい空気が辺りを包むのがわかる。
どちらから話しかけようかと、アイコンタクトでしばらく無言の応酬を交わしていた二人だが、先に鈴仙が折れた。
「はぁ、私はあなたに用はないのです。いつもの薬販売です…慧音さんは御在宅ですか?」
「うんにゃ、私も慧音を探して家の中で迷っていたところだ」
「竹林じゃないんですから、たかが家で迷わないで下さいよ…」
「竹林じゃ、一度も迷ったことはないんだけどなぁ」
「……」
妹紅は鈴仙のどこか呆れたような表情に気付かず、彼女の傍に置かれた薬箱へ視線を動かした。
背負えるよう、丈夫な肩ひもがつけられた木製の木箱で、そのなかに大小いくつもの戸棚が収まっている。華奢な体つきなのに、よくこれを背負って歩けるものだと、思わず妹紅は感心した。
「これでも戦闘を任されていて、体力はあるほうなんですよ」
妹紅の疑問を感じ取ったらしい鈴仙が、どうでもよさげに答える。妹紅としては、こんな雑魚に戦闘を任さなければいけないほど、月は暢気なのかと呆れてしまう。
「あ、もう、話題が逸れちゃいました。慧音さんは本当に、家に居ないのですか?今日は薬を渡す約束をしていたのですが」
「ああ、私も一通り家の中を探してみたけど、見つけていない」
「どうしよう…もうそろそろ、薬の効果がきれちゃうから早く渡せって師匠に言われたのに、本人がいなくちゃ渡せないよ」
「……よくわからないが、どうせだったら私が預かって、あとで慧音に渡しておこうか?」
妹紅の提案に、鈴仙は長い髪を揺らしながら首を横に振った。
「駄目ですよ、師匠と慧音さんの両方から直接渡してくれと伝えられているんです」
そこで、さすがに疑問を浮かべる。薬など、別に他人から間接的に渡されてもかまわないものだろう。なのに何故、直接でなければいけないのか。
真っ先に浮かんだ答えは、他人に見せてはいけない、もしくは見せたくないものだから。そこから連鎖したのは、見せたくないというのは、見せたら迷惑をかけるかもしれないという考えがあるのかもしれないということ。特に慧音はそういった考えに傾倒しがちだからうなずける。
「そういうことなら詮索はしないさ…お前、この後の予定は?」
「え、もう他の住民には薬を配り終えたので、あとはここだけですけど」
「うん、なら、しばらくここで茶でもしばけ」
まるで我が家のような妹紅の態度に、もはや鈴仙は口に出す言葉もない。
「何だよ、その顔。別に考えなしというわけじゃないさ。今から用事を思い出したから、少しここを出る。そこで慧音と入れ違いになっても嫌だからな、お前がここにいれば薬を渡せるし、私が来たことも伝えられる。ほら、一石二鳥」
「そ、そんな、なんで私がそんなことしなきゃいけないの!?」
「薬はもう配り終えたんだろ?どうせ、ぐうたら姫のお世話ぐらいしかやることないだろうし、丁度いいじゃないか」
「それとこれとは、問題が違いますって!それに私は帰って師匠の手伝、い、を……」
鈴仙の反論は、妹紅の発する熱気が増すにつれて、口すぼみになっていった。昨晩の一方的にやられかけた恐怖が再び背筋をはしり、鈴仙は結局、頷くしかなかった。
罪悪感が芽生えないこともないが、妹紅にとってはとりあえず予想通りに事が運んだ。
「ほ、ほんと少しの間だけですよ?あと、あなたは出かけるって、何処に行くのかも教えてもらわないと困ります」
妙なところで律義な兎に苦笑しつつ、妹紅は玄関の間際で行き先を伝えた。
「なに、すぐそこの場所さ。
阿求……稗田家に、ちょっとお前のお師匠から出された宿題の手伝いを頼みに、ね」
***
稗田家。
慧音が綴る歴史とは異なる歴史を独自に有する、もうひとつの時代の伝道者。
そのなかでも、始祖である阿礼の魂をもつ九代目阿礼乙女の稗田阿求とは、歴史家の友人を介して妹紅にも浅からぬ縁ができている。加えて何度か永遠亭に彼女が赴く際に護衛したこともあり、今では顔をみせるだけで容易に阿求の書斎へ訪れることができるようになっていた。
「す、すみません。わざわざご足労なさったのに、このような部屋に通してしまって」
半ば涙目になって焦る阿求と、その部屋の惨状に、妹紅は思わず苦笑いをするしかなかった。
先日の宴で、現在阿求が吸血鬼の館にある図書館へ通っていることは知っていた。また、阿求の体調も考えて直接通うのではなく、蔵書を稗田家に運んで読んでいるのだろうと予想をつけることもできた。
妹紅と入れ替わりに図書館の司書役である小悪魔が、本を手一杯に抱えながら赤髪を揺らして部屋を飛び出すのも見えていたことがなによりの証拠だ。
それでも妹紅に、ここまでの蔵書量、乱読ぶりであることまで考えることはできなかった。
「す、すごいな。もはや本が壁や家具代わりになりそうだ」
実際、言葉の通りだ。和書から洋書、大小様々な本が所狭しと散らばり積み上げられ、おそらく本人しか判別の付かない分類で部屋を埋め尽くしていた。これではあの図書館の主と同じく、喘息にかかってしまうのではないかと不安になってしまう。
「ここに来る相手全員に言われたことだろうが、体調には気をつけろよ」
「ええ、返す言葉もありません……」
本と本の間から顔を覗かせていた阿求が、申し訳なさそうに縮こまる。再び本に埋まってしまい、阿求がどこにいるか判らなくなってしまう前に、妹紅は阿求を抱えあげて自分の目の前に座らせた。
「時間がなくてな。いきなり本題に移ってすまないと、先に謝っておく。趣味の時間に悪いんだが、すこし手伝ってくれないか?」
「いえ、この阿求に手伝えることがあるのなら、なんなりと」
「そうか、ありがとう」
胸を張り宣言する阿求に、妹紅は素直に感謝の意を示す。
阿求は本をずらし、なんとか二人分の座れる空間を確保すると座るように促した。
本来なら、客間に案内させることが礼儀なのですが……、そう言いかけた阿求を手で制す。彼女の容態を危うくさせないためにも、あまり急な運動をするべきではない。この本に塗れた部屋に居すぎることもまた、健康的とは言い難いものなのだが、今は構わないだろう。
「それで、今更こんなことを聞くのもおかしいけど。阿求、お前は慧音……いや、“ハクタク”についてどこまで知っている?」
「ハクタク、というと慧音さまのことではないのですか?」
この質問に当然抱くだろう疑問を阿求が口にした。それに対して妹紅は、静かに首を横へ振って否定する。
「いや、慧音のことじゃない。種族としての、分類上の“ハクタク“という妖怪についてなんだ」
妹紅は昨晩のあらましを阿求へ語った。
鈴仙をいびったことはさておき、重要な部分は永琳との会話だ。彼女の言葉は、どこにだって何かが含まれている。隠喩の塊だ。
「しゃくなことだが、言いかえればあいつが意味のない話をしたことはないんだ。ただ、私たちが理解できていないだけで、いつだって八意永琳は嘘ではない知識を探求している」
純粋すぎる探求者だからこそ、犯さざるべき罪さえも厭わない。妹紅の不老不死という体質の元凶であるはずの彼女を輝夜ほどに恨むことができないのは、そういった理由があるからかもしれない。
恨まないのではない、恨めないのだ。
次元が、違いすぎるから。おそらく、両者は互いのことを決して理解しあることはできないから。永琳に対して、妹紅は恨みつらみの感情よりも先に諦めの想いを抱いてしまう。
それでも、全てを理解できなくとも、彼女の言葉の端の意味でも気がつくことができれば、何かを変えることができるかもしれない。
そんな砂の一粒に等しい希望が含まれた思いつきを、妹紅は実行する。不老不死になって、変化を最も恋するようになったからだ。
「そうですね……たしかに、八意さまの言葉には引っかかるものがあるように感じられます。今まで彼女と慧音さまは、さほど関わりを持っているように見えませんでしたし」
「そうだよなぁ、興味を持ったとしても、里か私の喧嘩以外に関連が見いだせないから、すぐに判ると思ったんだが…そうでもなさそうだ」
何故、永琳が慧音に関した発言をしたのか。慧音とハクタクに、何があるのだろうか。
まだ全てがあやふやで、朧だ。今から自分の手で、その霞を掴んで朧な答えを明確にすべきなのだ。
だが、明確な答えではなく、はっきりとしない境界線もまた、不安を呼び起こすが、安堵を生む。無知は罪ではあるが、気づくことがなければ、無知の世界ほど幸せなものはない。
知識を手にすることは、新しい認識を手に入れること、変化することと同義である。
そして、認識一つで世界が様変わりすることは、ままあることだ。果たして、今回の阿求への依頼で妹紅の世界はどう変わるのだろうか、もしくは変わらないのだろうか。
それこそ、知識を手に入れなければ判らない。
やり直しはきかない。コンテニューなど、ありやしない。不老不死いえど、それは自分の肉体だけであって、時間の流れは不可逆だ。この身一つで、死亡フラグを掻い潜り、正しいかもしれない答えを探さなければならない。
「でも、私の親友に対して、無知であり続けることはそろそろやめた方がいいのかもしれない。あっちは、私のことを良く知りたがるから、これでおあいこってやつかもな」
出会った頃から、慧音は自分のことよりも妹紅のことを知りたがり、話をせがんでいた。根負けして、他人に自分のことを語ったのは、彼女が初めてで、おそらく最後だろう。
だからということではないが、こちらにも彼女のことを知る権利ぐらいならあるのではないか。
そう思っての発言だったが、目の前の阿求が何やら笑いをこらえているような顔つきになっていることに気がついた。
「何がそんなにおかしいのさ?」
「い、いえ、おかしいのではないのですっ、その、あれですよね、慧音さまに今の言葉を直接お言いになったら良いのにと思いまして」
それを聞いた慧音さまの表情を想像したら笑みが勝手に浮かんでしまったのです…という阿求の言葉に、妹紅は反射的に赤面する。
「ばっ、馬鹿、こんなの言えるわけないだろうっ!」
彼女のことを親友と称せるのは、目の前に本人がいないからこそ、言えることなのだ。
もし慧音がここにいたら気恥ずかしいというものどころではない、しばらく穴を掘って地底生活を行ないたくなるほどの恥ずかしさだ。
昨晩と似た反応をしてしまったと、言い終えてから気がついて羞恥の意味合いの赤みも頬に帯びる。その意味に気がついたのか、無意識なのか、阿求は優しく微笑んで、妹紅を諭した。
「藤原さまの性格から考えまして、たしかに難しいものでしょうけど……時には以心伝心の仲だとしても、言葉にすることは大切だと思いますよ?」
外見は幼女だが、その言葉は老練としたものが含まれている。自分でも自覚している課題なだけに、妹紅は気まずくなって顔をそらした。
「どりょくは、する」
かすれたような小さな声で、そう付け加えながら。
妹紅は、変わらなければならない。自分であることを一歩踏み出して、不老不死だからと言って変化を諦める自分から、変化しなければならない。
その、自覚はある。ただ、実行が少々難しいのだ。
阿求は、そんな妹紅に対して困ったような、楽しそうな笑みを浮かべていた。同世代の友人の扱いに困っているのか、それとも母親として手のかかる子供を見ているのか。その両方にとれる笑みだった。
「兎も角、“ハクタク”に関しての詳しい記述を調べるとなると、私も一度は資料の整理を行なわなければなりません。基礎的なものならば、すぐにお渡せるのですが…藤原さまは何かご予定でも?よろしければ、この後に紅魔館の魔法使いと懇談を予定しているので、彼女に聞いてみるのも、一つの方法ですが」
今回の話題を締めるように、阿求は妹紅へ問いかけた。妹紅も一瞬、特に予定がないから相席に加わろうと考えたが、すぐさま自分が何を待たせているのかを思い出す。
「その誘いは随分と魅力だが、慧音の家に兎を留守番させていることを忘れていた。あいつが不貞腐れるよりも前に帰らなければ、またそのお師匠にいぢめられてしまうよ」
そう言いながら妹紅は立ちあがって、本をかき分けながら出口への道を確保した。積もり積み立てられた本の大樹を不用心に押し倒すと、二次災害が起こってしまう。
「そうですか、待ち人がいるのなら仕方ありませんね。調べ終えたらすぐに連絡をいれますので、よろしくお願いします」
本の山を見て、再び申し訳なさそうな顔になっていた阿求が、崩れそうになった一角を慌てて抑える。二人であたふたしながらも、妹紅は無事に出口へと行き着いた。
「ああ、そうしてもらうと助かる。こちらこそ、突然ですまなかったな」
「いえ、人と話すことは良い気分転換になります。本を読み過ぎで、朝起きたら紙虫になっていた、なんてことになってしまいそうですから」
部屋の状況から、あながち否定できない冗談だけに、笑いどころかどうかわからなかった。
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