「なぁ妹紅」
「んぁに、ふぇいね?」
「……とりあえず口の中にある蕎麦が全てなくなってから話そう」
それもそうだな、と私は素直に頷いて蕎麦の咀嚼に専念し出した。
春は過ぎ、しかしまだ夏に入ったと言いきれない曖昧な時期。不意に冷え込む日がきたり、かと思うと寝間着を着るのも億劫な蒸し暑さを催すことがある。
今日の天候は後者だった。肌にべたついてくる服に耐えきれず、私の上半身はサラシ一枚の状態だ。欲を言えばズボンだって脱ぎたいのだが、流石の私も既に棘を含んだ視線を送る慧音の前で、その行為に走ることはできない。
障子は開かれ、熱を纏った風が流れてくる。唯一の救いは夕方頃にかけて行った打ち水の効で、庭先の地面から冷気が運ばれてくることだ。私の家なら竹林の端に位置することもあって年中涼しいのだが、里に住む慧音の家ではこれでも十分だろう。
そう、私は慧音の家にお邪魔している。しかも今だけではなく、ここ最近同棲と言われても仕方ないぐらいお邪魔している。
期間でいうと去年の夏ごろ、私の家に竹が貫通した辺りからだ。
竹が突然成長したのは地震が原因で、その地震を産み出した元凶をとっちめて改築を頼んだまではよかった。
だが相手は、暇を持て余したから異変を起こしたような奴だ。まともに家を建ててくれるはずもなく、私の家はロココ調に改築されていた。そのため私によって、天人の成敗ついでに再び壊される羽目になった。
今度こそまともに作ってくれているものの、やる気がないのか建築速度が異様に遅いので、今に至るまで私は慧音宅にお世話になっている。
漸く、ごくんと私の喉を最後の蕎麦が通りすぎた。
それを見てとった慧音は、一度咳払いをして食事の雰囲気を取り除く。そこまで真面目な話題なのかと、私も姿勢を正して聞く体制を整えた。
ひとおきの沈黙、慧音は重々しく口を開いた。
「一緒にバザーへ、行かないか」
「いやわけわからん」
「え、何がわからないんだ?」
「……その前フリだから、もう少し真面目な話かと」
予想の右斜めをいった慧音の言葉に、私は一気に力を抜いてちゃぶ台に顎をのせた。
バザーとは、おそらく最近の噂になっている河童主催のことだろう。河童たちお得意の尻子玉や、なんでも巨大な人形が展示されているらしい。たしかに興味がないといえば嘘になるが、改まって言われると気恥ずかしい。それに別に嫌なわけではないが、やはり私は他者とは線引きをしてしまう。大切な人たちだからこそ、思い出をつくりたいという想いと、つくりたくないという思いが、背反しながら私の中を渦巻いていた。
しかし慧音にとっては勇気のいる提案だったらしく、そんな私の態度に対してむくれてしまう。
「むぅ、妹紅にこういった提案を言うのは苦手なんだ。即答で断られそうだから」
「私はそこまでつれない人間になった覚えはないよ……」
そう言いながら、私はざるに残った蕎麦を一摘まみして、三分の一ほどつゆに浸けてから口に含んだ。
「じゃあ一緒に来てくれるのか?」
「んぐ、それは事情による」
私の返答と態度に、慧音はほらやっぱりといっている顔をする。半分諦めているのか、彼女も残りの蕎麦を摘まんで食事を再開した。
「仕方ないな……阿求や寺子屋の子供たちもいるが、私一人でなんとかするしかないか」
「げふっ、ちょ、ちょっと待て」
慧音の何気ない口調から出た単語に、私は噎せかけた。なんでそこで里の子供たちがでてくるんだ!?
「言ってなかったか?寺子屋の子供たちの好奇心をもう抑えられそうにないから、バザーのさわりだけ見せて満足させるんだ」
「言ってない!!それに麓とはいえ妖怪の山だぞ、危なくないのか!?」
「危険は伴うが、勝手に子供たちだけで行動されるよりも大分マシだからな……それにだからこそ、妹紅に同行を願いたいのだが」
蕎麦をくわえながら、見上げるように慧音が呟いた。微妙に瞳が潤んでいる辺り、卑怯としか言い様がない。
これで断る阿呆は焼死すべきである、と天の啓示のようなものが頭上から降り注いだ。
「………わかった、私も一緒に行こう」
今夜が満月だったなら、慧音はハクタクの尻尾を思いきり左右に振って感情を表現しただろう。私の返答を聞いた彼女は、その意味を理解するや否や満面の笑みを浮かべてた。
「ありがとう妹紅っ!!大好きだっ!!」
律儀にちゃんと蕎麦を食べ終えてから、慧音は私に抱きついてきた。
互いの汗ですごくベタつくのだが、やはり彼女に喜ばれるのは悪い気がしないので、私は何も言わず慧音が自分から離れるのを待った。
思い返せば、この時点である程度の未来を察するべきだった。だが、如何せん私の第六感は非常に鈍い。
その時はただ、ようやく離れた慧音が嬉しそうに説明する予定を、適当に聞いていただけだった。
東方非想天則――if
「よし、それじゃあ後は妹紅に連れていってもらうように!!」
絶好の遠足日和といえる快晴の下、慧音の宣言が高らかに響き渡った。
「「「はぁーい!!!」」」
「おー……って、ちょっと待て慧音ぇ!!?」
にこやかに阿求と立ち去ろうとした慧音を、慌てて引き留める。
立ち止まった彼女は、何故呼び止められたのか理解できないという顔でこちらを見つめつきた。だが今その顔をしたいのは私の方だ。
「慧音っ、なんで子供たちを押し付けようとするんだ!!」
「え、言ってなかったか?私と阿求で別行動をとること」
一言だって言ってない!!そう突っ込もうとしたが、慧音の視線が逃げるように私から逸れていることに気がついた。こいつ、確信犯か!!
「慧音さんだけが悪くありません。私も行きたいと無理を言ってしまったのです」
「阿求か……」
後ろからの声に、誰だか分かりつつも、私は振り返って彼女の姿を確認した。
椿の髪留めが飾る小柄な頭、育ちの良さが滲む和服に包まれて稗田阿求が、必死な顔で私を見つめている。
「今代の幻想郷縁起はすでに編してしまいましたが、このバザーはとても興味深く是非とも記録に残したかったのです」
「私も、その、歴史を創るものとしてこの機会を逃すわけにはいかなかったんだ!!」
慧音も阿求を追うように言葉を付け足した。
幻想郷を生まれ変わる毎に書き記してきた阿求、そして歴史を司る半獣である慧音。知的好奇心の塊のような二人にとって、このイベントは外すことのできないものなのだろう。現に、私を見つめる彼女たちの目は、おもちゃを前にした子供のように眩しい。
「……だけどな、今日は行き来の警護だけかと思って装備があまりないんだ」
「そんな、常に輝夜さんと遭遇したときのために全身札を隠しているという藤原さまが」
「そんな、私がいくら捨ててもいつの間にか呪具だらけになる妹紅が」
くそっ、バレてる。
正直、別に子供たちの世話はやぶさかではない。が、彼女たちを素直に通していいものかと考えて踏ん切りがつかないのだ。
「それに子供たちが何人いると思ってるんだ」
さすがの私も、一人では動きに予想がつかない子供を何人もお守りできない。人数は出発前に確認したが、六人もいた。
今も私たちが話し込んでいるため傍にいるが、はやく屋台をみたいとそわそわしている奴らが……五人。
「………うん?」
もう一度、数え直す。
ひぃ、ふぅ、みぃ……やはり、五人しかいない。
「……慧音、たしか出発の頃は六人いたはずだよな」
「はて、バザーに目が眩んで人数確認を怠っていたよ」
「おいぃっ!!?」
慧音、お前はそんな子じゃなかったはずだ!!欲って怖い、あの慧音をこんなにも駄目っ子にするなんて…!!
妙にテンションの高い自分の突っ込みはさておき、私は残りの子供たちを慧音に押し付けた。
「慧音、阿求との散策は諦めて子供たちを見てろ。私がもう一人を探してくるから」
「む、すまない妹紅。よろしく頼む」
かくして、私のささやかな探索が始まったのである。
…疲労の予感しか、しなかった。