最近椛は私の家に泊まるようになった。
それは別にいい。元より一人で住むには広すぎると思っていたから落ちつくくらいだ。
こんなこと永遠亭や紅魔館の方々に聞かれたらそんなウサギ小屋で、と笑われそうだけど。
でも一人で新聞を作ったりしてると、傍に誰かが居るってだけで何か安心出来てしまう。
取材から帰って来た時におかえりなさいと言われることに妙な安堵感を覚えてしまう。
うん、まあ、だからいいんだ。彼女が私のテリトリーに入ってくるのは。
だけど。
限度というものがあった。
私の作った料理を、皿を洗う必要がないんじゃないかと錯覚するほど綺麗に食べきったり。
家に居る時は五分も視界から外れなかったり。ちょっと書庫で読み耽っていたら部屋の前で待ってたり。
彼女の洗濯物の中に前垂に「文さん専用」と達筆で書かれた褌を見つけた時は流石にドン引いた。
専用って何だ。専用って何だ。洗っても落ちないんだけどもしかしてシルクスクリーンなのか。
なんて具合に反応に困ることも多々あったのだけれど――
今のこの状況の比ではない。
そう思わざるを得なかった。
身動ぎする。納まりがよ過ぎて逆に納まりが悪い気持ち。
なんでこう計ったようにしっくりしちゃってるんだろう。
「……あの、椛サン?」
「なんでしょうか文さん」
「この体勢はどういう」
私は今文机に向かって書き物をしている。
その背後に、真後ろに椛が居て――というか、どう言えばいいのか。
胡坐をかいた椛の足の上に私のおしりが乗っていて、私の腰に彼女の両手が回されている。
誓って言うがこれは私が命じたからじゃない。性格が悪い自覚はあるが流石にひとを椅子には出来ない。
炬燵に入らず書き物をしていたら「失礼します」とか言ってこうされてしまったのである。
うん、まあ、その時点で断ればよかったのだけど。
「もう冬ですから。体を冷やしてはいけません。体温の高い私が湯たんぽ代わりになるのは当然です」
湯たんぽというか座椅子なのだけれど。
まあ、確かに彼女は体温が高い。日々剣の鍛錬を怠らない椛は割と筋肉質だ。
肉の薄い私と比べれば……こうして密着していればよくわかるくらいに、あたたかい。
「文さんは、華奢ですから」
……椛が逞し過ぎるだけだ。
私は鴉天狗としては極々標準的な体型をしている、筈。筈です。
体格のいい白狼天狗の中でも彼女は頭一つ飛び抜けているからそんな風に思うだけ。
「確かに肉付きはよくありませんけど、これくらい平気ですよ」
「せめて炬燵に入ってくれれば文句はありません」
「なんでそんな頑ななんですかあなた」
「去年大風邪を引いたのをお忘れですか」
う。
そういえばそんなこともあった。
地霊異変のひと月前だったか……長引いて、異変を察知した頃にようやく治ったのだった。
病み上がりで霊夢さんを嗾けたんだっけ。殆ど寝ながら指示出してて、紫さんにまで心配されてしまった。
「ですから、炬燵に入ってくれれば私から言うことはありません」
「でもでも――ほら、炬燵に入って作業してると寝ちゃうんですよ」
「お忙しいのはわかりますが……それで体を壊すあなたを見たくないのです」
……これである。断りようが無い。
何かしら裏があるならそれを見抜いて指摘するなり脅すなりして引き下がらせるのに。
彼女の場合裏表など皆無だからたちが悪い。純粋な好意を断れるほど、すれてない。
「ふう」
背を彼女に預ける。
私よりだいぶん背が高い彼女にそうすると、矢張りしっくりきてしまう。
あつらえたように――まるで私の為だけにこう成長したのではないかと錯覚してしまうほどに。
くんと顎を上げ真後ろの彼女を見上げる。さかしまの視界の中に飛び込むのはいつも通りの金の瞳。
「ねえ椛」
「なんでしょう」
凛と張る声。
揺れることなき金眼。
能面の如く無表情を崩さない。
「あなたは私以外にもこういうことをするんですか?」
「いいえ」
刹那の間もあったか、即座に否定される。
「例え乞われてもこのような真似はしません」
ふぅん――矢鱈と体温に自信ありげだったから、幾度かこういう経験があったのかと思ったのだけど。
まあ、浮いた話の一つも聞かなかったのだからその通りなのかもしれない。それでも、と思う。
このように密着しながらも彼女は欠片さえも動揺を見せない。こうするのが当然だと言わんばかり。
私とくっつくことに何も感じていないかのように。
不安を覚えないことも、ない。
思えば感情の起伏に乏しいというわけでもない彼女の表情らしい表情を見たことは数えるほど。
それも大概が焦りだの怒りだの悲しみだの……あまりよいとは言えない顔ばかり。
私は笑った椛を見たことがない。
だから、不安を覚えることを、否定できない。
「私と居て、楽しいですか?」
「あなたの傍に居られることが至福です」
「でも私は自己管理も出来ていないような女ですよ?」
「こうしてあなたの為に我が身を活かせるのですから問題ありません」
「でもでも――」
「文さん」
金眼が細められていた。
「どうしたのですか? また、私は何か迷惑なことを……」
「あ、いえそういうわけではないのです」
悲しそうな顔。彼女に尾があったなら垂れ下がっていることだろう。
己を叱責する。また彼女にこんな顔をさせてしまった。
上げていた顎を下げ、彼女の返答を待つ。
しかし何時まで経っても何も言われない。
「……あの、追求しないんですか?」
「あ、いえ……あなたが言いたくないのなら、それで」
遠慮がちなんて言葉じゃ生温いくらいに下手に出る。まるで家臣のようだ。
私は、お山じゃなんの役職にも就いてないのだから立場は対等なのに。
「……もっと、我を通してもいいんですよ。椛」
なんにつけ彼女は私に遠慮する。
まあ、私はずっと彼女のことを怖がっていたのだし、しょうがないのかもしれないけれど。
彼女は私に、重い負い目を感じているのかもしれないけれど。
「我など……あなたには、もう十分わがままを言ってしまいましたから」
「十分って、一度か二度くらいじゃないですか。それだってわがままなんて」
自分でもよくわからない。
だけれど、なんとなく、嫌だった。
義務とか責任感とか――贖罪とか。
そういうもので傍に居られるのは、嫌だった。
「陰に日向にあなたをお守りできれば、私はそれで満足です」
傍に居られればそれでいいなんていう呟きも、嫌。
わがままと云うなら、私の方こそわがままなのだろう。
自分でもわかっていないことを彼女に求めている。
「にしたって、あなたは道具じゃないんですし」
「私はあなたの命令に絶対服従です。この身はあなたのものですから」
そんな――お姫様に従う家来じゃあるまいし。
どこか侍を思わせる彼女には、似合うような気もするけど。
似合うからってそんなことをする必要はない。私たちは、対等なんだから。
「服従なんてする必要ありません。椛は道具じゃない、私の恋人なんですから」
大分、感情的な言い方になってしまった。
背の彼女はどんな顔をしているのか。振り返るのを躊躇ってしまう。
高圧的に出てどうするというのだ。彼女の言を肯定しているようなものではないか。
「ええと、ですね、だから、あなたにだって聞けない命令くらいあるでしょう?」
取り繕うもそれで為せたかわからない。
ただ――私の腰を抱く彼女の力が、強くなったような気が、した。
「椛……?」
「………………」
黙して語らず。されど逡巡するような、何か言いたげな気配は伝わる。
待つ。彼女が何か言ってくれるのを。私の嫌な気持ちを吹き飛ばしてくれるのを。
長く感じる沈黙は一分だったか数分だったか――
「……そうですね。一つだけ、聞けない命令はあります」
そんなことを、彼女は言った。
一つ。一つだけ。
「それは?」
「あなたを嫌いになれ」
即答、だった。
「――そういう命令だけは賜りかねます」
そんな命令、する筈がない。そんなの彼女だってわかってる、わかってくれてる、筈。
なのになんでそんな……
「……椛」
腰にまわされた腕。背に感じる彼女の身体。
それらから伝わるのは、怯えだった。
「以前、私があなたを嫌っているという勘違いを……された時は」
ぐっと、喉が詰まる。言葉を吐き出せない。
「辛かった、です」
私が彼女を怖がっていた理由。
何年も、擦れ違ったままだった。
私は彼女に嫌われていると、思い込んでいた。
「……あれはっ」
「わかってます」
静かな声。
「文さんが悪いんじゃないって、わかってます。私が意味もなくあなたを怖がらせてしまったから」
どんな責も受け入れると、どんな償いもしてみせると、言ってるかのよう。
そんな言葉、望んでいない。謝罪なんて欲しくなかった。
悪いというのなら私だってそうだ。彼女だけの責任じゃない。
私だって無暗に彼女を恐れて、悪しざまにあれこれ言って……
「……いえ、私も、口が悪かった、です」
見下してるとか、器が小さいとか、好き放題……
だから、おあいこなんだ。私も彼女も、悪かった。
だから。だから――そんな辛そうにしないでほしい。
「……あの、椛。一つだけ訂正させてください」
背の彼女に話しかける。
顔を見て言う勇気はないけれど、それでも伝えたい。
私は、私は彼女に傍に居て貰いたいだけじゃなくて、それだけじゃなくて。
「あのですね。その、ええと、ううん」
何と言えばいいのかわからない。言葉が見つからない。
だんだん顔が熱くなる。頭の中がこんがらがる。
「あの、椛、私は、あの」
願い。
私が彼女に願ったのはなんだったか。
私が彼女に欲したのはなんだったか。
それだけは、ぐちゃぐちゃの頭でも理解できる。
「私も、あなたのものですから」
彼女に笑って欲しかった。
私と共にあることが幸せだと思って欲しかった。
二人で、幸せを分かち合いたかった。
私だけが彼女を望むのではなく。
彼女も私を望んで欲しかった。
「……あや、さん」
がたりと窓を揺らす空風に体が跳ねる。
あ――あれ? わ、私なに言ったんだっけ?
暑い。熱い。顔も体もものすごく発熱してる。
や、やだ、椛に、気づかれちゃう。密着してるんだから、こんなの。
「だからですね、あなただけがっていうのは無し、といいますか、ですね」
逃げたい。椛の膝の上から逃げ出したい。
私、こんなの、ちょっと、恥ずかしい……っ。
「冷えますね」
ぎゅって、腰を抱き締められる。逃げられない。
冷えるってそりゃ、風が強くなったし、わからないでもないけど。
気づいてるんでしょう? こんな、私の不様な姿――……ううう。
「失礼します」
「え?」
ひょいと足を抱えられて、くるりと。
ん? あれ? なんで椛の顔がこんな近くにあるんですか。
「――では、不躾ながらお願いをしてもよろしいでしょうか」
「え、あ、はい」
いつもの、真面目そうな、能面じみた無表情。
真摯な金眼は真っ直ぐに私の目を見詰めている。
「文さん」
ゆっくりと動く椛のくちびる。
そこから紡がれたのは、
「くちづけをしてもいいですか?」
頭が真っ白になる。
彼女の言葉を理解するのにひどく時間が掛かった。
頭の中で何度も咀嚼して、飲み込んで――理解する。
「っば――っ」
バカなこと言うな。
そう、言う筈だった。
だけれど私の口はぱくぱくと動くだけで言葉を出せない。
見てしまった。この眼で見てしまった。
眼を、奪われてしまった。
「~~~~っ、こ、こんなときに、笑うなんて……ひ、卑怯……です」
微笑み。
初めて見る、椛の笑顔。
本当に卑怯だ。こんな顔見せられたら断れない。
ずっと望んでいたものを与えられたら、逆らえない。
「よろしいですか?」
「ひ、ひきょうもの……」
断れないってわかってるくせに。
どんなに恥ずかしがったって、あなたに笑いかけられたら、もう。
「……ひきょうもの」
椛の大きな手が私の髪を撫ぜる。
もう片方の手が私の背に回される。
押し退けるように私の手は彼女の胸に触れたけれど、力が入らない。
椛のわがままを拒めない。
目をつぶる。
感じる、近づく彼女の熱。
吐息が私の唇にかかって――――
引き続き素敵なあやもみでした!
自分もあっためてもらいたい
自由とはそういうものだ。