体が凍てつきそうな暴風。
髪が乱れ、その圧力に呼吸をする事すらままならない。
本来の私の力では到底達する事の出来ない速度に、高揚と僅かな恐怖を覚える。
目に映るのは緑と土の色。
幻想郷を一目に収めていたはずが、すぐに視界は狭くなり。
やがて、ただ一点だけが拡大され。
そして。
べちゃ。
★
「空を飛べなくなった?」
「…………はい」
守矢神社を訪ねると、陰鬱な雰囲気の早苗さんに遭遇した。
今日の早苗さんは空気の抜けた風船のように萎んで、俯いて鬱屈としている。
これは異変かと話を聞いて見ると、とても言いづらそうにして、空を飛べなくなったと聞かされる。
それで落ち込んでいるんでしょうか。
全く、人間というものは。
気の持ちよう一つでここまで変わってしまうんですね。
写真を撮るのも気が引けてしまうくらい、気の毒な姿です。
診断にせよ取材にしろ、もう少し話を聞いてみましょうか。
「理由は何か思い当たる節はありますか? 二柱の神徳が落ちたんでしょうか?」
「神奈子様と諏訪子様は関係ありません! 私が悪いんです」
「それはまたどうして」
「夢を、見たんです。 飛べなくなって、地面に激突する夢を……」
「ああ、なるほど。それで空を飛ぶのが怖くなったと」
「……はい」
まあ、空から落ちたら人間は簡単に死んでしまいますものね。
急に死ぬのが怖くなって、それで飛べなくなるとは。
霊力が落ちたとか、体の病気とかならまだ分かりやすいのですけど。
これは重傷かもしれませんね。
明日の朝刊の見出しは、『飛べない巫女はただの腋』にでもしましょうか。
ネタにならない方の巫女でも、たまにはネタになるんですね。
思わぬ収穫です。
でも、このままいつまでも飛べないままだったら……。
それこそ、本当にネタの無い巫女ですよね。
さて、取材はこんなところでお終い。
文花帖をしまい、陰気なオーラを体中から発散している早苗さんに顔を向ける。
全く。気持ち一つで人間はここまで変わるんですね。
普段の鬱陶しいまでの元気はどこにいったんですか。
こんな姿を見せられては、神様も気が気じゃないでしょうに。
早苗さんがそんなんじゃ私も調子が出ないですし。
人の不幸を書いて喜ぶような真似はしたくないです。
どうせなら、とらうま克服までの奮闘記とかを書いて感動させたいですよ。
ということで、ここは私が一肌脱ぐとしましょうか。
「早苗さん!」
「はい……?」
「空を飛びたいですか?」
「……はい」
早苗さんはまだ弱々しいが、その瞳に微かに光が宿る。
それを見て確信する。
大丈夫。
早苗さんなら、すぐに飛べるようになる。
今はちょっとナイーブになってるけど。
ほんのちょっとのきっかけがあれば、今すぐにでも飛べるはずだ。
「じゃあ、少し私に付き合ってください。大丈夫、すぐにまた飛べるようになりますよ」
☆
「お値段異常 にとり!」
早苗さんをにとりの工房に連れて行くと、どこで覚えたのか妖しげな呪文を唱え、にとりが満面の笑顔で迎えてくれる。
いつもならここから早苗さんとにとりのよく分からない会話が始まるのですが……。
「あれ? 早苗、今日は元気ないね」
「早苗さんが飛べなくなったようなので、空を飛べるようになる機械が欲しいんですよ」
「ありゃりゃ、それは大変だね。んーと、足漕ぎ飛行機みたいな?」
聞きなれない単語がにとりの口から飛び出す。
どんな機械なのか想像もつかずに首を捻っていると、早苗さんが会話を続ける。
二人の間では言葉が通じているらしい。
そうそう。いつもこんな感じで私が蚊帳の外にされるんですよ。
別に悔しくなんかないですけど。
「それも面白そうですけど、もうちょっと小さくなりませんか?」
「ぱらぐライダーみたいな?」
「頭にくっつけるだけで飛べるようになる機械とか、乗るだけで空を飛べる板とか」
「飛べる人に着けて、それで飛んでるように見せるジョークアイテムならあるけどね。流石にそれは無理だよー」
「そうですよねえ」
「空飛ぶ機械を作るより、文に運んでもらった方がずっとお手軽だよ?」
「そういう手もありますね」
「あやややや? 毎回それでは、私が面倒ですよ」
「そもそも、何で飛べなくなっちゃったの?」
「お恥ずかしい話ですが。墜落する夢を見て、それで空を飛ぶのが怖くなってしまったんです」
「あらら。そんなんで飛べなくなったりするもんなんだ、人間は?」
「そうらしいですよ? そのせいでしょげちゃってて、見れたものじゃなかったですよ」
「ここに来た時もそんな感じだったもんねー」
「し、仕方ないじゃないですか。今まで出来てた事が出来なくなったんだから、凹みもしますよ」
「今まで出来てたことねえ」
「ねー?」
「な、何ですか」
「いや、気にしないで下さい」
「気になります」
「そんなことより巨大ロボのことなんだけどさ」
「完成したんですか!?」
「いや、まだ作ってもいないけど……」
再びよくわからない国の言葉で会話が始まる。
一歩下がり、胡瓜を齧りながらそんな二人の様子を観察する。
お茶の代わりに胡瓜が出てくる家も珍しいですよね。
水分補給って意味では間違ってないのかもしれませんけど。
にとりと話している早苗さんの顔色がだいぶ良くなっている。
だいぶ元気になったようですね。
まだ本調子ではなさそうですが、ここに来た甲斐はあったようです。
にとりの機械は、まあ。最初から当てにしていませんでしたし。
それにしても、人間って強いのか弱いのかよく分からない生き物ですよねえ。
夢一つで飛べなくなって落ち込んで、でもまたすぐ元気になって。
取材の対象としては面白い事この上ないですけどね。
☆
守矢神社に戻り、一息つく。
山道を歩いて疲れた体を休める。
ここでは、ちゃんとお茶が出てきました。良き事です。
早苗さんはにとりから貰ってきた竹なんとかを横に置いて、空ばかり見ている。
帰り道の途中でも、空ばかり見て何度も躓いていましたし。
俯いて地面ばかり見ているよりは、夢見がちに空を見ているほうが何倍もいいですよ。
「空、飛びたくなりましたか?」
「 はい」
力強く、そう答える。
決心したように境内に走っていき、空を睨む。
そして、今にも飛び上がりそうに手を広げる。
広げ…………て?
「文さん! 飛び方を教えてください!」
空回りしている元気に、思わず笑いが零れる。
一度忘れたものを、そうすぐに思い出せたりはしないか。
やれやれと思いながら、早苗さんの傍に歩いていく。
この溢れる自信とやる気が空回りしている感じは、間違いなくいつもの早苗さんだ。
私が教えなくても、すぐに飛べるようになるはずです。
それも、今までよりももっともっと高く飛べるはず。
早苗さんの前に立ち、頭ににとりお手製の竹なんとかを載せてあげる。
馬鹿にされていると思ったらしく、早苗さんの表情がきつくなる。
「これじゃ飛べないって、にとりさんも言ってたじゃないですか」
「飛べますよ。飛べると思えば、飛べるようになります」
早苗さんはまだ納得のいかない顔をしている。
飛べるようになるまで、もう少し段階を踏もうか。
「外じゃどうだか知りませんが、ここは幻想郷。
強い想いが、不可能を可能にするんです。
強く信じる事。
それが出来れば、ただの人間が空を飛んだり妖怪退治をしたり、何だって出来るようになるんです。
自信を持つのは、早苗さんの得意分野でしょう?」
「当然です。現人神の私に、出来ない事なんてありませんから」
「じゃあ、空を飛ぶのだって簡単なはずです」
「勿論です」
早苗さんを中心にして風が巻き起こり、僅かに体が宙に浮く。
風船みたいにふらふらと飛んでいかないよう、早苗さんの手をしっかりと握る。
その手から、早苗さんの強い意志が感じられるような気がする。
人間は、気持ち一つでどこまでも強くなれる。
「早苗さんは、幻想郷に来て初めて飛べるようになったんですよね。
空から見る景色はどうでしたか? 幻想郷を独り占めしているようで、とても贅沢ですよね。
空を翔ける感覚は、一度知ったら病み付きになるはずです。
弾幕ごっこだって、空を飛ばないと出来ませんよ。
早苗さんは空を飛ぶ技術は既に持ってるはずです。
後は、気持ちの問題。
高く、高く。空を飛ぶイメージを持つんです。
空を飛ぶ楽しさを思い出してください」
早苗さんの力が見る見るうちに膨らんでいく。
一度忘れた感覚を取り戻そうともがいている。
制御しきれない霊力がとぐろを巻く。
見ていると、まだ少し危なっかしい。
でも、ここまで来たらもう一歩のはずだ。
心の枷を解き放ってやればいい。
「早苗さんは、地面に激突する夢を見たといいますけど。そんなことは絶対に起こりません」
「どうして言い切れるんですか?」
早苗さんから不安は感じられない。
私が言い切った理由を不思議に思っているらしい。
「早苗さんには、二人も神様がついてるじゃないですか。
何かあれば、お二人がすぐに駆けつけます。
絶対に、早苗さんが墜ちるはずがありません」
「そうです。二柱の加護は絶対です」
早苗さんの顔が、誇らしそうに輝く。
二人の神様の力を微塵も疑っていない。
さっきまでは、そのことを忘れていたくせにね。
最後に。
私が一番伝えたい事を言葉にする。
「それに、あなたに何かあれば。風よりも速く私が駆けつけます。
早苗は、私が守ります。
一緒に、幻想郷の空を飛びましょう」
「はい!」
その声と共に、周囲に強烈な風が吹き起こる。
手を繋いだまま、二人揃って風に攫われる。
気が付いたときには、高く、高く。
私でも滅多に昇らないほど高いところまで飛ばされていた。
「うっひゃあああああああああああああああああああああ」
「文さん文さん! 上、上! 星が綺麗ですよー!」
あまりの事態に、飛ぶことすら忘れ、そのまま落下を始める。
私はともかく、早苗さんがちゃんと飛べるかまだ分からない。
だから、繋いだ手は絶対に離したらいけない。
「文さん、大丈夫です」
繋いだ手に力を込めると、早苗さんが強い眼差しで語りかけてくる。
「大丈夫、もう飛べます。私を信じてください」
手を繋いだまま、同じ速さで落下している。
こんな速度で落ちていては、風を制御するのは難しいだろう。
私でさえ、下手をすれば危ういかもしれない。
でも。
早苗さんが自分を信じて、飛べるというのなら。
私はそれを信じるしかない。
もし飛べなくても。私がしっかり掴まえてあげれば済む。
一度深呼吸をし、覚悟を決める。
「それじゃあ、123で離しますよ。用意はいいですか?」
「いつでもどうぞ」
こちらの緊張とは裏腹に安請け合いをされてしまう。
早苗さんは、もう一人で完璧に飛べる気になっているようだ。
意志の強さと言うか、こういう自信過剰なところは少し心配になってしまう。
「じゃあ、 いち、 にの、 さんっ!」
手を離す。
即座に羽を広げ、空中に静止する。
少し体が軋むが問題は無い。
早苗さんを目で追う。
まだ落下を続けている。
地面までまだ距離はあるが、このまま落下を続けるようなら、今すぐにでも掴まえにいかないと。
早苗さんを追って急降下をする。
すぐに早苗さんとの距離が縮まる。
見る見るうちに早苗さんの姿が大きくなり、そして。
クッションに沈むような柔らかい動きをして、早苗さんが空中に静止する。
思い切り急降下していた私は勢いを緩め、早苗さんを追い越し、だいぶ下方で制止する。
水の中でもがくように手足をばたつかせていた早苗さんは、次第に要領を覚え、器用に近付いてくる。
「飛べるようになりました!」
「おめでとうございます」
眩しいくらい晴れやかな笑顔に圧倒されてしまう。
そう。早苗さんはこんな感じに鬱陶しいくらいで丁度いい。
これでようやく、本調子になりましたね。
「少し飛び回って、夕焼けを見て、それから帰りましょうか」
「文さん、ありがとうございます」
「いえいえ。いいネタが手に入りましたし、こちらこそ感謝しないと」
早苗さんが擦り寄り、手を繋いでくる。
んふふ~、と気持ちの悪い笑みを浮かべている。
「どうしたんです? まだ飛べなくなるんじゃないかって心配なんですか?」
「そんなんじゃないですよ。寒いから、文さんとくっつきたいなって思ったんです」
「確かに、空の上は少し寒いですね」
「ですよね」
まあ、いっか。
広い空で早苗さんと二人っきり。
幻想郷を二人占めしているみたいで、とても贅沢です。
早苗さんの体がぬくいですし、もうしばらくこうしていよう。
先程まで心配そうに見ていた風神様も今はいないですし。
早苗さんが飽きるまで、空中散歩に付き合ってあげましょうかね。
髪が乱れ、その圧力に呼吸をする事すらままならない。
本来の私の力では到底達する事の出来ない速度に、高揚と僅かな恐怖を覚える。
目に映るのは緑と土の色。
幻想郷を一目に収めていたはずが、すぐに視界は狭くなり。
やがて、ただ一点だけが拡大され。
そして。
べちゃ。
★
「空を飛べなくなった?」
「…………はい」
守矢神社を訪ねると、陰鬱な雰囲気の早苗さんに遭遇した。
今日の早苗さんは空気の抜けた風船のように萎んで、俯いて鬱屈としている。
これは異変かと話を聞いて見ると、とても言いづらそうにして、空を飛べなくなったと聞かされる。
それで落ち込んでいるんでしょうか。
全く、人間というものは。
気の持ちよう一つでここまで変わってしまうんですね。
写真を撮るのも気が引けてしまうくらい、気の毒な姿です。
診断にせよ取材にしろ、もう少し話を聞いてみましょうか。
「理由は何か思い当たる節はありますか? 二柱の神徳が落ちたんでしょうか?」
「神奈子様と諏訪子様は関係ありません! 私が悪いんです」
「それはまたどうして」
「夢を、見たんです。 飛べなくなって、地面に激突する夢を……」
「ああ、なるほど。それで空を飛ぶのが怖くなったと」
「……はい」
まあ、空から落ちたら人間は簡単に死んでしまいますものね。
急に死ぬのが怖くなって、それで飛べなくなるとは。
霊力が落ちたとか、体の病気とかならまだ分かりやすいのですけど。
これは重傷かもしれませんね。
明日の朝刊の見出しは、『飛べない巫女はただの腋』にでもしましょうか。
ネタにならない方の巫女でも、たまにはネタになるんですね。
思わぬ収穫です。
でも、このままいつまでも飛べないままだったら……。
それこそ、本当にネタの無い巫女ですよね。
さて、取材はこんなところでお終い。
文花帖をしまい、陰気なオーラを体中から発散している早苗さんに顔を向ける。
全く。気持ち一つで人間はここまで変わるんですね。
普段の鬱陶しいまでの元気はどこにいったんですか。
こんな姿を見せられては、神様も気が気じゃないでしょうに。
早苗さんがそんなんじゃ私も調子が出ないですし。
人の不幸を書いて喜ぶような真似はしたくないです。
どうせなら、とらうま克服までの奮闘記とかを書いて感動させたいですよ。
ということで、ここは私が一肌脱ぐとしましょうか。
「早苗さん!」
「はい……?」
「空を飛びたいですか?」
「……はい」
早苗さんはまだ弱々しいが、その瞳に微かに光が宿る。
それを見て確信する。
大丈夫。
早苗さんなら、すぐに飛べるようになる。
今はちょっとナイーブになってるけど。
ほんのちょっとのきっかけがあれば、今すぐにでも飛べるはずだ。
「じゃあ、少し私に付き合ってください。大丈夫、すぐにまた飛べるようになりますよ」
☆
「お値段異常 にとり!」
早苗さんをにとりの工房に連れて行くと、どこで覚えたのか妖しげな呪文を唱え、にとりが満面の笑顔で迎えてくれる。
いつもならここから早苗さんとにとりのよく分からない会話が始まるのですが……。
「あれ? 早苗、今日は元気ないね」
「早苗さんが飛べなくなったようなので、空を飛べるようになる機械が欲しいんですよ」
「ありゃりゃ、それは大変だね。んーと、足漕ぎ飛行機みたいな?」
聞きなれない単語がにとりの口から飛び出す。
どんな機械なのか想像もつかずに首を捻っていると、早苗さんが会話を続ける。
二人の間では言葉が通じているらしい。
そうそう。いつもこんな感じで私が蚊帳の外にされるんですよ。
別に悔しくなんかないですけど。
「それも面白そうですけど、もうちょっと小さくなりませんか?」
「ぱらぐライダーみたいな?」
「頭にくっつけるだけで飛べるようになる機械とか、乗るだけで空を飛べる板とか」
「飛べる人に着けて、それで飛んでるように見せるジョークアイテムならあるけどね。流石にそれは無理だよー」
「そうですよねえ」
「空飛ぶ機械を作るより、文に運んでもらった方がずっとお手軽だよ?」
「そういう手もありますね」
「あやややや? 毎回それでは、私が面倒ですよ」
「そもそも、何で飛べなくなっちゃったの?」
「お恥ずかしい話ですが。墜落する夢を見て、それで空を飛ぶのが怖くなってしまったんです」
「あらら。そんなんで飛べなくなったりするもんなんだ、人間は?」
「そうらしいですよ? そのせいでしょげちゃってて、見れたものじゃなかったですよ」
「ここに来た時もそんな感じだったもんねー」
「し、仕方ないじゃないですか。今まで出来てた事が出来なくなったんだから、凹みもしますよ」
「今まで出来てたことねえ」
「ねー?」
「な、何ですか」
「いや、気にしないで下さい」
「気になります」
「そんなことより巨大ロボのことなんだけどさ」
「完成したんですか!?」
「いや、まだ作ってもいないけど……」
再びよくわからない国の言葉で会話が始まる。
一歩下がり、胡瓜を齧りながらそんな二人の様子を観察する。
お茶の代わりに胡瓜が出てくる家も珍しいですよね。
水分補給って意味では間違ってないのかもしれませんけど。
にとりと話している早苗さんの顔色がだいぶ良くなっている。
だいぶ元気になったようですね。
まだ本調子ではなさそうですが、ここに来た甲斐はあったようです。
にとりの機械は、まあ。最初から当てにしていませんでしたし。
それにしても、人間って強いのか弱いのかよく分からない生き物ですよねえ。
夢一つで飛べなくなって落ち込んで、でもまたすぐ元気になって。
取材の対象としては面白い事この上ないですけどね。
☆
守矢神社に戻り、一息つく。
山道を歩いて疲れた体を休める。
ここでは、ちゃんとお茶が出てきました。良き事です。
早苗さんはにとりから貰ってきた竹なんとかを横に置いて、空ばかり見ている。
帰り道の途中でも、空ばかり見て何度も躓いていましたし。
俯いて地面ばかり見ているよりは、夢見がちに空を見ているほうが何倍もいいですよ。
「空、飛びたくなりましたか?」
「 はい」
力強く、そう答える。
決心したように境内に走っていき、空を睨む。
そして、今にも飛び上がりそうに手を広げる。
広げ…………て?
「文さん! 飛び方を教えてください!」
空回りしている元気に、思わず笑いが零れる。
一度忘れたものを、そうすぐに思い出せたりはしないか。
やれやれと思いながら、早苗さんの傍に歩いていく。
この溢れる自信とやる気が空回りしている感じは、間違いなくいつもの早苗さんだ。
私が教えなくても、すぐに飛べるようになるはずです。
それも、今までよりももっともっと高く飛べるはず。
早苗さんの前に立ち、頭ににとりお手製の竹なんとかを載せてあげる。
馬鹿にされていると思ったらしく、早苗さんの表情がきつくなる。
「これじゃ飛べないって、にとりさんも言ってたじゃないですか」
「飛べますよ。飛べると思えば、飛べるようになります」
早苗さんはまだ納得のいかない顔をしている。
飛べるようになるまで、もう少し段階を踏もうか。
「外じゃどうだか知りませんが、ここは幻想郷。
強い想いが、不可能を可能にするんです。
強く信じる事。
それが出来れば、ただの人間が空を飛んだり妖怪退治をしたり、何だって出来るようになるんです。
自信を持つのは、早苗さんの得意分野でしょう?」
「当然です。現人神の私に、出来ない事なんてありませんから」
「じゃあ、空を飛ぶのだって簡単なはずです」
「勿論です」
早苗さんを中心にして風が巻き起こり、僅かに体が宙に浮く。
風船みたいにふらふらと飛んでいかないよう、早苗さんの手をしっかりと握る。
その手から、早苗さんの強い意志が感じられるような気がする。
人間は、気持ち一つでどこまでも強くなれる。
「早苗さんは、幻想郷に来て初めて飛べるようになったんですよね。
空から見る景色はどうでしたか? 幻想郷を独り占めしているようで、とても贅沢ですよね。
空を翔ける感覚は、一度知ったら病み付きになるはずです。
弾幕ごっこだって、空を飛ばないと出来ませんよ。
早苗さんは空を飛ぶ技術は既に持ってるはずです。
後は、気持ちの問題。
高く、高く。空を飛ぶイメージを持つんです。
空を飛ぶ楽しさを思い出してください」
早苗さんの力が見る見るうちに膨らんでいく。
一度忘れた感覚を取り戻そうともがいている。
制御しきれない霊力がとぐろを巻く。
見ていると、まだ少し危なっかしい。
でも、ここまで来たらもう一歩のはずだ。
心の枷を解き放ってやればいい。
「早苗さんは、地面に激突する夢を見たといいますけど。そんなことは絶対に起こりません」
「どうして言い切れるんですか?」
早苗さんから不安は感じられない。
私が言い切った理由を不思議に思っているらしい。
「早苗さんには、二人も神様がついてるじゃないですか。
何かあれば、お二人がすぐに駆けつけます。
絶対に、早苗さんが墜ちるはずがありません」
「そうです。二柱の加護は絶対です」
早苗さんの顔が、誇らしそうに輝く。
二人の神様の力を微塵も疑っていない。
さっきまでは、そのことを忘れていたくせにね。
最後に。
私が一番伝えたい事を言葉にする。
「それに、あなたに何かあれば。風よりも速く私が駆けつけます。
早苗は、私が守ります。
一緒に、幻想郷の空を飛びましょう」
「はい!」
その声と共に、周囲に強烈な風が吹き起こる。
手を繋いだまま、二人揃って風に攫われる。
気が付いたときには、高く、高く。
私でも滅多に昇らないほど高いところまで飛ばされていた。
「うっひゃあああああああああああああああああああああ」
「文さん文さん! 上、上! 星が綺麗ですよー!」
あまりの事態に、飛ぶことすら忘れ、そのまま落下を始める。
私はともかく、早苗さんがちゃんと飛べるかまだ分からない。
だから、繋いだ手は絶対に離したらいけない。
「文さん、大丈夫です」
繋いだ手に力を込めると、早苗さんが強い眼差しで語りかけてくる。
「大丈夫、もう飛べます。私を信じてください」
手を繋いだまま、同じ速さで落下している。
こんな速度で落ちていては、風を制御するのは難しいだろう。
私でさえ、下手をすれば危ういかもしれない。
でも。
早苗さんが自分を信じて、飛べるというのなら。
私はそれを信じるしかない。
もし飛べなくても。私がしっかり掴まえてあげれば済む。
一度深呼吸をし、覚悟を決める。
「それじゃあ、123で離しますよ。用意はいいですか?」
「いつでもどうぞ」
こちらの緊張とは裏腹に安請け合いをされてしまう。
早苗さんは、もう一人で完璧に飛べる気になっているようだ。
意志の強さと言うか、こういう自信過剰なところは少し心配になってしまう。
「じゃあ、 いち、 にの、 さんっ!」
手を離す。
即座に羽を広げ、空中に静止する。
少し体が軋むが問題は無い。
早苗さんを目で追う。
まだ落下を続けている。
地面までまだ距離はあるが、このまま落下を続けるようなら、今すぐにでも掴まえにいかないと。
早苗さんを追って急降下をする。
すぐに早苗さんとの距離が縮まる。
見る見るうちに早苗さんの姿が大きくなり、そして。
クッションに沈むような柔らかい動きをして、早苗さんが空中に静止する。
思い切り急降下していた私は勢いを緩め、早苗さんを追い越し、だいぶ下方で制止する。
水の中でもがくように手足をばたつかせていた早苗さんは、次第に要領を覚え、器用に近付いてくる。
「飛べるようになりました!」
「おめでとうございます」
眩しいくらい晴れやかな笑顔に圧倒されてしまう。
そう。早苗さんはこんな感じに鬱陶しいくらいで丁度いい。
これでようやく、本調子になりましたね。
「少し飛び回って、夕焼けを見て、それから帰りましょうか」
「文さん、ありがとうございます」
「いえいえ。いいネタが手に入りましたし、こちらこそ感謝しないと」
早苗さんが擦り寄り、手を繋いでくる。
んふふ~、と気持ちの悪い笑みを浮かべている。
「どうしたんです? まだ飛べなくなるんじゃないかって心配なんですか?」
「そんなんじゃないですよ。寒いから、文さんとくっつきたいなって思ったんです」
「確かに、空の上は少し寒いですね」
「ですよね」
まあ、いっか。
広い空で早苗さんと二人っきり。
幻想郷を二人占めしているみたいで、とても贅沢です。
早苗さんの体がぬくいですし、もうしばらくこうしていよう。
先程まで心配そうに見ていた風神様も今はいないですし。
早苗さんが飽きるまで、空中散歩に付き合ってあげましょうかね。
文の優しさ、早苗の素直さと前向きさにとてもすっきりとした読後感が味わえました。
なにより早苗をさん付けで呼ぶあややがとても良い。
適度な距離を保って大事に接している雰囲気が伝わってきました。
二柱に迷いのない信頼を寄せている早苗もよかった。
あやさなの機微をよくわかってらっしゃる!
夢は怖いですね。現実に起こるはずもないことも、何かを暗示するような不安に囚われてしまう。
そんな不安を支えてあげるのが、きっと友達なのでしょう。
綺麗なお話でした。
友情深い文ってのもいいですね。