1.
ここ霊夢の住まいでは、夕方から宴会が催されていた。
赤い夕日がやまのはの向こうへ沈む頃からだんだんと参加者が集まりはじめ、眠る草木をたたき起こすかのようなどんちゃん騒ぎを夜を徹して繰り広げる。
のめや、うたえやと騒ぐ連中はヒトも妖怪も入り乱れ、飲んだり、飲まされたり、飲まれたり。
酔っぱらいどもは神社を背に、笑い、泣き、叫びとやりたい放題の喧噪を繰り広げていたが、月が顔を出す頃になると三々五々帰路につく。
今宵は有明、月のお出ましは遅い。
「ぬえー、ぬえー!」
縁側で夜風にあたりつつ、夜空をのんびりかっ歩する月を眺めていたところ、急に呼ばれた。急いで中に戻ると、畳に突っ伏した早苗を霊夢が支えている。
「ほら早苗、ここで吐くんじゃないわよ!立って、立って!」
横から手を差し入れて早苗を起きあがらせる。見ると早苗の顔は真っ赤。息が荒く、目の焦点も、どうやらあっていない。飲み過ぎて潰れたらしい。
私が後ろから声をかけると、霊夢が振り返ってにこりと微笑んだ。額にはうっすらと汗が浮かんでいる。
「ああ、ぬえ、早苗頼むわ!……ほら、早苗!つかまって!」
酒臭い早苗をふたりがかりで抱き起こし、私の肩にすがらせる。
そこから厠までは超特急。吐きだす前に厠にたどりつかないと、後の掃除が大変なことになるからね。
よろめく早苗を抱きかかえながら縁側を走りぬけ、厠の扉をけ開けて中に躍り込む。
川から水を引いてつくった水洗式の便所に、ふらつく早苗をまたがらせる。支えていないと水中に落っこちるので、後ろから抱きすくめるようにして私も一緒にまたがる。
あとは、手をお腹あたりに持っていって、きゅっと抱きしめるだけ。うっ、といううめき声をあげ、早苗の顔が下を向く。
そのまますぐに戻し始め、しきりの中に酸っぱい匂いが立ちこめた。
うっすら月夜の照らすなか、おんなのこのからだを抱きしめる、なんてちょっとロマンティックな字面なのに。
その娘が泥酔しているだけで大惨事ね、なんて考えながら、早苗が落ち着くのをまつ。
酒と胃液の混じった液体が、なんども川の流れへと消えていく。
そのうちに出る物がなくなったのか、うっ、と声を上げるもののつばを吐くばかり。
あれだけ荒かった息も、やや落ち着いてきた。
「大丈夫?」
声をかけるとかすかに頷いた。
目はつむったままで、意識はもうろうとしているようだが、反応はある。セーフ。
また早苗を抱えなおして外に出、今度は井戸端へ。
「ホラ、お水。飲める?」
冷たい井戸水をくみ上げて早苗に渡す。
ほおをたたくと、ようやく目を開けた。
焦点は合っていないが、小さく頷いて桶に手を伸ばす。
支えてやりながら水を含ませ、口をすすがせると、またむせかえる。
わきへはきださせると、いっしょに中身も出てきた。しばらく背中をさすってやる。
ひととおり収まった所で、もういちど水を飲ませる。
赤みの引いて白くなった喉が上下し、冷たい水を飲んでいく。
出てきた物には土をかぶせておこう。見た目に悪いし。
これでいったん終了、あとはフトンの所につれていくだけ。
ところが、歩き出そうとした早苗が自分の足にけっつまずき、転んでしまう。
そのままダウンしてしまったのか、立ち上がってくれない。
しょうがないので今度は抱きかかえ、運んでやる。
つくづくロマンスがない状況だなあ。お月様も失笑してるんじゃない?
母屋の寝室へむかうと、霊夢がフトンを敷いてくれた。
横に寝かせて毛布を掛けてやるころには、早苗さんはのんびりと寝息を立て始めていた。
霊夢と顔を見合わせて、クスリと笑い合う。
「おつかれさま。何か入れようか?」
「ありがと。お茶、頼むわ」
了解~と答えて、いったん霊夢は部屋を出る。
寝室には私と早苗のほかに、魔理沙がいた。
こいつ、また酔いつぶれて、霊夢の手当を受けていたのね。
うっすら月あかりに照らされて、ふたつの青白い顔が安らかな寝息を立てている。
早苗は奇麗だし、魔理沙は可愛い。
でも、ふたりとも酒の飲み過ぎでひっくり返ったワケだから、やっぱりロマンスはかけらもありゃしない。
これが宴会後のいつもの風景。ため息が止まらない。
2.
私が初めてここの宴会に参加したのは、もうずいぶん前のことだった気がする。
早苗に誘われて来た。皆さんとの親睦を深めるためにも、是非って。
さすがに呆れて、それじゃ、私のアイデンティティがなくなるでしょ、って言ったら、あの子、怒り出しちゃって。
しばらく口げんかした上で、私が折れた。
気まずいままだったから、宴会のあいだは口も聞かなかったな。
いまじゃみんなおぼえたけれど、そのときは周りに知らない顔が多すぎてとまどったのをおぼえている。
霊夢の名前さえ知らなくて、周りに合わせて「紅白の」とか「そこの巫女」とか呼んでたくらい。
ここに来て、初めておぼえた名前は「霧雨魔理沙」だった。
ここに来て、初めてひっくり返った人間が「霧雨魔理沙」だったから。
私たちは1升やそこら飲んでも、酔っぱらうけど、倒れることはない。
1升瓶をイッキしたって、せいぜいがふらつくくらい。
そのときあいつは、宴会が始まるなり、1合舛を渡されてはイッキ呑み。
それを見たやつがおもしろがってはやすと、また1合舛でイッキ呑み。
そんなことをふた桁繰り返す頃にはふらッふらで、顔真っ赤。
そのうちにバタッと倒れてしまう。
すると、側にいた小鬼が声を張り上げた。
「れいむ、れいむー!まりさ、まりさ!」
私は何が起こるのかと思って見守るばかり。
意味が分からない。どっちも名前だろか、とか考えていると、呪文は効果はアッという間だった。
すぐに「例の紅白」がすっとんできて倒れたあいつを引きずり出していった。
あまりに一瞬のできことでぽかんとしていたら、隣にいた天狗がこっそり教えてくれた。
――倒れたやつは人間で、名を「霧雨魔理沙」という。
――人間は酒に弱く、1度にたくさんのむと身体が受け付けてくれない。
――さっきのようにイッキ呑みしつづけると、「酔い潰れ」て死んでしまう。
これを「急性アルコール中毒」と言うらしい。
魔理沙の「急性アル中」はわりかし毎回のできごとなので、「あの紅白」を呼んで手当をさせる。
その呪文が、あの「霊夢~!魔理沙~!」。
あの天狗は、おかしそうにこれを教えてくれたが、私は呆れるばかり。
だって、ものずきすぎる話じゃない。
毎度毎度倒れるやつも相当イカれているけど、それにつき合ってやるほうもそうとうヤバい。
そんなバカのことなんかほっといけばいいのになあ。
じゃなきゃ、いちどガツンッといってわからせなくちゃ。
甘やかしてんなあ、ニンゲンってバっカだあ。
でもその後、宴会ではもうひとり「急性アル中」が出た。
宴会が始まってからひと刻ばかりしたころ。
私もあいさつ回りをしながら大分酒を嗜んでいて、イイカンジにほろ酔いだった。
居間の一郭が急に騒がしくなった。
何か始まるのかなあ、と見に行くと、取り囲むひとがきの真ん中で、人間が倒れているらしい。
また、「急性アル中」かしら、今度は誰よ、と背伸びしてのぞきこむ。
一瞬で酔いも何も吹っ飛んだのをおぼえている。
ふたり目の被害者は私をここに誘った張本人、東風谷早苗だった。
呼ばれて飛び出た霊夢がやや青ざめた早苗を担ぎ上げ運び出していく。
私は急いでその後を追った。
厠に連れ込んでしばらくださせた後、水を飲ませて横にさせる。
そのころには、早苗の顔にはいくらか血の気が戻ってきていた。
振り返って「大丈夫」といってくれた霊夢の顔を見て、その場にへたり込んでしまったのも、今となっては良い記憶だ。
後で聞いた話だが、早苗がひっくり返ったのは初めてらしい。
いつも、ゆっくり酒を飲むのに、びっくりしたと霊夢が言っていた。
その日はそのまま、すぅすぅと寝息を立てる早苗の側でひと晩を明かした。
翌朝早苗が目覚めたときには腰が抜けるほど安心したものだ。
数日後、快復した早苗に会って、なぜそんなに呑んだのかと詰ったところ、飲酒の自由とやらを主張する早苗と大げんかになった。
早苗とはしばらくしてから仲直りできたけれど、あのときのはなしを持ち出すたびに、むこうがけんか腰になるせいで、結局理由は解らずじまいでいる。
以来、宴会の度に魔理沙は倒れ、早苗も3回に1度くらいの割合でひっくり返った。
早苗がひっくり返るたびに私がすっ飛んでいくので、やがて霊夢から早苗の面倒を見るようにと頼まれ、いつの間にかそれは私の仕事になった。
3.
「ぬえ、お茶」
回想に浸っていると、霊夢が戻ってくる。
湯気を立てる湯飲みを受け取ってすする。とてつもなく渋いが、酔い覚ましにはもってこいだろう。
「ん、ありがと」
「いえいえ、こっちこそ、毎回ありがとね。手伝ってもらって」
霊夢も自分の湯飲みを持っていて、しばらくふたりでお茶を啜りながら休息の時を過ごす。
ふた組の寝息とふた組のお茶を飲む音だけがひびく。夜明け前の静けさ。
「ねえ、霊夢さあ」
「ん?なに?」
沈黙を破り、ふと口をついてでた疑問。
「なんで、こいつら、毎度毎度、こんなに倒れんのかなあ?」
霊夢はしばらく、じっと私のことを見つめたまま、口をつぐんでいた。
「なんで、こいつら……いいかげん、学習しないかなあ?」
霊夢の赤い瞳を見つめ返す。息をはく音が、静かな暁にこだまする。
「なんで、こいつら――」
「ねえ、ぬえ」
私の声を遮って、霊夢は視線を外す。
部屋の中に横たわるふたりのことを見守る目線が、びっくりするほど優しかった。
霊夢ってこんな表情もできるんだ。つくづく不思議な娘だなあ。
「あいつ――魔理沙はね、私がいないときは、絶対イッキ呑み、しないの」
「えっ?そうなの?」
「うん。あいつがイッキするのはね、ここで、しかも私がいるときだけなの」
そうなんだ。ここ以外の宴会参加したことないからなあ。
知らなかった。
「あいつはね、まだまだ子供なのよ」
私にいわせりゃ、霊夢も子供みたいなものだけど。
まあ、そんなこという雰囲気じゃない。
霊夢がこちらを振り返り、にやりと笑う。
「あいつと私はね、ここでつながってんのよ」
と言いながら、霊夢は自分の胸をたたいてみせる。
「おっぱい?」
反射的にいってしまった。
霊夢がふき出す。
「オヤジか、あんたは」
「ごめん、つい」
ころころと笑いながら、霊夢が言葉をつなぐ。
「まあね、私たちはね、もう何年もいっしょにやり合ってきた、まあ腐れ縁よね。みっかに1度は顔をあわせ、語しあい、弾幕ごっこして、ご飯を一緒に食べる」
お茶を啜る。もう湯気は立っていない、すこし冷えて飲み頃だ。
「そんなやつに目の前で死なれちゃ、目覚めが悪いじゃない。だから、いちど、きつく聞いてみたのよ。私といるときだけ、何であんなに呑むのって。」
これだ、これが聞きたかったんだ。
お茶で喉をうるおす霊夢を待つ。
「あいつね、こうぬかしやがったのよ。
『霊夢がいるとこじゃなきゃ、安心してイッキできないだろ?』」
「なにそれ」
いくら何でもバカにしすぎだろう。人の迷惑を考えたこと無いのか、あいつは。
「でしょ?あんまりアタマにきたからさ、ぶん殴ったのよね」
さすが霊夢さん。でも、いまだにイッキをやめないのはなんでだろう。
「あいつ、さすがに悪いと思ったんでしょうね。その次は来なかったけどね。でも、またのこのこやってきて、またぶっ倒れるわけよ。次は正座させて問いつめたわ。四半刻くらいずっと説教したの……2度とうちで呑むな、2度とくるな、っていったら、あいつ本気でベソかき始めちゃってさ」
遠い目をした博麗霊夢。こんなの始めてみた。
こいつも美人でいやがる。
ロマンス?そんなもの、もとめたら負けよね。
「あのときは、私も真剣に怒鳴りつけたからね。だって、命に関わることじゃない。そしたら、あいつ、ベソかきながら、しゃくり上げながら言うわけ。宴会が終わって、家に帰るのがイヤなんだって」
「はあ?」
ポカンとした私の顔を見て、霊夢がクスクス笑い出す。
「あによ、何かついてる?」
「ごめん、ごめん……ふふ、あのときのこと思い出しちゃって……私もあっけにとられて、ポケッとしちゃったんだけど、あいつはさ、涙ぼろぼろ流し続けて言うのよ。宴会が終わって、森に帰ると、暗いし、寒いし、ひとりぼっちだし、怖くて怖くて、酔いなんかすぐ冷めちゃうんだって」
霊夢はまだクスクス。何かそんなにおかしいところ、あったかしら。
「そいで、あるとき、何もかも忘れるくらい呑もうと思ったんだって。そしたら、飲み過ぎて、倒れた。翌朝目を覚ますと、そこはわたしんちで、明るくて、暖かくて、側に私がいて、メンドウ見てくれて……頭の痛みも吹っ飛ぶくらいうれしくて、うれしくてって……」
霊夢はとうとうこらえられなくなったのか、ケラケラと腹を抱えて笑いだした。
なるほど、ようやく理解できた。
確かにあの魔理沙が、ベソかきながら「さみしいから側にいたくてひっくり返り続けてる」なんて言い出した日には、思わず抱きしめちゃうだろうな。
でも、なんてメイワクなやつだ。霊夢のことも考えてあげようよ。
当人は笑ってるけどさ。
霊夢はひとしきり笑いこけた後、目尻の涙をぬぐいながら話に戻った。
「そいでさ、しまいにあいつ、わんわん泣きながらごめんなさい、ごめんなさいって謝りはじめてね……もう、さっきまで怒ってたことなんか、どうでもよくなっちゃって……許してやったのよ」
「それで、また、月に1回急性でひっくり返る生活が始まった、と」
霊夢は頷く。
なるほど、素直じゃないなあ。魔理沙らしいっちゃ、らしいけど。
「それに、どうせ年くったら、イッキなんてできなくなるじゃない?だから、せめて若い内くらい、好きにさせたげようと思いなおしてね」
霊夢もたいがいバカだなあ。
というか、君たち同い年じゃないの?
なんか、落ち着き方にえらい開きがあると思うんだけど。
霊夢は息を整えてから湯飲みを手に、お茶を飲みきってしまう。
「ああ、のどかわいたわ。もいっぺん入れてくるけど、あんたもいる?」
「おねがいします」
了解~と答えて、ふたたび霊夢は台所へ。
静かな部屋に、私とふたりのアル中が残された。
月はもう天頂になく、白々と明ける山際が新しい朝を告げていた。
うす明かりの中で早苗が、ううん、とうなって寝返りを打った。
ふた重のまぶた、細面、うす桃色の唇、ほのかに桜付いたほお。
「いまやう」のシャンだ。私の生きた1000年前の「美人」とは、どだいから違う。
もえぎ色の長髪が畳の上にはみ出している。
ごろり、と畳に転がって、早苗の髪を梳く。
「なんだかなあ」
時も場所も違う。
ヒトと妖怪の関係も違う。
酔っぱらった鬼を退治したヒトと、酔っぱらった人を介抱する私。
さらりと流れる髪は1000年たっても変わらないか。
ねえ、早苗。あんたも、さみしいの?
だったら、そう言ってくれればいいじゃない。
こんな回りくどいコト、しないでいいじゃない。
無理しないで、素直になっていいのよ?
ニンゲンってバッカだあ。
でも素面のぬえと早苗の会話が無かったのが物足りなかったかなと
2.の初めの段落のあたり膨らませるともっとニヤニヤ出来ると思うんだ
何が早苗にとってぬえをそこまでの存在にしたのでしょうかねぇ……
それにしても、気を許せる相手がいるっていいもんですわ