それは天気のいい午後だった。
私は気分転換に普段はあまり行かない場所を散歩しようと思った。
神様とて休みたいと思うことはある。厄を集める以外、プライベートで楽しむ時間も欲しいものだ。川辺を散歩してにとりととりとめのない雑談を交わしたりするのも悪くないのだが、あいにく今日は忙しいとのこと。
さてと、探検するにしてもどこに行くべきか。腕を組んで考える。せっかくだし行ったことがない場所にしてみよう。
「紅魔館……は厄そうだし、永遠亭は迷うらしいし……地下……も結構骨が折れるわね」
しばらく考えていると、いつぞやか耳にした噂を思い出す。
『鈴蘭の咲き乱れる綺麗な丘がある』
「鈴蘭……か。お花の中でのんびり過ごすのも気持ちよさそうね」
目標決定。噂に聞いた場所、無名の丘の鈴蘭畑へと私は歩を進め出す。
「噂に聞いた通り……いえ、それ以上だわ……」
目的地である無名の丘に到着し、一歩踏む入れた先に広がる鈴蘭の花、花、花――。見事なものだ。
見る者を圧巻させるぐらいに白い鈴蘭が海となって、風に揺れて波立つ。それは一種の芸術作品にさえも感じてしまう。
このまま風の音を聞きながらこの花達を眺めておくのも日頃の忙しさを忘れられ、リラックスできそうだ。
――だが。
「――この感じは……」
肩に力が入り、周囲を見渡す。誰かがいる。人間ではない。少々変わった気配だ。
気配の方角へゆっくりと視線を向けると、一軒の小屋……というよりは廃屋に近いが……ボロボロの木造小屋がある。
壁や屋根のあちこちに穴が開いており、これでは雨も凌げないし、冬になったら雪も入り込んで中が積もるだろう。
簡潔に言えばとても住める環境ではないであろう寂れた小屋にその気配は漂っている。
「ふむ……」
両手を後ろに組んで、しばし考えこむ。だてに厄神ではない、感じる気にはちょっとした黒いものを感じた。
こんな寂しい小屋にいるのだ、ある意味では当然かもしれない。しかしそれはそれで気になるものだ私は興味を覚えてゆっくりと小屋の方に歩みを進める。鈴蘭をなるべく踏んだり折ったりしないように気を使いながら。
いざ小屋に着くと、扉も壊れているようなので開けずとも中の様子が見渡せた。といっても質素なもので、今壊れても不思議ではないであろう椅子と机とベッドが置いてあるだけ。そしてそのベッドにここの主は横たわっていた。
「すぅ……すぅ……」
かすかに聞こえる寝息は彼女が生きていることを証明してくれる。
両手を胸の前で組んで眠る姿、寝息さえ聞こえなければ精巧な少女の人形に見えただろう。
赤い洋風のドレスのような服に身を包んだ幼い少女が可愛らしい寝息を立てている。ゆっくりと近づき、近くで顔を覗き込む。
――可愛い。
声に出しそうになったが起こすのは気が引けて、ぐっと飲み込む。
私は椅子をベッドの横に置き、そこに腰掛けるとしばらく愛らしい寝顔をぼーっと見つめていた。こんな所にあどけない姿の少女がいるとまでは耳に入っていなかった。おそらく、噂を流した人々はここまで辿り着けなかったのだろう。鈴蘭の毒に阻まれて。私は厄神であり、そういった毒気に
多少は耐性があるから問題はないのだけど。
「まあ……人間ではないでしょうけど。それを引いても幼い……か」
少女からは鈴蘭の花達から立ち込めていた毒の力を感じる。おそらくは毒を制御できるのだろう。ガラスが割れていて役目も果たせない窓から鈴蘭に視線を移す。私は花の心までは読み取れないので完全に理解はできないが、花達はこの少女を悪くは思っていないようだ。
どれくらい時間が経ったのだろうか。空の色は変わらず青いままだからそんなに長くは経過していないとは思う。一分を一時間と感じるようにのんびりとした時間の流れ。昼寝でもしたらよく眠れそうだ。最も、ここはこの少女の住処だろうから好き勝手にはできないが。それに、ベッドは少女が占領しているし。聞こえるのは少女の寝息と風の音だけ。安らかな時間であった。
「んっ……」
もぞもぞと少女の体が動く。まずい、神ともあろう者が住居不法侵入したら顔が立たないわ。少女が起きる前に飛んで逃げようかと体に力を入れたが――。
「だぁれ?」
目を閉じたままであるがはっきりとそう言った。そのままゆっくりと体を起こすと今度はぱっちりと目を開く。
「うっ……」
その綺麗な瞳と目が合うとドキリとしてしまう。澄んだ瞳というものはどんな宝石よりも輝いていると私は日頃から思っている。
「……お姉さん、綺麗だね。それに何か服も私にちょっと似てるかも……」
「あ、あはは、ありがとう。それと初めまして。私は鍵山雛、厄神で――」
私は簡単な自己紹介を済ませると、この無名の丘まで来た経緯と、勝手に小屋に入ったことを謝罪した。少女は「別にいいよ。それよりもよく毒にやられないで来れたね」と笑った。怒られていないようなのでとりあえずはセーフか。
「いつも厄を集めているから、多少の毒は平気なのよ」
「ふーん。毒が効かないなんて永琳以外にもいたんだー」
永琳――とは永遠亭にいる薬師のことだろうか。いや、そうに違いない。
「そうそう、私はメディスン・メランコリーっていうの。よろしくね、雛」
屈託のない笑顔を浮かべると小さな手をそっと指し伸ばしてくる。私も「こちらこそ」と笑顔で握手を交わし、ひとまずは自己紹介を無事に済ませられた。
「メディスンは一人で住んでるの?」
「うん。たまに永琳や幽香、アリス達も来るしお花達もいるから楽しいよ。あ、でも雨が降った時や冬だとちょっとだけ不便かなー。雨だと体が濡れるし、冬だと目が覚めた時に体が雪に埋まってたこともあったしね、あははっ」
改めて小屋の中を見渡せば納得がいく。普通の人間だったら冬は凍死しているだろうが、こんなにあっけらかんと言っている辺りが妖怪……いや、彼女本来がかなり呑気な性格かな。
「さすがにひどい時は永遠亭やアリスの家に泊まらせてもらってるけどね。でも基本はここにいたいんだ。鈴蘭達が寂しがるし」
外の鈴蘭を指差しながら話すメディスン。優しい子だ――と思う。ただ、少々無鉄砲というかなんというか……世話を焼きたいタイプだ。
「そうね……ずっとここにいたいなら、まずは小屋を修復しないと。妖怪だって病気にはなるわ」
「そうなんだけど……私あんまり人と会うの苦手だし……永琳達にも迷惑かけたくないし……」
悩むメディスンを横目にボロボロの室内を見回しながらどうしたものかと考える。私も大工仕事は未経験だ、それにある程度体力のある者で、なおかつ毒にやられずにここまで来れる……。
「――そうだわ」
一人、該当者が思い当たった。ぴったりの人材が。
「メディスン、一日待ってくれないかしら。私が何とかしてあげる」
「えっ?」
驚いた顔で見つめてくる。それはそうだ、会ってちょっとしか経ってないのにいきなりこんなことを言ったのだから。
「でも雛――」
「いいのいいの、誰かに甘えるのも大切なことよ?」
人差し指を立ててウィンク。半ば強引だったがこうしなければきっとこの子は気を遣って断っていたのだろうし、これでいいと心の中で納得させる。
「善は急げ、早速準備に取り掛からなくちゃ。それじゃあメディン。また明日」
「あ、う、うん。バイバイ……」
戸惑いながらも手を振ってくれるメディスンにこちらも笑顔で返して小屋を出て、空へと体を浮かせる。
上空から見下ろすとさっきとはまた違った鈴蘭の景色が楽しめるが今はやることがあるので名残惜しいが無名の丘を後にした。
「こんにちは、それともこんばんはかしら? ここだと日中も夜もわからなくて」
「……おそらく、夕方くらいじゃないの? で、何か用事でも?」
はるばる来たは地底。目の前でむすっとした顔をしている緑眼の娘は橋の番をしている水橋パルスィ。嫉妬を司る彼女と厄神である私は変にウマが合い、こうして時々世間話をすることがある。一見無愛想に見えるだろうがこれが彼女の基本スタイルで、特に不機嫌だとかそうではない。こう見えても面倒見はよく、地下の住人に頼まれごとをされるとぶつくさ言いながらもこなしてくれるのだ。
「話が早いね。実は……」
私は今日のことを全て話した。無名の丘、メディスン、最後に小屋の修復の依頼。話を終えると、パルスィは視線を外し橋の下を見下ろす。
「ふーん……話を聞く限りだと、そのメディスンって子、いい子なのね」
「そうよ。可愛らしいし。でもちょっと遠慮がちなところがあるかもしれない」
「……」
目を閉じて、じっと立ち尽くしているパルスィ。考えを巡らせているのだろう、私も声をかけずにただじっと彼女の返事を待つ。やがて目を開き、一人頷きながら視線を戻した。
「準備するから……今日は帰りなさい」
「手伝うよ?」
すると緑眼の眼差しがきつくなる。
「あんたは務めがあるでしょ、私なんかよりもずっと大事なことが」
つっけんどんな言い方だが、これも彼女なりの気遣い。これを知るのは地底の彼女を慕うみんなと私ぐらいじゃないだろうか。
だが――。
「ふふっ……あははっ……」
「なっ、なぜに笑う!?」
「ごめんごめん」
ついつい吹き出してしまう。言い方は違えども、誰かに迷惑をかけたくないという考えではそれこそさっき話していたメディスンと同じだったからだ。口元を抑えて息を整え、ぽんと肩を叩く。
「あなた……きっとメディスンのことが好きになるわ」
「はぁっ?」
パルスィの両の瞳が緑色の満月に変わる様を見て、再び私は、今度はしゃがみ込んで再度笑いに落ちるのであった――。
「遅れちゃったわ……パルスィ、いるかしら……って、うわ……」
務めを終えて無名の丘に来る頃には昼過ぎになっていた。パルスィには場所は教えたがきっと地底の入り口で待っているだろうと思って行ってたら代わりにヤマメがいて、すでに出発した後だということを伝えてくれた。そしてすぐさま向かったら……。
いた。無名の丘の前で。ふわりと彼女の前に降り立ち、声をかける。
「パルスィ」
「ああ、雛か。丁度今到着したところよ」
背中には小さな子供が入れるくらいの大きな黄土色のリュックが背負われている。きっとこの中に道具が入っているのだろう。
「実際にこの目で見て、どれくらいの木材が必要かを決めるわ。じゃあ行きましょ」
「はいはい」
花の咲かない世界に暮らしているのもあるのだろう、パルスィは歩きながらずーっと鈴蘭を興味深そうに眺めていた。花を折らないように気をつけながら進む姿にも彼女本来の優しさが垣間見える。自分が何で地下の妖怪達に慕われているのか解せないと言っているが、気づかないのは本人だけであろう。
「しかし……本当に見事な鈴蘭の花ね。華やかで妬ましいわ」
この妬ましいという言葉ももう何百、何千回聞いたことやら。言葉の割りに声には全く邪気というものがない、定例の決まり文句に笑いそうになる。出会った当初はこれ以上ないぐらいに厄に満ちていたのが嘘のようだ。もちろんいい意味で。
丘と言ってもそれほど大きくはないのでメディスンの小屋にはすぐに着いた。昨日と変わらずボロボロの外装。貧しい村でもここまで朽ち果てているのは見たことがない。
「……修復しがいのあること」
小さく呟くとパルスィがゆっくりと入り口に近づく。コンコン、と律儀にもノックをし、「はーい」とメディスンの声が返ってくる。形だけの扉を開くと、ベッドに座りながら私達に向けて笑顔で手を振っていた。
「こんにちは、メディスン。紹介するね、古い友人で地下に住んでいるパルスィ――って、おーい、パルスィ?」
「……」
じー。
メディスンを見つめたまま微動だにしない。ここには紅魔館のメイドはいないわよね? 眼前で手を上下に動かしてみても効果なし、まさか今頃になって毒でも効いてきたのだろうか? メディスンも立ち上がると心配そうな顔でパルスィの前に近づき、上目遣いで覗き込む。
「あ、あの……大丈夫? もしかして毒、回っちゃった?」
「……はっ。だ、大丈夫。ちょっと外に出るのが久しぶりだったからぼけーっとしてただけよ、あはは……」
愛想笑いを浮かべながらの弁明。むしろ私が固まってしまいそうな光景だ。誰に対してもむすっとした顔つきで応対している彼女が初対面の相手とはいえここまであたふたしているなんて――面白い。
「改めてよろしくね、メディスン。それはそうと、今どうしてこんなにボロボロになるまでここを放っておいたの? 永遠亭の連中とかアリスって子は何をしていたの? たるんでるどころではないわ、これは」
「そ、それは私の方から断ってたの。迷惑かけたら悪いかなって――」
落ち着いたと思ったら今度は興奮気味にまくしたて、小屋の中を指差しながら弾丸のように言葉を紡ぐ。メディスンの方が思わずフォローを入れてしまう具合だ。
「パルスィ、その辺にしなさい。それよりもどう? どれくらいでここを修復できそう?」
本題を入れることでようやく彼女も冷静になり、腕を組んで低い声で唸る。メディスンも心なしか緊張しているように見えた。
昨日までは和やかな雰囲気だったのに、正反対だ。厄を回収するべきだろうか?
「一晩」
「はっ?」
「ふえ?」
「一晩あればできるって言ったのよ。明日の夕方ぐらいまでには終わるわ、むしろ終わらせる」
ぐぐっと両の拳を握り締め、宣言。滲み出るは嫉妬とは無縁の気迫、びくりとたじろぎそうになった。
「ほ、本当なの? パルスィさんっ」
心配そうに声をかけるメディスンに笑顔を向ける。
(笑った!?)
再確認する。……うん、いい笑顔だ。嫉妬妖怪の面影は微塵もない清々しさ、別な意味で厄い。
「ええ。だから今夜は永遠亭とかアリスの家とか……雛、あんたも協力しなさい」
両方に断られたら私の方で面倒を見ろ、ということか。まあ、お節介かけたのも私だし、それ自体には問題はない。私はすぐに頷くと、ただ一人おろおろしているメディスンの頭にそっと手を置き、優しく撫でる。
「大丈夫よ」
「あ……ありがとう、雛。それに、パルスィさん」
「パルスィでいいわ」
さりげなく名前で呼ぶようにアピールまで。……凄い橋姫だ。と、冗談はさておき、一旦メディスンを受け入れてくれるように交渉に向かうことにした私はパルスィに一言かけると、メディスンを連れて飛び立った。近いらしいので、最初はアリスの家へと向かう。
「ねえ、雛。パルスィって優しいんだね」
「……そうよ。こっちが妬ましいくらいに、ね」
「ここを……あっちで、そこは左に曲がるんだよ」
「ふむ……なるほど」
魔法の森はいわば迷いの森で、正しい道を覚えていなければ出てこられない危険が高いと言われている。ゆえに道筋を知るメディスンの指示に従い歩を進めていく。……確かに似たような景色がこうも続いていれば気が滅入るだろう。永遠亭へも竹林を抜けねば行けないというのを
考えても、どちらを選んだとしてメディスンの案内なしでは進めない場所だった。私達の声とギシギシと地面の枝を踏む音だけが薄暗い空間に響く……。
気分転換にこれから尋ねるアリスの人柄について尋ねてみよう。
「ねえメディスン、アリスってどんな子なの?」
「ん? アリスは優しい人だよ。人形にも愛情を持って接してるし。お姉ちゃんみたいで大好きなんだ」
両手を広げ、活き活きとアリスについて話しだすメディスン。その充実した表情からアリスがとても信頼され、慕われていることがわかる。もしここにパルスィがいたら複雑な顔で唸っていることだろう。……あ、多分今くしゃみしたな、あの子。
「きっと雛もパルスィも気に入ると思う」
「ふふ……それは楽しみね」
パルスィは……どうだろうか? と思いながらも頷いておく。そうこうしている間に、同じ景色ばかりであった道にようやく
館が見え始めた。どうやらあそこがアリスの家のようだ。……一人で暮らしている割には広いような気がする。迷った人達を泊めたりしていると聞いたので、もしかしたらそういうのも含めて広めのを設計したのだろうか。メディスンが言うには優しい人らしいので有り得るかも。
「んっ、やっと着いたね。さて、アリスはいるかな~?」
白黒の魔法使い霧雨魔理沙、紅白の巫女博麗霊夢をはじめとしてかなり交友関係は広いらしく、時々留守であることがあるという。だが彼女の家には彼女に従う人形達がおり、メディスンに限っては留守の場合でも家に自由に出入りしてもいいらしい。やはり人形同士通じるものもあるだろうし、アリスもこの子のことを気に入っているのだろう。
コンコン、とメディスンがノックをすると扉が開き、中から人形が出てきた。メディスンは私を指差しながら人形に向かって一言二言声をかけ、すると人形も私の方へ向きぺこりとお辞儀をし、中に入っていく。「どうぞお入りください」と言ってるのだろうか?
「アリスは今、魔理沙の家に行ってるみたい。そんなに遅くならないらしいから上がって待ってようよ」
ちょいちょいと促すメディスンに促されるまま、私は小さく「お邪魔します」と言ってアリスの家へと入っていった。
「じゃ、紅茶淹れるから待っててね」
「わかったわ」
台所へと向かうメディスンを見送ると、椅子に腰掛けて居間をぐるっと見回す。さすが人形遣いの家とあってたくさんの人形の姿があり、驚くべきはどの人形も自分の意思を持っているかのように動き回っているのだ。本を読んでいたり、鬼ごっこをしていたり。その様子は小さな子供達が遊びまわっている風にも見える。
「お待たせっ」
声に視線を返すと二つのカップを置いたお盆を持ってにっこりと笑うメディスンの姿が。両肩にはそれぞれ人形が飛んでおり、きっと彼女のお手伝いでもしていたのあろうと窺えた。テーブルにカップを置くと、人形達が空になったお盆を持ち、台所へと運んでいく。
「ありがとう。それにしてもすごい数の人形ね……ちょっと驚いたわ」
「私も初めてみんなと会った時は驚いたけど、それ以上に嬉しかったわ。みんないい子だし、こうしてみんなに囲まれていると気持ちも落ち着くんだ」
向かいの椅子に座り、安堵の息を吐くメディスン。昨日から今日まで色んなことがあったから多少の疲れはあるのだろう。しかし表情には一片の陰り……黒いものはなかった。最初に会った、無邪気で真っ白なまま。
「やっぱり人形さんと一緒にいるのが嬉しいのね。今のあなた、幸せそうよ」
「……うん。今は……毎日が楽しい。永琳達にアリスにこの子達に……それに、雛とパルスィにも会えたから」
「メディスン……」
嬉しいことを言ってくれる。心から言ってくれているのが伝わるから胸まで熱くなってきた。パルスィが胸キュンになったのも頷ける。とても可愛い子だ。
カップを口元まで運び、一口啜る。ほどよい甘みと香りが広がり、気持ちを落ち着かせてくれる。
「美味しいわ、メディスン」
感想をそのままに述べただけなのだが、メディスンは頬を染めて自身も紅茶を飲みだした。まるで照れ隠しでもしているかのような仕草もまたキュート。もちろんこんなことは言わないけれど。私も微笑ましく見つめるだけで声はかけず、引き続き美味しい紅茶を楽しむことにした。
「……こんなものかな」
時計があるのなら丑三つ時に入っただろうか? 暗闇の中、パルスィの声だけが響く。鈴蘭の白さも太陽の光のない闇の世界では少々目立たない、やはり花は明るい世界こそが似合うのだろうと認識させられる。
「さすがに疲れた……ちょっとだけ、休もう」
修復を終えた小屋に入り、新調したベッドにごろんと横になる。明るくなったら里に行って布団や毛布を調達しておこう。
あとはランプ等も仕入れた方がいだろうか……と、横になっても色々と考えをめぐらせている自分が滑稽に思えて、くすっと一人笑う。
(まさかこの私が誰かのためにここまでするなんてね――)
不思議と後悔も、ましてや嫉妬も湧かなかった。その原因は実に簡単なもの。
(――あの笑顔のせいね、きっと)
花のような可愛らしい笑顔。真っ白で清々しささえも感じた。あれでは妬みようもない。
太陽の下で満開の花の中で笑顔で佇む彼女――その姿はきっと確実に眩しいもので、暗い世界で
妬みを糧に生きてきた自分には辿り着けない。でも、近くで見ることができるなら――これ以上の贅沢はないだろう。
(またあの笑顔――見れるかしら?)
薄暗い部屋の中、緑色の瞳はじばらく閉じることがなかった。
……パルスィが横になる数時間前まで遡る。夕食の時間近くになって、ようやく家主の
アリスが帰ってきた。人形遣いというがむしろ彼女こそが人形ではないかと思う美しさ、メディスンと
肩を並べた姿は仲の良い姉妹そのものにみえる。
「本来なら私がしなければならなかったのに……申し訳なかったわ」
謝るアリスに私は恐縮しながらもこっちで強引に進めたもので――と答えた。互いに謝りあう私達を見て笑うメディスンにつられて私達も顔を見合わせて笑い出す。
「今日はうちに泊まっていって。明日パルスィって子にも挨拶させてもらうから」
「ありがとう、じゃあお言葉に甘えちゃおうかしら」
「わーい、じゃあ今日はみんなで一緒に寝よう!」
え?
……気がついたらアリスの部屋で3人川の字になって横になっていた。……そうそう、アリスの作った
夕飯はとても美味しかったわ。
「ふふ、メディったら気持ちよさそうに寝てるわ」
メディスンを真ん中に、右に私、左にアリス。しかしここのベッドは広すぎないだろうか? 人形達に好かれているらしいから、案外時々は人形達と眠っているのかもしれない。
なお、『メディ』というのはアリスがあの子を呼ぶときの愛称で、信頼を置いた相手にのみそう呼ばれるのを許すらしい。
「結構変なところで頑固というか気を遣いすぎるというか……遠慮するのよ。だから今回は
あなたたちみたいに少々強引にでもいったのが正解。改めて礼を言うわ。いくら妖怪化しているとはいえ雨や雪等で痛む部分は必ず出てくるから……」
「くすっ、それだったら私よりももっと評価するべき相手がいるわ。今頃誰か噂してるなって思ってる頃じゃないかしら」
「謙遜しなくても……いえ、じゃあそういうことにしておきましょうか」
メディスンの寝顔越しに笑いあう。
「パルスィとの挨拶もあるし、そろそろ寝ますか。おやすみ雛」
「おやすみ」
瞼を閉じると心地よい眠気が押し寄せ、次第に私を夢の世界へと誘ってくれた。
翌日、というか早朝、私達は無名の丘へと急いだ。私達が起きる頃には既にメディスンは着替えも済ませていて、準備は万端だった。
丘に着くと、3人とも感嘆の息を漏らす。見事なまでの修復、いや、これは新調というべきか。新品の木材で、屋根も赤く塗られており、入り口前には可愛らしいポストまでついてある。(鬼などの存在により目立ってはいないが)身体能力に定評があり、多少の建築の覚えはあると
言っていたとはいえ、一晩でここまでやるとは……本気以上のものを出したのだろう。
驚くのもそこそこに小屋の中に入るが、パルスィの姿はなかった。
「一体どこに――」
キョロキョロ周囲を見渡せども姿は見えず。声も聞こえず。
「うわあ……ベッドがすっごいふかふかだー」
ベッドに転がり弾力を楽しむメディスンに心が和むが、ヒーローは相変わらず現れない。
「暗くなったときのためのランプ、棚、テーブル、机。どれも見事な出来栄えね。窓も完全に新しいのに替えられている。あの小屋とは思えない」
アリスも唸る。全くだと返事を返そうとしたが――
「あっ、パルスィだっ!」
メディスンの声にかき消され、声の方を向くとベッドにいたはずのメディスンはすでに外に出ていて――
「パルスィー!」
「ひゃあああっ!?」
思いきりパルスィに飛びついていた。当のパルスィはすっかり固まってしまっていて、口をパクパク動かして言葉にならない声を発している。ピンチだ。主に理性的な意味で。彼女にはメディスンの真っ直ぐさが効果覿面すぎるから。
「お、おお、落ち着きなさいメディスン」
落ち着いてないのはあなたです。と心の中でつっこんで、私達も一足遅れて外に出る。
「ご苦労様、パルスィ。疲れたでしょ? ほら、中に入って」
メディスンに目配せをするとぱっと離れてくれた。これでパルスィも何とか落ち着きを取り戻したようで、ぎこちなく首を縦に動かし、小屋に向かって足を進め始める。
「パルスィ、本当にありがとうね! おかげでこんなに素敵な家になったよ!」
ぺこっと可愛らしくお辞儀をするメディスンを前にし顔を赤くして頭を掻くパルスィ。あー、うーと
言葉に詰まっていたがやがて小さな声で「どういたしまして」と言葉を搾り出した。ここまで素直な橋姫は地底のみんなも見たことはないかもしれない。そこへアリスもパルスィのもとへ近づく。
「私からもお礼を言わせて。ありがとう」
「うっ……」
ぎこちなく首を縦に動かして頷く姿には照れ以外にも色んな感情が混じっているのが私にはわかる。もしこの場にメディスンがいなかったらもっと早く修復してやればよかったと突っかかってた可能性が高い。
「ほら、握手握手」
これに乗じて私も先手を打つ。パルスィとアリスの手を引っ張って近づけ、掌同士を合わせる。アリスは穏やかに微笑むとそのままぎゅっとパルスィの掌を包み込んだ。こうなればパルスィももう観念して握手を交わさざるを得なくなった。かくして、無駄に厄い因縁は回避されたのだ。
ひと段落ついたところで、アリスがパルスィにもお礼をしたいと言い出し今度はパルスィを加えてアリスの家に戻ることになった。彼女の性格からして最初は遠慮しようとしていたが例によってメディスンもアリスの意見に賛成し、瞳をキラキラ光らせてお願いしてきたのであえなく陥落、「仕方ないわね」と照れ隠しめいたことを言い、同行を決めたのである。
そして――。
「ねえ、地底ってどんなところなの? お花はないの?」
「そうね……太陽の無い世界だし……花はないわ」
「雛の服もなかなか素敵なデザインね。今度人形達に作る新しい服の参考にしたいわ」
「あはは……厄がついても知らないわよ?」
私にパルスィ、アリスとメディスンで一つの卓を囲み。周りでは人形達がひしめき合っていて。
メディスンがあれこれ質問してくるのに対してパルスィが時折言葉を詰まらせてぎこちなく答えて、私が適度に相槌やフォローを入れて、アリスも会話の流れがスムーズになるようにさりげなくまとめて……そしてメディスンが笑顔を輝かせる。それを見て私達も心が洗われたように安らぐのであった。毒を操るという彼女であるが、その無垢な笑顔には優しい毒が込められているようだ。
こんな毒ならば大歓迎。厄神の私がこんなアットホームな雰囲気に浸れるとは今まで夢にも思わなかった。パルスィも同じ気持ちだろう。
人々から厄を集める神と故に恐れられる場面は何度も味わった過去がある。そんな経験もあるからか、パルスィとも馬が合うのかもしれない。
そしてそんな私達が戸惑いつつも温かさを覚える、それをアリスとメディスンは与えてくれるのだ。
「ふふっ……ふぁ……」
雑談に笑顔を見せていたパルスィが、目を細めて小さく欠伸をする。そういえば徹夜で小屋を修復してくれていたのだ、ここまで普通に談笑していてすっかり忘れていたことだったが。みんなも気づいたらしく、少しばつが悪そう。
「ご、ごめんねパルスィ、すっかり話し込んじゃって……」
メディスンが慌てて謝罪するとパルスィはメディスンの頭に手を置いて、
「気にしなくていいのよ。楽しかったし……」
優しく諭すように声をかけている。アリスも続いて客室で休むように声をかけてくれ、私はパルスィにお供し一旦アリス達と離れることになった。アリス達は一度無名の丘に行って、小屋に足りない備品はないかチェックしに行くというのでしばらくは留守を務めることになる。といってもこの家に訪ねてくるようなのは白黒の魔法使いとかぐらいで、特にやることはないだろうと
言われたのでパルスィが休んだら居間で手伝いできることはないか探してみよう。
二人に背を向け、パルスィと共に客室へと向かう。冗談半分で肩でも貸そうかと言うとさっきメディスンに向けていた笑顔とは180度変わった不機嫌な目つきで「結構よ」と言われ少しショックを受けたのは内緒だ。
部屋に入るとパルスィも私もぐるりと室内を見回していた。部屋はそこそこ広く、ベッドに棚、机に椅子が置かれている。
ベッドも一人で寝るには大きく、二人、子供なら3人は寝れそうな大きさだ。このような客室があといくつかあるのだと思うと、改めて感心するほかない。
「一人で……しかもこんな人がほとんど来ないような森の中でこんな立派な家を建てるなんて……」
「……いえ」
思い出した。そういえば彼女は森で迷った人間を見つけると家に泊めて、翌日には帰り道の案内まで
してくれることを。そういうことも視野に入れてこのような構造にしたとすれば……。
「……妬ましいわ」
それを伝えようとすると、先にパルスィが呟いた。
「本当に妬ましい……」
もう一度そう言うとベッドに入り、そのまま瞳を閉じる。言葉の割に、充実した表情に見えた。
少しして寝息が聞こえたのを見計らい、私は部屋を出る。きっと、私も彼女みたいに穏やかな顔をしているのだろう。
アリス。メディスン。
二人の少女との出会いは厄と嫉妬に「心地よさ」を与えていた。
結局、この日はもう一晩アリスの家にお世話になり、翌日の朝にようやくそれぞれ帰路に就く事にした。メディスンは鈴蘭畑に帰ったので、玄関先ではアリスが私達を見送ってくれる。
「そうそう、メディが二人に用事があるって言ってたから、よければ行ってあげて」
「え? え、ええ。わかったわ」
「いつでも遊びに来ていいから。……それと、これからもあの子を――」
そこでパルスィが腕を伸ばして制す。『言われるまでもない』という意思が瞳に込められている。アリスもそれ以上の言葉は飲み込み、代わりにこう言った。
「またね」――と、笑顔で。
それがなぜか、心にずっと響いていた。
無名の丘に着き、小屋の前に降り立つ。これならば鈴蘭の花を踏む危険性が最も少なくなるから。……先に言い出したのはパルスィであるが。早速扉をノックすると、勢いよく開いてメディスンが姿を現し、私達を見て笑顔を眩しく光らせる。
「来てくれたのね、嬉しいわ」
「こっちこそ、新居の居心地はどう?」
「おかげですっごく快適! 本当にありがとう」
パルスィの方を向き、上目遣いで笑いかける。これは……強烈だ。やはりピンポイントだったらしく、
パルスィが口をパクパクさせている。口の動きから「べ、別に……」と言っているようだ。今の彼女が会話に参加するのは厳しいので私が間に入ることに。
「それで、用事って何かしら? もしまだ足りないのとかがあったら力を貸すわよ?」
「ううん、そうじゃないの。ちょっと待ってて」
首を横に振ると後ろを向き、寝室の方へと歩いていく。どうやら何かを持ってくるみたいだ。
やがて戻ってきた彼女の手にあったのを見て、私もパルスィも息を呑んだ。
小さな手が持っていたのは、2個の――鈴蘭で作られた首飾り。鈴蘭の花のひとつひとつが丹念に集められ、白い清楚な雰囲気を醸し出す。
「これくらいでしか……お礼できないけど……受け取ってもらえる?」
少しの間。私が動くより一瞬早く、パルスィが前に出て、片方の首飾りを取る。私も続けて受け取り、
「ありがとう」というお礼の声が重なった。
「あっ……」
またも同時に声が。
「……ふふっ、あはははっ!」
メディスンが笑う。十秒ほど遅れて私も笑い声を漏らす。そして――。
「――うふふっ」
最後にパルスィが、手を口元にやり、控えめに笑った。
「それと……今度から私のこと、メディって呼んでいいよ」
アリスが言うには『メディ』と呼ばせるのは親愛の証だという。つまりは……。
「いいの?」
「うん。二人とも私の大事なお友達だもん」
ぎゅっ。
右と左の手を伸ばし、私とパルスィの手を握ってくる。
――温かい。「あ……」と驚きの声を出し、情けないが恥ずかしくてそれ以上の言葉が出てこない。
『友達』
メディスン――いや、メディははっきりと言ってくれている。ならばそれを返すのが礼儀なはず。
頭ではわかっているが行動に移るまでには届かない。時間にすればきっと十秒ぐらいだろうが、私には
長く感じた。
「メディ……」
やっと口からその言葉が出ると胸がすーっとした。厄を全て流し終えた開放感に近いものがある。最も、これは緊張が解けた安堵感なのだけど。
「うん、よろしくね雛」
にぱー。笑顔を向け、そして次に視線がパルスィに移る。
「そうだ! パルスィのことパルって呼んでいい? こっちのが可愛いでしょ?」
笑顔で爆弾発言。いや、すでにこの笑顔からして爆弾級であるからパルスィにとっては核爆発並みの衝撃か? 愛称で呼ばれるなんて多分初めてのはず……。
「……ぐぉ」
見事なまでの陥落。ていうか何だその言葉は。いや、「ぬわー!」とか叫ばれるよりはマシだが。
「ど、どうかした? 嫌だった?」
少し不安そうになるメディ。ここはフォローを入れなければなるまい。
「心配ないわ。嬉しすぎると呆然としてしまうの、彼女」
「ひ、雛!」
あ、何とか意識は戻ったみたいね。
「ほら、今は私よりメディに返事なさい」
じー。
期待と不安の篭った眼差しを向けるメディ。パルスィは胸に手を当てて3回ほど深呼吸をして、ようやくメディと視線を合わせた。
「い、いいわよ。私も……め、メディって呼ばせてもらうからね」
「本当!?」
両手を胸に置き嬉しそうに瞳を輝かせる。このままぴょんぴょん飛び跳ねてしまいそうな勢いだ。パルスィも頭を掻きながらコクコク頷く。無論照れ隠しなのは明白。
「ええ……メディ、これからもよろしく」
「うん!」
その後も結局数時間ほど過ごし、帰路に就いたのは昼過ぎであった。
――ちなみに帰り道でふざけて私も「パル」と呼んだら本気で睨まれた。
メディ、そしてアリスとの出会いは私とパルスィの日常をも変えていった。
厄神の勤めを終えて無名の丘に行きメディと鈴蘭を眺めながらの談笑は一仕事終えた充実感をこれまで以上に大きくしてくれたし、アリスの家も時々訪ねるようになった。
しかし私以上に変わったのはもちろんパルスィであろう。何せ、自らの意思で地下を出てメディの行っているのだから。
それと、花に関する本も人里で買ったりしているらしい。地底では花は咲かないし、以前の彼女は全く関心を持っていなかったので、影響を与えたのが誰であるかは確定的に明らかだ。アリスとメディの前では私達も厄神、橋姫ではなく二人の友人「鍵山雛」、「水橋パルスィ」として自然でいられる。
そして今日。
私達は四人で外を遊びまわることになった。あまり人の多いところに行くのが苦手だというメディが言い出したのだ。
「みんなとなら怖くないから。それに、視野を広めろって閻魔様にも言われてるしね」
頼りにしてます、という感じで私達を見渡してきたらそりゃあ頷くしかないってもの。もちろんみんな快く了承し、まずは人里に行ってふらふらしてみることに。メディを真ん中に、前を私とパルスィで固め、後ろにはアリスがつく。完璧な布陣だ。
「メディ、気分とか悪くない?」
「へ、平気。でも……ちょっと恥ずかしいかも」
確かに。三人に守られるように歩いているこの姿では外敵からは守れるだろうが奇異の視線というものには逆効果である。
「でも、離れたら心細くなる……でしょ?」
アリスの言葉にメディがうー、と唸り黙り込む。どうやら当たりのようだ。
「なあに、因縁つけてくる奴がいたら返り討ちにすればいいのよ。メディを緊張させる
人間達が妬ましいわ」
いやいや。妖怪らしいらしいかもしれないけど今日は穏便にしてほしいわ。そんなに怖い顔しなくても……あ、今通りすぎた子供半泣きしてた。本来なら厄を回収しなければならないんだろうけど――。
(今日はメディの友人としての「鍵山雛」だから)
心の中で謝りながら傍観を決める。たまには神様らしくないことをしてもいいだろう。
「ねえパル、地底の世界ってことはお花って無いんだよね?」
「そうね……あそこに住んでからそういうのは見たことがないわ。でも、メディから貰ったお花の首飾りは家にずっと飾っているの。『珍しい』ってみんなにも評判なのよ」
「あはっ、そう言われると嬉しいな」
パルスィとメディが会話しているので私は少し後ろに下がり、アリスに声をかける。
「ところで、これから何をするの?」
「糸が足りなくなってね……ちょっと買いに行って、その後はその辺を散歩しようかと」
そこでひとつ提案。
「ねえ、それなら私がいいところへ案内してあげよっか?」
散歩するというのなら、お薦めの場所がある。アリスが口を開こうとしたところで、
「いいところ? それってどこ?」
会話が聞こえていた(当然といえば当然だが。距離も離れてないし)らしく、メディが口を挟む。
「内緒。ばらしたら楽しみが減るでしょ?」
「……ああ、もしかしてあそこ? うん、確かに悪くない選択ね」
パルスィは気づいたようで、一人頷く。メディが「教えてよパルぅ」とねだるが
「お楽しみ」と笑うだけ。ナイスフォローだ。メディにはちょっとだけ我慢してもらおう。
「ぶー」
頬を大げさに膨らませるメディの頭を撫でながら、まずは糸を買いにいくことに。店に着くと早速
アリスが並ばれた糸を手に取って物色を始める。人形達の服等にでも使うのだろうか? 糸でさえも
簡単に選ばずにじっくりと見ていく辺りのこだわりはさすがだと言わざるを得ない。
「そういえばパルスィは裁縫したりはするの?」
「そりゃするっての。あ、糸はヤマメに分けてもらってるけどね」
……道理で鈴蘭畑を歩いていても平気なわけか。いや、糸自体は本当にただの糸かもしれないし、まさかね。
「アリスは凝り性だから。でもその分、みんな綺麗で可愛い服が着れるんだよ」
それだけ人形のことにはこだわりが、そして愛情があるのだろう。支払いを済ませているアリスを見ながら、またひとつ彼女のことがわかった。
「お待たせ。それじゃあ雛、案内を頼むわ」
「承ったわ」
さあ、今度は私の番だ。……いや、気合を特別入れる必要はないんだけどさ。
気にってくれればいいんだけど――。
「わぁ……」
水の流れる音。一定のリズムで淡々と繰り返される。すっと目を閉じてしまえば心地よい眠気に
誘われることは必至だろうか。
案内した先は――川だ。いつもは厄を流す場所として使うが、今日はちょっとした息抜きとして、
憩いの場所として選んだ。
「綺麗……」
メディもアリスもじっと川の流れを見つめている。澄んだ水は川の中で泳ぐ小魚や小石などを映し、ささやかな水の世界を披露してくれていた。
「メディは川を見るのは初めてなの?」
「うん。近くには見かけないし……これが川っていうんだ、ふーん」
川辺でしゃがみ込み、右手を伸ばしてそっと指を水の中に入れる。「冷たい!」と言いながらも嬉しそうだ。この笑顔が見れただけでも随分救われたような気持ちになる。
「あはは、お魚さんも泳いでる。うーん……」
近くを魚が横切り、興味津々で手を伸ばすがもちろん水中での魚の動きには追いつけず、手が届きそう
になると素早く動いて回避されてしまう。
「ほらほら、あんまり無茶すると転んじゃうわよ?」
アリスがたしなめるように言うと「はーい」と素直に引っ込む。パルスィは妬ましそうに見ているのかと思ったら予想外に微笑ましげにしていた。別な意味で厄いと思っていると、
「メディ、せっかくだし川の中に入ってみたらどう? 気持ちいいわよ」
とまで言ってきた。確かに膝くらいの深さだから溺れる心配は皆無であるが。
「いいの?」
目を輝かせて私やアリスの顔を見てくる。こんな目を向けられたら頷くしかないじゃないの。私もアリスも笑って頷いた。メディはいてもたってもいられない様子で靴を脱いで素足になるとスカートを捲り上げてゆっくりと川に入っていく。白くて細い太腿が眩しく光る。パルスィも靴を脱ぎ裸足になると川に入り、そっとメディの手を握った。
「ほら、こっちこっち」
「あ、ありがとう。……んっ、何か水が足を引っ張ってるような感じ……でも冷たくて気持ちいい」
パルスィに手を引かれたまま川の真ん中へ。川の水の冷たさ、流れ。全てがメディには新鮮に映っているのだろうことは嬉々とした瞳を見ればわかる。川辺に座って二人の様子を見守っていると隣にアリスが
腰掛けてきた。
「いい妖怪(ひと)ね、パルスィ――」
「ええ。もしかしたら地底で一番優しいかも」
冗談4割、本気6割。元々面倒見がいいのに加えて保護欲を駆り立てられるメディ
の可愛さもある。……私とて例外ではない。
「メディも楽しそう」
全くだ、と相槌を打ち顔を見れば丁度目が合ってしまう。川の流れる音、メディのはしゃぐ声とパルスィの控えめな笑い声だけが響き渡る。私もアリスもそれで満足だった。
しかし。
「雛もアリスもこっちに来て遊ぼうよー」
こちらを向いて両手を上げブンブン振り回しながら呼びかけてくるメディ。手が離れたためスカートが降りて水の中に入りそうになったがパルスィが素早く背後に回ると膝の辺りで押さえる。……何だろう、微笑ましいとは微妙にいえない光景が……。
だがそれを思っているのは私だけのようで、アリスはすくっと立ち上がると「仕方ないわね」といった感じに川へと歩いていく。私も数秒遅れてアリスの後を追った。
裸足になり、スカートを上に捲くらせて丁度いい冷たさの水の中に入るといきなりメディに水をかけられた。
「きゃっ!? ……ふふ、やったな、この」
よく見ればメディのスカートはすっかり水に浸かっていて先ほどのパルスィのフォローが完全に無駄となっていた。当のパルスィも水浸しになっていて、目をごしごし擦っている。どうやらさっきの行為を遊びか何かと勘違いしてきたようで水をかけたらしい。心の中でパルスィを励ましながら私も服の汚れを気にせずに手を川に突っ込み、思いきりメディにかけてやった。
「ひゃっ! 冷たぁいっ!」
「ああ、もうメディ……綺麗な服が水浸しになぁっ!?」
バシャッ! と再びパルスィの顔に水の洗礼が。睨みつける先には何とアリス。
「ふふっ、隙だらけよ?」
右目をウィンクさせ、悪戯っぽく笑う。普段の冷静な彼女とは別のその顔にはメディに近い幼さがあるように見えた。
「全く……妬ましい」
パルスィもようやく観念したのか、みんなと同様に水を――?
「ちょっ、分身するのは反則よパルひぅっ!?」
そしてなぜか私に2倍の水が襲い掛かってきた。理不尽だ。4倍返ししてやる。
――その後全員体がびしょびしょになるまで遊び、アリスの魔法で服を乾かしてもらって水浸しで帰ることだけは免れたのであった。
「せっかくだし、みんなでアリスの家にお泊りしよう」
本来ならここで解散する予定であったが、メディがアリスの家への宿泊を勧めてきた。前もってアリスとも話をつけているらしく、アリス自身も問題ないわと笑う。こうまで言われたら好意に甘えておいた方がいいだろう。
もちろん私もパルスィにもこの好意はありがたいのだし。
「決まりだねっ」
嬉しそうに飛び跳ねるメディを見ればますますそう思う。私もパルスィも終始頬の緩みが止まらなかった。
アリスの家に着く頃にはすっかり日が沈み、森も真っ暗になっていた。こうなると元々危険であるというこの森はますます迷いやすくなるので好意抜きにしても泊まっていく方が懸命である。
そんな森の雰囲気とは真逆に、アリスの家の中は人形達で賑やかだ。人形達も私とパルスィの顔を覚えてすっかり懐いている。人形達に話しかけたり抱きついたりと挨拶を交わしていたメディだったが、やがて台所へと歩いていった。アリスいわく今日の夕飯はメディが作るとのこと。おそらく、遊びに行く前から決めていたことだったのだろう。少し熱いものがこみ上げてくる。
「料理は以前からちょくちょく教えてたんだけどね……最近お菓子作りの指導も頼んできて。
本当にあの子は一生懸命で、何より純粋」
アリスの言葉にも頷くしかない。背中を向けて人形と戯れているがパルスィも同じ気持ちだろう。
……というか妙にマッチしていないかその姿。
「……そう。あの子とあの子……どっちも……ふふ、贅沢なのね」
私には何も聞こえなかった。厄いなんてこれっぽちも感じてないわ。
そんなこんなでだらだらとした時間を過ごしていたら、メディが来た。鈴蘭の花柄のエプロンをつけた
姿が可愛らしく、この姿で料理をしていたのかと考えると思わずニンマリしてしまう。
「ご飯、できたよ」
「ありがとう」
そしてなぜか男前な顔でキリッと礼を述べる橋姫様。何だ、お前は兄にでもなったつもりかと。
そういうツッコミも飲みこんで、卓へと向かう。メディが一生懸命作った手料理の前だ、細かいことは気にしない。
人形達も協力し、テーブルに次々と料理が運ばれる。白飯に味噌汁、煮物に和え物……見事な和食のオンパレード。
「永琳がお米とか分けてくれてたから、それを使わせてもらったの。幽香も協力してここまで持ってきてくれたんだ」
今日この日に備えて何という完璧な下準備。手際のよさに感心するばかりだ。
「雛、冷めないうちにいただかないと失礼よ」
そう言うとパルスィはイの一番に「いただきます」と手を合わせ、箸を伸ばしだした。私もアリスも送れて「いただきます」と言い食事にかかる。
「この山菜の煮物、よく煮込んでて味が染みてるわね……はふっ」
口をモゴモゴさせて満足そうに頬張っているパルスィ。私も彼女に倣って山菜を口に入れると言ってた通り、よく煮込まれていた。
「アリス、これもあなたが?」
「いえ……確か永遠亭でだったわよね、メディ」
「うん」
「美味しいわ、メディ。おかわりあるかしら?」
もう全部食べたのか。本当に食器が全部空になっていやがる。メディは照れた感じで顔を赤くしながらも頷き、台所へと小走りで向かっていった。
「パルスィ……あんまりがっつかないの。マナーが――」
「こういう時は好意に思いっきり甘えないと逆に失礼に当たるのよ」
橋姫のあなたがそう言うとすっごい違和感があるんですけど。……アリスも苦笑いしているし、料理自体は本当に美味しいから野暮なツッコミはしないけどさ。
「パルー、おかわり持ってきたよー」
「ありがと、メディ。……そろそろあなたも食べなさい。後で一緒に本でも読みましょうか」
「うん!」
――全く。
「――というわけでお姫様は王子様と幸せに暮らしましたとさ。めでたしめで――メディ?」
パルスィが本を読み終えて顔を上げると、メディが肩にもたれかかった。目を閉じて小さく寝息を立てている。どうやら眠ってしまったらしい。
「たくさん遊んで疲れたんでしょうね」
アリスはそう言うとメディの背中と膝裏に手を伸ばしそっと抱き上げた(この時パルスィが心底羨ましそうに横目で見ていたのだがあえて見なかったことにしておく)。寝室に向かうようだったので私達も同行することに。
「二人とも今日は本当にありがとう。メディもすっごく喜んでいたわ」
「――友人として普通のことよ」
ぶっきらぼうだが顔を赤くするパルスィ。だが私も彼女の言葉には賛成だ。
「私達もあんなにはしゃいで遊びまわったのは久しぶりだし……むしろこっちが感謝したいぐらいよ」
「ふふっ……そうだったわね、ごめんなさい」
ベッドに横にさせ、3人で小さな眠り姫の寝顔を眺める。すると唐突にアリスが話を切り出してきた。
「ねえ、今日は4人で寝ない? たぶんこの広さだったら可能だと思うの」
これには私もパルスィも顔を見合わせた。だが、すぐに――。
「いいわよ」
「――たまには、悪くないかもね」
自然と口から言葉が出ていた。
可愛くて、でも時々変に気を遣っちゃって無理をしようとしてほっとけない子。
素直で何事にも一生懸命な子。
一緒にいると温かい気持ちにさせてくれる子。
小さな寝息を立てている小さなお姫様は私達に届けてくれる。
――よくぞまあ4人で寝れる広さね、このベッド。
――小さい頃、家族みんなでひとつの部屋で寝たことがあるの。賑やかで温かかった。その名残りかもね。
――かもねって、自分のことじゃないの? 照れ隠し?
――トップシークレットよ。
――厄いわね。
――妬ましい。
翌朝。楽しい時間というのはあっという間に過ぎていくというありきたりの表現だがこれほど
その通りだと感じさせられるものもそうはないだろう。メディを無名の丘まで送り、一同はそれぞれ解散することになった。
「メディ」
屈んでメディに目線を合わせたパルスィが右の掌を広げる。そこには一個の種。
「ありがとうね。きっと、地底に綺麗なお花を咲かせてみせるわ」
さっき分けてもらったという鈴蘭の種。驚くことに、地底の世界で鈴蘭の花を咲かせるのだという。常識的に考えれば太陽の光の届かない世界で花が咲くとは思えないが、ここの……メディを見守ってきた鈴蘭の種だったら……。
優しく笑いながらメディの頭を撫でるパルスィを見ると、本当に地底で可憐に咲いている鈴蘭の花が頭に浮かんでしまう。
「大丈夫、きっと咲くわ」
アリスの声にもお世辞とかそういうのは全くなく、そうなるに違いないという確信に満ちていた。だから私も頷いた。
「うん……お花が咲いたら教えてね?」
「もちろん」
綺麗に澄んだ緑色の瞳が真っ直ぐにメディを捉え、寂しそうだった表情がみるみる明るくなる。
そう、私達は友達。
これっきりではないのだ。これからもたくさん遊んで、いっぱい思い出を作っていける。
だから悲しむ必要なんてないのだ。
「じゃあ、メディ」
心からそれを込めているから、この言葉を。
――またね。
四人の声が重なると少し強い風が吹いて鈴蘭の花が揺れる。
まるで、手を振っているようだった。
私は気分転換に普段はあまり行かない場所を散歩しようと思った。
神様とて休みたいと思うことはある。厄を集める以外、プライベートで楽しむ時間も欲しいものだ。川辺を散歩してにとりととりとめのない雑談を交わしたりするのも悪くないのだが、あいにく今日は忙しいとのこと。
さてと、探検するにしてもどこに行くべきか。腕を組んで考える。せっかくだし行ったことがない場所にしてみよう。
「紅魔館……は厄そうだし、永遠亭は迷うらしいし……地下……も結構骨が折れるわね」
しばらく考えていると、いつぞやか耳にした噂を思い出す。
『鈴蘭の咲き乱れる綺麗な丘がある』
「鈴蘭……か。お花の中でのんびり過ごすのも気持ちよさそうね」
目標決定。噂に聞いた場所、無名の丘の鈴蘭畑へと私は歩を進め出す。
「噂に聞いた通り……いえ、それ以上だわ……」
目的地である無名の丘に到着し、一歩踏む入れた先に広がる鈴蘭の花、花、花――。見事なものだ。
見る者を圧巻させるぐらいに白い鈴蘭が海となって、風に揺れて波立つ。それは一種の芸術作品にさえも感じてしまう。
このまま風の音を聞きながらこの花達を眺めておくのも日頃の忙しさを忘れられ、リラックスできそうだ。
――だが。
「――この感じは……」
肩に力が入り、周囲を見渡す。誰かがいる。人間ではない。少々変わった気配だ。
気配の方角へゆっくりと視線を向けると、一軒の小屋……というよりは廃屋に近いが……ボロボロの木造小屋がある。
壁や屋根のあちこちに穴が開いており、これでは雨も凌げないし、冬になったら雪も入り込んで中が積もるだろう。
簡潔に言えばとても住める環境ではないであろう寂れた小屋にその気配は漂っている。
「ふむ……」
両手を後ろに組んで、しばし考えこむ。だてに厄神ではない、感じる気にはちょっとした黒いものを感じた。
こんな寂しい小屋にいるのだ、ある意味では当然かもしれない。しかしそれはそれで気になるものだ私は興味を覚えてゆっくりと小屋の方に歩みを進める。鈴蘭をなるべく踏んだり折ったりしないように気を使いながら。
いざ小屋に着くと、扉も壊れているようなので開けずとも中の様子が見渡せた。といっても質素なもので、今壊れても不思議ではないであろう椅子と机とベッドが置いてあるだけ。そしてそのベッドにここの主は横たわっていた。
「すぅ……すぅ……」
かすかに聞こえる寝息は彼女が生きていることを証明してくれる。
両手を胸の前で組んで眠る姿、寝息さえ聞こえなければ精巧な少女の人形に見えただろう。
赤い洋風のドレスのような服に身を包んだ幼い少女が可愛らしい寝息を立てている。ゆっくりと近づき、近くで顔を覗き込む。
――可愛い。
声に出しそうになったが起こすのは気が引けて、ぐっと飲み込む。
私は椅子をベッドの横に置き、そこに腰掛けるとしばらく愛らしい寝顔をぼーっと見つめていた。こんな所にあどけない姿の少女がいるとまでは耳に入っていなかった。おそらく、噂を流した人々はここまで辿り着けなかったのだろう。鈴蘭の毒に阻まれて。私は厄神であり、そういった毒気に
多少は耐性があるから問題はないのだけど。
「まあ……人間ではないでしょうけど。それを引いても幼い……か」
少女からは鈴蘭の花達から立ち込めていた毒の力を感じる。おそらくは毒を制御できるのだろう。ガラスが割れていて役目も果たせない窓から鈴蘭に視線を移す。私は花の心までは読み取れないので完全に理解はできないが、花達はこの少女を悪くは思っていないようだ。
どれくらい時間が経ったのだろうか。空の色は変わらず青いままだからそんなに長くは経過していないとは思う。一分を一時間と感じるようにのんびりとした時間の流れ。昼寝でもしたらよく眠れそうだ。最も、ここはこの少女の住処だろうから好き勝手にはできないが。それに、ベッドは少女が占領しているし。聞こえるのは少女の寝息と風の音だけ。安らかな時間であった。
「んっ……」
もぞもぞと少女の体が動く。まずい、神ともあろう者が住居不法侵入したら顔が立たないわ。少女が起きる前に飛んで逃げようかと体に力を入れたが――。
「だぁれ?」
目を閉じたままであるがはっきりとそう言った。そのままゆっくりと体を起こすと今度はぱっちりと目を開く。
「うっ……」
その綺麗な瞳と目が合うとドキリとしてしまう。澄んだ瞳というものはどんな宝石よりも輝いていると私は日頃から思っている。
「……お姉さん、綺麗だね。それに何か服も私にちょっと似てるかも……」
「あ、あはは、ありがとう。それと初めまして。私は鍵山雛、厄神で――」
私は簡単な自己紹介を済ませると、この無名の丘まで来た経緯と、勝手に小屋に入ったことを謝罪した。少女は「別にいいよ。それよりもよく毒にやられないで来れたね」と笑った。怒られていないようなのでとりあえずはセーフか。
「いつも厄を集めているから、多少の毒は平気なのよ」
「ふーん。毒が効かないなんて永琳以外にもいたんだー」
永琳――とは永遠亭にいる薬師のことだろうか。いや、そうに違いない。
「そうそう、私はメディスン・メランコリーっていうの。よろしくね、雛」
屈託のない笑顔を浮かべると小さな手をそっと指し伸ばしてくる。私も「こちらこそ」と笑顔で握手を交わし、ひとまずは自己紹介を無事に済ませられた。
「メディスンは一人で住んでるの?」
「うん。たまに永琳や幽香、アリス達も来るしお花達もいるから楽しいよ。あ、でも雨が降った時や冬だとちょっとだけ不便かなー。雨だと体が濡れるし、冬だと目が覚めた時に体が雪に埋まってたこともあったしね、あははっ」
改めて小屋の中を見渡せば納得がいく。普通の人間だったら冬は凍死しているだろうが、こんなにあっけらかんと言っている辺りが妖怪……いや、彼女本来がかなり呑気な性格かな。
「さすがにひどい時は永遠亭やアリスの家に泊まらせてもらってるけどね。でも基本はここにいたいんだ。鈴蘭達が寂しがるし」
外の鈴蘭を指差しながら話すメディスン。優しい子だ――と思う。ただ、少々無鉄砲というかなんというか……世話を焼きたいタイプだ。
「そうね……ずっとここにいたいなら、まずは小屋を修復しないと。妖怪だって病気にはなるわ」
「そうなんだけど……私あんまり人と会うの苦手だし……永琳達にも迷惑かけたくないし……」
悩むメディスンを横目にボロボロの室内を見回しながらどうしたものかと考える。私も大工仕事は未経験だ、それにある程度体力のある者で、なおかつ毒にやられずにここまで来れる……。
「――そうだわ」
一人、該当者が思い当たった。ぴったりの人材が。
「メディスン、一日待ってくれないかしら。私が何とかしてあげる」
「えっ?」
驚いた顔で見つめてくる。それはそうだ、会ってちょっとしか経ってないのにいきなりこんなことを言ったのだから。
「でも雛――」
「いいのいいの、誰かに甘えるのも大切なことよ?」
人差し指を立ててウィンク。半ば強引だったがこうしなければきっとこの子は気を遣って断っていたのだろうし、これでいいと心の中で納得させる。
「善は急げ、早速準備に取り掛からなくちゃ。それじゃあメディン。また明日」
「あ、う、うん。バイバイ……」
戸惑いながらも手を振ってくれるメディスンにこちらも笑顔で返して小屋を出て、空へと体を浮かせる。
上空から見下ろすとさっきとはまた違った鈴蘭の景色が楽しめるが今はやることがあるので名残惜しいが無名の丘を後にした。
「こんにちは、それともこんばんはかしら? ここだと日中も夜もわからなくて」
「……おそらく、夕方くらいじゃないの? で、何か用事でも?」
はるばる来たは地底。目の前でむすっとした顔をしている緑眼の娘は橋の番をしている水橋パルスィ。嫉妬を司る彼女と厄神である私は変にウマが合い、こうして時々世間話をすることがある。一見無愛想に見えるだろうがこれが彼女の基本スタイルで、特に不機嫌だとかそうではない。こう見えても面倒見はよく、地下の住人に頼まれごとをされるとぶつくさ言いながらもこなしてくれるのだ。
「話が早いね。実は……」
私は今日のことを全て話した。無名の丘、メディスン、最後に小屋の修復の依頼。話を終えると、パルスィは視線を外し橋の下を見下ろす。
「ふーん……話を聞く限りだと、そのメディスンって子、いい子なのね」
「そうよ。可愛らしいし。でもちょっと遠慮がちなところがあるかもしれない」
「……」
目を閉じて、じっと立ち尽くしているパルスィ。考えを巡らせているのだろう、私も声をかけずにただじっと彼女の返事を待つ。やがて目を開き、一人頷きながら視線を戻した。
「準備するから……今日は帰りなさい」
「手伝うよ?」
すると緑眼の眼差しがきつくなる。
「あんたは務めがあるでしょ、私なんかよりもずっと大事なことが」
つっけんどんな言い方だが、これも彼女なりの気遣い。これを知るのは地底の彼女を慕うみんなと私ぐらいじゃないだろうか。
だが――。
「ふふっ……あははっ……」
「なっ、なぜに笑う!?」
「ごめんごめん」
ついつい吹き出してしまう。言い方は違えども、誰かに迷惑をかけたくないという考えではそれこそさっき話していたメディスンと同じだったからだ。口元を抑えて息を整え、ぽんと肩を叩く。
「あなた……きっとメディスンのことが好きになるわ」
「はぁっ?」
パルスィの両の瞳が緑色の満月に変わる様を見て、再び私は、今度はしゃがみ込んで再度笑いに落ちるのであった――。
「遅れちゃったわ……パルスィ、いるかしら……って、うわ……」
務めを終えて無名の丘に来る頃には昼過ぎになっていた。パルスィには場所は教えたがきっと地底の入り口で待っているだろうと思って行ってたら代わりにヤマメがいて、すでに出発した後だということを伝えてくれた。そしてすぐさま向かったら……。
いた。無名の丘の前で。ふわりと彼女の前に降り立ち、声をかける。
「パルスィ」
「ああ、雛か。丁度今到着したところよ」
背中には小さな子供が入れるくらいの大きな黄土色のリュックが背負われている。きっとこの中に道具が入っているのだろう。
「実際にこの目で見て、どれくらいの木材が必要かを決めるわ。じゃあ行きましょ」
「はいはい」
花の咲かない世界に暮らしているのもあるのだろう、パルスィは歩きながらずーっと鈴蘭を興味深そうに眺めていた。花を折らないように気をつけながら進む姿にも彼女本来の優しさが垣間見える。自分が何で地下の妖怪達に慕われているのか解せないと言っているが、気づかないのは本人だけであろう。
「しかし……本当に見事な鈴蘭の花ね。華やかで妬ましいわ」
この妬ましいという言葉ももう何百、何千回聞いたことやら。言葉の割りに声には全く邪気というものがない、定例の決まり文句に笑いそうになる。出会った当初はこれ以上ないぐらいに厄に満ちていたのが嘘のようだ。もちろんいい意味で。
丘と言ってもそれほど大きくはないのでメディスンの小屋にはすぐに着いた。昨日と変わらずボロボロの外装。貧しい村でもここまで朽ち果てているのは見たことがない。
「……修復しがいのあること」
小さく呟くとパルスィがゆっくりと入り口に近づく。コンコン、と律儀にもノックをし、「はーい」とメディスンの声が返ってくる。形だけの扉を開くと、ベッドに座りながら私達に向けて笑顔で手を振っていた。
「こんにちは、メディスン。紹介するね、古い友人で地下に住んでいるパルスィ――って、おーい、パルスィ?」
「……」
じー。
メディスンを見つめたまま微動だにしない。ここには紅魔館のメイドはいないわよね? 眼前で手を上下に動かしてみても効果なし、まさか今頃になって毒でも効いてきたのだろうか? メディスンも立ち上がると心配そうな顔でパルスィの前に近づき、上目遣いで覗き込む。
「あ、あの……大丈夫? もしかして毒、回っちゃった?」
「……はっ。だ、大丈夫。ちょっと外に出るのが久しぶりだったからぼけーっとしてただけよ、あはは……」
愛想笑いを浮かべながらの弁明。むしろ私が固まってしまいそうな光景だ。誰に対してもむすっとした顔つきで応対している彼女が初対面の相手とはいえここまであたふたしているなんて――面白い。
「改めてよろしくね、メディスン。それはそうと、今どうしてこんなにボロボロになるまでここを放っておいたの? 永遠亭の連中とかアリスって子は何をしていたの? たるんでるどころではないわ、これは」
「そ、それは私の方から断ってたの。迷惑かけたら悪いかなって――」
落ち着いたと思ったら今度は興奮気味にまくしたて、小屋の中を指差しながら弾丸のように言葉を紡ぐ。メディスンの方が思わずフォローを入れてしまう具合だ。
「パルスィ、その辺にしなさい。それよりもどう? どれくらいでここを修復できそう?」
本題を入れることでようやく彼女も冷静になり、腕を組んで低い声で唸る。メディスンも心なしか緊張しているように見えた。
昨日までは和やかな雰囲気だったのに、正反対だ。厄を回収するべきだろうか?
「一晩」
「はっ?」
「ふえ?」
「一晩あればできるって言ったのよ。明日の夕方ぐらいまでには終わるわ、むしろ終わらせる」
ぐぐっと両の拳を握り締め、宣言。滲み出るは嫉妬とは無縁の気迫、びくりとたじろぎそうになった。
「ほ、本当なの? パルスィさんっ」
心配そうに声をかけるメディスンに笑顔を向ける。
(笑った!?)
再確認する。……うん、いい笑顔だ。嫉妬妖怪の面影は微塵もない清々しさ、別な意味で厄い。
「ええ。だから今夜は永遠亭とかアリスの家とか……雛、あんたも協力しなさい」
両方に断られたら私の方で面倒を見ろ、ということか。まあ、お節介かけたのも私だし、それ自体には問題はない。私はすぐに頷くと、ただ一人おろおろしているメディスンの頭にそっと手を置き、優しく撫でる。
「大丈夫よ」
「あ……ありがとう、雛。それに、パルスィさん」
「パルスィでいいわ」
さりげなく名前で呼ぶようにアピールまで。……凄い橋姫だ。と、冗談はさておき、一旦メディスンを受け入れてくれるように交渉に向かうことにした私はパルスィに一言かけると、メディスンを連れて飛び立った。近いらしいので、最初はアリスの家へと向かう。
「ねえ、雛。パルスィって優しいんだね」
「……そうよ。こっちが妬ましいくらいに、ね」
「ここを……あっちで、そこは左に曲がるんだよ」
「ふむ……なるほど」
魔法の森はいわば迷いの森で、正しい道を覚えていなければ出てこられない危険が高いと言われている。ゆえに道筋を知るメディスンの指示に従い歩を進めていく。……確かに似たような景色がこうも続いていれば気が滅入るだろう。永遠亭へも竹林を抜けねば行けないというのを
考えても、どちらを選んだとしてメディスンの案内なしでは進めない場所だった。私達の声とギシギシと地面の枝を踏む音だけが薄暗い空間に響く……。
気分転換にこれから尋ねるアリスの人柄について尋ねてみよう。
「ねえメディスン、アリスってどんな子なの?」
「ん? アリスは優しい人だよ。人形にも愛情を持って接してるし。お姉ちゃんみたいで大好きなんだ」
両手を広げ、活き活きとアリスについて話しだすメディスン。その充実した表情からアリスがとても信頼され、慕われていることがわかる。もしここにパルスィがいたら複雑な顔で唸っていることだろう。……あ、多分今くしゃみしたな、あの子。
「きっと雛もパルスィも気に入ると思う」
「ふふ……それは楽しみね」
パルスィは……どうだろうか? と思いながらも頷いておく。そうこうしている間に、同じ景色ばかりであった道にようやく
館が見え始めた。どうやらあそこがアリスの家のようだ。……一人で暮らしている割には広いような気がする。迷った人達を泊めたりしていると聞いたので、もしかしたらそういうのも含めて広めのを設計したのだろうか。メディスンが言うには優しい人らしいので有り得るかも。
「んっ、やっと着いたね。さて、アリスはいるかな~?」
白黒の魔法使い霧雨魔理沙、紅白の巫女博麗霊夢をはじめとしてかなり交友関係は広いらしく、時々留守であることがあるという。だが彼女の家には彼女に従う人形達がおり、メディスンに限っては留守の場合でも家に自由に出入りしてもいいらしい。やはり人形同士通じるものもあるだろうし、アリスもこの子のことを気に入っているのだろう。
コンコン、とメディスンがノックをすると扉が開き、中から人形が出てきた。メディスンは私を指差しながら人形に向かって一言二言声をかけ、すると人形も私の方へ向きぺこりとお辞儀をし、中に入っていく。「どうぞお入りください」と言ってるのだろうか?
「アリスは今、魔理沙の家に行ってるみたい。そんなに遅くならないらしいから上がって待ってようよ」
ちょいちょいと促すメディスンに促されるまま、私は小さく「お邪魔します」と言ってアリスの家へと入っていった。
「じゃ、紅茶淹れるから待っててね」
「わかったわ」
台所へと向かうメディスンを見送ると、椅子に腰掛けて居間をぐるっと見回す。さすが人形遣いの家とあってたくさんの人形の姿があり、驚くべきはどの人形も自分の意思を持っているかのように動き回っているのだ。本を読んでいたり、鬼ごっこをしていたり。その様子は小さな子供達が遊びまわっている風にも見える。
「お待たせっ」
声に視線を返すと二つのカップを置いたお盆を持ってにっこりと笑うメディスンの姿が。両肩にはそれぞれ人形が飛んでおり、きっと彼女のお手伝いでもしていたのあろうと窺えた。テーブルにカップを置くと、人形達が空になったお盆を持ち、台所へと運んでいく。
「ありがとう。それにしてもすごい数の人形ね……ちょっと驚いたわ」
「私も初めてみんなと会った時は驚いたけど、それ以上に嬉しかったわ。みんないい子だし、こうしてみんなに囲まれていると気持ちも落ち着くんだ」
向かいの椅子に座り、安堵の息を吐くメディスン。昨日から今日まで色んなことがあったから多少の疲れはあるのだろう。しかし表情には一片の陰り……黒いものはなかった。最初に会った、無邪気で真っ白なまま。
「やっぱり人形さんと一緒にいるのが嬉しいのね。今のあなた、幸せそうよ」
「……うん。今は……毎日が楽しい。永琳達にアリスにこの子達に……それに、雛とパルスィにも会えたから」
「メディスン……」
嬉しいことを言ってくれる。心から言ってくれているのが伝わるから胸まで熱くなってきた。パルスィが胸キュンになったのも頷ける。とても可愛い子だ。
カップを口元まで運び、一口啜る。ほどよい甘みと香りが広がり、気持ちを落ち着かせてくれる。
「美味しいわ、メディスン」
感想をそのままに述べただけなのだが、メディスンは頬を染めて自身も紅茶を飲みだした。まるで照れ隠しでもしているかのような仕草もまたキュート。もちろんこんなことは言わないけれど。私も微笑ましく見つめるだけで声はかけず、引き続き美味しい紅茶を楽しむことにした。
「……こんなものかな」
時計があるのなら丑三つ時に入っただろうか? 暗闇の中、パルスィの声だけが響く。鈴蘭の白さも太陽の光のない闇の世界では少々目立たない、やはり花は明るい世界こそが似合うのだろうと認識させられる。
「さすがに疲れた……ちょっとだけ、休もう」
修復を終えた小屋に入り、新調したベッドにごろんと横になる。明るくなったら里に行って布団や毛布を調達しておこう。
あとはランプ等も仕入れた方がいだろうか……と、横になっても色々と考えをめぐらせている自分が滑稽に思えて、くすっと一人笑う。
(まさかこの私が誰かのためにここまでするなんてね――)
不思議と後悔も、ましてや嫉妬も湧かなかった。その原因は実に簡単なもの。
(――あの笑顔のせいね、きっと)
花のような可愛らしい笑顔。真っ白で清々しささえも感じた。あれでは妬みようもない。
太陽の下で満開の花の中で笑顔で佇む彼女――その姿はきっと確実に眩しいもので、暗い世界で
妬みを糧に生きてきた自分には辿り着けない。でも、近くで見ることができるなら――これ以上の贅沢はないだろう。
(またあの笑顔――見れるかしら?)
薄暗い部屋の中、緑色の瞳はじばらく閉じることがなかった。
……パルスィが横になる数時間前まで遡る。夕食の時間近くになって、ようやく家主の
アリスが帰ってきた。人形遣いというがむしろ彼女こそが人形ではないかと思う美しさ、メディスンと
肩を並べた姿は仲の良い姉妹そのものにみえる。
「本来なら私がしなければならなかったのに……申し訳なかったわ」
謝るアリスに私は恐縮しながらもこっちで強引に進めたもので――と答えた。互いに謝りあう私達を見て笑うメディスンにつられて私達も顔を見合わせて笑い出す。
「今日はうちに泊まっていって。明日パルスィって子にも挨拶させてもらうから」
「ありがとう、じゃあお言葉に甘えちゃおうかしら」
「わーい、じゃあ今日はみんなで一緒に寝よう!」
え?
……気がついたらアリスの部屋で3人川の字になって横になっていた。……そうそう、アリスの作った
夕飯はとても美味しかったわ。
「ふふ、メディったら気持ちよさそうに寝てるわ」
メディスンを真ん中に、右に私、左にアリス。しかしここのベッドは広すぎないだろうか? 人形達に好かれているらしいから、案外時々は人形達と眠っているのかもしれない。
なお、『メディ』というのはアリスがあの子を呼ぶときの愛称で、信頼を置いた相手にのみそう呼ばれるのを許すらしい。
「結構変なところで頑固というか気を遣いすぎるというか……遠慮するのよ。だから今回は
あなたたちみたいに少々強引にでもいったのが正解。改めて礼を言うわ。いくら妖怪化しているとはいえ雨や雪等で痛む部分は必ず出てくるから……」
「くすっ、それだったら私よりももっと評価するべき相手がいるわ。今頃誰か噂してるなって思ってる頃じゃないかしら」
「謙遜しなくても……いえ、じゃあそういうことにしておきましょうか」
メディスンの寝顔越しに笑いあう。
「パルスィとの挨拶もあるし、そろそろ寝ますか。おやすみ雛」
「おやすみ」
瞼を閉じると心地よい眠気が押し寄せ、次第に私を夢の世界へと誘ってくれた。
翌日、というか早朝、私達は無名の丘へと急いだ。私達が起きる頃には既にメディスンは着替えも済ませていて、準備は万端だった。
丘に着くと、3人とも感嘆の息を漏らす。見事なまでの修復、いや、これは新調というべきか。新品の木材で、屋根も赤く塗られており、入り口前には可愛らしいポストまでついてある。(鬼などの存在により目立ってはいないが)身体能力に定評があり、多少の建築の覚えはあると
言っていたとはいえ、一晩でここまでやるとは……本気以上のものを出したのだろう。
驚くのもそこそこに小屋の中に入るが、パルスィの姿はなかった。
「一体どこに――」
キョロキョロ周囲を見渡せども姿は見えず。声も聞こえず。
「うわあ……ベッドがすっごいふかふかだー」
ベッドに転がり弾力を楽しむメディスンに心が和むが、ヒーローは相変わらず現れない。
「暗くなったときのためのランプ、棚、テーブル、机。どれも見事な出来栄えね。窓も完全に新しいのに替えられている。あの小屋とは思えない」
アリスも唸る。全くだと返事を返そうとしたが――
「あっ、パルスィだっ!」
メディスンの声にかき消され、声の方を向くとベッドにいたはずのメディスンはすでに外に出ていて――
「パルスィー!」
「ひゃあああっ!?」
思いきりパルスィに飛びついていた。当のパルスィはすっかり固まってしまっていて、口をパクパク動かして言葉にならない声を発している。ピンチだ。主に理性的な意味で。彼女にはメディスンの真っ直ぐさが効果覿面すぎるから。
「お、おお、落ち着きなさいメディスン」
落ち着いてないのはあなたです。と心の中でつっこんで、私達も一足遅れて外に出る。
「ご苦労様、パルスィ。疲れたでしょ? ほら、中に入って」
メディスンに目配せをするとぱっと離れてくれた。これでパルスィも何とか落ち着きを取り戻したようで、ぎこちなく首を縦に動かし、小屋に向かって足を進め始める。
「パルスィ、本当にありがとうね! おかげでこんなに素敵な家になったよ!」
ぺこっと可愛らしくお辞儀をするメディスンを前にし顔を赤くして頭を掻くパルスィ。あー、うーと
言葉に詰まっていたがやがて小さな声で「どういたしまして」と言葉を搾り出した。ここまで素直な橋姫は地底のみんなも見たことはないかもしれない。そこへアリスもパルスィのもとへ近づく。
「私からもお礼を言わせて。ありがとう」
「うっ……」
ぎこちなく首を縦に動かして頷く姿には照れ以外にも色んな感情が混じっているのが私にはわかる。もしこの場にメディスンがいなかったらもっと早く修復してやればよかったと突っかかってた可能性が高い。
「ほら、握手握手」
これに乗じて私も先手を打つ。パルスィとアリスの手を引っ張って近づけ、掌同士を合わせる。アリスは穏やかに微笑むとそのままぎゅっとパルスィの掌を包み込んだ。こうなればパルスィももう観念して握手を交わさざるを得なくなった。かくして、無駄に厄い因縁は回避されたのだ。
ひと段落ついたところで、アリスがパルスィにもお礼をしたいと言い出し今度はパルスィを加えてアリスの家に戻ることになった。彼女の性格からして最初は遠慮しようとしていたが例によってメディスンもアリスの意見に賛成し、瞳をキラキラ光らせてお願いしてきたのであえなく陥落、「仕方ないわね」と照れ隠しめいたことを言い、同行を決めたのである。
そして――。
「ねえ、地底ってどんなところなの? お花はないの?」
「そうね……太陽の無い世界だし……花はないわ」
「雛の服もなかなか素敵なデザインね。今度人形達に作る新しい服の参考にしたいわ」
「あはは……厄がついても知らないわよ?」
私にパルスィ、アリスとメディスンで一つの卓を囲み。周りでは人形達がひしめき合っていて。
メディスンがあれこれ質問してくるのに対してパルスィが時折言葉を詰まらせてぎこちなく答えて、私が適度に相槌やフォローを入れて、アリスも会話の流れがスムーズになるようにさりげなくまとめて……そしてメディスンが笑顔を輝かせる。それを見て私達も心が洗われたように安らぐのであった。毒を操るという彼女であるが、その無垢な笑顔には優しい毒が込められているようだ。
こんな毒ならば大歓迎。厄神の私がこんなアットホームな雰囲気に浸れるとは今まで夢にも思わなかった。パルスィも同じ気持ちだろう。
人々から厄を集める神と故に恐れられる場面は何度も味わった過去がある。そんな経験もあるからか、パルスィとも馬が合うのかもしれない。
そしてそんな私達が戸惑いつつも温かさを覚える、それをアリスとメディスンは与えてくれるのだ。
「ふふっ……ふぁ……」
雑談に笑顔を見せていたパルスィが、目を細めて小さく欠伸をする。そういえば徹夜で小屋を修復してくれていたのだ、ここまで普通に談笑していてすっかり忘れていたことだったが。みんなも気づいたらしく、少しばつが悪そう。
「ご、ごめんねパルスィ、すっかり話し込んじゃって……」
メディスンが慌てて謝罪するとパルスィはメディスンの頭に手を置いて、
「気にしなくていいのよ。楽しかったし……」
優しく諭すように声をかけている。アリスも続いて客室で休むように声をかけてくれ、私はパルスィにお供し一旦アリス達と離れることになった。アリス達は一度無名の丘に行って、小屋に足りない備品はないかチェックしに行くというのでしばらくは留守を務めることになる。といってもこの家に訪ねてくるようなのは白黒の魔法使いとかぐらいで、特にやることはないだろうと
言われたのでパルスィが休んだら居間で手伝いできることはないか探してみよう。
二人に背を向け、パルスィと共に客室へと向かう。冗談半分で肩でも貸そうかと言うとさっきメディスンに向けていた笑顔とは180度変わった不機嫌な目つきで「結構よ」と言われ少しショックを受けたのは内緒だ。
部屋に入るとパルスィも私もぐるりと室内を見回していた。部屋はそこそこ広く、ベッドに棚、机に椅子が置かれている。
ベッドも一人で寝るには大きく、二人、子供なら3人は寝れそうな大きさだ。このような客室があといくつかあるのだと思うと、改めて感心するほかない。
「一人で……しかもこんな人がほとんど来ないような森の中でこんな立派な家を建てるなんて……」
「……いえ」
思い出した。そういえば彼女は森で迷った人間を見つけると家に泊めて、翌日には帰り道の案内まで
してくれることを。そういうことも視野に入れてこのような構造にしたとすれば……。
「……妬ましいわ」
それを伝えようとすると、先にパルスィが呟いた。
「本当に妬ましい……」
もう一度そう言うとベッドに入り、そのまま瞳を閉じる。言葉の割に、充実した表情に見えた。
少しして寝息が聞こえたのを見計らい、私は部屋を出る。きっと、私も彼女みたいに穏やかな顔をしているのだろう。
アリス。メディスン。
二人の少女との出会いは厄と嫉妬に「心地よさ」を与えていた。
結局、この日はもう一晩アリスの家にお世話になり、翌日の朝にようやくそれぞれ帰路に就く事にした。メディスンは鈴蘭畑に帰ったので、玄関先ではアリスが私達を見送ってくれる。
「そうそう、メディが二人に用事があるって言ってたから、よければ行ってあげて」
「え? え、ええ。わかったわ」
「いつでも遊びに来ていいから。……それと、これからもあの子を――」
そこでパルスィが腕を伸ばして制す。『言われるまでもない』という意思が瞳に込められている。アリスもそれ以上の言葉は飲み込み、代わりにこう言った。
「またね」――と、笑顔で。
それがなぜか、心にずっと響いていた。
無名の丘に着き、小屋の前に降り立つ。これならば鈴蘭の花を踏む危険性が最も少なくなるから。……先に言い出したのはパルスィであるが。早速扉をノックすると、勢いよく開いてメディスンが姿を現し、私達を見て笑顔を眩しく光らせる。
「来てくれたのね、嬉しいわ」
「こっちこそ、新居の居心地はどう?」
「おかげですっごく快適! 本当にありがとう」
パルスィの方を向き、上目遣いで笑いかける。これは……強烈だ。やはりピンポイントだったらしく、
パルスィが口をパクパクさせている。口の動きから「べ、別に……」と言っているようだ。今の彼女が会話に参加するのは厳しいので私が間に入ることに。
「それで、用事って何かしら? もしまだ足りないのとかがあったら力を貸すわよ?」
「ううん、そうじゃないの。ちょっと待ってて」
首を横に振ると後ろを向き、寝室の方へと歩いていく。どうやら何かを持ってくるみたいだ。
やがて戻ってきた彼女の手にあったのを見て、私もパルスィも息を呑んだ。
小さな手が持っていたのは、2個の――鈴蘭で作られた首飾り。鈴蘭の花のひとつひとつが丹念に集められ、白い清楚な雰囲気を醸し出す。
「これくらいでしか……お礼できないけど……受け取ってもらえる?」
少しの間。私が動くより一瞬早く、パルスィが前に出て、片方の首飾りを取る。私も続けて受け取り、
「ありがとう」というお礼の声が重なった。
「あっ……」
またも同時に声が。
「……ふふっ、あはははっ!」
メディスンが笑う。十秒ほど遅れて私も笑い声を漏らす。そして――。
「――うふふっ」
最後にパルスィが、手を口元にやり、控えめに笑った。
「それと……今度から私のこと、メディって呼んでいいよ」
アリスが言うには『メディ』と呼ばせるのは親愛の証だという。つまりは……。
「いいの?」
「うん。二人とも私の大事なお友達だもん」
ぎゅっ。
右と左の手を伸ばし、私とパルスィの手を握ってくる。
――温かい。「あ……」と驚きの声を出し、情けないが恥ずかしくてそれ以上の言葉が出てこない。
『友達』
メディスン――いや、メディははっきりと言ってくれている。ならばそれを返すのが礼儀なはず。
頭ではわかっているが行動に移るまでには届かない。時間にすればきっと十秒ぐらいだろうが、私には
長く感じた。
「メディ……」
やっと口からその言葉が出ると胸がすーっとした。厄を全て流し終えた開放感に近いものがある。最も、これは緊張が解けた安堵感なのだけど。
「うん、よろしくね雛」
にぱー。笑顔を向け、そして次に視線がパルスィに移る。
「そうだ! パルスィのことパルって呼んでいい? こっちのが可愛いでしょ?」
笑顔で爆弾発言。いや、すでにこの笑顔からして爆弾級であるからパルスィにとっては核爆発並みの衝撃か? 愛称で呼ばれるなんて多分初めてのはず……。
「……ぐぉ」
見事なまでの陥落。ていうか何だその言葉は。いや、「ぬわー!」とか叫ばれるよりはマシだが。
「ど、どうかした? 嫌だった?」
少し不安そうになるメディ。ここはフォローを入れなければなるまい。
「心配ないわ。嬉しすぎると呆然としてしまうの、彼女」
「ひ、雛!」
あ、何とか意識は戻ったみたいね。
「ほら、今は私よりメディに返事なさい」
じー。
期待と不安の篭った眼差しを向けるメディ。パルスィは胸に手を当てて3回ほど深呼吸をして、ようやくメディと視線を合わせた。
「い、いいわよ。私も……め、メディって呼ばせてもらうからね」
「本当!?」
両手を胸に置き嬉しそうに瞳を輝かせる。このままぴょんぴょん飛び跳ねてしまいそうな勢いだ。パルスィも頭を掻きながらコクコク頷く。無論照れ隠しなのは明白。
「ええ……メディ、これからもよろしく」
「うん!」
その後も結局数時間ほど過ごし、帰路に就いたのは昼過ぎであった。
――ちなみに帰り道でふざけて私も「パル」と呼んだら本気で睨まれた。
メディ、そしてアリスとの出会いは私とパルスィの日常をも変えていった。
厄神の勤めを終えて無名の丘に行きメディと鈴蘭を眺めながらの談笑は一仕事終えた充実感をこれまで以上に大きくしてくれたし、アリスの家も時々訪ねるようになった。
しかし私以上に変わったのはもちろんパルスィであろう。何せ、自らの意思で地下を出てメディの行っているのだから。
それと、花に関する本も人里で買ったりしているらしい。地底では花は咲かないし、以前の彼女は全く関心を持っていなかったので、影響を与えたのが誰であるかは確定的に明らかだ。アリスとメディの前では私達も厄神、橋姫ではなく二人の友人「鍵山雛」、「水橋パルスィ」として自然でいられる。
そして今日。
私達は四人で外を遊びまわることになった。あまり人の多いところに行くのが苦手だというメディが言い出したのだ。
「みんなとなら怖くないから。それに、視野を広めろって閻魔様にも言われてるしね」
頼りにしてます、という感じで私達を見渡してきたらそりゃあ頷くしかないってもの。もちろんみんな快く了承し、まずは人里に行ってふらふらしてみることに。メディを真ん中に、前を私とパルスィで固め、後ろにはアリスがつく。完璧な布陣だ。
「メディ、気分とか悪くない?」
「へ、平気。でも……ちょっと恥ずかしいかも」
確かに。三人に守られるように歩いているこの姿では外敵からは守れるだろうが奇異の視線というものには逆効果である。
「でも、離れたら心細くなる……でしょ?」
アリスの言葉にメディがうー、と唸り黙り込む。どうやら当たりのようだ。
「なあに、因縁つけてくる奴がいたら返り討ちにすればいいのよ。メディを緊張させる
人間達が妬ましいわ」
いやいや。妖怪らしいらしいかもしれないけど今日は穏便にしてほしいわ。そんなに怖い顔しなくても……あ、今通りすぎた子供半泣きしてた。本来なら厄を回収しなければならないんだろうけど――。
(今日はメディの友人としての「鍵山雛」だから)
心の中で謝りながら傍観を決める。たまには神様らしくないことをしてもいいだろう。
「ねえパル、地底の世界ってことはお花って無いんだよね?」
「そうね……あそこに住んでからそういうのは見たことがないわ。でも、メディから貰ったお花の首飾りは家にずっと飾っているの。『珍しい』ってみんなにも評判なのよ」
「あはっ、そう言われると嬉しいな」
パルスィとメディが会話しているので私は少し後ろに下がり、アリスに声をかける。
「ところで、これから何をするの?」
「糸が足りなくなってね……ちょっと買いに行って、その後はその辺を散歩しようかと」
そこでひとつ提案。
「ねえ、それなら私がいいところへ案内してあげよっか?」
散歩するというのなら、お薦めの場所がある。アリスが口を開こうとしたところで、
「いいところ? それってどこ?」
会話が聞こえていた(当然といえば当然だが。距離も離れてないし)らしく、メディが口を挟む。
「内緒。ばらしたら楽しみが減るでしょ?」
「……ああ、もしかしてあそこ? うん、確かに悪くない選択ね」
パルスィは気づいたようで、一人頷く。メディが「教えてよパルぅ」とねだるが
「お楽しみ」と笑うだけ。ナイスフォローだ。メディにはちょっとだけ我慢してもらおう。
「ぶー」
頬を大げさに膨らませるメディの頭を撫でながら、まずは糸を買いにいくことに。店に着くと早速
アリスが並ばれた糸を手に取って物色を始める。人形達の服等にでも使うのだろうか? 糸でさえも
簡単に選ばずにじっくりと見ていく辺りのこだわりはさすがだと言わざるを得ない。
「そういえばパルスィは裁縫したりはするの?」
「そりゃするっての。あ、糸はヤマメに分けてもらってるけどね」
……道理で鈴蘭畑を歩いていても平気なわけか。いや、糸自体は本当にただの糸かもしれないし、まさかね。
「アリスは凝り性だから。でもその分、みんな綺麗で可愛い服が着れるんだよ」
それだけ人形のことにはこだわりが、そして愛情があるのだろう。支払いを済ませているアリスを見ながら、またひとつ彼女のことがわかった。
「お待たせ。それじゃあ雛、案内を頼むわ」
「承ったわ」
さあ、今度は私の番だ。……いや、気合を特別入れる必要はないんだけどさ。
気にってくれればいいんだけど――。
「わぁ……」
水の流れる音。一定のリズムで淡々と繰り返される。すっと目を閉じてしまえば心地よい眠気に
誘われることは必至だろうか。
案内した先は――川だ。いつもは厄を流す場所として使うが、今日はちょっとした息抜きとして、
憩いの場所として選んだ。
「綺麗……」
メディもアリスもじっと川の流れを見つめている。澄んだ水は川の中で泳ぐ小魚や小石などを映し、ささやかな水の世界を披露してくれていた。
「メディは川を見るのは初めてなの?」
「うん。近くには見かけないし……これが川っていうんだ、ふーん」
川辺でしゃがみ込み、右手を伸ばしてそっと指を水の中に入れる。「冷たい!」と言いながらも嬉しそうだ。この笑顔が見れただけでも随分救われたような気持ちになる。
「あはは、お魚さんも泳いでる。うーん……」
近くを魚が横切り、興味津々で手を伸ばすがもちろん水中での魚の動きには追いつけず、手が届きそう
になると素早く動いて回避されてしまう。
「ほらほら、あんまり無茶すると転んじゃうわよ?」
アリスがたしなめるように言うと「はーい」と素直に引っ込む。パルスィは妬ましそうに見ているのかと思ったら予想外に微笑ましげにしていた。別な意味で厄いと思っていると、
「メディ、せっかくだし川の中に入ってみたらどう? 気持ちいいわよ」
とまで言ってきた。確かに膝くらいの深さだから溺れる心配は皆無であるが。
「いいの?」
目を輝かせて私やアリスの顔を見てくる。こんな目を向けられたら頷くしかないじゃないの。私もアリスも笑って頷いた。メディはいてもたってもいられない様子で靴を脱いで素足になるとスカートを捲り上げてゆっくりと川に入っていく。白くて細い太腿が眩しく光る。パルスィも靴を脱ぎ裸足になると川に入り、そっとメディの手を握った。
「ほら、こっちこっち」
「あ、ありがとう。……んっ、何か水が足を引っ張ってるような感じ……でも冷たくて気持ちいい」
パルスィに手を引かれたまま川の真ん中へ。川の水の冷たさ、流れ。全てがメディには新鮮に映っているのだろうことは嬉々とした瞳を見ればわかる。川辺に座って二人の様子を見守っていると隣にアリスが
腰掛けてきた。
「いい妖怪(ひと)ね、パルスィ――」
「ええ。もしかしたら地底で一番優しいかも」
冗談4割、本気6割。元々面倒見がいいのに加えて保護欲を駆り立てられるメディ
の可愛さもある。……私とて例外ではない。
「メディも楽しそう」
全くだ、と相槌を打ち顔を見れば丁度目が合ってしまう。川の流れる音、メディのはしゃぐ声とパルスィの控えめな笑い声だけが響き渡る。私もアリスもそれで満足だった。
しかし。
「雛もアリスもこっちに来て遊ぼうよー」
こちらを向いて両手を上げブンブン振り回しながら呼びかけてくるメディ。手が離れたためスカートが降りて水の中に入りそうになったがパルスィが素早く背後に回ると膝の辺りで押さえる。……何だろう、微笑ましいとは微妙にいえない光景が……。
だがそれを思っているのは私だけのようで、アリスはすくっと立ち上がると「仕方ないわね」といった感じに川へと歩いていく。私も数秒遅れてアリスの後を追った。
裸足になり、スカートを上に捲くらせて丁度いい冷たさの水の中に入るといきなりメディに水をかけられた。
「きゃっ!? ……ふふ、やったな、この」
よく見ればメディのスカートはすっかり水に浸かっていて先ほどのパルスィのフォローが完全に無駄となっていた。当のパルスィも水浸しになっていて、目をごしごし擦っている。どうやらさっきの行為を遊びか何かと勘違いしてきたようで水をかけたらしい。心の中でパルスィを励ましながら私も服の汚れを気にせずに手を川に突っ込み、思いきりメディにかけてやった。
「ひゃっ! 冷たぁいっ!」
「ああ、もうメディ……綺麗な服が水浸しになぁっ!?」
バシャッ! と再びパルスィの顔に水の洗礼が。睨みつける先には何とアリス。
「ふふっ、隙だらけよ?」
右目をウィンクさせ、悪戯っぽく笑う。普段の冷静な彼女とは別のその顔にはメディに近い幼さがあるように見えた。
「全く……妬ましい」
パルスィもようやく観念したのか、みんなと同様に水を――?
「ちょっ、分身するのは反則よパルひぅっ!?」
そしてなぜか私に2倍の水が襲い掛かってきた。理不尽だ。4倍返ししてやる。
――その後全員体がびしょびしょになるまで遊び、アリスの魔法で服を乾かしてもらって水浸しで帰ることだけは免れたのであった。
「せっかくだし、みんなでアリスの家にお泊りしよう」
本来ならここで解散する予定であったが、メディがアリスの家への宿泊を勧めてきた。前もってアリスとも話をつけているらしく、アリス自身も問題ないわと笑う。こうまで言われたら好意に甘えておいた方がいいだろう。
もちろん私もパルスィにもこの好意はありがたいのだし。
「決まりだねっ」
嬉しそうに飛び跳ねるメディを見ればますますそう思う。私もパルスィも終始頬の緩みが止まらなかった。
アリスの家に着く頃にはすっかり日が沈み、森も真っ暗になっていた。こうなると元々危険であるというこの森はますます迷いやすくなるので好意抜きにしても泊まっていく方が懸命である。
そんな森の雰囲気とは真逆に、アリスの家の中は人形達で賑やかだ。人形達も私とパルスィの顔を覚えてすっかり懐いている。人形達に話しかけたり抱きついたりと挨拶を交わしていたメディだったが、やがて台所へと歩いていった。アリスいわく今日の夕飯はメディが作るとのこと。おそらく、遊びに行く前から決めていたことだったのだろう。少し熱いものがこみ上げてくる。
「料理は以前からちょくちょく教えてたんだけどね……最近お菓子作りの指導も頼んできて。
本当にあの子は一生懸命で、何より純粋」
アリスの言葉にも頷くしかない。背中を向けて人形と戯れているがパルスィも同じ気持ちだろう。
……というか妙にマッチしていないかその姿。
「……そう。あの子とあの子……どっちも……ふふ、贅沢なのね」
私には何も聞こえなかった。厄いなんてこれっぽちも感じてないわ。
そんなこんなでだらだらとした時間を過ごしていたら、メディが来た。鈴蘭の花柄のエプロンをつけた
姿が可愛らしく、この姿で料理をしていたのかと考えると思わずニンマリしてしまう。
「ご飯、できたよ」
「ありがとう」
そしてなぜか男前な顔でキリッと礼を述べる橋姫様。何だ、お前は兄にでもなったつもりかと。
そういうツッコミも飲みこんで、卓へと向かう。メディが一生懸命作った手料理の前だ、細かいことは気にしない。
人形達も協力し、テーブルに次々と料理が運ばれる。白飯に味噌汁、煮物に和え物……見事な和食のオンパレード。
「永琳がお米とか分けてくれてたから、それを使わせてもらったの。幽香も協力してここまで持ってきてくれたんだ」
今日この日に備えて何という完璧な下準備。手際のよさに感心するばかりだ。
「雛、冷めないうちにいただかないと失礼よ」
そう言うとパルスィはイの一番に「いただきます」と手を合わせ、箸を伸ばしだした。私もアリスも送れて「いただきます」と言い食事にかかる。
「この山菜の煮物、よく煮込んでて味が染みてるわね……はふっ」
口をモゴモゴさせて満足そうに頬張っているパルスィ。私も彼女に倣って山菜を口に入れると言ってた通り、よく煮込まれていた。
「アリス、これもあなたが?」
「いえ……確か永遠亭でだったわよね、メディ」
「うん」
「美味しいわ、メディ。おかわりあるかしら?」
もう全部食べたのか。本当に食器が全部空になっていやがる。メディは照れた感じで顔を赤くしながらも頷き、台所へと小走りで向かっていった。
「パルスィ……あんまりがっつかないの。マナーが――」
「こういう時は好意に思いっきり甘えないと逆に失礼に当たるのよ」
橋姫のあなたがそう言うとすっごい違和感があるんですけど。……アリスも苦笑いしているし、料理自体は本当に美味しいから野暮なツッコミはしないけどさ。
「パルー、おかわり持ってきたよー」
「ありがと、メディ。……そろそろあなたも食べなさい。後で一緒に本でも読みましょうか」
「うん!」
――全く。
「――というわけでお姫様は王子様と幸せに暮らしましたとさ。めでたしめで――メディ?」
パルスィが本を読み終えて顔を上げると、メディが肩にもたれかかった。目を閉じて小さく寝息を立てている。どうやら眠ってしまったらしい。
「たくさん遊んで疲れたんでしょうね」
アリスはそう言うとメディの背中と膝裏に手を伸ばしそっと抱き上げた(この時パルスィが心底羨ましそうに横目で見ていたのだがあえて見なかったことにしておく)。寝室に向かうようだったので私達も同行することに。
「二人とも今日は本当にありがとう。メディもすっごく喜んでいたわ」
「――友人として普通のことよ」
ぶっきらぼうだが顔を赤くするパルスィ。だが私も彼女の言葉には賛成だ。
「私達もあんなにはしゃいで遊びまわったのは久しぶりだし……むしろこっちが感謝したいぐらいよ」
「ふふっ……そうだったわね、ごめんなさい」
ベッドに横にさせ、3人で小さな眠り姫の寝顔を眺める。すると唐突にアリスが話を切り出してきた。
「ねえ、今日は4人で寝ない? たぶんこの広さだったら可能だと思うの」
これには私もパルスィも顔を見合わせた。だが、すぐに――。
「いいわよ」
「――たまには、悪くないかもね」
自然と口から言葉が出ていた。
可愛くて、でも時々変に気を遣っちゃって無理をしようとしてほっとけない子。
素直で何事にも一生懸命な子。
一緒にいると温かい気持ちにさせてくれる子。
小さな寝息を立てている小さなお姫様は私達に届けてくれる。
――よくぞまあ4人で寝れる広さね、このベッド。
――小さい頃、家族みんなでひとつの部屋で寝たことがあるの。賑やかで温かかった。その名残りかもね。
――かもねって、自分のことじゃないの? 照れ隠し?
――トップシークレットよ。
――厄いわね。
――妬ましい。
翌朝。楽しい時間というのはあっという間に過ぎていくというありきたりの表現だがこれほど
その通りだと感じさせられるものもそうはないだろう。メディを無名の丘まで送り、一同はそれぞれ解散することになった。
「メディ」
屈んでメディに目線を合わせたパルスィが右の掌を広げる。そこには一個の種。
「ありがとうね。きっと、地底に綺麗なお花を咲かせてみせるわ」
さっき分けてもらったという鈴蘭の種。驚くことに、地底の世界で鈴蘭の花を咲かせるのだという。常識的に考えれば太陽の光の届かない世界で花が咲くとは思えないが、ここの……メディを見守ってきた鈴蘭の種だったら……。
優しく笑いながらメディの頭を撫でるパルスィを見ると、本当に地底で可憐に咲いている鈴蘭の花が頭に浮かんでしまう。
「大丈夫、きっと咲くわ」
アリスの声にもお世辞とかそういうのは全くなく、そうなるに違いないという確信に満ちていた。だから私も頷いた。
「うん……お花が咲いたら教えてね?」
「もちろん」
綺麗に澄んだ緑色の瞳が真っ直ぐにメディを捉え、寂しそうだった表情がみるみる明るくなる。
そう、私達は友達。
これっきりではないのだ。これからもたくさん遊んで、いっぱい思い出を作っていける。
だから悲しむ必要なんてないのだ。
「じゃあ、メディ」
心からそれを込めているから、この言葉を。
――またね。
四人の声が重なると少し強い風が吹いて鈴蘭の花が揺れる。
まるで、手を振っているようだった。
メディ可愛いよメディ
かわいいw
なかなか新しいな