霧の湖にある紅魔館。
ここでは、日夜数多くの妖精がメイドとして働いています。
これは、ある妖精メイドの話。
一口にメイドといっても、様々な役職があります。
例えば日々の雑務を行うハウスメイド。
例えば館中の洗濯物を一手に引き受けるランドリーメイド。
他にもキッチンで働くキッチンメイドやスカラリーメイド、図書館で働く司書メイドなどなど……
その中にパーラーメイドがいます。
パーラーメイドは接客などを行うメイドです。
普段の接客はもちろん、侵入者を弾幕でお出迎えするのもパーラーメイドの重要な仕事です。
さらに、パーラーメイドはお嬢様の目が付くところで働くことを許された唯一のメイドでもあります。
ですからパーラーメイドには容姿端麗で礼儀作法を修得できるだけの知性と品格を持ち、
なおかつちゃんと弾幕を撃てるだけの力を兼ね備えたメイドが選ばれます。
いわばパーラーメイドはメイドの中でも特に優れた者に与えられる役職なのです。
『彼女』はそんなパーラーメイドの一人でした。
「「「「おはようござますお嬢様!!」」」」
「おはよう」
『彼女』の朝はお嬢様への挨拶から始まります。
朝、お嬢様は寝室がある屋敷の最上階から食堂や執務室があるこの階に降りてきます。
最上階に上ることが許されているメイドはメイド長だけです。
なので他のメイドはこの階のホールでお嬢様を出迎えます。
一列に並んだメイドは皆妖精とは思えないほど背が高く、
顔立ちや佇まいに妖精特有の子どもっぽさは微塵も感じさせません。
その姿は世の男達が見たら、なんと美しい娘達だろうと見惚れる事間違い無しです。
ですが、そんなメイド達にもお嬢様は一瞥する事なく、素っ気ない挨拶を返しただけで通り過ぎていきます。
所詮普通のメイドとお嬢様では生きる世界が違うのです。
きっとお嬢様はメイド長以外のメイドなど覚えてもいないことでしょう。
そんなお嬢様を『彼女』は羨望の眼差しで見つめていました。
『彼女』は昔、只の妖精であった頃、一目見た時からお嬢様に憧れていました。
それは大昔の人間が、遙か空の太陽を崇拝したような憧れ。
小さな虫がランプの明かりに引き寄せられるように、『彼女』もお嬢様に引き寄せられたのです。
『彼女』は多くのパーラーメイドと違い、初めからパーラーメイドであった訳ではありません。
本来パーラーメイドは雇われたときに見た目や資質のあるメイドが選ばれます。
でも『彼女』のメイドとしての日々は、一介のハウスメイドから始まりました。
そこから少しでもお嬢様に近づくために、昼は他の妖精メイドが遊んでいるときでも必死に働きました。
夜は少しでも良いメイドになるために様々な勉強をしてきました。
ある時は知り合いの司書メイドからこっそり本を借り、礼儀作法を勉強しました。
ある時は門番隊のメイドに頼んで弾幕の撃ち方を練習しました。
見た目を良くするために、食べたいお菓子やご馳走も我慢しました。
そんな努力を十何年も続けた結果、『彼女』は晴れてパーラーメイドになることができました。
ですが太陽に近づきすぎたイカロスの翼が溶けてしまったように、
ランプの明かりに引き寄せられた小虫が焼かれてしまうように、
『彼女』にも大きな傷が残りました。
それは手です。
何年も何年も、仕事は率先して引き受け、誰よりも努力し、
休む間があれば自らを鍛え続けた『彼女』の手はパーラーメイドにふさわしくない、
ごつごつして、アカギレや肌荒れ、傷の跡が残る醜い手になってしまいました。
妖精の再生力をもってしても治ることが無いぐらい深く刻み込まれた傷です。
ですから『彼女』は常に白い手袋をつけていました。
そのせいで『彼女』は他のパーラーメイドから、手袋付き、とからかわれていました。
それが『彼女』のたった一つの引け目でした。
ある時、館でダンスパーティーが開かれることになりました。
この日のパーティーは館内のお嬢様の親しい者だけで行われる慎ましいものでしたが、
さすがに参加者が数人では寂しい、とお嬢様が言い出したのでメイドからも少し参加することになりました。
これは千載一遇のチャンスです。普段仕事中に横目で覗くしかないお嬢様をちゃんと見れるだけでなく、
お嬢様の側で踊れる、いや、もしかしたらお嬢様に手を取ってもらえるかもしれません。
これを逃したらこんな機会もう二度と巡ってはこないことでしょう。
ですが『彼女』は参加することができませんでした。
いつ如何なる時でも最低限仕事ができる人数を残しておかないといけないからです。
なのでパーティーが始まっても、『彼女』は待合室で椅子に座ってなければなりませんでした。
やることなど特にありません。只待機しているだけです。
「私もパーティーに行きたかったな……」
微かに流れ出した音楽を聞きながら、『彼女』は小さく呟きました。
その時です。
「む~きゅっきゅっきゅっきゅ~」
どこからともなく声が響きました。
「誰ですか!」
『彼女』は身構えます。
もし声の主が侵入者なら弾幕でお出迎えしなければなりません。
「怪しいものではないわ」
今度は後ろから声がしました。
この状況で怪しくないと弁解することほど怪しいことはありません。
『彼女』は勢い良く前に飛びながら後ろを振り向きます。
そこにいたのは何度か見たことがある図書館の魔女でした。傍らには使い魔の司書長も控えています。
本来ならお嬢様の親友で、最上の礼を尽くさねばならない相手です。
「そう警戒しないでちょうだい」
ですが先ほどの様子では警戒するなという方が無理な話です。
「何のご用でしょうか?」
『彼女』は警戒を解き背筋を伸ばして一流のメイドらしく応じます。
そんな『彼女』に魔女は怪しげに笑うと、
「ねえ、あなたパーティーに行きたいって言っていたわよね」
そう聞いてきました。
「えっ?」
思わぬ言葉に、『彼女』はメイドとしてふさわしくない聞き返し方をしてしまいました。
「言っ・て・い・た・わ・よ・ね」
「……はい」
ずいっと顔を近づけてくる魔女。
思わず頷いてしまいました。
「私が何とかしてあげるわ」
ぐいっとそれなりに豊かな胸を張る魔女。
脇から魔導書を取り出します。
「なんとかと言われましても……私はここに残ってないと……」
そうです。ここにいることが『彼女』の仕事なのです。
パーティーに行きたいから持ち場を離れるなど本末転倒この上ありません。
「大丈夫よ。えいっ!」
ボンッ!
魔女がかけ声をあげると、隣にいた司書長が煙に包まれます。
そして煙の中から『彼女』と瓜二つのメイドが現れました。
「???」
彼女は混乱しました。
しかし魔女は構わず『彼女』の頭の上に手を置きます
「えいさっ!」
ボンッ!
再び魔女がかけ声を上げると、『彼女』はいきなり煙に包まれてしまいました。
「けほっけほっ!」
そして煙が晴れたとき『彼女』の姿は一変していました。
メイド服は今まで着ていた慎ましい物ではなく、フリルがこれでもかと飾られたドレスのような物に変わっていました。
腕には金の腕輪、首にはチョーカー、さらに靴も完璧に手入れされた革靴を履いていました。
髪は綺麗に纏められ、顔には薄く化粧まで施されています。
その姿はメイド服を着ながらも、どこかの令嬢だと思わせるほどに美しいものでした。
「おかしいわね……」
『彼女』の姿をみるなり魔女は首を傾げました。
「童話を模した術式を構築したはずなのに童話通りの姿にならない。なんでかしら?
そもそもガラスの靴すら出てこないのは根本的な認識の間違いがあるせい……」
もはや『彼女』のことなど眼中には無いかのごとくぶつぶつと独り言を言い始めました。
「その人なんか放っといてパーティー会場に行ったほうがいいですよ。
後は私がなんとかしますから……」
どうしたらいいのかわからない『彼女』に、さっきまでの『彼女』と同じ姿をした司書長が声を掛けます。
『彼女』はあっと声をあげます。そうです。早くしないとパーティーが終わってしまいます。
「ありがとうございます!」
「いえいえお気に為さらず、これもこの人の下らない思いつきですから……」
司書長の声を後ろに、『彼女』は会場に急ぎました。
『彼女』はダンスホールの空気を壊さないように気をつけながら、そっと中に入りました。
パーティーも終盤に差し掛かり、最後の一曲を残すばかりです。
「はぁ……」
「お嬢様は妹様と踊ってばかり」
「きっと最後も妹様と踊るんだわ」
あちこちからため息と共に残念そうな声が聞こえました。
ホールの真ん中に目をやると、お嬢様が妹様と楽しげに話しています。
紅魔館に住む者で、姉妹であり恋人でありやがては夫婦となるであろうお嬢様と妹様の仲を知らぬ者はいません。
でも『彼女』は諦めようとはしませんでした。
一瞬だけでも自分の事を見てほしい、『彼女』はそう想ってホールの中央目指して進んでいきます。
メイドの集団の最前列まで来た『彼女』は、楽しそうなお嬢様を見つめました。
相変わらず妹様と話されてばかりで、こちらに目をやる様子もありません。
「はぁ……」
思わずため息が零れます。
エプロンに皺ができるのも気にせず手でぎゅっと握り締め、顔を伏せ俯いてしまいました。
何かを我慢するように体を微かに震わせて、目はうっすらと涙が滲んでいます。
ふと、お嬢様が此方を向いた……様な気がしてはっと顔を上げました。
しかしお嬢様は今も妹様と話しています
きっと錯覚でしょう。お嬢様が只のメイド如きに目をくれるはずがありません。
『彼女』は再び顔を伏せてしまいます
やっぱり来なければよかった、そう思いました。
そんな『彼女』の手を誰かが握りました。
「えっ?」
彼女が顔を上げると、なんとお嬢様が『彼女』の手を取って眺めていました。
いままでお嬢様に触れたこともないどころか、こんなに近くで見たこともありません。
どうしていいのか解らず目を白黒させる『彼女』を後目に、お嬢様は『彼女』の手袋を外そうとしました。
『彼女』は体を強ばらせます。しかしまさかお嬢様の手をふりほどくわけにもいきません。
それにもしかしたら魔女の魔法で手も綺麗になっているかもしれない、『彼女』はそう願います。
無情にも手袋から出てきた手は、いつもと変わらない『彼女』の手でした。
思わず逃げ出したくなります。きっとお嬢様はなんと汚い手だと軽蔑したことでしょう。
もしかしたらもうお嬢様の近くに置いてもらえないかもしれない。
『彼女』の頭の中は悲観的な想像で埋め尽くされます。
「綺麗な手ね」
ですが『彼女』の耳に入ってきたのはお嬢様の優しい声でした。
「ずっと私とこの館の為に尽くしてくれた綺麗な手だわ」
お嬢様はそう言いながら自分の手で『彼女』の手をそっと覆いました。
『彼女』の目から涙が溢れてきました。
近くにいたメイド長が近寄ってきますが、お嬢様はそれを目で制すと、
懐からハンカチを取り出し、『彼女』の顔を拭ってやります。
そうしてるうちに、最後の一曲が流れ出しました。
「さあ、私の相手をなさい」
そう言うとお嬢様は『彼女』を引っ張って行きます。
ホールの隅では妹様が頬を膨らませていました。
きっと後でお嬢様は膨大な言い訳を並べる羽目になるのでしょう。
その微笑ましい風景を想像した『彼女』は心の中でちょっとだけ笑いました。
ホールの真ん中にまでくると、お嬢様は『彼女』の腰に手をまわします。
もう胸は張り裂けそうです。
「そう緊張しないで」
お嬢様が優しげに微笑みます。
『彼女』の顔が真っ赤になります。
お嬢様の脚がゆっくりとステップを刻み始めました。
『彼女』もつられて脚を動かします。
さあ、夢のような一瞬のはじまりです!
………………
……………
…………
………
……
夢が必ず醒めるように、朝、魔法が解けると『彼女』は普通のメイドに戻りました。
今日もいつもと同じようにホールに一列に並んでお嬢様を出迎えます。
でも今までと違うところが一つだけありました。
それは『彼女』が手袋をつけていない事。
お嬢様が綺麗だと言った手を隠す必要などもうありません。
『彼女』の顔は憑き物が落ちたように晴れやかな笑顔です。
暫くして、いつもより眠たそうなお嬢様が降りてきました。
メイド達が一斉に深々と頭を下げます。
「「「「おはようございますお嬢様!!!」」」」」
昨日より少しだけ大きな挨拶が、紅魔館に響きわたりました。
気持ち短く感じたので、この点数で。
短いながらも綺麗に纏まった良いお話でした。
努力をしてきた彼女の手が醜いはずなど無いというもの。
暖かく、ほんわかとしてて素敵でした!
紅魔館の妖精メイド達の話はもっと書かれるべき。
妖精好きにはたまらない話でした。
その豆だらけの手こそお嬢様を長年守り通した忠義の甲冑(?)ではござらんか
目頭が熱くなりました。
素晴らしいお嬢様を有り難うございました。
ファンタジック的な意味で。
メイド妖精がとっても可愛かったです。
お嬢様カリスマあるな~
やはりカリスマか
そして寝不足な理由とはいったい・・・?
くそ、パチェの高笑いは耐えたと言うのに…w
ええ話や……