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美少女名探偵ゆかりんの事件簿ファイルEXTRA 八雲藍スッパテンコー事件~真実はスキマの底に~ 後編

2010/12/07 00:12:49
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カナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナ……

カナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナ……


さて風情ある蝉時雨が鳴り響くこちらは、突如として最大級の災厄に見舞われた妖怪の山とはうって変わって平穏な人里、所は上白沢亭である。そして、家の主である慧音は家の玄関で優曇華と向き合い、彼女が置き薬の補充をしているのを見ている。

「それにしても鈴仙も大変だな。私が帰った時点で相当飲んでいたのに昨日の今日でこの日差しの中を薬売りとは」

そう言いつつ慧音は冷たいお茶を優曇華に勧める。

「あははは……確かに昨日は少し飲み過ぎたわ。まだ少し頭痛いし……まぁ家の師匠や藍程ではないけど」

「ああ、それは確かに。永琳の方は何度も死んでいたしなぁ……」

昨夜の永琳のHit&Die戦法を思い返し、慧音は遠い目をする。

「流石に驚いた?」

「いや驚きはしなかった。……昔、妹紅が同じことをしていたからな」

今度はやれやれと溜息をつきながら慧音は首を振る。大げさなように見えるが友人に目の前で連続で死なれたのだからむしろ控えめなリアクションと言える。

「あはは……貴方も大変ね」

「まぁ、な。といっても日々輝夜達にいじられ続けるお前程ではないがな」

どこかシニカルな笑みを浮かべて日頃の鈴仙の苦労人っぷりを慧音はズバリと指摘する。

「……(泣)」

「あ~すまん。謝る。だから泣くな、な、ほらお茶でもどうだ?」

日頃の自身の不遇を返り見てしまった優曇華がシクシクと静かに泣き出してしまう。それに対し表面上は落ち着いているように見える慧音であったが内心はかなり動転しており、慌ててお茶を差し出す。

「(ゴクゴク)……うぅ、人の優しさが身に染みるわ」

慧音の心遣いに今度はほろり、と温かい涙を流す優曇華。

「ホッ……、いや済まないな。確かに被害を一身に受ける身としては冗談にして欲しいことではなかったな」

ペコリ、と慧音は再び優曇華に頭を下げる。実際に永遠亭での優曇華のあんまりないじられっぷりを知っている身としてはやってはいけないことをしたという思いがあるようだ。

「いえ、気にしないで。姫様も師匠も別に私が憎くてやってるわけじゃないから……多分。それにてゐだって……てゐ、だって……?」

同僚の詐欺兎の所業を思い出し再び目に涙を溜め始める優曇華。これに慌てたのは慧音である。せっかく泣き止んだのに再び泣かれてはたまらないと即座にフォローにはいる。

「いやいや、あの悪戯兎もお前が憎くてやってる訳ではないと思うぞ、うん。なんだかんだ言って、てゐはお前には悪戯しかしていないだろう?てゐが本気でお前を嫌いならもっとえげつ無いことをされているはずだ」

慧音は知っている。本気を出したてゐがどれほど狡猾で容赦がないか。かつててゐのお気に入りだったにんじんの首飾りを里人がうっかり壊してしまったときなどは……

やめろ、もうやめてやってくれ。そんなに怯えているじゃないか。やめろ、やめるんだ!!いくらなんでもそんな写真をバラ蒔くのはーー!!

「ぴょん!?……え、何?慧音!?ちょっとどうしたのよ!!」

まぁ、人里の守護者、上白沢慧音がトラウマを抱える程だったと言えばどれだけ凄まじいか分り易いだろう。

「ハッ!!……ああ、すまない。ちょっと昔を……まぁとにかくてゐにお前が本当に嫌われているということはないから安心しろ」

「そ、そうかな……」

「ああ、お前が今なお正気で居られるのがその証だ」

でなければ、狂気の眼を自分に使うまでもなく……、と陰鬱に首を振る慧音。

「そ、そんなに凄いの……?」

慧音のあまりの怯えっぷりに若干ひきながら優曇華が恐々尋ねる。

「ああ、日本神話級の詐欺師は伊達ではないといった所か。昔痛い目を見ただけに中々詰めも誤らないしな」

「そうね。あの兎は中々に狡猾ね。でも泣き顔はとっても可愛いのよ。思わず幻想郷に招きたくなるくらいにね」

「「!?」」

慧音がてゐの恐ろしさを語っていると唐突に二人の頭上から声が降ってくる。その声に驚き、泡を食って二人が上を見ると……

「あれ?」

「む?」

……何も無い。少なくとも頭上を見上げた二人の視界には何も映らなかった。しかし……

ズズズズ……

と茶を啜る音を優曇華は正面に、慧音は真横に察知する。そして、そちらに目を向けると、

「ふぅ、中々美味しわねこのお茶。新茶かしら?」

果たして今度こそ神出鬼没な神隠しの主犯、八雲紫が目を向けた先で旨そうに茶を啜っていた。

「ああ……なんだ紫か」

「はぁ……お前は……前にきちんと戸を使えと言ったはずだが?」

紫の姿を目にした二人は呆れ半分、安堵半分といった息を漏らす。そこにはすでに驚きはない、二人は八雲紫が唐突に現れる事に驚くような幻想郷ビギナーではないのだ。と言っても……

「それにしてもお前が家に、というか人里に来るのは珍しいな。何の用だ?というかその格好はなんなんだ?」

紫が『ここ』に現れたことには多少驚いているようだが。ついでに言うとそのホームズの衣装にも。

「あら、随分とつれない言い草ね。前に私が人里に訪れたとき「勝手に入るな!!私に一声かけてから入れ!!」なんて怒鳴っていたからこうして来てあげたというのに」

慧音の問いに至極すました顔で茶を啜りながら答える紫。

「ああ……言ったな確かに。しかし、それはこんなお前しか出来ないような声のかけ方ではなくて、もっと普通にという意味だったのだがな」

額に手を当て首を振りつつ「言っても無駄なんだろうなぁ」と諦めた雰囲気を匂わせつつ紫を諭す。恐らくすでに何度も言っているのだろう。

「それじゃあ面白みがないでしょう?長く生きるコツは日常のささやかな出来事を驚きで彩ることですわ」

薄く笑みを浮かべどこかで聞いたようなセリフを得意げに慧音にひけらかす。

「残念ながら私は半人だからお前ほど長くは生きられん。そういうコツは妹紅に教えてやってくれ。……と、話を逸らすな。一体何しに……いや待て、そうか……タイミングを考えれば今朝の新聞の件しかないか」

違うか?と紫に向けて小首を傾げながら、自力で答えに辿り着く慧音。

「……貴方も知っているのね。そうよ今朝の新聞のショッキングな記事のことよ」

ここで慧音が『文々。新聞』のことを知っていると言う事は人里にはすでにばら蒔かれているということである。文の、新聞は配り途中だというセリフにひょっとしたらという期待もあった紫は内心溜め息をつく。

「なぁ昨日の≪スッパテンコー≫の記事や写真について、その、当人はなんと言っているんだ?」

「……昨日のことは飲み過ぎで良く覚えていないらしいのよ。今だから言えるけど、飲み比べなんてさせるんじゃなかったわ」

「……そうか」

「「はぁ……」」

「あ~、お二方?ショッキングな記事?とか≪スッパテンコー≫って一体なんのこと?」

が、紫の期待は顔を見合わせて同時に溜息をついた二人を見て首を傾げる優曇華により叶えられる。

(そう言えば永遠亭には配れなかったと言っていたわね、あの天狗)

紫は内心でガッツポーズを決める。なにせ永遠亭に知れていないと言うことは噂流しのスキルにおいては文に匹敵する因幡てゐに知られていないということである。これで藍の無実を広めるための手間が一桁減ったと考えていい。それはともあれ……、

「ああ、鈴仙はまだ今朝の新聞を見ていないのか?……よし、ちょっと待ってろ」

そう言って慧音は新聞を取りに腰を浮かし立ち上がる。

「ああ、待ちなさい。それなら私が持っているわ。……よろしかったらどうぞ」

そして、立ち上がった慧音を呼び止め、優曇華に新聞を差し出したのは紫であった。そのどこか胡散臭い笑みに警戒しつつも優曇華は恐々新聞を受け取る。

「え、ええどうも。どれどれ……ってなにこれ血みどろ!?ショッキングってこういう意味!?」

ぴょん、としゃがんだ姿勢のまま飛び上がり玄関先で隣三軒先まで響きそうな声を上げる優曇華。その大声は正直慧音に咎められそうなレベルであったが、慧音も新聞の血に驚いていたのでそれどころではなかった。

「お、おい紫。あの血は一体なんなんだ?少なくとも家に置いてあった新聞はあんな様じゃなかったぞ?」

優曇華の持つ新聞を指差しながら慧音が紫に問いかける。

「ああ、その血はね……今朝その新聞を見た藍が……藍が……」

「「ら、藍が……?」」

言葉の途中で紫は顔を伏せ声を震わせる。未だかつて見たことのない紫の様子に残り二名は紫の言葉を追いかけることしか出来ない。

「せ、切腹した時の……血……ウウッ」

「切ッ……!?」

「……ッ腹!?」

堪えていたものが一気に堰を切ったかのように紫が突っ伏し泣き崩れる。そして残り二名は驚愕の展開に理解が追いつかず石と化す。

「せ、切腹!?そ、それで藍は、藍はどうなったんだ!?ま、まさか死……」

優曇華より早く石化から復活した慧音が泣きむせぶ紫の背に縋る。

「藍は……藍は……」

「「藍は……」」

慧音に遅れて復活した優曇華もゴクリと唾を飲み込み、紫の言葉の続きを待つ。そして……

「今はピンピンしているわ♪」

「「だぁ~……」」

満を持して放たれた紫の言葉は二人をズッコケさせるのに十分な威力を持った一撃だった。見れば顔を上げた紫はしてやったり的な笑みを浮かべている。

「お、脅かすな……心臓に悪すぎるぞ、その冗談は」

「ほ、本当よ……幾ら何でも切腹だなんて……」

心臓を押さえながら、ぜはぜは息を継きながら力なく紫に文句を言う白澤と月兎。

「あら心外ね。切腹したというのは本当よ。ピンピンしてるのは治療のおかげ」

「な」

「え」

ようやく人心地ついた二人が紫がさらりと放った言葉に再び固まる。そして、紫に「冗談よね?冗談て言ってお願いだから」的視線を向けるが今度は紫は笑わずにフン、と息をつき至極真面目に口を開く。

「残念ながら本当よ。私だって最初腹を切ってる藍を見つけたときは生きた心地がしなかったわ。あ、そうそう……貴方の師匠にお礼を言っておいてくれるかしら、正直あの蓬莱人の傷薬がなかったら危なかったわ」

一時は心臓止まってたし、と固まった二人の硬度を更にかち上げる爆弾発言を投下し、痛ましいと言わんばかりに首を振る。

「そ、そうか……確かに日頃の藍のことを考えれば……」

納得だ、と頷く慧音。それに対し優曇華は……

「え、え?本当に?藍がそんなことしたの?嘘……」

顔面蒼白である。まぁ唐突に「あ、お前の知り合いのアイツ腹切ったから」と言われたのだから無理もない話だが。その上彼女は……

「ああそうか、鈴仙。今すぐその新聞を読め、藍が切腹した理由が解るから」

そう、その手に持った新聞を未だ読んでいないのだ。そして、慧音に促された優曇華は半ば呆然と新聞に視線を向ける。

「ええと『怪奇!?夜空を舞い飛ぶ≪スッパ……え゛、なにこれ」

そして、新聞の一面を凝視し、もう一度凝視し、更にもう一度、計三回凝視した後「うそやん、これ」といった風な曖昧な現実逃避ぎみの笑顔で新聞の一面を震える指で指差す。

「まさかあの藍が……いくら酒に酔っていたとは言え……確かに素面の藍がこんなモノを見れば死にたくなるだろうな」

優曇華の嫌な感じの笑顔から視線を切り、紫の方を向いて慧音が同情したような視線を送る。

「あら、貴方は信じちゃうのねその記事。……どうやら藍は友人には恵まれなかったようね」

そんな慧音の視線を受け止めた紫はがっかりしたような顔色を浮かべ、慧音に皮肉るように告げる。

「む?確かにこの記事は信じ難いが……私も最初信じられなくてね、あちこち訪ねて回ったんだけれど……確かに裸の藍を見たと言われた。流石にあれだけの人数が目撃している上、当人も記憶があやふやと言うのでは、信じるしか……」

悲しげな顔で優曇華の持つ新聞に視線を戻す慧音。その顔は本当に我が身を嘆くように悲しげだ。少なくとも紫が「藍は友人に恵まれなかった」発言を撤回したくなる程度には。優曇華の方も未だに新聞を指さしたまま動かない。その様を見て藍は友人に恵まれたと紫が思ったかどうかは胡散臭い笑顔に隠され解らない。解らないが……

「やれやれ……『慧音』安心していいわよ、『優曇華』も。藍は≪スッパテンコー≫じゃないわ」

一瞬の間、そして紫に呼び掛けられた二人は、ぐわばっ、と顔を上げありありと驚きを乗せた面で紫を見遣る。

「な、なによ。ちゃんとした根拠あってのことよ。そんなに驚かなくてもいいじゃない」

想像以上のリアクションが帰ってきたため、また何かやらかしたかしら、と戦々恐々状態になる紫。が……

「い、いや、その……それもだけど……」

「あ、ああ、お前に名前で呼ばれたのは初めてだったから……」

未だ茫然としつつ、紫を見つめる二人は「そこじゃなくて」と手の平をパタパタさせながらそう言った。

「あら、そうだったかしら?憶えてないわね」

それに対し紫は口元に手を当てクスクスと笑いながらすっとぼける。

「まぁ、そんなことはどっちでもいいでしょう?それより藍のことよ」

そして、すっとぼけたまま紫は話を進める。このスキマ、煙に巻く気満々である。といっても……

「そ、そうね……藍が≪スッパテンコー≫ではないと言ったけど、その根拠も聞かせて貰えない?」

煙に巻くための話題は間違いなく慧音と優曇華の望む話だった。それも可及的速やかに聞いておきたい類の。

「簡単よ。その記事に書いてある≪スッパテンコー≫の「私を食べて」という発言について聞いたら藍は、自分の肉を人に勧めるのはどうかと思うって応えたからよ」

「……はい?」

新聞を握りながら紫のとんちんかんな話にコテリと首を傾げる優曇華。それに対し慧音は、

「……なるほど。いくら酔って言動が煩雑になっても知らない言葉は使えないからな……となると件の≪スッパテンコー≫は藍以外の誰か、つまり偽物ということに……」

一瞬呆けた顔をしたものの、即座に紫の言わんとすることを理解し頷いた。流石伊達に知性派で売っていない。更に……

「……となると、問題なのは犯人が……≪スッパテンコー≫が何者かということになるが……見当は付いているのか?」

「大まかにはね。新聞に載っているように夜中に多数の目撃者が居るということは恐らくわざと人目に触れるようにしたということ。となれば藍の悪評を広めるのが目的と考えるのが自然よ、とくれば……」

「動機は怨恨……か?幻想郷の管理者『八雲』にダメージを与えるためだとするには手段が些か中途半端……藍個人を狙ったと考えるのが妥当。そして、その犯行方法を考えれば……あの酒宴に居た者が第一容疑者か」

「それなんだけど藍の酔っ払いっぷりを誰かが≪スッパテンコー≫に話したとしたら?」

「それに関しては除外してもいいと思う。犯人の動機を怨恨と考えるなら今朝になるまで復讐に走らなかったのは、恨みを持ったのが直近である昨夜であるか、もしくは藍を、ひいてはその主である紫を恐れたからと考えるべき。前者であるなら酒宴に居た人物であることは間違いない。そして後者のパターンであるというのは考えにくい。そんな臆病な奴が人伝の曖昧な話を軸に復讐を実行するとは思えないからな」

「それもそうね。だとすると……」

ちょ、ちょっと待って!!

「「ん?」」

突如として始まった怜悧な知性から湧き出る推理について行けず、たまらず二人にストップをかける優曇華。といっても彼女が馬鹿というわけでは決してない。が、かたや幻想郷の歴史を全て知るとすら言われる賢獣白澤の血を持つ上白沢慧音、かたや無間の底の深さすら算出してしまうと言われる妖怪の賢者こと八雲紫。幻想郷きっての知性派二人が相手では比べる方が無体というものだろう。

「えー、えーとその、二人が何言ってるかさっぱりだから……、解説とかしてくれると嬉しいかなー……なんて」

えへへ、と優曇華がジャパニーズスマイルを浮かべつつ懇願する。その姿は折れウサ耳ファンであるのなら悶絶必至であるとだけここに記す。

「ん、そうだな。では……私が話そうか」

紫に視線をやり、どうぞと紫がこちらに掌を向けたのを見てとった慧音が話し始める。

「まず、藍が「私を食べて」という言葉の意味を理解できないにも関わらず、≪スッパテンコー≫がその言葉を使ったから藍ではない……つまり藍の偽物である、というのはいいな?」

寺子屋で教壇に立つときのような正しく教師然とした雰囲気で慧音が優曇華に尋ねかける。

「え、ええ?う、うんそれは解るけど」

慧音に向き直られた優曇華が狼狽えながらも返事を返す。当人としてはまさかここまでまともに説明されるとは思っていなかったのだろう。

「後の話もだいたいは理由を言っているから問題はないな?となると理由を省いたのは……ああ、酒宴に来ていたものが容疑者という話か?」

優曇華が理解出来なかったと思われるものを推量し慧音が確認を取る。ぶっちゃけその思考の速さが優曇華が首を傾げる原因となっているのだが、そこには気付いていないようだ。

「え?ええと……そう、それよ。犯行方法?を考えるとなんで宴会に来てた人が犯人なんて話になるのよ?昨日自由に動けて他人の姿に変化できる奴なんて幻想郷にはたくさんいるわよね?」

優曇華の疑問は至極真当と言えるものであった。確かに妖怪変化魑魅魍魎が普通にそこらを闊歩する幻想郷では他人の姿に化けられる、などという輩は掃いて捨てるほど居る。例えば彼女の師匠である八意永琳なら自身の姿を変える薬ぐらい容易く調合してのけるだろうし、魔法使いや巫女など多彩な術を操る者もその程度は朝飯前であろう。更に言うなら『化ける』という技能は精度やバレにくさの程度を考えなければ種族:妖怪にとってはごく基本的なスキルであると言える。無論、まだその術を心得ていない年若い者や、自身の特性上使えないなどという者もいるが、しかし、それにしても犯行可能な容疑者の数は膨大な量になる。

「なるほど。確かにその意見は正しい。しかし、だ。この犯行を実行するための前提条件が、昨夜整っていたと知ることができたのは酒宴に参加した者だけなんだ」

慧音は優曇華の言葉に頷きながらも、ケアレスミスで回答に三角をつけなければならない教え子を見るような顔で優曇華にそう言った。

「前提条件?」

「そう、この犯行を行うには藍が『昨夜の記憶が怪しくなる』程飲んでいたということを知っていなければならない」

「……あ」

当たり前の話であるが、今回の事件で藍に≪スッパテンコー≫の罪を確実に被せるためには藍自身が自分が無実かどうかわからない状態であるということが必須だ。何故なら藍が自信を持って「これは私じゃない」と言い切れば、少なくとも彼女のうぶさのことを知る人間は藍の言った事を信じる。なにせ先も言ったように幻想郷には他人の姿に化けられる容疑者など幾らでもいるのだから、藍がストリーキングにおよんだなどという話よりは偽物説の方が余程現実味のある話なのだ。

「そして、その事を知り得たのはあの酒宴に出席していた者だけだ。無論、こっそり覗いていたという可能性も無いことはないが……いくら酔っていたとはいえレミリアや幽々子などの各勢力の代表クラス、そして咲夜……は昨日は潰れていたか、でなくとも主のために気を張っていた従者陣、おまけに常識外れの勘の鋭さを誇る霊夢、ついでに付け加えるなら人里に忍び込んだ妖怪を察知することも役目の内であるこの私。それら全てを出し抜いて覗くというのは至難の業だろう……というか、そんな実力があるのならこんなまどろっこしい真似をせず直接藍に向かっていけばいい話だな」

丸っきり教え子に対する口調で優曇華に講釈する慧音。その理路整然とした語り口と教師オーラにすっかり押されてしまった優曇華はすでに正座である。目の前に机とノートを置いたら慧音の発言をメモりそうだ。

「紫が言ったのはこのことに関する可能性の一つだな。つまり、もし酒宴に出席していた者が帰り道で誰かに藍がしこたま酔っていた事を話していたら容疑者の数がネズミ算的に増えてしまうのでは?ということだな。そして、それに関しての結論は先に言った通りだ」

「はー」

慧音の解説を聞いて、改めて二人の思考の回転の速さに感嘆の息をもらす優曇華。すいません師匠、私はまだまだ貴方に追いつけそうにありません。

「さて、それでだ。以上を踏まえた上で……紫、お前はこれからどうするつもりなんだ?」

視線を優曇華から何時の間にか再び茶をすすっていた紫にスライドさせる。その慧音の視線を受けた紫は優雅に湯呑みを置いて、常の如き曖昧な笑顔を浮かべる。

「おかしな事を聞くわね慧音。そんなの私がここに来た時点で解りきっていることでしょう?」

解らないはずはないわよね?、と挑発的な口調で紫が慧音を煽る。

「ふむ。まぁ、な。人里で目撃者の話を聞きたいということなのだろうが……、昨夜酒宴に来ていた面々に話を聞いた方がいいんじゃないのか?」

「それも考えたんだけれどね……、昨日来ていた連中は誰も彼も、海千山千の曲者揃いよ。尋問しようにもあらかじめ情報を集めとかないとはぐらかされて終わりよ。……試しに聞いてみようかしら?貴方達は昨夜宴から抜けた後、何をしていたのかしら?」

如何にも、今思いつきましたと言わんばかりのあっけらかんとした表情で、紫は慧音と優曇華に水を向ける。

「っと、いきなりだな。……私は帰って、歴史の編纂を最低限終えてからすぐに床についたな」

初めこそ僅かに驚いた素振りを見せたが、即座に冷静さを取り戻しクールに答える慧音。

「え、ええ!?えーと、私は……昨夜は真っ直ぐ帰ってすぐ寝たわよ。飲み過ぎで具合悪かったから。……今も二日酔い気味だし」

慧音と比べると些か慌て気味だが、ハキハキと答える優曇華。

「それを証明してくれる人、もしくは物は?」

「「ない」」

「ほら、はぐらかされた」

そして、そんな二人に胡散臭気な視線を送り、やれやれと肩をすくめる紫。

「ちょ、ちょっと待ってよ。なんで今のがはぐらかしたことになるのよ?」

「だって、自供してくれないじゃない?」

「なんで私達が犯人って決定してるのよ!!」

紫の理不尽な言い様にズビシと突っ込むのは、永遠亭の突っ込み役こと鈴仙・優曇華院・イナバである。その動作はすでに本能のレベルのものらしく凄まじく滑らかだ。

「まぁ、落ち着け鈴仙。……しかし、そうだな。確かに昨夜の事を何も知らなければ、今の私達のような証言でなくとも真実かどうか吟味のしようがない……か」

声を荒げる優曇華をなだめつつ、そう言って慧音は目を閉じ何かを思案するような表情を浮かべ、再びスッ、と目を開く。

「……よし解った。そういう事情ならば、この上白沢慧音が道中の案内を務めよう」

目を開いた慧音は清らかな水のような透明な色を顔に乗せ紫にそう申し出る。その姿は何と言うか腹を括ったとか、覚悟を決めたとかそういう表現がよく似合う。

「……そうして貰えるなら私は助かるけど……正直いつまでかかるか解らないわよ?いいの?」

はっきり言って行動派探偵にスタイルチェンジした今の紫は≪スッパテンコー≫の正体が解るまで幻想郷中を練り歩くつもりであった。幾ら傍若無人な紫であっても人を連れまわすのは流石に気の引ける道行である。

「構わんよ。藍には私が忙しい時に教師役をして貰ったり、色々世話になっているからね。ここらで借りを返しておかないと……というか藍の無実を証明しないと私も困る」

子供たちが泣くからね。と慧音は柔らかい表情で紫に首肯する。

「そ、そう。それじゃあお願いしようかしら」

(藍ったらそんなことまでしてたのね……、これは本格的に藍の人里での行動を確かめる必要があるわ)

それに対し紫は慧音の返答に感謝しながらも、何時の間にやら人里の守護者すら味方に付けている自らの式の人望に密かに戦慄する。ひょっとして自分よりよっぽど……などと考えたのは内緒である。

「ああ、引き受けた。ではそうと決まれば……っと、ああそうだ。鈴仙、薬の補充は終わったかな?聞いての通り出かける事になったのだが」

急かすようで悪いな。と謝りながら若干置いてきぼりな優曇華に慧音が話の矛先を向ける。

「うん。それはもう終わってるわよ。だから……」

パタリ、と薬箱の蓋を閉じて優曇華が立ち上がる。

「……さっそく行きましょうか」

「行きましょうか、って……」

「……貴方も行くつもりなの?」

目をパチクリさせながらスキマと白澤が呆気に取られたように、セリフ引き継ぎ芸を披露する。

「ええ、行きますとも。今日、回る通りは慧音の家で最後だし、私も昨日藍に助けてもらった恩があるから」

月の兎は義理堅いのよ、と言いつつえへんと胸を張る優曇華。

「助けてもらった?」

「ん?憶えてないのか?藍は昨日、酔った輝夜に鍋に放り込まれそうになっていた鈴仙を助けて、その後輝夜に説教していただろう?」

恩ってなんぞや?、と首を傾げる紫に慧音がこちらも不思議そうな声音で酔った藍は凄いな、などと言いつつ昨夜の藍のファインプレーを説明する。

「そ、そうだったかしら?う~ん、昨夜は私も結構飲んだから記憶がいくらか飛んでるのかもしれないわ」

こめかみに人差し指を当て、思い出そうとしたが無理だったらしく残念そうに首を振る。

「まぁ、確かに昨夜は異様に盛り上がったから皆飲み過ぎぎみだったな。人数も春の花見並だったしな。ええと、紅魔館、白玉楼、永遠亭に八雲一家、閻魔主従に守矢神社……ああ、珍しく阿求も霊夢が連れてきていたな」

私も帰ってから歴史の編纂をするのが大変だった、と苦笑を零しながら昨夜のメンバーを指折り数える慧音。

「とにかくそういう訳で私も行かせてもらっていい?あんな風に助けてもらったのは初めてだったからお礼がしたいのよ」

私が姫様達にいじられても基本スルーなのよね皆、と再び泣きそうになる優曇華。

「……ふむ。そういうことなら別に構わないわよ。ついてこられて困ることもないしね」

「ほんと?ありがとう」

綻ぶように微笑む優曇華。それを見て、うわ可愛いなぁこいつと思ったのは果たして紫か慧音か両方か。

「それじゃあ、行きましょうか。善は急げってね」

「おう!!」

「うむ!!」

紫の号令の下、戸口をくぐる三人。かくして無節操かつ異色な八雲少女探偵団が人里に出陣したのであった。……藍の人望恐るべしである。






≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪







「と、出てきたのはいいが、まず何処を訪ねるのかは決めているのか?」

戸口を出てすぐに肝心な事を聞いていないことに気付いた慧音が紫の背中に問いかける。

「ええ、一応は。まず、この新聞に載っている人に話を聞こうと思うの」

『文々。新聞』をバサバサと振りつつ紫。

「? どうせ聞くなら新聞に載っていない人の方が良くない?せっかくこんなリストもある事だし」

こちらは証言者リストをペシペシ叩きながら優曇華である。確かにより多角的な証言を集めるという点に置いてはそちらの方が有意義である。

「いや、ふむ……確かにそれも有りだが……文の新聞に載っている以上そちらを先に回ったほうがいいだろうな」

「新聞に載っているから……なの?」

「文の新聞に取り上げられたということは、恐らくそのリストの中でもしっかりした証言をした者だろうからな。『空からこちらを見ていたのでよく見えなかったが、あれは藍だった』や『木でポールダンスしていたので半分くらいしか見えなかったけど、あれはあの狐だった』という微妙なものもこの証言メモの中には結構ある」

「……なるほど」

最後に文の分厚い証言メモを読みつつ優曇華を諭すのは慧音である。その流れるような討議を聞く限りこの三人、即席チームの割に意外と相性が良いようだ。

「そういうこと。情報というのは量より質よ。ただの見間違いでした、なんて情報はあっても判断材料にはならない。そういうのを見分けるためにも最初はハッキリ見たという証言が欲しいのよ」

得意げな澄まし顔で上機嫌に言う紫。この名探偵、どうやら助手が出来たことが嬉しいようだ。

「だから、まずは一番確実な証言をしてくれる……」

「阿求だな」

「阿求ね」

「……その通りよ」

セリフを途中で遮られてしょげる紫。が、言っていることは至極正しい。なにせ稗田阿求は『一度見た物を忘れない程度の能力』を持っているのだ、これほど見間違いと縁遠い証言者というのも珍しいだろう。

「うぅ……それじゃ道案内頼めるかしら」

「ふむ、それでは……」

「あ、はい!阿求の家なら私も知ってる。こっちよ!」

優曇華がへにゃりと曲がっていた耳をぴょんと伸ばし、大張り切りで道案内をすべく先頭を行く。そして、その元気な後ろ姿を見遣りつつ二人は……

「ふふ……何と言うか、いい娘ね。あの月兎は」

「ああ、律儀というかなんというか……時折、うちの寺子屋の子達より素直に思えるよ」

何と言うか近所のいい子ちゃんを見遣る奥様方のようなやり取りをしていた。悠久の時を生きてきた紫や寺子屋で日々子供の面倒を見ている慧音からすると優曇華はまだ精神的に幼く見えるようだ。そして、それだけに……

(憂鬱ね。あんな娘まで疑わなきゃならないなんて……)

容疑者の条件は昨夜宴会に参加していた者、である。その条件を優曇華もそして慧音も満たしてしまっている。両者とも藍に好意的なようだが仮に二人のどちらかが犯人であった場合≪スッパテンコー≫の正体を暴くべく登場した紫に馬鹿正直に私は藍が嫌いですとは言わないだろう。

(はぁ、名探偵も楽じゃない……か。ま、戯言だけれどね)

紫は重い溜息を一つつき、やや距離が離れてしまった優曇華の後を追い始めた。








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「済まないが、阿求殿に御目通り願えないだろうか?」

稗田家の門戸を叩き、応対に出てきたお手伝いさんに慧音がそう切りだすと一行はあっさりと阿求の自室の前に通された。慧音曰く「稗田家とは昔からの付き合いでね。顔パスなんだよ」とのことである。

「阿求。慧音だが話がある……今大丈夫か?」

「慧音さん?ええ、大丈夫ですよ。どうぞ」

そうお決まりのやり取りを障子越しで行い「失礼する」と言って慧音は障子を開く。

「ふふ、丁度良かったですね。今、紅茶を入れようと思っていたところなんです。良かったらいかがですか?」

そう言って眼前の温めたティーポットを指差し、はんなりと微笑むのはこの部屋の主、九代目阿礼乙女 稗田阿求その人である。

「ん、ああそれでは頂こうか」

「はい。頂きます」

機先を制され若干鼻白んだ慧音と優曇華であったが、阿求のおっとりとした空気に和んで思わず頷いてしまう。

「そうですか。それでは……あら?」

頷いた慧音と優曇華を見て、紅茶を入れようとポットに手を伸ばした阿求であったがその手は空しく空を切る。そして……、

コポコポ……

「はい、よろしかったらどうぞ。ストレートでも美味しいわよ」

「ひゃわあ!?」

「って、あなたは何ナチュラルに紅茶淹れてるのよ!!」

そう言って何時の間にやら阿求の横に現れ4つの白いティーカップに淡い橙赤色の紅茶を注ぐのは言わずと知れた名探偵八雲 紫である。例え優曇華にツッコまれようとも登場は意表をついてスキマからがスキマ妖怪のジャスティスなのだ。

「え?……あら、これはご丁寧にどうも」

「そして普通に紅茶に手を伸ばした!?」

しかし、紅茶を差し出された阿求もあの世とこの世を九回も行き来している猛者である。思わず優曇華がツッコミを入れてしまう程素早い立ち直りで湯気を立ち昇らせるカップに手を伸ばす。

「ふぅ、美味しいです。……でも、飲んだことのない味ですね。これは……?」

「セイロンのヌワラエリヤ、よ。飲んだことがないのは当然ね、幻想郷では出回ってない種類だもの。幻想郷で私以外にこれを振る舞えるとしたら私が卸している紅魔館のメイドか……質を問わないなら香霖堂でもひょっとしたらあるかもしれないわね」

「そうなんですか……不躾なようで恐縮ですが、もし良かったら私にもお譲り頂けませんか?」

「構わないわよ。まぁ、『外』から持ってきているから不定期になってしまいますけれど」

「……ねぇ慧音、なんでこの人達は普通に紅茶トークに花を咲かせてるの?私?私がおかしいの?」

「大丈夫だぞ鈴仙、お前はおかしくない。あそこの二人がおかしいんだ。……ふむ、それにしてもこのお茶は確かに美味しいな。紫、良ければ私にも貰えないか?」

「……うぅぅ~~味方が、味方が居ないぃぃい~~~!!」

嘆く優曇華を尻目に優雅に紅茶を飲みながら『外』の紅茶話で盛り上がる三人。残念ながら幻想郷は常識人には厳しく出来ているのだ。

「『外』ではそんなにたくさんの紅茶があるんですねぇ~。ってそう言えば貴方はどなたですか?私は稗田阿求と申します」

「今更!?」

「あら、そう言えば『阿求』と会うのはこれが初めてだったわね。幻想郷縁起にも私の事が載っていたし……初めて会った気がしなかったわ、ごめんなさい。私は八雲紫よ」

外で鳴くひぐらしの声のようにBGMと化した優曇華の突っ込みをスルーしつつ、自己紹介を交わす二人。頭を抱える優曇華が後ろに見えなければその様は実に華やかで微笑ましい。

「あぁ貴方が……藍さんに描いてもらった絵とは随分格好が違ったので解りませんでした。って藍さんと言えば……」

「……その事についてちょっと話があるのよ。藍の主として、ね」

藍という名前が出て唐突に顔を曇らせる阿求。が、紫としては本題に入るために藍の名前は避けて通れない。……ひょっとしたら阿求に藍の名前を出させたのも計算の内かもしれない。

「……昨夜の藍さんの事でしたら勿論お話しますけど……私は、その、昨夜見たのは藍さんですとしか言えませんよ?……阿礼乙女に記憶違いというのは有り得ませんから」

正直あまり思い出したくないのですが……と、気遣わしげに紫を見やりながらも、しっかりと断言する阿求。そのきっぱりとした言い方には求聞持の力を持つ者としての誇りが感じられる。

「ええ、それに関しては疑っていないわ。ただ……」

「ただ?」

「貴方は、そう例えば魔法や巫術などに心得があったりするのかしら?簡単に言うと変化した妖怪を見抜くような力があるか、ということなのだけれど」

「え?……あ!?いえないです。私は確かに転生の術の心得は有りますけど、他はどの生でも本を書いてばかりでしたからそういう修行はやった事が無いです!!」

「それじゃあ……」

「はい!!もし私が変化した妖怪を見たとしたら変化した姿、私に見えたままの姿を記憶します!」

先程までのどこかのんびりとした雰囲気を放り捨てて興奮した様子で阿求がまくし立てる。誰かに化かされたのかも知れない、と暗に言われているにも関わらずその顔は嬉しげである。

「ふふ、ここで「ええ、魔法は得意ですよ」なんて言われたらどうしようかと思ってたから安心したわ」

「紫さん、それじゃあ……」

「ええ、貴方の前に現れた藍は偽物よ。今私達はその犯人を探しているの」

「そうですか。……良かった……」

「って、わわわ、阿求!?」

藍が犯人でないと言われ、胸に手を当て安堵のあまり、ふらりとよろめいた阿求を優曇華が慌てて支える。大げさなように見えるが覚え違いが出来ない阿求は普通の人間が行える「あれは何かの見間違いだ」的な逃避行動が出来ない上、忘れたくなるようなショッキングな記憶でも覚え続けてしまうため常人よりこういう場合心労がたまりやすい。そのため友人が奇行に及んだという記憶が普通より彼女の事を追い詰めていたとしても不思議はない。

「あ、はい大丈夫です。ありがとうございます優曇華さん……紫さん、そういう事情でしたらこの阿求、なんなりとお話しましょう」

えへん、と慎ましやかな胸を張り紫に向き直る阿求。その様は御阿礼様と呼ぶに相応しく至極立派な……と言いたいところだが、未だに足が震えており優曇華に支えられているため、好意的表現をしても可愛らしいとしかいいようがない。

「そう、感謝するわ。じゃあ、まず……昨夜の藍について見た目で普段と違ったところはなかったかしら?例えば身長が低く見えたとか、髪の色が少し違ったとか」

変化の術というのは、未熟な者が行うと変化する前の身体的特長が残ってしまうということがままある。例えば日頃、藍が狐耳と九つの尻尾を残したままなのは自らが妖狐であることを示すために意図して行っていることだが、橙の猫耳が残ってしまっているのは未だその欠点を克服できていないためである。

「違ったところ……違ったところ……ちょっと待って下さい……あ。有りましたよ!!普段の藍さんと違うところ!!」

「本当!?」

「「おおっ!!」」

正直、そんな初歩的ミスはしていないだろうな、と紫は内心思っていたため阿求のビンゴコールに驚きの声を上げる。二人の会話を静かに聞いていた慧音と優曇華も思わぬ手掛かりにヒートアップする。

「はい!昨夜の藍さんは……」

「「「昨夜の藍さんは……」」」

普段より胸が大きかったです!!

ゴガン!!

「きゃあ!?」

先程に続き、発言とは裏腹な慎ましやかな胸を張り阿求は高らかにそう言った。それを聞いた三人は予想やや斜め上を行く内容に思わず座卓に額を打ち付けてしまう。とはいえ……

「い、いや待て……内容はともかく、これは立派な手掛かりだろう」

「そ、そうね、胸だって師匠の薬を一気したんでも無い限り突然大きくなるもんじゃないわよね」

額を赤くしながら阿求の発言を再度評価し直す慧音と優曇華。身体的特徴が変わったという点においては確かに紫が挙げた例と完全に一致している。

「って言ったって藍より胸が大きい奴なんて早々居ないわよ?」

「いや、それは逆に歓迎すべき要素だろう。該当者が少ないとなると容疑者をかなり絞り込める」

「……それもそうか。ええと、昨夜来てた面子だと確実なのは……誰よりまず小町よね、あとは美鈴と……師匠もね。神奈子と幽々子は微妙かな?それと……」

「ああ、はっきり言ってくれていいぞ。私も一応容疑者の要素を満たしている一人だという自覚はある。無論、やったのかどうかと聞かれれば断固として否定させてもらうが」

藍よりも明らかに大きい胸を持つ慧音に視線を移した優曇華に特に不快気も見せずに慧音はそう言う。

「他には……パチュリーも脱ぐと凄いと魔理沙が言っていたな。……まぁそれら微妙な線の者を入れても随分と容疑者は減るな。お手柄だな阿求」

「えへへ、そう言って貰えると嬉しいです。……ええと、それでなんすけど……」

「ん?どうした?」

「紫さんが動かないんですけど……どうしたんでしょうか?」

「何?」

「え?」

と、阿求が指差す先に目をやれば紫が座卓に額を打ち付けた状態で完全に静止してしまっている。阿求の手掛かりに最も喜んで然るべき紫が、である。

「ふふ、ふふふふふふふふふふふふふふふふふ」

「な、何?」

「おい、大丈夫か?」

「ゆ、紫さん?あわわ、ええとお医者様は……」

三人の視線のスポットライトを当てられた紫は突如として不気味な笑い声を発する。そして……

ぐわばっ!!

「「うわぁあ!!」」

「きゃああ!?」

ガバリと復活したてのアンデットのようなホラー加減で起き上がる紫。しかもその動きの勢いのまま阿求の肩を鷲掴み。

「ふふふ……ごめんなさい阿求」

「ひぃぃぃ、ごめんなさい食べないで下さい私なんてチビで痩せぽちですから食いでがないですよ~、って、え?」

「残念だけど、その証言は手掛かりにならないわ」

思わず慧音に助けを求めそうになった阿求に対してかけられた言葉は紫の真摯な謝罪であった。あまりの意外性に開いた口が塞がらない阿求。

「貴方達も、ね」

「あ、ああ別に構わんが……というかどういう事だ?」

「そうね……手掛かりにならないって一体?」

こちらも呆然としつつ慧音と優曇華。それに対し紫は……

「簡単なことよ……藍はね、普段サラシを巻いているから小さく見えるのよ……胸のサイズが」

「「「あの大きさで!?」」」

陰鬱に衝撃の事実をぶちまけた。何せ藍は服を着ている状態でも相当デカイのだ、それこそ容疑者を半分以下にぶっちぎれてしまう程に。

「ちょ、ちょっと待て。それにしたって手掛かりにならないということはないだろう。むしろ幽々子とか微妙な線が消えて容疑者が逆に減らないか?」

「いえ、完全開放時の藍の胸はあのサボリ死神並だから容疑者外になれる奴はいないわ」

そんなにか!?それは一体何センチサイズを誤魔化しているんだ!?下手すれば窒息するぞ!?」

「正確な大きさは私も知らないわ。ただ……」

「ただ……なんだ?」

俯き陰を増す紫に嫌な予感を覚えながらも生来の生真面目さから尋ねてしまう慧音。

「……私と同じぐらいになるようにしてるって……」

「……そ、そうか……」

「ていうかおかしいのよ藍の胸って!!あれだけ締め付けても平気なぐらい柔らかいのにサラシとったらポヨンと元通りになってその形がまた見事なお椀でタージマハルなのよ!!チートよ!!物理法則に反してるわ!!」

「い、いや待て。落ち着け紫」

「落ち着け!?落ち着けるわけ無いでしょう!?自分の式に切なげな視線を胸に投げかけられる気持ちが貴方解るの!?解らないわよねぇ貴方も大きいものねぇ~」

「ま、待て、なんだその不穏な手の動きは……やめろ私の胸を揉んだって別にどうにも……」

問答無用!!

「おいやめ……ちょ本当にやめ、あん、や、……い、いやぁぁぁーーーー!!

紫のルパンダイブに抗しきれずに押し倒される慧音。思わず百合のスクリーントーンを使いたくなくなるような艶やかな光景である。そして、その一方で……

「ふふ、向こうで何かやってるわよ阿求」

「気にしないでおきましょう優曇華さん。どうせ私たち持たざる者には関係の無い話です。ふふふ」

サラシ装着バージョンの藍にすら及ばない二人が部屋の隅でのの字を書いていた。もう一度言うが藍は普段から相当デカイのである。

…………………………

…少女混沌中…

…………

語符「章変えリセット」なにも起こってないよ。

「コホン。まぁとにかくそういう訳で胸の大きさの話は手掛かりにならないの。本当にごめんなさいね阿求」

「い、いえ、こちらこそお役に立てず、すいませんでした」

両者とも表面上は平静を取り繕っているが額を伝う汗までは誤魔化せていないなにせ……、

グスグス……うぅ、汚されてしまった。もう、お嫁に行けない……

そ、そんなに落ち込まないで。ほら慧音は美人だし頭いいし嫁の貰い手ぐらい沢山いるわよ。ね

いいんだ、いいんだもう私が白無垢を着ることなんてないんだ

そんな事ないって。ほら、私は見てみたいな~白無垢姿の慧音

シクシク……じゃあ、鈴仙が貰ってくれるか?私のこと

え゛……いやそれは流石に……

シクシクシクシクシクシクシクシク……

ああ、泣かないで慧音、ほら、胸揉まれるくらい、帽子だけのスッパ写真晒されるよりマシよ!!

「……と、ところで阿求!!胸以外で何か気になったことはなかったかしら!?」

「そ、そうですね!?ええと、ええと……」

部屋の隅の慧音と優曇華を全力で無視して話を本筋に戻そうとする紫と阿求。閑話休題をリアルにやろうとすると実は骨が折れるのだ。

「……ごめんなさい。他はないみたいです」

「そう……残念ね」

「ごめんなさい……」

「ああ、別に貴方を責めているわけではないのよ。ただ……貴方の能力ですらおかしなところが見つからない程の変化の術……もしかしたら≪スッパテンコー≫は想像以上に手強い相手なのかもしれないわね」

考えて見れば≪スッパテンコー≫はわざわざ家に押し入ってまで阿求に自身の姿を目撃させているのだ。その選択からは自らの変化への絶対の自信と誰に目撃させれば藍にダメージを確実に与えられるか、と冷静に思案した慎重な態度が窺える。

「そうですね。普通に考えれば求聞持の力を持つ私は最も犯人に歓迎されざる目撃者のはずですものね」

「ええ。思ったよりこれは難事件になりそうね……でも私は必ず解決して見せるわ!愛する藍のために!!」

「紫さん……」

「阿求、貴方も手伝ってくれるかしら?」

「はい!勿論です!!」

がしり、と手を取り合い打倒≪スッパテンコー≫を改めて誓い合う二人。紫がビシリと指差す蒼天には苦笑した藍の幻影が見えそうだ。

「お前ら……人をほっぽといてなに話を綺麗に纏めようとしている」

そんな感動的シーンを演じていた紫と阿求に半畳を入れるのは優曇華の懸命の励ましによりどうにか復活した慧音である。その後ろでは苦労人な月兎が一仕事終えた顔で額の汗を拭っている。

「あら、復活したのね慧音。お帰りなさい」

慧音の半畳はかなり怒気に満ちたものであったが、紫は動じずに実にけろっとした態度で慧音を迎える。その様は先程慧音を押し倒したことなど忘れてしまったのかのようである。まぁ、コメカミを流れていく一筋の汗は誤魔化せていないのだが。

「くっ……元はと言えばお前が……ッいや……いい」

そして、当然そんな紫の態度が慧音は面白くない。胸をしこたま揉みしだかれてこの反応ではそれも当然のことと言える。だが、何故か慧音は途中でその台詞を飲み込んでしまう。

「……え~と……どうしたの?言いたいことがあるなら聞くけれど?」

てっきりそのまま説教に移ると思っていた紫は肩透かしを食らい、むしろ不気味そうな様子で慧音をつつく。それに対して慧音は……

「いい。どうせお前に何を言っても糠に釘打ちでこちらが疲れるだけだ」

はぁああ、と大きな溜息と共に激情の全てを吐き出し、いつもの冷静さを取り戻す。

「ふふ、この憤りは後で≪スッパテンコー≫に存分にぶつけさせてもらうさ……ふふふ」

といっても冷静に病んでいるのだが「久しぶりに本気の頭突きが出せるな」などと呟く慧音ははっきり言って暢気な華胥の亡霊などより余程不気味だ。

「そ、そう……まぁ、そこは好きにして頂戴。でも今はまず≪スッパテンコー≫の正体を暴くことにその情念を注いでくれるかしら?」

「あぁ……解っているさ。解っているとも……ふふ、ふふふ」

「ああ、慧音が……慧音が壊れた……」

紫に煽られて不気味さをより増した慧音の背中を見てそう嘆いたのは優曇華である。何せこれでこれからこの個性豊か(好意的表現)な面々に一人でツッコミを入れねばならなくなったのだから。

「あわわ、ええとええと……そ、そうです!それで皆さんはこれからどうするんですか!?」

そして、紫→冷や汗誤魔化し笑い、慧音→ヤンデル、優曇華→号泣、な混沌状況を見かねて阿求が慌てて助け舟を出す。

「……そ、そうね。次は……この主婦の美千代さんに話を聞きたいのだけれど……何処に住んでいるか知ってるかしら?」

「う……み、美千代さんですか?美千代さんなら家から出て右に真っ直ぐ行った先のお屋敷に住んでますけど……」

「? どうしたの?なにか歯切れが悪いけれど」

「い、いえ、その……」

美千代の名が出た瞬間なにやら気不味げな顔になった阿求がそっと紫の横の慧音の方を指差す。そして、紫がそちらに顔を向けると、

「……わぉ」

「……(サラサラサラ)」

先程まで異様で病的な黒を纏っていた慧音が真っ白な灰になって項垂れていた。上から一筋のスポットライトが差しているのが見えてしまうのは恐らく紫だけではあるまい。

「け、慧音?大丈夫?一体何が……って、ああそう言えば新聞に『慧音先生に抗議に行った帰り』って……」

ドザァ!!

「きゃあ!!け、慧音!?ちょっとなんて事するのよ紫!!」

「え、ええ!?これ私のせいなの!?」

紫が新聞の記述を思い出しうっかり漏らした一言でとうとう崩れ落ちてしまう慧音。10カウントを取るまでもない完璧なKOであった。

「ええと、これは……どういうことなの阿求?」

何故か口の端に僅かな笑みを浮かべて倒れる慧音をひたすらに揺さぶる優曇華を尻目に阿求に向き直る紫。

「あーその……美千代さんなんですが、ちょっとこの辺りでは有名な人でして……その、悪い方に」

キョロキョロと獣の影に怯える小鳥のように辺りを見回しながら阿求は口火を切る。

「何と言うか、娘さんを可愛がり過ぎてしまうというか……紫さんは美千代さんの証言はご覧になったんですよね?」

「ええ、読んだわよ……ああ、確かに随分と理不尽なことが書いてあったわね」

家の子が手を上げているのに当てないのはけしからんとかなんとか、と口元に手を当て記憶を掘り返しながら紫は成程と相槌を打つ。

「あはは……そうですね、それだけでも相当なんですけど……」

「え?まだあるの?」

「……少なくとも私は、以前に美千代さんが「家の子を授業で当てるなんて教師のいじめだわ」という趣旨で慧音さんの所に怒鳴りこんだという話を聞いたことがあります」

「……うわぁ……」

アイタタタ、と顔を抑える紫。……知っている、長き時を生きる紫は理屈が全く通じない自分ルールオンリーな人間が居ることを知っている。しかし、それにしても……

「言っていることが矛盾しているとかいうレベルじゃないわね。反射神経で文句言ってるとしか思えないわ」

天魔でもそこまで酷くないわよ、と改めて崩れ落ちた慧音に同情の視線を送る。その先では「うぅぅ、鈴仙……私は、私は……先生に向いていないのだろうか……」「そんな事ない、そんな事ないわよ慧音!!」と中身は違えど凹む慧音に励ます優曇華という先程見た光景の焼き直しが行われている。

「……参ったわね。そんなところに慧音を連れて行く訳には行かないけれど……正直そんなモンスターペアレントに聞き込みなんて一人でやりたくないし……かと言って優曇華を連れて行くと……今度は慧音が切腹しちゃいそうね」

「あ、あの紫さん……」

「ん?何かしら阿求?」

困ったわと思案に明け暮れる紫に阿求がおずおずと声を掛ける。

「その……良かったらですけど私がご一緒しましょうか?道案内もできますし」

「……え?それは助かるけれど……いいの?」

ぱちくり、と目を瞬かせ思わず阿求に尋ね返す紫。先程からの阿求の言を考えれば阿求自身、件の奥方にあまり良い感情を持っているのは明らかである。

「はい、大丈夫ですよ。今日は体の調子もいいですし……それに、その藍さんには……」

紫に快諾の返事を返した阿求は顔を赤らめる。一見脈絡無く見えるがそういうリアクションに紫は心当たりがあった、というか……

「ああ、ひょっとしてあなたも藍になにか恩があるとかそういう口かしら?」

出来てしまった。今日、日が一番高くなる今この時までで、果たして紫にそう聞かれた阿求はコクコクと頷いた。

「そう……良かったら、その話聞かせてもらえないかしら?」

「はい!?……それは、ええと……」

「? ああ、何か不都合があるなら構わないわよ?あの娘の母親として話を聞いてみたいだけだから」

「母親!?……そう、そうですよね。そうなりますよね……わかりました。あれは春に私が藍さんに……」

≪回想開始≫

「……っと、こんなものでどうだろうか?」

「あ、はい。十分です……というか絵がお上手なんですね藍さん」

「ははは、私の腕前など人並みだよ。しかし、もし上手く描けているとしたらそれはきっと紫様がモデルだからだろうな。紫様の御姿は瞼を閉じれば鮮明に思い出せるからね」

「瞼を閉じればって……フフッ、それだと紫さんが藍さんのお母さんみたいですね」

「みたい……というよりは正にそのものだよ。少なくとも私からすれば……ね。そう言えば阿求は絵を描いたりはしないのか?」

「私ですか?私は……本を書くことしか出来ませんから……」

「む?ふむ……そんな事はないと思うが、絵にしてもある程度のレベルまでなら時間をかけて練習すれば誰でも出来るようになる」

「そう……かも知れませんけど……私には、私には誰にでもある『時間』がないんです!!妖怪の藍さんとは違って!!……あ」

「……」

「あ、その……」

「……狐は」

「?」

「普通の狐の寿命は人間よりも遥かに短い。10年生きればいい方だし、間違っても20年は生きられない」

「はあ……」

「しかし、それでも狩りに習熟し、親子代々で用いる巣穴を掘り、異性と巡り逢い番を作り……子を育てる」

「……それは……」

「私には橙がいるからわかるけど……子育てというのはあれで中々大変でね。少なくとも10年やそこらで胸を張って独り立ちさせられるように育てるのは私には無理だよ。……それが人間が成人するまでの時間であってもね」

「……」

「妖怪は人を襲い、人は妖怪を退治する。この形がなければ妖怪は弱ってしまう……と言うけれど私の考えは少し違う。妖怪というものの本質はね『停滞』なんだよ阿求、当然だろう?妖怪の強さというのは精神の強さ、すなわちいかに自身という我を貫けるか、いかに己を変質させないかにあるのだから。そして……強いのなら変化する必要はない」

「……」

「だから妖怪は人間を襲い、人間と『競う』必要があるのさ。妖怪より弱く、しかし妖怪に挑みそして……『成長』という変化で妖怪に追いつき、時に追い越してしまう人間と、ね。さもなくば妖怪は『停滞』し、ただそこに在るというだけの置物に成り果ててしまう。……阿求が褒めていた大結界にしても『外』の人間が強くなったからこそ出来たものだしね」

「……藍さん……」

「だからね阿求これは妖怪としての我侭かもしれないけれど……どうか『変化』することを『成長』することを諦めないで欲しい。それこそがきっと妖怪にはない人の強さなのだから」

「……はい……藍さん、その……」

「と言ってもまぁ、いきなり肩肘張ってもどうにかなるものでもないな。こればっかりは、うん」

「はい!?」

「そうだな、差し当たっては……」

「失礼します。藍様、頼まれていた湯と……グラスをお持ちしました」

「ん、ああ有難う。丁度いいところに持って来てくれた」

「は?」

「あの、藍さん?」

「(コポコポ)……ふむ、少しインチキだが……(パチン)」

「ひゃわ!?火、火が!?」

「先日、紫様に頼まれて『外』から持って来たお茶なのだが……」

「わ、わ、お茶の中に花が咲いてますよ!?」

「綺麗なものだろう?中国の茉莉花茶の一種なのだがな。紫様も何処で聞きつけてくるのやら」

「あの、飲んでみてもいいですか……?」

「ああ、勿論構わないよ」

「(コクコク)……わぁ、美味しいですね」

「だろう?日本茶も無論、美味しいが……たまには違うものも悪く無いだろう?だから……差し当たってそこから始めて見たらどうだ?」

「?」

「『変化』さ、大仰な話をしてしまったが何もいきなり大袈裟に何かを変える必要はない。お茶なら本を書きながらでも飲めるし、淹れ方も私で良ければ教えてあげられる。種類も日本茶、紅茶、中国茶などなどたくさんあるから飽きはしないだろう」

「あ……」

「それにほら……」

「わ、わ……」

「この色合は阿求の髪によく映える、だろう?」

「は、はい……///」

≪回想終了≫

「……そう言って藍さんは茉莉花茶と同じ花を魔法のように手から咲かして私の髪に飾って……きゃ~~」

「……そ、そう……(藍、貴方何やってるのよ一体!?)」

阿求の回想を聞き終えた紫はかろうじて笑顔と呼べる表情をキープしつつも内心でそう叫んだ。妖怪と人との在り方については藍もそんな事を考えるようになったのね、と正直感心もしていたのだが……

(最後の!くだり!どう聞いても口説いてるようにしか聞こえなかったわよ!?幾ら何でもまずいでしょうが!?)

そう、まずいのである。何がまずいかといって未だ顔を赤らめきゃ~きゃ~言ってる阿求がどう見ても『その気』になってしまっているのがまずすぎる。

(え、何?あきゅらん!?なにその斬新なカップリングは!?)

予想だにしない事態に動転しきりな紫。紫は式の恋愛に口出しするような狭量な主ではない。しかし、それでも百合は勘弁して欲しかった。ただでさえ彼女の周りにはそういう輩が多いのだ。白黒の魔法使いとか、七色の魔法使いとか、紫の魔法使いとか。

「? 紫さん?どうかしましたか?」

「あーうーあーうー」

ジタバタ、ジタバタとどこぞの土着神のような唸り声を発しながら悶える紫にようやく気づいた阿求が訝しげに問いかけるが、ぶっちゃけそれどころじゃない紫には全く聞こえていない。

「紫さん?あのー紫さん?……お義母さ~ん(ボソッ)

君にこの謎が解けるかッッ!?

「ひゃわああ!?」

完全に思考の輪に捕らわれきっていた紫であったが、阿求の放ったLast Wordにより奇っ怪な叫び声とともに復活する。

「ぜーはー、ぜーはー……あ、阿求?貴方今おかしなこと言わなかったかしら?」

「え、ええ?何って……別段おかしなことは言ってませんけど?」

「そ、そう、そうよね……ふぅ……」

「ええ、私と藍さんが夫婦になれば別におかしなことでは……」

そこは前提がオカシイって気付いて頂戴!!

ズビシ!!と音を立てる裏拳と共に放たれたそれは八雲紫、まさかの全力ツッコミであった。そしてそのツッコミを食らっても尚不思議そうに首を傾げている阿求は紫の予想よりも大物なのかも知れない。

「あ、あのね阿求、藍は女性で貴方もそうでしょう?それが夫婦っていうのは、その、色々変でしょう?」

「そうなんですか?藍さんに聞いたら『外』では認められている地域もままあるって言ってましたけど?」

「なっ!!ちょっと待って!それは藍が貴方に吹き込んだの!?」

「え、いえ、それは私が尋ねたんですけど……」

「そ、そう……はぁ……良かった」

「それでも、別におかしなことではないと思うんですけど……魔理沙さん達はいつも女同士でいちゃいちゃしてますし」

「ぐっ……それは確かに……」

「それに同性愛の記述と言うのは『外』……日本でも古来は平安時代から見られるものでそれが否定されるようになったのは江戸時代後期、そしてその後の明治になって所謂キリスト教的価値観が大々的に流入するようになってからです。そして、明治時代の始めには幻想郷は大結界により外と隔絶されています。ならば私達が『外』の常識に従う道理は有りません。いえ、大結界が常識と非常識の境界である以上、非常識側の私達はむしろ同性愛を是とせねばならないと言っても過言ではないでしょう」

「く、くわぁあぁああぁ!?」

紫が断末魔の悲鳴を上げ崩れ落ちる。藍のことで動転していたのもあるが、まさかこんな常識、非常識の問答で歴史解釈を用いた真面目な意見が飛び出るとは思わなかったのだ。

(え、え?なんでこうなるの?私?私がおかしいの?いえ、私は真っ当な常識に則って……あ、でも幻想郷は確かに非常識なあれだし……あれ?あれ?)

ゆかリん大混乱。更に阿求の自説に対する自信に満ち溢れた態度がその混乱に拍車をかける。

(だ、だめよ紫。ここで退いたら藍の子供の顔が見られなくなるじゃない……藍?そ、そうよそれがあったわ!!)

「ふ、ふふふ、阿求、確かに貴方の意見は面白かったわ」

「あ、そうですか?妖怪の賢者である紫さんにそう言って貰えると嬉しいです」

ふふふ、と一発逆転のクロスカウンターを狙うボクサーのように不敵に笑う紫に対し常と変わらずはんなりと微笑む阿求。実際彼女に紫を追い詰めているという意識はないのだろう。天然恐るべし。

「でもね、残念ながら……」

「はい?」

「藍は……藍は……藍はその辺ノーマルなのよッ!!

どーん!!とヒビの入ったブロック系の効果文字を背負い紫が阿求にパイプを突きつける。紫が知る限り藍は橙の影響からか、はたまた妖獣というカテゴライズ故か妖怪にしては珍しく子を残すということを非常に尊んでいる節がある。その藍が同性愛に傾倒するというのは正直考えにくい。

「だから、残念だけど藍のことは「紫さん」……阿求?」

紫の言葉をそう言って遮った阿求は「それ以上は言わなくていい」と悲しげに首を振る。

「……解ってたんです。藍さんがきっと私の想いに応えてくれないってことは……幻想郷の常識どうこう以前に藍さんがどう思うかの問題だってことは、だから……」

「……阿求」

そう言う阿求の顔を見た紫の胸に後悔というの名の痛みが走る。

(ああ、この娘は全部解って……それでも藍のことを想っていてくれたのに、それを私は……)

くぅ、っと目尻から溢れそうになった涙を隠すため阿求から顔を逸らす紫、いや、あるいは一途に恋する乙女の眩しさに目を焼かれたのかも知れない。しかし、そのどちらであっても紫の胸中は後悔と憐憫で一杯であった。

「だから……だから、藍さんに告白するのは『次回』にしますッ!!

どんがらがっしゃーん!!(紫のコケる音)

まぁ、次の阿求の宣言を聞くまでは、であるが。

「ちょ、ちょっと待ちなさい。次に回すってそれじゃ意味がないでしょうが!!」

「はい?意味なら有りますけど……あ、もしかして紫さん私が何者かお忘れですか?」

「は、はい?」

「私は転生者 稗田阿礼の九代目ですよ?そして今の私は阿礼乙女ですが、かつての私の中には阿礼男と呼ばれるものだって居たんですよ?」

その辺は紫さんの方がお詳しいのでは?、と小首を傾げる阿求。

「そ、そう言えば……」

「本来、閻魔様に身体を用意して頂けるだけでも特例ですので身体にあまり注文は付けられないのですが……それでも映姫様なら男か女かぐらいは選ばせてくれるはずです。そうなったら問題は全て解決です」

えへんと胸を張る阿求。その可愛らしさから男の阿求というのを想像するのは難しいが紫は実際に阿礼男というのを見たことがある。そのため阿求の言葉の説得力は一入だった。

(た、確かに……それだと問題は何も無い……というか逆に有難い話のような気もするわね)

紫は歴代の御阿礼の子全てと親交があったというわけではないが、しかし知っている範囲では皆礼儀正しく、人格にもこれといった欠点はなかったように思う。まぁ記憶が飛んでいたり身体が変わっていても中身は同じなのだから当たり前と言えるが、また短命だという御阿礼の子の欠点も百数十年で転生するというのなら藍が天孤であることを考えればさして問題でもない。というか藍なら白玉楼経由で閻魔の所に行くことすら可能だ。

(藍のうぶさはいい加減どうにかしたいと思っていたことだし……あれ?こうなったら私はどうすれば……?阿求を応援すればいいの?嫁に……いえ婿入りするというのなら今の内に仲良くしておくに越したことはないし)

再び頭を抱える紫。はっきり言って今、阿求が何もしていない以上普通に友人として接すれば何も問題はないのだがこの親バカはそこに気付けない。この辺りを考えると実は紫も天魔のことを決して馬鹿にしたりは出来ないのだ。

「……えーーい!!いいわこうなったらとりあえず……」

「とりあえず……?」

「後回し!!考えてみたら何がどう進展するかなんて解らないんだから次に貴方が転生するまで私はこの問題に対してノータッチを貫きます!!」

結論:後回し。あまりに情けない結論であったが、実際それ以外の対処のしようがない事にようやく気付いた紫が先の阿求に負けない迫力で宣言する。

「って言うか、何がどう転ぶにしてもまずは≪スッパテンコー≫の件を片付けてからよ!!さぁ、行くわよ阿求!!」

色々と解決しがたい問題を放り捨ててノシノシと部屋の外に向かう紫。人はそれを現実逃避戦略的撤退と言う。

「あ、はいっ!……えーと、さらさらさらっと……優曇華さん!慧音さんが復活したらこの紙見ておいてください!!」

そして、その後をトテトテと阿求が追いかける。

「え、ちょっと二人共どこ行くの!?って言うか私をこの慧音と二人きりにするの!?それは人としてどうかと……」

「シクシクシクシクシクシクシクシクシクシク……」

「ああ、泣かないで慧音ぇ~~!!」

最終的に割を食うのが優曇華なのは、まぁお約束というものだろう。ちなみに……

「ところで……阿求」

「はい?」

「次に転生するのを男にするかどうか決めるのは……ちょっと待って頂戴」

「え……どうしてですか?」

「そ、それは……とにかく今は待って頂戴。大丈夫、悪いようにはしないから」

「は、はぁ……」

(だってねぇ、さっきは藍はノーマルって言ったけど……出したお茶を考えると……ひょっとすると……)

春に紫が藍に頼んだそのお茶は茉莉花、ジャスミンの花とは別にもう一つ別の花を使ったお茶でその名も……

(百合仙女……まさか狙ってやったんじゃないわよね?藍?)

八雲藍、当人の与り知らぬ所で百合説浮上。今日の彼女は本当についていない。





≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪





「到着っと。着いたわよ阿求」

「は、はい。わ、本当に着いてますね。凄いです、これが噂のすきまぱわーですか」

スキマを通り抜けて突然変わった景色をキョロキョロと見渡しながら阿求が紫の紫の力に感心の声を送る。

「お褒め頂き恐悦至極ですわ。まぁ、私の知らない場所だと単純な座標指定と貴方のイメージに頼るしかないから少しずれてしまうのだけれど」

「ずれるって……玄関の真正面ですけど」

「いえ、だめね。私のイメージから3cmはずれてるわ。隙間妖怪を名乗るなら誤差3mmまでに抑えないと」

そう言って何故かゴルフスイングの練習を始める紫。スキマ式移動方に何か関係があるのだろうか?

「はぁ、大変なんですねぇ……っと、では一応……こちらが新聞に載っていた早乙女美千代さんのお住まいです」

「え、ああそうね。でも改めて見ると何と言うか……ケバイわね。なんなのよあの庭に鎮座するネジれた太陽の塔は」

「あ、あははは……」

紫のあんまりな評価に曖昧な笑いで応える阿求。しかし、彼女の心情は全くフォローの言葉が出ないところから窺い知る事ができる。と言ってもしょうがない、実際に早乙女宅はケバイのだから。何と言うか門構えに本館がどう見ても西洋風(笑)であるにも関わらず庭が日本庭園w、トドメに屋根の上に極彩色のシャチホコという辺りでセンスのぶっちぎりっぷりを察していただきたい。

「まぁいいわ、それじゃさっそく……だから、なんなのよこのバカでかい釣鐘わ、まさかこれが呼び鈴だとか言わないわよね?」

「あはは……そのまさかです」

「まったく……仕方ないわね」

そう言って紫は撞木を引いて鐘を打ち鳴らそうと……

あぁ~~ら!!そこにいるのは稗田さん家の阿求さんじゃあ~~りませんこと!!

うひゃあ!!

ひゃわあ!!

したところで後ろから炸裂した甲高い声に驚き失敗した。そして、後ろを振り向くと……

あ~らあらあらあらあらお久しぶりね阿求さんその後元気にしてたかしらお~~~ほっほっほっほっほっほ!!アタクシ?アタクシは勿論健康ですわ。健全な魂は健全な肉体に宿るって言うでしょう?お~~~ほっほっほっほっほっほ!!

と一切の躊躇なくマシンガントークをばら撒く奇怪な物体が居た。そのお~~~ほっほっほっほっほっほの怪音波攻撃にやられ阿求は完全に目を回してしまっている。

(あ、阿求!阿求!しっかりなさい!!)

(うぅ~ん?あ、紫さん?あはは~私転生して帰ってきましたよ~)

(落ち着きなさい!!気持ちは解るけど貴方はまだ死んでないわよ。私が咄嗟に『大声と小声の境界』を弄ってボリュームを下げたから。それよりまさか……)

(えぇ~と……はい。こちらが早乙女美千代さんです)

(嘘……ってことは『これ』人間なの?)

(え、いやそこまで言いますか?)

紫と阿求の目前に居る生き物を一言で言うなら……オバハン。唯その一言に尽きる。その髪型はザ・オバハンパーマ。手にしたmy買い物袋は正義の証。何と言うかここまで言えば既に脳裏にどう言う見た目か思い浮かんでしまうような風体である。目の前の屋敷とはある意味不釣合いであるが、その屋敷がそもそも調和とか釣り合いとかいう言葉に喧嘩を売っているようなデザインなので、ある意味似合いではある。

(だってここまで"らしい"と何と言うかオバハン妖怪とか言われる方が納得がいくというか……っていうか真後ろに立たれてこの私が気づかなかったのよ?そんなの霊夢にだって無理よ!?)

(紫さん、気持ちは解りますけど美千代さんは人間ですよ、慧音さん公認の……って、ひゃわああ)

あ~~らあらあらあら!!阿求さん私がお話してるのにそっぽ向いちゃ駄目ですよ。人の話はちゃんと聞きなさい習わなかったかしらお~~~ほっほっほっほっほっほ!!

「ああごめんなさいごめんなさい!だから耳元で叫ばないでください目が回りましゅ~~」

美千代に襟首引っ掴まれ耳元に怪音波攻撃を食らった阿求が再びグロッキー状態になる。しかし、オバハンはそれでも満足せずに阿求の耳にマシンガントークを叩き込み続ける。……そのままいけば恐らく阿求の脳は哀れ砂と化していただろう。しかし……

「ちょっとそこの人間?やめなさいな」

そう言って阿求をオバハンから奪い取り自身の懐に収めて保護する者が居た。誰あろう我らが美少女名探偵 八雲紫である。

「大丈夫、阿求?」

「うぅ~ぐるぐるします~~」

「あ~~らあらあらあら??」

そこでようやくオバハン……もとい美千代の感心が阿求を抱える紫の方に向く。というかこれまでのシカトっぷりを考えるに本当に今まで気付いていなかった可能性が高いのが恐ろしい。

「そこにいるのはひょっとして八雲さん家の紫さんじゃあ~~りませんこと??」

「そうだけど……どこかで会ったことがあったかしら?」

「い~え~これが初対面ですわよ。でもアタクシはそこの阿求さんの幻想郷縁起には目を通していますのでそうですか、そうですか貴方があの気の毒な紫さんですか」

ニマニマと美千代が紫に含み笑いを見せつつそう言う。

「気の毒?私は貴方に哀れまれるようなことに心当たりがないのだけれど?」

「いえいえあるでしょう。なんたって貴方はあの変態……でなくて、露出狂……でもなく、≪スッパテンコー≫な藍さんの主なのですものお~~~ほっほっほっほっほっほ!!」

「……(ピキピキ)」

高笑いを上げつつ今が旬のゆかりんリバース・スケイルを的確に逆撫していく美千代。その挑発はもはや天性の才能を窺わせる程小憎たらしい。

(ふ、ふふ、ここまであからさまにマジ喧嘩売ってきたのは幽香以来だわ……でも、だめよ紫。ここでこのオバハンを神隠ししちゃうのは簡単だけれど藍の話が聞けなくなってしまうわ。だから、ここは我慢)

「え、ええ、その節は藍がご迷惑おかけしたみたいで……それでその時の話を聞きに来たのですけど」

超人的忍耐力で怒りを噛み殺し肝心の話題を振る紫。ここで藍の無罪について言及しないのは目の前の人物が自身に都合の良い話しか聞かない類の人間であることをすでに見切っているためである。

(だ、大丈夫ですか紫さん?なんだか額の血管が凄いことになってますけど)

(ええ、大丈夫よ阿求。藍のためですものこの程度の苦行耐え切ってみせるわ)

そう言って、紫は一つ深呼吸をして目の前の証言者に質問を投げる……

「貴方は昨夜、家の藍を見たという話でしたけど良かったらその時の話を聞かせてもらえませんか?」

と、すると……

お~~~ほっほっほっほっほっほ!!お~~~ほっほっほっほっほっほ!!聞きたい!?聞きたいですわよね!?そうですわよね!?え~え~今も皆さんど~~~~~~~~してもアタクシの話をお聞きしたいって言うものだから両隣三十軒先まで話して差し上げて来た所でしたのお~~~ほっほっほっほっほっほ!!お~~~ほっほっほっほっほっほ!!

(ぐ、くぅぅううう~~~)

(きゅう~~~)

それはもはやスタングレネードなどの音響兵器に属する程の破壊力であった。この声で叫んだのなら足で回るまでもなく三十軒先まで届いたのではなかろうか?紫がどうにか意識を保ったのは彼女が最強クラスの妖怪であるからに他ならない。

「(藍のため、藍のため、藍のため……!!)え、ええ、是非とも聞きたいですわ。と、その前に貴方は藍のことを以前から知っていたのかしら?」

『うわーん!!死なせて!!お願いですから死なせて下さい紫様!!こんな醜態を豆腐屋の右エ門に!発明家の英助に!阿求に!!なにより橙と紫様に知られて生きていくことなど出来ません~~!!』とは今朝方の藍の台詞であるが、その中に美千代の名前が入っていなかった事を求聞持ならずとも紫の明晰な頭脳は記憶していた。

「え~え~知っていましたとも!何せあの無礼な≪スッパテンコー≫はアタクシの教育方針にケチをつけるなんて愚かなことをやって行ったのですからお~~~ほっほっほっほっほっほ!!」

「? それは一体……」

(紫さん、紫さん……)

(阿求?大丈夫なの?無理しなくていいわよ)

(いえ、何とか大丈夫です。それで藍さんと美千代さんのことなんですけど……)

(知っているの?)

(はい。その美千代さんの娘のさやかさん、なんですけどその子も美千代さんの過保護っぷりに少し、その困っていたらしくて……それで以前慧音さんの代わりに寺子屋で先生役をしていた藍さんに相談したらしいんですけど……)

(なるほど、藍は真っ向から説得しに行った、と)

(……はい)

阿求の情報に得心した紫はコクコクと頷きながらその情報咀嚼する。成程三十軒先までとは随分暇なオバハンだとは思っていたが……個人的な恨みもあったのか、と。

「解りました。それでは昨夜の藍の事について聞かせて欲しいのですけれど……」

「あ~~らあらあらあら、自分の式の不手際を聞いても謝罪の一つもないのかしらまぁあんな式の主に礼節を求めるほどアタクシは愚かじゃあないので見逃して差し上げますけどお~~~ほっほっほっほっほっほ!!」

「……(ビキビキビキビキ)」

(ゆ、紫さん!!落ち着いてください!!ほら、藍さんの顔を思い浮かべて!!)

「(藍藍藍藍藍藍藍藍藍藍藍藍……)え、ええ、そうしてくださると助かりますわ。それで昨晩の藍のことなんですけれど……「お~~~ほっほっほっほっほっほ!!よくってよ。アタクシ今と~~~っても機嫌がいいですから聞かせて差し上げますわ。まぁ~~ずは向こうご覧なさい」」

(この!!……人の話を……!!)

(駄目ですって!!紫さん!!)

紫の言葉を華麗にスルーして『向こう』を向く美千代に思わず拳を振り上げる紫だったが、その拳に懸命にしがみつく阿求の姿を見てどうにか平静を取り戻す。こうなってくると阿求を連れてきたのは大正解であったと言える。

「ここから三軒向こうの家の……あの屋根の上ですわ。あの淫乱≪スッパテンコー≫が素っ裸で現れたのは」

「い、いんら……い、いえ……あの赤い屋根の家かしら……?」

「ええ~~そうでしてよ!!あの赤い屋根の上であのキチ◯イ≪スッパテンコー≫は淑女としてあるまじきことに帽子以外、衣類を一切纏わず素っぱだかでどこぞの娼婦のように踊り狂っていたのですわ。い~~え娼婦の方が屋内で仕事する分まだ慎み深いでしょうねお~~~ほっほっほっほっほっほ!!」

(放して!!放して阿求!!私の藍をここまで虚仮にしてくれたあのオバハンをゆかリん式魔帝7ツ兵器、隙間のDie鉄槌(ゆかりんハンマー)で萃香の胸みたくつるぺったんにしてやるんだから!!)

(落ち着いてください紫さん!!気持ちは解りますけどそんな物人里でぶっ放したら人里が壊滅しちゃいますから!!あとそれ聞いたら萃香さん泣いちゃいますよ!?)

高笑いを続ける美千代の背後で人里存続のために巨大ハンマーを振り回す紫の腰元にしがみつく阿求。ぶっちゃけその頑張りは彼女自身が幻想郷縁起・英雄伝に載っても差し支えないレベルである。

「まぁ~そしてあの色情狂の≪スッパテンコー≫はひとしきり踊ると空を飛んで北の方に消えていったのですわ。ってあ~~ら貴方達汗だくでど~~したのかしら??」

ひとしきり笑い終わった美千代がクルリと振り返るとそこには汗だくになった紫と阿求の姿があった。何故汗だくは語るまでもないだろう。

「ぜーぜー……ええ、失礼しましたわ。少々風邪気味なもので……」

「あ~~らそうなのアタクシのように健全な魂を持てば風邪など無縁なのですけれどあ~~の≪スッパテンコー≫の主じゃそんなの望むべくもないですわね~~!!よければ我が家のお薬お使いになります?家のお薬は今噂の永遠亭のお薬ですからよ~~~く効きますわよ!!ひょっとしたら変態も治るかも知れませんわよお~~~ほっほっほっほっほっほ!!」

「(ビキビキビキビキビキビキ)ふ、ふふ、ふふふふふふふふ……」

(ゆ、紫さん……?)

(ごめんなさい阿求。流石にもう限界だわ)

(紫さん解っているとは思いますけど暴力は……)

(ええ、解っているわ。大丈夫、大丈夫よ阿求)

ニヤリ、と妖怪としての不吉な笑顔を浮かべて改めて美千代に視線を合わせる紫。

「いえ、残念ですけれどそれはまたの機会に……それにしてもこちらのお屋敷は立派ですわねぇ」

「あ~~ら≪スッパテンコー≫の主でも解ってしまうなんてやっぱり凄いのねこの家はこの前買って改装したばかりなんですけどねぇ~~~!!お~~~ほっほっほっほっほっほ!!」

「ええ、ええ、素晴らしいですわ特にこの釣鐘なんて歴史を感じさせて素敵ですわ。よろしければ記念に一度突いていってもよろしいかしら」

「お~~~ほっほっほっほっほっほ!!お~~~ほっほっほっほっほっほ!!構わなくてよ!!庶民のささやかな願望を叶えて差し上げるのもセレブの務めですわお~~~ほっほっほっほっほっほ!!」

「そ~~~う。えー有難うございます」

そう言って満面の笑みを浮かべ撞木の紐を手をかける紫。更に一度深く息を吐き出し、短く鋭く息を吸い……

「スッ……覇ッッ!!

ガゴォォォオオン!!

裂帛の気合と渾身の力を込めて撞木を鐘に叩きつける。そして人間が突くことを前提としている建築で大妖怪:八雲紫の全力を受けきれるはずもなく……

「か、鐘が空を飛んでます……」

阿求が呆然と零した言葉の通り巨大な釣鐘は吊金具を引きちぎり空を舞う、そして着地し……

ドゴン!!ゴロゴロゴロゴロゴロ……ガゴォン!!

ぎゃあぁぁ!な、なんだぁ!!

鐘が!鐘が!!

おい!!その火消せまずいぞ!!ぎゃー引火した!?

庭に立っていたエセ太陽の塔を吹き飛ばし、更にゴロゴロと転がり屋敷に突っ込んでいき……三人の視界から完全に消えた。

「…… ( ゚д゚)」(みっちー)

「…… ( ゚д゚)」(あっきゅん)

「ふぅ、すっきりしたわ。それじゃ行きましょうか阿求」

数十メートル先の惨状にまるでそぐわぬ晴れやかな笑顔で阿求の手を引く紫。いまだに呆然自失から抜け出せない阿求はズルズルと引きずられて行く。そして紫と一緒に、その場にへたり込む美千代が見えなくなった辺りまで移動してようやく再起動した阿求は決意する。帰ったら幻想郷縁起、八雲紫の覧に必ず……

(彼女の前で式のことを馬鹿にするのは厳禁であるって書いておこう)

と、拳を握りそう決意するのだった。

……………………

………………

…………

「そ、それにしても……無駄足になっちゃいましたね。美千代さんの所に行ったのは」

後に『八雲紫の鐘突き事変』と呼ばれるようになる事件を有耶無耶にするかのように無理やり笑顔を作り紫にそう言った。いや、実際空飛ぶ鐘の光景は彼女にかなりの衝撃を与えたのである、少なくとも即刻話を逸らして忘れ去りたい程度には。

「いえ……あのオバハンは正直二度と顔を見たくないけれど……証言はそれなりに役には立ったわ」

「え?」

予想外の返事に再び驚き顔になる阿求。その顔には、そんな役に立つ証言がありましたっけ?と解りやすく書いてある。

「オバハン……もとい彼女が≪スッパテンコー≫を目撃したのは彼女の家から僅か三軒先よ、そして藍の知り合いである阿求の家にわざわざ≪スッパテンコー≫が忍び込んだことを考えると……初めから藍に恨みのある、それこそ放っておいても三十軒先まで勝手に噂をばら蒔いてくれるような彼女に自身を目撃させるつもりだったと考えられるわ」

「は、はぁ……なるほど」

「阿求、藍と彼女が揉めていたというのは人里ではどの程度知れている話なのかしら?」

「え?ええと……そんなに有名ではないと思いますよ?美千代さんがちょっと困った人だというのは結構有名ですけどその具体的な話となると……私だって知っていたのは美千代さんと慧音さんの家の間の通りに住んでいるからですし……あ」

「となると、≪スッパテンコー≫はそんな話を知っている程、人里の事情に通じている人物ということになるわ。そして、現在容疑者である者の中でそんな奴は少ないわ……該当するのは……所用で人里に出向くことが多い従者陣、それと人里から宴に出向いてきた者……それでも容疑者の半分近くを削れるわね。まぁ、あのオバハンと向かい合う苦行の対価としては些か安い気もするけれど……無駄足というほど収穫なしというわけでもないわ。それに……」

「それに?」

「何と言うか……何か気になるのよ。今は何とも言えないけど、何かあのオバハンの証言に、なにか……」

そう言っておとがいに手を当て思案にふける。そして、一秒経ち、ニ秒経ち……

「……駄目ね、解らないわ。大切なことのような気がするのだけれど」

そう言って首を気怠げに振る紫。

「は、はぁ……いえ、でも凄いですよ紫さん、本物の探偵さんみたいです!その格好は伊達や酔狂ではなかったんですね!!」

「あら。貴方はこの格好を伊達や酔狂だと思っていたのかしら?」

そう言ってホームズ風の鹿撃ち帽の角度を直す紫。

「え。あ、いえそれは……似合っているとは思いますよ?」

「ふふ、そう、それならよしとしましょうか。……さてと、それじゃ慧音達を拾いに行きましょうか、流石にもう慧音も復活してるでしょうし」

そう言ってスキマを開こうとパイプを振り上げる紫。が……

「あ、ちょっと待って下さい。このまま次の豆腐屋の右エ門さんの所に向かいましょう。ちゃんと書置きはしておきましたので」

「書置き?」

「はい。慧音さんが復活したら豆腐屋さんの近くのお団子屋さんで合流しましょうと書いておきました」

えへん、と得意げに胸を張る阿求。彼女の屋敷でも何度も見たそれはどうやら彼女の決めポーズらしかった。

「そう、それは助かるわね。ありがとう阿求」

「えへへへ」

「それじゃ行くわよ。掴まりなさい阿求」

「はいっ!」

そう元気よく返事をした阿求を小脇に抱え紫はその身をスキマに踊らせた。





≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪






「あ、来たわよ慧音。お~い、こっちよ二人とも!!」

スキマから飛び出た紫と阿求を出迎えたのは優曇華のそんな元気な声であった。そして、そちらに目をやれば涼し気な顔で茶を啜る慧音の姿も見て取れる。……どうやら無事に復活することができたようである。

「……すまん。迷惑をかけた」

優曇華に呼ばれ二人のそばに来た紫と阿求にそう言って頭を下げたのは生真面目な慧音である。わざわざ椅子から立ち上がり深々と腰を折る本気の謝罪であった。

「……そこまで真剣に謝られると対応に困るのだけれど……、まぁとにかく私は気にしてないから頭を上げて頂戴。というか一度目は私の悪巫山戯が原因で二度目も私の発言のせいなのだし」

「私も気にしてないですよ、慧音さん。……むしろ、普段見れない慧音さんを見られて得した気分です」

「む、ぐ……いや、そう言って貰えると助かるよ。……早乙女さんのことも任せてしまったからね」

最後の『早乙女さん』の件で再び申し訳なさそうな顔になる慧音。……どうやら二度のご乱心より、そちらを申し訳なく思っているようだ。上白沢慧音にここまで恐れられると考えると、実はあのオバハン、大した人物なのかも知れない。

「そのことも謝られる筋合いはないわよ。慧音を置いていったのは昨夜の抗議の方に話を持って行かれると困るという理由もあったんだから。貴方の心情を除いても残って貰うつもりだったわよ私は」

「む、それはそうなのかもしれないが……いや、これ以上は言っても意味のないことだな。この借りは≪スッパテンコー≫を捕らえることで返させてもらう」

「ふふっ。ええ、そうして頂戴」

決意を新たにした慧音を微笑ましく見つめ、紫は団子屋の方へ歩を進めていく。

「あれ?紫、豆腐屋に行かないの?」

「勿論行くわよ。けど、その前に……」

くぅ~~。

「……」

「……」

「……」

「あわわわわ」

紫の台詞をあまりにも絶妙なタイミングで遮った、小さいながらも確かな腹の虫の声に三人分の視線が阿求に向けられる。

「……なるほど。そう言えばもうお昼は過ぎてるわね」

「ああそうだな、日を見るに……四刻は過ぎているだろうな」

「ええ、という訳でまずは食事にしましょう。腹が減っては戦は出来ぬ、よ。それに万が一、阿礼乙女をハラペコで倒れさせたなんてことになったら人里のお歴々から白い目で見られちゃうわ」

「う、うぅ~~」

そう言って、顔を赤くする阿求の頬を楽しそうに突付いてから紫が改めて団子屋―軽食もやっている―の暖簾をくぐる。その紫の後ろ姿を見送った慧音と優曇華は互いに顔を見合わせ、そして何かを確認するかのように互いに一つ重々しく頷く。

「じゃあ行きましょうか慧音。御阿礼様が倒れないうちに」

「うむ。それに嫁入り前の娘の腹の音をこれ以上衆目に晒すのは忍びないからな」

と、そう言って左右両側から阿求の頬をそれぞれ突付いてから紫の後に続く。

「うぅ~~~~三人ともひどいです!!そこは見て見ぬフリをするのが友達でしょう!?」

そして、最後に顔を真っ赤に染めた阿求がそんなことを叫びつつ暖簾をくぐっていった。

………………………………

………少女食事中………

……………………

「ふむ。つまり早乙女さんの証言を纏めると従者組と人里組……まぁ、私と阿求だが、が怪しいということだな?」

全員がずるずるときつねそばを願掛けとして食した後、紫が話した美千代の証言を聞いて、慧音が出した結論は図らずとも紫と同じものであった。この辺りは今朝の焼き直しであった。

「ねぇ、阿求。今の話を聞いて慧音と同じ結論が出せないのは私が愚鈍だからなのかなぁ?(泣)」

「ぐ、ぐど……いえそんなことはないですよ優曇華さん!!私だって紫さんに言われるまで気付きませんでしたから!!そ、それに優曇華さんは愚鈍じゃなくて、どちらかと言えばうどんです!!」

「……最後フォローになってない、というか訳分からないわよ?阿求」

「あわわわわ。ええと……大丈夫ですよ!紫さんの話の説明はちゃんと私がしますから!!」

……無論、話について行けなくて困惑する優曇華も全く同じように再現されているのであった。と言っても、自分と同じ立ち位置で事情を説明してくれる人間がいるぶんだけ今朝よりはマシなようだが。

「やれやれ、いきなり容疑者が半分近くまで減るとは……喜ぶべきか悲しむべきか……」

そして、後ろであわあわしている二人を尻目に大人びた苦笑で、複雑だな、と肩を竦めるのは慧音である。

「あら?喜んではくれないの?犯人の正体に一歩近づいたというのに」

「それは無論喜ばしいが……この場にいる容疑者三人が全員容疑者のままだからな。手放しで喜ぶには少しな……」

いっそ主組の方が容疑者になれば気が楽だったのだが、と冗談めかして冗談を吐く慧音。

「……一応言っておくけど、心情的には貴方達はシロだと私は思っているわよ」

「心情的には信じていても論理的には疑っている。名探偵とはそういうものだろう?」

そう言って再び慧音は軽やかに笑う。

「ふむ……貴方の冗談を日に二度も聞くなんて……雨が降らない内に早く片付けたほうがよさそうね」

「ああ、全くだな……っと見えたぞ。あれが藍行きつけの豆腐屋『島木』だ」

そう言って慧音が指差す先には、確かに店名を達筆な筆字で記された暖簾と一本の旗が見える。

「ふぅん。あれが、ね。……ところで慧音、この証言者の右エ門というのはどういう人間なのかしら?」

「……豆腐屋だ。とかそういう事を聞いているわけではない、よな?」

「ええ、まぁ簡単に言うと何の覚悟もなく対面した豆腐屋があのオバハンと同じ類の人間だったら私は今度こそ人里をつるぺったんにしてしまうかもしれないから、事前に覚悟させておいて欲しいってことよ」

「つるぺったん??……まぁいい、つまり右エ門がどんな性格かということだな。ふむ、その点は心配しなくてもいいよ。奴は真っ当な常識人だからな。少なくても早乙女さんとは似ても似つかない」

「知り合いなの?」

「元教え子だ。その頃も……まぁ、やんちゃではあったがいい子だったよ」

慧音は目を細め通りを行く子供達を見遣る。彼女の目にはその子供達以外にも昔日の右エ門氏が映っているのかも知れない。

「そ、まぁ藍が好感を持っているなんて言ってたからそんなに心配はしていなかっ「それは本当ですか!?」……ひゃあ!?」

慧音の昔を懐かしむ顔を流し見しつつ、今朝方の藍の発言を思い返していた紫だったが突如後ろから、どこか切羽詰った声をかけられて素っ頓狂な声を上げる。

「い、今のは本当なんですか紫さん!?」

そう言って、驚き振り向いた紫に取り縋るのは優曇華と話していた阿求であった。どうやらこの恋する阿礼乙女、藍の情報に関しては求聞持だけでなく地獄耳の能力も得るようだった。

「ちょ、落ち着きなさいな阿求。好感って言ってもあの言い方はどう聞いても、いい人ね的意味だったから……」

「それでもです!!人里でも鈍感で有名なあの藍さんにそんな事を言わせるだなんて……」

「ああ……驚きだな。まさかあの藍に……」

「本当にね。あの藍に……」

紫の発言に最も過敏に反応したのは阿求であったが、驚いたという点では慧音と優曇華も同じであったらしく目を見開きつつ呆然とした声を出す。

「ちょ、ちょっと待って今度は私が驚いたわ。何?藍はそんなキャラで人里で通ってるの?」

「え、知らないの?藍の主なのに?」

「ぐはっ……、うう、その点は反省してるからこれ以上触れないで頂戴。それで藍が鈍感って言うのは?」

純粋に不思議そうに首を傾げる優曇華に今朝の文の姿が重なってしまい思わず呻く紫。藍と距離が開いてしまっていることを人に指摘されるのはどうやら相当堪えるようだった。

「え、ああ……ほら藍って美人じゃない?だからその見た目だけでも寄ってくる男が結構いるんだけど……何と言うか直球で「愛してる!!」とか叫ばない限り言い寄っていることにさえ気付いてもらえずに散っていく男が……まぁ、噂になるぐらいはたくさんいるのよ」

叫んだら叫んだで「私は女である前に式なのだ。すまん」とか武士みたいな断りかたするらしいし、と巷で噂の鈍感狐、八雲藍の伝説を主にぶちまける優曇華。

「そ、そうなの……それは主として喜ぶべきなのか、母として悲しむべきなのか複雑になる話ね」

そう言って先程の慧音のように何とも言い難い表情になる紫。と言ってもやや喜びが勝っているように見える辺りやはりこのスキマも親バカである。

「そうなんです。だから次に転生するまできっと大丈夫だと、そう思っていたのに……」

そう言って、いっそ泣き出してしまいたいと言わんばかりに悲愴な顔になるのは阿求である。この累計数百歳の小娘は藍の事になると感情の振り幅が大きくなるようだった。

「まぁ、落ち着け阿求。別に藍と右エ門が本当にくっついたという訳ではないのだし……それに今藍が右エ門と付き合ってもお前が転生するのは100年以上先だろう?言い方は悪いかもしれないがその頃には右エ門は間違いなく死んでいるぞ」

「なるほど。となると……未亡人の藍さん!?それも素敵かも!?」

そう言って、きゃ~きゃ~とトリップする阿求。

(……何と言うか……この娘、藍が絡むと本当に残念な感じになるのね。普段はいい子なのに……)

(あーそれは……藍が魅力的過ぎるんだと、そう納得しておけ。そうすれば色々と楽になるぞ?)

(ちなみに言うとこの状態の阿求も割と有名な話よ?妖狐が御阿礼様を誑かしたって否定的な派閥と、きゃー阿求ちゃん頑張ってーな派閥とで抗争が起きるくらい)

(そんなに!?)

藍にまつわる様々な噂話に衝撃を受け続けてきた紫に本日最大の衝撃が襲いかかる。

「う~ん。そうなってくると……藍が百合に走る前に本当にその右エ門と藍をくっつけちゃおうかしら?」

「はぁ、お前まで何を言っているんだ。というか、そもそもだな……」

「あーお客さん方。申し訳ないんですが店先で立ち止まられると……って慧音先生?」

「ん?ああ、噂をすればなんとやら……久しぶりだな、右エ門」

「へ、へえ。お久しぶりでさ。慧音先生」

そう言って慧音に頭を下げたのは店名の入った前垂れを腰に巻いた、まだ若く見えるのに白髪の目立つ男性であった。慧音の呼び掛けから彼が新聞の証言者である右エ門なのは紫にも察せられた。

「店先で騒いでしまって済まなかったな……いや、それにしても店主姿が板に付くようになってきたじゃないか」

「そう言ってもらえると頑張ったかいもあるってもんでさ。子供の時分、慧音先生の頭突きを一番食らってたのはあっしでしたからね」

「ふふ、そうだな。後にも先にもお前ほど手の掛かった教え子はいなかったよ」

「ははは、やめてくださいよ。そんなに慧音先生に褒められるとくすぐったくていけねぇや」

「おいおい、今のどこが褒めてるんだ。……と言いたいところだが、そうだなお前に関しては褒め言葉かも知れないな」

「うは……こりゃ今日の仕事は張り切らにゃなりませんね。慧音先生に立派なとこ見せねぇと。……えー、ところで今日はどうしたんで?別嬪四人、揃い踏みで」

そう言って右エ門は慧音のやや後ろに居た紫達に視線を移す。その視線はやや訝しげである。まぁ、確かに豆腐屋の前にうら若き乙女(見た目)がぞろぞろ居るのは珍しい光景であろう。

「ああ、ちょっとそっちの……名探偵さんがお前に話を聞きたいそうでね」

「は、はぁ……?」

慧音が指を指した先に居るのは当然ながらホームズ姿の紫である。そして、慧音に指差された紫は威風堂々と右エ門の前に進み出る。

「ええと……」

「初めまして、只今紹介に預かりました八雲紫と申します。少々お話させてもらってもよろしいかしら?」

「八雲……ああ、成程。そういうことですかい。わかりやした。……外じゃなんです、狭い店ですがどうかお上がりくだせぇ」

人里では珍しい、というか何処でも普通に珍しい紫の装いに面食らっていた右エ門であったが、紫の名を聞くと一転、得心行ったと言わんばかりの面持ちとなり紫の頼みに頷きでもって返し、店に紫達を案内する。

「「あ、けーねせんせー!!」」

「おや、これは珍しい。慧音先生に……おやおやこんなに美人さんぞろぞろ引き連れて。浮気ってのはもっとあたしにバレないようにやるもんだよ、あんた」

「違げぇわ!!子供の前で何言ってんだ!!……この方は藍ちゃんの主の八雲紫様だ。それに兎の嬢さんと稗田様はお前も知ってんだろが」

「あんたこそ子供の前で狼狽えてんじゃないよ。冗談でしょうが……ふむ、この方が八雲様ね……」

そう言って、店に入って早々右エ門を動揺させた店の勘定台に立つ凛とした雰囲気の女性と―恐らく右エ門の妻―、その隣でどうにか頭が勘定台の上に覗いている同じ顔をした双子の娘二人が紫に視線を向ける。そして、何かを思案するような顔を浮かべ……

「うん、わかった。店番はやっとくわ。……八雲様方狭苦しいところですが、見ればお疲れの御様子。良ければゆっくりして行ってください」

紫達にぺこりと頭を下げた。

「……ええ、それでは御言葉に甘えて失礼させてもらいますわ。それじゃ慧音……」

そして、そんな丁寧な態度に些か面食らう紫。それでも気を取り直して後ろを振り向き助手たちを引き連れようとするが……

「けーねせんせー!!遊んでー!!」

「うさぎちゃんとあきゅちゃんも遊んでー!!」

「ちょ、こらお前達」

「うわ、わ、ぶら下がっちゃ危ないわよ!!」

「あわわわわ」

何時の間にやら慧音達に寄って行っていたらしい双子が慧音達の腕にぶら下がっていた。流石の八雲少女探偵団も子供相手では分が悪いのか慧音以外はかなりあたふたしている。

「おい、こらお前達やめ「ちょっと待ちなさいな」……八雲様?」

そしてそんな子供達を止めようとした右エ門であったが、紫がそれを止める。

「ふふ、子供が元気なのはいいことですわ。それに話を聞くのは私だけでも大丈夫よ。あの三人はあのままでいいわ」

「へ?いやしかし……」

「右エ門。構わないから行って来い。教え子にじゃれつかれて疎うようでは先生など務まらんからな」

そう言うのは右エ門と同じく止めに入ろうとしていたらしい右エ門の妻と向きあう慧音である。流石に寺子屋の先生だけあって子供の扱いには慣れているようだ。

「へ、へえ。それではすみませんが……よろしくお願いしやす。……では八雲様はこちらに」

「ええ、お邪魔しますわ」

そう言って紫は島木家の『家』に足を踏み入れるのだった。




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「粗茶ですが、宜しければ」

畳敷きの一室で紫に座布団を勧め、お茶を差し出し右エ門は紫の前にどかりと腰を下ろした。

「では改めまして、あっしはしがない豆腐屋、名を島木 右エ門と申します。店に居りましたのは妻の都子、娘の碧と朱美でさ。息子も居るんですが……今は出ておるようです」

深々と頭を紫に向けて下げる右エ門。その様からは真摯な敬意が感じられ、再び紫は面食らう。

「え、ええ。ご丁寧にどうも。こちらは……いえ、阿求と優曇華もご存知のようでしたね」

自身が連れてきた面々を思い起こし、紹介がいる者がいないことに思い当たり首を振る紫。

「へい、左様でさ。稗田様は有難くもあっしの豆腐を贔屓にして下さっておりますし、兎の嬢さんには薬の方で世話になっております」

「ふむ……それでは不躾ですけれど、早速本題に入らせてもらってよろしいかしら?」

「昨夜の件……でごぜぇやすね?」

互いに挨拶を交わした後、眼光を鋭くして即座に本題に入る二人。右エ門は紫が来た時点で用件を察していたし、紫は右エ門が自身の用件を察していたことを予測していたが故の切り出しであった。

「ええ、そうよ。昨夜、貴方が見た藍について話を聞きたいの。話して頂けるかしら?」

「勿論でさ、一番の得意様の一大事。あっしに協力できることでしたらなんでも致します。ただ……話に入る前に一つお尋ねしたいことがありやす……」

「……なにかしら?」

「無礼かも知れやせんが率直にお聞きしやす。あれは本当に八雲様の式……藍ちゃんだったんでしょうか、それとも……」

伏し目でまるで家臣が主にするかのように話していた右エ門が面を上げて、紫の目を見て真剣に問い掛ける。

「……驚いたわ。人里でそれに気付く者がいるなんて……ええ、察しのとおりあれは藍じゃなくて偽物ですわ。八雲の名に賭けて保証します」

そう言って紫は目を見開いて驚きを露にする。

「やはり……いや安心しましたわ……くく、狐狸の類に化かされてほっとするってぇのも珍しい話でさぁな。全く」

いや、狐狸は藍ちゃんの方でしたな。と、そう言って笑う右エ門。

「ええ、そうですわね。……でもどうして解ったのかしら?正直そこから説明しないと、と思っていたのですけれど」

「へい。それは……ですね。実は気付いたのはあっしでなくて妻の方でして。以前、あっしとあれが留守の時に藍ちゃんが家のガキ共の世話を引き受けてくれたことがありまして……その時、あっしより一足先に帰ってきた妻が風呂に入っている藍ちゃんのところに、その、まぁ突撃してったってぇ話なんですが……その後のことは八雲様ならお解かりになるんじゃ?」

「……ええ、まぁ容易に想像できるわね」

うぶい藍のことである。きっと卒倒せんばかりに恥ずかしがって湯船の端で膝を抱えていたのだろう。

(なるほど、つまりこの豆腐屋は藍のうぶさを知っていた、と。それなら納得だわ。……けど)

「こちらから昨夜の話を急かしておいてなんですけれど……貴方達、島木家と藍はどういう関係なのか伺ってもよろしいかしら?随分と親しいようですけれど」

事件の本筋と関係あるかどうかは微妙だが、藍の主として、親としては非常に気になるところであった。何と言うか話を聞く限り藍が親戚のお姉さんみたくなっている。そも呼び方が藍ちゃんである。

「そりゃあ、勿論構いまやせんが……そうですなぁ、まぁ、藍ちゃんは先代、あっしの親父の代から家の油揚げを贔屓にしてくれてましたんでそれからの付き合いでして。そんで……まぁ、親父が早くに亡くなっちまいまして、あっしは親父の技を受け継ぎきれなかったんでさぁ。それでも親父の店潰しちゃあの世で胸張って親父に会えねぇとあっしなりに頑張ってたんですが、所詮は若造の悪足掻き。中々上手くは行かなかったんでさ。そんで、そこに……」

よければ手伝おうか?と声を掛けたのが藍であったという。その時の右エ門は店をほぼ一人で切り盛りしており、猫の手も借りたい程多忙であったため、藍の申し出はまさしく天の、いや天孤の助けであった。以来、都子が嫁いでくるまでは店番をして手伝ったり、それからも豆腐の出来を見たりしていたのだという。

「あっしが遥か年上の藍ちゃんをこう呼ぶのもガキの時分に時たま世話になってたときの癖でして。まぁ、無礼かもしれませんがあっしにとっちゃ頼りになる姉貴分ってところでさ」

「……そう。とりあえず貴方のその思いは無礼などではない、とだけ言っておくわ」

「へい、有難うごぜぇやす。いや八雲様にそう言って頂けるとあっしも心強い」

「……ええとそれで、その……」

「? へい、なんでやしょう?」

「藍は私のことについて何か言ってなかったかしら……?」

そう言う紫は親しい者が見れば解る程度には凹んだ顔をしていた。何せ藍ともはや家族ぐるみと言っていい付き合いをしている島木家のことすら知らなかったのである。流石にこれは彼女の親心に響いた。

(ていうか、そこまで親しいなら藍も話してくれてもいいじゃない……はっ!?まさかこれが噂に聞く反抗期!?)

「ふむ。八雲様のことならよく藍ちゃんが話してくれとりましたよ。それこそあっしがガキの時分から聞いております」

「え?本当!?」

内心かなり凹んでいた紫は右エ門の言葉に身を乗り出さんばかりに食いつく。が……

「ええ、いつまでも寝てばかりいるし、家事は全く手伝ってくれないし、酒で潰れてゴミ捨て場で寝こむような困った主だといつも言っておりました」

「ぐはっ……」

期待で顔を輝かせた紫に振り下ろされたのは天孤の断罪であった。と言っても完全に自業自得なのだが。

(うう……、確かに最近藍に頼ることは多いけど、そんな風に思われていたなんて……ショックだわ)

ズーン、とそのまま床に沈み込むような勢いで凹む紫。が、

「……と言うのが、ま、表向きの話でさ」

「? ……どういう事?」

「八雲様の仰る通り、あっしは藍ちゃんと親しくさせてもらってますんでたまに酒を飲み交わすこともあるんでさぁ。そんでまぁ、その時の藍ちゃんといったら……口を開けば主の自慢話ばかりでして、どこぞの吸血鬼を相手取った紫様は巴御前もそこのけの凛々しさだっただの、紫様の頭の中を覗けば聖徳太子が卒倒するだの、今幻想郷が存在するのは紫様のお陰なんだだの……それでもって、話の締めはいつも同じ、誰より幻想郷の事を想っているのは紫様で、そんな紫様は私の誇りなんだとそりゃあ自慢気に語るんですわ」

ありゃもう惚気って言うべきやもしれやせん、と酔った姉貴分の顔を思い出し苦笑する右エ門。

「……え、ええと……///」

右エ門の―恐らくは藍には止められている―ぶっちゃけ話を聞いて喜ぶのを通り越して呆然とする紫。その顔は常にないほど真っ赤である。ただ内心では一つ得心もしていた、島木一家の丁寧な態度はそれが原因か、と。

「ただ、そんな主様が最近自分とあんまり話してくれんとも言うておりましたんで、どうか……」

酒でも一献付き合ってやってはもらえやせんか?、そう問うて紫の朱の差した顔を見ながら剽げた笑いを浮かべる。

「……そうね。この件が片付いたら是非そうするわ」

右エ門の笑みを見てコホン、と軽く咳をついてから落ち着いた態度を取り戻しこれまでの貴婦人然とした態度を取り繕い、澄まし顔で紫は首肯する。……内心は喜色で一杯であったが。

「そうされるのがよろしいかと存じやす」

「ええ、それじゃ藍と早くお酒を飲むためにも……昨夜の話を聞かせてもらえるかしら?」

「承知しやした。……と言うても一体何から話せば……?」

「そうね……まず藍を見たのは何処だったのかしら?この近く、よね?」

「ええ仰る通りで、昨夜に≪スッパテンコー≫が現れたのは店の玄関口……八雲様もお通りになった戸口の下でさ。わざわざ戸ぉ開けて店の片付けしてるあっしの前に現れまして」

「ふむ。……なるほどねぇ」

(阿求、オバハンと来てこの豆腐屋の前にもわざと姿を見せた……やっぱり≪スッパテンコー≫は藍の人里での交友範囲を把握しているようね)

先程の自身の推理を裏付ける証言が得られて満足気に頷く紫。そして、そのままの得意顔で次の問答に入る。

「時間はいつ頃だったのかしら?」

「正確な時刻は解りやせんが……満月がちょうど南の天辺にきてやしたんで、0時前後くらいじゃねぇかと思いやす」

(となると……0時頃にまだ宴にいた者は容疑者外に……?いえ、分身出来そうな奴なんてあの場には腐るほどいるわね。でも分身の遠隔操作に変化となると厳しい……かしら?)

右エ門の証言を頭で転がし吟味する紫。その様はこれまでのドタバタ劇とは比較にならない程探偵らしい。

「わかったわ。それじゃあ次に……昨夜の≪スッパテンコー≫に不自然なところはなかったかしら?見た目でも、態度でもいいわ」

「……不自然なところ……と言や勿論素っ裸だったことでさぁな、ははは。あとは……そうですな、胸がいつもより大きかった気も……いや、母ちゃんが藍ちゃんはサラシ巻いてるって言うてたからこれも不自然とは言えん、か……帽子も別におかしくは……」

先程までと違い右エ門も腕組みし唸りながら思案に暮れる。その顔は先程の剽げた顔とは正反対に真剣である。

「態度の方はどうだったかしら?」

「態度の方は……正直、何とも言えやせん。なにせあの≪スッパテンコー≫ときたら私を食べてだの、やらないかだの普段の藍ちゃんなら言わんようなことしか言うとりませんでしたので」

「ふむ。不自然な所しかなくて逆に特徴を見出せない、か」

「左様でさ」

(この辺≪スッパテンコー≫はそつがないのよね。堅実というか何と言うか……)

右エ門の何とも言えない返答に特に気落ちすることもなく、思案を巡らせる紫。

「あ……そういや……」

「? 何かあったのかしら?」

「は、あ、いえあったと……言うべきかどうかは微妙なんですが」

「何でもいいわ。言ってみて頂戴」

「解りやした。しかし、何と申しやしょうか……そうですな、昨夜の≪スッパテンコー≫はやけにはっきり見えたような気が……」

「……はっきり見えた?」

「へい。この辺りは夜半までやっとる酒屋もなく夜はほんとに真っ暗になるんでさ。そこんとこ考えると昨夜の≪スッパテンコー≫は、灯りをともしてたってぇ訳でもないのに面映の朱まで見えてましたんで……不自然っちゃあ、不自然って気も致しやす」

「……はっきりと……」

「ええ……まぁ勿論、他人様に化けるなんてぇけったいな奴が相手です、何かしらの妖術を使ったのやも、と言われればそれまでなんでやすが」

「……妖術……」

右エ門の証言を聞き紫は眼を閉じる。……解る。根拠はない。しかし、今の右エ門の証言は間違いなく事件の核に迫った物だと名探偵 八雲紫の勘がそう確信していた。

カチリ、と音が鳴る。

『そうですね。普通に考えれば求聞持の力を持つ私は最も犯人に歓迎されざる目撃者のはずですものね』

紫の頭蓋の中で証言という名の歯車が推理という名の油を注がれ噛み合う音がする。

『ええ~~そうでしてよ!!あの赤い屋根の上であのキチ◯イ≪スッパテンコー≫は淑女としてあるまじきことに帽子の他に衣類を一切纏わず素っぱだかでどこぞの娼婦のように踊り狂っていたのですわ。い~~え娼婦の方が屋内で仕事する分まだ慎み深いでしょうねお~~~ほっほっほっほっほっほ!!』

その歯車が描き出す完成図は……

「そう、そういう事……」

「八雲様?」

「でも駄目ね。これじゃまだ……いえ待って、もしそうだとするとあれは……」

「八雲様?どうしやした?」

目を閉じ突然ブツブツと呟きだした紫に右エ門が訝しげな声を掛ける。そして、果たしてその声が届いたのか……

「『右エ門』!!」

「はっ、何でやしょう?」

目をスッと見開き強い語気で、まるで式に呼びかけるかのように右エ門の名を呼ぶ。

「一つ見せてもらいたい物があるのだけれど」

「へい。あっしに用意できる物でしたら喜んで」

「ええ、それじゃあ……」

そう言って紫は右エ門にそっと耳打ちし……

「……かしこまりやした。今お持ちしやす」

「ええ、頼んだわ」

右エ門の快諾に一つ大きく頷き……程無くして差し出されたある物に目をやり……ニヤリと笑った。






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「はい、これで『川』だよ~」

「えーと、えーとぉー」

「さぁ、まだまだ行くわよ!!次はお手玉片手で6つ!!」

「わぁー!!うさぎちゃんすごいすごい!!」

「「ズズズ……」」

話を終えて紫が店に戻ると、そこには双子とあやとりとお手玉をしている阿求と優曇華。そして、その四名を茶を啜りつつ微笑ましく見守る慧音と都子という、えらくほのぼのとした光景が広がっていた。

「……あの二人、最初は戸惑っていたのに随分と馴染むのが早いわね」

その光景をやや呆れた様子で紫は眺める。

「ん?ああ、元々二人とも面倒見が良いからな、ああしているのは肌に合うんだろう。……それで?どうだったんだ右エ門の話は?」

「そうね、とても役に立ったわ。……お陰で次の証言者に会えば全てハッキリするはずよ」

「何だと?」

紫のしっかりとした言葉とその内容に流石に驚く慧音。

「犯人の目星はついた……後は少し確認する事があるだけ」

「……流石は妖怪の賢者と言ったところか。それで≪スッパテンコー≫は一体誰なんだ?」

「……ごめんなさい、まだ言えないの。これはまだ推測の域よ、人に聞かせられるものじゃないわ」

そう言って紫は頭を振る。そして、慧音はそんな紫を目を細めて見つめる。

「ふむ。それは言えないのか?それとも……言いたくないのか?どっちだ」

「……どっちもよ」

「そうか。ならばこれ以上の詮索はやめておこう」

そう言って立ち上がり優曇華と阿求の方へ向かう慧音。紫はそんな慧音を一瞬呆然と見送り、すぐに後を追う。

「……いいの?」

「ああ、構わんさ。お前がそう言うならきっと私が今聞くべきことではないのだろうからな」

「……随分信用してくれるのね。正直、貴方は私の監視のために着いて来たと思っていたのだけれど?」

それは紛うことなく紫の本音であった。藍と親しいというのが嘘だとは思わないがそれでもこの人里の守護者は妖怪である自分を警戒しているのだと紫は確信していた。

「ふむ、やはり見抜かれていたか。まぁ始めは言う通りお前が何かやらかさないか見張るつもりでいた。人里の保護を行う妖怪の賢者であっても……人里を何かに利用しないとは限らないからな」

いや、むしろ利用する奴の方がその時までは必死で保護するだろうな。と目元の切っ先を鋭くして紫を見つめる慧音。

「まぁ、それも途中までだがな。なにせ今日のお前ときたら……」

「?」

「藍の噂話一つで右往左往して、日頃の胡散臭さは何処へ行ったのかと問い掛けるのを何度堪えたことか……」

「ぐッ……」

先程の鋭さから一転して、ククククと彼女らしからぬ悪戯な笑みを慧音は浮かべる。

「それを見てるとな……解ってしまうんだよ。今日の八雲紫は唯の母親として動いているんだとね」

だから、と一つ間を置き、

「少なくともこの一件では私はお前を全面的に信用するよ。……藍の母親の八雲紫をね」

「ふ、ふん。心外ね、私はいつも人の信用を得られるよう行動しているつもりなのに信用されるのが今回の一件だけだなんて」

慧音の真摯な言葉に感じ入ったことを誤魔化すためにそっぽ向きつつ扇子で口元を隠す。しかし……

「ああ、それなら心配ない。これからは信用させて貰うつもりだからね……今度は私の友人として、ね」

慧音の心底からの笑顔を見て今度こそ紫は絶句するのだった。






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さぁ着いたわよ!!発明家の木手川宅!!

「……何で紫はあんなにテンション高いの?」

「……さ、さぁ?」

豆腐屋『島木』を後にし、スキマをくぐった先は『文々。新聞』に載った最後の証言者、発明家の木手川 英助の家である。そして、そこに着くやいなや紫は叫んだ。それはもう高らかに。

「ふふ、さて何故だろうな。しかし、まぁやる気があるのはいいことだろう?」

そして、唯一その理由を知る慧音は楽しげに笑いながら話を逸らす。そのすっと呆けぶりは今もなお慧音の一言により顔を赤くしている紫のお株を奪うかのように鮮やかである。

「それでもまぁ、強いて言うなら我らが名探偵殿は意外といじらし……」

さぁ出てきなさい発明家!!出ないとスキマに蹴落とすわよ!!

ゆかりんの可愛さに開眼した慧音の言葉を紫が妖怪の賢者の威信にかけて遮る。普段自身のことを少女、少女と言っているが、いざ人にそういう事を言われると恥ずかしさが先に立つ紫であった。そして……

ひゅう~(風)

「……出てこないわね」

「……出てきませんね」

そう言って訝しげに扉を見遣るのは優曇華と阿求である。口にこそ出さないが紫も心中では二人と同じであった。なにせ先の紫の叫びは早乙女美千代にすら匹敵せんばかりの大声だったのだから。

「ああ、すまない。言い忘れていたな。英助の家は完全防音だから呼び鈴を鳴らさないと中に聞こえないぞ」

「……そういう事は先に言って頂戴な」

コホン、コホンと照れ隠しの咳払いをしながら紫は扉の前に歩いて行く。そして、その紫の後では慧音が非常に満足気な笑みを浮かべている。この白澤、確信犯である。

「ところで……呼び鈴って何処にあるのかしら?」

「ん?ああ、すまない。少し解りにくいところにあるんだ。……私がやろう」

そう言って困り顔の紫に代わり前に出たのは慧音である。

「慧音?そこは壁だけど?」

「一見、な。ところが……」

言いつつ慧音は壁の胸元くらいの高さの一角を押しやる。そうすると、壁がへこみ……

がらぁ~ん、がらぁ~ん。

「おお、鐘がなりました」

「へぇ、凝ってるわね」

「……凝ってるというか……わざわざ木目の絵まで描いてフェイントを入れる意味はあるの?これ?」

木手川宅の呼び鈴ギミックに三者三様の感想を漏らす三人。しかし、驚きはそこで終わらない。

「……あ~~、はい。どちら様で?」

「「「きゃああああ!!」」」

ガパリ、と音を立てて開く木手川宅の玄関口。ただし……

「な、なんで地面から出てくるのよ!!」

ミニスカート故に素早く飛び退いた優曇華が言う通り、一見ただの地面にしか見えないようカムフラージュされた扉は地面に設置されておりそこから出てきた細身の眼鏡の男はさながら潜水艦乗組員のようである。

「というか、それならこっちの戸はなんなのかしら?」

「……あ!?これ絵ですよ紫さん!!とりっくあーとです!!」

「……なんとまぁ、よくやるわ」

と、こちらは先程まで紫が前に立っていた普通の戸口を検分していた紫と阿求である。阿求は文献でしか見たことのないトリックアートに目を輝かせ、紫はその徹底ぶりに感心しつつ戸口の絵を指でなぞる。

「よっこらしょ……まぁ我が家の玄関口を楽しんでもらえたのなら嬉しいよ、発明家冥利に尽きる。それで君達は……ってああ、これは慧音先生、ご無沙汰してます」

「ああ、久しぶりだな英助。変わりないようで嬉しいよ」

そして、戸口からにょっきりと生えて来たツナギ姿の男―木手川英助―は最初紫たちの姿を見て訝しげな目をしていたが、その少し後ろに居た慧音に目をやり嬉しげに目を細める。

「ははは、変りないというなら慧音先生の方でしょうに。相変わらずお美しい。……しかし、そうなるとこちらは……?」

「私の友人だ。阿求の事は……知っているな?後は……」

「察するに薬屋の兎さんに、妖怪の賢者さん、ですかね?風聞通りの見た目ですが」

キラリと眼鏡を輝かせ、優曇華と紫に視線を向ける英助。当人は意図していないのだろうが素でかなり鋭い目をしているので、睨んでいるようにも見えてしまう。実際、優曇華は、う、と呻き一歩後ずさっている。

「ふむ。……今の私の格好は風聞通りとは言えないと思うのだけれど?」

「格好などいくらでも変えられるでしょう?僕が言っているのはその金の髪に紫と金のアレキサンドライトのような瞳のことですよ。八雲紫さん」

それに対し紫は服の端を摘み冷静に英助に問い返す。この辺は年の功というべきか。しかし、優曇華よりなお歳若いはずの英助も堂々と紫に相対している。

「ふふ、私も有名になったわね。仰るとおり、私は八雲紫よ。ついでに言うとそっちの兎も推察通り薬屋の優曇華よ」

「そうですか。それではこちらも……僕は木手川 英助、一応発明家を名乗っています」

そう言って手を差し出す英助。紫はその手に僅かに驚きを見せながらもその手を取り握手する。

「それで……世にも名高き妖怪の賢者殿が一体何用でしょう?……発明家としての僕を尋ねてもらえたのなら歓迎できるのですけど」

「発明家……という職業に興味を惹かれるのは確かですけれど……残念ながら今日は藍の主として来ましたの」

そう言って、首を傾げて見せる紫。自身と優曇華の名を当てたことから英助が中々鋭い男であることを察しての行動である。すなわち後は言わなくてもおわかりよね?というジェスチャーである。しかし……

「? 藍さんなら……とりあえず今日はまだ見ていませんが。彼女を探しているなら右エ門の所の豆腐屋が一番居る可能性が高いと思いますよ」

澄まし顔で英助は紫の想定していたものとは幾分違う答えを返す。その答えに紫は見込み違いだったかしら?と別の意味で首を傾げる。

「ふふっ英助、紫は昨夜の藍について話を聞きたいそうだぞ」

そして、そんな紫に助け舟を出すのは慧音である。この白澤、紫のゆかりんたる片鱗を目にしてから紫に対する先生率が上がっている気がするのは気のせいだろうか。

「昨夜の?……と言っても昨夜僕は藍さんの姿を見かけただけで言葉を交わした訳ではないのですが」

「あー、そうじゃなくてだな。昨夜の藍の格好についてだよ」

「?? よく解りませんけど……昨夜彼女は裸でしたから格好に関して僕が言及できる余地はないですよ?」

「……やはりそうか。紫、これで英助がどういう奴か解っただろう?」

苦笑しながら紫に向き直り慧音は後はどうぞと、交代を仕草で促す。

「ええ、よく解ったわ。……発明家さん、昨夜の藍が裸だったことについて何か感想はあるかしら?」

「感想……?ええ~と……特に有りませんけど、それが何か?」

「……いえ、おかしな事を聞いたわね。気にしないで頂戴」

後ろで阿求と優曇華が目を見開いて驚いている気配がするが、紫はとりあえずそれを置いておき眼前の青年に対する評価を下す。つまり……

(この発明家……霖之助が行き過ぎたような感じの人間なのね。幻想郷では常識に縛られてはいけないっていうのは風祝のセリフだったかしら)

恐らく、関心のベクトルが自身の発明に傾きすぎているのだろう。先程は玄関口のギミックが感心されていたことを喜んでいたのに、知人が≪スッパテンコー≫になったことに関してはノーリアクションである。浮世離れしているにも程がある。とは言え……

(聞かれた事にはしっかり答えるようだし……特に問題はないわね)

「私が今回尋ねたのはこの写真のことについてなんですけれど……」

そう言って紫は『文々。新聞』を取り出し、写真を指差す。すると……、

よくぞ聞いてくれました!!

「は、はい?」

先程までの冷静な態度を放り捨て、意気込んで紫に急接近する。

「その写真を撮ったのがこちらのカメラ、名付けて『木手川スペシャルNo.312 目撃者の瞳~家政婦は見た!!~』このカメラの売りは何と言ってもそのズーム機能!!なんと驚きの50倍!!実験に実験を重ねこの倍率で見よこの高画質!!」

そう言って紫に写真を何枚も貼りつけたアルバムをバサリと開く。

「え、ええと……す、凄いわね?」

「そうでしょうそうでしょう!!流石は妖怪の賢者、この凄さが解りますか!!」

「え、ええ(汗)」

英助のあまりの圧力に押される紫。ぶっちゃけその豹変ぶりにドン引きであった。

(ああもう私のバカバカ、さっき関心が自分の発明に寄り過ぎてるって思ったばかりじゃないの!!)

感激しきりの英助に手を取られ紫の内心は後悔で一杯であった。なにせこんな地雷を踏まなければ穏便に聞き込みを終えられそうだったのだから。

「ふむ。しかし、この写真はあまり出来が良くないようだが?」

「そうよね。この写真、ちょっとボヤケてるし」

「え、ええ~と、だ、だめな写真ですね~?」

そんな紫を見かねたのか英助の後ろから八雲少女探偵団の救援の手が差し伸べられる。彼女達が手にするのは無論『文々。新聞』である。

「む、それは、その写真を撮ったのはまだ実験段階だったからです。今ならその距離、その角度、その月明かりでもクッキリ撮れます!!」

そして、そんな中傷を発明バカ一代がスルーできるはずもなく紫から離れ英助は抗議に走る。

「(た、助かった)ええ、じゃあその写真がどういう状況で取られたのか知りたいのですけれど、お願い出来るかしら?」

そして、その僅かな隙で現状を自身の望む方向へ持って行くべく言の葉を発する。この辺りの頭の回転の速さは流石である。

「勿論ですとも!!それでこの『木手川スペシャルNo.312 目撃者の瞳~家政婦は見た!!~』の性能を証明して見せます!!」

目に炎を宿し、カメラを天に掲げる英助。今にも大リーグ◯ールとか投げそうな熱血具合である。その後姿を見て紫は思う。

(今更だけれど……人里って変わり者が多いのね)

これまで会ってきた、妖怪に勝るとも劣らない個性豊かな面々を思い浮かべ紫は大きな溜息を付くのであった。






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「……という訳でその写真はここから……ズームで向こうの木の上に立つ藍さんを撮った物です」

そう言って八雲少女探偵団with英助が立つのは木手川亭から500m程離れた地点であり、英助が指差す木はそこから更に200m程離れた地点にあった。

「状況としては僕と月の間に、この写真のように飛び立とうとする前傾姿勢の藍さんがいて、それを撮影したになります」

と、英助は遠くの木に向けてカメラを向けて見せる。その様からは先程の狂乱は露とも感じられない。どうやらここまで歩いて来る間に落ち着いたらしい。

「ふむ、なるほど。あれだけ遠くならボヤケてしまうのも頷けるな」

「いえですから!!失敗したのはそれがまだ実験段階だったからです!!今なら問題なく撮れます、ほらこの通り!!」

カシャ、ジー

「って、インスタントカメラなの!?ていうかさっきから聞きたかったんだけどコンパクトカメラ並の小ささなのに木製ってどうなのよ!?軽いし!?」

「? どうなのよ、とは?」

「凄いことやってる自覚がない!?」

目の前の青年の無自覚さに思わず頭を抱えるて唸る優曇華。

「あのー英助さん?」

「む?なんでしょうか、稗田さん」

「紫さんが試しに自分を撮ってみて欲しいそうでして……お願いできますか?」

「それは無論構いませんが……八雲さんはどこに?」

袖を引かれ振り返った英助は阿求の頼みに二つ返事で頷くが、辺りを見回し何時の間にやら紫の姿が消えていることに気付く。

「えーと、あっちです」

「あっちというと……ああ、なるほど」

英助に尋ねられて阿求が指さした先は藍が立っていた木のある方向、つまり……

「八雲紫は距離を無視して移動できると聞いたことがありますが……本当でしたか」

そう言ってカメラを覗き込む英助の目には、昨夜の藍が立っていた場所でこちらに向かい手を振る紫の姿が映っている。

「む?……これは?」

「どうかしたか?」

「ええ、少し……いえ、見てもらった方が早いですね」

カシャ、ジー

「どうぞ慧音先生」

「うむ。……これはまた……」

英助から慧音に手渡された写真には空間をそのまま切り取ったかのように笑顔で手を振る紫がクッキリと映っている。ただし……

「……っと、慧音?写真の出来はどうかしら?」

「ああ、きちんと写っているぞ……上半身はな」

上半身のみだが。慧音はジト目で紫を見つめつつ、下半身がそっくり消えてしまった紫の写る写真を手渡す。

「ええ……ふふ、本当に上手く撮れてるわね」

「ああ、下半身以外はな」

「ええ、それでいいの。これできちんと撮れたらどうしようかと思ったわ」

「何?」

写真を見遣る紫が愉しげに笑いポツリと呟く。

「この写真はこういう風に写らなければいけなかった。そういうことですわ」

「? それはどういうことだ?紫」

「発明家さん、この写真機、改良したようですけれど……根本の所は変わっていないわよね?」

紫は慧音の問い掛けを無視して英助の方に向き直る。慧音はそれを咎めようとするが、紫の真剣な顔を見て喉元まで出掛かったその言語を飲み込んだ。

「……?、……根本、の意味がよく解りませんが……写真機の作動原理は変わっていませんし、改良の方も細かい調整を行っただけなので部品も変わっていません……と、これで答えになりますか?」

「ええ、過不足ない見事な返答ですわ」

紫の問いに思案しつつ答える英助、そして、紫はその返答を聞いて確信をもった者のみが浮かべる会心の笑みを浮かべる。そして……、

「慧音」

「……応」

「優曇華」

「な、なによ?」

「阿求」

「はい、なんでしょう?」

自らの助手達の顔を九尾の狐すら虜にした凛々しい顔で順に見遣り、ゆっくりと一言だけ言霊を紡ぐ。

「……犯人が解ったわ」

「え!?嘘!?」

「本当ですか、紫さん!?」

「……」

その一言に優曇華と阿求は驚きの声を上げ、慧音は察していたのかただ静かに目を閉じ、頷いて見せた。

「そ、それは誰なんですか!?紫さん!?」

「慌てないで阿求。……実は誰かは解ったのだけれど、犯人を追い詰める準備がまだできてないのよ」

だから、と断って紫はパイプを一振りしスキマを開く。

「悪いのだけれど、先に犯人の所に行って見張りをしていてくれないかしら。私も準備したらすぐに行くわ」

「ちょ、ちょっと待ってよ紫。犯人を教えてもらわないと見張りなんてやりようがないわよ?」

「大丈夫よ。行けば解るわ」

「行けば解るって、あのね……」

「いや、待て鈴仙。ここは紫の言う通りにしよう」

「……慧音?」

紫の理不尽とも言える物言いに抗議する優曇華を横から止めたのは慧音であった。その顔はどこか悲しげであり、それを見た優曇華は二の句がつげなくなってしまう。

「紫がこうまで頑ななんだ。何か考えがあるのだろう。それに乗ってみるのも一興だろう?」

「いや、でも……」

「それに、だ。これで失敗しても別に問題はないだろう?また改めて捜査すればいいだけだ」

「……そうね、解ったわ。……藍のことなんだし、主の紫に任せるのが筋ってもんよね」

慧音の説得を聞き、コクリと頷き優曇華は紫のスキマの方に向き直る。

「それじゃ紫、先に行ってるけど……期待してるんだから早めにお願いね」

そして、ウィンクを一つ紫に残しぴょんと跳ねてスキマを潜る。

「あわわ、待って下さい優曇華さん!!」

阿求もその後に続きわたわたしながらスキマを潜り姿を消す。

「では、私も行こうか……紫」

最後に残った慧音がスキマに片足を掛け紫の方を振り返る。

「なにかしら?」

「……いや、なんでもない。鈴仙ではないが名探偵の推理に期待しているのは私もなのでな、早めに頼む」

そう言って優曇華に見せた悲しげな表情を一瞬浮かべて、慧音もスキマを潜り……その場から紫以外、誰も居なくなった。いや……

「発明家さん」

「……なんでしょうか?」

紫の開いたスキマを興味深気に眺めていた英助のみが残っていた。

「悪いのだけれど、そっちの方を少し頼めるかしら?」

「そっちの方?ああ、解りました。消してきます」

……英助、退場。

ガチン!!

舞台、暗転。一瞬の間の後、スポットライト点灯。黒のスーツに衣装が変わっている紫の姿が浮かび上がる。

BGMスタート、口上開始。

「え~、今回の事件もようやく終わりが見えてきました~。まず始めに残念なお知らせがあります。犯人、≪スッパテンコー≫ですが……私が今日あった人物の中にいます。ええ、本当に残念なことですが……証言をまとめるとそういう事になってしまいます……え~今回の犯人は非常~に周到な人物でした。綿密な計画を立て、自身に繋がる痕跡を見事なまでに消し去り、いえ、そもそも残さないように慎重に慎重に動いています。……ただ、この犯人、どうやらアドリブは苦手なようでして、私の前で不自然な発言をいくつかしてしまっています。……といってもどれも証拠と言えるほどの物ではありません。え~この犯人ボロは出しているんですが、困ったことに決定的なボロは結局出しませんでした。そして、それは多分これからも変わらないでしょう。ですから……少し罠を張ろうと思います。……え、ずるい?え~、んふっふっふ確かにそうなんですが、こちらは娘が腹を切るか切らないかの瀬戸際なんです、どうか、お目こぼしを。……え~何の話でしたか……ああ、そう罠の話でした。……私が罠に使うのはこちら『血に濡れた新聞紙』……え~ここまで言えば、もう犯人が誰かはお解りですね?……え、お解りにならない?……そ~うですか、解りました。では、考える時間を差し上げます。皆さんもよく考えて見て下さい。犯人が出したボロとはなんなのかを、そして、私がどんな罠を張ろうとしているかを……え~、どうやらそろそろお時間のようです。それではまた……来週お会いしましょう。……八雲紫でした」







美少女名探偵ゆかりんの事件簿ファイルEXTRA 八雲藍スッパテンコー事件~真実はスキマの底に~ 後編 了。……解決編に続く。
解決編に続く。

という訳で後編終了。前後編は一応問題編という扱いということでよろしくお願いします。一応、よく読めば犯人は解るように書いたつもりです。犯人当てに挑戦してみるのも一興ではないでしょうか。

追伸、あきゅらんが思いの外ツボだった。阿求ファンの方すいません。
森秋一
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コメント



0.670簡易評価
9.80名前が無い程度の能力削除
解決編期待
10.90コチドリ削除
とりあえず今までに挙がっている状況証拠。

・藍様をマジ切れさせるのは自殺行為。あと胸に凶悪な武器を所持。
・紫様マジ美少女探偵、時々親馬鹿なのも高得点。前編のヘタレっぷり? はて、何のことやら。
・文は犠牲になったのだ。
・慧音先生の弱点はてゐと美千代さん。こいつは使えるっ!
・鈴仙さんナイスワトソン役、ナイスコメディエンヌ。
・あっきゅんは恋する乙女。幻想宝塚の娘役ナンバーワン。

こんな所か。
解決編、楽しみに待ってますよー。