舞台、暗転。
カッ!!
真暗な舞台に一筋のスポットライトが差す。その眩い光を浴びて黒のスーツに身を包んだ淑女がその姿を浮かび上がらせる。
口上開始。
「え~、突然ですが皆さんこれなんだか解りますか?……はい。お察しの通りこれはお酒です。より精確に言うとワイン、それもヴィンテージ物です。いや~高かったんですよこれ。……え~ところで皆さんはお酒どの程度嗜まれます?私などはお酒は大好きでして、ええもうこの瓶に頬擦りしたいくらいです。勿論そんな私とは逆にお酒に弱い人もいるでしょう。ですが、お酒に弱いことは別に悪いこととは言えません。いえ~むしろ私からすればすぐ潰れて私が飲む分が増えるので有難いぐらいです。ただ……」
間、テーマスタート
「質が悪いのは、お酒を飲むと我を忘れてしまう人です。これは手が付けられません。……何言ってるのかわかりませんし、暴れますし、ええ、本当に迷惑です。そして、そういう人に限って自分が酒癖が悪いことを解っていないことが多いんです。え~困ったもんです、はい。酒は百薬の長といいますが、過ぎれば毒にもなります。……そして今回の犯人はそんなお酒の毒にやられてしまった哀れな方……いえ、もういっそお酒が真犯人と言っても過言ではないでしょう。え~、んふっふっふ、どうか皆さんもお酒の飲み過ぎにはご注意を。特に酒癖の悪さに、え~心当たりの……無い方は」
舞台、暗転……
名探偵 八雲紫
被害者 八雲藍
探偵団員 上白沢慧音
探偵団員 鈴仙・U・イナバ
探偵団員 稗田阿求
真犯人 ???
作者 森秋一
美少女名探偵ゆかりんの事件簿ファイルEXTRA 八雲藍スッパテンコー事件~真実はスキマの底に~
「ふ~ん♪ふ~ん♪ふ~~ん♪」
その日の朝の、妖怪の式の式こと化け猫の橙は御機嫌だった。それはもう頭に生えた猫耳を忙しなくピコピコさせ、二本の尻尾を元気よくバシバシと振るい、満面の笑みで主の屋敷の廊下でスキップしちゃうくらい御機嫌だった。
「きょ~うは♪藍様♪寝坊した~~♪私がやらなきゃ誰がやるぅ~~♪」
加えて言うなら、もう「作詞作曲私っ♪♪」な歌を歌ってしまうくらい、いたくいたく御機嫌だった。その理由は彼女の秀逸なリリックを聞けば容易く理解できるだろう。
「ふふ~~ん。今日こそ!今日こそ!!朝ごはんもお洗濯も紫様を起こすのもっ!!私一人でやって見せるんだから!!」
グワシッ!と文々。新聞を握った手を高々と掲げ、橙は決意を新たにする。
「藍様と料理の練習をすること早一年!藍様とお洗濯の訓練すること早一年!藍様と紫様を起こしに行くこと早一年!!今日こそとっくんの成果を藍様に見せてみせる!」
八雲家の家事全般は藍が切り盛りしているというのは八雲一家に多少なりとも近しいものなら誰でも知っている事実であるが、橙が昨年からその手伝いを時々している事を知っているという人物は少ない。それこそ主の主である紫や、後は年―というか精神年齢―が近いため橙と仲が良いバカルテットの面々や大妖精ぐらいだろう。きっかけは至極単純で、ある日先に挙げた面々で若々しい者と橙とで博麗神社で鬼ごっこをしている時に紅白の巫女に突きつけられた衝撃の一言に端を発する。すなわち、
「あんた、式のくせに藍と違って遊んでばっかよね」
と、その一言は短文ながら橙のハートのやわらかい場所を鋭く、深く、的確に抉った。そして更に……
「そういえば前にパチュリーが式っていうのは使役する方も力を使うから役立たずだとすぐ捨てられるっていう話を……」
その死者に鞭打つが如き追撃を最後まで聞くことなく橙は全力でその場を飛び去った。向かう先はもちろん敬愛する主の元である。そして、いきなり自らの式が隕石のような勢いで眼前に降り立ったため混乱する藍を尻目に、
「藍様!!今日から家事のお手伝いさせて下さい!!」
とちょうど干した洗濯物を取りこんでいた藍に涙目でそう頼み込んだ。以来、料理洗濯などの手伝い、そして訓練を八雲藍監督の下、行ってきたという訳である。……ちなみに橙のお手伝い宣言に藍は「ああ、橙もこんな事を言う程に成長したんだな」と涙を流さんばかりに感動していたが、詳細を聞くと迂闊な事を言った巫女にブチ切れ一昼夜に及ぶ弾幕戦を展開したそうである。教訓、口は災いの元。
「う~ん、でもお料理もお洗濯もなんとかなると思うんだけど、紫様を起こすのは私一人でもできるかなぁ?」
そう言う橙の脳裏には寝起きの悪い紫を起こそうとして壁にめり込む勢いで投げ飛ばされる藍、隙間から召喚された電車に轢かれる藍、足元に隙間を開かれ奈落の底に落とされる藍など、割とシャレにならない被害をこうむる藍の姿が映る。
「……あれって私だったら普通に死んじゃうよねぇ」
先程までの上機嫌は何処へやら、顔を青くしてボソリと呟く橙。
「ゆ、紫様を起こすのは藍様に手伝ってもらおうかな?」
頭を抱え、とたんに弱気になる橙。が……
「ううん、ダメ、ダメだよ橙。藍様が寝坊するなんてこの先またあるかなんて分からないんだからここで頑張らないと!」
橙にとって藍とは才色兼備、温厚篤実、一騎当千あらゆる美辞麗句を贈るに値する完璧超人であり、その藍が寝坊するというのは橙にとってまさしく青天の霹靂というべき出来事であり、守矢の2P巫女なんぞ目じゃねぇぜというレベルの奇跡である。事実、橙が記憶している限り藍が寝坊したのはこれが初めだ。故に果たしてこの千載一遇の機会を逃せば次があるかどうか……
「……ない。多分ない。藍様は自分に厳しい方だから一回した失敗は二度としない。……よし。やればできる、やればできる、やればできる!」
耳と尻尾をシャキンと伸ばし長考の末、橙完全復活。
「という訳でまずは朝ごはんの支度からしよう!うん!……逃げてない、順番の問題だよ順番の!」
と、拳を握り両手を振り回しながら橙は虚空に向けて言い訳をする。前言訂正、「完全」復活はしていないようだ。
「ようし、じゃあまずは台所に……って、わぁっ!?あぁぁぁ新聞が!」
気合を入れて紫の寝所に背を向け、台所に向かおうとした橙だったが自分の手の中にあった新聞がクシャクシャになっていることに気付き悲鳴を上げた。まぁ、あれだけ握り締めていれば当然だが。
「ああああ。だいじょうぶ、だいじょうぶよね。新聞だから読めればだいじょうぶ……ってあれ?この記事……」
新聞の惨状に気付き即座に廊下に新聞を広げ必死でシワを伸ばしていた橙が一面の大見出しの記事にふと目を向ける。そして……
「う、うそ。嘘だよこんなの……、う、うわぁあん!!藍様!?らんしゃまぁぁぁあああ!!」
こうして事件の始まりは妖怪の式の式があげた、高らかな、それはもう青空に突き抜けるような高らかな悲鳴によって告げられた。
≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪
「橙!!っ痛ぅ……頭、頭が……」
その日の朝、妖怪の式こと化け狐の八雲藍の目覚めは少女の甲高い声の絶叫によって起こされるという、藍の長い人生の中でも稀なものだった。最も……
「声が響いて……ず、頭痛が……頭痛が痛い……」
稀だからといってイコールで幸福ということにはならないのだが。
「っく不覚。流石に昨日は飲み過ぎたか」
この言のみだと藍が酒にだらしない人間のように聞こえるが、事実は違う。というより博麗神社で行われる宴会に集まる面々の中では特に酒量には気を使っている一人だと言える。なにせ藍が酔い潰れてしまうと泥酔した紫が翌日に燃えないゴミ扱いで巫女に捨てられてしまうのだ。その際のゴミ袋を抱き枕替わりにして、高いびきをかいている紫は藍の『主の見たくなかった醜態ベスト10』に堂々のランクインを果たしている。ちなみにその時、ゴミ捨て場より回収された紫の最初の一言は「失敬な!私は萌えるわよっ!!」であった。酔いが残っていたのだと信じたい。……ともあれそんな理由があり藍は常日頃飲み過ぎないように気をつけているのだが……
(かといって、昨日だけは飲まない訳にはいかなかったしな。たかが飲み比べとは言え、主の名がかかった勝負で負ける訳には……)
切っ掛けはよくある従者自慢であった。つまり、
「なにおう、うちの藍なんかすごいモフモフなのよ。枕にしたら尻尾一つでダウンさ、なのが九本あるのよ」
「あらあらあら、それを言ったらうちの妖夢は半霊がヒンヤリしてて夏場の抱き枕に丁度いいのよ。齧るとほんのり甘いし」
「ハッハッハッ、そういうことならうちの咲夜の子守唄も凄いのよ。私は一分もったことないし、美鈴なんて唄う前から寝てるんだから」
「ふふふふふふ、それならうちの永琳だって負けてないわよ。この前だって一緒に寝たらいい声で鳴いて「ちょ、輝夜待って!?」……」
などと、程良く酔った面々が、聞いている従者達を赤面させ―あるいは仰天させ―るのが目的としか思えないようなエピソードを延々と語り、最終的に誰の従者が一番か飲み比べで決めようという、いかにも酔っ払いらしい結論に達し実行したのだ。……したのだが、その際の紫の一言がそれまで酒気を帯びながらも冷静であった藍に火を付けた。その一言とは、
「藍、この勝負八雲の名に賭けて勝ちなさい」
この一言を聞いた瞬間その場に酒宴にそぐわない緊張が走ったと、その場にいた面々は後に語る。というのも紫から藍への「八雲の名に賭けて~」系の台詞は基本常識人で紫の悪戯のストッパーである藍の暴走を容易く誘発するということで関係者の間で並々ならぬ警戒が払われていたためである。そして、このときもご多分に漏れず藍は、
「御意。この八雲藍、必ずや我が主に勝利を献じてみせましょう」
とやたら時代がかった台詞で、宴会の賑々しくも和やかな空気を全く読まず忠義の士120%モード、本気と書いてマジで主の命に応じた。この藍の答えを聞いて頭を抱えたのは藍の相手をさせられる三人であった。なにせ八雲主従が家名を持ち出してしまった以上この飲み比べは自動的にそれぞれの家の代表によるガチバトルとなってしまうからだ。一方が家名を持ち出したにも拘わらず、それをお遊びで済まそうとすることはそれだけで家名を落としかねない。故にこの時の三者の心情はただ一つ
(((空気読めよ狐ッ!!)))
であった。その時、某竜宮の使いがクシャミをしたという話があったりなかったり。……まぁ、と言っても。
「あらあらあら、そういうことなら妖夢。この勝負絶対勝ちなさい。白玉楼の看板に賭けて」
「フン。咲夜、こいつらにスカーレットに負けはないということを教えてやってちょうだい」
「永琳。ちょうどいいから月人の住まう永遠亭の力、こいつらに見せてやりなさい」
と主に言われて、
「「「ハッ、主命承りました!!」」」
などと良い返事を返し、即座に視殺戦に入る当たり他三人も同じ穴の狢である。幻想郷の従者は形は違えど皆主馬鹿なのだ。かくして幻想郷を代表する勢力のかなり本気な飲み比べの幕が切って落とされたのだった。
(ぬぅ~それにしても……妖夢や咲夜だけならどうにでもなったのだが……八意永琳、あれは反則だろう)
昨夜の勝負を回想し藍は唸る。実際問題として飲み比べというのは肝臓を用いた代謝能力、すなわち身体能力の比べ合いである。無論、精神的な要素もあるが、それが主となるならばお酒は二十歳からなどという法ができたりはしない。となれば妖獣であり、更には妖獣としてすら最強クラスの身体能力を誇る九尾の狐である藍が、人間や半人間である咲夜や妖夢に遅れを取るはずがなかった。そして、それは術抜きでは人間とさして変わらない身体能力しか持たない月人である永琳も同じであるはず……というのが人間属性としては有り得ぬレベルの健闘を果たし散っていった咲夜と妖夢を尻目に、永琳と一騎打ちをする藍の予想だった。……だったのだが
(急性アルコール中毒で死亡。即座に復活して戦線復帰、というのは流石に予想していなかった)
八意永琳。月の頭脳、蓬莱の薬屋など様々な二つ名を持つ彼女であるが、その内の一つにこのようなものがある。曰く不死人と……。
(輝夜と妹紅が死んでから蘇るところは見たことがあったから知っていたが……、やはり永琳も同類だったか。噂は聞いていたのだが)
輝夜と妹紅が殺し合いどちらかが屍を晒し、その後復活するというのは迷いの竹林にしばらく居れば簡単に見られる情景であるが、永琳が屍を晒す様というのは諍いを起こさない温和な性格からも、また実力的にいっても中々見られる絵ではない。それ故、永琳が不死人であるというのは噂の域を出なかったのだが……、
≪回想開始≫
「ゴクゴクゴク…………バタリ(顔面蒼白で倒れる)」
「なっ、永琳!?大丈夫か?……み、脈がない!?ちょ、誰か医者を呼べ医者を……ってコイツかっ!?」
「……(少女?死亡中)……っぷはぁ。はーよく死んだわ」
「って、うわぁ!!」
「さて、続き続きっと。……ゴクゴクゴク……ふぅ。さ、貴方の番よ。藍」
「あー……なんというか大丈夫なのか?永琳」
「あら、大丈夫なように見えないかしら?(滅茶苦茶良い顔色&イイ笑顔で)」
「いや……とても健康そうだが……」
「そう、なら問題ないわね。早く飲みなさい」
「う、うむ。……ゴクゴクゴク」
≪回想終了≫
(まさかあんな形で八意永琳不死人説の裏が取れるとは……しかし、やはり反則だな。あれは、うん)
最初に永琳が蘇ったあの瞬間、事実上藍の勝利は無くなった。なにせ我慢比べの限界値というのは往々にして死であるからだ。暑さに耐えるのも、寒さに耐えるのも、あるいは息を止めることを耐えるのもその限界は全て死である。にもかかわらず永琳はその限界を容易く踏み破った。いかに藍が卓越した生命力を誇ろうとも、限界のない相手にはかなわない。
(……といってもまぁ、結局引き分けで終わったのだが)
永琳の蘇りを目の当たりにし、己の敗北を悟った藍であったが主の前で退く訳にもいかずその後もひたすらに飲んで飲んで、飲まれて飲んでを繰り返しているうちに……
「あんたら、いい加減にしなさい」
と、藍と永琳の周りの空瓶の数を見た霊夢が素敵な笑顔で夢想封印をブチかまし、酔いが回って身動きがとれない二人をピチュり、強制的にドローゲームにしたのであった。げに恐ろしきは博麗の巫女である。
「えーと、それから……だめだ。夢想封印にやられてからの記憶がない。紫様を担いで帰ったことは覚えているのだが……、あと確か文達と何か話していたような……「らんしゃま!!らんしゃまぁぁぁ~~どこ、どこですか~~」」
「っと、いかん。こんな事をしている場合ではない!橙!待ってろ今いくからな!!」
昨夜の曖昧な記憶を寝起きのボケた頭で懸命に掘り返していた藍だったが、自身が起床した理由が愛する式の悲鳴であった事を思い出し、布団をはね飛ばし廊下の板間を踏み抜かんばかりのロケットスタートで橙の声のもとに駆けていく。そして、ウサイン・ボルトも嫉妬する流麗なフォームでバックストレートを駆け抜け、磨き抜かれた板間の低摩擦を利用して秋名のハチロクばりの華麗なドリフトを決めつつコーナリング。続いて目標を補足したICBMの如くホームストレートを疾走、更に……
「橙!!どうした大丈夫か!?」
と普段の冷静さもうっちゃって愛娘に呼びかけつつ、先程のドリフトの滑りは何だったのかと問い掛けたくなる制動距離0mmの急ブレーキで泣きじゃくる橙の前に制止。この間およそ0.1秒。はね飛ばした布団が未だ宙を舞う、天狐式超高速移動であった。
「あ、藍様!!あのえとえと、お、お尋ねしたいことが!……!?……」
藍の声を聞き、最初は親を見つけた迷子のように顔をほころばせた橙であったが……
「ん?どうした橙?」
「あ、あ……藍様……その格好は……?」
次第に顔を強ばらせていき、『文々。新聞』を握り締めた手で藍を指差し、体を震わし始め……明らかに何かに驚愕した様子となった。
(格好?別段いつもと変わらぬ寝間着の白浴衣のはずだが……ああ、起きた直後で顔も洗っていないから目やにでも付いているのか……?)
その程度でそこまで驚かずともよかろうに、と苦笑しつつもやや顔を羞恥で赤らめながら藍は橙の驚きの理由を推量する。
「あー橙、その、なんだ。情けない話だなのだが、実は私は今起きたばかりでね。多少見苦しい格好かもしれんがだいたいはいつも通りなのだから多めに見てはもらえな「いつも通り!?」……む?」
自覚しているよりも遥かに照れているのか、顔を拭いつつ若干しどろもどろになりながら釈明を図る藍であったが、その藍より遥かにうろたえながら橙が叫び、藍の言葉を遮る。
「あ……あの?藍様?そ、その、いつも通りとはどの辺が……」
絶叫した橙がさながら地獄で蜘蛛の糸にしがみつくかの様な必死さで藍に取り縋る。そして、その橙のあまりの追い詰められっぷりに首を傾げながら藍は……、
「どの辺りと聞かれると……そうだな服装とかかな……」
と、顔を気にしている藍はそう答えた。そして、その答えを聞いた橙は……
「ふ、ふくそ……」
ドサリ……
「お、おい橙?」
……と縋りついていた蜘蛛の糸を狐狸妖怪レーザーで焼き切られたかのように絶望した表情を浮かべ、四つん這いの姿勢に崩れ落ち、
「信じてたのに、藍様はそんな人じゃないって……信じてたのに……」
「橙?大丈夫か?具合が悪いのか?ああああ、薬箱は確か……いやここは永琳に……」
「藍様の……藍様の……」
「ん?」
「藍様の変態!!露出狂!!ストリーキンガーぁぁあ!!」
「がっふぁあッ!?!」
と、藍のボディに言葉のハートブレイクショット三連打。齢数千を数える大妖狐に膝を付かせた。
「うわぁぁあああん!!」
「ぐ……橙……待って……話を……」
放ったパンチのフォローもそこそこに泣きながら青空に飛び去る橙。藍はそれに追い縋ろうとするが食らったハートブレイクショットがあまりにも衝撃的だったためまともに動けず、その場にうずくまり見送ってしまう。
「う、く……ようやく……動けるようになってきた」
その後、藍が金縛り状態から脱し、二本の足で立ったのは橙の泣き声の残響が消え、更にそれからたっぷり十秒は経ってからのことであった。それだけ、溺愛している式からの連打が応えたのだろう。
「いやしかし……それにしても……なんで私が変態なんだ?正直……泣きそうだ」
先程の橙の叫びを思い出しガクリ、と藍は再び崩れ落ちそうになる。狐心と親心はどちらも繊細なのだ。
(待て、こういう時は落ち着いて……まず、橙はなんと言っていた?尋ねたいことがあると言ってそれから「いつも通り!?」と驚いてそれから……)
「ふくそ……?服装?服が問題なのか?」
先程の橙の言葉を一つずつ思い出し、藍は冷静に原因解明を図る。そして、どうやら服に問題があるらしいと思い至り、自らの装いを見下ろす。
「あ」
そして得心した。確かに彼女が今纏っているのはいつもと変わらぬ白色の浴衣であったが、橙のもとまで全力疾走したせいか上は襟元が肩口よりなお下にずり落ち、平均よりかなり豊満な胸の膨らみ―主を追い抜いてしまったので視線が痛い―の半分近く、というかクリティカルな部分が若干見えてしまうぐらい露出させており、下も裾がパックリと割れ、艶めかしい真白いふとももをチャイナドレスそこのけの深いスリットから下着と一緒に大胆に晒してしまっている。
(こ、これは……確かに少々はしたなかったか)
面映に朱を載せつつそそくさと襟元と裾を正し、ようやく事態に理解が追いつき安堵の息をホッと付く。
(しかし、これだけで変態とは……いや、橙はまだまだ年若い純情な娘。ショックを受けても仕方が無いか。となると追いかけるのは着替えてからの方がいいか?また橙に露出狂などと言われては流石に立ち直る自信が……)
状況を把握すると同時、即座に飛び去った橙に対する対応に思慮を巡らす。というか寝間着のまま追いかけることが選択肢に入っている辺り親バカの片鱗が伺える。
(そうと決まればまずは着替だ。待っていろよ橙。お前の主がすぐ行くからな……ん?)
愛する式のもとに駆けつけるため、まずは着替と踵を返した藍であったがひらひらと頭の上に落ちてきた紙に気を取られ足を止める。
(なんだ?これは……文の新聞か。そういえば橙が持っていたな……ッな、何!?……)
今はこんなものに用はないと『文々。新聞』を放り捨てようとした藍であったが大見出しがチラリと目に入ると何故か態度一転。愕然とし本気で目を剥いて一面を凝視する。
「な、な、な……」
脂汗をだらだらと流し、新聞を持つ手をワナワナと戦慄かせ、顔面蒼白で壊れたラジオのように「な」を繰り返しながら、ひたすらにその記事を見返す藍。が、何度見てもその記事の内容が変わるはずがない。
「な、な、な、な」
そして……
「なんじゃこりゃーーーーーーーー!?!」
奇しくも今朝方の彼女の式と同じように空に、太陽に向かって思い切り吠えた。
≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪
「なんじゃこりゃーーーーーーーー!?!」
「わきゃ!?……ぐきゅ!?ッイタタタタ。なんなのよもう」
その日の朝、妖怪の主こと化けスキマの八雲紫の目覚めは妙齢の女性の艶のある声の大絶叫によって起こされるという紫の悠久と言える生の中でも稀なものだった。最も……
「うう、お尻、お尻が痛い……」
稀だからといって幸運であるとは限らないのだが。
「不覚。この私がまさかベットから落ちるなんて。なんという醜態」
落ちた拍子に打ったお尻をさすりながら、愚痴る紫。角度が悪かったのかよほど痛かったらしい。ちなみに紫の主要寝具はベットではなく布団であるのだが一年のほとんどを寝て過ごす紫は気分によって寝具を変える。そのため紫の寝室には先に上げた布団やベットは勿論、ハンモックがあり、寝袋があり、変わったところでは石の枕などというものまである。ゆかりんは違いの解る女なのだ。
「それにしても……今のは藍?こんな朝からあんな声を出すなんて、私に喧嘩売ってるのかしら?」
ハッキリ言って八雲紫は並の大声ではそうそう起きない。毎朝、藍が懸命に起こしても中々起きなかったり寝ぼけてスペルカードをぶちかましたりする当たりそれは明らかである。そんな紫を寝床から跳ね起こすような大声というのは早々自然にでるものではない。故にそこに悪意があるという結論に達するのは、紫の現在の不機嫌さを加味すれば、自然と言えないこともないだろう。
「ふふふ、主の安眠を妨げるなんて。余程、私のお仕置きが恋しいと見えるわ。今度は河童のスク水着て1日過ごすなんてヌルイ罰じゃ済まさないんだから」
明らかに暗黒色な笑みを浮かべ、藍へのお仕置きに思いを馳せる紫。その背中からは某不良天人が見ればハァハァしちゃいそうなくらいのドSオーラが立ち上っている。
「さて、そうと決まれば……スリスリスリット♪スキマオープン♪」
先程までの機嫌の悪さは放り捨てて、ほくそ笑みながら愛用の扇子で虚空を一閃。彼女の十八番である空間移動用スキマを顕現させ、意気揚々とダイブ。不届きな式の元へ転移し、藍に対し一気呵成に口火を切る。
「ちょっと藍!!前日に各派閥のリーダー達との高尚な会談を終えて休んでいる主を、大声で叩き起こすなんてどういうつもり?私が寛大な少女でなければ切腹ものよ!切腹!!……って、キャァァアアーーーーーー!?」
チャーチャーチャーー!!チャーチャーチャーー!! ←火サスのテーマ
その時八雲紫が自らの異能により降り立ったそこは赤く赫く、ただひたすらに紅い血の海だった。その海の中央には紅に映える真白い和装に身を包んだ妙齢の佳人が倒れ伏しており、生前は艶やかであったろう金糸の髪に自らの血を吸わせ血化粧を施していた。そして、そんな彼女の手には短い白刃が握られている。痛ましいことにその刃は彼女自身の手により自らの腹部に突き立てられ、今も銃弾を受けたかのように真っ赤な生命の雫を虚ろな洞のような傷口から零し続けている。
「え、え?何?今のサスペンス風のナレーションは!?も、もうちょっと解りやすく!!混乱中のゆかりんにも解りやすく!シンプルに!!」
訳:天狐切腹中。
「今度はシンプルすぎるわよっ!って藍!ちょっと待って切腹なんて冗談よ!?本気でやらないで!!藍、藍!!いや!母さんを置いて死なないで!!藍、らぁぁあああん!!」
そうして八雲亭に響き渡る橙から数えて三度目にして最大の悲鳴。どうやら今朝の八雲一家はどうやっても絶叫する運命にあったようである。どっとはらい。
………天狐死亡中………
………隙間奮闘中………
「ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ……」
「う……ぐ……わ、私は……?」
「はぁ、はぁ、はぁ……藍?意識がもどったの?」
「え?おやこれは紫様……おはようございます」
主の前で横になっていることを不敬に思ったのか、藍はそそくさと居住まいを正し正座する。
「『おはよう』じゃないわよ。もう……はぁ、良かった」
藍のトボけた挨拶に呆れた声を出す紫であったが、その心中は安堵で一杯であった。なにせ一時は本気で心停止していたのだ。
……あれから、藍の切腹現場でどうにか乱れ気味ながらも思考力を取り戻した紫は藍の治療に奔走した。まず、脈をとりアウトなことを確認すると帽子の下から裁縫道具を取り出し血塗れの傷を血管込みでブラック・ジャック級の速度で縫い合わせ心肺蘇生を実行。そして、脈が戻ると大枚はたいて買った永琳印の『巫女にマジボッコされても五秒で治る傷薬』をスキマを開くことも忘れて全力疾走で自室からテイクアウトし一瓶丸ごと藍にぶっ掛け、いざという時のために用意していた狐用の輸血パック(横には猫用がある)をあるだけ引っ掴み輸血。これだけの作業を今朝方橙のもとに駆けつけた藍並のスピードで行ったのだ。もし、公開オペで行えばスタンディングオベーション確実な神速の手際であった。
「全く。朝から心臓に悪いったらありゃしないわ。主を困らせてそんなに楽しいの?貴方は?」
余程疲れたのだろう。紫は常の胡散臭さを微塵も感じさせないほどグッタリしながら問う。
「い、いえそんな滅相も……、というか紫様?」
「ん?何かしら藍?」
「何故私はこんなに血だらけなんでしょう?それになにやら腹部に疼痛が……」
「何故って……そんなの私が聞きたいわよ。覚えてないの?貴方自分で自分の腹を切ってたのよ?」
藍の言葉に紫は驚く。
「腹を切る?私がですか?はっはっはっ、そんな馬鹿な。紫様が健在なのに自刃するような不忠者ではありませんよ私は」
自身の顔についた血を手に持った紙で拭いつつ、藍は自身が切腹していた事実を否定する。確かに記憶にないのなら、いきなり「お前切腹してたぞ」と言われて納得出来るものでもないだろう。まぁと言っても
「そんな馬鹿なと言われてもねぇ。私としてはそれが事実としか言いようがないのだけれど」
実際に腹を切っている現場(事後)を見た紫としてはそうとしか言い用がない。
(まぁ当人が忘れているのならいいのかしら?……いえ、また不意にハラキリされたりしたら困るわね。ここはハッキリさせておかないと)
原因が解るまでは枕を高くしては眠れない、三度の飯より昼寝が好きな紫としてはそれはあまりにも頂けない事態である。
(と言っても当人が覚えてないんじゃどうしようも……いえ、待ちなさい紫。ここで諦めたら幻想郷一と言われた美少女探偵ゆかリんの名折れよ)
折れるも何も彼女を探偵―しかも美少女―などと呼ぶ人物は幻想郷どころか『外』や『月』を含めてすら存在しないのだが……、どうやら彼女の現在のマイブームである推理ドラマ、推理小説に影響されたようである。ゆかりんは多感な少女なのである。
(そう、当人の情報がアテにならないなら見るべきは現場。探すべきは遺留品、更に些細な痕跡、つまりは手掛かり)
開いた襖一枚隔てた現場に(流石に血の海の上からは移動済み)目をやりながら推理物のセオリーを実行する紫。が……
「紫様?どうしました?……あー、あの血は……拭いてどうにかなるものではないですね。板ごと取り替えないと」
河童?いや萃香様に頼んだほうがいいのかしら?、とホームズ気分に藍が現実的な言葉で水を差す。ノッてきた紫は当然面白くなく、現場から藍に目を移し文句をつけようとするが……
「あった!!遺留品!!」
「はい!?……遺留品?」
藍を指差し―正確には藍の手元を―そう叫ぶ。そう藍の手には先程から、それこそ紫が治療に奔走していた時から藍が握っていた謎の紙きれがあったのである。
「藍?さっきからずっと握っているけど、その紙は一体なんなのかしら?」
もうノリノリで藍に詰問する紫。ここでもし、藍が答えを渋ろうものなら必殺のカツ丼が炸裂しそうな勢いである。
「は?ああこれですか?ええと、これは……ん、新聞ですね。血に濡れて読み辛いですが……ええと、文の『文々。新聞』……かな。見出しは……あー『怪奇!?夜空を舞い飛ぶ≪スッパ』……え゛」
「……?藍?どうしたの?」
ピタリ、と眉をしかめながらも血で塗装された新聞を懸命に読み進めていた藍が静止する。
「……お、思い出した……(ガクガクブルブル)」
「ちょ、ちょっと藍!?本当にどうしたのよ!?」
突如として震度7の激震ですらこうはなるまいという勢いで藍が震えだす。藍の横のタンスが一緒に揺れているように見えるのは果たして錯覚か否か。そして……
「(ピタリ)……紫様」
「と、止まった?藍どうしたの?まだどこか悪いのかしら?いえ……そうね、一時とはいえ心臓が止まっていたのだもの。ここはやはり医者に……」
「紫様」
「はっ!?……コホン、ごめんなさい少し狼狽えていたようね。それでどうしたのかしら藍?」
いきなりの藍の奇行に探偵気分を吹き飛ばされ、式によく似た狼狽え方をしていた紫を藍の静かな呼び掛けが鎮めた。そして改めて藍に向き直った紫を透明な、されどその底にどこか悲しげな光を宿した目で穏やかに見つめ、その後、何かを思い出すかのように数秒目を静かに閉じる。そうして、再びゆっくりと目を開き……
「いままでお世話になりました。この不肖の狐を拾い、育て、式として重用して頂いた御恩、例え閻魔に裁かれ地獄に堕ちたとしても決して忘れません」
「へ?いきなり何?なんなの?」
いきなり今生の別れのような大仰な文句を唱えだした藍に戸惑う紫。当然だろういきなりこんな事を言い出されて混乱しない奴は居ない。
(ん?……ちょっと待って。今生の別れ?)
そもそも、自分は先程まで何について推理を巡らせていた?
「最後に一つ、もしもこの愚か者の願いを聞き届けて頂けるのなら、どうか私の亡骸は庭先に……私はそこで紫様の幸福と橙の成長を草葉の陰から見守らせて頂きます……それでは、」
「ちょ、ちょっと。藍?」
そう言って、番組最終回で青空に浮かびそうな晴れやかな笑顔を浮かべ、そっと懐から今度は苦無を取り出し……
「御免」
勢いよく自らの腹に向けて振り下ろす!!
「ちょっと待ったぁぁあああ!!」
ドゴァ!!
「ぐはぁッ!?」
振り下ろす!!……その直前、本当にごく直前、紫の黄金の右ストレートがスキマを介して藍の肘のファニーボーン(ぶつけると痺れるところ)を的確に抉り苦無を取り落とさせる。
「い、い、い、いきなりなにしてるのよ藍!!さっき自刃なんて馬鹿な真似しないって言ったばかりでしょうが!!」
紫の雷神拳を喰らいながらもなお苦無に手を伸ばそうとする藍を、今度はスキマに上半身丸ごと突っ込み羽交い絞めにしつつ紫が叫ぶ。
「放して!放して下さい紫様!!武士の、武士の情けとぉ!!」
「ええい!落ち着きなさい!ここは殿中よ殿中!ていうか主の目前!控えなさい!あーもうッ、八雲紫の名において命ず『止まりなさい』ッ!!」
「ッつ!?」
錯乱し暴れまくる藍に業を煮やした紫が藍に憑いている式に直接命じて藍の動きを止める。紫は滅多なことではこの方法を用いないのだが……その辺、やはり紫も切羽詰っていたということだろう。
「はぁ、はぁ……あー疲れる。どうしたって言うのよ、ほんとにもう」
紫に羽交い絞めにされた姿勢のまま、まるで時間を止められたかのように静止する藍の肩に寄りかかりながら紫がため息をつく。
「……藍?貴方に訊いてるのだけれど、どうしたのって」
すぐ真横、息遣いすら感じられる程すぐ近くにいる藍に囁く。が……
「い……」
「い?」
「……イイタクナイデス」
「……御免なさい、よく聞こえなかったわ。もう一度言ってくれるかしら」
スキマから耳かきを取り出し、藍側の耳を掃除してから再度問い直す紫。
「……い、いいたくないです」
ピキピキ(怒)
「ひ、ひぃ」
二度問うて、二度ともまさかの拒絶の言葉を自らの式に返され紫は青筋を立てて怒る。しかし……
「そう、わかったわ」
「へ?」
すぅ、と紫のマスクメロンそこ退けの青筋が溶けるように消えたかと思うと紫は未だ動けぬ藍にそう応えた。
「あら、どうしたの?私は貴方が言いたくない事を言わなくていいと言っているのだけれど。不満?」
「い、いえ。滅相もない(ま、まずい……)」
ニッコリと、いっそ不気味なほど優しげにニッコリと笑う紫。橙やチルノが見ればその溢れんばかりの母性に思わず飛びついてしまいそうな笑顔であるが、藍の持つ感想はその外見の印象とは真逆の感情、即ち恐怖だった。そう、紫は藍に最大級のお仕置きをかますときも大抵こんな笑顔を浮かべるのである。
「でもねぇ、貴方の主である私の命を訳もなく断るんですもの。それなりの対価というものが必要だと思わない?」
「ほら来た」
「何か言ったかしら?」
「いいえ!何も!!」
「そう?ならいいのだけれど……という訳で対価なのだけれど、今の貴方は残念ながら渡せるものが一つしかなさそうね」
「……?一つ?……はッ」
「さぁ藍、貴方に払える唯一の対価、その新聞を今すぐよこしなさい」
(や、やっぱりぃぃぃいいい!!)
普通に状況を鑑みれば、藍が腹を切ろうとした要因がその手にした新聞にあることは明らかである。つまりその新聞をよこせというのは、結局のところ藍に自白させるのと何ら変わりない。いやむしろ、表面上は藍の望みを聞いて優しげな主として振る舞っている辺り普通に問い詰めるより質が悪いと言える。
「い、いや、嫌です!それだけは、それだけはどうかご勘弁を!!」
必死で唯一動く首を左右に振りたくり懇願する藍。
「あらあら。私は寛大さを持って徳とするよう心がけているつもりだけれど、残念ながら式の我侭を二つも聞いてやれる程寛容ではないの。藍『よこしなさい』」
「いーーやぁあああ!!らめぇええ!!」
滅多に使わないはずの『命令』をさっくりと行使し、藍自らに新聞を献上させる世紀末暴君ゆかり。式をいぢめるその顔は非常に楽しげだ。
「全く。貴方が私に逆らえるはずがないのだから、最初から素直に渡していればいいものを。さて、と……現場に残されたnotダイイングメッセージはっと……」
「いぃやあああ!!やめて!!見ないで下さい紫さまぁぁぁあああ!!(ペシリ)へぷし!!」
必死で懇願する藍をスナップの効いた扇子の一撃で黙らせ、紫は悠然と新聞を読み進める。そして……
「……え゛」
ビシリ、と顔を引き攣らせ石化。その傍らでは藍も終わったと言わんばかりに真っ白な灰と化している。
以下『文々。新聞』より抜粋
『怪奇!?夜空を舞い飛ぶ≪スッパテンコー≫!?』 (文責 射命丸文)
◯月◯日深夜未明、鈴虫の奏でる音色が天上の満月の美しさを引き立たせる静かな人里の夜に、生まれたままの姿を青白い月明かりの下に堂々晒し≪それ≫は突然その姿を表した。
証言者1 主婦の美千代さん 「ええ、ええ、あれはアタクシがたまたま慧音先生に抗議に行った帰り道でしたわ。全く慧音先生たら家のさやかちゃんがあんなに頑張って手を挙げているのに他の子に当てるなんて、何考えているのかしら。貴方もそう思わない?あ、そうそうこれを記事にして下さっても……え、その話は後で?……仕方ないわね、ええと何の話だったかしら?ああ、あの露出狂の変態の話でしたわね。あの時アタクシは帰りが遅くなってしまったので急いで帰路を歩いていたのですけれど。突然、頭上の……屋根の上から物音が聞こえたのですわ。アタクシ幽霊の類かと思って内心怖がりながら見上げたのですけれど……ええ、ええ、もうお察しでしょう?そこにいたのですわ、あの変態が。あの変態はアタクシと目が合うと恍惚に!顔を!赤く染めて!「スーッパテンコー!!テンコー!!スッパー!!!」とか、のたまいながらでかい乳をブルブル震わせて奇天烈な踊りを始めたのですわ。ええ、ええ、あれは間違いなく変態でしたわ。じゃなければキチ◯イか、あれは確か八雲さん家の藍さんじゃなかったかしら。ええ、ええ、本当に怖かったですわ。家のさやかちゃんが真似したらどうしようかと……そうそう、さやかちゃんと言えばこの前……ちょっと、どこ行くんですか……あなた待ちなさい!!」
証言者2 豆腐屋の右エ門さん 「え、昨日の夜の話、ですかい?ああ、あれは流石に仰天でしたわ。まさかあの藍ちゃんが……。え?≪スッパテンコー≫のことを知っているか?あー、あの人はウチの常連でよく油揚げ買っていってくるんでさ。そん時は礼儀正しい、しっかりものなんですがね……それが「あは~ん。私を食べてぇ~~」なんて裸で……あんときゃ本当に自分の正気を疑っちまいましたよ。え?食べちゃったのかって?いやいやお嬢さん、こちとら愛する妻と双子の娘に長男一人を抱える身、そりゃあなんとも思わなかったって言えば嘘になっちまいますけどね。そこはグッとこらえましたさ。それに藍ちゃんは美人ですけど俺にとっちゃやっぱ母ちゃんが一番、浮気は豆腐にだけって決めてまして……、って母ちゃん!?いたの!?いつから!?今の聞いてたのか!?ちょ、なんで顔赤くして家の方にって痛い痛い手ぇ引っ張らないで……ちょっと天狗の嬢さん!なんでそんなイイ笑顔でムーンウォーク決めてんの!?」
証言者3 九代目阿礼乙女の阿求さん 「はい!?藍さんのことですか!?いやちょっとそれはその……え、言わないと今後、山の案内はしない?むしろ質悪いのけしかける?ああ、ちょっと待って下さい。言います言いますから。ええと、あれは私が夜遅くに幻想郷縁起の追加項目の草案を練っていたときでした。どこで?それは勿論、私の書斎でですよ。……はい、そうです。つまり藍さんはわざわざ家に忍び込んで、その……≪スッパテンコー≫していったということに……、いえ踊り自体は見事なものでしたよ!?綺麗でしたし!!うう、でもでも……藍さんが……あの藍さんが……うぅ~ん(バタリ)」
証言者4 発明家の英助さん 「ああ、この写真を撮った時のことかい?あれは昨日の夜にこの写真機の作動実験をしていたときのことだよ。写真機が完成した時はもう辺りが暗かったから近所を撮って回ってたんだけどね、不意に月を撮ってみようって思いついたんだよ。それで月の方にレンズを向けるとね……まぁ、いたんだよ裸の彼女が。たまに発明品の助言とかもらってたから知り合いだったんだけど……え?画質が悪いって?それは勘弁して欲しいな。このズーム機能はまだ実験段階なんでね……ああ、でも君のそのカメラをバラさせて貰えるならきっと……って冗談、冗談だよ。だからちょっとでいいからそれ貸して……って待って!ちょっと!ちょっとでいいから!!」
以上、他にも目撃証言は多数あるがあまりに多すぎるので割愛させて頂く。不覚にも本社記者(私)はその現場に居合わせることが出来なかったため推測と証言により事件を語るしかないのだが、私が集めた証言の全てが「スッパで踊っていたのは八雲藍(職業:妖怪の式、年齢:推定数千才)」と断言し、またその証言者がほぼ全員八雲藍の顔を知って(複数名の写真を選択させ確認を取った)おり、その中には「一度見た物を忘れない程度の能力」を持つ阿礼乙女まで居ることから、八雲藍が当日野外ストリップを決行していたのは間違いのない事実であると思われる。以下の写真(写真1 激撮!!スッパテンコー 撮影:木手川 英助)はややボヤケている上、後ろ姿だがスッパテンコー中の八雲藍(トレードマークの尻尾より判別)の姿を捉えた貴重な写真である。彼女は以前に本紙で紹介した動物虐待事件の被害者として紙面を飾ったことがあるが、そのストレスが彼女に歪んだ性癖を植えつけてしまったのであろうか。本来ならばここで当人のインタビューを載せるべきなのだが、彼女の住まいは幻想郷と『外』の境界にあると言われ私では踏み込むことが出来ず、断腸の思いで今回はインタビューを断念した。が、彼女に遭遇し次第インタビューを試みたいと思うので今しばらくお待ちいただきたい(八雲藍を発見した方は是非とも御一報を)。また、この八雲藍は幻想郷の大結界管理という重要な仕事を行っているが、妖怪の山とりわけ我々天狗の間では「こんな変態にそんな大業を任せていいのか」と疑問の声も上がっており、近々天狗の頭領である天魔様に彼女が招聘されるとの噂も……
「…………」
「…………」
沈黙。恐ろしいまでの沈黙がどこぞの艦隊のような勢いで八雲家の居間を蹂躙する。その凄まじさは思わずスティー◯ン・セガールに助けを求めてしまいそうな、身を切るような沈黙であった。
ゴクリ
と、紫か藍か定かではないが、どちらかの唾を飲む音が響く。
「その……藍?」
「ナンデショウカ。ユカリサマ」
もはや完全に煤け、どこぞのサトリ妖怪(妹)並に存在感が薄くなってしまった藍に紫は恐る恐る声を掛ける。
「御免なさい。最近のお仕置きはちょっと厳しすぎたわね。私も反省するわ。でもね、でもね、流石にこれはないと思うの」
ピチューン!!
恐る恐るではあるが、放たれた言葉は紫奥義「弾幕結界」並の威力でもって藍の残機を一瞬でゼロにした。
「うわーん!!死なせて!!お願いですから死なせて下さい紫様!!こんな醜態を豆腐屋の右エ門に!発明家の英助に!阿求に!!なにより橙と紫様に知られて生きていくことなど出来ません~~!!」
ジタバタ、ジタバタ
未だ紫の命に縛られ動けない藍であったが、首だけをひたすら動かし涙ながらに生からの開放の許可を主に求める。その首の動きは絶対に届かないにもかかわらず苦無に向けられている当たり本気であることが伺える。
「ああ、落ち着きなさいな藍。冗談、冗談よ。私は藍がこんな事しないって知ってるし、信じてるわ。だから止まりなさいな」
そんな懸命な藍を尻目に紫は落ち着き払って藍を後ろから抱きしめ、そう囁く。すると……
「(ピタリ)……ぼん゛どう゛でずが?」
鼻声で藍が呟く。
「ええ、本当よ」
「わだじも、ぎのうのごどばよぐおぼえでいないのでずが……」
「あら、そうなの?でも大丈夫。それでも私は貴方のことを信じているわよ」
そう言う紫は幼子をあやす母親のように優しげである。この場に霊夢や魔理沙が居れば、断食のし過ぎやキノコの食べ過ぎで自身の正気が失われたのか本気で心配しそうな光景である。……萃香辺りは昔を懐かしんで酒をあおるかもしれないが。
「ううう、ゆかりしゃまぁぁあああ!!」
そう言って、かつて尻尾の数が橙と同じだった頃のように紫に抱きつく藍。紫は苦笑しながらそれを抱き止める。2時間ドラマのラストを飾れそうな、実に感動的なシーンである。が、しかし……
(だってねぇ。信頼どうこう言う前に"あの"藍がいくら酔ったからっていって、外で裸になるなんてねぇ……)
ぶっちゃけた話、今回紫が信頼したのは藍の人格ではなく性質の方であった。
(この前、霊夢とお茶してた時は参ったわよねぇ。まさかこの年で本気で赤子はコウノトリが連れてくるなんて信じてたなんて……私が恥ずかしかったわよ。温泉でも他に人がいると隅で膝抱えて動かないし)
九尾の狐、というと恐らく白面金毛九尾の狐が最も有名であろう。そしてその彼女?が持つ美女に化けて国を揺るがす「傾国の美女」というイメージのために九尾の狐全体が閨事に長けていると思われることがままあるが、無論九尾の狐にも個体差というものがあり中にはそういう知識に疎い者もいる。といってもただの妖狐から九尾の狐にランクアップするのに相応の年月が必要なので生娘程に疎いなどということはまずない。……ないのだが、藍はその常識をぶっちぎって疎い、いやもうハッキリ言ってしまうとうぶい。先程のコウノトリの件にしても紫に真実を告げられるとトマトのように赤くした顔を両の掌でもって覆い、イヤンイヤンしていたといえばどれだけうぶいか解って頂けるだろうか。
(酒は人の本性を明らかにする。……といってもね、藍の本性はそういう方面では間違いなく"うぶい仔狐"だし。それがスッパテンコーって……)
可笑しすぎてへそで茶が沸かせる、というのがこの記事に対する紫の率直な感想である。例えば……
「ねぇ、藍?」
「ゆかりしゃま~……って、ハッ!?こ、これは失礼しました。何か御用でしょうか」
紫の胸の中で完全にヘヴン状態だった藍が現実に帰還し、即座に威厳ある式としての体裁を取り繕う。その変わり身は実に見事であったが先程の甘えっぷりを考えるとどう考えても手遅れであった。
「ちょっとここの所読んでみて貰えるかしら」
そう言って紫は藍の前に新聞をバサリと広げ、名探偵ゆかりんの洞察眼に引っ掛かった不自然な部分を指し示す。
「わ、私にこれを読めと仰るのですか!?」
「まぁ……嫌なのは解るけど、貴方の無罪を確定させるためよ。我慢して頂戴」
あまりの羞恥プレイに声を荒げる藍の抗議をさらりと流し藍に読むように促す紫。
「無罪……確定?わ、解りました。不肖八雲藍、恥を忍んで読ませて頂きます」
未だ躊躇いが見えるが、無罪確定というのがあまりにも魅力的だったのだろう。己の頬を張って気合を入れて藍は音読を開始する。
「ゴホン、え~『……そん時は本当に礼儀正しい、いい娘なんだけどね。それが「あは~ん。私を食べてぇ~~」なんて裸で……あんときゃ本当に……』「ハイ、ストップ」……はい?」
藍の音読を途中で遮る紫。藍の私を食べて発言にちょっとドキドキしたのは秘密である。
「コホン、それで藍。今の部分で変に思ったことはない?」
「変、ですか?……そうですね。うぅ~ん、あ、はい、あります。右エ門は確かに中々道理の解った御仁で私も好感を持っていますが、だからと言って流石に自分の肉を勧めるどうかと……というか逆に失礼な気が「はい、おめでとう。たった今貴方の無罪が確定したわ」……は?え、え?」
うぶ過ぎる藍ならそうじゃないかな~と思ったけどやはりか、というのが今の藍の発言を聞いた紫の感想である。そう中学生でも理解しそうなので忘れがちであるが、「私を食べて」という言葉の、いわゆる性的な意味というのは完膚なきまでに慣用句的なものである。そして、慣用句というのは知らなければ何のことだか解らないということが往々にしてある。例えば「開いた口がふさがらない」というのは一般に心底呆れた、もしくは驚いたというような意味を持つ慣用句であるが、これを字義通りに受け取る人間がいたのならまず顎が外れているのではないか?と心配してしまうことだろう。今の藍の反応は明らかにそれと同じものである。そしてここが重要なのだが、この豆腐屋の前に訪れた≪スッパテンコー≫は明らかに「私を食べて」という言葉を慣用句的に使っている。藍が知らないはずの慣用句を、である。無論、右エ門さんの覚え違いという可能性もあるが昨夜の、しかも常連が素っ裸で誘ってきたなどという衝撃的な状況での記憶である。早々忘れることなどできまい。となればこの≪スッパテンコー≫はここで首を傾げている藍とは別の存在か、あるいはもっと根本的に……、
「……ふむ。やれやれ思いのほか早い事件解決だったわね。まぁ、この私の灰色の脳細胞にかかれば当然とも言えるけれど」
パンッ、と扇子を勢い良く広げて口元を隠しつつ、紫が傲然たる態度でそうのたまう。
「……?紫様?事件解決とは?」
「あら藍。今日の貴方は随分と鈍いのね。私は今、貴方にスッパテンコーの冤罪を着せた犯人が解ったと言ったのよ」
「な、なんですって!?本当ですか紫様!!」
「ええ、勿論本当よ藍。私が貴方に嘘を吐いたことがあったかしら?」
「え?それは結構あったような気が……(パンッ)ひぃ!?いえないです!!紫様はいつも真実しか言いません!!……いえ、でも本当に解ったんですか?紫様はこの場から一歩も動いてないじゃないですか」
「ふふふふふ。ノープロブレムよ藍。何故なら美少女探偵ゆかりんは安楽椅子型だからよっ!!」
幻想郷のミス・パープルと呼びなさい!!、と力強く叫ぶ紫。どうやら紫の中の探偵の理想像とはアームチェア・ディテクティブらしい。
「あ、安楽椅子型……確かに紫様に安楽椅子は似合うような……」
「ゆかリんチョップ!!」
「ぐはっ!」
うっかり迂闊なことを言って扇子で叩かれる藍。今更だが今日の彼女は心底ついていない。思わず藍は厄神の姿がないかこわごわ辺りを見回す。
「い、いや!!こんなコントやっている場合じゃなくて!!ゆ、紫様それで犯人は、犯人は一体誰なんです!!」
「ちょ、ちょっと落ち着きなさい藍。言う、言うから」
猛然と食って掛かる藍。紫の肩を引っ掴む握力が若干アグレッシブな事になっているが、世間一般に露出狂だなどというデマを流されれば誰だってこうなるだろう。
「コホン、いい藍。真実っていうのはいつだってシンプルなものなのよ。今回の件だってそう。貴方は解らないでしょうけど先程のやり取りで貴方の無罪は確定したの。となれば……」
「と、となれば?……」
いよいよ怨敵の名が告げられると藍はゴクリと喉を鳴らす。
「この記事が嘘、でっち上げということになるわ。つまり、この記事を書いた者が犯人ということよ。よって……」
場に満ちる静寂、そして、その静寂を引き裂くのは美少女探偵の断罪を告げる声。
「犯人は射命丸 文よ!!」
「えええええええ!?!」
告げられたあまりにも、あまりにもシンプルすぎる結論に驚きを隠せない藍。それはそうだろう紫の理屈を是とするのなら、例えば一度有罪判決が出てその後新たに冤罪が判明した事件を取り扱ってしまった新聞記者は全て真犯人候補ということになってしまう。
「い、いや紫様、それは……それはいくらなんでも安直過ぎませんか?」
また、叩かれることを警戒してか頭を抑えながら藍が恐る恐る紫にもの申す。しかし、紫は藍の予想とは裏腹に余裕ある艶然とした笑みを浮かべる。
「ええ。確かに結論は安直ね。けれど、この場合そこに至るまでの過程は安直じゃないのよ」
「……と、おっしゃいますと?」
「安直ではないと言ったけれど、簡単な話よ。貴方の無罪を前提にこの記事を読むとね、色々と不自然なことが多すぎるのよ」
例えば、『他にも目撃証言は多数あるがあまりに多すぎるので割愛させて頂く』という項目。藍のような絶世のと言っても問題ない美女が野外を裸で歩けば無論、目立つだろうから問題ないように見えるが記事の冒頭で語られた≪スッパテンコー≫の目撃時刻は深夜未明である。確かに夜遅くまで開いている店というのも人里には存在しているが、それにしても明るいのは店の中であり『外』のように街灯設備が整っていないため道は暗く、人通りもかなり少ない。その状況で多数の目撃証言というのはいかにもキナ臭い。
例えば、『私が集めた証言の全てが「スッパで踊っていたのは八雲藍」と断言し、またその証言者ほぼ全員が八雲藍の顔を知っており』という項目。これに関してはもはや鼻で笑う以外の選択肢はあるまいと紫は思う。夜中の大して多くないはずの目撃者全員が人里ではさして多くないはずの藍の顔見知り、ここに作為を感じずにどこで感じろというのか。
「あ、ちょっと待って下さい紫様。質問があります」
「ん?どうしたのかねワトスン君?」
解決編に突入した紫はノリノリで藍を、いつの間にか手にしたパイプで指差す。
「ワ、ワトスン……。いえもし仮に、仮にですよ?その、私にこう、人前で裸になるような性癖が秘められてるとしたら、裸で知り合いのもとを回るということも有り得るのでは?」
最もである。目撃者の質に作為めいたものがあるのは確かだが、それが藍当人の作為ではないという証拠はない。が……
「ふむ。そうねぇ、私にはそういう性癖はないから何とも言えないけど……それはないわね」
何とも言えないと言いつつ、紫は自信あり気に断言する。
「そんなハッキリと……それは何故ですか?」
「もしそうだとしたら絶対にあるはずのものが、その新聞にないからよ」
ビシリとパイプを藍に突きつけて紫がポーズを決める。どうやらパイプが気に入ったらしい。
「あー、ええとそれは?」
「上白沢慧音の≪スッパテンコー≫目撃証言よ」
「……あ」
上白沢慧音、言わずと知れた人里の守護者である。そして、慧音と藍は永夜異変の際に紫の式として一戦交えた仲であり、また強大な力を持ちながら人里に出没する藍とは言うまでもなく『知り合い』である。
「新聞というマスメディアに載せる証言者としては、守護者で教師で堅物なあの白澤は最適と言えるわ。少なくとも主婦や豆腐屋や発明家よりはよっぽどね。その証言がないということは白沢の元に≪スッパテンコー≫は現れなかったということ。半獣として人里では貴方にかなり近しい彼女の元に現れなかったのだから知り合いをピンポイントで巡り歩いたという説は除外していい。……というか前後不覚で記憶が曖昧になるほど酔っ払っていた貴方があの白澤に補足されなかったということ自体が≪スッパテンコー≫は貴方じゃないという証拠になるわ」
「おお、成程」
意外に筋の通った推理に藍は感嘆の声を漏らす。ぶっちゃけ藍は紫の「犯人は射命丸」発言により、紫の推理をごっこ遊びの一種ではないかと疑っていたのだが、推理自体が真面目だったので素直に感心した。が……、
「しかし、紫様。私が≪スッパテンコー≫でないという証拠が増えたのは喜ばしいのですが、どれも文が犯人だと断定するには些か弱いように思うのですが」
藍が鋭くこれまでの紫の推理の欠点を指摘する。確かにこれまで紫が指摘した不自然な点はどれも『疑わしい』レベルの物であり、決定的なものとは言えない。鋭い藍の指摘に美少女名探偵ゆかりんの進撃も止まるかのように思われたが……
「ふふ……ふふふ……」
「ゆ、紫様?」
「あらあら、藍。まるで私に不備があるかのように言うのね。決定的な証拠を出す前に私の話を遮ったのは貴方でしょうに」
「え、あ!?これは……申し訳ありません。確かに紫様のお話を遮ったのは私でした。しかし、そう仰るということは……」
「ええあるわよ決定的な証拠が、射命丸文が嘘を付いている決定的な証拠が!!それは……」
「そ、それは!?」
「これよ!!」
ダン!!
そう言って、紫は決定的証拠をちゃぶ台に叩きつける。それは……
「『文々。新聞』?」
藍にとっての不幸の手紙となった、文責 射命丸文の新聞であった。
「紫様これはどういう?」
「ふふふ……藍。ここのところを読んでみなさい」
再びビシリとパイプで新聞の一文を指し紫が藍に命ずる。
「は、はっ!えー『ここで当人のインタビューを載せるべきなのだが、彼女の住まいは幻想郷と『外』の境界にあると言われ私では踏み込むことが出来ず、断腸の思いで』……ああっ!!」
「ふふっ解ったようね。そう文が家に踏み込んでくる事ができないのなら、何故この新聞はここにあるのかしら?」
雷をバックに背負い固まった藍に代わり紫が結論を述べる。
「一応、聞いておくけど……藍、この新聞は毎朝貴方が取りに行っていたのかしら?」
「い、いえ。毎朝玄関に置いてあります」
「そしてこの新聞はあの天狗が自分で配っている、と。いえ、例えそうでなかったとしてもこの家に踏み込めない理由にはならないわね。部下に配らせているなら訊けばそれで済むし、なんなら山にいる橙に訊いたっていいでしょうに。……というかあの娘、確か家に来たことあったわよね。三途の川の幅を算出した時、貴方の取材しに」
こうして配ってしまったのは癖でしょうね、あるいは部下を止め忘れたか。と淡々と着々と語りを進め真相に近づいていく紫。その様は隣にいる藍には正に名探偵のように映る。
「にも関わらず、取材となれば何処にでも行くあの天狗が踏み込むことが出来ないなどと記事に嘘を書いてまで家にこない……その理由は何?決まっているわ」
トン
紫が新聞の中央をパイプで軽く叩く。
「あの娘は知っているのよ、貴方が≪スッパテンコー≫じゃないって。そして、今そのことを知っているのは私達を除けばたった一人よ、つまり……」
「……犯人」
藍が紫の言葉を引き継ぎ結ぶ。それを聞いた紫は艶然と笑い……
「以上、Q.E.D.(証明終了)質問はあるかしら?」
ふわりと立ち上がり優雅に一礼した。
「……紫様」
それに対し藍は正座で深々と座礼を行い主の礼に応じる。
「紫様の推理、真に見事で御座いました。この藍、目から鱗が落ちた心持ちです。ですが……最後に一つだけ紫様の叡智に問を投げたく思います。」
「あら?なにかしら?」
「動機は?動機はなんなのでしょう?正直、私は文にこのようなことをされるような覚えが無いのですが」
それを聞いた紫は解決編に入って初めて顔をしかめる。
「う~ん……動機というのは、流石の私でも推理するのは難しいのよね。何に対してどれだけの害意を持つかは十人十色、理屈で語れないものだから。それにあの天狗なら面白そうだから、っていうのも有り得そうな気がするし……、でもまぁ……どうしてもというなら、一応それらしい心当たりはあるわね」
「あるんですか!?それは、それは一体!?」
即座に紫ににじり寄り、藍は紫をガクガクと揺さぶり始める。
「藍、藍。揺さぶるのやめて。酔う、ゆかりん酔っちゃうから」
そういう紫の顔色は確かに彼女の名前のような色になりかかっている。
「っと、し、失礼しました。それで一体動機は!?」
揺さぶるのこそやめたものの変わらぬ必死さで藍は問いかける。
「うぅ……目が回る……っと、これはまぁ、穴埋め問題みたいな感じで不本意なのだけれど……まず、今の貴方に彼女に恨まれる覚えがないというのなら、貴方の覚えていない所で恨みを買ったと考えるのが妥当よ。そして、貴方はさっきこう言ったわよね?昨夜のことはよく覚えていないと」
「ええ、はい。昨夜は不覚にも飲み過ぎました。お陰でほとんど記憶が……」
羞恥でその身を縮こまらせながら答える藍。
「なら新聞が発行されたのが今朝であることを考えれば、タイミング的に言ってその時に不興を買ったと見るべき。そして貴方は覚えていない様だけれど……昨夜貴方は文に説教食らわせていたのよ」
「は?」
「内容は確か……スカートが短過ぎるとか、女子たる者もっと慎みを、とかそんな感じだったわね。あと、潰れてたメイドとかにも……恐れ多くも霊夢の腋に関してもツッコミを入れてたわね」
あれには恐れいったわ、と紫はしたり顔で頷く。しかし、それでは納得できないのが藍である。
「いや紫様?幾ら何でもそんなことでこんなデマをばら撒く程、文は短絡的ではないと思うのですが……」
まぁ、確かに酔った席でのお茶目で社会的に抹殺されかかっては堪らないだろう。が……、
「あら、私に同じことを二度言わせる気?何に対してどれだけの害意を持つかは十人十色よ。例えば……藍、あの天狗が私が送ったあの帽子を馬鹿にしたとしたら貴方「その日の夕飯のおかずが烏の唐揚げになるだけですが何か?」……そ、そう……」
紫の出した問に一切躊躇せず応える藍。彼女が日頃かぶっている、黄色いお札とふわりと垂れる飾り毛がキュートな帽子は紫からの初めての贈り物であり藍にとっては万金に値する宝物である。と、そこまで考え成程と、藍は得心した顔で首肯する。他人から見れば大した事でなくとも当人に取っては看過し得ない地雷であるということは確かにある。
「コホン……まぁ、とにかく。なら、文にとってのミニスカートが貴方にとっての帽子であっても不思議はないでしょう?それに……ハッキリ言って動機はもうどうでもいいのよ『文々。新聞』がここにある以上あの天狗が犯人であるのは間違いないのだから」
「動機の有無より物的証拠よ」と新聞をバサリと広げて紫が得意げに言う。
「ううむ……成程、なるほど。となると……やはり犯人は文……なのですね?」
俯き、陰鬱な声で再度紫に問いかける藍。
「くどいわよ藍。犯人は射命丸 文。それが美少女名探偵である私の結論よ」
パイプを吹かしながら―と言っても火がついていないのでジェスチャーのみだが―断言する紫。
「にしても……この始末どうつけてくれようかしら。八雲の者にこうもあからさまに喧嘩を売ってきたのだから、それ相応の報いをくれてやらねばならないわね」
「フ、フフフッ。そうか……橙に変態と言われたのは……」
紫は脳内で文に対するお仕置きを想像してほくそ笑む。ぶっちゃけその笑顔は今日一番のイイ笑顔である。
「あの羽を毟ってやろうかしら?いえいえ、烏天狗の象徴である扇子に『インチキてんぐ』とかラクガキしてやるのもいいわね」
「ク、クククッ、……紫様にあんな醜態を晒してしまったのは……」
そして、紫は文へのお仕置きに思案を巡らせているため気付かない。彼女のすぐ傍にいる藍から立ち昇る瘴気に。
「そうだ。あのカメラを河童に分解させるとかもいいわね。目の前で愛機がバラバラになるのを見てあの天狗がどんな顔をするか……今から楽しみだわ。ねぇ、藍……って藍?」
「全部……全部……」
「藍、藍さん?もしもーし?」
ようやく藍の様子がおかしいことに気付き正気を確かめるかのように彼女の眼前で手をひらひら振る紫。だが、その手に反応せず俯いてブツブツと呟き続ける藍。そして……
「全部……全部……貴様のせいかぁぁああああ!!射命丸文ぁぁああああああああああああ!!!!」
「わひゃう!?~~っつう~~耳、耳が……」
大・噴・火!!バックにフジヤマヴォルケイノを背負い、それ自体が天災のような大音声をあげ、赫怒をぶち撒ける藍。その怒髪天を衝く様を見れば本物の十二神将でさえ尻尾を巻いて逃げ出すだろう。
「ちょっと藍!!なんて声出すのよ!主の耳潰す気……って、藍!?なんか黒くなってるわよ!!オーラとかそういうんじゃなくて、耳が!尻尾が!!け、毛も生えてきた!?き、牙が!爪が!?」
絶叫する紫。確かに彼女の言う通り、見事な毛並みと向日葵のような明るさの黄を誇った耳と九つの尻尾が漆黒に染まり、あろうことか腕や脚、頬など体の各部にも突如としてどす黒い獣毛が生え藍の柔肌を覆う。さらには牙も爪も鋭さと長さを増し凶器と化し……その様は美麗な天狐というよりは……
「人狼!?ちょっと待ちなさい九尾の人狼なんてこの私ですら聞いたことないわよ!!ていうか貴方は狐でしょう!?」
「グゥォオオオオオオンンンン!!!」
「きゃぁあああ!?」
見た目人狼?に変化した藍は焦る紫を尻目に蒼天に咆哮する。その獣そのものの吠え声からは日頃の理知的な藍の面影は全く感じられない。完全にクリーチャーと化している。
「グルル、ユカリサマ」
「は、はいぃいい!!なんで御座いましょうか藍様!!」
藍の突然の変貌に完全に腰が引けている紫は普段の超然とした雰囲気も何処へやら、最敬礼で自らの式の呼びかけに応える。
「ワタシハコレカラ、フトドキナテングヲ、クビッテキマス」
「く、縊るって貴方……」
「ユカリサマ」
「ごめんなさいごめんなさい口答えしてごめんなさい!食べないで!ゆかリん美味しくないからスキマだから!!」
紫、必死の懇願。萃香や幽香辺りが見れば珍しい物を見たと大笑いするだろうが、今の藍を見ればその笑いも掻き消えるだろう。ハッキリ言ってそれぐらい今の藍は恐い。そして……、
「イッテキマス」
ガォォオオオオ!!と再び吠えて木々をなぎ倒し走り去る藍。その進撃の迫力はゴジ◯にすら引けを取らない。そして、その進撃先は無論、妖怪の山である。
「……い、行った?」
障子に身を隠し、ヘルメット代わりに座布団を頭に乗せて恐る恐る藍の行った先を見遣る紫。
「……ふぅ、あぁ恐かった。寿命が千年は縮んだわ。藍って本気で怒るとああなるのね、初めて見たわ」
先程の藍の眼光を思い出し、紫はガクガクと身を震わせる。
「怒って変化する妖怪っていうのは確かに居るけど……あれじゃもう別の妖怪じゃない。……うん、あの藍のことはこれから『黒藍』と呼びましょう」
一人、うんうんと頷きながら紫はぼやく。恐らく普段の藍と今の藍を区別しなければやっていられないのであろう。
「……それにしても……困ったわね。藍のあの怒り様だと本気で天狗のことを絞めて、唐揚げにしかねないわ」
頬に手を当て、ほぅ……と息を吐く。実際問題として藍が文を、というか山の天狗を殺めるのはまずい。心情的な理由も無論あるが、なにより八雲と山の妖怪の全面戦争が勃発しかねない。無論、そうなったとしても紫には負ける気など毛頭ないがスペルカードルールの恩恵により、活気づきながらも平穏な今の幻想郷をぶち壊すことになる。それは紫の望むところではない。
「どうしようかしら……そうね、私が先回りしてあの天狗にお仕置きしておけば藍の気も削がれるわよね」
そう言って、紫は手に持つパイプをスッと振り上げる。
「考えてみれば、真犯人を追い詰めるのは古来より探偵の仕事。美味しいところを式にかっさらわれるのも癪よね」
ようやっといつもの胡散臭い空気を取り戻した紫が振り上げたパイプを振り下し、自身の能力の象徴であるスキマを開く。
「ふふふ、待ってなさい射命丸 文。追い詰めて、泣かせて、藍に土下座させてあげる」
楽しげに、妖しげに笑って紫はふわりとスキマに飛び込んだ。その優雅な様は先程までのビビリっぷりを補って余りあるカリスマ的な威厳に満ちている。……まぁ、と言っても
(それで『黒藍』が元に戻ってくれるといいのだけれど……戻るわよね、戻って欲しいなぁ、戻って下さいお願いします)
パン、パンと柏手を打ち、スキマ越しに博麗神社に賽銭を投げ込んでしまうくらい、内心は『黒藍』にビビリまくっていたが。どうやら完全にトラウマになってしまったようだ。ゆかりんは繊細な少女なのである。そう……
チャリン……と、賽銭箱に落ちた硬貨の音がこの事件の新たな波乱の開幕のベルとなることに気付かない程度には、紫はまだまだ未熟な少女なのである。
≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪
「う~、う~う~」
一人の少女が机に突っ伏して頭を抱えている。そのスタイルはロダンの考える人に匹敵する程『考える人』のなんたるかを物語っている。と言っても……
「あー、ッもう!!折角の特ダネなのに!!身動きがとれないなんてぇ~~『文々。新聞』購読者倍増のチャンスなのに!!」
ダンッ!!と勢い良く書き物机をぶっ叩いた彼女は、考えていたのでなく悩んでいたのであって、更に言うなら人ではなく天狗だった。
「憎い。私の記者としての本能が、溢れんばかりのガッツが憎い。うぅ~速報でなくもっと練ってから発行するべきだったわ~」
頭を掻きむしりながら彼女、伝統の幻想ブン屋 射命丸文は身悶えする。
「あ~う~こうしている間にも……ネタの鮮度が落ちていくのよね~~……だめ。私には耐えられない。こうなったらでっち上げてでも『文々。新聞』号外を!!」
くわッ、と起き上がり猛然とペンを引っ掴み原稿用紙に向かう文。その瞳にはすでに紅蓮の炎が宿っており彼女が本気であることを表している。
「さあ、イッツ!!ストームファイヤー!!メイドイン射命丸のショッキングな記事の数々をご覧あ「犯人はお前だ!!」むきゃあぁああ!!」
あわや、彼女のデマ記事の被害者がまた一人増えようかというところで、突如として現れた、犯人を指差すコ◯ン君のような右の一本貫手が文の脇腹に突き刺さり彼女にペンを放り出させる。更に貫手のくせに結構な重さを備えていたその一撃は文を吹き飛ばし、部屋にあった書棚に激突させる。
ドン!!
「かふっ!!」
ガシャン!!
「アイタタタ……がしゃん??」
書棚に激突し、なにやら不穏な物音を聞いた文はゆっくりと、恐る恐る音がした方を振り返る。すると……
「きゃあああぁぁああああ!!カメラ!カメラが!!」
哀れ彼女の記者魂の象徴とも言えるカメラがものの見事に床と接吻を交わし、たまたまその上に落ちてきた百科事典が実に三冊。記者の嗜みとして揃えていた蔵書が仇になった形である。そして、さらに悲惨なことにまるで狙ったかのように、ちょうど百科事典の角の部分がレンズに直撃し対象を見事に破砕している。砕けたレンズの破片の飛び散り様はさながら飛び降り自殺の血痕のようになっており見るものの同情を誘う。
「えー、ガイシャは黒いボディのカメラさん(年齢不詳)。ふとした拍子に高所から落下、そして不運にもその更に上から落下してきた百科事典三冊の下敷きになってしまった模様」
そして何時の間にやらカメラの遺骸の傍らにしゃがみ込み、白のチョークでカメラの回りを殺人現場よろしく白線で囲っていく我らが美少女名探偵ゆかりん。
「どうやら推理するまでもないわね。事故死とは……惜しい人を亡くしたわ……」
「ちょっと待ったぁぁぁああああ!!これのどこが事故なのよ!!どう見ても犯人を貴方です、でしょうが!!」
南無~、とホトケに手を合わせる紫の後頭をはたきつつ文が叫ぶ。これもまた推理するまでもないことだが文の脇腹に貫手を叩き込んだのは無論、紫である。
「痛いわねぇ。いきなり暴力に訴えるなんて貴方それでも新聞記者なの?」
「どの口で戯言ほざくか!!人の脇腹にいきなり問答無用で貫手叩き込んだのはあんたでしょうが!!」
己の半身を壊された怒りのためか、普段の営業やら強いもの用やらの敬語を放り出してマジギレする文。まぁ、壊しただけでなくその後の紫のおちょくった態度によるものもあるだろうが。
「あらあら、戯言ほざいてるのはどっちかしら?いきなり……なんて、貴方まさか私に攻撃される心当たりが無いとでも?」
しかし、紫は悠然とした態度を崩さず胡散臭い笑みを浮かべたまま逆に文を責め始める。
「ないわよ!!この清く正しい射命丸にそんな心当たりあるわけないでしょう!!」
ドーン!!と効果音が付きそうな程完璧な断言であった。とても先程まで記事をでっち上げようとしていた人物の発言とは思えない。
「そ、そう……じゃなくて、嘘仰い。貴方の犯行はこの美少女名探偵ゆかりんが……」
若干、気圧されながらながらも即座に立ち直った紫が息を溜める。
「まるっと、すりっと、すきまっとお見通しよ!!」
ドーン!!と、こちらも効果音が付きそうな勢いで決めゼリフを吐く。それに対し文は……、
「うわ、その年で美少女、しかもゆかリんて……、うわぁ……」
ドン引いていた。それはもう背中に壁が当たるまで後退しているにも関わらず、なお紫から距離を取ろうとしている程必死なドン引きだった。
「(ピクピク)……ゆかリんキック!!」
ドス!!
「くはっ!!」
そして、その文の様子を見た紫は額に青筋を浮かべて前方に放ったゆかリんキック(前蹴り)をスキマで文の背後に転送し、背中を蹴り押し自らの眼前に平伏させる。
「全く。捏造記者の分際で私の名乗りにケチをつけようなんて頭が高いわよ」
「いえ、今は大分頭が低くなってるし、それに捏造云々言うなら貴方の名乗りも相当……」
「何か言ったかしら?」
再び足を振り上げながら紫が微笑む。
「あ~いえ、何でもないです。ってそれよりも!捏造記者とは何ですか!?私はいつも真実しか書きませんよ!!」
ようやっといつもの対強者用の丁寧口調を取り戻す文。ただ、その怒りまでは衰えていないようだ。その様はつい先程まで(以下ry
「ふふふ、その様子だとあの捏造記事に余程の自信があるようね。まぁ、そのハッタリだけは見事だと言っておくわ」
「あーだからその捏造記事って何なんですか?本当に最近だと心当たりがないんですが」
このままのやり取りでは埒があかないと見て譲歩する文。その首を傾げる仕草はごく自然なもので本当に不思議そうに見える。
「そう、まだしらばっくれるのね。いいわ、教えてあげる。貴方のでっち上げた記事とは……これよッ!!」
バン!!と自分で持ってきたスッパテンコー記事の『文々。新聞』を文の前に叩きつける。
「うわ、何ですかこの血塗れの……これ私の『文々。新聞』じゃないですか!?私の珠玉の逸品になんてことするんですか!?あ~、折角の写真が……血で頭が消えて誰だか解らないじゃないですか」
自らの発行した新聞の惨状に驚く文。そのあまりの惨さに写真での判別を諦め、どうにか読める文字を眉を寄せながら読み進める。
「ええと……これは……ああ、今朝のスッパテンコーの記事ですか」
記事を読み進め、それがなんの記事なのか解ると、文はやれやれと言わんばかりに肩をすくめる。
「あのですね紫さん。身内がこんな愉快な真似やらかして気が立つのはわかりますけどね、だからと言って真実の使徒たる私にイチャモンをつけるのは間違いですよ。むしろ藍さんの教育を先にすべきじゃないですか?」
どう見ても呆れきったジト目で紫を見ながら諭すように文は語る。その語り口には焦りは全く見られない。
(……おかしいわね?真実を突きつけられた犯人というのはもっとこう……三流っぽいリアクションをとるもののはずだけれど)
自身の知識―小説などが原典だが―とあまりに違う文の態度に紫は内心大いに戸惑う。
(いえ……そうね。そう言えばまだこの天狗には私の華麗な推理を聞かせて無かったわね)
さっき藍に話したから話した気になっていたわ、と紫は呟く。
「紫さん?紫さーん?」
「ブツブツ……」
「おーい?聞いてますかー?」
「いいでしょう!!」
「あややっ!!」
思考に没頭して文を完全にシカトしていた紫が突如として立ち上がりパイプを文に突きつける。
「そうまで惚けるというならこの私の完璧な推理を聞かせてあげましょう!!」
「は、はぁ……(完璧な推理?それって推理って言わないんじゃ……?)」
藍とのやり取りですでにテンションがハイになっている紫のノリについて行けず、文はどこか白けた答えを返す。
「いいこと?貴方のこの新聞記事には無視できない不自然な点がいくつもあるの。まず……」
とノリノリで先程藍に聞かせたのと同じ推理を紫は語り始める。が……
「はぁ……何を言うかと思えば」
再びため息を付き先程と変わらぬ、いや、むしろ呆れを増加させたジト目で紫の推理を聞き終えた文はそう言った。その態度は言外に「ダメだな。このスキマ」と如実に語っている。
(あ、あら?おかしいわね?態度が変わらないわ)
この段に至って慌てたのはむしろ紫の方であった。何せ追い詰めているはずの犯人から侮蔑の視線を受けているのだ。焦らない方がおかしい。
「まず始めに言っておきますが……」
そして、追い詰められている犯人?(すでに疑問形)こと文が満を持して語り始める。
「この『文々。新聞』に載せている証言は全て事実です。私が人里まで行って一人一人訪ねて回ってゲットした確実な証言です。少なくともそう証言した人がいるのは間違いありません」
「……え?」
なんなら人里に行って確認を取って下さっても構いませんよ。とすまし顔でスッパテンコー=文のでっち上げ説を根底から覆す発言をする文。紫はこの時点ですでに先程までの自信満々の態度が消えている。更に……
「そして……こちらが目撃証言の掲載していないものの全てになります」
ドン!!と紫の前に書棚の一番下の棚から取り出した紙の束を同じくすまし顔で突きつける。ついでに「証言者の名前も載っていますからこちらも良ければ御確認下さい」と言添えることも忘れない。すでに紫の顔は困惑で一杯でその頭上には「?、?、?」と疑問符が大量に乱舞している。そして……
「私も確かにこの証言の多さは少々不自然だと思います。……思いますけど事実この通り証言者が沢山いるんだからしょうが無いじゃありませんか」
「現実見ましょうよ紫さん」と無職のヒッキーを責めるような視線をレーザーのように紫に照射する。その視線に紫は身を居心地悪そうに縮ませる。
「それと証言者が藍さんの顔を知っている人ばかりで不自然と言いますけど、私はそれを不自然だとは思いません。……どうやら紫さんはご存じないようですが藍さんは人里ではかなりの人気者ですので」
「ふわふわ尻尾と温和な態度で子供の、クールな美貌とナイスバディで若いおなごと男衆の、そして主の世話の苦労話と親切な心遣いで奥様方と御老人方の心をがっちり掴んでますから」と言って感心したように文は頷き、その後に「なんで主のくせにそんなことも知らないんですか?」と本当に、純粋に不思議そうに文は紫に向かって首を傾げてみせる。それに対し紫はそっぽを向いて……というかすでに文に背を見せしゃがみ込み拒絶の姿勢をとる。すでに二人の態勢は紫が文を見下ろしていた状態から全く逆の態勢に変わってしまっている。しかし……
「最後に、紫さんの家に私の新聞があった件についてですけど「そう!それよ!!そればかりは流石に言い逃れできないでしょう!?」……」
次の文のセリフで最も自信のあった証拠のことを思い出し、紫復活。一転して再び得意げな顔になる。と言ってもこれまでの文の言葉で紫の推理はすでにガタガタなのだが。
「はぁ……確かに私は紫さんのお宅に取材に行くことは出来ます。今朝の新聞も貴方の仰る通り橙に頼んで持って行ってもらいました」
「でしょう?でしょう?ほらやっぱり凄いじゃない私の推理!!」
文が紫の推理を一部とは言え認めたことでどこぞの天人並に有頂天になる紫。厳密に言えば紫は橙が新聞を運んだ可能性について言及していないのだが。
「ですが!!」
「……ですが?」
しかし、その有頂天も長くは続かず強めに発された文の言葉に嫌な予感を覚え、顔を引き攣らせる。
「私が紫さんの家に取材に行かなかった理由は貴方が言ったものとは全く異なります」
「え゛」
文の衝撃の一言でビシリ、と紫の引き攣り顔にひびが入る。
「そんな……。……待って、貴方が取材を断念するなんて余程のことよ。藍の無実を知っている以外の理由なんて正直思い浮かばないのだけれど」
ひびを抱えながらもなんとか持ち直した紫が文に食い下がる。何せこの天狗、霊夢を利用して地底の妖怪にすらちょっかいを出し、その霊夢も使えないとなると姫海棠はたてとの絡みがあったとは言え、結局地底の妖怪を自ら激写しに行くほどの猛者なのだ。しかし、何故かその紫の言葉を聞いて文は怪訝そうな表情を浮かべる。
「その事ですけど……あれは貴方が手を回したんじゃないんですか?私はてっきりそうだと思ってたんですけど」
と、文も若干困惑した様子で紫に問いかける。
「……?何のこと?私は今朝起きてから貴方に貫手を入れるまで、手回しと呼べるようなことはしていないけれど」
「むぅ……、それではあれは一体……?」
「ちょっと。私にも解るように話しなさいよ」
思考に没頭し始めた文を突付きつつ、置いてきぼりになりつつある紫が問いかける。
「え?ああ、すいません。えーと、私が取材に行かなかった理由ですが……天魔様です」
「は?」
「ですから、私が取材に行かなかったのは天魔様に止められたからです。ええ、そりゃもう凄い剣幕でこれ以上≪スッパテンコー≫について調べるのは禁じると山の天狗を集めて一喝しまして。私のその『文々。新聞』は緘口令が布かれる前に調べた事をまとめたものです。命令は『これ以上調べることを禁じる』というものでしたので。……配っているのが見つかると止められたんですけどね、うぅ、配っている途中だったのに紅魔館とか永遠亭とかには配れてないのに……まぁ、逆にその緘口令のお陰で結果として『文々。新聞』は現在唯一の≪スッパテンコー≫記事を扱った新聞になれたのも事実なんですけど。……本当にあれは貴方の手回しじゃないんですか?天魔様にああまで言わせる事が出来て、≪スッパテンコー≫について調べることを禁じそうな人物というと貴方しかいないんですが……って、紫さん!?どうしました!?」
文の語りを聞いていた紫が突如崩れ落ちorzの姿勢になったため声を荒げて呼びかける文。その様子を見て文は、
(あやや~、理由が予想外過ぎたんですかねぇ~?となるとあれは本当に紫さんの差し金では……?っと、なんか呟いてますね。なんでしょう?)
紫が何やら呟いていることに気付き、文は紫の口元に耳を寄せる。すると……
「しまった……忘れてたわ……あの孫馬鹿の存在を……そうよね"あの"天魔が、藍が露出狂なんて話ばらまかれて黙ってるわけないわよね……ふふ、ふふふふふふ」
天狗の頭領 天魔。統治する組織の大きさという点においては幻想郷でもトップクラスな幻想郷にしては珍しい地位的に分り易いお偉いさんである。そして天魔は妖怪の賢者たる紫との付き合いも古く、その始まりは幻想郷の開闢以前に遡る。そんな天魔であるが、天狗達にすらあまり知られていない困った性質がある。それが紫が言った孫馬鹿、すなわち藍に対する猫可愛がりである。無論、天魔が妖狐である藍の直接の祖先な訳ではないのだが、かつて紫が連れていた「ゆかりしゃま~」な藍の可愛らしさにハートを五寸釘で撃ち抜かれデレた。それはもう藍を見かければ必ず菓子を与え、何か欲しがれば何でも買い与え、終いには藍の教育に悪いからという理由で紫に面会謝絶を言い渡された事がある程のデレっぷりであった。そしてその藍に対する親愛の情は多少落ち着きこそしたものの現在でも衰えるということを知らず、今でも月一での藍の定期報告が遅れるとリアルに嵐を纏ってしまう程機嫌が悪くなる。そして、そんな天魔が藍の≪スッパテンコー≫疑惑などというものに対してノーリアクションであるはずがなかった。
(天魔は藍のうぶさを知っているから藍≠≪スッパテンコー≫というのは解るはず。……ていうか藍の"うぶさ"の原因てあいつなのよね。藍がそういう方面の好奇心起こすと「藍にそんなこと教える奴ぁぶっ殺す!!」て息巻いてたもの。となれば……)
緘口令の一つや二つ布いて当然か、と紫は得心する。藍の無実を信じる人間がこんな所にも居たという事実が少し嬉しかったのは秘密だ。
「い、いえ……待って。じゃあ何で家に来れないなんて嘘を新聞に書いたのよ」
四つん這いの姿勢から往生際悪く文に食い下がる紫。この迷探偵どうやら未だに自らの敗北を認められないらしい。そんな紫の決死の問いかけに文は……
「はぁ、あのですね紫さん、この誇りある伝統の幻想ブン屋である私が、『命令だから書けません』なんて恥ずかしい事を記事に書けるはずがないでしょう?」
やれやれ、と言わんばかりに大仰に肩をすくめて紫を見下ろし、とんでもなく自分勝手な理由を吐いた。
「……そ、そんな理由で……orz」
文のあんまりなカミングアウトにより今度こそ紫、撃沈。というか、嘘記事を書くのはブン屋の誇りに引っかからないのだろうか?……まぁ、それはさておき……
「さて、紫さん?」
ビクリ、と文に呼び掛けられた紫の肩がはねる。
「天魔様の命令については良く解りませんが……何やら納得してもらえた御様子。ならこれで貴方の推理が全くの的外れであることは解ってもらえましたね?」
そう、そうなるのだ。美少女名探偵の名をほしいままに(だって自称だし)してきた紫にあるまじきことであるが、文の話を考慮するとどう考えても紫の推理は大ハズレということになってしまう。
(そ、そんな馬鹿な。この私が……)
非情な現実を受け入れられず紫は愕然とする。彼女の敗因は総合すると唯一つ……
(藍。なんで私の知らないところでそんなに人気者になってるのよ。しかも当人の言動を考えると無自覚に……いえ、天魔のことは知っていたのだけれど)
自らの式の人気を読み違えたことに尽きる。そう言えば最近二人で話したことなかったしなぁ~、うぅごめんね藍、と自らの式に対する態度を反省する紫。
「そう、そうね。久しぶりに藍と二人でお酒でも飲みましょう。最近、藍にはお世話になってばかりだし美味しいお酒とツマミを用意して静かに主従の語らいといきましょう」
すっくと立ち上がり式を労ってやろうと優しい笑顔を浮かべ、紫は部屋の障子に向かう。が……
ガシッ!!
「ちょ~~っと待ってくださいな♪迷探偵さん♪」
優しげな笑顔に反し、スタスタと慌てた様子で歩く紫の肩を文がガッチリと掴む。こちらも花が綻ぶような可憐な笑みを浮かべている。特にその瞳は中に夜空の星々(恒星、太陽より灼熱なもの多し)を閉じ込めたかのようにきらきらと、あるいはぎらぎらと輝いている。
「あ、あら。なにかしら。とういうかちょっと待って、肩が痛いというか今まさに砕けそうなのだけれど、って痛い痛い」
メキメキと音を起てる肩の痛みで顔を引き攣らせながらもどうにか淑女の態を保って紫が問いかける。
「あやややや。何をしらばっくれてるんですか紫さん?私が言いたいことなど妖怪の賢者と言われる貴方ならすでにわかってるでしょうに」
そう言い更にメキリと握力を強め、逆の手で殺害されたカメラさん(年齢不詳)を指差す文。
「私の相棒をあんな無惨な姿に変えて下さったこと……どう、落とし前をつけてくれるんですか?」
にっこりと笑い「おう、こら。うちのモンに手ぇ出してタダで帰れるわけねぇだろ。ババァが」と威す文。
「ふふ、ふふふ、ふふふふふふ……」
それに対し妖怪の賢者たる紫は威厳たっぷりに……
「すんませんっしたぁぁあああ!!」
素直に土下座して謝った。ゆかりんは悪いことしたらきちんと謝れる少女なのである。えらい。
………………
…………
……
「うぅぅ、とんだ大恥かいたわ」
あの後……今度『外』に出たときに修理して持ってくると約束する代わりに、≪スッパテンコー≫目撃証言者のリストを譲ってもらった紫がだばーと目の幅涙を流しながらボヤく。
「いえ、ネガティブに考えてはダメよ紫。文が犯人でないことが解ったし、このリストが手に入ったことは間違いなくプラスだわ」
ポジティブシンキンポジティブシンキン、と呟く紫。確かに人に冤罪を掛けたことを除けば容疑者は減ったし、目撃者リストは間違いなく重要なアイテムである。特に紫はあまり人里に訪れないので住所付きなのが有難い。
「よし!!ゆかりん復活!!アームチェア・ディテクティブがダメなら行動型に変更よ!!藍の無罪は私が証明してみせるわ!!そう……」
「じっちゃんの名にかけて!!」
悲しみの涙を振りきり、愛する式のために再び立ち上がる我らが美少女名探偵。そして、立ち上がった瞬間紫の服はかのシャーロック・ホームズの物に変わっている。……ごた混ぜにも程がある。ちなみにお前じっちゃんいるのかよ?などという突っ込みは禁止だ。必殺のゆかリん電気あんまーが炸裂してしまう。
「さて、そうとなれば人里にGoよ!!スキマオープン!!」
パイプを縦に振りきり紫はスキマを開く。
「さぁ、行くわよ。真実はいつも一つ!!」
ヒャッホー、とか叫びそうな勢いでスキマに身を躍らせる紫。その不自然なテンションは短時間でネガティブ思考から脱した反動である。
(それにしても……)
アドレナリン全開な脳の中で紫はふと思う。
(何か忘れている気がするのだけれど……なんだったかしら?……まぁ忘れているのなら大した事ではないのでしょうけど)
≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪
「あやややや~行っちゃたわねぇ~。……気づかずに」
紫がスキマに入って消えていくのを見送ってから文がニンマリと笑いそうのたまった。
(ふふふふふ……、咄嗟だったけど上手く行ったわ。妖怪の賢者も案外ちょろいわね。これで天魔様に壊された相棒がパーフェクトな姿で帰ってくるわ)
可笑しくて堪らないという風に再びニヤリと笑う文。そう、実は彼女のカメラは紫が訪れる前に文のスッパテンコー記事の事を知ってしまった天魔にぶち壊されていたのである。それをあたかも書棚から落ちた際に壊れたかのように見せかけ見事、紫に修理代をおっかぶせたのである。
「大事な相棒をあんなちょっとした拍子で落ちてしまうところに置いているわけないってことに気付けなかったのが貴方の敗因よ。迷探偵さん♪」
得意げに腕組みをして、右手の指を立てここに居ない紫に講釈を行う文。その姿を見ればかのモリアーティ教授ですら文に拍手喝采を送ったことだろう。
「まぁ、長年人里で活動してきた私の人脈をフル活用したリストを渡したんだから不当取引とは思わないけど」
「誤解で貫手くれたのもあるし」と、今度は少しバツが悪そうな調子で言う。騙したことに関しては多少気にしているらしい。と言っても彼女の言っていることは事実であり、昨夜に起きた事件の証言を今朝までであれだけ集めることができるのは幻想郷広しと言えども人里で顔が知れており、幻想郷でも指折りのスピードを誇る彼女だけである。となればカメラの修理費がさして高額でもないこと(紫にとっては)、また今回の件が八雲の沽券に関わることを考慮すればリストとの交換はまず真っ当な取引であると言える。ひょっとしたらまともに交渉を仕掛けたとしても紫は首を縦に振ったかも知れない。
「にしても……妖怪の賢者の探偵ごっこin人里……こんな面白そうなネタをスルーするしかないなんて……なんて不条理な」
記者としての誇りが疼くのかイライラと貧乏揺すりをしながら文は言う。確かに珍事という点においてこれ程の出来事も早々ないだろう。というか、紫が人里に出没するというだけでもちょっとした事件である。
(人里に揺らぐ怪しいスキマ!?その中に蠢く人影の正体と真意に迫る!!……ああ、これだけでも面白そうなのに……)
と、文が自身の身のままならさによりイライラの自給自足を行っていると……
ダンダンダンダン……
と、駆け足の足音が猛烈な勢いで廊下に響き……
スッパァン!!
と景気よく文の部屋の障子が開かれる。
「文様!!今度は一体何やらかしたんですか!?」
そして、開かれた障子から踊りこんだ白い影が文に一瞬で急接近し襟首を引っ掴み文を揺さぶる。
「あややややや~落ち着きなさい椛~こんな頭揺らされたら何のことか思い出せるものも思い出せないわよ~~~」
グラグラと頭を揺さぶられ、ごく短距離の(頭の)移動であるにも関わらず声にドップラー効果をかけながら文は駆け込んできた下っ端白狼天狗こと犬走椛を諭す。その様は意外と余裕あり気である。
「お、お、お、お、落ち着いている場合じゃないでしょう!!一体どこであんな怪獣の怒りを買ってきたんですか貴方は!!」
落ち着いている場合ではないと言いつつ、揺さぶるのをやめる程度には落ち着いたらしい椛が、しかし必死な様子で文に詰め寄る。二度言うがその様子は本当に必死だ。
「よくわからないけど、落ち着いている場合じゃない場合なんてまずないわよ。落ち着くより慌てる方がいいなんてこと有り得ないんだから。それで……怪獣?何者よそれは?」
一方、文は変わらず余裕な態度で椛に話しかける。といっても椛の言葉の意味が解っているわけではないようだが。
「何者かって……そんなのこっちが聞きたいですよ!!あの黒い毛むくじゃらは麓の境界線を哨戒していた天狗を全力疾走で轢き飛ばして!!更に呼んできた大天狗様のお歴々の警告を完全無視して、あろうことか殴り飛ばして!!なんなんですかあれは!!」
もはや目端に涙を浮かべ身を震わす椛。どうやら件の怪獣が余程恐ろしかったらしい。
「黒い毛むくじゃらねぇ~心当たりは無いけど……一つだけ解ることがあるわ」
キラン、と双眸に怪しげな光を煌かせ何かこみ上げてくるものに耐えるような声で文が静かに言う。
「へ?……はっ!まさか!!」
「これは……事件よ!!」
何時の間にか取り出した予備のカメラをスチャっと構え、文が障子に向かってダッシュをかける。
「ちょっと待ったぁぁああ!!」
ガシッ!!
が、長年の付き合いから文の次の行動を察していた椛が神速の反応で文の腰に飛びつき文をその場に押し止める。
「文様!今回は、今回ばかりは自重して下さい!!マジで!!」
文の腰元から椛が懇願の声を出す。しかし……
「ええい!放しなさい椛!!事件が、事件が私を呼んでいるのです!!」
と完全に記者モードに入った文は椛を必死で振りほどこうとする。が、どうやら今回の椛は本気で本気らしくフラストレーション溜まりまくりの文ですらその場から一歩も動けない。
「待って下さい!!あの怪獣は文様を狙ってるんですからマジ待って下さいぃぃいい~~!!」
「記者というものはどんな危険があろうと特ダネを前に退くことなどしないのです!!……ってなんですって?」
「わふぁ!?」
互いに全力で引き合う形になっていた二人だが文が突然力を抜いて振り返ったため、椛がつんのめって転ぶ。
「私を狙っているとはどういうことです?」
転んだ椛に手を差し伸べながら文が問いかける。
「うぅ、痛い。……ああ、すいません。よいしょ、っと、ふぅ。……どうしたもこうしたもないですよ。怪獣は麓を突破してから地獄の底から響くような声でひたすら「しゃぁぁめぇぇいぃぃまぁぁるぅぅぅうううう!!!」……そうそうこんな感じで恨めしそうに……ってもう声が聞こえる所にいるの!?」
椛が愕然として叫ぶ。
「あやや~今の声は結構近かったですよ~、全く警備は何をしているんですか?」
やれやれ、と肩をすくめ首を振りながら文が椛を見て言う。
「な、何ですかその目は……ちゃんとやってますよ!みんな全力で!それでも敵わないんですよ!!我々哨戒天狗どころか大天狗様方まで一面easyの雑魚妖精みたいに吹っ飛ばされるんです!!いつぞやの巫女なんて比べものになりません、鎧袖一触も良いところです!!」
と、涙目で怪獣の不条理さを一息で語る椛。動揺のあまりメタ発言が飛び出るくらい必死である。
「あやや。そんなにですか?それは流石にマズイですね……一度、逃げちゃいましょうか」
そして、一度肩透かしを食らわせた後遠目から撮影すればいい、と算段を立てる文。未だに撮影を諦めていないことは果たして褒めるべきなのだろうか?
「は、はい。逃げましょう逃げましょう。大天狗様も「射命丸文はこの場を離れ、対象を山の外へ誘導するように」と仰ってます」
「……ちょっと待って下さい。本当にそう言ったんですか?」
「……ええ、本当にそう言ったんです」
幻想郷の天狗という種族は自らの住まう山を荒らされることを極度に嫌う。故に下手に踏み込んで来たものには必ず制裁が加えられる(一部例外もいるが)。これは妖怪の山の天狗の沽券と言ってもいい。それを放棄し相手を避けることを優先するということはまともに当たれば天狗、ひいては山の妖怪全てに相応の被害がでかねないと上が判断したということになる。
(そんなの紫さんや萃香さんクラスの方でないと……そんなのが私を狙っている?)
ゾクリ、と椛が駆け込んできてから初めて本物の恐怖が文の背筋を走る。
「椛、私は今すぐこの場を離れるわ。貴方もこの場からすぐに離れなさい。ただし……」
バサリ、と烏天狗の羽根を広げ文は軽く足を伸ばし準備運動を始める。その口調も怪獣の写真を撮るという事を諦めたことを示すように普段どおりのものに戻っている。
「私とは逆方向に、ね」
そう言って準備運動を終え、文は椛に背を向ける。
「なっ……私もお供を「"全力"で飛ぶ。残念だけど貴方ではついてこれないわ」……ッそう、ですね。解りました」
射命丸 文。伝統の幻想ブン屋と呼ばれ自身もまたその呼び名に誇りを持っているが、彼女が誇りとする呼び名は他にもある、すなわち『幻想郷最速』と、本当に最速か否かは正確に計測したわけではないので定かではないが……逆に言えば間怠っこしい計測など行うまでもなく最速と言われる程速いということであり、速さに定評のある烏天狗の中でもそのスピードは群を抜いている。その文に白狼天狗の中でも並の足しか持たない椛がついて行けるはずがなかった。
「それでは……文様。せめてこれを……」
そう言って椛は懐からお守りを取り出す。
「これは……守矢神社の?」
「はい。その……あそこの風祝とは親しくさせて貰っていまして。なんでも、あそこの三神全員が特別に力を込めた物らしいです」
「それは……御利益満点ね。借りておくわ」
その白蛇と蛙の絵が緑の下地に映えるお守りを文は懐に収める。
「あの……文様。それは特別な物なので……必ず、必ず返してくださいね」
文の手を握り、それこそ神に縋るように椛はそう繰り返す。その言葉がお守りより文の安否を祈るものであることは文にも容易に察せられた。
「ええ、必ず返すわ」
文はそんな椛に一つしっかりと頷きを返し、窓に向き直りバサリと羽を一度羽ばたかせる。
「御武運を」
椛の声に今度は振り返らず、文は飛び立とうと……
「伝令!!奴が救援に来て下さった八坂様を撃破し、こちらに向かっています!!逃げるのならお早く……なっ、こいつ何時の間に!?……い、いやだ!やめろ!離せ!離せぇぇええええ!!」
伝令として駆けてきた椛の同僚である白狼天狗が衝撃の報告をぶちまける。そして、その直後ぬぅ、と横合いから伸びてきた手に頭を鷲掴みにされ開いている障子の前から引きずられ文と椛の視界からフェードアウトする。そして……
「ぎゃあああああああああ!!」
響き渡る断末魔。文も、椛も微動だに出来ずにその場で固まる。なにせ……
「八坂様が……やられた?」
八坂 神奈子。言わずと知れた山坂と湖の権化の神霊である。『外』では信仰を失い弱体化してしまっていたが、幻想郷に来てからはその力を盛り返し間違いなく幻想郷でもトップクラスの力を持つようになった彼女がやられたのだ。山の妖怪としてその力を知る文と椛が固まってしまうのも無理はない。そして……その固まってしまった一瞬が結果として命取りになった。
「グルルル……しゃぁめぇいぃまぁるぅ」
ゆぅらり、とそれは姿を表した。黒い獣毛に覆われた体を白の浴衣で包んだ人狼のような怪獣。九つの尻尾を炎のように揺らめかせガチガチと牙を鳴らし、目から赤光を放ちギロリと文を睨みつける。
「ひ、ひぃ……」
まともにその眼光を浴びてしまい、文はその場で身を竦ませる。数多の強力な妖怪に果敢な突撃取材を仕掛けてきた文が、である。
「みぃ~つぅ~けぇ~たぁぁぁ……」
文を視界に捉えた怪獣がノシノシと文に迫る。文は必死で逃げようとするが……
(こ、腰が抜けて動けない……)
その場から一歩も動けない。どうにか翼を動かして飛ぼうとするがその翼もプルプル震えるだけに終わる。
「も、椛助けて……」
そして戦慄く声で生真面目な白狼天狗に救援要請を出すが……
(き、気絶してる……)
文が藁にも縋る思いで伸ばした手の先には睨まれただけで意識を飛ばした椛がいやに幸せそうな顔で「おじいちゃ~ん、私も混ぜて~。え?こっちくんな?そんな~川のほとりで小町さんとバーベキューなんて楽しげなことしてるのに私ハブらないで~」などと妙な寝言をのたまっている。……どうやら気絶どころか昇天寸前らしい。
「だ、誰か、誰か助けて……」
腰を抜かしながらもどうにか這いずって動くことに成功した文が助けを求め、今度は窓の方に手を伸ばす。が……
グワシッ!!
先程、伝令に来た天狗のように頭を鷲掴みにされ、ギリギリと無理やり怪獣の方を振り向かされる。
「い、いや」
ゆっくり、ゆっくりと文の目線が怪獣のそれと重なっていき……
「いやぁぁああああ!!……ガクッ」
怪獣の目を覗き込んでしまった瞬間、椛と同じように意識を失い……椛から借りたお守りが、ポトリと椿の花のように地に落ちた。
……私、射命丸文は誰かに狙われています。
なぜ、誰に狙われているかは解りません。
どうしてこんなことになったのか、私には解りません。
これを貴方が読んだ時、恐らく全てのことはすでに終わってしまっているでしょう。
……これを読んだ貴方、どうか真相を暴いてください。
それだけが私の望みです。
射命丸 文
……カナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナ
美少女名探偵ゆかりんの事件簿ファイルEXTRA 八雲藍スッパテンコー事件~真実はスキマの底に~ 前編 了。……後編に続く。
カッ!!
真暗な舞台に一筋のスポットライトが差す。その眩い光を浴びて黒のスーツに身を包んだ淑女がその姿を浮かび上がらせる。
口上開始。
「え~、突然ですが皆さんこれなんだか解りますか?……はい。お察しの通りこれはお酒です。より精確に言うとワイン、それもヴィンテージ物です。いや~高かったんですよこれ。……え~ところで皆さんはお酒どの程度嗜まれます?私などはお酒は大好きでして、ええもうこの瓶に頬擦りしたいくらいです。勿論そんな私とは逆にお酒に弱い人もいるでしょう。ですが、お酒に弱いことは別に悪いこととは言えません。いえ~むしろ私からすればすぐ潰れて私が飲む分が増えるので有難いぐらいです。ただ……」
間、テーマスタート
「質が悪いのは、お酒を飲むと我を忘れてしまう人です。これは手が付けられません。……何言ってるのかわかりませんし、暴れますし、ええ、本当に迷惑です。そして、そういう人に限って自分が酒癖が悪いことを解っていないことが多いんです。え~困ったもんです、はい。酒は百薬の長といいますが、過ぎれば毒にもなります。……そして今回の犯人はそんなお酒の毒にやられてしまった哀れな方……いえ、もういっそお酒が真犯人と言っても過言ではないでしょう。え~、んふっふっふ、どうか皆さんもお酒の飲み過ぎにはご注意を。特に酒癖の悪さに、え~心当たりの……無い方は」
舞台、暗転……
名探偵 八雲紫
被害者 八雲藍
探偵団員 上白沢慧音
探偵団員 鈴仙・U・イナバ
探偵団員 稗田阿求
真犯人 ???
作者 森秋一
美少女名探偵ゆかりんの事件簿ファイルEXTRA 八雲藍スッパテンコー事件~真実はスキマの底に~
「ふ~ん♪ふ~ん♪ふ~~ん♪」
その日の朝の、妖怪の式の式こと化け猫の橙は御機嫌だった。それはもう頭に生えた猫耳を忙しなくピコピコさせ、二本の尻尾を元気よくバシバシと振るい、満面の笑みで主の屋敷の廊下でスキップしちゃうくらい御機嫌だった。
「きょ~うは♪藍様♪寝坊した~~♪私がやらなきゃ誰がやるぅ~~♪」
加えて言うなら、もう「作詞作曲私っ♪♪」な歌を歌ってしまうくらい、いたくいたく御機嫌だった。その理由は彼女の秀逸なリリックを聞けば容易く理解できるだろう。
「ふふ~~ん。今日こそ!今日こそ!!朝ごはんもお洗濯も紫様を起こすのもっ!!私一人でやって見せるんだから!!」
グワシッ!と文々。新聞を握った手を高々と掲げ、橙は決意を新たにする。
「藍様と料理の練習をすること早一年!藍様とお洗濯の訓練すること早一年!藍様と紫様を起こしに行くこと早一年!!今日こそとっくんの成果を藍様に見せてみせる!」
八雲家の家事全般は藍が切り盛りしているというのは八雲一家に多少なりとも近しいものなら誰でも知っている事実であるが、橙が昨年からその手伝いを時々している事を知っているという人物は少ない。それこそ主の主である紫や、後は年―というか精神年齢―が近いため橙と仲が良いバカルテットの面々や大妖精ぐらいだろう。きっかけは至極単純で、ある日先に挙げた面々で若々しい者と橙とで博麗神社で鬼ごっこをしている時に紅白の巫女に突きつけられた衝撃の一言に端を発する。すなわち、
「あんた、式のくせに藍と違って遊んでばっかよね」
と、その一言は短文ながら橙のハートのやわらかい場所を鋭く、深く、的確に抉った。そして更に……
「そういえば前にパチュリーが式っていうのは使役する方も力を使うから役立たずだとすぐ捨てられるっていう話を……」
その死者に鞭打つが如き追撃を最後まで聞くことなく橙は全力でその場を飛び去った。向かう先はもちろん敬愛する主の元である。そして、いきなり自らの式が隕石のような勢いで眼前に降り立ったため混乱する藍を尻目に、
「藍様!!今日から家事のお手伝いさせて下さい!!」
とちょうど干した洗濯物を取りこんでいた藍に涙目でそう頼み込んだ。以来、料理洗濯などの手伝い、そして訓練を八雲藍監督の下、行ってきたという訳である。……ちなみに橙のお手伝い宣言に藍は「ああ、橙もこんな事を言う程に成長したんだな」と涙を流さんばかりに感動していたが、詳細を聞くと迂闊な事を言った巫女にブチ切れ一昼夜に及ぶ弾幕戦を展開したそうである。教訓、口は災いの元。
「う~ん、でもお料理もお洗濯もなんとかなると思うんだけど、紫様を起こすのは私一人でもできるかなぁ?」
そう言う橙の脳裏には寝起きの悪い紫を起こそうとして壁にめり込む勢いで投げ飛ばされる藍、隙間から召喚された電車に轢かれる藍、足元に隙間を開かれ奈落の底に落とされる藍など、割とシャレにならない被害をこうむる藍の姿が映る。
「……あれって私だったら普通に死んじゃうよねぇ」
先程までの上機嫌は何処へやら、顔を青くしてボソリと呟く橙。
「ゆ、紫様を起こすのは藍様に手伝ってもらおうかな?」
頭を抱え、とたんに弱気になる橙。が……
「ううん、ダメ、ダメだよ橙。藍様が寝坊するなんてこの先またあるかなんて分からないんだからここで頑張らないと!」
橙にとって藍とは才色兼備、温厚篤実、一騎当千あらゆる美辞麗句を贈るに値する完璧超人であり、その藍が寝坊するというのは橙にとってまさしく青天の霹靂というべき出来事であり、守矢の2P巫女なんぞ目じゃねぇぜというレベルの奇跡である。事実、橙が記憶している限り藍が寝坊したのはこれが初めだ。故に果たしてこの千載一遇の機会を逃せば次があるかどうか……
「……ない。多分ない。藍様は自分に厳しい方だから一回した失敗は二度としない。……よし。やればできる、やればできる、やればできる!」
耳と尻尾をシャキンと伸ばし長考の末、橙完全復活。
「という訳でまずは朝ごはんの支度からしよう!うん!……逃げてない、順番の問題だよ順番の!」
と、拳を握り両手を振り回しながら橙は虚空に向けて言い訳をする。前言訂正、「完全」復活はしていないようだ。
「ようし、じゃあまずは台所に……って、わぁっ!?あぁぁぁ新聞が!」
気合を入れて紫の寝所に背を向け、台所に向かおうとした橙だったが自分の手の中にあった新聞がクシャクシャになっていることに気付き悲鳴を上げた。まぁ、あれだけ握り締めていれば当然だが。
「ああああ。だいじょうぶ、だいじょうぶよね。新聞だから読めればだいじょうぶ……ってあれ?この記事……」
新聞の惨状に気付き即座に廊下に新聞を広げ必死でシワを伸ばしていた橙が一面の大見出しの記事にふと目を向ける。そして……
「う、うそ。嘘だよこんなの……、う、うわぁあん!!藍様!?らんしゃまぁぁぁあああ!!」
こうして事件の始まりは妖怪の式の式があげた、高らかな、それはもう青空に突き抜けるような高らかな悲鳴によって告げられた。
≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪
「橙!!っ痛ぅ……頭、頭が……」
その日の朝、妖怪の式こと化け狐の八雲藍の目覚めは少女の甲高い声の絶叫によって起こされるという、藍の長い人生の中でも稀なものだった。最も……
「声が響いて……ず、頭痛が……頭痛が痛い……」
稀だからといってイコールで幸福ということにはならないのだが。
「っく不覚。流石に昨日は飲み過ぎたか」
この言のみだと藍が酒にだらしない人間のように聞こえるが、事実は違う。というより博麗神社で行われる宴会に集まる面々の中では特に酒量には気を使っている一人だと言える。なにせ藍が酔い潰れてしまうと泥酔した紫が翌日に燃えないゴミ扱いで巫女に捨てられてしまうのだ。その際のゴミ袋を抱き枕替わりにして、高いびきをかいている紫は藍の『主の見たくなかった醜態ベスト10』に堂々のランクインを果たしている。ちなみにその時、ゴミ捨て場より回収された紫の最初の一言は「失敬な!私は萌えるわよっ!!」であった。酔いが残っていたのだと信じたい。……ともあれそんな理由があり藍は常日頃飲み過ぎないように気をつけているのだが……
(かといって、昨日だけは飲まない訳にはいかなかったしな。たかが飲み比べとは言え、主の名がかかった勝負で負ける訳には……)
切っ掛けはよくある従者自慢であった。つまり、
「なにおう、うちの藍なんかすごいモフモフなのよ。枕にしたら尻尾一つでダウンさ、なのが九本あるのよ」
「あらあらあら、それを言ったらうちの妖夢は半霊がヒンヤリしてて夏場の抱き枕に丁度いいのよ。齧るとほんのり甘いし」
「ハッハッハッ、そういうことならうちの咲夜の子守唄も凄いのよ。私は一分もったことないし、美鈴なんて唄う前から寝てるんだから」
「ふふふふふふ、それならうちの永琳だって負けてないわよ。この前だって一緒に寝たらいい声で鳴いて「ちょ、輝夜待って!?」……」
などと、程良く酔った面々が、聞いている従者達を赤面させ―あるいは仰天させ―るのが目的としか思えないようなエピソードを延々と語り、最終的に誰の従者が一番か飲み比べで決めようという、いかにも酔っ払いらしい結論に達し実行したのだ。……したのだが、その際の紫の一言がそれまで酒気を帯びながらも冷静であった藍に火を付けた。その一言とは、
「藍、この勝負八雲の名に賭けて勝ちなさい」
この一言を聞いた瞬間その場に酒宴にそぐわない緊張が走ったと、その場にいた面々は後に語る。というのも紫から藍への「八雲の名に賭けて~」系の台詞は基本常識人で紫の悪戯のストッパーである藍の暴走を容易く誘発するということで関係者の間で並々ならぬ警戒が払われていたためである。そして、このときもご多分に漏れず藍は、
「御意。この八雲藍、必ずや我が主に勝利を献じてみせましょう」
とやたら時代がかった台詞で、宴会の賑々しくも和やかな空気を全く読まず忠義の士120%モード、本気と書いてマジで主の命に応じた。この藍の答えを聞いて頭を抱えたのは藍の相手をさせられる三人であった。なにせ八雲主従が家名を持ち出してしまった以上この飲み比べは自動的にそれぞれの家の代表によるガチバトルとなってしまうからだ。一方が家名を持ち出したにも拘わらず、それをお遊びで済まそうとすることはそれだけで家名を落としかねない。故にこの時の三者の心情はただ一つ
(((空気読めよ狐ッ!!)))
であった。その時、某竜宮の使いがクシャミをしたという話があったりなかったり。……まぁ、と言っても。
「あらあらあら、そういうことなら妖夢。この勝負絶対勝ちなさい。白玉楼の看板に賭けて」
「フン。咲夜、こいつらにスカーレットに負けはないということを教えてやってちょうだい」
「永琳。ちょうどいいから月人の住まう永遠亭の力、こいつらに見せてやりなさい」
と主に言われて、
「「「ハッ、主命承りました!!」」」
などと良い返事を返し、即座に視殺戦に入る当たり他三人も同じ穴の狢である。幻想郷の従者は形は違えど皆主馬鹿なのだ。かくして幻想郷を代表する勢力のかなり本気な飲み比べの幕が切って落とされたのだった。
(ぬぅ~それにしても……妖夢や咲夜だけならどうにでもなったのだが……八意永琳、あれは反則だろう)
昨夜の勝負を回想し藍は唸る。実際問題として飲み比べというのは肝臓を用いた代謝能力、すなわち身体能力の比べ合いである。無論、精神的な要素もあるが、それが主となるならばお酒は二十歳からなどという法ができたりはしない。となれば妖獣であり、更には妖獣としてすら最強クラスの身体能力を誇る九尾の狐である藍が、人間や半人間である咲夜や妖夢に遅れを取るはずがなかった。そして、それは術抜きでは人間とさして変わらない身体能力しか持たない月人である永琳も同じであるはず……というのが人間属性としては有り得ぬレベルの健闘を果たし散っていった咲夜と妖夢を尻目に、永琳と一騎打ちをする藍の予想だった。……だったのだが
(急性アルコール中毒で死亡。即座に復活して戦線復帰、というのは流石に予想していなかった)
八意永琳。月の頭脳、蓬莱の薬屋など様々な二つ名を持つ彼女であるが、その内の一つにこのようなものがある。曰く不死人と……。
(輝夜と妹紅が死んでから蘇るところは見たことがあったから知っていたが……、やはり永琳も同類だったか。噂は聞いていたのだが)
輝夜と妹紅が殺し合いどちらかが屍を晒し、その後復活するというのは迷いの竹林にしばらく居れば簡単に見られる情景であるが、永琳が屍を晒す様というのは諍いを起こさない温和な性格からも、また実力的にいっても中々見られる絵ではない。それ故、永琳が不死人であるというのは噂の域を出なかったのだが……、
≪回想開始≫
「ゴクゴクゴク…………バタリ(顔面蒼白で倒れる)」
「なっ、永琳!?大丈夫か?……み、脈がない!?ちょ、誰か医者を呼べ医者を……ってコイツかっ!?」
「……(少女?死亡中)……っぷはぁ。はーよく死んだわ」
「って、うわぁ!!」
「さて、続き続きっと。……ゴクゴクゴク……ふぅ。さ、貴方の番よ。藍」
「あー……なんというか大丈夫なのか?永琳」
「あら、大丈夫なように見えないかしら?(滅茶苦茶良い顔色&イイ笑顔で)」
「いや……とても健康そうだが……」
「そう、なら問題ないわね。早く飲みなさい」
「う、うむ。……ゴクゴクゴク」
≪回想終了≫
(まさかあんな形で八意永琳不死人説の裏が取れるとは……しかし、やはり反則だな。あれは、うん)
最初に永琳が蘇ったあの瞬間、事実上藍の勝利は無くなった。なにせ我慢比べの限界値というのは往々にして死であるからだ。暑さに耐えるのも、寒さに耐えるのも、あるいは息を止めることを耐えるのもその限界は全て死である。にもかかわらず永琳はその限界を容易く踏み破った。いかに藍が卓越した生命力を誇ろうとも、限界のない相手にはかなわない。
(……といってもまぁ、結局引き分けで終わったのだが)
永琳の蘇りを目の当たりにし、己の敗北を悟った藍であったが主の前で退く訳にもいかずその後もひたすらに飲んで飲んで、飲まれて飲んでを繰り返しているうちに……
「あんたら、いい加減にしなさい」
と、藍と永琳の周りの空瓶の数を見た霊夢が素敵な笑顔で夢想封印をブチかまし、酔いが回って身動きがとれない二人をピチュり、強制的にドローゲームにしたのであった。げに恐ろしきは博麗の巫女である。
「えーと、それから……だめだ。夢想封印にやられてからの記憶がない。紫様を担いで帰ったことは覚えているのだが……、あと確か文達と何か話していたような……「らんしゃま!!らんしゃまぁぁぁ~~どこ、どこですか~~」」
「っと、いかん。こんな事をしている場合ではない!橙!待ってろ今いくからな!!」
昨夜の曖昧な記憶を寝起きのボケた頭で懸命に掘り返していた藍だったが、自身が起床した理由が愛する式の悲鳴であった事を思い出し、布団をはね飛ばし廊下の板間を踏み抜かんばかりのロケットスタートで橙の声のもとに駆けていく。そして、ウサイン・ボルトも嫉妬する流麗なフォームでバックストレートを駆け抜け、磨き抜かれた板間の低摩擦を利用して秋名のハチロクばりの華麗なドリフトを決めつつコーナリング。続いて目標を補足したICBMの如くホームストレートを疾走、更に……
「橙!!どうした大丈夫か!?」
と普段の冷静さもうっちゃって愛娘に呼びかけつつ、先程のドリフトの滑りは何だったのかと問い掛けたくなる制動距離0mmの急ブレーキで泣きじゃくる橙の前に制止。この間およそ0.1秒。はね飛ばした布団が未だ宙を舞う、天狐式超高速移動であった。
「あ、藍様!!あのえとえと、お、お尋ねしたいことが!……!?……」
藍の声を聞き、最初は親を見つけた迷子のように顔をほころばせた橙であったが……
「ん?どうした橙?」
「あ、あ……藍様……その格好は……?」
次第に顔を強ばらせていき、『文々。新聞』を握り締めた手で藍を指差し、体を震わし始め……明らかに何かに驚愕した様子となった。
(格好?別段いつもと変わらぬ寝間着の白浴衣のはずだが……ああ、起きた直後で顔も洗っていないから目やにでも付いているのか……?)
その程度でそこまで驚かずともよかろうに、と苦笑しつつもやや顔を羞恥で赤らめながら藍は橙の驚きの理由を推量する。
「あー橙、その、なんだ。情けない話だなのだが、実は私は今起きたばかりでね。多少見苦しい格好かもしれんがだいたいはいつも通りなのだから多めに見てはもらえな「いつも通り!?」……む?」
自覚しているよりも遥かに照れているのか、顔を拭いつつ若干しどろもどろになりながら釈明を図る藍であったが、その藍より遥かにうろたえながら橙が叫び、藍の言葉を遮る。
「あ……あの?藍様?そ、その、いつも通りとはどの辺が……」
絶叫した橙がさながら地獄で蜘蛛の糸にしがみつくかの様な必死さで藍に取り縋る。そして、その橙のあまりの追い詰められっぷりに首を傾げながら藍は……、
「どの辺りと聞かれると……そうだな服装とかかな……」
と、顔を気にしている藍はそう答えた。そして、その答えを聞いた橙は……
「ふ、ふくそ……」
ドサリ……
「お、おい橙?」
……と縋りついていた蜘蛛の糸を狐狸妖怪レーザーで焼き切られたかのように絶望した表情を浮かべ、四つん這いの姿勢に崩れ落ち、
「信じてたのに、藍様はそんな人じゃないって……信じてたのに……」
「橙?大丈夫か?具合が悪いのか?ああああ、薬箱は確か……いやここは永琳に……」
「藍様の……藍様の……」
「ん?」
「藍様の変態!!露出狂!!ストリーキンガーぁぁあ!!」
「がっふぁあッ!?!」
と、藍のボディに言葉のハートブレイクショット三連打。齢数千を数える大妖狐に膝を付かせた。
「うわぁぁあああん!!」
「ぐ……橙……待って……話を……」
放ったパンチのフォローもそこそこに泣きながら青空に飛び去る橙。藍はそれに追い縋ろうとするが食らったハートブレイクショットがあまりにも衝撃的だったためまともに動けず、その場にうずくまり見送ってしまう。
「う、く……ようやく……動けるようになってきた」
その後、藍が金縛り状態から脱し、二本の足で立ったのは橙の泣き声の残響が消え、更にそれからたっぷり十秒は経ってからのことであった。それだけ、溺愛している式からの連打が応えたのだろう。
「いやしかし……それにしても……なんで私が変態なんだ?正直……泣きそうだ」
先程の橙の叫びを思い出しガクリ、と藍は再び崩れ落ちそうになる。狐心と親心はどちらも繊細なのだ。
(待て、こういう時は落ち着いて……まず、橙はなんと言っていた?尋ねたいことがあると言ってそれから「いつも通り!?」と驚いてそれから……)
「ふくそ……?服装?服が問題なのか?」
先程の橙の言葉を一つずつ思い出し、藍は冷静に原因解明を図る。そして、どうやら服に問題があるらしいと思い至り、自らの装いを見下ろす。
「あ」
そして得心した。確かに彼女が今纏っているのはいつもと変わらぬ白色の浴衣であったが、橙のもとまで全力疾走したせいか上は襟元が肩口よりなお下にずり落ち、平均よりかなり豊満な胸の膨らみ―主を追い抜いてしまったので視線が痛い―の半分近く、というかクリティカルな部分が若干見えてしまうぐらい露出させており、下も裾がパックリと割れ、艶めかしい真白いふとももをチャイナドレスそこのけの深いスリットから下着と一緒に大胆に晒してしまっている。
(こ、これは……確かに少々はしたなかったか)
面映に朱を載せつつそそくさと襟元と裾を正し、ようやく事態に理解が追いつき安堵の息をホッと付く。
(しかし、これだけで変態とは……いや、橙はまだまだ年若い純情な娘。ショックを受けても仕方が無いか。となると追いかけるのは着替えてからの方がいいか?また橙に露出狂などと言われては流石に立ち直る自信が……)
状況を把握すると同時、即座に飛び去った橙に対する対応に思慮を巡らす。というか寝間着のまま追いかけることが選択肢に入っている辺り親バカの片鱗が伺える。
(そうと決まればまずは着替だ。待っていろよ橙。お前の主がすぐ行くからな……ん?)
愛する式のもとに駆けつけるため、まずは着替と踵を返した藍であったがひらひらと頭の上に落ちてきた紙に気を取られ足を止める。
(なんだ?これは……文の新聞か。そういえば橙が持っていたな……ッな、何!?……)
今はこんなものに用はないと『文々。新聞』を放り捨てようとした藍であったが大見出しがチラリと目に入ると何故か態度一転。愕然とし本気で目を剥いて一面を凝視する。
「な、な、な……」
脂汗をだらだらと流し、新聞を持つ手をワナワナと戦慄かせ、顔面蒼白で壊れたラジオのように「な」を繰り返しながら、ひたすらにその記事を見返す藍。が、何度見てもその記事の内容が変わるはずがない。
「な、な、な、な」
そして……
「なんじゃこりゃーーーーーーーー!?!」
奇しくも今朝方の彼女の式と同じように空に、太陽に向かって思い切り吠えた。
≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪
「なんじゃこりゃーーーーーーーー!?!」
「わきゃ!?……ぐきゅ!?ッイタタタタ。なんなのよもう」
その日の朝、妖怪の主こと化けスキマの八雲紫の目覚めは妙齢の女性の艶のある声の大絶叫によって起こされるという紫の悠久と言える生の中でも稀なものだった。最も……
「うう、お尻、お尻が痛い……」
稀だからといって幸運であるとは限らないのだが。
「不覚。この私がまさかベットから落ちるなんて。なんという醜態」
落ちた拍子に打ったお尻をさすりながら、愚痴る紫。角度が悪かったのかよほど痛かったらしい。ちなみに紫の主要寝具はベットではなく布団であるのだが一年のほとんどを寝て過ごす紫は気分によって寝具を変える。そのため紫の寝室には先に上げた布団やベットは勿論、ハンモックがあり、寝袋があり、変わったところでは石の枕などというものまである。ゆかりんは違いの解る女なのだ。
「それにしても……今のは藍?こんな朝からあんな声を出すなんて、私に喧嘩売ってるのかしら?」
ハッキリ言って八雲紫は並の大声ではそうそう起きない。毎朝、藍が懸命に起こしても中々起きなかったり寝ぼけてスペルカードをぶちかましたりする当たりそれは明らかである。そんな紫を寝床から跳ね起こすような大声というのは早々自然にでるものではない。故にそこに悪意があるという結論に達するのは、紫の現在の不機嫌さを加味すれば、自然と言えないこともないだろう。
「ふふふ、主の安眠を妨げるなんて。余程、私のお仕置きが恋しいと見えるわ。今度は河童のスク水着て1日過ごすなんてヌルイ罰じゃ済まさないんだから」
明らかに暗黒色な笑みを浮かべ、藍へのお仕置きに思いを馳せる紫。その背中からは某不良天人が見ればハァハァしちゃいそうなくらいのドSオーラが立ち上っている。
「さて、そうと決まれば……スリスリスリット♪スキマオープン♪」
先程までの機嫌の悪さは放り捨てて、ほくそ笑みながら愛用の扇子で虚空を一閃。彼女の十八番である空間移動用スキマを顕現させ、意気揚々とダイブ。不届きな式の元へ転移し、藍に対し一気呵成に口火を切る。
「ちょっと藍!!前日に各派閥のリーダー達との高尚な会談を終えて休んでいる主を、大声で叩き起こすなんてどういうつもり?私が寛大な少女でなければ切腹ものよ!切腹!!……って、キャァァアアーーーーーー!?」
チャーチャーチャーー!!チャーチャーチャーー!! ←火サスのテーマ
その時八雲紫が自らの異能により降り立ったそこは赤く赫く、ただひたすらに紅い血の海だった。その海の中央には紅に映える真白い和装に身を包んだ妙齢の佳人が倒れ伏しており、生前は艶やかであったろう金糸の髪に自らの血を吸わせ血化粧を施していた。そして、そんな彼女の手には短い白刃が握られている。痛ましいことにその刃は彼女自身の手により自らの腹部に突き立てられ、今も銃弾を受けたかのように真っ赤な生命の雫を虚ろな洞のような傷口から零し続けている。
「え、え?何?今のサスペンス風のナレーションは!?も、もうちょっと解りやすく!!混乱中のゆかりんにも解りやすく!シンプルに!!」
訳:天狐切腹中。
「今度はシンプルすぎるわよっ!って藍!ちょっと待って切腹なんて冗談よ!?本気でやらないで!!藍、藍!!いや!母さんを置いて死なないで!!藍、らぁぁあああん!!」
そうして八雲亭に響き渡る橙から数えて三度目にして最大の悲鳴。どうやら今朝の八雲一家はどうやっても絶叫する運命にあったようである。どっとはらい。
………天狐死亡中………
………隙間奮闘中………
「ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ……」
「う……ぐ……わ、私は……?」
「はぁ、はぁ、はぁ……藍?意識がもどったの?」
「え?おやこれは紫様……おはようございます」
主の前で横になっていることを不敬に思ったのか、藍はそそくさと居住まいを正し正座する。
「『おはよう』じゃないわよ。もう……はぁ、良かった」
藍のトボけた挨拶に呆れた声を出す紫であったが、その心中は安堵で一杯であった。なにせ一時は本気で心停止していたのだ。
……あれから、藍の切腹現場でどうにか乱れ気味ながらも思考力を取り戻した紫は藍の治療に奔走した。まず、脈をとりアウトなことを確認すると帽子の下から裁縫道具を取り出し血塗れの傷を血管込みでブラック・ジャック級の速度で縫い合わせ心肺蘇生を実行。そして、脈が戻ると大枚はたいて買った永琳印の『巫女にマジボッコされても五秒で治る傷薬』をスキマを開くことも忘れて全力疾走で自室からテイクアウトし一瓶丸ごと藍にぶっ掛け、いざという時のために用意していた狐用の輸血パック(横には猫用がある)をあるだけ引っ掴み輸血。これだけの作業を今朝方橙のもとに駆けつけた藍並のスピードで行ったのだ。もし、公開オペで行えばスタンディングオベーション確実な神速の手際であった。
「全く。朝から心臓に悪いったらありゃしないわ。主を困らせてそんなに楽しいの?貴方は?」
余程疲れたのだろう。紫は常の胡散臭さを微塵も感じさせないほどグッタリしながら問う。
「い、いえそんな滅相も……、というか紫様?」
「ん?何かしら藍?」
「何故私はこんなに血だらけなんでしょう?それになにやら腹部に疼痛が……」
「何故って……そんなの私が聞きたいわよ。覚えてないの?貴方自分で自分の腹を切ってたのよ?」
藍の言葉に紫は驚く。
「腹を切る?私がですか?はっはっはっ、そんな馬鹿な。紫様が健在なのに自刃するような不忠者ではありませんよ私は」
自身の顔についた血を手に持った紙で拭いつつ、藍は自身が切腹していた事実を否定する。確かに記憶にないのなら、いきなり「お前切腹してたぞ」と言われて納得出来るものでもないだろう。まぁと言っても
「そんな馬鹿なと言われてもねぇ。私としてはそれが事実としか言いようがないのだけれど」
実際に腹を切っている現場(事後)を見た紫としてはそうとしか言い用がない。
(まぁ当人が忘れているのならいいのかしら?……いえ、また不意にハラキリされたりしたら困るわね。ここはハッキリさせておかないと)
原因が解るまでは枕を高くしては眠れない、三度の飯より昼寝が好きな紫としてはそれはあまりにも頂けない事態である。
(と言っても当人が覚えてないんじゃどうしようも……いえ、待ちなさい紫。ここで諦めたら幻想郷一と言われた美少女探偵ゆかリんの名折れよ)
折れるも何も彼女を探偵―しかも美少女―などと呼ぶ人物は幻想郷どころか『外』や『月』を含めてすら存在しないのだが……、どうやら彼女の現在のマイブームである推理ドラマ、推理小説に影響されたようである。ゆかりんは多感な少女なのである。
(そう、当人の情報がアテにならないなら見るべきは現場。探すべきは遺留品、更に些細な痕跡、つまりは手掛かり)
開いた襖一枚隔てた現場に(流石に血の海の上からは移動済み)目をやりながら推理物のセオリーを実行する紫。が……
「紫様?どうしました?……あー、あの血は……拭いてどうにかなるものではないですね。板ごと取り替えないと」
河童?いや萃香様に頼んだほうがいいのかしら?、とホームズ気分に藍が現実的な言葉で水を差す。ノッてきた紫は当然面白くなく、現場から藍に目を移し文句をつけようとするが……
「あった!!遺留品!!」
「はい!?……遺留品?」
藍を指差し―正確には藍の手元を―そう叫ぶ。そう藍の手には先程から、それこそ紫が治療に奔走していた時から藍が握っていた謎の紙きれがあったのである。
「藍?さっきからずっと握っているけど、その紙は一体なんなのかしら?」
もうノリノリで藍に詰問する紫。ここでもし、藍が答えを渋ろうものなら必殺のカツ丼が炸裂しそうな勢いである。
「は?ああこれですか?ええと、これは……ん、新聞ですね。血に濡れて読み辛いですが……ええと、文の『文々。新聞』……かな。見出しは……あー『怪奇!?夜空を舞い飛ぶ≪スッパ』……え゛」
「……?藍?どうしたの?」
ピタリ、と眉をしかめながらも血で塗装された新聞を懸命に読み進めていた藍が静止する。
「……お、思い出した……(ガクガクブルブル)」
「ちょ、ちょっと藍!?本当にどうしたのよ!?」
突如として震度7の激震ですらこうはなるまいという勢いで藍が震えだす。藍の横のタンスが一緒に揺れているように見えるのは果たして錯覚か否か。そして……
「(ピタリ)……紫様」
「と、止まった?藍どうしたの?まだどこか悪いのかしら?いえ……そうね、一時とはいえ心臓が止まっていたのだもの。ここはやはり医者に……」
「紫様」
「はっ!?……コホン、ごめんなさい少し狼狽えていたようね。それでどうしたのかしら藍?」
いきなりの藍の奇行に探偵気分を吹き飛ばされ、式によく似た狼狽え方をしていた紫を藍の静かな呼び掛けが鎮めた。そして改めて藍に向き直った紫を透明な、されどその底にどこか悲しげな光を宿した目で穏やかに見つめ、その後、何かを思い出すかのように数秒目を静かに閉じる。そうして、再びゆっくりと目を開き……
「いままでお世話になりました。この不肖の狐を拾い、育て、式として重用して頂いた御恩、例え閻魔に裁かれ地獄に堕ちたとしても決して忘れません」
「へ?いきなり何?なんなの?」
いきなり今生の別れのような大仰な文句を唱えだした藍に戸惑う紫。当然だろういきなりこんな事を言い出されて混乱しない奴は居ない。
(ん?……ちょっと待って。今生の別れ?)
そもそも、自分は先程まで何について推理を巡らせていた?
「最後に一つ、もしもこの愚か者の願いを聞き届けて頂けるのなら、どうか私の亡骸は庭先に……私はそこで紫様の幸福と橙の成長を草葉の陰から見守らせて頂きます……それでは、」
「ちょ、ちょっと。藍?」
そう言って、番組最終回で青空に浮かびそうな晴れやかな笑顔を浮かべ、そっと懐から今度は苦無を取り出し……
「御免」
勢いよく自らの腹に向けて振り下ろす!!
「ちょっと待ったぁぁあああ!!」
ドゴァ!!
「ぐはぁッ!?」
振り下ろす!!……その直前、本当にごく直前、紫の黄金の右ストレートがスキマを介して藍の肘のファニーボーン(ぶつけると痺れるところ)を的確に抉り苦無を取り落とさせる。
「い、い、い、いきなりなにしてるのよ藍!!さっき自刃なんて馬鹿な真似しないって言ったばかりでしょうが!!」
紫の雷神拳を喰らいながらもなお苦無に手を伸ばそうとする藍を、今度はスキマに上半身丸ごと突っ込み羽交い絞めにしつつ紫が叫ぶ。
「放して!放して下さい紫様!!武士の、武士の情けとぉ!!」
「ええい!落ち着きなさい!ここは殿中よ殿中!ていうか主の目前!控えなさい!あーもうッ、八雲紫の名において命ず『止まりなさい』ッ!!」
「ッつ!?」
錯乱し暴れまくる藍に業を煮やした紫が藍に憑いている式に直接命じて藍の動きを止める。紫は滅多なことではこの方法を用いないのだが……その辺、やはり紫も切羽詰っていたということだろう。
「はぁ、はぁ……あー疲れる。どうしたって言うのよ、ほんとにもう」
紫に羽交い絞めにされた姿勢のまま、まるで時間を止められたかのように静止する藍の肩に寄りかかりながら紫がため息をつく。
「……藍?貴方に訊いてるのだけれど、どうしたのって」
すぐ真横、息遣いすら感じられる程すぐ近くにいる藍に囁く。が……
「い……」
「い?」
「……イイタクナイデス」
「……御免なさい、よく聞こえなかったわ。もう一度言ってくれるかしら」
スキマから耳かきを取り出し、藍側の耳を掃除してから再度問い直す紫。
「……い、いいたくないです」
ピキピキ(怒)
「ひ、ひぃ」
二度問うて、二度ともまさかの拒絶の言葉を自らの式に返され紫は青筋を立てて怒る。しかし……
「そう、わかったわ」
「へ?」
すぅ、と紫のマスクメロンそこ退けの青筋が溶けるように消えたかと思うと紫は未だ動けぬ藍にそう応えた。
「あら、どうしたの?私は貴方が言いたくない事を言わなくていいと言っているのだけれど。不満?」
「い、いえ。滅相もない(ま、まずい……)」
ニッコリと、いっそ不気味なほど優しげにニッコリと笑う紫。橙やチルノが見ればその溢れんばかりの母性に思わず飛びついてしまいそうな笑顔であるが、藍の持つ感想はその外見の印象とは真逆の感情、即ち恐怖だった。そう、紫は藍に最大級のお仕置きをかますときも大抵こんな笑顔を浮かべるのである。
「でもねぇ、貴方の主である私の命を訳もなく断るんですもの。それなりの対価というものが必要だと思わない?」
「ほら来た」
「何か言ったかしら?」
「いいえ!何も!!」
「そう?ならいいのだけれど……という訳で対価なのだけれど、今の貴方は残念ながら渡せるものが一つしかなさそうね」
「……?一つ?……はッ」
「さぁ藍、貴方に払える唯一の対価、その新聞を今すぐよこしなさい」
(や、やっぱりぃぃぃいいい!!)
普通に状況を鑑みれば、藍が腹を切ろうとした要因がその手にした新聞にあることは明らかである。つまりその新聞をよこせというのは、結局のところ藍に自白させるのと何ら変わりない。いやむしろ、表面上は藍の望みを聞いて優しげな主として振る舞っている辺り普通に問い詰めるより質が悪いと言える。
「い、いや、嫌です!それだけは、それだけはどうかご勘弁を!!」
必死で唯一動く首を左右に振りたくり懇願する藍。
「あらあら。私は寛大さを持って徳とするよう心がけているつもりだけれど、残念ながら式の我侭を二つも聞いてやれる程寛容ではないの。藍『よこしなさい』」
「いーーやぁあああ!!らめぇええ!!」
滅多に使わないはずの『命令』をさっくりと行使し、藍自らに新聞を献上させる世紀末暴君ゆかり。式をいぢめるその顔は非常に楽しげだ。
「全く。貴方が私に逆らえるはずがないのだから、最初から素直に渡していればいいものを。さて、と……現場に残されたnotダイイングメッセージはっと……」
「いぃやあああ!!やめて!!見ないで下さい紫さまぁぁぁあああ!!(ペシリ)へぷし!!」
必死で懇願する藍をスナップの効いた扇子の一撃で黙らせ、紫は悠然と新聞を読み進める。そして……
「……え゛」
ビシリ、と顔を引き攣らせ石化。その傍らでは藍も終わったと言わんばかりに真っ白な灰と化している。
以下『文々。新聞』より抜粋
『怪奇!?夜空を舞い飛ぶ≪スッパテンコー≫!?』 (文責 射命丸文)
◯月◯日深夜未明、鈴虫の奏でる音色が天上の満月の美しさを引き立たせる静かな人里の夜に、生まれたままの姿を青白い月明かりの下に堂々晒し≪それ≫は突然その姿を表した。
証言者1 主婦の美千代さん 「ええ、ええ、あれはアタクシがたまたま慧音先生に抗議に行った帰り道でしたわ。全く慧音先生たら家のさやかちゃんがあんなに頑張って手を挙げているのに他の子に当てるなんて、何考えているのかしら。貴方もそう思わない?あ、そうそうこれを記事にして下さっても……え、その話は後で?……仕方ないわね、ええと何の話だったかしら?ああ、あの露出狂の変態の話でしたわね。あの時アタクシは帰りが遅くなってしまったので急いで帰路を歩いていたのですけれど。突然、頭上の……屋根の上から物音が聞こえたのですわ。アタクシ幽霊の類かと思って内心怖がりながら見上げたのですけれど……ええ、ええ、もうお察しでしょう?そこにいたのですわ、あの変態が。あの変態はアタクシと目が合うと恍惚に!顔を!赤く染めて!「スーッパテンコー!!テンコー!!スッパー!!!」とか、のたまいながらでかい乳をブルブル震わせて奇天烈な踊りを始めたのですわ。ええ、ええ、あれは間違いなく変態でしたわ。じゃなければキチ◯イか、あれは確か八雲さん家の藍さんじゃなかったかしら。ええ、ええ、本当に怖かったですわ。家のさやかちゃんが真似したらどうしようかと……そうそう、さやかちゃんと言えばこの前……ちょっと、どこ行くんですか……あなた待ちなさい!!」
証言者2 豆腐屋の右エ門さん 「え、昨日の夜の話、ですかい?ああ、あれは流石に仰天でしたわ。まさかあの藍ちゃんが……。え?≪スッパテンコー≫のことを知っているか?あー、あの人はウチの常連でよく油揚げ買っていってくるんでさ。そん時は礼儀正しい、しっかりものなんですがね……それが「あは~ん。私を食べてぇ~~」なんて裸で……あんときゃ本当に自分の正気を疑っちまいましたよ。え?食べちゃったのかって?いやいやお嬢さん、こちとら愛する妻と双子の娘に長男一人を抱える身、そりゃあなんとも思わなかったって言えば嘘になっちまいますけどね。そこはグッとこらえましたさ。それに藍ちゃんは美人ですけど俺にとっちゃやっぱ母ちゃんが一番、浮気は豆腐にだけって決めてまして……、って母ちゃん!?いたの!?いつから!?今の聞いてたのか!?ちょ、なんで顔赤くして家の方にって痛い痛い手ぇ引っ張らないで……ちょっと天狗の嬢さん!なんでそんなイイ笑顔でムーンウォーク決めてんの!?」
証言者3 九代目阿礼乙女の阿求さん 「はい!?藍さんのことですか!?いやちょっとそれはその……え、言わないと今後、山の案内はしない?むしろ質悪いのけしかける?ああ、ちょっと待って下さい。言います言いますから。ええと、あれは私が夜遅くに幻想郷縁起の追加項目の草案を練っていたときでした。どこで?それは勿論、私の書斎でですよ。……はい、そうです。つまり藍さんはわざわざ家に忍び込んで、その……≪スッパテンコー≫していったということに……、いえ踊り自体は見事なものでしたよ!?綺麗でしたし!!うう、でもでも……藍さんが……あの藍さんが……うぅ~ん(バタリ)」
証言者4 発明家の英助さん 「ああ、この写真を撮った時のことかい?あれは昨日の夜にこの写真機の作動実験をしていたときのことだよ。写真機が完成した時はもう辺りが暗かったから近所を撮って回ってたんだけどね、不意に月を撮ってみようって思いついたんだよ。それで月の方にレンズを向けるとね……まぁ、いたんだよ裸の彼女が。たまに発明品の助言とかもらってたから知り合いだったんだけど……え?画質が悪いって?それは勘弁して欲しいな。このズーム機能はまだ実験段階なんでね……ああ、でも君のそのカメラをバラさせて貰えるならきっと……って冗談、冗談だよ。だからちょっとでいいからそれ貸して……って待って!ちょっと!ちょっとでいいから!!」
以上、他にも目撃証言は多数あるがあまりに多すぎるので割愛させて頂く。不覚にも本社記者(私)はその現場に居合わせることが出来なかったため推測と証言により事件を語るしかないのだが、私が集めた証言の全てが「スッパで踊っていたのは八雲藍(職業:妖怪の式、年齢:推定数千才)」と断言し、またその証言者がほぼ全員八雲藍の顔を知って(複数名の写真を選択させ確認を取った)おり、その中には「一度見た物を忘れない程度の能力」を持つ阿礼乙女まで居ることから、八雲藍が当日野外ストリップを決行していたのは間違いのない事実であると思われる。以下の写真(写真1 激撮!!スッパテンコー 撮影:木手川 英助)はややボヤケている上、後ろ姿だがスッパテンコー中の八雲藍(トレードマークの尻尾より判別)の姿を捉えた貴重な写真である。彼女は以前に本紙で紹介した動物虐待事件の被害者として紙面を飾ったことがあるが、そのストレスが彼女に歪んだ性癖を植えつけてしまったのであろうか。本来ならばここで当人のインタビューを載せるべきなのだが、彼女の住まいは幻想郷と『外』の境界にあると言われ私では踏み込むことが出来ず、断腸の思いで今回はインタビューを断念した。が、彼女に遭遇し次第インタビューを試みたいと思うので今しばらくお待ちいただきたい(八雲藍を発見した方は是非とも御一報を)。また、この八雲藍は幻想郷の大結界管理という重要な仕事を行っているが、妖怪の山とりわけ我々天狗の間では「こんな変態にそんな大業を任せていいのか」と疑問の声も上がっており、近々天狗の頭領である天魔様に彼女が招聘されるとの噂も……
「…………」
「…………」
沈黙。恐ろしいまでの沈黙がどこぞの艦隊のような勢いで八雲家の居間を蹂躙する。その凄まじさは思わずスティー◯ン・セガールに助けを求めてしまいそうな、身を切るような沈黙であった。
ゴクリ
と、紫か藍か定かではないが、どちらかの唾を飲む音が響く。
「その……藍?」
「ナンデショウカ。ユカリサマ」
もはや完全に煤け、どこぞのサトリ妖怪(妹)並に存在感が薄くなってしまった藍に紫は恐る恐る声を掛ける。
「御免なさい。最近のお仕置きはちょっと厳しすぎたわね。私も反省するわ。でもね、でもね、流石にこれはないと思うの」
ピチューン!!
恐る恐るではあるが、放たれた言葉は紫奥義「弾幕結界」並の威力でもって藍の残機を一瞬でゼロにした。
「うわーん!!死なせて!!お願いですから死なせて下さい紫様!!こんな醜態を豆腐屋の右エ門に!発明家の英助に!阿求に!!なにより橙と紫様に知られて生きていくことなど出来ません~~!!」
ジタバタ、ジタバタ
未だ紫の命に縛られ動けない藍であったが、首だけをひたすら動かし涙ながらに生からの開放の許可を主に求める。その首の動きは絶対に届かないにもかかわらず苦無に向けられている当たり本気であることが伺える。
「ああ、落ち着きなさいな藍。冗談、冗談よ。私は藍がこんな事しないって知ってるし、信じてるわ。だから止まりなさいな」
そんな懸命な藍を尻目に紫は落ち着き払って藍を後ろから抱きしめ、そう囁く。すると……
「(ピタリ)……ぼん゛どう゛でずが?」
鼻声で藍が呟く。
「ええ、本当よ」
「わだじも、ぎのうのごどばよぐおぼえでいないのでずが……」
「あら、そうなの?でも大丈夫。それでも私は貴方のことを信じているわよ」
そう言う紫は幼子をあやす母親のように優しげである。この場に霊夢や魔理沙が居れば、断食のし過ぎやキノコの食べ過ぎで自身の正気が失われたのか本気で心配しそうな光景である。……萃香辺りは昔を懐かしんで酒をあおるかもしれないが。
「ううう、ゆかりしゃまぁぁあああ!!」
そう言って、かつて尻尾の数が橙と同じだった頃のように紫に抱きつく藍。紫は苦笑しながらそれを抱き止める。2時間ドラマのラストを飾れそうな、実に感動的なシーンである。が、しかし……
(だってねぇ。信頼どうこう言う前に"あの"藍がいくら酔ったからっていって、外で裸になるなんてねぇ……)
ぶっちゃけた話、今回紫が信頼したのは藍の人格ではなく性質の方であった。
(この前、霊夢とお茶してた時は参ったわよねぇ。まさかこの年で本気で赤子はコウノトリが連れてくるなんて信じてたなんて……私が恥ずかしかったわよ。温泉でも他に人がいると隅で膝抱えて動かないし)
九尾の狐、というと恐らく白面金毛九尾の狐が最も有名であろう。そしてその彼女?が持つ美女に化けて国を揺るがす「傾国の美女」というイメージのために九尾の狐全体が閨事に長けていると思われることがままあるが、無論九尾の狐にも個体差というものがあり中にはそういう知識に疎い者もいる。といってもただの妖狐から九尾の狐にランクアップするのに相応の年月が必要なので生娘程に疎いなどということはまずない。……ないのだが、藍はその常識をぶっちぎって疎い、いやもうハッキリ言ってしまうとうぶい。先程のコウノトリの件にしても紫に真実を告げられるとトマトのように赤くした顔を両の掌でもって覆い、イヤンイヤンしていたといえばどれだけうぶいか解って頂けるだろうか。
(酒は人の本性を明らかにする。……といってもね、藍の本性はそういう方面では間違いなく"うぶい仔狐"だし。それがスッパテンコーって……)
可笑しすぎてへそで茶が沸かせる、というのがこの記事に対する紫の率直な感想である。例えば……
「ねぇ、藍?」
「ゆかりしゃま~……って、ハッ!?こ、これは失礼しました。何か御用でしょうか」
紫の胸の中で完全にヘヴン状態だった藍が現実に帰還し、即座に威厳ある式としての体裁を取り繕う。その変わり身は実に見事であったが先程の甘えっぷりを考えるとどう考えても手遅れであった。
「ちょっとここの所読んでみて貰えるかしら」
そう言って紫は藍の前に新聞をバサリと広げ、名探偵ゆかりんの洞察眼に引っ掛かった不自然な部分を指し示す。
「わ、私にこれを読めと仰るのですか!?」
「まぁ……嫌なのは解るけど、貴方の無罪を確定させるためよ。我慢して頂戴」
あまりの羞恥プレイに声を荒げる藍の抗議をさらりと流し藍に読むように促す紫。
「無罪……確定?わ、解りました。不肖八雲藍、恥を忍んで読ませて頂きます」
未だ躊躇いが見えるが、無罪確定というのがあまりにも魅力的だったのだろう。己の頬を張って気合を入れて藍は音読を開始する。
「ゴホン、え~『……そん時は本当に礼儀正しい、いい娘なんだけどね。それが「あは~ん。私を食べてぇ~~」なんて裸で……あんときゃ本当に……』「ハイ、ストップ」……はい?」
藍の音読を途中で遮る紫。藍の私を食べて発言にちょっとドキドキしたのは秘密である。
「コホン、それで藍。今の部分で変に思ったことはない?」
「変、ですか?……そうですね。うぅ~ん、あ、はい、あります。右エ門は確かに中々道理の解った御仁で私も好感を持っていますが、だからと言って流石に自分の肉を勧めるどうかと……というか逆に失礼な気が「はい、おめでとう。たった今貴方の無罪が確定したわ」……は?え、え?」
うぶ過ぎる藍ならそうじゃないかな~と思ったけどやはりか、というのが今の藍の発言を聞いた紫の感想である。そう中学生でも理解しそうなので忘れがちであるが、「私を食べて」という言葉の、いわゆる性的な意味というのは完膚なきまでに慣用句的なものである。そして、慣用句というのは知らなければ何のことだか解らないということが往々にしてある。例えば「開いた口がふさがらない」というのは一般に心底呆れた、もしくは驚いたというような意味を持つ慣用句であるが、これを字義通りに受け取る人間がいたのならまず顎が外れているのではないか?と心配してしまうことだろう。今の藍の反応は明らかにそれと同じものである。そしてここが重要なのだが、この豆腐屋の前に訪れた≪スッパテンコー≫は明らかに「私を食べて」という言葉を慣用句的に使っている。藍が知らないはずの慣用句を、である。無論、右エ門さんの覚え違いという可能性もあるが昨夜の、しかも常連が素っ裸で誘ってきたなどという衝撃的な状況での記憶である。早々忘れることなどできまい。となればこの≪スッパテンコー≫はここで首を傾げている藍とは別の存在か、あるいはもっと根本的に……、
「……ふむ。やれやれ思いのほか早い事件解決だったわね。まぁ、この私の灰色の脳細胞にかかれば当然とも言えるけれど」
パンッ、と扇子を勢い良く広げて口元を隠しつつ、紫が傲然たる態度でそうのたまう。
「……?紫様?事件解決とは?」
「あら藍。今日の貴方は随分と鈍いのね。私は今、貴方にスッパテンコーの冤罪を着せた犯人が解ったと言ったのよ」
「な、なんですって!?本当ですか紫様!!」
「ええ、勿論本当よ藍。私が貴方に嘘を吐いたことがあったかしら?」
「え?それは結構あったような気が……(パンッ)ひぃ!?いえないです!!紫様はいつも真実しか言いません!!……いえ、でも本当に解ったんですか?紫様はこの場から一歩も動いてないじゃないですか」
「ふふふふふ。ノープロブレムよ藍。何故なら美少女探偵ゆかりんは安楽椅子型だからよっ!!」
幻想郷のミス・パープルと呼びなさい!!、と力強く叫ぶ紫。どうやら紫の中の探偵の理想像とはアームチェア・ディテクティブらしい。
「あ、安楽椅子型……確かに紫様に安楽椅子は似合うような……」
「ゆかリんチョップ!!」
「ぐはっ!」
うっかり迂闊なことを言って扇子で叩かれる藍。今更だが今日の彼女は心底ついていない。思わず藍は厄神の姿がないかこわごわ辺りを見回す。
「い、いや!!こんなコントやっている場合じゃなくて!!ゆ、紫様それで犯人は、犯人は一体誰なんです!!」
「ちょ、ちょっと落ち着きなさい藍。言う、言うから」
猛然と食って掛かる藍。紫の肩を引っ掴む握力が若干アグレッシブな事になっているが、世間一般に露出狂だなどというデマを流されれば誰だってこうなるだろう。
「コホン、いい藍。真実っていうのはいつだってシンプルなものなのよ。今回の件だってそう。貴方は解らないでしょうけど先程のやり取りで貴方の無罪は確定したの。となれば……」
「と、となれば?……」
いよいよ怨敵の名が告げられると藍はゴクリと喉を鳴らす。
「この記事が嘘、でっち上げということになるわ。つまり、この記事を書いた者が犯人ということよ。よって……」
場に満ちる静寂、そして、その静寂を引き裂くのは美少女探偵の断罪を告げる声。
「犯人は射命丸 文よ!!」
「えええええええ!?!」
告げられたあまりにも、あまりにもシンプルすぎる結論に驚きを隠せない藍。それはそうだろう紫の理屈を是とするのなら、例えば一度有罪判決が出てその後新たに冤罪が判明した事件を取り扱ってしまった新聞記者は全て真犯人候補ということになってしまう。
「い、いや紫様、それは……それはいくらなんでも安直過ぎませんか?」
また、叩かれることを警戒してか頭を抑えながら藍が恐る恐る紫にもの申す。しかし、紫は藍の予想とは裏腹に余裕ある艶然とした笑みを浮かべる。
「ええ。確かに結論は安直ね。けれど、この場合そこに至るまでの過程は安直じゃないのよ」
「……と、おっしゃいますと?」
「安直ではないと言ったけれど、簡単な話よ。貴方の無罪を前提にこの記事を読むとね、色々と不自然なことが多すぎるのよ」
例えば、『他にも目撃証言は多数あるがあまりに多すぎるので割愛させて頂く』という項目。藍のような絶世のと言っても問題ない美女が野外を裸で歩けば無論、目立つだろうから問題ないように見えるが記事の冒頭で語られた≪スッパテンコー≫の目撃時刻は深夜未明である。確かに夜遅くまで開いている店というのも人里には存在しているが、それにしても明るいのは店の中であり『外』のように街灯設備が整っていないため道は暗く、人通りもかなり少ない。その状況で多数の目撃証言というのはいかにもキナ臭い。
例えば、『私が集めた証言の全てが「スッパで踊っていたのは八雲藍」と断言し、またその証言者ほぼ全員が八雲藍の顔を知っており』という項目。これに関してはもはや鼻で笑う以外の選択肢はあるまいと紫は思う。夜中の大して多くないはずの目撃者全員が人里ではさして多くないはずの藍の顔見知り、ここに作為を感じずにどこで感じろというのか。
「あ、ちょっと待って下さい紫様。質問があります」
「ん?どうしたのかねワトスン君?」
解決編に突入した紫はノリノリで藍を、いつの間にか手にしたパイプで指差す。
「ワ、ワトスン……。いえもし仮に、仮にですよ?その、私にこう、人前で裸になるような性癖が秘められてるとしたら、裸で知り合いのもとを回るということも有り得るのでは?」
最もである。目撃者の質に作為めいたものがあるのは確かだが、それが藍当人の作為ではないという証拠はない。が……
「ふむ。そうねぇ、私にはそういう性癖はないから何とも言えないけど……それはないわね」
何とも言えないと言いつつ、紫は自信あり気に断言する。
「そんなハッキリと……それは何故ですか?」
「もしそうだとしたら絶対にあるはずのものが、その新聞にないからよ」
ビシリとパイプを藍に突きつけて紫がポーズを決める。どうやらパイプが気に入ったらしい。
「あー、ええとそれは?」
「上白沢慧音の≪スッパテンコー≫目撃証言よ」
「……あ」
上白沢慧音、言わずと知れた人里の守護者である。そして、慧音と藍は永夜異変の際に紫の式として一戦交えた仲であり、また強大な力を持ちながら人里に出没する藍とは言うまでもなく『知り合い』である。
「新聞というマスメディアに載せる証言者としては、守護者で教師で堅物なあの白澤は最適と言えるわ。少なくとも主婦や豆腐屋や発明家よりはよっぽどね。その証言がないということは白沢の元に≪スッパテンコー≫は現れなかったということ。半獣として人里では貴方にかなり近しい彼女の元に現れなかったのだから知り合いをピンポイントで巡り歩いたという説は除外していい。……というか前後不覚で記憶が曖昧になるほど酔っ払っていた貴方があの白澤に補足されなかったということ自体が≪スッパテンコー≫は貴方じゃないという証拠になるわ」
「おお、成程」
意外に筋の通った推理に藍は感嘆の声を漏らす。ぶっちゃけ藍は紫の「犯人は射命丸」発言により、紫の推理をごっこ遊びの一種ではないかと疑っていたのだが、推理自体が真面目だったので素直に感心した。が……、
「しかし、紫様。私が≪スッパテンコー≫でないという証拠が増えたのは喜ばしいのですが、どれも文が犯人だと断定するには些か弱いように思うのですが」
藍が鋭くこれまでの紫の推理の欠点を指摘する。確かにこれまで紫が指摘した不自然な点はどれも『疑わしい』レベルの物であり、決定的なものとは言えない。鋭い藍の指摘に美少女名探偵ゆかりんの進撃も止まるかのように思われたが……
「ふふ……ふふふ……」
「ゆ、紫様?」
「あらあら、藍。まるで私に不備があるかのように言うのね。決定的な証拠を出す前に私の話を遮ったのは貴方でしょうに」
「え、あ!?これは……申し訳ありません。確かに紫様のお話を遮ったのは私でした。しかし、そう仰るということは……」
「ええあるわよ決定的な証拠が、射命丸文が嘘を付いている決定的な証拠が!!それは……」
「そ、それは!?」
「これよ!!」
ダン!!
そう言って、紫は決定的証拠をちゃぶ台に叩きつける。それは……
「『文々。新聞』?」
藍にとっての不幸の手紙となった、文責 射命丸文の新聞であった。
「紫様これはどういう?」
「ふふふ……藍。ここのところを読んでみなさい」
再びビシリとパイプで新聞の一文を指し紫が藍に命ずる。
「は、はっ!えー『ここで当人のインタビューを載せるべきなのだが、彼女の住まいは幻想郷と『外』の境界にあると言われ私では踏み込むことが出来ず、断腸の思いで』……ああっ!!」
「ふふっ解ったようね。そう文が家に踏み込んでくる事ができないのなら、何故この新聞はここにあるのかしら?」
雷をバックに背負い固まった藍に代わり紫が結論を述べる。
「一応、聞いておくけど……藍、この新聞は毎朝貴方が取りに行っていたのかしら?」
「い、いえ。毎朝玄関に置いてあります」
「そしてこの新聞はあの天狗が自分で配っている、と。いえ、例えそうでなかったとしてもこの家に踏み込めない理由にはならないわね。部下に配らせているなら訊けばそれで済むし、なんなら山にいる橙に訊いたっていいでしょうに。……というかあの娘、確か家に来たことあったわよね。三途の川の幅を算出した時、貴方の取材しに」
こうして配ってしまったのは癖でしょうね、あるいは部下を止め忘れたか。と淡々と着々と語りを進め真相に近づいていく紫。その様は隣にいる藍には正に名探偵のように映る。
「にも関わらず、取材となれば何処にでも行くあの天狗が踏み込むことが出来ないなどと記事に嘘を書いてまで家にこない……その理由は何?決まっているわ」
トン
紫が新聞の中央をパイプで軽く叩く。
「あの娘は知っているのよ、貴方が≪スッパテンコー≫じゃないって。そして、今そのことを知っているのは私達を除けばたった一人よ、つまり……」
「……犯人」
藍が紫の言葉を引き継ぎ結ぶ。それを聞いた紫は艶然と笑い……
「以上、Q.E.D.(証明終了)質問はあるかしら?」
ふわりと立ち上がり優雅に一礼した。
「……紫様」
それに対し藍は正座で深々と座礼を行い主の礼に応じる。
「紫様の推理、真に見事で御座いました。この藍、目から鱗が落ちた心持ちです。ですが……最後に一つだけ紫様の叡智に問を投げたく思います。」
「あら?なにかしら?」
「動機は?動機はなんなのでしょう?正直、私は文にこのようなことをされるような覚えが無いのですが」
それを聞いた紫は解決編に入って初めて顔をしかめる。
「う~ん……動機というのは、流石の私でも推理するのは難しいのよね。何に対してどれだけの害意を持つかは十人十色、理屈で語れないものだから。それにあの天狗なら面白そうだから、っていうのも有り得そうな気がするし……、でもまぁ……どうしてもというなら、一応それらしい心当たりはあるわね」
「あるんですか!?それは、それは一体!?」
即座に紫ににじり寄り、藍は紫をガクガクと揺さぶり始める。
「藍、藍。揺さぶるのやめて。酔う、ゆかりん酔っちゃうから」
そういう紫の顔色は確かに彼女の名前のような色になりかかっている。
「っと、し、失礼しました。それで一体動機は!?」
揺さぶるのこそやめたものの変わらぬ必死さで藍は問いかける。
「うぅ……目が回る……っと、これはまぁ、穴埋め問題みたいな感じで不本意なのだけれど……まず、今の貴方に彼女に恨まれる覚えがないというのなら、貴方の覚えていない所で恨みを買ったと考えるのが妥当よ。そして、貴方はさっきこう言ったわよね?昨夜のことはよく覚えていないと」
「ええ、はい。昨夜は不覚にも飲み過ぎました。お陰でほとんど記憶が……」
羞恥でその身を縮こまらせながら答える藍。
「なら新聞が発行されたのが今朝であることを考えれば、タイミング的に言ってその時に不興を買ったと見るべき。そして貴方は覚えていない様だけれど……昨夜貴方は文に説教食らわせていたのよ」
「は?」
「内容は確か……スカートが短過ぎるとか、女子たる者もっと慎みを、とかそんな感じだったわね。あと、潰れてたメイドとかにも……恐れ多くも霊夢の腋に関してもツッコミを入れてたわね」
あれには恐れいったわ、と紫はしたり顔で頷く。しかし、それでは納得できないのが藍である。
「いや紫様?幾ら何でもそんなことでこんなデマをばら撒く程、文は短絡的ではないと思うのですが……」
まぁ、確かに酔った席でのお茶目で社会的に抹殺されかかっては堪らないだろう。が……、
「あら、私に同じことを二度言わせる気?何に対してどれだけの害意を持つかは十人十色よ。例えば……藍、あの天狗が私が送ったあの帽子を馬鹿にしたとしたら貴方「その日の夕飯のおかずが烏の唐揚げになるだけですが何か?」……そ、そう……」
紫の出した問に一切躊躇せず応える藍。彼女が日頃かぶっている、黄色いお札とふわりと垂れる飾り毛がキュートな帽子は紫からの初めての贈り物であり藍にとっては万金に値する宝物である。と、そこまで考え成程と、藍は得心した顔で首肯する。他人から見れば大した事でなくとも当人に取っては看過し得ない地雷であるということは確かにある。
「コホン……まぁ、とにかく。なら、文にとってのミニスカートが貴方にとっての帽子であっても不思議はないでしょう?それに……ハッキリ言って動機はもうどうでもいいのよ『文々。新聞』がここにある以上あの天狗が犯人であるのは間違いないのだから」
「動機の有無より物的証拠よ」と新聞をバサリと広げて紫が得意げに言う。
「ううむ……成程、なるほど。となると……やはり犯人は文……なのですね?」
俯き、陰鬱な声で再度紫に問いかける藍。
「くどいわよ藍。犯人は射命丸 文。それが美少女名探偵である私の結論よ」
パイプを吹かしながら―と言っても火がついていないのでジェスチャーのみだが―断言する紫。
「にしても……この始末どうつけてくれようかしら。八雲の者にこうもあからさまに喧嘩を売ってきたのだから、それ相応の報いをくれてやらねばならないわね」
「フ、フフフッ。そうか……橙に変態と言われたのは……」
紫は脳内で文に対するお仕置きを想像してほくそ笑む。ぶっちゃけその笑顔は今日一番のイイ笑顔である。
「あの羽を毟ってやろうかしら?いえいえ、烏天狗の象徴である扇子に『インチキてんぐ』とかラクガキしてやるのもいいわね」
「ク、クククッ、……紫様にあんな醜態を晒してしまったのは……」
そして、紫は文へのお仕置きに思案を巡らせているため気付かない。彼女のすぐ傍にいる藍から立ち昇る瘴気に。
「そうだ。あのカメラを河童に分解させるとかもいいわね。目の前で愛機がバラバラになるのを見てあの天狗がどんな顔をするか……今から楽しみだわ。ねぇ、藍……って藍?」
「全部……全部……」
「藍、藍さん?もしもーし?」
ようやく藍の様子がおかしいことに気付き正気を確かめるかのように彼女の眼前で手をひらひら振る紫。だが、その手に反応せず俯いてブツブツと呟き続ける藍。そして……
「全部……全部……貴様のせいかぁぁああああ!!射命丸文ぁぁああああああああああああ!!!!」
「わひゃう!?~~っつう~~耳、耳が……」
大・噴・火!!バックにフジヤマヴォルケイノを背負い、それ自体が天災のような大音声をあげ、赫怒をぶち撒ける藍。その怒髪天を衝く様を見れば本物の十二神将でさえ尻尾を巻いて逃げ出すだろう。
「ちょっと藍!!なんて声出すのよ!主の耳潰す気……って、藍!?なんか黒くなってるわよ!!オーラとかそういうんじゃなくて、耳が!尻尾が!!け、毛も生えてきた!?き、牙が!爪が!?」
絶叫する紫。確かに彼女の言う通り、見事な毛並みと向日葵のような明るさの黄を誇った耳と九つの尻尾が漆黒に染まり、あろうことか腕や脚、頬など体の各部にも突如としてどす黒い獣毛が生え藍の柔肌を覆う。さらには牙も爪も鋭さと長さを増し凶器と化し……その様は美麗な天狐というよりは……
「人狼!?ちょっと待ちなさい九尾の人狼なんてこの私ですら聞いたことないわよ!!ていうか貴方は狐でしょう!?」
「グゥォオオオオオオンンンン!!!」
「きゃぁあああ!?」
見た目人狼?に変化した藍は焦る紫を尻目に蒼天に咆哮する。その獣そのものの吠え声からは日頃の理知的な藍の面影は全く感じられない。完全にクリーチャーと化している。
「グルル、ユカリサマ」
「は、はいぃいい!!なんで御座いましょうか藍様!!」
藍の突然の変貌に完全に腰が引けている紫は普段の超然とした雰囲気も何処へやら、最敬礼で自らの式の呼びかけに応える。
「ワタシハコレカラ、フトドキナテングヲ、クビッテキマス」
「く、縊るって貴方……」
「ユカリサマ」
「ごめんなさいごめんなさい口答えしてごめんなさい!食べないで!ゆかリん美味しくないからスキマだから!!」
紫、必死の懇願。萃香や幽香辺りが見れば珍しい物を見たと大笑いするだろうが、今の藍を見ればその笑いも掻き消えるだろう。ハッキリ言ってそれぐらい今の藍は恐い。そして……、
「イッテキマス」
ガォォオオオオ!!と再び吠えて木々をなぎ倒し走り去る藍。その進撃の迫力はゴジ◯にすら引けを取らない。そして、その進撃先は無論、妖怪の山である。
「……い、行った?」
障子に身を隠し、ヘルメット代わりに座布団を頭に乗せて恐る恐る藍の行った先を見遣る紫。
「……ふぅ、あぁ恐かった。寿命が千年は縮んだわ。藍って本気で怒るとああなるのね、初めて見たわ」
先程の藍の眼光を思い出し、紫はガクガクと身を震わせる。
「怒って変化する妖怪っていうのは確かに居るけど……あれじゃもう別の妖怪じゃない。……うん、あの藍のことはこれから『黒藍』と呼びましょう」
一人、うんうんと頷きながら紫はぼやく。恐らく普段の藍と今の藍を区別しなければやっていられないのであろう。
「……それにしても……困ったわね。藍のあの怒り様だと本気で天狗のことを絞めて、唐揚げにしかねないわ」
頬に手を当て、ほぅ……と息を吐く。実際問題として藍が文を、というか山の天狗を殺めるのはまずい。心情的な理由も無論あるが、なにより八雲と山の妖怪の全面戦争が勃発しかねない。無論、そうなったとしても紫には負ける気など毛頭ないがスペルカードルールの恩恵により、活気づきながらも平穏な今の幻想郷をぶち壊すことになる。それは紫の望むところではない。
「どうしようかしら……そうね、私が先回りしてあの天狗にお仕置きしておけば藍の気も削がれるわよね」
そう言って、紫は手に持つパイプをスッと振り上げる。
「考えてみれば、真犯人を追い詰めるのは古来より探偵の仕事。美味しいところを式にかっさらわれるのも癪よね」
ようやっといつもの胡散臭い空気を取り戻した紫が振り上げたパイプを振り下し、自身の能力の象徴であるスキマを開く。
「ふふふ、待ってなさい射命丸 文。追い詰めて、泣かせて、藍に土下座させてあげる」
楽しげに、妖しげに笑って紫はふわりとスキマに飛び込んだ。その優雅な様は先程までのビビリっぷりを補って余りあるカリスマ的な威厳に満ちている。……まぁ、と言っても
(それで『黒藍』が元に戻ってくれるといいのだけれど……戻るわよね、戻って欲しいなぁ、戻って下さいお願いします)
パン、パンと柏手を打ち、スキマ越しに博麗神社に賽銭を投げ込んでしまうくらい、内心は『黒藍』にビビリまくっていたが。どうやら完全にトラウマになってしまったようだ。ゆかりんは繊細な少女なのである。そう……
チャリン……と、賽銭箱に落ちた硬貨の音がこの事件の新たな波乱の開幕のベルとなることに気付かない程度には、紫はまだまだ未熟な少女なのである。
≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪
「う~、う~う~」
一人の少女が机に突っ伏して頭を抱えている。そのスタイルはロダンの考える人に匹敵する程『考える人』のなんたるかを物語っている。と言っても……
「あー、ッもう!!折角の特ダネなのに!!身動きがとれないなんてぇ~~『文々。新聞』購読者倍増のチャンスなのに!!」
ダンッ!!と勢い良く書き物机をぶっ叩いた彼女は、考えていたのでなく悩んでいたのであって、更に言うなら人ではなく天狗だった。
「憎い。私の記者としての本能が、溢れんばかりのガッツが憎い。うぅ~速報でなくもっと練ってから発行するべきだったわ~」
頭を掻きむしりながら彼女、伝統の幻想ブン屋 射命丸文は身悶えする。
「あ~う~こうしている間にも……ネタの鮮度が落ちていくのよね~~……だめ。私には耐えられない。こうなったらでっち上げてでも『文々。新聞』号外を!!」
くわッ、と起き上がり猛然とペンを引っ掴み原稿用紙に向かう文。その瞳にはすでに紅蓮の炎が宿っており彼女が本気であることを表している。
「さあ、イッツ!!ストームファイヤー!!メイドイン射命丸のショッキングな記事の数々をご覧あ「犯人はお前だ!!」むきゃあぁああ!!」
あわや、彼女のデマ記事の被害者がまた一人増えようかというところで、突如として現れた、犯人を指差すコ◯ン君のような右の一本貫手が文の脇腹に突き刺さり彼女にペンを放り出させる。更に貫手のくせに結構な重さを備えていたその一撃は文を吹き飛ばし、部屋にあった書棚に激突させる。
ドン!!
「かふっ!!」
ガシャン!!
「アイタタタ……がしゃん??」
書棚に激突し、なにやら不穏な物音を聞いた文はゆっくりと、恐る恐る音がした方を振り返る。すると……
「きゃあああぁぁああああ!!カメラ!カメラが!!」
哀れ彼女の記者魂の象徴とも言えるカメラがものの見事に床と接吻を交わし、たまたまその上に落ちてきた百科事典が実に三冊。記者の嗜みとして揃えていた蔵書が仇になった形である。そして、さらに悲惨なことにまるで狙ったかのように、ちょうど百科事典の角の部分がレンズに直撃し対象を見事に破砕している。砕けたレンズの破片の飛び散り様はさながら飛び降り自殺の血痕のようになっており見るものの同情を誘う。
「えー、ガイシャは黒いボディのカメラさん(年齢不詳)。ふとした拍子に高所から落下、そして不運にもその更に上から落下してきた百科事典三冊の下敷きになってしまった模様」
そして何時の間にやらカメラの遺骸の傍らにしゃがみ込み、白のチョークでカメラの回りを殺人現場よろしく白線で囲っていく我らが美少女名探偵ゆかりん。
「どうやら推理するまでもないわね。事故死とは……惜しい人を亡くしたわ……」
「ちょっと待ったぁぁぁああああ!!これのどこが事故なのよ!!どう見ても犯人を貴方です、でしょうが!!」
南無~、とホトケに手を合わせる紫の後頭をはたきつつ文が叫ぶ。これもまた推理するまでもないことだが文の脇腹に貫手を叩き込んだのは無論、紫である。
「痛いわねぇ。いきなり暴力に訴えるなんて貴方それでも新聞記者なの?」
「どの口で戯言ほざくか!!人の脇腹にいきなり問答無用で貫手叩き込んだのはあんたでしょうが!!」
己の半身を壊された怒りのためか、普段の営業やら強いもの用やらの敬語を放り出してマジギレする文。まぁ、壊しただけでなくその後の紫のおちょくった態度によるものもあるだろうが。
「あらあら、戯言ほざいてるのはどっちかしら?いきなり……なんて、貴方まさか私に攻撃される心当たりが無いとでも?」
しかし、紫は悠然とした態度を崩さず胡散臭い笑みを浮かべたまま逆に文を責め始める。
「ないわよ!!この清く正しい射命丸にそんな心当たりあるわけないでしょう!!」
ドーン!!と効果音が付きそうな程完璧な断言であった。とても先程まで記事をでっち上げようとしていた人物の発言とは思えない。
「そ、そう……じゃなくて、嘘仰い。貴方の犯行はこの美少女名探偵ゆかりんが……」
若干、気圧されながらながらも即座に立ち直った紫が息を溜める。
「まるっと、すりっと、すきまっとお見通しよ!!」
ドーン!!と、こちらも効果音が付きそうな勢いで決めゼリフを吐く。それに対し文は……、
「うわ、その年で美少女、しかもゆかリんて……、うわぁ……」
ドン引いていた。それはもう背中に壁が当たるまで後退しているにも関わらず、なお紫から距離を取ろうとしている程必死なドン引きだった。
「(ピクピク)……ゆかリんキック!!」
ドス!!
「くはっ!!」
そして、その文の様子を見た紫は額に青筋を浮かべて前方に放ったゆかリんキック(前蹴り)をスキマで文の背後に転送し、背中を蹴り押し自らの眼前に平伏させる。
「全く。捏造記者の分際で私の名乗りにケチをつけようなんて頭が高いわよ」
「いえ、今は大分頭が低くなってるし、それに捏造云々言うなら貴方の名乗りも相当……」
「何か言ったかしら?」
再び足を振り上げながら紫が微笑む。
「あ~いえ、何でもないです。ってそれよりも!捏造記者とは何ですか!?私はいつも真実しか書きませんよ!!」
ようやっといつもの対強者用の丁寧口調を取り戻す文。ただ、その怒りまでは衰えていないようだ。その様はつい先程まで(以下ry
「ふふふ、その様子だとあの捏造記事に余程の自信があるようね。まぁ、そのハッタリだけは見事だと言っておくわ」
「あーだからその捏造記事って何なんですか?本当に最近だと心当たりがないんですが」
このままのやり取りでは埒があかないと見て譲歩する文。その首を傾げる仕草はごく自然なもので本当に不思議そうに見える。
「そう、まだしらばっくれるのね。いいわ、教えてあげる。貴方のでっち上げた記事とは……これよッ!!」
バン!!と自分で持ってきたスッパテンコー記事の『文々。新聞』を文の前に叩きつける。
「うわ、何ですかこの血塗れの……これ私の『文々。新聞』じゃないですか!?私の珠玉の逸品になんてことするんですか!?あ~、折角の写真が……血で頭が消えて誰だか解らないじゃないですか」
自らの発行した新聞の惨状に驚く文。そのあまりの惨さに写真での判別を諦め、どうにか読める文字を眉を寄せながら読み進める。
「ええと……これは……ああ、今朝のスッパテンコーの記事ですか」
記事を読み進め、それがなんの記事なのか解ると、文はやれやれと言わんばかりに肩をすくめる。
「あのですね紫さん。身内がこんな愉快な真似やらかして気が立つのはわかりますけどね、だからと言って真実の使徒たる私にイチャモンをつけるのは間違いですよ。むしろ藍さんの教育を先にすべきじゃないですか?」
どう見ても呆れきったジト目で紫を見ながら諭すように文は語る。その語り口には焦りは全く見られない。
(……おかしいわね?真実を突きつけられた犯人というのはもっとこう……三流っぽいリアクションをとるもののはずだけれど)
自身の知識―小説などが原典だが―とあまりに違う文の態度に紫は内心大いに戸惑う。
(いえ……そうね。そう言えばまだこの天狗には私の華麗な推理を聞かせて無かったわね)
さっき藍に話したから話した気になっていたわ、と紫は呟く。
「紫さん?紫さーん?」
「ブツブツ……」
「おーい?聞いてますかー?」
「いいでしょう!!」
「あややっ!!」
思考に没頭して文を完全にシカトしていた紫が突如として立ち上がりパイプを文に突きつける。
「そうまで惚けるというならこの私の完璧な推理を聞かせてあげましょう!!」
「は、はぁ……(完璧な推理?それって推理って言わないんじゃ……?)」
藍とのやり取りですでにテンションがハイになっている紫のノリについて行けず、文はどこか白けた答えを返す。
「いいこと?貴方のこの新聞記事には無視できない不自然な点がいくつもあるの。まず……」
とノリノリで先程藍に聞かせたのと同じ推理を紫は語り始める。が……
「はぁ……何を言うかと思えば」
再びため息を付き先程と変わらぬ、いや、むしろ呆れを増加させたジト目で紫の推理を聞き終えた文はそう言った。その態度は言外に「ダメだな。このスキマ」と如実に語っている。
(あ、あら?おかしいわね?態度が変わらないわ)
この段に至って慌てたのはむしろ紫の方であった。何せ追い詰めているはずの犯人から侮蔑の視線を受けているのだ。焦らない方がおかしい。
「まず始めに言っておきますが……」
そして、追い詰められている犯人?(すでに疑問形)こと文が満を持して語り始める。
「この『文々。新聞』に載せている証言は全て事実です。私が人里まで行って一人一人訪ねて回ってゲットした確実な証言です。少なくともそう証言した人がいるのは間違いありません」
「……え?」
なんなら人里に行って確認を取って下さっても構いませんよ。とすまし顔でスッパテンコー=文のでっち上げ説を根底から覆す発言をする文。紫はこの時点ですでに先程までの自信満々の態度が消えている。更に……
「そして……こちらが目撃証言の掲載していないものの全てになります」
ドン!!と紫の前に書棚の一番下の棚から取り出した紙の束を同じくすまし顔で突きつける。ついでに「証言者の名前も載っていますからこちらも良ければ御確認下さい」と言添えることも忘れない。すでに紫の顔は困惑で一杯でその頭上には「?、?、?」と疑問符が大量に乱舞している。そして……
「私も確かにこの証言の多さは少々不自然だと思います。……思いますけど事実この通り証言者が沢山いるんだからしょうが無いじゃありませんか」
「現実見ましょうよ紫さん」と無職のヒッキーを責めるような視線をレーザーのように紫に照射する。その視線に紫は身を居心地悪そうに縮ませる。
「それと証言者が藍さんの顔を知っている人ばかりで不自然と言いますけど、私はそれを不自然だとは思いません。……どうやら紫さんはご存じないようですが藍さんは人里ではかなりの人気者ですので」
「ふわふわ尻尾と温和な態度で子供の、クールな美貌とナイスバディで若いおなごと男衆の、そして主の世話の苦労話と親切な心遣いで奥様方と御老人方の心をがっちり掴んでますから」と言って感心したように文は頷き、その後に「なんで主のくせにそんなことも知らないんですか?」と本当に、純粋に不思議そうに文は紫に向かって首を傾げてみせる。それに対し紫はそっぽを向いて……というかすでに文に背を見せしゃがみ込み拒絶の姿勢をとる。すでに二人の態勢は紫が文を見下ろしていた状態から全く逆の態勢に変わってしまっている。しかし……
「最後に、紫さんの家に私の新聞があった件についてですけど「そう!それよ!!そればかりは流石に言い逃れできないでしょう!?」……」
次の文のセリフで最も自信のあった証拠のことを思い出し、紫復活。一転して再び得意げな顔になる。と言ってもこれまでの文の言葉で紫の推理はすでにガタガタなのだが。
「はぁ……確かに私は紫さんのお宅に取材に行くことは出来ます。今朝の新聞も貴方の仰る通り橙に頼んで持って行ってもらいました」
「でしょう?でしょう?ほらやっぱり凄いじゃない私の推理!!」
文が紫の推理を一部とは言え認めたことでどこぞの天人並に有頂天になる紫。厳密に言えば紫は橙が新聞を運んだ可能性について言及していないのだが。
「ですが!!」
「……ですが?」
しかし、その有頂天も長くは続かず強めに発された文の言葉に嫌な予感を覚え、顔を引き攣らせる。
「私が紫さんの家に取材に行かなかった理由は貴方が言ったものとは全く異なります」
「え゛」
文の衝撃の一言でビシリ、と紫の引き攣り顔にひびが入る。
「そんな……。……待って、貴方が取材を断念するなんて余程のことよ。藍の無実を知っている以外の理由なんて正直思い浮かばないのだけれど」
ひびを抱えながらもなんとか持ち直した紫が文に食い下がる。何せこの天狗、霊夢を利用して地底の妖怪にすらちょっかいを出し、その霊夢も使えないとなると姫海棠はたてとの絡みがあったとは言え、結局地底の妖怪を自ら激写しに行くほどの猛者なのだ。しかし、何故かその紫の言葉を聞いて文は怪訝そうな表情を浮かべる。
「その事ですけど……あれは貴方が手を回したんじゃないんですか?私はてっきりそうだと思ってたんですけど」
と、文も若干困惑した様子で紫に問いかける。
「……?何のこと?私は今朝起きてから貴方に貫手を入れるまで、手回しと呼べるようなことはしていないけれど」
「むぅ……、それではあれは一体……?」
「ちょっと。私にも解るように話しなさいよ」
思考に没頭し始めた文を突付きつつ、置いてきぼりになりつつある紫が問いかける。
「え?ああ、すいません。えーと、私が取材に行かなかった理由ですが……天魔様です」
「は?」
「ですから、私が取材に行かなかったのは天魔様に止められたからです。ええ、そりゃもう凄い剣幕でこれ以上≪スッパテンコー≫について調べるのは禁じると山の天狗を集めて一喝しまして。私のその『文々。新聞』は緘口令が布かれる前に調べた事をまとめたものです。命令は『これ以上調べることを禁じる』というものでしたので。……配っているのが見つかると止められたんですけどね、うぅ、配っている途中だったのに紅魔館とか永遠亭とかには配れてないのに……まぁ、逆にその緘口令のお陰で結果として『文々。新聞』は現在唯一の≪スッパテンコー≫記事を扱った新聞になれたのも事実なんですけど。……本当にあれは貴方の手回しじゃないんですか?天魔様にああまで言わせる事が出来て、≪スッパテンコー≫について調べることを禁じそうな人物というと貴方しかいないんですが……って、紫さん!?どうしました!?」
文の語りを聞いていた紫が突如崩れ落ちorzの姿勢になったため声を荒げて呼びかける文。その様子を見て文は、
(あやや~、理由が予想外過ぎたんですかねぇ~?となるとあれは本当に紫さんの差し金では……?っと、なんか呟いてますね。なんでしょう?)
紫が何やら呟いていることに気付き、文は紫の口元に耳を寄せる。すると……
「しまった……忘れてたわ……あの孫馬鹿の存在を……そうよね"あの"天魔が、藍が露出狂なんて話ばらまかれて黙ってるわけないわよね……ふふ、ふふふふふふ」
天狗の頭領 天魔。統治する組織の大きさという点においては幻想郷でもトップクラスな幻想郷にしては珍しい地位的に分り易いお偉いさんである。そして天魔は妖怪の賢者たる紫との付き合いも古く、その始まりは幻想郷の開闢以前に遡る。そんな天魔であるが、天狗達にすらあまり知られていない困った性質がある。それが紫が言った孫馬鹿、すなわち藍に対する猫可愛がりである。無論、天魔が妖狐である藍の直接の祖先な訳ではないのだが、かつて紫が連れていた「ゆかりしゃま~」な藍の可愛らしさにハートを五寸釘で撃ち抜かれデレた。それはもう藍を見かければ必ず菓子を与え、何か欲しがれば何でも買い与え、終いには藍の教育に悪いからという理由で紫に面会謝絶を言い渡された事がある程のデレっぷりであった。そしてその藍に対する親愛の情は多少落ち着きこそしたものの現在でも衰えるということを知らず、今でも月一での藍の定期報告が遅れるとリアルに嵐を纏ってしまう程機嫌が悪くなる。そして、そんな天魔が藍の≪スッパテンコー≫疑惑などというものに対してノーリアクションであるはずがなかった。
(天魔は藍のうぶさを知っているから藍≠≪スッパテンコー≫というのは解るはず。……ていうか藍の"うぶさ"の原因てあいつなのよね。藍がそういう方面の好奇心起こすと「藍にそんなこと教える奴ぁぶっ殺す!!」て息巻いてたもの。となれば……)
緘口令の一つや二つ布いて当然か、と紫は得心する。藍の無実を信じる人間がこんな所にも居たという事実が少し嬉しかったのは秘密だ。
「い、いえ……待って。じゃあ何で家に来れないなんて嘘を新聞に書いたのよ」
四つん這いの姿勢から往生際悪く文に食い下がる紫。この迷探偵どうやら未だに自らの敗北を認められないらしい。そんな紫の決死の問いかけに文は……
「はぁ、あのですね紫さん、この誇りある伝統の幻想ブン屋である私が、『命令だから書けません』なんて恥ずかしい事を記事に書けるはずがないでしょう?」
やれやれ、と言わんばかりに大仰に肩をすくめて紫を見下ろし、とんでもなく自分勝手な理由を吐いた。
「……そ、そんな理由で……orz」
文のあんまりなカミングアウトにより今度こそ紫、撃沈。というか、嘘記事を書くのはブン屋の誇りに引っかからないのだろうか?……まぁ、それはさておき……
「さて、紫さん?」
ビクリ、と文に呼び掛けられた紫の肩がはねる。
「天魔様の命令については良く解りませんが……何やら納得してもらえた御様子。ならこれで貴方の推理が全くの的外れであることは解ってもらえましたね?」
そう、そうなるのだ。美少女名探偵の名をほしいままに(だって自称だし)してきた紫にあるまじきことであるが、文の話を考慮するとどう考えても紫の推理は大ハズレということになってしまう。
(そ、そんな馬鹿な。この私が……)
非情な現実を受け入れられず紫は愕然とする。彼女の敗因は総合すると唯一つ……
(藍。なんで私の知らないところでそんなに人気者になってるのよ。しかも当人の言動を考えると無自覚に……いえ、天魔のことは知っていたのだけれど)
自らの式の人気を読み違えたことに尽きる。そう言えば最近二人で話したことなかったしなぁ~、うぅごめんね藍、と自らの式に対する態度を反省する紫。
「そう、そうね。久しぶりに藍と二人でお酒でも飲みましょう。最近、藍にはお世話になってばかりだし美味しいお酒とツマミを用意して静かに主従の語らいといきましょう」
すっくと立ち上がり式を労ってやろうと優しい笑顔を浮かべ、紫は部屋の障子に向かう。が……
ガシッ!!
「ちょ~~っと待ってくださいな♪迷探偵さん♪」
優しげな笑顔に反し、スタスタと慌てた様子で歩く紫の肩を文がガッチリと掴む。こちらも花が綻ぶような可憐な笑みを浮かべている。特にその瞳は中に夜空の星々(恒星、太陽より灼熱なもの多し)を閉じ込めたかのようにきらきらと、あるいはぎらぎらと輝いている。
「あ、あら。なにかしら。とういうかちょっと待って、肩が痛いというか今まさに砕けそうなのだけれど、って痛い痛い」
メキメキと音を起てる肩の痛みで顔を引き攣らせながらもどうにか淑女の態を保って紫が問いかける。
「あやややや。何をしらばっくれてるんですか紫さん?私が言いたいことなど妖怪の賢者と言われる貴方ならすでにわかってるでしょうに」
そう言い更にメキリと握力を強め、逆の手で殺害されたカメラさん(年齢不詳)を指差す文。
「私の相棒をあんな無惨な姿に変えて下さったこと……どう、落とし前をつけてくれるんですか?」
にっこりと笑い「おう、こら。うちのモンに手ぇ出してタダで帰れるわけねぇだろ。ババァが」と威す文。
「ふふ、ふふふ、ふふふふふふ……」
それに対し妖怪の賢者たる紫は威厳たっぷりに……
「すんませんっしたぁぁあああ!!」
素直に土下座して謝った。ゆかりんは悪いことしたらきちんと謝れる少女なのである。えらい。
………………
…………
……
「うぅぅ、とんだ大恥かいたわ」
あの後……今度『外』に出たときに修理して持ってくると約束する代わりに、≪スッパテンコー≫目撃証言者のリストを譲ってもらった紫がだばーと目の幅涙を流しながらボヤく。
「いえ、ネガティブに考えてはダメよ紫。文が犯人でないことが解ったし、このリストが手に入ったことは間違いなくプラスだわ」
ポジティブシンキンポジティブシンキン、と呟く紫。確かに人に冤罪を掛けたことを除けば容疑者は減ったし、目撃者リストは間違いなく重要なアイテムである。特に紫はあまり人里に訪れないので住所付きなのが有難い。
「よし!!ゆかりん復活!!アームチェア・ディテクティブがダメなら行動型に変更よ!!藍の無罪は私が証明してみせるわ!!そう……」
「じっちゃんの名にかけて!!」
悲しみの涙を振りきり、愛する式のために再び立ち上がる我らが美少女名探偵。そして、立ち上がった瞬間紫の服はかのシャーロック・ホームズの物に変わっている。……ごた混ぜにも程がある。ちなみにお前じっちゃんいるのかよ?などという突っ込みは禁止だ。必殺のゆかリん電気あんまーが炸裂してしまう。
「さて、そうとなれば人里にGoよ!!スキマオープン!!」
パイプを縦に振りきり紫はスキマを開く。
「さぁ、行くわよ。真実はいつも一つ!!」
ヒャッホー、とか叫びそうな勢いでスキマに身を躍らせる紫。その不自然なテンションは短時間でネガティブ思考から脱した反動である。
(それにしても……)
アドレナリン全開な脳の中で紫はふと思う。
(何か忘れている気がするのだけれど……なんだったかしら?……まぁ忘れているのなら大した事ではないのでしょうけど)
≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪≫≪
「あやややや~行っちゃたわねぇ~。……気づかずに」
紫がスキマに入って消えていくのを見送ってから文がニンマリと笑いそうのたまった。
(ふふふふふ……、咄嗟だったけど上手く行ったわ。妖怪の賢者も案外ちょろいわね。これで天魔様に壊された相棒がパーフェクトな姿で帰ってくるわ)
可笑しくて堪らないという風に再びニヤリと笑う文。そう、実は彼女のカメラは紫が訪れる前に文のスッパテンコー記事の事を知ってしまった天魔にぶち壊されていたのである。それをあたかも書棚から落ちた際に壊れたかのように見せかけ見事、紫に修理代をおっかぶせたのである。
「大事な相棒をあんなちょっとした拍子で落ちてしまうところに置いているわけないってことに気付けなかったのが貴方の敗因よ。迷探偵さん♪」
得意げに腕組みをして、右手の指を立てここに居ない紫に講釈を行う文。その姿を見ればかのモリアーティ教授ですら文に拍手喝采を送ったことだろう。
「まぁ、長年人里で活動してきた私の人脈をフル活用したリストを渡したんだから不当取引とは思わないけど」
「誤解で貫手くれたのもあるし」と、今度は少しバツが悪そうな調子で言う。騙したことに関しては多少気にしているらしい。と言っても彼女の言っていることは事実であり、昨夜に起きた事件の証言を今朝までであれだけ集めることができるのは幻想郷広しと言えども人里で顔が知れており、幻想郷でも指折りのスピードを誇る彼女だけである。となればカメラの修理費がさして高額でもないこと(紫にとっては)、また今回の件が八雲の沽券に関わることを考慮すればリストとの交換はまず真っ当な取引であると言える。ひょっとしたらまともに交渉を仕掛けたとしても紫は首を縦に振ったかも知れない。
「にしても……妖怪の賢者の探偵ごっこin人里……こんな面白そうなネタをスルーするしかないなんて……なんて不条理な」
記者としての誇りが疼くのかイライラと貧乏揺すりをしながら文は言う。確かに珍事という点においてこれ程の出来事も早々ないだろう。というか、紫が人里に出没するというだけでもちょっとした事件である。
(人里に揺らぐ怪しいスキマ!?その中に蠢く人影の正体と真意に迫る!!……ああ、これだけでも面白そうなのに……)
と、文が自身の身のままならさによりイライラの自給自足を行っていると……
ダンダンダンダン……
と、駆け足の足音が猛烈な勢いで廊下に響き……
スッパァン!!
と景気よく文の部屋の障子が開かれる。
「文様!!今度は一体何やらかしたんですか!?」
そして、開かれた障子から踊りこんだ白い影が文に一瞬で急接近し襟首を引っ掴み文を揺さぶる。
「あややややや~落ち着きなさい椛~こんな頭揺らされたら何のことか思い出せるものも思い出せないわよ~~~」
グラグラと頭を揺さぶられ、ごく短距離の(頭の)移動であるにも関わらず声にドップラー効果をかけながら文は駆け込んできた下っ端白狼天狗こと犬走椛を諭す。その様は意外と余裕あり気である。
「お、お、お、お、落ち着いている場合じゃないでしょう!!一体どこであんな怪獣の怒りを買ってきたんですか貴方は!!」
落ち着いている場合ではないと言いつつ、揺さぶるのをやめる程度には落ち着いたらしい椛が、しかし必死な様子で文に詰め寄る。二度言うがその様子は本当に必死だ。
「よくわからないけど、落ち着いている場合じゃない場合なんてまずないわよ。落ち着くより慌てる方がいいなんてこと有り得ないんだから。それで……怪獣?何者よそれは?」
一方、文は変わらず余裕な態度で椛に話しかける。といっても椛の言葉の意味が解っているわけではないようだが。
「何者かって……そんなのこっちが聞きたいですよ!!あの黒い毛むくじゃらは麓の境界線を哨戒していた天狗を全力疾走で轢き飛ばして!!更に呼んできた大天狗様のお歴々の警告を完全無視して、あろうことか殴り飛ばして!!なんなんですかあれは!!」
もはや目端に涙を浮かべ身を震わす椛。どうやら件の怪獣が余程恐ろしかったらしい。
「黒い毛むくじゃらねぇ~心当たりは無いけど……一つだけ解ることがあるわ」
キラン、と双眸に怪しげな光を煌かせ何かこみ上げてくるものに耐えるような声で文が静かに言う。
「へ?……はっ!まさか!!」
「これは……事件よ!!」
何時の間にか取り出した予備のカメラをスチャっと構え、文が障子に向かってダッシュをかける。
「ちょっと待ったぁぁああ!!」
ガシッ!!
が、長年の付き合いから文の次の行動を察していた椛が神速の反応で文の腰に飛びつき文をその場に押し止める。
「文様!今回は、今回ばかりは自重して下さい!!マジで!!」
文の腰元から椛が懇願の声を出す。しかし……
「ええい!放しなさい椛!!事件が、事件が私を呼んでいるのです!!」
と完全に記者モードに入った文は椛を必死で振りほどこうとする。が、どうやら今回の椛は本気で本気らしくフラストレーション溜まりまくりの文ですらその場から一歩も動けない。
「待って下さい!!あの怪獣は文様を狙ってるんですからマジ待って下さいぃぃいい~~!!」
「記者というものはどんな危険があろうと特ダネを前に退くことなどしないのです!!……ってなんですって?」
「わふぁ!?」
互いに全力で引き合う形になっていた二人だが文が突然力を抜いて振り返ったため、椛がつんのめって転ぶ。
「私を狙っているとはどういうことです?」
転んだ椛に手を差し伸べながら文が問いかける。
「うぅ、痛い。……ああ、すいません。よいしょ、っと、ふぅ。……どうしたもこうしたもないですよ。怪獣は麓を突破してから地獄の底から響くような声でひたすら「しゃぁぁめぇぇいぃぃまぁぁるぅぅぅうううう!!!」……そうそうこんな感じで恨めしそうに……ってもう声が聞こえる所にいるの!?」
椛が愕然として叫ぶ。
「あやや~今の声は結構近かったですよ~、全く警備は何をしているんですか?」
やれやれ、と肩をすくめ首を振りながら文が椛を見て言う。
「な、何ですかその目は……ちゃんとやってますよ!みんな全力で!それでも敵わないんですよ!!我々哨戒天狗どころか大天狗様方まで一面easyの雑魚妖精みたいに吹っ飛ばされるんです!!いつぞやの巫女なんて比べものになりません、鎧袖一触も良いところです!!」
と、涙目で怪獣の不条理さを一息で語る椛。動揺のあまりメタ発言が飛び出るくらい必死である。
「あやや。そんなにですか?それは流石にマズイですね……一度、逃げちゃいましょうか」
そして、一度肩透かしを食らわせた後遠目から撮影すればいい、と算段を立てる文。未だに撮影を諦めていないことは果たして褒めるべきなのだろうか?
「は、はい。逃げましょう逃げましょう。大天狗様も「射命丸文はこの場を離れ、対象を山の外へ誘導するように」と仰ってます」
「……ちょっと待って下さい。本当にそう言ったんですか?」
「……ええ、本当にそう言ったんです」
幻想郷の天狗という種族は自らの住まう山を荒らされることを極度に嫌う。故に下手に踏み込んで来たものには必ず制裁が加えられる(一部例外もいるが)。これは妖怪の山の天狗の沽券と言ってもいい。それを放棄し相手を避けることを優先するということはまともに当たれば天狗、ひいては山の妖怪全てに相応の被害がでかねないと上が判断したということになる。
(そんなの紫さんや萃香さんクラスの方でないと……そんなのが私を狙っている?)
ゾクリ、と椛が駆け込んできてから初めて本物の恐怖が文の背筋を走る。
「椛、私は今すぐこの場を離れるわ。貴方もこの場からすぐに離れなさい。ただし……」
バサリ、と烏天狗の羽根を広げ文は軽く足を伸ばし準備運動を始める。その口調も怪獣の写真を撮るという事を諦めたことを示すように普段どおりのものに戻っている。
「私とは逆方向に、ね」
そう言って準備運動を終え、文は椛に背を向ける。
「なっ……私もお供を「"全力"で飛ぶ。残念だけど貴方ではついてこれないわ」……ッそう、ですね。解りました」
射命丸 文。伝統の幻想ブン屋と呼ばれ自身もまたその呼び名に誇りを持っているが、彼女が誇りとする呼び名は他にもある、すなわち『幻想郷最速』と、本当に最速か否かは正確に計測したわけではないので定かではないが……逆に言えば間怠っこしい計測など行うまでもなく最速と言われる程速いということであり、速さに定評のある烏天狗の中でもそのスピードは群を抜いている。その文に白狼天狗の中でも並の足しか持たない椛がついて行けるはずがなかった。
「それでは……文様。せめてこれを……」
そう言って椛は懐からお守りを取り出す。
「これは……守矢神社の?」
「はい。その……あそこの風祝とは親しくさせて貰っていまして。なんでも、あそこの三神全員が特別に力を込めた物らしいです」
「それは……御利益満点ね。借りておくわ」
その白蛇と蛙の絵が緑の下地に映えるお守りを文は懐に収める。
「あの……文様。それは特別な物なので……必ず、必ず返してくださいね」
文の手を握り、それこそ神に縋るように椛はそう繰り返す。その言葉がお守りより文の安否を祈るものであることは文にも容易に察せられた。
「ええ、必ず返すわ」
文はそんな椛に一つしっかりと頷きを返し、窓に向き直りバサリと羽を一度羽ばたかせる。
「御武運を」
椛の声に今度は振り返らず、文は飛び立とうと……
「伝令!!奴が救援に来て下さった八坂様を撃破し、こちらに向かっています!!逃げるのならお早く……なっ、こいつ何時の間に!?……い、いやだ!やめろ!離せ!離せぇぇええええ!!」
伝令として駆けてきた椛の同僚である白狼天狗が衝撃の報告をぶちまける。そして、その直後ぬぅ、と横合いから伸びてきた手に頭を鷲掴みにされ開いている障子の前から引きずられ文と椛の視界からフェードアウトする。そして……
「ぎゃあああああああああ!!」
響き渡る断末魔。文も、椛も微動だに出来ずにその場で固まる。なにせ……
「八坂様が……やられた?」
八坂 神奈子。言わずと知れた山坂と湖の権化の神霊である。『外』では信仰を失い弱体化してしまっていたが、幻想郷に来てからはその力を盛り返し間違いなく幻想郷でもトップクラスの力を持つようになった彼女がやられたのだ。山の妖怪としてその力を知る文と椛が固まってしまうのも無理はない。そして……その固まってしまった一瞬が結果として命取りになった。
「グルルル……しゃぁめぇいぃまぁるぅ」
ゆぅらり、とそれは姿を表した。黒い獣毛に覆われた体を白の浴衣で包んだ人狼のような怪獣。九つの尻尾を炎のように揺らめかせガチガチと牙を鳴らし、目から赤光を放ちギロリと文を睨みつける。
「ひ、ひぃ……」
まともにその眼光を浴びてしまい、文はその場で身を竦ませる。数多の強力な妖怪に果敢な突撃取材を仕掛けてきた文が、である。
「みぃ~つぅ~けぇ~たぁぁぁ……」
文を視界に捉えた怪獣がノシノシと文に迫る。文は必死で逃げようとするが……
(こ、腰が抜けて動けない……)
その場から一歩も動けない。どうにか翼を動かして飛ぼうとするがその翼もプルプル震えるだけに終わる。
「も、椛助けて……」
そして戦慄く声で生真面目な白狼天狗に救援要請を出すが……
(き、気絶してる……)
文が藁にも縋る思いで伸ばした手の先には睨まれただけで意識を飛ばした椛がいやに幸せそうな顔で「おじいちゃ~ん、私も混ぜて~。え?こっちくんな?そんな~川のほとりで小町さんとバーベキューなんて楽しげなことしてるのに私ハブらないで~」などと妙な寝言をのたまっている。……どうやら気絶どころか昇天寸前らしい。
「だ、誰か、誰か助けて……」
腰を抜かしながらもどうにか這いずって動くことに成功した文が助けを求め、今度は窓の方に手を伸ばす。が……
グワシッ!!
先程、伝令に来た天狗のように頭を鷲掴みにされ、ギリギリと無理やり怪獣の方を振り向かされる。
「い、いや」
ゆっくり、ゆっくりと文の目線が怪獣のそれと重なっていき……
「いやぁぁああああ!!……ガクッ」
怪獣の目を覗き込んでしまった瞬間、椛と同じように意識を失い……椛から借りたお守りが、ポトリと椿の花のように地に落ちた。
……私、射命丸文は誰かに狙われています。
なぜ、誰に狙われているかは解りません。
どうしてこんなことになったのか、私には解りません。
これを貴方が読んだ時、恐らく全てのことはすでに終わってしまっているでしょう。
……これを読んだ貴方、どうか真相を暴いてください。
それだけが私の望みです。
射命丸 文
……カナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナ
美少女名探偵ゆかりんの事件簿ファイルEXTRA 八雲藍スッパテンコー事件~真実はスキマの底に~ 前編 了。……後編に続く。