いつものように霊夢は境内を掃除していた。
掃除と言っても冬になったせいか落ち葉も殆ど見当たらない。
とは言ったものの、冬は落ち葉の代わりに雪を片付けなければならないので気はあまり楽ではない。
雪の重さを思い出し霊夢は溜息をついた。
「やあやあ、霊夢さんこんにちは」
これまたいつものように気安い声がかけられる。
空から舞い降りた文はニコニコとした笑顔を貼り付けていた。
その笑顔にどこか違和感を覚えながらも霊夢は応える。
「いらっしゃい。今日はどうかしたの?」
霊夢は掃除の手を休めると文と向かい合う。
文は、あったらよかったんですけどね、と苦笑しながら言う。
「いや、特に。霊夢さんの顔が見たかっただけですよ」
「ふーん」
茶化すような答えを返す文の顔をじっと霊夢は見つめる。
浮かべた笑みには普段よりも力が抜けたように見える。
心なしか疲れた表情をしている気がする。
「あんた、怠そうだけど大丈夫なの?」
「なんでもないですよ、これでも誇り高い天狗なんですから」
そう言って、文は偉そうに胸を張る。
やっぱり、無理してる。
他のものが見ればいつも通りにおちゃらけていている射命丸文だろう。
しかし、霊夢には無理をしているようにしか見えなかった。
「お茶でも飲んでいく? 美味しい饅頭があるんだけど」
「いや、今日は遠慮しておきますよ」
「……そう」
やはりおかしい。
いつものようにお茶と菓子を散々飲み食いした挙句、夕飯まで食べていくような図々しさがない。
「文」
「なんですかって痛っ!」
文は呼びかけと共に投げつけられたお札を避けることも出来ず、尻餅をつく。
「いきなりなにするんですか!」
「あんたなら避けれると思ったんだけどね、いつもの文なら」
冷静に反論する霊夢に、声を荒らげていた文は一転して押し黙る。
「それに、それくらいのお札で倒れるなんてあんたらしくもない」
投げたお札に込められた霊力は弾幕ごっこにつかう半分以下だった。
それで尻餅をつくということはかなり消耗している証拠だ。
「風邪でも引いたんじゃないの? なんだか怠そうだし」
霊夢はしゃがみ込み、文と視線をあわせる。
じっと見つめられた文は視線に耐え切れず逸らす。
「熱もあるみたいよ」
「う……」
おでこに手を当て、熱を確かめる。
手のひらごしに感じる体温は普段よりも熱く感じられた。
何故文の平温を知っているのかといえば、べたべた引っ付いてくるからいやでも覚えてしまったのだ。
「大丈夫ですって、なんでもないですよ」
「そんな状態で何言ってるのよ」
「これくらいチャラヘッチャラですよ」
「頭は空っぽみたいだけどね」
言いつつ、霊夢は人差し指で文のおでこを弾く。
「あいたっ」
涙目で文が睨んでくるが無視して続ける。
「あんた、誰かに甘えたかったんじゃないの?」
「そんなわけ……」
ないです、という言葉は続けられなかった。
霊夢は真剣なまなざしで文を見る。
「じゃなかったらどうしてここに来たのよ。来なきゃわからなかったのに」
「それは……」
霊夢の顔が見たかっただけ。
それは嘘ではないが、本当でもない。
一人で寝伏せているとどうしようもない寂しさに襲われた。
自分が世界で一人ぼっちのような、生きているのは自分だけ。
もちろん、そんなことはありえない。
しかし、弱った体はそのイメージを振り払えなかった。否定してくれる者もいなかった。
泥のように絡みついたそれはどこまで脳を蝕む。
体が勝手に震えて、なんてことのないことで涙がこぼれそうになる。
自分が情け無いと思った。
自分は天狗で、人間とは比べものにならないくらいに強靭な生き物だ。
その天狗が今は布団に潜り込んでただ震えている。
なんて情けない。これではまるで人間だ。
自己嫌悪は留まることを知らず、気分はどん底まで落ちていった。
その暗闇に光明を差したのが霊夢だった。
彼女に会いたい。
そうすれば、いつもの自分でいられる。
子どもじみた一方的な感情は留まることを知らず、気がつけば神社へと向かっていた。
そこで彼女と会話して、寂しさを忘れようとした。
「……ごめんなさい」
だけど、それは無理みたいだ。
「……寂しいです。霊夢さんと一緒に居たいです。甘えたいです……!」
会話して、それで満足しようと思ったのに。
そこで終わりだと考えると、余計に胸が締め付けられた。
感情は涙となって勝手に溢れ出る。
ぬぐってもぬぐっても、溢れ続けた。
「今日は特別よ、感謝しなさい」
霊夢は子どものように泣きじゃくる文を抱きとめる。
胸の中で嗚咽を漏らす彼女は、天狗ではなく、か弱い一人の少女だった。
少女の髪を霊夢は安心させるように優しく撫でてやる。
「ほら、歩ける? 大人しく布団で寝なさいな」
文は弱々しくも首を縦に振り、肯定を示す。
霊夢は彼女の手を握り、転ばないように気をつけながら母屋まで連れて行った。
文の病気はただの風邪のようだった。幸い熱はあまり高くない。
しかし、人間よりも頑丈な妖怪が風邪になるということは、人間のそれよりも辛いのだろうか。
霊夢はそんなことを考えながら台所を漁る。確かリンゴがあったはずなのだが。
「っと、あったあった」
ダンボールからリンゴを一つ取り出し、ついでに白ワインも見つける。
ただのリンゴだと体が冷えてしまうだろうし、折角ワインも見つけたことだ。蒸しリンゴでもつくろうか。
霊夢は包丁を取り出すと、リンゴを一口大に切っていく。
皮には栄養があるので全部は切らない。8割ほど残しておく。
大雑把に切りそろえられたそれを、皿に移し変えると砂糖大さじ一杯とレモン汁、白ワインを加え混ぜる。
後は蓋をするように皿を重ねて電子レンジで2,3分加熱するだけだ。
「よしっ」
この電子レンジは紫がくれたものだが、理屈はよくわからない。
水の分子が摩擦でどうこう言っていたような気はするが、理屈はわからなくても使えるというのが外の世界の道具というものらしい。
それならば、使えるものは使う。それが霊夢の考えだった。
「後は……氷嚢でもつくってやろうかしら」
熱はそこまであるわけではなさそうだが、雰囲気というのも重要だ。
看病されている、と思えば気も楽になるものだ。
適当な袋に水と氷を詰める。
これくらいで十分か。
水を止めると同時に、加熱が終わったことを知らせるアラームが鳴った。
「あちち」
火傷しないように気をつけて取り出し、蓋を取る。
ふわりと、レモンの爽やかな匂いと甘いリンゴの香りが湯気と共に漏れた。
霊夢は一片を口に運び出来を確かめる。
「ふむ……いい感じ」
柔らかくなったリンゴは甘いだけでなくすっきりとした味わいを口に残す。
少し入れたワインもほんのりと香り、アクセントを加える。
「後はシナモンをかけて、っと」
こんなものか。
霊夢は出来上がったそれを見て満足そうに頷く。
氷嚢とそれをお盆に乗せると、文を寝かせている自室に歩を進めた。
霊夢の部屋にはあまり物が置かれてない。
小さなタンスに文机、積み重なった何冊かの本に姿見。場違いなように転がる毛玉。
それくらいのものしかなかった。
「調子はどう?」
「はい、悪くないです」
布団に伏せた文は怠そうながらも上半身を起こす。
疲れた様子ではあるが先程よりは表情も明るくなっていた。
「ん、よかった」
安心したように霊夢は言うと文の隣に座る。
「……あー、その、さっきはお恥ずかしいところをお見せしました」
文は気まずそうに頬を掻きながら言う。
まあ、あんな自分の姿は誰にも見られたくはないだろう。
「別に気にしなくていいんじゃない? まあ、珍しかったけどね」
「いやー、言い訳させてもらうとですね……妖怪は肉体よりも精神のダメージのほうが致命的だってことは知ってますよね」
「ええ」
妖怪は人間よりも強靭な肉体を持つが、精神的な強度で言えば人間とは変わらない。
むしろ、精神が弱るということは人間以上に肉体に影響を及ぼす。
逆もまたしかり。
「それでちょっと……あんなこと言って……」
言って思い出したのか、顔を赤面させ俯く文。
「誰だって甘えたくなるときはあるわよ。意地をはるのも悪いとは言わないけどね」
「そうでしょうか……」
「そうそう。だから今日はおとなしく看病されなさい」
「……はい」
さてと。納得したところで。
「ほら、あーん」
文は目の前に差し出されたリンゴを見て、次に霊夢を見る。
そして、強張った笑顔で訊ねた。
「……何をしているのか私にはよくわからないです」
「風邪を引いたときはこうするものじゃないの?」
「誰が言ってたんですか?」
大体予想は付くが一応訊いてみる。
「紫。昔こうしてもらったんだけど」
不思議そうに首を傾げる霊夢に悪意は見られない。
どうやら本気でそう思っているようだった。
文は差し出されたリンゴを前に考える。
悪意がある方がまだ良かった。
せっかく看病してもらっているのに断るというのも彼女に悪い。
しかし、さすがにこれは恥ずかしいのだが……一体どうすればいいのだろうか。
「えっと、その……う……」
文は決断することも出来ず唸り続けることしかできない。
風邪とは別の理由で体温があがる。背中に嫌な汗が溜まり始める。
どうしよう……。
「ああもう、さっさと食べる」
固まったままの文に焦れったくなったのか、霊夢は彼女の口にリンゴを突っ込んだ。
「んぐっ」
急に押し込まれたことに驚きながらもなんとか咀嚼する。
甘いだけではなく、レモンとワインの風味がしっかりと染み込んだリンゴは冷えた体を温めくれた。
文は食べ終えると軽く息を吐いた。
「ん、美味しいです。霊夢さんこういうのも作れたんですね」
「まあ、これくらいならね」
「っと、その……」
「はいはい。わかってるわよ」
皿に向けられた視線を催促だと解釈したのか、霊夢はもう一度リンゴを差し出す。
「え、いや」
恥ずかしいから自分で食べる。
そう言おうとしたのだがそれは叶わなかった。
「ほら、早くしなさいな」
「うう……」
文は雛鳥のような気分で差し出されたリンゴを口に運ぶ。
嬉しいことは嬉しいのだが、やはり照れくさい。献身的な彼女というのも新鮮で悪くないけれど。
咀嚼しながらそんなことを考えた。
「汗かいてない? 拭いてあげるけど」
むせた。
「げほっ、だ、大丈夫です! ごほっ、自分でやります!」
そこまで献身的にされるのはさすがに遠慮する。
「そう? 遠慮しなくてもいいのに」
少し残念そうに霊夢は言うと、自分の口にもリンゴを運ぶ。
美味しそうにリンゴを頬張る彼女の目は普段よりも緩んでいた。
リンゴが美味しかった。ただそれだけの理由ではないだろう。
どことなく冷たさを感じさせる彼女がはっきりとした厚意を向けるのは初めてのことだった。
どうして今日の彼女はやさしいのだろうか。
疑問は自然と口から漏れる。
「霊夢さん、いつもよりやさしくないですか」
「そうかしら」
「そうですよ。いつもならあんな事しないじゃないですか」
「あんな事って?」
「いや……その……『あーん』なんて……」
羞恥心から後半は俯き小声にならざるを得なかった。
「病人にまで冷たくする趣味はないわよ」
霊夢は苦笑して言う。
「あんたは元気なほうがらしいから。しおらしいのは似合わないわ」
「なら普段はどうして冷たいんですか?」
普段のやりとりを文は思い出す。
『新聞一部どうですか』『いらない』
『膝枕してください』『断る』
『泊まってもいいですか』『帰れ』
「それはあんたが悪いんじゃない?」
「う……」
「ま、それはいいとして」
霊夢はリンゴを食べる手を止めて言う。
「誰だって病気の時は心細いものよ。そんな時に誰かが隣にいてくれれば嬉しい。人間も妖怪もね」
「それは誰にでも?」
「そうね、魔理沙や紫でもそうするでしょうね。だから文にも早く元気になってほしい」
「それならずっと風邪を引いていたいです」
「その調子ならすぐにでも治るわよ」
おどけたふうに言う文に霊夢は呆れたように返す。
そして、お互いの顔をみて笑いあう。
「食べ終わったら薬のんで寝なさい」
「はい」
文は器を受け取り安堵の息を吐く。
やっと落ち着いて食べられる。ちょっとだけ惜しい気もするが。
「っと、そうだ。思い出した」
「ん、なんですか?」
「あんたに渡すものがあったんだ。どさくさで忘れてたわ」
そう言うと霊夢は立ち上がり、タンスの中からなにかを取り出す。
「それは?」
「見ての通りよ」
毛糸で編まれた長い一枚の布。
冬には欠かせない防寒具の一つ、マフラーだった。
「よっと。こんな感じでいいのかしら」
「これって私のですか?」
「そりゃそうよ」
何をあたり前のことと言わんばかりの口調と共にマフラーは首に巻かれていく。
慣れていない手つきだったせいで首が苦しいが、それよりも嬉しさが勝った。
彼女から受け取るのは弾幕以外初めてだったから。
「へえ、結構上手ですね」
「そう言ってもらえると嬉しいわ。初めてだったから不安だったんだけど」
「あはは……これは練習ってことですか?」
「いや、それしか作ってないわよ」
「えっ?」
私の分だけ?
それはつまり……。
「あんた寒そうな格好してるから風邪引くじゃないかと思って。まあ、少し遅かったみたいだけど」
「なんだ……」
文は思わず溜息が漏れてしまう。
そしてそんな自分に自己嫌悪してしまう。
一体何を期待してたんだ。余計な希望は持つものではない。
彼女は自分をなんとも思っていないのだろうから。
「……それだけじゃないけどね」
意気消沈した文を見て、思うところがあったのか霊夢は独り言のように喋り始める。
「私は口ではキツいこと言ってるけど、文が来てくれるのは結構楽しみなの」
「……え?」
文は驚いたように顔を上げて霊夢をみる。
彼女は一度文は見るとそっぽを向いてしまう。が、赤くなった耳は隠しきれていなかった。
「やっぱり、一緒に御飯食べてくれる人がいるのは嬉しいし……美味しいって言ってくれるのもね」
だけど、誰にでも平等であろうとするとあまりベタベタするわけにもいかない。
それでも、感謝の気持ちは伝えたかった。
「だから、その、マフラー作ってやったら喜ぶかと思ったんだけど……失敗だったかしらね」
「霊夢さん……」
「あー……つまり……文のために作ったんだから、素直に喜びなさい」
それだけで十分だった。
『文のため』
どんな言葉よりも胸に響いて染み渡る。
今まで望んでも聞けなかった言葉。
ああ、本当に風邪をひくと良くない。また泣いてしまう。
あふれた感情は頬をつたって流れ落ちる。
けど、冷たくはなかった。暖かい涙だった。
彼女の気持ちに応えるためにぎこちないながらも笑う。
うまく笑えたかはわからないけど、彼女はしっかりと微笑んでくれた。
「……大事にしなさいよ」
「はいっ……!」
彼女も私を想っていてくれる。
こんなに嬉しいことはない。
「あの……このマフラー、イニシャルが『S.A』になってるんですが……」
「あれ?」
掃除と言っても冬になったせいか落ち葉も殆ど見当たらない。
とは言ったものの、冬は落ち葉の代わりに雪を片付けなければならないので気はあまり楽ではない。
雪の重さを思い出し霊夢は溜息をついた。
「やあやあ、霊夢さんこんにちは」
これまたいつものように気安い声がかけられる。
空から舞い降りた文はニコニコとした笑顔を貼り付けていた。
その笑顔にどこか違和感を覚えながらも霊夢は応える。
「いらっしゃい。今日はどうかしたの?」
霊夢は掃除の手を休めると文と向かい合う。
文は、あったらよかったんですけどね、と苦笑しながら言う。
「いや、特に。霊夢さんの顔が見たかっただけですよ」
「ふーん」
茶化すような答えを返す文の顔をじっと霊夢は見つめる。
浮かべた笑みには普段よりも力が抜けたように見える。
心なしか疲れた表情をしている気がする。
「あんた、怠そうだけど大丈夫なの?」
「なんでもないですよ、これでも誇り高い天狗なんですから」
そう言って、文は偉そうに胸を張る。
やっぱり、無理してる。
他のものが見ればいつも通りにおちゃらけていている射命丸文だろう。
しかし、霊夢には無理をしているようにしか見えなかった。
「お茶でも飲んでいく? 美味しい饅頭があるんだけど」
「いや、今日は遠慮しておきますよ」
「……そう」
やはりおかしい。
いつものようにお茶と菓子を散々飲み食いした挙句、夕飯まで食べていくような図々しさがない。
「文」
「なんですかって痛っ!」
文は呼びかけと共に投げつけられたお札を避けることも出来ず、尻餅をつく。
「いきなりなにするんですか!」
「あんたなら避けれると思ったんだけどね、いつもの文なら」
冷静に反論する霊夢に、声を荒らげていた文は一転して押し黙る。
「それに、それくらいのお札で倒れるなんてあんたらしくもない」
投げたお札に込められた霊力は弾幕ごっこにつかう半分以下だった。
それで尻餅をつくということはかなり消耗している証拠だ。
「風邪でも引いたんじゃないの? なんだか怠そうだし」
霊夢はしゃがみ込み、文と視線をあわせる。
じっと見つめられた文は視線に耐え切れず逸らす。
「熱もあるみたいよ」
「う……」
おでこに手を当て、熱を確かめる。
手のひらごしに感じる体温は普段よりも熱く感じられた。
何故文の平温を知っているのかといえば、べたべた引っ付いてくるからいやでも覚えてしまったのだ。
「大丈夫ですって、なんでもないですよ」
「そんな状態で何言ってるのよ」
「これくらいチャラヘッチャラですよ」
「頭は空っぽみたいだけどね」
言いつつ、霊夢は人差し指で文のおでこを弾く。
「あいたっ」
涙目で文が睨んでくるが無視して続ける。
「あんた、誰かに甘えたかったんじゃないの?」
「そんなわけ……」
ないです、という言葉は続けられなかった。
霊夢は真剣なまなざしで文を見る。
「じゃなかったらどうしてここに来たのよ。来なきゃわからなかったのに」
「それは……」
霊夢の顔が見たかっただけ。
それは嘘ではないが、本当でもない。
一人で寝伏せているとどうしようもない寂しさに襲われた。
自分が世界で一人ぼっちのような、生きているのは自分だけ。
もちろん、そんなことはありえない。
しかし、弱った体はそのイメージを振り払えなかった。否定してくれる者もいなかった。
泥のように絡みついたそれはどこまで脳を蝕む。
体が勝手に震えて、なんてことのないことで涙がこぼれそうになる。
自分が情け無いと思った。
自分は天狗で、人間とは比べものにならないくらいに強靭な生き物だ。
その天狗が今は布団に潜り込んでただ震えている。
なんて情けない。これではまるで人間だ。
自己嫌悪は留まることを知らず、気分はどん底まで落ちていった。
その暗闇に光明を差したのが霊夢だった。
彼女に会いたい。
そうすれば、いつもの自分でいられる。
子どもじみた一方的な感情は留まることを知らず、気がつけば神社へと向かっていた。
そこで彼女と会話して、寂しさを忘れようとした。
「……ごめんなさい」
だけど、それは無理みたいだ。
「……寂しいです。霊夢さんと一緒に居たいです。甘えたいです……!」
会話して、それで満足しようと思ったのに。
そこで終わりだと考えると、余計に胸が締め付けられた。
感情は涙となって勝手に溢れ出る。
ぬぐってもぬぐっても、溢れ続けた。
「今日は特別よ、感謝しなさい」
霊夢は子どものように泣きじゃくる文を抱きとめる。
胸の中で嗚咽を漏らす彼女は、天狗ではなく、か弱い一人の少女だった。
少女の髪を霊夢は安心させるように優しく撫でてやる。
「ほら、歩ける? 大人しく布団で寝なさいな」
文は弱々しくも首を縦に振り、肯定を示す。
霊夢は彼女の手を握り、転ばないように気をつけながら母屋まで連れて行った。
文の病気はただの風邪のようだった。幸い熱はあまり高くない。
しかし、人間よりも頑丈な妖怪が風邪になるということは、人間のそれよりも辛いのだろうか。
霊夢はそんなことを考えながら台所を漁る。確かリンゴがあったはずなのだが。
「っと、あったあった」
ダンボールからリンゴを一つ取り出し、ついでに白ワインも見つける。
ただのリンゴだと体が冷えてしまうだろうし、折角ワインも見つけたことだ。蒸しリンゴでもつくろうか。
霊夢は包丁を取り出すと、リンゴを一口大に切っていく。
皮には栄養があるので全部は切らない。8割ほど残しておく。
大雑把に切りそろえられたそれを、皿に移し変えると砂糖大さじ一杯とレモン汁、白ワインを加え混ぜる。
後は蓋をするように皿を重ねて電子レンジで2,3分加熱するだけだ。
「よしっ」
この電子レンジは紫がくれたものだが、理屈はよくわからない。
水の分子が摩擦でどうこう言っていたような気はするが、理屈はわからなくても使えるというのが外の世界の道具というものらしい。
それならば、使えるものは使う。それが霊夢の考えだった。
「後は……氷嚢でもつくってやろうかしら」
熱はそこまであるわけではなさそうだが、雰囲気というのも重要だ。
看病されている、と思えば気も楽になるものだ。
適当な袋に水と氷を詰める。
これくらいで十分か。
水を止めると同時に、加熱が終わったことを知らせるアラームが鳴った。
「あちち」
火傷しないように気をつけて取り出し、蓋を取る。
ふわりと、レモンの爽やかな匂いと甘いリンゴの香りが湯気と共に漏れた。
霊夢は一片を口に運び出来を確かめる。
「ふむ……いい感じ」
柔らかくなったリンゴは甘いだけでなくすっきりとした味わいを口に残す。
少し入れたワインもほんのりと香り、アクセントを加える。
「後はシナモンをかけて、っと」
こんなものか。
霊夢は出来上がったそれを見て満足そうに頷く。
氷嚢とそれをお盆に乗せると、文を寝かせている自室に歩を進めた。
霊夢の部屋にはあまり物が置かれてない。
小さなタンスに文机、積み重なった何冊かの本に姿見。場違いなように転がる毛玉。
それくらいのものしかなかった。
「調子はどう?」
「はい、悪くないです」
布団に伏せた文は怠そうながらも上半身を起こす。
疲れた様子ではあるが先程よりは表情も明るくなっていた。
「ん、よかった」
安心したように霊夢は言うと文の隣に座る。
「……あー、その、さっきはお恥ずかしいところをお見せしました」
文は気まずそうに頬を掻きながら言う。
まあ、あんな自分の姿は誰にも見られたくはないだろう。
「別に気にしなくていいんじゃない? まあ、珍しかったけどね」
「いやー、言い訳させてもらうとですね……妖怪は肉体よりも精神のダメージのほうが致命的だってことは知ってますよね」
「ええ」
妖怪は人間よりも強靭な肉体を持つが、精神的な強度で言えば人間とは変わらない。
むしろ、精神が弱るということは人間以上に肉体に影響を及ぼす。
逆もまたしかり。
「それでちょっと……あんなこと言って……」
言って思い出したのか、顔を赤面させ俯く文。
「誰だって甘えたくなるときはあるわよ。意地をはるのも悪いとは言わないけどね」
「そうでしょうか……」
「そうそう。だから今日はおとなしく看病されなさい」
「……はい」
さてと。納得したところで。
「ほら、あーん」
文は目の前に差し出されたリンゴを見て、次に霊夢を見る。
そして、強張った笑顔で訊ねた。
「……何をしているのか私にはよくわからないです」
「風邪を引いたときはこうするものじゃないの?」
「誰が言ってたんですか?」
大体予想は付くが一応訊いてみる。
「紫。昔こうしてもらったんだけど」
不思議そうに首を傾げる霊夢に悪意は見られない。
どうやら本気でそう思っているようだった。
文は差し出されたリンゴを前に考える。
悪意がある方がまだ良かった。
せっかく看病してもらっているのに断るというのも彼女に悪い。
しかし、さすがにこれは恥ずかしいのだが……一体どうすればいいのだろうか。
「えっと、その……う……」
文は決断することも出来ず唸り続けることしかできない。
風邪とは別の理由で体温があがる。背中に嫌な汗が溜まり始める。
どうしよう……。
「ああもう、さっさと食べる」
固まったままの文に焦れったくなったのか、霊夢は彼女の口にリンゴを突っ込んだ。
「んぐっ」
急に押し込まれたことに驚きながらもなんとか咀嚼する。
甘いだけではなく、レモンとワインの風味がしっかりと染み込んだリンゴは冷えた体を温めくれた。
文は食べ終えると軽く息を吐いた。
「ん、美味しいです。霊夢さんこういうのも作れたんですね」
「まあ、これくらいならね」
「っと、その……」
「はいはい。わかってるわよ」
皿に向けられた視線を催促だと解釈したのか、霊夢はもう一度リンゴを差し出す。
「え、いや」
恥ずかしいから自分で食べる。
そう言おうとしたのだがそれは叶わなかった。
「ほら、早くしなさいな」
「うう……」
文は雛鳥のような気分で差し出されたリンゴを口に運ぶ。
嬉しいことは嬉しいのだが、やはり照れくさい。献身的な彼女というのも新鮮で悪くないけれど。
咀嚼しながらそんなことを考えた。
「汗かいてない? 拭いてあげるけど」
むせた。
「げほっ、だ、大丈夫です! ごほっ、自分でやります!」
そこまで献身的にされるのはさすがに遠慮する。
「そう? 遠慮しなくてもいいのに」
少し残念そうに霊夢は言うと、自分の口にもリンゴを運ぶ。
美味しそうにリンゴを頬張る彼女の目は普段よりも緩んでいた。
リンゴが美味しかった。ただそれだけの理由ではないだろう。
どことなく冷たさを感じさせる彼女がはっきりとした厚意を向けるのは初めてのことだった。
どうして今日の彼女はやさしいのだろうか。
疑問は自然と口から漏れる。
「霊夢さん、いつもよりやさしくないですか」
「そうかしら」
「そうですよ。いつもならあんな事しないじゃないですか」
「あんな事って?」
「いや……その……『あーん』なんて……」
羞恥心から後半は俯き小声にならざるを得なかった。
「病人にまで冷たくする趣味はないわよ」
霊夢は苦笑して言う。
「あんたは元気なほうがらしいから。しおらしいのは似合わないわ」
「なら普段はどうして冷たいんですか?」
普段のやりとりを文は思い出す。
『新聞一部どうですか』『いらない』
『膝枕してください』『断る』
『泊まってもいいですか』『帰れ』
「それはあんたが悪いんじゃない?」
「う……」
「ま、それはいいとして」
霊夢はリンゴを食べる手を止めて言う。
「誰だって病気の時は心細いものよ。そんな時に誰かが隣にいてくれれば嬉しい。人間も妖怪もね」
「それは誰にでも?」
「そうね、魔理沙や紫でもそうするでしょうね。だから文にも早く元気になってほしい」
「それならずっと風邪を引いていたいです」
「その調子ならすぐにでも治るわよ」
おどけたふうに言う文に霊夢は呆れたように返す。
そして、お互いの顔をみて笑いあう。
「食べ終わったら薬のんで寝なさい」
「はい」
文は器を受け取り安堵の息を吐く。
やっと落ち着いて食べられる。ちょっとだけ惜しい気もするが。
「っと、そうだ。思い出した」
「ん、なんですか?」
「あんたに渡すものがあったんだ。どさくさで忘れてたわ」
そう言うと霊夢は立ち上がり、タンスの中からなにかを取り出す。
「それは?」
「見ての通りよ」
毛糸で編まれた長い一枚の布。
冬には欠かせない防寒具の一つ、マフラーだった。
「よっと。こんな感じでいいのかしら」
「これって私のですか?」
「そりゃそうよ」
何をあたり前のことと言わんばかりの口調と共にマフラーは首に巻かれていく。
慣れていない手つきだったせいで首が苦しいが、それよりも嬉しさが勝った。
彼女から受け取るのは弾幕以外初めてだったから。
「へえ、結構上手ですね」
「そう言ってもらえると嬉しいわ。初めてだったから不安だったんだけど」
「あはは……これは練習ってことですか?」
「いや、それしか作ってないわよ」
「えっ?」
私の分だけ?
それはつまり……。
「あんた寒そうな格好してるから風邪引くじゃないかと思って。まあ、少し遅かったみたいだけど」
「なんだ……」
文は思わず溜息が漏れてしまう。
そしてそんな自分に自己嫌悪してしまう。
一体何を期待してたんだ。余計な希望は持つものではない。
彼女は自分をなんとも思っていないのだろうから。
「……それだけじゃないけどね」
意気消沈した文を見て、思うところがあったのか霊夢は独り言のように喋り始める。
「私は口ではキツいこと言ってるけど、文が来てくれるのは結構楽しみなの」
「……え?」
文は驚いたように顔を上げて霊夢をみる。
彼女は一度文は見るとそっぽを向いてしまう。が、赤くなった耳は隠しきれていなかった。
「やっぱり、一緒に御飯食べてくれる人がいるのは嬉しいし……美味しいって言ってくれるのもね」
だけど、誰にでも平等であろうとするとあまりベタベタするわけにもいかない。
それでも、感謝の気持ちは伝えたかった。
「だから、その、マフラー作ってやったら喜ぶかと思ったんだけど……失敗だったかしらね」
「霊夢さん……」
「あー……つまり……文のために作ったんだから、素直に喜びなさい」
それだけで十分だった。
『文のため』
どんな言葉よりも胸に響いて染み渡る。
今まで望んでも聞けなかった言葉。
ああ、本当に風邪をひくと良くない。また泣いてしまう。
あふれた感情は頬をつたって流れ落ちる。
けど、冷たくはなかった。暖かい涙だった。
彼女の気持ちに応えるためにぎこちないながらも笑う。
うまく笑えたかはわからないけど、彼女はしっかりと微笑んでくれた。
「……大事にしなさいよ」
「はいっ……!」
彼女も私を想っていてくれる。
こんなに嬉しいことはない。
「あの……このマフラー、イニシャルが『S.A』になってるんですが……」
「あれ?」
ニヤニヤさせていただきました。
私はあやれいむを大事にしていきたいと思います。
でれいむと弱気あややごちそうさまでした、良かったです