ナズーリンは追い詰められていた。
彼女の本拠地である命蓮寺の中にありながら、その一身に敵意を受け眉間にしわを寄せる。彼女の計算は完璧だったはずなのに。
「来週、妖獣に近い姿をした者たちを集めて、交流会を行いたいんだが」
聖にそうやって相談したのは単なる口実。
ナズーリンは星が最近チーズ料理に凝っているという情報を事前に収集していた。しかも大人数向けのデザートを作れないかと、聖に相談している現場も目撃している。
これは、是非賞味するしかないと瞳を闘志に宿らせ、大人数という条件をクリアするために一策打ったというわけである。
「偉いですね、ナズーリンはそこまで考えていたとは」
「はは、当然だよご主人」
主に、自分の好物のことを。
「命蓮寺からの参加者は私とナズーリン、ですかね。ぬえにも声をかけてみたいところですが、いたずらが怖いですから一回目は遠慮してもらいましょうか。ところで議題はもう決めたのですか?」
「お互い知る必要があるからね、自己紹介の後は世間話を通して各拠点の苦労する点や利便性を尋ねていく中で交流を深めるつもりだよ。耳や尻尾、翼を持つものが集まってお茶請けをつまみながらね」
そこで、大人数向けのデザートの登場だ。
「そうですかでは料理は私にまかせてください。皆さんが満足できる一品を仕上げて見せましょう!」
ナズーリンと並んで廊下を歩きつつ腕をまくり、握り拳を高く掲げる星。
それを見上げる知将は、すべてが万全であることを確信していたのだが……
当日になって、予期せぬ事態が発生した。
招待した客人が集まらなかった?
いや、それは違う。
急ぎの知らせではあったが、興味深いと賛同も多く得た。
現にこの大広間には、
永遠亭からは、妖怪兎のてゐと鈴仙。
八雲家からは、もふもふの代名詞である八雲藍と橙。
妖怪の山からは、犬猿の仲との噂もある犬走椛と射命丸文、
地霊殿からは、ペット代表として火焔猫燐と霊烏路 空。
そして、紅魔館と冥界の特別枠では
「……命令ですから」
何故か揃って、犬耳と犬尻尾をつけた十六夜咲夜と魂魄妖夢がやってきた。
招待状に耳や尻尾という記述があったせいで、おもしろがった主に装着させられたらしい。メイド服の上からそれを見につけた咲夜は、まるでそれが普段着のように落ち着いていたが、妖夢は顔から火を出すんじゃないかと心配してしまうほど、肌を真っ赤に染めて俯きっぱなしだ。
耳の色からして、堂々とおすわりを続けるドーベルマンと、縮こまった柴犬と言ったところか。
だが、さっきも言ったとおり、それが大きな問題というわけではない。
個人の趣味趣向など、気にするだけ損というものだ。
上座で正座していたナズーリンは、重苦しい空気の中で周囲を見渡す。時計回りに永遠亭、八雲、妖怪の山、地霊殿、紅魔館冥界連合、と合計12名が円形に配置された中。
そっと、視線を下に向けた。
そこには両手で簡単に抱えられるほどの膳が置かれ、お茶請けが配置されているはずだった。はずだったのだが……
「ご主人? なんだいこれは?」
「グラタンですよ?」
どこの世界に、交流会の席でグラタンを出す屋敷があるというのか、いや絶対無い。
そんなナズーリン意思を嘲笑うかのように、陶器に入れられた白い悪魔は、ぐつぐつという声を上げている。
「普通、こういうときは甘いものが出てくるはずでは……?」
「最近ナズーリンは甘いものを取りすぎですからね、今日は趣向を変えてみました」
「なんて余計な真似を……」
ナズーリンは忘れていた。
彼女の計算外の行為を簡単に行うのが、この星という女性であるということを。
「……それと、ご主人。確認しておきたいんだが、ご主人は猫舌ではなかったか?」
「ええ、もちろん! あれ? どうしましたナズーリン頭など押さえて」
俗に言う、『天然』という属性持ちであることを。
「さあさあ、皆さん。よくいらしてくれました。今回は顔合わせ程度になるかもしれませんが、楽しい一時をゆっくり楽しんでいってくださいね。まずは料理でも味わいながら語り合おうじゃありませんか」
だから気が付かない。
獣から変異した妖怪の多くが持つその特性を。
自らと同じ、猫舌であるものが多数存在し。
グラタンを見た瞬間に――
『あれ? これ、ケンカ売られてる?』
そう判断した者達が半数近いということに。
ただし、例外として。
「ふむ、なかなかいけるじゃないか。お姉さん上手だね!」
「さとり様よりも美味しいかも!」
元々熱に強い見た目だけ獣の二人だけは、スプーンを手に上機嫌で声を上げている。それで余計に勘違いした星が、よりいっそうの笑顔でグラタンを進めてくるものだから。
「い、いただきます」
ちょうど正面に座っていた椛が、もしかしたら熱くないのではと予想しスプーンを深々とグラタンに差込み、糸を引くチーズと一緒にぱくりと。
「……」
そして、ぱたり、と。
「も、椛! しっかりしなさい椛!」
スプーンを手に握り締めたまま畳の上で転がり、びくびくっと痙攣を始める。ぱくぱくと鯉のように開く口は水分を求め、文から差し出されたお茶を慌てて飲み込み。
「――――!」
「ああ、なんてことでしょう! おちゃが こんなに あつかったなんてぇ~!」
もちろん、ホットでした。
火傷に熱湯を注がれ、じたばたと狭い範囲で暴れだす。
そんな椛の姿を写真に収め始めた文の笑顔の、なんと輝かしいことか。
「……見なさい、ナズーリンあれが友情というものです」
「あんなバイオレンスな友情は初めて見たよ」
とりあえず、椛の犠牲で相当熱いと把握した他の陣営は、スプーンの上で息を吹きかけてゆっくりと口へ運び出した。
もちろん、無言で。
かちゃかちゃというスプーンと陶器がぶつかる音しかしないのに、どうやって会話を混ぜろというのだろうか。この毘沙門天代理様は。
ただし、一箇所からは絶えず言葉が飛び交っており。
「あ・や・さ・ん? ほーら、お茶のお礼に一口いかがですぅぅ~~!」
「え、遠慮しますよ。も、椛さん! ご自分でお食べくださいなぁぁ!」
笑顔でスプーンを差し出す椛の手を、文が必死に押さえていた。
もちろん、熱々のグラタン入りだ。
「なるほど……」
それで何を納得したのか。
星はうんうんっと嬉しそうに頷き、自らもやっとグラタンに手を伸ばす。
「はあ、まったくご主人は馬鹿だな……」
「ん? 何か言いましたか?」
「いいや、美味しそうだなと思っただけさ」
ナズーリンが嫌味を込めて返すのに、星は嬉しそうにありがとうと返すばかり。
実際、この料理は美味しいのだ。
チーズが好きなナズーリンのことを意識しているのだろう。たっぷり掛かった白いトロトロがスプーンを動かすたびに白い湯気を空中へと生み出し、うまみが閉じ込められた具材とのかくれんぼを楽しませてくれる。
あえてチーズで隠して、口の中に入れたときなどは、ちょっとした発見がわずかな感動を与えてくれるほど。そして香りと共に広がる具材の旨みを下の上で感じ、幸福感を口一杯でさせてくれる。
だから、一口一口喉に送り込んでも、
もう一杯、あともう一杯食べた後で、と。
魅力的な料理の味が会話をしようとする意思を妨害してくるのだから、性質が悪い。
(まったくご主人はなんてモノを作ってくれるんだ)
「はい、ナズーリン。あーん」
ぱくっ
(結局料理を食べている間は会話になどならな、ん?)
ナズーリンはそこで周囲の変化に気がついた。
「おぉぉ~~」
さっきまで食器の音と、喧嘩腰の声しか聞こえなかったというのに。
ほとんどの参加者が感嘆の声を上げて、ナズーリンと星を見つめていた。しかも視線に敵意などまるで感じられず、羨望の眼差しにすら思えた。
橙などは、『私も私も』と藍に何かを甘える始末。
いったい何があったんだろうと、頭の中で推測を繰り返しつつ口の中のグラタンを咀嚼し、
(――ん?)
いきなり生れた違和感に目をパチパチさせる。
そしてまた、もぐもぐと口を動かして、
(私は、これを……いつ、入れた?)
まだ口に入れていないスプーンを見下ろして……
「はい、ナズーリン。あーん♪」
ぱくっ
(おかしい、いったい何……増えただと?)
再び上がる歓声、そして口の中に生まれる芳醇な香り。
もちろん手など動かしているはずもない。
皿の中の量も減って見えないのだ。
それなのにグラタンが口の中に入ることなんてありえな――
ありえ――
そして、ナズーリンは見ている側が思わず笑ってしまうほど体を強張らせ、壊れたブリキ人形のように隣の主へと顔を向け。
「おや、ナズーリン、おかわりですか? 食いしん坊ですね、ほら、あ~」
「あ~……、うわぁぁぁあああああああああっ!!」
悲鳴を上げ、畳の上を這いつくばって逃げる。
何気なく差し出されたスプーンに口を開こうとしたところで我に返ったのだろう。部屋の隅の柱に背を預け、ぶんぶんっと星を指す腕を上下に降り始めた。
真っ赤になった顔を隠すことなく、耳と尻尾を最警戒の状態で待機させ、
「ご、ごごごごごごご、ごしゅ、ごちゅじん! 何をした! 私に何をした!」
「あーんって、食べさせただけですよ?」
「――っ!?」
ありえない。
ありえない、ありえないありえない!
そんなに親しいわけでもない者たちの前で星のやったことは、ナズーリンの感情の許容量をあっさり上回り、冷静な感情などどこか地平の彼方へとおいやってしまう。
そして、慌てふためくナズーリンを見つめる好奇の視線がさらに彼女を追い込んだ。
「馬鹿か、ご主人は馬鹿か! 人前で何をさせるんだ! は、はは、破廉恥にもほどがある。私を困らせてそんなに楽しいか」
「何を言うんです。私はあなたをいつでも大切に思っているのですよ。ですから、破廉恥な感情などどこにもありません。あなたが幸せそうに食べる顔をみたら、つい、手が動いてしまっただけで」
「んーーーーーー! 言うな! もうしゃべるな!」
「ふふふ、可愛かったですよ。幸せそうな顔をして、すぐ何かを真剣に考えて、でもスプーンを顔の前に持っていくとお鼻をひくひくさせて、食いついてくれるんです。ああ、あんな愛らしいナズーリンを堪能せずに何をしろと――」
「馬鹿、馬鹿! ご主人なんて、ご主人なんて――! タンスに小指をぶつけてしんじゃぇぇぇぇえええっ!」
「な、ナズーリン! 待ちなさいナズーリン!」
もう倒れてしまうんじゃないかと言うほど、つま先から耳の先まで赤くなったナズーリンは、瞳に涙を溜めながら全速力で逃げ出したのだった。
そして、ナズーリンがその場から逃げ出した後。
交流会がどうなったかというと。
「ナズーリンはやはり可愛らしいでしょう?」
「いえいえ、お嬢様が一番です」
「幽々子様ですよ、あの大人の魅力が」
「何? 大人の魅力と知性を持ち合わせた師匠以上なんているはずがないじゃない」
「いや、子供の無邪気さという点では橙に勝てるものなど」
「大天狗さま一択です!」
「…………」
「えっと、お空、無言で見つめられるとすっごい怖いんだけど」
一部の参加者がドン引きする中で、白熱した意見が交わされたという
悪いがちょっとフーフーしてくれないか?
続編期待。
あと何気に一生懸命ふーふーしないと食べられない師匠を想像したら悶えた。
これは「うずうずナズーリンふーふーバージョン」が見たい……
ところで第二回の会場はどこですか?カメラもって行くんで