Coolier - 新生・東方創想話

夢のすぐあと

2010/12/05 10:00:44
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 この話は作者の過去作品の設定を引き継いでおります。
 独自設定などが盛り込まれておりますのでご注意ください







 冬の日差しはうららかに。
 中天の太陽は優しい光を燦々と大地へと降り注いでいる。
 だがそれでも冬の寒さはなかなか消せぬもの。
 故に美鈴は何時もより厚手の服装で佇み、門扉に背を持たせかけていた。

 瞳は閉じ呼吸は穏やか。
 一見寝ているだけに見えるが、実は本当に寝ているのだ。
 ただ眠りは浅く、何かの気配を感じればすぐ様に目が覚める程度の眠り。
 だから彼女が近くに来た時もすぐに目を開いて出迎えるのである。

「おや、珍しいですね」

 目の前の人影を見て美鈴はそう呟いた。

「貴方が出てくるなんて……何かありましたか?」
「まあ、そうね」

 特に感情のこもらない、平坦な声で言葉を紡ぐのはパチュリー・ノーレッジ。
 二つ名は動かない大図書館。その名の通りに普段は全く外出などせずに図書館に籠っている。
 彼女が出て来る時は何かしら起きた時のみ、そう、たとえば異変の時などだ。

 故に美鈴はただ言葉を待つ。
 わざわざ此処まで出て来た、その意味を聞くために。
 そして彼女が口にした言葉は少しだけ意外なものだった。

「ねえ、美鈴」
「はい」
「貴方、そろそろ寿命でしょう」
「え?」

 突然の言葉に美鈴は困惑を浮かべる。

「そうね、根拠はいくつかあるわ」

 だがそんな様子にお構いなくパチュリーは続けるのだ。

「その一つとしてよく眠る様になった事。
 少なくとも昔の貴方は……昔と言っても九十年ほど前だけど」
「はぁ……」
「ほとんど睡眠などとらなかったわね。
 貴方は笑顔で居ながらその実、刃物の様に鋭くて、とても怖い存在だった」
「まあ、それは外敵に注意しなければいけませんでしたからね」

 美鈴達は十年ほど前に幻想郷へとやってきたばかりだった。
 九十年前と言えばいたのは外の世界。

 いくら文明が発達し、未知の闇が薄れようともそれを狩る物はいなくならない。
 光があれば闇がある様に、狩られる者がいれば狩る者がいる様に。

 教会や狩人、賞金稼ぎなど、それらはいつの時代にも存在して美鈴達を狩ろうとしてきた。

「今は、平和ですよ。昔ほど警戒する必要もないくらいに」

 美鈴は穏やかな笑みを作る。
 誰に対しても浮かべる、そんな笑み。

「ですから、気が緩んでしまうのです。まあ、我ながら負抜けたと思いますが」
「……」

 美鈴は苦笑。
 対してパチュリーは観察するように彼女を見る。

「違うわね」

 一言、短く否定。

「寝なければ……体力を温存しなくてはいけなくなった」
「……」
「それとその根拠の二つ目、厚着をしているわね」
「それがなにか?」
「昔の貴方は外気の寒暖の差を気にしなかった。
 それは貴方の気を操る力によるもの。だけど今はそれも出来なくなってきている」
「いえいえ、ですからそんな必要が無いから……」

 美鈴の言葉を遮ってパチュリーは続けた。

「昔ほどに力がもう無いのでしょう。それでも小手先の技術でごまかせていた。
 でも衰えて、最近はそれも出来なくなってきた。最近はさらに負担が増えたから余計でしょう」

 一旦言葉を切って、呼吸。

「負担…それは、フランの吸血衝動を受け止めているからね。
 それに力を回すために、余計に力を使用する事が出来なくなったから」
「パチュリー様……」

 美鈴が少しだけ驚いた様子を見せる。

「その事は、妹様が?」
「いいえ、でも少し考えれば分かる事だわ。
 あの子は隠しているつもりでしょうけれど、明らかに様子のおかしい時がある。
 その時は決まって貴方の下へと行く……フランは吸血鬼、それを悩ます衝動……単純でしょう?」
「……はい」

 フランドール・スカーレット。
 五百年近く世界を拒絶して引き篭もっていた。

 引き篭もっていた原因は過去の心的外傷によるもので、それは皆の助けを借りて克服した。
 世界を受け入れた彼女の時間は再び動き出して、当然の様に吸血衝動が芽生えた。

 吸血衝動。
 その名の通りに血を吸いたいと言う欲求。
 吸血鬼にとって何より強い原初の本能。

 四百九十五歳でありながら、ずうっと引き篭もっていた故に、精神の幼いフランドールでは抑えきる事は出来ない。
 だから美鈴にぶつけるのだ。その衝動の全てを、抱きついて、牙を突き立てて、収まるのをただ待つ。

 血こそ吸わせないが、生物として桁違いの吸血鬼の膂力を真っ向から受けて無事で済む訳が無い。
 人間など瞬時に肉の塊のしてしまうその力を、美鈴は持てる力全てを使って……再生と、丈夫さ、技能と経験、それらを総動員して受け止める。
 当然、美鈴にとって甚大な負担になる。だが、それは美鈴が望んだ事。

「話を戻すわ。本来は衰えても普通に生きている分には何の問題も無かった。
 体力を温存する必要もなかった。でも、フランの吸血衝動を受け入れる事によって貴方は急激に力を失いつつある」
「……私は」
「ねえ、それをやめれば貴方は少しは……」
「いいえ、パチュリー様」

 美鈴は穏やかに言葉を紡いだ。

「それこそが私の存在意義ですから」

 静かで優しい言葉の響きだった。
 彼女は歌うように続ける。

「あの子たちを守る事。私の手がかからない位に立派になるまで守る事。
 それが私の存在意義。遠い昔にあの方と交わした、たった一つの約束」

 慈愛に満ちていて。
 それは……パチュリーにはどこか物哀しく映る笑み。

「つまりは、あの二人の為なら自分はどうなってもよいと、そう思っているのね」
「パチュリー様?」

 それは……傲慢で、自己満足で、パチュリーにとってとても嫌いな笑み。

「貴方はその、あの方とやらの約束を果たしたらどうするつもりなの?」
「それは……」

 美鈴の浮かべた笑みに、少しだけ、ほんの少しだけ動揺が走る。
 でもすぐに穏やかな笑みへと戻って続けた。

「その時は……隠居でもしましょうかね。
 花を育てながら、犬でも飼って、のんびり暮らすのもいいかもしれませんね」
「……ねえ」
「はい」
「あとどれ位、持ちそうなの?自分の体でしょう、分かっているはずだわ」

 パチュリーの問いに美鈴は首を傾げた。
 
「分かりません、ですがパチュリー様の言う通りに私が衰えたのは確かです。
 でももう、お嬢様は守らずとも平気なほどに成長しましたし、咲夜さんも傍に付いています」

 肩をすくめて小さくおどけて見せて。

「少なくとも妹様が吸血衝動を支配出来るようになる位までは、生きていたいですね」

 と、そんな風に呟いた。







 美鈴と別れて、図書館へと戻った彼女は開口一番に。

「気に入らないわ」

 そう、吐きだした。

「どうかなさいましたか?」

 主の帰還に紅茶を用意した小悪魔が不思議そうに尋ねる。

「あの馬鹿、何も分かっていないわね」
「あの馬鹿とは……」
「美鈴よ」
「美鈴さんですか?」

 小悪魔が首を傾げた。

「そうよ、あいつ何も分かっていないわ」
「はぁ……」

 ずびびと乱暴に紅茶を飲みながらパチュリーが憤りを露わに続ける。

「何をそんなに怒っておいでですか?」
「ああ……そうね、美鈴はもう寿命なのよ」
「へ?」

 パチュリーの言葉に小悪魔が驚いた様子を浮かべた。

「寿命って、あんなに若々しいのに……」
「妖怪に外見は関係ない、そうでしょう?
 聞けばレミィ達よりも年上と言うじゃないの」
「ええ、お嬢様達の母親の様なものだったらしいですね」
「そうよ、種族は分からないけれど美鈴は強い妖怪では無いの。
 年月を経てもあの力だけしか持っておらずに、さらにいま衰え始めている」

 本を読む事もせずにただ苛立ったように。
 静かに怒り心頭の主人を小悪魔は珍しいと感じていた。

「……気に入らないわ」

 再び一言。

「それは単純に年齢による肉体の衰えかと思ったのよ。
 そうであれば少しくらいなら寿命を伸ばす事も出来たのだけど……」
「違うのですか?」
「ええ、話をしてみて分かったわ、ねえ小悪魔」
「はい」
「貴方、私が死んだらどうするの?」

 縁起でもないと小悪魔は顔をしかめた。
 それから小さな声で呟く。

「たぶん私も死にます。本契約を結んだ今、私の全ては貴方の物」

 彼女は静かな眼差しで淡々と紡ぐ。

「その貴方が死んだら……私はパチュリー様が居ないと言う事実に耐えられずに精神の死を迎えるでしょう」
「そう……」

 まっすぐな、偽りのない言葉。
 少しだけ照れた様子で俯いて、それからすぐに言葉を続ける。

「それと、同じよ」
「同じですか?」
「妖怪の存在は肉体よりも精神に重きが置かれる。
 心が折れてしまえば、寄る辺が無ければ、簡単に死んでしまうの」
「ですが……」

 言葉に小悪魔が疑問を浮かべた。

「美鈴さんはなにか悩みごとでも?そんな風には見えませんが」
「美鈴の場合は、満足ね」
「満足ですか?」
「そうよ、おそらく美鈴の寄る辺はレミィ達を守る事。
 経過は分からないけどあの方とやらと交わした約束が美鈴と言う存在の全てになっている。
 その言葉だけが存在を、取るに足らない妖怪である美鈴をこの世にとどめ続けた」

 パチュリーは一旦、息継ぎ。

「それが、本人はもう果たされようとしていると感じているの。
 レミィは育ち、咲夜と言う紅魔館を任せる者もできた。あとは……」

 思い出す、美鈴との別れ際の台詞。

「フランが育てば……そうね、吸血衝動を抑えられるようになれば、彼女はもう役目が終わったと考えるようになるでしょうね」
「つまり……美鈴さんの寿命と言うのは……満足して……」
「そういう事になるわ」

 小悪魔が困惑のまま続けた。

「ならば、それは自然な事ではないのですか? 無理に延命出来る様な理由じゃないはずです」
「五百年の長きにわたってやる事をやって、満足して逝く。本当は引きとめるべきじゃないと、そう言いたいのね」
「……」
「でも、それで残された方はどうするの?
 レミィや咲夜、フランはきっと、悲しんで心にしこりを残し続けるわ。
 それを、あいつは分かっていない。自分がどれだけ大きな存在なのかを」

 そこまで語って一息。
 疲れたのかしばし息を整える。

「約束を果たして、それで自分がお役御免で済むと、そう思っている。
 ……五百年は長いかもしれない。本人は満足しているかも知れない。
 この考えは私の勝手なものでおこがましいものかもしれない。でも私は……」
「はい」
「納得できないの。だから……選択肢を与えようと思う」
「選択肢ですか?」
「ええ、美鈴に気が付かせようと思う、皆の思いを。
 それで美鈴がこの世に残るか、満足して逝くかそういう選択肢。
 せめてそれくらいはいいでしょう?」

 パチュリーは視線を小悪魔に向ける。
 小悪魔もまた、パチュリーをじっと見つめていた。

「どうなさるおつもりですか?」
「そうね、ただ伝えただけではどうにもならない。
 それに何の意味もない。むしろは美鈴の死期を早めてしまう可能性がある」

 美鈴が寿命であると言う事。
 寿命とは自然の摂理。だからこそ、大概の者は受け入れてしまう。

 伝えて、色々思うかもしれないし、悩むかもしれないが恐らく最後に来るのは諦め。
 諦めて、だからこそ美鈴の扱いが変わるかも知れない。

 無理をさせないように、危険を冒さないように。もしかしたら門番を下ろされてしまうかもしれない。
 優しいフランは自分の何かを犠牲にしてでも吸血衝動を無理やりに抑え込んでしまうかもしれない。

 穏やかに暮らせば、負担をかけなければ多少は長生きすると思うかもしれないと。全ては美鈴の為に。
 でもそれは恐らく逆効果。美鈴の負担が減れば減るほどに彼女の死期は早まっていく。

 ゆえに諦めは解決策にはならない。本当に必要なのは……。

「それにはまず、小悪魔、貴方の力が必要ね。
 夢を見せる力。レミィですら影響を受けるその力が必要よ」

 と、パチュリーは言った。








 冬の夜空に月が煌めいている。
 いつものテラスで、お気に入りの椅子に座りレミリアはグラスを傾けていた。
 静かな夜、平和な夜。幻想郷に来て、ようやく手に入れた物だ。

「綺麗ない月ね、一点の曇りもない。
 こうして無為に時を過ごすのも悪くない」

 そう呟くとワインを一口。
 それから不意に、背後に呼びかけた。

「お前も一緒にどうだ、美鈴」
「あら……良く分かりましたね」

 背後のドアより出て来たのは美鈴。
 あははと笑いながらレミリアへと歩みよる。

「何年の付き合いになると思っているんだ。
 気配を隠そうともしないなら間違えるはずはないだろう」
「そうですか」

 レミリアが美鈴を見て、彼女が微笑を返す。
 それから数歩、立ったまま後ろ手を組んで月を見上げた。

「眩しい、月ですね」
「ああ」
「こんなに無警戒に月を眺める事が出来る。本当に幻想郷に来てよかったですね」
「そうね」

 レミリアは同意し、それからにやりと笑う。

「平和すぎて物足りないか?」
「いえいえ、平和が何よりです。
 ここならもう、我らの存在を脅かす物はほとんどおりませんから」

 だからこそ、と美鈴は続けた。

「お嬢様に伝えたいことがあるんです」
「なんだ?」

 胡乱気なレミリアに美鈴が紡ぐ。

「ありがとう」

 レミリアから背を向けて月を見上げているので美鈴の表情は見えない。
 だから彼女が何を考えているのか分からない。

「なんだ、突然……」

 戸惑うようにレミリアが言う。

「あの方が私の前で滅ぼされてから、私の世界は闇に閉ざされてしまいました。
 私にとってあの方は全てでした。存在そのもの、永遠だったんです」
「美鈴?」

 声は歌うように、どこか悲しい響きを持って。
 くるりと振りかえった美鈴の笑顔にレミリアはしばし見とれた。

「闇に放り出された私、でも怖くはなかった。
 それを照らす者があったから。何よりも眩しい光で照らしてくれたから」

 月の光に照らされた優しい笑み。

 どこか幻想的で儚い。
 普段の生命力溢れた美鈴とは程遠い、そんな笑み。

 風が吹けば消えてしまいそうな姿。

「貴方は、私にとっての月だった。闇の中でもそれを目印に歩く事が出来た」

 その時になってようやく、レミリアは美鈴の様子がおかしい事に気が付いた。

「煌々と光を放つ、眩しいくらいに鋭利で愛おしい、私のたった一つの希望だった」
「美鈴…」

 ざあと、風が吹く。
 美鈴の赤い髪がなびいて行く。

 それだけではない。

「おい!」

 レミリアが椅子を蹴って立ち上がる。
 笑みを浮かべる美鈴の輪郭がぼやけ始めてきたからだ。

 ほんの僅かに、少しずつ、よく目をこらさないと分からないけど、端から少しずつ世界へと溶けていく。
 銀の粉と成り、大気に溶けていく。レミリアは知っていた。これは妖怪の死の一つなのだと。

 長い逃亡生活の中で、うんざりするほどに目にしてきた光景。

「貴方がいたから、私はこうして安らかに逝く事が出来る」
「ふざけるな!」

 レミリアが美鈴に抱きついた。
 それからその体が同じように霧散して紅い霧を形成する。

「なんで急に、どうしてこんな……」
「ごめんなさい。本当はもう、限界だったのです」
「なんで、言わなかった!?」

 紅い霧はレミリアそのものだ。
 大気を覆い、霧散する美鈴を覆って、消滅を食い止めようとする。

「お嬢様に心配をさせたくなかった」
「勝手な事を言うな!」

 だが、無駄だった。
 紅い霧をすり抜けて、美鈴だったものが溶けていく。
 さらさらと、さらさらと。

「勝手に死ぬなよ、私の許可無く逝く事は許さない。
 お前は、お父様の約束を破るのか!?」

 美鈴はそんなレミリアの頭を優しく撫でた。
 ただ昔そうしていたように、懐かしさと、優しさと、慈愛を込めて。

「もう、貴方は私が守る必要のないほどに立派になった。
 一人前です。あの方との約束はもう果たされました」
「待て、それならまだお前に何も返していない。
 私達の為に何度も死にかけて、ボロボロになって、自分すら捨てて……」

 レミリアは叫ぶ。

「守り切ったからもう大丈夫だと死ぬのはあんまりじゃないか!」

 さらさらと、美鈴が溶けていく。
 幾度となく撫でてもらった手も、抱きつく事で安心できた暖かさも、優しい笑みも。
 何もかもが消えていく、唐突で、あまりにも理不尽で、どうしようもないほどに残酷。

「私は、私は……お前に……」

 言葉は届かない。
 美鈴は最後に綺麗な笑みを浮かべて。

「愛していました」

 と、それですべてが無くなる。
 今腕に抱えていたものもすり抜けて、静寂だけが残る。
 ただどうしてよいか分からずに、レミリアはその場に呆然とへたり込んでいた。








 美鈴が咲夜の部屋を訪ねたのは丁度眠ろうと思った時だった。
 咲夜自身、仕事がひと段落して、手早く汗を流してくつろいでいるときだった。

「こんな時間にどうしたの?」

 戸惑いを浮かべて出迎えた咲夜に美鈴が笑みを返す。

「なんだか、咲夜さんの顔が見たくなってしまって、迷惑でしたか?」
「……ず、随分唐突なのね、」

 少々照れながらも咲夜は美鈴を部屋へと招き入れた。
 とりあえずと、紅茶の用意を二人分。

 咲夜にとって美鈴は教育係に当たる。
 数年とはいえ、彼女には様々なものを教わった。

 家事、調理、礼儀作法、戦闘技能。

 暖かなぬくもり 優しさ 安心 そして無償の愛と言うもの。

 世界を憎み、頑なに心を閉ざしていた咲夜の心を少しずつこじ開けて、すっかり変えてしまった。
 だから、咲夜は美鈴に頼みこまれると断りきれないのだ。

 心を開いてからは、人の居ないところでは結構甘えていた気がする。

 その後、メイド長になってからは忙しく、また職場も違うと言う事でなかなか会う事が出来なくなって。
 だから何かと理由を付けて訪ねてくれたのは本当は嬉しい出来事なのだ。

「どうぞ」
「ありがとう」

 とりあえず甘いミルクティー。
 美鈴は昔からこれが好きだった。

 昔と変わらない笑みでただ見つめてくる美鈴。
 何かその視線にむず痒さを感じて咲夜はつい声をあげる。

「何か私の顔に付いているのかしら?」
「ああ、いえ、綺麗になったな~って」
「……お世辞はいらないわ」

 何だこれはと、咲夜は思う。
 まるで口説きにでもきたみたいではないかと。

 そう考えてふと思う。先ほどは急に会いたくなったと。
 それは単に社交辞令の様なものだと思ったがまさか……

 まさかひょっとしたら美鈴はそういうつもりなのかもしれないと。
 いや、ありえない。彼女にとって自分は何時までも子供で……

「咲夜さん」
「なによ」

 呼びかけに我に返り、平静を装ってとりあえずカップを一口。

「抱きしめていいですか?」
「ぶふっ!?」

 噴き出した。

「げほっげほ……」

 ぼたぼたと紅茶の零れる口元を抑えて拭くものを探すと傍に美鈴が寄ってきていた。
 彼女の手にはハンカチが握られていて、それで咲夜の口元を軽く拭く。

「大丈夫ですか?」
「あなたが変な事言うから……」

 美鈴の顔がすぐ近くにある。
 それを意識して咲夜が動揺し、それへの対処が遅れた。

「……っ?」

 美鈴の腕が回されて、咲夜の体を抱く。
 咄嗟の出来ごとに頬を染めて咲夜が硬直した。

「……んな、め、めい……」

 咲夜の声が微かに漏れて、消えた。

 静寂の中で鼓動が聞こえた。
 二つの鼓動。

 動揺し早鐘を刻む咲夜の鼓動といまだ穏やかな美鈴の鼓動。

「咲夜さんに言っておきたい事があって……」
「……な、な、なに?」

 美鈴の声に絞り出すように応じる咲夜。

 頭が混乱していた。
 ぼんやりとして考えが纏まらない。

 ただ思うのは暖かなぬくもり、美鈴の息遣い。
 もしかして本当に口説きに来たのかと。

 だとしたらもうどうしようもない、答えは決まり切っている。
 だから美鈴が口を開いたときに覚悟を決める様に瞳を閉じた。

「昔はこうして、良く抱きしめてあげましたね」
「そ、そうね」
「あの頃の咲夜さんは案外落ち込みやすくって、何かあるとすぐに抱きついてきて」
「何時の話よ」

 あれ、と咲夜は思う。
 想像していた質問と違うではないかと。

「ねえ、咲夜さん。紅魔館は好きですか」
「あ、あたりまえじゃない」
「仕事は順調ですか?」
「と、当然よ?」

 何だこれはと、咲夜は思う。
 徐々にパニックを起こしかけた頭が冷えていく。

「紅魔館をお任せしても大丈夫ですか?」
「美鈴?」

 そして、最後の質問で完全に頭が冷えた。
 湧きあがってくる不安。

 抱きしめられていて。確かに美鈴を感じるのに。
 いつもはとても安心できたぬくもりのはずなのに。

「すいません」
「……ちょっと」

 その時になって、咲夜は先ほど感じていた美鈴の鼓動が随分と弱くなっている事に気が付いた。
 まるでこのまま止まってしまうかもしれない様な程に。

「紅魔館は、お嬢様は私の全て。ずっと心残りだった。
 でも、咲夜さんが来てくれたから、安心して任せられる人が出来たから」
「待って、何を言って……」
「私は安心して逝くことができる」

 言葉に、咲夜は何も紡げなかった。
 美鈴が死んでしまう、そう理解したのだ。

 どうしてよいか分からずに。
 何を言ってよいのか分からずに。

「そんな事を…言うためにわざわざ来たの?」

 無意識に出た言葉はそんな刺々しいものだった。

「すいません」

 と美鈴が呟いて。

「最後に会えて、間に合ってよかった……咲夜ちゃ……」

 それで鼓動が止まった。
 それで終わりだった。

 酷く呆気なくて、唐突で。
 別れの言葉すらいえなくて。

 ぬくもりは残っている。
 ぬくもりは生者のもの。

 死とは冷たいもので咲夜はそれを知っていた。
 だからもう動かない美鈴の背に手をまわして抱きしめた。

 ぬくもりが逃げて行かないように。
 思考が纏まらずに呆けた様な表情で、咲夜はただずっとそのままで……。









 曇りの日は好きだと、フランドールは思った。
 天敵の太陽の光は無い故に自由に外へ出る事が出来る。

 日傘を差さなくても済むので視界が広いのだ。
 そう、たとえば同じように門扉に背を預けて、隣に座る美鈴の顔もよく見える。

「妹様?」

 フランドールの視線に気が付いたのか彼女が此方を向く。
 浮かんでいるのは優しい頬笑み。フランドールはその笑みが大好きだった。
 えへへ、と笑ってきゅっと腕をからめる。

 美鈴は優しくて暖かい。
 だから大好きだ。

「妹様は本当に甘えん坊ですね」
「うん」

 寄りかかって瞳を閉じると安心する。
 大きな存在感で包み込んでくれるような感じがとても安心できる。

「美鈴は優しいから大好き」

 言葉に私もですよと返ってきて、フランドールが頬を染めた。
 何もせずにそのまましばし、穏やかな時を過ごす。

「ずっとこんな時が続けばいいね」

 見上げた美鈴の深い藍色の瞳。
 穏やかに見返してくるそれにしばし見とれてみる。

「美鈴」
「はい、なんでしょう」
「呼んでみただけ」
「ふふっ」

 フランドールは幸せだった。
 好きな人、自分を全肯定してくれる人が傍にいるだけで何もいらない。

 そう、全肯定なのだ。
 怖がりな自分も、冷静な自分も、怒りっぽい私も。
 美鈴は情緒不安定気味なフランドールの全てを肯定してくれる。

 そう、それはあの、怖い私と称している吸血衝動もだ。

 フランドールの中で血が吸いたいと呼びかけてくるあの怖い自分。
 時には本人格すらも乗っ取りかねない強い衝動。

 それが心に現れた時は必死で抑え込んで我慢して、心が悲鳴をあげていて。
 でも、美鈴が助けてくれたのだ。怖い私を抱きしめてくれて受け入れてくれた。
 いつもあの私がが出てくるたびに美鈴は抱きしめてくれて、そして最近分かってきたのだ。

 怖いあの子との、吸血衝動との付き合い方。
 あの子はただフランドールに認めて欲しかったのだ。

 なぜならあの子もフランドールの一部だから。
 怖いあの子が出てくるたびに、美鈴に抱きしめてもらうたびに徐々にその声を聞いて。

 それで、あの子も認めるようになった最近では、前ほどに酷い衝動を抱く事も無くなった。
 美鈴を壊しかねないほどの衝動は無くなり、今はただ抱きつかせてもらうだけで、甘えるだけで済むようになった。

「美鈴のおかげだよ」
「はい」
「もう、怖い私は居ないの」

 甘えん坊の自分。
 それがフランドールの中での、かつての怖い私だ。

「もう、大丈夫。
 私の為に美鈴が傷つく必要はないんだよ」
「そうですか」

 美鈴を壊しかねないほどの衝動をぶつける必要はもうない。
 これからはその分を美鈴に何かしてあげたいと思う。

「よかった、間に合って」

 不意に、美鈴がそんな事を言った。
 その言葉の意味が分からずにフランドールは美鈴を見上げて、そして気が付いた。

 破壊の目だ。
 美鈴を壊してしまう破壊の目。

 それが見えて、それが何もせずとも今にも壊れそうで。

「め、美鈴!」

 咄嗟に手を伸ばしてそれをつかみ取る。
 両手で包み込むように抑えて壊れないように大事に抱えて。

「妹様?」

 そんなフランドールを不思議そうに見て美鈴は首を傾げる。
 
「美鈴、の、目が……」

 何と言ってよいか分からずにフランドールが戸惑いを見せた。

「美鈴の、破壊の目が」

 泣きそうな表情で、フランドールは言う。

「壊れちゃいそうなの、何もしていないのに」

 必死で両手を抑えながら、でもフランドールは分かっていた。
 ほころんでいる。破壊の目が少しずつほころんで消えていく。

「このままじゃ美鈴が死んじゃうよ!」
「妹様」

 美鈴は穏やかな笑みを浮かべていた。

「美鈴、どうすれば……」
「いいのです、妹様」
「め、美鈴?何を言って……」
「生き物はいつかは死ぬのです。今度は私の番と言うだけの事」

 美鈴の言葉にフランドールが絶句する。

「私の生あるうちに妹様が吸血衝動を克服してくれてよかった、それが心残りだった」
「……」
「それを克服してくれて、私は嬉しいのです。私は幸せですから、悲しまないで。
 たとえ体は朽ち果てても、魂はずっとあなたを見守って……」

「いやだ!」

 フランドールの拒絶の絶叫。
 それから懇願するように美鈴へと体を寄せた。

「生きて傍にいて。私まだ何もしてない。
 美鈴に酷い事ばかりして、何一つお返しできて無い!」
「妹様……」
「ううん、そうじゃない。私、美鈴と一緒に居たいの。
 これからの楽しい事も、嬉しい事も、一緒に過ごしていきたい……それなのに……」

 美鈴の腕が伸びて、フランドールを抱きしめる。
 暖かくて、優しくて、いつも安心して眠る事が出来た。
 それなのに……

「美鈴……?」

「申し訳、ありませ……」

 言葉は最後まで紡がれずに、同時に両手の中の破壊の目が消え去った事をフランドールは感じ取った。
 それで終わりだった。好きな人との、これからの未来が壊れた事を悟って……

「あ、ああ……」

 フランドールの体が震えた。

「あああああああああ……」

 漏れる言葉は意味をなさずに。
 ただ失意と絶望だけが刻まれていて……そして。

 抱える様に自由になった両手を美鈴の背へと回して……そのまま美鈴の首筋へと牙を突き立てた。
 牙は何の抵抗も無く食い込んで、それがもう美鈴が生きていない事を証明していた。

 吸い方は本能で知っていた。
 ただ夢中で吸う。何も頭に浮かばない。考え付かない。

 初めての吸血行為。
 大好きな人の血は、涙が出るほどにおいしかった。

 だからいくらでも飲める。
 突き立てた牙から吸いきれない紅い滴が零れ落ちて緑の服を染める。

 突き動かすは本能。

 怖い自分が言うのだ。間に合うかもしれないと。
 今ならば、死して間もない今ならば、まだ眷属に出来るかも知れないと。

 美鈴が望むかどうかなど考えが及ばなかった。

 そして、血だまりの中で牙を抜く。
 美鈴の肌は真白でフランドールとお揃いで、口元から流れ落ちた赤を拭おうともせずにフランドールは待った。
 いつまでもいつまでも、世界が闇に閉ざされて母なる月が顔を見せても美鈴は決して動きだしはしなかった。










 体が重いと、美鈴は思う。
 最近はとみにそうだ。昨日パチュリーに言われたとおりに衰えてきているのは間違いない。

 正直、どれほど持つのか見当もつかなかった。
 まだ体は問題無く動く、戦闘にも何の支障も無い。

 フランドールの吸血衝動を諫める時こそ骨は折れるがいまだに耐える事は出来る。
 だが、分かるのだ、自分が昔に比べて衰えている事。

 再生も、丈夫さも。
 いずれも生き残るために身に付けた技で代用できるので今の所は問題ないが。

「寿命か……」

 昨日、パチュリーに指摘された事が心に蘇る。
 
 力の衰え。隠していたつもりだったが見事に看破されてしまった。
 どうするべきだろうかと、昨日は深く考えずに別れてしまったが口止めくらいはしておくべきだったかもしれないと思う。
 寿命ならば仕方ない、いずれその時が来るのが分かりきっているのであれば余計な心配は掛けたくないと。

 あの方との約束。
 
 吸血鬼の姉妹を立派になるまで守る事。
 それはもう果たされつつあると思っている。

 姉の方はもう守る必要のないくらいに強くなった。
 ああ見えて人社会でもまれたせいか随分と様々な駆け引きも出来るようになった。

 心残りの後釜も見つかった。彼女は自分よりも優秀で責任感も強い。
 きっとこれからも紅魔館のために尽くして、後任も完璧に育成してくれるだろう。

 だから、大丈夫だ。
 自分が居なくなっても大丈夫。

 あとはフランドールが吸血衝動さえ克服してくれたら、その時は……。

 死ぬのだろうかとふと思う。
 役目を終えた自分がどうなるのか分からない。

 でも、それでもいいと美鈴は思うのだ。
 自分程度の妖怪がよくここまで生きる事が出来た。

 死んでもあの方とは会う事は出来ないだろうけれど。
 それどころか、きっと自分は地獄行きだと思う。

 戦って生き残るために大勢殺し過ぎた。
 でもそれでもいいと、地獄に落ちるのだとしても満足だと。
 なぜならそれに足る、胸を張れるものが彼女にはあったからだ。

 迫る死の足音がいつ来るのか分からない。
 でもそれを受け入れるつもりではいた。

 不意に美鈴は苦笑。
 何を下らない考えを抱いているのかと。

「らしくないわね……いよいよ日和ったかしら?」

 呟いてベッドから降りる。
 着替えて、庭仕事に取りかからねばならない。

 美鈴は着替えを出そうとクローゼットへと向かって……その時だった。
 破砕音が部屋に響いて、ドアが吹き飛び何者かが部屋へと飛び込んでくる。

 とっさに身構えて、それが見知った顔である事に気が付いて構えを解く。

 フランドールが泣きそうな顔で佇んでいた。

「美鈴?」

 確かめる様な声。
 どこか虚ろで、呆然としているようで。

「は、はい」

 さすがな状況に美鈴も驚きを隠せずに、それ故に反応が遅れた。
 凄まじい勢いでフランドールが美鈴へと飛びついた。

 美鈴は支えきれずにそのまま倒れこんで。
 それでも咄嗟にフランドールを抱き止めている。

「夢を見たの」

 フランドールは言った。
 
「美鈴が死んじゃう夢」

 言葉に美鈴が困惑を浮かべた。

「……私が死ぬ?」
「酷いよ!私が怖いあの子を抑えられるようになったからって、それで満足したから死んじゃうなんて」

 美鈴は息を呑む。
 それは美鈴が思っていた事。

「それじゃあ、まるで私が殺した様なものじゃない」

 フランドールの声には既に嗚咽が混ざっており、美鈴の胸に顔をうずめて震えていた。
 美鈴は息を吐くとフランドールを抱きしめた。何時もの様に、落ち着けるように優しく。

「何処にも行かないで、傍にいてよ」
「妹様……」

 フランドールの泣き声。
 ただそれだけが響いて。

「大丈夫ですよ。私はここに居ます」

 ぎゅうっと美鈴の腰に回されたフランドールの腕に力がこもった。

「夢は夢です。私は死にませんから」
「……ん」

 と短く返事が聞こえて。

「でもね……」

 そして……別の声が美鈴の背から聞こえた。

「とても生々しい夢だった」
「咲夜さん?」
「今でも残っているわ。貴方のぬくもりが失われていく感触」

 背後から美鈴に抱きついて、その背に耳を付けて咲夜は瞳を閉じる。

「貴方も、私が死ぬ夢を?」
「ええ……」

 美鈴は理解する。
 これは恐らく人為的なもの。

「咲夜さん、これは……」
「分かるわ。小悪魔の所為だと言いたいのでしょう?
 いつぞや見た、小悪魔の操る夢と同じ感触だったもの」
「は、はぁ」
「でもね……」

 関係無いと咲夜は言う。

「今回の夢は酷いものだった。貴方が私に紅魔館を任せて死んでしまう夢」
「………私は」
「意味も無く、こんな夢を……見せたりしないと思うの。本当は貴方は……」

 そこでいったん言葉を止める。
 背に耳を付けて微動だにしない。

「聞こえるわ。美鈴の鼓動。とても安心する」

 命を刻む鼓動。
 どれほど、これに安心を得て来たのか。

「ねえ。やめてね」
「咲夜さん」
「急に居なくなるのはやめて?私一人じゃ、まだ不安なのよ。
 貴方が居てくれるだけで、もし何か起きた時に安心できるの
 貴方が思っているよりも、私は頼りにならない、紅魔館を任せてもらえる程じゃないの」

 美鈴の顔には戸惑いがある。
 フランドールの抱きしめて、咲夜の手を重ねて。

 それでも戸惑い。
 咄嗟に顔には笑顔、浮かべる事に慣れ切ってしまった笑顔の仮面。

「モテモテね、美鈴」

 声はすぐ横で。
 見なくとも分かる。

 だって数百年の付き合いなのだから。

「お嬢様も、私が死ぬ夢を?」
「ええ、そうよ」

 美鈴が視線を向ければレミリアは苛立った顔をしていた。
 
「目覚めて、すぐパチェのところに行ったわ。勿論、どうしてこんな夢を見せたのか問いただしにね」
「……それで、どうなりました」
「パチェから全部聞いたよ」
「そうですか」

 レミリアは憮然とした表情で。

「どうして黙っていた、とは言わない。本当は、見えていたんだよ。そういう運命も」
「お嬢様」
「それでも仕方無いと思っていたの。
 お前がそう望むのならば、長い旅の果てにそう望むのだったら。
 止める権利はないと、好きにさせてやろうかなって……でも」

 そこで初めてレミリアの顔が歪んだ。

「でもね……」

 ぎりと歯をかみしめる音。
 拳を握り、俯き加減で。

「………」

 俯いたまましばし肩を震わせる。

「駄目だった。あんなの見せられたら。
 目の前で消えていかれて、そうしたら仕方ないなんて言える訳が無いじゃないか」
「お、お嬢様」

 戸惑いを含んだ美鈴の声。
 なぜなら視線の先、そこには涙。

 レミリアの瞳から一粒、二粒。
 透明な滴が流れて、頬を伝って落ちて。

 それは美鈴ですら初めて見る涙。
 父親が滅ぼされた時でも、いかなる困難が降りかかった時でも決して流す事の無かった涙。

「夢の中でお前は私に言ったよ、美鈴にとって私は闇を照らす月だったと。
 私も同じだった、私にとってもお前は月だった。何にも屈せず誇り高く光を放つ、何よりも確かな希望」

 レミリアの両手が美鈴の肩に添えられた。

「やっと、此処まで来たんだ。ようやく手に入れた平穏なんだ。
 これからようやくお前に楽をさせてやれると思っていたのに。
 勝手に満足して、それで勝手に死ぬなんて、置いて逝くなんて……」

 半ば無意識に、美鈴は手を伸ばしてレミリアの頭を抱き寄せた。

 愛しい娘。誇り高い吸血鬼。
 強い子だった。目の前で全てを失ったというのに文句も言わずただ運命に立ち向かって。
 その、小さな体でいくつもの困難を、絶望を、世界の悪意を打ち破ってきた。

 そんな、強いはずの 娘が泣いていた。

「私は夢を見てから、いくつもお前に関する運命を覗いたよ。
 でも、どれもこれも数年でお前は死んでしまう。寿命だったり、衰えた力で敵に立ち向かって殺されたり」

 声が震える。嗚咽が混じる。

「運命は変えられる。どんな絶望的な状況でも、明日が見えなくても。我らはそれを乗り越えて来た、だから……」

 それでも何とか彼女は言葉を紡ぎ続けた。

「どうすればいい!?お前がこの先もずっと我らと共にあるにはどうすればいい?
 勝手なことばかり言っているのは分かる、でも嫌なんだ。私はお前を失いたくない」

 だがやがてしゃくりをあげて、嗚咽に変わる。
 言葉が続けられなくなるほどに息を吐き涙を流し。

 皆泣いていた。
 フランドールは胸に顔をうずめて。
 咲夜は背に顔を付けて。
 レミリアは肩口に額を付けて。

 美鈴に縋りついて、泣いていた。

「ああ……」

 美鈴が声を漏らした。

「どうして忘れていたんだろう」

 それは疲れた様な声。
 誰にも見せぬ、本当の声。

 笑顔の仮面を付けぬ、随分と長い齢を重ね疲れ切った声。

「あのお方を失った時に、私は知ったはずじゃないか」

 目の前で最愛の人が滅ぼされた時に味わった絶望。
 置いて逝かれるという絶望。取り残されるという絶望。

 長い旅路の中で数え切れないほどの出会いと別れ。
 あまりにも多すぎて、気にしていたら壊れてしまいそうで。
 だからこそ、いつしか忘れていた感情。

 それをこの子たちにも味あわせるところだった。

「ごめんなさい……」

 懺悔でもするかのように瞳を閉じて。

「ごめんなさ……」

 そして透明な滴が落ちる。
 幾筋も幾筋も。数百年ぶりの涙。
 
「……ごめんなさい」

 彼女は皆を抱いたままそれを繰り返す。

 ごめんなさい。
 ごめんなさい。

 貴方達の気持ちに気が付けずにごめんなさい。
 勝手に満足して置いて逝こうとしてごめんなさい。

「これからは……」

 これからは生きるから。

「貴方達の為に……」

 そう、遠い昔の約束の為では無く。
 今大切な者の為に。

「精一杯生きるから……」

 涙を流して、ただただ四人はいつまでも寄り添っていた。







 水晶玉には寄り添う四人が映っていた。
 パチュリーが軽く手を振ると其の映像は消えうせる。

「これ以上は野暮ね」

 それから紅茶を一口。

「あの、よかったですね」
「ええ」

 共に水晶を眺めていた小悪魔が感極まった様子で呟く。

「貴方も、お疲れさまだったわ、疲れたでしょう?」
「いいえ、私は貴方のお役に立てた事が、
 紅魔館の役に立てた事が何よりも嬉しいのです。疲れなんかぶっ飛んじゃいますよ」
「そう、他人の喜びを嬉しいだなんて、悪魔にしては変わってるわね」
「きっと変わり者の主人に影響されたのですよ」
「違いないわ」

 お互いに軽い笑み。
 それから小悪魔は眉をひそめる。

「ところで、どうするおつもりですか?」
「何のことかしら?」
「美鈴さんの寿命ですよ。
 いくら彼女が生きるつもりになっても、それを何とかしなくては」

 パチュリーはなんだそんな事かと息を吐く。

「それならもう大丈夫よ」
「え?」
「前にも言ったでしょう? 妖怪の存在は肉体よりも精神に重きが置かれると」
「あ……」
「美鈴は、自分で生きる道を選んだの。だから大丈夫。そういう事よ」
「はい!」

 嬉しそうな小悪魔。
 パチュリーはそれを見て穏やかに笑う。

「あの子は幸せね。わたしの次くらいに」

 パチュリーは小悪魔の手を取った。

「小悪魔、貴方は私を置いて逝かないでね」
「はい」

 それを両手で包み込んで彼女が笑みを浮かべる。

「ずっと、ずっと、長き時の果てに死が二人を分かつ時まで。
 契約に従い、いいえ、契約など関係無く、私は貴方のお傍に」

 そこまで伝えて、照れたように小悪魔は頬を染めた。
 パチュリーが笑みを浮かべて、もう映らない水晶へと目を向ける。

 そして満足したように、うまくやりなさいよと呟いた。




                                     -終-
最後までお読みくださりありがとうございました。






>>41氏
誤字修正しました。
ご指摘ありがとうございましたm(_ _)m

>>47氏
そ、それは!

小悪魔:私も成長しましたし、夢に多少のバリエーションを持たせることもできるのです!
    もちろん、そういう夢が一番得意なのは変わりありませんけどね。

という事でご容赦をorz

>>89氏
誤字修正しました。
ご指摘ありがとうございますm(_ _)m

看過ではほぼ逆の意味でしたねorz
みたらしいお団子
http://
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コメント



0.4440簡易評価
1.100名前が無い程度の能力削除
夢のすぐあとには、
おはようを言ってくれる家族がいました。
2.70名前が無い程度の能力削除
うんいい話だ
7.80名前が無い程度の能力削除
文章にタイプしてる人の気持ちが滲んでるのが感じられてグッときました
もっと突き放してくれてもよかったです
8.100名前が無い程度の能力削除
途中二回くらい涙腺がやられました
10.90名前が無い程度の能力削除
これは素晴らしい涙腺破壊兵器。
12.100名前が無い程度の能力削除
涙が止まりませんよ
とても良い話でした
感動をありがとう
13.100名前が無い程度の能力削除
。・゚・(ノ∀`)・゚・。
15.100奇声を発する程度の能力削除
とても感動しました…
16.100名前が無い程度の能力削除
泣ける。
家族のいるありがたみを教えてくれる良い話でした。
22.100名前が無い程度の能力削除
思われれば、いくらでも…
ふと、人間でもそうなのかな、と思ってしまいました。

美しい作品をありがとうございました
31.100虎姫削除
美鈴は紅魔館にいなくてはいけない存在なんですね
34.100名前が無い程度の能力削除
誰一人欠けてはならない、誰がために生きる。そんな言葉がよく似合う作品でした。本当に美鈴いいですよねぇ……久々に美鈴分補充できました、ありがとうございます。
38.100名前が無い程度の能力削除
涙腺崩壊しました

よい作品をありがとう
41.100名前が無い程度の能力削除
良い作品でした。
やはり紅魔館はステキな場所ですね……。

ところで一つ。
>いよいよ日寄ったかしら
日和った、ではないでしょうか?
43.100名前が無い程度の能力削除
ヤバい、本気で泣いた・・・
素晴らしい話をありがとう
47.100名前が無い程度の能力削除
いいお話でした。
ただ小悪魔、その夢を見せる力ってたしか範囲○夢じゃ…
50.100名前が無い程度の能力削除
自分が思う美鈴像とピッタリ一致してて、凄くツボでした。
優しい紅魔館のみんなも凄くよかったです
54.100名前が無い程度の能力削除
>>8
俺はその倍は泣いたぜ。俺の勝ちだな、グスッ
64.100名前が無い程度の能力削除
寿命話は基本咲夜さんの話だが美鈴だと人間よりも妖怪が先に逝くってのが余計にもの悲しく感じる
毅然とした姿をしようとしたがそれでも傍にいて欲しいと渇望するレミリアが非常に良かった
68.100名前が無い程度の能力削除
寿命に囚われてはいけないのですね!
70.100名前が無い程度の能力削除
良かった泣いた
72.100暮森削除
 これまでの集大成って感じですね、感動しました。
 美鈴の愛された死にネタが好きなので、それぞれの夢での描写も楽しめました。そして、最後の……ちゃんと長生きしろよ、美鈴!

 さて、この手の話で個人的に気に為るのは、咲夜さんの今後ですね。
 夢の中とはいえ、大切な人を失う経験をした彼女が、果たして自分を人間のままで終わらせられるのか。
79.無評価名前が無い程度の能力削除
本文に松井秀喜が!
83.100ずわいがに削除
ちょっとちょっと、やめてくださいよ、ディスプレイがぼやけて読めないじゃあないですか……

美鈴、あのまま逝ってしまえば映姫様に不孝者として地獄に落とされてたかもしれないなぁ
87.無評価名前が無い程度の能力削除
泣いた。コメントを打っているこの瞬間もディスプレイがよく見えない。
ありがとう。
89.100名前が無い程度の能力削除
>見事に看過されてしまった。

看破、じゃないですかね。
ともあれ良い話でした
94.100名前が無い程度の能力削除
生きようと強く思えることこそが、その命をより輝かせるのである、か。
美鈴は無上の愛を与え、そしてその身に受けていたわけですね。いいはなしだなー。
103.100名前が無い程度の能力削除
今までのSSを見てきたからこそ言える、最高の出来だったと
好きに死なせてやるべきだと感じたけど、この終わり方で良かったと思えた
小悪魔の夢の魅せ方が半端ない
108.100名前が無い程度の能力削除
画面が見えない
109.100名前が無い程度の能力削除
素晴らしいの一言