夜の暗闇に火が一つ浮かんでいる。
こんな夜更け、しかも山の中でなぜ火が浮かんでいるのか、不思議に思う。
私は光に誘われた虫のように、火のもとへ向かった。
草木をかき分け、火のもとにある何かを求めて、ただ歩く。
そうやって、歩いた先には広場があった。奥に洞窟らしきものが見える。
広場には人間が三人ばかり、かがり火を囲んで座っている。
よく見ると、各人その手には杯が持たれている。宴の最中のようだ。
だが、これは宴というにはいささか静かすぎる。誰も喋らないとは……。
まあ、気にしても仕方あるまい。
私は頭の帽子を手に取り、その中に忍ばせておいた杯をするりと取り出す。
さて、誰にも気づかれぬよう、お相伴にあずかる事にしよう。
三人が酒にうつつを抜かしている間に、とっくりを一本拝借させてもらった。なかなか美味い。
こうなると肴が欲しくなる。そう思い、辺りを見回すが、肴になりそうなものはなかった。
何だ、この宴には酒しかないのかと少しだけがっかりした。
しかし待てよ、食物ばかりが肴とは決まっていない。
こんな辺鄙な場所で宴なんかしている人間三人。これは何か訳がある。
私は改めて三人を見る。
まず目に入ったのが、髭面のいかにも山男といった風貌の男である。
先程から酒を浴びるように飲んでいる。顔が赤いのは酒そのせいだろうか。
次いで黒髪が肩にまでかかった女だ。まだ若い。
どこか品の良さを感じさせる所作に目がいく。
そして最後に、刀を差した浪人。
腰にぶら下げている刀は飾りですと言わんばかりの気迫のない顔だ。
この三人、なぜこんな場所で宴を開くのか謎である。……そうだ、これを肴にしよう。
私はじっと三人を見つめた。早く話せ。
「酒、なくなったな……」
しばらくして、最初に口を開いたのは髭面の男だった。
やっと話すのかと思っていたらそんな事を言った。私はもう酒がなくなったのかと驚いた。
目をやると、髭面の男の足元にはとっくりが大量に転がっている。
酒がないのでは肴の意味がない。
「それじゃあ、とうとうこれの出番だな」
私が酒は残ってないか、地面に転がっているとっくりをあさっていると、浪人が巾着を手にぶら下げてそう言った。
ここにきて何を取り出したかと思えば、ただの巾着であった。酒でないのが残念でならない。
しかし、その巾着の中身は何だろう。
そこで女が怯えているのに気づいた。髭面の男もどこか神妙な顔をしている。
「本当に飲むの……?」
「飲まないでいて、お前はこの後どうやって生きるんだ?」
女はかすかな声で浪人に尋ねたが、返事は辛いものだった。
これはどうした事か、雲行きが怪しくなってきた。
この後どうなるのか気になる。酒はないが、聞いてやってもいいかな。
「あいつは里に行ったきり帰ってこない」
「でも、もう少し待ってみてもいいじゃない……?」
「そうだな待てば帰ってくるかもな。……里の自警団を連れてな!」
女の提案に、浪人は吐き捨てるようにそう言った。
『あいつ』とは一体誰だろう。話から察するに、ここにいる三人を裏切ったようだが。
それと里の自警団が話の中に出てきたのには驚いた。
この三人、何か悪事を働いてこの場所に逃げ込んできたようである。
「人を殺した妖怪は退治される。じゃあ人を殺した人間は……」
浪人が目を大きく見開いて、殺人をほのめかすような事を口にした。
それを聞いてか、他の二人は俯いたまま固まってしまった。
まさか殺人だとは思わなかった。せいぜい盗みぐらいだとばかり思っていた。
ああ、だから里には行けないのか。
人里に唯一行ける『あいつ』が頼みの綱だったのに、それも『あいつ』自身に断ち切られてしまった。
そして人里からの供給がなくなるだけでなく、安住の地を追いだされる結果となった訳だ。
幻想郷で人里以外に普通の人間が安穏と暮らせる場所は少ない。
あるにはあるが、既に誰かが暮らしている。
八方ふさがりなのだ。もうこの三人に行き場はない。
だから、殺されるよりは自分で死ぬ。この安住の地で最期を迎えようという事なのだろう。
「酔いが醒めないうちに、逝かせてもらおうか」
髭面の男はそう言うと、浪人から巾着を奪い、中から薬包紙を一つ取り出した。
他の二人は、髭面の男を凝視している。
顔に似合わず、髭面の男は丁寧に薬包紙を広げる。中には粉が入っていた。
この粉が毒なのか。粉だったのなら飲み込みやすいよう酒を残しておけばよかったのに。
そんな事を思っていると、髭面の男の声が聞こえた。
「それじゃあ……」
髭面の男は一呼吸し、そのまま粉を飲み込んだ。
とうとうやった。しばらくすると髭面の男は呻いて、その場にうずくまってしまった。
その様子を見て、女は顔を背けてしまった。確かにあまり気持ちのいいものではない。
「苦しいか? 今、楽にしてやるぞ」
不意に浪人が立ち上がり、言った。
髭面の男に気を取られて気づかなかった。いつの間にか、刀は抜かれていた。
浪人はゆっくりと髭面の男に歩み寄り、うずくまっている髭面の男の首に、刀を振った。
血は飛ばなかった。峰打ちだった。
髭面の男は動かなくなった。もう起き上がる事はないだろう。
「お前にもしてやろうか?」
刀を握りしめ、浪人は座り込んでいる女に問いかけた。
女は瞳を閉じ、耳をふさいで泣いている。
「仕方がない」
浪人はそう言うと、女を突き飛ばし、倒れたところを馬乗りになった。しぶきが上がった。
あっという間だった。浪人が離れた後も、女が動く事はなかった。
残されたのは浪人、ただ一人。
これからどうするのだろう。一人苦しみ死んでゆくのだろうか。
この三人には、僅かだが酒を飲ませてもらった恩がある。二人はもう死んでいるが。
「すみません」
毒を飲んで死ぬのも苦しそうだし、ましてや切腹もしくは自刎なんて苦しいだけで済む訳ない。
ならば私が手伝ってあげよう。そう思って、声をかけた。
「な、何者だ!」
浪人は心底驚いたようである。いきなり見知らぬ女が現れたようなものだから、無理もない。
とりあえず警戒を解いてもらうため、柔らかめの口調で話す必要がある。
「妖怪です。でも安心して下さい。あなたを食べようとなんて微塵も思ってませんから」
「……妖怪が何のようだ」
「この度の宴で勝手ながらお酒をご馳走になりましたので、そのお礼をしようかと」
「お礼?」
お礼と言ったら幾分警戒を解いてくれた。現金な人間だ。
「見たところお困りのようで」
「ん……、確かにそうだが」
浪人は地面に転がっている二人の死体を見て、顎に手をやった。
やはり困っている様子である。
「私にお手伝いさせてください。遠慮はいりません。お酒を頂きましたから」
「……それでは手伝ってもらおうかな」
「はい、分かりました」
ずいぶん悩んだようだが、結局は私に頼るという結論にいたったようだ。
それではやらせて頂くとしよう。浪人の首にそっと手を伸ばす。浪人はえらく慌てて退いた。
「何をするんだ!」
「仲間の後を追いたいんでしょう。お手伝いしますよ」
「違う! あいつらは仲間なんかじゃない! 追いたくもない!」
仲間ではないとはどういう事だ。伸ばした手を戻し、浪人が落ち着くのを待つ。
浪人は私が何もしてこないのを見て落ち着きを取り戻したようだ。
「仲間じゃないってどういう事?」
「俺はあいつらみたいな罪人じゃない。むしろその首を狙っていた」
そこに転がっている二人が罪人だというのは分かっている。
しかし、なぜ自称無罪の浪人が、この二人と裏切り者の『あいつ』と一緒に暮らしていたのだろうか。
私は浪人にそのことを尋ねてみた。
すると浪人は松明を持ち出し、かがり火から火を分けてもらい、ついてこいと手招きして、洞窟の中に入っていった。
洞窟の中は浪人が少し前かがみになるくらいの微妙な広さだ。
その限られた空間には、生活のための道具が色々置かれている。
浪人はそれらに目もくれず、奥へ奥へと進んでゆく。
松明は浪人が持っているから、離れるごとに視界が暗くなってゆく。もう少しゆっくり進んでほしい。
しばらくして、浪人の動きが止まった。目的の場所に着いたようだ。
「これを見てくれよ」
渡されたのは岩石であった。
その岩石をよく調べてみると、なにやら品のいい、翡翠らしきものが露わになっている。
「きれいだろ。それを集めるために奴らと暮らしていたんだ」
浪人の言葉が洞窟内を反響する。
私は浪人がどうやってこの場所を知ったのだろうかと疑問に思い尋ねた。
「よくこの場所が分かりましたね」
「なに、人里で度々翡翠を売りに来る女がいてな。どこで採掘しているのか気になって、後を追っていったら見つけたんだよ」
浪人は愉快そうに、そう答えた。
浪人の話からすると、『あいつ』というのは女らしい。
「しかもそこには、それ以前に見た手配書の人相書きとそっくりな二人がいた」
「それで?」
「人を殺して里から逃げてきたと偽って、奴らの仲間になった。奴らも寂しかったんだろうな。まあ俺は翡翠と名声、一石二鳥だと内心喜んだものだが」
松明の光が浪人の影を色濃くする。
浪人はもういいだろうと言って、外へと向かっていった。私はその背中を黙って追った。
外に出ると、洞窟に入った時より暗くなっていた。
かがり火の勢いが弱まっていた。
「そういえば洞窟に入る前、酒の恩がどうたらと言っていたな」
暗闇の中、松明で照らされた浪人の口からそんな言葉が出てきた。
面倒事は嫌だ。
「この二人の死体を人里へと運びたい。手伝ってくれ」
何を言い出すかと思えば、死体を運ぶのを手伝ってほしいとの事。
死体運びと言えばもっと適任がいる。
「死体を運ぶのが好きな妖怪を知っていますから、その子を呼びましょう」
私は、死体を運ぶのならお燐が丁度いいだろうと思い、浪人にそう言った。
浪人は、それでは頼むと口早に返事をした。
それならばと、私は帽子を取り、中から一羽の地獄鴉を取り出した。
そして地獄鴉にお燐を連れてくるよう命じて、暗闇に消えていく地獄鴉を見送った。
地獄の鴉が鳥目であるはずがない。おそらく大丈夫だろう。
「どうして君が呼びに行かないんだ?」
その様子を見ていてか、浪人はそう尋ねてきた。なに、簡単な事だ。
「私が行ってもいいのですよ。でも戻ってきたら死体が三つに増えていて、妖怪たちがそれを肴に宴会しているかもしれませんが」
ほら、あそこから見ていますよと暗闇を指すと、浪人は失礼しましたと小さく呟いた。
自分の立場が分かったようである。
別にこれは浪人を脅すための言葉ではない。実際にこちらをうかがっている者がいるのだ。
火を恐れて逃げ出す様子もないから、獣ではないだろう事は分かっている。
だが、その視線の主が人間か妖怪か、私には分からなかった。
「こいし様、何か御用ですか?」
地獄鴉に使いを頼んで、だいたい三十分ぐらい経っただろうか。お燐はやってきた。
やってきて早々、地面に転がっている二人の死体をチラチラ見ている。
「悪いんだけど、この二人の死体を運んでくれない?」
私がそう伝えると、お燐は笑顔で了承してくれた。
浪人も、お願いしますとお燐に頭を下げた。
「いいって、そんな事しなくても」
お燐は浪人に笑顔でそう言った。死体を手に入れられたのが嬉しいのだろう。
「それじゃあ人里まで行きましょうか」
浪人にお礼も出来た事だし、早くこの場を去りたかったので、私は急かすようにそう言った。
あれからずっと私たちを見ている何かから、離れたかった。
怖いという訳ではない。ただ嫌な気分になるからだ。
「はい、分かりました。ねえ、お兄さん。歩いて人里まで行くと朝になっちゃうからあたいの猫車に乗っていきなよ」
私が忘れ物はないか確認していると、お燐は浪人にそんな話を持ちかけていた。
流石に死体と一緒に乗るのは、人間にとって酷ではないか。
私がそう思っていたら、浪人は是非お願いしますと即答した。
浪人の手にはいつの間にか洞窟から持ち出してきたのだろう、岩石が十個ほど置かれている。
なんと欲深な奴だろうか。この浪人、金のためなら何でもするのか。
「こいし様、行きますよ」
浪人に呆れているうちに、お燐は荷物を全部積み終わったようだ。
お燐は浪人と死体二つ、あと岩石十個が入った猫車を涼しい顔して押している。
……そうだ、早く行こう。お燐が助走をつけて飛び立ったのを見て、その背中を追いかけた。
風を切って飛んでいるうちに、人里が見えてきた。
どの家も明かりがついている様子はない。みんな寝静まっていた。
そんな静寂を破らぬよう、私たちは静かに地上に降りた。浪人とはここでお別れだ。
お燐は浪人と岩石を猫車から降ろして、それじゃあとさっさと帰っていった。
「おいちょっと待て。死体はどうした?」
「手間賃として貰っていくよ」
お燐は浪人の問いかけに、振り返らずそう言った。
まあ、私のお礼というのはお燐を呼んであげるだけだ。
つまり浪人にお燐を紹介してあげるだけであって、そこからは浪人とお燐で交渉してくださいという事である。
私がその事を告げると、浪人は何か言おうとしたが、口を噤んでしまった。
仕方がない。慰めの言葉でも送ろう。
「あのまま死体といて、妖怪に食べられてしまうところを、無事に帰ってこれたのですから、妥協なさいな」
「……そうですね。ありがとうございました」
浪人は礼を言うと、岩石を抱え込んで何処かへ去っていった。
最後に私だけが残った。
それにしても、あの視線は何だったのだろう。
翌日、まだ太陽が出ている頃、私は昨日の宴の場所へ足を運んだ。
あの視線が何だったのか、調べるためである。
確か視線はあの方向から感じたはずだ。そう思って、視線の放たれていた方へと進んでいく。
進んでいくと、最近嗅いだ事のある臭いがしてきた。血の臭いだ。
一歩一歩進むごとに、血の臭いが強まってくる。
そして辿りついた先には、女の死体があった。知らない顔だ。
喰われた跡がある。妖怪に襲われたのだろうか。
そうやって、死体を観察しているうちに、ある事に気づいた。
妖怪の爪とは違う、何か鋭い刃物で斬られたような傷を見つけたのだ。
「誰かに斬られた……?」
つい独り言を言ってしまった。それほどに、妖怪に襲われたとしたら不自然な傷だった。
この辺で刃物を持っていた人間といえば、真っ先にあの浪人が思い浮かんだ。
そしてこの死体は『あいつ』なのではないだろうか。
突拍子もない事を思ったものだ。
だけど、もしかすると、本当に『あいつ』なのではないか。
だとしたら、『あいつ』は裏切っていなかったという事だ。
むしろ、浪人に斬られたのではないかとも思えてきた。
もしかして、そういうことなのか?
いや、いくらなんでも早計すぎるか……。
この女の死因が、私には分からなかった。
これから、更にぼやけていくだろう女の死体を放置して、私はこの場を去る事にした。
そうだ、命蓮寺の尼さんにでもこの事を知らせておくか。供養ぐらいしてくれるだろう。
人里の外では、時の流れだけでなく、妖怪が死因をぼかしてしまう。
そして、ぼかされた死体は人間の想像をかきたて、新たな怪異を生みだす。
だが、それによって生まれる怪異の大半が人喰いだというのは、全くもって皮肉なものだ。
こんな夜更け、しかも山の中でなぜ火が浮かんでいるのか、不思議に思う。
私は光に誘われた虫のように、火のもとへ向かった。
草木をかき分け、火のもとにある何かを求めて、ただ歩く。
そうやって、歩いた先には広場があった。奥に洞窟らしきものが見える。
広場には人間が三人ばかり、かがり火を囲んで座っている。
よく見ると、各人その手には杯が持たれている。宴の最中のようだ。
だが、これは宴というにはいささか静かすぎる。誰も喋らないとは……。
まあ、気にしても仕方あるまい。
私は頭の帽子を手に取り、その中に忍ばせておいた杯をするりと取り出す。
さて、誰にも気づかれぬよう、お相伴にあずかる事にしよう。
三人が酒にうつつを抜かしている間に、とっくりを一本拝借させてもらった。なかなか美味い。
こうなると肴が欲しくなる。そう思い、辺りを見回すが、肴になりそうなものはなかった。
何だ、この宴には酒しかないのかと少しだけがっかりした。
しかし待てよ、食物ばかりが肴とは決まっていない。
こんな辺鄙な場所で宴なんかしている人間三人。これは何か訳がある。
私は改めて三人を見る。
まず目に入ったのが、髭面のいかにも山男といった風貌の男である。
先程から酒を浴びるように飲んでいる。顔が赤いのは酒そのせいだろうか。
次いで黒髪が肩にまでかかった女だ。まだ若い。
どこか品の良さを感じさせる所作に目がいく。
そして最後に、刀を差した浪人。
腰にぶら下げている刀は飾りですと言わんばかりの気迫のない顔だ。
この三人、なぜこんな場所で宴を開くのか謎である。……そうだ、これを肴にしよう。
私はじっと三人を見つめた。早く話せ。
「酒、なくなったな……」
しばらくして、最初に口を開いたのは髭面の男だった。
やっと話すのかと思っていたらそんな事を言った。私はもう酒がなくなったのかと驚いた。
目をやると、髭面の男の足元にはとっくりが大量に転がっている。
酒がないのでは肴の意味がない。
「それじゃあ、とうとうこれの出番だな」
私が酒は残ってないか、地面に転がっているとっくりをあさっていると、浪人が巾着を手にぶら下げてそう言った。
ここにきて何を取り出したかと思えば、ただの巾着であった。酒でないのが残念でならない。
しかし、その巾着の中身は何だろう。
そこで女が怯えているのに気づいた。髭面の男もどこか神妙な顔をしている。
「本当に飲むの……?」
「飲まないでいて、お前はこの後どうやって生きるんだ?」
女はかすかな声で浪人に尋ねたが、返事は辛いものだった。
これはどうした事か、雲行きが怪しくなってきた。
この後どうなるのか気になる。酒はないが、聞いてやってもいいかな。
「あいつは里に行ったきり帰ってこない」
「でも、もう少し待ってみてもいいじゃない……?」
「そうだな待てば帰ってくるかもな。……里の自警団を連れてな!」
女の提案に、浪人は吐き捨てるようにそう言った。
『あいつ』とは一体誰だろう。話から察するに、ここにいる三人を裏切ったようだが。
それと里の自警団が話の中に出てきたのには驚いた。
この三人、何か悪事を働いてこの場所に逃げ込んできたようである。
「人を殺した妖怪は退治される。じゃあ人を殺した人間は……」
浪人が目を大きく見開いて、殺人をほのめかすような事を口にした。
それを聞いてか、他の二人は俯いたまま固まってしまった。
まさか殺人だとは思わなかった。せいぜい盗みぐらいだとばかり思っていた。
ああ、だから里には行けないのか。
人里に唯一行ける『あいつ』が頼みの綱だったのに、それも『あいつ』自身に断ち切られてしまった。
そして人里からの供給がなくなるだけでなく、安住の地を追いだされる結果となった訳だ。
幻想郷で人里以外に普通の人間が安穏と暮らせる場所は少ない。
あるにはあるが、既に誰かが暮らしている。
八方ふさがりなのだ。もうこの三人に行き場はない。
だから、殺されるよりは自分で死ぬ。この安住の地で最期を迎えようという事なのだろう。
「酔いが醒めないうちに、逝かせてもらおうか」
髭面の男はそう言うと、浪人から巾着を奪い、中から薬包紙を一つ取り出した。
他の二人は、髭面の男を凝視している。
顔に似合わず、髭面の男は丁寧に薬包紙を広げる。中には粉が入っていた。
この粉が毒なのか。粉だったのなら飲み込みやすいよう酒を残しておけばよかったのに。
そんな事を思っていると、髭面の男の声が聞こえた。
「それじゃあ……」
髭面の男は一呼吸し、そのまま粉を飲み込んだ。
とうとうやった。しばらくすると髭面の男は呻いて、その場にうずくまってしまった。
その様子を見て、女は顔を背けてしまった。確かにあまり気持ちのいいものではない。
「苦しいか? 今、楽にしてやるぞ」
不意に浪人が立ち上がり、言った。
髭面の男に気を取られて気づかなかった。いつの間にか、刀は抜かれていた。
浪人はゆっくりと髭面の男に歩み寄り、うずくまっている髭面の男の首に、刀を振った。
血は飛ばなかった。峰打ちだった。
髭面の男は動かなくなった。もう起き上がる事はないだろう。
「お前にもしてやろうか?」
刀を握りしめ、浪人は座り込んでいる女に問いかけた。
女は瞳を閉じ、耳をふさいで泣いている。
「仕方がない」
浪人はそう言うと、女を突き飛ばし、倒れたところを馬乗りになった。しぶきが上がった。
あっという間だった。浪人が離れた後も、女が動く事はなかった。
残されたのは浪人、ただ一人。
これからどうするのだろう。一人苦しみ死んでゆくのだろうか。
この三人には、僅かだが酒を飲ませてもらった恩がある。二人はもう死んでいるが。
「すみません」
毒を飲んで死ぬのも苦しそうだし、ましてや切腹もしくは自刎なんて苦しいだけで済む訳ない。
ならば私が手伝ってあげよう。そう思って、声をかけた。
「な、何者だ!」
浪人は心底驚いたようである。いきなり見知らぬ女が現れたようなものだから、無理もない。
とりあえず警戒を解いてもらうため、柔らかめの口調で話す必要がある。
「妖怪です。でも安心して下さい。あなたを食べようとなんて微塵も思ってませんから」
「……妖怪が何のようだ」
「この度の宴で勝手ながらお酒をご馳走になりましたので、そのお礼をしようかと」
「お礼?」
お礼と言ったら幾分警戒を解いてくれた。現金な人間だ。
「見たところお困りのようで」
「ん……、確かにそうだが」
浪人は地面に転がっている二人の死体を見て、顎に手をやった。
やはり困っている様子である。
「私にお手伝いさせてください。遠慮はいりません。お酒を頂きましたから」
「……それでは手伝ってもらおうかな」
「はい、分かりました」
ずいぶん悩んだようだが、結局は私に頼るという結論にいたったようだ。
それではやらせて頂くとしよう。浪人の首にそっと手を伸ばす。浪人はえらく慌てて退いた。
「何をするんだ!」
「仲間の後を追いたいんでしょう。お手伝いしますよ」
「違う! あいつらは仲間なんかじゃない! 追いたくもない!」
仲間ではないとはどういう事だ。伸ばした手を戻し、浪人が落ち着くのを待つ。
浪人は私が何もしてこないのを見て落ち着きを取り戻したようだ。
「仲間じゃないってどういう事?」
「俺はあいつらみたいな罪人じゃない。むしろその首を狙っていた」
そこに転がっている二人が罪人だというのは分かっている。
しかし、なぜ自称無罪の浪人が、この二人と裏切り者の『あいつ』と一緒に暮らしていたのだろうか。
私は浪人にそのことを尋ねてみた。
すると浪人は松明を持ち出し、かがり火から火を分けてもらい、ついてこいと手招きして、洞窟の中に入っていった。
洞窟の中は浪人が少し前かがみになるくらいの微妙な広さだ。
その限られた空間には、生活のための道具が色々置かれている。
浪人はそれらに目もくれず、奥へ奥へと進んでゆく。
松明は浪人が持っているから、離れるごとに視界が暗くなってゆく。もう少しゆっくり進んでほしい。
しばらくして、浪人の動きが止まった。目的の場所に着いたようだ。
「これを見てくれよ」
渡されたのは岩石であった。
その岩石をよく調べてみると、なにやら品のいい、翡翠らしきものが露わになっている。
「きれいだろ。それを集めるために奴らと暮らしていたんだ」
浪人の言葉が洞窟内を反響する。
私は浪人がどうやってこの場所を知ったのだろうかと疑問に思い尋ねた。
「よくこの場所が分かりましたね」
「なに、人里で度々翡翠を売りに来る女がいてな。どこで採掘しているのか気になって、後を追っていったら見つけたんだよ」
浪人は愉快そうに、そう答えた。
浪人の話からすると、『あいつ』というのは女らしい。
「しかもそこには、それ以前に見た手配書の人相書きとそっくりな二人がいた」
「それで?」
「人を殺して里から逃げてきたと偽って、奴らの仲間になった。奴らも寂しかったんだろうな。まあ俺は翡翠と名声、一石二鳥だと内心喜んだものだが」
松明の光が浪人の影を色濃くする。
浪人はもういいだろうと言って、外へと向かっていった。私はその背中を黙って追った。
外に出ると、洞窟に入った時より暗くなっていた。
かがり火の勢いが弱まっていた。
「そういえば洞窟に入る前、酒の恩がどうたらと言っていたな」
暗闇の中、松明で照らされた浪人の口からそんな言葉が出てきた。
面倒事は嫌だ。
「この二人の死体を人里へと運びたい。手伝ってくれ」
何を言い出すかと思えば、死体を運ぶのを手伝ってほしいとの事。
死体運びと言えばもっと適任がいる。
「死体を運ぶのが好きな妖怪を知っていますから、その子を呼びましょう」
私は、死体を運ぶのならお燐が丁度いいだろうと思い、浪人にそう言った。
浪人は、それでは頼むと口早に返事をした。
それならばと、私は帽子を取り、中から一羽の地獄鴉を取り出した。
そして地獄鴉にお燐を連れてくるよう命じて、暗闇に消えていく地獄鴉を見送った。
地獄の鴉が鳥目であるはずがない。おそらく大丈夫だろう。
「どうして君が呼びに行かないんだ?」
その様子を見ていてか、浪人はそう尋ねてきた。なに、簡単な事だ。
「私が行ってもいいのですよ。でも戻ってきたら死体が三つに増えていて、妖怪たちがそれを肴に宴会しているかもしれませんが」
ほら、あそこから見ていますよと暗闇を指すと、浪人は失礼しましたと小さく呟いた。
自分の立場が分かったようである。
別にこれは浪人を脅すための言葉ではない。実際にこちらをうかがっている者がいるのだ。
火を恐れて逃げ出す様子もないから、獣ではないだろう事は分かっている。
だが、その視線の主が人間か妖怪か、私には分からなかった。
「こいし様、何か御用ですか?」
地獄鴉に使いを頼んで、だいたい三十分ぐらい経っただろうか。お燐はやってきた。
やってきて早々、地面に転がっている二人の死体をチラチラ見ている。
「悪いんだけど、この二人の死体を運んでくれない?」
私がそう伝えると、お燐は笑顔で了承してくれた。
浪人も、お願いしますとお燐に頭を下げた。
「いいって、そんな事しなくても」
お燐は浪人に笑顔でそう言った。死体を手に入れられたのが嬉しいのだろう。
「それじゃあ人里まで行きましょうか」
浪人にお礼も出来た事だし、早くこの場を去りたかったので、私は急かすようにそう言った。
あれからずっと私たちを見ている何かから、離れたかった。
怖いという訳ではない。ただ嫌な気分になるからだ。
「はい、分かりました。ねえ、お兄さん。歩いて人里まで行くと朝になっちゃうからあたいの猫車に乗っていきなよ」
私が忘れ物はないか確認していると、お燐は浪人にそんな話を持ちかけていた。
流石に死体と一緒に乗るのは、人間にとって酷ではないか。
私がそう思っていたら、浪人は是非お願いしますと即答した。
浪人の手にはいつの間にか洞窟から持ち出してきたのだろう、岩石が十個ほど置かれている。
なんと欲深な奴だろうか。この浪人、金のためなら何でもするのか。
「こいし様、行きますよ」
浪人に呆れているうちに、お燐は荷物を全部積み終わったようだ。
お燐は浪人と死体二つ、あと岩石十個が入った猫車を涼しい顔して押している。
……そうだ、早く行こう。お燐が助走をつけて飛び立ったのを見て、その背中を追いかけた。
風を切って飛んでいるうちに、人里が見えてきた。
どの家も明かりがついている様子はない。みんな寝静まっていた。
そんな静寂を破らぬよう、私たちは静かに地上に降りた。浪人とはここでお別れだ。
お燐は浪人と岩石を猫車から降ろして、それじゃあとさっさと帰っていった。
「おいちょっと待て。死体はどうした?」
「手間賃として貰っていくよ」
お燐は浪人の問いかけに、振り返らずそう言った。
まあ、私のお礼というのはお燐を呼んであげるだけだ。
つまり浪人にお燐を紹介してあげるだけであって、そこからは浪人とお燐で交渉してくださいという事である。
私がその事を告げると、浪人は何か言おうとしたが、口を噤んでしまった。
仕方がない。慰めの言葉でも送ろう。
「あのまま死体といて、妖怪に食べられてしまうところを、無事に帰ってこれたのですから、妥協なさいな」
「……そうですね。ありがとうございました」
浪人は礼を言うと、岩石を抱え込んで何処かへ去っていった。
最後に私だけが残った。
それにしても、あの視線は何だったのだろう。
翌日、まだ太陽が出ている頃、私は昨日の宴の場所へ足を運んだ。
あの視線が何だったのか、調べるためである。
確か視線はあの方向から感じたはずだ。そう思って、視線の放たれていた方へと進んでいく。
進んでいくと、最近嗅いだ事のある臭いがしてきた。血の臭いだ。
一歩一歩進むごとに、血の臭いが強まってくる。
そして辿りついた先には、女の死体があった。知らない顔だ。
喰われた跡がある。妖怪に襲われたのだろうか。
そうやって、死体を観察しているうちに、ある事に気づいた。
妖怪の爪とは違う、何か鋭い刃物で斬られたような傷を見つけたのだ。
「誰かに斬られた……?」
つい独り言を言ってしまった。それほどに、妖怪に襲われたとしたら不自然な傷だった。
この辺で刃物を持っていた人間といえば、真っ先にあの浪人が思い浮かんだ。
そしてこの死体は『あいつ』なのではないだろうか。
突拍子もない事を思ったものだ。
だけど、もしかすると、本当に『あいつ』なのではないか。
だとしたら、『あいつ』は裏切っていなかったという事だ。
むしろ、浪人に斬られたのではないかとも思えてきた。
もしかして、そういうことなのか?
いや、いくらなんでも早計すぎるか……。
この女の死因が、私には分からなかった。
これから、更にぼやけていくだろう女の死体を放置して、私はこの場を去る事にした。
そうだ、命蓮寺の尼さんにでもこの事を知らせておくか。供養ぐらいしてくれるだろう。
人里の外では、時の流れだけでなく、妖怪が死因をぼかしてしまう。
そして、ぼかされた死体は人間の想像をかきたて、新たな怪異を生みだす。
だが、それによって生まれる怪異の大半が人喰いだというのは、全くもって皮肉なものだ。
ストーリは誠実に起承転結に沿って読者を誘導し、
加えて質実剛健で、飾り気のない文章が登場人物の心理や、
得体の知れない不確かな(アイツ)を淡々と書き出していると思います。
前作では価値を見出すことができなかった淡白さも、
今作では余すことなく文章に魅力を与えているように感じました。
物語の内容は世捨て人の苦悩、浪人の強欲などの、一見俗世的な人間味のあるものです。
しかしさとりがそういった俗世を傍観し、心を動かしたのが、無常の概念だと思います。
死体が「ぼやける」のは、彼女に対して漠然とした不安を与えたのではないでしょうか。
そう考えると、しみじみとした感銘を覚えないわけには行きません。
そして先に挙げた表現方法がより一層、この感情を引き立ててくれました。
賞賛しすぎるのは失礼なので、批評もさせていただきます。
会話を大事にしてください。
思い切って言うと地文で処理されても気にならないくらい、
重要性がないようなものが幾つかあるように思えますが。
今回は80点をつけさせていただきます。
期待してそそわに張り付いてよかった。次の作品も頑張ってください。
あとこいしちゃんとちゅっちゅしたい(関係なし)
こういうのは好きです
そしてその無情の現世を眺めるこいしの冷めた目がまた……。