「ナズー、信者さん方から初物の蜜柑を頂きました。一緒に食べませんか」
下の方から声が聞こえた。
声の主は誰何するまでもない。私を略称で呼ぶのはただ一人だ。
目を開けると、そこには何一つ遮るもののない青空が広がっている。ぽかぽかとした陽気はこの季節には珍しく、風もあまり吹かない絶好の昼寝日和。
普段の疲れを誰にも邪魔されることなく癒すべく、私は命蓮寺の信者達から見えない場所の屋根の上で昼寝をしていた所だった。
「ナズー、この蜜柑おいしいんですよ。とっても甘いんです」
返事をせずに夢の片鱗に片手でぶら下がっていると、追い打ちをかけるようにご主人の声が響いてくる。
はいはい、起きればいいんだろう、全く。事あるごとに何でも報告したり、分け与えたりしたがるご主人の癖は美徳だが、今はおせっかいに感じてしまう。後で食べさせてくれればいいのだが。
「おいしいと分かっていると言う事は、ご主人はすでにつまみ食いをしたと言う事だね」
腹に力を入れて、起き上がり伸びを一つ。寝起きの不機嫌さで、ご主人の声が聞こえる屋根の下に向かってちょいとした嫌味を言う。
「え、いや、そんな事は! 蜜柑を頂くときに味の感想を求められて、その場で食べただけですよ!」
慌てて言い訳を口にするご主人。分かっている、ご主人がつまみ食いなどする訳がない。曲がった事は大嫌い。それに皆と供においしいものを食べる事ができるという大切さを何よりも知っているご主人だ。
そんな事私が一番よく知っている。千年も供に居たのだ。
今のはからかっただけ。ご主人の慌てる声が聞きたかっただけだ。
でも私がこう思っている事を素直に言ったりはしないけれど。
「ふーん、どうだかな。まぁ、いいさ、一つ貰おう。よっと」
予想通りの反応に緩む頬を自覚しつつ、屋根の上からご主人のいる廊下へ下りた。
そこには貰った蜜柑を山盛りにざるに入れたご主人が立っていた。若干、情けなさそうに眉毛が寄っているのは私が放った言葉のせいだろう。
「からかわないで下さいよ、ナズー。いつもそういうことするんですから」
私の表情を見て、からかわれた事に気付いた様だ。
しかし面と向かって顔を見ないと、からかわれている事に気づかないとは、さすがのご主人クオリティー。淀みもなくいつも通りだ。
「それはいつまでたっても反応が可愛いご主人が悪いのさ。どれ、それを一つくれないか」
通りにも通らぬ責任転嫁をして、私はご主人に手を伸ばす。
だがご主人は蜜柑を渡そうとしない。固まってしまっている。どうしたというのだろう。
「ご主人? 蜜柑をくれないか、一緒に食べるのだろう?」
「――はっ! そう、そうです、蜜柑です。蜜柑なんです。蜜柑がおいしいんですよ、甘いんですよ、橙色なんですよ」
「うん、それはさっき聞いたし、見ればわかる。何を混乱しているんだい?」
「いえ、なんでも! 何でもありません! 今日はいい天気ですし、縁側で食べましょう、そうしましょう!」
そう言って妙に素早い動きで、蜜柑を横に置き縁側にしゃがみピシッと正座をする。変なご主人だ。まぁ、いいかご主人が時たま変になるのは今に始まった事ではない。
私も縁側に行き、足をぶら下げて座り込む。
外は相変わらず抜けるような青空が広がっている。
ちらと横のご主人を見ると、何故だか頬が少し赤い気がする。別にそこまで寒くはないと思うのだが、外の風に当たって冷えたのだろうか。
まぁ、大事ない範囲内だろう。お互いに妖怪であるわけだし。
「じゃあ頂くよ、ご主人」
「あ、はい。それじゃあ私も」
ざるの中の蜜柑の一つを取り出す。柑橘系のさわやかな香りが良い感じだ。
親指を蜜柑の頭頂部に差し込み、ぐっと力を入れて皮をむく。
皮が身から離れる音ともに、より一層の香りが私の周りへ漂いだす。あぁ、今年初めての蜜柑だ。おいしそうじゃないか。
房を一つもぎ、口へと運ぶ。
溢れる果汁は甘み8割、酸っぱさ2割って言うところかな。うん、比率的に丁度いい。甘さが強めの配分だが、本当においしい蜜柑だ。
「確かにおいしいな。なかなか良い感じだ」
「でしょう? こんなにおいしい蜜柑ですから、是非ナズーにも食べて欲しくて。ナズーの事、頑張って探したんですよ」
ご主人も蜜柑をつまみながら、私の方を見てにこにこと笑っている。
その顔が心底うれしげなものだから、なんとなく気恥ずかしくなってしまった。いや、全く、直球すぎるのも考えものだな。
さらにひと房蜜柑を口に運び、今感じた気恥かしさを飲み込む。
しかし気恥かしさは飲み込めても、顔に集まってくる熱は散らせない。
気づかれないように空を向く。太陽が暖かいせいだと言うように、目を細める。
ご主人に他意は一切ない。ただ、私においしいものを分けたかっただけ。そのはずだろう? ナズーリン。
ふっと息を吐き、心を落ち着ける。
「全く。物を良くなくすわりには、屋根の上にいる私を良く見つけたものだ。その調子で失くし物を自分で見つけてくれると有難いんだがね」
照れを素直に表せる柄ではないから、ついこんな言葉を放り出してしまう。
「う……、すみません。毎回ナズーの手を煩わせて……」
隣でへこみ始めるご主人。どうやら痛い所をついてしまったようだ。少し落ち込んだ雰囲気が横から漂ってくる。
まずいな、ちょっとヘタな話題を振ってしまったか。
せっかく二人きりでおいしい蜜柑を食べられるというのに、こんな雰囲気ではおいしさも半減してしまう。
「いや、いいんだ。ご主人の補佐をするのが私の仕事だ。ご主人が完璧だったら手がかからないと言う意味では良いかもしれないが、それでは私が役に立てなくてさびしいからね。今のご主人が私は好きさ」
慌てて言い繕う。婉曲な言い回しを考える暇がなかったから、本心そのままを放ってしまった。
だが、この言い方では自分の価値観をご主人に押し付ける事になってしまう。
それに必死に良い毘沙門天代理となろうとしているご主人の頑張りを無視した言い分だ。
「あ、もちろん変わろうと頑張っているご主人の努力を認めていない訳では――ご主人?」
さらにフォローを重ねようとしてご主人の方を見ると、ご主人は両手を顔に当てて俯いていた。
やばい、泣かせてしまったか? という考えが一瞬よぎるが、よくよく観察するとどうも様子が違うようだ。
うーうーという小さい声を上げながら、いやいやをするように顔を左右に振りだす。なんだ、この奇行は。何をしているんだ、ご主人は。
しばらくしてご主人が手を下すと、その頬は先程よりも赤く染まっていた。
「大丈夫かい、ご主人。頬が赤くなっているよ? 寒いのかい?」
「いえ、そんな事はありません。大丈夫です、ちょっと……その、蜜柑の汁が目に飛んだだけです」
いや、どう考えてもそんな反応では無かった気がするが。ご主人の言い訳は下手くそにも程がある。
春のような暖かい陽気のせいで、ご主人の頭の中も若干春仕様なのだろうか。
まぁ、いい。とりあえず深く突っ込むのはやめによう。
また一つ、蜜柑の房を口に入れ飲み込む。
「しかし、本当に私の事を良く見つけたね。あそこは丁度色んな場所から死角になっていて、今まであそこに居て誰かに見つかった事はなかったのに」
何か別な話題を、と考えてふと思いついた事を口にする。
するとご主人は、あぁ、と頷いて答えを返す。そしてどことなく得意そうな調子で語りだす。
「私、物はよく失くしますけど、たからものを見つけるのは得意なんです」
「宝物を見つけるのが得意? その割には毘沙門天様の宝塔を失くした時見つけられなかったと記憶しているが」
財宝が集まる程度の能力とはいえ、失くし物まで集まってくるはずもなく。私が探しに行ったのは記憶に新しい。
私の疑問に気付いたのか、ご主人は苦笑しながら首を振る。
「違います、申し訳ないですがそっちの宝物じゃありません」
「うん? どういう事だい?」
意味が分からず、首をひねる。宝物に複数の種類があるのだろうか。
「宝“者”の事です。私にとって大切な人だったら、どこに居ようと見つける自信がありますよ」
一拍遅れて理解したとたん、急激に顔に熱が集まってくる。
思わず両手で顔を覆う。
全く、本当に自覚なく、こちらが沸き立つような事を言う。ご主人の天然ぶりにはほとほと困らされる。
嫌な困らせられ方では、ない、けどね。
どうかしましたか、と不思議そうに聞いてくるご主人に、何でもない、目に蜜柑の汁が飛んだんだと言い訳をした。
ドジっ子敬語キャラは反則
みかんを持て
特に第三者視点ではほんと、2828が止まらんよ