ぱたぱたと月浮く宵に駆ける音
ぱたぱた。白玉楼の廊下を早足で進んでいく。目指すは幽々子様のいらっしゃるお部屋。
半時ほど前だ、
「退屈ね。」
「はあ。」
「じゃあ寝るわ。起こして頂戴ね。」
そう言うと、「任せたわー。」と手をひらひらさせながら、さっさとお部屋へ行ってしまわれた。幽々子様のこういう時の行動は早い。
「え。寝るんですか。」という私の声は、誰に届くとも無く空を切り裂いただけだった。
ぱたぱた。りんりん。廊下を進んでいく。りん、とした空気に、りんりん。と響く音。りんりんりんりん。そんな鈴虫の声が、侘びとは、こういうものなのか。と思わせた。
何も無さそうな場所から、何かを見付けた気になった。あとで幽々子様にお話しよう。
ぱたぱた。明かりの点いたお部屋が見える。ぱたぱた。どんどんと近づいていく。お部屋の明かりが漏れて、廊下の一部が明るくなっている。む、こんな所に盆が置いてある。お茶でも飲んだのか。もしそうならば湯飲みは……あった。せめて盆に載せておいて欲しい。湯飲みが二つ、両方とも空。なんて飲み方をするのだろう。仕方ないが、今はここに置いておこう。
振り返り、黄色い障子をすっと開いた。部屋の中央に布団が敷いてあって、掛け布団が山の様になっている。私は幽々子様を起こすべく、その山へと近づいていく。
「幽々子様ー。起きて下さい。」
「まだ寝たばかりよー。」
眠ってはいない様だ。しかし布団に包まったまま出て来ない。起こしてくれ、と言ったのは誰なのか。
「そう言って朝まで寝てるつもりですか。」
「朝に起きるのは普通の事でしょう。」
「そういう問題ではないですよ。ほら、早く起きて下さい。」
「夜に早く起きろーだなんて、無茶な事言うわね。」
「何無茶苦茶な事言ってるんですか。」
なかなか起きてきてくれない。ああ言えばこう言う。これは骨が折れそうだ。幽々子様と真っ向から言葉で戦っても勝てる気などしない。さてどうしたものか、と考えていると、「あー。判ったわ。」と言いながら、もぞもぞと動き出したので、やっと起きてくれるのかと思いきやそんな事は無い様子である。
溜息を吐きかけた時、ぱっと布団が開き、私の気持ちもぱっと明るくなるが、すぐに曇る。
布団が開いたのは半分だけで。幽々子様は依然寝転がったままで。よく見ると布団には丁度私が寝転がれるぶんだけ空きができていて。幽々子様が「そんな事なら早く言ってくれれば良かったのに。」と目で訴え掛けてきて。
正直、入りたかった。いい加減寒い季節だし、その中を動き回っていたのだ。今、幽々子様の隣に入ればどんなに温かいことだろう。幽々子様が「寒いのよー。早くー。」って目をした。
私は、半分開いた布団を掴み、 投げ飛ばした。
「あー。何するのよぅ。」
幽々子様は、敷布団の上で丸まって、酷いわ酷いわと呟いている。掛け布団という防具を剥がされた今、敷布団の上で残された温もりが徐々に奪われていくのをただ何をするでも無く丸くなる事しか出来ない。早く起きて下さい。
「鬼ー。悪魔ー。」
恨めしそうな目で私を見てくる。しかし、そんな事をしたところで暖かくなどならない。
「鬼も悪魔も此処にはいませんよ。」
私は鬼ではないし、勿論悪魔でもない。本物だって、今此処にはいない。今頃お酒でも飲み交わしているところだろう。
「じゃあ、私の目の前に居るのは一体何だっていうのかしら。」
幽々子様がわざとらしく怯えた風を装いながら言う。普段通りの、ふわふわした感じがある。やはり幽々子様は掴み所が無い。何だと訊かれたが、何だと言われても私は私だ。
もぞもぞと、私の後ろに転がっている掛け布団目がけ近づいてくる幽々子様を止める。まだ諦めていない様だ。何と言う執念だろう。剣の稽古でもこうあって欲しいです。
「さあ、起きますよ。準備は出来ているんですから。」
すると、幽々子様は先ほどまでの抵抗は何だったのか、すっと起き上がり乱れた着物を整えて、ふわっと笑う。
「では、始めましょうか。」
私の手に僅かに残った温もりが、ちょっぴり恋しかった。
陽はまだ沈みたてで、残った朱い帯が宵を知らせている。夜の帳はこれから降りて来るのだと。僅かな朱い帯と、少しずつだが降りて来る夜の帳。その境界は曖昧で美しく混ざり合い、その境界にまあるい月が浮いている。今宵は満月、其の光は妖しい。月から降り注ぐ光は幻想郷を染める。帯は帳に隠され、空は少しずつだが確実に、紫色に染められてきていた。
私は幽々子様と庭に出た。庭も季節相応の気温で、中々に冷える。見た目も、心に冷たい風が一陣過ぎ去って行く様。
「遅い。私を待たせるなんていい度胸してるじゃない。」
其処には先客がいた。広い庭に、ぽつんと。
比那名居天子。幽々子様に呼ばれて白玉楼に来たものの、幽々子様は寝てるわなんだで広い庭で一人待たされていたのだった。すぐに呼んで来るから待っていて欲しいと言ったのは私だが、客間に通して差し上げるべきだったなと思う。
「あら。時間通りでしょう。」
幽々子様はさも当然であるかのように言う。
「どこがよ。」
そこに反論する。すっかり幽々子様の流れである。
「ほら、空を見て御覧なさい。」
天を仰ぎ一言。「暗いでしょう。」
天子さんは幽々子様ににっこりと笑いかけた。
「白玉楼のお嬢様は、もっと時間と仲良くした方がよろしくてよ。」
今度は幽々子様が口元を隠して笑った。
「私は時間とは仲良くしていますわ。貴方よりも、ずっと。」
「そうですか。で、何か用なんでしょ。」
幽々子様の表情、というか雰囲気を見て、天子さんは、これ以上は面倒くさいといわんばかりに話題を変えた。幽々子様はいつも楽しそうだ。
「貴方一人じゃ駄目よ。あの魔法使いにも手伝ってもらわなければ。」
その言葉が気に障ったらしく、むっとした顔をしながら、幽々子様の視線を辿った。私も辿った。
黒点が徐々に近づいて来て、白黒の魔法使いに化けた。
白黒魔法使いは庭にすたっ、と軽やかに着地すると、黒い三角帽子を被りなおして元気よく笑った。
「よう。魔法使い魔理沙様、颯爽と登場だぜ。」
にかっ、という表現が似合いそうなその笑顔は如何にも魔理沙さんらしい。
「流石ね。時間通りだわ。」
こちらにすたすた歩いて来る魔理沙さんに向かって、幽々子様が相変わらずの笑みで言った。
「当然。私だからな。」
と誇らしげに言う。小さな溜息が、広い白玉楼の庭に消えていった。
「これで全員か。」
魔理沙さんは庭を見渡し、私たちの人数を確認しながら言った。「少ないぜ。」と言っているのだろう。
「そうね。」
「何だ天子。疲れた様な顔をして。」
問いかけに対し、何でも無いわ。と手を振る天子さん。その気持ちが判らないでもない。
「で、何するんだ。」
楽しみだ、と魔理沙さん。実は、幽々子様は二人に何をするとは伝えてない。楽しみは直前まで判らない方が良いでしょう。だそうだ。二人とも本当によく此処に来てくれたなと思う。
「そうよ。いい加減教えてもらわないと。」
そう言って見せたのは、緋色の剣。
「大層面白いことをしてくれるんでしょうね。」
緋想の剣。相手の気質を緋色の霧へと変え、剣は相手の弱点を衝く気質を纏う。その剣が緋色の霧を斬る事で、天気を発現させる事も叶う、天界の道具である。
「月見よ。」
今まで勿体つけていたのが嘘の様に、さらっと言った。月見をするとは聞いていたので、私は別段驚かなかったが。
「はぁ?月見だったら博麗神社へ行けば……。」
天子さんの言うことも判る。月見宴会でも開くなら、博麗神社で月見をすると言えば良い。どういうわけか、博麗の巫女の周りは集まりが良いのだ。しかし、幽々子様は二人だけを此処へ呼んだ。
「此処が良かったのよ。」
「舞台は整えたわ。」と幽々子様。見上げた空は雲一つ無い。
今宵は満月。 緋想の剣。 そして、霧雨魔理沙。
「何故態々晴れた日に行うのですか。」
私は訊いてみた。やりたい事は判ったのだが、如何せんこの方のお考えはよく判らない。
「晴れた日だからよ。風流に逆らってみるのも、また風流じゃないかしら。」
……判らなかった。それって結局風流なのではないか。でも……。
うんうん唸っている私を見て、幽々子様が笑った気がした。幽々子様は天子さんに話し掛けていた。
「魔理沙。」
「あん?」
名前を呼ばれて振り返った魔理沙さんは、うわっ、と声を上げた。天子さんの手には緋想の剣。それが魔理沙さんに向かって頭上から振り下ろされたのだ。剣は魔理沙さん自身を斬る事は無く、眼前で止められたのだったが、何せ不意を衝かれたので勢いよく尻餅を搗いてしまった。
「情けないわね。」
緋想の剣を仕舞いながら言った。
「次は目の前で止まらないかもよ?」
そう言って、にやりと笑みを浮かべる。
「いきなりたたっ斬ろうとする奴があるか。」
スカートをぱたぱたと、はたきながら文句を言う魔理沙さん。いきなり斬られそうにもなれば、当然文句の一つや二つは出る。
「いるわね。いきなり斬られても文句は言えないわ。注意しない奴が悪いのよ。」
きっぱりと言ってのける天子さん。確かに一理ある。気を抜けば誰かに斬られてしまうかも知れない。が、今の幻想郷でそんな事があるとは思えない。平和に慣れ過ぎている、と言われてしまうのだろうか。しかし、そんな事は無い、と思いたい。
「ま、不意打ちだろうと何だろうと私に敵わないだろうがな。」
魔理沙さんは笑って言った。この人は長生きするな。そう思った。
「あんたのその自信はどこからくるのかしらね。」
確かにそう思う。関係ない話かも知れないが、私は魔理沙さんが何か大きな力を持っている気がする。だからこそ、魔理沙さんは霧雨魔理沙なのではないか。唯の人間が持っている力。それが何なのか、はっきりとは判らないが。
「私の自信は、おまえの地震でも揺るがないぜ。」
「妖夢。」
「はい。」
いつの間にか、空は雲で覆われていた。先ほど、天子さんが緋想の剣を振るったのは天気を発現させる為。魔理沙さんの気質を斬ったのである。
私たちは雨の避けれる場所へと移動した。程なく優しい雨が降り始める。霧雨。
月は雲に隠れてしまった。いや、私たちが月から隠れたと言えるのかも知れない。ともかく、月は観えなくなってしまった。魔理沙さんと天子さんは、雨降る空をぼんやりと眺めている。呼ばれて来て、月見をすると言われたのに、観賞する対象を失ったのだ。観ている所は各々異なる。月見を提案した幽々子様はというと、にこにこと嬉しそうに空を眺めている。そんな幽々子様を見ていると、自然と笑顔になる。楽しそうでなによりです。
「妖夢。月を持って来て頂戴。」
こちらを向いたかと思えば急にそんな事を言い出した。月というのは、私が準備したお団子の事だろう。そうと決まれば早くお持ちせねば。
「はい、ただいま。」そう言って、足早にその場を去る。魔理沙さんが、好奇心に満ちた顔をこちらに向けていたのに気付いた。きっとあれが魔法使いの顔なのだろう。そう思いながらお団子の元へと急ぐ。
ぱたぱた。ふと気になったのは天界の事。天子さんは天界が退屈だと言って、楽しそうだった地上に干渉した。余程気に入ったのか、最近地上には頻繁に遊びに行く様になったらしい。主に博麗神社に。天界よりも地上の方が良いというのは気になる。そう言えば、天界に遊びに行った鬼がいたが、退屈になって直ぐに戻って来たという話も聞いた。それほどまでに天界とは退屈な場所なのだろうか。成仏も禁止されているし、それも含めて今度天界について詳しく訊いてみようか。
台所に着いた私は、ちょっと大き目のお皿を用意して適当な数だけ団子を載せた。今はただ、このお団子が皆さんのお口に合う事を祈るばかりだ。さあ、早く戻らねば。私はまた早足で来た道を戻っていく。
「改めて天を仰ぐと、中々複雑な気分になるわね。」
「普段は其処にいらっしゃるんだろ?」
「だから、ってのもあるわね。」
「ふーん。ともかく、あの月は私のものだ。」
「月なんて貴方の手に負えないでしょう。」
「そんなことないさ。ほら、私に向かって輝いている。」
「はいはい。そうですね。」
戻って来てみると、天子さんも魔理沙さんもすっかり楽しんでいるようだった。空を眺めて月を語っている。
「待ってたわ妖夢。あら。どうしたのかしら。」
そう言われたのは、私がつい笑ってしまったからである。
「いえ、あの二人は同じ月の話をしているのに、二人とも全然違う所を観ているものですから。」
「なるほど、確かにね。でも、どこを観ても月はみえるわ。」
想像の月が最も美しいことを、人間は知っていた。以前雨月を行ったとき、幽々子様がそう言った。雨月とは、空に浮かんでいるはずの月を心に思い浮かべ、楽しむ。みている者によって、月は様々な異なる姿を持つのだが、みな一様に美しいと言うのだ。今、天子さんや魔理沙さん、幽々子様はどんな月をみているのだろうか。
「それで妖夢、そのお月様はまだお預けかしら。」
すっかり忘れていた。慌てて幽々子様の隣に置く。皿に載っている沢山の月を見て、ふと、こんな月を想像している者がこんなに沢山居るのか、と思えておかしくなった。一つ口へ放り込む。我ながら良い出来だ。幽々子様が、「私より先に食べちゃうなんてね。」と笑った。
順調にお団子が無くなってきた頃。私も雨の空を観る。良かった、月は無くなっていない。私がみる月は綺麗な円を描いた満月。輝く姿はとてつもなく素敵で、大切なもの。その美しき月を守る雲。私はそんな盾でありたいと思う。いや、それでは足りないか。もっと近くで、もっと一緒に。
「あ、最後の一つだったのに。」
見ると、魔理沙さんがお団子を持って笑っている。にやにや、という表現が似合いそうなその笑顔は如何にも魔理沙さんらしい。隣では天子さんが悔しそうにしている。
「やっぱり、月は私のものだな。」
そう言うと、魔理沙さんは月をお腹の中に収めてしまった。
そんなこんなで、雨月もいよいよ終わりらしい。雨は上がり、雲は晴れていく。
「なんだ。」
不意に魔理沙さんが呟いた。雲の間から月が覗く。
「綺麗じゃないか。」
確かに、月は綺麗な姿を空に映していた。
幽々子様を見ると、にこにこしながら言った。
「白黒魔法使いは白い幻想をみせてくれました。」
私たちは博麗神社へ向かっていた。何をしに往くかというと、勿論月見だ。今宵は満月。今頃みんな酒を飲み交わし、騒いで居る所だろう。
博麗神社に着くと、早速霊夢さんが出迎えてくれた。
「言いだしっぺが遅れてくるとはね。」
手厚い歓迎だ。怒ってはいない様だが、その表情からは少々不機嫌な色が見て取れる。いつものことの様だが。きっと今日も今日とて後片付けの手伝いをしてくれそうな人が見付からないのだろう。
「偉い人物は遅れて来るのが礼儀らしいわ。」
「そんなふざけた礼儀知らないわよ。」
「まあまあ。遅れたお詫びに月を持って来たわ。」
「月?」
私は霊夢さんにお団子の入った袋を渡す。中身がお団子と判ると、幾分か機嫌が直った様に見える。
「じゃあ有り難く頂戴するわ。まさか味見とか言って、あんたたちだけで楽しんで来たんじゃないでしょうね。」
読まれた。流石博麗の巫女さま。
「ふふ、味は保障するわ。」
「別にいいけどさ。」
「じゃああんた、今日は後片付け手伝いね。」と言われた。まあ、今日くらいは手伝ってもいいかな。
「そろそろ準備か。私はもう行くわ。」
そのまま去って行くかと思いきや、霊夢さんは途中で立ち止まり振り向いた。
「楽しんでいきなさいよ。」
神社は騒がしかった。みなが酒を飲み笑いあっている。月見だというのに月を見ている者は少ない。いや、逆に月を見た者が満月の影響でこんなに騒いでいるのかも知れない。空には雲一つ無かった。私と幽々子様は適当な場所を見付けて、そこへ座る。
「楽しそうね。」
そう言って周りを見る幽々子様がどこか楽しそうに見えた。
「一番楽しんでいるのは幽々子様では?」
「あら。判るかしら。」
「ええ。晴れているのに雨を降らせたり、雪を降らせたり。冬の終わりに春度を集めたり。」
「異変なら私だけが起こしているわけではないわ。」
「そうですね。幽々子様だけでなく、異変は起こした方たちが一番楽しんでいる様に思えます。」
天子さんなんかが特にそうだと思う。あの異変の後もよく地上に来るようになったし。
「貴方も色々考えるようになったのね。」
「幽々子様が自分で考えることを教えてくれたんじゃありませんか。」
「何かあるたびに、幽々子様、これは一体なんでしょう?って訊いてくるのも中々可愛いものだったけれど。」
「今でも訊いてるじゃありませんか。考えるという過程を加えただけであって。」
「そうね、今も妖夢は可愛いわ。」
「もう。」
りん。騒がしさの中に、鈴虫の声を聴いた気がした。
「そういえば幽々子様、屋敷で鈴虫が鳴いていましたよ。」
「へえ。それはそれは。」
幽々子様は笑う。何故だろう、急に鈴虫の話をしたからかな。
「あの、何かおかしいですか?」
「いいえ、何も。それで?」
「あ、はい。その声を聴いて、侘びとはどういうものなのか気になって。」
「そうねえ。」と考える幽々子様。こういう時は大体よく判らない答えが返ってくる。
「感じるのは人、伝えるのも人。と言ったところかしら。」
「それはどういう……。」
「考えなさい、妖夢。」
「うーん……。」
そこへ、ひら、と何かが落ちてきた。何かと思って見てみると、それは紅葉だった。
「あら。」と言ったのは幽々子様。それは紅葉に対して放たれた言葉では無かった。私も幽々子様のように空へと目を向けた。目に映ったのは、満月と、紅葉と、紅白の巫女だった。傍には秋の神様がいる。きっとあの神の力を借りて、この紅葉を博麗神社に降らせているのだろう。いや、紅葉だけではない。風に乗って、秋の豊かな香りが漂ってくる。博麗神社は秋の終わりを惜しむように、その姿を秋一色に染めた。一瞬誰もが黙り、神社は秋の寂しさを纏ったが、すぐに豊かさが戻った。
「綺麗ですね。」
思った事を口にした。つい言葉にになってしまったと言ってもいいかも知れない。
「そうね。」
幽々子様も、この博麗神社の秋を楽しんだ。
「さて、紅白の巫女は何をみせてくれたのかしら?」
幽々子様が突然訊いてきた。
「え?」
「素直に、感じたことを言えばいいの。」
私はもう一度空を仰ぐ。陽はすっかり落ち、朱い帯は見当たらない。その代わり、紅い落葉が私の視界を満たす。永夜異変以来、私は月を直視する事を避けていた。今、空には雲一つ無く、はっきりとその狂おしい月をみる事が出来る。その月も仄かに……。
「紅白の巫女は、紅い、幻想郷をみせてくれました。」
「それはそれは、お酒が美味しく飲めそうね。」
幽々子様は、嬉しそうに笑いながら、どこから持って来たのか、酒瓶を見せびらかす。
「飲みましょう。妖夢。」
そのお酒は少々強いお酒だったが、いつもよりも、ちょっぴり美味しく感じた。
眠ってしまった彼女の頬を優しく撫でる。そして私は彼女に向かって話し始める。
言葉とは時に、発した者が籠めた意味を遥に超えてしまったり、逆に足りなくなったりしてしまう。
誰かが知った知識も、誰かが感じた感情も、伝えなくてはそこで途切れてしまう。
あなたの言葉は剣
あなたの意志は霊
そして、あなたの心は鏡
良くも悪くも変わるものは在るわ。だからこそ、それを大切にしてね。
ぱたぱた。白玉楼の廊下を早足で進んでいく。目指すは幽々子様のいらっしゃるお部屋。
半時ほど前だ、
「退屈ね。」
「はあ。」
「じゃあ寝るわ。起こして頂戴ね。」
そう言うと、「任せたわー。」と手をひらひらさせながら、さっさとお部屋へ行ってしまわれた。幽々子様のこういう時の行動は早い。
「え。寝るんですか。」という私の声は、誰に届くとも無く空を切り裂いただけだった。
ぱたぱた。りんりん。廊下を進んでいく。りん、とした空気に、りんりん。と響く音。りんりんりんりん。そんな鈴虫の声が、侘びとは、こういうものなのか。と思わせた。
何も無さそうな場所から、何かを見付けた気になった。あとで幽々子様にお話しよう。
ぱたぱた。明かりの点いたお部屋が見える。ぱたぱた。どんどんと近づいていく。お部屋の明かりが漏れて、廊下の一部が明るくなっている。む、こんな所に盆が置いてある。お茶でも飲んだのか。もしそうならば湯飲みは……あった。せめて盆に載せておいて欲しい。湯飲みが二つ、両方とも空。なんて飲み方をするのだろう。仕方ないが、今はここに置いておこう。
振り返り、黄色い障子をすっと開いた。部屋の中央に布団が敷いてあって、掛け布団が山の様になっている。私は幽々子様を起こすべく、その山へと近づいていく。
「幽々子様ー。起きて下さい。」
「まだ寝たばかりよー。」
眠ってはいない様だ。しかし布団に包まったまま出て来ない。起こしてくれ、と言ったのは誰なのか。
「そう言って朝まで寝てるつもりですか。」
「朝に起きるのは普通の事でしょう。」
「そういう問題ではないですよ。ほら、早く起きて下さい。」
「夜に早く起きろーだなんて、無茶な事言うわね。」
「何無茶苦茶な事言ってるんですか。」
なかなか起きてきてくれない。ああ言えばこう言う。これは骨が折れそうだ。幽々子様と真っ向から言葉で戦っても勝てる気などしない。さてどうしたものか、と考えていると、「あー。判ったわ。」と言いながら、もぞもぞと動き出したので、やっと起きてくれるのかと思いきやそんな事は無い様子である。
溜息を吐きかけた時、ぱっと布団が開き、私の気持ちもぱっと明るくなるが、すぐに曇る。
布団が開いたのは半分だけで。幽々子様は依然寝転がったままで。よく見ると布団には丁度私が寝転がれるぶんだけ空きができていて。幽々子様が「そんな事なら早く言ってくれれば良かったのに。」と目で訴え掛けてきて。
正直、入りたかった。いい加減寒い季節だし、その中を動き回っていたのだ。今、幽々子様の隣に入ればどんなに温かいことだろう。幽々子様が「寒いのよー。早くー。」って目をした。
私は、半分開いた布団を掴み、 投げ飛ばした。
「あー。何するのよぅ。」
幽々子様は、敷布団の上で丸まって、酷いわ酷いわと呟いている。掛け布団という防具を剥がされた今、敷布団の上で残された温もりが徐々に奪われていくのをただ何をするでも無く丸くなる事しか出来ない。早く起きて下さい。
「鬼ー。悪魔ー。」
恨めしそうな目で私を見てくる。しかし、そんな事をしたところで暖かくなどならない。
「鬼も悪魔も此処にはいませんよ。」
私は鬼ではないし、勿論悪魔でもない。本物だって、今此処にはいない。今頃お酒でも飲み交わしているところだろう。
「じゃあ、私の目の前に居るのは一体何だっていうのかしら。」
幽々子様がわざとらしく怯えた風を装いながら言う。普段通りの、ふわふわした感じがある。やはり幽々子様は掴み所が無い。何だと訊かれたが、何だと言われても私は私だ。
もぞもぞと、私の後ろに転がっている掛け布団目がけ近づいてくる幽々子様を止める。まだ諦めていない様だ。何と言う執念だろう。剣の稽古でもこうあって欲しいです。
「さあ、起きますよ。準備は出来ているんですから。」
すると、幽々子様は先ほどまでの抵抗は何だったのか、すっと起き上がり乱れた着物を整えて、ふわっと笑う。
「では、始めましょうか。」
私の手に僅かに残った温もりが、ちょっぴり恋しかった。
陽はまだ沈みたてで、残った朱い帯が宵を知らせている。夜の帳はこれから降りて来るのだと。僅かな朱い帯と、少しずつだが降りて来る夜の帳。その境界は曖昧で美しく混ざり合い、その境界にまあるい月が浮いている。今宵は満月、其の光は妖しい。月から降り注ぐ光は幻想郷を染める。帯は帳に隠され、空は少しずつだが確実に、紫色に染められてきていた。
私は幽々子様と庭に出た。庭も季節相応の気温で、中々に冷える。見た目も、心に冷たい風が一陣過ぎ去って行く様。
「遅い。私を待たせるなんていい度胸してるじゃない。」
其処には先客がいた。広い庭に、ぽつんと。
比那名居天子。幽々子様に呼ばれて白玉楼に来たものの、幽々子様は寝てるわなんだで広い庭で一人待たされていたのだった。すぐに呼んで来るから待っていて欲しいと言ったのは私だが、客間に通して差し上げるべきだったなと思う。
「あら。時間通りでしょう。」
幽々子様はさも当然であるかのように言う。
「どこがよ。」
そこに反論する。すっかり幽々子様の流れである。
「ほら、空を見て御覧なさい。」
天を仰ぎ一言。「暗いでしょう。」
天子さんは幽々子様ににっこりと笑いかけた。
「白玉楼のお嬢様は、もっと時間と仲良くした方がよろしくてよ。」
今度は幽々子様が口元を隠して笑った。
「私は時間とは仲良くしていますわ。貴方よりも、ずっと。」
「そうですか。で、何か用なんでしょ。」
幽々子様の表情、というか雰囲気を見て、天子さんは、これ以上は面倒くさいといわんばかりに話題を変えた。幽々子様はいつも楽しそうだ。
「貴方一人じゃ駄目よ。あの魔法使いにも手伝ってもらわなければ。」
その言葉が気に障ったらしく、むっとした顔をしながら、幽々子様の視線を辿った。私も辿った。
黒点が徐々に近づいて来て、白黒の魔法使いに化けた。
白黒魔法使いは庭にすたっ、と軽やかに着地すると、黒い三角帽子を被りなおして元気よく笑った。
「よう。魔法使い魔理沙様、颯爽と登場だぜ。」
にかっ、という表現が似合いそうなその笑顔は如何にも魔理沙さんらしい。
「流石ね。時間通りだわ。」
こちらにすたすた歩いて来る魔理沙さんに向かって、幽々子様が相変わらずの笑みで言った。
「当然。私だからな。」
と誇らしげに言う。小さな溜息が、広い白玉楼の庭に消えていった。
「これで全員か。」
魔理沙さんは庭を見渡し、私たちの人数を確認しながら言った。「少ないぜ。」と言っているのだろう。
「そうね。」
「何だ天子。疲れた様な顔をして。」
問いかけに対し、何でも無いわ。と手を振る天子さん。その気持ちが判らないでもない。
「で、何するんだ。」
楽しみだ、と魔理沙さん。実は、幽々子様は二人に何をするとは伝えてない。楽しみは直前まで判らない方が良いでしょう。だそうだ。二人とも本当によく此処に来てくれたなと思う。
「そうよ。いい加減教えてもらわないと。」
そう言って見せたのは、緋色の剣。
「大層面白いことをしてくれるんでしょうね。」
緋想の剣。相手の気質を緋色の霧へと変え、剣は相手の弱点を衝く気質を纏う。その剣が緋色の霧を斬る事で、天気を発現させる事も叶う、天界の道具である。
「月見よ。」
今まで勿体つけていたのが嘘の様に、さらっと言った。月見をするとは聞いていたので、私は別段驚かなかったが。
「はぁ?月見だったら博麗神社へ行けば……。」
天子さんの言うことも判る。月見宴会でも開くなら、博麗神社で月見をすると言えば良い。どういうわけか、博麗の巫女の周りは集まりが良いのだ。しかし、幽々子様は二人だけを此処へ呼んだ。
「此処が良かったのよ。」
「舞台は整えたわ。」と幽々子様。見上げた空は雲一つ無い。
今宵は満月。 緋想の剣。 そして、霧雨魔理沙。
「何故態々晴れた日に行うのですか。」
私は訊いてみた。やりたい事は判ったのだが、如何せんこの方のお考えはよく判らない。
「晴れた日だからよ。風流に逆らってみるのも、また風流じゃないかしら。」
……判らなかった。それって結局風流なのではないか。でも……。
うんうん唸っている私を見て、幽々子様が笑った気がした。幽々子様は天子さんに話し掛けていた。
「魔理沙。」
「あん?」
名前を呼ばれて振り返った魔理沙さんは、うわっ、と声を上げた。天子さんの手には緋想の剣。それが魔理沙さんに向かって頭上から振り下ろされたのだ。剣は魔理沙さん自身を斬る事は無く、眼前で止められたのだったが、何せ不意を衝かれたので勢いよく尻餅を搗いてしまった。
「情けないわね。」
緋想の剣を仕舞いながら言った。
「次は目の前で止まらないかもよ?」
そう言って、にやりと笑みを浮かべる。
「いきなりたたっ斬ろうとする奴があるか。」
スカートをぱたぱたと、はたきながら文句を言う魔理沙さん。いきなり斬られそうにもなれば、当然文句の一つや二つは出る。
「いるわね。いきなり斬られても文句は言えないわ。注意しない奴が悪いのよ。」
きっぱりと言ってのける天子さん。確かに一理ある。気を抜けば誰かに斬られてしまうかも知れない。が、今の幻想郷でそんな事があるとは思えない。平和に慣れ過ぎている、と言われてしまうのだろうか。しかし、そんな事は無い、と思いたい。
「ま、不意打ちだろうと何だろうと私に敵わないだろうがな。」
魔理沙さんは笑って言った。この人は長生きするな。そう思った。
「あんたのその自信はどこからくるのかしらね。」
確かにそう思う。関係ない話かも知れないが、私は魔理沙さんが何か大きな力を持っている気がする。だからこそ、魔理沙さんは霧雨魔理沙なのではないか。唯の人間が持っている力。それが何なのか、はっきりとは判らないが。
「私の自信は、おまえの地震でも揺るがないぜ。」
「妖夢。」
「はい。」
いつの間にか、空は雲で覆われていた。先ほど、天子さんが緋想の剣を振るったのは天気を発現させる為。魔理沙さんの気質を斬ったのである。
私たちは雨の避けれる場所へと移動した。程なく優しい雨が降り始める。霧雨。
月は雲に隠れてしまった。いや、私たちが月から隠れたと言えるのかも知れない。ともかく、月は観えなくなってしまった。魔理沙さんと天子さんは、雨降る空をぼんやりと眺めている。呼ばれて来て、月見をすると言われたのに、観賞する対象を失ったのだ。観ている所は各々異なる。月見を提案した幽々子様はというと、にこにこと嬉しそうに空を眺めている。そんな幽々子様を見ていると、自然と笑顔になる。楽しそうでなによりです。
「妖夢。月を持って来て頂戴。」
こちらを向いたかと思えば急にそんな事を言い出した。月というのは、私が準備したお団子の事だろう。そうと決まれば早くお持ちせねば。
「はい、ただいま。」そう言って、足早にその場を去る。魔理沙さんが、好奇心に満ちた顔をこちらに向けていたのに気付いた。きっとあれが魔法使いの顔なのだろう。そう思いながらお団子の元へと急ぐ。
ぱたぱた。ふと気になったのは天界の事。天子さんは天界が退屈だと言って、楽しそうだった地上に干渉した。余程気に入ったのか、最近地上には頻繁に遊びに行く様になったらしい。主に博麗神社に。天界よりも地上の方が良いというのは気になる。そう言えば、天界に遊びに行った鬼がいたが、退屈になって直ぐに戻って来たという話も聞いた。それほどまでに天界とは退屈な場所なのだろうか。成仏も禁止されているし、それも含めて今度天界について詳しく訊いてみようか。
台所に着いた私は、ちょっと大き目のお皿を用意して適当な数だけ団子を載せた。今はただ、このお団子が皆さんのお口に合う事を祈るばかりだ。さあ、早く戻らねば。私はまた早足で来た道を戻っていく。
「改めて天を仰ぐと、中々複雑な気分になるわね。」
「普段は其処にいらっしゃるんだろ?」
「だから、ってのもあるわね。」
「ふーん。ともかく、あの月は私のものだ。」
「月なんて貴方の手に負えないでしょう。」
「そんなことないさ。ほら、私に向かって輝いている。」
「はいはい。そうですね。」
戻って来てみると、天子さんも魔理沙さんもすっかり楽しんでいるようだった。空を眺めて月を語っている。
「待ってたわ妖夢。あら。どうしたのかしら。」
そう言われたのは、私がつい笑ってしまったからである。
「いえ、あの二人は同じ月の話をしているのに、二人とも全然違う所を観ているものですから。」
「なるほど、確かにね。でも、どこを観ても月はみえるわ。」
想像の月が最も美しいことを、人間は知っていた。以前雨月を行ったとき、幽々子様がそう言った。雨月とは、空に浮かんでいるはずの月を心に思い浮かべ、楽しむ。みている者によって、月は様々な異なる姿を持つのだが、みな一様に美しいと言うのだ。今、天子さんや魔理沙さん、幽々子様はどんな月をみているのだろうか。
「それで妖夢、そのお月様はまだお預けかしら。」
すっかり忘れていた。慌てて幽々子様の隣に置く。皿に載っている沢山の月を見て、ふと、こんな月を想像している者がこんなに沢山居るのか、と思えておかしくなった。一つ口へ放り込む。我ながら良い出来だ。幽々子様が、「私より先に食べちゃうなんてね。」と笑った。
順調にお団子が無くなってきた頃。私も雨の空を観る。良かった、月は無くなっていない。私がみる月は綺麗な円を描いた満月。輝く姿はとてつもなく素敵で、大切なもの。その美しき月を守る雲。私はそんな盾でありたいと思う。いや、それでは足りないか。もっと近くで、もっと一緒に。
「あ、最後の一つだったのに。」
見ると、魔理沙さんがお団子を持って笑っている。にやにや、という表現が似合いそうなその笑顔は如何にも魔理沙さんらしい。隣では天子さんが悔しそうにしている。
「やっぱり、月は私のものだな。」
そう言うと、魔理沙さんは月をお腹の中に収めてしまった。
そんなこんなで、雨月もいよいよ終わりらしい。雨は上がり、雲は晴れていく。
「なんだ。」
不意に魔理沙さんが呟いた。雲の間から月が覗く。
「綺麗じゃないか。」
確かに、月は綺麗な姿を空に映していた。
幽々子様を見ると、にこにこしながら言った。
「白黒魔法使いは白い幻想をみせてくれました。」
私たちは博麗神社へ向かっていた。何をしに往くかというと、勿論月見だ。今宵は満月。今頃みんな酒を飲み交わし、騒いで居る所だろう。
博麗神社に着くと、早速霊夢さんが出迎えてくれた。
「言いだしっぺが遅れてくるとはね。」
手厚い歓迎だ。怒ってはいない様だが、その表情からは少々不機嫌な色が見て取れる。いつものことの様だが。きっと今日も今日とて後片付けの手伝いをしてくれそうな人が見付からないのだろう。
「偉い人物は遅れて来るのが礼儀らしいわ。」
「そんなふざけた礼儀知らないわよ。」
「まあまあ。遅れたお詫びに月を持って来たわ。」
「月?」
私は霊夢さんにお団子の入った袋を渡す。中身がお団子と判ると、幾分か機嫌が直った様に見える。
「じゃあ有り難く頂戴するわ。まさか味見とか言って、あんたたちだけで楽しんで来たんじゃないでしょうね。」
読まれた。流石博麗の巫女さま。
「ふふ、味は保障するわ。」
「別にいいけどさ。」
「じゃああんた、今日は後片付け手伝いね。」と言われた。まあ、今日くらいは手伝ってもいいかな。
「そろそろ準備か。私はもう行くわ。」
そのまま去って行くかと思いきや、霊夢さんは途中で立ち止まり振り向いた。
「楽しんでいきなさいよ。」
神社は騒がしかった。みなが酒を飲み笑いあっている。月見だというのに月を見ている者は少ない。いや、逆に月を見た者が満月の影響でこんなに騒いでいるのかも知れない。空には雲一つ無かった。私と幽々子様は適当な場所を見付けて、そこへ座る。
「楽しそうね。」
そう言って周りを見る幽々子様がどこか楽しそうに見えた。
「一番楽しんでいるのは幽々子様では?」
「あら。判るかしら。」
「ええ。晴れているのに雨を降らせたり、雪を降らせたり。冬の終わりに春度を集めたり。」
「異変なら私だけが起こしているわけではないわ。」
「そうですね。幽々子様だけでなく、異変は起こした方たちが一番楽しんでいる様に思えます。」
天子さんなんかが特にそうだと思う。あの異変の後もよく地上に来るようになったし。
「貴方も色々考えるようになったのね。」
「幽々子様が自分で考えることを教えてくれたんじゃありませんか。」
「何かあるたびに、幽々子様、これは一体なんでしょう?って訊いてくるのも中々可愛いものだったけれど。」
「今でも訊いてるじゃありませんか。考えるという過程を加えただけであって。」
「そうね、今も妖夢は可愛いわ。」
「もう。」
りん。騒がしさの中に、鈴虫の声を聴いた気がした。
「そういえば幽々子様、屋敷で鈴虫が鳴いていましたよ。」
「へえ。それはそれは。」
幽々子様は笑う。何故だろう、急に鈴虫の話をしたからかな。
「あの、何かおかしいですか?」
「いいえ、何も。それで?」
「あ、はい。その声を聴いて、侘びとはどういうものなのか気になって。」
「そうねえ。」と考える幽々子様。こういう時は大体よく判らない答えが返ってくる。
「感じるのは人、伝えるのも人。と言ったところかしら。」
「それはどういう……。」
「考えなさい、妖夢。」
「うーん……。」
そこへ、ひら、と何かが落ちてきた。何かと思って見てみると、それは紅葉だった。
「あら。」と言ったのは幽々子様。それは紅葉に対して放たれた言葉では無かった。私も幽々子様のように空へと目を向けた。目に映ったのは、満月と、紅葉と、紅白の巫女だった。傍には秋の神様がいる。きっとあの神の力を借りて、この紅葉を博麗神社に降らせているのだろう。いや、紅葉だけではない。風に乗って、秋の豊かな香りが漂ってくる。博麗神社は秋の終わりを惜しむように、その姿を秋一色に染めた。一瞬誰もが黙り、神社は秋の寂しさを纏ったが、すぐに豊かさが戻った。
「綺麗ですね。」
思った事を口にした。つい言葉にになってしまったと言ってもいいかも知れない。
「そうね。」
幽々子様も、この博麗神社の秋を楽しんだ。
「さて、紅白の巫女は何をみせてくれたのかしら?」
幽々子様が突然訊いてきた。
「え?」
「素直に、感じたことを言えばいいの。」
私はもう一度空を仰ぐ。陽はすっかり落ち、朱い帯は見当たらない。その代わり、紅い落葉が私の視界を満たす。永夜異変以来、私は月を直視する事を避けていた。今、空には雲一つ無く、はっきりとその狂おしい月をみる事が出来る。その月も仄かに……。
「紅白の巫女は、紅い、幻想郷をみせてくれました。」
「それはそれは、お酒が美味しく飲めそうね。」
幽々子様は、嬉しそうに笑いながら、どこから持って来たのか、酒瓶を見せびらかす。
「飲みましょう。妖夢。」
そのお酒は少々強いお酒だったが、いつもよりも、ちょっぴり美味しく感じた。
眠ってしまった彼女の頬を優しく撫でる。そして私は彼女に向かって話し始める。
言葉とは時に、発した者が籠めた意味を遥に超えてしまったり、逆に足りなくなったりしてしまう。
誰かが知った知識も、誰かが感じた感情も、伝えなくてはそこで途切れてしまう。
あなたの言葉は剣
あなたの意志は霊
そして、あなたの心は鏡
良くも悪くも変わるものは在るわ。だからこそ、それを大切にしてね。