Coolier - 新生・東方創想話

どこか遠くからどこかへ

2010/11/30 08:29:39
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夜明け前。
多くの者が眠りについているこの時間、辺りはしんと静まり返っており部屋には秒針が正確に刻み続ける音が支配していた。
ベッドで横になっている私は時間を確認すると時計から手を放し、逃れるように布団を頭まで被りなおす。
布団の中、髪がゴワゴワになるのを感じながら私は朝を迎えること、嫌な朝を迎えるということ、一日を迎えると言うこと、そのことに対して漠然とした陰鬱さが私の頭を襲い始めた。
緊張を含んだ重みにだんだん耐えられなくなってきた私は両手を顔に添える。
両手は僅かに震え、胸が苦しくなり、それに合わせて呼吸が多少の熱を帯び始め少し荒くなった。
時間を確認する。
12分経過。
秒針の時間の経過を知らせる無機質な音は朝の到来を彷彿させ、私の胸の苦しみは増すばかりであった。




朝を迎えるのが嫌なら寝て待つべきでないか。
そうかもしれないが何の心の準備も無しに、むき出しの心で意識の覚醒と共に朝を認識することはより恐ろしいことなのだ。




どこか遠くでどこかへ走り去るバイクの音がした。















通勤、通学の満員電車で揺られている私を支えているのは義務感以外の何でもないと思う。
それも雨の日の車両とくればなおさらだ。
義務感。
今朝、取りとめもしない会話した両親の顔を思い出してみるが、一体私達はどんな表情をして会話をしていたのだろうか。
私にはうまく思い出せない。




電車が止まる。
シューという乗客の疲れ切った溜息を表す様な音を出してドアは開いた、独特なアナウンスが駅名を告げ、何人かが降りたがそれよりも多くの人が乗った。
ドアが閉まるとモーター音と共に動き出した車両はさらに狭くなり、無口な乗客達の背中には孤独と疲労が浮かび今にも倒れそうだった。
隣には私より頭が一つ大きい若い男が立っている、前の駅で乗って来た一人だ。
その男もまた無口で無表情、背は高いが猫背でスーツの袖から出ている手首が異様に細く静脈が不気味に浮き出ている、頭には大きなヘッドホンがあった。
そのヘッドホンから音が漏れている、何の曲が流れているか分かる程の音量であるため乗客は男に非難のこもった視線を何度も浴びせた。
男は突き刺さる視線を感じているはずであるが瞼を軽く閉じ、静かな呼吸と共に無視していた。
私はその男の態度に腹を立てなかった、それは漏れていた曲名を知っていたからであるかもしれない。

ビートルズのウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ。

私の世代だとビートルズの曲は聴いたことはあってもタイトルまで分かるのは少ないのではないだろうか。
でも私には分かった、その曲を聴くと幼い頃に嗅いだ寝室の畳みの匂いがするほどに深く身体に刻まれている。




その曲は畳みの匂いがすると同時に父のイメージが強い。
幼い頃、私が風邪をひいた日の話である。
母は専業主婦であったがその日の朝、母方で不幸があったという連絡があり、ひとまず母が一人で向かうと父と私、二人が家に残った。
母が慌てて出掛け、父が簡単な朝食の用意をしている頃に私は起床して不調を訴えた。
頭が痛い、喉が痛い、熱を測ると体温計は平熱の2℃以上を指していた。
父は幼稚園に休む連絡をいれ、私を車に乗せると地元の小児科に向かった。
そのとき車に流れていたのがウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズであった。

父は真面目であるが不器用で少し堅い人である。
物静かで見栄を張る様なことをしない、だが自己の表現、意志を正確に伝えるのがお世辞にもうまくない。
そのせいでいらぬ誤解や話を複雑にしてしまう節があったがそれは家族間だけの問題であった。

そんな父であるが車内で口を軽く開いたまましゃべらず、頬を赤く染め苦しむ私は寂しく心細そうに映ったのであろう。
運転しながら強張った表情でCDケースを探ると、信号待ちの間にケースからCDを取りだしカーコンポに流し込んだ。
父の細くて当時の私には分からない苦労でくすんだ指が摘みを調節し、ボタンを押して曲を合わせるとウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズが流れ出した。

そして父は歌い始めた、英語の分からない私に意味が伝わるよう日本語で。
だから歌と呼べる代物でない、でも苦しみに耐えることばかりであった私の意識は父に向かい、そのことで仮初ながらも楽になった。

友達の助けがあれば 何とかやっていける
友達の助けがあれば きっと気分もよくなる
友達の助けがあれば 頑張る気も起きる

父の声は少し震えていた、人前で歌うことに慣れていなかったのだろう。
恐らくカラオケなどに行ったこともなどなく、歌うという行為は父が少年の頃以来のはずだ。
それでも声は大きく何度も私に顔を向けて歌ってくれて、それを聴いた私もうる覚えながら合わせて歌った。

そのときの不器用な父なりの私を気遣う気持ちはいつまで経っても、
どんなに父に対して嫌気がさした時であっても、父への離してはならない思いを心に留めてくれた。

今振り返ると父は自身の多少の不安を取り除きたかったのかもしれない。
地元の小児科の先生は保護者に厳しいことで有名であり、父は私のことを母に任せっぱなしであったのだ。
そうだとすれば少し可愛く思える。

それは今までにおける私が知る父の最初で最後の歌であった。




畳みの匂いはそれ以後の話である。
それもまた幼い頃の話である、父と母はよく喧嘩していた。
9時になると私は寝室に川の字に引かれている布団の真ん中で横になり、10分もしない内に寝てしまう子であった。
そのためそれを確かめてから父と母は喧嘩した。
だがほとんどの場合において子供ながらに両親の不穏な雰囲気を感じとると寝た振りをして怒鳴り声が聞こえると、ふすまに耳を当てて正座した。
聞こえてくるのは大抵、一方的な母の怒鳴り声であった。

母は完璧主義で厳しく短気な人であったが、自分にそれなりの厳しさを与えると同時に他人にも同様の厳しさを与えた。
その厳しさは常識や良心に基づくものであり、赤の他人が聞けば納得する様なものばかりであった。
だが嫁ぎ先の家柄による誤解とその性格、専業主婦だということが災いし地元世間では陰口を叩かれるようになり、世間に母の居場所は次第に無くなっていた。
あの人は細かすぎる、それに働いてもいないのだから私らの代わりに地域のことをもっとやってくれると助かるのに、ということだ。
だが歳を取り事情を知るようになった私が私なりの公平な判断を下すが、母が正しく、近所の人は地域の面倒を母に押し付けたかった、そうにしか考えられなかった。
そのことに父はどうにかしようという姿勢は見られなかった。
彼は地元の人であった。

怒鳴り声。

「こんなはずじゃない!」
「私がいなくなれば分かるのよ、子供を育てることの大変さが!」
「あなたが子供の心配なしに働けるのは誰のおかげなの!」
「ねぇ!聞いてるの?黙ってるんじゃないわよ!」

テーブルを叩く音、父はほとんど何もしゃべらない、母が言うことは大抵の場合において正しかった。
苦しんでいるのは母であり、父ではなかった。

「離婚しましょう」

その母の言葉は喧嘩の最中に何度も繰り返され私の耳に入る度、私に恐ろしい緊張を走らせた。
大切なものが壊れないよう心配する張り裂けそうな心で身を屈めると私は涙を流した、本当に怖かったのだ。
明るい内に見る母にそんな様子はどこにもない、確かに厳しくしつけられ頬を打たれたこともしばしあった、外に締め出されることもあった。
それでも恨む様なことは無かった。
幼いながら悪いことをしたと私は理解しており、何より母もまた好きだった。

「ねぇ、離婚しましょう」

本当に怖いのは、単に怒りや不安が飛び散り私に張り付いて私の心をかきむしることではなく。
父と母が別れてしまうこと、私がどちらかと別れてしまうこと、父と母と娘この家族関係が崩れること、それらがいつ起きてもおかしくないことだった。
母の言葉にはその場の勢いもあったが、その言葉はいつでも切り出せる準備がされていた。
畳みは私の涙で濡れ、染みを作り嫌な匂いを漂わせた。
そして何事もなく喧嘩が早く過ぎ去ることを願いながら自分を励ますために歌った。

友達の助けがあれば 何とかやっていける
友達の助けがあれば きっと気分もよくなる
友達の助けがあれば 頑張る気も起きる

同時に神様にも願った。
その当時の私は神奈子様を知らなかったがそういったことは私の気持ちに関係ない。

どんなプレゼントもいりません
どんなこともこれから頑張ります
これからは悪いことしません
だからお母さんとお父さんを仲良くさせてください
幼い単調な願いであった。
だが、ふすまを隔てた向こう側の母の怒鳴り声がそれで止むことは決してなかった。




本当にどうしようもないくらい怖くなり一度だけ喧嘩をしている二人のもとに飛び出したことがある。
父の方を見ながら立っていた母の頬には涙の筋が浮かんでおり目は充血していた。
対して父は食卓テーブルを前に椅子に座り目を閉じていた。
私が現れると何とも重たく動きにくい空白が生まれた、それをなけなしの勇気で破り父のもとへ向かうと腕を掴んで私は言った。

「お願いだから謝って、そうしたらお母さん怒らなくなるから」

そう口にするのが精一杯だった、その言葉がどんな意味をもつかなんて考えられなかった。
ただ父が謝ったほうがいい、そう思えた。

それ以来、喧嘩というのは目に見えて減り、母のあの言葉を聞くことは一度もなくなった。
その代わり母は自分の中にある基準を下げ世間に相槌を打つ様になり、陰口も甘んじて受け入れることにした。
色々なことを諦めたのだ、それは母にとって堕落以外の何ものでもないにちがいない。
しかし何よりも重たい事実は、離婚という選択肢は潰れ喧嘩も減ったが夫婦仲が改善されたわけではないということだ。

それだと私は何をしたのだろうか?




シュー。
電車がまた溜息を漏らすとドアが開く、それに釣られるように私も静かに溜息をついた。
酷く喉が渇いていた。















私の学校は駅から一直線に伸びる下り坂を行ったところにある。
両側は一軒家が建ち並び、街路樹が等間隔で植えられている、校門の前には古びた電話ボックスが人々の流れを眺めている。
特に変わった所は無い。
至って普通であるが強いて挙げるとすればいつまでも“釣り銭が不足しています、お釣りのないようお願いします”という張り紙が貼ってある自販機があるくらいだ。
その張り紙は私が入学したころからも張られており、汚れたり破けたりするとすぐに取り換えられるが、そんな努力は払われるのに釣り銭は決して追加されないらしい。
その自販機の前に私は傘を差しながらいる。
雨は誰かの都合など関係なしに黙々と降り続いている、強いわけではないが傘を差さないと困る程度に。
背後には同じ学校に通っている人たちのざわめきがあった。
厚い毛布を通して聞く様に全てのざわめきには膜が掛っており、どことなく気が落ち着かなかった。
私は車内で感じていた渇きを癒すため、何かを買おうと百円玉を自販機に投入しようとしたが財布から取り出した途端に抵抗も無く指先から零れてしまった。
百円玉は雨に濡れた緩やかな傾斜を重力に沿ってゆっくり転がり、音も無く下水の穴に吸い込まれた。

一瞬の間。

ざわめきの存在が背後で大きくなる。
財布の中では五百円玉と十円玉が一枚、五円玉と一円玉が二枚、それぞれが鈍い光を放っていた。
とりあえず十円玉を摘み、少しニヤっと笑っている様な投入口に近づけて指から離すとスッと飲まれ、金額表示に10円の赤い光が浮かんだ。
それから五百円玉を入れる。
硬貨が壁にぶつかりながら伝う音が何回かすると釣り銭を受け取る所でカランという乾いた音が響いた。

ざわめきが一段と気になった。




教室の窓から蛍光灯の無機質な光が漏れるのがハッキリと見てとれるくらいに外は濃い灰色に覆われ、遠くにそびえ立つ建物全てがその色に飲まれ輪郭だけがぼんやり浮かんでいる。
窓のサッシにはホコリの混ざった水滴が僅かに振動していた。
その光景とは対照的に教室は騒がしい、繰り返される話題と不毛な言葉。

「ロックやジャズなんて商業主義なんだよ」
恐らくどこからかの借り物の言葉、ただ言いたかっただけ。

「それってUKロックなの?」
そんなことを考えながら音楽を聞いているのだろうか?

「割と、っていうか結構色んな所を食べ歩いたけどあそこのラーメン屋は美味い」
自称ラーメン通は割り箸を割る前にコショウをかける。

「なんでアイツあんなにクズなんだろうな、自分のこと棚に上げてよく人のこと言えるよな」
悪口、だがそれは私も事実だと思う。

「また言ってるよ」
悪口をいつも言う者への陰口。

「俺、今ひとり暮らしなんだよね、親は東京で仕事、生活は仕送りとバイトでなんとかしているんだ」
明らかな嘘、それは語る彼の雰囲気に少し出ていた、嗅ぎつけられるかもという不安が。

「そうなんだ」
話を疑っている、聞く耳に真剣味があまりない、ふ~ん、冷やかな微笑があった。

「やったことある奴少ないけどあのゲームおもしろいよな」
先週の話題、それは話題の無さ故に繰り返される思い出話。

こういった無いものをまとっている振り、その場しのぎの言葉が沸々と湧いてくる空間にいるのは辛い。
じっと耐えていると外へ飛び出したい衝動に駆られる、例え外が雨だろうが雪だろうが飛びだしたくなる。

「早苗」

誰かが私を呼んだ、これから私は何をしゃべるのだろうか?
しゃべればしゃべる程に自分の中身のなさが浮き彫りになってしまうのだ。
そう私もまた自分の言葉を持っていないのだ。















授業というのは基本的に退屈だ。
それは誰もがそうであり話を聞かずに板書だけは済まそうとしたりするのはマシな方で完全に放棄している者はたくさんいる。
寝ている者、マンガを読んでいる奴、携帯ゲーム機で遊んでいる奴、文庫本を読んでいる奴、数学の時間に歴史の資料集を眺めている妙な奴、様々なサボリを個人が選び時間を潰した。
私も板書だけは写そうとするが寝てしまった授業は幾つもあり、歯抜けの訳の分からないノートばかりが手元にある。
極一部だけが真面目に話を聞いている。

一方で教師にやる気があるかというと基本的には彼らにもない。
サボリをされることへの悔しさが全く見られない彼らはサボリを黙認すると淡々とした調子で授業は進める。
時折、授業らしさを取り繕うとして生徒を当てるのだが「分かりません」と大抵は答えられ「しっかりしろよ」等のことを述べると教師自らがそれを解説するのだ。
別のタイプもいる、人生の先輩タイプだ。
こちらは寝たりする者が少ない変わりに雑談をするのが仕事かのように本筋と関係のないことをしゃべりまくる。
自らの青春時代に熱をあげた物、苦労した物、もしくは「これから君らは……」といった内容を誇らしげに、それも生徒の役に立つと思ってなのか熱弁を奮う。
厚かましいと思わずにはいられない。
もちろん教師にも真面目に仕事を成そうという人がいる。
中には大人になり教師になっても“人にものを教える”ということを人から教わってもいる人もいる。
だがそちらも生徒同様に極一部だったりするのだ。




教師について少し語ったついでどうしようもない話をひとつしよう。
私の学校では年に二度、夏と秋に学年関係無しクラス対抗での球技大会が開かれるのだが、クラスの面子による差は確かにあれ、どのクラスでもなかなかの盛り上がりを見せる。
一週間前あたりになると昼休みを利用して練習をしだすクラスもチラホラ見受けられる。
出場者はクラス全員で種目は全て団体競技であり、一人ひとりが自分の出場したい種目に名乗りをあげて足らない場合のみ重複が可能であった。
私は女子バスケに出場し入賞とまではいかなかったがトーナメントの上位には食い込み、私自身悪くない程度の活躍をした。
だがもちろん誰もが運動神経が良く球技が巧いわけではなく、そうした人達は出場したいわけでもなかった。
そのため、と言うとおかしいが暗黙の了解としてそういった人達の名前だけ借りて巧い人が代わりに出場することが度々あった。
そのことに誰も文句を言わなかった、教師も気づいているはずであるが黙認であった。
ただそうした方が試合は成立し、いいプレイも増えるので盛り上がった、応援にも活気がつく。
また名前を貸した人達はどこかホッとした様子で教室に戻ると、同じ様な人達と共にゲームに勤しみ、クラスの応援にすら足を向けなかった。

さてこの球技大会であるが日程は二日間かけて行われ、自分のクラスの試合には応援するにも出場するにも時間的余裕が非常にあった。
だからその時間を練習に当てることもあれば暇つぶしもしたが、暇つぶしをする連中に一階の渡り廊下で麻雀をするという輩がいた。
そいつらは全員同じクラスであり私とも同じクラスであった、話はその内の一人から聞いたものである。

彼が言うには麻雀は単なる暇つぶしであったがカードなどではなく牌とマットを用意し、大っぴら気にわざわざ渡り廊下という人通りの多い所でやっていたらしい。
同級生は彼らに対して呆れた笑みを浮かべると一言、二言、軽く声を掛けると通り過ぎた。
彼らはその反応を見て楽しんでいた。
教師も同様で呆れた笑みを浮かべると一言、二言、声を掛けると通り過ぎた、中には立ち止り、手牌を見て軽くアドバイスする教師も数名いた。
通り過ぎる教師、立ち止る教師にとって球技大会中に渡り廊下で麻雀をすることはさして問題があるとは感じられなかったようだ。
むしろ教師達は微笑ましくその呆れた光景を見ていたのだろう。

こんな所で見せびらかしてやるなんてまだ子供だな
もう麻雀とかに手を出す年齢か

といった感じで。
だが立ち止ってアドバイスしていた教師達が立ち去るとすぐに別の教師達が彼らに詰め寄り、冷たく「片づけろ」と言い放った。
それから放課後に空教室に来るよう指示された。
指導である。




指導された内容

球技大会中に麻雀をしていたこと
その日は球技大会であるため時間潰しのためとはいえ、あまりに関係のないことをされるのは困る、そこらへんは考えて行動してもらいたい。

人通りの多い渡り廊下でしたこと
下級生が影響を受けて真似をし始める恐れがある。




終わっても彼らは全く納得していなかった。
指導を受けるのは彼らも納得していた、それは自分達の非を認めていたからだ。
だがなぜ“自分達だけなのだろう”という不満がまず湧く。
そう教室には球技大会に全く参加せずゲームをしている奴らがいたからだ。
教師だってそのことを知っているはずである、なんせ場所が教室であるのだから分からない方がおかしい。
実際に説教中、一人の教師が「教室にも色々いるがな」と厄介なものをどこかに忍ばす調子で話の合間に紛れる様に零したらしい。
そして指導された彼らはもちろん球技大会には参加していたのだ。
自分のクラスの応援には全て向かい、自分の種目には出場し全力を出したのだ。

アイツらはどうなんだよ!おかしいだろうよ全く!となるわけである。

それとアドバイスしていた教師、渡り廊下で麻雀をしているのを黙認していた教師が立ち去ってからやって来たというのも納得いかなかった。
その教師同士の体面を気にした態度が。




という様なことがあったらしい。
一通りしゃべり終わった彼は少し落ち着いたがまだ何か話し足りなそうであった。
視線を手元に落とし爪を軽くいじってから顔を上げると彼は言った。

「俺としてはね、確かに納得いかないことはたくさんある、同時に自分達に非があるのも認めるよ」
「うん、それで?」
「教師同士の体面を気にしたのは仕方ない、指導されたことも仕方ない、教室にいる奴らを説教しないのもしょうがない、あとで色々面度になるからさ」
「非常に面倒なことになるとは私も思う」

教師としての立場、暗黙の了解、クラスの雰囲気、その他もろもろそれらが混ざって一つの問題となっている。
掘り起こすとそれは確かに面倒である。

「一番納得いかない、いや居心地が悪いという表現の方がしっくりくるんだけど、それはさ『教室にも色々いるがな』という一言なんだよ」
「どうして?」
「自分の立場に言い訳をしている、これはしょうがないことなんだよ、って相手に」
「それも口答えしないのを睨んで」
「その通り」
「失礼なこと聞くけどそんなこと考える自分を少し偏屈に思う?」
「偏屈だとは思う、でもそれは悪いことではないだろう?」
「私から見てあなたは偏屈だと思う、でも悪くはない」
「ありがとう」
「むしろ話を聞く限り私も『教室にも色々いるがな』という言葉には不快だった」
「それは良かった」















昼休み。
教室はガランとしており数人のクラスメイトが各々のことをしていた。
美術の彫刻の提出に無理にでも間に合わせようと雑に板を彫ってなんとか形にしようとしていたり
すぐ返すように催促された漫画をイスの脚を浮かせながら急いで読んでいたり
体育祭のアンケートを集計している委員がいたり
その集計している人を手伝わずに「早くしろよ」と笑いながら終わるのを待っている人もいたり
などなど。
人が疎らで雨雲のおかげで窓からの採光が乏しい教室では蛍光灯のあの無機質な光を異常に多く感じる。
机の横に掛っているジャージや館バキの袋、ロッカーの上に乗っている雑多なモノ達が一際存在感を放っていた。
そして私は何もせず机に伏せている。

別に毎日がこういうわけではない。
いつも一緒に昼休みを過ごす人達がなんらかの事情でこのクラスにいないのだ。
部活顧問からのお怒りの呼び出しであったり
提出書類の不手際で職員室で訂正していたり
別のグループに誘われてどこかへ行ったり
風邪で学校を休んでいたり
などなど。
どことなく置いてかれた様な気分。
ただ他の教室に行って他のグループに加わることが出来ないわけでもない、でもそうしようという気力は全く湧かない。
頬を机にべったりつけてぼんやりクラスを眺める方が良かった、いや楽だった、心も机にべったりとしていた。

それにしてもこのクラスにいた連中はどこへ消えたのだろうか。
両隣のクラスからは雑多な男女問わずの騒ぎ声が聞こえる。
暫し雨音に耳をすませながら考える。
つまらない結論へ
単にこのクラスには人を集めるタイプ、人が集まるタイプの人間がいないだけであった。
それがこのクラスにとって良いか悪いかは知らないが少なくとも今の私は助かっている。
静かで助かっている。




ペットショップについて特に語るものがあるわけではない。
犬や猫の鳴き声と独特の匂いが漂い、ケースに閉じ込められてしまっている犬や猫を眺めていると雑多な物事から隔離された様な気分になれる場所。
それは私にとって十分居心地の良い場所の条件であり、もし店員が気心の知れた人であればなお素晴らしい。
というわけで私は六限目の授業で母の友人が営んでいるペットショップに行きたい衝動に突発的に駆られた。
そこへは小学校の低学年くらいまで、母によく連れられ遊びに行った。
今でも母は会いに行くことがあるが私は小学校の高学年になると疎遠がちになり、中学校に上がってからは一度も顔を合わせていないので多少の不安があった。
それでもそこに行けば、私が抱えていたり、心で渦巻いている漠然としたモノがどこか良い方向へ、解決はしないが薄まるような気がしたのだ。
曖昧な記憶によると母の友人はおしゃべり好きで大らかな人であり、母との会話で折りにふれては私をからかっていた。

外を窺う。
雨は無言で弱まり始めていた、パラパラといった程度で少しの距離なら傘を差さずに行けるだろう。
その無言に私は遠くで雨がうすら笑いを浮かべているような気がした。















母の友人が営むペットショップの最寄り駅は私が通学で利用する電車の途中にある。
駅周辺はとても静かでサッパリしている、駅ビル、予備校、携帯ショップ、カラオケ、レンタルショップ、そんな騒々しいものはない。
銀行、コンビニ、接骨医院、少し遠くにスーパーがある程度、あとは集合住宅なり二階建てもしくは平屋の一軒家が建ち並び、それらの隙間を埋める様に駐車場、空き地、畑が広がっている。
人によっては寂れていると印象を受けるだろう、だが私の第一印象としては落ち着いた印象を受ける。
人々はそれぞれの道のりをそれぞれの速さで歩き、信号待ちをしている車からはのんびりした構えが感じられた。

ペットショップは駅から歩いて15分程の所にある。
そこへ近づくほどに空き地や畑の占める割合が大きくなり、景色を邪魔するものが減ると空は一段と大きな広がりを見せた。
その頃には雨は完全に止んでおり、どこまでも澄んだ青い空が大きく両手を広げているようであった。
また道すがらにある緩い上り坂ではぎゅっと噛みしめたくなる様な固さが足裏を刺激し、一歩一歩に確かな手応えがあった。

引きずっている傘は先の方でカラカラと音をたてている。




辿り着くと長い時間的空白があるというのに向こうから躊躇なく挨拶をされた。
「これはこれは早苗ちゃんではないですか」
膝の上で撫でていた猫を離すと母の友人は立ち上がりカウンターからこちらに向かってきた。
目前まで来ると記憶よりだいぶ小柄で私より背が低く、見下ろす格好になり、ほのかな抵抗感が心をくすぶった。
少し時の流れの寂しさを覚えたが、年上の女性に対してであるが可愛らしいと思えた。
柔らかい丸みを帯びた頬、小柄な顔に埋め込まれたクルミの様な大きな瞳の奥には意欲と若さが失われずに保たれており、見た人の気持ちをハッとさせてくれる。
キュっと締まった可愛らしい唇も印象的であり、肌には若さが抜け始めいたが代わりに優しさが滲み出ており、日に焼けた健康的な茶色をしていた。

それにしても“ちゃん”とは何やらくすぐったい。

「お久しぶりです」
「本当ね、もう最後に会ったのはどれくらい前なのかしら?」
「中学に上がる前でしから4年とちょっとくらい前ですかね、それと連絡もなしに急におじゃましてしまって、すいません」
「構わないわよ」
「ありがとうございます」
そして少しばかり私を見まわすと
「こんなに立派になって嬉しくなっちゃうな」と言ってくれた。
そんなことないです、子供ですよ。と私が言うと彼女は
そこまでは言ってないんだけどな。と笑っていた。
少しばかり恥ずかしい思いをした。




「それで今日はどうしたの?」
そう声を掛けられると、どう答えようか迷ったが素直に動物をぼんやり眺めに来たんです、と答えると彼女は快く許可してくれた。
そして突然
「そういえば覚えてる?」
「何をですか?」
「早苗ちゃんが小さい頃なんだけどね、早苗ちゃんはここにいる子達のお世話をよくしてくれたの、
よく吠えたり、ブラッシングを嫌がる子にも隔てなくみんなを可愛がってくれたのよ」
「マネごとをしていただけですよ」
「最初はそうだったかもしれないけど、次第にコツを覚えて安心して任せられる程にはなったわ」
「いや、そんな、ありがとうございます」
「それでね、ある子猫の買い手が決まったのよ」
「どんな猫ですか?」
「覚えてない?シャム猫で一番早苗ちゃんに迷惑を掛けていた猫なんだけど」

そう言われるとそんな猫がいたような気がしてきたが、
何かがある気がするだけで何も頭には浮かんでこなかった。

「ちょっとハッキリしませんね」
「そう、まぁそれでね、買い手がここへ訪れてその子猫を連れていったのだけど、早苗ちゃんも丁度、現場にいたのよ、
そんでこれは何かまずいのではないだろうか……って思っていたら」
「思っていたら?」
「何とも無かった」
「無かったんですか」

複雑な気分である。

「いや別に何も無かったわけじゃないのよ、取り立てて無かったのよ」
「取り立ててですか」
「挙げるとすれば早苗ちゃんがスカートをギュッと掴んでいたことくらいかな」
「と言われましても覚えていないんですけどね」
「本題はこれからで、買い手が帰ってから早苗ちゃん私になんて言ったと思う?」

何を私は言ったのだろうか。

「全く思い出せませんね」
「映画の話をしたのよ」
「映画?」

そのときの状況と似たシーンがある映画でハッピーエンドになるものを当時の私は知っていたのだろうか?
今の私には全然記憶にない。
そういえば誰かが
ハッピーエンドってハッピーなエンドでもいいけどハッピーのエンド、つまり幸せのendでもよくない?
そんなアホなことをクラスで騒いでいる奴がいたという関係ないことを思い出してしまった。

「それはどんな映画の話でしたか」
「そういうのじゃないのよ」
「あのどういうことで?」
「それがね、こう言ったのよ『映画とかではみんな怖い表情で殺し合ったりするけど、そんな悲しいことがあっても
撮影が終わったらみんなでお食事とかしているんでしょ』ってね、参ったわよこれには」

私は苦笑するしかなかった。




店内には白くちらりとオレンジ色が絡んだ日差しが穏やかな波のように押し寄せ、無口な空間を作らないようどこからかラジオが雰囲気に合わせて静かにしゃべっていた。
ほとんどの猫や犬はのんびりと床に横になりその日差しの暖かさに和んでおり、欠伸をするか気まぐれに尻尾を揺らしていた。
私は一匹いっぴきにそれぞれの可愛さを見つけてやると、ぼんやりその子を気が済むまで眺めた。
そうしていると自分の中が少し整理された気がした、色々考えたり悩んだりする過程で散ってしまった自分が集まるのである。

あぁ、自分とはこういう奴だったなと。
それを素直に受け止めると気分は楽になり優しい気持ちになれた。




暫くそうしていると母の友人がいいことを教えてくれる調子で話しかけてくれた。
「ねぇ、早苗ちゃん聴いた?」
「急にまたどうしたんですか?」
「いやそれがね、ラジオの占いで突っ込みたいことがあったのよ」
「どんなことですか?」
「よく一番運勢が悪い人にラッキーアイテムの紹介があるじゃない」
「ありますね確かに」
「今回の何だったと思う?」
「……なんでしょうね?」
「躊躇わずに何か答えてみてよ」
「……サイコロ?」
「ブー、なんと答えは“失くしたモノ”でした」




帰りの電車は退社前の時刻ということで空いており難無く座席に座りつくことができた。
電車は沈む太陽に向かって進んでおり、赤くオレンジを含んだ、本当に燃えるような西日が車内をその色に染め上げ、吊革の長い影が床で揺れていた。
瞼を閉じると子供の我儘がどこからか聞こえたがさして気に留まらなかった。
電車はカーブに差しかかったのか身体が前後に軽く振れる。
時間がゆっくりと流れ、日差しをありありと感じた。
それは細やかで透き通っており、暖かく和らいだ刺激が体の隅々まで染み渡り、はびこっていた疲労が光に飲まれ何も残さず消えるのが明確に分かった。
光が包んでいる。
そして私を高揚感と充実感が包んだ。
未来は無条件に明るくなりだし不安というものは置き忘れられた。
私は順調な方に、具体的には述べられない幸せに向かっている気がした。




だが駅に降りるとそれは萎んだ。
全てが失せてしまったわけではないが、線路の途中に間違って置かれたような寂れた駅のホームに足をつけ、遠くの山々が視界に入り漠然とした広さを感じた途端、それは萎んでしまい、一杯に詰まった空気が抜けて萎んだ風船のようなものが残った。
少しゴムが伸びてしまっているそれは暫くは在り続けたが、気付くと消えており、自室で制服を脱ぐ頃になっては冷静な、現実的な、溜息をつきたくなる感覚が戻っていた。















“失くしたモノ”について
そう“失くしたモノ”について考える。
何がある?
それは思い出のどこかに潜んでいる気がするのだが、言葉で表現するのは酷く困難な作業である。
そう最初は思えた、だがそれは私の“軽率な願望”でしかなかった。

試しに歩んできた道を振り返る。
そこには乾いた堅い道が一直線に伸びているだけで何もない、堅過ぎて足跡すら残っていない。
何も落としていない、残していない。
では逆に“身についているモノ”を探してみる。
必死に探してみるのだが、人生の幾分かを消費したというのに私という奴は不気味に身軽な存在で、触れてみるのだが何も、何も手応えがない、あるのは怯えだけだ。
それから前を、未来を、見据える。
長い、長い、個性の欠片も無い道が私を待っている。
その長さに私の怯えは高まる、その道を歩んでいる私もまた何も身につけていないのである。

本当に私はどこまでも空っぽだ。




そう湯船に浸かりながら思案していた。
考えを断ち切ると負荷の抜けた筋肉のように頭が軽くなった、思ったより目まぐるしく働いていたらしい。
一息つく。
伸ばしていた両脚を曲げて両腕で抱き寄せる、首は支える力を失い頭が垂れた。
張られた湯は確かな熱でもって私を暖め続けた。
だが知らぬ間に私の奥底に溜まった冷たいモノは幾ら経っても薄れることはなかった。















深い夜
辺りはしんと静まり返り、音の一つひとつが昼とは違った夜の響き方をしていた。
窓一面には均一な暗闇が張り付き、焦点の定まるものがない。
視線を部屋に移すと外より弱い暗闇があった。

もう寝なくてはならない、“見えない明日”の為にだ。

“見えない明日”には何があるだろうか?
そこには多種多様な差異が転がっているだろう。
同じ朝を迎え同じ夜を迎える全く変わり映えのない私がいるだろう。
それ以上のことはないだろう。
閉口。





どこか遠くでどこかへ走り去るバイクの音がした。




私と似ている、そう思うのはおかしいだろうか?
早苗さんと言ったら風祝、二柱というのは重要ですがこの話にはそんな要素は全くありません。

これ早苗さん?

幻想郷という存在を知れば使命感なりで輪郭は帯びるだろうけど知る前の話でこんな話、なんなのだろうか、とか思っている頃の話があってもいいと思って書いてしまった。
あと教師の方にはすまないと思うと同時に、実際こんな感じだったからな…

最後になりますが読んでくださってありがとうございました。
空きビンの底
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コメント



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3.100名前が無い程度の能力削除
早苗さん色々大変だったんだね
9.100奇声を発する程度の能力削除
こういうの好きです
13.100アン・シャーリー削除
いやはや見落としてました
これは力作、良作
16.無評価名前が無い程度の能力削除
これを東方のキャラでやる意味がどこにあるの?
名前が同じ以外全く意味がない…というより、これは同性同名なだけのオリジナルキャラだろ。