咲夜の世界。
何も動かず、何の音もしない、静かな世界。
紅魔館の豪奢なたたずまいも、どこか色あせたかのように何の魅力もなくしていた。
そんな静けさと殺風景の中、十六夜咲夜は、独り動いている。
白いフリルのついたカチューシャ、肩にかからぬ程度の銀髪に両脇をリボンでみつあみにし、ワインレッドのラインの入った襟に黒いタイが結ばれ、カフスのついたふくらんだ半袖のブラウス。両脇に白いフリルのついた紺のジャンパースカートに前掛けのエプロン、シンプルで動きやすい本人の性格を表したような格好である。彼女はストイックなものを好み、仕事は完璧で無駄がない。切れ長の目に整った顔立ちがより一層、彼女に冷たい印象を与えていた。
この時が止まった世界には彼女のみしかいない、もし仮に誰かいたとしても咲夜にとっては変わらない事だ。時が止まった世界で動けるのは彼女独り。この静けさが彼女の性格を形作ったのだろう。彼女は、あらゆる物事に対して興味が薄い。彼女の仕える主人レミリア・スカーレット以外……。
「お嬢さま……」
咲夜はそっとレミリアを抱きしめた。だがレミリアも咲夜の世界には入れないため、ピクリとも動かない。
軽いウェブの入った青紫の髪に、紅いリボンのついたナイトキャップをかぶり。赤いラインの入ったフリルつきの襟に桜色のブラウス、腰元で蝶結びをした大きな紅いリボンをつけている。ブラウスと同色のスカートにも紅いリボンで装飾がされていた。容姿は十にも満たない幼女だが、齢500歳の吸血鬼である。幼い顔立ちにも関わらず、強い意志を持つ鋭い緋色の瞳には、紅魔館の主らしい気品を漂わせていた。
咲夜はレミリアに従者以上の感情を持ち合わせていていた。彼女たちの出会いがどのようなものであるかも、出会うまでどのように生きて来たのかもわからない。
咲夜はレミリアに頬をうずめるが、彼女は動かない。咲夜はぎゅっと手に力を込めた。
「……やはりお嬢さまは生じゃないと、物足りないわね」
カチッ
「……何をしているのかしら?」
時が動きだしたのだろう。レミリアは怒りに震えていた。そんな事はお構いなく咲夜はレミリアを抱きしめている。
「お嬢さまを感じています。時間を止めていると匂いも温もりもないのですよ」
「なぜ悪びれない!! いいから離して!!」
レミリアは咲夜をほどこうとして暴れた。レミリアは幼い容姿であるが、吸血鬼と人間の力は違う。いともあっさりと咲夜をふりはらった。
「ああ、殺生な……」
咲夜はいかにも残念そうな顔をしてつぶやいた。
「殺生な、じゃない。いきなり抱き疲れたら誰だって嫌がるでしょ!! 貴方は自分も同じ事をされたらどう思うか考えた事がないの?」
「私はいっこうにかまいません!! さあ、お嬢さまどうぞ……」
レミリアの怒気をはらむ声にもこたえず、咲夜は両手を広げる。レミリアは、こめかみに手を当て大きなため息をついた。
「まったく、貴方はどうしてこう……」
吸血鬼には様々な弱点がある。主なものに日光、流れ水、ニンニクなどであるが、レミリアが一番頭を悩ませているのは咲夜の性癖であった。
「いえ、これは業務の一環です。お嬢さま成分を取らないと仕事に差し支えが出るので……」
「大体、なんで私なのよ。フランに手を出さないだけいいのだけれど……」
呆れるレミリアをとがめるように咲夜はしゃべりだした。
「お嬢さま、お気づきになりませんか? 私は幼ければ良いというわけではありません。公共料金を子供料金で支払う年頃から、ジェットコースターに乗れる身長までというこだわりがあります。妹様も、もちろんその規定に当てはまりますが、それだけではダメなのです」
「公共料金って何? ジェットコースターなんて私は知らないわよ。もしかして私の事を馬鹿にしているんじゃないでしょうね」
レミリアは幻想郷に長く住んでいるため、公共料金やジェットコースターを知らない。咲夜の話から推測すると彼女の好みの年齢は、約6歳から9歳の間ぐらいになるだろう。
「いいえ、誉めているのです。妹様は無邪気で大変子供らしいのですが、私の嗜好といたしましては、子供扱いされるのを嫌い背伸びしているおませさんな所がなくていけないのです!!」
「ほう、私を子供扱いするなんていい度胸じゃない、咲夜。私は一人前のレディよ!!」
レミリアは胸を張り、タンカを切った。咲夜は魅入られたかのようにうっとりとした表情をする。
「そういうところがたまりません。幼い容姿にみあわぬ気品だたよう麗しいお顔。背中の美しい羽。あっ、それと匂いですね。お嬢さまは代謝が少ないですから、一見何の匂いもしませんが良くかいでみると……」
事細かに説明する咲夜にレミリアは、鳥肌を立てながら身をすくめた。
「咲夜、いい加減にしなさいよ」
レミリアの言葉を無視し、咲夜はさらに雄弁に語り続ける。
「それと食事の時、お口の汚れをぬぐった時にむずがるお顔がまた淫靡でして、本当にご馳走様です!!」
咲夜の言葉にがまんできなくなったのか、レミリアはうつむいたまま肩を震わせていた。
「咲夜……」
「はい?」
咲夜は間の抜けた返事をする。レミリアの右手には紅く細長い禍々しい物が握られていた。レミリアは大きく振りかぶり、叫んだ。
「いっぺん死んでこおい!!」
紅魔館に神槍がとどろき、轟音と共に天を穿つ。
紅魔館の外、門番の紅美鈴はグングニルの光跡をながめ「やっ……またですか。咲夜さんも懲りないなあ」と独り言をつぶやき、盛大にあくびをした。
「~というわけでして……」
咲夜はヴワル魔法図書館に来ていた。見渡す限りの本棚が延々と続き、うす暗く日の光ではないぼんやりとした明かりがまわりを照らしている。その図書館でパチュリー・ノーレッジは、咲夜の用意した紅茶を飲んでいる。
紫色の長い髪の両脇をリボンで結び、三日月の装飾がついたナイトキャップをかぶっている。薄紫の縦じまのワンピースにガウンをはおり、所々に蝶結びのリボンが装飾されていた。
動かない図書館の異名を持つだけあってか、どこかしらけだるそうな雰囲気をかもし出しており、咲夜の話がさらにパチュリーのけだるさに拍車をかけていた。
「……と言うわけって、どういうわけよ」
パチュリーは咲夜の話を理解する事が出来なかったようである。咲夜の話は、どこか大切な所がすっぽりと抜けていたのだろう。
「……えっ!? ですからお嬢さまの可愛らしさは容姿だけでなく、仕草から匂いから感触すべて魅力的でして……」
パチュリーは立ち上がり、両手で机を叩く。バンッという音と共に紅茶の入ったカップがカタカタと音を立てた。
「そんな事、聞いてないわよ!! 私にどうして欲しいのか聞いているのよ、まったく……」
パチュリーは乱暴に椅子に座り込んだ。咲夜はまったく表情を変えず微動だにしない。そんな咲夜を見てパチュリーはタメ息をつく。パチュリーは、フォークでケーキを切り口に運び、思わず彼女の顔がほころぶ。
「ん……? 美味しいわね、このケーキ」
咲夜は、柔らかな笑みを浮かべ答えた。
「ありがとうございます。このケーキは、木いちごのほのかな酸味のついたスポンジにバラのムースを乗せ、最後にワインゼリーでデコレーションした。幼いながらも背伸びしているおませさんなお嬢さまのイメージしているのです」
「……えっ?」
パチュリーの手からフォークが落ちる。次の瞬間、そのフォークは咲夜の手に収まり、静かにケーキの乗る皿に置かれた。
「それだけではございません。実はこのケーキ、下から順にお嬢さまのおはようからおやすみまでを表現しているのです。お嬢さまが目覚めた時の寝汗をかいたわずかな酸味、そしてふだんつけているフローラルなバラの香水の中にただようどこか甘い香り、お休み前に召すワイン。一口でお嬢様の一日が味わえるのですよ」
息を荒げながら説明する咲夜に対して、パチュリーはじーとケーキを凝視しながら口を開いた。
「咲夜、そういう話はものを食べている時にしないでくれる? それと念のために聞いておくけど、紅茶はいつもの『普通』の紅茶、よね……」
パチュリーは普通という言葉を強調した。普通でない咲夜独自のレミリアが関係する工夫がされているか疑問に思ったためである。
「はあ…… もちろんいつもの紅茶ですよ。」
パチュリーはまたしても、疑わしい目つきで紅茶をながめる。咲夜の常識が信用できないためであった。そして口に手をやり、こほんっと咳払いをした。
「……で、話は戻るけど何なのよ。お茶の用意をしに来たわけじゃないでしょうに……」
「実はお嬢さまの攻撃を避けた後に、本でも読んで考えを直せとおっしゃられたので、何かよい本はありませんか?」
パチュリーはこの図書館を管理しているだけあってか様々な本を読み、他分野に渡る知識を有している。彼女は額に手を当て、咲夜にどのような本を貸したらいいのか考え込んでいた。
「どの本がいいかしら……。そうだわ、まずはじめにしつけの本を貸した方がいいわね。確かこの辺に犬の本が……」
パチュリーは本棚に近より一冊の本を引きぬく。犬という言葉に対して咲夜は怪訝な表情をした。
「犬ですか……」
「ええ、本当は猫の方がいいのだけれど、しつけと言ったら犬が一番ね」
パチュリーから手渡された本は、室内犬の飼い方について書かれた本であった。咲夜はパラパラと本をめくり、首をかしげる。
「あのう、パチュリー様? 本当にこの本が役立つのですか?」
「ええ、まずはその本を読んで、最低限の事を覚えてもらわないと、話はそれからよ」
「はあ、では失礼します」
咲夜は、うやうやしくおじぎをして去っていった。パチュリーは咲夜が去ったのを確認し独り言をつぶやく。
「まったく、レミィも大変ね。それにしてもこのケーキどうしようかしら? あまり食べたくないのだけれど……。それはさておきとりあえず――」
パチュリーはタメ息をついた後、呪文を唱え始めた。パチュリーの手の平に薄ぼんやりとした光が浮かび上がり、彼女は光に向かってしゃべりだした。
「こあ、聞こえるかしら……」
となえた呪文は通信用の魔法だろうか、光の中から女性の声が聞こえる。
「なんでしょうか? パチュリー様」
「従者と主に関する本を探してもらえるかしら?」
「了解しました」
声が途切れるのと同時に光が消えた。パチュリーは一息つき、紅茶を飲もうとするが、紅茶はすっかり冷めていたらしく、唇をぬらす程度で紅茶を置き直し、手元にある本に手を伸ばす。するとどこからともなくパチュリーを呼ぶ声が聞こえた。
羽の様な耳がついた赤く長い髪をなびかせ、前が見えない程の大量の本を持ちながら危なっかしい足取りで、小悪魔が走って来る。本をごうかいにパチュリーの机に置き、仕事の達成感を表す様な満面の笑みを浮かべた。
「パチュリー様、頼まれた本をご用意しました」
「ずいぶんはやいわね、ありがとうこあ。でも本は大事にしなさい」
たしなめるパチュリーに頭をこつんと叩きながら、赤い舌を出し小悪魔は謝った。白いブラウスに赤いネクタイをつけ黒いベストをキッチリと着込み、黒いロングスカートはいている。黙っていれば立派な司書らしい容姿であるが、言動や態度にどこかしら憎めない茶目っ気があった。
「それにしても、ずいぶん沢山あるわね。どれ…………むきゅっ!!」
本に手をかけ、ぱらぱらと中身を見るとパチュリーは赤面した。ばたんっと本を閉じて次の本に手をかけた。そしてまた顔を赤らめる。それをしばらく繰り返しようやく口を開く。
「こあ、これは一体……」
小悪魔はニヤニヤと笑みをうかべながら答えた。
「どうしたのですか、パチュリー様?」
パチュリーは、しどろもどろになりながらしゃべりだした。
「わ、私は、従者と主に関する本を頼んだわけで……こういう、なんていうのかしら…ええっと、あの……」
適切な言葉が見つからないのだろうか、パチュリーは言葉を出しあぐいていた。
「これらの本は、パチュリー様の言っていた主と従者の正しいあり方(笑)についての本じゃございませんか?」
小悪魔が用意した本は、あられもない姿の男女や男々、女々が絵と文字で事細かに描かれているSMなどのエロ本であり、それらを見てパチュリーは激怒した。
「こあ、貴方は主と従者の関係をどうとらえているの!!」
「グッドシチュエーション!!
それ以外に何がありましょうか? モラルこそが最高の興奮剤。禁じられているからこそ、いえ……禁を破る事にこそ愛の意味があるのです。愛は無限、今こそその力を実践しましょう、パチュリー様!!
おっと誤解がないように言っておきますが、愛=エロであることをお忘れなく」
小悪魔の言葉にパチュリーは呆れ果て、文字通り開いた口がふさがらなく、ポカーンとしていた。しばらくパチュリーは思い悩んだ後、ようやく口を開く。
「こあ、貴方はその、なんと言うかこういう事以外に何か考える事がないの? 真理とか知識とか世のあり方についてとか……」
「何をおっしゃるのですか、パチュリー様。脳ミソはエロい事を考えるためにあるんです!!
このまま長編恋愛物語の様に、長い年月をかけぬるい展開でパチュリー様を焦らして焦らして焦らし抜いて、悶え狂わせ悶え殺す関係もいいですが、やはりいち悪魔として欲望に忠実でなければなりませんからね!!」
嬉々としてしゃべりたてた小悪魔に対して、パチュリーは肩を震わせながら怒鳴った。
「とっとと、この本をしまって来なさい!!」
パチュリーは読んでいた本を大きくふりかぶり小悪魔にむけて投げつけた。彼女はその本を上手くキャッチして、くすくす笑いながら逃げてゆく。
「図書館ではお静かに~」
「ちょっと、この本も片付けて来なさいよ。まったく……」
パチュリーは、小悪魔の残していった本の山をちらりと見やる。どのくらいの時がたっただろうか、しばらくしてパチュリーは本に手を伸ばす。そしてしばらくあたりを見回した。図書館はいつもの通り、静かだ。小悪魔の影も姿もない。パチュリーは、何気ないように片手でぱらぱらとめくる。
「むきゅっ!!」
彼女はまたしても、あたりを警戒した。そして誰もいない事を確認し、椅子に座り真剣に本を読み始める。パチュリーは、ぶつぶつと不満をつぶやきながらも小悪魔の持ってきた本を熱心に読み進めてゆく。
「…………やだっ、こあったらこんなの読んでいるの? 主と従者の関係って、私にどうしろっていうのよ……」
手で顔を覆いながらもパチュリーは、しばし思い悩む。そしてさすが動かない図書館というだけあってか、それからパチュリーはものすごい速度で本を読み終え、パタンと本を閉じた。パチュリーは椅子に深くもたれかかり天を仰ぎ、目をいたわるかのように手で顔を覆い「これは、こあにひとこと言わなければならないわね」とひとりごちた。
「パチュリー様、紅茶をお持ちいたしました。それにしても、ずいぶん熱心に読んでいらっしゃいしましたね」
「ありがとう、気がきくわね。こ、あ…………ッッッ~~~~~!!」
いつの間にか隣にいる小悪魔にパチュリーは、声にならない叫び声をあげ、はずみで椅子から転げ落ちた。
「むきゅう」
「大丈夫ですか、パチュリー様」
小悪魔は、手にしていたポットを置きパチュリーに近よった。
「大丈夫、大丈夫よ」
パチュリーはよろよろと立ちあがり、椅子に座りなおした。小悪魔はホッと胸をなでおろす。
「お怪我がなくて何よりです」
そんな小悪魔の様子を見て、パチュリーはどこか気まずそうに、蚊の鳴くような声でつぶやいた。
「い、いつから見ていたの?」
「はて、何の事でしょう?」
小悪魔は素知らぬ顔で紅茶を入れ直す。香り高いどこかリラックスする様な匂いが広がる。
「と、とぼけないでよ。貴方の事だから、見ていたんでしょ!!」
小悪魔ははにかみながらも笑顔で、パチュリーに紅茶をさしだした。
「ばれましたか……で、どうでしたか?」
「ど、どうって……な、なんでそんな事言わなきゃいけないのよ!!」
本で顔を隠しながら、パチュリーは答える。小悪魔は露骨ないやらしい笑顔でパチュリーに迫った。
「言ってもらわないとわからないじゃありませんか」
「この……ヘンタイ!!」
「変態だなんて心外ですね。私はただ素直に生きているだけです。百歩譲って私が変態と言うならば、変態ではない者は、生きる事に不真面目で、ただ動いている事をよしとする生ける屍に他なりません!!」
パチュリーは、深いため息をつきしどろもどろにながら喋りだした。
「それは詭弁よ。慕ってくれるのは嬉しいのだけれど…もうちょっと……こう、普通にしてもらえるかしら?」
それを聞いて小悪魔は、喜色満面の笑みでパチュリーににじり寄る。
「それでは、普通にダイレクトにスタンダードで行いましょうか、さあ寝室の方へ向かいましょうパチュリー様」
「そういう意味じゃないわよ!!」
パチュリーは本の角で、小悪魔の額を打った。小悪魔は激痛のあまり、額を押さえながらしゃがみこんだ。パチュリーは本で口元を隠し「ばかっ……」と小さくつぶやく。
いっぽう咲夜は、自室でパチュリーからもらった室内犬の飼い方の本を読んでいた。咲夜の部屋は、必要最低限の簡素な家具が置かれている、あまり生活感のない部屋だった。
咲夜は、本から顔を上げ「こんなのが役に立つのかしら?」と眉をしかめながらつぶやく。咲夜は悪魔の犬と呼ばれる事もあるが、動物の犬ではない。犬違いもいいところである。
彼女は残りのページをパラパラとめくり、全部読まなくてはいけないのかと思ってか、ため息をついた。そしてあるページで、咲夜は目の色を変えた。
「こ、これは……」
咲夜は先ほどと打って変わって、食い入るように本をみつめる。しばらくし、本から顔を上げた。
「犬ならこんな羨ましい事が出来るだなんて……」
咲夜の読んでいたページは、犬が飼い主の顔や手をなめたり、靴下をクンクンかいだりするなど犬の習性について書かれていた。
「いやいや、これは犬の話だし、ははは……」
咲夜のかわいた笑い声が部屋にこだまする。
「人間として、いや人間じゃないとしても心まで畜生になってはいけないですわ」
咲夜はさらにページをめくり、本を読み進めた。しばらくして咲夜は犬の習性の項目を読み終え、ふっと薄く笑った。
「もう人間やめよう、私は……私は、イヌニナル」
咲夜はひとり決意する。机に置かれた室内犬の飼い方の本には、犬になめられて起きるほほえましい飼い主の挿絵が描かれていた。
その日の夜、レミリアは深紅の毛布にくるまりながら、何も知らずに無防備なあどけない顔をして寝息を立てていた。月の優しい光が天蓋つきベッドについている薄布に優しくさしこんでいる。
レミリアの寝室にひとつの影があった、十六夜咲夜である。時を止め無音で部屋に侵入した彼女は扉にもたれかかっていた。
咲夜は金の懐中時計を見やり、レミリアが起きる時間であることを確認する。静かに、彼女を起こさすぬよう、とても静かにベッドに向かい歩み始めた。
天蓋つきベッドの薄布をくぐり、レミリアの寝顔を確認し咲夜は一筋のしずくをこぼす。よだれである、もはや咲夜の理性はここにはなく、荒い息づかいとレミリアの寝息が奇妙なアンサンブルを奏でていた。
咲夜は靴を脱ぎすて、毛布を軽くめくり布団の中にもぐりこんだ。レリミアは、むずがり、うめき声を上げて寝返りをする。起こしてしまったかと咲夜は息をひそめるが、しばらくし穏やかな寝息を立てたので彼女は安堵した。ようやく咲夜は毛布から顔を出し、至近距離でレミリアの寝顔を見つめる。レミリアを起こそうと犬の様に頬を舐めようとするが、今まで咲夜は人間として生きてきたせいか、それとも成功が目前にある緊張のせいなのだろうか、中々舌が出ない。そんな咲夜のはあはあと荒げる息に気づいて、レミリアはうめいた。
「……う、ん………」
レミリアは、起きているのか寝ているのかわからない状態である。それに対し咲夜は苦しまぎれにレミリアに抱きつき頬をぺろりとなめた。
レミリアの目がかっと見開き、みるみる青ざめてゆく。
「……なっ、え…あ……、さ、くや」
咲夜は恥ずかしげに「わんっ!!」と鳴いた。レミリアはようやく我に返り叫び声をあげバタバタと暴れだした。
「いっ~~~!! 咲夜っ!! 何してんのよ!!!!!」
レミリアは咲夜の腹を蹴飛ばし、彼女はベッドから転げ落ちたが、上手く受け身をとり瀟洒に立ち上がる。
「何って、お嬢さまに穏やかな目覚めをしてもらおうとしたのですが……それが何か?」
咲夜はもっともらしい事を真顔で言っているが、彼女の鼻から口を伝って一筋の紅いものが流れていた。咲夜が鼻血を出しているのは、どこかに鼻をぶつかったからではなく心の問題である。レミリアは、咲夜を拒否するかのように毛布にくるまりながらがなりたてる。
「ぜんぜん穏やかじゃないでしょ!! とりあえずその鼻どうかしなさいよ」
咲夜は口に手をやり、「お目覚めに一口いかがですか?」と言い放った。
「気持ち悪い事言うな!! 鼻血なんて飲めないわよ」
レミリアは枕を投げつけたが、咲夜は難なくかわす。咲夜は鼻に詰め物をしながら、ため息をついた。
「……困りましたね。この起こし方をすると主人は喜ぶと本に書いてあったのですが……。主人を喜ばすのが従者の勤めでございまして」
「いったい何の本を読んだか知らないけどね。咲夜は人として……と言うか従者として大切なものがすっぽり抜けているのよ」
「私はお嬢さまの犬ですので、何の問題もございません。少し恥ずかしいですが、コレもまたよしですね」
「良かないわよ!! もういい、寝る」
レミリアはそっぽを向き、横になった。咲夜はレミリアに心配そうにうかがいを立てる。
「あの、お嬢さま? お目覚めにならないのですか、もう夜ですよ?」
「寝なおすの。ああ、もう!! 最悪もいい所だわ」
「それでは……」
咲夜が懐中時計を取り出した瞬間、ベッドはキレイな状態になった。レミリアが投げた枕も元に戻っており、シーツや毛布もシワがなくなっている。レミリアもいつの間にかベッドの中に入っており、咲夜にねぎらいの言葉をかけた。
「いつもの事ながら感心するわ、咲夜。普段から、そうしていればいいのよ。ありが……」
レミリアの言葉が途切れる。咲夜はさも当然の様にベッドに入ってきたからだ。
「何をやっているの?」
「いえ、私もご一緒にと……。私はお嬢さまの犬ですから、お気になさらず」
「気にするわあ――!!!!!」
不夜城レッド。紅魔館はその名に恥じぬ不気味な紅い光で満たされる。
紅魔館から少し離れた門の前、紅美鈴は赤い光をながめながらつぶやいた。
「危険が内部から現れたら、さすがの私もお手上げですよ」
何も動かず、何の音もしない、静かな世界。
紅魔館の豪奢なたたずまいも、どこか色あせたかのように何の魅力もなくしていた。
そんな静けさと殺風景の中、十六夜咲夜は、独り動いている。
白いフリルのついたカチューシャ、肩にかからぬ程度の銀髪に両脇をリボンでみつあみにし、ワインレッドのラインの入った襟に黒いタイが結ばれ、カフスのついたふくらんだ半袖のブラウス。両脇に白いフリルのついた紺のジャンパースカートに前掛けのエプロン、シンプルで動きやすい本人の性格を表したような格好である。彼女はストイックなものを好み、仕事は完璧で無駄がない。切れ長の目に整った顔立ちがより一層、彼女に冷たい印象を与えていた。
この時が止まった世界には彼女のみしかいない、もし仮に誰かいたとしても咲夜にとっては変わらない事だ。時が止まった世界で動けるのは彼女独り。この静けさが彼女の性格を形作ったのだろう。彼女は、あらゆる物事に対して興味が薄い。彼女の仕える主人レミリア・スカーレット以外……。
「お嬢さま……」
咲夜はそっとレミリアを抱きしめた。だがレミリアも咲夜の世界には入れないため、ピクリとも動かない。
軽いウェブの入った青紫の髪に、紅いリボンのついたナイトキャップをかぶり。赤いラインの入ったフリルつきの襟に桜色のブラウス、腰元で蝶結びをした大きな紅いリボンをつけている。ブラウスと同色のスカートにも紅いリボンで装飾がされていた。容姿は十にも満たない幼女だが、齢500歳の吸血鬼である。幼い顔立ちにも関わらず、強い意志を持つ鋭い緋色の瞳には、紅魔館の主らしい気品を漂わせていた。
咲夜はレミリアに従者以上の感情を持ち合わせていていた。彼女たちの出会いがどのようなものであるかも、出会うまでどのように生きて来たのかもわからない。
咲夜はレミリアに頬をうずめるが、彼女は動かない。咲夜はぎゅっと手に力を込めた。
「……やはりお嬢さまは生じゃないと、物足りないわね」
カチッ
「……何をしているのかしら?」
時が動きだしたのだろう。レミリアは怒りに震えていた。そんな事はお構いなく咲夜はレミリアを抱きしめている。
「お嬢さまを感じています。時間を止めていると匂いも温もりもないのですよ」
「なぜ悪びれない!! いいから離して!!」
レミリアは咲夜をほどこうとして暴れた。レミリアは幼い容姿であるが、吸血鬼と人間の力は違う。いともあっさりと咲夜をふりはらった。
「ああ、殺生な……」
咲夜はいかにも残念そうな顔をしてつぶやいた。
「殺生な、じゃない。いきなり抱き疲れたら誰だって嫌がるでしょ!! 貴方は自分も同じ事をされたらどう思うか考えた事がないの?」
「私はいっこうにかまいません!! さあ、お嬢さまどうぞ……」
レミリアの怒気をはらむ声にもこたえず、咲夜は両手を広げる。レミリアは、こめかみに手を当て大きなため息をついた。
「まったく、貴方はどうしてこう……」
吸血鬼には様々な弱点がある。主なものに日光、流れ水、ニンニクなどであるが、レミリアが一番頭を悩ませているのは咲夜の性癖であった。
「いえ、これは業務の一環です。お嬢さま成分を取らないと仕事に差し支えが出るので……」
「大体、なんで私なのよ。フランに手を出さないだけいいのだけれど……」
呆れるレミリアをとがめるように咲夜はしゃべりだした。
「お嬢さま、お気づきになりませんか? 私は幼ければ良いというわけではありません。公共料金を子供料金で支払う年頃から、ジェットコースターに乗れる身長までというこだわりがあります。妹様も、もちろんその規定に当てはまりますが、それだけではダメなのです」
「公共料金って何? ジェットコースターなんて私は知らないわよ。もしかして私の事を馬鹿にしているんじゃないでしょうね」
レミリアは幻想郷に長く住んでいるため、公共料金やジェットコースターを知らない。咲夜の話から推測すると彼女の好みの年齢は、約6歳から9歳の間ぐらいになるだろう。
「いいえ、誉めているのです。妹様は無邪気で大変子供らしいのですが、私の嗜好といたしましては、子供扱いされるのを嫌い背伸びしているおませさんな所がなくていけないのです!!」
「ほう、私を子供扱いするなんていい度胸じゃない、咲夜。私は一人前のレディよ!!」
レミリアは胸を張り、タンカを切った。咲夜は魅入られたかのようにうっとりとした表情をする。
「そういうところがたまりません。幼い容姿にみあわぬ気品だたよう麗しいお顔。背中の美しい羽。あっ、それと匂いですね。お嬢さまは代謝が少ないですから、一見何の匂いもしませんが良くかいでみると……」
事細かに説明する咲夜にレミリアは、鳥肌を立てながら身をすくめた。
「咲夜、いい加減にしなさいよ」
レミリアの言葉を無視し、咲夜はさらに雄弁に語り続ける。
「それと食事の時、お口の汚れをぬぐった時にむずがるお顔がまた淫靡でして、本当にご馳走様です!!」
咲夜の言葉にがまんできなくなったのか、レミリアはうつむいたまま肩を震わせていた。
「咲夜……」
「はい?」
咲夜は間の抜けた返事をする。レミリアの右手には紅く細長い禍々しい物が握られていた。レミリアは大きく振りかぶり、叫んだ。
「いっぺん死んでこおい!!」
紅魔館に神槍がとどろき、轟音と共に天を穿つ。
紅魔館の外、門番の紅美鈴はグングニルの光跡をながめ「やっ……またですか。咲夜さんも懲りないなあ」と独り言をつぶやき、盛大にあくびをした。
「~というわけでして……」
咲夜はヴワル魔法図書館に来ていた。見渡す限りの本棚が延々と続き、うす暗く日の光ではないぼんやりとした明かりがまわりを照らしている。その図書館でパチュリー・ノーレッジは、咲夜の用意した紅茶を飲んでいる。
紫色の長い髪の両脇をリボンで結び、三日月の装飾がついたナイトキャップをかぶっている。薄紫の縦じまのワンピースにガウンをはおり、所々に蝶結びのリボンが装飾されていた。
動かない図書館の異名を持つだけあってか、どこかしらけだるそうな雰囲気をかもし出しており、咲夜の話がさらにパチュリーのけだるさに拍車をかけていた。
「……と言うわけって、どういうわけよ」
パチュリーは咲夜の話を理解する事が出来なかったようである。咲夜の話は、どこか大切な所がすっぽりと抜けていたのだろう。
「……えっ!? ですからお嬢さまの可愛らしさは容姿だけでなく、仕草から匂いから感触すべて魅力的でして……」
パチュリーは立ち上がり、両手で机を叩く。バンッという音と共に紅茶の入ったカップがカタカタと音を立てた。
「そんな事、聞いてないわよ!! 私にどうして欲しいのか聞いているのよ、まったく……」
パチュリーは乱暴に椅子に座り込んだ。咲夜はまったく表情を変えず微動だにしない。そんな咲夜を見てパチュリーはタメ息をつく。パチュリーは、フォークでケーキを切り口に運び、思わず彼女の顔がほころぶ。
「ん……? 美味しいわね、このケーキ」
咲夜は、柔らかな笑みを浮かべ答えた。
「ありがとうございます。このケーキは、木いちごのほのかな酸味のついたスポンジにバラのムースを乗せ、最後にワインゼリーでデコレーションした。幼いながらも背伸びしているおませさんなお嬢さまのイメージしているのです」
「……えっ?」
パチュリーの手からフォークが落ちる。次の瞬間、そのフォークは咲夜の手に収まり、静かにケーキの乗る皿に置かれた。
「それだけではございません。実はこのケーキ、下から順にお嬢さまのおはようからおやすみまでを表現しているのです。お嬢さまが目覚めた時の寝汗をかいたわずかな酸味、そしてふだんつけているフローラルなバラの香水の中にただようどこか甘い香り、お休み前に召すワイン。一口でお嬢様の一日が味わえるのですよ」
息を荒げながら説明する咲夜に対して、パチュリーはじーとケーキを凝視しながら口を開いた。
「咲夜、そういう話はものを食べている時にしないでくれる? それと念のために聞いておくけど、紅茶はいつもの『普通』の紅茶、よね……」
パチュリーは普通という言葉を強調した。普通でない咲夜独自のレミリアが関係する工夫がされているか疑問に思ったためである。
「はあ…… もちろんいつもの紅茶ですよ。」
パチュリーはまたしても、疑わしい目つきで紅茶をながめる。咲夜の常識が信用できないためであった。そして口に手をやり、こほんっと咳払いをした。
「……で、話は戻るけど何なのよ。お茶の用意をしに来たわけじゃないでしょうに……」
「実はお嬢さまの攻撃を避けた後に、本でも読んで考えを直せとおっしゃられたので、何かよい本はありませんか?」
パチュリーはこの図書館を管理しているだけあってか様々な本を読み、他分野に渡る知識を有している。彼女は額に手を当て、咲夜にどのような本を貸したらいいのか考え込んでいた。
「どの本がいいかしら……。そうだわ、まずはじめにしつけの本を貸した方がいいわね。確かこの辺に犬の本が……」
パチュリーは本棚に近より一冊の本を引きぬく。犬という言葉に対して咲夜は怪訝な表情をした。
「犬ですか……」
「ええ、本当は猫の方がいいのだけれど、しつけと言ったら犬が一番ね」
パチュリーから手渡された本は、室内犬の飼い方について書かれた本であった。咲夜はパラパラと本をめくり、首をかしげる。
「あのう、パチュリー様? 本当にこの本が役立つのですか?」
「ええ、まずはその本を読んで、最低限の事を覚えてもらわないと、話はそれからよ」
「はあ、では失礼します」
咲夜は、うやうやしくおじぎをして去っていった。パチュリーは咲夜が去ったのを確認し独り言をつぶやく。
「まったく、レミィも大変ね。それにしてもこのケーキどうしようかしら? あまり食べたくないのだけれど……。それはさておきとりあえず――」
パチュリーはタメ息をついた後、呪文を唱え始めた。パチュリーの手の平に薄ぼんやりとした光が浮かび上がり、彼女は光に向かってしゃべりだした。
「こあ、聞こえるかしら……」
となえた呪文は通信用の魔法だろうか、光の中から女性の声が聞こえる。
「なんでしょうか? パチュリー様」
「従者と主に関する本を探してもらえるかしら?」
「了解しました」
声が途切れるのと同時に光が消えた。パチュリーは一息つき、紅茶を飲もうとするが、紅茶はすっかり冷めていたらしく、唇をぬらす程度で紅茶を置き直し、手元にある本に手を伸ばす。するとどこからともなくパチュリーを呼ぶ声が聞こえた。
羽の様な耳がついた赤く長い髪をなびかせ、前が見えない程の大量の本を持ちながら危なっかしい足取りで、小悪魔が走って来る。本をごうかいにパチュリーの机に置き、仕事の達成感を表す様な満面の笑みを浮かべた。
「パチュリー様、頼まれた本をご用意しました」
「ずいぶんはやいわね、ありがとうこあ。でも本は大事にしなさい」
たしなめるパチュリーに頭をこつんと叩きながら、赤い舌を出し小悪魔は謝った。白いブラウスに赤いネクタイをつけ黒いベストをキッチリと着込み、黒いロングスカートはいている。黙っていれば立派な司書らしい容姿であるが、言動や態度にどこかしら憎めない茶目っ気があった。
「それにしても、ずいぶん沢山あるわね。どれ…………むきゅっ!!」
本に手をかけ、ぱらぱらと中身を見るとパチュリーは赤面した。ばたんっと本を閉じて次の本に手をかけた。そしてまた顔を赤らめる。それをしばらく繰り返しようやく口を開く。
「こあ、これは一体……」
小悪魔はニヤニヤと笑みをうかべながら答えた。
「どうしたのですか、パチュリー様?」
パチュリーは、しどろもどろになりながらしゃべりだした。
「わ、私は、従者と主に関する本を頼んだわけで……こういう、なんていうのかしら…ええっと、あの……」
適切な言葉が見つからないのだろうか、パチュリーは言葉を出しあぐいていた。
「これらの本は、パチュリー様の言っていた主と従者の正しいあり方(笑)についての本じゃございませんか?」
小悪魔が用意した本は、あられもない姿の男女や男々、女々が絵と文字で事細かに描かれているSMなどのエロ本であり、それらを見てパチュリーは激怒した。
「こあ、貴方は主と従者の関係をどうとらえているの!!」
「グッドシチュエーション!!
それ以外に何がありましょうか? モラルこそが最高の興奮剤。禁じられているからこそ、いえ……禁を破る事にこそ愛の意味があるのです。愛は無限、今こそその力を実践しましょう、パチュリー様!!
おっと誤解がないように言っておきますが、愛=エロであることをお忘れなく」
小悪魔の言葉にパチュリーは呆れ果て、文字通り開いた口がふさがらなく、ポカーンとしていた。しばらくパチュリーは思い悩んだ後、ようやく口を開く。
「こあ、貴方はその、なんと言うかこういう事以外に何か考える事がないの? 真理とか知識とか世のあり方についてとか……」
「何をおっしゃるのですか、パチュリー様。脳ミソはエロい事を考えるためにあるんです!!
このまま長編恋愛物語の様に、長い年月をかけぬるい展開でパチュリー様を焦らして焦らして焦らし抜いて、悶え狂わせ悶え殺す関係もいいですが、やはりいち悪魔として欲望に忠実でなければなりませんからね!!」
嬉々としてしゃべりたてた小悪魔に対して、パチュリーは肩を震わせながら怒鳴った。
「とっとと、この本をしまって来なさい!!」
パチュリーは読んでいた本を大きくふりかぶり小悪魔にむけて投げつけた。彼女はその本を上手くキャッチして、くすくす笑いながら逃げてゆく。
「図書館ではお静かに~」
「ちょっと、この本も片付けて来なさいよ。まったく……」
パチュリーは、小悪魔の残していった本の山をちらりと見やる。どのくらいの時がたっただろうか、しばらくしてパチュリーは本に手を伸ばす。そしてしばらくあたりを見回した。図書館はいつもの通り、静かだ。小悪魔の影も姿もない。パチュリーは、何気ないように片手でぱらぱらとめくる。
「むきゅっ!!」
彼女はまたしても、あたりを警戒した。そして誰もいない事を確認し、椅子に座り真剣に本を読み始める。パチュリーは、ぶつぶつと不満をつぶやきながらも小悪魔の持ってきた本を熱心に読み進めてゆく。
「…………やだっ、こあったらこんなの読んでいるの? 主と従者の関係って、私にどうしろっていうのよ……」
手で顔を覆いながらもパチュリーは、しばし思い悩む。そしてさすが動かない図書館というだけあってか、それからパチュリーはものすごい速度で本を読み終え、パタンと本を閉じた。パチュリーは椅子に深くもたれかかり天を仰ぎ、目をいたわるかのように手で顔を覆い「これは、こあにひとこと言わなければならないわね」とひとりごちた。
「パチュリー様、紅茶をお持ちいたしました。それにしても、ずいぶん熱心に読んでいらっしゃいしましたね」
「ありがとう、気がきくわね。こ、あ…………ッッッ~~~~~!!」
いつの間にか隣にいる小悪魔にパチュリーは、声にならない叫び声をあげ、はずみで椅子から転げ落ちた。
「むきゅう」
「大丈夫ですか、パチュリー様」
小悪魔は、手にしていたポットを置きパチュリーに近よった。
「大丈夫、大丈夫よ」
パチュリーはよろよろと立ちあがり、椅子に座りなおした。小悪魔はホッと胸をなでおろす。
「お怪我がなくて何よりです」
そんな小悪魔の様子を見て、パチュリーはどこか気まずそうに、蚊の鳴くような声でつぶやいた。
「い、いつから見ていたの?」
「はて、何の事でしょう?」
小悪魔は素知らぬ顔で紅茶を入れ直す。香り高いどこかリラックスする様な匂いが広がる。
「と、とぼけないでよ。貴方の事だから、見ていたんでしょ!!」
小悪魔ははにかみながらも笑顔で、パチュリーに紅茶をさしだした。
「ばれましたか……で、どうでしたか?」
「ど、どうって……な、なんでそんな事言わなきゃいけないのよ!!」
本で顔を隠しながら、パチュリーは答える。小悪魔は露骨ないやらしい笑顔でパチュリーに迫った。
「言ってもらわないとわからないじゃありませんか」
「この……ヘンタイ!!」
「変態だなんて心外ですね。私はただ素直に生きているだけです。百歩譲って私が変態と言うならば、変態ではない者は、生きる事に不真面目で、ただ動いている事をよしとする生ける屍に他なりません!!」
パチュリーは、深いため息をつきしどろもどろにながら喋りだした。
「それは詭弁よ。慕ってくれるのは嬉しいのだけれど…もうちょっと……こう、普通にしてもらえるかしら?」
それを聞いて小悪魔は、喜色満面の笑みでパチュリーににじり寄る。
「それでは、普通にダイレクトにスタンダードで行いましょうか、さあ寝室の方へ向かいましょうパチュリー様」
「そういう意味じゃないわよ!!」
パチュリーは本の角で、小悪魔の額を打った。小悪魔は激痛のあまり、額を押さえながらしゃがみこんだ。パチュリーは本で口元を隠し「ばかっ……」と小さくつぶやく。
いっぽう咲夜は、自室でパチュリーからもらった室内犬の飼い方の本を読んでいた。咲夜の部屋は、必要最低限の簡素な家具が置かれている、あまり生活感のない部屋だった。
咲夜は、本から顔を上げ「こんなのが役に立つのかしら?」と眉をしかめながらつぶやく。咲夜は悪魔の犬と呼ばれる事もあるが、動物の犬ではない。犬違いもいいところである。
彼女は残りのページをパラパラとめくり、全部読まなくてはいけないのかと思ってか、ため息をついた。そしてあるページで、咲夜は目の色を変えた。
「こ、これは……」
咲夜は先ほどと打って変わって、食い入るように本をみつめる。しばらくし、本から顔を上げた。
「犬ならこんな羨ましい事が出来るだなんて……」
咲夜の読んでいたページは、犬が飼い主の顔や手をなめたり、靴下をクンクンかいだりするなど犬の習性について書かれていた。
「いやいや、これは犬の話だし、ははは……」
咲夜のかわいた笑い声が部屋にこだまする。
「人間として、いや人間じゃないとしても心まで畜生になってはいけないですわ」
咲夜はさらにページをめくり、本を読み進めた。しばらくして咲夜は犬の習性の項目を読み終え、ふっと薄く笑った。
「もう人間やめよう、私は……私は、イヌニナル」
咲夜はひとり決意する。机に置かれた室内犬の飼い方の本には、犬になめられて起きるほほえましい飼い主の挿絵が描かれていた。
その日の夜、レミリアは深紅の毛布にくるまりながら、何も知らずに無防備なあどけない顔をして寝息を立てていた。月の優しい光が天蓋つきベッドについている薄布に優しくさしこんでいる。
レミリアの寝室にひとつの影があった、十六夜咲夜である。時を止め無音で部屋に侵入した彼女は扉にもたれかかっていた。
咲夜は金の懐中時計を見やり、レミリアが起きる時間であることを確認する。静かに、彼女を起こさすぬよう、とても静かにベッドに向かい歩み始めた。
天蓋つきベッドの薄布をくぐり、レミリアの寝顔を確認し咲夜は一筋のしずくをこぼす。よだれである、もはや咲夜の理性はここにはなく、荒い息づかいとレミリアの寝息が奇妙なアンサンブルを奏でていた。
咲夜は靴を脱ぎすて、毛布を軽くめくり布団の中にもぐりこんだ。レリミアは、むずがり、うめき声を上げて寝返りをする。起こしてしまったかと咲夜は息をひそめるが、しばらくし穏やかな寝息を立てたので彼女は安堵した。ようやく咲夜は毛布から顔を出し、至近距離でレミリアの寝顔を見つめる。レミリアを起こそうと犬の様に頬を舐めようとするが、今まで咲夜は人間として生きてきたせいか、それとも成功が目前にある緊張のせいなのだろうか、中々舌が出ない。そんな咲夜のはあはあと荒げる息に気づいて、レミリアはうめいた。
「……う、ん………」
レミリアは、起きているのか寝ているのかわからない状態である。それに対し咲夜は苦しまぎれにレミリアに抱きつき頬をぺろりとなめた。
レミリアの目がかっと見開き、みるみる青ざめてゆく。
「……なっ、え…あ……、さ、くや」
咲夜は恥ずかしげに「わんっ!!」と鳴いた。レミリアはようやく我に返り叫び声をあげバタバタと暴れだした。
「いっ~~~!! 咲夜っ!! 何してんのよ!!!!!」
レミリアは咲夜の腹を蹴飛ばし、彼女はベッドから転げ落ちたが、上手く受け身をとり瀟洒に立ち上がる。
「何って、お嬢さまに穏やかな目覚めをしてもらおうとしたのですが……それが何か?」
咲夜はもっともらしい事を真顔で言っているが、彼女の鼻から口を伝って一筋の紅いものが流れていた。咲夜が鼻血を出しているのは、どこかに鼻をぶつかったからではなく心の問題である。レミリアは、咲夜を拒否するかのように毛布にくるまりながらがなりたてる。
「ぜんぜん穏やかじゃないでしょ!! とりあえずその鼻どうかしなさいよ」
咲夜は口に手をやり、「お目覚めに一口いかがですか?」と言い放った。
「気持ち悪い事言うな!! 鼻血なんて飲めないわよ」
レミリアは枕を投げつけたが、咲夜は難なくかわす。咲夜は鼻に詰め物をしながら、ため息をついた。
「……困りましたね。この起こし方をすると主人は喜ぶと本に書いてあったのですが……。主人を喜ばすのが従者の勤めでございまして」
「いったい何の本を読んだか知らないけどね。咲夜は人として……と言うか従者として大切なものがすっぽり抜けているのよ」
「私はお嬢さまの犬ですので、何の問題もございません。少し恥ずかしいですが、コレもまたよしですね」
「良かないわよ!! もういい、寝る」
レミリアはそっぽを向き、横になった。咲夜はレミリアに心配そうにうかがいを立てる。
「あの、お嬢さま? お目覚めにならないのですか、もう夜ですよ?」
「寝なおすの。ああ、もう!! 最悪もいい所だわ」
「それでは……」
咲夜が懐中時計を取り出した瞬間、ベッドはキレイな状態になった。レミリアが投げた枕も元に戻っており、シーツや毛布もシワがなくなっている。レミリアもいつの間にかベッドの中に入っており、咲夜にねぎらいの言葉をかけた。
「いつもの事ながら感心するわ、咲夜。普段から、そうしていればいいのよ。ありが……」
レミリアの言葉が途切れる。咲夜はさも当然の様にベッドに入ってきたからだ。
「何をやっているの?」
「いえ、私もご一緒にと……。私はお嬢さまの犬ですから、お気になさらず」
「気にするわあ――!!!!!」
不夜城レッド。紅魔館はその名に恥じぬ不気味な紅い光で満たされる。
紅魔館から少し離れた門の前、紅美鈴は赤い光をながめながらつぶやいた。
「危険が内部から現れたら、さすがの私もお手上げですよ」
咲夜さんはともかく、小悪魔もはっちゃけてておもしろかったです
もういろいろと駄目だな咲夜さんwww
本当にどうしようもないです。
>10
たぶんお嬢さま以外の事は完璧なんですよきっと……
>12
紅魔郷のカリスマあふれるお嬢さまでも、ブレイクしたお嬢様でもたぶん守備範囲です。
>14
まだだ まだ終わらんよw
>15
小悪魔も従者ですからね。従者と主の関係はグッドシチュエーションです。
>16
そんな駄目な咲夜さんが自分は一番好きなんですよ。
>22
たしかに駄目ですね。
>24
美鈴は、オチです。
フランちゃんに害がないのは人それぞれだからでしょう、たぶん
誤字報告
抱き疲れ→抱きつかれ
悪魔の犬→悪魔の狗