【野苺と人間】
夜の境内裏は実にロマンティックな雰囲気に満ちていた。
高い空から吊り下がった半月が獣の瞳のようにくっきりと浮かび、空全体に乳白色の光を放っている。雲は少なく、時折遠くに見える山々の少し上に散っているだけだ。この季節になるともう夜は冷え込んで、外ではなかなか動きづらくなる。吐く息も白くなりはじめ、指先や耳に赤みがさす時期になった。私は冷たい空気に身を縮めて、ざわざわと風が鳴る暗い道を歩いていった。
すると、少し先にある立派な木の太い枝先の上に、何らかの生きものの気配を感じた。視線をそちらに集中させると、そこにはひと際濃い暗闇が鬼火のようにぼおっと佇んでいる。その澱のような暗闇はゆらゆらと陽炎のように揺れながらもほぼ球形を保ち、まるで大切な何かを隠し守っているようにそこでじっとしていた。
私はおもむろに懐からお札を一枚取り出して、数メートル先のその丸い暗闇めがけて投げつけた。お札はまっすぐに飛んでいき、狙い通りに的に当たる。
お札が当たると同時に真っ黒な球体は霧散し、「わっ」という声がその中心から上がった。
「やっぱりあんただったわ。そんなとこで何してるのよ」
「びっくりした」と彼女は答えた。「何もしてないよ。食事のあとの休憩」
黄色い髪に赤いリボン、黒い服装に身を包んだその少女は、そう言ってから木の上から軽々と地面に飛び降りた。それから屈んでスカートに付いた土埃をぱんぱんと払うと、私の方を不思議そうに見つめてくる。暗がりの中で、ふたつの赤い瞳が妖しく光った。
「そういうあんたも、こんなところで何してるのよ。こんな夜中にうろついてると悪いお化けに食べられちゃうよ」
「お化けはあんたでしょ。それに私は酔いを醒まそうと思って風に当たってるだけだから。散歩くらい自由にさせなさい」
「ふうん」と彼女は納得した様子で答える。
それから私は彼女(名前は確かルーミアだった、興味のないものは覚えにくい)が片手に下げている小さな竹籠に目をやった。それはいつも私が使っている湯呑みよりもひと回り大きいというくらいの、小ぶりな籠だった。
「ん、ああこれね。さっきまで野苺食べてたんだよ。ちょっと寒くなってきたけどまだまだ沢山自生してたからさ、丹念に探しまわって集めてたんだ。今日は運が良くてね、いっぱい収穫できたわ。なかなか美味しいよ」とルーミア。
「何でそんなもん食ってんのよ。他に食べるものなんていくらでもあるでしょ」と私は答える。
「そりゃそうだけどさ。今にも落ちてきそうになってる美味しそうなクダモノを見たら、食べたくなるのが普通じゃない?それはあんたも一緒でしょ」
ルーミアはおそらく充分な数の野苺が入っているであろう籠の中身を覗きこんで、それから満足そうな表情で私に笑いかけてきた。その笑顔は屈託のない純粋なものだったけれど、こちらに同じ表情を浮かばせるほどに共有できるわけでもなかった。
「私はそんなもん食べないわよ。そりゃあんたが食べたいなら好きにしたらいいけど。それと食い過ぎには注意しなさいよ、何事も加減ってもんがあるから」
「まあ、確かにそうかな。あんまり私ばっかりが食べちゃうと無くなっちゃうからね。他のみんなにも残しておいてあげないと」と彼女は言った。
「他のみんな?」
「そ。食べるのは私だけじゃないし。これもみんなに分けてあげる為に取っておくのよ。あんたの言う通りバランスが大事なの」
「へえ、そういうもんなのね」と私は力なく答えた。
「それとね」とルーミアは子供のように楽しそうな顔をして言った。「野苺をうまく見つけるのにもコツみたいなのがあるんだよ。聞きたい?」
「いや全然」
「ええ、いけず」と彼女は残念そうな表情。
「早く言いなさいよ」と私は言ってやる。
「ふふん。えーとね、まず当たり前だけど野苺は人里にはなってないの。あったとしてもちゃんと人の手で栽培された苺しかないから、それは私たちは食べちゃ駄目なのね。分かる?探すなら誰も近づかないような山奥がいいかな。里の人間たちが入ってこないくらい奥深い、暗い暗い森の中とかね。それは険しいほど都合がいいの」
「どうして人里にあるのは食べたら駄目なの?勝手に取って食べると怒られるから?」
「そうだよ。勝手に食べちゃうと周りの人間たちにすごく怒られちゃうし、それは私たちの間でも禁じられてる事だから。そういう物を食べるのなら、ルールに沿ってきちんとやりましょうっていうのが私たち宵闇の眷属の掟なの。人の物に手を出さない、ヨソに余計な迷惑をかけない、トラブルを起こさない。そんな風にね」
「ふうん、あんたらにもいろいろあるのね」と私は妙に納得して言った。
「そうそう、私たちにもいろいろあるのよ。それでね、さっきも言った通り、私たちが食べるのは人里からずっと離れた場所にある野苺なのよ。誰にも見つからないような、こっそりとなってるのが良いわけ。それで、ひとたび『おあつらえ向きの野苺の木』を探しあてると、もうみんな大喜びなのね。いつでも簡単に見つけられるってわけじゃないし、昔はそうでもなかったらしいんだけど、今じゃあだんだん数が減ってきてるみたいだから。ゴチソウって感じかな。あんたで言うと『スキヤキ』とか『ウナジュウ』に当たるかもしれない」
「そりゃ、ご馳走だわね」
「もう、一度火が点いちゃうとみんななりふり構わず飛びついていくの。我先にと赤く実った果実にかぶりつくわけ。しかもまた、これがおいしいのよね。甘酸っぱくて、口の中で実をぷちっと潰した時に溢れる瑞々しさと言ったら、筆舌に尽くしがたいものがあるわ。ほっぺたが落ちそうなくらい。あんたも一回食べてみたらいいのに」
「そんなワイルドな趣味はないわよ」と私は答える。
「ま、とにかく今日はたまたま『その日』だったの。偶然にも最初に発見したのが私だけだったから、ひとりだけで採ってきちゃった。まだ木には実が残ってると思うから、もしかしたら別の子が見つけて食べちゃうかもしれないわね。中途半端に荒らしちゃったから、実や枝がぼろぼろに痛んでる可能性もある。それでもし苺の木が駄目になっちゃってもまあ、仕方ないわ。というか、私たちが実を採りつくしちゃうと、確実にその苺の木は枯れちゃうの。可哀想にね」
ルーミアは嬉々として、野苺の話をすらすらと喋りつづけた。彼女がそれについて語っているときの表情はとても楽しそうで、まるで群衆に向かって自身の過去にあった英雄譚というか、自慢話を聞かせているような調子だった。私もはじめはやや興味を引かれて聞き入っていたが、しだいに新鮮味が薄れてきて、終いには少しばかりの嫌味を感じるようになった。いくら何でもずっと同じ話を聞かされるのは退屈で冗長に過ぎた。しかも自分が口にしないものの話だ。野苺の木がどうなろうと、私には知ったことではない。それは私から遠く離れた種類の物事だった。
「それでねえ───」
「ちょっとちょっと」と私は彼女の言葉をすっぱりと遮った。「その話、いつまでするつもりよ。このままじゃ風邪引いちゃうわ」
「うん?退屈だったかナ」と彼女はやや挑発的な笑顔を浮かべて聞いてくる。
「そりゃ同じ調子で長々と喋られたら誰だって欠伸が出るわよ。あんたらが野苺好きなのはよく分かったから、ここらへんで勘弁してちょうだいね。私も家に帰る途中なんだから」
「へえへ、それは悪かったわね。私の退屈な話に付き合ってくれてどうもありがとう」
ルーミアはへらへらとした態度で私に向かって形だけの礼を言った。本当に、形式だけの一礼といった様子である。敬意の欠片も感じらないばかりか、こちらの怒りを買うような煽りの姿勢がはっきりと見てとれた。ムカツク奴。
私は懐に手を伸ばし、お札を取り出そうとした。たかだか一匹の木っ端妖怪をねじ伏せるには私の潜在的な能力は余りあるくらいだったし、喧嘩するだけの理由も整っていた。彼女が私を挑発し、私がそれに乗る。どこもおかしくはない。
するとルーミアは私の挙動とちょっとした表情の変化を察知して、その場から僅かに後ずさりをした。いくら頭が軽いお馬鹿妖怪でも、私を怒らせたらとても敵わないということを分かっているのだろう。さっきまで浮かべていた余裕の表情も消え失せて、瞳をきっと見開いて緊張の面持ちでこちらを睨んでいる。
私はルーミアのその緊迫した様子を見ると、何だか急にやる気が萎えてしまった。束ねたお札に伸ばしかけた手を戻し、構えをといてリラックスし、片足のつま先で地面をとんとんと叩いた。組んだ両手を腕ごとぐっと前に突き出して、身体の筋を伸ばした。それから澄み渡った空を眺め、艶やかな光を放つ下弦の月に白い息をふうっと吹きかける。
「安心しなさい、やらないわよ。あんたなんかと弾幕勝負しても楽しくないからね。憂さ晴らしにもなりゃしない」と私は彼女に言い放った。
「ふん、優しいのね?随分となめられてるみたいだけど」
「無理しなさんな。見逃してあげるって言ってんだから、さっさとねぐらに帰りなさい。野苺たらふく食ったんだから、今日はもうこれ以上動きまわる必要もないでしょ?ほれ、とっとと行きなさいよ」
ルーミアは私が戦おうとしないことにそこそこ動揺しているらしく、気後れした様子でこちらの出方を伺っていた。しかしその懐疑的なスタンスもじきに緩み、私が本当にやる気がないことを察知すると、だらんと両肩の力を抜いてその場に立ちつくした。
「こんなことしても、何の見返りもないよ」と彼女はぶっきらぼうに言う。
「そうだろね。でもあんたに恩売るつもりもないから、変に勘ぐる必要はないわよ。巫女の気まぐれと考えてもらってもいいわ」と私は答えた。
「ヘンなの」とルーミアは答え、助走なしで両足に力を込めて地面を蹴り、軽い身のこなしで木の上に飛び移った。真っ黒なスカートがふわりと揺れ、黒い木々にその身を埋めていくにつれて、彼女の白いシャツのくっきりとした輪郭がだんだんとなくなっていくのが分かった。
高い木の上からルーミアは私を見下ろしていた。私もその下から彼女を見上げていた。月明かりの下で、私たちは波ひとつない湖面のような沈黙を守り、互いに見えない約束に従っているかのごとく、しばらくの間見つめあっていた。種族を越えた特別な親しみがあるわけでもなく、ましてや仇敵同士といった強い憎しみがあるわけでもなかった。それは不思議な時間だった。うまく言えないけれど、『ただ関係している』という表現がいちばん落ち着く形容の仕方だと───後になって私はそう思ったのだった。
「霊夢、でよかったっけ」と彼女は言った。
「あってるわ。褒めてあげましょう」
「それはどうも。ねえ、霊夢の野苺は美味しいのかな、それとも不味いのかな」
「? どういう意味…。そんなもの育ててないわよ」と私は答えた。
「何でもないよ、忘れてね。じゃあ、私は怖い妖怪退治の巫女さんが来たからオメオメと逃げ帰ることにするよ。さよなら」
ルーミアはそう言うと、あっという間に深い闇に紛れ、その姿を覆い隠してどこかへと消えていってしまった。後には元通りの、夜の境内裏の野良道の雑多な静寂が残っているだけだった。虫の声が時折きりりと響き、風になびいた木の葉が思い出したように鳴る。深い海の底に流れる緩やかな潮流のように、時間が均一に、緩慢に進む。この幻想郷のどこにでも見られる、いつも通りのよくある風景のうちの一枚に過ぎなかった。
私はぽっかりと広がる空に向かってひとつ、大きな溜め息をついた。それから少しばかり冷えてしまった身体を両手でさすりながら、神社へと続く暗い道のりを歩いていった。
【おわり】
夜の境内裏は実にロマンティックな雰囲気に満ちていた。
高い空から吊り下がった半月が獣の瞳のようにくっきりと浮かび、空全体に乳白色の光を放っている。雲は少なく、時折遠くに見える山々の少し上に散っているだけだ。この季節になるともう夜は冷え込んで、外ではなかなか動きづらくなる。吐く息も白くなりはじめ、指先や耳に赤みがさす時期になった。私は冷たい空気に身を縮めて、ざわざわと風が鳴る暗い道を歩いていった。
すると、少し先にある立派な木の太い枝先の上に、何らかの生きものの気配を感じた。視線をそちらに集中させると、そこにはひと際濃い暗闇が鬼火のようにぼおっと佇んでいる。その澱のような暗闇はゆらゆらと陽炎のように揺れながらもほぼ球形を保ち、まるで大切な何かを隠し守っているようにそこでじっとしていた。
私はおもむろに懐からお札を一枚取り出して、数メートル先のその丸い暗闇めがけて投げつけた。お札はまっすぐに飛んでいき、狙い通りに的に当たる。
お札が当たると同時に真っ黒な球体は霧散し、「わっ」という声がその中心から上がった。
「やっぱりあんただったわ。そんなとこで何してるのよ」
「びっくりした」と彼女は答えた。「何もしてないよ。食事のあとの休憩」
黄色い髪に赤いリボン、黒い服装に身を包んだその少女は、そう言ってから木の上から軽々と地面に飛び降りた。それから屈んでスカートに付いた土埃をぱんぱんと払うと、私の方を不思議そうに見つめてくる。暗がりの中で、ふたつの赤い瞳が妖しく光った。
「そういうあんたも、こんなところで何してるのよ。こんな夜中にうろついてると悪いお化けに食べられちゃうよ」
「お化けはあんたでしょ。それに私は酔いを醒まそうと思って風に当たってるだけだから。散歩くらい自由にさせなさい」
「ふうん」と彼女は納得した様子で答える。
それから私は彼女(名前は確かルーミアだった、興味のないものは覚えにくい)が片手に下げている小さな竹籠に目をやった。それはいつも私が使っている湯呑みよりもひと回り大きいというくらいの、小ぶりな籠だった。
「ん、ああこれね。さっきまで野苺食べてたんだよ。ちょっと寒くなってきたけどまだまだ沢山自生してたからさ、丹念に探しまわって集めてたんだ。今日は運が良くてね、いっぱい収穫できたわ。なかなか美味しいよ」とルーミア。
「何でそんなもん食ってんのよ。他に食べるものなんていくらでもあるでしょ」と私は答える。
「そりゃそうだけどさ。今にも落ちてきそうになってる美味しそうなクダモノを見たら、食べたくなるのが普通じゃない?それはあんたも一緒でしょ」
ルーミアはおそらく充分な数の野苺が入っているであろう籠の中身を覗きこんで、それから満足そうな表情で私に笑いかけてきた。その笑顔は屈託のない純粋なものだったけれど、こちらに同じ表情を浮かばせるほどに共有できるわけでもなかった。
「私はそんなもん食べないわよ。そりゃあんたが食べたいなら好きにしたらいいけど。それと食い過ぎには注意しなさいよ、何事も加減ってもんがあるから」
「まあ、確かにそうかな。あんまり私ばっかりが食べちゃうと無くなっちゃうからね。他のみんなにも残しておいてあげないと」と彼女は言った。
「他のみんな?」
「そ。食べるのは私だけじゃないし。これもみんなに分けてあげる為に取っておくのよ。あんたの言う通りバランスが大事なの」
「へえ、そういうもんなのね」と私は力なく答えた。
「それとね」とルーミアは子供のように楽しそうな顔をして言った。「野苺をうまく見つけるのにもコツみたいなのがあるんだよ。聞きたい?」
「いや全然」
「ええ、いけず」と彼女は残念そうな表情。
「早く言いなさいよ」と私は言ってやる。
「ふふん。えーとね、まず当たり前だけど野苺は人里にはなってないの。あったとしてもちゃんと人の手で栽培された苺しかないから、それは私たちは食べちゃ駄目なのね。分かる?探すなら誰も近づかないような山奥がいいかな。里の人間たちが入ってこないくらい奥深い、暗い暗い森の中とかね。それは険しいほど都合がいいの」
「どうして人里にあるのは食べたら駄目なの?勝手に取って食べると怒られるから?」
「そうだよ。勝手に食べちゃうと周りの人間たちにすごく怒られちゃうし、それは私たちの間でも禁じられてる事だから。そういう物を食べるのなら、ルールに沿ってきちんとやりましょうっていうのが私たち宵闇の眷属の掟なの。人の物に手を出さない、ヨソに余計な迷惑をかけない、トラブルを起こさない。そんな風にね」
「ふうん、あんたらにもいろいろあるのね」と私は妙に納得して言った。
「そうそう、私たちにもいろいろあるのよ。それでね、さっきも言った通り、私たちが食べるのは人里からずっと離れた場所にある野苺なのよ。誰にも見つからないような、こっそりとなってるのが良いわけ。それで、ひとたび『おあつらえ向きの野苺の木』を探しあてると、もうみんな大喜びなのね。いつでも簡単に見つけられるってわけじゃないし、昔はそうでもなかったらしいんだけど、今じゃあだんだん数が減ってきてるみたいだから。ゴチソウって感じかな。あんたで言うと『スキヤキ』とか『ウナジュウ』に当たるかもしれない」
「そりゃ、ご馳走だわね」
「もう、一度火が点いちゃうとみんななりふり構わず飛びついていくの。我先にと赤く実った果実にかぶりつくわけ。しかもまた、これがおいしいのよね。甘酸っぱくて、口の中で実をぷちっと潰した時に溢れる瑞々しさと言ったら、筆舌に尽くしがたいものがあるわ。ほっぺたが落ちそうなくらい。あんたも一回食べてみたらいいのに」
「そんなワイルドな趣味はないわよ」と私は答える。
「ま、とにかく今日はたまたま『その日』だったの。偶然にも最初に発見したのが私だけだったから、ひとりだけで採ってきちゃった。まだ木には実が残ってると思うから、もしかしたら別の子が見つけて食べちゃうかもしれないわね。中途半端に荒らしちゃったから、実や枝がぼろぼろに痛んでる可能性もある。それでもし苺の木が駄目になっちゃってもまあ、仕方ないわ。というか、私たちが実を採りつくしちゃうと、確実にその苺の木は枯れちゃうの。可哀想にね」
ルーミアは嬉々として、野苺の話をすらすらと喋りつづけた。彼女がそれについて語っているときの表情はとても楽しそうで、まるで群衆に向かって自身の過去にあった英雄譚というか、自慢話を聞かせているような調子だった。私もはじめはやや興味を引かれて聞き入っていたが、しだいに新鮮味が薄れてきて、終いには少しばかりの嫌味を感じるようになった。いくら何でもずっと同じ話を聞かされるのは退屈で冗長に過ぎた。しかも自分が口にしないものの話だ。野苺の木がどうなろうと、私には知ったことではない。それは私から遠く離れた種類の物事だった。
「それでねえ───」
「ちょっとちょっと」と私は彼女の言葉をすっぱりと遮った。「その話、いつまでするつもりよ。このままじゃ風邪引いちゃうわ」
「うん?退屈だったかナ」と彼女はやや挑発的な笑顔を浮かべて聞いてくる。
「そりゃ同じ調子で長々と喋られたら誰だって欠伸が出るわよ。あんたらが野苺好きなのはよく分かったから、ここらへんで勘弁してちょうだいね。私も家に帰る途中なんだから」
「へえへ、それは悪かったわね。私の退屈な話に付き合ってくれてどうもありがとう」
ルーミアはへらへらとした態度で私に向かって形だけの礼を言った。本当に、形式だけの一礼といった様子である。敬意の欠片も感じらないばかりか、こちらの怒りを買うような煽りの姿勢がはっきりと見てとれた。ムカツク奴。
私は懐に手を伸ばし、お札を取り出そうとした。たかだか一匹の木っ端妖怪をねじ伏せるには私の潜在的な能力は余りあるくらいだったし、喧嘩するだけの理由も整っていた。彼女が私を挑発し、私がそれに乗る。どこもおかしくはない。
するとルーミアは私の挙動とちょっとした表情の変化を察知して、その場から僅かに後ずさりをした。いくら頭が軽いお馬鹿妖怪でも、私を怒らせたらとても敵わないということを分かっているのだろう。さっきまで浮かべていた余裕の表情も消え失せて、瞳をきっと見開いて緊張の面持ちでこちらを睨んでいる。
私はルーミアのその緊迫した様子を見ると、何だか急にやる気が萎えてしまった。束ねたお札に伸ばしかけた手を戻し、構えをといてリラックスし、片足のつま先で地面をとんとんと叩いた。組んだ両手を腕ごとぐっと前に突き出して、身体の筋を伸ばした。それから澄み渡った空を眺め、艶やかな光を放つ下弦の月に白い息をふうっと吹きかける。
「安心しなさい、やらないわよ。あんたなんかと弾幕勝負しても楽しくないからね。憂さ晴らしにもなりゃしない」と私は彼女に言い放った。
「ふん、優しいのね?随分となめられてるみたいだけど」
「無理しなさんな。見逃してあげるって言ってんだから、さっさとねぐらに帰りなさい。野苺たらふく食ったんだから、今日はもうこれ以上動きまわる必要もないでしょ?ほれ、とっとと行きなさいよ」
ルーミアは私が戦おうとしないことにそこそこ動揺しているらしく、気後れした様子でこちらの出方を伺っていた。しかしその懐疑的なスタンスもじきに緩み、私が本当にやる気がないことを察知すると、だらんと両肩の力を抜いてその場に立ちつくした。
「こんなことしても、何の見返りもないよ」と彼女はぶっきらぼうに言う。
「そうだろね。でもあんたに恩売るつもりもないから、変に勘ぐる必要はないわよ。巫女の気まぐれと考えてもらってもいいわ」と私は答えた。
「ヘンなの」とルーミアは答え、助走なしで両足に力を込めて地面を蹴り、軽い身のこなしで木の上に飛び移った。真っ黒なスカートがふわりと揺れ、黒い木々にその身を埋めていくにつれて、彼女の白いシャツのくっきりとした輪郭がだんだんとなくなっていくのが分かった。
高い木の上からルーミアは私を見下ろしていた。私もその下から彼女を見上げていた。月明かりの下で、私たちは波ひとつない湖面のような沈黙を守り、互いに見えない約束に従っているかのごとく、しばらくの間見つめあっていた。種族を越えた特別な親しみがあるわけでもなく、ましてや仇敵同士といった強い憎しみがあるわけでもなかった。それは不思議な時間だった。うまく言えないけれど、『ただ関係している』という表現がいちばん落ち着く形容の仕方だと───後になって私はそう思ったのだった。
「霊夢、でよかったっけ」と彼女は言った。
「あってるわ。褒めてあげましょう」
「それはどうも。ねえ、霊夢の野苺は美味しいのかな、それとも不味いのかな」
「? どういう意味…。そんなもの育ててないわよ」と私は答えた。
「何でもないよ、忘れてね。じゃあ、私は怖い妖怪退治の巫女さんが来たからオメオメと逃げ帰ることにするよ。さよなら」
ルーミアはそう言うと、あっという間に深い闇に紛れ、その姿を覆い隠してどこかへと消えていってしまった。後には元通りの、夜の境内裏の野良道の雑多な静寂が残っているだけだった。虫の声が時折きりりと響き、風になびいた木の葉が思い出したように鳴る。深い海の底に流れる緩やかな潮流のように、時間が均一に、緩慢に進む。この幻想郷のどこにでも見られる、いつも通りのよくある風景のうちの一枚に過ぎなかった。
私はぽっかりと広がる空に向かってひとつ、大きな溜め息をついた。それから少しばかり冷えてしまった身体を両手でさすりながら、神社へと続く暗い道のりを歩いていった。
【おわり】
霊夢とルーミア、そして作品全体を貫く一本の緊張感、いいですね。
これを保った辛口の中・長編をいつか読ませて頂けると嬉しいです。
最後にルーミアちゃん、奇妙な果実は一気に収穫してやるのが良い焼畑農業だと思うぜ。
まさかおっぱ(ry
まさかおっ(ry
まさかおp(ry
とてもおいしそうに食べているところが浮かんでくるようでした。
いい雰囲気のお話でした。
ありがとうございます。
お前らwww
作風は良かったけど、もう一歩ぞぞわっと来るものが欲しかったです。
そして、最後の野苺を育てるというやりとりが人の心臓か何かかと思うと・・・
知らぬが仏とはこのかとでしょうか。