西に日が傾き、夕方の迫る午後の紅魔館。
庭を見下ろすテラスの一席で、主のレミリア・スカーレットは漫画を読んでいた。
ぶらぶらさせていた両足の動きを止めて、読み終えたばかりの一冊をテーブルの上へと放り出す。
興奮した面持ちで目を輝かせて、卓上の鈴をちりんと鳴らした。
「咲夜」
間髪を入れずテラスのガラス戸が開き、
「はい、お嬢様」
従者である十六夜咲夜が、甘い香りを漂わせてやってきた。
傍へと直立する瀟洒な立ち姿を見て、レミリアは思う。
――隙がなさ過ぎて、ちょっと面白くないな。
となると、その落ち着き払った態度を崩してみたくてしょうがない。
毎度の事ながら、咲夜を見ていると悪戯心を刺激されるのだ。
「何か、御用でしょうか」
そう尋ねられた時、脳内の閃きは言葉となって、口から飛び出そうと身構えている。
「ちょっと顔を寄せてちょうだい」
「はい。こうですか?」
身長は咲夜の方がだいぶ高く、レミリアが椅子に座っているとあっては尚更の事だった。
咲夜は前屈みになって顔を覗き込んできた。
もみ上げから垂れた銀髪を手で耳元に抑えて、穏やかに微笑んでいる。
子ども扱いされているような気分になって、レミリアはちょっと気に食わず、
「もっと近くに。
それから、目はつぶって、私がいいって言うまで決して開かないで」
と、主らしく命令した。
咲夜がその通りにするのを、内心わくわくして見つめる。
美しく整った顔立ちが、ぴたりと目と鼻の先で止まった。
一見すると無防備だが、実はそうでない事をレミリアはよく知っている。
――でも、これはどうかしら。
小さな唇を咲夜の白い柔肌へ付ける。
それから、舌でちろりと舐めた。
唾液が筋を引き、頬がぴくりと波打つ。
それから、精一杯かっこよく、具体的にはイタリアマフィアを気取って、レミリアは宣言した。
「……この味は! 嘘を吐いている味だわ、十六夜咲夜!」
――完璧な悪戯ね。
これはいかに咲夜といえども返せまい、とレミリアはくくっと鼻を鳴らした。
咲夜は目蓋を閉じたまま、微動だにしない。
さあどんな反応をするかと様子を窺っていると、
「お嬢様」
「なーに?」
「もう目を開けてもよろしいのでしょうか?」
意外な台詞に、
「えっ……。あ、うん。いいよ、開けても」
と間の抜けた返事をしてしまった。
咲夜は直立の姿勢に戻って、不思議そうな顔でこちらを見下ろす。
「嘘、ですか?」
「そうよ。私はね、人が本当の事を言ってるかどうか分かるの。
あれよ、あれ、顔の皮膚とかを見れば分かるのよ。
その感じで見分けるんだけど、汗を舐めればもっと確実に分かるって感じかな」
「それで、私の汗を」
「ええ。ちゃーんと嘘の味がしたわ」
「はあ」
もちろん、本当は味さえまるで分からなかった。
レミリアが本気なら、吸血鬼の実力をもって力ずくで真実を吐き出させるだけだ。
たまたま漫画でそういうやり方をしていたから、やってみたのだった。
咲夜は漫画を読む趣味がないから、このネタを知っているはずがない。
「さあ、隠し事があるんでしょう?
正直に白状しなさいな」
嘘を吐かない人間はこの世にいない。
自分に忠実な咲夜だって、些細な隠し事の一つや二つはあるだろう。
そこを突いて咲夜を困らせたい、正直に言えばそれだけの事だった。
「すみません、お嬢様」
咲夜が頭を下げた。
レミリアはしてやったりと内心に喜悦を覚える。
「ふふん。で、どのような嘘かね。
場合によっては、お仕置きも考慮せねばなるまいよ?」
「正直に申し上げますと、お嬢様はやり方を間違えていらっしゃいます」
「へっ? そ、そうなの?」
漫画の通りにしたはずだが、まさかここでそうとは言えない。
それとも、外の世界には本当にこういう方法で嘘を確かめる人間がいるのかもしれない。
「正しい嘘の確かめ方は、こうです」
混乱するレミリアの頭に、咲夜の言葉は遅れて届いた。
先程と同じようにかがみ込む肢体を、呆然と眺める。
レミリアの赤い唇に、咲夜の濡れた唇がそっと重なった。
硬直した口内に慣れた動きの舌が入り込み、小さな舌の先端に触れる。
「どんな味がしましたか?」
気がつけば、咲夜は既に唇を離していた。
レミリアの思考は停止している。
無意識に細い指で口元をなぞって、正直に答えた。
「レモン味……だった」
咲夜がレミリアの目を真っ直ぐに見つめる。
「嘘吐きかどうか、ですよ」
瞳の中に瞳が映り、その瞳の中へまた瞳が映る。
二つの眼光が瞳の奥底まで絡み合っていく。
見つめ合う数秒間が、レミリアにはとても長い時間に感じられた。
青く澄んだ咲夜の瞳に、落ちていく感覚。
「――うん、嘘じゃなかった」
咲夜はにっこりと笑った。
「それは何よりでしたわ。
では、私は紅茶を用意して参ります。
レモンチーズケーキを作ったのですが、そちらも召し上がりますか?」
「お願いするわ。
パチェとフランにも届けて」
「美鈴はいかが致しましょう?」
「あの娘には――、いいわ、あの娘にも届けてちょうだい。
私が貸した漫画を汚さないよう、ちゃんと言っておいてね」
汚してしまうと、本来の持ち主であるパチュリーがうるさい。
次に借りたい漫画が、まだたくさん地下の書庫にあった。
「かしこまりました。
お嬢様の仰る通りに致します」
一礼すると、咲夜は室内に姿を消した。
レミリアは漫画を手にとって、さっき思い出したページを確認する。
舐めるのはやはり、頬だった。
咲夜は嘘をついたのか、それとも本当にあのやり方が正しいのだろうか。
――今度、パチェに聞いてみようか。
その考えも脳裏に浮かんだが、首を横に振って忘れることにした。
終わったやり取りの真偽を後から追うなど、自分らしくない。
どのみち、答えを問われたあの瞬間、『嘘だ』と言う事はできなかったのだ。
間もなくして、咲夜が紅茶とケーキを持ってきた。
上品な香りに目を細め、甘酸っぱく爽やかな味に喉を鳴らす。
匂いにふと気がついて、フォークを皿に置いて目線を上げる。
いつの間にか、テーブルの中央でレモンの白い花が花瓶に揺れていた。
――これは私の負けだね。
完敗を認めて、レミリアは苦笑した。
これでは悪戯が失敗したのも無理はない、と納得する。
レモンの花言葉は、『忠実な愛』なのだから。
庭を見下ろすテラスの一席で、主のレミリア・スカーレットは漫画を読んでいた。
ぶらぶらさせていた両足の動きを止めて、読み終えたばかりの一冊をテーブルの上へと放り出す。
興奮した面持ちで目を輝かせて、卓上の鈴をちりんと鳴らした。
「咲夜」
間髪を入れずテラスのガラス戸が開き、
「はい、お嬢様」
従者である十六夜咲夜が、甘い香りを漂わせてやってきた。
傍へと直立する瀟洒な立ち姿を見て、レミリアは思う。
――隙がなさ過ぎて、ちょっと面白くないな。
となると、その落ち着き払った態度を崩してみたくてしょうがない。
毎度の事ながら、咲夜を見ていると悪戯心を刺激されるのだ。
「何か、御用でしょうか」
そう尋ねられた時、脳内の閃きは言葉となって、口から飛び出そうと身構えている。
「ちょっと顔を寄せてちょうだい」
「はい。こうですか?」
身長は咲夜の方がだいぶ高く、レミリアが椅子に座っているとあっては尚更の事だった。
咲夜は前屈みになって顔を覗き込んできた。
もみ上げから垂れた銀髪を手で耳元に抑えて、穏やかに微笑んでいる。
子ども扱いされているような気分になって、レミリアはちょっと気に食わず、
「もっと近くに。
それから、目はつぶって、私がいいって言うまで決して開かないで」
と、主らしく命令した。
咲夜がその通りにするのを、内心わくわくして見つめる。
美しく整った顔立ちが、ぴたりと目と鼻の先で止まった。
一見すると無防備だが、実はそうでない事をレミリアはよく知っている。
――でも、これはどうかしら。
小さな唇を咲夜の白い柔肌へ付ける。
それから、舌でちろりと舐めた。
唾液が筋を引き、頬がぴくりと波打つ。
それから、精一杯かっこよく、具体的にはイタリアマフィアを気取って、レミリアは宣言した。
「……この味は! 嘘を吐いている味だわ、十六夜咲夜!」
――完璧な悪戯ね。
これはいかに咲夜といえども返せまい、とレミリアはくくっと鼻を鳴らした。
咲夜は目蓋を閉じたまま、微動だにしない。
さあどんな反応をするかと様子を窺っていると、
「お嬢様」
「なーに?」
「もう目を開けてもよろしいのでしょうか?」
意外な台詞に、
「えっ……。あ、うん。いいよ、開けても」
と間の抜けた返事をしてしまった。
咲夜は直立の姿勢に戻って、不思議そうな顔でこちらを見下ろす。
「嘘、ですか?」
「そうよ。私はね、人が本当の事を言ってるかどうか分かるの。
あれよ、あれ、顔の皮膚とかを見れば分かるのよ。
その感じで見分けるんだけど、汗を舐めればもっと確実に分かるって感じかな」
「それで、私の汗を」
「ええ。ちゃーんと嘘の味がしたわ」
「はあ」
もちろん、本当は味さえまるで分からなかった。
レミリアが本気なら、吸血鬼の実力をもって力ずくで真実を吐き出させるだけだ。
たまたま漫画でそういうやり方をしていたから、やってみたのだった。
咲夜は漫画を読む趣味がないから、このネタを知っているはずがない。
「さあ、隠し事があるんでしょう?
正直に白状しなさいな」
嘘を吐かない人間はこの世にいない。
自分に忠実な咲夜だって、些細な隠し事の一つや二つはあるだろう。
そこを突いて咲夜を困らせたい、正直に言えばそれだけの事だった。
「すみません、お嬢様」
咲夜が頭を下げた。
レミリアはしてやったりと内心に喜悦を覚える。
「ふふん。で、どのような嘘かね。
場合によっては、お仕置きも考慮せねばなるまいよ?」
「正直に申し上げますと、お嬢様はやり方を間違えていらっしゃいます」
「へっ? そ、そうなの?」
漫画の通りにしたはずだが、まさかここでそうとは言えない。
それとも、外の世界には本当にこういう方法で嘘を確かめる人間がいるのかもしれない。
「正しい嘘の確かめ方は、こうです」
混乱するレミリアの頭に、咲夜の言葉は遅れて届いた。
先程と同じようにかがみ込む肢体を、呆然と眺める。
レミリアの赤い唇に、咲夜の濡れた唇がそっと重なった。
硬直した口内に慣れた動きの舌が入り込み、小さな舌の先端に触れる。
「どんな味がしましたか?」
気がつけば、咲夜は既に唇を離していた。
レミリアの思考は停止している。
無意識に細い指で口元をなぞって、正直に答えた。
「レモン味……だった」
咲夜がレミリアの目を真っ直ぐに見つめる。
「嘘吐きかどうか、ですよ」
瞳の中に瞳が映り、その瞳の中へまた瞳が映る。
二つの眼光が瞳の奥底まで絡み合っていく。
見つめ合う数秒間が、レミリアにはとても長い時間に感じられた。
青く澄んだ咲夜の瞳に、落ちていく感覚。
「――うん、嘘じゃなかった」
咲夜はにっこりと笑った。
「それは何よりでしたわ。
では、私は紅茶を用意して参ります。
レモンチーズケーキを作ったのですが、そちらも召し上がりますか?」
「お願いするわ。
パチェとフランにも届けて」
「美鈴はいかが致しましょう?」
「あの娘には――、いいわ、あの娘にも届けてちょうだい。
私が貸した漫画を汚さないよう、ちゃんと言っておいてね」
汚してしまうと、本来の持ち主であるパチュリーがうるさい。
次に借りたい漫画が、まだたくさん地下の書庫にあった。
「かしこまりました。
お嬢様の仰る通りに致します」
一礼すると、咲夜は室内に姿を消した。
レミリアは漫画を手にとって、さっき思い出したページを確認する。
舐めるのはやはり、頬だった。
咲夜は嘘をついたのか、それとも本当にあのやり方が正しいのだろうか。
――今度、パチェに聞いてみようか。
その考えも脳裏に浮かんだが、首を横に振って忘れることにした。
終わったやり取りの真偽を後から追うなど、自分らしくない。
どのみち、答えを問われたあの瞬間、『嘘だ』と言う事はできなかったのだ。
間もなくして、咲夜が紅茶とケーキを持ってきた。
上品な香りに目を細め、甘酸っぱく爽やかな味に喉を鳴らす。
匂いにふと気がついて、フォークを皿に置いて目線を上げる。
いつの間にか、テーブルの中央でレモンの白い花が花瓶に揺れていた。
――これは私の負けだね。
完敗を認めて、レミリアは苦笑した。
これでは悪戯が失敗したのも無理はない、と納得する。
レモンの花言葉は、『忠実な愛』なのだから。
ただそれだけのことを文章で表現しただけなのに、こうもニヤけてしまうのは私の負けってことですね。とてもよかったです。
端々から美人のお姉さんオーラが漂う咲夜さん、最高です。
パロディは個人の好き好きですが、私は楽しめました。
それを扱う作品はそう多くありません・・・いいぞもっとやれ!
レミ咲スキーの自分にとってとても良い栄養をいただきました。
素敵な作品をありがとうございます。いいぞもっとやれ!
しかも咲夜がいけいけモード!いいぞもっとやれ!
これからレモンチーズケーキをみんなに届けに行った咲夜さんがヴァンパイア仕込みのキスをフラン、パチュリー、美鈴と順々にかましてくるんですねわかります。
瀟洒で気品高いお姉様咲夜さん
……最高だぜッ!
エレガントに完璧で瀟洒過ぎて……あまりに美しい。こんな可憐な従者が傍にいるお嬢様は本当幸せですね