◆
霧雨魔理沙は地底世界へと繋がる洞穴を駆けていた。
前方を魔法で生み出した明かりで照らし、吹きすさぶ風を切ってひたすら潜り続ける。
こうして魔理沙が地底へ赴くのには理由がある。
つい先ほどのこと。
魔理沙が地上の空を軽やかに疾走していると、二匹の妖怪に突然呼び止められたのだ。
地下を根城にする妖怪、火焔猫燐と霊烏路空である。
なんでも、彼女らの主が魔理沙を呼んでいるらしい。
二人はここで出会えたことを幸運と喜び、土下座でもしかねない勢いで頼み込んできた。
先に呼び出す理由を聞いたのだが。
「さあ、それはさとり様に聞いてちょうだい」
取り付く島もない。いくら聞いてもこんな答えしか返ってこなかった。
しばらくは彼女たちを訝しんだ魔理沙だが、今日の予定は里での買い物くらいしかないことを思い出し、興味半分暇つぶし半分で現在地霊殿に向かっているのだ。
ちなみに燐と空は動物の姿に戻ってのんびりと魔理沙の膝と肩に腰掛けている。慣れない地上で疲れたから、と二人は言い張っているが、おそらくは箒に便乗しようとしているのだと推測している。
燐は温かな膝の上で丸くなり、空は楽しげに流れる風景を楽しんでいた。
橋姫の守る橋を越え、旧都の上空を奔る。
いつもならこの辺りで暇を持て余した鬼なり妖怪なりが襲ってくるのだが、一向にそんな気配はなかった。
一応懐にしまってある八卦炉を引っ張り出していつでも魔砲が撃てるようにしておくが、どうにもいつもと雰囲気が違う。
皆どこか警戒するようにこちらを見上げるだけで、誰一人近づこうとはしないのだ。
「なんだか、遠巻きに観察されてるな。なんか地獄の釜でも覗かれてるみたいでザワザワするぜ」
「……あたいたちと一緒にいるからじゃないかな」
呟いた独り言に、丸くなっている猫が答えた。
「なんだそりゃ。何処にでもいる猫と鴉に怯えるなんて地底妖怪の名が泣くぞ」
「地上ならいざ知らず、ここじゃ結構な色眼鏡で見られるんだよ。あたいはそれが誇りだけどね」
独白のような台詞だがどこか哀愁染みた響きが滲んでいる。
魔理沙は返す言葉を失い、代わりに遠くにある大きな屋敷を見つめた。
眼下に広がる旧都では笑い声に溢れ、色彩の鮮やかな提灯が大街道に沿って並んでいる。鬼たちが築き上げた、全てを受け入れる幻想郷からも拒絶された妖怪が住まう最後の楽園、旧都。
その輝きと反比例するように、地霊殿は昏い闇に包まれている。
地上では人間と妖怪の距離は縮まり、今では種族を超えた友情が成立することも珍しくない。本質的には捕食者と獲物という関係は変わらず、その意識自体も昔のままなのに、だ。
長年地底の代表者として君臨し続ける古明地さとりは、今なお忌み嫌われる妖怪なのだろうか。
燐はその弊害を受けているのかもしれない。あるいは、ペット全員が。
ここまで考え、魔理沙はすぐに頭を振った。
(……何の確証もないし無為な同情でしかない。余計なことに首を突っ込むのはやめておこう)
他人の家には平気で突っ込むが、他人の事情に深く関わらない主義なのだ。
魔理沙は空に先導され、地霊殿の広々とした廊下を歩く。
周りを見渡しても装飾品はおろか、調度品の一つも見かけない。実に殺風景極まりない内装だった。
その代わりに、少し視線を動かすと必ず小さな影が目に入った。
さとりのペットたちである。
久々の客に興奮しているのか、そわそわと落ち着きなくこちらの様子を窺っている。数は廊下を埋め尽くすほど、とは言わないがざっと百匹はいるのではないか。確証はないが、ともかく数を数えるのも億劫になるほどにいる。
しかし、飛びかかってくることはない。
まるで事前に言い含めてあるかのように、一定距離以上は近づいてこなかった。
そのことに疑問を抱きつつも、空に置いていかれないようについていく。ちなみにお燐は地霊殿に到着した途端に「にゃーん」などとワザとらしく鳴きながらどこかへ消えてしまった。
先行する空は淡々と歩を進める。何度もこちらを横目で確認するので気にはしているようだが、口は開かない。彼女も周りのペット同様喋らないように厳命されているかのように。
五分ほどして。
空はある扉の前で立ち止まり、数回ノックしてから魔理沙に先を促した。
「私はここまで。灼熱地獄跡のお仕事が残ってるから」
「おう。案内ご苦労様」
「じゃあ、また後でね」
「ああ」
飛び去る空を何気なしに見送る。
灼熱地獄跡へ行くには中庭を通らなくてはならないのだが、空が飛んでいったのは旧都の方向だった。
もしかしたら未だに迷子になるほど地理を把握していないのか、と心配にならないでもなかったが、それはまあ自己責任だ。
魔理沙は綺麗さっぱり気持ちを切り替え、示された部屋へと入っていった。
「……へぇ」
魔理沙は思わず感嘆の声を上げた。
案内された部屋は応接室というよりもラウンジだった。
部屋の中心には円形のテーブルが陣取り、その真上には小さめだが精巧な細工の施されたシャンデリアが釣り下がっている。
すでに先客が座っており、その傍らには猫耳のメイドが立っていた。彼女に軽く視線を投げかけると丁重に会釈を返してくる。燐ではない。別の猫妖怪だ。
魔理沙は席に着いている少女に歩み寄り、その前の椅子に深々と腰掛ける。
そこでようやく、彼女はこちらを見た。
「本日はご足労をかけて申し訳ありませんでした。魔理沙さん」
「気にするな。私も一度さとりと話をしてみたかったんだ。主にネタ的な意味で」
「まあ、それは責任重大ですね」
そう言った少女――古明地さとりは蕾が綻んだかのように柔和な笑みを浮かべた。
魔理沙は密かに戦慄した。
席についてから数分も経たずに始まったのは、怒涛のペット話だったからだ。
「お燐ったら気持ち良さそうに喉を鳴らすんですよ。それが可愛くて可愛くてしょうがないんです」
「……ほー、是非とも遭遇したいシチュエーションだな……」
「魔理沙さんも地霊殿に住んでいればいくらでも出会えるんですけど……お泊りしますか?」
「ははっ、魅力的な提案だが遠慮させてもらうぜ」
「それは残念です。ああ、そういえばこんなこともありましたね。あれは手先が痺れるほどに寒い朝でした」
「さとり、ちょっと待った」
無理やり話をぶった切る。このままでは日が暮れるまでペット自慢が続きかねなかった。
目に入る場所には時刻の分かる物はないのだが、明らかに三時間は経過していた。ちなみに今飲んでいる紅茶は通算二十五杯目である。
さとりは若干不満そうに「何でしょうか」と尋ねてきた。まだ話し足りなそうだが、これ以上はこちらの精神上厳しいものがある。
延々と続く自慢話は魔理沙にとって拷問に近かった。
そんな魔理沙の心境をお得意の読心で読み取ったのか、さとりはにっこりと微笑んだ。
「そうですね。そろそろお燐の話じゃなくてお空の失敗談にしましょうか」
「心を読むなら正確に読んでくれよ!? というか他人の恥ずかしい話をしてやるな、可哀想だから!」
「お空の恥部を語るな? もう、魔理沙さんってばお年頃なんですからぁ」
「頬を赤らめるな誤解するな事実を歪曲するな! いいから私を呼んだ理由を教えてくれ!」
色々と限界なので声を荒げて頼み込む。
すると、さとりは紅茶で喉を潤してから神妙な面持ちで一つ咳払いをする。
「それでは、本日お呼びした理由をお話しましょう」
「ああ」
きりっと眼光を鋭くするさとりに、魔理沙は姿勢を正して身構える。
地霊殿を訪問するのはこれが初めてではない。地上で友人となったさとりの妹、古明地こいしに連れてこられたことが多々ある。
しかし、さとりと面と向かって相対するのは二度目、つまり異変以来だった。
古明地さとり。地底の権力者。心を読む程度の能力を持つ妖怪。
見た目は可愛らしい少女だ。左肩でこちらを睨む第三の眼がなければ、人間の里で普通に見かけるような子である。
だがその正体は、強靭な肉体と魔力を誇る鬼はおろか怨霊からも恐れられるさとり妖怪である。
そんな彼女が霧雨魔理沙に何の用なのか。
様々な憶測が脳内を駆け巡り、すぐに消えていく。緊張のためか、頭の一部が痺れるように疼いた。
心臓の鼓動が激しく鳴り響く中、徐々にさとりの口が開いていく。
そして。
「私と一緒にペットを探してほしいんです」
予想だにしない台詞が出てきた。
「……は?」
吐息のような声が、自分の口から零れた。
もしかしたら聞き間違いだろうか。
これだけもったいぶって、あれほど前置きの長いペット自慢を話しておいて、本題がやっぱりペット?
いや、そんなはずはない。相手はさとり妖怪、たかだかペットを捜索させるために地上から大して親しくもない自分を呼ぶなんてあり得ない。
この普通の魔法使い、霧雨魔理沙でなくては出来ない事のはずだ。
「すまん。よく聞こえなかった。もう一回頼む」
「ですから、ペットを探してもらいたいのです」
軽く目を閉じて気持ちを落ち着かせ、念を押すようにもう一度だけ聞き返した。
「ペットを、探してほしい?」
「はい。補足しますと、新しいペット候補の紹介と捕獲の手伝いをしてもらえればと。捜索ではありませんよ」
「ああ、そういうことか。実に私向きの仕事だな」
「お分かりいただけて何よりです。ところで紅茶のお代わりはいかがですか?」
「ありがたく頂くぜ。いや~美味いなこの紅茶……ってそうじゃない! なんだってそんなくだらないことで……!」
高ぶった気持ちを抑えきれず、テーブルに拳を叩きつけた。
陶器のカップと皿が互いにぶつかり合い、カチャカチャと音を立てる。
さとりは一転して無表情となった。その視線には熱も氷もない。一切を拒む虚無を孕んだ瞳だった。
重苦しい静寂が客間を包み込む。
隣に控えていた猫メイドは困った風にさとりと魔理沙を見比べた。
気まずい沈黙に成り代わる前に言葉を発したのは、さとりの方だった。
「くだらなくは、ないですよ。新しい家族が増えるんですから」
まるで癇癪を起こした幼子を優しく諭すような、ひどく冷静に問いかける声色だった。
夜露の様に濡れた瞳が魔理沙の心をざわつかせる。悲しんでいるのか哀れんでいるのか。おそらくは、両方だ。
思ってもみなかった反応に感情の波が徐々に落ち着きを取り戻していく。
ようやく我に返り、頭を下げて無礼を謝罪する。
「いや、すまない。大人げない態度を取ってしまった」
「いいんですよ。魔理沙さんはまだ子供なんですから」
「……敵わないな」
幸い傷一つ付かなかったカップに再び口をつけ、紅茶の香りと味をじっくりと堪能する。
そこで初めて気が付いた。
「これ、最初に出された紅茶じゃないな。似てるけど、深みと匂いが全然違う」
「はい。この子は良く出来た子でして、長話になると分からないように茶葉を変えてくれるんですよ。我が家の優秀な給仕係です」
良い子ね、とさとりが褒めると、猫メイドは目を細めて微笑んだ。スカートから飛び出している二尾が遠慮気味にふらりふらりと揺れる。
さとりと彼女の間に深い信頼関係が見て取れる。人型になれることから、ずいぶん長く地霊殿にいるのだろう。おまけにこれほどの給仕の技術を身に着けているのだ。並大抵の努力ではない。それを含めて、さとりは感謝しているように見えた。
たとえ血が繋がらなくとも、彼女たちは紛れもない『家族』だった。
「…………っ」
魔理沙はこめかみを指で押さえる。
大昔に忘れたはずの情景が、唐突に蘇ってきたからだ。
――幼い頃。
――今なら笑い飛ばせるほど簡単な計算式が解けて、世界を救ったかのような気持ちになった。
――あの人たちは自分のことのように喜んでくれた。
――みんなが笑顔になるから、私も頬が蕩けるほど笑えたのだ。
――今は、もうないけれど。
「魔理沙さん?」
「っん、いや、どうした?」
「いえ……なんでもありません。あの、ペット探しの詳細を説明していいですか?」
「ああ、頼む」
魔理沙は姿勢を正し、改めて話された『理由』に耳を傾けた。
話を要約するとこうだ。
さとりは妹であるこいしに新しいペットをあげたいので、その候補となる人妖を紹介してもらいたいのだという。
近頃は姉妹の間に会話も増えてきたのだが、それでも昔のように仲良く買い物が出来るほどには回復していないらしい。
長年に渡って構築された溝は容易に埋まらない。変化の乏しい妖怪なら尚更だ。
そこでさとりが思いついたのが『ペットの力を借りて姉妹仲を再生してもらおう作戦』だった。
以前プレゼントしたペットのおかげで少しずつ会話が戻ってきた古明地姉妹。なら、二匹目のドジョウがいるかもしれない。
再度ペットをプレゼントして、今度こそ仲を修復したいのだとか。
だが、一つの問題点が浮上した。
地上に明るい人材が地霊殿にいなかったのだ。
さとりも基本的に地霊殿から出ないので交友関係がほとんどない。強いて言えば、顔見知り程度の星熊勇儀くらいだ。
地上で探すのがメインとなるのでそちらの方面に詳しく、且つさとり本人と面識のある人物が望ましい。
そこで白羽の矢が立ったのが、幻想郷を飛び回る普通の魔法使いだったらしい。
その言い分に大体納得しつつ、少しこいしを心配しすぎではないかと思わないでもなかったが、交友範囲の広さと素早いフットワークを期待されているのなら応えない訳にはいかない。
聞き終わった魔理沙は力強く頷いた。
「わかった、協力させてもらうぜ」
「ありがとうございます! これで地霊殿も千年は安泰でしょう!」
「いや、そんな大袈裟な……」
テーブルに額がくっつきそうなほどに深々と頭を下げるさとりに、魔理沙は困惑しながらも苦笑を洩らす。
大袈裟すぎるのは否めないが、それだけたった一人の肉親を愛しているのだろう。
こいしが羨ましく、ほんの少しだけ嫉妬した。これだけの愛情を独り占めできるのはなんと幸せ者なんだと。
さとりはすくりと立ち上がって意気揚々と天井を指差した。
「それでは行きましょう! 目指すは地上の……どこかです!」
……若干空回ってはいるが、まあ道中が楽しくなるに違いない。
魔理沙は最後の紅茶を勢いよく飲み干すと、横にいる猫メイドに微笑みかけた。
すると彼女も綺麗な姿勢でお辞儀を返してきた。まったく、よく出来たメイドである。
「ああ。魔理沙さんの実力も見せてやるぜ」
こうして、普通の魔法使いとさとり妖怪は旅立った。
◆
「ふんふふ~ん。今日も可愛い仲間が増えたわよ~」
ねえ上海、とアリス・マーガトロイドは隣に佇む上海人形へ声をかけた。
上海も表情を一切変えないが、手足の動作でアリスへの同意を一生懸命表現する。アリスもその愛らしさに頬を紅潮させながら、彼女の言いたい事が分かっているかのように時折「うん、そうね」などと相槌を打つ。
その手元には真新しい一体の人形が握られている。シミ一つないアリスお手製の服を華麗に着こなし、ブロンドの髪を肩まで伸ばした人形。言葉はないが感謝の意を捧げるように、微笑む主へと視線を送っていた。
マーガトロイド邸は今日も平和だった。
しかしその幸せ空間に異物が混入してきた。具体的にはモノクロネズミが。
「アリスー! 邪魔するぜー!」
アリスはその声を聞いた瞬間、眉間に思いっきり皺を寄せて嘆息する。
額に手をやり、考え込むこと三秒。
「……お願い上海」
込められた意図も正確に読み取って、上海人形は玄関へと向かった。
今回はきちんと玄関から入ったので客間へと案内してやる。マスタースパークでも撃っていたなら全人形で迎撃していたが。
アリスはのんびりとした足取りでキッチンに向かい、新しい紅茶と余り物のクッキーを持って客間へ向かう。
傍若無人で自由奔放なあの女にこんな施しをすれば歓迎されていると思ってますます訪ねてくるだろう。
しかし、育ちが良く都会派を自称するアリスは、客を茶菓子でもてなすよう躾けられていた。
「まったく、面倒な性格よね」
自身の長靴が埃のない床板を叩く音を聞きながら、そう独り言ちた。
品のない笑い声が徐々に大きくなっていく。
また上海相手に一方的に話しかけて一人で笑っているのか、その声はずいぶんと弾んでいた。
近所迷惑だ、と思いながら、ここにはお隣さんなんていないことを思い出す。一人になりたい時は便利だが、無意味な喧騒もたまに聞きたくなるのだから我が侭なものだ。
それでも、一つくらい文句を言ってもかまわないだろう。
アリスは菓子と紅茶の入ったポットが乗った盆を片手に持ち直しながら客間のドアを開いた。
「ちょっと魔理沙、そんなに騒がないで……」
「おー、悪いなアリス。ちょうど小腹が空いてたところなんだ」
「お邪魔しています、アリスさん」
「――――」
少女がいた。
髪はやや控えめなピンク色で、服には所々ハートを模った装飾品がついていて可愛らしい。椅子に座っているので正確な背丈はわからないが、おそらく魔理沙よりも少し低目といったところか。座っている姿勢も良い。背筋はピンと伸びているし、両手は揃えられた膝の上に置かれている。パーフェクトだ。そしてどこか戸惑ったような微笑みは見た目の少女らしい屈託のない笑顔ではなく、大人の色気を醸し出す一歩手前な青い蕾を思わせる。さらに全体を怪しい雰囲気にさせているのは、肩にある『眼』だろう。半眼でこちらを睨む様は明らかにアンバランス。だが、あえてアンバランスなそれを付けることでさらなる次元の美を――
「――私に示しごふぁ!?」
「正気に戻れ、さとりが困ってるだろ」
「い、いきなり鳩尾に、星弾撃ちこむなんて……ってさとり?」
「はい、古明地さとりと申します。容姿で褒められるのは久しくなかったので嬉しかったですよ」
「は、はぁ。それはお粗末様でした。それはいいとして、あのぅ……もしかして、さとり妖怪さんですか?」
つい半年ほど前に、地下から温泉と共に怨霊が湧き出る異変があった。
自分は関わらなかったが、紅魔館の図書館に出向いた際に魔理沙が自慢げにその時の土産話をしてきた記憶がある。
さとり妖怪とはその時に出てきた種族名で、アリスにとっては伝承の中の存在である。
その能力は確か……
「「心を読む能力」」
にっこりと笑みを浮かべるさとりと声が被った。
この華やかな笑顔だけ見れば、彼女が地底で最も忌み嫌われる妖怪だとは思わないだろう。
しかし今発揮した心を読む能力は他人から好かれるものではない。
誰の心にだって、暴かれたくない秘密があるのだから。
アリスはさとりから目を離し、勝手にクッキーをぱくつく魔理沙に視線をやった。
「今日は茶菓子を浪費しに来たの? 博麗神社でやってきなさいよ」
魔理沙は指に付いたクッキーの粉を舐め取り、薄い胸を張って言い放った。
「お前を、ペットだぜ!」
……意味不明だった。
本人は「言い切った!」みたいな表情で悦に入ってるので、隣で紅茶に舌鼓を打つさとりに助けを求める。
さとりはカップを置き、大仰に頷いた。
「魔理沙さんは『お前という可愛げのない人形使いを私の好意で地霊殿のペットにさせてやるから猫耳でもつけて私に貴重な魔導書でも献上すればいいんだぜ!』と言いたいそうです」
「長いな! そしてうざいな! というか、それ間違いなくさとりさんに向けて言ってるでしょ! 私に伝える気ゼロでしょ!」
「アリスさんは『謹んでお受けします……優しくしてくださいね?』と思ってくれてます」
「思ってない! それ捏造!」
「アリスはツンデレだからな。照れてるんだよ」
「照れてない!」
「ペットになってくれたら私の人形作ってもいいですよ。資料は提供しますので」
「え、マジで!? ……いや、騙されないわよ。そんなことで生涯を棒に振ってたまるものですか」
「アリスは一目見ただけで相手のリアルな裸体を脳内に構築できるから必要ないよな」
「何故それをっ、とノリツッコミすればさっさと帰ってくれるのかしら? いや今すぐ帰れ」
「リアル派のアリスさんは下着の色までこだわるようです。だからいつも欲求不満で悶々としているのですよね」
「してないから! 弾幕ごっこの最中にでもこっそり確認……っなんてしてないわ! ええ絶対に!」
「それは新情報だ。ついでにアリス秘蔵の隠し人形部屋を探ってくれ」
「ちょうど向かい側の部屋の壁に……」
「お前らさっさと出てけ――――!!」
その叫びと同時に、壁際に飾ってある人形たちが一斉に二人へレーザーと魔力弾を放った。
四方八方から襲い掛かる弾幕に為す術無く飲み込まれる――かと思いきや、着弾寸前に防壁が間に合ったらしい。ボロボロになったお気に入りの元テーブルの傍で、無傷の魔理沙たちが身を寄せ合っていた。
せめて一撃、いや十撃ほど当たってくれれば溜飲も下がったのだが。
どうやってあの奇襲を潜り抜けたのだろうと疑問に思う前に、答えが底意地の悪い笑みを晒していた。
古明地さとり。
純粋な魔力は低いようだが、これくらいの修羅場はお手の物か。
ここで初めて、アリスはさとり妖怪の恐ろしさを理解した。
心を読まれたところで少々不快な気持ちになる程度かと思いきや、いつの間にか会話も行動もすべてさとりにペースを握られていた。一度嵌れば際限なく落ちていく底なし沼のように、最後には身も心も彼女に囚われかねない。
アリスは表情なく指先から魔法の糸を垂らし、周囲の人形全てに接続した。
主から息吹を受けた人形たちは一歩も動かず、しかし体内の魔力を駆動させて戦闘準備を静々と開始する。
さとりも読心でアリスの敵意を感知し、三つの目を細める。
しばしの睨み合いの後、どちらからともなく開戦の弾幕が撃ちだされようとした時。
「やれやれ、どうやらご機嫌ななめらしいな」
アリスの弾を防いでから何一つアクションを見せなかった魔理沙が、ワザとらしく呟いた。
「さとり、お暇しようぜ。どうやらこれ以上は無駄のようだからな」
それを聞いたさとりはあっさり矛を収める。
「そうですね、交渉も失敗したようですし。次の方に期待しましょう」
アリスは何も言わず、退席する二人をただ見送る。
本当はどこが交渉だったのか小一時間問い詰めたかったが、それよりもこれ以上さとりと顔を合わせていたくなかった。
彼女たちの気配が完全に消え去って、ようやくアリスは肩の力を抜いて人形たちとの接続を切った。
倒れた椅子を立て直して背もたれに全体重を預ける。
「……あの子、大丈夫かしらね」
あの子、とは当然魔理沙の事。
危険と言い伝えられる妖怪と親しくなれるのは彼女の魅力だと思うが、よりにもよってさとり妖怪とは。
半端とはいえ同業者、一応義理程度の心配はしてやるが、積極的に助けようとは思わなかった。
それこそ、魔法使いを自称する彼女を侮辱するものだから……というのは建前で、本音はもう関わり合いになりたくなかったのだ。
微妙な後味の悪さを感じつつ、人形たちに役目を果たせなくなったテーブルを片付けさせていると。
――にゃーん。
「? 猫?」
魔法の森は強い瘴気が満ちており、人間はおろか妖怪ですら滅多に寄り付かない。
当然だが、猫のような小動物が万が一にも迷い込んだのなら半日と持たずに死んでしまうだろう。
なので、アリスは幻聴かあるいは風の声かと思った。
しかし。
「……あら、本当に猫だったわ。迷い込んじゃったの?」
一匹の黒猫がマーガトロイド邸の窓枠の前に座っていた。
常日頃から手入れを怠っていないのか、黒々とした毛並みは美しく整えられている。
こんなところで出会うことに違和感を覚えながらも、久しくなかった触れ合いに自然と心が躍った。
「どうしたの? もしかして迷子かしら?」
アリスは足音を立てずに近づき、驚かせないようにそっと手を差し出す。
猫は鼻を鳴らしながらアリスの指先の匂いを嗅ぐが、やがて顔を背けて地面に降り立った。
そのまま顔を左右に揺らしながらマーガトロイド邸を見回すと、興味を失ったように姿を消してしまった。
撫でようとした手をそのままに、アリスはがっくりと肩を落とした。
「……嫌われちゃったかしら。ネコちゃん、触りたかったのに」
マーガトロイド邸を出てから、魔理沙たちは各地を飛び回った。
行き先は不定、風の向くまま気の向くままである。
寂れた神社にて。
「魔理沙じゃない。珍しいわね、姉の方と一緒なんて」
「これが次の候補のナマケモノだ。コミュニケーションはおおよそ可能で、三日くらいの絶食は日常茶飯事だから経済的にも悪くない。ただ、少し凶暴で怒るとお札とか針を投げつけてくるから要注意だな」
「これはちょっと不適切ですね。縁側でごろごろするのは許せますけど、愛想がなくて可愛げもないのはペットとして不合格です」
「……いきなり来て喧嘩売るとはいい度胸じゃない。飢えた巫女を怒らせるとどんな酷い目に合うか教えて――」
「ああっと! こんなところに人明堂の栗饅頭が!」
「――やるのは可哀想だから許してあげる。さあ、お茶の準備してあげるから上がりなさい」
「どうだ? ほんのりと可愛げが蜃気楼のごとく」
「パスで」
「そっか。じゃあな、霊夢」
「帰るのはいいけど饅頭は置いていけ!!」
竹林の診療所にて。
「あら、魔理沙と見知らぬお客さん。診察受けに来たの?」
「こいつが第三の候補、イジラレヤクだ。わりと愛想がいいし献身的、自爆してでも主人に忠義を尽くすぜ。一番の特徴はなんといっても、嗜虐心を煽る怯えた表情! どんなドMもドSに変わること間違いなしの逸材だな」
「へえ、なかなか悪くないですね。一度手酷く躾ければどんな状況でも受け入れそうな、実に柔軟極まりない心。こういったタイプは私も育てたことがないので興味をそそられますね。むしろ、私が飼いたいです」
「うええ!? 突然何言い出すの、この人たち!? し、ししょー助けてー!!」
「でも却下で」
「ほう、理由を聞いてもいいか?」
「この兎はすでに存在意義を他者に依存させている。過去の飼い主を忘れさせるのは相当骨が折れる行為なんです。でしょう、あなた……鈴仙・優曇華院・イナバ」
「は、はい。なんだかわかりませんがお断りします」
「勿体無いなぁ。次、行くか」
「今度はモノクロ程度に染まった人材を期待しますよ」
「……なんだったんだろ」
里の寺子屋にて。
「魔理沙と……さとり妖怪か。私に何か用か?」
「こいつはどうだ? 通称ガンコモノ。普段は真面目な一教師だが、満月の夜になれば変態して角が生えるワーハクタクだぜ! 幻想郷随一の常識人で知識も豊富、教育者を教育するという背徳感も付いてくる。気性が荒くて趣味が頭突きなのが玉に瑕かな」
「面白い素材です。こいしに色々教えるにも適任でしょうか。ええ、気丈な女性が屈服する姿は少なからず興味があります」
「……不穏な単語が並んでいるな。久しぶりに私の授業を受けるか? 不埒な考えもぶっ飛ぶほど強烈なやつをな」
「注意事項はやはり変態後の頭突きだな。変態前の威力は子供にも耐えられるくらいだが、変態後は不老不死すらも三途の川の入り口まで案内するほどだとか。飼うなら自己責任で」
「変態とは恐ろしいものですね。見たところ、強固な信念を胸に秘めているようなので、今回は断念しましょう」
「さっきから変態変態と……せめて変身とか言ってくれ! 子供たちだって気を遣ってくれているんだ! お前たちに分かるか? 『けーね先生、へんた……じゃなくてへんしん見せてー』と言い直される気まずさが!」
「い、いや、気にしすぎじゃないか?」
「子供の気遣いは時に千の刃にも勝るのです。ところであなたのトラウマ、もっと見せてもらえませんか? なんかこう……ぞくぞくするので」
「へ、変態だぜー!?」
「くそぉぉぉぉ! お前らさっさと帰れ――――!!」
◆
燦々と輝いていた太陽にようやく地面に降り始めた頃。
慧音に寺子屋を追い出された魔理沙とさとりは里を散策していた。
里を真っ二つに割るように貫く街道を二人してのんびり散歩気分である。
魔理沙自身は騒がしいのも好きだが、こうしてゆったりするのも嫌いじゃない。
なのだが。
「なあ、こんなにのんびりしてていいのか?」
こうして行動を共にしているのはペット探しという名目があってこそ。
嫌というわけではないが、現在の進展のなさに不安が出てきたので聞いてみる。
しかし、さとりは非常にのん気な返答をした。
「別に誰かと競ってるわけでもないですから。はっきり言えば、今日決まらなくてもいいです」
「さとりが良いなら私がとやかく口を出す権利はないけど……」
依頼人がこう言っているからペット探しについては心配していないが……。
「それよりも、だ。もっと重要な懸念事項がある」
まあ何でしょう、とさとりは空惚けた。
さとりは魔理沙から見て右側面の場所を歩いている。所謂横並びの状態だ。
それはいい。それはいいのだが――何故私の右手がさとりの左手に包まれているのか。
「なんで手を繋がなきゃならないんだ。ぶっちゃけ歩きにくいんだが」
「ここは人間の里ですよ? つまり私たち妖怪にとっては敵の総本山のような場所。怖くて仕方ないんです」
「嘘だ! 私に心は読めないが、それだけは絶対に嘘だ!」
「疑われるなんて心外です。慰謝料として左手も要求します」
「日本語で喋ってくれ! それが実現したらどんな風に歩けばいいんだよ!?」
カニ歩きでもしろというのかこの幼女。
狼狽する魔理沙を楽しむように、さとりは相変わらず素敵な笑顔を浮かべていた。
明らかに手玉に取られてる感じがするが気のせいだと思いたい。普通の魔法使いのちっぽけなプライドがへし折れそうだし。
深々と溜め息をつくと、さとりが右手の方向を指差しながら質問してきた。
「魔理沙さん、あの像は何でしょうか?」
「ああ、あれは河童が作った今日の天気を予測できる龍神の像だ。的中率はよくて七割程度だけどな」
「へぇ~、雲のない地底にはあまり需要がなさそうですね……あ、あれは何ですか!?」
それからしばらく、さとりによる質問攻めが続いた。
魔理沙はその度に頭の中にある情報を噛み砕き、餌をねだる小鳥のようなさとりに与える。
すると、さとりの顔はこの世の真実を知ったかのような驚きと喜びに満ち溢れ、しかしすかさず次の質問が飛ばしてくる。
矢継ぎ早に繰り出される疑問に若干冷たい汗を流しつつも、魔理沙は一つ一つ誠実に答えていった。
さとりがこれほど饒舌になるのはペットのことだけではないんだな、と感心しながら。
地霊殿でさとりと初めて出会った冬。
あの時は、心を読む気味の悪い奴という印象しか持たなかった。
しかし、それはまさしく古明地さとりの一面の一端でしかなかったのだ。
こうして言葉を交わし、面と向かい、隣を歩く。
それだけで、魔理沙の中に存在する『古明地さとり』は瓦解して再構築されていく。それは今なお続き、彼女と触れ合うたびに起こるだろう。
古明地さとりは地底で恐れられるような妖怪ではなく、ペットが大好きで妹が大切で地上のことを何も知らなくて、心を読む程度の能力を持つ少女なのだ。
そんな当たり前の事を、魔理沙はようやく悟った。
「魔理沙さんどうしました?」
「……いや、なんでもない」
訝しげに瞳を覗いてくるさとりの顔がドアップになり、思わず顔を背けてしまう。
さとりも追求せず、楽しげに里の様子を眺めていた。
魔理沙もつられて周囲に目を配り――びくりと体を竦めた。
活気溢れる商店街の中で、埋もれるようにひっそりと建つ店。
表に立てかけられていた古びた看板には、『霧雨道具店』と書いてあった。
「――っ!」
気がつくと、人目から逃れるように脇の小道を駆けていた。
動悸が耳を打ち、喧騒は遠くへ抜けていく。
人影のない道を無計画に走り回り、息を継ぐことも疎かにしながらも、ただただ足を動かし続けた。
不意に、右腕が急激に重くなる。まるで右手の肩から爪先まで鉛に変化したかのように。
小さな浮遊感に包まれ、足は空中で無為に空回る。
そして、
「うわぁ!」
「きゃあ!」
背中をしたたか打ちつけてしまった。
這い回るようなひりつく痛みと、吐息も感じられるほどの近場から聞こえてきた悲鳴が、魔理沙の思考を正常に戻した。
慌てて上半身を起こし、後ろを振り返る。
「っさとり!? だ、大丈夫か?」
「……い、いたいれふ」
さとりは涙目で鼻を押さえていた。地面と熱烈キッスしてしまったらしい。
どうやら走っている間もずっとさとりの手を握っていたみたいだ。おそらくさとりの足がもつれたかあるいは躓いて、それに引っ張られる形で一緒に転んだのだろう。
元々の原因がこちらにあるわけで、実に申し訳ない話だ。
魔理沙はとりあえず繋いだままの手を引っ張って立たせ、服についた土を払ってやった。
ざっと全身を確認するが、さとりに目立った怪我は無い。膝や顔に小さな擦り傷がある程度だ。
しかし、暴れる心臓を押さえるようにして息を整えている姿から、彼女にだいぶ無理をさせてしまったのだと気づいた。
「あー、ちと休める場所を探すか。私も疲れたし、お詫びに何かご馳走するぜ」
「それは、大歓迎です……。それなりの品を求めても、大丈夫ですよね?」
「……お手柔らかに」
怪しげに口端を上げるさとりに、思わず財布を確認する魔理沙だった。
こじんまりとした茶店だった。
店内は十人分くらいのスペースしかなく、外には年季の入った長椅子が申し訳程度に置かれている。
その長椅子に、さとり妖怪と普通の魔法使いは座っていた。
それぞれ対称的な表情で。
「ぱくぱくもぐもぐ……。ふむ、地底にはない上質な砂糖が使われてるわね。しつこくない甘みは好印象だわ」
「あのーさとりさーん」
「ごくごくごっくん……。控えめな甘さの団子と緑茶の組み合わせは極上ね。家でも仕入れてみようかしら」
「さとり、頼むから……」
「なんですか。今が至福のひと時だというのに」
ぷんぷん、なんて擬音が似合いそうな膨れっ面のさとりが視線を向けてくる。
確かに、先ほどまでの幸せそうな顔で飲み食いするのを邪魔するのは野暮だとは思う。
けれどこちらの状況も逼迫しているのだ。
「いやな、そろそろ懐が……やばいんだ。今日は買い溜めでもしようかと思ってそれなりに持ち合わせていたんだけど……」
「そうですか。あ、すみません。あんみつ追加で」
わかりました、と陰りのない愛想笑いで奥に引っ込んだ店員を、魔理沙は絶望したように見送る。
さすがに生活費には手をつけていないが、一月分のお小遣いが風前の灯だった。
なので何とか言い包めてさとりの暴飲暴食をやめさせたいところなのだが……。
「暴飲暴食とは言ってくれますね。ではこの玉露とやらも味見してみますか」
「お願いもうやめて! 私の財布はもう空よ!」
「……仕方ありません。残念ですけど、これで締めとしますか。あまり魔理沙さんを苛めても……にやり」
「いやマジで頼むからそこで切らないで。そんなサディズム溢れる含み笑いでこっち見ないで」
あんみつを頬張るさとりから凄まじいほどに危機を感じ、慌てて目を背ける。
男の子が目の前を通り抜けた。友達と遊んでいるのか、続けて年齢が同じくらいの子供たちが彼の後を追う。
その中に、少し目を引く風体の女の子がいた。
人里の子供とは違う柄の着物を着て、泣きそうな表情で前の子供を追いかけていく。
背に、小さい鳥の羽を広げながら。
「地上は……ずいぶんと変わりましたね」
唐突に、涼やかな風鈴の音が聞こえた。
「私が生きた時代――地底に追いやられる前は、私もあのように日の当たる場所で鬼ごっこをしたものです。あの頃はさとりの力も発揮できず、一見普通の子供でしたから」
朗々と語られるさとりの過去。
「いつからなのかは覚えてません。今までは人間と混じって遊んでも咎められることはなかったのに、突然奇妙な衣を纏った人間の集団が次々に同胞を狩り立てていったのです。まるで理知なき獣を殺すかのように。それが妖怪退治を職とする陰陽師であることを後で知りました」
挿める口もない。
霧雨魔理沙は彼女に掛けてやれる言葉を持ち得なかった。
「共に生き延びた妹や友人らと地下へ逃れて、ようやく安心して暮らせる場所に辿り着いたと思った矢先でした。この『眼』が開いたのは」
第三の眼。さとり妖怪が心を読むための器官。
おそらく他人への興味が具現化したその能力は、恐怖の感情が炸裂して目覚めたのだろう。
――怖い。
――この人は私を傷つけるのかしら。
――知りたい。
――この人の心を、知りたい。
いずれは発現する能力だろうが、時期が悪かった。
平穏時ならまだしも、命の危機に晒されている時だ。仲間内でも疑心暗鬼に陥る可能性は十分にある。
自分だけが生き残るための打算だってあるだろう。
密かに抱いていた誰かへの感情もあるはずだ。
子供ならばいざ知らず、成長すればするほど感情を表に出さないで自分の中に仕舞い込むのが大人である。
それらすべてを見通してしまう瞳があるのなら。
排斥する理由に成りうるのではないか。
「地底から追い出せば私から情報が洩れるかもしれない。だから皆で私を奥に閉じ込めた。宝物を隠すように、腫れ物に触れないように。幸い、私も妹も暴行を受けることはありませんでした。けれど、自由にもなれませんでした」
生きるために逃げた。
逃げた先に自由はなかった。
ただ一人の味方は同じ悩みを持った自分の妹だけだった。
これがどれほどの絶望かは分からない。計り知れない。少なくとも、普通に生まれて自分の意思で飛び出した自分には。
「あとは大した問題ではないですね。旧地獄を管理する仕事を得て、妖怪の賢者から地底の代表を押し付けられて。迫害に比べれば天国のような処遇ですよ」
そこは地獄なんですけどね、と可笑しそうに笑みを深めるさとりを見て、彼女を理解した気でいた自分を強く恥じた。
この少女が抱える闇は重い。何百年も積もったそれを、ただの一人間が分かち合えるはずがないのだ。
それでも。
どれほど傲慢だと蔑まれても、それでも。
「すごいなさとりは」
「はい?」
首を傾げるさとりを尻目に、感情が赴くままに言葉を紡ぐ。
「こうやってあいつらが遊んでいられるのも、お前の立派な功績じゃないか」
指を差したのは大通りを駆け回る子供たち。
じっくり観察して分かったのだが、どうやら彼らは鬼ごっこをしているようだった。
さっきまで追いかけていた妖怪の女の子は鬼の役目から解放されたのか、今では鬼らしき人間の子供から逃げ回っている。
笑っていた。
「この幻想郷を作ったのは博麗と妖怪の賢者たちですし、私は何一つ関与していないと思いますけど」
「幻想郷すらも弾き出した厄介者を受け入れ、次々に出でる怨霊を封じている。これのどこが関与してないんだ?」
「それはまあ……そうですけど」
釈然といかないのか、小首を傾げて考え込むさとり。
正直、自分自身でもこじつけではないかと不安になる。しかし、実現しつつある『人間と妖怪の共存』にさとりが一役買っているのだと、誰より信じたがっている人間がここにいるのだ。
「だから、お前の苦しみは無駄じゃなかったんだ。みんなの役に立ってたんだ」
「そう、ですか?」
「そうだ」
「本当に、そう思いますか?」
「本気だ」
「本当に、本当に……?」
何度も聞かれて、魔理沙は何度も頷いた。
さとりは心が読める。だから自分がそうだと未だに断定できていないのは気づいているだろう。
しかしさとりはそのことを口にはせず、ただ同じ事を聞き続けた。
魔理沙も「信じている」と繰り返し呟き続けた。
自然と二人の肩が触れ合い、さとりが魔理沙にそっと体を預ける。
夕日が沈んでいく中。
魔理沙たちは真っ赤に染まりゆく里を眺めていた。
「でな、その時は早苗が……」
「なるほど。山の神はそんなにアレが……」
すっかり日が落ちた後も、同じ茶店で談笑に耽っていた。
内容はさとりの過去ではなく、なんてことのない無駄話である。
さすがに暗くなってきたので少し前に「そろそろお開きにするか?」と尋ねたのだが、さとりは何故か首を縦に振らなかった。
理由は定かではないが、何かを待っているように時折視線を空に彷徨わせていた。
こちらには門限など存在しないし、さとりさえ良ければいつまでも話していたいと思っている。
まあ、たまには霊夢以外と親交を深めるのも悪くない。
「あら?」
さとりは黒々とした空を見上げ、食い入る様に凝視する。
何事かと魔理沙も顔を向けると、これまた黒い鳥が真っ直ぐこちらに向かってくるではないか。
充分に近づいてようやく判別できた。どうやら地獄鴉のようだ。
鴉は颯爽と地面に降り立ち、よちよちと魔理沙たちの正面に歩いてくる。
そして。
「かー」
一声、鳴いた。
正直まるで意味は分からなかったが、心を読めるさとりは合点がいったらしい。
腰を少しだけ浮かし、鴉の頭を優しく撫でた。
「そう、ご苦労様。じゃあみんなは家に戻るように、お燐とお空には予定通りにって伝えてちょうだい」
それを聞いた鴉は再び「かー」と声を上げ、濃い夜の空へ飛び立っていった。
さとりはそれを見届けた後、腰を下ろして喉を潤した。
「今のは、地霊殿の?」
「はい。ちょっとお仕事を頼んでまして、それが終わったという報告です。ちなみに人型にはなれませんが妖力はあるので暗いところも大丈夫です」
「さすがはさとり。聞いてない疑問に答えてくれるとはありがたい」
「それは失礼しました。つい、いつもの癖で」
欠片も申し訳なさそうではなかったが、こちらの様子を笑顔で窺うさとりに文句を言えるはずもなく。
「……まあ、いいさ」
不満げに熱の消えた緑茶を啜る程度が関の山だった。
しかし、これでさとりとこうして喋る口実もなくなったことになる。
残念ではあるがそろそろ解散ということに――
「……ふわぁ」
欠伸が洩れ、目がショボショボしだした。
箒で飛び回った疲れが帰宅の意思と直結したのか、急激な眠気が襲い掛かってきた。
これは本当にまずいかもしれない。飛行中に居眠り運転なんてしたら命がいくらあっても足りない。
「さとり、きょ」
――今日はこれでさよならだ。
と言いかけた時。
その言葉を切る形で、
「眠いなら貸してあげますよ? 魔理沙さん」
と、さとりは自らの膝をポンポンと音を立てて叩いた。
意図は説明されなくても分かる。小説でよく登場する、恋人同士がやるアレだ。
しかし、たとえ女同士でも衆目の前で膝枕をされるのは、乙女である魔理沙には少々敷居が高かった。
「いや、いいよ」
「遠慮なさらずに。私の膝枕は極上品でして、お燐やお空のみならずペット全員が取り合うほどです。独り占めできるなんて滅多にありませんよ」
「自分で言うか。いや、興味がないとかじゃなくて、単に恥ずかしいというか何というか……」
「大丈夫ですよ、ここで私を知る人間はまったくいませんから」
「さとりはそうだが、私はクリティカルで地元だぞ」
「まあまあ。見たところ、魔理沙さんの脳は半分以上寝ています。飛んでいる最中に墜落でもしたら死にますよ? だったらここで一休みするのが良策です」
熱っぽく演説する彼女はまるで引く気がしなかった。
さあ、と両手を広げるさとりに、魔理沙は錆びかかった思考を張り巡らせる。
今から魔法の森に帰ってベッドインする間に、数十分は確実に消費する。
汗もかいたしシャワーを浴びるならさらに三十分必要で、いやその前にさとりを泊めるなり地霊殿に送り届けるなら……計算するのも億劫だ。
なら、ここで一眠りするのは悪くない話だと結論付けた。
「……じゃあお言葉に甘えるぜ」
魔理沙は帽子を脱いで長椅子に全身を預ける。そして導かれるまま、さとりの太腿に頭を乗せた。
小さくも柔らかなそれは、仄かに動物臭かった。おそらく長年に渡ってペットを抱き続けた結果だろう、洗濯しても落ちなかったに違いない。だがそれこそ、愛されている証拠なのだ。
そう感じたからこそ、安心して目を閉じていられた。
やはり、いつもとは異なる環境では意識せずとも緊張するらしい。
寝転がってからずいぶん経ったように思うが、未だに夢の世界へ招かれなかった。極度に疲れているのか、あるいは単に緊張しているのか。自分のことは自分が一番知っているようで、しかし一番謎の事象なのかもしれない。
体は鉄のように硬くて重いのに意識は妙にクリアなのだ。ここが長椅子でなければ幾度も寝返りをしていただろう。
ふと枕になってくれているさとりの様子が気になり、こっそり薄目で確認してみることにした。
(あ…………)
目を奪われた。
空を覆う無数の宝石を散りばめた漆黒のカーテンを背景に、
まるで満ちた月のように輝き、けれどあまりにも無為な儚さで微笑む彼女、
古明地さとりが、こちらをじっと見つめていた。
顔が赤くなるのが自覚できた。
不覚にも程がある。これが惚れた腫れたの通じる異性ならともかく、彼女は紛れもない女性で自分も清らかな乙女である。
だというのに。
まるで殺人的な魅力を持つ異性に一目惚れしたかのような衝撃が、確かな感触を伴って胸を貫いていった。
目を逸らすことも出来ず。
赤面を隠すことも出来ず。
ぼけっと間抜けに口を開いたまま、ただ彼女の笑顔に見惚れていた。
「眠れないようですね。子守唄でも歌ってあげましょうか?」
何が可笑しいのか、クスクスと笑うさとり。
魔理沙はどもりながらも答える。
「あ……うあ、いや、その大丈夫だ。それよりも、さとり」
「何でしょうか、魔理沙さん?」
「お前、女だったっけ」
「あらあら、うふふふふ」
「つあ゛っっっっ!?」
二の腕を、それはもう思いっきり抓られた。
顔は先ほどと変わらぬ笑顔、しかし裏にある感情は明らかに正反対のもの。
「この私が、女性以外に見えますか? 見えるんですか魔理沙さんには? ええ、その眼球を抉り取って私の第三の眼でも埋め込んであげましょうか? きっと素敵なお顔になりますよ、ええきっと!」
「ご、ごめっ! 悪かったから、ちょっ、千切れちゃう!?」
「安いものじゃないですか、乙女心を傷つけた代償にしては!」
あれほど動かなかった体が激痛で身悶える。
苦痛に歪める顔を見てようやく満足したのか、さとりは最後に一捻りしてから指を離した。
魔理沙は目の端に涙を浮かべ、さとりの膝に頭を置き直す。
「まったく、狸寝入りをやめたと思ったらいきなりの性別否定とは、まったく人間とは度し難いものね」
「いやあ、さとりが男なら解決する問題がちらほらと」
「私は生まれてから死ぬまで女です。永遠の少女です」
「妖怪は歳を取らないのか? 年齢を考慮すればさとりはもう……ごめんなさい、さとりんは永遠の少女です」
怖い顔で睨んできたのですぐさま発言を訂正した。
気が付くと、先ほどの『衝撃』は跡形もなく消え去っていた。こうして見上げるさとりの顔は女性の視点からも可愛らしいものだが、さすがに恋慕の情を感じるものではない。
月の魔力に魅せられた、ということにしておこう。
なんとか道を踏み外す直前で正気に戻れた事に安心したのか、今度こそ意識が薄靄に包まれていった。
完全に寝入る、その前に。
「ねえ、魔理沙さん」
「……あー?」
さとりが、どこか深刻そうな口調で尋ねてきた。
「まだ若いのに、一人であんな森に暮らすのは寂しくないですか?」
「……そうでもないな。私は、望んであそこに住んでるんだから……」
ずぶずぶと沈みつつある意識の中で発した、まぎれもない本心。
しかし、さとりは頭を振って否定した。
「そういうことじゃなくて、例えば、魔理沙さんのお父さんが魔法の研究に反対しなかったら……魔理沙さんはいつまでも里の一員だったんじゃないですか? 普通に人間の友人がいて、遊びの輪に入れていたんじゃないですか? 魔法の森の魔法使いじゃなくて、里の魔法使いになれたんじゃないですか?」
「それは……」
ない、と断言できないのは弱さだろうか。
まったく考えなかったわけではない。ありえたかもしれない可能性として夢想したことはある。
優しい両親に応援されながら魔法の道を歩む、そんな夢を。
だが、現実は現実だった。
現在の霧雨魔理沙は親から勘当され、魔法の森で幻覚に酔いながら化け物茸の研究をしている。
たった独りで。
そんな心の隙間を突くように、さとりは言葉を重ねた。
「あなたは独りでいるのが嫌だから、同じように一人空を飛ぶ博麗の巫女の傍にいる。ですが、彼女は単独で世界を閉じている。他者に興味がないからこその境地と言えるでしょう。だからこそ――」
――あなたは、今でも孤独に怯えている。
さとりの心配するような、けれど詰問するような断言に、魔理沙は知らず頷く。
それが最後に出来た行動だった。
まるで底なし沼のように抗いがたい何かに足を取られ、這い上がる気すら起きないような深い闇の底へ。
霧雨魔理沙の意識は埋没していった。
◆
どこかで、猫が鳴いた。
空腹を訴えるものではなく、暇を持て余しているものでもない。あたかも、鳴くことが義務であるかのような鳴き声だった。
そして、その声に反応した人物がいた。
白いスーツが引かれたベッドの上で、ボサボサの髪をかき回しながら起き上がる少女。
普通の魔法使い、霧雨魔理沙は目を覚ました。
完全に覚醒していないためか、しばらく焦点の合わない視点を天井付近に漂わせてから、固まった筋肉をほぐすように伸びをする。
その心地よい感触は徐々に魔理沙の意識を世界とリンクさせ、今の状況を理解できるように頭を作り変えていった。
魔理沙は周囲を見渡して、一言呟く。
「……なんだ、いつもの部屋か」
実験途中の薬品や機材が古びた机の上に乗っており、それを囲むようにして乱雑に重ねられた魔導書が山のように積み重なっている。そのくせ本棚にはほとんど本が入っておらず、まったくのがらんどうである。使うために引っ張り出したら適当に放置するので、当然と言えば当然の光景だった。
網膜に焼きつくほどに見飽きた、自分の部屋だ。
ただ、少し違和感を覚えた。それは、これほどまでに荒れた状態だったか、という程度のものだったが。
魔理沙は艶の失った髪を手櫛で整えながら立ち上がった。
渇きを訴える喉を潤すべく、水瓶のある台所へと向かう。
暑かった。八卦炉を温風のまま消し忘れたかのように、粘りのある熱気が部屋に充満していた。
おかげで首が汗で蒸れてたまらなく痒い。我慢できずに掻こうとするが、何故か満足できるほどの快感は得られない。
手に当たるのは強張った皮の感触のみで、不快度が加速度的に上昇していく。
「あーもう、鬱陶しい!」
なんとか皮膚とそれの隙間に指を捻りこみ、強引に爪を立てた。
それでようやく気持ちが落ち着き、ようやく昨日の出来事を思い出す。
さとりと一緒に幻想郷を回って新規のペットを探したのだ。そして里の甘味処で眠りに付いたところで記憶は途切れていた。
そこから、自分の家に飛んでいる。
どうやらさとりはわざわざ家まで送ってベッドに放り込んでくれたらしい。
そのまま地霊殿に帰ったのかは定かではないが、どの道あとで彼女を訪ねなくてはならない。
その前に風呂に入って軽く胃に物を入れてからだな、とこれからのことを考えていた時。
「魔理沙ー、早く起きないと猫車に乗せて連れて行っちゃうよー。もちろん燃料として」
「!?」
のんきな声と共に、扉が勢いよく開いた。
突然の侵入者に驚く魔理沙を余所に、ずかずかと遠慮なく入室してきた少女は二又の尻尾を揺らしながら近づいてきた。
「なんだ、起きてるじゃんよ。そろそろご飯だから呼びに来たよん」
「……お燐? なんでお前が私の家にいるんだ」
「いやー、昨日はなかなか疲れたよ! あ、そうそう。魔理沙の持ち物で私たちには運べない物は放置してあるから、そのうち取りに戻ったほうがいいよ。怖い魔法使いに奪われても私たちのせいじゃないから、そこらへんよろしく」
「頼むから会話をしてくれ……私に用があるのか?」
「何言ってるのさ。今日は初日だから特別に許すけど、明日からは魔理沙が準備するんだからね! 地霊殿は縦社会だから、下っ端は徹底的にこき使ってあげるのさ!」
「待て、話がさっぱり見えてこない。地霊殿だって?」
魔理沙は困惑気味に眉をひそめた。
昨日の終わり方からすれば、地霊殿に連れて行かれたのは不思議なことじゃない。だが、それならこの部屋は何なんだ?
手近な場所に、ナンバーのみが書かれている装丁の魔導書があったので中身を確認する。茸の生態や実験内容と結果が事細かに記されている。それは紛れもなく霧雨魔理沙が書いた魔導書(というより手帳)だった。
疑問の声を上げる魔理沙に、さとりのペットである火焔猫燐はさも意外そうに返した。
「あにゃ? もしかしてさとり様から聞いてないの? なら教えてあげるけど……途中下車は許されないよ」
意味深長な笑顔を浮かべる燐の説明は――実に、予想の斜め上を突き抜けていた。
「うおい、さとりぃ!」
扉を乱暴に開いて部屋に入る。すると、お食事中だったらしい動物たちが一斉に睨んできた。
その視線の強さに若干引きながらも、その中心にあるテーブルの席に座る人物へと駆け寄る。
さとりはすでに食事を終わらせたのか、のんびりと紅茶を飲んでいた。その前には綺麗に食べ終わった皿が並べられている。
魔理沙は思わず唾を飲み込んだ。
すでに物はなくなっているが、その香りは魔理沙の鼻腔を強烈にくすぐる。その刺激に、寝静まっていた魔理沙の腹は自己主張をし始めた。
(……やばい。すんごい腹減った)
それを見透かしたのか、さとりは微笑みながら声をかけてきた。
「遅かったですね。魔理沙さんの分は取ってありますよ」
「おお、ありがとう。ちょうど腹が空いてたんだ。今日のメニューはなんだ?」
「朝食ですので無難に焼き魚に卵焼きとみそ汁、あとはお好みで漬物です。たしか魔理沙さんは和食派でしたよね?」
「さすがさとり、私の食生活を把握しているとは素晴らしい。それじゃあまずは朝飯に……って違ーう!」
危ない、あやうく流されるところだった。
どうやら空腹で我を忘れる前に本題に入らなければならないようだ。
魔理沙は咳払いを一つして、表情を引き締める。
「お燐から聞いた。あれはどういうことだ?」
「はて、どんな話でしょうか。私にはとんと見当が付きませんね」
「いやお前心読めるだろ。加えてお燐もさとりから言われたって証言したぞ。大人しく自首するんだ。悪いようにはしない」
「……ごめんなさい、実は私がやってしまったんです!」
およよ、と大袈裟に泣き崩れるさとり。明らかに嘘泣きなのだが、勘違いしたペットたちは色めき立って威嚇してきた。
というか噛み付いてきた。
「いーでででででで!」
「みんな、今のはほんの冗談だから落ち着いて。別に魔理沙さんに苛められてないから」
「ははは……痛いぜ」
何匹かはしばらく引っ付いていたが、さとりが諭してようやく離れた。
首元の噛み跡を擦っていると、それに手が触れた。
首の真ん中辺りに巻き付けられた、おそらくは動物の皮の首輪。表面はざらざらしており、手触りはあまり良くない。息苦しくなるほどではないが、ぴっちり肌に吸い付いている。
なんというか……捻りがないくらいに首輪だった。まるで霧雨魔理沙がペットであると周囲に知らしめようとしているかのようである。
「私はさとりのペットになった覚えはないぜ。もしかして昨日言ってた『こいしのペット探し』ってのは嘘だったのか?」
「それはおおよそ本当です。違うとすればペット探しではなくて……友人探しだった、ということですね。より正確に言うなら、さとり妖怪と友人になれる人材を探すことでした」
魔理沙は彼女の妹であるこいしを思い浮かべた。
古明地こいし。さとりと同じくさとり妖怪だが、心を閉ざして無意識で放浪するようになった少女。
地上の守矢神社で弾幕ごっこをして以来、魔理沙にとっても大事な友達となった人物である。
さとりは彼女の友人となり得る者を探していると言ったが……。
「あいつ、結構友達多いぞ。私の知る限りじゃ十人は軽く越えてるはずだ」
「そのようですね。今初めて知りました。こいしはしばらく帰ってきていないので」
ふぅ、と悩ましげに溜め息をつくさとり。なるほど、コミュニケーションが不足している。
「ですよね。地上で楽しくやっているならいいんですけど、もしものことを思うと、やはり心配なんですよ。だから信頼のできる人物が隣にいてくれればなと思いまして」
「それが私か? 別に嫌という訳じゃないが、こんな形で……」
「魔理沙さんなら安心できます。どうか、地霊殿に居てくれませんか?」
「いやだからな、そういうのは……」
「お願いします……」
潤んだ瞳で懇願してくるさとり。思わずたじろいでしまうが、ここに退路はなかった。
振り向けば、怒り溢れる動物たちがずらっと床を埋め尽くすように座り、こちらの成り行きを観察していた。
彼女たちは「さとり様を泣かせたらさっきの数十倍の力で噛み千切るぞ」なんていう幻聴まで聞こえてきそうなくらいの気迫である。
空中ではさとりを中心に地獄鴉たちが渦巻くように飛行している。無論彼女らも強い視線で睨んできている。
魔理沙は悟った。
ここは相手のホームで、連れ込まれた時点ですでに敗北が決定していたということ。
さらに言えば、さとりの泣きそうな表情なんて見たくもないと思ってしまうくらいには――こちらも重症だということだ。
勝ち目なし。諸手を挙げて降参するしかない。
「……わかった、しばらく地霊殿に滞在させてもらうぜ」
「ありがとうございます! それではさっそく――お燐、お空!」
「「はい、さとり様」」
「魔理沙さんに地霊殿の常識と仕事を仕込んでちょうだい。待遇は……人型になれたばかりの子と同じでいいわ」
「「わかりました」」
いつの間にやら現れた鴉と猫に腕を押さえられ、そのまま引き摺られるようにして出口へと向かう。
まるで監獄に収容される罪人のような気分である。
部屋を出るその直前に、魔理沙は見た。
見送るさとりの顔は、どこか悪魔めいた笑顔だった――。
読ませていただきました。さとまりを書きたいという気持ちの籠った、実に芯の強い作品だと感じました。
展開もころころと変わり、どこかコミカルで愉快な様子が伝わってきますね。
また気が向いたらあなたの妄想を爆発させてみてください。期待しています。
自由闊達な魔理沙だからこそ、こんな立ち回りが似合いますね。
惚れた者の負けさねと。
楽しめました。続き期待!
その笑顔でどんなに荒れた心も潤いつるつる卵肌だぜ!
確かにさとまりは読んでみたかった。
でも魔理沙とのやりとりはかわいらしいよ!
こんな風に愛されてるさとりが大好きだ。
さとりの優しくもいやらしい性格が好みすぎる、このさとりんをもっと見たいかも
計画通り、ではなく、この一日でこういう事になったのならもっと良かったかもしれない
続編期待