「まあ、そう言うわけだからよろしくね!」
リリカ=プリズムリバーが楽しそうに言った。
「よろしくね~!」
メルラン=プリズムリバーが満面の笑みを浮かべて言った。
「………よろしく」
ルナサ=プリズムリバーが抑揚のない声で言った。
そして、
「…………はぁ」
僕、森近 霖之助は呆気にとられながら気の利いた言葉を言えず、ただ頷いた。
そんなやり取りが何も面白みがないこの香霖堂で行われた。
カウンターにおいてある湯飲みに手を伸ばす。
幾分か冷めていたお茶の強い渋みが、僕の頭に刺激を与え、冷静さを取り戻させた。
やっぱり厄介な依頼だったかな。
マスカレード
彼女たち、プリズムリバー三姉妹が訪れたのはお昼に差し掛かる一時間前であった。
僕はいつものようにカウンターにある椅子に腰をかけ、昨日から読みかけだった小説に目を通していた。
朝から誰もやってこない。
『お店』である香霖堂ではさほど珍しいことではなかったので、気にすることなかった。
しかし、72ページ目を捲った時に彼女たちがやってきた。
「いらっしゃい」
三人に向かって取り留めのない挨拶を言った。
すると先頭にいた末の妹リリカがカウンターに近づきこう言った。
「あんた、彼女っている?」
僕は石のように固まった。
決して、彼女がいない暦うん十年だから固まったわけではない。こんなこと聞かれるなんて滅多にないからだ。
しかも、そう言う話題についてあまり縁がないリリカから聞かれたからもある。
「いや、いないが……」
僕は正直に話した。
別段、秘密にしておく必要もなかったのでそう言うとリリカの目が輝いた。
そして後ろに控えていた次女、メルランにひそひそと話す。
この時、厄介ごとが訪れたと気づけば、後々ややこしいことにならなかったのに。
そんなことに気づかない僕は、何気なしに入り口に立っている長女、ルナサのほうをみた。
いつものように何をすることなくじーっと妹たちの様子を見ている。腕を背中にまわし、壁に寄りかかる彼女の表情からは何も伺えられない。
これほど感情が読めないのは幻想郷でもそうそういない。
ルナサといえば、プリズムリバー楽団のリーダーで彼女たちの長女だ。なんでも面倒見がよく、気の配り方は良いと評判だ。
また困った者が多い幻想郷の中では常識人に部類すると言われている。
しかし、彼女自身はあまり表情が豊かではない。ポーカーフェイスが剥がれた場面は滅多に見られないとのこと。
そして彼女の楽器はヴァイオリンで演奏の担当は低音が多い。
そのため彼女のことを一言で言うなら『暗い』というイメージが定着している。
僕自身もそう思っている。
彼女がひとりでここに足を運ぶことがあるが、妹たちと違って最低限のことしか話さない。
例えば、
『いらっしゃい』
『こんにちは』
『何をお探しかな?』
『家で使うティーセットが欲しいわ。三人分ね』
『ふむ、ちょっと待っててくれ』
『これでどうかな?』
『それでいい。いくら?』
『これぐらいになるけど良いかい?』
『いいよ。ありがとう』
『またどうぞ』
という具合だ。
……まてよ、これだと僕も結構会話が少ないな。
まあいい。
しかし、これがメルランたちになると厄介だ。
例えば、
『いらっしゃい』
『あ、ねえねえ。ちょっと聞いて欲しいんだけどさ。ここに、このぐらいおっきい水槽ってある?』
『かなりおっきいね…ちょっと待っててくれ』
『あ、そうだついでにさ、メル姉。あと何が必要だっけ』
『え~もう忘れたの。アレよアレ、アレ』
『ああ、アレ。アレね』
『そう言うわけだから店主。アレも欲しいな』
『……アレといわれても困ったな』
そういう無駄話が多い。この時は二人できていたが、買い物だけで一時間以上も居座ることがある。あの時は結局、お金が足らず帰っていったんだっけな。
因みに彼女たちが言うアレとは手袋らしい。一体何に使ったのやら。
とにかく、プリズムリバーは全体としてまとまっているが、個人になるとどうも厄介だ。
そして、三人で来た彼女たちの今回の依頼は個人向けらしい。
「ねぇ。店主は彼女いらないと思ったときがある?」
「ふむ、また唐突な話だな。それは答える必要があるかい?」
「ええ、すごく大事なことよ」
僕の質問に、メルランが大きく頷く。
どうやら今回の依頼は僕絡み、しかも女関係か……にしても妙な質問だ。
リリカは『いらないと思ったときがある?』と聞いてきた。普通なら『いてほしいと思う?』と聞くはずだ。
回りくどい言い方になにやら嫌な予感がしたので、早く帰ってもらうために話してしまおう。
「いらない、と思ったことはないこともないな」
「回りくどいね。素直に欲しいと言えばいいじゃないか」
「君が先に言ったんだろう、リリカ」
「それもそうだね。でもその答えを聞けて十分だよ。ねえ、メル姉?」
「ええ、そうよ。上手くいきそうだわ」
リリカはにんまりと笑い、メルランも嬉そうに微笑む。
まずい…どうやら地雷を踏んだらしい。
僕は言葉を続けようと乗りかかったが、リリカの言葉に遮られた。
「実はお願いがあるの、店主」
「ルナ姉のね、恋人になって欲しいの」
呆気に取られた。比喩ではなく本当にメガネがずり落ちた。
それをくいと持ち上げ二人の顔を見てみると、意外や意外、真剣な目をしていた。
どうやらからかっていない様だ。
ただ、自分の目が無意識に大きく開いたのを感じた。
そして、入り口の方に目を向ける。
ルナサは目を合わせないようにそっぽを向いていた。
前もっての計画、か。
「でも、何で僕なんだい?」
「だって……」
「貴方は私が知っている男性の中で一番、人畜無害だし。何よりも…」
「枯れてそうだからね」
何が枯れているんだ!
おかしそうに僕のほうを見るリリカを睨んだ。
けれどそれも一瞬で彼女はすぐに真剣な顔で言葉を続けた。
「でもねこれ、実際重要な話なの」
「きっかけはね、姉さんが私に尋ねてきたのよ。『ハッピーな音ってどういうものなの』ってね」
「ハッピーな音?」
あまり聞きなれない言葉に鸚鵡返しをした。
「私達が揃って演奏をするときはそれぞれ役割があるのは知ってるわね」
「ルナ姉が低音、メル姉が高音、そして私がそれらを音楽になるように纏める」
「今まではそれでうまく言っていたけど、パターンが決まってしまってね…このままだとレパートリーが増えないのよ」
「プリズムリバーが飛躍するためには次のステップを踏む必要があるの。そこでルナ姉が率先してチャレンジすることになったわけ。ルナ姉にとっての未知の領域にね」
「それがハッピーな音かい」
二人は頷いた。
どうやら彼女たちは自分たちの領域を広げようとしているらしい。そしてハッピーな音と言うのは、どうやらメルランが担当する部分のことだろう。
その音が僕との恋人とはどうやって繋がるのだろうか。
「続けてくれるかい。それで、僕にどう関係あるのか」
「ええ。それで姉さんにそれを教えようとするんだけど、上手く伝わらないのよ」
「私達はそれぞれの役割についてはエキスパートなの。だから言葉だけでは上手く伝えられない感覚って言うのがあるんだ」
「その感覚に相応しいような体験をしないと音は生まれないの」
「ふむ、つまり君たちの音楽って言うのは自身が体験した感覚なり経験の塊ってことかい?」
「そうそう。店主、飲み込みが早いね。で、もっと言えば音楽って言うのは一つのストーリーなんだ。決して音はばらばらじゃない。それ一つで完成なんだよ」
彼女たちは熱心に自分たちの音楽について話す。
感覚や経験が音を生み出し、その音が集合すると音楽か。なるほど、ストーリーというのは的を射てる例えだ。
僕も彼女たちの言うことには同意できる。
何気なしに口笛を吹くとそのときの気分で音が変るもんだ。
気分はつまり体験によって生まれたものだ。
僕なら気分も音の要素に加えよう。
そうすると、ハッピーな音を生むためにはハッピーな体験が必要ということか。
なるほど、それが恋愛体験か。
「そうか。それで君たちの依頼がよく分かった」
「あ、分かってくれた!? 流石、店主。頭の回転が速い。じゃあもちろん話に乗ってくれるよね?」
「それはお断りだ」
えぇぇえええええ!?っと大声で驚くリリカ。何で?という目をしながらカウンターに伸し掛かると、メルランも僕の顔を覗いてくる。
さっきまで楽しそうに自分たちの音楽の哲学を話していただけにメルランの顔が180度変ったことに僕は困った。
「どうしてか話してくださらない?」
「どうしたもこうしたも、僕は面倒ごとが嫌いなんだ」
「でも、店主は私達の音楽に納得してくれたじゃない」
「それとこれとは別だよ。僕は香霖堂の店主、ボランティアをしているわけじゃないよ」
そこまで言って僕はルナサが妹たちの方に近づいてきたことに気づいた。
「なら、対価があればいいのね…」
「……ああ、そういうことになるね」
ルナサはじっと僕の顔を見る。いや、目を見ている。
彼女はゆっくりと言葉を続けた。
「貴方はヴァイオリンは好きかしら?」
「好きだよ。その静かな音色は僕の心に安寧をもたらしてくれるからね」
「じゃあ、貴方の望むときに演奏するというのはどうかしら?」
「ふむ……」
僕は考えた。
プリズムリバーはコンサートを開く際、ほとんどが三人での演奏をするが、偶にソロで演奏をすることもある。
メルランやリリカは音楽の性質上、よく単独で演奏させられることが多い。
しかし、ルナサは別であった。
彼女の奏でる音楽は『寂』と『哀』が詰まった『静』の属性だ。
幻想郷の住人は比較的明るい音楽を好む傾向にある。そのためにルナサにソロ演奏の依頼が舞い込むことは無に等しいらしい。
しかし、僕は別だ。むしろ言葉にも出したようにルナサの音楽が好きだ。
だから、彼女の提案は魅力に感じた。
それに彼女の目を見ると引き込まれるようなものがある。
面倒をとるか、対価を取るか。
結局、
「……良いだろう。その対価で君の依頼は受けさせてもらうよ」
「ありがとう。貴方に喜んでもらえるような演奏をするわ」
「違うよルナ姉。目的はハッピーな音を体験するんでしょ」
「言葉を変えた方がいいわ、姉さん」
妹たちがルナサの腕に抱きつく。
ルナサは困ったような照れた表情でいた。
その日から二日たった。
ルナサは毎日僕の所に通うようになった。
朝やって来ては甲斐甲斐しくここの掃除を手伝ってくれる。向こうから「手伝おうか?」と言われたときには年甲斐もなく感動したな。
そうして終えるとあとはお客が来るのを待つのだがいかんせんそれが問題であった。
前にも話したがうちはお客がこないことで有名だ。
ひどい時だと一週間誰とも会わないなんてこともある。僕はその生活に慣れていたのだが彼女はそれが不思議に思っているようだ。
「貴方はよく生活が出来てるわね」
言葉が返せなかった。
まあ、実際苦しいといえば苦しい。
しかし、生活が苦しいのが問題ではない。一番の問題は会話であった。
ルナサは言いたい事は言うタイプだが言葉にふくらみがないように思う。
分かりやすいといえばそうなのだが、面白みがないとも言える。
まあ、僕も決して面白い会話が出来る部類に入るわけではないがこれをどうにかしないといけないと思う。
というのも、ルナサは決まって6時ごろに自宅へ帰る。そして帰った彼女と行き違うようにメルラン達が様子を聞きに来るのだ(二人ではなく交代で一人ずつ来る)。
彼女たちも会話に懸念していた。
「もっと楽しいお話は出来ないかしら。でないと姉さんがハッピーな音を感じることが出来ないのよ」
そう言われても僕は困ってしまった。
やはりこの依頼は厄介だった。
それでもやはり楽しみはある。
毎日彼女のソロコンサートを僕が独り占めに出来ていることだ。
やはり彼女の音楽は気持ちがいい。激しさと緩やかさがテンポよく刻まれ、鳥肌が立つこともあった。
そして毎日感想を聞かれる。月並みかもしれないが素晴らしいの一言に尽きていた。
「ありがとう。私のソロにそんなことを言ってくれるのは妹たちを除いて貴方くらいだわ」
ルナサは静かな声でしかし、はっきりと嬉しそうに言っていた。出来ればこっち向いていって欲しいのだが……
昨日で二回の演奏をしてもらった。
今日が三日目、どうなるのだろうか。
「おはよう、霖之助」
「おはよう、ルナサ」
午前9時、彼女がいつもどおりにやってきた。
季節は秋ということもあり、彼女がドアを開けると一緒に落ち葉まで入ってくる。
早速掃除をしようと店に立てかけてあるほうきに手を伸ばした。
ルナサははたきをとり商品の掃除を始める。本来僕がやった方が良いのかもしれないが彼女はそれらを丁寧に扱ってくれるので、安心して任せることが出来た。
一時間もしないうちに掃除を終えると、問題が始まる。そう、いつもの待ち時間だ。
彼女といると退屈ではないが気に掛かってしまう。
なので、今回はあらかじめ対策を練っていた。
「ルナサ、ちょっと来てくれ」
「うん? どうした?」
僕は居間においてある本の山を見せた。
彼女はそれをしげしげと見ているので、僕は説明した。
「これは音楽に関するものなんだ。君なら喜ぶだろうと思ってね」
「いっぱいあるわね。どこから持ってきたの?」
「紅魔館からさ。あそこの魔女からは承諾も得ているよ」
へぇと感心しながら一冊を手にするルナサ。
気のせいでなけば、嬉しそうにしているように見える……微妙にだけど。
今回僕の考えたことは会話を弾ませるために彼女の得意とするジャンルを持ってくることであった。
彼女は音楽のエキスパートだ。こういう人物は他人に喋りたがりな気色がある。僕が良い例だ。
これらを通せば、彼女はきっと会話を弾ませてくれるだろう。
さて、物は試しだ。
「どうだい、気に入ってもらえたかな」
「うん、まぁ……」
む、意外と冷たい反応だ。
「何か変なものでも混じってたかい?」
「いや、そういうわけではないのだが……」
歯切れが悪いルナサの言葉に少し緊張する。失敗かな。
「結構知っていることが多い」
失敗だよ、僕。
図書館の小悪魔さんにエキスパートでも知らなさそうな本が欲しいと言ったのに。
どうやら彼女はそれを上回る知識を持ち合わせていたようだ。
どうやら今日も気まずい雰囲気で終わりそうだ。
そうして後悔し始めていた僕のところに彼女はいそいそと近づいてきた。
「あ、でも……わざわざ私のために気を利かせてくれたのは嬉しいよ」
「えっ?」
「その……もし良かったら私と話をしてくれないか」
なんと!
思わぬ方向に展開が広がり始めた。
僕は思わず、メガネをくいと持ち上げる。
「あ、ああ。もちろんだ。出来れば君の音楽に対する姿勢とか話して欲しい。いや、それだけじゃない知識でも哲学でも何でもいい」
僕は思わず身を乗り出していた。
興奮していたのだ。…決して性的な意味ではない。
「わ、わかった。話すから出来れば離れて欲しい」
「ああ、すまなかった。つい、な…」
「……うん」
初めて彼女と世間話が出来た。話を膨らませるため、彼女のために動いたのが報われたような気がした。
これが嬉しくてたまらなかった。
周りから見たら、当たり前のことで、ちっぽけなことかもしれない。
しかし、僕にとっては演技をふんだんに盛り込んだ劇なんかよりよっぽど感動した。
「……ということをしたよ」
「なるほどね~。道理で姉さんの顔が嬉しそうなわけだ」
「見たのかい?」
「入り口でね。もっとも私は隠れてたから気づかなかったでしょうけどね」
メルランはころころと笑いながら話していた。
今日あったことを報告すると、思い出してしまった。
ルナサとは何時間も音楽について話した。というより聞いていたというほうが正しい。
僕は素人が毛を生やした程度の知識しか知らなかったので、自然ともちネタがなくなっていった。
にもかかわらず彼女は決して話を終わらそうとしなかった。
よっぽど興に乗ったのだろう。終いには饒舌に話したことに彼女は何度も謝った。
その姿を思い出して思わず笑ってしまった。
「あら~、店主。思い出し笑いはスケベの素質よ」
「失敬な」
「ふふふ。まあ、そう怒らないで。それより、今日はそこそこいい感じで終わったみたいね」
「そこそこなのかい?」
「ええ。昨日までのに比べるといい感じだけど、まだ足りないわ」
まあ、そうだろう。
昨日までの僕たちを思い出すと恥ずかしいな。
「ねえ、店主。もしかして、これをずっと繰り返すわけではないよね?」
「しないよ。ただ、次はどうすればいいのか困ってるんだよ」
「ふふふ、いい傾向よ。大いに悩みなさい。悩んだ分だけ姉さんの体験が大きくなるんだから」
「姉思いだね、君は」
ため息を吐きながら天を仰ぐ。
時間は夜近くということもあり、店内は薄暗く天井の板目も見えなくなっていた。
そんな僕に笑みを残してメルランはここを出ようとしていた。
「がんばってね、店主」
四日目
天気はあいにくの雨模様。
秋は雨が意外にも多い。崩れやすい天候と気温の低下で梅雨よりも冷たい雨が降り注ぐ。
そんな悪天候の中を彼女は気にすることなくやってきた。
「おはよう、ルナサ」
「…おはよう、霖之助。今日は冷え込んでいる」
「ああ、そう思って温かいお茶を用意していたよ」
僕は彼女のために湯飲みにお茶を注ぎ手渡した。
それを一口含むと、彼女の白かった頬が赤く染まっていった。
「……あまりじろじろと見ないで欲しい」
「あ、ああ。悪い」
思わず、近くにおいてあった小説で顔を隠す。
そういえば、ここ最近のごたごたで、あまり真剣にこれに目を通していなかったことを思い出した。
この小説はファンタジー小説といって非現実的なものを取り扱った『外の』世界の小説だ。
僕は幻想郷の外の世界に憧れている。
なぜなら、ここにはないもので溢れているからだ。
例えば、携帯電話なんかがそうだ。どういうメカニズムで働いているのか気になる。分解したくても滅多に手にはいらないから手をつけてない。故にそのまま置きっぱなしにしてあるのが現状だ。
しかし、書物は駄目だ。
まったくもってでたらめが多い。例えば、この小説。
中身は一人の青年が冒険をして魔物を倒して世界を平和に導くものだ。
しかし、これの駄目なところは剣一本で闘えるはずがないところだ。
幻想郷は妖怪が跋扈する世界。魔物を妖怪として見立てたとしても、一匹倒すだけでも成人男性が十人はかたまり、事前に綿密な作戦と用意をしてから取り組むものだ。
あの霊夢でさえ、妖怪退治をするときは事前に十分な用意をする。
要するに外の世界の住人は何も分かっちゃいない、知識不足なのだ。
だから、こうして幻想入りするのだろう。
「霖之助?」
「うん、ああ……すまない。少し考え事をしていた」
彼女の控えめな声で僕ははっとした。
いけないな、悪いくせが発動したようだ。
「それ、何?」
「これかい? これはね、外の世界の小説さ」
「へぇ、これが」
ルナサに見えるように小説を彼女に近づける。それをまじまじと見ていると、彼女の目が止まった。
「最初からみてもいいかしら」
「ああ、構わないよ」
そう言って僕は読んでいた箇所にしおりを挟み、それを彼女に渡した。
手近にあった、椅子に腰掛け1ページ目から読み始めるルナサ。
寒くならないように僕はひざ掛けを渡す。
ありがとう、と小さな声をあとに僕は台所に向かった。
昼食時間が経っても彼女は手から小説を離さない。
かなりのめり込んでいるようで、僕は声をかけるタイミングを失っていた。
そう言えば、あれだけ書物は駄目だと自答していたのに何故か読むのを止めようとはしない。
そのうえ、今彼女に渡してる小説は二周目である。
すっかり内容を覚えているのに、どうして手を出してしまうのだろう。
「霖之助」
「どうしたんだい?」
不意に彼女から声をかけられた。
「貴方は面白い小説を読んでいるわね」
「面白い……のかい?」
「ええ。気に入ったわ」
「もし宜しければ、教えてくれないかな」
そういうと彼女は立ち上がり、カウンターに座る僕のほうに近づく。
ほのかに良い香がする。幽霊でも香りはするのだなと思った。
「そうね、一番のポイントはこの青年の行動かな。彼は一人で冒険に出かけては、困っている人を助ける。それが最終的には平和に繋がっている」
「それで? 僕はこの話はあまりにも非現実的におもうよ。君はどうだい?」
「確かに。でもね、彼は一人で動くことを決めたのよ。彼の行動に誰からも賛同されず、孤独に。けれど確固たる信念を持って冒険に出てるわ。その証拠に自分への葛藤の場面がない。彼は勇気があったからだと私は思う」
言葉を一旦切りまた話し始める。
「私はそんな彼に憧れる。私にはないものを彼が持っているからだ。だから面白い」
ルナサが僕のほうに目を向ける。
すると、彼女の言わんとしたことが自然と読み取れた。
彼女の性格ないし、音楽性によるソロコンサートへの躊躇い。
静の気持ちが強い彼女。一人で活動して相手に受け入れてもらうのが難しい。
そのために行動が出来ずにいる。
僕の個人的な意見だが、彼女は一人でも動いてみたいのだと思う。
彼女は演奏家だ。思わないというほうが異常だ。
けど、オーディエンスがあって初めて音楽は成り立つ。
いつか、リリカたちが言っていた。『音楽は演奏家の体験の集合体』だと。
そのオーディエンスが拒否をすれば、演奏は意味がない。
ルナサには勇気がない。故にこの小説の青年に憧れるのだろう。
でも、僕はそう思わない。
「ルナサ。それは違うよ」
「えっ……?」
「君はこの青年そのものだよ。考えてもごらん。君はプリズムリバーがより高みを目指すために率先して行動したじゃないか。しかも、自分で言うのもなんだが、この唐変木のところにやってきた。それは勇気があったからじゃないのか」
ルナサの目が少し変化した。よく見ないと分からないほどだが。
「君は自分が思ってるより勇気がある演奏家だよ。それは覚えていた方が良い」
「……うん。よく、分かった」
こくりと小さく頷く彼女。
とは言え、なかなか自分でもくさいこと言ったなと思った。お陰で顔が赤くなっているのが鏡を見なくても分かる。
彼女に見られないように、僕は気を利かしたふりをして遅めの昼食の用意に取り掛かった。
「ルナ姉、嬉しそうだったね」
「そうかもね」
今日の当番であるリリカがやってきた。彼女もメルランと同様に影から様子を伺っていたのだろう。
「雨の中、今日はどうやって過ごしたの?」
「そうだね、僕の持っているお勧めの本を見せていたよ。気に入ってもらったらしく、何冊か持っていたよ」
「ああ、あのカバンの中身、それだったんだ。おかしいと思ったんだ。朝、手ぶらで行ったのにカバン抱えていたからね」
リリカはほうほうと頷きながら僕の用意したお茶を飲んでいる。
ルナサは結局、約束の6時までには色々手をつけていたが、読み終えれなかったので何冊か自宅で読むことにしたのだ。
僕はカウンターにおいてある、件の小説を手にする。栞を挟んだページを開き目を通す。
そこには青年が洞窟に住む魔牛に挑んでいる挿絵が見えた。
僕は外の本は駄目だと思うが嫌いではない。なぜなら、外の情報が手に入るからだ。
この小説は陳腐だ。だが、何故かこの青年が格好良く見えた。
自分で行動する勇気を持つ青年。ルナサに言われて初めて自分がこの小説を読むのか分かったような気がした。
明日からまた彼女のために何かしなくては。
そんなことを考えている僕をよそにリリカは急須から勝手に自分の分だけにお茶を注いでいた。
五日目
昨日とは違いすっかり晴れていた。
しかし、地面はぬかるんでいる。寒いから乾くのが遅いのだろう。
朝食を早めに済ませた僕はいつもどおりルナサを待っているのだが、何故かやって来ない。
時間に正確な彼女には珍しいと思いながら、僕は手を余していたので仕方なく布団を干しに掛かる。
洗濯ものも結構溜まっていたので脱衣所から衣類とタライや石鹸、洗濯板を持ち出して外に出ようとした。
すると、タイミングよく店の戸が開いた。内側に開くようになっていたのでもう少しで僕に当たりそうだった。
「おはよう、ルナサ」
「………うん…」
おや、いつもと様子が違うな。
僕は一度、洗濯一式の入ったタライを床に置いた。
「霖之助。私は気分が悪い」
「ふむ、そのようだな。ちょっと待ってなさい」
僕はそう言って台所に向かった。いつものようにお茶を用意するためだ。
「妹たちとケンカをしたって?」
「うん……」
僕の言葉に彼女はこくりと頷く。湯飲みを持ったまま顔を俯かせているので表情が読み取れない。
いつもどおりの抑揚のない声のトーンが一段下がっていたように聞こえた。
何日か過ごしているうちに彼女の様子が声で分かるようになった。
「原因は?」
「朝食」
「ふむ、朝食ねぇ……続けて」
「……今朝、朝食の用意をしていた。私の担当だから。でもその日は少し寝坊してて、ちゃんと用意できなかったの。前の晩にリリカがリクエストしていたオムレツを用意するのを忘れてたわ」
「それで、リリカが怒ったのかい?」
ふるふると首を横に振るルナサ。どうやら違ったらしい。
「そのあとがいけなかったの。リリカは『しっかりしてよね』と言ったの。怒った風にではなくてね」
「…………」
「それは分かってたんだけど、ついその言葉に反応しちゃってね。私のほうから癇癪してしまったの。『どうして私だけがしなくちゃいけないのよ!!!』ってね」
ルナサは顔を上げた。
「いつもどおりの日常。なのに、何故か今日は違った。どうしてかな?」
僕は言葉を出さずじっと彼女の顔を見ていた。
そこで、疑問に思ったことを口にした。
「さっき、朝食は君の担当だって言ったけど。役割は決まっているのかい?」
「ええ。昔から基本的に食事と洗濯は私の担当よ」
「三食ともかい? じゃあ、他の二人は?」
「妹たちは掃除担当、私も加わるけど。あの娘たちは家事が出来ないのよね。ついでに言えば、今だってその役割は変わってないわ」
「ということは、君は帰ってから掃除なり洗濯なり夕食を作るって言うのか!」
これには驚いた。
てっきり、ルナサが抜けてる間は他の二人がやっているもんだと思っていたのだがそうではなかったようだ。
なるほど、彼女が癇癪を起こすのも無理はない。なぜなら彼女は家での自由な時間がないからだ。
そう考えるとあの二人が悪いことになるのだが、しかし、気になることがある。
ルナサが落ち込んでいることだ。
確かに癇癪を起こしたのは彼女だが、その原因を起こしたのは間違いなくあの二人だ。
だから二人が悪いんだといえば、それで終わりだがそれではルナサが納得しない。
彼女は妹たちに優しい。故に二人が悪いということを決め付けれない。それが結果的に自分に負担が回ってこようと気にしないのが彼女の性格だ。しかし、仮に今回の件は仲直りできたとしても、またこのような状況がおきかねない。
と言う事は、この場合、二人が悪いということを教えつつ、ルナサが納得できる方向に導けるような言葉が必要だ。
これはかなりの難易度だ。
僕は一度お茶を口に含みメガネのガラスを拭いてからルナサのほうに向いた。
「ルナサ、僕が言う言葉をよく聞いて欲しい。君は癇癪を起こしたことでケンカが始まったように言ったが、それは間違いだ。原因はもっと前からある。メルランたちがもっと君の手伝いをすべきだったんだ。なのに、それをせず君に押し付けていた。だから、今回の件はあの二人も悪い」
「まって! 悪いのは私よ。だって、この担当は昔から変わっていない。だか……」
「ストップ。ルナサ、出来れば言葉は挟まないで欲しい」
「……わかった」
「ありがとう。えっと、それでだ。確かに君の言う通りに昔からそうだったのだろう。そう、早く気づくべきだったんだ。これは無茶だって言うことを。それをいわなかった君もまた悪い。違うかい?」
僕は彼女に促した。
すると、彼女は反論した。
「違うわ。だって今までそれが上手く成立していた。だから、無茶ではない。貴方の言うことは間違っている」
「しかし、今日は違った。今までが上手くいっていただけで、歪が今日起きたんだ。起こるべくしてね。だから無茶だったんだよ」
「違う! そうじゃない、今までと最近では勝手が違う。9時から夕方6時までは私はここにいる。習慣が異なってきたんだ!」
「そう。違うんだよ、ルナサ。君たちは前もって計画を立てておくべきだったんだ。君がここにいる間、二人はどうすべきかってことを」
僕の言葉を聞いて彼女は言葉をなくした。
反論したくても出来ない事実。
そう、三人はもっと話し合いをすべきだったんだ。それはこの一週間のことだけでもいい、これからずっとのことでもいい。
三人はそれを放置していた。即ち、
「今回の件は三人が悪いんだよ」
僕はこのように言う事しか出来なかった。
二人が悪いと言うのは彼女が納得しにくいし、かといってルナサだけが悪いだけでもない。
とは言え、少し熱くなりすぎただろうか。上手く、僕なりに考えて導いたつもりなんだけどどうだろうか。
「……霖之助。貴方の言っていることは正しい。だから反論できない」
「…………」
「だから、教えて欲しい。私はどうすればいいのか」
「謝ればいいさ。ただ、それだけでは駄目だ。これからのことについて、進展しにくくなる。だから、話し合いをしたらいいと思うよ」
「話し合いか?」
「ああ。相手が何を思っているかを知るには直接対話をするのが一番だ。現に僕たちの言い合いで分かっただろう、僕がどういう人物か」
「ええ、そうね。意外と相手を思う気遣いが高くて熱心なのね。そんなに情熱が溢れているなんて知らなかったわ」
ルナサがクスリと笑いながら僕のほうを見る。
面等向かって言われると照れくさいので、つい視線を逸らしてしまう。というか、分かったのなら口に出さないで貰いたい。
視線をまだ感じたのでちらりと目を向ける。ルナサはじっと僕のほうを見ながら、心を覗き込むように尋ねた。
「ねえ、どうして貴方はそんなに気を使ってくれるの?」
「それは……」
決まっているよ。ルナサを見ていると人事のように思えない。
なぜなら、
「僕にも、『妹分』がいるからね。あの娘とは年はだいぶ離れているけど、君と同じように綺麗な金髪の持ち主だよ。大変だよな、年長者としては」
僕は微笑みながらお茶をゆっくりと嚥下する。
それはすっかり冷えていて渋味を強く感じた。
「えっと……どうだったかしら?」
「大変だったよ」
メルランはいつもと違い遠慮がちに聞いてきた。
ルナサの様子が気になるのだが原因が自分たちにもあることをよく分かっているからそういう行動に出るのだろう。
僕は一度お茶を含み、言葉を紡いだ。
「これで分かったんじゃないかな。君たちがどれだけルナサに依存していたか」
「ええ、よ~く分かったわ。あれから、私とリリカで話し合ってね、これから順番に姉さんの食事の手伝いをすることに決めたわ。後々、一人でも出来るようにね」
「それがいい」
これで少しはルナサの負担が減ってくれればと思うと、少しほっとした。
不思議な気分だ。僕が他人を気遣うなんてね。
気遣いついでに一つ質問をメルランにぶつけた。
「メルラン、聞きたいことがあるんだが、ルナサの様子はどうだい?」
「様子? そうね、いい方向に進んでると思うわ。今日は今朝のあれでちょっと沈んだけど、上手く上昇したように見えるわ。そのうち、自分なりのハッピーな音に気づけるんじゃないかしら」
「そうかい、それならよかった」
「貴方の協力のお陰よ。ありがとう、店主」
深々とお辞儀するメルラン。僕はどういたしましてといいながら、こそばゆく感じていた。
けれど、何故か心がきゅっと窄まるような感じがした。
お礼を言われたのに、どうしてか…
そんな風にしている僕にメルランは一瞬寂びそうな顔を覗かせた。
「うん? どうした?」
僕は彼女に尋ねた。するとすぐに彼女はいつものような底抜けの明るい笑顔に変わった。
「いえ、別に…ただ、楽しそうだなって思ったのよ、今の生活が」
「そうかもね、意外と気に入って言うのが不思議に思えるよ」
「ルナサ姉さんと一緒にいられてかしら」
「だね」
僕はそう言ってメガネをクイと持ち上げた。
一方のメルランは口を閉じてしまった。顔だけは笑みを浮かべている。
僕はその笑みの意味を知らないまま、彼女と別れた。
六日目
昨日、結局ルナサに洗濯を手伝ってもらった。僕は朝になって干されていたそれらを中に取り込んでいた。
一日中干していたにもかかわらず幸い、夜露とかで濡れることはなかったので安心してたたむことが出来る。
慣れたものだと実感しながら、僕はそれらをタンスにしまっていた。
そうこうしてるうちに9時になる。
ルナサがやって来た。
「おはよう、霖之助」
「おはよう、ルナサ。適当に座って待っててくれ。すぐにお茶の用意をしよう」
「ありがとう」
『いつも通りの日常』を楽しむ僕。気がつけば鼻歌をしていた。
熱湯より少し低い温度でお茶を入れるのが僕のやり方。こうすることで飲みやすくなるからだ。
それをルナサも気に入ってもらったようだ。
おいしい、その一言が用意した甲斐があると実感する。
「それで、昨日はどうなったんだい?」
「ああ、そうだった。実は、あれから妹たちと話し合ったんだ」
ルナサは思い出したように僕に話しかけてくる。
どうやら、仲直りは出来たみたいで、何よりだった。
それから、メルランが昨日話していたように食事は交代で手伝いをすることになったようだ。それが嬉しいのかルナサは手振り身振りで表現している。
それがいつもの彼女のじゃないように思えて、思わずクスリと笑ってしまった。
ルナサはそれを見て、顔を真っ赤にしながらドンと僕の胸を叩く。叩く彼女の握りこぶしは少女のように小さい。
そんなことをする彼女に僕は改めて安堵した。というのも余計なおせっかいだったかなと思ったからだ。けど、彼女の真っ赤な顔を見てそうではなかったと実感できた。
「まぁ、その……霖之助。ありがとう………」
顔も合わせられない彼女がほほえましく思えた。
一息つき暫く談笑してから店の中の掃除に取り掛かった。
ルナサは道具を僕は床や玄関を担当する。それは変わることはなかった。
ぱたぱたとはたきをふる音を背後に僕は外に出る。
玄関の周りの落ち葉を一箇所に固めながら掃く。
すると不意に僕の周りに影が差し込んだ。雲が動いたのかと上を見ると見慣れた人物がこちらに近づいていた。
「おーっす、香霖。元気してたか?」
「おはよう、霖之助さん。いい天気ね」
ゆっくりと降下してくる二人の少女。箒にまたがり活発な挨拶をかけてくるは霧雨 魔理沙。その彼女の隣に来るように降下してくるはおしとやかな印象を受けるアリス=マーガトロイド。二人とも僕と同じ魔法の森に住む住人だ。
「おはよう、ふたりとも。今日は何用かな?」
「偶には顔を出してやらないとな。干からびてたら可哀想だしな」
「それを名目に今日はクッキーを持ってきてあげたのよ。もちろん魔理沙の手作りでね」
「ばっ!? それは言うなって言ってるだんだぜ。ったく」
「はいはい、ごめんなさい。ああ、もちろんついでに買い物にも来たわ。その点は安心してね」
「ははは、それは何よりだ」
僕としては嬉しいことだ。最近お客の入りが全くなかったので、思わずよしと思う。
魔理沙がぶちぶち言っているのは気になるが、少し冷え込んでいることもあって二人を早く中に入れようと促そうとした。
そのとき、僕は少し嫌な予感がした。
そう言えば、今中には『彼女』がいるのを忘れていた。彼女が普段の客としてなら問題はないが、今はそうではない。やっぱり、不味いかな。
でも二人は、少なくともアリスは折角のお客だし、でも……
そう思案している僕をよそに二人は勝手に入ろうとする。
僕は静止しようと言葉をかける前に、店の入り口が開かれてしまった。
「霖之助? 話し声がするんだけど、お客なの?」
ひょっこりと頭だけ出してこちらを伺うはルナサ。
ご丁寧に三角巾で頭に埃がつかないようにガードしている。
魔理沙にアリス、そしてルナサ。奇しくも金髪っ娘の三人が邂逅したことに運命を感じた。
「あ、魔理沙にアリス。おはよう」
最初に声をかけたのはルナサ。ぺこりと小さく挨拶をした。
「あ、うん……おはよう」
アリスは一瞬呆けながらも挨拶を返す。
そして、魔理沙のほうは、
「なんで、騒霊娘がここにいるんだ! ええ、香霖!」
「く、苦しいよ」
僕の方に突っかかっては、襟をぎゅうと掴む。
訳を話したくてもこれでは話せない。
そんな状況に呆れながらアリスは魔理沙を引き離そうとした。しかし、なんとルナサがアリスよりも先に彼女を制止してくれた。
「やめて。彼苦しがってるわ」
「むう!?」
魔理沙は彼女を睨みながらもゆっくりと僕を解放してくれた。
まるで万力のように締め付けられた僕の首にはうっすらと赤い締め跡が浮かんでいた。
魔理沙の意外な力強さに僕はぞっとしながら、咳き込んでいた。
「はいはい、魔理沙。落ち着きなさい。どういうわけか話してもらうためにも一旦、お店の中に入りましょ」
「うううぅぅ………分かった」
アリスに諭されるように魔理沙は彼女と一緒に入っていった。
どうやら、これから修羅場が来るようだなと思いながら、僕はルナサの行動に感謝を言って二人に続いた。
ルナサが僕の服を掴んだことに気づかずに。
「さあ、話せ、今話せ、すぐ話せ!」
「分かってるよ。そんなに急かさないでくれ」
魔理沙に促される僕。
居間にあるちゃぶ台を三人が囲むように座っている。ぶすっとした顔が真正面にあるのが少々堪える。そんな彼女をまた呆れるようにため息をつくアリスは僕の右隣に座っている。
僕は観念して話そうとしたがそれをまた、台所から人数分のお茶をお盆に載せた『彼女』が横から掠め取る。
「実は、私達一週間ほど前から『お付き合いしてる』の」
「なに~!?」
ルナサのその言葉に魔理沙は大きく反応した。隣のアリスはやっぱりといわんばかりに納得していた。
そして、僕のほうはと言うと、自分でも言うのも変だがかなり間のぬけた顔で呆けていたように思える。思わずずり落ちてしまったメガネをクイと戻してから彼女の方を見た。
すると、こくりと強く頷く。私に任せろといわんばかりの意図が見えていた。
仕方なく僕は口を挟まずに、彼女が手渡すお茶を貰っていた。
「何で香霖なんかと付き合うことになったんだ?」
「私のほうからお話してね、いつの間にか気があっていたの。そこから付き合いが始まったわ……暫くして、彼の知識の豊富さに驚いたわ。私の知らないことを何でも教えてくれる。そして気遣いがあるの。私の気持ちを汲み取るようにリードしてくれる。後は、何よりも」
「何よりも?」
「熱い人だった。情熱に溢れていると思ったわ」
ぶっと思わず、お茶を噴出しそうになる。何を言っているんだとルナサのほうを見るとしれっとしている。こういうとき、彼女のすまし顔が憎く思えるよ。
僕は大きなため息をつきながら前を向いた。
やっぱりと言うか、魔理沙の目は大きく見開いていた。普通嘘だろうと信じて欲しいよ。
「香霖」
「何だい」
底冷えのするような彼女の声にこれから何が起こるかわかっている僕は投げやりな言葉をかける。どうせ何を言っても通じないことが分かっているからこその対応だ。
「弁明の猶予をやるぜ」
目は口ほどにものを言うとはよく言ったものだ。全然そんな気がないというのが君の目からよく分かるよ。
僕は首を横に振って手を大きく開いた。
それを見てアリスは立ち上がりルナサを立たせて居間から離れる。空気を呼んだアリスの行動に感謝をしつつ出来れば、彼女の行動も止めて欲しかったなと思いながら僕は覚悟をした。
訳が分からないという顔をしながらアリスに引っ張られるルナサを見て僕は言った。
「お昼までには戻るよ。先にお昼を食べていて欲しい」
それを最後に僕は正面に光るまばゆい閃光に包まれながら空を飛んだ。
あれから、僕は体の回復を待ちながら自分の家へと戻った。
家に着くと魔理沙とアリスは帰ったらしく、心配するように覗き込むルナサだけが残っていた。
カウンターを見ると魔理沙の作ったクッキーとアリスのメモが残っている。
どうやら持っていった商品のリストだ。ここには商品に値札をつけてないのでルナサじゃ対応が出来ないから、メモを残していったんだろう。今度来るときにまとめて払うつもりなのが分かってから僕はゆっくりと椅子に座った。
「大丈夫か?」
「まあね。慣れたもんさ」
ルナサが水に濡らしたタオルを持ってくる。僕それで汚れた顔や体を拭いていった。
今日、居間は使えないが規模を見るに一日で直りそうだ。夜に直せば何とかなるだろう。
そう考えている僕のところにルナサが申し訳なさそうな顔で横に座る。
「すまない」
「良いよ。君に任せたんだからね。ただ、もう少し言葉を選んで欲しかったな」
「……分かるように伝えたつもりなんだ。貴方は外の世界について知識がある。それに昨日は私達のために熱心に話してくれたよ。私のことを気遣いながらね」
「………なるほどね」
ルナサは『そう』言う意味で言っていたのか。彼女のあの言い方だと、知らない人が聞いたら違うことを想像しかねない。
……と言う事は、魔理沙はあっちの方向を想像したのか?
つつっと嫌な汗が背中に流れるのを感じた。
「まあ、それは良いとしよう。君はもう少し会話を練習した方が良い」
「? わかった」
腑に落ちないような感じでルナサはこくりと頷いた。
「ああ、ああ。もう一つあるんだけど、どうして『付き合ってる』なんて言ったんだ?」
「……演技とは言え、私達は恋人同士だ。それを自覚するためにそう言った」
「………そうか」
僕は彼女の言葉を聞いて頭を傾げた。彼女の言うことは正しい。
けれど何故かしっくり来ない。まるで、魚の骨がのどに引っかかるような…
僕はそれ以上突っ込むことはしなかった。彼女もそれ以上話すことはなかった。
「店主、大変だね。さっき裏を見たら大きな穴が開いていたよ。どうしたのさ?」
「話すのも億劫だよ。これからのことを考えると余計に気が滅入るよ」
リリカは不思議そうに僕の事を見ていた。
出来れば、今日は早く彼女に帰ってもらいたい。これから裏の修理に掛からないといけないからだ。
「ふーん。ま、何でかは知らないけど、明日の予定考えてるの?」
「うん? ああ、一応ね」
「お、珍しいじゃん。予定を決めてるなんてさ。で、どうするの?」
「おしゃべりな君だ、家に帰ってぽろっと言っては困るからね。内緒だよ」
「えええええ!? ケチ!」
言うに事欠いてケチとは! …まあ、いい。取り合えず今日出来なかったことを僕は明日に回すつもりだ。幸い、『台所』は無事だしね。
文句を言うリリカを早めに追い返して、僕は修理に取り掛かった。
明日のことを考えると目指すは12時終了かな。
七日目
いわゆる最終日だ。
最初は面倒で、大変だったが彼女のために動くのも楽しかったように思える。
けれど、今日はどうも体が辛かった。多分昨日の修理が響いているんだろう。
そう『思い込み』ながら僕は『昼食』の用意をしていた。
その時、異変が起こっていたのは体ではなかったことに僕は気づいてなかった。
定刻通りにやってくるルナサ。
僕は店の前で彼女を待っていた。
ゆっくりと降下してくる彼女に僕は挨拶をする。
「おはよう、ルナサ。今日もいい天気だね」
「おはよう、霖之助。珍しいね、そんなところで待ってるなんて」
「ああ、ちょっと今日は予定があってね。どうだい、一緒に出かけないかい」
「出かける?」
僕の発言に彼女は驚いていた。
無理もない。彼女と過ごし始めてから、いや僕のことを知ってから滅多に外が出たことがないので、それで驚いているんだろう。
「ああ。本当は昨日の予定だったんだけど、昨日はね……だから、今日はどうかなと思ってさ」
僕は少し言葉を詰まらせながら彼女を誘った。
魔理沙やアリス、霊夢を除けば女性を誘うなんてしたことがない。そして、僕のイメージでもない。
でも、何故か行きたくなった。
そんな僕を彼女はじーっと見ていた。視線が顔からゆっくりと右手に移る。僕の右手に掴んでいるものに気づき彼女は尋ねた。
「それは?」
「お昼の用意。時間掛かるかもしれないからね」
「そう……」
いつもの様な反応。失敗かと思っていたが、そうでもなかった。
「折角お昼まで用意してくれたからね。貴方にお付き合いするわ」
表情は少し固めの笑みだったが、嬉しそうな声を出してくれている。
僕は安堵しながら、彼女と森の中を歩いていった。
森を抜け、特に舗装もされていない道を歩く僕たち。
彼女は飛べるのに何も文句を言わずについてくる。
目的地も話していないのに彼女は聞かないでいる。お互いがこの無音を楽しんでいるのが共感できた。
初めの頃はこんなのではなかったのにと今思う。
変わったのだ。ルナサだけじゃなく、僕も。
その変化が彼女の目標にたどり着くことが出来るか不安はあるが、何故かそこまで心配はしていない。
一言も喋らずについた先はどこにでもある草原。
ゆるやかな傾斜になっているので、丘の上といってもいい。
そして、その傾斜を見下ろすと草原が広がり、さらに奥には霧の湖がある。また湖の向こうには悪魔の館で有名な紅魔館が小さく見える。周りは草原の緑と紅葉と紅魔館の赤、そして空とそれを反映させた湖の青の世界。それらがお互いを引き立たせるように調和しているように思える。
「ここは僕のお気に入りの場所なんだ。時々、暇を見てはここに足を運んでいるんだよ」
「良い場所ね…こんな場所があるなんて知らなかったわ」
そよぐ風に綺麗な金髪をなびかせながらルナサはほうと息を洩らしていた。
それが色っぽく感じた僕は思わず目を逸らしてしまう。
「あ、えーっと……僕がここに君を案内したのは、ずっと家にいるのも代わり映えがないからね。だから、外に出ようと思ったんだ。本当なら昨日行くつもりだったんだけどね」
僕は喋りながら持ってきたシートを緑の絨毯に敷く。
ルナサも喋りながら手伝ってくれる。
「ああ、昨日は大変だったわね。あれから、部屋の壁はどうしたの?」
「もちろん修理したさ。君が帰った後にね」
「そうなの? 直ったの?」
四隅に適当な石を置きシートが飛ばされないようにしてから、僕たちはその上に座った。
座るときに草とシートがこすれるかさかさという音がなんともむず痒く感じる。
「まあね。お陰でひどい寝不足だよ。全く魔理沙には困ったものだ」
それを聞いてルナサはくすくす笑う。どこに笑うポイントがあったのか僕には分からなかったが。
「ま、それは置いといて。折角だから食べようか」
僕は持っていた麦色のボックスを開き、朝から作っていたサンドイッチを広げる。
僕たちは手を合わせて食べ始めた。
お昼も過ぎ、太陽は緩やかに下降を始める頃。秋にしてはなかなかの温かさとお腹の満足感、そして寝不足も相まって、僕は欠伸をした。
「眠そうね……」
「ああ、少しね」
折角ルナサとここに来たのに寝ては失礼だと思い、目をこすった。
近くに川でもあれば顔でも洗えるが、残念ながらこの辺にはない。
続けてしたくなる欠伸を無理矢理かみ殺しながら、緩やかな傾斜を見ていると、正面にいたルナサが僕の顔を覗いてきた。
「無理することないよ。眠いのでしょ?」
「…………まあね」
僕がそう言うと、彼女は立ち上がって僕の隣に座る。
何をしているのだろうと、その様子を見ていると、
「ほら……」
「…?」
「膝………」
「!」
彼女が指で自分の膝を指す。流石に彼女が何をしているのか分かり、僕は驚いた。
「いや、そこまでしてもらわなくても…」
「私が…その……してあげたぃ…」
彼女のか細くもしっかりとした意思に困る僕。
ただ、このまま過ごすのも彼女に悪いと思い、僕は彼女の膝に頭を乗せた。
「首、大丈夫?」
「ああ」
緊張して何も話せない。
僕は首が固定されたように頭が動かず、前方の景色は先ほどと異なり90度ずれている。
「メガネははずさないの?」
「ああ、これは外したくない」
「どうして? そのままだとフレームが曲がらないかしら」
「大丈夫だよ」
急にメガネについて触れてくるルナサ。
気になるのだろうか首を何度も傾げる。
僕のメガネはなかなかに重要だ。
高価ではないが愛着はある。これをめったに外すことはない。風呂の中でも睡眠中でもつけているくらいだ。
実は、メガネをつけていなくてもしっかりと見えている。そこまで視力は悪くない。なぜなら妖怪の血を半分受け継いでいるからそう簡単に悪くはならないのだ。
一応、断っておくがこれは伊達ではない。
では何故、ずっと掛けているか。
これがあると落ち着くのだ。掛けていると掛けていないでは周りの世界が変わる。僕はこの世界に慣れているせいで、外すのに抵抗感があるのだ。
レンズを通した世界こそが僕のなれている幻想郷なのだ。
なかなかにくだらない理由だが、理由なんてそんなものだろう。
本を読みたくなったから読む。眠くなったから寝る。そこにはそれ以上の理由なんてない。
そういうわけで僕はメガネを外した記憶があまりない。
そこで考えた。もし外してしまったら、僕はどうなるのだろうかと。やっぱり変わらないのかそれとも…
そこまで考えて僕はついに睡魔に勝てなくなる。頭を乗せている彼女の膝はひんやりとしている。やはり霊なだけはあるなと思った。
でも相変らず彼女はいい香をしていた。
眠っている世界に音が聞こえた。
おぼろげだが、聞こえるというのは認識できている。なんとなく曖昧な場所にいる。
睡眠の世界に行くことも出来るし、起きる世界に行くことも出来る、そんな狭間にいるような感じだ。
音は起きる世界から聞こえるようで、そちらの方に耳を傾けていると段々とそちらに引き込まれていた。
「う~ん………」
僕は目をゆっくりと開けた。すると目の前には見慣れた彼女の顔があった。
そしてもう一つ見えるものがある。
ヴァイオリンだ。
ルナサは頭と肩でそれを支え、演奏をしていた。
彼女は僕が目を覚ましたことに気づいた様子もないので、それに耳を傾けていた。
それは聞きなれた音のバイオリン。けれどもその音はいつもと違うように感じた。
彼女を表す様な『静』だけではない、別の感覚も感じられる。
僕はそれにぴんと来た。
おそらく彼女の目標にたどり着いたのだろう。そう感じて僕は安堵した。
どうやら彼女のこの一週間は無駄ではなかったことを意味していたからだ。
『ハッピーな音』――それは一つ一つ意思を持ち、僕を気持ちよくしてくれるような彼女のストーリーだった。
「起きたのか?」
「ああ、ちょっと前にね」
僕は体を起こし、ゆっくりと背を伸ばした。
僕が離れても正座を崩そうとしない、彼女の膝の上には代わりにバイオリンが乗った。
「どう思ったのか聞かせて欲しい」
「君にしては変わった感じだったかな。もちろん悪い意味ではなく、ね」
「くすっ。貴方らしい感想ね」
僕はふんと鼻を鳴らし、クイとメガネをあげた。
「貴方が寝た後にね、何故か無性にヴァイオリンを弾きたくなったの」
「それで?」
「何を演奏したいのではなく、音を出したかった。すると、考えるよりも先に体が、指が動いていた。まるで私じゃない誰かがしているようだった」
「そのときには音は変わっていたのかい?」
「ええ。奏でれば奏でるほど、楽しくなったわ。ああ、これがメルランがいつも感じている感覚なのだと初めて実感できた」
ルナサはケースにヴァイオリンを戻す。
そして、満足した顔で僕の方に振り向いた。
「私にも『ハッピーな音』が出せたわ!」
それは太陽のように明るい笑顔であった。
僕が起きた頃は既に夕日が差し掛かっていた。それが橙から藍へと変わり今、空には黒い天幕が張られている。
来た道を僕たちはまたゆっくりと歩いていた。
会話らしい会話はない。こんな空気は今ではなれていた筈だった。けれど、何故か今は辛い。
僕だけがそうなのかと隣を歩く彼女の顔を見るがよく見えない。
小さなため息をつく。
空には満天の星空が広がっていた。
森の中を抜けると、我が家が見えた。
結局、会話はなくこんな日もあるだろうと思っていると、家の前に誰かが二人立っていた。
メルランとリリカであった。
二人は僕たちに気づき、手を振る。
しかし、いつものような元気がない。明るい性格の二人にしては不思議だなと思った。
「お帰りなさい、姉さん、店主」
「どうだったかな?」
「ああ、やっとルナサは見つけたようだよ」
ルナサが答える前に僕が答えた。僕の言葉に彼女たちは明るい顔になったがそれも一瞬だった。
やはり、違和感を感じる。まだ、会って五分もたってないのに妙な感じが繰り返される。
「姉さん……」
寂びしそうな声で姉に声を掛けるメルラン。ぎゅっと拳を胸の前で握っている。まるで何かを絞り出すような声だった。
その声にルナサは小さく頷き、二人の方に歩き出した。
僕はごくりとつばを飲む。嫌な感じだ。緊張というべきか。
そんな僕に彼女は言葉を紡ぐ。それは会って間もない頃のような他人行儀な話だった。
「霖之助。一週間も私達、プリズムリバーのお願いを聞いてくれてありがとう。お陰で私は良い体験が出来たし、音も見つけることが出来た。貴方には感謝してもしきれない」
「ルナサ、何を言っているんだ?」
本当に分からなかった。
丘にいた頃とは雰囲気が違う。顔は俯いててやはりよく見えない。
けれど、彼女に喋らせてはいけない。その思いがあった。
「貴方は知識があって気遣いがあって、熱心な人。そしてハッピーな音をくれた素敵な人」
「待て。ちょっと待って欲しい」
駄目だ、喋らせてはいけない。聞いてはいけない。
何も起こって欲しくない。僕は彼女の言葉を遮ろうとするが、『待て』の言葉しか思いつかない。
そんな僕を置いていくように、彼女の小さな唇がゆっくりと動いてしまった。
「今日が約束の最終日。お互い、恋人としての演技を終わりにしましょう」
それを聞いて僕は、思い出した。
そうだった、この一週間は全て彼女のための演目だった。
本を借りてきたのも、小説を見せたのも、彼女の相談に乗ったことも、今日、彼女と出かけたのも、そして、丘の上のコンサートも全て演技だった。
僕はそれを意識していた。『いつかは終わる』面倒ごとだと。それが『いつか終わってしまう』貴重な日々に変わっていた。意識していたのに心変わりしていた。忘れていたわけではいなかったのに。
もう少し演目が続いてくれたら……
静寂が辺りを包む。無風なのか木の葉のすれるような音もしない。
ルナサは僕に告げた。何を思ってそのように告げたか分からない。
だから、せめて僕の今の気持ちが彼女に伝わるように僕は言葉を返した。
「……そうだったね。これは演目だったよ。僕としたことがすっかり忘れていた」
「霖之助」
彼女が僕の名前を呟く。ぎゅっと唇をかみ締め、また言葉を紡いでくれた。
「私は、本当に私は感謝している。それだけは覚えていて欲しい」
僕のほうをじっと見るルナサ。やっと見えた彼女の目は音を見つけたときの正反対をしていた。
僕は彼女の気持ちを受け取った。
そして、これ以上彼女の顔を見たくなくて、
「分かっているよ。また何かあると来るといい」
ぶっきらぼうに言った。
僕の顔も見せたくなくて……
店に戻ると、静けさが耳に痛かった。
夜の暗さと秋夜の冷たさも相まって僕は唯々ため息をついた。
カウンターにある椅子。
僕はこれに腰掛けてカウンターに突っ伏した。
あれから、僕たちはさよならの挨拶もすることなく別れた。
ルナサは最後まで僕の方に振り向くことなく妹たちを連れて、自分たちの家へと戻っていった。
僕は見えなくなるまで見送り、家の中へと入った。
この一週間、ルナサに逢うために僕は違う僕を演じていた。自発的にか、無意識にかそれを思い出したくはない。
彼女に音を見つけてもらいたくて、いつの間にか求められる姿をだけを演じていた。
似合わないことをしてみたりもした。周りはこっけいだと思うかもしれないが。
それが結果的には彼女には良かった。
ならば僕はどうだろうか。
そこまで考えてルナサのことを考えてみた。
ルナサは僕の前では演技をしていたのか。それとも、素だったのか。聞いても答えは返ってこない、今では声もとどかない。
どちらなのかと迷っている僕には何も見えていなかったのかもしれないな。
レンズを通した幻想郷。
これがあるから見落としていたのかもしれない。
そう思うと、僕は自然と顔の方に手が動いていた。
メガネは僕のフィルターだったのだろう。
「なんだ、そいうことか。やっぱりとおかしいと思ったんだぜ」
「嘘言わないの。あれから私の家に入ってきてはさめざめと泣いてたくせに」
「はっ! 誰が泣いてたって? それよりもどっかの誰かさんは店にいるときは澄ましていたくせに、家に戻ってくると部屋に引きこもってたよな。なあ、誰かさん」
「どうして私が関係するのよ! ケンカ売ってるの?」
「ああ、売ってるさ! ネクラ向けの専売でな」
魔理沙とアリスがいつものようにやって来ては何故か僕の家でケンカをはじめようとする。
このままでは、また家が壊されかねんと僕はとめに入った。
「その辺でよしてくれ。家が壊れる」
「止めるな、香霖。今日こそはこいつをぎゃふんといわせてやるぜ」
「止めないで霖之助さん。私にはかなわないってこと体に教えるんだから」
「ふぅ。全く二人は子供だな」
そう言って僕は二人の頭に手を乗せる。彼女たちの髪を崩さないように静かに撫でると、二人はぴたりと口が止まった。
そして、体を弛緩させ、いつの間にか立っていた二人は元の場所に腰掛けた。
これで落ち着くのであれば、まだまだ二人も子供だなと思った。
「落ち着いてくれたようで何よりだ」
僕もカウンターの奥にある椅子に腰掛ける。
あれから僕はいつものような日常を送っていた。
朝起きては掃除をし、客が来るまでは本に勤しむ毎日。そして、今日みたいに客じゃない彼女たちがやってくる、これもまた日常だ。
のめり込んでいた一週間を僕は不思議と引きずることはなかった。
「……霖之助さん……何か雰囲気が変わった?」
アリスが僕のほうを見て話す。
「いや? 僕の方はいつもどうりのつもりだけど」
僕の方も目を見て話す。
おそらく彼女といる生活を僕じゃない僕が送っていたようなもんだから、アリスには元通りの生活を送る今の僕が変に見えるのだろう。まあ、それも今のうちであって、おいおい慣れるだろうなと一人で結論づけた。
「いや、私もそう思うぜ」
魔理沙もアリスに同意するように呟く。
まあ、慣れてもらうまでの我慢だと思い、
「ふむ。そうかね…」
そう、曖昧に返しておいた。
昼も過ぎ時刻は3時。
おやつ時ということもあり僕は台所の戸棚から、どらやきを持ってきた。もちろん彼女たちの分も忘れずに。
「おお、どらやきか~」
「おいしそうね。いただきます」
「どうぞ」
三人でそれにパクつく。茶色の生地に挟まれた粒餡が舌を楽しませる。
用意していたお茶とセットに楽しいひと時を過ごしていた。
すると玄関の方でパサリと何かが落ちる音がした。
二人もそれに気づいたらしくそっちの方に振り向く。そして僕の方に目を向けた。
ため息をつき、どらやきを皿の上に戻してから立ちあがった。
玄関を開けると新聞が落ちていた。
「ああ、文々。新聞か」
それは僕の知り合いから購入しているものであった。
にしては不思議であった。いつもなら店の中に入って手渡しで持ってくるのに。
まあ、急いで配っているのだろうと結論付けて中に入った。
「何があったんだ、香霖?」
「これだよ」
そう言って僕は彼女に新聞を渡した。
「なんだ、天狗の新聞かよ」
「どれどれ、私にも見せて」
アリスが魔理沙の隣に座り、一緒に見始めた。さっきまでちょっとした小競り合いだったのに急に態度が変わるもんだからおかしなものだと思った。
彼女たちは新聞に目を通している間、僕はあの小説を読み始めた。もう少しで終わりそうなところまで来ている。魔理沙が見出しのタイトルを口に出しているのをバックサウンドに僕はページをめくっていく。
「『チルノ、大蝦蟇と対決!今シーズンの負け越し決定』、『人里で収穫祭。秋姉妹がゲストに』、『紅魔館で珍事!? ノーレッジ氏の乾布摩擦宣言!』か。どれも在り来たりだな」
「いや、最後のは違うでしょうよ」
アリスは冷静に魔理沙に突っ込みを入れていた。
二人の声に気にせず、ページをめくっているといつの間にか声がなくなっていた。
読み終えたのかとちらりとそちらの方に目を向けるとまだ新聞を開いている。
どうやら口に出す気がなくなっただけかと思い、目を戻した。
するとガサリと新聞をたたむ音がする。そして、僕の方に二人が近づいてきた。
「うん? どうしたんだい?」
何かあったのかと、また彼女たちに目を向けると魔理沙は無言で右手を僕の顔の前に差し出す。
彼女の手には一枚の白い便箋があった。それには手書きで『森近 霖之助様』と書かれていた。
僕はそれを受け取り、開けてみる。
すると中には一枚の手紙があった。
僕はそれを見て顔をほころばせた。
「どうやら、いい手紙だったみたいですね」
アリスが肩を落として優しい声で言う。
「何だよ、まだ続いていたんじゃないかよ」
魔理沙が文句を言いながら呆れ声で話す。
「みたいだね」
それを言うだけで精一杯だった。
どうやら、夕方までには彼女たちを帰さないといけないようだ。
まあ、客ではないんだ。ある程度の失礼は問題ないだろう。
「さて二人には大切なことを告げないといけないことがある」
二人の肩をぽんと叩いたところで魔理沙の強烈な突っ込みを貰ったのは言うまでもない。
手紙には短くこう記されていた。
『今夜、そちらに参ります。私のハッピーな音で楽しんで下さい。
ルナサ=プリズムリバー』
マスカレードはまだ終わらない。
だんだん香霖堂に馴染んで行くルナ姉に心ときめかずにはいられませんでした。
あと脇役ポジションとしてアリスが良かったですね。
特に目立つことはしてないんですが、なぜか彼女の言動は心に残りました。なんでだろ。
で、ノーレッジ氏の乾布摩擦宣言について詳しく。
この組み合わせにここまでの魅力があるとは、自分もこのカプで書いてみたくなりました!
しかして、初SSにしてこんなに面白いだなんて……
しかも初めてとは思えない・・・
ところで最後の手紙って夜這いせんげ(滅
読んでいく内にドンドンのめり込んで、
この後どうなるんだろうとドキドキしながら読ませて頂きました!
もうね、ルナ姉がね、可愛すぎてね、もうね、ヒャッハァ!!←
これからも頑張って下さい!!
ところでノーレッジ氏の乾布摩擦宣言について詳しく(ry
ごちそうさま。
強いていえばこーりんの備蓄などの部分に深い対話描写を書いてほしかったかな。解りやすくするために要約してるのかもしれませんが・・・
あくまで個人的な意見でーす
ルナ霖いいなぁ・・
続編おかわりしたいですです
>K-999氏
氏にそう言ってもらって、アリス出してよかった…
乾布摩擦宣言は現在未定です。すいません…
>10氏
面白い、ありがたいコメントです。
このカップリングはやるといいですよねぇ。
>12氏
滅!?カムバ~~~ック!!!
>奇声を発する程度の能力氏
自分の作品にのめりこんでもらえるとは、うれしいコメントですよ、ホントに…
>俺式氏
ヒャッハァだと!?はっちゃけてますねぇ。
乾布摩擦宣言は本気で未定です。申し訳ない…
>20氏
幸せを提供できてよかったです。
>25氏
お粗末さまです。
もっとコンパクトにできるようにしていきますね。
>28氏
あっれ~…備蓄なんて念頭になかった…
これからは、もう少しつめていく必要ありですね。
>35氏
コメントもらえるって本当にうれしいですね。
ありがとうございます。
>36氏
続編どうしようか迷っています。
というのも、まだキスにいってませんからねぇ。
確かにルナサと霖之助さんの組み合わせは珍しいですが、
逆にそれがとても新鮮で楽しめました。
ご馳走様でした!
鬱ともまた違う彼女の音ってどんなものなんでしょうね。
あとルナ姉膝枕して下さい。ほんとお願いします。
恋が発展いくお話は大好物ですからww
しかしバチュリー・・・真冬の乾布摩擦は本当にきついぞ!
こんな甘甘な作品を、しかも初投稿にして召し上がれるとはっ!
仮面舞踏会……いつか何の体裁も制約もなく、二人仲良く過ごせると良いですね。
……もうとっくに仮面は外れてるかもしれませんがw
何が良いってルナサがかわいい。
他にも霖之助のキャラが良かった。
そしてルナサかわいい。
なんと言ってもルナサかわいい。
最後に、ルナサかわいい。
他にもいくつかありましたよー。
この微妙な距離感が霖之助のイメージとピッタシです。
霖之助さんかわいい
しかしアリスも脈ありなのだろうか
罪作りな男ですな
自分が思っているほど→自分が思っているより
のほうがしっくりくると思います
4日目でした
>淡色氏
気分を良くしてもらえて良かったです。
ほっこりしてもらえて何よりですよ。
>41氏
温かみがある音ですよ。特に情熱が補正されてるんですよ。
>48氏
身悶えてますねぇ。
とは言え、過程が長くなって話が大きくなったのは反省ありかな。
>53氏
霖之助が可愛いといわれるのは意外です。
彼らしくない行動を取り入れたのが良かったのかな。
>54氏
続編は考えてませんねぇ、今のところは。もともとは、これで終わらせるつもりでしたから。ただ、それもまたありかなとは考えてます。
>55氏
二人とも奥手なような気がして、大手を振って過ごせる日は当分先のような…
勝手なイメージですけど。
>57氏
かわいいの連呼、感謝です。
ホントルナサって可愛いですよねぇ。
>幻想氏
修正しました。
指摘してくれてありがとうございます。
>SPII氏
アリスはどうなんでしょうかねぇ。
ご想像にお任せしますというのがしっくりくるでしょうか。
…投げやりっぽいですけど。
>63氏
言われてみれば…なので、修正しました。
素晴らしい作品ありがとうございます。
ところでノーレッジ氏の乾布摩擦について(ry
見てみると意外や意外、なにこれ少しずつ惹かれてく二人あらやだ素敵
ほっこり出来て、良いお話でした。
全体を通してのゆったりとした雰囲気が二人のキャラに合っていて
それも良かったです。
霖之助は割と誰との組み合わせでも万能なキャラだと思いますが、ルナサとの組み合わせは意外でしたね。
この後の二人の関係について色々と妄想が膨らみそうです、良い作品を有難うございました。
>まるで万力のように締め付けられた僕の首にはうっすらと赤い締め跡が浮かんでいた。
自分の首を鏡も見ずに確認できるのは変です。戸外だから鏡を見たとも思えないし
>「さて二人には大切なことを告げないといけないことがある」
「こと」が2つあって変な言い回しになってます
この完成度で初投稿は凄い
でも上手く仕上がっているので問題なしですね。
堪能しました、面白かったです。
ポイントポイントで描写を濃くするともっと伸びると思います。