作品集110番「やらしい二人」の世界観をひきついでいます。
が、早苗さんと静葉さんがなんか仲良し、というだけなので、未読でも恐らく問題はないと思われます。
「腐臭がするんだけど、お姉ちゃん」
「それは穣子の匂いよ」
つい昨日までは、甘ったるくも薄い匂いを漂わせていた妹。
それがなぜか、どこか粘っこさを思わせる、死の香りを纏っている。
私自身、そのグロテスクな儚さを何かに例えようとして、気分が悪くなってきた。
「命名、腐れ穣子……。 そうよ、あなたは未来からやってきた生態兵器に」
「取り憑かれてないから。 外から入ってきた玩具で遊び過ぎだから」
「だってあの子がしつこく勧めてくるんだもの」
「早苗さんと仲良くなって、少しは出歩くようになるかと思ったのに」
「私はアウトドア派よ?」
ただし秋限定の、だけどね。
私のそんな自虐的な思いを知ってか知らずか、妹は深くため息をついた。
幸いにも、まだ口臭はいつもどおりのようだった。
「ところでお姉ちゃん、私が困ってる時くらいその手を止めてほしいんだけど」
「待ってちょうだい、ようやく二十六世紀までノーミスでたどり着けそうなのよ」
何度、そのまがい物の命を散らす快感に溺れたことか。
ようやく、鉄の箱で繰り広げられる戦いを終わらせ、新たな寂しさを味わうことができる。
ああ、やっぱり人間は面白いわ。
こんな終末的なものを作るなんて。
「おいこら葉っぱ」
「穣子、愛してるわよ」
一段と穢れの気配が強くなるのと同時、普段は温和なはずの妹から放たれる言葉に、私は大人しく遊戯を中断するため、機械の電源を落とした。
イガグリの海に沈められたかのような、ありもしない痛覚に対して私は、無力だった。
「どうしようお姉ちゃん」
「そうね……」
先ほどのとてつもない神気のせいか、ころりと表情を変えて目に涙を浮かべる妹に、私は恐怖すら感じていた。
いつの間に、私は妹に追い越されたのだろう。
博麗の巫女が、妖怪の山に押し入って来た時からか。
「現実逃避してないで、真剣に考えてよ?」
「はい」
誰だ。
姉より優れた妹なんていない、などと言ったのは、誰だ。
「なんにせよ、事態は深刻よ……」
私たちが最高の力を振るえる時間は、秋は、もう残り少ない。
師走へと月が変わる前に、この問題を解決しなければ、どうなるか。
「最悪の場合、冬の間はずっと腐れ穣子ね……」
「いいいいやああああ!?」
あの甘い匂いは、妹の誇れる数少ないチャームポイントだったらしい。
姉としては少しホロリと来る程度だけれど、土偶のような顔をして悲鳴を上げている彼女にとっては、死活問題だろう。
神にしろ、妖怪にしろ、自身に自信を抱けなくなれば、どんどん力を失っていき、しまいには、存在自体が消滅してしまう。
力が回復するまでの間に、それが訪れないとも限らない。
「まあ、あなたがいなくなるのもそれはそれで儚くていいかもしれないけど……そんな顔しないでちょうだい」
そんな情けない顔をしちゃって、もう。
「せっかくの家政婦を手放す気なんて毛頭ないから、安心なさいな」
「お、ね、え、ちゃ、ん?」
「素敵な妹を救うために頑張るわ」
そんな良い顔で笑っちゃって、もう。
「と、いうわけなのよ」
「はあ、ところで静葉様、そのお顔はどうされたのですか?」
「キレイな紅葉でしょ? これ、妹が作ったのよ」
私も穣子も、こんなことは初めてなので、とりあえず知恵を貸してもらうために、山の上の神社までやってきた。
開けた土地に舞い込む寒風が頬に染みるが、この子の前で弱みを見せるわけにも行かないので、強がっておくのも忘れない。
少しでもしおらしく見せた日には、きっと私の色々なものが散らされてしまう。
現に、私はこの子に大事な物を奪われてしまっている。
「私のことより、今は穣子よ穣子」
ふむ、と唇に指を当てて早苗は考え出す。
何か思い当たる節があったのか、眉を顰めると、私の匂いを嗅ぎ始めた。
胸元に顔を寄せられると、なんだか妙な気恥かしさがあった。
「腐臭……きちんと入浴はされてますか?」
「いきなり失礼な巫女ね」
私の指に弾かれて、早苗の頭が揺れた。
「あう、痛いですよお」
「そうじゃなきゃ無意味よ」
境内のど真ん中でなにやってる、とか色々な怒りを込めたデコピンなのだから。
「全く……少しばかりたわわに実ってるからって調子に乗ってるわね」
「私は静葉様のお胸が寂しくても全然問題ないですよ!」
「はいはい、わかったから。 わかったからキスしようとしないで」
「あん」
少しは自分を大切にしなさいって、何度言ったらわかるのかしらね。
「それで? 結局妹の異常に何か思い当たる節はあるの?」
「うう、おでこが硬くなっちゃいますよう……穣子様の象徴がなくなってしまうということなのでしょうか」
それでは、妹は最悪の場合の、真っ最中ということになってしまう。
ほとんど冬に近い気温と、何度も頭の中で繰り返された予想に、身震いする。
「……縁起でもないわ」
「私もそうじゃければいいなあ、とは思います」
「ありがと。 あの子の象徴がなくなる、ね……」
頭を撫でてやると、嬉しそうでいて、怒っていそうな、複雑な顔を見られると知ったのはつい最近のことだった。
なんだか犬を手なずけているようだな、などと微笑ましい方向へ目を逸らしたくなるが、どうやら本格的に消滅の危機が迫っているようだ。
「あ、この際お二人も神奈子様を信仰なさってはいかがでしょう!」
見えない尻尾をふりふり、現人神が提案する。
「あなたね、意味がわかって言ってるのかしら?」
「理解はしてますよ」
「へえ」
「信じてらっしゃいませんね」
「いいえ、感心してたのよ」
神が別の神を信仰する。
これは人間や妖怪がただ宗旨替えやら、改宗するのやらとは、わけが違う。
「武神から大悪魔に落とされるのは勘弁してほしいわね」
「拝火教とはマニアックですね」
「インドラが泣いてたって毘沙門天が言ってたのよ。 ともかく、私は変質したくないわよ」
勢力の大きな宗教に取りこまれた神の運命は大概ろくなものではない。
神としての地位をはく奪されて天使にされたり、格下の神にされるだけなら、まだマシな方だ。
ひどければ、神としての性質を変えられてしまう。
簡単に言えば、担当する部分が別になるわけだけれど、その結果、厄介な副作用が起きてしまう。
仕事が変われば、信仰してくれるものも、象徴も変わる。
全く異なる存在になってしまうかもしれない。
「人間じゃなくても、発狂するわよ」
花が咲き、散っていくように、諸行無常というように、変化のないものなどないに等しい。
でも、一時的に変わらないものもあって、それは心の大きな拠り所になる。
変化を好む私にだって、そういった最低限の芯はあるのだ。
「静葉様なら平気そうですけど」
「私は終わるのは好きだけど、ただろくでもないものになるのは大嫌いよ」
もしも本当にこの神社を信仰したならば、私は何になってしまうのか。
諏訪子から力を与えられて、腐葉土の神にでもなったら、私は絶対に舌を噛み切るだろう。
「カブトムシの幼虫の世話なんかしたくないもの。 大体にあなた、私が別モノになってもいいの?」
「えー、私は静葉様が虫食いだらけの神様になっても大好きですよ」
「……」
「大好きですよ?」
「私の負けでいいから二度も言わないで」
参った。
「だって、存在が脆い神様を好きになるって、そういうことですよね」
「私は、穣子が別モノになっても妹だと言いきれる自信は、ないわよ。 早苗ほど、頑固になれる神はいないわ」
「以前に申し上げたじゃないですか。 あなたが逝くなら、私も逝きますって」
なるほど、ね。
どうしようもなく、叫びそうになって赤くなった空を見上げる。
「……一緒に逝ってみる、穣子?」
例年よりも早い終わりは、間もなく空から来襲しようとしていた。
多分、皮肉げになっていたはずの私の表情を見て、早苗はなにもかもわかったかのような、生意気な顔をしていた。
「あう」
もちろんデコピンしておいた。
「ただいま。 と、いうわけでとりあえず一緒に死にましょうか、いえ踊りましょうか」
「何を言い出すの、お姉ちゃん」
太陽が沈んだ頃、自分たちの社に帰って、第一に私がやったのは穣子にただいまを言うこと。
次にやるべきことは、これだ。
「踊りませんか、お嬢さん」
「お姉ちゃんは頭が腐ったの?」
おふざけに対するツッコミにキレはなく、匂いも、一段とひどくなっていた。
「随分弱ってるみたいだからね。 今年も生まれ変わりましょう」
「イヤよ。 腐れまで持ちこしたら、来年の幻想郷は大飢饉になっちゃうのよ」
「そうなったら、一緒に死んであげるから、ほら」
戸が開け放たれたままの入口に、終わりが入り込んできた。
早くしなければもうどうしようもなくなるかもしれないのに、穣子は私がさしのばした手を取ってはくれない。
「……お姉ちゃんいっつも秋になったら紅葉のこと自慢するよね」
「あなたは作物の自慢をしてくれるわね」
「もしかしたら、お姉ちゃんに腐れが移るかもしれないのに、いいの?」
「腐葉土の神になろうと、信仰のあてはあるわよ」
自信満々に強がりを言ってみせても、穣子は私の手を見るだけだ。
やっぱり、あの恥ずかしい台詞を言わなきゃだめなのかしら。
「穣子がね、どうなろうとあなたは私の妹よ」
「どうして、そんなこと」
「言いきれるか? 愚問ね。 私が」
この世に形を得て、お互いに生まれ出でたころからずっと、案外頼りない妹に。
「お姉ちゃんだからよ」
どうあったって、不変である保障がないはずの断言をしてみせた。
「な、なにそれ」
「お姉ちゃんだからよ。 それ以上でもそれ以下でもないわ」
目がうるんでいないか、不安になりながらもう一度、大事なことを言った。
しばらく穣子は唖然としていた。
私は手をさしのばしたままでいた。
そして、すっかり体が冷え切った頃。
「……なにそれ、意味分かんない」
破顔した大切な妹が、ようやく手を取り、私たちは白い雪が舞い散る外へと、飛び出した。
「お姉ちゃん、生まれ変わっても一緒だよね」
「毎年そうでしょ? いい加減に飽きない?」
「飽きないよ」
二人の素足が歩を進めるたびに、草花は枯れていく。
はたから見れば、きっと疫病神と変わらない。
雲の切れ間から、月が覗く原っぱで、お互いの右手と左手を、繋ぎ合う。
「踊りましょう」
「死にましょう」
今から始まるのは、季節の終わりに捧げる儀式だ。
「また生きて」
「また踊りましょう」
踊り、新たな段階へと至り、秋姉妹は一度死に絶え、冬に生まれ変わる。
そして、また踊り、季節はつながっていく。
くるり、くるり。
私たちは、回る。
どこか悲愴な通過儀礼は、進む。
「穣子、またステップが上達したんじゃない?」
「お姉ちゃんこそ」
二人だから、できる。
次へ、つなげられる。
死をふりまき、死を内包するワルツは、いつまで続くのか。
それは二人が分かたれる時。
そして、そんな時は決して訪れない。
「絶対に、この手を離しちゃだめよ」
くるり、ふわり。
終わりが、来る。
雪が、積まれて行く。
「絶対に、この手を離さないでね」
ふわり、くるり。
始まりが、迫る。
紅い死を、眠りの白銀が覆っていく。
「さあ」
「さあ」
また、一緒にいましょう。
クリスマスは、嫌いだ。
人が嫌な気でいる時に騒ぐから。
正月は、嫌いだ。
私たちは、もう始まっているのに、どうしてもう一度始まらなければならないのか。
だから、冬は嫌いだ。
「でも炬燵は好き」
「初詣先でもひきこもってどうするのよお姉ちゃん!?」
「おお、キミにもわかるんだね……冬眠の素晴らしさ」
「素晴らしいじゃないか……」
「ダメ三柱……」
ふふ、穣子も甘いわね。
私たちがダメなんじゃないわ。
「炬燵がダメなのよ!」
「屁理屈言わないの!」
ああ、もうこの土の中のような、母のような暖かさはくせになる。
「まあまあ、穣子様。 たまの正月なんですから」
「早苗さんはお姉ちゃんに甘過ぎだよ……」
「早苗も芋みたいな匂いがする妹には言われたくないと思う」
「お姉ちゃん、円盤に落書きするよ?」
「油性ペン?」
「うん」
「ごめんなさい」
姉に土下座させるとは、なんという妹だ。
「謝るんなら、せめて炬燵から出てよ……」
「穣子様も、すっかりお元気になられたみたいですね」
「まだ力はほとんどだけどね……。 あ、こら狭いんだから隣に入るな」
くすくす笑いながら、私の小さなスキマに不法侵入してきたのは、風祝。
彼女が右の人差し指を立てて見せたのは、私を除いた神が全員炬燵に潜む睡魔に降伏したの後のことだった。
「そういえば、結局どうして穣子様はあんなことになったんでしょうか」
あんなこと、を思い出すのに少し時間がかかった。
冬はどうにも頭がボーッとするのだ。
腕を組まされたことも気にならない程度には、けだるい。
「さあね? あの年は散々雨が降り続いて、不作気味だったからじゃない?」
「さあ、って……またなったらどうされるんですか?」
「どうにかなるんじゃない? 私、お姉ちゃんだし」
妹と全く同じ顔を、早苗がしていたのが少し可笑しかった。
「静葉お姉ちゃんって、呼んでもいいですか?」
「バカ……」
「あう」
当然、デコピンしておいた。
が、早苗さんと静葉さんがなんか仲良し、というだけなので、未読でも恐らく問題はないと思われます。
「腐臭がするんだけど、お姉ちゃん」
「それは穣子の匂いよ」
つい昨日までは、甘ったるくも薄い匂いを漂わせていた妹。
それがなぜか、どこか粘っこさを思わせる、死の香りを纏っている。
私自身、そのグロテスクな儚さを何かに例えようとして、気分が悪くなってきた。
「命名、腐れ穣子……。 そうよ、あなたは未来からやってきた生態兵器に」
「取り憑かれてないから。 外から入ってきた玩具で遊び過ぎだから」
「だってあの子がしつこく勧めてくるんだもの」
「早苗さんと仲良くなって、少しは出歩くようになるかと思ったのに」
「私はアウトドア派よ?」
ただし秋限定の、だけどね。
私のそんな自虐的な思いを知ってか知らずか、妹は深くため息をついた。
幸いにも、まだ口臭はいつもどおりのようだった。
「ところでお姉ちゃん、私が困ってる時くらいその手を止めてほしいんだけど」
「待ってちょうだい、ようやく二十六世紀までノーミスでたどり着けそうなのよ」
何度、そのまがい物の命を散らす快感に溺れたことか。
ようやく、鉄の箱で繰り広げられる戦いを終わらせ、新たな寂しさを味わうことができる。
ああ、やっぱり人間は面白いわ。
こんな終末的なものを作るなんて。
「おいこら葉っぱ」
「穣子、愛してるわよ」
一段と穢れの気配が強くなるのと同時、普段は温和なはずの妹から放たれる言葉に、私は大人しく遊戯を中断するため、機械の電源を落とした。
イガグリの海に沈められたかのような、ありもしない痛覚に対して私は、無力だった。
「どうしようお姉ちゃん」
「そうね……」
先ほどのとてつもない神気のせいか、ころりと表情を変えて目に涙を浮かべる妹に、私は恐怖すら感じていた。
いつの間に、私は妹に追い越されたのだろう。
博麗の巫女が、妖怪の山に押し入って来た時からか。
「現実逃避してないで、真剣に考えてよ?」
「はい」
誰だ。
姉より優れた妹なんていない、などと言ったのは、誰だ。
「なんにせよ、事態は深刻よ……」
私たちが最高の力を振るえる時間は、秋は、もう残り少ない。
師走へと月が変わる前に、この問題を解決しなければ、どうなるか。
「最悪の場合、冬の間はずっと腐れ穣子ね……」
「いいいいやああああ!?」
あの甘い匂いは、妹の誇れる数少ないチャームポイントだったらしい。
姉としては少しホロリと来る程度だけれど、土偶のような顔をして悲鳴を上げている彼女にとっては、死活問題だろう。
神にしろ、妖怪にしろ、自身に自信を抱けなくなれば、どんどん力を失っていき、しまいには、存在自体が消滅してしまう。
力が回復するまでの間に、それが訪れないとも限らない。
「まあ、あなたがいなくなるのもそれはそれで儚くていいかもしれないけど……そんな顔しないでちょうだい」
そんな情けない顔をしちゃって、もう。
「せっかくの家政婦を手放す気なんて毛頭ないから、安心なさいな」
「お、ね、え、ちゃ、ん?」
「素敵な妹を救うために頑張るわ」
そんな良い顔で笑っちゃって、もう。
「と、いうわけなのよ」
「はあ、ところで静葉様、そのお顔はどうされたのですか?」
「キレイな紅葉でしょ? これ、妹が作ったのよ」
私も穣子も、こんなことは初めてなので、とりあえず知恵を貸してもらうために、山の上の神社までやってきた。
開けた土地に舞い込む寒風が頬に染みるが、この子の前で弱みを見せるわけにも行かないので、強がっておくのも忘れない。
少しでもしおらしく見せた日には、きっと私の色々なものが散らされてしまう。
現に、私はこの子に大事な物を奪われてしまっている。
「私のことより、今は穣子よ穣子」
ふむ、と唇に指を当てて早苗は考え出す。
何か思い当たる節があったのか、眉を顰めると、私の匂いを嗅ぎ始めた。
胸元に顔を寄せられると、なんだか妙な気恥かしさがあった。
「腐臭……きちんと入浴はされてますか?」
「いきなり失礼な巫女ね」
私の指に弾かれて、早苗の頭が揺れた。
「あう、痛いですよお」
「そうじゃなきゃ無意味よ」
境内のど真ん中でなにやってる、とか色々な怒りを込めたデコピンなのだから。
「全く……少しばかりたわわに実ってるからって調子に乗ってるわね」
「私は静葉様のお胸が寂しくても全然問題ないですよ!」
「はいはい、わかったから。 わかったからキスしようとしないで」
「あん」
少しは自分を大切にしなさいって、何度言ったらわかるのかしらね。
「それで? 結局妹の異常に何か思い当たる節はあるの?」
「うう、おでこが硬くなっちゃいますよう……穣子様の象徴がなくなってしまうということなのでしょうか」
それでは、妹は最悪の場合の、真っ最中ということになってしまう。
ほとんど冬に近い気温と、何度も頭の中で繰り返された予想に、身震いする。
「……縁起でもないわ」
「私もそうじゃければいいなあ、とは思います」
「ありがと。 あの子の象徴がなくなる、ね……」
頭を撫でてやると、嬉しそうでいて、怒っていそうな、複雑な顔を見られると知ったのはつい最近のことだった。
なんだか犬を手なずけているようだな、などと微笑ましい方向へ目を逸らしたくなるが、どうやら本格的に消滅の危機が迫っているようだ。
「あ、この際お二人も神奈子様を信仰なさってはいかがでしょう!」
見えない尻尾をふりふり、現人神が提案する。
「あなたね、意味がわかって言ってるのかしら?」
「理解はしてますよ」
「へえ」
「信じてらっしゃいませんね」
「いいえ、感心してたのよ」
神が別の神を信仰する。
これは人間や妖怪がただ宗旨替えやら、改宗するのやらとは、わけが違う。
「武神から大悪魔に落とされるのは勘弁してほしいわね」
「拝火教とはマニアックですね」
「インドラが泣いてたって毘沙門天が言ってたのよ。 ともかく、私は変質したくないわよ」
勢力の大きな宗教に取りこまれた神の運命は大概ろくなものではない。
神としての地位をはく奪されて天使にされたり、格下の神にされるだけなら、まだマシな方だ。
ひどければ、神としての性質を変えられてしまう。
簡単に言えば、担当する部分が別になるわけだけれど、その結果、厄介な副作用が起きてしまう。
仕事が変われば、信仰してくれるものも、象徴も変わる。
全く異なる存在になってしまうかもしれない。
「人間じゃなくても、発狂するわよ」
花が咲き、散っていくように、諸行無常というように、変化のないものなどないに等しい。
でも、一時的に変わらないものもあって、それは心の大きな拠り所になる。
変化を好む私にだって、そういった最低限の芯はあるのだ。
「静葉様なら平気そうですけど」
「私は終わるのは好きだけど、ただろくでもないものになるのは大嫌いよ」
もしも本当にこの神社を信仰したならば、私は何になってしまうのか。
諏訪子から力を与えられて、腐葉土の神にでもなったら、私は絶対に舌を噛み切るだろう。
「カブトムシの幼虫の世話なんかしたくないもの。 大体にあなた、私が別モノになってもいいの?」
「えー、私は静葉様が虫食いだらけの神様になっても大好きですよ」
「……」
「大好きですよ?」
「私の負けでいいから二度も言わないで」
参った。
「だって、存在が脆い神様を好きになるって、そういうことですよね」
「私は、穣子が別モノになっても妹だと言いきれる自信は、ないわよ。 早苗ほど、頑固になれる神はいないわ」
「以前に申し上げたじゃないですか。 あなたが逝くなら、私も逝きますって」
なるほど、ね。
どうしようもなく、叫びそうになって赤くなった空を見上げる。
「……一緒に逝ってみる、穣子?」
例年よりも早い終わりは、間もなく空から来襲しようとしていた。
多分、皮肉げになっていたはずの私の表情を見て、早苗はなにもかもわかったかのような、生意気な顔をしていた。
「あう」
もちろんデコピンしておいた。
「ただいま。 と、いうわけでとりあえず一緒に死にましょうか、いえ踊りましょうか」
「何を言い出すの、お姉ちゃん」
太陽が沈んだ頃、自分たちの社に帰って、第一に私がやったのは穣子にただいまを言うこと。
次にやるべきことは、これだ。
「踊りませんか、お嬢さん」
「お姉ちゃんは頭が腐ったの?」
おふざけに対するツッコミにキレはなく、匂いも、一段とひどくなっていた。
「随分弱ってるみたいだからね。 今年も生まれ変わりましょう」
「イヤよ。 腐れまで持ちこしたら、来年の幻想郷は大飢饉になっちゃうのよ」
「そうなったら、一緒に死んであげるから、ほら」
戸が開け放たれたままの入口に、終わりが入り込んできた。
早くしなければもうどうしようもなくなるかもしれないのに、穣子は私がさしのばした手を取ってはくれない。
「……お姉ちゃんいっつも秋になったら紅葉のこと自慢するよね」
「あなたは作物の自慢をしてくれるわね」
「もしかしたら、お姉ちゃんに腐れが移るかもしれないのに、いいの?」
「腐葉土の神になろうと、信仰のあてはあるわよ」
自信満々に強がりを言ってみせても、穣子は私の手を見るだけだ。
やっぱり、あの恥ずかしい台詞を言わなきゃだめなのかしら。
「穣子がね、どうなろうとあなたは私の妹よ」
「どうして、そんなこと」
「言いきれるか? 愚問ね。 私が」
この世に形を得て、お互いに生まれ出でたころからずっと、案外頼りない妹に。
「お姉ちゃんだからよ」
どうあったって、不変である保障がないはずの断言をしてみせた。
「な、なにそれ」
「お姉ちゃんだからよ。 それ以上でもそれ以下でもないわ」
目がうるんでいないか、不安になりながらもう一度、大事なことを言った。
しばらく穣子は唖然としていた。
私は手をさしのばしたままでいた。
そして、すっかり体が冷え切った頃。
「……なにそれ、意味分かんない」
破顔した大切な妹が、ようやく手を取り、私たちは白い雪が舞い散る外へと、飛び出した。
「お姉ちゃん、生まれ変わっても一緒だよね」
「毎年そうでしょ? いい加減に飽きない?」
「飽きないよ」
二人の素足が歩を進めるたびに、草花は枯れていく。
はたから見れば、きっと疫病神と変わらない。
雲の切れ間から、月が覗く原っぱで、お互いの右手と左手を、繋ぎ合う。
「踊りましょう」
「死にましょう」
今から始まるのは、季節の終わりに捧げる儀式だ。
「また生きて」
「また踊りましょう」
踊り、新たな段階へと至り、秋姉妹は一度死に絶え、冬に生まれ変わる。
そして、また踊り、季節はつながっていく。
くるり、くるり。
私たちは、回る。
どこか悲愴な通過儀礼は、進む。
「穣子、またステップが上達したんじゃない?」
「お姉ちゃんこそ」
二人だから、できる。
次へ、つなげられる。
死をふりまき、死を内包するワルツは、いつまで続くのか。
それは二人が分かたれる時。
そして、そんな時は決して訪れない。
「絶対に、この手を離しちゃだめよ」
くるり、ふわり。
終わりが、来る。
雪が、積まれて行く。
「絶対に、この手を離さないでね」
ふわり、くるり。
始まりが、迫る。
紅い死を、眠りの白銀が覆っていく。
「さあ」
「さあ」
また、一緒にいましょう。
クリスマスは、嫌いだ。
人が嫌な気でいる時に騒ぐから。
正月は、嫌いだ。
私たちは、もう始まっているのに、どうしてもう一度始まらなければならないのか。
だから、冬は嫌いだ。
「でも炬燵は好き」
「初詣先でもひきこもってどうするのよお姉ちゃん!?」
「おお、キミにもわかるんだね……冬眠の素晴らしさ」
「素晴らしいじゃないか……」
「ダメ三柱……」
ふふ、穣子も甘いわね。
私たちがダメなんじゃないわ。
「炬燵がダメなのよ!」
「屁理屈言わないの!」
ああ、もうこの土の中のような、母のような暖かさはくせになる。
「まあまあ、穣子様。 たまの正月なんですから」
「早苗さんはお姉ちゃんに甘過ぎだよ……」
「早苗も芋みたいな匂いがする妹には言われたくないと思う」
「お姉ちゃん、円盤に落書きするよ?」
「油性ペン?」
「うん」
「ごめんなさい」
姉に土下座させるとは、なんという妹だ。
「謝るんなら、せめて炬燵から出てよ……」
「穣子様も、すっかりお元気になられたみたいですね」
「まだ力はほとんどだけどね……。 あ、こら狭いんだから隣に入るな」
くすくす笑いながら、私の小さなスキマに不法侵入してきたのは、風祝。
彼女が右の人差し指を立てて見せたのは、私を除いた神が全員炬燵に潜む睡魔に降伏したの後のことだった。
「そういえば、結局どうして穣子様はあんなことになったんでしょうか」
あんなこと、を思い出すのに少し時間がかかった。
冬はどうにも頭がボーッとするのだ。
腕を組まされたことも気にならない程度には、けだるい。
「さあね? あの年は散々雨が降り続いて、不作気味だったからじゃない?」
「さあ、って……またなったらどうされるんですか?」
「どうにかなるんじゃない? 私、お姉ちゃんだし」
妹と全く同じ顔を、早苗がしていたのが少し可笑しかった。
「静葉お姉ちゃんって、呼んでもいいですか?」
「バカ……」
「あう」
当然、デコピンしておいた。