幻想郷を訪れてから、数年が経ったある日の事だった。
霊夢は現役の巫女として当たり前のように他人の話も聞かずせっせと妖怪を退治し、相変わらず魔理沙は図書館に忍び込んでは、パチェに迷惑をかけて弾幕勝負をしており、阿求は後世の為に一生懸命でこの世の歴史をまとめていた、その瞬間。
私は自分の身体の異変に気が付いた。
まるでスコールのように突然に現れたそれは、私の感情を大きく揺さぶり、ハリケーンのごとく私の中をかき乱していた。
どうやら、胸が膨らんできたようだった。
「お嬢様、これはどういう事でしょうか?」
「咲夜、目が怖いわ」
上弦の月が頭の上に呑気に浮かびあがる、風の無い蒸し暑い夏の夜。テラスで優雅に紅茶を飲んでいた私はまず、咲夜にそれを報告した。
それとは、つまるところ私の身体の事だった。
咲夜は失礼します、と言って私の上半身の服を持ち上げ、ほどよく、けれど慎ましやかに膨らんだ私の胸部を確認し、しばらく固まった。
その後、背中を向いて、何かぶつぶつと独り言を呟いた後、腹をすかせた猛獣のような目つきで私を睨んだ。
「お嬢様、これは夢でしょうか?」
咲夜が丁寧に確認するように言った。
「ええ、咲夜。夢じゃあないわ」
「夢でない?」
「もちろん」
「では幻想を私は見せられているのですね」
「馬鹿。よおく、目を凝らして現実を見つめなさい」
私が呆れたようにそう言うと、咲夜は目を閉じて頭に右手を乗せ、参ったね、と呟いた。ピエロのようにおどけようとして、そんな馬鹿らしい仕草をしているのか、それとも本心から滲み出ている行動なのか、よくわからなかった。
「お嬢様、怒らないで、私の話を聞いてください」
「いいえ、ダメよ」
咲夜が、怒らないで話を聞いてほしい、と言う時は、大抵言われた者の癇に障る話題だ。
しかし私の回答に咲夜はあからさまに不機嫌な雰囲気を全身から発する。まるでおもちゃを取り上げられた子どもの様に露骨だったから、私の方が呆れてしまった。
「咲夜、いい加減にしなさい」
「何がですか? 私はこれまでも、そしてこれからも感情を隠すような生き方を変えるつもりはございませんわ」
まったく、頑固である。
「……いいわ、話してちょうだい」
「ありがとうございます。それで、お嬢様。その胸部についている、可愛らしい山がありますね? それをそぎ取らして下さい。お嬢様には全く似合わない、言うならば顔に出来るそばかすのような物なので」
驚くほど真剣な目で咲夜はそう言った。天地がひっくり返ったように驚いた私は、何かを言おうとして、けれど、あまりに咲夜が自分の意見を包み隠そうとしないものだから、出かかった言葉を胸の奥にしまい込んでしまった。
そして私の脳裏に浮かんだ二文字は、狂と気、だった。
「お嬢様、よろしいですか?」
咲夜は両手にナイフを構え、私の方に一歩、右足を踏み出した。私は思わず空中に飛び上がり、咲夜と距離をとる。
私の優秀な掃除係が、こちらをじっとりと舐める様に私を睨んでいる。
「咲夜、今夜の無礼は許してあげる。全力でたたきつぶしてあげるから、かかってきなさい」
直感で分かる。今の咲夜には、まともな話は出来ないだろう。
今夜は色々疲れそうだ、と私は思った。それはこの蒸し暑い夜だけのせいではないような気がするのだった。
激しい夜を超え朝になり、咲夜は私に謝りに来た。どうやら、あまりに突然の出来事に脳みそに混乱をきたした、というのが咲夜の言い訳らしかった。今ではすっかり、元の完璧で瀟洒なメイドに戻っていた。
「昨晩はお騒がせして、申し訳ありませんでした」
「いいのよ」
咲夜は心の底から申し訳なさそうに頭を下げた。
私も長年連れ添った優秀な掃除係の、たぶん生涯初めてであろう不始末を許すぐらいの心の広さは持ち合わせているつもりだった。むしろ、人間とは思いもかけぬ非常事態に際し、こちらの予想をはるかに上回る、奇天烈極まりない行動をとるのだ、と言う事が分かっただけでも良しとしようと私は思った。
そう、思わないと、昨晩の咲夜がいたたまれなかったから。
「お嬢様、この事はパチュリー様にはもう、言われましたか?」
「いいえ、まだ誰にも。でもそうね……相談ぐらいはするわ。それから、真相が分かるまでは、あまり幻想郷には広めたくない」
「分かりました。では私は胸の内にひっそりとその真実を隠しておきますわ」
「ええ、そうしてちょうだい」
「それにしても、お嬢様がこの齢になって、さらに成長するとは思いもしませんでした」
「私だってこんな事になるなんて、思いもしなかったよ。私の記憶の、最も古いときには、もうこの目線で世界を見ていたから」
「つまり、お嬢様は何も変わる事は無く、この世界を生きてこられた、と言う事ですか?」
「或いは、そうとも言える」
しばらくの静寂の後、咲夜は微笑を浮かべて口を開いた。
「いいことじゃないですか。成長する事で、お嬢様はこの世界をもっと楽しめますわ」
「どういう事かしら?」
「変化しない物は、そこにすがるだけで安心を得られる。その代償として、生きる価値を見失う。私たち人間は、自分自身も、世界もどちらも変化する事で、時には苦痛や恐怖を味わうことになりますが、それと同じくらいの、刺激的で魅力ある生を獲得しています。今のお嬢様は、言うならば、よりどころの無い生を獲得したのです。これからはきっと、退屈しない日々が続きますよ」
そう言って、咲夜は朝の掃除に戻っていった。
独り部屋に残された私は、咲夜の残した言葉の意味について考えた。
今まで、自分の生をそのように考えた事など無かった。しかし、改めて咲夜に言われると、今までの生き方は、あまりメリハリが無かったのかもしれない、と思った。
面白い考えだ。人間とは、咲夜とは、つくづく変わった生き物だと思う。そう思う事で、退屈な自分の人生に代わり、喜びや悲しみをまるで自分の事のように錯覚させて生きて来たのかもしれない。母親が自分の理想を実現するために、子どもに習いごとを強要するかのように。
それも、もしかしたら今日まで。
明日からは、映画のヒロインのような刺激的な毎日がまっているのかしら。
そう考えると、私は少しだけ、明日が来ることを愉しむことができる気がした。
理由はさっぱり分からなかったが、とにかく、私の身体に大きな変化が訪れている事は確かだった。
私は無駄に広い図書館に、一人寂しく本を読んでいたパチェに相談をした。
「レミィ、それは本当なの?」
「ええ、確かに私の胸は膨らんでいるわ」
パチェは恐る恐るといった様子で私の胸を揉んだ。
「……突然、こうなったの?」
「昨日の晩、気が付いたわ」
「紅茶は毎日飲んでた? 血液もちゃんと飲んでた?」
「ええ、毎日よ」
「……知的好奇心を刺激されるわね」
「え?」
「冗談、じゃないわよ。本気で言っているの」
パチェはふうむ、と難しい顔をして私を見ていた。
「今までレミィが当たり前のように側に居たから、レミィが成長するなんて全く考えなかったわ。これは何かの前触れかしらね」
「ふうん……」
かなり深刻そうな顔をするパチェだったが、私自身はこの変化について、まるで他人事のように思っていた。
改めて思うと、それはとても不思議な事だった。自分の身体の事なのに、まるで自分の物ではないかのような錯覚をしている。
なぜだろうか。
思うに、それまでの私は今まで自分を見つめた事など無かった。
私の興味はまず、私を取り巻く環境に常に向けられており、また変化しない自分の身体の事よりも、常に変化を続ける外の世界に目を向ける事は、ある意味、必然で、当然で、自然だったと言えるのかもしれない。
とにかく、私は私というものに、興味を持った事など一度たりともなかったのだ。
そのためだろうか、今、まるでこの胸のふくらみが、自分の事でない様に思うのは、私の内部をじっくりと考える事に戸惑っているのかもしれない。
どうやって、自分の事を考えろと、いうのだろう。
「ちょっと、レミィ。人の話を聞いているの。今あなたの話をしていたのよ? もう少し真剣に考えてちょうだい」
パチェに声をかけられて、私ははっとした。
「ごめんなさい、考え事をしていて」
「そう、とにかく、身体に何も異常がないなら放っておいてもいいと思うわ。幸い、日常生活を送るには差し支えの無いふくらみね」
パチェはそう言って自分を納得させたようだった。
その顔色には、はっきりと戸惑いの色が見える。
そりゃあそうだろうな、と私は思った。長い間つき合いのある友人の、突然の告白。まるで飼い犬に手をかまれるような、そんな衝撃だったに違いない。
昨晩は本当に噛みつかれたが。
「パチェ、そんなに深刻にならないで。これはただの風邪みたいなものよきっと。そのうち馴れるに決まっているわ」
「そう、ね。馴れるわね」
パチェはそう自分に言い聞かすように言った。どうやらまだ腑に落ちていないようだった。
「ねえ、レミィ」
パチェはちらりと私の方を向いた。
「これから私は、あなたの事を考え直さないといけないみたいね」
「ほう、どういうふうに?」
「正直な話、今まであなたの事を見くびっていたわ。心の中ではレミィが何を言っても、気にも留めなかった。その理由はいたって単純。あなたの幼い外見が、私にその無意識を引き起こしていたに違いない。けれど、レミィが変わった今、この瞬間から、私はあなたの事を気にせずには居られない。まるで、お伽噺をみているよう。みすぼらしい民草の女が美しいお姫様のように生まれ変わったかのような輝きがいまのあなたにはある」
「つまり、今までの私は民草の薄汚れた田舎娘だったのね。世間知らずだったと言いたいわけだ」
「……」
「何か言えよ、ふやけ紫」
だがかつての旧友はふいっと視線をそらしただけで、私に対する微妙に無礼な言葉を撤回しようとは思わなかったらしい。この頑固さもまた、彼女らしい、と言えば聞こえはいい。
「……とにかく、レミィ。あなたがこれからどのように変わっていくのか、私は楽しみにしているの。そしてあなたの外見がどんなに変わろうとも、私はあなたの友人よ。その気持ちだけは変わらないわ」
先ほどの台詞を無かった事にして、かなりふてぶてしい事を口に出した友人を、私は張り倒そうかと思ったがもうそれも面倒くさくなってやめた。
「友人、ねえ……」
私が力無く呟くと、彼女もまた、呟いた。
「ええ、友人よ。とても大切な」
午後のお茶会。妹のフランは、興味津津と言った様子で私を見ていた。
「どうしてお姉ちゃんだけ?」
フランはそう言った。
「どうしてと言われても、私はいつも通りの生活を送っただけよ?」
「それじゃあ、私もあと五年すればお姉ちゃんみたいに胸が出てくるのかな」
フランは確認をするように自分の胸のあたりに視線を降ろした後、ちらりと私を見た。
「それは分からないわ。ただ、その可能性も無いとは言い切れない」
「本当かな?」
悪戯を企む子どものような意味ありげな微笑みでこちらを見た。目の前に出された紅茶には見向きもしなかった。
「……結局、あなたは私がうらやましいわけね」
「そうとも言うわ。お姉さまばかりずるい」
「きっとフランも、こうして成長する日が来るわよ」
だがフランは目に見えて、落ち着かない様子だった。それはきっと、私の身体の変化が全くの他人ごとではないのだからだろう。いつ、私のように胸が膨らんでくるのか、不安なのだ。
「……ねえ、痛みとかなかったの?」
「何も。だから心配する事はないわよ」
「身体の調子は、悪くなったりしない?」
「全く、健康体よ。だから、フラン。あなたは何も心配しなくていいわ」
「本当に?」
「ええ」
ふうん、とフランは呟いた。私は姉として、フランの分まで頑張らないといけないと思った。
何をどう頑張るかは、全く分からなかったけれど、とにかく頑張るしかないと思ったのだ。
しばらく局所的な混乱が続いた紅魔館が、ようやく落ち着きを取り戻し始めた頃に、私にさらなる変化が訪れた。
妹のフランも興味深そうに私を見つめ、紅魔館の妖精たちも私を見てひそひそと密会をし、門番の美鈴は気にしないふりをして、けれど私にどう接していいのか戸惑いを隠せていない、そんな毎日。
そこに、さらなる変化が紅魔館を襲った。
夕方。
私はベッドから起きた。そこまではまるでいつもと変わらなかった。
眠い目をこすりながら、ぼんやりと視界が晴れる。
ふと私は違和感を覚えた。
見るもの、感じるもの、全てがまるで縮小コピーをしたかのように小さくなっていた。そこで気が付いた。
まさか、いやでも。あらまあ……
寝起きの頭には、脂っこすぎる現実。
あまりに急な出来事に、私は一瞬、別の世界に来たかのような錯覚を引き起こした。
しばらくぼうっとしていると、誰かが部屋をノックした。私は力なく、いいわよ、と呟いた。
金属独特の、けたたましい音が部屋に響いた。ふとドアを見ると、咲夜が目を大きく開けて、言葉を失っていた。その足元には、紅茶を載せていた銀色のお盆が転がっている。先ほどの音は、これのせいだったのだろう。
「お、お前は誰ですか……?」
半分敬語、半分ため口のあたりに、またしても彼女の混乱ぶりがうかがえる。
きっと咲夜はこう考えていただろう。
はたして目の前の女はお嬢様なのだろうか。
「ああ、咲夜。鏡を持ってきなさい。出来れば、全身が映る物を。あ、でも私鏡に映らないんだっけ……」
「落ち着いて下さい、お嬢様、ああ今の天然な発言で、私はあなたをレミリア様と認識出来ました。おわかり下さい、お嬢様。それほどまでに、お嬢様のお姿は変わっておられるのです。ご自分でも、それぐらいは感じておられるはずです」
いつもの、淡々とした口調で咲夜はそう言った。その言葉は私に向けられていると言うよりは、自分を落ち着かすという意味も含まれているようだった。
「何がどう変わったのか、分かりやすく説明しなさい」
「はい。まず、レミリア様の身長が伸びました。一晩で例えようも無いほど伸びたのではないのでしょうか。次にさらに胸が膨らんでおります。そして、とても、これはお世辞でも何でもなく、本当にお美しい」
「よろしい」
咲夜の言葉を聞いて、私は安心した。
自分の感覚までは死んではいなかったのだ
私は身長が二倍ほどに成長した。骨や筋肉、内臓に至るまで、私を構成する物体が大きく、何よりも強力になっていた。
視力、聴力、そして体力など、力とつくものは、とにかく全てが強化されていた。目は遠くまではっきりと見え、ネズミの這う微かな音も聞き逃さすことも無く、またいつまでも弾幕勝負ができるような、そんなスタミナもついた。
そして何よりも、私の美しさが一層際立った。見る者を魅了する大きな瞳。腕力に反比例するかのような、細く白い四肢と形の良い胸。魅力のある、濡れた唇。
これでは吸血鬼ではなく、サキュバスともとれるような外見だ。
「お嬢様、ご自分の姿を確認したいのであれば、私が絵を描きましょう」
そういって咲夜は鉛筆片手に私を描いてくれた。出来あがった絵を見て、私は思わずため息をついた。
「美しすぎるわ」
この世のどんな宝石をも、私の美しさの前ではひれ伏してしまうのではないか、と思えるほど私は美しかった。いや、それは言いすぎかもしれない。けれど私は以前の自分よりも、普遍的で高度な美しさを手に入れた。
それは、客観的に見て、誰が見ても美しいと思える姿だろう。まるで神によってつくられた最高傑作の一つに数えられるような、そんな形。
それをパチェに伝えると、彼女はふっと笑って
「良かった。レミィは、中身は何も変わらないのね」
と笑われた。だが、それを悔しいとも思わなかった。パチェは変わり者である。私の美しさはごく一般的な感覚の持ち主には十二分に伝わるのだから、それはパチェの感性が合わなかっただけだ。
「それにしても、このままだと服がないわね。かろうじて、寝巻だけは破けなかったけれど」
風呂場で咲夜に髪を切ってもらいながら、私はそう言った。今まで着ていた服も、今では過去の物だ。寝る時は服を着ない主義で本当に良かったと思う。
「ええ、こんな事もあろうかと、かなり大きめの寝巻をご用意させていただきましたから。服に関しても、もうすでに手配しております」
「さすが、咲夜ね。仕事が早くて助かるわ」
「そうですか?」
「ええ、それに、こんな姿になってもついてきてくれるなんて、感謝している。ありがとう」
私は咲夜に向かって、具体的には、鏡に映る咲夜に向かって素直にそう言った。当然、咲夜はその言葉に喜んでくれるものだと思ったが、咲夜は無表情のまま
「いいえ、それほどでも」
と素っ気なく言っただけだった。その台詞はどこか固い。いつもの冷静な声が微かに震えていたのを私は聞き逃さなかった。
「咲夜、あなた、どうかしたの? 何だかいつもの調子じゃない」
私がそう言うと、咲夜の手が止まった。大事な何かを思いだしたような顔になる。
「申し訳ありません、お嬢様。予期していたとはいえ、まさか本当に、お嬢様がこんなに美しくなる、思いもしなかったもので……」
「あら、そうなんだ」
「はい、ですから、成長されたお嬢様を見て、ついうっとりとしてしまい……」
そこまで言うと、咲夜の目が涙ぐんだ。突然の事に私は少し驚いた。
「な、何よ、そこまで感激する事でもないでしょうに」
「いいえ、私にとっては、とても大事なことなのです」
咲夜は手のひらで少しだけ涙をぬぐう。私の髪の毛が、咲夜の頬にくっつく。
「私は幼いころからお嬢様に仕えてきました。ですから、お嬢様がご立派になられ、その姿を見ると、これまでの感情が一切溢れてきて、止まらなくなるのです」
「そこまで思ってくれているなんて、とてもうれしいわ。ありがとう」
ありがとうなんて、昔の私なら、絶対に言わない台詞だ。けれど、今の私にはそれがごく自然に言い出せるようになった。身体の変化は心の成長ももたらすのだろうか。
「いいえ、本当の事ですので……お嬢様」
咲夜は私の目を見つめた。今では咲夜と同じ目線。僅かに光るその黒い瞳に吸い込まれそうになる。
「私はお嬢様の成長を嬉しく思います。これからも、ずっと、私はあなたの側にいますから」
咲夜は鏡に向かってにこりと笑いかける。その笑顔に、私の心もシャボン玉がふくれるように優しくなっていく。
「ふふ、当たり前よ。これから先も、もっと私の側にいなさい。咲夜。あなたにはいつか、私の側でしか見る事の出来ない世界を見せてあげるから」
私は得意顔でそう言った。
かちゃり、と鋏が落ちる音がした。
見ると、咲夜は大粒の涙を流して、うなだれていた。その異様な様子に、私は驚き、そして何も言えなかった。
「……お嬢様、私は、絶対に、お嬢様を見守っていますから……」
涙声になり、ひねり出すように言った。
「……咲夜?」
その後も、咲夜はしばらく泣き続けた。私はよくわからないまま、ただそっと咲夜の側に居続けた。
一夜にして華麗な変身を遂げた私は、胸がドキドキと高鳴った。自分だけの大切なオルゴールをそっと布団の中で聞くような、こそばゆい感情が私を包み込んだ。
この素晴らしい出来ごとをぜひ皆に知って欲しいという感情がむくむくと現れた。そんな短絡的で、お祭り好きな性格は、あまり変わっていないなあ、と自分でも思う。
「咲夜、明日の晩、パーティーを開きましょう」
「かしこまりました」
先日の泣き崩れた咲夜はどこかに消えて、いつもの咲夜がそこにいた。どうして突然泣き崩れてしまったのか、未だに私は分からなかった。だから最近では、もう気にしない事にしている。
そして咲夜は相変わらず、私の言う事を素直に聞いてくれていた。もちろん従者である立場なので、当たり前と言えば当たり前なのだが、この私の変わり様にほとんど戸惑う事も無く、すんなりと受け入れている。彼女のその柔軟性の高さを、私は高く評価していた。その柔軟性は、咲夜をメイドにした理由の一つだったのだが、主がこんな姿になっても、今まで通り尽くしてくれる咲夜に、私は心の中で感謝をしていた。
咲夜は手際よく準備をする。まず天狗の新聞に広告をのせ、幻想郷全てに宣伝をした。こう言う時には、天狗の新聞は情報伝達手段としての機能を十分に果たしている、と思えた。
こんな時以外の、どうでもいい記事などは窓ふきに使う程度の能力しか持っていないから。
そして、急いで会場を作る。ここは咲夜の得意分野でもある。時間と空間を巧みに操り、ものの六時間ほどのあいだに、会場は完成されていた。
そんなわけで、私が咲夜に命じた次の日の晩、パーティーが開かれる事になった。その主旨はもちろん、大変身を遂げた私のお披露目だ。
「ねえ、咲夜。みんな私のこの姿を見てどう思うかしら?」
パーティーが開かれる日の朝、私は咲夜にそんなことを尋ねてみた。その日は朝から強烈な太陽が昇っていて、紅魔館全体がじっとりとした暑さに包まれていた。
「まず、誰もお嬢様だとは気付かないでしょう。霊夢などは、新しい妖怪が来たと言って退治しにくるかもしれません」
「ふむ、それは困るわね。どうしたら、一目で私が、かつての私の延長線上にいると分かるかしら?」
「名札でもつけますか?」
「悪くはないけれど、格好が悪い」
「でしたら、たべちゃうぞ、と一言おっしゃってくれれば」
「うん?」
「はい?」
「それはどういう事かしら?」
「いえなんでもございません」
私がじろりと睨むと、咲夜は気まずそうにそそくさと外に出ていった。私はベッドにごろんと横になり、天井を仰いだ。
こうして日々変わっていく自分を見つめる事は、私にとって極めて新鮮で、楽しい事だった。強大な力を得る事で、世界への干渉の選択肢が大幅に増えた。もちろん、そうした選択肢から私が何か一つを選ぶとするならば、決まっている。
一番楽しい事をするのだ。
パーティー用に急遽作られた、真っ白なドレスを身にまとい、私は空を見つめていた。かつて窓の下半分から見ていたオムレツのような金色の月は、窓の上半分から見ても何も変わり映えがしなかった。
私は変わった。しかし相変わらず世界は変わってはくれなかった。少し拍子抜けだった。自分が変われば、世界も自分と同じように、激変するかと思っていたが、どうやら私が考えていた以上に、世界はゆっくりと回っているらしい。
「お嬢様、パーティーの準備が整いました」
どこからともなく咲夜の声がした。私は窓に背を向けて、ゆっくりと歩いて行く。
「今行くわ」
さて、今夜は皆と一体何を話そうかしら。
会場の客たちの反応を予想しながら、私は笑いをかみ殺した。妖怪とは、人間を驚かしてナンボの生き物である。それは私にだって当てはまるのだから。
「お待たせいたしました。これよりレミリアお嬢様の入場でございます」
咲夜の凛とした声に会場は包まれた。ざわざわと騒がしかった会場が静かになる。私は気分高らかに、暗幕の内側に立った。
「それでは、レミリアお嬢様のご登場です。どうぞ」
大げさね、と霊夢の声がした。私の耳は、感度がよすぎるのだ。今に見てなさい、その減らず口を黙らせてあげるわ、と心の中で言葉にした。
暗幕が上がる。
会場は、一瞬、静かになる。
「あら、レミィ。とても綺麗だわ」
間髪いれず、パチェが声をあげる。会場に響いたパチェの声が、より一層、静寂を強調した。
「皆さん、お久しぶりです。私はレミリア・スカーレット。以前お会いしたときとは少々、趣向を変えてみましたの。ほら、この真っ白いドレス、よく似合っているでしょう?」
舞台で独り芝居をしているかのようだった。
誰もが、この世の終わりのような顔をしていた。一部、紫や永琳と言った古参の妖怪たちだけが、一瞬驚いた後、何かに気が付いたように表情を曇らせた。
私はそれにむっとしたものの、その他大勢の間抜けな顔を確認できただけでも機嫌が良かった。実に、素晴らしい。大成功だ。
だが、そうそう一筋縄ではいかないのが、この幻想郷の面白い所でもある。
「新しい妖怪ね? 弾幕ごっこは知っているかしら? 知らないなら、黙って私に退治されてちょうだい」
霊夢が名乗りを上げた。さすがである。きっと私が何かをしでかす前に、釘をさしておこうと思ったのだろう。博麗の巫女の鏡だ。
たぶん、霊夢の場合、勘で行動している事が多いと思うのだけれど。
「霊夢。あの紅魔異変では随分とお世話になったわね」
「あら、本当にレミリア? でも、今のあんたは危険だから、放っておけないわ」
「せっかちねえ。そんなんじゃあ、目の前の料理とお酒が台無しよ?」
「それよりも大切な事があるのよ」
「ほうそれは?」
「私の気分が最悪」
そう言うなり、霊夢は懐から何枚かのお札を出した。血の気の多い巫女だ、と私は呆れた。
「はいはい、ちょっとストップ」
口をはさんだのは紫だった。
「なによ? あいつを放っておいていいの?」
「霊夢、もう少し状況をわきまえなさい。今ここには大勢の客人と、たくさんのお酒があるわ。こんな時に弾幕勝負なんて、野暮ってもんでしょう?」
「うっ……」
「安心しなさい。姿は変わってもレミリアはレミリアよ。募る不満はこの上等なお酒が身体の中を綺麗にしてくれる。今日は楽しくお酒を飲みましょう」
紫が諭すように言うと、霊夢はしぶしぶと座った。紫は私を見て、さあ続きを、と目で合図をした。
「ふむ……それじゃあ、今夜は飲み明かしましょうか」
私がそう言うと、皆がおもむろに酒を手にした。しかしその目は、例外なく私に向けられている。
好奇の目、恐怖の目、警戒の目……
さまざまな感情が、みんなの小さな目に映し出されていた。その感情の全てが私に向けられている。
今夜の主役は、間違いなくこの白いドレスの私だった。
それだけで、私は優越感に浸れていた。
「いや、これはおかしい。ありえない」
仄暗い会場で、魔理沙はワイン片手に興味深そうに言った。今では魔理沙が私の顔を見上げている。
「どう魔理沙。この姿がうらやましいかしら?」
「うらやましくない、と言えば嘘になるかもな」
「素直にうらやましいって言いなさいよ」
私が挑発的な笑みを浮かべると、魔理沙は面倒くさそうな表情をした。何かを言おうとして、途中で諦めたのか、まあいいや、と独り言のように呟く。
「けれど、何かもっと恐ろしい事が起きそうで怖いぜ」
魔理沙が手にしたワインを少し口につける。
「何が恐ろしいの?」
私がそう言うと、魔理沙はコインを取り出した。
「世界は裏と表で出来ているんだ」
魔理沙は占い師のように、声を低く、何か秘密めいたことを予言するかのようにゆっくりと言った。
「レミリアは身体が成長している。これが表側だとしよう。そうなると物事には必ず裏側があるはずだ。世界に昼と夜、或いは影と光があるように。今、レミリアはその身体の成長に、一体何を犠牲にしているんだ?」
私を試すような目で、魔理沙は睨んでいる。
犠牲という単語を彼女は使った。あえて、と言ってもいいだろう。では一体なぜ? この期に及んで、私が妖しい魔術に手を出したとでも思っているのだろうか。
しばらく考え込んだ後、私は魔理沙が撮りだしたコインを手にとって、空中高く放り投げた。
「そうね……」
まっすぐに落ちて来たコインを私は左の手の甲に押し付けた。
「古来、影は物事の裏側と捉えられてきた。しかし、太陽の光を浴びない私には影が無い。つまり表側しかないってことよ。矛盾しているようだけど、その矛盾を感じさせない私って、とても素敵だと思わない?」
そっと手の平を開く。コインは表を向いていた。
「或いは、このコインのように、裏側が存在するけれど、それが私たちの目には見えないのかもしれないわ」
「回答になっていない」
「あなたとのなぞなぞ遊びは、いつもそんなものじゃない。お互いにお互いの回答に興味がないから、そうでしょう?」
魔理沙は何となく納得したような顔をした。あるいは、こいつは話にならん、と言ってこの話題に無視を決め込んだのかもしれない。
「けれど、まさかレミリアがこんなに大きくなるとは、全く思はなかったな」
「それは私も同じよ。最初はもう昔のような可愛らしい服を着れない事が少しだけ残念な気がしたけれど、今ではとても気に入っているわ。今の私なら、この幻想郷中の妖怪が束になってきても勝てる気がする」
「それはつまり、子ども用の服が着れなくなった事以外はとても素晴らしい出来事だ、と言いたいわけか?」
魔理沙が声をひそめる。
「そうとも、言うわ」
「相変わらず中身は変わっていないな」
またか、と私は思った。どうして魔法使いと呼ばれる者たちは中身とか、人格とかを強調したがるのだろうか。やはり、魔法使いは変人が多い。
「それよりも魔理沙、こうして見ると、あなた結構身長が小さいのね」
「ふん、レミリアだって今まで私よりも小さかったくせに、良く言うぜ」
「それに胸も小さい」
「余計なお世話だ」
「いつの間にか私の方が大きくなっていたりして」
「私はそんな事、全く気にしないぜ」
「どうだか。そんな事を言っている割に、目の焦点が右往左往しているわよ。主に私の胸のあたり」
「……気にしてない」
「はは、嘘をつきなさいよ」
私が茶化すように言うと、魔理沙はふんっと言って顔をそむけた。
「魔理沙、コイン、返すわよ」
「あげるよ。餞別だ」
魔理沙は逃げる様に私の側から離れていった。
「あんた、身体が大きくなったからって言って、異変とか起こさないでよね」
背中から声がする。振り返ると、困った顔をした霊夢がいた。
「あら、霊夢。ひさしぶりじゃない。ちょっと縮んだ?」
「あんたが伸びたのよ。すっ呆けないで」
霊夢は不満そうに言った。私は気分が良かった。あの、博麗の巫女さえ、私に注目している。
「まあ、この身体で何かをしようとは、まだ何も考えていないわ」
「考えるなって言っているの。私が大変じゃない」
「あら、今の霊夢じゃあ、私には勝てないかもよ?」
「……今すぐその減らず口を黙らせたいわ」
霊夢は近くにあったグラスに強引にワインを注ぎ、一気に飲み干した。
その姿に、私は可笑しくなって、思わず笑ってしまった。
こうして一夜にして私は幻想郷の話題の中心人物となった。私が右を向いても左を向いても、行き違う人たち全てに目線が合った。そのたびに私は優雅に会釈し微笑んだ。大抵の人たちはそれを喜んだし、ごくごく一部の人は目の上のたんこぶを見るような視線をぶつけたが、それも全く気にならなかった。
「なるほど、朝起きると、身体が大きくなっていた、と」
阿求が取材に来たのは、昼だった。少しだけ眠かったが、歴史に名を残すためならば、一日ぐらいの無茶にも付き合ってあげよう、と思う。
「ええ、突然、何の前触れもなく、よ」
「その時、あなたはどう思いましたか?」
「世界が変わったように思ったわ。そして自分の中の価値観が、少し変わったわね」
「例えばどういう風に?」
「この世界は、大体私が支配できるとか」
「ああ、そうですね」
阿求は何だかがっかりしたようにメモをとる。
「ちょっと、何でそんなにあからさまにがっかりするのよ」
「だって前回とあまり変わらないですもの」
阿求はそう言うと、隣にいた美鈴にインタビューを始めた。美鈴は気まずそうに私をちらちら横目で見ていた。
少しだけ、本当に少しだけ私は怒りと憤りと不満と殺気を出したが、私はまあ、いいやと思った。こんな事でくじけたりしない。なぜならば、時代は常に、新しい物を否定する事から始まるのだから。
「否定される者が、常に新しい道を切り開くとも限りませんけどね」
阿求が私の心を見透かしたように忽然と言い放つ。
あら、そうなんだ。ふうん、でも私はそうは思わないけれど。
そう言いたかった。けれど、阿求が発したその言葉を、私は上手く自分の中で処理液無かった。
簡単に言うと、私はこの言葉に少し傷ついた。
言葉は人を選ぶ。その台詞は、阿求が口にする事で雷のような威力を持っていた。
「な、なによ! そんなに私を除け者にしたいわけ?」
突然立ち上がって、叫んだ私に向かって、阿求と美鈴は訳が分からない、といった様子だった。
「……何の、話でしょうか?」
阿求は丸い瞳をこちらに向けてそう言った。そして間髪いれず、美鈴が立ち上がる。
「お、お嬢様、申し訳ありません」
美鈴はとりあえず謝っておこうと思ったらしく、頭を下げた。
私は心の中で、それは違うわよ美鈴、と焦った。全くそんな気はなかったのだ。
「……失礼、取り乱したわ」
「ええと、とりあえず今日は取材に付き合ってくれて、ありがとうございました。また今度、伺います」
阿求はパタンとメモ帳をたたむと、妖精に連れられて屋敷を後にした。どうも、私は彼女が苦手ならしい、と気がついたのは、午後になってからだった。
「どうも、私は彼女が苦手らしい」
ぽろりと本音が出る。
「阿求さんは変わり者ですから」
隣で大工仕事をしている美鈴が答える。彼女は大きくなった私の為に、新しい机を用意していた。今まで使っていた椅子や机は、私にとって少し小さくなってしまったからだった。
お気に入りの机を変えるのは、少し心が痛んだが、しょうがない。
これが、成長の代償なのだろうか。
「お嬢様、サイズはこのぐらいでよろしいでしょうか?」
「どれどれ……ふうむ、ちょうどいい感じね」
「それは良かったです。それにしても、最近咲夜さんを見ませんけど、忙しいのですか?」
「咲夜? そう言えばここ最近は姿を見ていないわ。一体何をやっているのやら……」
「怪しいですねえ。最近の咲夜さんはどこか落ち着かない雰囲気を出していますから」
美鈴が手の甲で汗を拭きながら言った。
「そうかしら? 私には分からないけれど」
「咲夜さんをよおく見ていれば、細かな所で違和感を覚えますよ。例えばお皿を置く時に手が微かに震えていたり、紅茶の味が少し薄かったりするのです」
「そうか、それは気がつかなかったな」
私はそう言って、美鈴が作ってくれた椅子に座る。以前使っていた物に比べ、やや固い。それはあまり慣れていない、新鮮な材木を使ったからであろう。
咲夜を最近見ない事と、私のこの身体の成長に何らかの因果関係があるとするならば、どのような関係があるのだろうか。
残念ながら、と心の中のもう一人の私は言った。全く見当もつかないね、と。
「……美鈴、これから出来る限り、咲夜のあとをついて行きなさい」
「かしこまりました」
美鈴は笑顔でそう言って、門番の仕事へと戻っていった。冷たい椅子に座って、一人考える。
咲夜の事、これからの事。あの八雲紫や博麗霊夢がこの私にこれまでにないほどに注意を払っている。
なかなか、素敵な人生が送れそうだと思う。少なくとも、当分は飽きが来ない時間を送れそうだ。
「……レミィ、ちょっといいかしら?」
背中からパチェが私を呼んだ。しかしその声は何だか暗い。こんな時のパチェの要件はだいたい決まっている。
「面倒くさいお客さんが来たのね?」
「あなたとどうしても話がしたいそうよ」
振り返ると、うんざりした様子のパチェがいた。私は名残惜しさを少しだけ感じつつ、ようやく温まりかけていた椅子からそっと立ち上がった。
「あなたの所の妹が、私の所へよく訪ねてきているのですが、何か心当たりは?」
雪のような冷たい目で、古明地は私に向かってそう言った。地底の妖怪が、わざわざ地上に出てくるなどなかなかの大事だ。
「ようこそ、古明地さとり。我々、紅魔館一同は、あなたの訪問を心から歓迎する」
「ええ、ありがとう。奇妙な吸血鬼さん」
さとりはたいして嬉しくもなさそうに、目の前の紅茶を飲みほした。
そして、紅茶を二度は飲まなかった。
出かけている咲夜の代わりに給仕を務める妖精から、紅茶のお代わりを聞かれても、要らない、と言う。
つまり、あまり長い話をするつもりは無いという表れだ。
「それで、要件って?」
「聞いていなかったの? あなたの妹さんが、最近地下によく現れるの」
「あら?」
初耳だった。むしろ、どうやってあの部屋から抜け出したのかが分からない。
「……何も知らないのですね。嘘ではありませんよ。どうやら、夜な夜な地下へ出かけて、騒動を起こして帰っているようです。只でさえ地下と地上は折り合いが悪いのに、そう引っかき回されると何かの陰謀じゃないかと疑ってしまうのです」
さとりからの、意外な告白に、私は一瞬頭が混乱した。
どうやらフランが地下で暴れているらしい、という。当然、普段は紅魔館から逃げ出さないようにしている。部屋だってフランの力では抜け出すことは出来ない。ならば、フランを館から逃がしている人物が、この紅魔館にいることになる。
では一体誰だ? そしてその目的はなんだ?
「それで、フランはどうしたの?」
私が尋ねると、さとりは無表情のまま淡々と話をする。
「あまりにもおいたが過ぎるので、私たちの方で捕まえさせていただきました。どうやら、あなたが仕掛けた事ではないようですし、私としてもこれ以上いざこざを持ち込む気はありません」
「そうか、それなら話が早い」
私はほっとしたと同時に、少しつまらないな、と思った。そして、その瞬間に泥水を飲まされたように、さとりの表情が曇った。
「いいえ、話はここからですよ。お姉さん」
わざとらしくさとりは言った。実に、厭味ったらしい言い方だった。そして、次の言葉は普段は半分も働いていない私の頭を覚醒させるのに、十分な事実だった。
「あなたの妹さん、この紅魔館に帰りたくないそうです」
地下に向かう道中では、フランがなぜ紅魔館に帰りたくないのかを色々考えた。そして、それらの全ての終着点は、分からない、にたどり着いた。
実に不毛な作業である。しかし私はそうでもしないと、不安で落ち着かなかった。
さとりからの報告を受けて、私は直接、フランを説得する事となった。案内には、さとりと、地下の様子を知っているパチェがついてきた。咲夜の代わりでもある。
「レミィ、咲夜はどうしたの?」
「咲夜は朝から姿が見えない。美鈴に捜索を頼んだけれど、まだ見つからない」
暗い地下を行く。真っ暗な視界とは裏腹に、地下は地上と同じくらい蒸し暑い。地下は涼しい物だと思っていた私は、まだまだ自分が世間知らずだったことを思い知らされた。
「……妹様を逃がしたのは、咲夜かもしれないわね」
パチェは慎重にそう言った。私を気遣っている事が感じられる。それが分かったから、私もたいして気には障らなかった。むしろ、私はそう考えていたのだから。
「そうだとして、咲夜にメリットは?」
「妹様に脅されたとか」
「そんなことで咲夜は部屋の鍵を明け渡さないと思うわ。第一、咲夜には鍵なんて持たせてないし、場所も知らないはず。とにかくフランに話を聞くまでは何も分からない」
自分で言って、また分からないか、と思った。
こう考えてみると、私はフランの事について自分が思っている以上に何も知らない事に気付かされる。地下の世界の事と一緒だ。
それはとても悲しいことのはずなのに、当たり前な気がしてならなった。まるで名もなき花が枯れていくのをじっと見つめているかのように。
しばらく進むと、地霊殿の門が現れた。フランはその門の前で、猫たちと戯れていた。てっきり縄で縛られ、檻に入れられているものだと思っていた私は、思いがけず平和な景色に少しほっとした。
「あ……」
フランは私たちに気がつくと、あからさまにがっかりしていた。これくらいの反応ならば、予想していた事だった。最悪の場合、こちらに攻撃を仕掛けることもあるのだから。
「では私はここで見守っていますから」
さとりは地霊殿を支える柱にもたれかかる。姉妹同士の水入らずの会話を演出するために、それなりに気を使ってくれてはいるようだった。
「……」
ゆっくりとフランは立ち上がる。私はフランと少し距離をあけて話しかけた。
「さあ、フラン。単刀直入に言うわ。まずは、この地下にいる理由から話してもらえるかしら?」
私の問いかけに、フランは俯いたまま黙っている。しばらくして、ぽそりと呟いた。
「お姉さまには、分からない……」
「なに?」
「そう、お姉さま、私はしばらく紅魔館から離れた場所で暮らしたいの」
「だから、その理由を」
「うるさい!」
突然、フランは言葉を荒げた。
「お姉さまには、分からないわよ! 私があの日から、どれほどの恐怖を味わったか……物音一つに震え、眠れなくなるほどの悪夢にうなされ、それでもなお、時が過ぎる日々を……地獄の日々よ」
フランは震えながら言った。
意外すぎる理由に、私はむしろ、よく理解が出来なかった。心当たりがない、というのが正しい。隣にいたパチュリーも、はっと息をのんだのが分かった。
「フラン、ねえ、私に分からないのならもっと具体的に話を」
「もう、私の事は放っておいて!」
そのままひざから崩れて、フランは泣き始めた。私は困ったようにパチェの顔をうかがう。パチェは何かを考え込むように、じっとフランを見つめるだけだった。
私はフランの話が見えずにいた。いったいフランは何に怯えているのか、見当がつかない。
「そう、怖いと言うのならしょうがないわ」
嘘をつく。何も納得などしていない。しかし、この地霊殿にフラン独りを残しておくわけにもいかない。今この場で必要な事は、フランをこの薄暗い世界から連れ出すことだ。
「帰りたくなければ、帰らなければいい。ただし、ここはダメ。ここはいざという時に、私たちが助けに行く事が出来ないから」
「いやよ、いや。地上はいや」
フランは頑固だった。これほどまでに、頑固なフランを私は見た事が無かった。
「フラン、お願いよ。地上なら、どこにでもいていいわ。だから、地上に帰りましょう?」
「……それでも、いや」
「フラン」
私はそっとフランを抱きかかえる。フランの温かい体温が、じわりと私の身体に伝わってきた。
「ごめんなさい、正直なところ、今の私はフランの力になれそうもないわ。けれど、必ず、あなたの言う悪魔を追い払ってみせる。そのためには、あなたの力が必要なの。今は言えなくても、いつか心の準備が出来たなら、私に話してくれるかしら? その時は、全力で私があなたを守るわ」
腕に力を入れて、ぐっとフランをきつく抱きしめた。フランも私の身体に手をまわして、
私の耳元でしゃっくりのようなうめき声で泣いていた。
私はフランを抱きしめながら、心は全く別の事を考えていた。口から飛び出す言葉と、心の声の温度差をはっきりと感じる。
フランは悪魔と言った。その悪魔が紅魔館にいる。
帰ってからも、私の落ち着かない日々が続きそうだと思うと、少しだけうんざりした。
そして、うんざりだと思った自分に驚いた。
フランの事なのに、うんざりだって? 何を言っているんだ、私は……
「込み入った事情がありそうですが、地上の事情は地上で処理してくださいね」
機械のように無機質な声で、さとりは私に声をかけた。もう少し気を使ってくれても良いじゃないか、と思ったけれど、さとりとしては、もうこれ以上面倒事に巻き込まれたくないのだろう。
「もうしばらく、一週間ほどフランをここに置いておけないかしら。その間に私たちが全力を挙げてこの問題を解決するわ」
「……その一週間、きっちり守らせてもらいますよ。さもなくば、地上が雨でも晴れでも、容赦なくフランさんを追放しますからね」
さとりの声に、嘘は無かった。かなりの凄みがあったし、さとりならば平然とやってのけるだろうという雰囲気を醸し出していた。
「よろしくお願いする」
さとりは事務的な手続きをするかのように、ペット達にフランの為の部屋を開けるよう指示をした。
結局、この日はこれで終わった。フランは泣くのをやめて、ぼうっと地底の天井を見上げている。
「私たちはもう邪魔ね。帰りましょうレミィ」
パチュリーがそう言うと、私もそれに同意する。
「ねえ、フラン。私たちはこれでもう帰るわ。でも、あなたも一週間以内にここを出なければいけない。あなたの望み通り、紅魔館以外の家を探すけれど、それだけは守って欲しいの」
私がフランの両手をぎゅっと握る。フランは虚ろな目をしたまま、小さくうなずいた。それを見送り、私はフランを背にする。とその時だった。
「……もう、しらない」
フランは突然、そう言った。思わず私は視線をフランに戻す。その表情は薄く笑っている。先ほどとはまるで違う、不気味な笑顔。
「え?」
「知らない、って言ったのよ。お姉さまがどうなろうと、もう、私には関係がない」
その言葉に背中が冷たくなる。
「なんの話?」
「お姉さまは、とても後悔する事になる。ああ、こんなことなら私を地底へ閉じ込めておけばよかったって。だって地底は、忌み嫌われた妖怪が住む都。私にはお似合いの場所なのだから。お姉さま、私は地上へ帰る。その約束は守るわ。けれど、決してその選択をした自分を責めないでちょうだいね」
「……そう」
相変わらずフランはにこにこと嬉しそうに笑っている。私もそれに合わせて、笑顔を作ったつもりだったが、顔の一部が痺れたように、その笑顔が固くなる。
私は何となく、そのフランの言葉に棘がある、そんな感情を抱いたのだ。
「じゃあ、私はもう行くわ。また今度迎えに行くから」
「ええ、楽しみにしているわ、お姉さま」
フランに背を向け、お気に入りのハイヒールを鳴らして歩く。地下に響く、その足音が、自分の足音だと意識するのに随分と時間がかかった。
まるで、自分が自分で無くなるような、そんな恐怖。
フラン、あなたは一体なにを言っているの。
ふと後ろを振り返ると、フランの紅い目が、暗闇の中で光っていた。それは私の身体を射抜くように、鋭く、そして妖しく瞬いていた。
この日から数日間は、紅魔館をあげてフランの受け入れ先を探した。ただ、常識的に吸血鬼の住処など誰も提供したがらないのが普通であり、交渉は困難を極めた。私としてはできるだけ紅魔館の近くに借りたい所だったが、それではフランが納得するまい。せっかく用意した家を、目の前でぎゅっとしてドカーンされるのはごめんである。かといってあまりに遠すぎると、今度は他の妖怪から襲撃されるかもしれない。
吸血鬼は強い。ただ、不意打ちにはとことん弱い。こんなこと、羽がもげても言えないし、自分で言うのも恥ずかしいが、寝ている間など、可愛い赤子のように儚く脆い存在だ。結局のところ一人ぼっちの吸血鬼なんて、オーケストラのいない指揮者と一緒であり、だから私は紅魔館に住んでいる。オールマイティな門番がいて、したたかな精神を持つ魔法使いがいて、有能なメイドがいる、この紅魔館に。襲撃する相手だって、面倒くさい館だと思うだろう。そう思わせる事が、私の狙いでもある。
そのためにフランを独りにはしたくない。出来る事ならば同居人がいたほうがよい。それも信頼できる同居人。
「ねえ、霊夢。フランをここで数日間面倒を見てくれないかしら?」
受け入れ先を探して三日目。日もすっかり沈み、星がちらちらと瞬いている博麗神社の空。その夜空の下で、私は特上のお酒を持って、霊夢の所へ行った。ここが私にとっての最後の砦である。
「なんだと? あんたは私を干す気? そんな事をしたら、ただでさえ少ない参拝客がゼロになっちゃうじゃない。っていうか、あんた達の家庭の事情を私に持ち込まないでくれる?」
「あら、生活に不自由しない程度のお金は工面してあげるけど。それでもダメ?」
私はそう言って、上目遣いに霊夢を見上げた。
「ダメよ。ダメ。諦めてさっさと帰りなさい」
むうっと私は頬を膨らます。しかし、霊夢は全く意に介さないように、私を睨みつけた。こうなると、霊夢は頑固である。こちらがいくら下出に出ても霊夢はきっと、動かない。
ならば、こちらからそうせざるを得ない状況にするまでである。
「せっかくこっちが下出に出てあげているのに、頑固な霊夢。これでは、美味しい酒を飲むこともままならない」
「あんたと酒を飲んだって、別においしくも、なんとも……?」
霊夢が不思議そうに私を見ている。その表情は戸惑いに、そして驚愕に、最後には怒りに変わった。その変化は、わずか数秒の出来事である。
私がその数秒の間に何をしたかと言えば、霊夢を押し倒したのだ。霊夢にとっては一瞬の出来事だっただろうけど、私にとっては懇切丁寧に押し倒してあげた。多分痛みは感じなかったはずだ。
霊夢の腹部のあたりに腰をおろし、その両手を押さえつける。霊夢の顔が月明かりに照らされて、妙に色白く光っている。
「……いつからこんな趣味が?」
霊夢の声は明らかに怒っていた。
「さあ、いつからでしょうね。霊夢が私の命令をきかないから、こうなったのは間違いないわ」
「私の喧嘩は、安くは無いわよ」
「もちろん。ねえ、霊夢。私は水を飲むために、ここへ来たんじゃないの。熱くとろけるような一杯を求めて来たのよ。お金やプライドという瑣末なことは忘れて、ね。これでもあなたは、私のお願いをきいてくれないのかしら?」
霊夢は必死に私から逃れようと、腕や足に力を入れる。しかし、霊夢のそうした力よりも、私の妖力の方がはるかに勝っていたため、霊夢は全く動けなかった。ただ悔しそうに目を細めたり口元がゆがんだりしている。
せっかく手に入れた美貌は、自分の有利なように使っていくべきだ。パチェも言っていたではないか。私が大きくなったから、私の話を真面目に聞くようになったと。それは霊夢も同じはずだ。昔の私なら、こんなことをしてもただのお遊戯にしか見えない。しかし今は違う。ここには、恐怖と美しさが混合する、妖艶な世界が展開されている。
「私は自分のしたい事と、自分のすべきこと以外に割くような時間は無いの。あんたら妖怪と違ってね」
「どうやら私と霊夢とでは、この件に対する認識が違うようね。私はあなたに命令をしに来たの。ただ、頭ごなしに命令しても、霊夢は機嫌を損ねるから、柔らかく出来るだけ気持ちよくこの件を受け入れてほしかったんだけど」
私はわざと、色っぽい声でそう言った。
「それがこの方法? とてもじゃないけれど、常識的とは言えないわね」
「理性に訴えてダメならば、本能に訴えるまでよ」
私がそっと霊夢の首筋に口をおいた。その瞬間、霊夢が少しだけひっと声を漏らした。仄かに漂う、少女独特の香りが私の嗅覚を刺激する。微かに震えている腕。大きくうねる心臓。その全てを感じ取って、私はそれだけで満足していた。
「どう? この美しい私に支配されるのも、なかなか悪くないでしょう?」
「……っつう、分かった。分かったわ。ここなら大丈夫、という所を紹介してあげる。だからもう、離れろ」
霊夢は少し息切れしながらそう言った。それは私の妖力にずっと押さえつけられていたから、ということもあるだろう。
「あら、本当? そこは信頼できるの?」
私が顔をあげてそう言った。霊夢の顔は月明かりでも分かるぐらい、赤くなっていた。
「命蓮寺という所よ。あそこなら妖怪を保護してくれる」
「命蓮寺? 最近ここに来たっていう、連中?」
「ええ、とにかくあそこならば信頼できる」
「いいわ。なら明日の朝、咲夜をそこに行かせるから、場所の案内を頼めるかしら」
「それぐらいはしてあげるわよ」
私はそれを聞いて、霊夢の上から退いた。
「ありがとう、霊夢。これは御礼よ」
そう言って、私は持ってきた日本酒の一升瓶をおいた。霊夢は恥ずかしがっているのか、寝転んだままこちらを見ようともせず
「さっさと帰れ」
と一言言っただけだった。
次の日に、咲夜が命蓮寺に交渉しに行った。霊夢は咲夜に場所を教えただけで、実際は案内しなかったという。霊夢の首筋に、私がつけた歯形が微かに残っているのを咲夜が目ざとく見つけ、それはどうしたと質問すると
「でかい子どもにじゃれつかれて噛まれた」
と言ったという。
交渉はすんなりといき、フランは来週から命蓮寺に世話になる事になった。咲夜の説明を聞く限りは、信頼のおける寺だろう。
「ありがとう咲夜」
「いえ、本当に御礼を言うべきは、命蓮寺の方々ですわ」
「確かにそうなんだけれど。しかし変わった連中よね。無償で、しかも混じりっ気なしの、純粋な善意からこんなことをするなんて。責任者、聖といったかしら、彼女は究極のマゾに違いないわね」
「私もそう思います」
咲夜は無機質にそう言った。
フランを命蓮寺に預けて、一週間が経った頃だろうか。
その日は夏のこの時期にしては珍しく快晴で、空は底抜けるような青色を呈していた。そしてどうも寝心地が悪く、太陽が高く登る昼間に私は起きた。
普段ならば起きるはずの無い時間である。
「咲夜、いるかしら?」
私がそう言うと、扉越しから返事が返ってきた。
「はい、お呼びになりましたか?」
「お茶を飲みたい」
「かしこまりました」
そのまま、足音が響いて遠くへと消えていった。
不思議と意識ははっきりとしている。起きぬけに咲夜を呼びつけ、お茶を用意させる。何も無い、退屈な日。
そっとベッドから立ち上がり、昨日の夜の事を思い出した。昨日はパチェの図書館に侵入した魔理沙を追い払った。暇つぶしのつもりだったが、私が思っている以上に私は強かった。以前とは比べ物にならないほどの弾幕を出せるようになり、そのあまりの進化ぶりに、パチェは驚いたように目を丸くしていただけだったし、魔理沙はバツが悪そうに
「今日は帰るぜ」
と言って足早に去っていった。
そうして優越感に浸りながら、ベッドの中にもぐりこみ、眠りについた。
そこまではいい。しかし、今朝は心臓を常に握られているかのような、奇妙な感覚がある。
私はそっと自分の顔に手を当ててみる。
「皺か……?」
昨日までは無かったものだ。どうやら、私の身体の変化はまだまだ終わっていないようだった。しかし、これでは見てくれが悪い。美しい肉体を維持する事は、吸血鬼として、守るべき義務なのだから。
「ふうむ、これからは皺とりの体操でもしようかしら」
だがやり方が分からない。
「失礼します。紅茶でございます。今日はパチュリー様からの特別な紅茶だそうですよ」
咲夜が部屋に入ってくる。私は椅子に座って、咲夜に尋ねた。
「ねえ、咲夜。私の顔、なんだか皺が出来ているようだけど」
咲夜はいったん紅茶をカップに入れる事をやめて、じっとこちらを見ていた。
「確かに、何本かありますね。運動不足か何かでしょうか」
「これではとても美しいとは言えないわ。どうにか消さなければ」
「それでしたら、美鈴なんかどうでしょうか。彼女は身体を動かすことのプロフェッショナルですから、きっと顔の体操なんかも知っているはずです」
咲夜は少し考える様に言って、再び紅茶をカップに入れなおす。確かに咲夜の言う通り、美鈴ならばなんとかできるかもしれない。パチェに相談しようかとも思ったが、怪しい魔法の被験者にされそうで、気が進まない。
「うむ、そうしよう」
そんなわけで、私はさっそく美鈴を呼びつけた。
「失礼します」
美鈴は丁寧に扉を開けた。私を、次に咲夜の方を見て、ぺこりとお辞儀をする。私が要件を言うと、美鈴は少し考えた後、わかりませんと言った。
「なぜ?」
「それは……」
美鈴は少し躊躇いがちに言葉を濁す。
「いいから、怒らないから言ってみて」
にこりと笑って私は優しく美鈴に声をかけた。怒らないかどうかは、美鈴の返答次第である。
素直な美鈴は、それならと言った面持ちで口を開いた。
「私は生まれてから一度も、皺なんてできた事がないから皺を取る方法なんて分かりません」
にっこりと笑顔で美鈴はそう言った。純真無垢な笑顔だ。
「それは、私へのあてつけかしら? 美鈴?」
「え? いやそう言うわけでは……あの、ホント、そんなつもりは無かったんですよ。ただ、その、私にはそういう経験がなかったと言う事を言いたいだけであって、決してレミリア様を馬鹿にするとかそんな意図は全くなかっったんですよ、はい」
「……まあそういうことなら、いいわ。そうね、そしたら一体誰に聞けばいいのかしら」
「長生きしている妖怪や、人間に訊けばいいんじゃないですか?」
美鈴が助言する。確かに、人間訊けば一番手っ取り早いが、それは私のプライドが許さなかった。人間に媚びへつらう事など性格上出来そうもない。
「お嬢様、香霖堂の店主などは、そうした知識に詳しいのでは?」
そう言ったのは、咲夜である。
「なるほど、確かにあの店主ならば何か知っているかもしれないな。よし、今すぐ出かけよう。咲夜」
「申し訳ありません、お嬢様。今日は食糧の買い出しがありますので」
「いいじゃない、そんなのは後にすれば」
そこまで言って、突然咲夜の目が鋭く光る。
「いけません! 今日は特売で野菜が安いのです。お嬢様は知らないかもしれませんけれど、今の切り詰め生活の紅魔館では、それはもう死活問題ですわ。まさに、八百屋は戦場で言えば前線であり、貯金は最終防衛ラインぎりぎりの攻防をしているのです。お嬢様、これを逃せば、紅茶が飲めない生活が一カ月続くことになりますわ。それでも、それでもお嬢様がいいというのならば、私は断腸の思いで前線からの撤退を行いますとも、ええ諦めますよ」
咲夜が今までにないほど、切羽詰まった声で言った。勢い余って、唾が飛ぶのが見えるほどだ。私は呆気にとられて思わず
「そ、そうか……なら仕方ない。なあ、美鈴?」
と意味も無く美鈴に同意を求める。
「ええ、まあ、レミリア様がそう思うのであれば……」
「お嬢様、ありがとうございます。それでは私は買い出しに行くので、これで失礼します。後は頼んだわ美鈴。お嬢様をしっかり守ってちょうだい」
そう言って咲夜は風のように部屋を出て行ってしまった。あっという間の展開に、私も美鈴もぽかんとしている。
「むう、しょうがない。では美鈴。今日は私に付き合ってちょうだい」
「かしこまりました。しかし……」
と美鈴は言葉を濁した。
「いくら今日が野菜の特売日であろうと、お嬢様を差し置いて八百屋に駆け込む事が今までにあったでしょうか」
「この紅魔館のお金事情は咲夜が握っているからね。もちろん、私は好きな時に好きなだけ使える権利を持ってはいるけれど、その全体の把握はしていない」
「まあ、それもありましょうけれど……」
美鈴は言いたい事はそれではない、と目で訴える。
「……咲夜にそれとなく、フランの話題を吹っ掛けてみても、咲夜は心音一つ変えなかった。もちろん、咲夜の精神が、一般的な人間のそれを軽く凌駕している事もあるだろうけれど、少なくとも、咲夜はこの件に関して、全くカヤの外に居るか、ど真ん中で台風を引き起こしているかのどちらかに違いない」
「お嬢様はどのようにお考えで?」
「私の理性は咲夜の犯行とささやいている。しかし……私の奥深いところ、信仰や理念と同等の場所では、そうではないと告げている。今の私はいわゆる均衡状態という単語がぴったりね」
「確かにあの咲夜さんが妹様やレミリア様を裏切る道理がありません。私の知っている範囲内の情報ではありますが」
美鈴は確認するように私の方をちらりと見て笑った。なんとなくその笑顔が乾いたように見えるのは、彼女もまた、私と同じ気持ちなだからだろう。
「……さあ、いつまでも話していてもしょうがないから、出かけましょうか」
私は足に力を込めて、椅子から立ち上がった。
小さな丸い机の上には、まだ温かな紅茶が置き去りにされたままだった。
昼を過ぎてからもぐんぐんと気温はあがり、ちょうど香霖堂に来るころには、全身が汗だくになっていた。
「残暑ってなかなか身体に堪えるわ」
「今日は一段と暑いですからねえ」
「美鈴と一緒に出かけるなんて、久しぶりね」
「懐かしいですね。昔は一緒に出かけたものですけど」
私が襟元をぱたぱたとさせて、暑さを演出している私に対して、美鈴はうっすらと汗をかいているものの、あまり辛そうな雰囲気をまとっていなかった。多分、長い間、門番と言う過酷な労働が美鈴を丈夫な身体(もともとそれを見越して美鈴に門番を任せたのだが)にしたのだろう。今の美鈴は、鬱蒼としたジャングルでも生き延びる事が出来るに違いない。
何だか、可哀そうではないか……?
どうして私は、その事実に気が付かなかったのだろうか。
「美鈴」
「はい、お嬢様」
「今度、門番付近に椅子とパラソル、それから冬用にストーブを与えるわ」
「え、どうしたんですか急に?」
「あ、いや、その……」
不憫に見えた、とは言えない。なぜなら、私がそう命令したからだ。今まで何も与えなかったのも、私が決めた事だ。今さら急に取り繕うったって、偽善にしか見えない。
「お嬢様?」
「何でも無いわ。そう、ね。今日の御礼に、今度あまいお菓子でも差し入れするわ」
「本当ですか? ありがとうございます」
美鈴は、また人懐っこい笑顔になる。まあ、これが今の私にできる最大限の美鈴に対する感謝だ。
香霖堂の扉を押す。古めかしい道具特有の芳香がツンと鼻の奥を刺激する。綺麗な鈴の音が鳴って、年季の入ったカウンターの奥に座っている店主、森近霖之助がこちらを振り向いた。
「何か、お探し物かい?」
店主の眼鏡の奥の瞳が光る。丁寧な口調から察するにどうやら客として扱われているらしい。霊夢や魔理沙が来店した時は、こう丁寧な言葉をかけられることはまず無いと聞いた。
「久しぶりね」
店主は私をじろりとつま先から頭まで一瞥すると、ほう、と感心したように息を吐いた。
「君は随分変わったな。噂には聞いていたが、予想以上だよ」
「いい女になったでしょう?」
「いい女かどうかは僕には分からないけれど、まあ何かと得をしそうな顔立ちではあるな」
まったく、夢がない男だと思う。この店主は往来の性格なのか、お客を持ち上げることがない。だからきっとここの売り上げはきっと芳しくないに違いない。
「今日はあの従者はいないのかい?」
「ええ、今日はうちの優秀な門番が代わりよ。美鈴」
店の中を興味深そうに眺めていた美鈴は、呼ばれて慌ててこちらを向く。
「初めまして、紅美鈴といいます」
「初めまして。それで、お探しの物は?」
「ええ、皺を取る物を探しているの」
「皺? 君には不要のものだと思っていたけれど、そうか……」
そう言って店主は店の奥に消えた。たぶん商品を探しているのだろう。
「このお店、変わった趣味のお店ですね。ガラクタともオタカラともとれる道具がたくさん置いてあります」
美鈴が言う。
「この店の良い所は、幻想郷でもとりわけ変わった商品を扱っている点だ。この店には私にとってはガラクタばかりだけど、他の人からすればオタカラの山かもしれない。良くも悪くも一般客用じゃあないわけだ。まあティーカップみたいな一般的な道具も扱っているが、半々と言ったところか」
「へえ、なるほど。要はリサイクルショップみたいなものですね」
「そうとも……いや、さすがの私もそこまでこの店の評価は低くは無いわよ。けれど、まあ簡単にいえばそんなもんか」
そこまで言って振り返ると、美鈴がじっと棚の商品を見ていた。何やら熱心に見ているので、私は美鈴の後ろからそっと美鈴の耳に息を吹きかけてみる。
「ひゃあ! ちょ、ちょっとレミリア様……」
顔を真っ赤にして美鈴はおどおどと後ずさった。その仕草が、妙に可愛らしかったので私はくすりと笑ってしまった。
「主に向かって、ちょっととは生意気ね」
「申し訳ありません」
美鈴は素直に謝る。余計なひと言を言わないこの主人への敬服度が、咲夜とは違う所である。
「なあに、これ?」
美鈴が見ていた物は、黒く長い棒だった。長さは一メートルより少しあるぐらいだろうか。触ってみると、やや弾力のあるゴム素材でできたものだ。
「なんでしょうね。剣ではなさそうですし、木材とも違う……ほら、少し弾力があって、これ、棒術の練習にはぴったりなんじゃないですか?」
美鈴はそう言って、その棒をぶんぶんと振り回す。只回しているだけなのに、妙に格好がついているのは、美鈴が武術に長けている事もあるだろう。
「欲しいの? 美鈴?」
「ええ、これ訓練用で経費から落ちませんかねえ」
自分が欲しい物は、駆け引きせず真っ向から主張する。それが美鈴流なのだ。普段何も要らないと言っている反動からか、自分が目をつけた道具には、かなりの執念を燃やす性格である。
「レミリア様、私これ気に入りました。私の給料から引いといて下さい」
ほら来た、と私は思った。こうなると美鈴は梃子でも動かない。
「やれやれ、あなた、このままだと紅魔館の門番から、香霖堂の門番になっちゃいそうね」
「まさかあ」
あははと屈託なく笑うその笑顔は、美鈴が本気だと言う証拠だ。美鈴が本気の時は笑うのだ。
そこまで言って、店主が奥から戻ってきた。私たちの会話は聞こえていないのか、聞いていないふりをしているのか分からないけれど、店主はいつもの小難しい顔だった。
「残念ながら、皺を取る道具は無い様だ。お役に立てなくて申し訳ない」
「あら、そうなの? ま、あんまり期待していなかったし、別にいいわ」
「期待に添えられず、申し訳ない……ところで、美鈴、さん? それは非売品だから、棚に戻しておいてくれないか?」
あら、と私が声を出す前に、美鈴はにこりと笑って
「買います。どんなに高くても、買います」
と美鈴が宣言した。
「いや、それは外の世界の道具なんだ。名前はボディブレード、用途は主に体幹の脂肪燃焼と筋力増強、いわゆるダイエットに使うものだ。だから美鈴さんには、いや紅魔館にとって不要な物だと思うんだけど」
「いいえ、必要です。これで訓練するんです。これならよほどの力を込めない限り、訓練中に死ぬことは無いですから。だから必要です」
「作りは単純だ。だから河童にでも作ってもらったら……」
店主がそこまで言い掛けて、美鈴が店主の顔の前に右手を出す。喋るな、と言いたいのだろう。
「店主さん、私はこの道具の性能を最大限に引き出すことができる自信があります。このブレードも、己の生まれて来た意味を存分に発揮し、その命燃え尽きる一瞬まで使い切る事が、私には出来ます。それは棚で飾られているよりも、よっぽど幸福な事だとは思いませんか? 道具は使役されることで、人間に幸福を与えるものです。その機会を失ってしまう事は、道具にとってあまりにも不幸だ。もちろん、使えなくなった私たちも、です」
「しかし、これは貴重な外の世界の物なんだ。学術的価値がある。美鈴さん、君は風呂場を温める火を焚くのに、杉の木の薪を使わず、樹齢二千年の神樹を切り倒すつもりか?」
「必要とあらば、もちろん。私が妖精なら、是非その大木に住みたいですね」
毅然とした態度で、美鈴は店主に問い詰める。私は美鈴の珍しい光景に見とれていた。
こうしてこの調子で口論が始まったが、どちらも譲る気は端から無いので、議論は平行線をたどるばかりだった。面倒に巻き込まれないために、私は黙って傍観する。
しばらくして、店主から、なんとかしろ、という合図が目で送られてきた。どうやら迷惑に感じているらしい。しかし、こうなった美鈴はもう止められない。誰にも、だ。
私は美鈴の前に出る。店主の顔が、もうお互いの息がかぶるほどの距離になる。
「店主」
「なんだい?」
ほとほと迷惑がっている声だ。無理もない、同情してやろうと思った。
「いくらだ?」
やや高圧的な態度で。
「は? いやだから非売品」
「いくらだ?」
だいぶん高圧的な態度で。
「だから」
「いくらだと、聞いているんだ」
手にスペルカードを用意した。最終警告である。
「……」
「諦めて、さっさと白状しろ」
「……非売品だから、値段は無い。つまりタダだ」
「そうか」
私はそう言って、近くにあった銀製のナイフを取った。
「ついでに、これも買い取ろう。いくらだ?」
「……二十万円だ」
ちらりと確認した値札は一万円である。
「ありがとう」
私はにこりと笑って、店主に感謝の言葉を述べた。心底、感謝した。
店主はほとほと困ったような顔をして、私たちを送ってくれた。横目に嬉しそうな美鈴を見つつ、背中が何だか物悲しい店主を見るのは心が痛む。
次からは咲夜が居なかったらパチェを連れて行こうと思ったが、パチェも魔導書云々と言いそうなので、やっぱりやめることにした。
「いやあ、これいいですねえ。また機会があれば、あの店に行きたいですね」
美鈴は獲物を見つけた猛獣のように、きらりと目を光らせた。その瞬間私はこの猛獣を、二度とあの店に近づかせないようにしようと誓ったのだった。
大量の野菜を抱えて咲夜と妖精たちが帰ってきてからも、私の皺とりの方法を探すことがこの紅魔館の第一の任務だった。友人であるパチェからの『美容魔法』という言葉には心惹かれたが、やったことがあるかと訊いたら、無いと言われたので、止めておくことにした。パチェは不満そうだったが、すぐに興味がなさそうな表情になる。
「ま、頑張れば?」
「親友よ。手伝っては、くれぬのか?」
「そんな言い方したって、私は動かないわよ。最近は色々と動きすぎて、身体に負担がかかってるんだから」
「そうか、なら仕方ないな」
「そんなこと、思っても無いくせに」
私があはは、と笑うと、パチェはやれやれと肩をすくめる。
「それにしても、最近のあなたはとても楽しそうね」
「楽しいものか」
「楽しそうじゃない。人生を謳歌している。私の目にはそう見えるし、感覚として、レミィもそう思うでしょう?」
パチェはくすくすと笑いながら、図書館の奥に消えていった。
確かに最近の私は、何かあると新鮮な気持ちで物事に取り組むことが多い。前に咲夜が言ったように、変化する自分と言うのを楽しんでいるのだろうか。
しかし、嫌なことも多い。例えば、フランを連れ戻した時は、フランの心配よりもむしろ、面倒くさい、と思った。今まではフランに関して面倒くさいなどと全く思わなかったのに。
それに、なぜ私はフランを地下に閉じ込めるような事をしていたのか。それも最近の私がよく考える議題の一つだ。自分の事なのに、その理由がいまいち思い出せないのは、一体どういう事だろう、といつも思う。
私は図書館から出て、自分の部屋へと戻る。
その途中、ふと厨房に電気が付いているのに気が付いた。私はひょいとその中を覗くと、買い物から帰ってきた咲夜が晩御飯の準備をしていた。
匂いから、今日はクリームシチューのようだった。
「咲夜」
「あら、お嬢様。どうしたのですか?」
声をかけて、振り向いた咲夜の手元には、小さなプラスチック製の筒のような物が握られており、無色透明の液体が入っていた。
「それは何?」
「これは、お嬢様のお飲みになる血液に入れるものです。パチュリー様からの言いつけです」
「中身はなに?」
「それが、パチュリー様に尋ねても、教えてくれないのです。しかし、これを入れると血液が美味しく飲める、とだけ説明されています。ああ、あと絶対に毎日入れろ、とも言われました」
「パチェが?」
怪しい薬のような物を、自分が毎日飲んでいた。それはちょっとした恐怖だった。
「気味が悪いわね。今日からそれ、入れないでちょうだいよ」
「え、しかし、パチュリー様は……」
「いいわよ、一日くらい」
私がそう言うと、咲夜は困った顔でそれを排水溝に流した。私は、後でパチュリーに事情を聞かなければ、と思った。
私に秘密で、こんな薬みたいなものを毎日飲ませるなんて、どういう事だ。
スカートの裾をひるがえして、私は食堂を去る。
朝。いや昼だろうか。全身が風邪のような気だるさを感じていた。身体の奥深いところで熱がこもり、全身から汗が流れている。その気持ち悪い感触と共に、私は目覚めた。
風邪、と思った。まだ明るい部屋は、私の目には眩しく、それを遮る様に私は自分の手で視界を暗くする。
心臓が、一瞬止まった。
目の前に見えるのは、昨日の自分とはまるで違う、皺だらけの腕がある。
瞳が、呼吸が、心臓が、筋肉が、私のありとあらゆる感覚が、目の前の状況を飲み込めなかった。
声すらも、あげられない。
これはなんだ私はどうなったいやまずは咲夜に相談それともパチェまって一日でこんなになるなんてそれとも病気?死ぬ?どこまで?なにこれ?私はどこ?まって、まってまって、落ち着いて待って、本当に、待って。これは私の、腕、指。そう、確かに、この目の前の現実は、私は、私……
ゆっくりと指を曲げると、私の思い通りにその指は動いた。親指から、順に指を曲げていく。まるでロボットがコップを持つ時のように、ぎこちなく、けれど確実に。
気分が悪くなった。トイレに駆け込む、その足音すら、不快だった。
トイレに入る。鏡にはっきりと映らぬ、自分の姿をこれほど恨んだことも無かった。
何かが狂っていた。この世界の何かが、私を狂わせていた。
皺だらけの手を見て、震えていた。生きている心地がしない。私の心臓はちゃんと動いているはずなのに。
見ると、足先から太もものあたりまで、その全てに皺が寄ってきている。
急激な老化。心なしか、身体も思うようには動かなかった。
寿命、という言葉が頭をよぎる。
私はその場に座り込んだ。
一体、私はいつ寿命が来るのか。そんなことなど今まで考えたことも無い。未知の領域だった。
人を含めた生き物が、自分の知らない出来事に遭遇した時にまず晒される感情は、恐怖である。
それは私にとっても例外ではなかった。
このまま、スキーの直滑降のように身体が歳を重ね、次第に老いぼれていくのか。それが全く、私には分からなかった。
「しっかりしなさい。まだ、決まったわけじゃないわ」
私は鏡に向かって、自分に呪い聞かせる様に言葉を吐いた。
そうだ、まだ決まってはいないのだ。
そこで魔理沙の言葉が頭をよぎった。
世界は、表と裏がある。レミリアは一体何を犠牲にしたんだ?
彼女は犠牲と言った。では、私は一体何を捨てて、何を手に入れたのだろうか。
もしも、自分の気付かぬ大切な物を捨てて、この恐怖を手に入れたのなら、私はこんな現実などいらない。なぜ、私だけがこんな目に遭わなければいけないのだ。
「しっかりしなさい。私は、レミリア・スカーレット。私は高貴なる、存在なのよ!」
叫ぶ自分の、鏡にぼんやりと映る顔のきめ細かい白い肌は、湖面に薄く張られた氷を思わせる。触れればいとも簡単に割れてしまう、そんな脆さも、私は私自身に十分感じられた。
もうすぐ陽が暮れる。
私は心が疲れていた。これもすべて、恐ろしい現実を知ってしまったから。
老化していく事よりも、私はその先を恐れていた。
言葉にするのが、恐ろしい。
「……」
倒れていた私に最初に気付いたのは、紅茶を運んできた咲夜だった。私の姿を見た咲夜は、驚くほど冷静に、私をベッドまで抱えて看病をしてくれた。意識が朦朧としていた私には、咲夜の手厚い看病に感謝をした。その後、咲夜は何も言わずに部屋を出て言った。
今はだいぶ、落ち着いていた。
熱い紅茶を飲んだ時のように体中がほてっているのに、頭の中は真っ白で冷たいままだった。指先は震え、確かに飲んでいた紅茶は、味を感じることなく喉の奥へと流されていった。
と、誰かが扉をノックする。やや乱暴なノックの仕方から、パチェだろうと私は思った。
「レミィ、大丈夫? 何だか体調が悪いって聞いたけれど」
「パチェね。入っていいわ」
独りが怖い。そう初めて思う。
「レミィ、一体どうしたの?」
扉を開きながらパチェはそう言った。そして、私を見た瞬間に、身体をこわばらせ、息をのんだ。そして、何か信じられないような物を見たときのように、口を開けたまま、小刻みに震えていた。
「パチェ……私は、どこまで成長する?」
私の言葉に、パチェははっと目を見開き、ぐっと唇を一文字に結んだ。
何を押し黙っている。お前は私に言えない事があるのか。
パチェに対して私は深く疑念を抱いた。滴り落ちる血で、水を真っ赤に染める様に、その不快な感情が私の中を染める。
「ねえ、パチェ。私は、怖い。このまま、どこまで私は老いていくの? どこまで私は衰えていくの? その先は? そのまた先は?」
私はパチェの肩を掴んで、力いっぱいに、声の限り、叫んだ。心臓が苦しい。肺に酸素がいきわたらない。落ち着け、と自分を制する事が出来ない。
「ねえ、パチェったら、黙ってないで、何か言って!」
「レミィ!」
パチェが叫んだ。思わず私はひっと声を漏らして、黙った。
「レミィ。落ち着いて。まだ、確定しているわけじゃあないし、止める手段があるかもしれない。私の魔法でも、永遠亭の薬でも、道具屋の不思議な道具でも。手段はある。だからお願い。決して自分を責めないで。不安なら、私が側に居る。絶対に側に居る。だから、そんな情けない声を出さないで……」
最後の方は涙声になりなっていた。
パチェの言葉に、私は冷たい水を浴びているかのように冷静になっていくのを感じ取れた
「ごめんなさい、パチェ」
「いいの……そうだ、これを飲んで」
パチェは内ポケットから、あの薬のような液体を取りだした。
「これって、咲夜が血に入れていた……」
「知っているの? レミィ」
「昨日の夜、咲夜が私の飲む血にこれを入れようとしていたのを、私が止めたのよ。何だか気味が悪かったし」
その瞬間、パチェの顔が一気に青ざめた。
「もしかして、これを飲まなかったの?」
パチェは震える声でそう言った。
「ええ……ねえ、パチェ、この液体は一体何なの? 私の身体はどうなったの?」
私は不安に駆られた。パチェが私の知らない何かを掴んでいる事実に、私は怯えていた。
「これは、その……私が開発した、病気に何でも効く薬よ。毎日飲まないと、その、効力がないから、ってことで。でもあなたの事だから、一日ぐらいって言って、飲まないかもしれないでしょう。だから咲夜に渡して、毎日の食事に混ぜてもらっていたの」
パチェは私に言い聞かせる様に、ゆっくりと丁寧に言った。
確かに、そうした類の薬かもしれないが、私はあまり腑に落ちなかった。
あの薬を飲まなかった、と私が言っただけで、パチェは死の宣告をされたような顔を見せた。
うそをついている、と直感的に感じた。それは私にとって、とてもショックなことで、屈辱的な行為だった。
「うそ。私をあまりなめないで。パチェ」
ぎろりとパチェを睨む。私は親友に裏切られた悲しみから、心が不安定になっていた。嵐のような怒りが私の心を覆う。ごうごうと、めらめらと、矛盾した感情が湧き、身体が傷口から溢れ出る血のような熱を持つ。
「レミィ……」
パチェはその場でかたんと膝から崩れ落ち、顔を俯かせた。
糸が切れた人形のように、動かない。
そんな姿を見ても、私の心は熱いままだった。
「……立ちなさい。パチュリーノーレッジ」
ふるふると頭を振るパチェ。
「立て! この……」
私がパチェの胸ぐらをつかむ、と同時に、パチェがうっと喉を鳴らした。
顔を見ると、大粒の涙を流して、パチェは泣いていた。
声は全く出さず、静かに、しかし涙は激しく流れていた。その矛盾した様子が、私に動揺させる。
「何よ、何でそんなに泣いているのよ……」
私は、その先から言葉が出てこない。
パチェが泣いている。なんで?
変な薬を飲まなかっただけなのに。
そこまで、あれはパチェにとって大事なものだったの?
分からない。分からない……
息が詰まる。指先が痛い。胸が苦しい。腕がしびれる。顔が強張る。お腹が冷える。足は動かない。心臓が張り裂けそうになる。
「ごめんね。レミィ……あなたに、また辛い思いをさせてしまって……」
また、とはなんだ。パチェ、お前は何と会話しているんだ。
その間も、パチェの目からは大粒の涙があふれている。
その涙が、私の袖を濡らしていく
パチェの大きく吐く息が、私の首筋にかかるたびに、私は不安になる。
「何よ、一体何の話よ、私の、知らない話をしないで!」
私はそのままパチェを床にたたきつけて、部屋を飛び出していった。
パチェが壊れた、と感じた。少なくとも、私の知っているパチェではなかった。
長い廊下を歩きながら、私はこれからの事を考えた。
パチェとは当分、まともに話ができそうにない。
ならば、この先、どうすればいい。
私は誰かに頼りたかった。
助けが欲しい。支えてほしい。そう本気で思った。
「咲夜、出かけるわよ」
自然と声が出た。私は自分ではっとする。
私の中で、咲夜はこんなにも大きな存在になっていたのか。
それは、私の知らない、私の部分。そこに居たのは、咲夜だった。
パチェでもフランでも美鈴でもなく。
一番つき合いが短い、咲夜だった。
私は咲夜を呼びつけて言った。
「永遠亭へ出かけるわ」
「かしこまりました」
不意に思いだした、あの薬師の名前が私を突き動かす。彼女ならば、どうにか出来るかもしれないと考えた。蜘蛛の糸にしがみつくように、私はその名前に希望を見出していた。
窓を開け、じっとりとした、肌にへばりつくような空気に包まれた夜に、私は飛び出した。その後ろでは咲夜が黙ってついてきている。
「……咲夜、こんな時間まで永琳は働いているかしら?」
「彼女は一晩かけて月を隠した人物です。夜に働くことぐらい、楽勝でしょう。もし寝ていれば、叩き起こすまでです」
咲夜は平然と言ってのけた。
私は心の中で、咲夜の動かぬ姿勢に安心感を覚えている事に気がついた。いつの間にか、咲夜は私の中で小さな、しかし確かな支えとなっていた。時計の歯車の一つで、無くなると時計が止まってしまう、そんな存在。
「ふん、何が何でも起こしてやるわ。例え、この夜を止めてでも」
永遠亭には、灯りがともっていた。真っ暗な竹林の中で異様とも言えるその光に向かって、私は近づく。やがて玄関までたどりつくと、おもむろに鈴を鳴らした。
「はあい、急患ですか? ってあら。どこぞの吸血鬼じゃない」
現れたのは鈴仙だった。こんな時間まで仕事をしていたのだろうか、いつものブレザーを着ていた。鈴仙の比較的はっきりとした言葉からも、どうやらこの永遠亭はあまり眠る事がないように思われた。
「永琳に用があるの。今すぐ会いたいんだけど」
「分かりましたよ。どうせここで追い払おうとして、弾幕勝負をする羽目になるのも嫌ですし」
鈴仙はそう言うと、私たちをあっさりと中へ通した。少し拍子抜けと言えば、拍子抜けだった。
「あなた、面倒くさい事が嫌いでしょ」
私が言うと、鈴仙はちらりとこちらを向いて、ため息一つつく。
「ええ、ええ。私は面倒くさい事が嫌いです。だって、寝る間を惜しんで、こんな時間まで開業しているんですもの。毎日の疲労が洒落にならないわ」
「でも、これは永琳の命令でしょう? 諦めなさいよ」
「私はあなたの優秀なメイドさんとは違うんです」
口の減らない兎だと私は思った。どうやら、あの異変から彼女は何も変わってはいないと言う事だ。
それを私は鼻で笑う事が出来なかった。
うらやましい、とは思わない。しかし、なぜかそれを完全に否定する事は躊躇われた。
「……」
生きる事に臆病な兎は、その分だけ長生きをすることができる。
理論的には、そうに違いない。しかし、生き物には心がある。はたして、心を無視して生き続ける事など出来るのだろうか。
「……何か?」
鈴仙が、警戒したように赤い目をこちらに向ける。
「いいえ、何も」
多分、出来る。この兎は、生きる事に熱心だから。それだけの為にこの永遠亭にいるのだから。
「師匠、レミリアさんが師匠にお話があるそうです」
木製の扉の前で、鈴仙は言った。すると中から、どうぞ、と短く答える声があった。鈴仙がちらりとこちらを見て、中に入れ、と合図をした。
「失礼するわ」
私は横開きの扉を開け、中に入った。月の住人、八意永琳は椅子に座って、難しい顔でこちらを見ていた。大方、こちらの目的が分かっているのだろう。
「ようこそ」
「要件は、言わなくても分かるわよね」
「まあだいたい」
永琳はそこに座って、と言って椅子を指差す。私は言われた通りに座った。永琳は神妙な面持ちで、私の方をじいっと見ていた。
しばらくの沈黙。その間、私の頭の中は様々な事柄が浮かんでは消えていった。これからどう言った事が言われるのか、予想してみたり、永琳の後ろにある薬の事、この部屋の光の加減、椅子の固さ、背中にぴったりと付いている咲夜の仕草、永琳の凛とした瞳。とにかく、私は目に見える情報を片っ端から拾い集めては意味も無く頭の中に詰め込んだ。
それらに意味などない。
そっと、永琳の唇が動いた。
「……あのパーティーの日」
ゆっくりと言葉を慎重に選ぶように言った。
「私はとても驚いた。ふつう妖怪には成長という概念がなく、生きているか、死んでいるかのどちらかに分けられる。けれど、あなたはまるで人間のように成長していた。とても、信じられない事だったわ。だから、私は過去のデータを探して、あなたと似たような事例を見つけた」
私は永琳の言葉の一つ一つに、ひやりと刃物を当てられているような冷たさを感じていた。
それと同時に私は心のどこかで永琳の言葉の続きを予感していた。雰囲気や、永琳の明らかな落ち込んだ表情から、導き出された最悪の結末。
「まず前例があった事にとても驚いた。それと同時に、予想が確信に変わった」
ざっくりと、喉を引き裂かれるような衝撃が私を刺激する。
「私ではどうしようもないわ」
永琳は諦めたように、言った。
「なんだと、お前はどんな薬でも作れるのだろう?」
自然と熱がこもる声。私が出した音とは思えないほどに切羽詰まった声が出た。
「レミリア、よく聞きなさい」
永琳は凄みのある声で私を制した。そのおどろおどろしい雰囲気に、私は身体ごと押さえつけられている様な気がして、声が出なかった。
「いい? これは病気でも何でもない。あなたはいたって、正常なの。言っている意味は分かるかしら? つまり、これは老化、なのよ。あなたは寿命がきた。身体の限界。細胞が死んでいる。私が薬でどうにか出来ない事はないけれど、死んだ細胞まで生き返らすことは不可能よ。
若返る、というか老化を止めるには何が必要か。それは新たな細胞よ。けれど、あなたには元の細胞が少ない。それは一つの種から、百本の薔薇を咲かせる事が不可能なのと同じで、一つの細胞から、百も二百もふやすことはできない。ましてや、あなたの生きた細胞も、もう分裂する事をやめている。今の姿を維持し続ける事は出来るけれど、それはやめた方がいいわ」
「いいわ、それで、いいから! 早くこの死の足音を止めてちょうだい!」
そう言うと、永琳の目が深い青色を呈した。
「本当に、心の底から言っているの?」
その言葉は、私の身体に電流を流したかのような衝撃を与えた。じんと指先が冷え、小刻みに震えている。
私は、今、何を言ったのだ。
しんと静まり返る部屋が、耳に痛い。
「……ごめんなさい。取り乱したわ」
「……」
永琳の言いたい事は、こうだ。
不老不死になってみるか、と。
愚問だ。しかし、それすらも判断できなかった。そんな自分に、私は絶望した。
今の私は、愚かだった。それ以外に、もはや言いようも無かった。
「とにかく、薬ではどうにもならない現実だと言う事をご理解願いたい」
永琳はそっと頭を下げていた。
その姿に私はひどく怒りを覚えた。
なんだ、これは。医者は私に頭を下げ、もう私の治療は出来ない、と言った。恐怖に打ち震える私は独り、路頭に迷う。
どうして、なぜ。一体どこから。
しばらくして、その怒りの矛先は惨めな自分に向けられているのだと知った。
力無くうなだれて、椅子に座った。ふさぎ込み、震える手で自分の頭を押さえる。咲夜がそっと、肩に手を添えてくれた。
こいつは全く持って笑い話じゃないか、え? かつて自信に満ち溢れていた過去の私はひっそりと影をひそめ、今では見えぬ死への恐怖におびえている。
こんな屈辱、あってはなるものか。
私は吸血鬼。妖怪の中でも特別な存在なのだ。
「……邪魔したわ」
私は震える足に力を入れ立ちあがる。迷路のように複雑な感情を抱いたまま、私はおぼろげな記憶と共に永遠亭を後にする。玄関では生きることに飽きたように、あくびをしていた鈴仙が立っていた。
「お帰りですか? お気をつけて」
と、鈴仙が言った。私はそれを無視して、玄関から外へ飛び出る。後ろから咲夜が駆け足でついてくる。
「ちょっと待って。魔法使いをここへ来させてくれない? 彼女と話がしたい」
不意に声をかけられたと思うと、永琳が立っていた。彼女の言う魔法使いがパチェの事だと分かるのに、少し時間がかかった。
「パチェを? なぜ?」
「……彼女は管理者だから。あの図書館の。私の口からは言えないけれど、あなたの老化は彼女が関係している事は確かよ。どうしても知りたいのなら、図書館の地下にある部屋に行ってみなさい」
「それって……今から私に図書館へ行けってこと?」
「どうしてもあなたが真実を望むのなら」
永琳はそう言って、さっさと奥へ戻っていった。
残された私たちはただぽかんとその場で突っ立っているだけだった。
「お嬢様、パチュリー様が紅魔館を出発しました」
「うむ」
永遠亭から帰ってすぐに、私は図書館の秘密を探る事にした。咲夜に頼んで、永琳がパチェを呼んでいる事を伝えさせた。私の心は、未だにパチェを許してはいなかったから。
「しかしこの図書館には、私は何度も出入りしていますが、そんな隠し部屋のようなものがあった記憶がありません」
咲夜が本棚の本を無造作に取りだしながらそう言った。
「けれど、永琳はこの図書館の地下に秘密があると言ったわ。基本的にこの図書館はパチェが住みついて、隅々まで管理している。そして、パチェはずっとここで寝泊りをしている」
「しかし、こんな短い時間に探さなくても、また明日や明後日でいいのではないんですか?」
「永琳がわざわざパチェを呼んで時間を稼いでいるのにはきっと理由がある。私が考えているのは、パチェが私の老いを知ったその時から地下にあるという、私の秘密を抹消しているのではないか、と考えている」
静まり返る図書館に足音を響かせながら、私と咲夜は本棚や壁を手当たり次第に探ってみる。しかし、階段らしいものは一切なく、ただただ時間だけが過ぎていった。
「さすがに、一筋縄ではいきませんね」
咲夜がぐったりとした様子で言った。多分、時間を止めて作業をしているせいだろう。
「もう全部調べたの?」
「ええ、隅々まで。しかしこれといって何も見つかりませんでしたわ」
「……探し切れていないだけで、きっとどこかにあるはずなんだけれど」
そう言ったものの、私も咲夜もこの図書館を調べつくしたはずだった。さすが、というべきかパチェが隠した地下だけあって、そう簡単に見つけられるものではないらしい。魔方による幻覚なのか、結界による防御なのか。
「お嬢様、私に一つの妙案があるのですが」
考える私に、咲夜が申し訳なさそうに言った。
「妙案? なに?」
「はい。実はしばらく前から考えていた事なのですが……」
咲夜は少しためらった後、意を決したように表情を引き締めた。
「単純に、この床を、お嬢様のお力でぶち破ればいいのではないでしょうか? そうすれば自ずと地下の部屋にいきつくはずです」
少しの間をおいて、私は咲夜の言っている事が理解できた。それと同じように、提案された案の弱点も見つける事が出来た。
「単純で馬鹿らしい案だわ。けれど、行き詰った今の段階では、妙に良い案に思えてくるわね」
「床の薄そうな所は、見当が付いております」
「この固そうな床が、割れるかしら」
「今のお嬢様のお力なら、或いは可能かもしれません」
咲夜のトンデモな案は、前が見えない焦燥感に囚われつつある私にとって、ストレス発散と言う意味でも、状況を打開すると言う意味でもいい方向に捉える事が出来た。普段ならもう少し考えて結論を出す所だったが、もうそうする判断力すらも私には無かった。
「……そこに案内しなさい。やれるだけやってみるわ」
私がそう言うと、咲夜は自分の足元の床を指さした。
「ここの、図書館の南側の最奥の床は比較的薄くて脆いです」
「ここね」
膝を曲げて、床を触ってみる。冷たい水のようにひんやりとした温度を持った床は、思った以上に頑固そうに感じられた。この先は、行かせまいという意思すらも、感じられる。
悪いけど、先を行かせてもらうわね。
そう心の中で思いつつ、私は拳を握る。魔力を拳に集め、腕を振り上げ、呼吸を止めて一気に貫くイメージで。
飛びあがって天井から加速して床へとダイブする。
「はぁあああ!」
床と拳が触れた瞬間に、身体が細かな振動に包まれ、その後に恐るべき衝撃がやってきた。床は私を中心に大きな音を立てて粉々に砕け散り、周りにある本棚が傾き、本がばさばさと落ちるのが見える。そして私は地面にことりと尻もちをついた後、しばらくそのまま動けなかった。全速力で走った時のように、全身が倦怠感に包まれる。
「お嬢様! 大丈夫ですか?」
咲夜が心配そうに私を覗き込んだ。
「ああ、大丈夫よ。それよりも、成功して良かったじゃない」
咲夜を見上げて、私は座ったままでそう言った。
周りを見ると、真っ暗な、しかしそれなりに広い地下室に私はいた。永琳の言う通り、図書館の地下に地下室が存在した。
「すごい揺れでしたね。紅魔館全体が地震の時のように揺れました」
咲夜が私の側に降りてきてそう言った。その手には包帯があった。
「あれだけド派手に壊せば、そうだろう。それよりも、電気とかないのかしら、この地下室」
「すぐに探してまいります」
咲夜は暗い地下室に消えていった。人一人分ほどの穴から漏れる光だけが、スポットライトのように光を照らしている。ふと上を見上げると、結構な高さがあった。五メートルほどの高さ。床は一メートルほどの厚さがあっただろう。我ながら、よくも穴をあけられた物だと感心する。
と、不意に周りが明るくなった。私は思わず目を細めた。そして徐々に目を開ける。
「な……」
驚いた。とてつもなく、驚いた。
地下室は、広かった。それも図書館と同じぐらいの広さがあった。私は自分の部屋ほどの広さをイメージしていたが、まさかこれほど広い地下があるとは全く思わなかった。
そして、そこにもいくつかの本棚があり、大量の本があった。ただし、こちらは上の図書館ほどの本は無く、精々十分の一ほどの量だろう。そして、この部屋には、摩訶不思議な機械や薬品がたくさん置かれていた。カプセルのような物や、ボタンがたくさんついた機械。棚に収められた、様々な薬品。巨大な冷蔵庫。
「これは一体、なに?」
思わず口にした、独り言。
「お嬢様、ここは一体何でしょうか。私は、少し不気味に感じます」
側に寄ってきた咲夜が言った。それが彼女の正直な感想だろう。私だって同じだった。
私はようやく力が入り始めた身体を起こし、立ち上がる。そしてゆっくりと本棚の本を手に取った。
幻想郷では使われていない不思議な文字で書かれた本だった。中身もまるで見当がつかない。しかし、この部屋が私の老化に関わるとしたら、一体何が関わっているのだと言うのだろうか。
パチェはここで何をしていたのか。何の目的でこの地下室は存在しているのか。
いくら私が吸血鬼だと言う強大な妖怪だとしても、ここの部屋にある設備と大きさは、私という存在にとってあまりにも不釣り合いに思えた。
その時、ばさりと本の落ちる音がした。見ると、咲夜が恐ろしい物を見たような目で立っている。足元に、日記のような本が無造作に落ちていた。
「咲夜、一体どうしたの?」
私が声をかけると、咲夜は震えながらこちらを見た。その目には明らかな怯えがあった。
「あ……ああ……」
「咲夜……?」
咲夜はそのまま腰から崩れ落ちた。息が荒く、焦りと不安からか、心臓が止まってしまうのではないかと思う程、狼狽していた。
「大丈夫?」
手を差し伸べる。
その時、咲夜が私の手を払いのけた。
乾いた音を鳴らして、行き場を失った私の手。
私は呆気にとられた。まるで母親とはぐれてしまった事に気が付いた、子どもの様に。
「あ……」
咲夜は自分でも何が起こったのかよく分からないといった表情をした。
「咲夜、あなたどういうつもりかしら?」
冷静になった私が問い詰める。
「レミィ……そこから立ち去りなさい」
はっと後ろを振り返ると、パチェが立っていた。図書館から私が開けた穴から下りて来たらしい。
パチェの目は真っ黒なまま、こちらを見つめていた。冷たい目だ。それも、私の指先がひやりとするほどの、緊張感を持った目だ。
「パチェ、この部屋は一体どういう部屋なのかしら?」
「忘れなさい、レミィ。それがあなたにとって、最良の選択だと私は思う」
「忘れろって、それは無理よ。ここは私に深くかかわる場所でしょ。今さら引けないわ」
「……」
パチェはしばらくその暗い瞳をこちらに向けたかと思うと、ふっと諦めたように笑った。
「忘れることは出来ないわよね。分かったわ、いつかあなたにこの部屋の事を離す時が来るでしょう。でも、それは今じゃないし、それにこの部屋はそろそろ、閉鎖するつもりなの。だから、今すぐ、ここを出た方が身のためよ」
そう言って、こちに手を伸ばす。とその瞬間、あらゆる場所から火がともった。その炎は乱暴で、ある固い意志を持ったように全てを焼きつくさんとしていた。
「パチェ、これは一体どういう事!」
一気に温度が高くなった皮膚を感じつつ、私はパチェに向かって叫んでいた。が、脇から腕がぐんと伸びてきて、私はうっと喉を鳴らした。
「早く……上へ……」
咲夜が私を抱えて、一気に図書館まで避難した。時間を止めて避難したためか、咲夜はすぐに力尽き、図書館に出た途端に私を抱えたまま倒れた。
「咲夜!」
「私は……、お嬢様、私は、全てを……思いだし……」
そう言って、咲夜は目を閉じて眠り始めた。気を失った、という方が近いかもしれない。
振り返ると、穴から出て来たパチェと目があう。
「これはどういう事? ここもいずれ火事になるわよ。パチェ」
私は怒りに震えていた。
「下の部屋はそろそろスプリンクラーが作動して、炎は消えるわ。あの炎はあの部屋の紙媒体を無くす役割を果たせばそれでいい。薬品に火がつくと危険だけど、そうならないように祈るだけね」
「そうじゃない。パチェ、私たちを殺す気だったんでしょう」
「レミィはあんな炎じゃあ、死なないわ。むしろダメージがあるとするなら、スプリンクラーの方よ」
「一体なんの話を……」
そこまで言って、ざあっと雨の音が聞こえた。
「この音は……?」
「地下室には、火事になると勝手に水を降らせる装置がある。あのまま部屋に居ると、その水であなたは参っちゃうのかもね」
私の開けた穴から煙が上がる。図書室は焦げくさい匂いに包まれていた。天井の方では小悪魔が一生懸命窓を開けて煙を逃がそうとしている。不思議と本棚には煤一つついていない。パチェが魔法で守っているのだろう。
「正気を疑うわ。パチェ。私はもう、あなたが分からない……」
「分からなくてもいいわ。それでももう、あなたの老化は止められない。月の賢者にそう言われたでしょう?」
「永琳から聞いたのね」
「咲夜に呼ばれて、急いで向こうへ行って、あなたの事を聞いたわ。月の賢者は、あなたに余計なことを吹き込んだ。私はとても怒ったわ。なんでそんな事をしたの、って。レミィの身に何かあったら、私は生きていけない。本当よ。私は隠し事は多いけど、嘘はつかない。今回の事も、私が考えうる最も良い選択だと思う。私は、どこまでも、あなたの事を愛している。あなたにどう思われようと、私の気持ちは変わらないし、その気持ちは必ずレミィに届くと信じている」
パチェは暗い瞳を持ったまま、淡々と話し続けた。その告白は、多分パチェの本心だと思った。
パチェの全身から滲み出る暗い雰囲気は、嘘をつく時の軽い空気とは程遠かった。この暗さは、パチェ自身の心を映し出したものであり、それは全く誇張されていなかった。
パチェはどこまでも私の事を考えていた。半ば狂っていると思われる行動も、私の為だと言う。
なぜそこまで信頼できる。
なぜ私がパチェを裏切らないと言い切れる。
なぜパチェは自分に対して強くいられる。
私には、もう何が何だか分からなかった。
分からない。分からない。
世界には知らない事が幸せな事が多い。
「パチェ……」
そこまで考えて、私は眠りに落ちた。パチェの魔法に違いないと思ったが、自然と振り子を描く身体には抗うことは出来なかった。
紅魔館は今にも雨が降り出しそうな鈍く重い空気に包まれていた。いよいよ私の老化を止める事が出来なくなってきている、という一種の絶望感が、この紅魔館にも伝播しているらしく、性質の悪い風邪のように紅魔館の住人の気力を次々と奪っていった。
私はめっきり部屋から出なくなっていた。どうしても外出する気になれない。聞いた話では、咲夜も同じような状態だったらしい。そして独りで様々な出来事を深く考えるようになった。パチェに頼んで本を取り寄せ、あらゆる知識を取り込む。一回読めば大体の事柄は記憶する事が出来た。そして、本を読む事に飽きると、目を閉じてゆっくり深呼吸しながら眠りについた。
「入るわよ、レミィ」
パチェの声がした。私は黙っている。いつの間にか、それが入室を許可する合図になっていた。パチェは丁寧にドアを開けて、足音をなるべく立てずに歩いてくる。
「気分は悪くない?」
優しく抱き抱える様に、パチェは私に声をかける。
「ええ、大丈夫よ」
「何か答えは見つかった?」
「いいえ。けれど、少しずつ何かを掴めている気がするの」
「それで十分よ。レミィ。今日はちょっと、散歩に出かけてみない?」
「パチェからのお誘いなんて珍しいわね」
「久しぶりに、ね」
たまには気分転換を、と言う事だろう。その気づかいが、私にとっては辛い。しかし、嬉しかった。相反する感情を私は抱いている。
一体どちらが、本当の自分なのだろうか。
ドアを開けるともう日は沈んで明るい上弦の月が浮いている。雲ひとつない、綺麗な夜空だった。
私たちは何も言わず、広い庭園を歩きまわる。かつかつ。かつかつ。石段で出来た歩道の周りには、色とりどりの花が植えられている。しかしそれらは夜になり、自分の出番が終わった舞台役者のようにひっそりと佇んでいた。
「私は」
パチェが喋る。
「私はレミィの本当を見ることを拒否したの。こんな美しい物が、朽ちるはずがない。私の大切な友達が、朽ちるはずがない、って。盲目よ。魔法使いが聞いてあきれるわ。そう、レミィはただの吸血鬼で、人間よりは寿命が長いかもしれないけれど、生き物なんだって事を重々思い知らされたわ。だから、これからは、今まで以上に、もっとレミィを想うことにした。それが迷惑だとしても、ね」
「パチェ……」
その言葉は本物だった。
だからこそ、パチェには訊かなければいけない事がある。
「パチェ、あなたは一体なにを知っているの?」
あの透明な液体。図書館の地下にある、実験室のような部屋。そこにおいてあった、魔導書ではない本。
「……今は、そうね今は何も言えない」
「パチェ! はぐらかさないでよ!」
「……ごめんね、レミィ。あなたは知らなくていい事なの。でもいつか、あなたに話してあげるから。だから、それまで我慢して頂戴」
「いつかって、いつよ」
「ごめんなさい」
私の方を向いてにこりと笑いかけるパチェは美しかった。
覚悟だと思った。
ここまで知られて、なお私に隠し事をしている。
生半可ではない、覚悟がそこにある。自分が楽になるために、真実をぶちまける事などせず、パチェはパチェの中で、私への不信感を一身に等身大で引き受ける。
そこまでして、守りたい秘密。
私は何となく感じていた。真実が私たちの絆を、今以上に傷つける事を。
頬を、一筋の涙が伝った。
私は目の前の親友のために、涙を流した。
「馬鹿……そんな、の、許さない、から……」
私が声にならない声でそう言うとパチェは優しく私を抱きしめてくれた。その腕の、胸の、頬の温かさを感じつつ、私はゆっくりと目を閉じた。
何かが壊れ始めていた。
私たちの関係が、音を立てて崩れていく。その先を見る事を、私は決して明るい気持ちで迎える事ができそうにもない。
心が落ち着いた後、私たちは紅魔館に戻った。すると、玄関ロビーで、咲夜が私たちを出迎えてくれた。
「あら、咲夜、身体は大丈夫? お迎えなんて頼んでない」
そこまでパチェが言うと咲夜がナイフを一本取り出した。それは、私が香霖堂で買って、咲夜にプレゼントしたものだった。
「……どうしたの? 何か様子が変よ?」
私がそう言うと、咲夜はうっすらと笑みを浮かべた。
その瞬間、咲夜を取り巻く空気が変わった。
それは、ひたすら冷たいものだ。それ以外の感情が込められていない、純粋な感情。名づけるとするならば、恨み。
辺りでは、妖精がざわざわと集まってきていた。この異様な雰囲気を察知して恐る恐る集まってきたのだろう。集まるものの、誰も私たちと咲夜には近づかない。
と、咲夜が言葉を発した。
「お嬢様には、このまま歳をとって、死んでいただきますわ」
咲夜はいつもの調子で、けれど私には決して向かれる事の無かったその冷たい言葉を、放った。
一瞬、屋敷中の者たちが動きを止めて、咲夜を見つめた。
私の鼓動は、自然に早くなり、息を吐くのが苦しくなった。顔がこわばり、何かを言おうとしても言葉は胸で詰まるばかりだった。
「動くな、咲夜。それ以上、喋ると、あんたを殺すわよ」
パチェが殺気のこもった声を出す。けれど、その言葉すら、私は遠くの国の戦争の話を聞いているような、実感の無い物に聞こえた。
「パチュリー様は何か勘違いをしていらっしゃるようですね。では話してあげましょう。なぜ、お嬢様が急に歳をとっていったのか、その理由を。最も、大半は私の推測ですがね」
咲夜は、まるで別の魂が入れ替わったかのような口調で話し始める。
「お嬢様は、人になり下がった。それは肉体的変化の事ではなく、精神的な話になります。人間的な感情、例えば悲しみ、喜び、恨み、憂い、戸惑い、愛情。そう呼ばれる感情があなたには無かった。お嬢様は常に第三者としてこの世界を生きてきました。人を殺める事、客人を招いてパーティーを開く事、従者と午後のひと時を過ごすこと、その全てはお嬢様の中で、同じ平面上で起きている出来事だったはず。言うならば、雲の上から地上の出来事を監視している、人工衛星みたいな物なのですよ。もちろん笑った顔や怒った顔、見下した顔は出来るけれど、お嬢様はここの場ではそうするべきだ、という客観的事実に基づいて表情を変化させていたにすぎません。そこには何も無い、まさにプログラムされた行動だった。その証拠に、お嬢様、あなたは人間を殺したときに、何を考えていましたか? 喜びですか? 悦ですか? 悲しみですか? 何も感じませんか? どうでもいい事ですか?
どれも違うはずです。あなたは、その時々において、自分より高位なる者、それが神様と呼ばれる物なのかは知りませんが、そいつに言われたままに言葉を紡ぎ、顔をねじ曲げ、息をしていた。そこに感情は無く、ただ、そうした生の模倣行為が行われていたにすぎません。物体が大気中で自由落下するように、陽は東から昇る様に、あなたの行動そのものは『自然』と呼ばれる現象でしかなかったのです」
高らかと話をする咲夜は、私が見た咲夜のどれよりも美しく、純粋だった。
「お嬢様がなぜ自分自身を傷つけなかったのか、分かりますか? 自分を傷つける行為は、そこに感情があって初めて行われる行為だからですよ。そうでしょう? ロボットは自殺なんかしない。雲は自分が消えてなくなるために雨を降らせてはいない。それと同じ事です」
「お嬢様はいつしか、そんな自分を解放してくれる存在を無意識に求めた。なぜか。それはお嬢様の無機質な砂の器には、確かに魂が存在していたからです。しかしお嬢様の魂は、フラン様のようにとても暗く深い所で縛りつけられていた。お嬢様の身体が成長しなかったのは、この魂が外からの情報を取り入れる事が出来なかったからなのですよ。お嬢様の魂は解放されたかった。魂のあるべき形をとりたかった。その欲求を満たすために、あなたはこんな紅魔館と言う茶番を敷いたのです。自分の周りの生と死をより自分の近くで入力し、その情報からお嬢様自身の魂を深い暗闇から見つけようとしていた。たとえそれが、肉体を失う時ことでも良い。それがこの茶番、つまり紅魔館の正体です。自分に接する命たちの激動をより一層魂に届けやすくするために造られた、教会のようなところ。パチュリー様が必死に隠していたのは、そうした事実をお嬢様に隠すためです。隠さなければ、お嬢様は寿命がきて、死んでしまうからなのです。フラン様を閉じ込めたのも、フラン様が歳を取らないようにするため。フラン様はお嬢様と異なり、普通の妖怪です。姿形が変わらないのは、お嬢様が閉じ込めたからなんです。どうしてそんなまどろっこしい事をしているのか、さすがの私にも分かりかねますが」
そこまで喋って、ふっと咲夜は空を見上げる。天井のステンドガラスから月の光が差し込み、咲夜を照らしている。辺りにいた聴衆は、まるで劇のクライマックスを見ているかのように、静かなままだった。心臓の鼓動が止まったかのように。
「私は、ずっとあなたに復讐をしたかった。殺したかった。しかし、あなたは砂人形のような存在だから、そのまま殺しても、あなたは何も感じず、ただあるがままに朽ちていくだけ。そんな事は、私が許さない。だからこそ、私はあなたの魂を引きずり出すことにした。そして、その魂を殺すことで私の復讐とすることを誓った。それから十年、結果は出た。あなたは、私に魂を救われ、感情を持ち、私に好意を持ち、そして絶望している。これだ、これこそ、私が望んだことだ、なんと素晴らしい日でしょう!」
腕をあげ、全身を使い、喜びを表現する咲夜の姿から、目が離せなかった。
パチェが怒声をあげて、怒り狂っていたが、私にはさっぱり聞き取れない。
頭の中は真っ白で、けれど私の視界には、はっきりと微笑を湛えた咲夜が映っている。いつもと変わらぬ格好で、咲夜はそこにいた。
視線がぶれる。世界が歪む。
ああ、可笑しいな。まるで、咲夜によく似た人形がそこに居るんだ、と思った。
同時に、これは悪い夢なのだ、とも思う。
私が人形だという。
そうか。パチェが隠していた事実は、そう言う事だったのか。
妙に安心できたのと同時に、私の咲夜がぐんぐんと遠くなる。
目まいがして、意識が遠くなった。どっと身体から力が抜け、私はそのまま夢の世界へと落ちていく。
何かが、割れた。私の中で、それは致命的だった。
コップに入れた満杯の水があふれ出すように、私は壊れた。
また、あの紅魔館へ戻ろう。
皆で紅茶を飲み、どうでもいいことで笑いあい、時にはダンスでもしながら、お酒におぼれたあの黄金の日々に。
この世界は、私の知っている幻想郷ではないのだから。
どれくらい眠っているのだろうか。分からない。全く分からない。
よく夢を見る。昔の夢だ。咲夜の夢だ。なぜ今になって思い出すのだろうか。どうしても私の心の中から払しょくされない、強烈な記憶には違いないだろうけど。
咲夜と出会った夜は、よく覚えている。それはきっと、咲夜が私の側に居る限り、忘れられないだろう。
あの日の晩は、満月だった。とても興奮した私は、まるで自分がこの世で一番美しい生き物だと勘違いしていた。
そして、人間を、向こうの合意のもとで、決闘を行い、この手で殺めた。それは本人にとっては満足だったのかもしれないが、幼い子供にとってはその行為は決して高尚な物だとは映らなかったらしい。
「どうして、父さんを殺したの……」
泣きながら、彼女は私にしがみついた。その手にはナイフが握られていたが、安物のナイフでは私を傷つける事すら出来なかった。
「お前では、無理だよ」
「ぐう……」
その時、彼女が不意に倒れた。ごとりと音がして、次の瞬間には意識が無くなっていた。私は冷静に、彼女の首筋に手を当てる。うっすらと浮かぶ青い血管が、微かに動いているのを指先に感じ取れた。それは、咲夜が生きている証でもあった。
普段なら、そのまま置いていくはずだった。しかし、私はその場に突っ立ったまま、気を失っている彼女の側から離れられなかった。
挑んでくる人間の大半は、孤独だった。それでもごく一部には家族がいる人間もいた。私にとってはあまり意味の無い情報だが、こうして殺された親の敵討ちの為に、軍隊に入隊したり、特殊な資格を持つ子どもいた。そうした子どもが大人になり、私に挑むこともこの永い間、何回か見受けられた。まさに親子そろっての因縁、である。ひどい場合は孫まで挑んできたこともある。
彼女のような子どもは珍しくも無く、さして私の気を引く相手でもなかったはずだ。
けれど、彼女の向こうで横たわっている人間の赤い血と、月明かりに照らされて綺麗な薄青い色に染められた床とのコントラスト、そして眩しいほどの満月は、私を興奮させるのに十分な舞台装置だった。だからなのか、私は気を失っている彼女をもう少し見たいと思ったのだ。
しばらく椅子に座って眺めていると、彼女の意識が戻った。重そうに体を持ち上げ、十分に覚醒していない意識のまま、私をぼんやりと見つめていた。
私は彼女の名前を呼んであげる。
「おはよう、咲夜。悪夢からは、解放された?」
「……」
「咲夜?」
私が楽しそうにそう言っても、咲夜は目を半開きにしたまま、動かなかった。少し様子がおかしいな、と思い始めた矢先である。
「あなた、誰? ここ、どこ?」
「……あら、まあ」
咲夜は見事に、記憶を無くしていた。きれいさっぱり、だ。
「私、誰? 咲夜って私の事?」
「……ええ、そうよ。あなたの名前よ。私がつけた名よ」
当然、嘘だ。
「なまえ」
咲夜は手探りで物を判別しようとする赤ちゃんのように、ゆっくりと自分の名を反芻した。
今思うと、この記憶の忘却が、咲夜を側に置こうと思った一番の原因だったと思う。私を見てショックのあまり発狂する者や、ろれつが回らずそのまま狂い死んだりする者はいたが、記憶を無くした者を見たことは無かった。だからこそ、咲夜の記憶喪失という現象は、強く私を惹きつけた。
「ふわあああ」
咲夜が後ろにある人間を見て声をあげた。人間が倒れている事に驚いている。この反応からすると、横たわっている人間が誰なのか、誰が殺したかも分かってはいないのだろう。
そして私は、それをいいことに咲夜に嘘を教え込んだ。咲夜にとって、致命的な嘘を。
「そいつが誰だか分かるか?」
「わ、分からない……」
「そいつはお前の父だ」
「え……」
予想通り、咲夜は目を丸くして驚いた。
「お前は私の部下になるために、自分の父親を殺したんだ」
「私が、この、人を?」
「そう、だからお前は晴れて、私の部下になれる。おめでとう咲夜」
その時の私は、実に残酷に笑っていたのだろう。あの時の自分は、最高の悪役に違いない。
「さあ、手を。お前の面倒は、私が見てあげよう」
「……はい」
幼い咲夜の手を強引に引っ張り上げる。咲夜は私のいわれがままに、手をあげたという感じだった
「あの、あなたの名前、は」
たどたどしい言葉で、咲夜は尋ねる。
「私は、高貴なる吸血鬼、レミリア・スカーレットだ。私の事はお嬢様、と呼びなさい」
「吸血鬼。レミリアお嬢様」
「そうだ、いい子だ」
そして私は咲夜を背中に抱えて、薄気味悪い夜の街へと繰り出していく。羽を広げ、空高く舞い上がる。背中におぶっている咲夜は口をあけたまま、ぽかんとしていた。夢を見ているかのような光景に、頭が追いついていないようだった。
「お嬢様、なぜ私はお嬢様の部下になろうと思ったのでしょうか。どうしても思い出せないのですが」
しばらく飛んでいると、咲夜が突然そう話しかけて来た。
「それは知らないよ。お前が私の所に来て、突然私の弟子になりたいと言ったんだ。理由なんざ、私の預かり知らぬことだ」
「いつか、思い出す時がくるでしょうか……」
「思い出す時はきっと、お前が死ぬ時だ」
そう、私の作った咲夜が死ぬ時。
咲夜はそれを、別の意味で取ったのか、その後だんまりとしていた。私は特に気にせず、自分の住処、紅魔館へと向かう。
この日は本当に静かな夜で、風が弱く木々の葉音も響かなかった。耳に聞こえるのはごうっという気流の音だけ。
咲夜がどんな顔をしていたのか、私には分からない。ただ、振り落とされないように必死に肩を掴んでいた。
「ああ、それから、もし私の部下をやめたいと思ったのなら、私を殺すことだ。父を殺したように、私を殺すのだ」
最後に私はそう言った。
こうして咲夜は全く人を殺めていないにもかかわらず、人を殺めた者にしか身につける事の出来ない超然とした精神を手に入れた。それは私の側に居るうえで、とても重要なことだった。
その後、咲夜の時間停止や空を飛ぶ能力は私やパチェが仕込んだ訓練の賜物だ。思春期に差し掛かった咲夜は部屋に引きこもる様になったり、情緒不安定な時期もあったけれど、それも過ぎて、私の理想のメイドとなった。
ただ、なぜ面倒な事になると分かっていながら、私が人間のメイドを雇ったのか、という疑問は常に私の中で渦巻いていた。
これだけは、夢の中でも解決されぬままだった。
しかし、咲夜が言った事が正しければ、答えは一つしかない。
そこに救いを求めていたのだろう。
あの咲夜が、とうとう私を裏切った。元に戻ったと言うべきだろうか。
昔の私ならむしろ、待ち望んでいた状況かもしれない。
今は、どうだろうか。
ああ、水が欲しい。喉から、口から、身体から溢れんばかりの水が。そしていっそ、私をそのまま殺してくれ。
これが私が望んだことなのだろうか。この苦しみが、これが生きると言うことならば、私は感情の無い、ロボットの方がましだ。
それは、今の私にとって、とても自然に思える事だった。
「……」
「レミリア様、起きて下さい」
まどろんだ世界から私は引きずりだされた。暗い視界に光が満ちる。そこには美鈴の姿があった。
「美鈴……」
「しっかりしてください。レミリア様」
懐かしい、と思ったのは私が随分と眠っていたからだろう。
「ああ、美鈴。咲夜はどこへ行ったの?」
私はベッドに横たわったまま、力無く呟いた。
「咲夜は分かりません。お嬢様はあの日の晩から三日ほど寝込み、その間に咲夜はどこかへ消えました」
美鈴の少しだけ苛立った声から、咲夜の話題に対し、敏感になっている様子がうかがいしれた。
「やはりあれは事実だったのね」
「レミリア様、気をお確かに……」
「ねえ、美鈴。私はこのまま死んでいくのかしら」
自虐的な笑みを浮かべて、私は言った。私の思考は、どん底だった。何を考えても、生きる気力が湧いてこない。生きることを意識している時点で、それはもはや、追い詰められている証拠に他ならなかった。
「馬鹿を言わないでください!」
美鈴は驚くほどの声をあげて、私を怒鳴りつけた。その声に私は身体の中心を揺さぶられるような力のうねりを感じた。
「咲夜がレミリア様の心を解き放たれたのです。それゆえに、レミリア様は歳をとられた。それも、急速に。そこまでは分かりますね。そしてここからがとても大事なのです」
美鈴は必死に涙をこらえようと、歯を食いしばっていた。
「咲夜は虎視眈々とレミリア様の命を狙っています。ですから、咲夜の安易な行動に、決してだまされないでください」
「……何ですって?」
「レミリア様、私は咲夜を信用してはならない、と言っているのです。今の咲夜は、あなたの知っているメイドでも、掃除係でもありません。敵です」
美鈴はさも当然の事を言っているようだった。
私には性質の悪い冗談にしか聞こえなかった。心がそれを否定し、身体は強張るばかりだ。
「美鈴、私は、分かっているつもり。けれど、咲夜の事は私には簡単に割り切る事が出来ないの」
「レミリア様、気を確かに。今しばらく、お休みになられてください。今のレミリア様にとっては、この悲しみは致命的です。咲夜の事は我々が必ず見つけ出してみせます。だからどうか、今だけは……」
途中から美鈴は涙目で、祈る様に言葉を吐いた。
その時、気がついた。
ああ、私だけじゃなかったのだ。咲夜が居なくなって、ショックを受けたのは、私だけではなかった。
どこか後ろめたい空気が流れる紅魔館。それは決して、私だけの問題ではなかったのだ。
美鈴は目に溜めた涙をこらえ、私のベッドに座る。
「咲夜は、あの子はとても素直な子です。いくら心を隠して生きてきたとしても、何十年も一緒に住んでいたのですから、隠しきれないこともあります。咲夜は今もどこかに隠れて、ひっそりと隙を窺っているでしょう。そして同時に、悲しみに心を痛めているはずです。私はそう思います。それでも、咲夜が、両親の仇を取りたいと言うのならば、私は全力で、レミリア様を咲夜から守ります」
美鈴はそう言って、すっくと立ち上がり部屋から出て行った。
一人残された私は、孤独を感じていた。身体の震えが止まらない。不快だ。気持ち悪い。毛布をかぶり、身体を暖めようとする。どうして生き物は、身体の調子が悪くなると毛布にくるまり、温かさを求めるのだろう。胎児の記憶がそうさせるのだろうか。
咲夜、と呟いてみた。そこにはいないはずの従者の声が、耳の奥に響いてきた。まるで耳元でささやかれているかのような錯覚を覚える。鼓膜を震わせ、頭の中を駆け巡る。
咲夜。また呟いた。はいお嬢様。その浮ついた声が、紅茶を用意する優しい手つきが、こちらを観察するようにころころと動く黒い瞳が、ありありと感じられた。
分かっている。いつまでもこうして感傷に浸っているわけにはいかない。私は、やるべき事がまだたくさんある。いつまでも、咲夜に振り回されるわけにはいかない。
けれど。
「咲夜……」
目を閉じたまま、何もかもを忘れる様に意識を落とす。頬に一筋の涙を感じながら。
それが今の私にできる、心を守るための手段だった。
朝がきて、夜が来る。いつになっても、気分が晴れる日は無い。
「レミィ」
ノックもせずに、パチェが部屋へ入る。その音や気配、パチェの甘い香りが私の感覚を刺激する。しかし、それに私が反応する事はない。入力ばかりが敏感になって、出力はいよいよ鈍くなる。
「……」
言葉を発しようとしても、全く唇が動かない。まるで魅力的な魔法にかかったかのように。
「レミィ」
パチェが心配そうに私の顔を覗き込んだ。嫌な顔もせず、醜く歪んでいく私の顔を覗き込んだ。
「レミィ、残念だけど、あの子の事はもう忘れた方がいい」
「知っている」
「うそ。あなたはまだ、あの子の事を忘れられていない」
「パチェに何が分かるんだ!」
かっと感情が高ぶった。と、その瞬間
「分かるわよ!」
とパチェが叫んだ。
「私は曲りなりにも、咲夜に愛情を注いできた。私だって辛かった。あの子が私たちに牙をむけ、衰弱しきったレミィに畳みかける様な真似をしたことをショックに思う。けれど、それはもう過ぎてしまった事なの。私たちが今、なすべきことは、自分たちの身をいかに守るか、ということ。生きる気が無いのなら、その気になるまで私がずっとレミィを支える。咲夜の代わりに、私が」
「パチェ、あなたが咲夜の代わり? 冗談でしょう? 咲夜の代わりなんて、誰にも務まらないわ。それこそ、私が私で無くなってしまう」
「……そう。分かったわ。もういい。それならレミィ、私が咲夜を連れてくる。たとえどんな形であろうとも」
「なんだと?」
パチェは思いつめた表情で、私を見つめる。
「許さないわよ、パチェ」
「あなたが許さなくても、私はやる」
「本気か? 本気だったら私はパチェをこの手で殺めなければいけない」
「やってみなさい。ただし、それは咲夜の問題が解決してから」
右手を振り上げ、全体重を乗せて、パチェに襲いかかった。パチェは何か抵抗するかと思いきや意外なほどに、抵抗もせず、そのまま私がのしかかる状態になった。
「パチュリー!」
パチェの首筋、薄く白い皮膚の下の大きな血管に向けて、長く鋭い爪をたてた。それでもパチェは動じない。
「なぜ、動かないの? どうして? なんでパチェはすぐに次へ進める!」
「……」
顔が火照るほど、私は感情が高ぶっていた。パチュリーはそれでも、動かない。
「私は一度、失っているから」
「なに?」
「全てを私は失っている。それでもレミィ、あなただけは失いたくない」
本気の目。パチュリーの瞳の中は、龍が住んでいるかのように荒々しい。
「咲夜、あの子を失うことはとても悲しい。本当に、悲しい事。けれど私は……」
そこまで言って、パチェの瞳からぽろぽろと涙が流れた。感情が堰を切ったように溢れ出る。
「パチェ……」
涙を流し続けるパチェを見て、私はもうどうしていいのか分からなくなってきていた。
壊れている、と思った。この紅魔館が散り散りになっていた。
パチェをそっと抱きしめ、私は目を閉じる。
小さく耳元で、ごめんなさい、と言った。その瞬間、胸の中に渦巻いていたどろどろとした感情がすうっと吐き出されていくように感じられた。
ああ、私は何をやっているんだろうか。
ようやく、心がいきり立った。分かっている、今なすべきことは干渉に比ある事じゃない、分かっている。
頭で分かっていても、ふさぎこんでいた私には、それが出来なかった。
けれど今なら立ち直れる気がした。
咲夜のことも、老化の事も、前向きに捉えられる、そんな状態。
「パチェ、ありがとう。迷惑をかけてごめんなさい」
「レミィ……」
「今すぐは無理だけど、少しずつ、前に進んでいくから」
パチェは微笑むと、何も言わずに私の胸の中にもたれかかった。私は無言でパチェを支える。
咲夜のことを考えた。咲夜は一人で震えているのだろうか、それとも普段通り、お湯を沸かして、紅茶の準備をしているのだろうか。
一体誰の為の紅茶を煎れている?
いつか、決着をつける時がある。そのときに、私は迷うことなく、行動できるのだろうか。
そんな事を考えていたが、それはもう少し後にすることにした。
今はこの手に抱いている、小さな背中の温かさを守ることで精一杯だったから。
それから数日が経った。咲夜の行方は見つからない。人里で何件かの目撃情報があったが、咲夜の住んでいる場所を特定するまでは至らなかった。
私は少しずつ外へも出る様になった。あれだけ落ち込んでいた自分がもうとうの昔に思えるほどには、精神的にも回復していた。
このまましばらく平穏が続くと思われた、そんな矢先に、咲夜からの連絡が舞い込んできた。
こんこん、と窓から音がした。私はそれを無視して、ベッドの中に沈んでいたが、またこんこんと音がした。
どうやらこの音の主は明確な意思を持って、私の部屋の窓を叩いているようだった。私はその主がどこまで本気なのかを知りたくて、もうしばらく無視を決め込むことにした。
ガシャン。鋭い音。
私は瞬間的に起きた。窓を見ると、割られた窓ガラスの中に、手紙があった。
それっきり、無音が続いた。
私はベッドから下りて、ガラスの破片にまみれた手紙をそっと持ち上げた。
直感的に、私はそれが咲夜のものだと理解できた。自分でも不思議だったが、そう自然に思えた。
封を切り、中を読む。
『レミリア様へ。過去を知りたければ、一人で私の所へ。明日の夜、上弦の月が地平線に沈む頃、湖のほとりで、また会いましょう』
咲夜はきっと、私を殺すつもりだろう。そんな気がした。私の過去を、咲夜が本当に知っているかどうかはともかく、私は咲夜を強く求めていた。
咲夜にまた会えると思うだけで、胸がどきどきした。
結局のところ、私は咲夜がいるだけで安心できた。どんなにひどい言葉を言われても、どんなに裏切られても、私の中の奥深いところに咲夜はいる。
パチェや美鈴の事を考える。彼女たちは、私が咲夜に会う事をどう思うのだろうか。反対するだろうか。
いや。私は紅魔館の主なのだ。
他人の意見など、聞く必要なんて、ない。
それに、私は紅魔館の主として、咲夜の犯した愚行を正さなければならない。たとえそれが、誰かの死につながるとしても。
咲夜の言ったように、私はきっと、誰かに自分を殺してほしかったのだ。殺されて、自分が変わりたかった。
何年たっても変わらない自分の心と体に興味を失い。
自分を見つめること、すなわち生きることを放棄していた。
生を実感できない幼い私は、変わりゆく人間を使って人形遊びをしていただけだ。
人形の魅せる、あらゆる生は自分の物だと勝手に幻想を抱いた。
今は違う。
身体が成長し、自分を見つめることで、生と死をはっきりと意識できる。咲夜という人形を取り上げられ、精神崩壊を起こした幼い私は、もういない。
場所と時間を記憶し、その手紙を燃やすことにした。
全ての決着をつけることを私は選択した。
たくさんの命を無駄にして、信頼していた人に裏切られ、最期は苦しんで死ぬ。
それだけの為に、私は生きていた?
とんでもない。そんな生き様など、切り刻んで畜生の餌にしてやる。
私には、まだまだやるべき事がある。
「咲夜との決着をつけるわ」
私の大切な人々を傷つけた、咲夜に代償を。
そして、私がいなくては生きる事の出来ない、大切な人に死を。
それが、残されてしまう咲夜に出来る私からの愛だった。
咲夜からの招待状を片手に、私は一人で約束の場所に行った。紅魔館を覆う森の向こう、巨大な湖のほとりが咲夜との決闘の場所だった。
不思議と心は静かだった。私の心を反映したかのように、湖には波一つ立っていない。月明かりに照らされた湖は、昼に見る姿とはまた違う、神秘的な趣がある。
辺りを見回すと、生き物らしい生き物は見当たらなかった。私は膝を曲げ、地面に手をついてみる。冷たい露で濡れた草花が、私の手から温かな体温を奪う。
まだ、私は生きている。そう実感できた。
「神にでも、お祈りしているのですか?」
聞き覚えのある声がした。顔をあげなくとも、誰と分かる。
「悪魔が神に祈る事など無いわ」
「では何を?」
すうっと息を吸う。大丈夫、私は動ける。躊躇いはない。
「咲夜、あなたに祈っているの。どうか、私に殺されてください」
「お断りしますわ」
瞬間、咲夜が私の首筋を切った。時間を止めての瞬間移動だろう。しかし、咲夜の鋭いナイフの刃は私に傷をつけることは出来なかった。
私が咲夜の手を先に掴んでいたから。
「っつ……!」
私は怯む咲夜の腕をつかみ、森の方へと豪快に投げ飛ばした。咲夜は空中でくるくると回りながら、鈍い音を立てて地面に落ちる。咲夜はうずくまったまま、嘔吐していた。掴んだ腕の方の肩が外れているのか、右肩をさすっている。
とくん。
心臓が鳴った。
とくん。
力が、思考が、歯止めが聞かない。
とくん。
ああ、咲夜の、この美しい身体を、喰いたい。彼女の声の出る限りの恥辱と苦痛を味あわせ、二度とこの世に帰れぬ姿にしてあげよう。
とくん。とくん。
「なめるなよ。咲夜」
あえてとどめは刺さなかった。もちろんその気になれば、咲夜の息の根を止めることくらい出来たけれど、私は手加減した。それは咲夜の為だとか、償いだとか、情が湧いて、なんていう綺麗な感情ではなかった。
憎み、絶望し、壊れていく咲夜を私は嘲笑おうとした。
どうしようもない壁。人間と妖怪との壁。
その差は奇跡が起きてでも、埋められそうにはなかった。
「うおおおお!」
決死の形相で、咲夜が私に飛びかかってくる。
決して届くことの無い咲夜の刃が、虚しく宙を舞う。
そのたびに、咲夜の表情が影を落としていく。
心の底から湧いてくる、どす黒い高揚感。
止められない。笑いが止まらない。
咲夜を弄ぶのが、楽しくてしょうがなかった。
私は知っている。この感情は、狂気だ。
私は狂っていた。咲夜を殴り、傷つけ、地面を這いずり回した。そうする事が、楽しくてしょうがなかった。身体は重い。しかし指先にこもる力は自らの皮膚を食いちぎるほどだ。それすらも、快感に変わる。
まるであの時と一緒だと思う。初めて咲夜と出会った、あの時と。
「はあ、はあ……」
気がつくと、ぐったりと倒れた咲夜が地面に伏している。
何本か肋骨が折れているに違いない。息をするだけで顔が痛々しく歪んでいる。もう立つ事すら、出来ていない。
私は咲夜を仰向けにさせ、見下したままで言葉を吐いた。
「謝りなさい」
「だ、れに……」
「私に、そして紅魔館の皆に」
「……謝らない」
「謝るまで、地下の牢獄に入れておくわ。決して死なせはしない。安心して頂戴」
「牢獄、なら……なれている。昔、入っていたから……」
「なに?」
「まだ、思い出さないのね」
「思い出す? 私は過去に何かあったのか?」
私は咲夜を丁寧に持ち上げた。
「お嬢様……なぜパチュリー様が、お嬢様の秘密を守ろうとしているのか、分かりますか?」
「それは……」
「私の、あの話で、本当に納得しましたか。あの地下室にあった、怪しい機械や本は、一体何だったのか」
咲夜に言われるまでもなく、私の中の最後の疑問としてあの地下室の存在があった。永琳から教えてもらった、私の老化に関係のある部屋。
パチェが焼き払ったあの部屋は、私の何に関係があるのか。
「あなた、あの部屋の秘密が分かったの?」
「ふふ、私は、お嬢様の全てを知っています。思い出しましたよ」
私は咲夜を睨んだ。私は急速に体温を奪われたかのように震えていた。
咲夜の知ってしまった秘密は、私の中の何かを壊してしまいそうな、そんな予感がしたから。
「話しなさい。全てを私に話しなさい」
私は咲夜の胸ぐらを掴んで、言った。その手は微かに震えている。
それでも、真実を求めてしまうのは、なぜなのだろう。
「目が、怖いですねえ。そんなに生き急がなくても、直に分かりますよ」
まるで私を試すかのように咲夜は低く笑った。
「レミィ」
咲夜は親しみを込めて、私の事をそう呼んだ。
「レミィ、私とあなたは、合わせ鏡。どちらかが欠けても、私たちは生きていけない。偶然にも、記憶を無くして生きてきたこの世界でもその図式は変わらなかった。きっとこれも運命ね」
「知っていたのね。私がいなければ、あなたはそう長くは生きていけない事に」
目を少し伏せて、咲夜は頷いた。そして愛おしそうに私の頭を優しく撫でる。
「レミィ、約束、守れなくて、ごめんね」
咲夜が悲しそうな目でこちらを見ていた。その視線は私ではない、別の物を見ているかのように遠い眼差しだった。
「あなたと約束なんて……していない」
「レミィ、私は、きっと幸せでした。あなたと会えて、あなたと時間を共有できて。精一杯生きた。辛いことや悲しいことも乗り越え、そして最後にあなたの手で殺されるならば、私は、何も言う事はないわ」
咲夜はそう言うと、笑った。
私は身動きが取れなかった。
咲夜はきっと、このまま死んでいくだろう。
なぜ笑える。
なぜお前はそんなに幸せそうなんだ。
自然と涙がこぼれた。
ぽろりぽろりと、頬を伝う。
なんだ、これは。
記憶ではない、何かが私の身体を支配する。
それは、咲夜の言う所の、魂なるものが反応しているのだろうか。
声が震える。
「咲夜……」
そう言った瞬間、咲夜に押し倒された。
「私が、あなたを殺してあげます。がちがちに固められた過去から魂を解放してください」
喉元に咲夜の手が触れる。首を絞められては、鋼鉄の皮膚を持つ私でも意味がない。
懐かしい感触がした。咲夜に首を触られて、私は抵抗しなかった。
きっと、ずっと昔から、私はこれを望んでいたような気がした。
身体を縛りつけていた物が、とれた。私の肺や脳が、新鮮な空気を求めて、私の喉を震わせた。手足が少し痙攣し、視界は薄いが、私は生きていた。
「その決闘、止めなさい」
目の前にフランが立っている。私に覆いかぶさっていた咲夜は、押しのけられたような形で、5メートルほどの距離を開けて立っていた。
「フランっ……どうしてここが? それに一体何を」
言葉を遮られる。
「咲夜。もう茶番はいいでしょう。全てを理解して、なおお姉さまに挑むのならば、私が代わりにひねりつぶすわよ? あんたの両親を殺した時の様に」
フランのその言葉に疑問を抱く。
咲夜の両親を殺したのは、私のはずではないのか……?
「レミィ!」
はっと顔をあげると、そこにパチェが立っていた。
「パチェ、いったいどうしてここが分かったの?」
「まあ、こんなこともあろうかと思って、咲夜の動向を私が探っていたのさ。咲夜は随分警戒していたけれど、本物の吸血鬼の気配に気付くのは相当難しい」
なるほど、それでパチェに連絡したわけだ。しかし。
「レミィ、大丈夫だった?」
「なぜ来た」
「あなたが心配だからよ。それ以外に理由はないわ」
「私が咲夜ごときに負けるはずがない。子どもが大人に勝てないように」
「でもあなた、首を……」
パチェは今にも泣き崩れそうな表情で、言った。
「それは……」
「ねえ、レミィ。もう帰りましょう。私と、あの紅魔館へ。そうすれば、私があなたの事を一生懸命愛して、愛して、愛し続けるから。決して私はあなたを裏切らない。悲しい思いをさせない。美味しい物も、楽しい時間も、生きる理由も、全部私が与えてあげる。だから、帰ろう……」
私の肩を必死に掴み、声を詰まらせてパチェは叫んだ。
目を見開き、形振り構わず。
これもまた、狂気だ、と思った。
目の前の少女が見せる、一方的ともいえる過剰な愛。その源を、私はまだ掴み切れていない。
「いったん紅魔館へ帰りましょう。詳しい話はそれから」
フランが場を仕切る様に、言った。見ると、その腕にはぐったりとした咲夜が抱きかかえられていた。気を失っているらしい。
音の無い明るい夜、奪われた時間が戻ったかのように強い風がびゅんと通り過ぎた
「何から、話をしようか」
会議室。高い天井に、シャンデリアの仄暗い光が淡く部屋を包み込む。
私の目の前にフランが、そしてその奥には簡単な治療を施された咲夜が、簡易のベッドに横たわっている。苦しそうに呼吸をしていたが、一命はとりとめた。
フランを挟むように、パチェと美鈴が座っている。まるで私は、判決を受ける被告のようだった。
「どうして、危険だと思って、咲夜のもとへ行ったのですかレミリア様」
美鈴は少し呆れたように、言った。まるで今までとは雰囲気が違う。そこには生物の上位種としての誇りが感じられた。
「紅魔館を闇に陥れた、咲夜を裁くためよ」
「それだけですか?」
「ええ。それだけ」
過去の話を訊こうとした、というところはあえて言わなかった。
「……それだけじゃ、ないでしょう?」
フランが腕を組みなおした。他の二人は黙ってこちらの様子を見ていた。
「お姉さまは、咲夜に強く惹かれている。それは隠し通せるものじゃないし、だからこそ、二人きりの決闘を選んだのかもしれない。けれど、私たちには、それが一番、問題だったのです。特に、咲夜が記憶を取り戻してからは、ね」
「咲夜が過去を知っているのを、なぜ知っている」
「変だと思ったのは前からですが、それが確信に変わったのは咲夜が反乱を起こしたあの夜の事です。咲夜の話は、突飛で飛躍的な論理です。普通ならば、気にも留めない。けれど、私たちにはそうは思えなかった。あの話の重要な因子となる、人形、魂。これらと、そしてあれほどお嬢様を慕っていた咲夜が反乱を起こした、という事実から、私たちは咲夜が断片的に記憶を取り戻したのではないかと思ったのです。そうでなければ、あのようなとんでもない話を思いつくはずがありませんし、咲夜に反乱をおこす動機が見当たらないからです」
美鈴はちらりと咲夜を見る。咲夜もじっと美鈴の方を見ていた。
「……あの話は、多くの事実がぼかされていますが、核心をついている。私たちがレミリア様に、必死に隠そうとしていた過去の、多くの事実を抽象的に捉えていた。そこで私たちは咲夜を危険視し、今までフラン様に監視を頼んだのです」
フランは真剣なまなざしでこちらを見ている。久しぶりに会ったフランの顔は、以前よりも暗い。子どもらしさが消え、吸血鬼本来の顔色だった。
「お姉さま、私は言いました。私を地上に開放したことで、お姉さまは後悔すると。正直なところ、あのときの咲夜がここまで記憶を取り戻すとは考えもしなかったけれど」
「あの時? 逃げ出した時の事?」
「ええ。本当ならば、私はあの地下室の中を全て破壊するつもりでしたの。けれど、咲夜がやってきて、やたらと私の動きを見ているのです。どうもその時から、咲夜は自分の記憶を少しずつ取り戻していたのではないかと思うのですが。そこで私は、一度紅魔館を抜け出して、咲夜の出方を窺ったのです。パチュリーが後から調べさせた結果、咲夜は私の地下室に入り、何かを探していたらしいのです。しかし、用心深い咲夜の事だから、きっと私が地上で住むことになると、すぐに撤退するだろう、というのは目に見えていました。そこで紅魔館からなるべく遠くの方で、私は住むことになったのです」
「ほう、しかし、私の老化が一層進んだことで、咲夜の不審な挙動はいったん棚の上に置かれたわけだ」
「それも、ありますが」
フランは確認するようにパチェと美鈴を見た。パチェは俯いたまま、美鈴はフランと目線を合わせて、こくりと頷く。
「お姉さまの秘密を話すのは、私の役目ですの。なぜなら、パチュリーとはそういう契約ですから。お姉さま、心して聞いてください。もし私が地下に居たままだったならば、この話は永遠に封印されていたでしょうから」
教えてあげましょう、お姉さま。姉さまの身体にまつわる秘密、そして、紅魔館の住人達の過去を。
昔々、とある天才科学者がいました。彼女は老化の研究、つまり、長寿の研究をしていました。そんな彼女は、ある大発見をします。それは、吸血鬼の肉体から、不老の遺伝物質を発見したのです。この遺伝物質は、一度人間の身体に入り込むことで、次々と遺伝子を吸血鬼の物へと入れ替えていく代物でした。これは、吸血鬼に噛まれた人間が、吸血鬼になるという伝承にもあります。そう、彼女はこれを科学的に解明し、それを薬としたのです。しかし、遺伝子の書き換えはそう上手くはいかない物です。大抵の場合、一カ月ほどかけて、体中の細胞が、吸血鬼の物へと入れ替わるのですが、その過程で、産生された吸血鬼の細胞は、元の人間の細胞から攻撃を受けるのです。免疫、とよばれるものですね。当然、それには痛みを伴い、大抵の人間の場合、ショック死してしまいます。まさに、死と隣り合わせの危険な薬です。
彼女はなぜそんな薬をつくったのか。それは自分の娘の為でした。彼女の娘は、長い間病気を患っていて、もう先は長くなかったのです。病気の名前は忘れましたが、著しく免疫機能が落ちる病気で、その子は生まれてからずっと白い病室にいたのです。そんな娘の為に、母親であるその科学者は、何とか娘を助けたかった。
しかし、そんな彼女の努力もむなしく、娘は日に日に弱っていきます。そこで母親である案を考えました。
脳と神経を生きた状態のまま、保存し、別の肉体に移せないか。
彼女はそれを実現するために、様々な機関を渡り歩いて行きました。世界中を駆け巡り
吸血鬼の薬で手に入れたお金と技術力を盾に、表には決して出ない裏の世界で生きていきます。その一つに、月の技術があったわけですが。
彼女の案は、まず、娘の脳と神経を完全に吸血鬼の物にして、身体は別に作る案です。分かりやすく言えば、娘の魂を錬成して、それ専用の人形を用意すると言ったところでしょうか。
数年後、娘の身体に吸血鬼の薬が投与されます。拒否反応は起こりません。それもそのはずです。娘には、免疫がありませんから。しかし身体が吸血鬼化した所で、所詮は子どもの身体です。無理な遺伝子組み換えは相当な負担がかかりますし、結局病院に縛り付けられたままです。そこで、永遠亭の永琳が、長い年月をかけてつくった、吸血鬼になった娘専用の身体を使います。この人形は、吸血鬼と区別が付かないほどの代物です。何せ、全てのパーツは生きた細胞から出来ており、人間で言う所の脳死と呼ばれる状態でした。つまり脳が無いだけの、吸血鬼。
そしてそれから一年後、彼女の娘の脳と神経を、その人形に組み込む手術が行われました。結果は、見事成功し、一年後には娘は外で元気に走り回れるようになり、娘と母親はその後もずっと仲良く幸せに暮らしました。
どうでしょう。もう、分かりますね。ここで言う母親はパチュリー、そして娘は、お姉さま、あなたなのです。私は、実験材料にされた、哀れな吸血鬼というわけです。
お姉さまは、確かに私の血を色濃く受け継いでいますわ。けれど、それは試験管の中での話。パチュリーノーレッジが、自分の娘を生き返らせるために、吸血鬼だった私の血や細胞を研究し、完成させた代物。詳しく言えば、お姉さまの身体は、私の臓器や血液の一部を移植し、脳と神経以外は私のレプリカと言ってもいいでしょうか。お姉さまの身体は、遺伝子操作により造られた、柔軟性のある、特殊な細胞から出来ています。まさに、人間の持てるテクノロジーを集結させた、最高の人形ですわ。
なぜお姉さまの羽が私と違うのか、考えた事はありますか? なぜ、吸血鬼なのにある程度の日光や流水に耐えられる事が出来るのですか? なぜ妹の私には破壊の能力があるのに、お姉さまには具体的な力がないのですか?
それはお嬢様の身体には、未だに人間の部分が残っているからです。それも、お嬢様がお嬢様としてあるべき、最も根幹になる部分が。
私がその事を言わなかったのは、パチュリーとの契約でした。パチュリーはその気になれば、いつだって私を殺すことができます。しかも忌々しい事に、私はパチュリーに心底惚れてしまった。自分でも馬鹿だとは思いますが、パチュリーならば約束を破らない。
私たちの契約は、『秘密をお互いに打ち明ける事』。私はパチュリーに自分の弱点を、パチュリーは私に、この過去の話をお互いに打ち明けました。こうする事で、私たちは互いの命の綱を握り合っていたのです。パチュリーにとっては、この過去の話は、死んでも言わないつもりだったのでしょうね。
私が今まで私を閉じ込めていたのは、私の力が恐ろしい物だと言う事です。だって、半バンパイアのお姉さまには、どうあらがっても私に対抗できる力なんてないんですもの。
咲夜は自分の両親を殺した、敵討ちをしたいそうね。でもその狙いはお姉さまではない。むしろ、咲夜はお姉さまを心から愛しているはず。
咲夜の両親は、お姉さまを生き返らせるための犠牲になった。お姉さまの身体をつくるにあたって、大量のサンプルと材料が必要になった。ここでいう材料とは、人間のこと。それもお姉さまの年齢に近い女の子を使った人体実験。そこで、咲夜の住んでいた地域に戦争を起こし、そのどさくさに紛れて、多くの少女が連れ去られ、その両親は戦死と言う形で死んでもらったわ。そして、咲夜は、遺伝学的にお姉さまに最も近い検体だったから、最終実験に使われ、見事に、生成された吸血鬼の血液と自分の血液を拒否反応なく融合出来た。
しかし、咲夜はある夜に、お姉さまの首を絞め、殺そうとした。二人の中で何があったのかは分かりませんが、少なくとも、お姉さまは一度、咲夜に殺されかけたのです。それも自分から、ね。
パチュリーにとっては気が気ではなかったでしょうね。しかも、咲夜は初めて実験に成功した貴重な個体。無碍に殺すには、あまりにもリスクが大きすぎた。咲夜には生きてもらわなければ困るのです。
こんな過去の事を覚えていては、後々困る事が出てくるから、咲夜の脳みそを少しいじらせてもらって、過去の記憶をつかさどる神経線維だけを切り取り、人工的に記憶喪失になってもらった。もちろん、お姉さまにもその処置は施されたわ。お姉さまの頭の中にある、過去の話は全て、パチュリーが用意した物語よ。実験後の咲夜は、吸血鬼の力を持ち、お姉さまを守る忠実な部下として、記憶させた。訓練により時を止める特殊能力を手に入れた。どう、何か反論は? それとも、こんな三流SFのような話は信じられないかしら?
私はここ最近、自分の体力の限界に気が付いていた。寿命というものです。と言う事は、お姉さまにも当然、寿命がきている。しかし、私の老化スピードはとてもゆっくりなのに対して、お姉さまの老化は人間のそれと同じ、しかも厄介な事に、様々な遺伝子が混ざり合って出来た、突然変異により、急速に歳をとっていった。あまりお目にかかる現象ではないけれど、神の思し召しか、悪魔の囁きのどちらかによってそれが実現された。
この幻想郷では、精神が生物の命に重要なファクターとなっている。それを科学的に解明する気力も機材も私たちには無いから、今まで『なるものはなる』という信仰に近いまやかしで生きて来た。その中でも、咲夜、あなたの考え方は非常に興味深い物があった。魂の解放。人形。そうね、あなたの言っていることはあながち間違いではないわ。たしかにお姉さまの身体と精神は、ほとんど別物だし、お姉さまの最も根源的な記憶の部分は、私たちが故意に閉じ込めたわ。そう、あなたの仮説はとても正しい。言うならば、幻想郷的なアプローチの仕方ね。しかも、お姉さまと咲夜がより親密になっていくにつれて、お姉さまの身体にも変化が現れた。私たちはこれを、成長ホルモンだとか、p21遺伝子の変化だとか、そう言う風に考えるんだけど、なるほど、魂の開放か。実に興味深い。
……話がそれましたね、戻します。さて、手術は成功したものの、私たちの前には大きな壁が待っていました。それは、この手術で長生きをしようと企む、欲深き人間たちです。もちろん、パチュリーもその一人なのですけどね。パチュリーは手術の成功と共に、自分たちが人間という枠を超えてしまった事を痛感させられました。それは他の研究者たちが、パチュリー達を好奇の目で見だしたからです。
このままでは、せっかく取り戻せた自分たちの命が危ないと踏んだ彼女は、自分と、信頼のおける部下を吸血鬼化する事で妖怪となり、幻想郷へ逃げ込むことを決めました。
部下と言うのは美鈴の事です。美鈴はパチュリーの優秀なパートナーとして、またお姉さまの世話係として働いていました。
パチュリーは手元にある膨大な資料から、四分の一だけ吸血鬼になる薬をつくり、美鈴には八分の一だけ吸血鬼になる薬を与えました。それもこれも、何百と言う犠牲の賜物です。
結果、パチュリーと美鈴は見事に吸血鬼の能力の一部を得る事が出来ました。しかし、パチュリーは副作用により、喘息が出て身体が弱くなり、美鈴は昼間に強烈な睡魔に襲われるようになりました。
ともあれ、これで人間をやめてしまった紅魔館の連中は、八雲紫の援助を貰い、幻想郷に逃げ込みました。そして、お姉さまと咲夜が目覚めるまでの間、館を整理し、魔法を覚え、より幻想郷の住人らしい振舞いを身につけました。
フランの告白が終わった時、私は何をしたかと言えば、何も出来なかった。
信じられない、というのが私の第一の感想だった。
私の過去、記憶、思い出。そうした物がまるで水にさらされた氷のようにさらさらと流れて行く。
こうして告白を受けても、自分の身に何も覚えがないうえに、全く他人事のように思えた。なぜなら、私はフランの話を聞いても、何一つ思いだすことはなかったからだ。
「お姉さまには、心当たりは全くないはず。そうなるように、私たちはお姉さまの記憶中枢を手術したから。意外だったのは、咲夜が無くしたはずの記憶の一部を取り戻したこと。神経細胞が再び分裂するなんて聞いたこともないけれど。ただ、咲夜が語った、お姉さまの身体の話からすると、まだ完全には記憶を取り戻していないようね。けれど……」
咲夜の身体が震えていた。
「思い出してしまったのね、咲夜。あなたが本当に恨んでいるのは、お姉さまなんかじゃなく、パチュリーだった。そこで、あなたはパチュリーに復讐をするために、お姉さまの命を狙った。自分がそうされた様に、パチュリーにも深い傷を負わせようとしていた。かつて、友人であった幼いお姉さまの首を絞めた様に」
「うるさい! お前たち化け物は、全て死んでしまえばいいんだ! 私の両親を殺し、大切な人たちを奪い、あまつさえ、私の第二の人生をもねじりつぶしたお前たちに生きている資格なんてないわ! 私は心の底から、レミィを慕い、崇め、心の支えにしてきた。なのに、お前たちはそれすらも奪う。お前たちがレミィの命を弄ぶくらいなら、私の手で、レミィを救い出す。お前たちなんか、信用できない……」
風前の灯だった咲夜から、思いもかけぬほどの怒声。
そして空気が抜ける風船のように咲夜は力無くうなだれる。そこにはいつもの毅然としたメイドとしての姿はなく、一人の孤独で無力な少女の影があった。
運命に翻弄され続けた少女、それが咲夜の正体だった。
ならば私は、なんだ?
パチェの娘で、身体は別物で、心は二つの記憶を持つ少女。
どちらが本当の私なのか。何が本当の私なのか。
「パチェ、本当なの? フランの話は、どこまで本当なの?」
「……」
パチェは恨みがましい目でフランを睨んでいた。しかし、そこには諦めの様なものも混じっている。
「私の記憶を取り戻すことは、出来るのか」
「出来ますわ。お姉さま。多少の時間と、準備が必要ですが」
「私は、私の身体の事を知りたい」
まっすぐに、フランを見つめる。フランは視線をパチェの方へと向ける。パチェはすっと立ち上がり、暗い顔のまま口を開いた。
「レミィ、もう、帰れないわ。あの楽しかった、幻想に日々にはもう。それでもなお、あなたが、封印された記憶について知りたいと言うのならば、私にはそれを止める権利はもうない。私は、けれど私は決してそれを良い事だとは思わない」
パチェはくるりと背中を向いたまま歩き始めた。私は後ろで倒れている咲夜が少しだけ気なったが、フランが丁寧に咲夜を背負っているのを確認して、パチェの後をついていく。
フランの居た地下室から、隠し扉を経て、らせん状の階段を下りる。少しだけ広い踊り場に出ると、正面に扉があった。開けてみると、そこは以前侵入した図書館下の地下室だった。
「フランには、この地下室への通路を守ってもらっていた。というか、私がそう命令した」
パチェは固い口調で説明した。私は黙ってそれに頷く。
その踊り場からさらに下へ降りて行く。今度はそこが最下層らしく、階段が途切れていた。目の前にはまたクリーム色の扉があった。
中を開けてみると、そこには上の階とは違い、本はなく、まるで手術室のような場所だった。手術室と違う所は、人一人が入れる巨大なカプセルのようなものがある。
「ここは、記憶操作をするための手術室。ここで何をどうするかは企業秘密だから話せない。けれど、レミィには、見せておきたかった」
「なぜ、ここの事を永琳は知っていた?」
「この技術は月の世界の物なの。フランは何千年も前から月と交流があって、それで。ちなみに永琳たちが地上に逃げれたのは、フランが手助けをしたからよ。そうした縁もあって、私は外の世界に居る時から永琳の技術を少しだけ教えてもらって、この技術を手に入れたの」
「ふん、道理で永琳が何もせずして、私の肉体が死ぬと判断できたわけか。あの時は動揺して気付かなかったが、触診も検査もせずに、診断したのは、私の肉体をつくったのが永琳その人だったからだろう?」
「そう、ね」
パチェはゆっくりと扉を閉めた。重そうな音を立てて、扉は閉まる。まるで何物をも寄せ付けないかのように。
「手術は一週間後に行うわ」
まるで判決を言い渡すかのように、重苦しい口調でパチェは言った。私はこくりと頷く。
「私の記憶を、返してもらう。私には真実を見る義務がある。たとえそれが、死に至らしめる劇薬であったとしても」
「悩まないのね。それに、少しは躊躇ってくれるかと思ってた」
「もう逃げる事は出来ない。咲夜との決着をつけるためにも、これは避けては通れない道だから」
「そう……」
パチェは階段に足をかける。その背中には、色濃い悲しみが付きまとっていた。
「……咲夜は、どうしている?」
「あの子は牢に閉じ込めているわ。あなたの望み通り、食べ物を与え、身体を拭き、人間らしいと言える程度の自由さを与えた」
「自殺なんてしていないだろうな?」
パチェは足を止め、こちらを振り向いた。
「記憶を取り戻したら、彼女がそんな事をする人間でないと分かるわよ」
手術は一週間後、予定の変更もなく行われることになった。
「レミィ、本当に、いいのね?」
「私は、全てを知るべきだと思う。もしあなたがそう思わないのなら、今の私の記憶を消してちょうだい。あなたなら、出来るでしょう?」
パチェは複雑な表情をしたまま、おやすみ、と声をかけた。
とろんと意識が落ちる。まるで決められた時間にきっちり動きが止まる、ブリキ人形のように、私の意識レベルが落ちていく。
そこから先は、あまり覚えていなかった。
霊夢は現役の巫女として当たり前のように他人の話も聞かずせっせと妖怪を退治し、相変わらず魔理沙は図書館に忍び込んでは、パチェに迷惑をかけて弾幕勝負をしており、阿求は後世の為に一生懸命でこの世の歴史をまとめていた、その瞬間。
私は自分の身体の異変に気が付いた。
まるでスコールのように突然に現れたそれは、私の感情を大きく揺さぶり、ハリケーンのごとく私の中をかき乱していた。
どうやら、胸が膨らんできたようだった。
「お嬢様、これはどういう事でしょうか?」
「咲夜、目が怖いわ」
上弦の月が頭の上に呑気に浮かびあがる、風の無い蒸し暑い夏の夜。テラスで優雅に紅茶を飲んでいた私はまず、咲夜にそれを報告した。
それとは、つまるところ私の身体の事だった。
咲夜は失礼します、と言って私の上半身の服を持ち上げ、ほどよく、けれど慎ましやかに膨らんだ私の胸部を確認し、しばらく固まった。
その後、背中を向いて、何かぶつぶつと独り言を呟いた後、腹をすかせた猛獣のような目つきで私を睨んだ。
「お嬢様、これは夢でしょうか?」
咲夜が丁寧に確認するように言った。
「ええ、咲夜。夢じゃあないわ」
「夢でない?」
「もちろん」
「では幻想を私は見せられているのですね」
「馬鹿。よおく、目を凝らして現実を見つめなさい」
私が呆れたようにそう言うと、咲夜は目を閉じて頭に右手を乗せ、参ったね、と呟いた。ピエロのようにおどけようとして、そんな馬鹿らしい仕草をしているのか、それとも本心から滲み出ている行動なのか、よくわからなかった。
「お嬢様、怒らないで、私の話を聞いてください」
「いいえ、ダメよ」
咲夜が、怒らないで話を聞いてほしい、と言う時は、大抵言われた者の癇に障る話題だ。
しかし私の回答に咲夜はあからさまに不機嫌な雰囲気を全身から発する。まるでおもちゃを取り上げられた子どもの様に露骨だったから、私の方が呆れてしまった。
「咲夜、いい加減にしなさい」
「何がですか? 私はこれまでも、そしてこれからも感情を隠すような生き方を変えるつもりはございませんわ」
まったく、頑固である。
「……いいわ、話してちょうだい」
「ありがとうございます。それで、お嬢様。その胸部についている、可愛らしい山がありますね? それをそぎ取らして下さい。お嬢様には全く似合わない、言うならば顔に出来るそばかすのような物なので」
驚くほど真剣な目で咲夜はそう言った。天地がひっくり返ったように驚いた私は、何かを言おうとして、けれど、あまりに咲夜が自分の意見を包み隠そうとしないものだから、出かかった言葉を胸の奥にしまい込んでしまった。
そして私の脳裏に浮かんだ二文字は、狂と気、だった。
「お嬢様、よろしいですか?」
咲夜は両手にナイフを構え、私の方に一歩、右足を踏み出した。私は思わず空中に飛び上がり、咲夜と距離をとる。
私の優秀な掃除係が、こちらをじっとりと舐める様に私を睨んでいる。
「咲夜、今夜の無礼は許してあげる。全力でたたきつぶしてあげるから、かかってきなさい」
直感で分かる。今の咲夜には、まともな話は出来ないだろう。
今夜は色々疲れそうだ、と私は思った。それはこの蒸し暑い夜だけのせいではないような気がするのだった。
激しい夜を超え朝になり、咲夜は私に謝りに来た。どうやら、あまりに突然の出来事に脳みそに混乱をきたした、というのが咲夜の言い訳らしかった。今ではすっかり、元の完璧で瀟洒なメイドに戻っていた。
「昨晩はお騒がせして、申し訳ありませんでした」
「いいのよ」
咲夜は心の底から申し訳なさそうに頭を下げた。
私も長年連れ添った優秀な掃除係の、たぶん生涯初めてであろう不始末を許すぐらいの心の広さは持ち合わせているつもりだった。むしろ、人間とは思いもかけぬ非常事態に際し、こちらの予想をはるかに上回る、奇天烈極まりない行動をとるのだ、と言う事が分かっただけでも良しとしようと私は思った。
そう、思わないと、昨晩の咲夜がいたたまれなかったから。
「お嬢様、この事はパチュリー様にはもう、言われましたか?」
「いいえ、まだ誰にも。でもそうね……相談ぐらいはするわ。それから、真相が分かるまでは、あまり幻想郷には広めたくない」
「分かりました。では私は胸の内にひっそりとその真実を隠しておきますわ」
「ええ、そうしてちょうだい」
「それにしても、お嬢様がこの齢になって、さらに成長するとは思いもしませんでした」
「私だってこんな事になるなんて、思いもしなかったよ。私の記憶の、最も古いときには、もうこの目線で世界を見ていたから」
「つまり、お嬢様は何も変わる事は無く、この世界を生きてこられた、と言う事ですか?」
「或いは、そうとも言える」
しばらくの静寂の後、咲夜は微笑を浮かべて口を開いた。
「いいことじゃないですか。成長する事で、お嬢様はこの世界をもっと楽しめますわ」
「どういう事かしら?」
「変化しない物は、そこにすがるだけで安心を得られる。その代償として、生きる価値を見失う。私たち人間は、自分自身も、世界もどちらも変化する事で、時には苦痛や恐怖を味わうことになりますが、それと同じくらいの、刺激的で魅力ある生を獲得しています。今のお嬢様は、言うならば、よりどころの無い生を獲得したのです。これからはきっと、退屈しない日々が続きますよ」
そう言って、咲夜は朝の掃除に戻っていった。
独り部屋に残された私は、咲夜の残した言葉の意味について考えた。
今まで、自分の生をそのように考えた事など無かった。しかし、改めて咲夜に言われると、今までの生き方は、あまりメリハリが無かったのかもしれない、と思った。
面白い考えだ。人間とは、咲夜とは、つくづく変わった生き物だと思う。そう思う事で、退屈な自分の人生に代わり、喜びや悲しみをまるで自分の事のように錯覚させて生きて来たのかもしれない。母親が自分の理想を実現するために、子どもに習いごとを強要するかのように。
それも、もしかしたら今日まで。
明日からは、映画のヒロインのような刺激的な毎日がまっているのかしら。
そう考えると、私は少しだけ、明日が来ることを愉しむことができる気がした。
理由はさっぱり分からなかったが、とにかく、私の身体に大きな変化が訪れている事は確かだった。
私は無駄に広い図書館に、一人寂しく本を読んでいたパチェに相談をした。
「レミィ、それは本当なの?」
「ええ、確かに私の胸は膨らんでいるわ」
パチェは恐る恐るといった様子で私の胸を揉んだ。
「……突然、こうなったの?」
「昨日の晩、気が付いたわ」
「紅茶は毎日飲んでた? 血液もちゃんと飲んでた?」
「ええ、毎日よ」
「……知的好奇心を刺激されるわね」
「え?」
「冗談、じゃないわよ。本気で言っているの」
パチェはふうむ、と難しい顔をして私を見ていた。
「今までレミィが当たり前のように側に居たから、レミィが成長するなんて全く考えなかったわ。これは何かの前触れかしらね」
「ふうん……」
かなり深刻そうな顔をするパチェだったが、私自身はこの変化について、まるで他人事のように思っていた。
改めて思うと、それはとても不思議な事だった。自分の身体の事なのに、まるで自分の物ではないかのような錯覚をしている。
なぜだろうか。
思うに、それまでの私は今まで自分を見つめた事など無かった。
私の興味はまず、私を取り巻く環境に常に向けられており、また変化しない自分の身体の事よりも、常に変化を続ける外の世界に目を向ける事は、ある意味、必然で、当然で、自然だったと言えるのかもしれない。
とにかく、私は私というものに、興味を持った事など一度たりともなかったのだ。
そのためだろうか、今、まるでこの胸のふくらみが、自分の事でない様に思うのは、私の内部をじっくりと考える事に戸惑っているのかもしれない。
どうやって、自分の事を考えろと、いうのだろう。
「ちょっと、レミィ。人の話を聞いているの。今あなたの話をしていたのよ? もう少し真剣に考えてちょうだい」
パチェに声をかけられて、私ははっとした。
「ごめんなさい、考え事をしていて」
「そう、とにかく、身体に何も異常がないなら放っておいてもいいと思うわ。幸い、日常生活を送るには差し支えの無いふくらみね」
パチェはそう言って自分を納得させたようだった。
その顔色には、はっきりと戸惑いの色が見える。
そりゃあそうだろうな、と私は思った。長い間つき合いのある友人の、突然の告白。まるで飼い犬に手をかまれるような、そんな衝撃だったに違いない。
昨晩は本当に噛みつかれたが。
「パチェ、そんなに深刻にならないで。これはただの風邪みたいなものよきっと。そのうち馴れるに決まっているわ」
「そう、ね。馴れるわね」
パチェはそう自分に言い聞かすように言った。どうやらまだ腑に落ちていないようだった。
「ねえ、レミィ」
パチェはちらりと私の方を向いた。
「これから私は、あなたの事を考え直さないといけないみたいね」
「ほう、どういうふうに?」
「正直な話、今まであなたの事を見くびっていたわ。心の中ではレミィが何を言っても、気にも留めなかった。その理由はいたって単純。あなたの幼い外見が、私にその無意識を引き起こしていたに違いない。けれど、レミィが変わった今、この瞬間から、私はあなたの事を気にせずには居られない。まるで、お伽噺をみているよう。みすぼらしい民草の女が美しいお姫様のように生まれ変わったかのような輝きがいまのあなたにはある」
「つまり、今までの私は民草の薄汚れた田舎娘だったのね。世間知らずだったと言いたいわけだ」
「……」
「何か言えよ、ふやけ紫」
だがかつての旧友はふいっと視線をそらしただけで、私に対する微妙に無礼な言葉を撤回しようとは思わなかったらしい。この頑固さもまた、彼女らしい、と言えば聞こえはいい。
「……とにかく、レミィ。あなたがこれからどのように変わっていくのか、私は楽しみにしているの。そしてあなたの外見がどんなに変わろうとも、私はあなたの友人よ。その気持ちだけは変わらないわ」
先ほどの台詞を無かった事にして、かなりふてぶてしい事を口に出した友人を、私は張り倒そうかと思ったがもうそれも面倒くさくなってやめた。
「友人、ねえ……」
私が力無く呟くと、彼女もまた、呟いた。
「ええ、友人よ。とても大切な」
午後のお茶会。妹のフランは、興味津津と言った様子で私を見ていた。
「どうしてお姉ちゃんだけ?」
フランはそう言った。
「どうしてと言われても、私はいつも通りの生活を送っただけよ?」
「それじゃあ、私もあと五年すればお姉ちゃんみたいに胸が出てくるのかな」
フランは確認をするように自分の胸のあたりに視線を降ろした後、ちらりと私を見た。
「それは分からないわ。ただ、その可能性も無いとは言い切れない」
「本当かな?」
悪戯を企む子どものような意味ありげな微笑みでこちらを見た。目の前に出された紅茶には見向きもしなかった。
「……結局、あなたは私がうらやましいわけね」
「そうとも言うわ。お姉さまばかりずるい」
「きっとフランも、こうして成長する日が来るわよ」
だがフランは目に見えて、落ち着かない様子だった。それはきっと、私の身体の変化が全くの他人ごとではないのだからだろう。いつ、私のように胸が膨らんでくるのか、不安なのだ。
「……ねえ、痛みとかなかったの?」
「何も。だから心配する事はないわよ」
「身体の調子は、悪くなったりしない?」
「全く、健康体よ。だから、フラン。あなたは何も心配しなくていいわ」
「本当に?」
「ええ」
ふうん、とフランは呟いた。私は姉として、フランの分まで頑張らないといけないと思った。
何をどう頑張るかは、全く分からなかったけれど、とにかく頑張るしかないと思ったのだ。
しばらく局所的な混乱が続いた紅魔館が、ようやく落ち着きを取り戻し始めた頃に、私にさらなる変化が訪れた。
妹のフランも興味深そうに私を見つめ、紅魔館の妖精たちも私を見てひそひそと密会をし、門番の美鈴は気にしないふりをして、けれど私にどう接していいのか戸惑いを隠せていない、そんな毎日。
そこに、さらなる変化が紅魔館を襲った。
夕方。
私はベッドから起きた。そこまではまるでいつもと変わらなかった。
眠い目をこすりながら、ぼんやりと視界が晴れる。
ふと私は違和感を覚えた。
見るもの、感じるもの、全てがまるで縮小コピーをしたかのように小さくなっていた。そこで気が付いた。
まさか、いやでも。あらまあ……
寝起きの頭には、脂っこすぎる現実。
あまりに急な出来事に、私は一瞬、別の世界に来たかのような錯覚を引き起こした。
しばらくぼうっとしていると、誰かが部屋をノックした。私は力なく、いいわよ、と呟いた。
金属独特の、けたたましい音が部屋に響いた。ふとドアを見ると、咲夜が目を大きく開けて、言葉を失っていた。その足元には、紅茶を載せていた銀色のお盆が転がっている。先ほどの音は、これのせいだったのだろう。
「お、お前は誰ですか……?」
半分敬語、半分ため口のあたりに、またしても彼女の混乱ぶりがうかがえる。
きっと咲夜はこう考えていただろう。
はたして目の前の女はお嬢様なのだろうか。
「ああ、咲夜。鏡を持ってきなさい。出来れば、全身が映る物を。あ、でも私鏡に映らないんだっけ……」
「落ち着いて下さい、お嬢様、ああ今の天然な発言で、私はあなたをレミリア様と認識出来ました。おわかり下さい、お嬢様。それほどまでに、お嬢様のお姿は変わっておられるのです。ご自分でも、それぐらいは感じておられるはずです」
いつもの、淡々とした口調で咲夜はそう言った。その言葉は私に向けられていると言うよりは、自分を落ち着かすという意味も含まれているようだった。
「何がどう変わったのか、分かりやすく説明しなさい」
「はい。まず、レミリア様の身長が伸びました。一晩で例えようも無いほど伸びたのではないのでしょうか。次にさらに胸が膨らんでおります。そして、とても、これはお世辞でも何でもなく、本当にお美しい」
「よろしい」
咲夜の言葉を聞いて、私は安心した。
自分の感覚までは死んではいなかったのだ
私は身長が二倍ほどに成長した。骨や筋肉、内臓に至るまで、私を構成する物体が大きく、何よりも強力になっていた。
視力、聴力、そして体力など、力とつくものは、とにかく全てが強化されていた。目は遠くまではっきりと見え、ネズミの這う微かな音も聞き逃さすことも無く、またいつまでも弾幕勝負ができるような、そんなスタミナもついた。
そして何よりも、私の美しさが一層際立った。見る者を魅了する大きな瞳。腕力に反比例するかのような、細く白い四肢と形の良い胸。魅力のある、濡れた唇。
これでは吸血鬼ではなく、サキュバスともとれるような外見だ。
「お嬢様、ご自分の姿を確認したいのであれば、私が絵を描きましょう」
そういって咲夜は鉛筆片手に私を描いてくれた。出来あがった絵を見て、私は思わずため息をついた。
「美しすぎるわ」
この世のどんな宝石をも、私の美しさの前ではひれ伏してしまうのではないか、と思えるほど私は美しかった。いや、それは言いすぎかもしれない。けれど私は以前の自分よりも、普遍的で高度な美しさを手に入れた。
それは、客観的に見て、誰が見ても美しいと思える姿だろう。まるで神によってつくられた最高傑作の一つに数えられるような、そんな形。
それをパチェに伝えると、彼女はふっと笑って
「良かった。レミィは、中身は何も変わらないのね」
と笑われた。だが、それを悔しいとも思わなかった。パチェは変わり者である。私の美しさはごく一般的な感覚の持ち主には十二分に伝わるのだから、それはパチェの感性が合わなかっただけだ。
「それにしても、このままだと服がないわね。かろうじて、寝巻だけは破けなかったけれど」
風呂場で咲夜に髪を切ってもらいながら、私はそう言った。今まで着ていた服も、今では過去の物だ。寝る時は服を着ない主義で本当に良かったと思う。
「ええ、こんな事もあろうかと、かなり大きめの寝巻をご用意させていただきましたから。服に関しても、もうすでに手配しております」
「さすが、咲夜ね。仕事が早くて助かるわ」
「そうですか?」
「ええ、それに、こんな姿になってもついてきてくれるなんて、感謝している。ありがとう」
私は咲夜に向かって、具体的には、鏡に映る咲夜に向かって素直にそう言った。当然、咲夜はその言葉に喜んでくれるものだと思ったが、咲夜は無表情のまま
「いいえ、それほどでも」
と素っ気なく言っただけだった。その台詞はどこか固い。いつもの冷静な声が微かに震えていたのを私は聞き逃さなかった。
「咲夜、あなた、どうかしたの? 何だかいつもの調子じゃない」
私がそう言うと、咲夜の手が止まった。大事な何かを思いだしたような顔になる。
「申し訳ありません、お嬢様。予期していたとはいえ、まさか本当に、お嬢様がこんなに美しくなる、思いもしなかったもので……」
「あら、そうなんだ」
「はい、ですから、成長されたお嬢様を見て、ついうっとりとしてしまい……」
そこまで言うと、咲夜の目が涙ぐんだ。突然の事に私は少し驚いた。
「な、何よ、そこまで感激する事でもないでしょうに」
「いいえ、私にとっては、とても大事なことなのです」
咲夜は手のひらで少しだけ涙をぬぐう。私の髪の毛が、咲夜の頬にくっつく。
「私は幼いころからお嬢様に仕えてきました。ですから、お嬢様がご立派になられ、その姿を見ると、これまでの感情が一切溢れてきて、止まらなくなるのです」
「そこまで思ってくれているなんて、とてもうれしいわ。ありがとう」
ありがとうなんて、昔の私なら、絶対に言わない台詞だ。けれど、今の私にはそれがごく自然に言い出せるようになった。身体の変化は心の成長ももたらすのだろうか。
「いいえ、本当の事ですので……お嬢様」
咲夜は私の目を見つめた。今では咲夜と同じ目線。僅かに光るその黒い瞳に吸い込まれそうになる。
「私はお嬢様の成長を嬉しく思います。これからも、ずっと、私はあなたの側にいますから」
咲夜は鏡に向かってにこりと笑いかける。その笑顔に、私の心もシャボン玉がふくれるように優しくなっていく。
「ふふ、当たり前よ。これから先も、もっと私の側にいなさい。咲夜。あなたにはいつか、私の側でしか見る事の出来ない世界を見せてあげるから」
私は得意顔でそう言った。
かちゃり、と鋏が落ちる音がした。
見ると、咲夜は大粒の涙を流して、うなだれていた。その異様な様子に、私は驚き、そして何も言えなかった。
「……お嬢様、私は、絶対に、お嬢様を見守っていますから……」
涙声になり、ひねり出すように言った。
「……咲夜?」
その後も、咲夜はしばらく泣き続けた。私はよくわからないまま、ただそっと咲夜の側に居続けた。
一夜にして華麗な変身を遂げた私は、胸がドキドキと高鳴った。自分だけの大切なオルゴールをそっと布団の中で聞くような、こそばゆい感情が私を包み込んだ。
この素晴らしい出来ごとをぜひ皆に知って欲しいという感情がむくむくと現れた。そんな短絡的で、お祭り好きな性格は、あまり変わっていないなあ、と自分でも思う。
「咲夜、明日の晩、パーティーを開きましょう」
「かしこまりました」
先日の泣き崩れた咲夜はどこかに消えて、いつもの咲夜がそこにいた。どうして突然泣き崩れてしまったのか、未だに私は分からなかった。だから最近では、もう気にしない事にしている。
そして咲夜は相変わらず、私の言う事を素直に聞いてくれていた。もちろん従者である立場なので、当たり前と言えば当たり前なのだが、この私の変わり様にほとんど戸惑う事も無く、すんなりと受け入れている。彼女のその柔軟性の高さを、私は高く評価していた。その柔軟性は、咲夜をメイドにした理由の一つだったのだが、主がこんな姿になっても、今まで通り尽くしてくれる咲夜に、私は心の中で感謝をしていた。
咲夜は手際よく準備をする。まず天狗の新聞に広告をのせ、幻想郷全てに宣伝をした。こう言う時には、天狗の新聞は情報伝達手段としての機能を十分に果たしている、と思えた。
こんな時以外の、どうでもいい記事などは窓ふきに使う程度の能力しか持っていないから。
そして、急いで会場を作る。ここは咲夜の得意分野でもある。時間と空間を巧みに操り、ものの六時間ほどのあいだに、会場は完成されていた。
そんなわけで、私が咲夜に命じた次の日の晩、パーティーが開かれる事になった。その主旨はもちろん、大変身を遂げた私のお披露目だ。
「ねえ、咲夜。みんな私のこの姿を見てどう思うかしら?」
パーティーが開かれる日の朝、私は咲夜にそんなことを尋ねてみた。その日は朝から強烈な太陽が昇っていて、紅魔館全体がじっとりとした暑さに包まれていた。
「まず、誰もお嬢様だとは気付かないでしょう。霊夢などは、新しい妖怪が来たと言って退治しにくるかもしれません」
「ふむ、それは困るわね。どうしたら、一目で私が、かつての私の延長線上にいると分かるかしら?」
「名札でもつけますか?」
「悪くはないけれど、格好が悪い」
「でしたら、たべちゃうぞ、と一言おっしゃってくれれば」
「うん?」
「はい?」
「それはどういう事かしら?」
「いえなんでもございません」
私がじろりと睨むと、咲夜は気まずそうにそそくさと外に出ていった。私はベッドにごろんと横になり、天井を仰いだ。
こうして日々変わっていく自分を見つめる事は、私にとって極めて新鮮で、楽しい事だった。強大な力を得る事で、世界への干渉の選択肢が大幅に増えた。もちろん、そうした選択肢から私が何か一つを選ぶとするならば、決まっている。
一番楽しい事をするのだ。
パーティー用に急遽作られた、真っ白なドレスを身にまとい、私は空を見つめていた。かつて窓の下半分から見ていたオムレツのような金色の月は、窓の上半分から見ても何も変わり映えがしなかった。
私は変わった。しかし相変わらず世界は変わってはくれなかった。少し拍子抜けだった。自分が変われば、世界も自分と同じように、激変するかと思っていたが、どうやら私が考えていた以上に、世界はゆっくりと回っているらしい。
「お嬢様、パーティーの準備が整いました」
どこからともなく咲夜の声がした。私は窓に背を向けて、ゆっくりと歩いて行く。
「今行くわ」
さて、今夜は皆と一体何を話そうかしら。
会場の客たちの反応を予想しながら、私は笑いをかみ殺した。妖怪とは、人間を驚かしてナンボの生き物である。それは私にだって当てはまるのだから。
「お待たせいたしました。これよりレミリアお嬢様の入場でございます」
咲夜の凛とした声に会場は包まれた。ざわざわと騒がしかった会場が静かになる。私は気分高らかに、暗幕の内側に立った。
「それでは、レミリアお嬢様のご登場です。どうぞ」
大げさね、と霊夢の声がした。私の耳は、感度がよすぎるのだ。今に見てなさい、その減らず口を黙らせてあげるわ、と心の中で言葉にした。
暗幕が上がる。
会場は、一瞬、静かになる。
「あら、レミィ。とても綺麗だわ」
間髪いれず、パチェが声をあげる。会場に響いたパチェの声が、より一層、静寂を強調した。
「皆さん、お久しぶりです。私はレミリア・スカーレット。以前お会いしたときとは少々、趣向を変えてみましたの。ほら、この真っ白いドレス、よく似合っているでしょう?」
舞台で独り芝居をしているかのようだった。
誰もが、この世の終わりのような顔をしていた。一部、紫や永琳と言った古参の妖怪たちだけが、一瞬驚いた後、何かに気が付いたように表情を曇らせた。
私はそれにむっとしたものの、その他大勢の間抜けな顔を確認できただけでも機嫌が良かった。実に、素晴らしい。大成功だ。
だが、そうそう一筋縄ではいかないのが、この幻想郷の面白い所でもある。
「新しい妖怪ね? 弾幕ごっこは知っているかしら? 知らないなら、黙って私に退治されてちょうだい」
霊夢が名乗りを上げた。さすがである。きっと私が何かをしでかす前に、釘をさしておこうと思ったのだろう。博麗の巫女の鏡だ。
たぶん、霊夢の場合、勘で行動している事が多いと思うのだけれど。
「霊夢。あの紅魔異変では随分とお世話になったわね」
「あら、本当にレミリア? でも、今のあんたは危険だから、放っておけないわ」
「せっかちねえ。そんなんじゃあ、目の前の料理とお酒が台無しよ?」
「それよりも大切な事があるのよ」
「ほうそれは?」
「私の気分が最悪」
そう言うなり、霊夢は懐から何枚かのお札を出した。血の気の多い巫女だ、と私は呆れた。
「はいはい、ちょっとストップ」
口をはさんだのは紫だった。
「なによ? あいつを放っておいていいの?」
「霊夢、もう少し状況をわきまえなさい。今ここには大勢の客人と、たくさんのお酒があるわ。こんな時に弾幕勝負なんて、野暮ってもんでしょう?」
「うっ……」
「安心しなさい。姿は変わってもレミリアはレミリアよ。募る不満はこの上等なお酒が身体の中を綺麗にしてくれる。今日は楽しくお酒を飲みましょう」
紫が諭すように言うと、霊夢はしぶしぶと座った。紫は私を見て、さあ続きを、と目で合図をした。
「ふむ……それじゃあ、今夜は飲み明かしましょうか」
私がそう言うと、皆がおもむろに酒を手にした。しかしその目は、例外なく私に向けられている。
好奇の目、恐怖の目、警戒の目……
さまざまな感情が、みんなの小さな目に映し出されていた。その感情の全てが私に向けられている。
今夜の主役は、間違いなくこの白いドレスの私だった。
それだけで、私は優越感に浸れていた。
「いや、これはおかしい。ありえない」
仄暗い会場で、魔理沙はワイン片手に興味深そうに言った。今では魔理沙が私の顔を見上げている。
「どう魔理沙。この姿がうらやましいかしら?」
「うらやましくない、と言えば嘘になるかもな」
「素直にうらやましいって言いなさいよ」
私が挑発的な笑みを浮かべると、魔理沙は面倒くさそうな表情をした。何かを言おうとして、途中で諦めたのか、まあいいや、と独り言のように呟く。
「けれど、何かもっと恐ろしい事が起きそうで怖いぜ」
魔理沙が手にしたワインを少し口につける。
「何が恐ろしいの?」
私がそう言うと、魔理沙はコインを取り出した。
「世界は裏と表で出来ているんだ」
魔理沙は占い師のように、声を低く、何か秘密めいたことを予言するかのようにゆっくりと言った。
「レミリアは身体が成長している。これが表側だとしよう。そうなると物事には必ず裏側があるはずだ。世界に昼と夜、或いは影と光があるように。今、レミリアはその身体の成長に、一体何を犠牲にしているんだ?」
私を試すような目で、魔理沙は睨んでいる。
犠牲という単語を彼女は使った。あえて、と言ってもいいだろう。では一体なぜ? この期に及んで、私が妖しい魔術に手を出したとでも思っているのだろうか。
しばらく考え込んだ後、私は魔理沙が撮りだしたコインを手にとって、空中高く放り投げた。
「そうね……」
まっすぐに落ちて来たコインを私は左の手の甲に押し付けた。
「古来、影は物事の裏側と捉えられてきた。しかし、太陽の光を浴びない私には影が無い。つまり表側しかないってことよ。矛盾しているようだけど、その矛盾を感じさせない私って、とても素敵だと思わない?」
そっと手の平を開く。コインは表を向いていた。
「或いは、このコインのように、裏側が存在するけれど、それが私たちの目には見えないのかもしれないわ」
「回答になっていない」
「あなたとのなぞなぞ遊びは、いつもそんなものじゃない。お互いにお互いの回答に興味がないから、そうでしょう?」
魔理沙は何となく納得したような顔をした。あるいは、こいつは話にならん、と言ってこの話題に無視を決め込んだのかもしれない。
「けれど、まさかレミリアがこんなに大きくなるとは、全く思はなかったな」
「それは私も同じよ。最初はもう昔のような可愛らしい服を着れない事が少しだけ残念な気がしたけれど、今ではとても気に入っているわ。今の私なら、この幻想郷中の妖怪が束になってきても勝てる気がする」
「それはつまり、子ども用の服が着れなくなった事以外はとても素晴らしい出来事だ、と言いたいわけか?」
魔理沙が声をひそめる。
「そうとも、言うわ」
「相変わらず中身は変わっていないな」
またか、と私は思った。どうして魔法使いと呼ばれる者たちは中身とか、人格とかを強調したがるのだろうか。やはり、魔法使いは変人が多い。
「それよりも魔理沙、こうして見ると、あなた結構身長が小さいのね」
「ふん、レミリアだって今まで私よりも小さかったくせに、良く言うぜ」
「それに胸も小さい」
「余計なお世話だ」
「いつの間にか私の方が大きくなっていたりして」
「私はそんな事、全く気にしないぜ」
「どうだか。そんな事を言っている割に、目の焦点が右往左往しているわよ。主に私の胸のあたり」
「……気にしてない」
「はは、嘘をつきなさいよ」
私が茶化すように言うと、魔理沙はふんっと言って顔をそむけた。
「魔理沙、コイン、返すわよ」
「あげるよ。餞別だ」
魔理沙は逃げる様に私の側から離れていった。
「あんた、身体が大きくなったからって言って、異変とか起こさないでよね」
背中から声がする。振り返ると、困った顔をした霊夢がいた。
「あら、霊夢。ひさしぶりじゃない。ちょっと縮んだ?」
「あんたが伸びたのよ。すっ呆けないで」
霊夢は不満そうに言った。私は気分が良かった。あの、博麗の巫女さえ、私に注目している。
「まあ、この身体で何かをしようとは、まだ何も考えていないわ」
「考えるなって言っているの。私が大変じゃない」
「あら、今の霊夢じゃあ、私には勝てないかもよ?」
「……今すぐその減らず口を黙らせたいわ」
霊夢は近くにあったグラスに強引にワインを注ぎ、一気に飲み干した。
その姿に、私は可笑しくなって、思わず笑ってしまった。
こうして一夜にして私は幻想郷の話題の中心人物となった。私が右を向いても左を向いても、行き違う人たち全てに目線が合った。そのたびに私は優雅に会釈し微笑んだ。大抵の人たちはそれを喜んだし、ごくごく一部の人は目の上のたんこぶを見るような視線をぶつけたが、それも全く気にならなかった。
「なるほど、朝起きると、身体が大きくなっていた、と」
阿求が取材に来たのは、昼だった。少しだけ眠かったが、歴史に名を残すためならば、一日ぐらいの無茶にも付き合ってあげよう、と思う。
「ええ、突然、何の前触れもなく、よ」
「その時、あなたはどう思いましたか?」
「世界が変わったように思ったわ。そして自分の中の価値観が、少し変わったわね」
「例えばどういう風に?」
「この世界は、大体私が支配できるとか」
「ああ、そうですね」
阿求は何だかがっかりしたようにメモをとる。
「ちょっと、何でそんなにあからさまにがっかりするのよ」
「だって前回とあまり変わらないですもの」
阿求はそう言うと、隣にいた美鈴にインタビューを始めた。美鈴は気まずそうに私をちらちら横目で見ていた。
少しだけ、本当に少しだけ私は怒りと憤りと不満と殺気を出したが、私はまあ、いいやと思った。こんな事でくじけたりしない。なぜならば、時代は常に、新しい物を否定する事から始まるのだから。
「否定される者が、常に新しい道を切り開くとも限りませんけどね」
阿求が私の心を見透かしたように忽然と言い放つ。
あら、そうなんだ。ふうん、でも私はそうは思わないけれど。
そう言いたかった。けれど、阿求が発したその言葉を、私は上手く自分の中で処理液無かった。
簡単に言うと、私はこの言葉に少し傷ついた。
言葉は人を選ぶ。その台詞は、阿求が口にする事で雷のような威力を持っていた。
「な、なによ! そんなに私を除け者にしたいわけ?」
突然立ち上がって、叫んだ私に向かって、阿求と美鈴は訳が分からない、といった様子だった。
「……何の、話でしょうか?」
阿求は丸い瞳をこちらに向けてそう言った。そして間髪いれず、美鈴が立ち上がる。
「お、お嬢様、申し訳ありません」
美鈴はとりあえず謝っておこうと思ったらしく、頭を下げた。
私は心の中で、それは違うわよ美鈴、と焦った。全くそんな気はなかったのだ。
「……失礼、取り乱したわ」
「ええと、とりあえず今日は取材に付き合ってくれて、ありがとうございました。また今度、伺います」
阿求はパタンとメモ帳をたたむと、妖精に連れられて屋敷を後にした。どうも、私は彼女が苦手ならしい、と気がついたのは、午後になってからだった。
「どうも、私は彼女が苦手らしい」
ぽろりと本音が出る。
「阿求さんは変わり者ですから」
隣で大工仕事をしている美鈴が答える。彼女は大きくなった私の為に、新しい机を用意していた。今まで使っていた椅子や机は、私にとって少し小さくなってしまったからだった。
お気に入りの机を変えるのは、少し心が痛んだが、しょうがない。
これが、成長の代償なのだろうか。
「お嬢様、サイズはこのぐらいでよろしいでしょうか?」
「どれどれ……ふうむ、ちょうどいい感じね」
「それは良かったです。それにしても、最近咲夜さんを見ませんけど、忙しいのですか?」
「咲夜? そう言えばここ最近は姿を見ていないわ。一体何をやっているのやら……」
「怪しいですねえ。最近の咲夜さんはどこか落ち着かない雰囲気を出していますから」
美鈴が手の甲で汗を拭きながら言った。
「そうかしら? 私には分からないけれど」
「咲夜さんをよおく見ていれば、細かな所で違和感を覚えますよ。例えばお皿を置く時に手が微かに震えていたり、紅茶の味が少し薄かったりするのです」
「そうか、それは気がつかなかったな」
私はそう言って、美鈴が作ってくれた椅子に座る。以前使っていた物に比べ、やや固い。それはあまり慣れていない、新鮮な材木を使ったからであろう。
咲夜を最近見ない事と、私のこの身体の成長に何らかの因果関係があるとするならば、どのような関係があるのだろうか。
残念ながら、と心の中のもう一人の私は言った。全く見当もつかないね、と。
「……美鈴、これから出来る限り、咲夜のあとをついて行きなさい」
「かしこまりました」
美鈴は笑顔でそう言って、門番の仕事へと戻っていった。冷たい椅子に座って、一人考える。
咲夜の事、これからの事。あの八雲紫や博麗霊夢がこの私にこれまでにないほどに注意を払っている。
なかなか、素敵な人生が送れそうだと思う。少なくとも、当分は飽きが来ない時間を送れそうだ。
「……レミィ、ちょっといいかしら?」
背中からパチェが私を呼んだ。しかしその声は何だか暗い。こんな時のパチェの要件はだいたい決まっている。
「面倒くさいお客さんが来たのね?」
「あなたとどうしても話がしたいそうよ」
振り返ると、うんざりした様子のパチェがいた。私は名残惜しさを少しだけ感じつつ、ようやく温まりかけていた椅子からそっと立ち上がった。
「あなたの所の妹が、私の所へよく訪ねてきているのですが、何か心当たりは?」
雪のような冷たい目で、古明地は私に向かってそう言った。地底の妖怪が、わざわざ地上に出てくるなどなかなかの大事だ。
「ようこそ、古明地さとり。我々、紅魔館一同は、あなたの訪問を心から歓迎する」
「ええ、ありがとう。奇妙な吸血鬼さん」
さとりはたいして嬉しくもなさそうに、目の前の紅茶を飲みほした。
そして、紅茶を二度は飲まなかった。
出かけている咲夜の代わりに給仕を務める妖精から、紅茶のお代わりを聞かれても、要らない、と言う。
つまり、あまり長い話をするつもりは無いという表れだ。
「それで、要件って?」
「聞いていなかったの? あなたの妹さんが、最近地下によく現れるの」
「あら?」
初耳だった。むしろ、どうやってあの部屋から抜け出したのかが分からない。
「……何も知らないのですね。嘘ではありませんよ。どうやら、夜な夜な地下へ出かけて、騒動を起こして帰っているようです。只でさえ地下と地上は折り合いが悪いのに、そう引っかき回されると何かの陰謀じゃないかと疑ってしまうのです」
さとりからの、意外な告白に、私は一瞬頭が混乱した。
どうやらフランが地下で暴れているらしい、という。当然、普段は紅魔館から逃げ出さないようにしている。部屋だってフランの力では抜け出すことは出来ない。ならば、フランを館から逃がしている人物が、この紅魔館にいることになる。
では一体誰だ? そしてその目的はなんだ?
「それで、フランはどうしたの?」
私が尋ねると、さとりは無表情のまま淡々と話をする。
「あまりにもおいたが過ぎるので、私たちの方で捕まえさせていただきました。どうやら、あなたが仕掛けた事ではないようですし、私としてもこれ以上いざこざを持ち込む気はありません」
「そうか、それなら話が早い」
私はほっとしたと同時に、少しつまらないな、と思った。そして、その瞬間に泥水を飲まされたように、さとりの表情が曇った。
「いいえ、話はここからですよ。お姉さん」
わざとらしくさとりは言った。実に、厭味ったらしい言い方だった。そして、次の言葉は普段は半分も働いていない私の頭を覚醒させるのに、十分な事実だった。
「あなたの妹さん、この紅魔館に帰りたくないそうです」
地下に向かう道中では、フランがなぜ紅魔館に帰りたくないのかを色々考えた。そして、それらの全ての終着点は、分からない、にたどり着いた。
実に不毛な作業である。しかし私はそうでもしないと、不安で落ち着かなかった。
さとりからの報告を受けて、私は直接、フランを説得する事となった。案内には、さとりと、地下の様子を知っているパチェがついてきた。咲夜の代わりでもある。
「レミィ、咲夜はどうしたの?」
「咲夜は朝から姿が見えない。美鈴に捜索を頼んだけれど、まだ見つからない」
暗い地下を行く。真っ暗な視界とは裏腹に、地下は地上と同じくらい蒸し暑い。地下は涼しい物だと思っていた私は、まだまだ自分が世間知らずだったことを思い知らされた。
「……妹様を逃がしたのは、咲夜かもしれないわね」
パチェは慎重にそう言った。私を気遣っている事が感じられる。それが分かったから、私もたいして気には障らなかった。むしろ、私はそう考えていたのだから。
「そうだとして、咲夜にメリットは?」
「妹様に脅されたとか」
「そんなことで咲夜は部屋の鍵を明け渡さないと思うわ。第一、咲夜には鍵なんて持たせてないし、場所も知らないはず。とにかくフランに話を聞くまでは何も分からない」
自分で言って、また分からないか、と思った。
こう考えてみると、私はフランの事について自分が思っている以上に何も知らない事に気付かされる。地下の世界の事と一緒だ。
それはとても悲しいことのはずなのに、当たり前な気がしてならなった。まるで名もなき花が枯れていくのをじっと見つめているかのように。
しばらく進むと、地霊殿の門が現れた。フランはその門の前で、猫たちと戯れていた。てっきり縄で縛られ、檻に入れられているものだと思っていた私は、思いがけず平和な景色に少しほっとした。
「あ……」
フランは私たちに気がつくと、あからさまにがっかりしていた。これくらいの反応ならば、予想していた事だった。最悪の場合、こちらに攻撃を仕掛けることもあるのだから。
「では私はここで見守っていますから」
さとりは地霊殿を支える柱にもたれかかる。姉妹同士の水入らずの会話を演出するために、それなりに気を使ってくれてはいるようだった。
「……」
ゆっくりとフランは立ち上がる。私はフランと少し距離をあけて話しかけた。
「さあ、フラン。単刀直入に言うわ。まずは、この地下にいる理由から話してもらえるかしら?」
私の問いかけに、フランは俯いたまま黙っている。しばらくして、ぽそりと呟いた。
「お姉さまには、分からない……」
「なに?」
「そう、お姉さま、私はしばらく紅魔館から離れた場所で暮らしたいの」
「だから、その理由を」
「うるさい!」
突然、フランは言葉を荒げた。
「お姉さまには、分からないわよ! 私があの日から、どれほどの恐怖を味わったか……物音一つに震え、眠れなくなるほどの悪夢にうなされ、それでもなお、時が過ぎる日々を……地獄の日々よ」
フランは震えながら言った。
意外すぎる理由に、私はむしろ、よく理解が出来なかった。心当たりがない、というのが正しい。隣にいたパチュリーも、はっと息をのんだのが分かった。
「フラン、ねえ、私に分からないのならもっと具体的に話を」
「もう、私の事は放っておいて!」
そのままひざから崩れて、フランは泣き始めた。私は困ったようにパチェの顔をうかがう。パチェは何かを考え込むように、じっとフランを見つめるだけだった。
私はフランの話が見えずにいた。いったいフランは何に怯えているのか、見当がつかない。
「そう、怖いと言うのならしょうがないわ」
嘘をつく。何も納得などしていない。しかし、この地霊殿にフラン独りを残しておくわけにもいかない。今この場で必要な事は、フランをこの薄暗い世界から連れ出すことだ。
「帰りたくなければ、帰らなければいい。ただし、ここはダメ。ここはいざという時に、私たちが助けに行く事が出来ないから」
「いやよ、いや。地上はいや」
フランは頑固だった。これほどまでに、頑固なフランを私は見た事が無かった。
「フラン、お願いよ。地上なら、どこにでもいていいわ。だから、地上に帰りましょう?」
「……それでも、いや」
「フラン」
私はそっとフランを抱きかかえる。フランの温かい体温が、じわりと私の身体に伝わってきた。
「ごめんなさい、正直なところ、今の私はフランの力になれそうもないわ。けれど、必ず、あなたの言う悪魔を追い払ってみせる。そのためには、あなたの力が必要なの。今は言えなくても、いつか心の準備が出来たなら、私に話してくれるかしら? その時は、全力で私があなたを守るわ」
腕に力を入れて、ぐっとフランをきつく抱きしめた。フランも私の身体に手をまわして、
私の耳元でしゃっくりのようなうめき声で泣いていた。
私はフランを抱きしめながら、心は全く別の事を考えていた。口から飛び出す言葉と、心の声の温度差をはっきりと感じる。
フランは悪魔と言った。その悪魔が紅魔館にいる。
帰ってからも、私の落ち着かない日々が続きそうだと思うと、少しだけうんざりした。
そして、うんざりだと思った自分に驚いた。
フランの事なのに、うんざりだって? 何を言っているんだ、私は……
「込み入った事情がありそうですが、地上の事情は地上で処理してくださいね」
機械のように無機質な声で、さとりは私に声をかけた。もう少し気を使ってくれても良いじゃないか、と思ったけれど、さとりとしては、もうこれ以上面倒事に巻き込まれたくないのだろう。
「もうしばらく、一週間ほどフランをここに置いておけないかしら。その間に私たちが全力を挙げてこの問題を解決するわ」
「……その一週間、きっちり守らせてもらいますよ。さもなくば、地上が雨でも晴れでも、容赦なくフランさんを追放しますからね」
さとりの声に、嘘は無かった。かなりの凄みがあったし、さとりならば平然とやってのけるだろうという雰囲気を醸し出していた。
「よろしくお願いする」
さとりは事務的な手続きをするかのように、ペット達にフランの為の部屋を開けるよう指示をした。
結局、この日はこれで終わった。フランは泣くのをやめて、ぼうっと地底の天井を見上げている。
「私たちはもう邪魔ね。帰りましょうレミィ」
パチュリーがそう言うと、私もそれに同意する。
「ねえ、フラン。私たちはこれでもう帰るわ。でも、あなたも一週間以内にここを出なければいけない。あなたの望み通り、紅魔館以外の家を探すけれど、それだけは守って欲しいの」
私がフランの両手をぎゅっと握る。フランは虚ろな目をしたまま、小さくうなずいた。それを見送り、私はフランを背にする。とその時だった。
「……もう、しらない」
フランは突然、そう言った。思わず私は視線をフランに戻す。その表情は薄く笑っている。先ほどとはまるで違う、不気味な笑顔。
「え?」
「知らない、って言ったのよ。お姉さまがどうなろうと、もう、私には関係がない」
その言葉に背中が冷たくなる。
「なんの話?」
「お姉さまは、とても後悔する事になる。ああ、こんなことなら私を地底へ閉じ込めておけばよかったって。だって地底は、忌み嫌われた妖怪が住む都。私にはお似合いの場所なのだから。お姉さま、私は地上へ帰る。その約束は守るわ。けれど、決してその選択をした自分を責めないでちょうだいね」
「……そう」
相変わらずフランはにこにこと嬉しそうに笑っている。私もそれに合わせて、笑顔を作ったつもりだったが、顔の一部が痺れたように、その笑顔が固くなる。
私は何となく、そのフランの言葉に棘がある、そんな感情を抱いたのだ。
「じゃあ、私はもう行くわ。また今度迎えに行くから」
「ええ、楽しみにしているわ、お姉さま」
フランに背を向け、お気に入りのハイヒールを鳴らして歩く。地下に響く、その足音が、自分の足音だと意識するのに随分と時間がかかった。
まるで、自分が自分で無くなるような、そんな恐怖。
フラン、あなたは一体なにを言っているの。
ふと後ろを振り返ると、フランの紅い目が、暗闇の中で光っていた。それは私の身体を射抜くように、鋭く、そして妖しく瞬いていた。
この日から数日間は、紅魔館をあげてフランの受け入れ先を探した。ただ、常識的に吸血鬼の住処など誰も提供したがらないのが普通であり、交渉は困難を極めた。私としてはできるだけ紅魔館の近くに借りたい所だったが、それではフランが納得するまい。せっかく用意した家を、目の前でぎゅっとしてドカーンされるのはごめんである。かといってあまりに遠すぎると、今度は他の妖怪から襲撃されるかもしれない。
吸血鬼は強い。ただ、不意打ちにはとことん弱い。こんなこと、羽がもげても言えないし、自分で言うのも恥ずかしいが、寝ている間など、可愛い赤子のように儚く脆い存在だ。結局のところ一人ぼっちの吸血鬼なんて、オーケストラのいない指揮者と一緒であり、だから私は紅魔館に住んでいる。オールマイティな門番がいて、したたかな精神を持つ魔法使いがいて、有能なメイドがいる、この紅魔館に。襲撃する相手だって、面倒くさい館だと思うだろう。そう思わせる事が、私の狙いでもある。
そのためにフランを独りにはしたくない。出来る事ならば同居人がいたほうがよい。それも信頼できる同居人。
「ねえ、霊夢。フランをここで数日間面倒を見てくれないかしら?」
受け入れ先を探して三日目。日もすっかり沈み、星がちらちらと瞬いている博麗神社の空。その夜空の下で、私は特上のお酒を持って、霊夢の所へ行った。ここが私にとっての最後の砦である。
「なんだと? あんたは私を干す気? そんな事をしたら、ただでさえ少ない参拝客がゼロになっちゃうじゃない。っていうか、あんた達の家庭の事情を私に持ち込まないでくれる?」
「あら、生活に不自由しない程度のお金は工面してあげるけど。それでもダメ?」
私はそう言って、上目遣いに霊夢を見上げた。
「ダメよ。ダメ。諦めてさっさと帰りなさい」
むうっと私は頬を膨らます。しかし、霊夢は全く意に介さないように、私を睨みつけた。こうなると、霊夢は頑固である。こちらがいくら下出に出ても霊夢はきっと、動かない。
ならば、こちらからそうせざるを得ない状況にするまでである。
「せっかくこっちが下出に出てあげているのに、頑固な霊夢。これでは、美味しい酒を飲むこともままならない」
「あんたと酒を飲んだって、別においしくも、なんとも……?」
霊夢が不思議そうに私を見ている。その表情は戸惑いに、そして驚愕に、最後には怒りに変わった。その変化は、わずか数秒の出来事である。
私がその数秒の間に何をしたかと言えば、霊夢を押し倒したのだ。霊夢にとっては一瞬の出来事だっただろうけど、私にとっては懇切丁寧に押し倒してあげた。多分痛みは感じなかったはずだ。
霊夢の腹部のあたりに腰をおろし、その両手を押さえつける。霊夢の顔が月明かりに照らされて、妙に色白く光っている。
「……いつからこんな趣味が?」
霊夢の声は明らかに怒っていた。
「さあ、いつからでしょうね。霊夢が私の命令をきかないから、こうなったのは間違いないわ」
「私の喧嘩は、安くは無いわよ」
「もちろん。ねえ、霊夢。私は水を飲むために、ここへ来たんじゃないの。熱くとろけるような一杯を求めて来たのよ。お金やプライドという瑣末なことは忘れて、ね。これでもあなたは、私のお願いをきいてくれないのかしら?」
霊夢は必死に私から逃れようと、腕や足に力を入れる。しかし、霊夢のそうした力よりも、私の妖力の方がはるかに勝っていたため、霊夢は全く動けなかった。ただ悔しそうに目を細めたり口元がゆがんだりしている。
せっかく手に入れた美貌は、自分の有利なように使っていくべきだ。パチェも言っていたではないか。私が大きくなったから、私の話を真面目に聞くようになったと。それは霊夢も同じはずだ。昔の私なら、こんなことをしてもただのお遊戯にしか見えない。しかし今は違う。ここには、恐怖と美しさが混合する、妖艶な世界が展開されている。
「私は自分のしたい事と、自分のすべきこと以外に割くような時間は無いの。あんたら妖怪と違ってね」
「どうやら私と霊夢とでは、この件に対する認識が違うようね。私はあなたに命令をしに来たの。ただ、頭ごなしに命令しても、霊夢は機嫌を損ねるから、柔らかく出来るだけ気持ちよくこの件を受け入れてほしかったんだけど」
私はわざと、色っぽい声でそう言った。
「それがこの方法? とてもじゃないけれど、常識的とは言えないわね」
「理性に訴えてダメならば、本能に訴えるまでよ」
私がそっと霊夢の首筋に口をおいた。その瞬間、霊夢が少しだけひっと声を漏らした。仄かに漂う、少女独特の香りが私の嗅覚を刺激する。微かに震えている腕。大きくうねる心臓。その全てを感じ取って、私はそれだけで満足していた。
「どう? この美しい私に支配されるのも、なかなか悪くないでしょう?」
「……っつう、分かった。分かったわ。ここなら大丈夫、という所を紹介してあげる。だからもう、離れろ」
霊夢は少し息切れしながらそう言った。それは私の妖力にずっと押さえつけられていたから、ということもあるだろう。
「あら、本当? そこは信頼できるの?」
私が顔をあげてそう言った。霊夢の顔は月明かりでも分かるぐらい、赤くなっていた。
「命蓮寺という所よ。あそこなら妖怪を保護してくれる」
「命蓮寺? 最近ここに来たっていう、連中?」
「ええ、とにかくあそこならば信頼できる」
「いいわ。なら明日の朝、咲夜をそこに行かせるから、場所の案内を頼めるかしら」
「それぐらいはしてあげるわよ」
私はそれを聞いて、霊夢の上から退いた。
「ありがとう、霊夢。これは御礼よ」
そう言って、私は持ってきた日本酒の一升瓶をおいた。霊夢は恥ずかしがっているのか、寝転んだままこちらを見ようともせず
「さっさと帰れ」
と一言言っただけだった。
次の日に、咲夜が命蓮寺に交渉しに行った。霊夢は咲夜に場所を教えただけで、実際は案内しなかったという。霊夢の首筋に、私がつけた歯形が微かに残っているのを咲夜が目ざとく見つけ、それはどうしたと質問すると
「でかい子どもにじゃれつかれて噛まれた」
と言ったという。
交渉はすんなりといき、フランは来週から命蓮寺に世話になる事になった。咲夜の説明を聞く限りは、信頼のおける寺だろう。
「ありがとう咲夜」
「いえ、本当に御礼を言うべきは、命蓮寺の方々ですわ」
「確かにそうなんだけれど。しかし変わった連中よね。無償で、しかも混じりっ気なしの、純粋な善意からこんなことをするなんて。責任者、聖といったかしら、彼女は究極のマゾに違いないわね」
「私もそう思います」
咲夜は無機質にそう言った。
フランを命蓮寺に預けて、一週間が経った頃だろうか。
その日は夏のこの時期にしては珍しく快晴で、空は底抜けるような青色を呈していた。そしてどうも寝心地が悪く、太陽が高く登る昼間に私は起きた。
普段ならば起きるはずの無い時間である。
「咲夜、いるかしら?」
私がそう言うと、扉越しから返事が返ってきた。
「はい、お呼びになりましたか?」
「お茶を飲みたい」
「かしこまりました」
そのまま、足音が響いて遠くへと消えていった。
不思議と意識ははっきりとしている。起きぬけに咲夜を呼びつけ、お茶を用意させる。何も無い、退屈な日。
そっとベッドから立ち上がり、昨日の夜の事を思い出した。昨日はパチェの図書館に侵入した魔理沙を追い払った。暇つぶしのつもりだったが、私が思っている以上に私は強かった。以前とは比べ物にならないほどの弾幕を出せるようになり、そのあまりの進化ぶりに、パチェは驚いたように目を丸くしていただけだったし、魔理沙はバツが悪そうに
「今日は帰るぜ」
と言って足早に去っていった。
そうして優越感に浸りながら、ベッドの中にもぐりこみ、眠りについた。
そこまではいい。しかし、今朝は心臓を常に握られているかのような、奇妙な感覚がある。
私はそっと自分の顔に手を当ててみる。
「皺か……?」
昨日までは無かったものだ。どうやら、私の身体の変化はまだまだ終わっていないようだった。しかし、これでは見てくれが悪い。美しい肉体を維持する事は、吸血鬼として、守るべき義務なのだから。
「ふうむ、これからは皺とりの体操でもしようかしら」
だがやり方が分からない。
「失礼します。紅茶でございます。今日はパチュリー様からの特別な紅茶だそうですよ」
咲夜が部屋に入ってくる。私は椅子に座って、咲夜に尋ねた。
「ねえ、咲夜。私の顔、なんだか皺が出来ているようだけど」
咲夜はいったん紅茶をカップに入れる事をやめて、じっとこちらを見ていた。
「確かに、何本かありますね。運動不足か何かでしょうか」
「これではとても美しいとは言えないわ。どうにか消さなければ」
「それでしたら、美鈴なんかどうでしょうか。彼女は身体を動かすことのプロフェッショナルですから、きっと顔の体操なんかも知っているはずです」
咲夜は少し考える様に言って、再び紅茶をカップに入れなおす。確かに咲夜の言う通り、美鈴ならばなんとかできるかもしれない。パチェに相談しようかとも思ったが、怪しい魔法の被験者にされそうで、気が進まない。
「うむ、そうしよう」
そんなわけで、私はさっそく美鈴を呼びつけた。
「失礼します」
美鈴は丁寧に扉を開けた。私を、次に咲夜の方を見て、ぺこりとお辞儀をする。私が要件を言うと、美鈴は少し考えた後、わかりませんと言った。
「なぜ?」
「それは……」
美鈴は少し躊躇いがちに言葉を濁す。
「いいから、怒らないから言ってみて」
にこりと笑って私は優しく美鈴に声をかけた。怒らないかどうかは、美鈴の返答次第である。
素直な美鈴は、それならと言った面持ちで口を開いた。
「私は生まれてから一度も、皺なんてできた事がないから皺を取る方法なんて分かりません」
にっこりと笑顔で美鈴はそう言った。純真無垢な笑顔だ。
「それは、私へのあてつけかしら? 美鈴?」
「え? いやそう言うわけでは……あの、ホント、そんなつもりは無かったんですよ。ただ、その、私にはそういう経験がなかったと言う事を言いたいだけであって、決してレミリア様を馬鹿にするとかそんな意図は全くなかっったんですよ、はい」
「……まあそういうことなら、いいわ。そうね、そしたら一体誰に聞けばいいのかしら」
「長生きしている妖怪や、人間に訊けばいいんじゃないですか?」
美鈴が助言する。確かに、人間訊けば一番手っ取り早いが、それは私のプライドが許さなかった。人間に媚びへつらう事など性格上出来そうもない。
「お嬢様、香霖堂の店主などは、そうした知識に詳しいのでは?」
そう言ったのは、咲夜である。
「なるほど、確かにあの店主ならば何か知っているかもしれないな。よし、今すぐ出かけよう。咲夜」
「申し訳ありません、お嬢様。今日は食糧の買い出しがありますので」
「いいじゃない、そんなのは後にすれば」
そこまで言って、突然咲夜の目が鋭く光る。
「いけません! 今日は特売で野菜が安いのです。お嬢様は知らないかもしれませんけれど、今の切り詰め生活の紅魔館では、それはもう死活問題ですわ。まさに、八百屋は戦場で言えば前線であり、貯金は最終防衛ラインぎりぎりの攻防をしているのです。お嬢様、これを逃せば、紅茶が飲めない生活が一カ月続くことになりますわ。それでも、それでもお嬢様がいいというのならば、私は断腸の思いで前線からの撤退を行いますとも、ええ諦めますよ」
咲夜が今までにないほど、切羽詰まった声で言った。勢い余って、唾が飛ぶのが見えるほどだ。私は呆気にとられて思わず
「そ、そうか……なら仕方ない。なあ、美鈴?」
と意味も無く美鈴に同意を求める。
「ええ、まあ、レミリア様がそう思うのであれば……」
「お嬢様、ありがとうございます。それでは私は買い出しに行くので、これで失礼します。後は頼んだわ美鈴。お嬢様をしっかり守ってちょうだい」
そう言って咲夜は風のように部屋を出て行ってしまった。あっという間の展開に、私も美鈴もぽかんとしている。
「むう、しょうがない。では美鈴。今日は私に付き合ってちょうだい」
「かしこまりました。しかし……」
と美鈴は言葉を濁した。
「いくら今日が野菜の特売日であろうと、お嬢様を差し置いて八百屋に駆け込む事が今までにあったでしょうか」
「この紅魔館のお金事情は咲夜が握っているからね。もちろん、私は好きな時に好きなだけ使える権利を持ってはいるけれど、その全体の把握はしていない」
「まあ、それもありましょうけれど……」
美鈴は言いたい事はそれではない、と目で訴える。
「……咲夜にそれとなく、フランの話題を吹っ掛けてみても、咲夜は心音一つ変えなかった。もちろん、咲夜の精神が、一般的な人間のそれを軽く凌駕している事もあるだろうけれど、少なくとも、咲夜はこの件に関して、全くカヤの外に居るか、ど真ん中で台風を引き起こしているかのどちらかに違いない」
「お嬢様はどのようにお考えで?」
「私の理性は咲夜の犯行とささやいている。しかし……私の奥深いところ、信仰や理念と同等の場所では、そうではないと告げている。今の私はいわゆる均衡状態という単語がぴったりね」
「確かにあの咲夜さんが妹様やレミリア様を裏切る道理がありません。私の知っている範囲内の情報ではありますが」
美鈴は確認するように私の方をちらりと見て笑った。なんとなくその笑顔が乾いたように見えるのは、彼女もまた、私と同じ気持ちなだからだろう。
「……さあ、いつまでも話していてもしょうがないから、出かけましょうか」
私は足に力を込めて、椅子から立ち上がった。
小さな丸い机の上には、まだ温かな紅茶が置き去りにされたままだった。
昼を過ぎてからもぐんぐんと気温はあがり、ちょうど香霖堂に来るころには、全身が汗だくになっていた。
「残暑ってなかなか身体に堪えるわ」
「今日は一段と暑いですからねえ」
「美鈴と一緒に出かけるなんて、久しぶりね」
「懐かしいですね。昔は一緒に出かけたものですけど」
私が襟元をぱたぱたとさせて、暑さを演出している私に対して、美鈴はうっすらと汗をかいているものの、あまり辛そうな雰囲気をまとっていなかった。多分、長い間、門番と言う過酷な労働が美鈴を丈夫な身体(もともとそれを見越して美鈴に門番を任せたのだが)にしたのだろう。今の美鈴は、鬱蒼としたジャングルでも生き延びる事が出来るに違いない。
何だか、可哀そうではないか……?
どうして私は、その事実に気が付かなかったのだろうか。
「美鈴」
「はい、お嬢様」
「今度、門番付近に椅子とパラソル、それから冬用にストーブを与えるわ」
「え、どうしたんですか急に?」
「あ、いや、その……」
不憫に見えた、とは言えない。なぜなら、私がそう命令したからだ。今まで何も与えなかったのも、私が決めた事だ。今さら急に取り繕うったって、偽善にしか見えない。
「お嬢様?」
「何でも無いわ。そう、ね。今日の御礼に、今度あまいお菓子でも差し入れするわ」
「本当ですか? ありがとうございます」
美鈴は、また人懐っこい笑顔になる。まあ、これが今の私にできる最大限の美鈴に対する感謝だ。
香霖堂の扉を押す。古めかしい道具特有の芳香がツンと鼻の奥を刺激する。綺麗な鈴の音が鳴って、年季の入ったカウンターの奥に座っている店主、森近霖之助がこちらを振り向いた。
「何か、お探し物かい?」
店主の眼鏡の奥の瞳が光る。丁寧な口調から察するにどうやら客として扱われているらしい。霊夢や魔理沙が来店した時は、こう丁寧な言葉をかけられることはまず無いと聞いた。
「久しぶりね」
店主は私をじろりとつま先から頭まで一瞥すると、ほう、と感心したように息を吐いた。
「君は随分変わったな。噂には聞いていたが、予想以上だよ」
「いい女になったでしょう?」
「いい女かどうかは僕には分からないけれど、まあ何かと得をしそうな顔立ちではあるな」
まったく、夢がない男だと思う。この店主は往来の性格なのか、お客を持ち上げることがない。だからきっとここの売り上げはきっと芳しくないに違いない。
「今日はあの従者はいないのかい?」
「ええ、今日はうちの優秀な門番が代わりよ。美鈴」
店の中を興味深そうに眺めていた美鈴は、呼ばれて慌ててこちらを向く。
「初めまして、紅美鈴といいます」
「初めまして。それで、お探しの物は?」
「ええ、皺を取る物を探しているの」
「皺? 君には不要のものだと思っていたけれど、そうか……」
そう言って店主は店の奥に消えた。たぶん商品を探しているのだろう。
「このお店、変わった趣味のお店ですね。ガラクタともオタカラともとれる道具がたくさん置いてあります」
美鈴が言う。
「この店の良い所は、幻想郷でもとりわけ変わった商品を扱っている点だ。この店には私にとってはガラクタばかりだけど、他の人からすればオタカラの山かもしれない。良くも悪くも一般客用じゃあないわけだ。まあティーカップみたいな一般的な道具も扱っているが、半々と言ったところか」
「へえ、なるほど。要はリサイクルショップみたいなものですね」
「そうとも……いや、さすがの私もそこまでこの店の評価は低くは無いわよ。けれど、まあ簡単にいえばそんなもんか」
そこまで言って振り返ると、美鈴がじっと棚の商品を見ていた。何やら熱心に見ているので、私は美鈴の後ろからそっと美鈴の耳に息を吹きかけてみる。
「ひゃあ! ちょ、ちょっとレミリア様……」
顔を真っ赤にして美鈴はおどおどと後ずさった。その仕草が、妙に可愛らしかったので私はくすりと笑ってしまった。
「主に向かって、ちょっととは生意気ね」
「申し訳ありません」
美鈴は素直に謝る。余計なひと言を言わないこの主人への敬服度が、咲夜とは違う所である。
「なあに、これ?」
美鈴が見ていた物は、黒く長い棒だった。長さは一メートルより少しあるぐらいだろうか。触ってみると、やや弾力のあるゴム素材でできたものだ。
「なんでしょうね。剣ではなさそうですし、木材とも違う……ほら、少し弾力があって、これ、棒術の練習にはぴったりなんじゃないですか?」
美鈴はそう言って、その棒をぶんぶんと振り回す。只回しているだけなのに、妙に格好がついているのは、美鈴が武術に長けている事もあるだろう。
「欲しいの? 美鈴?」
「ええ、これ訓練用で経費から落ちませんかねえ」
自分が欲しい物は、駆け引きせず真っ向から主張する。それが美鈴流なのだ。普段何も要らないと言っている反動からか、自分が目をつけた道具には、かなりの執念を燃やす性格である。
「レミリア様、私これ気に入りました。私の給料から引いといて下さい」
ほら来た、と私は思った。こうなると美鈴は梃子でも動かない。
「やれやれ、あなた、このままだと紅魔館の門番から、香霖堂の門番になっちゃいそうね」
「まさかあ」
あははと屈託なく笑うその笑顔は、美鈴が本気だと言う証拠だ。美鈴が本気の時は笑うのだ。
そこまで言って、店主が奥から戻ってきた。私たちの会話は聞こえていないのか、聞いていないふりをしているのか分からないけれど、店主はいつもの小難しい顔だった。
「残念ながら、皺を取る道具は無い様だ。お役に立てなくて申し訳ない」
「あら、そうなの? ま、あんまり期待していなかったし、別にいいわ」
「期待に添えられず、申し訳ない……ところで、美鈴、さん? それは非売品だから、棚に戻しておいてくれないか?」
あら、と私が声を出す前に、美鈴はにこりと笑って
「買います。どんなに高くても、買います」
と美鈴が宣言した。
「いや、それは外の世界の道具なんだ。名前はボディブレード、用途は主に体幹の脂肪燃焼と筋力増強、いわゆるダイエットに使うものだ。だから美鈴さんには、いや紅魔館にとって不要な物だと思うんだけど」
「いいえ、必要です。これで訓練するんです。これならよほどの力を込めない限り、訓練中に死ぬことは無いですから。だから必要です」
「作りは単純だ。だから河童にでも作ってもらったら……」
店主がそこまで言い掛けて、美鈴が店主の顔の前に右手を出す。喋るな、と言いたいのだろう。
「店主さん、私はこの道具の性能を最大限に引き出すことができる自信があります。このブレードも、己の生まれて来た意味を存分に発揮し、その命燃え尽きる一瞬まで使い切る事が、私には出来ます。それは棚で飾られているよりも、よっぽど幸福な事だとは思いませんか? 道具は使役されることで、人間に幸福を与えるものです。その機会を失ってしまう事は、道具にとってあまりにも不幸だ。もちろん、使えなくなった私たちも、です」
「しかし、これは貴重な外の世界の物なんだ。学術的価値がある。美鈴さん、君は風呂場を温める火を焚くのに、杉の木の薪を使わず、樹齢二千年の神樹を切り倒すつもりか?」
「必要とあらば、もちろん。私が妖精なら、是非その大木に住みたいですね」
毅然とした態度で、美鈴は店主に問い詰める。私は美鈴の珍しい光景に見とれていた。
こうしてこの調子で口論が始まったが、どちらも譲る気は端から無いので、議論は平行線をたどるばかりだった。面倒に巻き込まれないために、私は黙って傍観する。
しばらくして、店主から、なんとかしろ、という合図が目で送られてきた。どうやら迷惑に感じているらしい。しかし、こうなった美鈴はもう止められない。誰にも、だ。
私は美鈴の前に出る。店主の顔が、もうお互いの息がかぶるほどの距離になる。
「店主」
「なんだい?」
ほとほと迷惑がっている声だ。無理もない、同情してやろうと思った。
「いくらだ?」
やや高圧的な態度で。
「は? いやだから非売品」
「いくらだ?」
だいぶん高圧的な態度で。
「だから」
「いくらだと、聞いているんだ」
手にスペルカードを用意した。最終警告である。
「……」
「諦めて、さっさと白状しろ」
「……非売品だから、値段は無い。つまりタダだ」
「そうか」
私はそう言って、近くにあった銀製のナイフを取った。
「ついでに、これも買い取ろう。いくらだ?」
「……二十万円だ」
ちらりと確認した値札は一万円である。
「ありがとう」
私はにこりと笑って、店主に感謝の言葉を述べた。心底、感謝した。
店主はほとほと困ったような顔をして、私たちを送ってくれた。横目に嬉しそうな美鈴を見つつ、背中が何だか物悲しい店主を見るのは心が痛む。
次からは咲夜が居なかったらパチェを連れて行こうと思ったが、パチェも魔導書云々と言いそうなので、やっぱりやめることにした。
「いやあ、これいいですねえ。また機会があれば、あの店に行きたいですね」
美鈴は獲物を見つけた猛獣のように、きらりと目を光らせた。その瞬間私はこの猛獣を、二度とあの店に近づかせないようにしようと誓ったのだった。
大量の野菜を抱えて咲夜と妖精たちが帰ってきてからも、私の皺とりの方法を探すことがこの紅魔館の第一の任務だった。友人であるパチェからの『美容魔法』という言葉には心惹かれたが、やったことがあるかと訊いたら、無いと言われたので、止めておくことにした。パチェは不満そうだったが、すぐに興味がなさそうな表情になる。
「ま、頑張れば?」
「親友よ。手伝っては、くれぬのか?」
「そんな言い方したって、私は動かないわよ。最近は色々と動きすぎて、身体に負担がかかってるんだから」
「そうか、なら仕方ないな」
「そんなこと、思っても無いくせに」
私があはは、と笑うと、パチェはやれやれと肩をすくめる。
「それにしても、最近のあなたはとても楽しそうね」
「楽しいものか」
「楽しそうじゃない。人生を謳歌している。私の目にはそう見えるし、感覚として、レミィもそう思うでしょう?」
パチェはくすくすと笑いながら、図書館の奥に消えていった。
確かに最近の私は、何かあると新鮮な気持ちで物事に取り組むことが多い。前に咲夜が言ったように、変化する自分と言うのを楽しんでいるのだろうか。
しかし、嫌なことも多い。例えば、フランを連れ戻した時は、フランの心配よりもむしろ、面倒くさい、と思った。今まではフランに関して面倒くさいなどと全く思わなかったのに。
それに、なぜ私はフランを地下に閉じ込めるような事をしていたのか。それも最近の私がよく考える議題の一つだ。自分の事なのに、その理由がいまいち思い出せないのは、一体どういう事だろう、といつも思う。
私は図書館から出て、自分の部屋へと戻る。
その途中、ふと厨房に電気が付いているのに気が付いた。私はひょいとその中を覗くと、買い物から帰ってきた咲夜が晩御飯の準備をしていた。
匂いから、今日はクリームシチューのようだった。
「咲夜」
「あら、お嬢様。どうしたのですか?」
声をかけて、振り向いた咲夜の手元には、小さなプラスチック製の筒のような物が握られており、無色透明の液体が入っていた。
「それは何?」
「これは、お嬢様のお飲みになる血液に入れるものです。パチュリー様からの言いつけです」
「中身はなに?」
「それが、パチュリー様に尋ねても、教えてくれないのです。しかし、これを入れると血液が美味しく飲める、とだけ説明されています。ああ、あと絶対に毎日入れろ、とも言われました」
「パチェが?」
怪しい薬のような物を、自分が毎日飲んでいた。それはちょっとした恐怖だった。
「気味が悪いわね。今日からそれ、入れないでちょうだいよ」
「え、しかし、パチュリー様は……」
「いいわよ、一日くらい」
私がそう言うと、咲夜は困った顔でそれを排水溝に流した。私は、後でパチュリーに事情を聞かなければ、と思った。
私に秘密で、こんな薬みたいなものを毎日飲ませるなんて、どういう事だ。
スカートの裾をひるがえして、私は食堂を去る。
朝。いや昼だろうか。全身が風邪のような気だるさを感じていた。身体の奥深いところで熱がこもり、全身から汗が流れている。その気持ち悪い感触と共に、私は目覚めた。
風邪、と思った。まだ明るい部屋は、私の目には眩しく、それを遮る様に私は自分の手で視界を暗くする。
心臓が、一瞬止まった。
目の前に見えるのは、昨日の自分とはまるで違う、皺だらけの腕がある。
瞳が、呼吸が、心臓が、筋肉が、私のありとあらゆる感覚が、目の前の状況を飲み込めなかった。
声すらも、あげられない。
これはなんだ私はどうなったいやまずは咲夜に相談それともパチェまって一日でこんなになるなんてそれとも病気?死ぬ?どこまで?なにこれ?私はどこ?まって、まってまって、落ち着いて待って、本当に、待って。これは私の、腕、指。そう、確かに、この目の前の現実は、私は、私……
ゆっくりと指を曲げると、私の思い通りにその指は動いた。親指から、順に指を曲げていく。まるでロボットがコップを持つ時のように、ぎこちなく、けれど確実に。
気分が悪くなった。トイレに駆け込む、その足音すら、不快だった。
トイレに入る。鏡にはっきりと映らぬ、自分の姿をこれほど恨んだことも無かった。
何かが狂っていた。この世界の何かが、私を狂わせていた。
皺だらけの手を見て、震えていた。生きている心地がしない。私の心臓はちゃんと動いているはずなのに。
見ると、足先から太もものあたりまで、その全てに皺が寄ってきている。
急激な老化。心なしか、身体も思うようには動かなかった。
寿命、という言葉が頭をよぎる。
私はその場に座り込んだ。
一体、私はいつ寿命が来るのか。そんなことなど今まで考えたことも無い。未知の領域だった。
人を含めた生き物が、自分の知らない出来事に遭遇した時にまず晒される感情は、恐怖である。
それは私にとっても例外ではなかった。
このまま、スキーの直滑降のように身体が歳を重ね、次第に老いぼれていくのか。それが全く、私には分からなかった。
「しっかりしなさい。まだ、決まったわけじゃないわ」
私は鏡に向かって、自分に呪い聞かせる様に言葉を吐いた。
そうだ、まだ決まってはいないのだ。
そこで魔理沙の言葉が頭をよぎった。
世界は、表と裏がある。レミリアは一体何を犠牲にしたんだ?
彼女は犠牲と言った。では、私は一体何を捨てて、何を手に入れたのだろうか。
もしも、自分の気付かぬ大切な物を捨てて、この恐怖を手に入れたのなら、私はこんな現実などいらない。なぜ、私だけがこんな目に遭わなければいけないのだ。
「しっかりしなさい。私は、レミリア・スカーレット。私は高貴なる、存在なのよ!」
叫ぶ自分の、鏡にぼんやりと映る顔のきめ細かい白い肌は、湖面に薄く張られた氷を思わせる。触れればいとも簡単に割れてしまう、そんな脆さも、私は私自身に十分感じられた。
もうすぐ陽が暮れる。
私は心が疲れていた。これもすべて、恐ろしい現実を知ってしまったから。
老化していく事よりも、私はその先を恐れていた。
言葉にするのが、恐ろしい。
「……」
倒れていた私に最初に気付いたのは、紅茶を運んできた咲夜だった。私の姿を見た咲夜は、驚くほど冷静に、私をベッドまで抱えて看病をしてくれた。意識が朦朧としていた私には、咲夜の手厚い看病に感謝をした。その後、咲夜は何も言わずに部屋を出て言った。
今はだいぶ、落ち着いていた。
熱い紅茶を飲んだ時のように体中がほてっているのに、頭の中は真っ白で冷たいままだった。指先は震え、確かに飲んでいた紅茶は、味を感じることなく喉の奥へと流されていった。
と、誰かが扉をノックする。やや乱暴なノックの仕方から、パチェだろうと私は思った。
「レミィ、大丈夫? 何だか体調が悪いって聞いたけれど」
「パチェね。入っていいわ」
独りが怖い。そう初めて思う。
「レミィ、一体どうしたの?」
扉を開きながらパチェはそう言った。そして、私を見た瞬間に、身体をこわばらせ、息をのんだ。そして、何か信じられないような物を見たときのように、口を開けたまま、小刻みに震えていた。
「パチェ……私は、どこまで成長する?」
私の言葉に、パチェははっと目を見開き、ぐっと唇を一文字に結んだ。
何を押し黙っている。お前は私に言えない事があるのか。
パチェに対して私は深く疑念を抱いた。滴り落ちる血で、水を真っ赤に染める様に、その不快な感情が私の中を染める。
「ねえ、パチェ。私は、怖い。このまま、どこまで私は老いていくの? どこまで私は衰えていくの? その先は? そのまた先は?」
私はパチェの肩を掴んで、力いっぱいに、声の限り、叫んだ。心臓が苦しい。肺に酸素がいきわたらない。落ち着け、と自分を制する事が出来ない。
「ねえ、パチェったら、黙ってないで、何か言って!」
「レミィ!」
パチェが叫んだ。思わず私はひっと声を漏らして、黙った。
「レミィ。落ち着いて。まだ、確定しているわけじゃあないし、止める手段があるかもしれない。私の魔法でも、永遠亭の薬でも、道具屋の不思議な道具でも。手段はある。だからお願い。決して自分を責めないで。不安なら、私が側に居る。絶対に側に居る。だから、そんな情けない声を出さないで……」
最後の方は涙声になりなっていた。
パチェの言葉に、私は冷たい水を浴びているかのように冷静になっていくのを感じ取れた
「ごめんなさい、パチェ」
「いいの……そうだ、これを飲んで」
パチェは内ポケットから、あの薬のような液体を取りだした。
「これって、咲夜が血に入れていた……」
「知っているの? レミィ」
「昨日の夜、咲夜が私の飲む血にこれを入れようとしていたのを、私が止めたのよ。何だか気味が悪かったし」
その瞬間、パチェの顔が一気に青ざめた。
「もしかして、これを飲まなかったの?」
パチェは震える声でそう言った。
「ええ……ねえ、パチェ、この液体は一体何なの? 私の身体はどうなったの?」
私は不安に駆られた。パチェが私の知らない何かを掴んでいる事実に、私は怯えていた。
「これは、その……私が開発した、病気に何でも効く薬よ。毎日飲まないと、その、効力がないから、ってことで。でもあなたの事だから、一日ぐらいって言って、飲まないかもしれないでしょう。だから咲夜に渡して、毎日の食事に混ぜてもらっていたの」
パチェは私に言い聞かせる様に、ゆっくりと丁寧に言った。
確かに、そうした類の薬かもしれないが、私はあまり腑に落ちなかった。
あの薬を飲まなかった、と私が言っただけで、パチェは死の宣告をされたような顔を見せた。
うそをついている、と直感的に感じた。それは私にとって、とてもショックなことで、屈辱的な行為だった。
「うそ。私をあまりなめないで。パチェ」
ぎろりとパチェを睨む。私は親友に裏切られた悲しみから、心が不安定になっていた。嵐のような怒りが私の心を覆う。ごうごうと、めらめらと、矛盾した感情が湧き、身体が傷口から溢れ出る血のような熱を持つ。
「レミィ……」
パチェはその場でかたんと膝から崩れ落ち、顔を俯かせた。
糸が切れた人形のように、動かない。
そんな姿を見ても、私の心は熱いままだった。
「……立ちなさい。パチュリーノーレッジ」
ふるふると頭を振るパチェ。
「立て! この……」
私がパチェの胸ぐらをつかむ、と同時に、パチェがうっと喉を鳴らした。
顔を見ると、大粒の涙を流して、パチェは泣いていた。
声は全く出さず、静かに、しかし涙は激しく流れていた。その矛盾した様子が、私に動揺させる。
「何よ、何でそんなに泣いているのよ……」
私は、その先から言葉が出てこない。
パチェが泣いている。なんで?
変な薬を飲まなかっただけなのに。
そこまで、あれはパチェにとって大事なものだったの?
分からない。分からない……
息が詰まる。指先が痛い。胸が苦しい。腕がしびれる。顔が強張る。お腹が冷える。足は動かない。心臓が張り裂けそうになる。
「ごめんね。レミィ……あなたに、また辛い思いをさせてしまって……」
また、とはなんだ。パチェ、お前は何と会話しているんだ。
その間も、パチェの目からは大粒の涙があふれている。
その涙が、私の袖を濡らしていく
パチェの大きく吐く息が、私の首筋にかかるたびに、私は不安になる。
「何よ、一体何の話よ、私の、知らない話をしないで!」
私はそのままパチェを床にたたきつけて、部屋を飛び出していった。
パチェが壊れた、と感じた。少なくとも、私の知っているパチェではなかった。
長い廊下を歩きながら、私はこれからの事を考えた。
パチェとは当分、まともに話ができそうにない。
ならば、この先、どうすればいい。
私は誰かに頼りたかった。
助けが欲しい。支えてほしい。そう本気で思った。
「咲夜、出かけるわよ」
自然と声が出た。私は自分ではっとする。
私の中で、咲夜はこんなにも大きな存在になっていたのか。
それは、私の知らない、私の部分。そこに居たのは、咲夜だった。
パチェでもフランでも美鈴でもなく。
一番つき合いが短い、咲夜だった。
私は咲夜を呼びつけて言った。
「永遠亭へ出かけるわ」
「かしこまりました」
不意に思いだした、あの薬師の名前が私を突き動かす。彼女ならば、どうにか出来るかもしれないと考えた。蜘蛛の糸にしがみつくように、私はその名前に希望を見出していた。
窓を開け、じっとりとした、肌にへばりつくような空気に包まれた夜に、私は飛び出した。その後ろでは咲夜が黙ってついてきている。
「……咲夜、こんな時間まで永琳は働いているかしら?」
「彼女は一晩かけて月を隠した人物です。夜に働くことぐらい、楽勝でしょう。もし寝ていれば、叩き起こすまでです」
咲夜は平然と言ってのけた。
私は心の中で、咲夜の動かぬ姿勢に安心感を覚えている事に気がついた。いつの間にか、咲夜は私の中で小さな、しかし確かな支えとなっていた。時計の歯車の一つで、無くなると時計が止まってしまう、そんな存在。
「ふん、何が何でも起こしてやるわ。例え、この夜を止めてでも」
永遠亭には、灯りがともっていた。真っ暗な竹林の中で異様とも言えるその光に向かって、私は近づく。やがて玄関までたどりつくと、おもむろに鈴を鳴らした。
「はあい、急患ですか? ってあら。どこぞの吸血鬼じゃない」
現れたのは鈴仙だった。こんな時間まで仕事をしていたのだろうか、いつものブレザーを着ていた。鈴仙の比較的はっきりとした言葉からも、どうやらこの永遠亭はあまり眠る事がないように思われた。
「永琳に用があるの。今すぐ会いたいんだけど」
「分かりましたよ。どうせここで追い払おうとして、弾幕勝負をする羽目になるのも嫌ですし」
鈴仙はそう言うと、私たちをあっさりと中へ通した。少し拍子抜けと言えば、拍子抜けだった。
「あなた、面倒くさい事が嫌いでしょ」
私が言うと、鈴仙はちらりとこちらを向いて、ため息一つつく。
「ええ、ええ。私は面倒くさい事が嫌いです。だって、寝る間を惜しんで、こんな時間まで開業しているんですもの。毎日の疲労が洒落にならないわ」
「でも、これは永琳の命令でしょう? 諦めなさいよ」
「私はあなたの優秀なメイドさんとは違うんです」
口の減らない兎だと私は思った。どうやら、あの異変から彼女は何も変わってはいないと言う事だ。
それを私は鼻で笑う事が出来なかった。
うらやましい、とは思わない。しかし、なぜかそれを完全に否定する事は躊躇われた。
「……」
生きる事に臆病な兎は、その分だけ長生きをすることができる。
理論的には、そうに違いない。しかし、生き物には心がある。はたして、心を無視して生き続ける事など出来るのだろうか。
「……何か?」
鈴仙が、警戒したように赤い目をこちらに向ける。
「いいえ、何も」
多分、出来る。この兎は、生きる事に熱心だから。それだけの為にこの永遠亭にいるのだから。
「師匠、レミリアさんが師匠にお話があるそうです」
木製の扉の前で、鈴仙は言った。すると中から、どうぞ、と短く答える声があった。鈴仙がちらりとこちらを見て、中に入れ、と合図をした。
「失礼するわ」
私は横開きの扉を開け、中に入った。月の住人、八意永琳は椅子に座って、難しい顔でこちらを見ていた。大方、こちらの目的が分かっているのだろう。
「ようこそ」
「要件は、言わなくても分かるわよね」
「まあだいたい」
永琳はそこに座って、と言って椅子を指差す。私は言われた通りに座った。永琳は神妙な面持ちで、私の方をじいっと見ていた。
しばらくの沈黙。その間、私の頭の中は様々な事柄が浮かんでは消えていった。これからどう言った事が言われるのか、予想してみたり、永琳の後ろにある薬の事、この部屋の光の加減、椅子の固さ、背中にぴったりと付いている咲夜の仕草、永琳の凛とした瞳。とにかく、私は目に見える情報を片っ端から拾い集めては意味も無く頭の中に詰め込んだ。
それらに意味などない。
そっと、永琳の唇が動いた。
「……あのパーティーの日」
ゆっくりと言葉を慎重に選ぶように言った。
「私はとても驚いた。ふつう妖怪には成長という概念がなく、生きているか、死んでいるかのどちらかに分けられる。けれど、あなたはまるで人間のように成長していた。とても、信じられない事だったわ。だから、私は過去のデータを探して、あなたと似たような事例を見つけた」
私は永琳の言葉の一つ一つに、ひやりと刃物を当てられているような冷たさを感じていた。
それと同時に私は心のどこかで永琳の言葉の続きを予感していた。雰囲気や、永琳の明らかな落ち込んだ表情から、導き出された最悪の結末。
「まず前例があった事にとても驚いた。それと同時に、予想が確信に変わった」
ざっくりと、喉を引き裂かれるような衝撃が私を刺激する。
「私ではどうしようもないわ」
永琳は諦めたように、言った。
「なんだと、お前はどんな薬でも作れるのだろう?」
自然と熱がこもる声。私が出した音とは思えないほどに切羽詰まった声が出た。
「レミリア、よく聞きなさい」
永琳は凄みのある声で私を制した。そのおどろおどろしい雰囲気に、私は身体ごと押さえつけられている様な気がして、声が出なかった。
「いい? これは病気でも何でもない。あなたはいたって、正常なの。言っている意味は分かるかしら? つまり、これは老化、なのよ。あなたは寿命がきた。身体の限界。細胞が死んでいる。私が薬でどうにか出来ない事はないけれど、死んだ細胞まで生き返らすことは不可能よ。
若返る、というか老化を止めるには何が必要か。それは新たな細胞よ。けれど、あなたには元の細胞が少ない。それは一つの種から、百本の薔薇を咲かせる事が不可能なのと同じで、一つの細胞から、百も二百もふやすことはできない。ましてや、あなたの生きた細胞も、もう分裂する事をやめている。今の姿を維持し続ける事は出来るけれど、それはやめた方がいいわ」
「いいわ、それで、いいから! 早くこの死の足音を止めてちょうだい!」
そう言うと、永琳の目が深い青色を呈した。
「本当に、心の底から言っているの?」
その言葉は、私の身体に電流を流したかのような衝撃を与えた。じんと指先が冷え、小刻みに震えている。
私は、今、何を言ったのだ。
しんと静まり返る部屋が、耳に痛い。
「……ごめんなさい。取り乱したわ」
「……」
永琳の言いたい事は、こうだ。
不老不死になってみるか、と。
愚問だ。しかし、それすらも判断できなかった。そんな自分に、私は絶望した。
今の私は、愚かだった。それ以外に、もはや言いようも無かった。
「とにかく、薬ではどうにもならない現実だと言う事をご理解願いたい」
永琳はそっと頭を下げていた。
その姿に私はひどく怒りを覚えた。
なんだ、これは。医者は私に頭を下げ、もう私の治療は出来ない、と言った。恐怖に打ち震える私は独り、路頭に迷う。
どうして、なぜ。一体どこから。
しばらくして、その怒りの矛先は惨めな自分に向けられているのだと知った。
力無くうなだれて、椅子に座った。ふさぎ込み、震える手で自分の頭を押さえる。咲夜がそっと、肩に手を添えてくれた。
こいつは全く持って笑い話じゃないか、え? かつて自信に満ち溢れていた過去の私はひっそりと影をひそめ、今では見えぬ死への恐怖におびえている。
こんな屈辱、あってはなるものか。
私は吸血鬼。妖怪の中でも特別な存在なのだ。
「……邪魔したわ」
私は震える足に力を入れ立ちあがる。迷路のように複雑な感情を抱いたまま、私はおぼろげな記憶と共に永遠亭を後にする。玄関では生きることに飽きたように、あくびをしていた鈴仙が立っていた。
「お帰りですか? お気をつけて」
と、鈴仙が言った。私はそれを無視して、玄関から外へ飛び出る。後ろから咲夜が駆け足でついてくる。
「ちょっと待って。魔法使いをここへ来させてくれない? 彼女と話がしたい」
不意に声をかけられたと思うと、永琳が立っていた。彼女の言う魔法使いがパチェの事だと分かるのに、少し時間がかかった。
「パチェを? なぜ?」
「……彼女は管理者だから。あの図書館の。私の口からは言えないけれど、あなたの老化は彼女が関係している事は確かよ。どうしても知りたいのなら、図書館の地下にある部屋に行ってみなさい」
「それって……今から私に図書館へ行けってこと?」
「どうしてもあなたが真実を望むのなら」
永琳はそう言って、さっさと奥へ戻っていった。
残された私たちはただぽかんとその場で突っ立っているだけだった。
「お嬢様、パチュリー様が紅魔館を出発しました」
「うむ」
永遠亭から帰ってすぐに、私は図書館の秘密を探る事にした。咲夜に頼んで、永琳がパチェを呼んでいる事を伝えさせた。私の心は、未だにパチェを許してはいなかったから。
「しかしこの図書館には、私は何度も出入りしていますが、そんな隠し部屋のようなものがあった記憶がありません」
咲夜が本棚の本を無造作に取りだしながらそう言った。
「けれど、永琳はこの図書館の地下に秘密があると言ったわ。基本的にこの図書館はパチェが住みついて、隅々まで管理している。そして、パチェはずっとここで寝泊りをしている」
「しかし、こんな短い時間に探さなくても、また明日や明後日でいいのではないんですか?」
「永琳がわざわざパチェを呼んで時間を稼いでいるのにはきっと理由がある。私が考えているのは、パチェが私の老いを知ったその時から地下にあるという、私の秘密を抹消しているのではないか、と考えている」
静まり返る図書館に足音を響かせながら、私と咲夜は本棚や壁を手当たり次第に探ってみる。しかし、階段らしいものは一切なく、ただただ時間だけが過ぎていった。
「さすがに、一筋縄ではいきませんね」
咲夜がぐったりとした様子で言った。多分、時間を止めて作業をしているせいだろう。
「もう全部調べたの?」
「ええ、隅々まで。しかしこれといって何も見つかりませんでしたわ」
「……探し切れていないだけで、きっとどこかにあるはずなんだけれど」
そう言ったものの、私も咲夜もこの図書館を調べつくしたはずだった。さすが、というべきかパチェが隠した地下だけあって、そう簡単に見つけられるものではないらしい。魔方による幻覚なのか、結界による防御なのか。
「お嬢様、私に一つの妙案があるのですが」
考える私に、咲夜が申し訳なさそうに言った。
「妙案? なに?」
「はい。実はしばらく前から考えていた事なのですが……」
咲夜は少しためらった後、意を決したように表情を引き締めた。
「単純に、この床を、お嬢様のお力でぶち破ればいいのではないでしょうか? そうすれば自ずと地下の部屋にいきつくはずです」
少しの間をおいて、私は咲夜の言っている事が理解できた。それと同じように、提案された案の弱点も見つける事が出来た。
「単純で馬鹿らしい案だわ。けれど、行き詰った今の段階では、妙に良い案に思えてくるわね」
「床の薄そうな所は、見当が付いております」
「この固そうな床が、割れるかしら」
「今のお嬢様のお力なら、或いは可能かもしれません」
咲夜のトンデモな案は、前が見えない焦燥感に囚われつつある私にとって、ストレス発散と言う意味でも、状況を打開すると言う意味でもいい方向に捉える事が出来た。普段ならもう少し考えて結論を出す所だったが、もうそうする判断力すらも私には無かった。
「……そこに案内しなさい。やれるだけやってみるわ」
私がそう言うと、咲夜は自分の足元の床を指さした。
「ここの、図書館の南側の最奥の床は比較的薄くて脆いです」
「ここね」
膝を曲げて、床を触ってみる。冷たい水のようにひんやりとした温度を持った床は、思った以上に頑固そうに感じられた。この先は、行かせまいという意思すらも、感じられる。
悪いけど、先を行かせてもらうわね。
そう心の中で思いつつ、私は拳を握る。魔力を拳に集め、腕を振り上げ、呼吸を止めて一気に貫くイメージで。
飛びあがって天井から加速して床へとダイブする。
「はぁあああ!」
床と拳が触れた瞬間に、身体が細かな振動に包まれ、その後に恐るべき衝撃がやってきた。床は私を中心に大きな音を立てて粉々に砕け散り、周りにある本棚が傾き、本がばさばさと落ちるのが見える。そして私は地面にことりと尻もちをついた後、しばらくそのまま動けなかった。全速力で走った時のように、全身が倦怠感に包まれる。
「お嬢様! 大丈夫ですか?」
咲夜が心配そうに私を覗き込んだ。
「ああ、大丈夫よ。それよりも、成功して良かったじゃない」
咲夜を見上げて、私は座ったままでそう言った。
周りを見ると、真っ暗な、しかしそれなりに広い地下室に私はいた。永琳の言う通り、図書館の地下に地下室が存在した。
「すごい揺れでしたね。紅魔館全体が地震の時のように揺れました」
咲夜が私の側に降りてきてそう言った。その手には包帯があった。
「あれだけド派手に壊せば、そうだろう。それよりも、電気とかないのかしら、この地下室」
「すぐに探してまいります」
咲夜は暗い地下室に消えていった。人一人分ほどの穴から漏れる光だけが、スポットライトのように光を照らしている。ふと上を見上げると、結構な高さがあった。五メートルほどの高さ。床は一メートルほどの厚さがあっただろう。我ながら、よくも穴をあけられた物だと感心する。
と、不意に周りが明るくなった。私は思わず目を細めた。そして徐々に目を開ける。
「な……」
驚いた。とてつもなく、驚いた。
地下室は、広かった。それも図書館と同じぐらいの広さがあった。私は自分の部屋ほどの広さをイメージしていたが、まさかこれほど広い地下があるとは全く思わなかった。
そして、そこにもいくつかの本棚があり、大量の本があった。ただし、こちらは上の図書館ほどの本は無く、精々十分の一ほどの量だろう。そして、この部屋には、摩訶不思議な機械や薬品がたくさん置かれていた。カプセルのような物や、ボタンがたくさんついた機械。棚に収められた、様々な薬品。巨大な冷蔵庫。
「これは一体、なに?」
思わず口にした、独り言。
「お嬢様、ここは一体何でしょうか。私は、少し不気味に感じます」
側に寄ってきた咲夜が言った。それが彼女の正直な感想だろう。私だって同じだった。
私はようやく力が入り始めた身体を起こし、立ち上がる。そしてゆっくりと本棚の本を手に取った。
幻想郷では使われていない不思議な文字で書かれた本だった。中身もまるで見当がつかない。しかし、この部屋が私の老化に関わるとしたら、一体何が関わっているのだと言うのだろうか。
パチェはここで何をしていたのか。何の目的でこの地下室は存在しているのか。
いくら私が吸血鬼だと言う強大な妖怪だとしても、ここの部屋にある設備と大きさは、私という存在にとってあまりにも不釣り合いに思えた。
その時、ばさりと本の落ちる音がした。見ると、咲夜が恐ろしい物を見たような目で立っている。足元に、日記のような本が無造作に落ちていた。
「咲夜、一体どうしたの?」
私が声をかけると、咲夜は震えながらこちらを見た。その目には明らかな怯えがあった。
「あ……ああ……」
「咲夜……?」
咲夜はそのまま腰から崩れ落ちた。息が荒く、焦りと不安からか、心臓が止まってしまうのではないかと思う程、狼狽していた。
「大丈夫?」
手を差し伸べる。
その時、咲夜が私の手を払いのけた。
乾いた音を鳴らして、行き場を失った私の手。
私は呆気にとられた。まるで母親とはぐれてしまった事に気が付いた、子どもの様に。
「あ……」
咲夜は自分でも何が起こったのかよく分からないといった表情をした。
「咲夜、あなたどういうつもりかしら?」
冷静になった私が問い詰める。
「レミィ……そこから立ち去りなさい」
はっと後ろを振り返ると、パチェが立っていた。図書館から私が開けた穴から下りて来たらしい。
パチェの目は真っ黒なまま、こちらを見つめていた。冷たい目だ。それも、私の指先がひやりとするほどの、緊張感を持った目だ。
「パチェ、この部屋は一体どういう部屋なのかしら?」
「忘れなさい、レミィ。それがあなたにとって、最良の選択だと私は思う」
「忘れろって、それは無理よ。ここは私に深くかかわる場所でしょ。今さら引けないわ」
「……」
パチェはしばらくその暗い瞳をこちらに向けたかと思うと、ふっと諦めたように笑った。
「忘れることは出来ないわよね。分かったわ、いつかあなたにこの部屋の事を離す時が来るでしょう。でも、それは今じゃないし、それにこの部屋はそろそろ、閉鎖するつもりなの。だから、今すぐ、ここを出た方が身のためよ」
そう言って、こちに手を伸ばす。とその瞬間、あらゆる場所から火がともった。その炎は乱暴で、ある固い意志を持ったように全てを焼きつくさんとしていた。
「パチェ、これは一体どういう事!」
一気に温度が高くなった皮膚を感じつつ、私はパチェに向かって叫んでいた。が、脇から腕がぐんと伸びてきて、私はうっと喉を鳴らした。
「早く……上へ……」
咲夜が私を抱えて、一気に図書館まで避難した。時間を止めて避難したためか、咲夜はすぐに力尽き、図書館に出た途端に私を抱えたまま倒れた。
「咲夜!」
「私は……、お嬢様、私は、全てを……思いだし……」
そう言って、咲夜は目を閉じて眠り始めた。気を失った、という方が近いかもしれない。
振り返ると、穴から出て来たパチェと目があう。
「これはどういう事? ここもいずれ火事になるわよ。パチェ」
私は怒りに震えていた。
「下の部屋はそろそろスプリンクラーが作動して、炎は消えるわ。あの炎はあの部屋の紙媒体を無くす役割を果たせばそれでいい。薬品に火がつくと危険だけど、そうならないように祈るだけね」
「そうじゃない。パチェ、私たちを殺す気だったんでしょう」
「レミィはあんな炎じゃあ、死なないわ。むしろダメージがあるとするなら、スプリンクラーの方よ」
「一体なんの話を……」
そこまで言って、ざあっと雨の音が聞こえた。
「この音は……?」
「地下室には、火事になると勝手に水を降らせる装置がある。あのまま部屋に居ると、その水であなたは参っちゃうのかもね」
私の開けた穴から煙が上がる。図書室は焦げくさい匂いに包まれていた。天井の方では小悪魔が一生懸命窓を開けて煙を逃がそうとしている。不思議と本棚には煤一つついていない。パチェが魔法で守っているのだろう。
「正気を疑うわ。パチェ。私はもう、あなたが分からない……」
「分からなくてもいいわ。それでももう、あなたの老化は止められない。月の賢者にそう言われたでしょう?」
「永琳から聞いたのね」
「咲夜に呼ばれて、急いで向こうへ行って、あなたの事を聞いたわ。月の賢者は、あなたに余計なことを吹き込んだ。私はとても怒ったわ。なんでそんな事をしたの、って。レミィの身に何かあったら、私は生きていけない。本当よ。私は隠し事は多いけど、嘘はつかない。今回の事も、私が考えうる最も良い選択だと思う。私は、どこまでも、あなたの事を愛している。あなたにどう思われようと、私の気持ちは変わらないし、その気持ちは必ずレミィに届くと信じている」
パチェは暗い瞳を持ったまま、淡々と話し続けた。その告白は、多分パチェの本心だと思った。
パチェの全身から滲み出る暗い雰囲気は、嘘をつく時の軽い空気とは程遠かった。この暗さは、パチェ自身の心を映し出したものであり、それは全く誇張されていなかった。
パチェはどこまでも私の事を考えていた。半ば狂っていると思われる行動も、私の為だと言う。
なぜそこまで信頼できる。
なぜ私がパチェを裏切らないと言い切れる。
なぜパチェは自分に対して強くいられる。
私には、もう何が何だか分からなかった。
分からない。分からない。
世界には知らない事が幸せな事が多い。
「パチェ……」
そこまで考えて、私は眠りに落ちた。パチェの魔法に違いないと思ったが、自然と振り子を描く身体には抗うことは出来なかった。
紅魔館は今にも雨が降り出しそうな鈍く重い空気に包まれていた。いよいよ私の老化を止める事が出来なくなってきている、という一種の絶望感が、この紅魔館にも伝播しているらしく、性質の悪い風邪のように紅魔館の住人の気力を次々と奪っていった。
私はめっきり部屋から出なくなっていた。どうしても外出する気になれない。聞いた話では、咲夜も同じような状態だったらしい。そして独りで様々な出来事を深く考えるようになった。パチェに頼んで本を取り寄せ、あらゆる知識を取り込む。一回読めば大体の事柄は記憶する事が出来た。そして、本を読む事に飽きると、目を閉じてゆっくり深呼吸しながら眠りについた。
「入るわよ、レミィ」
パチェの声がした。私は黙っている。いつの間にか、それが入室を許可する合図になっていた。パチェは丁寧にドアを開けて、足音をなるべく立てずに歩いてくる。
「気分は悪くない?」
優しく抱き抱える様に、パチェは私に声をかける。
「ええ、大丈夫よ」
「何か答えは見つかった?」
「いいえ。けれど、少しずつ何かを掴めている気がするの」
「それで十分よ。レミィ。今日はちょっと、散歩に出かけてみない?」
「パチェからのお誘いなんて珍しいわね」
「久しぶりに、ね」
たまには気分転換を、と言う事だろう。その気づかいが、私にとっては辛い。しかし、嬉しかった。相反する感情を私は抱いている。
一体どちらが、本当の自分なのだろうか。
ドアを開けるともう日は沈んで明るい上弦の月が浮いている。雲ひとつない、綺麗な夜空だった。
私たちは何も言わず、広い庭園を歩きまわる。かつかつ。かつかつ。石段で出来た歩道の周りには、色とりどりの花が植えられている。しかしそれらは夜になり、自分の出番が終わった舞台役者のようにひっそりと佇んでいた。
「私は」
パチェが喋る。
「私はレミィの本当を見ることを拒否したの。こんな美しい物が、朽ちるはずがない。私の大切な友達が、朽ちるはずがない、って。盲目よ。魔法使いが聞いてあきれるわ。そう、レミィはただの吸血鬼で、人間よりは寿命が長いかもしれないけれど、生き物なんだって事を重々思い知らされたわ。だから、これからは、今まで以上に、もっとレミィを想うことにした。それが迷惑だとしても、ね」
「パチェ……」
その言葉は本物だった。
だからこそ、パチェには訊かなければいけない事がある。
「パチェ、あなたは一体なにを知っているの?」
あの透明な液体。図書館の地下にある、実験室のような部屋。そこにおいてあった、魔導書ではない本。
「……今は、そうね今は何も言えない」
「パチェ! はぐらかさないでよ!」
「……ごめんね、レミィ。あなたは知らなくていい事なの。でもいつか、あなたに話してあげるから。だから、それまで我慢して頂戴」
「いつかって、いつよ」
「ごめんなさい」
私の方を向いてにこりと笑いかけるパチェは美しかった。
覚悟だと思った。
ここまで知られて、なお私に隠し事をしている。
生半可ではない、覚悟がそこにある。自分が楽になるために、真実をぶちまける事などせず、パチェはパチェの中で、私への不信感を一身に等身大で引き受ける。
そこまでして、守りたい秘密。
私は何となく感じていた。真実が私たちの絆を、今以上に傷つける事を。
頬を、一筋の涙が伝った。
私は目の前の親友のために、涙を流した。
「馬鹿……そんな、の、許さない、から……」
私が声にならない声でそう言うとパチェは優しく私を抱きしめてくれた。その腕の、胸の、頬の温かさを感じつつ、私はゆっくりと目を閉じた。
何かが壊れ始めていた。
私たちの関係が、音を立てて崩れていく。その先を見る事を、私は決して明るい気持ちで迎える事ができそうにもない。
心が落ち着いた後、私たちは紅魔館に戻った。すると、玄関ロビーで、咲夜が私たちを出迎えてくれた。
「あら、咲夜、身体は大丈夫? お迎えなんて頼んでない」
そこまでパチェが言うと咲夜がナイフを一本取り出した。それは、私が香霖堂で買って、咲夜にプレゼントしたものだった。
「……どうしたの? 何か様子が変よ?」
私がそう言うと、咲夜はうっすらと笑みを浮かべた。
その瞬間、咲夜を取り巻く空気が変わった。
それは、ひたすら冷たいものだ。それ以外の感情が込められていない、純粋な感情。名づけるとするならば、恨み。
辺りでは、妖精がざわざわと集まってきていた。この異様な雰囲気を察知して恐る恐る集まってきたのだろう。集まるものの、誰も私たちと咲夜には近づかない。
と、咲夜が言葉を発した。
「お嬢様には、このまま歳をとって、死んでいただきますわ」
咲夜はいつもの調子で、けれど私には決して向かれる事の無かったその冷たい言葉を、放った。
一瞬、屋敷中の者たちが動きを止めて、咲夜を見つめた。
私の鼓動は、自然に早くなり、息を吐くのが苦しくなった。顔がこわばり、何かを言おうとしても言葉は胸で詰まるばかりだった。
「動くな、咲夜。それ以上、喋ると、あんたを殺すわよ」
パチェが殺気のこもった声を出す。けれど、その言葉すら、私は遠くの国の戦争の話を聞いているような、実感の無い物に聞こえた。
「パチュリー様は何か勘違いをしていらっしゃるようですね。では話してあげましょう。なぜ、お嬢様が急に歳をとっていったのか、その理由を。最も、大半は私の推測ですがね」
咲夜は、まるで別の魂が入れ替わったかのような口調で話し始める。
「お嬢様は、人になり下がった。それは肉体的変化の事ではなく、精神的な話になります。人間的な感情、例えば悲しみ、喜び、恨み、憂い、戸惑い、愛情。そう呼ばれる感情があなたには無かった。お嬢様は常に第三者としてこの世界を生きてきました。人を殺める事、客人を招いてパーティーを開く事、従者と午後のひと時を過ごすこと、その全てはお嬢様の中で、同じ平面上で起きている出来事だったはず。言うならば、雲の上から地上の出来事を監視している、人工衛星みたいな物なのですよ。もちろん笑った顔や怒った顔、見下した顔は出来るけれど、お嬢様はここの場ではそうするべきだ、という客観的事実に基づいて表情を変化させていたにすぎません。そこには何も無い、まさにプログラムされた行動だった。その証拠に、お嬢様、あなたは人間を殺したときに、何を考えていましたか? 喜びですか? 悦ですか? 悲しみですか? 何も感じませんか? どうでもいい事ですか?
どれも違うはずです。あなたは、その時々において、自分より高位なる者、それが神様と呼ばれる物なのかは知りませんが、そいつに言われたままに言葉を紡ぎ、顔をねじ曲げ、息をしていた。そこに感情は無く、ただ、そうした生の模倣行為が行われていたにすぎません。物体が大気中で自由落下するように、陽は東から昇る様に、あなたの行動そのものは『自然』と呼ばれる現象でしかなかったのです」
高らかと話をする咲夜は、私が見た咲夜のどれよりも美しく、純粋だった。
「お嬢様がなぜ自分自身を傷つけなかったのか、分かりますか? 自分を傷つける行為は、そこに感情があって初めて行われる行為だからですよ。そうでしょう? ロボットは自殺なんかしない。雲は自分が消えてなくなるために雨を降らせてはいない。それと同じ事です」
「お嬢様はいつしか、そんな自分を解放してくれる存在を無意識に求めた。なぜか。それはお嬢様の無機質な砂の器には、確かに魂が存在していたからです。しかしお嬢様の魂は、フラン様のようにとても暗く深い所で縛りつけられていた。お嬢様の身体が成長しなかったのは、この魂が外からの情報を取り入れる事が出来なかったからなのですよ。お嬢様の魂は解放されたかった。魂のあるべき形をとりたかった。その欲求を満たすために、あなたはこんな紅魔館と言う茶番を敷いたのです。自分の周りの生と死をより自分の近くで入力し、その情報からお嬢様自身の魂を深い暗闇から見つけようとしていた。たとえそれが、肉体を失う時ことでも良い。それがこの茶番、つまり紅魔館の正体です。自分に接する命たちの激動をより一層魂に届けやすくするために造られた、教会のようなところ。パチュリー様が必死に隠していたのは、そうした事実をお嬢様に隠すためです。隠さなければ、お嬢様は寿命がきて、死んでしまうからなのです。フラン様を閉じ込めたのも、フラン様が歳を取らないようにするため。フラン様はお嬢様と異なり、普通の妖怪です。姿形が変わらないのは、お嬢様が閉じ込めたからなんです。どうしてそんなまどろっこしい事をしているのか、さすがの私にも分かりかねますが」
そこまで喋って、ふっと咲夜は空を見上げる。天井のステンドガラスから月の光が差し込み、咲夜を照らしている。辺りにいた聴衆は、まるで劇のクライマックスを見ているかのように、静かなままだった。心臓の鼓動が止まったかのように。
「私は、ずっとあなたに復讐をしたかった。殺したかった。しかし、あなたは砂人形のような存在だから、そのまま殺しても、あなたは何も感じず、ただあるがままに朽ちていくだけ。そんな事は、私が許さない。だからこそ、私はあなたの魂を引きずり出すことにした。そして、その魂を殺すことで私の復讐とすることを誓った。それから十年、結果は出た。あなたは、私に魂を救われ、感情を持ち、私に好意を持ち、そして絶望している。これだ、これこそ、私が望んだことだ、なんと素晴らしい日でしょう!」
腕をあげ、全身を使い、喜びを表現する咲夜の姿から、目が離せなかった。
パチェが怒声をあげて、怒り狂っていたが、私にはさっぱり聞き取れない。
頭の中は真っ白で、けれど私の視界には、はっきりと微笑を湛えた咲夜が映っている。いつもと変わらぬ格好で、咲夜はそこにいた。
視線がぶれる。世界が歪む。
ああ、可笑しいな。まるで、咲夜によく似た人形がそこに居るんだ、と思った。
同時に、これは悪い夢なのだ、とも思う。
私が人形だという。
そうか。パチェが隠していた事実は、そう言う事だったのか。
妙に安心できたのと同時に、私の咲夜がぐんぐんと遠くなる。
目まいがして、意識が遠くなった。どっと身体から力が抜け、私はそのまま夢の世界へと落ちていく。
何かが、割れた。私の中で、それは致命的だった。
コップに入れた満杯の水があふれ出すように、私は壊れた。
また、あの紅魔館へ戻ろう。
皆で紅茶を飲み、どうでもいいことで笑いあい、時にはダンスでもしながら、お酒におぼれたあの黄金の日々に。
この世界は、私の知っている幻想郷ではないのだから。
どれくらい眠っているのだろうか。分からない。全く分からない。
よく夢を見る。昔の夢だ。咲夜の夢だ。なぜ今になって思い出すのだろうか。どうしても私の心の中から払しょくされない、強烈な記憶には違いないだろうけど。
咲夜と出会った夜は、よく覚えている。それはきっと、咲夜が私の側に居る限り、忘れられないだろう。
あの日の晩は、満月だった。とても興奮した私は、まるで自分がこの世で一番美しい生き物だと勘違いしていた。
そして、人間を、向こうの合意のもとで、決闘を行い、この手で殺めた。それは本人にとっては満足だったのかもしれないが、幼い子供にとってはその行為は決して高尚な物だとは映らなかったらしい。
「どうして、父さんを殺したの……」
泣きながら、彼女は私にしがみついた。その手にはナイフが握られていたが、安物のナイフでは私を傷つける事すら出来なかった。
「お前では、無理だよ」
「ぐう……」
その時、彼女が不意に倒れた。ごとりと音がして、次の瞬間には意識が無くなっていた。私は冷静に、彼女の首筋に手を当てる。うっすらと浮かぶ青い血管が、微かに動いているのを指先に感じ取れた。それは、咲夜が生きている証でもあった。
普段なら、そのまま置いていくはずだった。しかし、私はその場に突っ立ったまま、気を失っている彼女の側から離れられなかった。
挑んでくる人間の大半は、孤独だった。それでもごく一部には家族がいる人間もいた。私にとってはあまり意味の無い情報だが、こうして殺された親の敵討ちの為に、軍隊に入隊したり、特殊な資格を持つ子どもいた。そうした子どもが大人になり、私に挑むこともこの永い間、何回か見受けられた。まさに親子そろっての因縁、である。ひどい場合は孫まで挑んできたこともある。
彼女のような子どもは珍しくも無く、さして私の気を引く相手でもなかったはずだ。
けれど、彼女の向こうで横たわっている人間の赤い血と、月明かりに照らされて綺麗な薄青い色に染められた床とのコントラスト、そして眩しいほどの満月は、私を興奮させるのに十分な舞台装置だった。だからなのか、私は気を失っている彼女をもう少し見たいと思ったのだ。
しばらく椅子に座って眺めていると、彼女の意識が戻った。重そうに体を持ち上げ、十分に覚醒していない意識のまま、私をぼんやりと見つめていた。
私は彼女の名前を呼んであげる。
「おはよう、咲夜。悪夢からは、解放された?」
「……」
「咲夜?」
私が楽しそうにそう言っても、咲夜は目を半開きにしたまま、動かなかった。少し様子がおかしいな、と思い始めた矢先である。
「あなた、誰? ここ、どこ?」
「……あら、まあ」
咲夜は見事に、記憶を無くしていた。きれいさっぱり、だ。
「私、誰? 咲夜って私の事?」
「……ええ、そうよ。あなたの名前よ。私がつけた名よ」
当然、嘘だ。
「なまえ」
咲夜は手探りで物を判別しようとする赤ちゃんのように、ゆっくりと自分の名を反芻した。
今思うと、この記憶の忘却が、咲夜を側に置こうと思った一番の原因だったと思う。私を見てショックのあまり発狂する者や、ろれつが回らずそのまま狂い死んだりする者はいたが、記憶を無くした者を見たことは無かった。だからこそ、咲夜の記憶喪失という現象は、強く私を惹きつけた。
「ふわあああ」
咲夜が後ろにある人間を見て声をあげた。人間が倒れている事に驚いている。この反応からすると、横たわっている人間が誰なのか、誰が殺したかも分かってはいないのだろう。
そして私は、それをいいことに咲夜に嘘を教え込んだ。咲夜にとって、致命的な嘘を。
「そいつが誰だか分かるか?」
「わ、分からない……」
「そいつはお前の父だ」
「え……」
予想通り、咲夜は目を丸くして驚いた。
「お前は私の部下になるために、自分の父親を殺したんだ」
「私が、この、人を?」
「そう、だからお前は晴れて、私の部下になれる。おめでとう咲夜」
その時の私は、実に残酷に笑っていたのだろう。あの時の自分は、最高の悪役に違いない。
「さあ、手を。お前の面倒は、私が見てあげよう」
「……はい」
幼い咲夜の手を強引に引っ張り上げる。咲夜は私のいわれがままに、手をあげたという感じだった
「あの、あなたの名前、は」
たどたどしい言葉で、咲夜は尋ねる。
「私は、高貴なる吸血鬼、レミリア・スカーレットだ。私の事はお嬢様、と呼びなさい」
「吸血鬼。レミリアお嬢様」
「そうだ、いい子だ」
そして私は咲夜を背中に抱えて、薄気味悪い夜の街へと繰り出していく。羽を広げ、空高く舞い上がる。背中におぶっている咲夜は口をあけたまま、ぽかんとしていた。夢を見ているかのような光景に、頭が追いついていないようだった。
「お嬢様、なぜ私はお嬢様の部下になろうと思ったのでしょうか。どうしても思い出せないのですが」
しばらく飛んでいると、咲夜が突然そう話しかけて来た。
「それは知らないよ。お前が私の所に来て、突然私の弟子になりたいと言ったんだ。理由なんざ、私の預かり知らぬことだ」
「いつか、思い出す時がくるでしょうか……」
「思い出す時はきっと、お前が死ぬ時だ」
そう、私の作った咲夜が死ぬ時。
咲夜はそれを、別の意味で取ったのか、その後だんまりとしていた。私は特に気にせず、自分の住処、紅魔館へと向かう。
この日は本当に静かな夜で、風が弱く木々の葉音も響かなかった。耳に聞こえるのはごうっという気流の音だけ。
咲夜がどんな顔をしていたのか、私には分からない。ただ、振り落とされないように必死に肩を掴んでいた。
「ああ、それから、もし私の部下をやめたいと思ったのなら、私を殺すことだ。父を殺したように、私を殺すのだ」
最後に私はそう言った。
こうして咲夜は全く人を殺めていないにもかかわらず、人を殺めた者にしか身につける事の出来ない超然とした精神を手に入れた。それは私の側に居るうえで、とても重要なことだった。
その後、咲夜の時間停止や空を飛ぶ能力は私やパチェが仕込んだ訓練の賜物だ。思春期に差し掛かった咲夜は部屋に引きこもる様になったり、情緒不安定な時期もあったけれど、それも過ぎて、私の理想のメイドとなった。
ただ、なぜ面倒な事になると分かっていながら、私が人間のメイドを雇ったのか、という疑問は常に私の中で渦巻いていた。
これだけは、夢の中でも解決されぬままだった。
しかし、咲夜が言った事が正しければ、答えは一つしかない。
そこに救いを求めていたのだろう。
あの咲夜が、とうとう私を裏切った。元に戻ったと言うべきだろうか。
昔の私ならむしろ、待ち望んでいた状況かもしれない。
今は、どうだろうか。
ああ、水が欲しい。喉から、口から、身体から溢れんばかりの水が。そしていっそ、私をそのまま殺してくれ。
これが私が望んだことなのだろうか。この苦しみが、これが生きると言うことならば、私は感情の無い、ロボットの方がましだ。
それは、今の私にとって、とても自然に思える事だった。
「……」
「レミリア様、起きて下さい」
まどろんだ世界から私は引きずりだされた。暗い視界に光が満ちる。そこには美鈴の姿があった。
「美鈴……」
「しっかりしてください。レミリア様」
懐かしい、と思ったのは私が随分と眠っていたからだろう。
「ああ、美鈴。咲夜はどこへ行ったの?」
私はベッドに横たわったまま、力無く呟いた。
「咲夜は分かりません。お嬢様はあの日の晩から三日ほど寝込み、その間に咲夜はどこかへ消えました」
美鈴の少しだけ苛立った声から、咲夜の話題に対し、敏感になっている様子がうかがいしれた。
「やはりあれは事実だったのね」
「レミリア様、気をお確かに……」
「ねえ、美鈴。私はこのまま死んでいくのかしら」
自虐的な笑みを浮かべて、私は言った。私の思考は、どん底だった。何を考えても、生きる気力が湧いてこない。生きることを意識している時点で、それはもはや、追い詰められている証拠に他ならなかった。
「馬鹿を言わないでください!」
美鈴は驚くほどの声をあげて、私を怒鳴りつけた。その声に私は身体の中心を揺さぶられるような力のうねりを感じた。
「咲夜がレミリア様の心を解き放たれたのです。それゆえに、レミリア様は歳をとられた。それも、急速に。そこまでは分かりますね。そしてここからがとても大事なのです」
美鈴は必死に涙をこらえようと、歯を食いしばっていた。
「咲夜は虎視眈々とレミリア様の命を狙っています。ですから、咲夜の安易な行動に、決してだまされないでください」
「……何ですって?」
「レミリア様、私は咲夜を信用してはならない、と言っているのです。今の咲夜は、あなたの知っているメイドでも、掃除係でもありません。敵です」
美鈴はさも当然の事を言っているようだった。
私には性質の悪い冗談にしか聞こえなかった。心がそれを否定し、身体は強張るばかりだ。
「美鈴、私は、分かっているつもり。けれど、咲夜の事は私には簡単に割り切る事が出来ないの」
「レミリア様、気を確かに。今しばらく、お休みになられてください。今のレミリア様にとっては、この悲しみは致命的です。咲夜の事は我々が必ず見つけ出してみせます。だからどうか、今だけは……」
途中から美鈴は涙目で、祈る様に言葉を吐いた。
その時、気がついた。
ああ、私だけじゃなかったのだ。咲夜が居なくなって、ショックを受けたのは、私だけではなかった。
どこか後ろめたい空気が流れる紅魔館。それは決して、私だけの問題ではなかったのだ。
美鈴は目に溜めた涙をこらえ、私のベッドに座る。
「咲夜は、あの子はとても素直な子です。いくら心を隠して生きてきたとしても、何十年も一緒に住んでいたのですから、隠しきれないこともあります。咲夜は今もどこかに隠れて、ひっそりと隙を窺っているでしょう。そして同時に、悲しみに心を痛めているはずです。私はそう思います。それでも、咲夜が、両親の仇を取りたいと言うのならば、私は全力で、レミリア様を咲夜から守ります」
美鈴はそう言って、すっくと立ち上がり部屋から出て行った。
一人残された私は、孤独を感じていた。身体の震えが止まらない。不快だ。気持ち悪い。毛布をかぶり、身体を暖めようとする。どうして生き物は、身体の調子が悪くなると毛布にくるまり、温かさを求めるのだろう。胎児の記憶がそうさせるのだろうか。
咲夜、と呟いてみた。そこにはいないはずの従者の声が、耳の奥に響いてきた。まるで耳元でささやかれているかのような錯覚を覚える。鼓膜を震わせ、頭の中を駆け巡る。
咲夜。また呟いた。はいお嬢様。その浮ついた声が、紅茶を用意する優しい手つきが、こちらを観察するようにころころと動く黒い瞳が、ありありと感じられた。
分かっている。いつまでもこうして感傷に浸っているわけにはいかない。私は、やるべき事がまだたくさんある。いつまでも、咲夜に振り回されるわけにはいかない。
けれど。
「咲夜……」
目を閉じたまま、何もかもを忘れる様に意識を落とす。頬に一筋の涙を感じながら。
それが今の私にできる、心を守るための手段だった。
朝がきて、夜が来る。いつになっても、気分が晴れる日は無い。
「レミィ」
ノックもせずに、パチェが部屋へ入る。その音や気配、パチェの甘い香りが私の感覚を刺激する。しかし、それに私が反応する事はない。入力ばかりが敏感になって、出力はいよいよ鈍くなる。
「……」
言葉を発しようとしても、全く唇が動かない。まるで魅力的な魔法にかかったかのように。
「レミィ」
パチェが心配そうに私の顔を覗き込んだ。嫌な顔もせず、醜く歪んでいく私の顔を覗き込んだ。
「レミィ、残念だけど、あの子の事はもう忘れた方がいい」
「知っている」
「うそ。あなたはまだ、あの子の事を忘れられていない」
「パチェに何が分かるんだ!」
かっと感情が高ぶった。と、その瞬間
「分かるわよ!」
とパチェが叫んだ。
「私は曲りなりにも、咲夜に愛情を注いできた。私だって辛かった。あの子が私たちに牙をむけ、衰弱しきったレミィに畳みかける様な真似をしたことをショックに思う。けれど、それはもう過ぎてしまった事なの。私たちが今、なすべきことは、自分たちの身をいかに守るか、ということ。生きる気が無いのなら、その気になるまで私がずっとレミィを支える。咲夜の代わりに、私が」
「パチェ、あなたが咲夜の代わり? 冗談でしょう? 咲夜の代わりなんて、誰にも務まらないわ。それこそ、私が私で無くなってしまう」
「……そう。分かったわ。もういい。それならレミィ、私が咲夜を連れてくる。たとえどんな形であろうとも」
「なんだと?」
パチェは思いつめた表情で、私を見つめる。
「許さないわよ、パチェ」
「あなたが許さなくても、私はやる」
「本気か? 本気だったら私はパチェをこの手で殺めなければいけない」
「やってみなさい。ただし、それは咲夜の問題が解決してから」
右手を振り上げ、全体重を乗せて、パチェに襲いかかった。パチェは何か抵抗するかと思いきや意外なほどに、抵抗もせず、そのまま私がのしかかる状態になった。
「パチュリー!」
パチェの首筋、薄く白い皮膚の下の大きな血管に向けて、長く鋭い爪をたてた。それでもパチェは動じない。
「なぜ、動かないの? どうして? なんでパチェはすぐに次へ進める!」
「……」
顔が火照るほど、私は感情が高ぶっていた。パチュリーはそれでも、動かない。
「私は一度、失っているから」
「なに?」
「全てを私は失っている。それでもレミィ、あなただけは失いたくない」
本気の目。パチュリーの瞳の中は、龍が住んでいるかのように荒々しい。
「咲夜、あの子を失うことはとても悲しい。本当に、悲しい事。けれど私は……」
そこまで言って、パチェの瞳からぽろぽろと涙が流れた。感情が堰を切ったように溢れ出る。
「パチェ……」
涙を流し続けるパチェを見て、私はもうどうしていいのか分からなくなってきていた。
壊れている、と思った。この紅魔館が散り散りになっていた。
パチェをそっと抱きしめ、私は目を閉じる。
小さく耳元で、ごめんなさい、と言った。その瞬間、胸の中に渦巻いていたどろどろとした感情がすうっと吐き出されていくように感じられた。
ああ、私は何をやっているんだろうか。
ようやく、心がいきり立った。分かっている、今なすべきことは干渉に比ある事じゃない、分かっている。
頭で分かっていても、ふさぎこんでいた私には、それが出来なかった。
けれど今なら立ち直れる気がした。
咲夜のことも、老化の事も、前向きに捉えられる、そんな状態。
「パチェ、ありがとう。迷惑をかけてごめんなさい」
「レミィ……」
「今すぐは無理だけど、少しずつ、前に進んでいくから」
パチェは微笑むと、何も言わずに私の胸の中にもたれかかった。私は無言でパチェを支える。
咲夜のことを考えた。咲夜は一人で震えているのだろうか、それとも普段通り、お湯を沸かして、紅茶の準備をしているのだろうか。
一体誰の為の紅茶を煎れている?
いつか、決着をつける時がある。そのときに、私は迷うことなく、行動できるのだろうか。
そんな事を考えていたが、それはもう少し後にすることにした。
今はこの手に抱いている、小さな背中の温かさを守ることで精一杯だったから。
それから数日が経った。咲夜の行方は見つからない。人里で何件かの目撃情報があったが、咲夜の住んでいる場所を特定するまでは至らなかった。
私は少しずつ外へも出る様になった。あれだけ落ち込んでいた自分がもうとうの昔に思えるほどには、精神的にも回復していた。
このまましばらく平穏が続くと思われた、そんな矢先に、咲夜からの連絡が舞い込んできた。
こんこん、と窓から音がした。私はそれを無視して、ベッドの中に沈んでいたが、またこんこんと音がした。
どうやらこの音の主は明確な意思を持って、私の部屋の窓を叩いているようだった。私はその主がどこまで本気なのかを知りたくて、もうしばらく無視を決め込むことにした。
ガシャン。鋭い音。
私は瞬間的に起きた。窓を見ると、割られた窓ガラスの中に、手紙があった。
それっきり、無音が続いた。
私はベッドから下りて、ガラスの破片にまみれた手紙をそっと持ち上げた。
直感的に、私はそれが咲夜のものだと理解できた。自分でも不思議だったが、そう自然に思えた。
封を切り、中を読む。
『レミリア様へ。過去を知りたければ、一人で私の所へ。明日の夜、上弦の月が地平線に沈む頃、湖のほとりで、また会いましょう』
咲夜はきっと、私を殺すつもりだろう。そんな気がした。私の過去を、咲夜が本当に知っているかどうかはともかく、私は咲夜を強く求めていた。
咲夜にまた会えると思うだけで、胸がどきどきした。
結局のところ、私は咲夜がいるだけで安心できた。どんなにひどい言葉を言われても、どんなに裏切られても、私の中の奥深いところに咲夜はいる。
パチェや美鈴の事を考える。彼女たちは、私が咲夜に会う事をどう思うのだろうか。反対するだろうか。
いや。私は紅魔館の主なのだ。
他人の意見など、聞く必要なんて、ない。
それに、私は紅魔館の主として、咲夜の犯した愚行を正さなければならない。たとえそれが、誰かの死につながるとしても。
咲夜の言ったように、私はきっと、誰かに自分を殺してほしかったのだ。殺されて、自分が変わりたかった。
何年たっても変わらない自分の心と体に興味を失い。
自分を見つめること、すなわち生きることを放棄していた。
生を実感できない幼い私は、変わりゆく人間を使って人形遊びをしていただけだ。
人形の魅せる、あらゆる生は自分の物だと勝手に幻想を抱いた。
今は違う。
身体が成長し、自分を見つめることで、生と死をはっきりと意識できる。咲夜という人形を取り上げられ、精神崩壊を起こした幼い私は、もういない。
場所と時間を記憶し、その手紙を燃やすことにした。
全ての決着をつけることを私は選択した。
たくさんの命を無駄にして、信頼していた人に裏切られ、最期は苦しんで死ぬ。
それだけの為に、私は生きていた?
とんでもない。そんな生き様など、切り刻んで畜生の餌にしてやる。
私には、まだまだやるべき事がある。
「咲夜との決着をつけるわ」
私の大切な人々を傷つけた、咲夜に代償を。
そして、私がいなくては生きる事の出来ない、大切な人に死を。
それが、残されてしまう咲夜に出来る私からの愛だった。
咲夜からの招待状を片手に、私は一人で約束の場所に行った。紅魔館を覆う森の向こう、巨大な湖のほとりが咲夜との決闘の場所だった。
不思議と心は静かだった。私の心を反映したかのように、湖には波一つ立っていない。月明かりに照らされた湖は、昼に見る姿とはまた違う、神秘的な趣がある。
辺りを見回すと、生き物らしい生き物は見当たらなかった。私は膝を曲げ、地面に手をついてみる。冷たい露で濡れた草花が、私の手から温かな体温を奪う。
まだ、私は生きている。そう実感できた。
「神にでも、お祈りしているのですか?」
聞き覚えのある声がした。顔をあげなくとも、誰と分かる。
「悪魔が神に祈る事など無いわ」
「では何を?」
すうっと息を吸う。大丈夫、私は動ける。躊躇いはない。
「咲夜、あなたに祈っているの。どうか、私に殺されてください」
「お断りしますわ」
瞬間、咲夜が私の首筋を切った。時間を止めての瞬間移動だろう。しかし、咲夜の鋭いナイフの刃は私に傷をつけることは出来なかった。
私が咲夜の手を先に掴んでいたから。
「っつ……!」
私は怯む咲夜の腕をつかみ、森の方へと豪快に投げ飛ばした。咲夜は空中でくるくると回りながら、鈍い音を立てて地面に落ちる。咲夜はうずくまったまま、嘔吐していた。掴んだ腕の方の肩が外れているのか、右肩をさすっている。
とくん。
心臓が鳴った。
とくん。
力が、思考が、歯止めが聞かない。
とくん。
ああ、咲夜の、この美しい身体を、喰いたい。彼女の声の出る限りの恥辱と苦痛を味あわせ、二度とこの世に帰れぬ姿にしてあげよう。
とくん。とくん。
「なめるなよ。咲夜」
あえてとどめは刺さなかった。もちろんその気になれば、咲夜の息の根を止めることくらい出来たけれど、私は手加減した。それは咲夜の為だとか、償いだとか、情が湧いて、なんていう綺麗な感情ではなかった。
憎み、絶望し、壊れていく咲夜を私は嘲笑おうとした。
どうしようもない壁。人間と妖怪との壁。
その差は奇跡が起きてでも、埋められそうにはなかった。
「うおおおお!」
決死の形相で、咲夜が私に飛びかかってくる。
決して届くことの無い咲夜の刃が、虚しく宙を舞う。
そのたびに、咲夜の表情が影を落としていく。
心の底から湧いてくる、どす黒い高揚感。
止められない。笑いが止まらない。
咲夜を弄ぶのが、楽しくてしょうがなかった。
私は知っている。この感情は、狂気だ。
私は狂っていた。咲夜を殴り、傷つけ、地面を這いずり回した。そうする事が、楽しくてしょうがなかった。身体は重い。しかし指先にこもる力は自らの皮膚を食いちぎるほどだ。それすらも、快感に変わる。
まるであの時と一緒だと思う。初めて咲夜と出会った、あの時と。
「はあ、はあ……」
気がつくと、ぐったりと倒れた咲夜が地面に伏している。
何本か肋骨が折れているに違いない。息をするだけで顔が痛々しく歪んでいる。もう立つ事すら、出来ていない。
私は咲夜を仰向けにさせ、見下したままで言葉を吐いた。
「謝りなさい」
「だ、れに……」
「私に、そして紅魔館の皆に」
「……謝らない」
「謝るまで、地下の牢獄に入れておくわ。決して死なせはしない。安心して頂戴」
「牢獄、なら……なれている。昔、入っていたから……」
「なに?」
「まだ、思い出さないのね」
「思い出す? 私は過去に何かあったのか?」
私は咲夜を丁寧に持ち上げた。
「お嬢様……なぜパチュリー様が、お嬢様の秘密を守ろうとしているのか、分かりますか?」
「それは……」
「私の、あの話で、本当に納得しましたか。あの地下室にあった、怪しい機械や本は、一体何だったのか」
咲夜に言われるまでもなく、私の中の最後の疑問としてあの地下室の存在があった。永琳から教えてもらった、私の老化に関係のある部屋。
パチェが焼き払ったあの部屋は、私の何に関係があるのか。
「あなた、あの部屋の秘密が分かったの?」
「ふふ、私は、お嬢様の全てを知っています。思い出しましたよ」
私は咲夜を睨んだ。私は急速に体温を奪われたかのように震えていた。
咲夜の知ってしまった秘密は、私の中の何かを壊してしまいそうな、そんな予感がしたから。
「話しなさい。全てを私に話しなさい」
私は咲夜の胸ぐらを掴んで、言った。その手は微かに震えている。
それでも、真実を求めてしまうのは、なぜなのだろう。
「目が、怖いですねえ。そんなに生き急がなくても、直に分かりますよ」
まるで私を試すかのように咲夜は低く笑った。
「レミィ」
咲夜は親しみを込めて、私の事をそう呼んだ。
「レミィ、私とあなたは、合わせ鏡。どちらかが欠けても、私たちは生きていけない。偶然にも、記憶を無くして生きてきたこの世界でもその図式は変わらなかった。きっとこれも運命ね」
「知っていたのね。私がいなければ、あなたはそう長くは生きていけない事に」
目を少し伏せて、咲夜は頷いた。そして愛おしそうに私の頭を優しく撫でる。
「レミィ、約束、守れなくて、ごめんね」
咲夜が悲しそうな目でこちらを見ていた。その視線は私ではない、別の物を見ているかのように遠い眼差しだった。
「あなたと約束なんて……していない」
「レミィ、私は、きっと幸せでした。あなたと会えて、あなたと時間を共有できて。精一杯生きた。辛いことや悲しいことも乗り越え、そして最後にあなたの手で殺されるならば、私は、何も言う事はないわ」
咲夜はそう言うと、笑った。
私は身動きが取れなかった。
咲夜はきっと、このまま死んでいくだろう。
なぜ笑える。
なぜお前はそんなに幸せそうなんだ。
自然と涙がこぼれた。
ぽろりぽろりと、頬を伝う。
なんだ、これは。
記憶ではない、何かが私の身体を支配する。
それは、咲夜の言う所の、魂なるものが反応しているのだろうか。
声が震える。
「咲夜……」
そう言った瞬間、咲夜に押し倒された。
「私が、あなたを殺してあげます。がちがちに固められた過去から魂を解放してください」
喉元に咲夜の手が触れる。首を絞められては、鋼鉄の皮膚を持つ私でも意味がない。
懐かしい感触がした。咲夜に首を触られて、私は抵抗しなかった。
きっと、ずっと昔から、私はこれを望んでいたような気がした。
身体を縛りつけていた物が、とれた。私の肺や脳が、新鮮な空気を求めて、私の喉を震わせた。手足が少し痙攣し、視界は薄いが、私は生きていた。
「その決闘、止めなさい」
目の前にフランが立っている。私に覆いかぶさっていた咲夜は、押しのけられたような形で、5メートルほどの距離を開けて立っていた。
「フランっ……どうしてここが? それに一体何を」
言葉を遮られる。
「咲夜。もう茶番はいいでしょう。全てを理解して、なおお姉さまに挑むのならば、私が代わりにひねりつぶすわよ? あんたの両親を殺した時の様に」
フランのその言葉に疑問を抱く。
咲夜の両親を殺したのは、私のはずではないのか……?
「レミィ!」
はっと顔をあげると、そこにパチェが立っていた。
「パチェ、いったいどうしてここが分かったの?」
「まあ、こんなこともあろうかと思って、咲夜の動向を私が探っていたのさ。咲夜は随分警戒していたけれど、本物の吸血鬼の気配に気付くのは相当難しい」
なるほど、それでパチェに連絡したわけだ。しかし。
「レミィ、大丈夫だった?」
「なぜ来た」
「あなたが心配だからよ。それ以外に理由はないわ」
「私が咲夜ごときに負けるはずがない。子どもが大人に勝てないように」
「でもあなた、首を……」
パチェは今にも泣き崩れそうな表情で、言った。
「それは……」
「ねえ、レミィ。もう帰りましょう。私と、あの紅魔館へ。そうすれば、私があなたの事を一生懸命愛して、愛して、愛し続けるから。決して私はあなたを裏切らない。悲しい思いをさせない。美味しい物も、楽しい時間も、生きる理由も、全部私が与えてあげる。だから、帰ろう……」
私の肩を必死に掴み、声を詰まらせてパチェは叫んだ。
目を見開き、形振り構わず。
これもまた、狂気だ、と思った。
目の前の少女が見せる、一方的ともいえる過剰な愛。その源を、私はまだ掴み切れていない。
「いったん紅魔館へ帰りましょう。詳しい話はそれから」
フランが場を仕切る様に、言った。見ると、その腕にはぐったりとした咲夜が抱きかかえられていた。気を失っているらしい。
音の無い明るい夜、奪われた時間が戻ったかのように強い風がびゅんと通り過ぎた
「何から、話をしようか」
会議室。高い天井に、シャンデリアの仄暗い光が淡く部屋を包み込む。
私の目の前にフランが、そしてその奥には簡単な治療を施された咲夜が、簡易のベッドに横たわっている。苦しそうに呼吸をしていたが、一命はとりとめた。
フランを挟むように、パチェと美鈴が座っている。まるで私は、判決を受ける被告のようだった。
「どうして、危険だと思って、咲夜のもとへ行ったのですかレミリア様」
美鈴は少し呆れたように、言った。まるで今までとは雰囲気が違う。そこには生物の上位種としての誇りが感じられた。
「紅魔館を闇に陥れた、咲夜を裁くためよ」
「それだけですか?」
「ええ。それだけ」
過去の話を訊こうとした、というところはあえて言わなかった。
「……それだけじゃ、ないでしょう?」
フランが腕を組みなおした。他の二人は黙ってこちらの様子を見ていた。
「お姉さまは、咲夜に強く惹かれている。それは隠し通せるものじゃないし、だからこそ、二人きりの決闘を選んだのかもしれない。けれど、私たちには、それが一番、問題だったのです。特に、咲夜が記憶を取り戻してからは、ね」
「咲夜が過去を知っているのを、なぜ知っている」
「変だと思ったのは前からですが、それが確信に変わったのは咲夜が反乱を起こしたあの夜の事です。咲夜の話は、突飛で飛躍的な論理です。普通ならば、気にも留めない。けれど、私たちにはそうは思えなかった。あの話の重要な因子となる、人形、魂。これらと、そしてあれほどお嬢様を慕っていた咲夜が反乱を起こした、という事実から、私たちは咲夜が断片的に記憶を取り戻したのではないかと思ったのです。そうでなければ、あのようなとんでもない話を思いつくはずがありませんし、咲夜に反乱をおこす動機が見当たらないからです」
美鈴はちらりと咲夜を見る。咲夜もじっと美鈴の方を見ていた。
「……あの話は、多くの事実がぼかされていますが、核心をついている。私たちがレミリア様に、必死に隠そうとしていた過去の、多くの事実を抽象的に捉えていた。そこで私たちは咲夜を危険視し、今までフラン様に監視を頼んだのです」
フランは真剣なまなざしでこちらを見ている。久しぶりに会ったフランの顔は、以前よりも暗い。子どもらしさが消え、吸血鬼本来の顔色だった。
「お姉さま、私は言いました。私を地上に開放したことで、お姉さまは後悔すると。正直なところ、あのときの咲夜がここまで記憶を取り戻すとは考えもしなかったけれど」
「あの時? 逃げ出した時の事?」
「ええ。本当ならば、私はあの地下室の中を全て破壊するつもりでしたの。けれど、咲夜がやってきて、やたらと私の動きを見ているのです。どうもその時から、咲夜は自分の記憶を少しずつ取り戻していたのではないかと思うのですが。そこで私は、一度紅魔館を抜け出して、咲夜の出方を窺ったのです。パチュリーが後から調べさせた結果、咲夜は私の地下室に入り、何かを探していたらしいのです。しかし、用心深い咲夜の事だから、きっと私が地上で住むことになると、すぐに撤退するだろう、というのは目に見えていました。そこで紅魔館からなるべく遠くの方で、私は住むことになったのです」
「ほう、しかし、私の老化が一層進んだことで、咲夜の不審な挙動はいったん棚の上に置かれたわけだ」
「それも、ありますが」
フランは確認するようにパチェと美鈴を見た。パチェは俯いたまま、美鈴はフランと目線を合わせて、こくりと頷く。
「お姉さまの秘密を話すのは、私の役目ですの。なぜなら、パチュリーとはそういう契約ですから。お姉さま、心して聞いてください。もし私が地下に居たままだったならば、この話は永遠に封印されていたでしょうから」
教えてあげましょう、お姉さま。姉さまの身体にまつわる秘密、そして、紅魔館の住人達の過去を。
昔々、とある天才科学者がいました。彼女は老化の研究、つまり、長寿の研究をしていました。そんな彼女は、ある大発見をします。それは、吸血鬼の肉体から、不老の遺伝物質を発見したのです。この遺伝物質は、一度人間の身体に入り込むことで、次々と遺伝子を吸血鬼の物へと入れ替えていく代物でした。これは、吸血鬼に噛まれた人間が、吸血鬼になるという伝承にもあります。そう、彼女はこれを科学的に解明し、それを薬としたのです。しかし、遺伝子の書き換えはそう上手くはいかない物です。大抵の場合、一カ月ほどかけて、体中の細胞が、吸血鬼の物へと入れ替わるのですが、その過程で、産生された吸血鬼の細胞は、元の人間の細胞から攻撃を受けるのです。免疫、とよばれるものですね。当然、それには痛みを伴い、大抵の人間の場合、ショック死してしまいます。まさに、死と隣り合わせの危険な薬です。
彼女はなぜそんな薬をつくったのか。それは自分の娘の為でした。彼女の娘は、長い間病気を患っていて、もう先は長くなかったのです。病気の名前は忘れましたが、著しく免疫機能が落ちる病気で、その子は生まれてからずっと白い病室にいたのです。そんな娘の為に、母親であるその科学者は、何とか娘を助けたかった。
しかし、そんな彼女の努力もむなしく、娘は日に日に弱っていきます。そこで母親である案を考えました。
脳と神経を生きた状態のまま、保存し、別の肉体に移せないか。
彼女はそれを実現するために、様々な機関を渡り歩いて行きました。世界中を駆け巡り
吸血鬼の薬で手に入れたお金と技術力を盾に、表には決して出ない裏の世界で生きていきます。その一つに、月の技術があったわけですが。
彼女の案は、まず、娘の脳と神経を完全に吸血鬼の物にして、身体は別に作る案です。分かりやすく言えば、娘の魂を錬成して、それ専用の人形を用意すると言ったところでしょうか。
数年後、娘の身体に吸血鬼の薬が投与されます。拒否反応は起こりません。それもそのはずです。娘には、免疫がありませんから。しかし身体が吸血鬼化した所で、所詮は子どもの身体です。無理な遺伝子組み換えは相当な負担がかかりますし、結局病院に縛り付けられたままです。そこで、永遠亭の永琳が、長い年月をかけてつくった、吸血鬼になった娘専用の身体を使います。この人形は、吸血鬼と区別が付かないほどの代物です。何せ、全てのパーツは生きた細胞から出来ており、人間で言う所の脳死と呼ばれる状態でした。つまり脳が無いだけの、吸血鬼。
そしてそれから一年後、彼女の娘の脳と神経を、その人形に組み込む手術が行われました。結果は、見事成功し、一年後には娘は外で元気に走り回れるようになり、娘と母親はその後もずっと仲良く幸せに暮らしました。
どうでしょう。もう、分かりますね。ここで言う母親はパチュリー、そして娘は、お姉さま、あなたなのです。私は、実験材料にされた、哀れな吸血鬼というわけです。
お姉さまは、確かに私の血を色濃く受け継いでいますわ。けれど、それは試験管の中での話。パチュリーノーレッジが、自分の娘を生き返らせるために、吸血鬼だった私の血や細胞を研究し、完成させた代物。詳しく言えば、お姉さまの身体は、私の臓器や血液の一部を移植し、脳と神経以外は私のレプリカと言ってもいいでしょうか。お姉さまの身体は、遺伝子操作により造られた、柔軟性のある、特殊な細胞から出来ています。まさに、人間の持てるテクノロジーを集結させた、最高の人形ですわ。
なぜお姉さまの羽が私と違うのか、考えた事はありますか? なぜ、吸血鬼なのにある程度の日光や流水に耐えられる事が出来るのですか? なぜ妹の私には破壊の能力があるのに、お姉さまには具体的な力がないのですか?
それはお嬢様の身体には、未だに人間の部分が残っているからです。それも、お嬢様がお嬢様としてあるべき、最も根幹になる部分が。
私がその事を言わなかったのは、パチュリーとの契約でした。パチュリーはその気になれば、いつだって私を殺すことができます。しかも忌々しい事に、私はパチュリーに心底惚れてしまった。自分でも馬鹿だとは思いますが、パチュリーならば約束を破らない。
私たちの契約は、『秘密をお互いに打ち明ける事』。私はパチュリーに自分の弱点を、パチュリーは私に、この過去の話をお互いに打ち明けました。こうする事で、私たちは互いの命の綱を握り合っていたのです。パチュリーにとっては、この過去の話は、死んでも言わないつもりだったのでしょうね。
私が今まで私を閉じ込めていたのは、私の力が恐ろしい物だと言う事です。だって、半バンパイアのお姉さまには、どうあらがっても私に対抗できる力なんてないんですもの。
咲夜は自分の両親を殺した、敵討ちをしたいそうね。でもその狙いはお姉さまではない。むしろ、咲夜はお姉さまを心から愛しているはず。
咲夜の両親は、お姉さまを生き返らせるための犠牲になった。お姉さまの身体をつくるにあたって、大量のサンプルと材料が必要になった。ここでいう材料とは、人間のこと。それもお姉さまの年齢に近い女の子を使った人体実験。そこで、咲夜の住んでいた地域に戦争を起こし、そのどさくさに紛れて、多くの少女が連れ去られ、その両親は戦死と言う形で死んでもらったわ。そして、咲夜は、遺伝学的にお姉さまに最も近い検体だったから、最終実験に使われ、見事に、生成された吸血鬼の血液と自分の血液を拒否反応なく融合出来た。
しかし、咲夜はある夜に、お姉さまの首を絞め、殺そうとした。二人の中で何があったのかは分かりませんが、少なくとも、お姉さまは一度、咲夜に殺されかけたのです。それも自分から、ね。
パチュリーにとっては気が気ではなかったでしょうね。しかも、咲夜は初めて実験に成功した貴重な個体。無碍に殺すには、あまりにもリスクが大きすぎた。咲夜には生きてもらわなければ困るのです。
こんな過去の事を覚えていては、後々困る事が出てくるから、咲夜の脳みそを少しいじらせてもらって、過去の記憶をつかさどる神経線維だけを切り取り、人工的に記憶喪失になってもらった。もちろん、お姉さまにもその処置は施されたわ。お姉さまの頭の中にある、過去の話は全て、パチュリーが用意した物語よ。実験後の咲夜は、吸血鬼の力を持ち、お姉さまを守る忠実な部下として、記憶させた。訓練により時を止める特殊能力を手に入れた。どう、何か反論は? それとも、こんな三流SFのような話は信じられないかしら?
私はここ最近、自分の体力の限界に気が付いていた。寿命というものです。と言う事は、お姉さまにも当然、寿命がきている。しかし、私の老化スピードはとてもゆっくりなのに対して、お姉さまの老化は人間のそれと同じ、しかも厄介な事に、様々な遺伝子が混ざり合って出来た、突然変異により、急速に歳をとっていった。あまりお目にかかる現象ではないけれど、神の思し召しか、悪魔の囁きのどちらかによってそれが実現された。
この幻想郷では、精神が生物の命に重要なファクターとなっている。それを科学的に解明する気力も機材も私たちには無いから、今まで『なるものはなる』という信仰に近いまやかしで生きて来た。その中でも、咲夜、あなたの考え方は非常に興味深い物があった。魂の解放。人形。そうね、あなたの言っていることはあながち間違いではないわ。たしかにお姉さまの身体と精神は、ほとんど別物だし、お姉さまの最も根源的な記憶の部分は、私たちが故意に閉じ込めたわ。そう、あなたの仮説はとても正しい。言うならば、幻想郷的なアプローチの仕方ね。しかも、お姉さまと咲夜がより親密になっていくにつれて、お姉さまの身体にも変化が現れた。私たちはこれを、成長ホルモンだとか、p21遺伝子の変化だとか、そう言う風に考えるんだけど、なるほど、魂の開放か。実に興味深い。
……話がそれましたね、戻します。さて、手術は成功したものの、私たちの前には大きな壁が待っていました。それは、この手術で長生きをしようと企む、欲深き人間たちです。もちろん、パチュリーもその一人なのですけどね。パチュリーは手術の成功と共に、自分たちが人間という枠を超えてしまった事を痛感させられました。それは他の研究者たちが、パチュリー達を好奇の目で見だしたからです。
このままでは、せっかく取り戻せた自分たちの命が危ないと踏んだ彼女は、自分と、信頼のおける部下を吸血鬼化する事で妖怪となり、幻想郷へ逃げ込むことを決めました。
部下と言うのは美鈴の事です。美鈴はパチュリーの優秀なパートナーとして、またお姉さまの世話係として働いていました。
パチュリーは手元にある膨大な資料から、四分の一だけ吸血鬼になる薬をつくり、美鈴には八分の一だけ吸血鬼になる薬を与えました。それもこれも、何百と言う犠牲の賜物です。
結果、パチュリーと美鈴は見事に吸血鬼の能力の一部を得る事が出来ました。しかし、パチュリーは副作用により、喘息が出て身体が弱くなり、美鈴は昼間に強烈な睡魔に襲われるようになりました。
ともあれ、これで人間をやめてしまった紅魔館の連中は、八雲紫の援助を貰い、幻想郷に逃げ込みました。そして、お姉さまと咲夜が目覚めるまでの間、館を整理し、魔法を覚え、より幻想郷の住人らしい振舞いを身につけました。
フランの告白が終わった時、私は何をしたかと言えば、何も出来なかった。
信じられない、というのが私の第一の感想だった。
私の過去、記憶、思い出。そうした物がまるで水にさらされた氷のようにさらさらと流れて行く。
こうして告白を受けても、自分の身に何も覚えがないうえに、全く他人事のように思えた。なぜなら、私はフランの話を聞いても、何一つ思いだすことはなかったからだ。
「お姉さまには、心当たりは全くないはず。そうなるように、私たちはお姉さまの記憶中枢を手術したから。意外だったのは、咲夜が無くしたはずの記憶の一部を取り戻したこと。神経細胞が再び分裂するなんて聞いたこともないけれど。ただ、咲夜が語った、お姉さまの身体の話からすると、まだ完全には記憶を取り戻していないようね。けれど……」
咲夜の身体が震えていた。
「思い出してしまったのね、咲夜。あなたが本当に恨んでいるのは、お姉さまなんかじゃなく、パチュリーだった。そこで、あなたはパチュリーに復讐をするために、お姉さまの命を狙った。自分がそうされた様に、パチュリーにも深い傷を負わせようとしていた。かつて、友人であった幼いお姉さまの首を絞めた様に」
「うるさい! お前たち化け物は、全て死んでしまえばいいんだ! 私の両親を殺し、大切な人たちを奪い、あまつさえ、私の第二の人生をもねじりつぶしたお前たちに生きている資格なんてないわ! 私は心の底から、レミィを慕い、崇め、心の支えにしてきた。なのに、お前たちはそれすらも奪う。お前たちがレミィの命を弄ぶくらいなら、私の手で、レミィを救い出す。お前たちなんか、信用できない……」
風前の灯だった咲夜から、思いもかけぬほどの怒声。
そして空気が抜ける風船のように咲夜は力無くうなだれる。そこにはいつもの毅然としたメイドとしての姿はなく、一人の孤独で無力な少女の影があった。
運命に翻弄され続けた少女、それが咲夜の正体だった。
ならば私は、なんだ?
パチェの娘で、身体は別物で、心は二つの記憶を持つ少女。
どちらが本当の私なのか。何が本当の私なのか。
「パチェ、本当なの? フランの話は、どこまで本当なの?」
「……」
パチェは恨みがましい目でフランを睨んでいた。しかし、そこには諦めの様なものも混じっている。
「私の記憶を取り戻すことは、出来るのか」
「出来ますわ。お姉さま。多少の時間と、準備が必要ですが」
「私は、私の身体の事を知りたい」
まっすぐに、フランを見つめる。フランは視線をパチェの方へと向ける。パチェはすっと立ち上がり、暗い顔のまま口を開いた。
「レミィ、もう、帰れないわ。あの楽しかった、幻想に日々にはもう。それでもなお、あなたが、封印された記憶について知りたいと言うのならば、私にはそれを止める権利はもうない。私は、けれど私は決してそれを良い事だとは思わない」
パチェはくるりと背中を向いたまま歩き始めた。私は後ろで倒れている咲夜が少しだけ気なったが、フランが丁寧に咲夜を背負っているのを確認して、パチェの後をついていく。
フランの居た地下室から、隠し扉を経て、らせん状の階段を下りる。少しだけ広い踊り場に出ると、正面に扉があった。開けてみると、そこは以前侵入した図書館下の地下室だった。
「フランには、この地下室への通路を守ってもらっていた。というか、私がそう命令した」
パチェは固い口調で説明した。私は黙ってそれに頷く。
その踊り場からさらに下へ降りて行く。今度はそこが最下層らしく、階段が途切れていた。目の前にはまたクリーム色の扉があった。
中を開けてみると、そこには上の階とは違い、本はなく、まるで手術室のような場所だった。手術室と違う所は、人一人が入れる巨大なカプセルのようなものがある。
「ここは、記憶操作をするための手術室。ここで何をどうするかは企業秘密だから話せない。けれど、レミィには、見せておきたかった」
「なぜ、ここの事を永琳は知っていた?」
「この技術は月の世界の物なの。フランは何千年も前から月と交流があって、それで。ちなみに永琳たちが地上に逃げれたのは、フランが手助けをしたからよ。そうした縁もあって、私は外の世界に居る時から永琳の技術を少しだけ教えてもらって、この技術を手に入れたの」
「ふん、道理で永琳が何もせずして、私の肉体が死ぬと判断できたわけか。あの時は動揺して気付かなかったが、触診も検査もせずに、診断したのは、私の肉体をつくったのが永琳その人だったからだろう?」
「そう、ね」
パチェはゆっくりと扉を閉めた。重そうな音を立てて、扉は閉まる。まるで何物をも寄せ付けないかのように。
「手術は一週間後に行うわ」
まるで判決を言い渡すかのように、重苦しい口調でパチェは言った。私はこくりと頷く。
「私の記憶を、返してもらう。私には真実を見る義務がある。たとえそれが、死に至らしめる劇薬であったとしても」
「悩まないのね。それに、少しは躊躇ってくれるかと思ってた」
「もう逃げる事は出来ない。咲夜との決着をつけるためにも、これは避けては通れない道だから」
「そう……」
パチェは階段に足をかける。その背中には、色濃い悲しみが付きまとっていた。
「……咲夜は、どうしている?」
「あの子は牢に閉じ込めているわ。あなたの望み通り、食べ物を与え、身体を拭き、人間らしいと言える程度の自由さを与えた」
「自殺なんてしていないだろうな?」
パチェは足を止め、こちらを振り向いた。
「記憶を取り戻したら、彼女がそんな事をする人間でないと分かるわよ」
手術は一週間後、予定の変更もなく行われることになった。
「レミィ、本当に、いいのね?」
「私は、全てを知るべきだと思う。もしあなたがそう思わないのなら、今の私の記憶を消してちょうだい。あなたなら、出来るでしょう?」
パチェは複雑な表情をしたまま、おやすみ、と声をかけた。
とろんと意識が落ちる。まるで決められた時間にきっちり動きが止まる、ブリキ人形のように、私の意識レベルが落ちていく。
そこから先は、あまり覚えていなかった。
超良作を有難うございました。そしてお疲れ様でした。
最後まで読んでみて良かったです!
すぐに後半行ってきます
しかし無粋を承知で突っ込ませていただきたい……
副作用に猛烈な睡魔www
「それとも、こんな三流SFのような話は信じられないかしら?」
のセリフが作者の自虐に聞こえてくる程度には
それからキャラクター同士の会話がたまにぎこちなく感じるのと、そう思わせる伏線自体がほぼ無い咲夜の唐突な過去なんかはマイナスポイントかな
パチェが実は母親というのは序盤で示されたレミリアに対する態度なんかで納得出来るけど、それ以外はとってつけたようにもみえる
だけどレミリアが老化するに至る発想やテーマ自体は面白いし、何より作者の力が入っててるのを感じるので後編を楽しみにしてます