夕暮れ時の風に乗せて、しゃくしゃくと小気味良い音が響く。
音だけならいい。問題は、音を出してるやつが気味悪いこと。
「初雪は……まだかしらねえ」
……紫の口から冷たい息と、そんな言葉がこぼれだす。
こいつが何か話題を切り出すとなると、たいてい二周も三周も関係のない話から始まる。けれど、ことこの時期になると『ナントカのひとつ覚え』みたいに雪の話ばかりするのだ。
なんのことはない。つまりは冬眠のタイミングを取っている、のだと思う。
「……かき氷ほおばりながら言えたことじゃないわよ。しかもひとの神社で」
全く言い返さないのもあれだから、とりあえずそれだけは言っておいた。……効き目があるとも思えないけど。
それに―――
「どうせ早く冬眠したくてウズウズしてるんでしょうが。さっさと帰って寝ればいいじゃない、ぐーたら妖怪」
「ふっふっふ、そんな釣り針にはかからないくまー」
冬眠に掛けたつもりなのかしら……。たたでさえ肌寒い季節だってのに、まったく。
というか、いい加減こいつの戯れ言に付き合ってやることもないってのに。わたしも何やってんのかなあ。……かき氷? 紫のバカに一緒して死ぬつもりもないわよ。一人さびしく食ってればいいの。
「そうねえ」
つい、と立てたスプーンを口許に当て、紫は唐突にしゃべりだした。
「かき氷って夏の風物詩、じゃなくて? 一般的にはね」
「何よ、いきなり」
「こういう微妙な時期には、こんなゲン担ぎも様になるかしら」
「は……?」
何よ、それ。
まさか、雪がまだ降らないようにって、ここでかき氷たべてるとでも……?
それは―――
「…………って言ったら、信じる? 信じちゃうの? もう、霊夢ったらかわいい~」
……こいつ。
「…………あっそう、分かった。もうあんたの言うことは一切合財信じないから。それでいいんでしょ?」
―――言ってしまって。紫の口の端がくいっと吊り上がったのに気付いたときには、もう遅かった。まんまと釣られてしまったんだ、わたしの方が。こうなったらもう、紫の独壇場なんだもの。
もちろん、それを表に出す紫じゃない。現にほら、目の前で涙目でぷるぷる震えてる。誰かが言ってた、『女の武器は涙』だって。こいつの涙はディゾルブスペルだ。もうやだかえれ。
「……ぐすっ……霊夢がそんなこと言うんだったら……好き放題あることないこと言ってやるもん……!」
なんであんたが拗ねてるのよ! 『もん』とか言うな似合わない!
「―――てか、『あることないこと』っていつもと変わらないじゃない!」
「れいむがいじめる~!」
「妖怪なめんな……! れいむのばーか!」なんて泣き叫びながら、かき氷をかっこみだした。めんどくさい……。
というか、こいつはこんなガキくさい行動に抵抗とかそういうのを感じないのだろうか。まあ、妖怪に大人も子供もあったもんじゃないけど。
と、急にスプーンを動かす手が止まった。妙に真面目な顔してるし……ああ、なんかやる気でいるな、コイツ。
「……そうね。霊夢、いい機会だから言わせてもらうけれど」
……妙に溜めるわね。ふふん、そっちだってなめるんじゃないわよ。こういうときの紫がどういう切り返しに弱いかぐらい、ちゃんと分かってるんだから。
「……わたしは、あんたみたいな面倒なやつ、嫌いだけど」
―――先手必勝。嘘泣き混ぜる余裕なんてなくしてやるわ。このカンペキな拒絶に涙しなさい、紫っ!
わたしの早業にしてやられたに違いない。紫のぽかん、とした表情がそれをあらわしているようで、ちょっとだけスッとした。
「あら、そうなの。奇遇ねえ。でも、良かったわあ」
「ふふん。いつもいつもあんたの好き勝手にされてるんだもの。今日くらい……」
…………あれ?
「……え、紫。いま、なんて……」
「好かれている、なんてことがなくて良かった。と言いました」
「そ、そう……」
ちょっと、何を……何を慌ててるのよ、わたしは。こいつの言動を気にしてちゃ身が持たないっての。こいつの言葉ほど信用出来ないもんはないの。分かったか、わたし。
「本当にねえ。何故わざわざこんな所に通わなくちゃいけないのかしら。博麗の巫女なんて、生きていればそれでいいのだから。こまごまと世話して付き合ってやる必要性なんて無いのよねえ。なんという無駄、徒労以外の何者でもないというのに」
何気ない。むしろ、いつもの紫よりもずっと気楽な、明るい表情で。裏腹に、どこか底冷えする声色で淡々と不満を口にする。
嘘。本当のことを言っているようにしか聞こえないなんて。何かの間違いに決まってるって。決まってるでしょうが……!
「全く、藍の提案なんて聞くもんじゃなかったわ。思い通り動かすには親愛の情を示すのが一番、なんて。やはり大陸出身の獣ではあの程度なのかしら。ああでも、そんなムダな行為も、これでもう必要ないわね。じゃあ、今日でおしまいにしましょう」
「え……あ…………ゆか、り……?」
…………やだ……いやよ……冗談も、いい加減に…………!
「本当に良かったわあ。安心してちょうだい、霊夢」
「……いや……うそ、うそっ……?」
いやだってば…………なんでそんな嬉しそうなカオしてるのよっ……なんでっ……!
「私も、あなたのことなんてなーんとも思ってないから」
太陽が力尽きるよりも、目の前が真っ黒く染まる方がわずかに先だった。
「…………なーんちゃって」
「へうっ……?」
太陽からもらっていた暖かさが逃げるよりも早く、別の熱にふわりと全身を包まれる。
灯りも用意してなかったから、辺りは真っ暗で、すぐ目の前だってよくは見えない。けど……。
「…………」
しばらくの間、お互いに何も言わずそのままでいた。
そのうちに、わたしの中で沸き上がっていた、焦りとか、恐怖とか、そういうどろどろしたものは何処かへと消えてしまったようだった。
でもそれと一緒に、そんなことを感じた理由まで姿を消してしまったみたいで……。
そして、わたしの頭の上で盛大な溜め息がひとつ。
「まったくもう……。ちゃんと言ったでしょう」
『ちゃんと』ってなんだ。何を言ったってのよ。関係あるか、そんなの。
「言ったじゃない。『妖怪なめんな』って、確かに言いました。人間の心を弄ばせたら宇宙一。私ゆかりん、コンゴトモヨロシク☆」
……そこは『あることないこと』じゃないの。あと、年齢は考えなさいよ。
「ばか、息が冷たい」
「あら、ごめんなさいね。でも私ってば拗ねちゃった霊夢を見るのが大好きなの」
わざわざ息がかかるように話しかけてくる。でも、一度は沸騰しかけた頭に、この冷たさがちょうどいい。
……少し冷静になった頭で、考えたこと。
なんで、紫に『好きじゃない』って言われただけで、わたしはこれ程までに壊れそうになってるのか。
そうだ。だって、紫がわたしを好きでいる必要がないんだもの。『幻想郷のため』になんて、これっぽっちもなってない。別に、何とも思っていなくて当たり前なのだ。こんな役立たずの巫女なんか。
―――だというのに、『紫はわたしを好きでいて当たり前』なんて。わたしは一体いつから、どうしてそんなふうに考えるようになったんだろう。
「無理しなくていいわよ。……実際、そんなに好きでもないんでしょ、わたしのことなんか」
「……そうね。私が本当に、本当の本当に霊夢のことを好きでいたら―――」
紫はそこでいったん、言葉を切る。
暗闇の中、微かに映った紫の顔は……信じられないことに、何かを思案しているように見えた。
「―――巫女なんてさっさと辞めさせて、そしてそれから……きっと、傍から離さないわ。それに離れさせないでしょうね」
「そう……」
逆しまに、それをやらないということは、つまり―――
「…………だってほら、霊夢だけそんな特別扱いしたら、ねえ。歴代の博麗の巫女が勢揃いして夢枕に立つ、なんて体験はしたくないもの。女の嫉妬って怖いのよう」
―――わたしは、紫にとってはそれだけの価値しかない存在だって…………ねえ、いまコイツなんて言ったのかな?
「……紫」
「なにかしら、霊夢。ああ、笑顔がキレイね。とても切れ味が良さそうよ」
「あんたまさか……。わたしの前の巫女、全員に手を出してたとか、言わないよね?」
ガチン、と何かが凍りつく音がしたのは寒さのせいじゃあないだろう。
およそ、その音の発信源らしい紫。その顔が『あ……』と言った形のまま固まっているのが、この闇の中でもしっかりと見て取れた。
―――今の紫は、嘘をつけない。そんな確信が何処からかふつふつと湧いて出てくる。
「ええ……ええっと……霊夢?」
「なあに?」
「そのー、えっと…………この場合、浮気にはならないんじゃないかしら。なーんて……」
「…………」
……そうね、そうよね。紫がわたしを好きでいる理由なんて、これっぽっちもないもんね……?
でもね、紫。世の中には頭で分かっててもどうにもならないことがあるの。知ってる?
「…………ねえ、紫? わたし、たまにはしっかり責務を全うしようかと思うの。どうかしら?」
「せ、『責務』ねえ。そんな堅苦しいこと、しなくてもいいんじゃないかしら」
「そう? あんた、いっつも言ってるじゃない。『博麗の巫女の本性を忘れるな』って」
「あらら、そうだったかしら……? よく考えたらそんなもの、どうでもよかったような気もするわねえ……」
……へえ。今さら、そんなこというんだ。
だけど、わたしもね、紫がいつもの小言をこの期に及んでうっちゃったことなんて、どうでもいいのよ。
「忘れてるんなら教えてあげる。ひとつ、『スペルカードルールに則った異変の優先的解決権とその義務』。ひとつ、『境界上に存在するユートピアたる幻想郷の体現』」
「いっ、異変なんて起こってないんじゃないかしらねっ?」
「あはは……、紫ってば早とちりね。最後のひとつ、『スペルカードルールで対応しきれない怪異においては、古来よりの手段で解決を図ること』」
実際の話、スペルカードを扱えるのはごく一部の人妖のみ。要するに、言うこと聞かないやつはぶちのめしてやれってことね。うん、ぴったりじゃない!
「……と、いうわけで。人間をたぶらかして弄ぶ妖怪を退治しようかと思うんだけど。何か言いたいことはある? かき氷なら用意できないこともないわ」
「…………みんな可愛すぎるのが悪いんです」
「おっけー」
ああ、畳が汚れちゃうなあ、とか。そういう細かいことは忘れることにした。
◇◇◇◇◇◇◇◇
『初雪が降ったら、眠ることにするわ』
目を覚ましたとき、あいつが昨日の帰り際にこぼした、その言葉だけがしつこく耳に残っていた。
それは、毎年のように、いや毎年必ず聞く言葉。
でも、これまた必ずと言っていいほど、紫が初雪と同時に冬眠に入ったことは今までにない。いつもいつも意地きたなく、年末ぎりぎりまで起きているのだ。
―――なぜだか今年は、そんなこともなく素直に眠ってしまいそうな気がして。
『お天道様は空気が読めないから、こんなことを言っていたら明日にでも降ってしまうかもしれないわね』
一気に眠気が吹き飛んだ。
障子を両手で引き開け、外戸を蹴り飛ばして開け―――ようとしたけど、寒さのせいなのかうまく動かない。
何度も、何度も蹴っ飛ばして、ようやくわたし一人が通れるほどの隙間を作った。
そして―――
朝光の眩しさに打ち勝った目に映ったのは、無数の『白』。
突き抜けた青空を、白銀の欠片が狂ったように舞っていた。
「……ああ…………」
―――ほんとに、空気のよめないやつら……。
空に向かってそんな文句を言ったところで、返事すら返ってきやしない。
チルノあたりは大喜び、かな。あの冬妖怪は、逆に雪が降るくらいじゃないと出てこないんだろうし。それに結局は、雪が降らないなんてこと自体が、異変でもないかぎりありえないのだから。
―――でもさあ。もうちょっと我慢してくれても、良かったんじゃない?
意味が無くたって、そんな恨みごとも言いたくなるっての。
風の通り道が出来たせいか、霧のように辺りをただようその中から、いくつかがこっちへと飛び込んできた。手で顔を覆う間もなく、ひとつが鼻先に降り立つ。
……あれ……何か、違和感が。
「…………冷たく、ない?」
あらためて袖なんかに付いた他の欠片を、よくよく見てみると。
そこにいたのは……、自らの身体よりもはるかに大きな白綿を身にまとった、小さな小さな蟲だった。
「……『雪』虫…………?」
はあ、とよく分からない溜め息のようなものが口の間から抜け出してくる。目の前にいた小さな蟲は、それだけで吹き飛ばされて、また空へと戻っていった。
どうやらその他の欠片も、見るかぎり同じものであるようだ。
つまり―――
「雪じゃ……ないじゃないの」
今度こそはっきりと、そしてこれ以上ないってくらいの深い溜め息が身体の奥底から湧いてきた。なんだか、ものすごい疲れたような気がする。こんな紛らわしいことをする自然に。
そして――やっぱりこんなことで一喜一憂してる自分がいることに気付いて。
「…………」
分かってる。実際、ちょびっと寂しいくらいなのだ。あいつが居なくたって、他にも騒がしいやつらは山のようにいるのだから。
それに、これが永遠の別れってわけじゃない。来年の春には、また紫のムダ話をうざったいと思うわたしがいるに違いないのだ。だいたい、いつものように雪が降ってからもうじうじと起きているかもしれないし。
―――そう頭で思っているほどには、わたしは聞き分けが良くないみたい。
きっといやなんだ。あいつと会えないのが。何ヵ月我慢すれば会えるとか、そんな問題じゃなく。
無数の銀蟲の大群の中から、また数匹がこちらへやってくる。
何気なく手を伸ばすと一匹が指先に止まった。お騒がせな、冬のにせもの。こいつらが飛んでいられるくらいなら、いくら寒いとはいえ雪もまだ遠いのかもしれない。
手に届いた雪が、すぐに溶けて消えてしまうのと同じように。にせものも瞬く間に飛び立ってしまう。それさえもちょっと寂しく思ってしまうあたり、やっぱりわたしは欲張りで我がままなんだろうか。
こいつらが居なくなるときが、紫の居なくなるとき。
そう、考えたら。あいつじゃないけど、ちょっとだけ願掛けでもしてみようか。そんな気分になってきた。
「……そうね。あんたたちなら、お天道様よりは思い遣りのあるやつらだと思うから。どうか―――」
―――どうか、もう少しの間だけでも。紫がここへ来ますように。
次にあいつが来たときは、かき氷に付き合ってやるのもいいかもしれないわね。
──こいつは恐ろしいスペルだぜ。
いいですね、紫様と霊夢さんどちらも可愛らしくて大変結構。
物語にもしっかり緩急がついていて、すらすら読めてストンと落ちました。
雪虫をアクセントに持ってくるなんざ、作者様のセンスを感じるでゲスよ。
鳥肌を立てながら、それでもちょっと嬉しそうに縁側で冷やし中華を食べるゆかれいむを想像して、
私も幸せな気分になりました。
近所の神社で暖冬になるよう願掛けておきますね
「また新しい巫女にも手を出して…」とか「特別扱いなんてしたら…わかってるわよね?」とか夢枕で歴代の巫女達に釘をさされる紫様を思うと更に良い。
ゆかれいむ好きの私にはかなりの良作。
ゆかーれいむ!ゆかーれいむ!バンザーイ!
紫が実に紫らしいというか、二人のやり取りが微笑ましくてたまりません
季節感が出ていていいですね
霊夢は博麗の巫女であると同時に、一人の少女でもあるのですね。