「星、ちょっといいですか?」
「はい、なんですか?」
自室で本を読んでいた星は居住まいを正して聖に向き合う。
「買い物に行ってきてほしいのだけど、いいかしら?」
「ああ、構いませんよ。何が必要なんです?」
「食材をお願い。家族が増えたから必要な量も増えちゃったの」
聖は困ったように笑う。
大人数で食べる食事は彼女には久しぶりだろうし、誰かのために作るというのも久しぶりのことだろう。
作るのは手間だろうが、やはり嬉しいのだろう。
「わかりました。すぐに行ってきます」
星は本を置くと立ち上がる。
「ああ、ナズーリンと一緒に行くといいわ」
「む、聖は私を信頼してないんですか?」
その一言に星は不満そうな表情を作る。
「そういうわけじゃないけど……荷物も多いだろうから」
「そういうことでしたら……」
やや釈然としないながらも星は肯定を示す。
ナズーリンと買い物にいくことに不満があるわけではないし。
「ああ、それと星」
「なんですか?」
「ボタン、掛け違えてるわよ」
あ、と顔を赤面させる星を横目に聖は立ち去る。
やっぱりどこか抜けてるのねえ。
呟きは慌てて服をなおす彼女には届かなかった。
◇
商店が立ち並ぶ通りは往来も激しく、星は道行く人々に肩をぶつけないようにしながら歩く。
対照的にナズーリンは慣れた様子で人ごみを避けて歩く。
「ここは人が多いですね」
「活気があるのはいいことですね。だけど、あまり離れないでくださいよ御主人。人探しは得意ではないので」
「そこまで子どもじゃありませんよ」
心外だと言うような視線をナズーリンに向ける。しかし、彼女はそれを軽く受け流す。
「なら、ボタンを掛け違えるのはどうかと思いますよ」
「え、さ、さっきの見てたんですか?」
「適当に言っただけなんですけどね……本当にしてたんですか」
「誘導尋問なんて汚いですよナズーリン」
「してませんよ」
呆れたようにナズーリンは言うとさっさと歩き出す。
星はその背中を慌てて追いかける。
「ま、待ってくださいよ」
「言われなくても行きやしませんよ。一人にしたら迷子になるでしょう」
「だから、そんなにドジじゃないですって」
「宝塔を無くすような方が言われても説得力はないですよ」
苦い記憶を突かれた星は黙ることしか出来ない。
宝塔を無くすなんてとんでもないドジをしてしまったことは忘れ難い。
ナズーリンが見つけてくれたから良かったものの、見つからなかったら聖は封印されたままだった。
また聖を救えない悲しみをムラサたちに味あわせるところだったのだ。
「……そんな顔しないでくださいよ。そのために私がいるんですから」
「すいません……。あなたには苦労をかけてばかりです」
「部下は上司の幸せを願うものですよ。気にしないでください」
「……はい」
その言葉にいくらか気が楽になる。しかし、完全には晴れることはなかった。
彼女は本当によくできた部下だ。
主人よりもでしゃばることはなく、一歩引いた位置から影のように支える。
それは部下として正しいあり方だろう。
しかし、それは友人としてのあり方ではない。対等な、親密な関係ではない。
迷惑をかけてばかりの自分がそんなことを望むのは思い上がりが過ぎる。
そう思って、胸の奥にしまい込んできた。
なのに、それが最近は抑えきれなくなってきた。
「あら、こんにちは」
「ふぇっ? あ、こ、こんにちは」
ぼうっと考えんでいた星は突然かけられた声に顔を上げる。
声を掛けたのは銀色の髪にメイド服をきた少女。少女と言うには少し大人びていたが。
その隣には紅い髪の女性が胸の前に荷物を抱えていた。
「宴会以外で会うのは初めてかしら?」
「はい、そうですね」
言いつつも星は記憶の糸を手繰って目の前の人物を思い出そうとする。
確か紅魔館のメイドをしている……十六夜咲夜だったか。
隣の女性は見覚えがないが彼女もメイドだろうか。
星の視線に気がついたのか、女性は頭を下げると挨拶をする。
「どうも。紅魔館の門番をしています、紅美鈴です」
「ご丁寧にどうも。私は寅丸星です。こちらは部下のナズーリン」
「以後お見知りおきを」
星とナズーリンは彼女たちに頭をさげる。
咲夜は興味深そうに二人の顔を交互に見る。
「今日はデートかしら?」
何気なく言われたその一言で、星は湯気が出そうなくらいに顔を赤くする。
「ち、違いますよっ」
「残念ながら仕事だよ」
「なんだ」
咲夜はとくに残念そうでもなく笑う。
誂われたことに気がついた星が睨むように彼女を見るが、身長差のせいで子どもが拗ねているようにしか見えなかった。
「そういう君たちはどうなんだい?」
「私たちも仕事ですよ。お互い大変ですね」
美鈴は人懐っこい笑顔を二人に向ける。
「ふぅん、私はデートのつもりだったんだけど」
いかにも残念だとばかりの口調で言うと、美鈴の腕に自分のそれを絡めるように組む。
見せ付けるような行為に星は驚くが当人は困ったように笑うだけだった。
「あはは……それはまたの機会ということで」
「そう、楽しみに待ってるわ」
そう言って咲夜は組んでいた腕を離す。
先程より頬が緩んでいるような気がする。楽しみだというのは冗談ではなかったのだろう。
「それじゃあ、お二人さん。また会いましょう」
「またどこかで」
呆気の取られたまま二人を残し、咲夜たちは立ち去っていった。
しばらく立ちすくんでいた二人だったが、星から口を開く。
「……えっと、何と言うか、仲、良さそうでしたね」
羨ましい。とは思ったが口には出せなかった。
自分もあんな風にナズーリンと接したい。
格式張った関係ではなく、もっと距離が近づいた。
そう、例えば。
じっと、自信の左手を見つめる。
この手が触れ合えるくらいに。
「ひゃあっ!?」
そっと、何かが右手に遠慮がちに触れた。
ぼうっと考え込んでいた星は思わず声を上げてしまう。
「わっ!? す、済まない御主人。ちょっと手が当たってしまって……」
僅かに触れた彼女の小さな手は名残り惜しむように離される。
その時見えた彼女の表情は、どこか悲しげで寂しそうで、自身の行動を後悔してるかのように唇を噛んでいた。
どうしてか胸が痛んだ。ずきずきと。
何か間違えてしまったのではないかと不安に包まれる。
手を握り返すべきだったのではないか。
彼女も自分と同じ望みを秘めていたのではないか。
「私は酒屋に行ってきます。あとで合流しましょう」
星がなにか言おうと口を開く前にナズーリンは逃げるように走り去る。
止めようと伸ばす手は届くこと無く虚しく空を切る。
小さな背中は人ごみに紛れて消えた。
「……らしくないじゃないですか。ナズーリン……」
財布も渡さず、集合場所も決めていない。
いつもならこんなミスはしないはずだ。
そう、いつもなら。
俯き、爪が刺さるくらいに強く拳を握る。
「……一人にしたら迷子になるって言ったじゃないですか」
搾り出すような声は、雑踏にまぎれて消えた。
◇
夕食を終えた星はコタツに突っ伏していた。
いつもなら心癒される場所のはずだが、今日に限ってはただ心が重くなるだけだった。
「はあ……」
「そんなに溜息をついていると幸せが逃げますよ」
対面に座った聖はミカンを剥きながら言う。
「ナズーリンのことで悩んでるの?」
図星を突かれた星は勢い良く顔を上げて聖をみる。
彼女はいつものように笑うだけだった。
「何故それを……」
「他に悩むような理由もないでしょう?」
「うぐ……」
「私でよければ力になるけど、話してくれない?」
聖は優しく笑うと剥き終わったミカンを星に差し出す。
星はミカンをうけ取るともぐもぐと咀嚼し、飲み込む。
そして、息を吐くと溜め込んできた悩みを吐き出した。
「ナズーリンは私のために働いてくれます。それはとても嬉しいですし、感謝もしています」
だけど
「ムラサやぬえ、幻想郷の住人の関わりを見ていくうちに、上司と部下ではなく友人として助けあう関係になりたかったんです」
昼に出会った紅魔館の住人を思い出す。
彼女たちのようにもっと、打ち解けた関係を。
影ではなく、隣で手を握りあえるような立ち位置を。
「わかっています。これがただの我侭だって言うのは。助けられてばかりの自分がこんなことを望むなんて」
だけど、この気持ちは抑えきれない。
「私は……彼女に……」
子どもじみた、他人にはどうでも良いと思えるようなこと。
一つの小さな願い。
「彼女に……名前で呼んでもらいたいんです……」
「……そう」
最後まで黙ったまま話を聞いていた聖は立ち上がり、星の隣りまで移動する。
座りこみ星と視線をあわせる。不安に揺れる、寂しそうな目。
安心させるように微笑むと、癖毛の髪に指を通し撫でる。
「大丈夫よ。星は真面目だからね、たまには我侭を言ってもいいのよ」
「そう、でしょうか……」
「ええ。だけど、言わないと伝わらないこともあるの」
素直な気持ちでね。
悪戯をする子どものように笑う聖に少しだけ心が軽くなる。
「私には言えるでしょう? ほら、練習だと思って言ってみなさいな」
ナズーリンは許してくれるだろうか。
わからない。
けど、思いはもう抑えきれそうにもない。
「ナズーリン……私を、名前で呼んでください!」
叩きつけるような言葉は本人には届かない。
「だって。ナズーリン」
はずだった。
「え……ナズー……リン……?」
驚き、星は振り返りドアを見る。
半開きのドアから姿を見せたのは、苦々しい顔をしたナズーリンだった。
「……普通はバラさないものだと思うよ」
「いいじゃない。このほうが話が早いわ」
「え、ええ? それじゃあ、さっきのも全部……」
「ああ、悪いけど聞かせてもらったよ。…………星」
羞恥心から顔の熱が一気にあがった。
胸の鼓動なんて早すぎて、その内に止まってしまいそうだ。
いや、どうせ本人に言うことになるのだったろうけど、心の準備が……。
「聞いてるのかい。……………………星」
「ふぇあ!? ご、ごめんなさいナズーリン! 私は差し出がましいことを!」
きっと怒ってる。
そう思うとなかなか顔があげられなかった。
視線を下げったきりの星に業を煮やしたのかナズーリンは、頬に手を当てると無理やり自分に視線をあわせる。
「星!」
珍しく声を荒らげるナズーリンに反射的に背筋が伸びる。
「は、はい!」
じっと星を睨みつけるナズーリンの頬は赤く染まっていた。
その理由を考える前に、ナズーリンは口火を切る。
「私の気も知らないで君は寝ぼけて! 虎じゃなくて猫なのかい君は! コタツの毒に侵されでもしたのかい!」
「なっ、失礼ですよナズーリン! 私はそんなに馬鹿じゃないです!」
「それじゃあ、いつになったら気がつくんだ!」
「気がつくって……あ」
そうだ。
私に対してナズーリンは『君』なんて言わないし、こんな慇懃無礼な言葉は使わない。
ぬえや聖たちと接するときだけだ。
それに、私のことを
「名前で……呼んで……」
「……私だって、部下じゃなくて友人が良かったさ。だけど、監視役がそんなに近い距離にいるわけにいかない」
いや、とそこで言葉を切る。
「怖かったんだ。こんなことを望むなんて、自分の思い上がりではないか。もし、拒絶されたら……それなら現状維持でいいと思ってた」
「ナズーリン……」
「あー、だから、星……。名前で呼んでも……いいか」
最後まで言い切ることは出来なかった。
ぶつかるように飛びついてきた星に押し倒され、背中を打ち付ける。
押し倒されたまま、呆れたように、だけど嬉しそうに。ナズーリンは言う。
「星、もう少し落ち着いてほしいな」
「ごめっ……なさ……っ!」
胸に顔を押し付けるようにして嗚咽をもらす星の小柄な体を抱きしめる。
この小さな体にどれだけの思いが溜まっていたのだろう。
臆病な自分のお陰でどれだけ苦労させたのだろう。
けれど、それはお互い様だ。
だから、我侭の一つくらい言い合ってもいいだろう。
「これからもよろしく頼むよ。星」
照れくさそうに言うナズーリン。
星は恥ずかしくて顔はあげれなかったが、精一杯の答えを返す。
「はいっ……! お願いします……ナズーリン……!」
これからは友人として。
握れなかった手をしっかりと掴もう。
二人の掛け違いだったボタンがちゃんとはまってくれてよかったです。
茶化したくなるw
しかし、てっきりナーズリンだと思っていた・・・
この甘さ。
何これ……