※この作品は『みなみつ!』シリーズの四作目です。
今までの作品はなぜこのシリーズにしかないのか首をひねらざるをえない『むらさむらむら』タグからどうぞ。
熱かった夏はいつしか過ぎ去り、短い秋に女神が慟哭し、寒さもいつの間にやら深まってきた今日この頃。
やや日も傾こうかというこの時間に。
命蓮寺一行は、妖怪の山を登っていた。
「胸が躍りますね」
「そうですか?」
「星の胸は踊っているでしょう。物理的に」
「みんないるんだからそういうこと言わない!」
「はう!」
そう言って寅丸星は、村紗水蜜の額を指で小突いた。
ちょっとそんな、傍目からはいちゃついていると見えなくもない行為なれど、力で鳴る虎の妖怪たる星がやれば意外と馬鹿にならない威力で、水蜜は額を押さえて涙ぐんだ。
「……すごく控えめに発言したつもりだったのですが……」
「奇遇ですね。私も控えめにしたつもりです」
つん、と跳ねつけて先に進もうとする星の背後から、正体不明の影が迫る。
「でもほんとおっきーよねこれ」
「ひゃああ!?」
正体不明こそ正体。封獣ぬえの両腕が星の両脇の下を潜り抜け、そのやわらかい双丘をわっしとつかんだ。
「あっははー、おもしろーい」
「ちょっ、やめ……みなみつ、助け……」
まさぐられる感覚に、星は思わず水蜜のほうに視線を向ける。すると。
「あれは私の手、あれは私の手、あれは私の手……」
「暗いわー!!」
「ぬえぇー!?」
「あいたー!」
呟きながらこちらを凝視している舟幽霊に、星は見事にぬえを一本背負いの要領で叩き付けた。
実に綺麗な軌跡である。
「ふぅ、はぁ……まったくもう……」
「星さん、あまり暴力に訴えてはいけませんよ?」
折り重なってむきゅーと唸る二人を前にぜえはあと息を切らせる星に、柔和な説教が届けられる。
「あ、すみません聖……。どうにもつい体が動いてしまって……」
慌てて星は白蓮の方に向き直り、しゅんと俯く。
「わかっていただけているのなら良いのです。それに、こう言ってはなんですが、最近の星さんは生き生きしてて、立場はともあれ個人的にはそちらのほうが好ましいですよ」
「え、そ、そうですか……」
白蓮の言葉に、星は複雑な表情を浮かべる。
間違いなく、『最近』というのは水蜜が自分に絡んできだしてから――。
(――うん)
村紗水蜜は変態である。
常日頃から変態じみているわけではないが、ことに星が絡むとどうしようもなく変態になるのだ。
どうにかしなければいけないと思っている。
だが、変わってほしくないという思いもまた、自覚している。
むしろだんだんと向こうのネタに対応できるようになってきている自分が変えられている気さえしてくる。
どうにも、聖に仕えるにふさわしい存在からは遠ざかっている感がひしひしと感じられる今日この頃なのであるが。
ただでさえツッコミという名目で水蜜を殴りまくっているというのに。
「どうしましたか?」
「ああ、いえ、なんでもないのです」
首をかしげた白蓮の問いに、星は慌てて首を振る。
「おうい、もうそろそろだぜー。もう見えるんじゃないか、ナズー」
「あ、見えた見えた、あそこじゃないかな」
そして、不意にナズーリンとなぜか自然にいる魔理沙の声が響く。
「雲山も間違いないだろうと言っているわ」
そこに一輪の声も加わった。
命蓮寺一行プラス魔理沙は、山の温泉宿へと向かっていたのだ。
それは白蓮と星が買い物に出たとき、たまたま人里でやっていた福引きにて当たった、河童の温泉宿宿泊券(八人までOK)。
普通の人が当たっても、行くのが困難なのではないかという懸念が付きまとう賞品である。
「そりゃまあ、白蓮殿のビギナーズラック似合いまくりな雰囲気に、ご主人による運の底上げもあったとなれば、何かしら大きなものは当たるだろうなと思ったよ」
とはその場にいたナズーリンの言。
「せっかくですから、みんなで行きましょうか。たまには皆さん羽を伸ばすことも必要ですよね」
「白蓮殿、私、ご主人様、船長、一輪、雲山、ぬえ……一人余裕があるようだから、魔理沙を誘っていいかい」
「図ったような人数設定ですからもちろんかまいませんよ」
というわけでメンバーに魔理沙が追加された。
小傘は泣いていい。
「いらっしゃいませー。げげっ、人間!」
「えっ」
玄関前で一行を迎えた河童が、すぐにその姿を掻き消えさせる。光学迷彩スーツだ。
その反応に、一輪が気の抜けた声を上げる。
「おい、私だぜにとり」
「なんだ魔理沙か。ごめんね、人間を見ると条件反射で光学迷彩する癖がついててさ」
「何があったんだ」
「なにそれこわい」
どうやら、その河童と魔理沙は知り合いであったらしい。ひゅぱっと再び姿を現す。
「というわけでようこそ河童温泉へ。ここはせっかく温泉が湧いたんだから、河童の技術の粋を尽くして温泉宿作ろうぜというノリで作られた温泉宿だよ。従業員も当番制だから、あんまり行き届いてないのは勘弁しておくれ」
「なんというか適当なノリですね」
星がその説明に苦笑する。水蜜もそれに頷いた。
「いわゆるできちゃった結婚と同じ感じのノリですね」
「いやそれは……」
「星も私とできちゃった結婚する気はありませんか?」
「女同士で何ができちゃうんですか!?」
「真実の愛が!」
「それはできちゃったも何もない普通の結婚ではありませんか?」
「つまり私たちに障害なんてないってことですよね」
「ちがいます」
後ろで賑やかそうな水星コンビに苦笑しつつ、魔理沙と白蓮はチェックインの手続きをとり始める。
「じゃあこれ宿泊券です」
「はい、確かに。人数も……大丈夫だね」
白蓮が宿泊券を手渡すと、にとりはさっと見回して確認し、帳簿に記入する。
「じゃ、ごゆっくり。部屋への案内はあっちの従業員がやってくれるよ」
そうして、にとりが指差した先に魔理沙らが視線をやると。
「にとりの親戚のなとりです」
「ねとりです」
「さとりです」
『よろしくお願いします』
「すげえ縁起の悪い名前がいたと思う以前に――!」
「むむ、あなた、なぜお前がここにいると思っていますね」
「そりゃ思うわ!」
「ではお部屋はこちらになります」
「あれ!? さとりスルー!?」
「ではごゆっくり」
気がついたら部屋に案内されていた。読心術とかマインドコントロールとかではなくもっと恐ろしいなんたらかんたらを魔理沙は味わい、愕然とひざをつく。
「きっと、気にしたら負けだったんだよ。魔理沙が気に病むことはない」
ぽんと肩に置かれたナズーリンの手が、なぜかとても安心できた。
ともあれ、通されたのは普通に和風の大部屋。ふすまで分割も可能なつくりに見える。
「まぁ荷物を置いてしばし休みましょう」
星の言葉に一同頷き、適当なところに荷物を置き始める。
来るだけでも何か疲れた感じがするものだ。
だが、早々に魔理沙とナズーリンが探検に出てしまい、白蓮も時間の確認をしてくると部屋を後にし、一輪とぬえも続いた。
残ったのは星と水蜜という、いつもの二人であった。
「んー、取り残されてしまいました」
星は壁に背中を預けて座りこむ。
「ちょっとお行儀が悪くありませんか?」
「む、水蜜に言われてしまうとは。まぁ、息を抜くべきときはしっかりと抜かせていただこうかと思いまして」
「そうですよね。定期的に抜いとかないといけませんよね」
(反応したら負けだ……!)
星は唇を真一文字に引き結んで、集中するように目を閉じた。
「星? 星~? まだ寝るのには早いですよ?」
水蜜が呼んでいるが、あえて無視を決め込んでみることにする。たまにはよいだろう。
「……んー」
「おおおおおおおお!?」
すごく回避しなければいけない予感をびんびんに受け取り、目を見開く。せまってきていたのはもちろん唇。
「はっ!」
「あいた!」
とっさに割り込ませた手刀に、水蜜の進行は阻まれる。
「何するんですか~。おっけーってことだと思いましたのに」
「拡大解釈ダメゼッタイ」
額を押さえて涙目になる水蜜に、星は首を振って否定する。
「もう、星ったら焦らし上手なんですから。でもあんまり焦らしすぎもいけませんよ?」
「別に焦らしているわけではないのですが……」
でも星の言葉もおかまいなしで、水蜜は唇に指を当てて言う。
「いざその時……絶対にキスだけじゃ済まさないんですからねっ!」
どごすどごす。
「ああああなぜかいつもより多く殴られてますぅぅぅぅ!」
「もう、星ったら激しいんですから……」
「なんならもうちょっと激しくしておきますか?」
「いえいえおなかいっぱいです」
言いながら、むくりと水蜜は身を起こす。
そして伸びをして、あたりを見回しながら、言った。
「ねえ星、なんだかわくわくしてきませんか?」
「はい?」
思案顔をする星におかまいなく、水蜜はにこりと笑いかける。
「な、なにがですか」
その表情に少し鼓動を早めながらも、星は問い返す。
「いや、だって温泉ですよ、温泉」
「そうですね……」
地底の異変により、幻想郷にいくつか温泉名所が誕生したといわれている。妖怪の山も地底へと通じる穴が開くほどだから、影響は大きかっただろう。
実際、その異変によって水蜜らが解放され、白蓮が復活する遠因になったものなのだから、思えば感慨もひとしおである。
「温泉といえば名物のぞきイベント! 幾多の障害を跳ね除けて楽園へ至るロマン!」
「全然違うこと考えてたー! ていうかあなた同性でしょう! なんでのぞきイベントやる必要が!?」
「え? 私立ち入り禁止にしないんですか?」
「素でそんなこと聞き返さないでくださいよ!」
水蜜は一体何を考えているのだろう。
今更ではあるが、そう星は思ってしまう。
自分の行動を自覚しているのだったら、もっとちゃんとしてくれればいいのに。
そうしたら、私も――
何を考えているのかと、星は頭を振り、話を続ける。
「ふだんも覗いたこととかなかったじゃありませんか」
命蓮寺では広い風呂がなかったし、誰かと一緒に入るなんてことはなかった。身の危険を感じなかったわけではないが、事実覗かれたことなんてない。
「だって、星が本気でいやがることなんてするわけないじゃないですか」
「え――」
まるでなんでもない、当然のことのように水蜜は言った。
思い返せば、水蜜が直接的に何かしてきたことなんてほとんどない。だいたいが、変なことを言ってただけだ。
水蜜は――野放図に見えて、その実、とても臆病で、慎重だったのではないだろうか。
「じゃあなんで、今回は覗くって……」
「いやほら、せっかくのイベントな雰囲気じゃないですか。お祭り気分ならこう、その場のノリでいけるかな、と思いまして。大浴場ってそれだけで特殊な空間ですしね。ほら大欲情とはよく言ったもので」
「大浴場がそんな空間でたまるかー!」
「ひゃう!」
ぺしりと水蜜の頭をはたきつつ、思う。
言葉でジャブを放ちつつ、どこまで大丈夫なのかを探っているとしたら。
許されるところを待っているのだとしたら。
「はぁ……まったく。……まぁ、別にかまいませんよ」
「え?」
「一緒にお風呂行きましょう、水蜜」
――何を、言ってしまってるのだろうか。
星は、自分でも自分がよくわからなくなってしまう。
「え? え? え?」
水蜜もあまりに予想外だったのか、落ち着きなく視線をさ迷わせている。
やり場のない手が実に幽霊チック。
「お、落ち着いてください水蜜。あなたがそんなでは何かこっちが恥ずかしいではありませんか」
「ゆゆゆ夢ではありませんよね。か、確認のために殴っていただけますか?」
「普通つねるよねそこは!?」
「いいですから! 一発大きいのを!」
「ええいもうやけくそです!」
どごす、と威勢のいい打撃音が響き渡った。
「痛い……けどそれが気持ちいい……やはり夢……?」
「いや認めたくないけどたぶんそれ正常です」
「ほら水蜜、着きましたよ」
「は、はわわわわわ……」
押入れにあった浴衣と、持ってきたマイお風呂セットを握り締め、二人は大浴場の前へとやってきていた。
「な、なんでそんなにぷるぷるしているのですか」
星はどうにも落ち着かない様子の水蜜に尋ねる。問われた水蜜はおずおずと答えた。
「だってだってその……なんか怖い」
「すみません、ちょっと耳が遠くなったようで」
素で耳をほじるポーズをとってしまう。それくらいその言葉は意外に思えたのだ。
「う、うー……星のバカ! 290円!」
「え、ええ!?」
水蜜は捨て台詞を残して走り去ってしまった。
いきなりの出来事に、星はその場で固まってしまい、何も行動が起こせなかった。
「水蜜……どうして」
星は呆然と思い悩む。
水蜜は、自分を好いてくれたと思っていた。というかそう言ってた。
いつもやられてるから、今度はちょっと驚かせてやろう――というくらいの気持ちだったのは確かだが。
まさか逃げ去られてしまうとは思いも寄らなかった。
思い上がっていたのだろうか。所詮自分は――
「そこまでよ」
突如投げかけられた声。
それが帯びた冷たい声質に、星はぴしゃりと冷水を浴びせられた感覚になる。
「だ、誰!?」
星が振り向くと、そこには紫の髪の少女が立っていた。
「どうも、さとりです」
「あれぇ」
張り詰めた星のポーズが崩れる。何か色々と予想外だったからだ。
それを見てさとりはふぅ、とため息をつく。
「ほう、一発ネタじゃなかったのかなどと、失敬な」
「!? 私の心を!?」
星の言葉に、さとりはにやりと笑みを浮かべる。
「そう、私のミレニアムアイ……もといサードアイの効果により、あなた方の思考は筒抜けです」
「……!」
心が読める、その恐ろしい能力に、星は身構える。
そして、浮かび上がる一体この妖怪が何の目的でここにいるのかという疑問。
「温泉旅行です」
キッパリと答えられた。
「そして、心が読めるということを踏まえてご指摘しましょう。彼女が臆病だというところまではたどり着いていたのに、いやはや、惜しいことです」
「な……」
「いいですか。心というのは矛盾を抱えた存在なのです。自分ですらその正体のつかめぬ、複雑怪奇な入り口と出口がいっぱいの迷宮」
迷宮って本来は一本道のものなんですよね、と星が心の中でツッコむと、水を差さないでくださいと怒られた。
「嫌いなはずなのにかまってしまう、好きだから悪戯してしまう、時に心は自分の意思すら裏切る。ツンデレという言葉を聞いたこともあるでしょう」
「ほっぺたをつんつんするほどでれでれな関係のことですね!」
「違います」
「あれえ」
こほん、とさとりは咳払いする。
「つまりですね。まぁ彼女は臆病なのですよ。いくら大胆なアプローチをかけることはできても、確定的に物事を変えてしまうのは怖いのです」
「そ、そういうものなのですか?」
「あなたは思ったことありませんか? とっても欲しい、とんでもなく欲しい。この身を投げ打ってでも欲しい。だけど、『これを手に入れることが出来たのならば、私は終わってしまうだろう』」
「……!」
願いが叶えられ、全てが終着し、その次にどこに行けばいい?
村紗水蜜は迷うのが怖いのか。暗い水底で、光を失うのが怖いのか。
「……ふと、そんな思考が覗けましたので、ついつい伝えてしまいたくなりました。通りすがりの覚り妖怪の戯言です」
「いえ、ありがとうございます。次にとるべき行動がわかった気がします」
星はぺこりと頭を下げ、だだっと勢いよく、水蜜が去っていったほうに走り出した。
星が角を曲がって見えなくなるまで、古明地さとりはぼう、と見つめる。
「……ありがとうございました」
「いえ……」
調度品の陰から出てきたのは、聖白蓮。ぺこりと頭を下げる彼女に、さとりは手を振る。
「何か一押しがなければ、きっとあの子達はあの関係のままですらいられない。私の心を汲んでくださって、本当に」
「わざわざ言葉にしてくださらなくても結構ですよ」
「でも、言葉にするのとしないのでは大違いでしょう?」
白蓮の微笑みに、さとりは若干口元を緩ませる。
「永遠に続くものなどない。そう思っていますね」
「はい」
「なければ作ればよい、とも思っていますね」
「はい」
口元の緩み具合を増しながら、さとりは再び、星の走り去っていった方角を見つめる。
「新しい関係を続けようとするならば、相手の予想以上の存在にならなければなりませんよ。心とは貪欲なのです」
「心配はいりません」
笑みを崩さず、白蓮は言う。断言する。
「あの方は毘沙門天より宝塔を託された妖怪なのです。法の光で世界を照らす宝を。彼女ならなれます。幽霊船を導く、眩い灯台に」
絶大な、信頼を持って。
「……水蜜」
村紗水蜜は、なぜか卓球場の椅子に腰掛けていた。周りには、誰もいない。
「しょ、星。えと、あの、ごめんなさい。逃げ出したりなんかして……」
星が近づくと、水蜜はしゅんとして俯く。
「まったくですよ。驚いたんですからね」
星は新しい椅子を寄せて、目の前に座り込んだ。
「うれしかったんですよ!? うれしかったんですけど、でも何か怖くてんむっ」
ばっと顔を上げる水蜜の唇に、星は指を押し当てる。
「私も怖かったですよ?」
笑う。がんばって笑う。いつもの水蜜みたいに素敵な笑顔になれているとは思えないけれど。
水蜜はそんな星の様子を、少し放心するように見ていた。
「水蜜を受け入れていいのかって、すごい悩んだんですよ。聖の言葉もありましたし、勇気を出してもいいのかなって」
星は「でもね」と言葉をつなげる。
「やっぱり不公平だったんですよ。悩むべきなのはあなただもの」
「え……」
星の真意を測りかね、水蜜は不安げな顔を見せる。
「私はずっとあなたをまともにしなきゃならないと思ってました。でも、それがいつの間にか、このままでいて欲しいって思うようになっていた。……わかります?」
ふるふると首を振る水蜜に、星は叩きつけるように宣言した。
「つまりこんなになるまで『開発』した責任をとれっつーことですよ!」
「わひゃー!?」
ガオーという擬音が聞こえてきそうなほどの勢いで、がばぁと水蜜に飛び掛る。なすすべもなく、水蜜は肩をつかまれて床へと押し倒された。
「そんな、こんなところで、あの、その……」
「私にもね、虎としての矜持があるのです」
先ほどまでの勢いを止め、静かに星は言う。
「ですからあなたになんか捕まってあげません。今までどおり場をわきまえない言動は容赦なく殴り飛ばします! ずっとずっとです!」
お前の手の中になんか入らない。
ずっとお前の目の前にいて、真っ正面から世話を焼き続けるただ一人の妖怪になってやる。
「そして、いざっていうときに捕まえるのはこの私です。いいですね?」
「は……はい!」
そんな強い意志のこもった言葉を聞かされ、水蜜ははじかれた様に、けれど口元を綻ばせて答えた。
その顔に、星は少し安堵する。
「さすがにここで何かするのは私もごめんです」
体を離しながら、服を調える。
「じゃ、じゃあ、一緒にお風呂入りましょう、星!」
むくりと起き上がって言う水蜜に、星は微笑んだ。
「今のは場をわきまえているのでセーフといたしましょうか」
しゅるしゅると、脱衣所に衣擦れの音が響く。
一つ響くごとに、だんだんと肌の色が露になっていく。
「ほ、ほおあー……」
「変な声出さんでくださいよ……」
「やっぱりこう、なんていうか……くうう……」
「鼻血出すのは場にそぐってないからアウトですからね」
「ひょんなー!」
だが律儀に鼻をつまむ水蜜はわかっていると思う星であった。
「神速タオル巻き!」
「おお!? 肝心なところが隠されたままに!」
「剥ぎ取られても後光で影を差させるという隙を生じぬ二段構えですよ」
「後光の扱いがひどい!」
「温泉とは湯を楽しむものですよ。それ以上でもそれ以下でもないのです」
と、いつものごとく説教を始める星に、水蜜はにわかにぷっと吹き出した。
「何がおかしいのですか」
「いえ……やっぱり星は星なんだなと思いました。何か安心しましたよ」
そうして水蜜はにこっと笑う。
「……水蜜も、そうやって笑っているのが、一番似合っていますよ」
その笑顔に惚れてしまったから、ここでこうしてここにいる。
それが変わりなく見られたことに、星の顔もほころぶ。
「あなたも……」
「え?」
「なんでもありません! ささ、私も生まれたままになりましたので。死んでますけど、さっさと浴場に突入しましょう!」
「ほんと気持ちいいくらい何も隠してませんね」
「あなたに隠し事はしないという決意の表れです」
「調子が出てきましたね、この!」
どごすと軽いツッコミを繰り出しつつ、星もまた浴場へ向かう。
「軽くってレベルじゃないんですけど……まぁいいです。いえ、よかったです」
「余計な言い回ししない!」
追加のツッコミを食らわせつつ、星は浴場の戸をあけた。
「おや、遅かったねご主人」
「あれえ」
鉄のパイプから出る湯で体を洗いっこしている魔理沙とナズーリンの姿に、星は目をぱちくりとさせる。
「先にお湯いただいてるよー」
「こら」
「うーん、先を越されていましたねえ」
石造りの湯船でばしゃばしゃを足をばたつかせるぬえと、それを小突く一輪の姿。
「いらっしゃい」
「ちょっと出鼻がくじかれたと思っていますね」
何か仲良く浸かっている白蓮とさとりや、
「はいどうもご迷惑おかけするねー」
謎の機械で床の清掃をしている河童もいた。
雲山は無理。
「だめですよ。二人で先に温泉を堪能しようだなんて。まずあなたはこの命蓮寺の一員であるってことを忘れないでくださいね?」
悪戯っぽくウインクする白蓮に、一本とられたという表情になる。
「うーん、思えば脱衣所で気づくべきでしたか。水蜜以外目に入ってなかった……」
「まぁいいではありませんか。ほら、私たちも洗いっこしましょう」
そうして手を引く水蜜を見て、星はまあいいかという気持ちになった。
命蓮寺あっての二人だった。きっと、最初から最後までそうなのだろう。
それがずっと壊れずにあるのなら、それはきっと、幸せなことだと思うから――
「おっと手が滑りました」
「アウトおおおおおお!」
どごす!
『みなみつ!~合宿編~』――fin
今までの作品はなぜこのシリーズにしかないのか首をひねらざるをえない『むらさむらむら』タグからどうぞ。
熱かった夏はいつしか過ぎ去り、短い秋に女神が慟哭し、寒さもいつの間にやら深まってきた今日この頃。
やや日も傾こうかというこの時間に。
命蓮寺一行は、妖怪の山を登っていた。
「胸が躍りますね」
「そうですか?」
「星の胸は踊っているでしょう。物理的に」
「みんないるんだからそういうこと言わない!」
「はう!」
そう言って寅丸星は、村紗水蜜の額を指で小突いた。
ちょっとそんな、傍目からはいちゃついていると見えなくもない行為なれど、力で鳴る虎の妖怪たる星がやれば意外と馬鹿にならない威力で、水蜜は額を押さえて涙ぐんだ。
「……すごく控えめに発言したつもりだったのですが……」
「奇遇ですね。私も控えめにしたつもりです」
つん、と跳ねつけて先に進もうとする星の背後から、正体不明の影が迫る。
「でもほんとおっきーよねこれ」
「ひゃああ!?」
正体不明こそ正体。封獣ぬえの両腕が星の両脇の下を潜り抜け、そのやわらかい双丘をわっしとつかんだ。
「あっははー、おもしろーい」
「ちょっ、やめ……みなみつ、助け……」
まさぐられる感覚に、星は思わず水蜜のほうに視線を向ける。すると。
「あれは私の手、あれは私の手、あれは私の手……」
「暗いわー!!」
「ぬえぇー!?」
「あいたー!」
呟きながらこちらを凝視している舟幽霊に、星は見事にぬえを一本背負いの要領で叩き付けた。
実に綺麗な軌跡である。
「ふぅ、はぁ……まったくもう……」
「星さん、あまり暴力に訴えてはいけませんよ?」
折り重なってむきゅーと唸る二人を前にぜえはあと息を切らせる星に、柔和な説教が届けられる。
「あ、すみません聖……。どうにもつい体が動いてしまって……」
慌てて星は白蓮の方に向き直り、しゅんと俯く。
「わかっていただけているのなら良いのです。それに、こう言ってはなんですが、最近の星さんは生き生きしてて、立場はともあれ個人的にはそちらのほうが好ましいですよ」
「え、そ、そうですか……」
白蓮の言葉に、星は複雑な表情を浮かべる。
間違いなく、『最近』というのは水蜜が自分に絡んできだしてから――。
(――うん)
村紗水蜜は変態である。
常日頃から変態じみているわけではないが、ことに星が絡むとどうしようもなく変態になるのだ。
どうにかしなければいけないと思っている。
だが、変わってほしくないという思いもまた、自覚している。
むしろだんだんと向こうのネタに対応できるようになってきている自分が変えられている気さえしてくる。
どうにも、聖に仕えるにふさわしい存在からは遠ざかっている感がひしひしと感じられる今日この頃なのであるが。
ただでさえツッコミという名目で水蜜を殴りまくっているというのに。
「どうしましたか?」
「ああ、いえ、なんでもないのです」
首をかしげた白蓮の問いに、星は慌てて首を振る。
「おうい、もうそろそろだぜー。もう見えるんじゃないか、ナズー」
「あ、見えた見えた、あそこじゃないかな」
そして、不意にナズーリンとなぜか自然にいる魔理沙の声が響く。
「雲山も間違いないだろうと言っているわ」
そこに一輪の声も加わった。
命蓮寺一行プラス魔理沙は、山の温泉宿へと向かっていたのだ。
『みなみつ!』
~合宿編~
~合宿編~
それは白蓮と星が買い物に出たとき、たまたま人里でやっていた福引きにて当たった、河童の温泉宿宿泊券(八人までOK)。
普通の人が当たっても、行くのが困難なのではないかという懸念が付きまとう賞品である。
「そりゃまあ、白蓮殿のビギナーズラック似合いまくりな雰囲気に、ご主人による運の底上げもあったとなれば、何かしら大きなものは当たるだろうなと思ったよ」
とはその場にいたナズーリンの言。
「せっかくですから、みんなで行きましょうか。たまには皆さん羽を伸ばすことも必要ですよね」
「白蓮殿、私、ご主人様、船長、一輪、雲山、ぬえ……一人余裕があるようだから、魔理沙を誘っていいかい」
「図ったような人数設定ですからもちろんかまいませんよ」
というわけでメンバーに魔理沙が追加された。
小傘は泣いていい。
「いらっしゃいませー。げげっ、人間!」
「えっ」
玄関前で一行を迎えた河童が、すぐにその姿を掻き消えさせる。光学迷彩スーツだ。
その反応に、一輪が気の抜けた声を上げる。
「おい、私だぜにとり」
「なんだ魔理沙か。ごめんね、人間を見ると条件反射で光学迷彩する癖がついててさ」
「何があったんだ」
「なにそれこわい」
どうやら、その河童と魔理沙は知り合いであったらしい。ひゅぱっと再び姿を現す。
「というわけでようこそ河童温泉へ。ここはせっかく温泉が湧いたんだから、河童の技術の粋を尽くして温泉宿作ろうぜというノリで作られた温泉宿だよ。従業員も当番制だから、あんまり行き届いてないのは勘弁しておくれ」
「なんというか適当なノリですね」
星がその説明に苦笑する。水蜜もそれに頷いた。
「いわゆるできちゃった結婚と同じ感じのノリですね」
「いやそれは……」
「星も私とできちゃった結婚する気はありませんか?」
「女同士で何ができちゃうんですか!?」
「真実の愛が!」
「それはできちゃったも何もない普通の結婚ではありませんか?」
「つまり私たちに障害なんてないってことですよね」
「ちがいます」
後ろで賑やかそうな水星コンビに苦笑しつつ、魔理沙と白蓮はチェックインの手続きをとり始める。
「じゃあこれ宿泊券です」
「はい、確かに。人数も……大丈夫だね」
白蓮が宿泊券を手渡すと、にとりはさっと見回して確認し、帳簿に記入する。
「じゃ、ごゆっくり。部屋への案内はあっちの従業員がやってくれるよ」
そうして、にとりが指差した先に魔理沙らが視線をやると。
「にとりの親戚のなとりです」
「ねとりです」
「さとりです」
『よろしくお願いします』
「すげえ縁起の悪い名前がいたと思う以前に――!」
「むむ、あなた、なぜお前がここにいると思っていますね」
「そりゃ思うわ!」
「ではお部屋はこちらになります」
「あれ!? さとりスルー!?」
「ではごゆっくり」
気がついたら部屋に案内されていた。読心術とかマインドコントロールとかではなくもっと恐ろしいなんたらかんたらを魔理沙は味わい、愕然とひざをつく。
「きっと、気にしたら負けだったんだよ。魔理沙が気に病むことはない」
ぽんと肩に置かれたナズーリンの手が、なぜかとても安心できた。
ともあれ、通されたのは普通に和風の大部屋。ふすまで分割も可能なつくりに見える。
「まぁ荷物を置いてしばし休みましょう」
星の言葉に一同頷き、適当なところに荷物を置き始める。
来るだけでも何か疲れた感じがするものだ。
だが、早々に魔理沙とナズーリンが探検に出てしまい、白蓮も時間の確認をしてくると部屋を後にし、一輪とぬえも続いた。
残ったのは星と水蜜という、いつもの二人であった。
「んー、取り残されてしまいました」
星は壁に背中を預けて座りこむ。
「ちょっとお行儀が悪くありませんか?」
「む、水蜜に言われてしまうとは。まぁ、息を抜くべきときはしっかりと抜かせていただこうかと思いまして」
「そうですよね。定期的に抜いとかないといけませんよね」
(反応したら負けだ……!)
星は唇を真一文字に引き結んで、集中するように目を閉じた。
「星? 星~? まだ寝るのには早いですよ?」
水蜜が呼んでいるが、あえて無視を決め込んでみることにする。たまにはよいだろう。
「……んー」
「おおおおおおおお!?」
すごく回避しなければいけない予感をびんびんに受け取り、目を見開く。せまってきていたのはもちろん唇。
「はっ!」
「あいた!」
とっさに割り込ませた手刀に、水蜜の進行は阻まれる。
「何するんですか~。おっけーってことだと思いましたのに」
「拡大解釈ダメゼッタイ」
額を押さえて涙目になる水蜜に、星は首を振って否定する。
「もう、星ったら焦らし上手なんですから。でもあんまり焦らしすぎもいけませんよ?」
「別に焦らしているわけではないのですが……」
でも星の言葉もおかまいなしで、水蜜は唇に指を当てて言う。
「いざその時……絶対にキスだけじゃ済まさないんですからねっ!」
どごすどごす。
「ああああなぜかいつもより多く殴られてますぅぅぅぅ!」
「もう、星ったら激しいんですから……」
「なんならもうちょっと激しくしておきますか?」
「いえいえおなかいっぱいです」
言いながら、むくりと水蜜は身を起こす。
そして伸びをして、あたりを見回しながら、言った。
「ねえ星、なんだかわくわくしてきませんか?」
「はい?」
思案顔をする星におかまいなく、水蜜はにこりと笑いかける。
「な、なにがですか」
その表情に少し鼓動を早めながらも、星は問い返す。
「いや、だって温泉ですよ、温泉」
「そうですね……」
地底の異変により、幻想郷にいくつか温泉名所が誕生したといわれている。妖怪の山も地底へと通じる穴が開くほどだから、影響は大きかっただろう。
実際、その異変によって水蜜らが解放され、白蓮が復活する遠因になったものなのだから、思えば感慨もひとしおである。
「温泉といえば名物のぞきイベント! 幾多の障害を跳ね除けて楽園へ至るロマン!」
「全然違うこと考えてたー! ていうかあなた同性でしょう! なんでのぞきイベントやる必要が!?」
「え? 私立ち入り禁止にしないんですか?」
「素でそんなこと聞き返さないでくださいよ!」
水蜜は一体何を考えているのだろう。
今更ではあるが、そう星は思ってしまう。
自分の行動を自覚しているのだったら、もっとちゃんとしてくれればいいのに。
そうしたら、私も――
何を考えているのかと、星は頭を振り、話を続ける。
「ふだんも覗いたこととかなかったじゃありませんか」
命蓮寺では広い風呂がなかったし、誰かと一緒に入るなんてことはなかった。身の危険を感じなかったわけではないが、事実覗かれたことなんてない。
「だって、星が本気でいやがることなんてするわけないじゃないですか」
「え――」
まるでなんでもない、当然のことのように水蜜は言った。
思い返せば、水蜜が直接的に何かしてきたことなんてほとんどない。だいたいが、変なことを言ってただけだ。
水蜜は――野放図に見えて、その実、とても臆病で、慎重だったのではないだろうか。
「じゃあなんで、今回は覗くって……」
「いやほら、せっかくのイベントな雰囲気じゃないですか。お祭り気分ならこう、その場のノリでいけるかな、と思いまして。大浴場ってそれだけで特殊な空間ですしね。ほら大欲情とはよく言ったもので」
「大浴場がそんな空間でたまるかー!」
「ひゃう!」
ぺしりと水蜜の頭をはたきつつ、思う。
言葉でジャブを放ちつつ、どこまで大丈夫なのかを探っているとしたら。
許されるところを待っているのだとしたら。
「はぁ……まったく。……まぁ、別にかまいませんよ」
「え?」
「一緒にお風呂行きましょう、水蜜」
――何を、言ってしまってるのだろうか。
星は、自分でも自分がよくわからなくなってしまう。
「え? え? え?」
水蜜もあまりに予想外だったのか、落ち着きなく視線をさ迷わせている。
やり場のない手が実に幽霊チック。
「お、落ち着いてください水蜜。あなたがそんなでは何かこっちが恥ずかしいではありませんか」
「ゆゆゆ夢ではありませんよね。か、確認のために殴っていただけますか?」
「普通つねるよねそこは!?」
「いいですから! 一発大きいのを!」
「ええいもうやけくそです!」
どごす、と威勢のいい打撃音が響き渡った。
「痛い……けどそれが気持ちいい……やはり夢……?」
「いや認めたくないけどたぶんそれ正常です」
*
「ほら水蜜、着きましたよ」
「は、はわわわわわ……」
押入れにあった浴衣と、持ってきたマイお風呂セットを握り締め、二人は大浴場の前へとやってきていた。
「な、なんでそんなにぷるぷるしているのですか」
星はどうにも落ち着かない様子の水蜜に尋ねる。問われた水蜜はおずおずと答えた。
「だってだってその……なんか怖い」
「すみません、ちょっと耳が遠くなったようで」
素で耳をほじるポーズをとってしまう。それくらいその言葉は意外に思えたのだ。
「う、うー……星のバカ! 290円!」
「え、ええ!?」
水蜜は捨て台詞を残して走り去ってしまった。
いきなりの出来事に、星はその場で固まってしまい、何も行動が起こせなかった。
「水蜜……どうして」
星は呆然と思い悩む。
水蜜は、自分を好いてくれたと思っていた。というかそう言ってた。
いつもやられてるから、今度はちょっと驚かせてやろう――というくらいの気持ちだったのは確かだが。
まさか逃げ去られてしまうとは思いも寄らなかった。
思い上がっていたのだろうか。所詮自分は――
「そこまでよ」
突如投げかけられた声。
それが帯びた冷たい声質に、星はぴしゃりと冷水を浴びせられた感覚になる。
「だ、誰!?」
星が振り向くと、そこには紫の髪の少女が立っていた。
「どうも、さとりです」
「あれぇ」
張り詰めた星のポーズが崩れる。何か色々と予想外だったからだ。
それを見てさとりはふぅ、とため息をつく。
「ほう、一発ネタじゃなかったのかなどと、失敬な」
「!? 私の心を!?」
星の言葉に、さとりはにやりと笑みを浮かべる。
「そう、私のミレニアムアイ……もといサードアイの効果により、あなた方の思考は筒抜けです」
「……!」
心が読める、その恐ろしい能力に、星は身構える。
そして、浮かび上がる一体この妖怪が何の目的でここにいるのかという疑問。
「温泉旅行です」
キッパリと答えられた。
「そして、心が読めるということを踏まえてご指摘しましょう。彼女が臆病だというところまではたどり着いていたのに、いやはや、惜しいことです」
「な……」
「いいですか。心というのは矛盾を抱えた存在なのです。自分ですらその正体のつかめぬ、複雑怪奇な入り口と出口がいっぱいの迷宮」
迷宮って本来は一本道のものなんですよね、と星が心の中でツッコむと、水を差さないでくださいと怒られた。
「嫌いなはずなのにかまってしまう、好きだから悪戯してしまう、時に心は自分の意思すら裏切る。ツンデレという言葉を聞いたこともあるでしょう」
「ほっぺたをつんつんするほどでれでれな関係のことですね!」
「違います」
「あれえ」
こほん、とさとりは咳払いする。
「つまりですね。まぁ彼女は臆病なのですよ。いくら大胆なアプローチをかけることはできても、確定的に物事を変えてしまうのは怖いのです」
「そ、そういうものなのですか?」
「あなたは思ったことありませんか? とっても欲しい、とんでもなく欲しい。この身を投げ打ってでも欲しい。だけど、『これを手に入れることが出来たのならば、私は終わってしまうだろう』」
「……!」
願いが叶えられ、全てが終着し、その次にどこに行けばいい?
村紗水蜜は迷うのが怖いのか。暗い水底で、光を失うのが怖いのか。
「……ふと、そんな思考が覗けましたので、ついつい伝えてしまいたくなりました。通りすがりの覚り妖怪の戯言です」
「いえ、ありがとうございます。次にとるべき行動がわかった気がします」
星はぺこりと頭を下げ、だだっと勢いよく、水蜜が去っていったほうに走り出した。
星が角を曲がって見えなくなるまで、古明地さとりはぼう、と見つめる。
「……ありがとうございました」
「いえ……」
調度品の陰から出てきたのは、聖白蓮。ぺこりと頭を下げる彼女に、さとりは手を振る。
「何か一押しがなければ、きっとあの子達はあの関係のままですらいられない。私の心を汲んでくださって、本当に」
「わざわざ言葉にしてくださらなくても結構ですよ」
「でも、言葉にするのとしないのでは大違いでしょう?」
白蓮の微笑みに、さとりは若干口元を緩ませる。
「永遠に続くものなどない。そう思っていますね」
「はい」
「なければ作ればよい、とも思っていますね」
「はい」
口元の緩み具合を増しながら、さとりは再び、星の走り去っていった方角を見つめる。
「新しい関係を続けようとするならば、相手の予想以上の存在にならなければなりませんよ。心とは貪欲なのです」
「心配はいりません」
笑みを崩さず、白蓮は言う。断言する。
「あの方は毘沙門天より宝塔を託された妖怪なのです。法の光で世界を照らす宝を。彼女ならなれます。幽霊船を導く、眩い灯台に」
絶大な、信頼を持って。
*
「……水蜜」
村紗水蜜は、なぜか卓球場の椅子に腰掛けていた。周りには、誰もいない。
「しょ、星。えと、あの、ごめんなさい。逃げ出したりなんかして……」
星が近づくと、水蜜はしゅんとして俯く。
「まったくですよ。驚いたんですからね」
星は新しい椅子を寄せて、目の前に座り込んだ。
「うれしかったんですよ!? うれしかったんですけど、でも何か怖くてんむっ」
ばっと顔を上げる水蜜の唇に、星は指を押し当てる。
「私も怖かったですよ?」
笑う。がんばって笑う。いつもの水蜜みたいに素敵な笑顔になれているとは思えないけれど。
水蜜はそんな星の様子を、少し放心するように見ていた。
「水蜜を受け入れていいのかって、すごい悩んだんですよ。聖の言葉もありましたし、勇気を出してもいいのかなって」
星は「でもね」と言葉をつなげる。
「やっぱり不公平だったんですよ。悩むべきなのはあなただもの」
「え……」
星の真意を測りかね、水蜜は不安げな顔を見せる。
「私はずっとあなたをまともにしなきゃならないと思ってました。でも、それがいつの間にか、このままでいて欲しいって思うようになっていた。……わかります?」
ふるふると首を振る水蜜に、星は叩きつけるように宣言した。
「つまりこんなになるまで『開発』した責任をとれっつーことですよ!」
「わひゃー!?」
ガオーという擬音が聞こえてきそうなほどの勢いで、がばぁと水蜜に飛び掛る。なすすべもなく、水蜜は肩をつかまれて床へと押し倒された。
「そんな、こんなところで、あの、その……」
「私にもね、虎としての矜持があるのです」
先ほどまでの勢いを止め、静かに星は言う。
「ですからあなたになんか捕まってあげません。今までどおり場をわきまえない言動は容赦なく殴り飛ばします! ずっとずっとです!」
お前の手の中になんか入らない。
ずっとお前の目の前にいて、真っ正面から世話を焼き続けるただ一人の妖怪になってやる。
「そして、いざっていうときに捕まえるのはこの私です。いいですね?」
「は……はい!」
そんな強い意志のこもった言葉を聞かされ、水蜜ははじかれた様に、けれど口元を綻ばせて答えた。
その顔に、星は少し安堵する。
「さすがにここで何かするのは私もごめんです」
体を離しながら、服を調える。
「じゃ、じゃあ、一緒にお風呂入りましょう、星!」
むくりと起き上がって言う水蜜に、星は微笑んだ。
「今のは場をわきまえているのでセーフといたしましょうか」
しゅるしゅると、脱衣所に衣擦れの音が響く。
一つ響くごとに、だんだんと肌の色が露になっていく。
「ほ、ほおあー……」
「変な声出さんでくださいよ……」
「やっぱりこう、なんていうか……くうう……」
「鼻血出すのは場にそぐってないからアウトですからね」
「ひょんなー!」
だが律儀に鼻をつまむ水蜜はわかっていると思う星であった。
「神速タオル巻き!」
「おお!? 肝心なところが隠されたままに!」
「剥ぎ取られても後光で影を差させるという隙を生じぬ二段構えですよ」
「後光の扱いがひどい!」
「温泉とは湯を楽しむものですよ。それ以上でもそれ以下でもないのです」
と、いつものごとく説教を始める星に、水蜜はにわかにぷっと吹き出した。
「何がおかしいのですか」
「いえ……やっぱり星は星なんだなと思いました。何か安心しましたよ」
そうして水蜜はにこっと笑う。
「……水蜜も、そうやって笑っているのが、一番似合っていますよ」
その笑顔に惚れてしまったから、ここでこうしてここにいる。
それが変わりなく見られたことに、星の顔もほころぶ。
「あなたも……」
「え?」
「なんでもありません! ささ、私も生まれたままになりましたので。死んでますけど、さっさと浴場に突入しましょう!」
「ほんと気持ちいいくらい何も隠してませんね」
「あなたに隠し事はしないという決意の表れです」
「調子が出てきましたね、この!」
どごすと軽いツッコミを繰り出しつつ、星もまた浴場へ向かう。
「軽くってレベルじゃないんですけど……まぁいいです。いえ、よかったです」
「余計な言い回ししない!」
追加のツッコミを食らわせつつ、星は浴場の戸をあけた。
「おや、遅かったねご主人」
「あれえ」
鉄のパイプから出る湯で体を洗いっこしている魔理沙とナズーリンの姿に、星は目をぱちくりとさせる。
「先にお湯いただいてるよー」
「こら」
「うーん、先を越されていましたねえ」
石造りの湯船でばしゃばしゃを足をばたつかせるぬえと、それを小突く一輪の姿。
「いらっしゃい」
「ちょっと出鼻がくじかれたと思っていますね」
何か仲良く浸かっている白蓮とさとりや、
「はいどうもご迷惑おかけするねー」
謎の機械で床の清掃をしている河童もいた。
雲山は無理。
「だめですよ。二人で先に温泉を堪能しようだなんて。まずあなたはこの命蓮寺の一員であるってことを忘れないでくださいね?」
悪戯っぽくウインクする白蓮に、一本とられたという表情になる。
「うーん、思えば脱衣所で気づくべきでしたか。水蜜以外目に入ってなかった……」
「まぁいいではありませんか。ほら、私たちも洗いっこしましょう」
そうして手を引く水蜜を見て、星はまあいいかという気持ちになった。
命蓮寺あっての二人だった。きっと、最初から最後までそうなのだろう。
それがずっと壊れずにあるのなら、それはきっと、幸せなことだと思うから――
「おっと手が滑りました」
「アウトおおおおおお!」
どごす!
『みなみつ!~合宿編~』――fin
シリーズ区切りとのこと、お疲れ様でした、そしてありがとうございました。
>「ほう、一発ネタじゃなかったのかなどと、失敬な」
ごめんなさい。
むらさむらむら
水蜜は、言葉では色々言いながらも、もう一歩踏み込むことを恐れていたのですね…。
さとり様の後押しで踏み込めた星ちゃんはやはり虎ですね。いいぞもっとy(ry
変わったようで変わらない、でも少しだけ変わった二人の関係。
一応ここが区切りということで、まずはお疲れ様でしたの一言を。
いつかまたこの二人の日常を垣間見ることができると嬉しいです。
\イッチリーン/ フラグですねわかりまs(ピチューン)