「あるがままに」の続きになります
そちらからお読みいただけたら幸いです。
レミリア・スカーレット様へ
私は今、ベッドの上でこの手紙をしたためておりいます。時間は昼を少し回ったところ。先ほどまでお嬢様自身がベッド脇に腰掛けられていたため、そこの部分が丸く平らに皺が伸ばされています。ふと目をそらすと、眼下に美鈴の育てた花々を望む事が出来ます。全てを見下ろしていたいのですが、今私がいる位置からですと、どうやっても全景を目に収めることは出来ません。それでも、窓の大きさに切り取られたお庭の花達は、どれも綺麗に咲き誇っています。
自由の利かなくなった脚を引きずって窓辺に立つと、ずっと向こうに、リンと胸を張ったあの子の姿が見えます。私が叱り飛ばしていた時代はしょっちゅう居眠りをしていたというのに、こうやって一日の大半をベッドですごすようになった途端まじめにするようになるとは、正直嬉しいような悲しいような、複雑な心境です。
お嬢様は今、どんな状況でこの手紙を読んでおられるのでしょうか? もしかしたら誰にも気付かれずに捨てられてるなんて事も、あるのかもしれません。それはそれで、私は構わないと思っております。言葉というのは不思議なものです、心を優しく包み込む鳥の羽になることもあれば、はたまた冷たく切り裂くナイフになることもあります。私の手を離れた言葉達が、どういう形でお嬢様と向き合うか、私自身分かりません。ここに書かれた言葉達がお嬢様の目に留まることが無ければ、その心配も杞憂と終わります。
それでも私はここに言葉を、レミリア・スカーレット様の従者としてすごした日々の気持ちを、書きとめることにします。
話を戻しましょう。お嬢様が今どんな形で読まれているか、というお話です。
私の部屋を片付けた妖精メイドから手渡され、ご自身の部屋で読まれているかもしれません。もしくは何かの気まぐれで私の部屋を訪れ、ふと枕の下を探ったときにそのしなやかなお手に触れたのかもしれません。夜目がきくお嬢様の事です、あたりはすっかり夜の闇に包まれているのではないのでしょうか?
瞼を瞑れば、その情景が浮かんできます。窓から差し込む月の光を斜めに浴び、口を半開きにしながら一字一字を追いかける、その横顔です。お美しい赤い瞳からは、私と同じ透明な涙が流れているのではないかと。
私のために涙を流してくださるなんて、少々自惚れが過ぎていますでしょうか? けれど、私はそうなるのではないかと、結構自信をもっています。だって、もしお嬢様が私よりも先になくなられたら、私は体中の水を全て悲しみに染めて、体の外に吐き出してしまいますもの。
私は、それだけの愛情をお嬢様からいただきました。
感謝を申し上げます。私を、生涯お嬢様のお傍へと置いてくださった事への感謝です。体中の肉が痩せ細り、満足に物さえ食べる事も出来なくなった私を、お嬢様は若い頃と同じように接してくださりました。
こう言うとお嬢様はお怒りになられるかと思いますが、この年になって、ふとあの時お嬢様がかけてくださった言葉が頭に浮かびます。
あの、明けない夜の話です。
お嬢様が私に、同属にならないかと、誘ってくださった、あの言葉。
もしあの言葉そのままに私が吸血鬼となっていましたら、ずっと、それこそ人間の時間に比べたら永遠と言っていいほどの時間を、お嬢様と歩んでいくことが出来るのではないかと。
そう思うたびに、私は一人首を横に振ります。たとえ何度甘い言葉を囁かれたとしても、そのお誘いに乗ることは無いのだろうと。
だって、私は人間ですから。
人として生まれ、人として死ぬ。その時間の中にお嬢様がいて、私がいる。途中でその絶対的なサイクルを変えてしまうと、それまで感じていた時の流れが、取り返しのつかないくらいに変わってしまうような気がしていたのです。
ようは、怖かっただけです。
お嬢様とすごす日々の密度が、薄れていく気がして。
言葉にしてみると、ひどく身勝手で、あやふやな理由です。それでも私は後悔なんてしていません。お嬢様との日々は、私の望み通り満ち足りたものとなりました。お嬢様は、誰かのために生きる喜びを際限なく与えてくれました。何気ない仕草一つ一つに意味があり、その全てがお嬢様へと繋がっていくような感覚です。才気溢れるそのお姿の隣で、静かに佇む事がどれほど誇らしかった事か。
ありきたりな言葉ですが、この気持ちを現すにはこれしかないと思っております。
ありがとう、と。
私の事を忘れてくれとは言いません。けれど、引きずって欲しくもありません。私が何気ない日々の中にお嬢様の生活の息を感じたように、お嬢様もふとした光景――例えば、水気を飛ばすために洗濯物をはたく音とか、ランプの光に反射する銀のテーブルナイフのとか、テラスにかけた日除け傘の下で揺れる紅茶の水面とか――そういうものの中に、在りし日の私の姿を思い浮かべていただけたら、これ以上に幸せな事はありません。
だってそれは、私がこの紅魔館の中で生きていたという、何よりの証拠になるのですもの。
書き始める前は伝えたいことがいくらでもあったはずなのに、こうやって形にしてしまうと、ひどくさっぱりとしたものになってしまいました。ホントにこれでいいのかと、心配になるほどです。
そう遠くない未来、そして恐らくこの手紙を読まれている現在、私は彼岸へと旅立っていることでしょう。魂となった人は、生前の記憶を全て失ってしまうと聞きます。それは残念な事でありますが、正しいことだとも思います。だってもし記憶があるのなら、私はきっとお嬢様の元へ戻るに決まっていますから。それこそ、あの赤毛の死神を三途の川へ突き落としてまでも。
魂となった私が極楽へ運ばれるか地獄へ運ばれるか、それとも冥府へと行き輪廻の輪に入ることになるか、分かりません。すべてはあの口うるさい閻魔サマが決めることです。
けれどできる事なら、私は輪廻の輪に入りたいと思っています。こんどは妖怪とか、妖精とか、人間よりもずっと長い時を生きる者へ生まれ変わりたいと、考えております。ついでに誰からも猜疑の目で見られない豊満な体と、博霊の巫女にだって負けない位の力をもってみたいものです。
そして、またお嬢様の従者として生涯を添い遂げたいと、切に願います。
もう私から伝えたい事はありません。しいて言うならお体を大事にする事と、あと余計なお世話かもしれませんが、よき伴侶を見つけください。お嬢様がお嬢様らしく、この先もずっと元気で暮らされることを草葉の陰から祈っております。
手紙と一緒に銀時計を同封します。
私と思って、なんて傲慢なことは言いません。私がいた証の一つとして、持ってくだされば光栄です。もっともこんな無骨な時計、清楚なお嬢様のお体に似合うとは思えませんが。よければ引き出しの奥にでも入れ、ふとした瞬間に見止めて下されば、とても幸いなことです。
たったこれだけ書くのに、すでに日は傾いてしまいました。空はほんのりと闇が溶け込み、窓の端からは月も見えます。
そういえば、今日は十五夜です。
きっと、丸い月が空に映えることでしょう。
最後にひとつだけ。
美しき満月の夜を名前としていただいた事、心から光栄に思います。
では、失礼します。
十六夜 咲夜
次も楽しみにさせていただきます。
ただ点数で語らん。
死に際って、その人がどう生きたかが表れるよな…と思ってみたり