「……ハア……」
いつでも吐いているため息で、一際四肢の力が抜けてしまう。
立っている気力など毛頭ないから、バラのつたが絡んだ、かといって特に古臭いわけではなく、むしろ錆どころか黒のペンキさえ一切剥がれていない、新品のような鉄製の門扉の前で、だらしなく内股開きの体育座りで座り込んでいた。
後ろの扉を憎らしそうに眺める。
『本日絶対面会謝絶ッ!! 御用があろうがなかろうがとっととお帰り下さい。』
……
本日の予定が鎖に括り付けられていた。
門扉にこのようなモノが掲げられることはとても珍しい。普段は何もかかっていないのだ。
つまり、いつだって面会謝絶なのだ。
ただし、お屋敷の主人が許可を出した者だけは通すように言われている。
それは博麗の巫女だったり、白黒の魔女だったり、人形遣いだったりするのだが、両手で数えられるぐらいしかおらず、人形遣い以外はまともに門を利用するような連中ではない。
それが、今日に限って看板を出すほど徹底した面会謝絶ということは、許可を出された者であっても決して通すな、という意味だろう。
こんなことはいつ以来だったろうか?
確か巷で言うところの紅霧異変のときでさえ、予定が開示されることはなかった。
それだけ異常なことである。
我らが紅きご主人様は今日、いったい何をするつもりなのか?
まぁ、お嬢様の予定なんて門番が考えたって詮無いことだ――、紅魔館のそれであるところの紅美鈴は、もう一つの懸念を思う。
『お嬢様含め、館の主要住民全員が、自分まで締め出している』ことだ。
わざわざ予定を鉄製の看板に焼付けているのは美鈴を、厳戒態勢をとらせることで館に入れないためであることも分かっている。
自分が世話をしている庭の花壇に咲く花々を、できれば今日もかまってやりたかったのに、それはメイド長の十六夜咲夜が代わりにやると言って、美鈴の主張を跳ね除けた。仕方がないので簡単に世話の仕方を説明した後、いつも通りに門番をしている。
『今日は彼女が来る予定なのに……、なんと日の悪いことか。』
気を落ち着かせるために太極拳をしていたが、太陽が十分昇った朝までは続けられなかった。
もうそろそろでその彼女が来る。
身体がだるくとも自分のためというわけではないにしろ、客人に対しては誠意を示さなければならない。故に一度後ろに脚の力だけで跳ね飛んで天地垂直の綺麗な倒立を極め、ニ、三度そのまま腕立て伏せをし、肘を軽く曲げた状態で、腕の力だけで身体全体を跳ね上げた。
腕も脚も伸ばしたまま後方宙返り。
「ほいっ!」
背を反らしながら月のような弧を描き、空中で腹に力を入れて上体を強引に戻す。
音もなく地に足をつけて、特に難しくもないバク転を完成させる。
自分の能力で髪や服に付いた砂や埃を、塵も残さず払い落として、自慢の長くて朱い髪を軽く振って整える。拾い上げた帽子から土ぼこりを払い、かぶり直した。
身形はそれだけ整えれば十分だ。
「はしたないわね。パンツが丸見えだったわよ?」
大きく両サイドにスリットの入った緑の中華服は、激しく動いて翻れば簡単に下着が見えてしまうことがあるが、どうも逆さまに立ったときに真正面の妖怪には見えていたらしい。
いつの間にか、今日始めての来客が自分のすぐ横に来ていた。
「ああ、おはようございます。大丈夫ですよ、今見ていたのはあなただけですから。」
いつもの無表情な笑みを張り付かせた顔が、今は不安や命の危機よりも、平常感を与えてくれていて実に安心した。
「鴉が盗撮に来ていたかもしれないわよ?」
相も変わらずド派手な服を平然と着こなして、
「鴉はこの近くにはいませんよ。それより、今日はパンツルックで来られたんですね、幽香さん?」
花の大妖――風見幽香が愛用の日傘をくるくる、さも上機嫌そうにこちらを見ていた。
「分からないわよ? 明日には新聞の第一面にあなたの破廉恥な画(え)が載っているかもしれないわ。ああ、明日が待ち遠しいわ。」
自分の服装の珍しさを横に置いて、まず明日起こることという不確かな事象について、美鈴を不安にさせようとする物言いは、やはり彼女が偉大なる加害愛好家であることを感じさせる。かといって、それが〝ありえない事象〟であることを美鈴は当然知っている。
「鴉の……いえ、天狗の気配っていうのは妖怪の中でも独特なんですよ。近くにいたらすぐに分かります。ですからカメラを構えて私を撮影できるような場所に彼女達はいません。」
気を自在に操るというのは、永遠亭の妖怪兎の狂気を操る能力と似ている。周りから放たれているありとあらゆる気を感じ、またそれを操作する力だ。
決定的に違うのは、妖怪兎の能力は主に外へ向かうものであるのに対し、美鈴の能力は主に自分自身に向かうものであるということだ。
簡単に言ってしまえば、美鈴の能力は身体強化や自己治癒力の上昇等、自分の手足の延長となる能力なのだ。
そのせいか、妖怪兎のように広範囲を知覚することはできない。
それでも数キロメートル先の気配ぐらいなら、どこの誰がどんな気持ちで何をしているのかぐらい簡単に感じ取ることができた。
この能力を最大限利用して感覚を広げ、息づくもの全ての気を探って、近くにいる妖怪が自分達二人だけであることを認識していた。
「あら残念♪」
幽香は特に残念がってもいない顔で、日が照っているにも関わらず日傘を閉じた。
「……まあ与太話はこれぐらいにして、はいこれ。」
どこから取り出したのか分からないが、小さな袋が差し出された。
「ありがとうございます。いつもすみません。」
笑って、両手で丁寧に受け取る。
上品な手織りの袋は毎回違った色彩を放つ。天然物の絹をキメ細かく織り込み、植物から抽出された染料が使われている――おそらくは彼女しか作れない至高の一品だ。
今回は爽やかな淡い黄緑色をしている。
しかし、花の大妖から袋だけをもらっているわけではない。
その中身が本命だ。
「品種改良に成功したから、今回はそれを持ってきたわ。」
中には、バラの種が入っている。
紅魔館の花壇には様々な花が咲いているが、取り分け多く植えられているのがバラだ。そしてバラの中でも特に多いのは赤いバラである。それらの扱いは特別で、他の花とは別の花壇に植えられている。
品種は様々だが、塀や門に絡まっているつるバラはツルクリムソングローリ、花壇にはロイヤル・スカーレット・ハイブリッドとロサ・ルゴサ・スカーレットが最も多い。他にレッドクィーン等もあり、ほとんどが赤い花をつけている。
紅魔館の主である吸血鬼、レミリア・スカーレットとその実妹であるフランドール・スカーレットの二人――紅魔の姉妹を象徴し、称えるための花だ。
今日もらった種も、あらかじめ頼んでおいた赤いバラのものである。
「へぇ~、すごいですねぇ! 名前は何と言うんですか?」
幻想郷で植物の品種改良ができるのは、それらを自在に操れる幽香しかいない。実際、紅魔館の庭園に植えられているほぼ全ての花々は幽香から分けてもらっている。
花が咲いた時点で時を止め、半永久的に咲かせ続けようと咲夜は提言したが、レミリアが『花は散るから美しい』と言ったことで、庭の花は美鈴が担当することになった。とはいえ、花の気を弄って長持ちするようにはしているのだが。
何はともあれ、庭園管理を任されていることもあり、こちらに来てからは幽香との付き合いを大切にしている。
「そうねぇ……。まだ決めてないのだけれど、ここのために作ったようなものだし……」
少しだけ館を眺めながら考えて、幽香は美鈴に視線を戻す。笑顔に変わりはないが、無表情ではなくなっているような気がした。
「あなたが決めていいわよ?」
そう言われると美鈴は困った表情になる。
「う~ん、そうなると私の一存では何とも……。お嬢様にお伺いを立てないことには決められませんねぇ。」
以前から育てているバラは、元々外の世界に在ったものらしく、名前もとっくに決められている。しかし今美鈴が手にしているのは、この幻想郷オリジナルの品種といってもいい代物だ。しかもこの館の――延いては姉妹のために改良されたバラとあっては、只の門番がその名前を決めていいはずがない。
図書館以外の、館の全てのものは、主人のレミリアに帰属する。
だが今日一日は伺いを立てることさえできない。
「ああそうでしたそうでした。言い忘れていて申し訳ありませんが、本日お屋敷のほうが立て込んでおりまして、敷地内へお入りいただくことができません。何人たりともお通しできませんので、重ねて申し訳ありません。」
ここまで畏まって言わなくとも幽香なら分かってくれるのだが、一応社交辞令として恭しく頭を下げた。
いつもだったら庭園を一通り回ってもらい、花の状態を小まめに見てもらっていることもあって、その分も含めての謝罪だ。
「そうなの? お庭の状態も確認したかったのだけれど……仕方ないわ、お家の事情ではね……。でもね、バラの名前はあなたに決めてほしいの。花を大事してくれるのなんて、私以外ではあなたぐらいだもの。」
当然美鈴は困惑した。
花絡みでこの妖怪が他人に譲ることがあるなんて、今まであった例がない。何か悪いものでも食べたのかと訊こうと思ったが、おそらくそんなことを口にしたら次の瞬間には首をへし折られているだろう。
そんな程度では死なないのだが、死ぬほど痛いのは分かりきっている。
だからそのことには触れないことにした。
「本当に……、私が決めてしまっていいのでしょうか?」
「ええ、どうぞ?」
「そんなにひねった名前思いつきませんけど……?」
「構わないわ。」
幽香に対してある種の恐怖を感じながら、自分でそんなに良くはないと思っている頭で思い浮かべてみる。
と、その花を連想しようとして、できないことに気付いた。咲いたところを見たことがないから、そもそも名前を付けるには、赤いバラというだけでは情報が少な過ぎる。
「あのぉ、どんなバラが咲くんですかねぇ? 咲いたところを見ないと名前の付けようが……」
「あぁ、そうだったわね。」
袋から種を一粒、幽香に手渡す。
受け取った幽香は掌をそのままに、土に植える動作もとらない。自然に咲くのを待っているだけとでもいうようにただじっとして、もう少しで昼食時に至る太陽に黙ってかざしている。
あっという間ではなかった。
だがしばらく待つ必要もなかった。
土も水もなしに、種からゆっくり――若々しい緑が芽吹いた。
土の付いていないきれいな根が、穢れを知らぬ清楚な指の間や掌を滑るように伸びていく。蕾は徐々に大きくなりながら茎と共に身を伸ばす。
深い緑が日を孕んで放ち、自身を眩しく、網膜を魅せる。
遅れて、バラの美しさを際立たせる棘が主張し、後は花開くを待つばかりとなる。
やがて……、先端が開放され、
麗しき紅は翼を広げる。
それは煌々しき真紅。
それは神々しき深紅。
「……」
思わず……、美鈴は見惚れてしまった。
今までに自分が見てきた赤いバラのイメージが残らず塗り替えられるほどの、この世にもあの世にも存在しない、神域深淵の紅。
惑乱という魔さえ感じさせるバラだった。
「どうしたの? そんなに見惚れて……」
「えっ!? あいやそのぉ……」
言葉を掛けられるまで意識を外すことができなかったこの花に、はたして自分が名前など付けていいのだろうか?
その行為をおこがましく感じてしまう。
「本当に付けなくてはいけませんか?」
しつこく思われそうだが、それでももう一度訊かざるを得なかった。
名前を付けてしまえば、この花の美しさが失われてしまいそうだと思ったのだ。
「名前がなければ存在が定着しないわ。それではせっかく生まれてきたのに、意味のない子になってしまう。幻想郷の中で幻想にされたら、この子は咲けないの。」
そう言われて思い直す。
幻想郷とは、外の世界から忘れ去られたものの行き着く最後の拠りどころなのだ。そこで名前がないものは、外界の名前あるものに淘汰される。名前というものは個を表す記号だけでなく、意味であり存在だ。
スペルカードルールとて同じこと。名を付け、宣言することでカードは意味と方向性を持ち、その名に合った力を外へ放出する。そうしなければ技が発動しないのだ。
このバラも、名前を付けなければ存在が保てず、簡単に消えていってしまう。
それは避けるべきだ。
咲く場所を作ってやらなければ、花がかわいそうだ。
「……つまらないことを訊いて申し訳ありませんでした。」
「謝り過ぎよ。それよりも……」
一歩前へ進んだ幽香と、伴って一際鮮明に覚めるバラは、美という像を一層結ぶ。
花を手にしているときの幽香はとても楽しそうだと思った。
彼女の笑顔は変わりなくとも、付き合いが長ければ長いほどその違いに気付く。
おそらく幽香は、この幻想郷に在ってから今まで一度もしたことのなかった試みをしていることに、内心戸惑っている。しかし同時に新鮮な経験として興味深く観察している。
美鈴の名付ける存在へ、思いを馳せているように見える。
いったいいつからそんなに人間臭くなったのか。
結局、考えたところで誰もが納得しそうないい名前は思いつかなかった。
「リィ……、リィシェンホンって、どうでしょう?」
「? 何となく人の名前っぽい発音ね。どうにも分かりづらいわ。」
外に居たときの母国語で言ったため、意味が伝わらなかったようだ。どうもこういう事態には以前の慣習が戻ってきてしまうらしい。
分かりやすかろう漢字の読みで言い直す。
「『麗しき女神の紅』と書いて、麗神紅(れいしんこう)と読みます。」
「ひねりも何もない、直線的な名前ねぇ。」
「ハハハっ、やっぱり駄目ですか?」
笑いながら訊ねる。
自分ではこれが限界だ。咲夜あたりならもっと上品で洒落な名前を思いつきそうだが、館の中で何をしているのか、買い物に出る気配も、後ろからナイフを投げてくる気配もない。
別の名前を考えていると、幽香は問いに対して首を横に振った。
「そんなことはないわ。変に回りくどい名前よりよっぽどマシよ。」
幽香は花を、時間を逆行させたように種まで退化させて、美鈴が開いたまま持っていた袋の中へ丁寧に戻した。
「これからその種は、あなたが付けた名前の通りに育ち、花を付けるわ。」
日傘を館の塀に立て掛けて、あり得ないほどにこやかな顔が言う。
ここまで裏のない顔をされると薄気味悪く感じてしまう。
やっぱり今日の幽香はどこか変だ。
詮索はしないけれども……
「名付け親になったのだから、しっかり育てなさい。次着たときに咲いているところを見せてもらうから……」
「あっ、はい! 任せてくださいっ!」
またいつか――という何ともはっきりしない約束をして、幽香は右腕の肘を左腕を曲げたところに挟んで、腰をテンポよく捻ったり戻したりをし始めた。
何をしているのだろう?
自信たっぷりに返事をした直後に不安たっぷりになる。
あれはどう見ても運動をする前の軽い準備体操だ。
「あ、ええっと、な何を、されてるんですか?」
恐る恐る伺ってみる。
何となく、悪い予感も簡単に裏切られる斜め上の何かを感じた。
「何って……」
右腕と左腕を交替させてまた腰を捻ったり戻したりしながら、これからやることに好奇心を沸かせている様子。
いつにもなく尋常ではない。
「あなたが朝やってる……、あれって何て名前だったかしら?」
「なっ、なな何ですかねぇ、それは……」
「あっそうそう、ゆるゆる動くあの体操のような……」
「……太極拳……ですか……?」
「そうそれね。それを教えてもらおうと思って……?」
美鈴は思い切り塀に背中を打ちつけるのも構わず、素早く幽香の傍から遠退いた。
「? 何その、今世最大の冗談を聞いたような驚いた顔は……」
まさにそれだ。
今世最大の冗談だと思った。
本能的に跳び退って、理解するまで数秒の間を要した。
『夢なら覚めて……』とは誰の言葉だったか……
「あ、あのぅ……」
こればかりは真偽を確かめねばならないと直感せざるを得なかった。
「何で、太極拳をしようと……?」
「ん~、特にこれといって理由はないのだけれど、強いて言うなら新鮮な刺激が欲しかった――というぐらいねぇ。」
寿命の概念を持たない妖怪という種にとって、刺激は定期的になくてはならないものだ。だからこそ突拍子もないことを言い、突如として動く。
永遠かもしれないその生は暇潰しの連続だ。太極拳をやることもそれかもしれないが、さていったい何が起きているのか。
……
とりあえず、考えるのはやめた。
彼女がなぜやりたくなったのかなんて理由はどうでもいい。
今までは一人でやっていた。
だから、
単純に一緒にやってくれる者がいるのが嬉しかった。
「……Shall we dance?」
幽香が洒落た言葉で誘い、右掌を上にして差し伸べる。
美鈴は失礼のないように帽子をとり、種の入った袋と一緒に門の侵入者妨害用の鏃形に尖った頂上に丁寧に引っ掛けて、
「いやぁははは、社交ダンスじゃないんですが……」
帽子はアーチ状の門の中心、最も背の高い鏃に軽く引っ掛かって、『龍』と書かれた金の星を輝かせた。
端を摘み上げられない中華服のスカートを少し恨めしく思いながら、膝を軽く曲げ、身体全体でお辞儀の姿勢をとる。
左手を差し出して右手に軽く触れさせる。
「……よろこんで……」
にこやかに答える。
応じたほうがリードして、
ゆったりゆっくり――ひと時を……
☆龍☆
昼頃まで幽香と太極拳をした後、また門番としての職務に戻った。
戻りながら、昼食をとることにした。
美鈴は朝昼晩の食事を自分一人で作っている。レミリアとフランドールは主に夜に向かう黄昏時から、朝へ向かう黄昏時にかけてが活動時間で、昼夜が逆転している。そのためメイド長である咲夜は、いつ寝ているのか分からないほど長時間働き詰めでいる。
そんな咲夜に自分の世話まで押し付けてはいけないと考え、自分の分は食事はもちろん洗濯から守衛室(夜に美鈴が詰めている部屋で、自室でもある)の掃除まで、全て一人でしている。
時には咲夜達の食事の分も余計に作り、家事の負担を和らげてもいた。
今日作ったのは春巻と、サルマーレとかいうどこか外の国の料理だ。春巻の作り方はもともと知っていたから簡単だった。もう一つは紅魔館内にある図書館で見つけた料理本に書かれていたのを初めてながら試してみたものである。
その料理本は何が書いてあるのかさっぱりだった。写真があったからそれが料理の本であることが辛うじてわかったものの、肝心の作り方については文字が全く読めなかった。どうしてもその内の一つを作りたくなり、図書館の主にしてレミリアの親友である魔法使い、パチュリー・ノーレッジに翻訳してもらい、一発本番で作ったのだ。
もちろん味見なんてしてはいない。
これからするのだ。
弁当箱はいつも、雨風に晒され続けて所々がデコボコに風化した石造りの塀の、下のほうにある唯一レンガ造りになっているブロックを外した奥に保管しておいてある。赤土で作られたような典型的なものではなく、飽くまで石造りの部分と見分けがつかないようにカムフラージュされている。
自分にだけ分かるように、レミリアに頼んで付け替えてもらった。
そのレンガを外すといつもの赤い弁当箱が……
「なっ……!?」
なかった。
跡形もなかった。
どうなっているのか一瞬分からなかった。
丹精込めた、自分の中に納まるべきものが、どこにも見当たらない。
見当たらないとはいうものの、そもそも弁当箱とレンガをはめれば、開いた空洞は完全に埋まるようになっているから、探す必要性がない。それでも中に手を入れて全くないことを改めて確認しなければ、自分の気が治まらなかった。
しかし一度落胆はすれども、昼食を諦める気はない。
あの程度で姿を隠せているとでも思っているのか。
誰が盗ったのかぐらい、その居場所諸共バレバレだ。
――ということで、
自分が嘆き悲しんでいると思って面白がっている盗人に背中を向けたまま、
その場から瞬間移動の如く掻き消えた。
予備動作も何もない、瞬きの間さえ与えない。
地上を走るのは半人半霊が最も速いと言われているけれども、美鈴は本来それ以上の速さで動くことができる。それどころか全身体能力を普通の人間より少し上ぐらいにした状態で抑えており、能力までも抑制している。
そのせいでいつも巫女やら妖怪やらに哀れな目で見られていた。
わざとそうしていることを、おそらく主人のレミリアしか知らないだろう。
――何故そうしているのか?
理由は簡単だ。下手に本気で警護しようものなら、一瞬で館が半壊するからだ。またそうでもしなければ、人間ぐらい指先一つで昇天させてしまいかねないからでもある。
まあ他にも理由はあるのだが、先に盗人を捕まえるとしよう。
十中八九弁当を盗んだ犯人は、自分が消滅していることに驚いているはず。
その意表をつく。
別にスキマ妖怪なんかのような、規格外な力を使ったわけではない。
ただ……後ろに跳んだだけだ。
たったそれだけで、門を見るには見晴らしのいい木に座っている、姿が見えない犯人達の背後へ回り込み、左脚一本で無音の制止。連中の座っている枝まで大体身長の三倍だが、片脚のバネだけで十分だ。身体能力の制限を少し外す程度でいい。気を練って脚力を増強する必要もない。
翼なき飛翔。
軽々とその太い枝まで自身の高さを合わせると、今度は大気を蹴って地面と平行に空中を走る。
左の手で虚空を掴む。
本来ならそんなところを掴んだところで空を切るだけだが、今そこはただの虚空ではない。
眼に映らない者が三人ほどいるのだ。
幻想郷だろうと外界だろうと、眼に映らないものが全て幻とは限らず、逆に眼に映るものが全て真実とも限らない。それは境界のようにあやふやで、光のようにおぼろげだ。
だから、目の前に姿がなくとも、躊躇う道理はない。
枝から動かないどんくさい三人の内、最も端にいた一人の後頭部を左手で鷲掴む。
柔らかい髪と肌の感触が手の形に窪む。捉えられた。
勢い殺さず、地面に着地と同時に、掴んだ頭を頑丈な塀に押し付けた。
「痛い痛いいたいイタイいたいっ!!」
相当の手加減は加えている。
本気で掴めば妖精の頭ぐらい鶏の卵程度の硬度しか持たない。実際に二百年ほど前、館に侵入しようとした妖精の頭を間違えて握り潰してしまったことがあり、館のメイド連中(全員妖精)からこっ酷く怒られたのを反省し、そのせいもあって膂力を抑えなければ満足に仕事もできないようになっていた。かといって、今回の犯行を逃がしては意味がないから制限した範囲内でできる限りの利き手と逆の片手アイアンクローを極めているのだ。
「私のお弁当、返していただけませんか? えぇっとぉ……」
顔は憶えているが、名前が思い出せない。
さてどんな名前だったか? 知っている名前を頭の中で列挙していると、捕まった当の泥棒は手始めに自分から名乗りを挙げた。
「スターっ! スター・サファイアですっ!」
俗に三月精と呼ばれている、ほぼいつも三人一組で魔法の森に出没する妖精トリオの内、比較的知識人然としたスターは、まさか自分が捕まえられるとは思っていなかったようで、こちらを化け物を見るような眼で見つめていた。
そういう眼には昔から慣れているから、特に気にせず後ろを振り向いた。
そこにはやっぱり残りの二人、サニー・ミルクとルナ・チャイルドが固まっていた。いとも簡単に見つかったことに動揺しているらしく、サニーは光を屈折させることを忘れ、ルナは音を消すことを忘れている。
まあ今更姿を隠したところで全く意味がないのだが……
その中で弁当箱を持っている一人を見つけた。
「サニーさぁん、その弁当を返していただけませんか?」
ここでまた怯えさせても面倒になるだけだから、とりあえずにっこり笑って、右手を差し伸べ、掌を上に手首だけを、スナップを利かせて上下に振る。
どうひいき目に見ても『かかってこい』的な仕草だ。
二人はさらに恐れおののいて石像になった。
「あぁ~、どうすれば返してくれますかねぇ?」
振り返ってスターに訊いてみるも、こっちも固まっている。
まともに話が出来るのはおそらく彼女だけだろう。手を離して開放する。
「ケホッ、こほっ……、返しますっ、返しますから、殺さないで下さい!」
「いやいや、殺しはしませんから返して下さい。返していただくだけで結構ですから。」
……
スターが固まったままのサニーから弁当箱を剥ぎ取って、両手の中に納めたことで、やっと美鈴は安心した。
「はぁ~よかったぁ。私のお弁当~♪」
弁当箱に頬擦りして、その存在を確かめる。
「「「すいませんでしたぁっ!!」」」
三月精は声をそろえて全力で謝った。余程自分の顔が怖かったのだろうか? そんな凄んだつもりはなかったのだが……
「もういいですからそれは。今後はこんなことしないで下さいよ?」
厳重注意だけで帰すことにした。三人とも深く反省しているようだからこれ以上追求しないことにしたのだ。
とにかく栄養補給できるのが弁当しかないから、戻ってきてよかった。
「そっそれじゃあ、私達はこれで……」
用はなくなったので、そそくさと帰ろうとする三妖精を放っておいて弁当箱を急いで開ける。お腹が減り過ぎて倒れそうだったのだ。
心なしか、三月精がビクッとはねた気がした。
「さぁ~て早速食べましょうか。私の――」
中にはサルマーレと春巻が美鈴を待っている。
早く食べたくてうずうずしていた。
「お~べ~ん~と~お~――、……ぉ?」
夢でも見ているのか? どうも弁当箱にギュウギュウに詰め込んだはずの料理が、春巻三分の一を残してきれいさっぱりなくなっていた。
ああ、だからあの三人組逃げたんだなぁ。
「……わぁーたぁーしぃーのおぉぉ……」
弁当箱を塀の上に上げると、前方の湖上空を飛んでいる三月精に向き直って半身を捻る。殺さない程度の手加減はして、尚且つそのギリギリの力を込め、拳を思い切り握って引き絞る。力の込め過ぎで腕全体が震えているが、そこへさらに、幻想郷ではおそらく自分だけが感じ取れる龍脈の気を吸い上げた。
伴って地どころか、湖から館から鳴動して震え上がる。
周りにいる獣も虫も、その異様な気の大流と乱れと集約を感じ取って、ついていけずに即座に気絶していく。
その気を残らず右拳に集めて、
「ぉぉおおおおゔぇええええんんんんんんとおおおおおおおおおおおおおっ!!」
全身全霊全力全壊、九歩手前ちょっぴり手加減……
大鵬拳(真空突き弾幕型)。
拳から撃ち放たれた気の大砲は、土も草も抉って塵にし、触れた木々をへし折って、巻き込んでまた塵に変える。
一直線に突き進むそれは、
見るも眩しい、虹の色。
螺旋を描く極彩は、周りの色さえ染め潰して、徐々に大きくなりながら、
美鈴の怒りが泥棒を猛追していった。
☆光☆
出せる限りの全力を出して、サニーもルナもスターも逃げていた。
「いくら美味しそうだったからって、つまみ食いはダメだって! ルナ!」
「美味しそうだったじゃなくて“美味しかった”よ? ていうか釣られて食べてたサニーだって同罪じゃない!?」
「頭変形してないかしら? すっごく痛かったぁ。」
「「スター、今関係ない話は後でしなさい!」」
「関係大ありよ!! 私はつまみ食いしてないのにどうしてこんな目にあうのよ!?」
口喧嘩を続けながら、スターは嫌な予感と嫌な事実を感じた。
スターは、生きとし生ける者、その中でも動いている者を探知する能力を持っている。それが如実に伝えてくるのは、さっきまで動いていた者が一切感知できなくなったことと、馬鹿でかい気配がこちらに向かって猛進してきている気がすることだ。
一応この三人の中では頭が働くほうであるスターは、恐ろしいほど冷えた空気と周辺情報を加味して、命の危機を直感した。
と思ったが、何もかも遅過ぎた。
「あっ……」
スターは、すでに目の前に広がっていた極彩に目を奪われた。
「「へっ?」」
その声に振り返って気付き、息をするのも忘れて蒼白になるサニーとルナ。
もう、避けられない。
「「「ひぃぃぃぃぃぃぃいいいいいっ!!?」」」
その直後、三月精がいったいどんな目にあったのか?
――語るまでもないだろう。
☆咲☆
「お嬢様っ! 大丈夫でしたかっ!?」
珍しく地震が起きたことに驚いて、一も二もなく主人のレミリアの寝室に駆け込んだのは、紅魔館のメイド長、十六夜咲夜だ。
地震とはいっても規模が小さく、館のどんな小物でもそんな程度では微動だにしないのだが、主人の安否は自分より優先させるべき事項である。
するだけ無駄という選択肢はない。小物さえ動かないというのに、館の主人の吸血鬼がベッドから動くはずもなく、死体のように日没までは眠り続けることが多いため、日常の一コマ以外の何ものでもないのだけれども、自身が従者でなかったとしても彼女に会ってさえいればそうしていただろう。
レミリアは起きた気配も、起きる気配もなく、ただ熟睡している。
日が妖怪の山に落ちるまでは、咲夜が大声を上げたところで起きそうにない。
別に日中でも普通に起きて活動することはたまにあるから、果たして今日はいつ起きるのかははっきりしないのだが。
紅霧異変の後になってようやく自由の身になったフランドールも、起きていたとしても地震程度で怯むような細い神経をしていない。
小さくため息を吐いて静かに扉を閉めた。
ふと疑問に思う。
『さっきの地震……、妙に感じ慣れた気配がしたけど、何だったのかしら?』
変な感覚に悩まされながらも、一先ず脇に置いておいて、レミリアが起きるまでにしておくべき家事と、後もう一つを片付けに戻る咲夜だった。
☆龍☆
「……あ~う~……」
春巻三分の一個で誰が満腹になろうか。少なくとも美鈴は全く満たされなかった。
石塀に背中を預け、脚を投げ出してだらしなく燃え尽きていた。
余計な力を使ったせいで一層空腹に拍車が掛かっている。
「せっかく作ったのにぃ……せっかく作ったのにぃ……」
哀れな妖怪に、平等にも非情に照りつける太陽が傾き始めて少し経った昼のこと。
初めて作った料理を奪われて意気阻喪する以外にやることがない。
一応水筒に入れて持ってきた中国茶(香霖堂の掘り出し物)を飲んだのだが、どんな味だったかいまいち思い出せないでいた。
侵入者探知用に張っていた半球状の気の膜も、無気力のせいで敷地内の花壇の一部までしか囲めていない。
いつもだったら昼時には惰眠を貪るのが常だ。
というのは冗談で、
仁王立ちのまま昼寝している振りをして精神統一を図り、索敵後瞬時に迎撃へ向かえるように、一種の待機状態を作っているのだ。また、それを見て油断して出てきた野良妖怪や雑魚妖怪なんかを叩き潰すためにもそうしている。
が、今は単純に寝たいと思っていた。
そしてふと、何も考えずに空を仰いだ。
そこに映ったのは、何の変哲もない青空と、何物にも囚われずに優雅に泳ぐ白い雲と、いつもだったら見逃していたあるモノが飛んでいた。
よりにもよって今日〝も〟来てしまった。
箒で空を飛んでいる白黒といえば、幻想郷ではほぼ十割の確立で霧雨魔理沙に違いない。
門から堂々と入らないことが日常茶飯事な娘で、パチュリーが許可を出しているから普段は無視するようにしているのだが、職務を全うするにはその普段の感覚を切らねばならない。
腹の虫さえ疲れて鳴かぬ気だるい身体を押して立ち上がると、掛け直しておいた制限をさっきよりさらに外す。
気を練るというのは相当の労力を要するため、緩急を付けて普段から溜め込んでおかないと、その場その場で急ごしらえをするにはさらに余計な労力を費やしてしまう。
だから――、
気を一切使わず、軽く屈んだ動作の後、直径一メートルの浅い窪みを残して……
消えた。
☆星☆
窓から入って窓から出る。
紅魔館における魔理沙の日課はそれから始まり、そして終わる。
門番がいるのは当然知っているが、特に何もしてこないから上空にいる奴にはあまり手出しできないのだろうと、そう判断していた。
「さってとぉ、今日もいいのを仕入れるかなぁ♪」
行く場所はもちろん図書館。やることは、本を読む・パチュリーと駄弁る・本を(死ぬまで)借りるのどれかだ。
たまに全部やることもあるが、日が傾き始めて夕方へ近づいている頃ではできることが限られてくる。主人が起きると面倒だからだ。よって今日は〝借りる〟だけにした。
久々に、立ったまま寝るという器用な妖怪を拝もうと下を見た。
日常的に無視を決め込んでいるのだが、どうして今日はそう思ったのか。
とはいえ、門の前にいるはずの中国妖怪が見当たらない。
日没までは何があろうと門を離れないはずの下っ端妖怪(簡単に倒せた相手をそう言うときがある)が、昼間から仕事をほったらかしているではないか。
「どなたをお探しですか、魔理沙さん?」
「いやぁお昼寝門番を誰にも知られず冷やかそうと思っ……て……」
「へぇ~、そうですか。――でも残念でしたね? あなたのせいでお昼寝はできなかったようです。」
驚愕に顔を引きつらせながら恐る恐る前を見た。
箒の先端につま先立ちをして、件の門番が腕組みをしていた。
「うおわっ!!?」
今まで驚くことはたくさんあったが、箒で美鈴と空を飛んだのは初めてだ。
驚き過ぎて操作を誤り、中空へ放り出されそうになるも、何とか天地反転したところで持ち堪えることができた。大事な帽子はしっかり押さえている。半回転しているのだから門番は今頃落っこちているはずだろう。
と思ったら、
「そんなに驚かないで下さいよぉ。落ちたら危ないじゃないですか。」
逆さまの状態で直立していた。
「きょっ今日はどういう風の吹き回しだぜ、中国?」
「何度も言うように、私は中国ではなく紅美鈴という名前がありますからきちんとそう呼んで下さいよ。」
「まままずスカート押さえたらどうだぜ?」
美鈴のスカートは身体が逆さまなせいで思いっきり捲りあがり、純白の紐パンを魔理沙の目の前に晒していた。
逆にダブルスリットのスカートは裏返っているため、顔をきれいに隠していた。
まさに頭隠して尻?隠さずだ。
「そんなことはどうでもいいんですよ。」
何だそんなことかとうんざり顔で一蹴された。顔は見えないのだが。
何で恥らわないのかわけが分からない。
「気にしないのはどうかと思うぜ?」
その忠告を無視して、美鈴は魔理沙に構った理由を社交辞令として思い出したように言った。
「えぇっと、本日紅魔館は立て込んでおりまして、何人たりともお通しすること罷り成りません。――というわけでとっととお帰り下さい。」
羞恥の欠片もない姿で言われても全く説得力がない。
それに……、
「無理矢理にでも押し通るって言ったら……、どうするんだ?」
笑いながら挑発した。
美鈴が魔理沙に挑んだのは、紅霧異変の時以外では一度たりともないのだ。おそらく今日に限って、どうしても入られたくない用事があるのだろう。その用事とやらを見てみたいと思う。と同時に、妖怪としてなら普通なのかもしれないが、空を飛んでいる細い竹箒の柄の先端に直立不動してみせた美鈴が、以前戦った時とどう違うのか。
そこに興味を惹かれたのだ。
門番が今日だけは全力で止めにくる。
下っ端妖怪がどれだけ頑張れるのか。
一つもんでやろうと思ったのだ。
「それでは……、仕方ありませんから、今出せる本気であなたを倒すとしましょうか。」
いきなり、美鈴は自分だけ箒の柄を軸に半回転した。
「はぁっ!?」
さっきまでどうやって逆さまに立っていたのかさえ不可解だったというのに、今度は予備動作なしで頭が天を向いている。
双方互いを見下ろした状態で目が合った。
美鈴の目を見て、それだけで直感した。
異変の時、門番が全く全力を出していなかったことを……
今でさえ、勝てる気が露ほどもしないのに、完全には全力を出す気がないことを……
風を含んだ朱い長髪と、両側を対称に結った三つ編みは、炎のように苛烈に、花のように可憐に靡く。
そしてその眼光が語るのは――まさに荒ぶる龍。
白い部分は反転して黒に、
角膜は人間のそれから激変して縦に細長く、
虹彩は冷たくも温もりある、輝く黄金色。
間違いなく、あの時見せなかった紅魔の門番、紅美鈴本気の姿だった。
こちらから申し込んでしまった以上、今更後には引けないが、
『……喧嘩売る相手間違えたかなぁ……?』
後に来るはずの後悔が先に来たような気がして、苦笑いの顔がさらに引き攣った。
本能を剥き出しにした美鈴は、凄絶に嗤う。
「さて……、龍の鱗に触れられるのは、どなたですか?」
☆龍星☆
と凄んで言ったものの、正直あまり気も体力も使いたくなかった。
昼飯を食べ損ねているから、殊更動きたくもない。
だが館に住む以上は、自身の義務を果たさなければならない。
幸い溜め込んでいる気の量は、魔理沙をあしらうぐらいなら十分残っている。
故に、短期決戦を挑む。
今度は脚に力を込める。
本来だったら、ただ間合いにいる相手を怯ませるか、直上へ少し浮かせて連撃を叩き込む足掛かりにする型の一部なのだが、制限を解いた妖怪としての一撃はそんな程度で済まされるものではない。
徐に上げられた左脚に言い知れない恐怖を感じる。
高空を駆ける箒の柄という明らかに細過ぎる足場で、片脚立ちをするその神がかったバランス感覚も相俟って、恐怖はさらに加速する。
『おいおい、なんだよそりゃあ……』
戦斧の如く振り下ろされる脚。
『――乗ったままかよっ!?』
「やばっ!」
気付いて箒を美鈴から遠ざけようとしたが、振り下ろされる動作を見てから動いたところで間に合うはずがない。
黄 震 脚っ!!
黄色どころか金色の波動を放つ、鍛え抜かれても線美を失わぬ滑らかな脚が、
僅かな足場を打ち抜いた。
箒が折れなかったのが奇跡以外の何ものでもない。
ないが、放たれた気の塊は黄金の柱を成し、落ちないために箒をしっかり掴んでいた魔理沙は当然のように巻き込まれた。
「ぐっ、ああああああああああああっ!!?」
箒ごと下へ踏み落とされた。
コントロールできずにきりもみしながら、始めにいた高度と地表の半分ぐらいまで墜落させられた。ついでに紅魔館までの距離がかなり離される。
持ち堪えて箒を制止させることに成功した。吹っ飛ばされた時に箒からも落とされそうになったものの、片腕だけで無理矢理しがみついて事なきを得た。
実際に踏み込みを受けたのが箒だったことがよかった。一応箒にはパチュリー仕込の硬化魔法が施されており、そう簡単には折れないようにしてあったのだ。何とか衝撃を和らげることができたが、それでもその一撃で箒が悲鳴を上げている。
それだけの攻撃が身体のほうに影響しないはずもない。
全身の骨が軋みを上げ、皮膚のところどころに歪な切り傷ができている。
帽子を押さえていた手を離し、特に響いた左脇腹あたりを押さえる。
「――グッ、……クソッ……!」
感触から肋骨が二本ほど折れていると判断した。
「ホントに……ハァ……、喧嘩売らなきゃよかった……」
だがこれで本当に足場を失った美鈴は死なないまでも、地面で対空戦を強いられるはずだ。
今度はこちらの番だ。
少し裂けたスカートの内側、ドロワーズの表面に強引に縫い付けたポケットから数本のガラスの小瓶を、指の間に挟んで抜き取る。
ただの人間が魔法を扱うには、外部に魔法の元となる燃料を所持していなければならない。人間であっても幻想郷においては内部で魔力を生成することができるのだが、それを魔法へ昇華させるには絶対量が足りない。そのため魔法使いと呼ばれる、魔法を使える種族へ転身することでかさばる物を用いずに行使できるようにする者がいる。
しかし魔理沙は人間であるが故に、幻想郷特産の化け物茸から外部燃料を抽出して持ち歩いている。
取り出したのは、何の変哲もない爆薬。
少し衝撃を加えることでお手軽に起爆させられる、スカートの中に仕込んでおくには物騒極まりない魔法の元だ。
それをぶつける相手を探そうと下を見た。
選択肢は二つ。
一つはまだ落下の最中。最も好ましい状況だ。着地に合わせて落とせば当たる確率が最も高い。
二つ目は開けた場所に着地している状況だ。十中八九爆薬を落としても避けられるが、そういう場所はあまりないため探す手間が省ける上に、空中で起爆させれば視界を塞ぐことも容易だからだ。
森の中に落ちたという選択肢もあるが、双方とも視界が狭まるため美鈴もそこは避けるはずだ。
それだけ考えて的を絞って美鈴を探したのに、どうにもこうにも見つからない。箒を一周させて見れる限りを見渡したのにそれでもどこにもいないのだ。
そして、全く予想だにしなかった選択肢があったことに、直後に否応なく気付かされる羽目になる。
「一発で墜ちて下さればこちらも余計な労力を使わずに済んだんですが……、意外としぶといですね?」
よもや、また箒の柄に着地していようとは思わなかった。
柄の先端を足場として、小さく屈んでこちらを見下ろしてくる金色の龍の眼。
普段は人間臭いのに、妖怪はどうしようもなく妖怪だった。
「……私はお前が落ちると思ってたぜ?」
「あなたの箒のおかげで落ちずに済んでます。」
苦笑いで嫌味を言ったが、ごく普通に返された。
だが、話すだけの余地があると思わせるのには成功した。
「だったら、これはどうだっ!」
「!?」
箒を操って九〇度回転させた。
これで美鈴の足場はなくなった。
「知ってたか? お前の足場は私が支配してたんだぜ!」
そしてダメ押しとばかりに、予め引き抜いておいた爆薬の小瓶を三つ、同時に放り投げた。三つが一塊にならないような絶妙の投擲。当てずっぽうでこんなにきれいにバラけたのは久しぶりだ。
間髪入れない攻撃に、美鈴は咄嗟に手を出さざるを得なかった。
一気に距離を離す。
有効範囲の及ばないところで、一つの炸裂音が耳を劈く。
何で一つだったのか?
まあ美鈴の近くで爆発したからよしとしよう。
「ぃっつつ~……」
折れた肋骨に耐えながら体制を立て直して、今度ばかりは二の轍を踏まないように全周囲を警戒する。下手に下や上に行くと却って見つからなくなってしまうから、なるべく高度はそのままにして天も地も関係なく見渡す。
爆発のせいでどこに行ったのかわからなくなって、見つけるにはかなり難儀すると思っていた。
緑色の光が網膜をよぎり、それに合わせて首ごと動かして直視した。
美鈴だ。
さすがにあの程度で痛手を負わせられるとは考えてなかったが、それにしてもその躍動には傷を負ったような感じを全く受けない。
そこに呆れて、意外と早く見つかったことに安心すると共に、自分の目を疑った。
八雲紫や竜宮の使いの永江衣玖に聞いたことのある、翼を持たぬ龍神様は、その尾を大気に打ちつけ全身をうねらせながら裂空を馳せるという。
こんなところでその、龍神様に遭遇するとは思わなかったのだ。
いや、実際には全然違う。
紛れもなく飽くまで美鈴だ。
だが――、そんな彼女が空を飛んでいたとしたら……、
誰だって龍神様の尾だと言うのではないか?
「……おいおい、冗談だろ……?」
縦横無尽な天衣無縫は万有引力を無視しながらゆっくりと、その実風の如く速く優雅に距離を詰めてきていた。
やがてある一点で止まって、まるでそこに壁でもあるように限界まで膝を曲げ、
身体丸ごと弾丸に変えて、バカ正直に突っ込んできた。
さっき黄震脚で不意を打たれたのは、相手の動作を見てから動いたせいだ。
結局今も後手に回っているのだが、狭い足場にいたときより確実に美鈴との距離は遠い。しかしたとえ遠くにいなくとも、あんな大妖怪じみた眼をして薄ら笑いを浮かべながら突進してくる弾を、どうして避けないでいられようか。たぶんあのスキマ妖怪ですら全力で回避しようとするだろう。
「くらってたまるか!」
これ以上当たると本気で危ない気がするので、上へ大きく舵を取って自分が耐えられる限界まで加速した。
さっきまで魔理沙がいたところを、轟音放ちながら通り過ぎる鉄拳。
間一髪で免れた。
もし判断が遅れてくらっていたら、受け止められたとしても骨折だけでは済まなかった。
そう確信させるほど、いつもとは全然感覚が違った。
「グッ……、どうしてお前飛べるんだよ!?」
「別に浮遊とか、飛行とか、そういう自由なものではありませんよ。」
足をつけるべき場がない空中でリズミカルなステップを踏みながら、美鈴は何故か滞空までしていた。
「……ただ……」
またトビ上がるために屈みこんで、足裏の爆発と共に高みへ登る。
「――空気を踏んで跳んでいるだけですから!」
「それがデタラメだっていうんだよっ!!」
肋骨のハンデは弾幕遊びの被弾など比べ物にならないほど大きく、攻撃から逃げるための急激な運動すら意識が遠退くぐらいの鋭い痛みが走り、鈍い痛みが五臓六腑を掻き乱す。
突進してくる敵を避けなければならないのに、その行為が堪らなく苦しい。
次にまともな一発を受けたら、確実に墜ちる。
自分から売った喧嘩である手前、何にもしないで倒されるなんてプライドが許さなかった。
頭もすっぽり隠してしまいそうなほど大きい黒基調、白フリルの魔女帽子の中から、正八角形の手のひらサイズを取り出す。
それは、木製のような外見をしているが、れっきとした火炉。
魔理沙の代名詞、ミニ八卦炉だ。
少しだけ魔力をくべて起動させれば、火の粉から山火事まで魔理沙の意のままに火を起こすことができる魔法のアイテムである。
「そうそう二度もくらってられるかってんだっ!」
これに元から仕込んである術式はたったの一つ。
火炉から出る炎を、破壊力のある光――レーザーへ変換するための式。
さらに少しだけ、その式を動かすための魔力を消費するが、こちらも一度スイッチを入れさえすれば後は魔力も何も必要ない。
照準なんてないし、狙いをつける必要もない。
すでに美鈴は逃げられない。
スペルカードとか、わざわざ弾幕ごっこ用に破壊力を下げた技なんて使ってやるものか。というか、そんなもの使っている余裕がない。
「お前が墜ちろっ!」
輝かしき光の如き自信と信頼を込めて、火炉の中心からスパークがあふれ出す。
「マ ス タァァァァァァ ☆ ス パアアアアアアァァァァァァ クッ!!」
「――ッ!!?」
小さな火花は瞬く間も与えず圧倒的な光量へと変じ、全てを焼き尽くさんと降り襲う。
その速度は光速。
その範囲は絶大。
凡そこの業を避けたような奴は、弾幕勝負をした中ではただの一人もいない。
本気を出されれば、紫なんかには避けられるだろうが、その破壊はどのような弾幕をも遥かに凌ぐ。
魔理沙の十八番、マスタースパーク。
目の前に広がる全ての波長を備えた極光にさすがの美鈴も為す術なく呑み込まれ、地表の森から地表そのものまで、空気さえも一直線に焼き払った。レーザーの照射に反動はない。それをいいことに二手目も追い討ちに使う。
「デザートも追加だぜっ!」
ウエストポーチから小さな球を四つ、指に挟んで取り出して、軽く前へ放り投げた。異変が起きたときならいざ知らず、日常持ち歩くならこのぐらいのほうが嵩張らなくていい。
球の色はそれぞれ、赤・黄・緑・青の四色。
レーザーの軌道軸を中心に、等間隔をとって回転を始める。
「オーレリーズ サンッ!」
四つの小球から細いレーザーが放たれる。その四本を、始め地表を焦点に集束させ、マスタースパークの威力補填に当てる。球の回転をそのままに今度は徐々に焦点を拡散させていった。
球は持っている中では最小だから、撃てるのはせいぜい一発分しかない。
使い捨てというやつだ。
消費した後は跡形もなくなくなるので、回収しなくていい。
それが尽きると同時に、先に撃ったほうも一端撃ち止めにした。
全部が全部大味な攻撃だが、ここまでして美鈴がただで済んでいるはずがない。
腹がとてつもなく痛い。
「――いってえぇ、何であんなに強いんだよぉ……いたたたたたっ……!」
警戒は解かない。
妖怪としての本気というものが、本当にマスタースパークとオーレリーズサンの同時射撃をくらって砕けるものなのか?
普段の美鈴を外見だけ知っているだけの魔理沙には、今日桁外れな力を見せた彼女がこのままくたばるとはとても思えなかった。
故に地上には降りず、ミニ八卦炉を構えたままでいる。
下手に降りても盛大に上げた土煙で周りなんて見えたものではない。
濛々と立ち上り、そして薄れてはっきりしていく一帯で思ったとおり……
彼女は屹立していた。
「ケホッ、けほっ……、まったく……、派手な弾幕撃たないで下さいよ? お嬢様が起きちゃうじゃないですか?」
「……」
被害状況を見るに案の定とはとても言いがたかった。
全然駄目だった。
必殺の思いで最も得意なマスタースパークまで撃ったというのに、服がところどころ焼け焦げているだけで目立つ外傷を負った様子は微塵も感じられない。かといって弾幕で相殺したようにも見受けられなかった。
半分以上焼けてなくなり、弱い風でもパタパタと下着を丸見えにさせるスカートが翻り、右肩から失われた上着はブラジャーを隠しきれていない。
それなりに無駄なエロさを増やしただけだった。
「やっぱりお前、メチャクチャだぜ……?」
ただ、こうなることを予測していないわけではなく、もう次の手の準備は始めている。
一瞬後にはすでに終わっていた。
後手に回っていた戦闘を立て直すには、こちらが先手にならなければならない。倒すのならこの機を逃さず畳み掛けるべきだ。
「そんじゃあ、お次はオードブルだぜっ!」
さすがにレーザーが効かないことを分かっていてもう一度大技を使うわけにはいかない。魔力増幅用の薬を今日は持ってきていないから、燃費が良くともそう何度も使えはしないからでもある。
無駄撃ちはできないが、かといってある程度の威力がないと倒せない。ちょうどいいものを見つけて、腰に差していたあるものを抜き放つ。
「メインディッシュの前に出して下さいよ!?」
呆れ顔で立ち尽くして何の行動もしない美鈴に対して、一歩も動かないことを祈りつつ、
「イベントホライズンッ!!」
指の先から肘ぐらいまでしかない小さなステッキを前方へ掲げると、魔理沙の周囲に魔法陣が青く浮き上がり、魔理沙を中心に全体が下方へ修正され……、
六つ全てから極彩色の星達が、
滝のごとく流星群と成って降り注ぐ。
「はぁ~……」
諦めてくれないことに辟易しつつ、一見すると隙間ない大量の星に向き直った。
両腕を前に突き出し、掌を上に硬く握って引き絞る。
足は大きく開いて重心を前に――踏み止まる姿勢を作る。
「……いいカゲン……」
単純な打撃なら……
絶対に負けることはない。
自身の力に究極の自信を込め、最小限度に節約した気の膜を自慢の拳へ纏わせて……
―― ヤ メ テ オ ケ ――!!
凄まじい物量は落下の速さも相まって、その全てが彗星と化し、美鈴を覆った。
先ほどと同じく、木も土も粉塵と巻き上げ、空気を切り裂いた弾幕を打ち止めて、立ち込めたものが自然に流れるまで待っていた。
「今度こそ、どうだ?」
こんなこと言うとベタベタなオチが予想できようというものだが、空気というやつにはどうしてもあらがいようがないらしい。
「……はぁ、さて……、オードブル・メインディッシュ・デザートと食べたからねぇ――ドリンクを飲みたいんだけど?」
何故か口調が馴れ馴れしくなっている門番が、再び箒の――今度は反対の端――魔理沙の背後に現れていた。柄のほうではなく、とてもよくしなるはずの掃く部分に乗っかっているのに、滑って落ちる気配は全くない。
「どうやったら、あれ、避けられるんだよ?」
マスタースパーク以外では一切ダメージを負っていないかに見える美鈴を、諦めた表情で振り返って見た。
次の言葉で、その諦めに納得してしまう。
「殴り落としただけよ、……全部ね。」
自分の身に衝突するコースをとっていた全ての弾幕を、ただ拳だけで砕き弾いたのだ。
『ああ、こりゃ勝てないぜ……』
端から弾幕を撃ちあう気がなかった肉弾戦最強クラスの妖怪に本気を出されたら、人間程度ではやはり敵わなかった。
「それじゃあ、最後にしてほしいことは何?」
一瞬慈悲深く聞こえるが、事実上の死刑宣告に他ならない。
だがここでまた反撃しようものなら、間違いなく腹の痛みで気絶してしまう。
もう限界だった。
「へっ、せめて痛くないようにやってくれ。」
精一杯気丈に振舞いながら、トドメをさされるのを偉そうに待つ。
それぐらい、聞き届けてくれるだろうとは本気で思っていた。
「あっ、それは無理♪」
「んな、ちょっ!!? ふンがッ!!」
問答無用の延髄一蹴。
意識も身体も墜落しないわけがない。
…………
……
☆星☆
……
…………
ああ、うん、死ぬかと思った。
美鈴に延髄を蹴られて、首が千切れ飛んで死んだんじゃないかと、気がついたときにはヒヤヒヤものだった。
首と胴が繋がっていることを確認して安心しつつ起き上がろうとしてみたが、小指一本の関節すらまともに動かせない有様だ。
どうも神経のほうがまいってしまっているようだ。
これからどうしたものかと困っていると、美鈴が意外と傍にいるのがわかった。
顔はどうにか動いたから、とりあえず聞いてみることにした。
「何で殺さなかったんだ?」
人間の首など思わずひょっこり圧し折りそうな脚力を持ちながら、結局殺さなかったのはどうしてか? 自分で言うのもなんだが、紅魔館の連中からはあんまりよく思われていない印象を毎回受けるような、受けないような……
「それは……、あなたが死ぬと困る方々がいらっしゃるからですよ。」
気絶している間にいつもどおりの口調に戻っていた美鈴が妙なことを口走ったので、具体的に誰がどのように困るのか問い質そうと口を開きかけたが、げっそりと不気味で不健康そうなその妖怪の顔を見てびっくりしてしまった。
どんな状況で戦っていたというのだろうか?
「あ~、そうか。仕方ないな。今日は諦めるぜ。」
自分が引き下がらないと今度はこいつが過労でぶっ倒れるんじゃないかと思い、急に哀れになった。
「それよりなぁ……」
美鈴が何で倒した相手の傍を離れないのかが気懸かりだ。というよりも魔理沙は、自分の脇腹をどうして美鈴が触れているのか不思議に思った。
「――お前、何やってるんだ?」
されているのは魔理沙自身だから、何をされているのかはもう分かっているが、それが意外過ぎて確認しなければ気が納まらなかった。
「何って、別に何も?」
治してくれていた。
美鈴は自分の気を使って魔理沙に負わせた傷を癒していたのだ。そのおかげで掠り傷どころか切り傷、骨折したはずの肋骨の痛みまで何もかも消え失せていた。
「素直じゃないぜ……」
「何か?」
「いんや、何でもないぜ♪」
もう全身の麻痺も治って、すぐに上半身を起き上がらせた。
「ォ――ンググッ~!」
肋骨が未だに軋みをあげていて鈍く痛むが、特に動けないということはない。
何か知らないが来たときよりも体調がよくなっている気がした。
「サンキュッ、元に戻ったぜ!」
そう言って勢い良く大地に立った。
と、美鈴は逆に脱力しきって倒れてしまった。
「ハァ……ハァ……」
「あ~っと、何かすまないなぁ。余計な気使わせちゃったみたいでさ?」
戦闘と回復に自身の力のほとんどを使い果たした彼女に軽く謝罪しながら、
「じゃあな、明日また来るぜ!」
明るく一方的に口約束をして、今日のところはへそ曲がりな魔理沙も正直に帰ることにした。怪我を治してもらっておいて弱ったところを攻略するなど、プライドが許さない。
魔理沙が箒に跨って帰っていく音を聞きながら、美鈴は右腕の肘から先だけを持ち上げて気だるそうにふらふら振った後、パタッと大の字になった。
☆龍☆
妖力も体力も枯渇寸前で、もう立っている気力がなかった。
いつもの勤務時間が過ぎても、咲夜が呼びに来るまでは敷地内に入ることができないのだ。何が来ても止め得る力は残っていないと推測する。
索敵用の結界もすでに張っていない。
それに気付いてくれるとどんなに嬉しいことか。
実際には誰も気付いてくれていない。
「何で、今日に、限ってぇ……」
恐ろしく忙しいのか?
博麗の巫女なんて足元にも及ばないほどの仕事量に呆れ返りながら、日没へ向かって加速する太陽を眺めている。
もうすぐ夜。
いつもなら日中だろうとレミリアは起きているのだが、今日に限っては夜まで起こすなと自室に引き篭もったきりだった。
そんな彼女が、夜の王女が起きるまで後少しだ。
メイド長が迎えに来るまでじっとしていようと、そのまま倒れていた。
誰も待ってはくれなかったが……
ビクッ!!?
矮小な気配がして思わず寝ていた場所から飛び退いた。
自分の目の前まで手が迫っていた。
「チッ、もう少しだったのによぉ!」
誰がどう見ても賊っぽい獣の皮で作った服を着た男達が、いつの間にか自分を囲んでいたのだ。
異様な気持ち悪さに口を押さえた。
「何です? あなた方は……?」
よもや幻想郷にこんな輩がいるとは思いもしなかった。
それでも全く無知というわけではない。
もの凄く疲れているにも関わらず、五人がかりで来られても何ら脅威に感じない。
つまり……
「ただの人間が当館に何の御用でしょうか?」
霊夢や魔理沙など、特殊な能力を有している人間は、何の能力も持たない人間とは一線を画する気配を持っている。だが今目の前にいる連中からはそういったものがこれっぽっちも感じられないのだ。
本当にただの、普通極まりない人間共だということだ。
そんな貧弱すぎる者がいったい、化け物だって恐怖してそうそう立ち寄らない紅魔館にどんな用事があるというのか?
「何の用かってなぁおい?」
「「「「へへへへへ……♪」」」」
訊かなくてもろくでもないことだというのは、頭が痛くなるほど理解できた。
まぁとりあえず容姿が似過ぎで区別がほとんどつかないから一番後ろで偉そうに踏ん反り返っているリーダーっぽい奴を仮に賊Aとし、後は適当に左から順に賊B~Eと割り振った。
賊D「ヒヒッ……、それはなぁ」
「ああもう喋らなくていいですよ? ただでさえ全身クサいんですから……」
賊C「んだとてめぇっ!」
お風呂に最低でも一週間は入っていないと見えて、馬鹿らしい気の淀みと悪臭に顔をしかめた。
ああだから自分は反射的に口を押さえたのか。
ついでに鼻のほうも押さえておこう。
身体はもちろん垢だらけで、口の中も虫歯が目立っている。
見るも耐えない醜態が服を着て歩いていることがこの上なく不快だった。
賊Aは賊Cをたしなめて、ヘラヘラ下卑た笑いを浮かべながらさらに頭を抱えたくなるような愚言を口走り始めた。
賊A「里から離れてここまで来たんだぜ? ただの散歩でこんなとこ来るわけねぇだろ。
俺たちゃ山賊なんだからよぉ!」
おおすごい。
空という空、山という山、森という森、川という川、果ては地下。
いかなるところにも妖怪が住み着いている幻想郷の中で、こいつらは山賊などという愚行をしているのだ。
今までよく野良妖怪共に喰われずに済んでいるものだ。
どうせこんな連中の肉を喰らっても腹を壊すだけだと、本能的に忌避されているのだろう。
美鈴は人肉を一切食べないから、その辺はよくわからないが……
賊A「人間の女は散々犯ってきたからなぁ、もうそんなんじゃつまらねぇんだよ。そこで
なぁ……」
ああ面倒臭い。
すでに何をしに来たのか分かっている分、門を通すどころか触れさせることすらおこがましい。
賊Aはさも高尚なことをのたまっているかのように自分に酔っていて、他の奴等もどうしたらここまで下品に笑えるのかというほどふざけた不細工顔を晒している。
魔理沙のときとは次元違いの早さでもってイラッとしてきた。
賊A「妖怪女ぶっ倒して犯ろうって話になってよぉ! そんでいい女がいるってウワサの
この家に来てみたらさぁ、そそる格好してる女が道端で寝てるじゃねぇか?」
「……」
御高説たれて美鈴に向き直った山賊共はさぞ怒ったことだろう。
途中から話を聞く気が失せた美鈴が、明後日の方向を向いて小指で軽く耳をほじくっていたのだから……
賊A「――だっ、だからよお、手始めにテメェを犯ることにしたんだよっ! おい聞いて
んのかゴラッ!? ……確かテメェは勝負の決まり事には忠実だってウワサを聞いて
よお。そこで俺等は正々堂々とした勝負を申し入れようと」
「ハア!?」
「「「「「っ!!」」」」」
一喝くれてやったら全員ビビッて黙りこくってしまった。
こんな奴等が視界に納まっていることが辛抱ならない。
「ああようやく理解できましたよ。貴様等は、馬鹿なんですね? たった五人で、紅魔館を落とせると本気で勘違いしている馬鹿共だ……。そんなバカ共の勝負事の決まりに従うと思っているんですか? 断じて否! 従うわけがないっ! ――そんなのを人間扱いしては人間に失礼です。
破壊しますっ!
汚物が紅魔の敷居を跨ぐなどもっての外! ましてやお嬢様にその醜物を晒すなど言語道断っ! そんな生ゴミは、消毒する価値すらないっ!!」
思ったままに捲くし立てて、心のたがも力の制限も完全に外した。
賊B「ハァッ? ボロボロのカッコしやがって偉そうに……!!」
賊Bの言葉を機に、山賊共は手に手に武器を持った。
木を粗く削っただけの棍棒。
手入れもろくにしていない錆だらけの短刀。
外の世界なら、もっとましに武装した山賊が居ただろう。
賊C「誘ってるんだろっ? ヒィヒィ言いてぇんだろっ!?」
聞くに堪えない下品な言葉だ。
じりじりと包囲の輪を縮めてくる。
悪臭放つ物が近づいてくるが、美鈴は一歩も引かずに対峙する。
賊E「汚物やら生ゴミやら言ってるくせに物怖じしないんだな。」
不思議なことに、この賊Eだけは身なりが妙に小ぎれいだ。
だが関係ない。
「私の仕事は――使命は……、この塀より、この門より奥の全てを守ることだ。」
龍脈から強引に気を吸い取り、無理矢理身体を動かして半歩前に出る。
「……汚れるのは、私一人でイイ。」
それを職務とは感じない。
私がしているのは、門番という運命だ。
――我が主のために、その堅牢なる盾として……
目の前の有象無象を破砕する!
賊A「言われなくてもすぐに汚してや!!?」
賊が雑言を途中で切らねばならないほどの、凍てついた大気が立ち込める。
制限が外れているせいで龍眼はすでに開いている。
ただの人間の動きなどノロい上に単純だ。
威力を思い切り狭い範囲に絞った震脚を放つ。
別に怯ませようと、転ばせようと、先の魔理沙のようにそれで攻撃をしようと放ったものではなく、あるものを地面から取り出すための一動作だ。
汚物共には気も弾幕も必要ない。
震脚の浸透に応じて右の足元近くの地面から出てきたものは、
――槍だ。
朱塗りの長柄と、ずっと土の中に眠っていたとは思えない、腐食もなく落陽を鮮やかに跳ね返す銀の刃。
文句なしの業物だ。
敷地外は権力範囲外ということで、紅魔館周辺は美鈴の好きなように細工していいことになっている。
つまり地面の中には、
剣、刀、斧、矛、槍、棍、弓、鎧、盾……
ヌンチャクや刺又、重さ二六七貫を余裕で越える鬼の金棒まで……
様々な種類、様々な形をした無数の武器が、館の塀をぐるりと囲んで埋まっている。
一層一列だけの話ではない。
その数は億を、兆を軽く越えている。
ついでにいえば、美鈴はこれら全ての武器の扱いに精通している。
また、本来の使い方を無視することもある。
地面との摩擦を無視して華麗に飛び出した槍を左手で軽く払って、空中で重心を中心とした円を描かせる。
右手を腰溜めに、右足を大きく一歩踏み込んで腰の捻りを戻す反動を利用し、高速回転を続ける槍の柄の先端に、掌半回転分の捻りを加えた掌底打ちを叩き込んだ。
最も離れた位置にいた賊Bが、朱い閃きを後に一瞬残し、音速を超えて飛来した回転する槍に貫かれ、踏み止まること叶わず背後の木に磔にされた。
これはただの、
威嚇行為だ。
貫いたのは股間。
貫通して臀部の穴から出た刃の切っ先は深々と幹を刺し、すでに刃の部分は見えない。
賊B「ォ……ォ……?」
いったい自分の身に何が起こったのか分かりかねるといった表情で、股間に生えた長さ五尺余りの長大な棒を不思議そうに眺めている賊B。
すぐに息の根を止めにかかる。
次の左一歩で間合へ飛び込む予備動作と共にまた震脚を放ち、出てきた武器を瞬時に理解して、両手で持って賊Bに突きつけた。
柄は長く、その先には二股に分かれた黒くつらつらした棒がくっ付いている。ゆるく凹んだ形をして、ちょっとしたトゲが見て取れる武器の名は、
前述の刺又だ。
たかだか拘束用の武具と思うことなかれ。
妖怪が刺又を使えば、正しい使い方で人を殺せるのだ。
胴体の真ん中より少し上へ、力任せに打ちつけた。
肋骨と心臓と肺をまとめて豆腐の如く押し潰して、木の幹と部分的に一体化させると共に絶命させた。
潰れた肺に残っていた空気は逃げ道を求めて気道を逆流し、破裂した心臓の中にあった大量の血液を押し上げて口から、鼻から、耳から、目から噴水みたいに吐き出される。
血飛沫が美鈴の全身を濡らしていく。
「「「「……」」」」
他の賊はあっという間の出来事に何の反応もできなかった。
「――ああ……」
やはりこんな物は館に入れるべきではない。
生理的に許せない。
本能的に許せない。
「……くさい。」
気だるげに振り返って、汚物共に全身血塗れの姿を晒す。
今までこんな光景を、こんな凄惨を見たことがなかったのだろう。
自分達が〝妖怪〟に喧嘩を売ったことを、ここでようやく理解できたようだ。
賊D「……うっ、うぅうそだろ? 門番は弱いって、聞いてるぞ!?」
「誰から話を聞いたか知らないが、確かに〝妖怪〟の中では弱いほうだろうな……」
妖怪としては、妖怪同士の戦闘となれば、確かに弱い部類に入る。弱点はなくとも限定された条件下で絶対的な力を誇る他の妖怪からすれば、万能型の美鈴は決定打に欠けてしまう。
だがそれが人間にも当てはまるとは、噂の上にも噂になっていない。
山賊はデマを掴まされたわけではなく、ただ自分達の都合のいいように間違っただけだ。
どれだけ致命的な間違いだろうか。
幻想郷では当たり前に死に直結する。
死体を館の誰にも見られたくなかったから、刺又と槍を片手に持って、
磔にしていた後ろの原生木ごと、軽々引っこ抜いて持ち上げた。
この程度、妖怪にとっては何てことないが、馬鹿共はそれさえ初めて見るのだろう。全員口を半開きにして唖然としている。
また空中で、今度は地面と平行に持っている木を、そのまま足元に落として、落ちきる前に何気なく蹴った。
その木の行方を目で追う賊共。
ちょうど死体の頭に蹴りが当たり、頭蓋が砕けて脳漿と血を飛び散らせながら、まあまあ大木だったはずのそれは空に吸い込まれて消えていった。
「次は誰だ?」
挑戦してくる奴がいるか、とりあえず確認をとってみる。
どうせ全部壊すのだが……
賊C「――ううぅ、あっ……、うあああああああああああああああああ!!」
自暴自棄になった賊Cが、持っていた短刀をメチャクチャに振り回しながら突貫を試みてきた。あの程度を見て発狂するようでは精神が未熟だ。
暴進してくる汚物に正面から向かい合って、短刀の間合いに入っても避ける素振りを見せず、相手の行動を予測して、合わせて徐に左拳を突き出した。
ベキンッ!
普通だったら拳が斬れるところだが、刀身が錆び付いている上に、妖怪の身体はそんな軟い物では傷一つ付けることができない。
周りでブンブン振られるのが面倒だから、あっさり武器を破壊した。
くるりと一回転して頬に裏拳を叩き込む。
案の定、回った拍子に肩が当たった程度の威力しか認識していなくても人間には強過ぎて、首が数回一周した後千切れ飛んだ。
もう両腕に隙間なく巻きつけていた白い包帯は、どす黒く変色していた。
その上からさらに、首から上を失った骸が噴霧する血煙を全身に浴びた。
脱力して倒れ込みかける骸の胴をさっきと同じように見知らぬ遠くへ蹴飛ばして、
「あと、三つ。」
残りがたじろぐほど凄んでみせる。
あっという間に二人殺され、ようやく硬直が解けてぎこちなく動き始めた。
賊A「おおおぉぉおまえらぁ~っ! 何ぼっぼさっとしてやがるっ! さっさと倒せってんだ!!」
見苦しく泣き出しそうに目に涙を溜めながら、賊Aは二人に命令した。
何の策もなく、さっきの賊C同様に突っ込んでくる。
足が震えているくせにプライドだけは高くて困る。
二人とも木の棒しか持っていない。力も技も何もかも不足している。
二人のうち背が低いほうの賊Eに狙いを定め、見られるより速く懐に飛び込むと、頭を両手で掴んで飛び上がり倒立を極める。
例え運動しているバランスの悪い場所でさえ、一切揺るがない鋭利な垂直。
体勢を保ったまま足を真横へ水平に開脚し、ニメートル以上ある巨漢の賊Dの顔面を、手だけで器用に回転を加えながら蹴り据えた。
足場がしっかりしていないせいでほとんど威力はなく、一発では殺せないが怯ませることはできる。
雑技団もかくやの曲芸じみた蹴りを放ち、頭の上で倒立一回転して、元の位置に戻って逆立ちを解く。
だがそのまま終わるわけがない。
肘はまっすぐ伸ばしたまま、両膝を限界まで曲げて肩の回転だけで上体を起こす。
頭全体を太股で挟み込む形の正座である。
妖怪であっても女性は女性。
美鈴の股間が、布一枚に隠れた局部が、賊Eの視界全体に広がっていることを……
認識させるまでもなく絶命させた。
太股でがっちり頭を押さえ込んだまま、
賊Eの身体諸共に倒立を敢行。
その最中に自身の身体を素早く半回転捻って、
ゴギッ!
脊椎を捩り千切ったからだ。
糸の切れた操り人形みたいにだらりとなった死体ごと逆立ちするというどんな武術家でも普通はできない離れ業を極め、足だけ器用に操って両足で真上に蹴り上げる。
バク転して大地に足をつけると、落っこちてきた死体に、光速の如き後ろ回し蹴りを腹にめり込ませた。
骸は森の中へ呆気なく消えていく。
善くも悪くも野良の餌決定だ。
賊Dがやっと持ち直そうとしていたのとほぼ同時に、蹴りの足で地を踏みならして埋めていた武器をまた取り出す。
今度は剣。
主に母国で使われていた、刀身がしなるほど薄い剣、一般的には軟剣と呼ばれる種類の武器を、簡素ながら豪華な作りの白鞘から引き抜いた。
剣に関しては大昔から散々やってきている。
今はくすんであまり思い出せない外の世界で一番初めに習った剣技は、太極剣という。
だが、今は純粋にその流派一筋ではない。とある妖怪に出会うまでの一〇〇〇年余りの間に、その土地土地の多種多様な武術を一つ残らず貪欲に呑み込んでいった結果、自身の中で混ぜ合わされ、変化し、淘汰され、ほとんどどの武術の原形をも留めおかない異常な武術体系へと変貌を遂げていた。
祖国の武術の名残が微かに残っているだけの、
武のカタマリ。
名前のある技は太極拳の流れを模しているが、だからといって美鈴自身はそれらを純粋な太極拳と思っていない。
そう呼んでいいのは、もう早朝にやっている気を整えるための一連の動作だけだ。
剣のほうも同じで、状況に応じて自由自在に形が変わる、それでいて我流には決してない流麗と王道を併せ備えた新たな剣法へ昇華していた。
でも賊なんかに使ってやるものか。
武術を習得しているなら、もしかしたらこちらも応えていたかもしれない。
思考がどうあれ、筋肉のつき方などから何かしらやっているわけではないことは百も承知しているが、武術は競うからこそ面白いと美鈴は考えている。
だから内心では微生物くらいの期待は持っていたし、分かった後でも然程驚きはしなかった。
剣の間合いまで気付かれることなく接近する。どこか外の国ではこの歩法を縮地法だとか何とか呼んでいたようだ。といっても自分が歩き方を意識したことはあまりないから、これが普通だと思っている。
祖国の仙術にもよく似たものはあるが、それはどこぞの死神のような実際に地を縮めてしまう術であるから正しくない。
簡単にいえば、距離をつめるために歩いた、ただそれだけだ。
賊Dはそう思わなかっただろうが。
完全に意表を突かれた賊Dが棒切れを構える前に、すでに腰溜めに構えた剣を空気の流れに乗せるように、自然に振り抜いた。
おそらく賊Dは、死ぬ前に一陣のそよ風を感じただろう。
一閃で、後々振り回されても困る棒切れと一緒に、支えている人差し指から親指にかけてを切り裂き、そのままに首をもまとめて斬り飛ばした。
本来祖国の剣は〝斬る〟ためにあるのではなく、〝突き刺す〟ためにある。
別に切断ができないわけではないが明らかに邪道といっていい。
賊相手ならそれで十分だと判断した。
飛ばした首を跳び蹴りで山のほうへ送り、着地後回転そのままの後ろ回し蹴りで胴を霧の湖のど真ん中へ放り込む。
(残り一つ。)
鞘に剣を収めて、最後の賊がいたほうを見ようと振り返った矢先、
「ひっひははっ、もらったああああああ!!」
「なっ!!?」
完全に存在を見落としていた賊Aが短刀の届く距離まで、目の前まで近づいていたのだ。
違うか。
見落としていたというより、無謀な行動をとるとは思わなかったというべきだ。
まあ失敗したところで避けられないことはない。
ぐぅ~……
「はぅあぁっ!?」
間の悪いことに、無理して抑え込んでいた空腹が限界を超えたらしい。気を使うにも多くの体力が必要で、今日は昼御飯なしのぶっ続け戦闘だ。
三食必要な人間なら尚更要るし、〝元々人間だった〟美鈴にしても、妖怪として回復する分のエネルギーではとても足りないから、食料で補給するしかない。
枯渇すればこうなることはとっくに想像できているが、不幸過ぎてこうならざるを得なかった。
足に力が入らず一瞬回避が遅れてしまった。
「あ……」
刃が左頬のすぐ横を通り抜ける。
何とか肌には当たらなかった。髪は数本持っていかれたようだが、大して痛くも痒くもない。
追撃が来ないように大きく跳び退いて乱れた呼吸を整える。
「スゥー……ハァー……」
一度背筋を伸ばして、柄に手をかけ構えなおす。
シュルッ……
何かが解ける音が耳元でして、急いでその部分を押さえて確かめた。
ない。
ない?
ない!
「やったぜぇ、もらったぁ。」
解けたのは、両側で三つ編みにしていた左側の髪だった。
そして美鈴の眼に映る、賊Aが切り落として、今拾って指に挟んでいる戦利品は、
三つ編みを留めていたリボンだ。
正確にはリボンで留めているのではなく、蝶結びにまとめたリボンにゴムが通してあるのだが、
「っ!!?」
「ははっ、お前もそんな顔するんだなぁ?」
「……」
賊に奪われたことよりも、
お気に入りの三つ編みが解けたことよりも、
もちろんそれだけでも十二分以上に腹立たしくあるのだが、
それは、
咲夜が美鈴とお揃いの髪型がしたいと言ったその日に、今の主自らが小さな手を傷だらけにして作ってくれた、初めてのプレゼントであり、
何より、咲夜も美鈴も同じ緑の、お揃いだったリボンを切られたことが、
無性に悲しかった。
力が抜けるよりも、逆に力が漲ってくる。
(ああ、怒っているのか――、私は……)
心身ともにほぼ限界を超えているのに、
〝こいつを殺すまでは、止まれる自信がない!〟
「へ、へへへっ、どうしたよ? これが、そんなに大事かよ?」
前に掲げてゆらゆら揺らされる大事なものに眼を向けて、さらに怒りが沸騰し、枯れんばかりに龍脈から自然の気を一気に吸い上げる。
堪らず悲鳴を上げる一帯の大地が、昼過ぎとは比べ物にならないほど激震し、美鈴を中心にひびを入れた。
「ひっ、ななな何だ!? どうなってんだ!!?」
地の震えに耐えられずに賊Aはしりもちをついて、美鈴を見ながら小動物のように震え上がっている。
山の鬼さえ恐れて逃げ出したほどの気迫とおぞましさが、周りの木の葉を残らず吹き飛ばす。
全て身体の内に収め、自然を鎮めて、柄にゆっくり手をかけた。
賊Aには、ただ柄に手をかけただけに見えただろう。
立ち上がって身構えていた賊Aが、逃げようと一歩後退する。
美鈴は柄から手を放して、普通に歩いて賊に近づく。
「まま待てよ……」
「……」
「待てっつってんだろ!? 止まれよ! これがどうなって――!!?」
自分の足が〝ずれた〟ことに気付いて、次いで倒れたことに驚愕しただろう。
賊Aの両足を、膝から上と下とに完全に分離した。
リボンを持っていた手は、肘のあたりから中空へ投げ出されていた。
無音。
無光。
あり得ない速度の居合。
しかもあまりの速さに離れた位置から〝物理的に〟切断したのだ。
斬り飛ばした手から零れ落ちたリボンを掴む。
「――あ……あし、俺の、アシ?」
自分の足であることは分かっているようだが、ほぼダルマにされたことは理解できていない、頭が追いついていないようだ。
状況をつかめていない脳は痛覚さえ伝わってきておらず、斬り口から大量の血を垂れ流しながら無様にジタバタもがいている。
剣はもう用済みだから捨て置く。
唯一動く右手で自分の足をくっつけようともがく賊Aにまっすぐ近づき、
「斬られたものは、もう元には戻らない。失った命は、もう戻らない。」
語る。
花の成長に邪魔な雑草を見るような眼で賊に言い聞かせながら、自らにも言い聞かせた。
「最初で最後の生涯学習は、ドウダッた?」
「!!?」
全身を紅に染めて、もう少しで死体になる奴の目の前に、
壁の如く立ちはだかる。
「おまっ、おまっが、こう、コッ、紅魔の……、もももも門番!?」
今日打ち止めの震脚を放つ。
足元の武器を取り出すものではなく、地下を伝播して遠くの武器を打ち上げるための一発だ。
手を高く掲げて、納まるためにそこに降ってくるものを待つ。
落ちたる其は天柱。
降りたる其は天誅。
手の中に納まるは、人の域では決して持ち得ぬ大きさと重さ。
夕焼けの赤を浴びてなお染まらぬ、黒く長大な鬼の金棒だった。
五〇〇貫を超える重さをものともせずに片手の上で器用にぶん回す。
「く……そっ、おま――えぇ!」
乱された空気の勢いだけで地面が削られ、無用心に挙げられた賊Aの腕を千切り潰した。
さすがに腕の潰れた痛みは頭も誤魔化しきれなかったらしい。
「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」
正真正銘ダルマにされて、本当に手も足も出なくなった。
激痛に奇妙に蠢く虫けらを見下す美鈴を、虫けらからはさぞ凶大な巨人に見えるだろう。
ゆらりと金棒を天へ掲げる。
後はこれを何気なく振り下ろすだけでいい。
「まっ! まままままま待てマテまてマテまて待てええええぇぇええっ!! この化け物おおおおおおおおおおおお!!」
慌てたところで、錯乱したところでもう遅い。
放っておいてもすぐに死ぬが、それまで生かしておく気も毛頭ない。
「……そうだ、私は化け物だ。敵に回す前に、よく考えるべきだったな……」
助けを請う賊に、
「まっ――」
無慈悲に振り下ろした。
☆咲☆
息の仕方さえ忘れてしまった。
そんな錯覚が頭の全てを支配するほどに、呆然と立ち尽くしていた。
それしかできなかった。
生まれて初めて、紅魔館に連れてこられて初めて、美鈴に出会って初めて、彼女の本気をナマで見たのだ。
いつも調子が良く、居眠りばかりしている門番だと思っていた。
最も新参者の咲夜に対しても崩れた敬語で気さくに話しかけてくる、とぼけた姉のような存在だった。
魔理沙との喧嘩を途中から見に、玄関外の庭園を抜けて門近くの花壇から覗いていた。本当だったら美鈴の外勤が済む時間に全ての用意を終えるはずだったのに、外では地震や爆発、閃光が立て続けに起きて、美鈴が戦っていることが分かった。
心配で、居ても立ってもいられなくなって、用意を途中で投げ出した。
軽く投げたナイフにも簡単に当たってしまうようなドンくさい美鈴にはトンでもない無茶振りなのではないか?
レミリアに『そこまでさせなくてもいい』と、今日分の侵入者を全て排除しろという命令を取り下げるようにと、駄目もとで申し立てをしたが、
「面白そうだから、たまにはいいじゃないか。」
と強引にはねのけられて、従者としては当然食い下がることができなかった。
つまり、少なくとも主人は知っていたことになる。
美鈴が最近全く本気を出していないどころか、その本気を、自身の何もかもを、並の人間程度にまで意図的に抑え込んでいたことをだ。
自分以外の、紅魔館の誰も彼もがおそらく知っていたのだ。隠すまでもなく、逆に語る必要もないことだと思っていたのだろう。
おかげで心臓が止まったと間違えるくらい驚いた。
今までずっと立っていただけだ。
魔理沙を撃退して、山賊共が来るまでだって、いくらでも時間はあったのに、
下衆共に襲われそうになってから、加勢する機会なんていくらでもあったのに、
怒涛の弾幕を守勢に回った上で圧倒し、疲労困憊のまま賊をあっという間に血祭りにあげていく彼女に見惚れて、見ていることしかできなかった。
本格的な戦闘のほとんどを見ていたが、まだ俄かには信じ難い。
足に巻きつけたベルトからナイフを一本抜き取る。
自分で確かめなければ、美鈴の強さを信じられなかった。
いつもやっているように門越しから必殺、後頭部直撃を狙って投擲する。日常茶飯事がゆえに、門の縦格子の間を縫って、絡みつくバラにさえ刃先も触れない絶技を平然とやってのけられるようになっていた。
狙い過たず、殺した余韻にボーっと浸っているように見える美鈴の後頭部へ銀尖は吸い込まれていく。
突き刺さるはずだった。
それで、倒れて気絶しなければおかしかった。
美鈴に、一切後ろを振り返られることなく、右の人差し指と中指でナイフを止められていたのだ。
細心の注意を払って観察していたのに、いつの間にか止められていた。
何で自分にだけ黙っていたのだ?
全く見当がつかなかった。
「――ぁっ……、さ……クや、さん――」
精も根も使い果たして、さっきまでの覇気が感じられなくなると同時にこちらに振り向いた。
無理して貼り付けているだけの、崩れた笑顔。
まだ立っていられることを、不思議に思った。
ボロボロの服も、腕に巻きつけた包帯も、身体も髪も何もかもを真っ赤にしている。
まさに〝紅の〟美鈴といった出で立ちに、妙な虚しささえ覚える。
(私は、美鈴の何を知っているのか? 彼女が、本当は博麗の巫女を簡単に捻り潰せるぐらい強いかもしれないことを、今になって初めて知ったのに……)
「すみません。」
「えっ?」
何に対して謝りたかったのか。
それは自分がみっともない格好をしているからなのか、賊達との戦いを見せてしまったことに対してなのか、はたまた咲夜のナイフを止めてしまったことなのか。
「ちょっ、やめなsっ!!?」
もう知る由もない。
ズギュッ!
バタンッ!
美鈴が、受け止めたナイフをあろうことか自分の後頭部にぶっ刺して気絶してしまったからだ。
この程度で妖怪である美鈴が死ぬはずがないのに、目の前で大切なものを失くしてしまったかのような絶望に一瞬襲われた気がした。
腑に落ちないことはたくさんできたが、今はとにかく気を落ち着かせて美鈴を館に運び入れることを優先した。
「……全く……」
美鈴の肩に手を回して、ぐったりした身体を持ち上げる。
筋肉は脂肪より重いと聞いたことがあるが、あれだけ身体能力が高いのに、美鈴の肉体は全く筋肉質ではなく、逆に恐ろしいほど柔らかでしなやかな感触だ。
だが単純に重くはあり、それは紅魔館で最大サイズを誇る、胸にある二つの巨大な山が多分に関係している。
さすがは人外だ。
でかいくせに美しい、出るところは出て引っ込むところは引っ込んでいるデタラメな曲線美に嫉妬しないほうがどうかしている。
「気絶する、くらいなら、自分で、歩きな、さいよっ!」
(他人に気を使っているくせに、世話が焼ける妖怪ね。)
☆龍☆
……
ああ、なんと温かい。
どうも全身水に浸かっているらしい。
自分の重さが感じられない。
背中には硬いものの感触があり、水底に沈んでいることがわかる。
霧の湖にでも落ちたのだろうか?
そんな記憶は全然ない。
湖の水が温かいはずがないのに、何故かしっかりした温もりが感じられる。
ああ、なんと安らかで……
ゆるやかに流れる水に、ピクリとも動かない我が身を任せる。
母のおなかの中にいるようで、
愛しき人に抱かれているようで、
不可思議な安心感に包まれている。
どこにいるのかなんて、この際どうでもいい。
ずっとこのままでいたいと思うほど、心が穏やかだ。
ああ、なんて……、なんて優しい。
ただよって、ただよって、ただよって……
その優しさを生まれたままの姿で全身に染み渡らせる。
自身の気を水の気と同調させて、一緒に大きな胎動へ流れる。
何もかも洗い流され、水のような清らかさだけを帯びて、
ゆっくり瞼を開けた。
一番始めに飛び込んできたのは、口からお湯をドバドバ無遠慮に吐きだしている厳つい顔のガーゴイルだった。
さっきまでの心地よさを下級悪魔にぶち壊されて少しばかり不機嫌になったが、すぐさま気を落ち着かせて状況把握に努める。
確か賊を殲滅した後、気力も体力も使い果たして気を失ったのではなかったか。
だったら何で今紅魔館の風呂になんて入っているのだろうか?
誰かにここまで運ばれたとしか思えない。ではいったい誰が運んでくれたのか?
生活に支障をきたさない程度には回復したらしい身体の所々を動かして思ったとおりに動かせることを確認して、
「おはよう、美鈴。」
「ああおはようございます、咲夜さん。」
すぐ隣で同じく風呂に浸かっていたメイド長にニッコリ微笑みながら自然にあいさつした。
首を真正面に戻して、数秒思案。
……
「――!?!? ぅ……ぁぁあれっ、咲夜さん!!?」
咲夜がいたことより、隣で肩を密着させている咲夜の気配に、自分が気付かなかったことに驚いて慌てふためいた。
気絶している自分を館内に運び入れたのは咲夜で間違いないだろうが、もうそんなに時間が経ってしまったのか?
従者が風呂に入るのは、決まってレミリアやフランドールが起きてから湯あみを終え、食事を済ませた後になっている。
規則ではなく、暗黙の了解というものだ。
「!? なっ何驚いてるのよ? こっちまで驚くじゃない!?」
つられて驚く咲夜の真正面にレーザーの如き速さで回りこんで対峙すると、湯船の底に額を叩きつけて土下座をした。
「ぼゔびばべばびばべン(申し訳ありません)っ!!」
「何言ってるのか分からないから!?」
この大浴場は主人達の入る風呂とは違い、従者専用となっている。まあ主人達もたまにはこちらに入るのだが。今は妖精メイドや小悪魔は入っておらず、湯気で反対側の端が見えない無駄にだだっ広い浴場に二人っきりだった。
だから、額で底にひびを入れながら謝る美鈴を見ているものはおらず、謝られているほうが恥ずかしいという事態にもなっていない。
そこまで慣習的に気を回してしまう自分に辟易しながら、今度は聞こえるように頭を上げた。
「ブクブクブクブクブクブクブクブクッ!!」
「口っ、くちっ!」
口だけ水面下すれすれのせいで、吐く息は水面に泡を作るばかりでしゃべっているつもりでも声が相手に届かない。
何でこんなに慌てているのだろうと、不思議に思った。
今度こそしっかりと姿勢を正す。
「……妹様の湯浴みのお手伝いは私の仕事だというのに、気絶して余計なお手間を掛けさせてしまってすみません。これから直ちに夜勤に移りますので!」
すぐに湯船から立ち上がって出て行こうとして、
気付いたときにはもう押し倒される直後だった。
「ふぇえっ!!?」
盛大にお湯飛沫を上げながら底に思い切り尻餅をついた。
浮力のおかげで全く痛くはなかったが。
おそらく咲夜の能力、時間を操る程度の能力を使ったのだろう。
「待ちなさい!」
「!?!?」
今まで咲夜との間に、これほど張り詰めた空気が流れたことがあったろうか?
いや、職務怠慢で怒られることはよくあったが、心の底から心配されたのは初めてだ。
だからその空気に戸惑いと変なむず痒さを感じて、反応できずにポカンとしたまま硬直した。
「……私に押された程度で倒れるぐらい疲れきってるくせに……、それにその腕!」
「――ぁ……」
擦り傷、切り傷、火傷……、そして幾多の殺し合いの中で浴び続け、いつしかこびり付いて取れなくなってしまった、多くの者の血による変色。
治りきらない傍から斬られ、突かれ、刺され、焼かれ……
いくら妖怪で、いくら回復力があろうと、もう元の傷一つない腕の容を思い出せない美鈴の腕は……
すでにボロボロだった。
両腕を隠すように身体を抱きしめながら咲夜に背中を向けた。
今まで話さなかったことが心苦しい。
話せなかったというべきか。
このことを言ってしまえば……、自分が紅魔館の門番になって以来、侵入者を誰彼構わず、妖怪だろうと、咲夜と同じ人間だろうと、屠り続けてきた証のことを言ってしまえば、咲夜との関係が決定的に変わってしまうのではないかと恐れていた。
咲夜の、自分に対するイメージを裏切りたくなくて、ひたすら隠し通してきたのに……
よりによって、久々に来た人間を殺した日に見つかるなんて……
話していればこんな後ろめたさを感じずにいれただろう。
「途中から仕事も見せてもらったわ。」
「――ああ、やっぱり見られてたんですか。」
戦いながら、うすうす誰かに見られているとは思っていた。それが館の中なのか外なのかは、気を抜くことのできない戦いの最中に判断できるものではなかったから捨て置いていた。
一番知られたくない相手だった。
知られてしまった以上、今更後悔したって仕方がない。
「これは……、直らないんですよ。」
「直らな、い?」
「私は、結果的にですが、祖国を一度滅ぼしています。――その頃についた傷ですよ。もう自分ではこの傷を癒せないんです……」
咲夜は酷く驚いた顔で絶句しているように見える。
まあ素っ裸で一国潰したと言われても、驚きはすれど冗談としか捉えてもらえないだろう。
「冗談と思っておられるなら、それでいいんです。私だって実感ありませんから。でもこれは……」
――私の、捨ててしまいたいけど、捨てられない記憶です。
心配かけさせまいとちょっとはにかみ笑いを浮かべながら、話を打ち切るために咲夜の横を通り過ぎて湯船を出た。
これ以上辛気臭い話を続けたところで何かが進むわけでもない。
「……戻りなさい!」
大浴場だから音は案外響くが、それにしたってかなり大きな声で呼び止められた。
いつもみたいに自然と引き返して、咲夜のすぐ横に腰を下ろした。
自分で隠してきたこと吐露したとしても、今までの、紅魔の従者と門番という関係を変えるつもりがないことを示すように並び座る。
二人して肩近くまで湯に浸かり直しながら、たっぷり時間をかけて深呼吸した。
「命令よ……」
「?」
身分的には同格であり、二人に直接命令できるのはレミリアかフランドール、パチュリーだけである。お互いに強制することはできない。
だから、美鈴が咲夜に何かを頼むときは必ず〝お願い〟になり、咲夜の〝命令〟は美鈴に何かを頼むときに発せられる言葉になる。
咲夜が小さなときはよくお願いし、命令されていたのだが、彼女が成長するにつれてあまりそういう機会はなくなっていた。
珍しく聞いた言葉の意味を、話される前から理解してしまう。
「そんな記憶、捨てなさい。」
ああ、やっぱり。
予想はできていたから特に驚きもせず返答した。
「できません。癒せない傷がある限り、過去を捨て去ることなどできません。ましてや完全になんて無理ですよ。――それよりも、とがめないんですか? 人間をむやみに殺すなって……」
「怒るわけないでしょ? どうせあの連中が馬鹿な理由で侵入しようとしたんでしょ? ああいうのはその辺で野垂れ死んだほうが世のためなのよ。美鈴の手にかかって死んだだけでも十分に過ぎた死に様だわ。」
酷い言いようだがこればかりは肯定せざるを得ない。
正真正銘の馬鹿ではあった。
でも今は過ぎたことなどどうでもよくなった。
(何だか担ぎ上げられてる気がする……?)
いつもだったら玄関先を汚すなとか、紅魔館のメイド長として当然の叱咤をするところを、何故だか賊の死に様について触れている。
しかも〝十分に過ぎた死に様〟など、違和感以外は感じ取れない。
「そう言って頂けるのは、門番冥利に尽きますよ。ありがとうございます。」
何となく、違和感に気付いていないように装って返した。
たぶんバレたくないのだろうと思った。
咲夜は気付かず、納得するように頷くと、
「……あなたにとって、私達との生活は、過去と決別できないほど退屈?」
「そっ、そんなこと!!」
あるわけがない。
首を全力で横に振って否定した。
そもそも紅魔館に来る前の記憶など、自分から進んで忘れたいと思ったほどだ。
そうできないのは腕に刻まれた傷があるからだ。
今までずっと自分で傷を消すためにいろいろ試してきた。
身体はその全てを拒絶した。
今日このときほど、自分の傷を消してしまいたいと思ったことはない。
「思い出も……傷も……、今のあなたがあるのはそのおかげでもあるけど、生きるのに枷になっているだけのものなんて、あるだけ無駄よ。」
「傷さえなければ忘れられるんですけどねぇ。」
冗談交じりに苦笑いした。
いくら時を操れるとはいっても、過去に起こってしまったことをなかったことには決してできないし、咲夜に傷を癒す力があるわけでもない。
「治せればいいのね?」
「? ええ、そうですが……?」
急に変なことを口走って、咲夜はさっきの美鈴のように湯船から出ていってしまった。
「あ、あの咲夜さん!?」
急いで後ろを振り返って、
「妹様の湯浴みはどうされたんですか?」
自分が担当しているはずだったことについて聞いてみる。まだだとしたら自分も浴場から出てすぐに準備に取り掛からなくてはならない。
だが後ろを向いたまま咲夜が言った言葉で、感じていた不可解が増大した。
「お嬢様方の湯浴みはもう終わっているわ。あなたは〝ゆっくり〟浸かって……、あっそうそう、今日のところは夜勤はいいから……」
「えっ!? えええぇぇえっ!!?」
何だ、どうなっているのだ?
食事以外がもう終わっているなんて……
かつてないことに驚愕して、拍子抜けるしかなかった。
「あいやぁ、申し訳ありません! 仕事をサボった上に私の身体まで洗っていただいて……、もう謝る以外にどうしていいか……」
気付いたときには湯船に浸かっていた以上、賊を相手に血まみれだった美鈴の身体を洗ったのも咲夜以外にあり得ない。本当に余計な手間を掛けさせてしまったことに、湯船から出て深々と土下座するしかない。
ゲシッ!
「フげっ!!?」
頭を踏んづけられて、さらにそのまま湯船へ落っことされた。
また盛大に水飛沫を上げながら、やっぱり全く状況が掴めずに目を白黒させた。
「まったく……、気にしすぎなのよ。いい? 〝くれぐれもゆっくり〟入ってなさい。いくら妖怪だからって、たまには休まないと身体壊すわよ?」
自分は咲夜に何かしてしまったのだろうか?
こんなに優しい言葉をかけられるなんて……
ある種の気持ち悪さを微かに感じたが、素直に好意に甘えることにした。
多分に腑に落ちないが……
「そう、ですね。それじゃあお言葉に甘えて、今夜はゆっくりさせていただきます。――ありがとうございます。」
「私は先に出るわ。また後でね。」
「あっ、はい。また後ほど……」
咲夜は振り返りもせず、まっすぐ脱衣場へ行ってしまった。
一人取り残されて、改めてちょっと考えてみた。
(……また後で……?)
妙な言い回しだと、美鈴は思った。
レミリアやフランドールが起きている以上、咲夜の仕事は日中よりも遥かに増えるのだ。非番になった門番に構っている暇などあろうはずがない。なのに、〝また後で〟というのは、〝レミリアが考案した催しをする〟以外に考えられなかった。
何をさせられるのだろうか?
咲夜がああ言った以上、美鈴にも何かしら役割が与えられるのだろう。
想像のつく限りそれについて没頭した。想像したってやらざるを得ないのだからするだけ無駄ではある。
何もかも思考を放棄して首まで湯につけて力を抜いた。
「ふぅ~。」
しばらくもせず、脈絡もなくいきなり目の前が真っ暗になって、意識が遠退いていく。
「ぁ……あれ? どう、なっ……て……」
湯船に頭の先まで突っ込んで……
意識が途切れた。
☆龍☆
……
「ぅっ、う~ん……」
また気を失って、気付いたら木製の天井が見えた。
紅魔館でこんな造りをしているところはそうそうない。紅魔館でない可能性も無きにしも非ずだが、居慣れた感覚でここが館内であることは確実といっていい。
どうも意識を失ったのではなく、奪われていたようだ。
誰が奪ったのかは考えるだけ意味がない。
妖怪の意識を奪えるような、強力かつ汎用性の高い術が使えるのは紅魔館の住人の中でもたった一人しかいないからだ。
紅魔館に併設されている巨大な図書館の主にして、レミリアの親友でもある『動かない大図書館』、パチュリー・ノーレッジだ。
彼女が美鈴の身体を一人で運べるわけもないから、一緒に専属司書の小悪魔もいたのだろう。
はて、何で意識を奪う必要があったのか?
風呂に入るなら入るで、別に堂々と入って来ればよかったと思うのだが……
(それとも、これも催しの余興か何かか。)
「ははっ、今夜は何をなさるのやら……」
何故だか腕の包帯だけが丁寧に巻かれている中途半端な状態で、脱衣場に投げ出されていた。
何で包帯だけ巻いたのか、疑問だらけだったがとりあえず立ち上がって、皮膚の表面に余計な水滴がついていないことに気付く。小悪魔あたりが拭いてくれたのか、手間が省けたことに感謝しながら、そして何で服は着せてくれなかったのか不思議に思いながら、誰に出くわすか分からないため服かバスタオルを探すことにした。
咲夜か誰かが着替えを用意しておいてくれていると思って、壁一面に取り付けられた棚をくまなく探して、次いでいつも干したてのバスタオルが畳まれ積まれているはずの台を見に行く。
紅魔館が幻想郷に移って以来、風呂場は脱衣場だけ改築され、しばらく時が経っているにも関わらず、未だ檜の匂い立ち込める癒しの空間が保たれていた。それもこれも咲夜が館だけ時間を止めているおかげだ。
そんな細やかさを持っている咲夜が、よもやバスタオルを忘れるとは……
「……」
力が抜けて、膝と手をついて項垂れた。
着るものなんて、着られるものなんて何にもなかった。
唯一隠せるものはといえば、腕に巻きつけてある二本の包帯だけだが、小悪魔によってきれいに巻かれているものを解くのが忍びないし、女性しかいない紅魔館では素っ裸でいるよりも傷を晒すことのほうが余程恥ずかしい。
ついでにいえば、力尽くで解こうにも包帯が解けないのだ。固く結ばれているわけではなく、パチュリーが包帯に何らかの術印を施していたらしく、証拠にうっすらと紫色の印が浮かんでいるのが見て取れる。
『えぇ~っと、咲夜さん――、あなたはいったい、私に何を求めてるんですかっ!?』
力尽くでなければ解けないことはないが、たぶんこれも催しの布石か何かだろう。
今日で一気に、自分が隠していたことをスカーレット姉妹以外の住民に知られてしまって、どうしたものかと考えるにしても、まず服がないことにはゆっくりできない。
自分の部屋なら着替えがある。
まさか咲夜も自分の部屋までは手をつけていないだろう。
美鈴は立ち上がると、脱衣場と廊下を繋ぐいつもの無駄に年季の入った木製扉に背中を押し付けて、後ろ手にドアノブを下に押して扉を少し開けると、見渡せる限りを警戒する。
いくらなんでも妖精メイドにこんな姿を見られたら紅魔の門番として示しが付かない。
極力誰にも見つからないように素早く部屋まで疾走しなければならない。
幸い、風呂場から部屋までは一直線、そうそう長い距離でもない。
風呂場は紅魔館の正面に対して右の端にある。
逆に美鈴の部屋は正面に対して玄関のすぐ左側に位置し、受付窓口のようなものを備え付けてあり、香霖堂から買ったマジックミラーとかいう物を窓口に使っている。
窓口が日中のままだったら、換気も兼ねてガラスが開いているはず……
滑り込めれば一旦停止することもなく自室に逃げ込める。
道中妨害がないことを祈って、
いざ、行かん!
――の前に扉を丁寧に閉めた。
閉めておかないと咲夜に怒られるからだ。
気を取り直して一足飛びに玄関先まであっさり到達し、身体を半回転捻って後ろに向かって跳んだ。館全体の床をたった一枚で網羅する恐ろしく長い紅絨毯のほんの一部を踏み込んで、背面跳びで部屋へ侵入する。
夜勤中に不審者が来たとき、いちいちドアを使って出ていては逃してしまう可能性が高い。そのため、窓口は美鈴の身体が通り抜けられるように、それでいてプライバシーの観点からギリギリの大きさで設計されている。
体術について、おそらく幻想郷最強の美鈴だからこそ、ちょっとした乱れで身体をぶつけてしまうような狭い枠を背面跳びで、自身がこれから通り抜ける空間をほとんど見ることなく、恐れもなしにやってのけられるのだ。
動作の一つ一つに無駄がなく、剥き出しの肉体美もあいまって、日の光で輝く一匹の魚が尾を靡かせて透き通る湖面を叩き、その身を中空へ躍らせたときのような風流さえ感じさせる。
一切身体を掠らせることもなく通り抜け、窓口のすぐ近くにある安楽椅子も跳び越えて、空中で無理矢理身体を丸めて半回転、ベッド横の何も置かれていない床に着地した。
「ふぅっ、お風呂に入ったばかりなのに無駄な運動させないで下さいよぉ。」
今に始まったことではないので、形だけ愚痴を零して窓口をすぐに閉めた。
その場で後ろへ振り返り、部屋の中を見渡した。
別に何か仕掛けを施して進入した者を調べているわけではない。咲夜か、他の住民が入ってきていないか、入っていたとしたらどこへ向かって何をしたのか、その気をたどって服を奪っていっていないか確かめるためだ。
果たして、気の変化は感じられた。
咲夜のものだけだ。
時間帯は三月精を〝殴った〟後ぐらいか。
クローゼットに近づいてはいるが、そこに長時間止まった気配はない。おそらく服を持ち出してはいないだろう。続けて確認をとるためにクローゼットを開け、一式全部揃っていることに安心した。
一つため息をついて、また足取りをたどる。
咲夜が、美鈴が気の流れの変化で過去の足跡をたどれることを知っているかはわからないが、あまり部屋を物色した様子はなかった。
それではいったい何をしにきたのか?
咲夜の足はベッド横、枕元までで途絶えている。
目的地はそこだったのだろう。
少し見ただけでも、その変化に気付くのは容易だった。
朝、仕事に出かける前にはなかった部屋の変化――
紅い――箱。
枕の横に置かれていたのは、厚い紙を成形して作られた円筒形の紅い箱だった。スポンジケーキより二回りくらい大きい程よく平べったいその箱は、専用の蓋まで付いていた。人間の里でもこんな形の箱は作られていないはずだ。
外の世界を、ヨーロッパを知っている者でなければ形さえ思いつかないだろう。
館の誰か――咲夜以外――の手作りの箱を、朝から晩まで働き詰めで、たまにある非番のときぐらいしか使わないアンティークの化粧台の上に置き、蓋を開けて静かに横に並べた。
箱は内側まで紅で染められて、さらに紅く柔らかな薄い紙が、まるで大輪のバラのように細工され、中の物を覆い隠していた。
そんな神がかった装飾ができるのは森の人形遣いしかいないだろうが、これは一度形作られたものを忠実に真似たものだろう。
箱と紙だけでも、かなり熟練した技巧が必要なはずだ。
何でこんなことをしたのだろうか?
勿体なくてバラの花弁を開くことが躊躇われるではないか。
けれども、開かなければたぶん皆を待たせることになってしまう。
恐る恐る、バラを元に戻せるように、破かないように、繊細に花弁の中心を指で分け入り、止め処なく胸を焦がす期待を押し殺しながら開けていく。
……
「!! これ――は……」
目の前に広げたそれは、
――いつの頃だったか……
☆咲☆
何もかも、時間を止めながら準備を進めていたが、途中で美鈴が気になって見に行ってしまい、その後急いで準備を再開してやっと今全て整ったところだった。
「フフッ、待ちくたびれたぞ? ようやく宴が始められるなぁ?」
妖精メイドも含めて住民全員を放り込んでも尚、その全面積の五分の一にすら達しないほど広大な大食堂の、扉から最も離れた一番奥の席……
腕と足を組んでふんぞり返り、何を企んでいるかわからない鋭く紅い眼がシャンデリアの光を無視して輝き、妙に伸びた犬歯を覗かせた薄ら笑いを浮かべている。
その高貴な椅子に座れるのは紅魔館でただ一人、
〝紅魔〟を継いだ、たったの一人、
紅き夜が、紅き満月が讃えるは……、彼女をおいて他になし。
紅魔館の主人にして、永遠に幼い紅き月――、レミリア・スカーレットだ。
「はい、後は主賓を待つばかりです。」
主人の右後ろに控えて、咲夜も微笑んだ。
「お姉様もとっても頑張ってたもんね?」
万物の破壊者にしてレミリアの妹、フランドール・スカーレットは姉の座っている椅子の、咲夜の身長よりも高い背もたれに両手をついて止まっている。彼女がそれだけ巨大なのではなく、レミリアのものとは全く異なる、七色に透き通る水晶のような羽をパタパタ動かしながら滞空しているのだ。
二人とも早めに起きて、これから始まる宴の準備を各自でしていた。
大々的な設営は咲夜主導の下、妖精メイド総出で行い、来賓を招くわけでもないのに全員がこの場に勢ぞろいしていた。
「といってもレミィがやってたのって主に箱作りだけだったと思うのだけれど……?」
当然その中にはレミリアの友人であるパチュリー・ノーレッジもいる。
いつもの気分悪そうな蒼白顔と半分閉じた眼は、友人のほうを向かずに、図書館から持ってこさせた本に影を落としている。もちろん持ってきたのは図書館専属司書の小悪魔で、現在もパチュリーの隣に控えていた。
「失敬な。私だって会場の設営を手伝ったぞ?」
悪魔に対しても歯に衣着せない賢者の言葉を、丸っきり意に介していないようにそのままの表情でレミリアは返す。
「私もっ、私もぉっ!」
フランドールはただただイベントの準備が楽しかっただけらしく、純粋な笑顔を咲かせている。
「フランは確かに手伝ってたけど、レミィって指図以外してないじゃない。まあそれが手伝いって言うならそうなんだろうけど?」
「今日はやけに突っかかるなぁ?」
「気のせいじゃない?」
パチュリーが手の届く距離で湯気をたてているティーカップを、本から眼を離さずに器用に取って口をつける。
それなりにパチュリーが不機嫌であるのは誰もがその理由と共に知っている。
何にも知らなかったとはいえ、美鈴に魔理沙をコテンパンにされたのが気に喰わないでいるのだ。今日だって魔理沙と図書館内で魔法の研究をする約束をしており、実際にそうするために魔理沙も来たのだろうが、レミリアの思いつきに、パチュリーの知らない間に魔理沙が引っ張り込まれていたことに対して怒っているのだろう。
幻想郷最高の魔法使いがあの人間のことをどう思っているかは、紅魔館の主要メンバー全員がすでに知っており、特に口を出すべきことでもないから知らない振りをしている。
触らぬ神に祟り無し。
「そうだな。予想外というものはことのほか起こるものだよ。疲れたのなら先に休むといい。」
「主賓をおいて先に退場なんてしないわよ。久しぶりにちゃんとした食事もしておきたいしね。――それにしても遅いわね?」
「食事する必要がないのにな。……まあ安心しろ、直に来る。」
レミリアはいつ主賓が扉を開くか知っているような口ぶりで自分の紅茶を一口飲んだ。
運命を操る程度の能力と聞いている。
その能力の一部で、〝特定人物の必然的未来を理解する〟というのがあるらしい。それを基にして運命を捻じ曲げるようだから、能力の基礎といえる。
故にそれはほぼ百発百中。
それこそレミリア本人が運命を捻じ曲げない限り、または必然と偶然の境界を遊び半分に弄りまわせるあの妖怪でもなければ、レミリアの能力から逃れられるはずもない。
つまり、本当にもうそろそろで来るのだ。
いったいどんな登場の仕方をするのだろうか。
とりあえず……
イベントに似つかわしくない普通な行動をとって、主の機嫌を損ねるようなことをしてみろ……
今度ばかりは脳天にナイフよりえげつないお仕置きをしてやろう。
思った以上に悪魔じみたにやけ顔だったようで、一応悪魔なはずの小悪魔がこちらを見ながら今にも泣き出しそうな引き攣った笑顔という器用な表情で固まっていた。
とそれぞれ主賓の到着を待っていたが、
「フラン!」
普通の登場を許さなかったのは姉妹のほうだった。
二人して右手を前に突き出すと、上に向けた掌から紅い光球が出現した。
いや、それは掌に集まってきたというほうが正しいらしい。
人間である咲夜には到底理解できないことなのだが、昼とか夜とか、廻り来る時にはそのときそのとき違う、気のようなものが流れており、パチュリーはそういったエネルギーのようなものを取り込んで術を行使することがあると言っていた。
吸血鬼と呼ばれる種族も、〝夜〟自体のエネルギーを、自身の内側から出る妖気とは別に取り込んで自在に力を魅せ付けられるというのだ。
更には、妖怪としての格によって制御できる、集束できるエネルギーの量は増減すると聞いたことがある。
レミリアとフランドールの手の中にある紅球は、そういうエネルギーの集積体なのだ。
紅魔の姉妹は、純血の誇り高き吸血鬼。
目で見えるほど極限まで収縮させた紅は、もはや自らが重力を発し、テーブルの食器類がカタカタとそれに向かって近づいていっている。
それだけ凝縮されたエネルギーの塊であり、それはそのまま――妖怪としての彼女等の品格を表している。
即ち、我等が主は、文句なしに最上級の王の品格を備えているということだ。
おそらく全力には程遠くあるはずだが、問答無用で陶酔させるほどの力の在り様を、ギュッと握り締めて、姉妹は同時に投擲の態勢を取った。
少なくともスカーレットの血縁では定番中の定番、
スピア・ザ・グングニル
主が使うのはよく見るのだが、どうやら妹も使えるようだ。
偏屈店主のガラクタ屋で埃を被っていた本には、グングニルという武器は名前を忘れたどこかの神が使っていた便利な物らしい。
本物か偽物か、この際どうでもいい。
神が駆使した武器の名を冠した技は今、壁の向こうにいるはずの主賓に向けられている。普通主賓に対してやることではなく、侵入者相手の不意打ちでやることだ(一般的にはそうだろうが、間違っても紅魔館の住人が不意打ちなどという姑息な手段を取るはずは当然ない)。
言ってしまえばただのお茶目なイタズラである。
そして、
自分の住処が壊れようが知ったことかと言わんばかりに椅子に座ったまま全力投球。無駄に広い空間を誇る食堂の奥から前扉までをどこぞのモノトーン人間の如き速さでもって一直線に駆け抜ける紅き光弾×2。放たれた直後から夜の残滓を後に残し、
槍のように
矢のように
彗星のように
鋭く飛んでいく。
威力は申し分なく、標的にされた前扉の少し左の哀れな壁は一瞬後には瓦礫と化しているだろう。その向こう側にいるはずの同じく哀れな主賓共々……。
結論から言えば壁は壊れず、代わりにグングニルがなくなった。
やはり妖怪は妖怪だったというべきか……
槍の尖端が触れる直前、赤茶色の木板で構成された食堂の風格ある壁が水面のようにたわんでぶち抜かれるはずだった一点を中心に波紋が広がり、
破軍の神器はやんわりと、強固に受け止められ、
槍の形を保ったまま制止し、
次第に波に同調して一緒に揺らめき始めた。
誰がやっているのか知っているからこそ、信じられずに咲夜は半開きの口元を手で隠すこともせずにただただ驚いた。
主賓とは……、言うまでもなく美鈴だった。
その証拠に、波立つ壁を彩るのは、人間の限界を遥かに超える可視領域を持つ妖怪の、あらゆる色彩の波動があった。もちろん人間である咲夜にはそのほんの一部しか見えていない。
今まで見たこともない技の冴えと美しさ。
昔、あの弱さは偽りだと、主は言った。
それが誰の弱さなのか、誰の偽りなのかは、当時幼かった咲夜にはわからなかった。
今やっと、誰だったのかを思い出した。
確かその言葉は、咲夜が自身の能力を自在に使いこなせるようになって初めて、美鈴と闘って勝った後に聞いたはずだ。
以前は子供ながらも、物騒にも殺す勢いで毎日のように美鈴に挑んで……
軽くあしらわれていた。
その時はまだ能力を正確に使えなかったからと思って常に自己研鑽し、主からもらった懐中時計を頼りにひたすら努力した。同時に能力を最大限に活かすための体力作りや体術を、日々の闘いの中で美鈴から盗んでいった。
遂にある時、咲夜はギリギリの状態から美鈴の隙を突いて脳天にナイフを突き刺し、初勝利した。妖怪がその程度で死なないことは十分にわかっていたとはいえ、勝利したというのに気持ち悪さしか残らなかった。
美鈴が単純に挑戦を受けていたのではなく、幻想郷と呼ばれる人間と妖怪達の弱肉強食で塗り潰された無法な閉塞世界で生き抜く術を、咲夜に教えながら闘っていたという、咲夜にとって嬉しくも腹立たしい事実は、パチュリーから大分後になってから明かされた。
それだけ大切に思ってくれていたことがどうしようもなく嬉しかった。
何も言葉では伝えてくれなかったことがどうしようもなく腹立たしかった。
素直にそう伝えることができず、半ば八つ当たりのように、サボっているように見える時を狙っては後ろからナイフを投げつけていた。
美鈴はナイフが飛んできても避けることはなかった。
確かにそれは絶対的な信頼だった。
そして、
『美鈴はいつも前を向き、いつも前に居て、私はいつも彼女の後ろ姿しか見ていなかった。』
……いつだって守られていた。
……ナイフの飛距離が延びれば延びるほど、それはそのまま咲夜と美鈴との決定的な力の差を表していた。
今その力の差を垣間見ている。
咲夜自身が今の美鈴だったなら、おそらく壁越しにグングニルを受け止めるなどという無謀な選択肢は始めから棄てていたことだろう。
だが美鈴は避けなかった。
あまつさえ、壁を破壊せず気だけを伝えて止めている。
やがて壁を輝かせていた虹は槍二本を押し包むように膨れ上がり、強烈な赤色を同化させていく。
まさかこんなことまでできるとは思わなかった。
生粋の吸血鬼の攻撃を無力化するなんて……
槍二本分のエネルギーさえ完全に取り込み残さず注ぎ込んで、
……蕾は華を成す。
其はとある聖人の、
其はとある神々の、
智慧と慈悲の象徴として、
聖性と清浄の象徴として、
幾度となく描かれ、形作られ、語り継がれた……、
世界全ての理が座す実在の華。
―― 蓮華 ――
その名を冠す気功の至高奥義。
彩光蓮華掌
自身に飛んできた主の攻撃を避けずに受け止め優しく包み込む虹の蓮華は、まるで御仏の如き深遠なる慈愛と包容力を備え、豪華な中に慎ましさや穏やかさ、清らかさを潜ませている。
その技は、紅魔館の今後の栄華を祈り、純粋な畏敬と永遠の忠誠を誓う証のように見えた。
御業であり、最高の芸術。
それこそが、美鈴が紅魔館の住民であり続ける証拠であり理由であり、
十二分の資格。
範囲をできる限り絞っているのは明らかで、おそらくレミリアやフランドールほどではなくとも手加減しているように見えなくもない。
いや、予想外のイベントのせいでほんの少し休んだ程度では回復しないぐらい疲弊しているはずだ。もうさっきので動く力はほとんど残っていないだろう。
華やかなる業は長く続くことはなく、食堂内の全員が見惚れている中、大気の中へ霞の如く雲散霧消した。
本日の美鈴の日課はこれで完全に終わりを迎える。もう侵入者が来たとしても誰か一人も止めることはできないだろう。そうなるように仕向けたのは隠すまでもなくレミリア以外にいるはずがない。
どこまでが仕掛けだったのかは当人しか知らず、訊いたところで見ている世界が違うから理解するのは難しい。故に〝なるようになった〟と考えるしかない。
レミリアならこの後美鈴がどんな行動をとるか知っているだろうが、誰もそんな無意味なことをわざわざ訊ねない。主賓の出席を前提とした宴なのだから、余興の後ならどんな登場の仕方をしてもいいと思っていた。
「お待たせ致しました。紅美鈴、只今馳せ参じて御座います。」
後ろからいきなり美鈴の声がした。
住民は全員度肝を抜かれて、慌ててさっきまで虹の蓮華に見惚れたのとは全く〝逆〟の、レミリアの席の後ろを凝視する。
見間違うはずはない。
レミリアのすぐ後ろに、美鈴が立っていた。
髪の一部を両側で三編みにまとめていなかったから少し戸惑ったが、燃えるような赤毛と紅魔館の主人を含めて咲夜を除外した住民全員が見上げなければいけないほどの長身は美鈴以外にあり得ない。
「あんなところにあるなんて初めて知ったぞ、美鈴?」
美鈴が奇妙な現れ方をしたというのに、主は特に驚きもせず、そもそも振り向きさえしていない。
だが、五〇〇年以上生きているはずのレミリアでさえ、美鈴が出てきたところは予想できなかったらしい。
「隠していたわけではありませんよ? ただ使う機会がなかっただけです。」
質問に対して平静淡々と答える美鈴。
紅魔館は館とはいえ、その巨大さは最早小城の域にある。当然館の主要住民でもその全容を把握できているのはほとんどいないのだ。だから比較的新参の咲夜が知らない部屋や仕掛けはことのほか多い。レミリアでも知らないことがあるのだから、咲夜が知らないのも無理はない。
例外はたった一人、――美鈴だけだ。
唯一彼女だけが紅魔館の構造を完璧に把握している。
先代のスカーレットが実権を揮っていた頃から紅魔館で住込みで働いている、現当主よりも古参の美鈴だから知っているのだ。
館の隅々まで張り巡らされた隠し通路。
先代が、先々代が、美鈴自身が、魔力で開かずの扉とした危険な仕掛けを施された部屋の数々――その内側にある物。
現在のメイドの統括者として、完全で瀟洒な一従者として、自分以上に知っていることが多い美鈴に時々ふと嫉妬することがある。
しかし今は全く別のことで、咲夜は嫉妬していた。
館の倉庫で眠っていた仕立て図を見つけ、森の人形師の所に持ち込んで指導を受けながら自分がこの手で仕立てた物とはいえ、着るべき者が着るとこうまで全体が映えるものなのか。
流石は中華民族といったところ。
チャイナドレスの着こなしは完璧の一言に尽きる。
そのドレスは食堂を照らす灯りを反射して赤々と猛々しく煌めき、それにも増して輝く、金糸で鱗一枚まで緻密に縁取られた龍が天へ舞い昇る様を表した簡潔にして豪奢な意匠が施された、材質からして最高級の逸品だった。
ノースリーブと深く切り込まれたダブルスリットの妖艶さといったらとてつもない。
紅魔館で美鈴だけが持つ化け物染みた魅惑の曲線美が余すことなくドレスの余裕を占領しており、身体の凹凸がくっきり出てしまっている。
本人は特に恥ずかしいとも思っていないようだが、妖精メイドの中には頬を赤く染めて目を逸らしてしまう者もいるぐらいだ。
念のため洗濯した普段着を採寸して万全を喫したはずなのに、胸のサイズだけ微妙に間違えた。
何なんだろうあの反則は……
何百年生きているのかわからないがまだ成長するのか。
不思議な理不尽にちょっとイラついたが、今日はまあ気にしないでおこう。
「着心地はどう?」
問うてみて、一瞬後にはどう返ってくるのかわかってしまい、誰にもわからない程度に苦笑した。
「ええ、とってもいいですよ。さすがは咲夜さんですね。完璧です。」
『ああやっぱり』
力の差はまだ如何ともし難い。
でも美鈴が何を考えているのかぐらいは、付き合いが短くとも主よりは知っているつもりだ。
今はそれだけでいい。
にっこり笑ったその顔は、
まるで紅い華のようだった。
☆龍☆
「しかし変ですね? 今日の祝い事は……」
言って同時に、席から立ち上がって振り向いたレミリアの前で跪き、
「お嬢様の五一四回目のお誕生日を祝う日のはずでは?」
騎士が王へ忠誠を誓うが如く頭を垂れた。
「どうして私だけが、〝給仕をさせて頂いていた頃〟の服を着ているのでしょうか?」
―ancient―
先代直属の給仕を勤めていた頃、物好きが高じた先代はシルクロードの商人から東国の品を強奪し、その中に一際心惹かれた服を見出した。
それが今美鈴が着ているドレスの原型だった。
ドレスは一度解体され、仕立て師によって図が起こされて、当時人間の大貴族が財産の半分を注ぎこんでやっと手に入れられるような最上級の布を易々と手に入れたかと思いきや、即座に全て湯水のように使ってそのドレスを数着仕立てた。
自身の奥方に着せるものではない。どう贔屓目に見ても尺が合わなかったのだ。
『おまえは東国の出身なのだから今日からこれを着て給仕しろ。』
そう無理矢理押し付けられた。
祖国を捨てた身としては二度と袖を通すまいと思っていたが、紅魔館の支配者には一給仕として逆らえるはずがない。
他の給仕達に羨ましがられながら初めてのお披露目。
まさか吸血鬼だらけの社交パーティーの場だとは思わなかった。
飲み物を運んでいる途中、幾度となく出席者から声をかけられた。
少しの物珍しさとあからさまな下心。
お尻を触られても我慢して仕事をしていた。
触ってきた吸血鬼の奥さんらしき女性は汚らわしそうにこちらを見て扇子で口を押さえながら夫を嗜めた。
『あんな土臭い女の尻に触るなんて……』
『いっいや何、あの上等な服の感触はきっとすばらしいものだと思ってな。』
必死で言い訳に頭を使う男。
不快感を顔に出せるはずもなく、引き続き配り続けていたら、いつの間にか宴の主催者である当主が横に来ていて飲み物を取りつつニヤニヤしながら、
『次におまえを触ってきた奴がいたら問答無用で蹴散らしてやれ。私が許す。おまえが誰の給仕なのか思い知らせてやれ。』
セクハラ野郎をブチのめす許可を下した。
結果的には、次にお尻に触ってきたのもさっきの男だったので、銀色のトレイにたくさんの飲み物を載せたまま、一滴も零さずそのセクハラオヤジを蹴り込んでボコボコにし、ドリブルしながら窓を開けて海へ蹴り落としてやった。
主から許可されたのは〝蹴散らす〟ことだけだったから、その命令通りに蹴散らした。
周りから大顰蹙を買うつもりでやったのだが、浴びせられたのは歓声と拍手喝采。
飲み物を大量に持ったままやったのがツボだったようで、引っ切り無しに門番や護衛の誘いが出てくる始末。
言葉攻めに対応しきれなくなって目を回していたら、
『私の門番だ。異議申し立ては一切受けん!』
先代の一喝は悪魔のような天使の一声だった。
――で、
その数週間後、先代が調子に乗って美鈴を妾にしようとし、光の速さで奥方(美鈴の雇い主)に見つかってこっ酷く絞られたのは、また別の話。
―return―
奥方に申し訳が立たないのと貞操の危機感から転属願いを出し、今の仕事である門番に落ち着いた。
という曰く付きのドレスなのだ。
最早呪いのドレスといってもいい。
何故自分だけそういうドレスを身にまとって、誕生日のはずの主人は普段着ている物なのか。
「ありがとう美鈴。初めて作ったにしてはプレゼント、なかなかおいしかったぞ。」
跪いている美鈴の頭に優しく掌を乗せるレミリア。
気高き優しさは母譲りか。
「気に入って頂けて光栄です。」
今日も門番を始める前、咲夜の負担を和らげるために、今回はよく作っている春巻ではなくサルマーレという料理を作っておいてあった。しかし普段から料理の手伝いをしているから、それでは特別な日の贈り物として十分とは言い難い。
もちろん誕生日のプレゼントは別に用意しようとしたのだが、当日になってやっとできたというのは誤算だった。
初挑戦の料理を主が気に入ってくれたのがせめてもの幸いだ。
「私達の母には及ぶべくもないが、久しぶりに外の世界にいた頃を思い出したよ。」
「おっ、奥様……ですか?」
今は亡き元雇い主である先代の奥方が顔に似合わず家庭料理を得意としていたのは、本人から聴いている上に実際に食べたこともあった。この世のものとは思えない美しい味だったのを、今でも鮮明に憶えているけれども、サルマーレを食べたことは記憶の許される限りを遡ったとしても到底経験がなかった。
ということはあれ以外に考えられない。
「真祖祭限定の料理ですか……」
「「「?」」」
咲夜が、パチュリーが、小悪魔が、先代のいた頃に行われていた何やら行事らしきものに疑問符を投げ掛ける。フランドールはおそらくその行事の意味を知らないだろう。
美鈴がレミリアの代わりに説明する。
「真祖祭というのは、吸血鬼全ての祖を称える日の夜食会を指します。といっても家族単位で行われるものですので、パーティーではありません。ひっそりとした夜食ではありますが、列席が許されるのは吸血鬼やそれに連なる血族だけで、私を含めた女中は食堂に入ることすらできない特別な行事なんですよ。」
「「「……へぇぇ~……」」」
説明を聞いても外の世界、特に吸血鬼の世界を知らない三人には実感が湧かなかったらしく、三人揃って生返事しかできなかった。
美鈴とてレミリアの母親から聴いただけだから、理解しているのは行事が行われる理由ぐらいで、実際の雰囲気等はレミリアしかわからないが、彼女がわざわざ語るわけもない。
「真祖祭では真祖の生まれ故郷の料理が振舞われるのが普通でな。サルマーレはそこの郷土料理としては有名なもののようだ。」
「そうだったんですか。測らずもお嬢様の祝日に見合う料理を提供できたことをうれしく思います。奥様に追いつけるよう精進していきたいと思います。」
そう締めくくって、それで……と続ける。
「それで……、お嬢様の誕生日以外に何か、私がドレスを着なければならない行事なんてありましたか?」
今度は美鈴が全く何も知らないから不思議そうにし、レミリアを含めて、他の全員は知っているから裏のなさそうなニヤニヤ顔を美鈴に向けた。
裏のない笑顔なんてそうそう見ない。
美鈴は何を告げられるのか気になって必要もないのに立ち上がって身構えた。
そんな無駄な仕種にクククッと笑いながら、
「それはな……」
普段は勿体ぶった言い方を好まないレミリアが含みを持たせている。
「……それは……」
ゴクリッ。
生唾を飲み込んでさらに強張った表情になる美鈴。
……
「お前が私の門番になってちょうど五一四年経った記念日だ!!」
……
…………
「……へっ……?」
身構えていた分だけ拍子抜けは一入だったが、身構えていなければ確実に心臓が止まっていたように思う。
驚き過ぎでしばらく思考停止を余儀なくされた。
「さっきよりも固まりましたね?」
「仕方ないですよ。だってサプライズですもん。」
「違うわよ小悪魔。記念日にするには中途半端過ぎたからよ。せめて後六年待ってたらまともに反応してくれたと思うけど……?」
「思いついたら吉日と言うじゃないか。この状態こそ願ったりだ。」
呆然と突っ立っている美鈴を余所にワインの注がれたグラスを持ち上げて勝手に乾杯を済ます面々。
妖精メイドさえ主賓を気にせずワインを飲み干す始末だ。
唯一フランドールだけは、アルコールで酔っ払われては命が本気で危ないのでトマトジュースに変更されている。姉のグラスを物欲しそうに見ているが、ところ構わずキュッとしてドカーン!されると堪ったものではない。こればかりは飲ませるわけにはいかないと全員が承知している。
「ねぇ、早く美鈴にプレゼント渡そうよ!」
宴が始まって早々にフランドールが焦れている。
どうやらすぐにプレゼントを渡したくてウズウズしているようで、七色に輝く水晶のような翼をパタパタ小刻みに動かしている。
プレゼントを渡すのは宴もたけなわになった頃と事前に示し合わせておいたのだが……
フランドールがたけなわの頃合いなんてわかるわけがない。
美鈴がいる手前、プレゼントの話題を出しておいて今更程よい時期までフランドールを我慢させることもできない。更に悪魔の妹が万一癇癪を起こせば宴どころではなくなってしまう。
結局なし崩し的にプレゼントを渡さざるを得なくなってしまった。
「まあいいか、宴が始まる前ならともかく、始まった後ならプレゼントの中身を晒しても問題ないだろう。」
レミリアがそう宣言すると、始めに一歩前へ出てきたのは小悪魔だった。率先して前座を務めるのは妖精メイドと相場が決まっているように思われるが、どうやら小悪魔からのプレゼントは妖精メイド達とセットで一つみたいだ。
「私と妖精メイド達からは、美鈴さんに定休日を贈りたいと思います。非番の時は私達が交代で門番に就きますから安心して下さい。……といっても頼りないかもしれないですけどねぇ……」
と頬を人差し指で掻きながら照れ臭そうに言った。
「いっ、いえいえそんな! いつも忙しくしていらっしゃる小悪魔さん達が私の仕事を手伝ってくれるなんて、これほど頼りになる申し出はありません。とても助かります!」
美鈴は立ち直って快く形ない贈り物を受け取った。
小悪魔達が返答の中に『休む』という文字が含まれていなかった意味を知るのは、初めての定休日が訪れる今から一〇日後のことになる。続いて間を置かずにパチュリーが今まで読んでいた分厚い魔導書をバタンと閉じた。
「もういいわよ。」
何がもういいのだろうか?
疑問符を頭の上に浮かべたすぐ後に、両腕のむず痒さと絹擦れの微かな音に驚いて、思わず両腕を持ち上げた。
「――あっ――」
魔法によって厳重に封をされていた両腕から包帯がひとりでに解け、床に落ちることなくパチュリーの閉じた本のページの間に吸い込まれていった。包帯に術を施したのではなく、そもそも包帯自体が魔法だったのか。
だが、そんなことよりもっと、
信じられないことが自分の身に起きていた。
目の前にあるのは……、普通の両腕。
自分の神経が、自分の気が、自分の血が通った自分自身の両腕だ。
こんな腕だったのか、自分の腕は……
あらゆる傷跡が消えていたことで、この腕が、自分の腕ではないように一瞬思ったが、瞬きも忘れて自らの腕を頻りにかざし見る。
ゆっくり見ている暇もなく、フランドールが目の前に近づいてきて、細長い茶色の紙を手渡してきた。
何処の人里へ探しに行ってもまずないような高級さが滲み出る羊皮紙に、拙い殴り書きで文字が書かれていた。
「私のプレゼントはこれっ!」
満面の笑みで手渡されたそれは、
『美鈴の肩を揉んであげる券』
だった。
美鈴の体調を気遣って作ってくれたものだろう。
腰の位置より少し高いところまでしかない身長で抱きついてきたフランドールに、万力に下半身全体を挟まれて締め上げられたような、思わず死んでしまいそうな苦痛に耐えながら、決して笑顔を崩すことなく軽く抱き返して、
「大事に使いますね。」
と優しく感謝の意を伝えた。
フランドールのありとあらゆるものを破壊する程度の能力は関係なく、ただ吸血鬼として、妖怪としての力の加減が満足にできないからこんなことになっている。
下手に券を使おうとすると元々凝りもしない肩が確実に粉砕される危険性があるが、
自分が将来どうなるかなど、正直どうでもいい。
「私からのプレゼントはもう渡してあるわ。当然わかるわよね?」
次は咲夜だ。
「はい、とても懐かしくて……、でもあのときよりもとても温かさを感じます。」
もう自らが着ているドレスを咲夜が作ったことはわかっている。
箱の中に仕込まれていた招待状はもとより、足でペダルを踏むことで車輪を回し、その動力をもって針を動かす、幻想郷の中において持っている者が限られるミシンで縫われた服の縫い目のくせなどで、誰の仕業か一目瞭然だった。
裁縫なんかを教えたのが他でもない、美鈴本人だからだ。
でも本当に見違えたものだ。
まじまじと見なければそんなくせを見つけるなんてとてもできない上に、ちょっと前に一通りを教えただけなのに、今では服一着を縫ってしまうまでになっている。服作りを教えたプロの裁縫家でもある魔法使いの指導は余程良かったのだろうが、それだけでなく、やはり咲夜の尋常ではない物覚えの良さこそ特筆すべきだと思う。
「気に入ってくれてよかった。大事にしてね?」
「はっ、はい! それはもう!」
勢いよく頭を下げて全力で確約した。
食堂に入る前からどうやってドレスを保存しようか考えていたところだ。
人型をした置物とガラスケースは最低条件で、スキマ妖怪あたりに外の防虫剤でも頼んでみようか。
どうやって保管しようか悩んでいると、
「――それと……」
咲夜がいきなり消えた。
と認識したときには、美鈴はすでに椅子に座っていた。
いつものことながら咲夜に座らされていたのだ。
「門に引っ掛かってたわよ?」
咲夜が持っていたのは黄緑色の小さな袋。
わざわざ頭の中の記憶を手繰る必要もない。見て一瞬でそれが朝風見幽香からもらった花の種が入った袋だってことがわかる。
「いやぁよかったです。探しに行く暇がなかったので……。お手数お掛けしてすみません。」
本当だったらもっと前に受け取って、
今日この時に間に合うように咲かせて誕生日を祝うつもりでいたのに。
何でこんなに遅れたんだろうか?
幽香だったらこれぐらい簡単にやってしまいそうに思うのだが……
「そして最後はこれだ。」
レミリアが美鈴の目の前でチラつかせたのは今日山賊に切られたはずの髪を留めていたリボンだった。
「あっ、あぁあのこれはっ!?」
「全く、らしくないなぁ♪ 下衆の刃を届かせるなんて。」
「んむぅ……、め、面目次第もありません……」
妖精に昼御飯を食べられて力が出なかったからなんていいわけにもならない。
素直に反省して項垂れる。
「今度はそう簡単には切れないぞ?」
「――え……」
すでに頬の両側を三つ編みに結ばれていた。
「やっぱりお前はこうでなくてはな。」
赤毛で、
両側三つ編みで、
砕けた敬語を適当に使う、
――いつもの自分だった。
「――――あ……あの、――――ありがとう、ございます……」
ずっとしがない門番でいようと思っていた。
ずっと、雇われていただけだと思っていた。
こんなこと、たぶん一生ないと思っていた。
主の思いつきは、普通じゃないけどいつものこと。
自分を祝ってもらえることが、急にいつものことのように思えた。
『たぶん、私は……』
「なぁに笑いながら泣いてるのよ? 器用ね。」
「誰だって祝ってもらえれば喜びますよ!」
「……それにしても大袈裟ね……」
「ねぇねぇ、何で泣いてるの? 何で何で?」
それぞれ別々に宴を楽しみながら、全員が一緒に笑っていた。
「どうして……?」
「どうしてって……」
「〝家族〟がやることだからな、いつが記念日だっていいじゃないか。」
私は、今の私であってよかったと誇りに思う。
そして……、
私は幸せだ。
☆龍☆
夜、美鈴は自身の過去を夢に見た。
美鈴は紅流太極拳の道場で、門下生達に稽古をつけていた。
自身はその道場の師範の娘で、物心ついた頃にはすでに拳法を父から教わっていた。
その頃は道場同士が試合を組んでいた。
年齢制限のないその試合に幼い頃から出されて以来一切の負けを知らず、神童という名を与えられていた。また本来の名である美鈴以外に、龍娘(ロンニャン)とも呼ばれ、大の大人をさえ圧倒する強さを誇った。
畏れられた存在と対等に戦える相手がいなくなる、それどころか試合をまともに組ませてもらえなくなるのには、そう時間はかからなかった。
結局、一八才ぐらいになるまでには師範たる父さえあっさり倒し、皆伝と共に道場の顧問を務めていた。
あの夜……、一人で練習をするために、道場近くの森に入った。
いつもの日課で、そのときも特に変わったことはない――はずだった。
森の奥から化け物が、妖怪が出てきた。
――やっと……、やっと、まともに自分と戦える相手を見つけた。
初めて妖怪を見たときに、そう心が疼いたのを憶えている。
強さには自信があった。
かといって、向上心は常に持ち、怠けるようなことは一切せず、周りに見せびらかすこともしない。
数は四。
道場には門下生もいれば家族もいる。
しかし美鈴は近づけてはならないとは全く思わず、ただただ喜び勇んで真正面から死合を挑んだ。
二匹は内臓をぶちまけさせた。
一匹は頭を強引にねじ切った。
妖怪の、暗くて何色か分からぬ血にまみれ、自身も傷つき血を噴出しながら、
ようやく叶った全力の殺し合いに、空っぽだった美鈴は満たされた。
最後の一匹に負けた。
左腕と左脚を根元から食い千切られ、
右腕右脚をぐちゃグチャの粉々にされて、
左脇腹から心臓近くまでを抉り取られて内蔵をかき出され、
喉笛に噛み付かれた。
中途半端なところから息が漏れてヒュウヒュウと唸る。
霞む目に見えるのは、自分から出た大量の血で作られた赤い池。
そんなどうしようもない状態でありながら、美鈴は笑っていた。
――なんという恍惚か。
失われる意識の中で、そう思うほどに焦がれた。
だから、
【――】
自身の喉を噛み潰した瀕死の妖怪が最後に言い残した言葉が何だったのか。
……理解するのに、少しだけ時間が必要だった。
目を覚ましたのは、一〇日ほど過ぎた朝だった。
確か自分の部屋だったと思う。
門下生から聞いた話だと、あの日帰りの遅かった美鈴を道場の全員で探していたところ、森の中で血みどろになっていたのを発見された。あの時食われ抉られたはずなのに、服以外はかすり傷一つなかったという。
何か得体の知れない獣の血に染まった美鈴は、母親に身体を洗われた後、まるで本当の死体であるかのように眠り続けていたらしい。
あの夜の記憶はほとんど抜け落ちていた。
自分の身体が元に戻った経緯なんて分からない。
だが……、その時感じた高揚感だけが気持ち悪く、心地良く身体に巡っていた。
そのおかげか回復は早く、それどころか以前よりも身体が鳥になったように軽かった。
全快後、師範の父が復帰祝いということで、十数年ぶりにまともな試合を組んでくれた。
どうも相手は、数年前から頭角を現してきていた同い年の男のようだった。
嬉しかった。
父が自分のことを思ってくれていたことだけではない。
あの夜に感じたものを、また感じられるかもしれない。
淡い気持ちで試合に臨んだ。
――そして、思い知らされた……
やってしまった後になって、妖怪の発した呪言を思い出した。
『……踏み外せ。……堕ちろ。我の代わりに怖れられろ。……災厄を撒け、同胞よ。』
殺してしまったのだ。
ただの一撃。
美鈴にしてみれば、ただ普通に殴っただけだった。
人の頭とは――こんなにも脆いものなのか。
くず折れる、頭をまるごと消し飛ばされた死体なんて、見ている余裕もない。
静寂に包まれる場内。
美鈴は血や脳漿がべったり付いた自身の右拳を見た。
あの時――、死んだのだ。
そして生まれ変わった。
自分が妖怪になってしまった。
こんなこと望んだはずがない。
こんなこと望んだわけじゃない。
――こんなこと、望んでない。
「いっ――、嫌ぁああああああああああああああああああああああああっ!!」
膝をついて、血に塗れるのも構わずに、頭を抱えて慟哭した……
――呪いは、成就せり。
祖国で過ごした残りの時は、血に塗れた地獄だった。
踏み外して、堕ちるしかなかった。
父は美鈴を、自らの手で殺すことを選んだ。
初めての過ちを不問にされ、何もかもに無気力になっていた美鈴には、ある意味願ってもないことではあった。
毒や何かでちまちまやられたところで、もう耐性が付いてしまってどんなものも効かなくなっていた。
何もかも終わらせるつもりで道場に向かい、何もせず殺される覚悟で対峙した。
父も覚悟はしていただろう。
――自分が殺されるかもしれないという覚悟に……
死ねなかった。
妖怪としての本能は、どうしようもなく生きることを選んでしまった。
そんな自分を殺そうとした父を、美鈴は殺した。
望んだ力の使い方は、望まない結果しか生まなかった。
どうして嘆かないでいられるだろう。
心臓を貫いたその指で父の顔に触れ、血の涙を流した。
門下生や、父に縁のある格闘家、それ以外の連中にまで狙われるようになった。
恋焦がれた殺し合いなどできるはずもない。
時に真正面から死合を申し込まれ、時に徒党を組んで襲いこられ、暗殺されることもあったが、殺されない。
死ねない。
どれだけ傷つこうとも、人間であれば死んでいるはずの攻撃を受けても、妖怪の頑丈な身体にはいずれも致死にならず、怪我さえすぐに完治していく。
結局、その退廃しきった怨嗟を断ち切ることしかできなかった。
悲しみも嘆きも……、全て自身への、こうすることしかできなかった自分への怒りに変えて……、
自分の今までの思い出を、村を街を……
跡形もなく殲滅した。
焦土となった生まれ故郷に佇んで、月のない夜空を見上げてただ泣いた。
それだけのことをしておいて、今更何もなかったことにはできるはずがない。
危険要素を速やかに排除するため、軍が動き出した。
反乱分子が美鈴を我が物にせんと動き出した。
祖国が追ってくる。
もう嫌だ。
そんな、関係のない権力闘争に巻き込まれるなんて御免だ。
だから逃げた。
追ってきた王朝の兵隊を皆殺しにし、追ってきた反乱分子達さえ血祭りに上げ、山脈と砂漠を越え、国境に辿り着いた時には、軍の八個師団を全滅させていた。
結果的に反乱分子に協力した形になり、後々で王朝の崩壊を知ることになるのだが、もう美鈴は祖国を捨てていた。
迷わず国境を越え、自分を殺してくれる者を求めた。
ひたすら西へ……
虎の潜む森を抜け、気が狂いそうなほど果てなき陸路を歩き、呆然と他の国を見て回った。妖怪と人間の味覚の違いに悩まされ、生きるのには必要ないはずの料理の勉強をしながら、異国の文化と人情に触れた。
それを繰り返して、
いつしか石とレンガで造られた、今までとは全く違う国に迷い込んだ。
それまで美鈴を殺せるような者は、人間も妖怪もおらず、行く先々で血と臓物の死屍累々を築いていた。
精神は疲弊し、磨耗し、自身を知る者のいないこの土地で、ひっそり生きようと思った。
路地裏で屯っていた人相の悪い人間共を速やかに排除して、その行き止まりで夜を明かそうと、蹲ってじっとしていた。
ちょっとでも裕福な生まれの連中なら誰も近寄らないようなそこへ、
小さな女の子が、
朱い幼女が、
輪郭を持たぬ影を落としていた。
いつからいたのか分からないが、こんな場所に最も似つかわしくない、今まで見てきた中で間違いなく一番高貴な出で立ちをした者だった。
「研ぎ澄まされた龍と死んだ魚が同居しているな、お前の眼は……」
初めは、傲岸不遜が服を着て立っている、そう思った。
美鈴の半分以下の身長で、どうしてそこまで周りにそう思わせられるような傲慢を撒き散らせるのか。
彼女が妖怪であるとしても、到底納得できるようなものではない。
「……黙れ。お前にとやかく言われる筋合いはない……」
「私には構ってほしそうな眼をしているように見えるが……?」
『知ったような口を……』
一層目つきを悪くして、
「それとも何だ。あんたが私を殺してくれるのか?」
と逆に噛み殺しそうな勢いで問い返した。
「死にたいの……? 私には、お前が何かを無性に殺したいように見えるけど……? 例えば今目の前にいる私とか……」
深淵を見詰める血のような赤い瞳は、表層だけを見るような温いものではない。
捉えた者の脳や心臓まで、その赤で塗り潰してしまいそうなほどの、
――鮮烈で刺激的で、魅惑的な赤。
そんな眼が、美鈴の――
死のうとする人間の理性と、
殺し合いを求めながら、生きようともがく妖怪の本能との葛藤を透かしている。
そう見えて、彼女と話すことが急に嫌になった。
自分の手で殺した母親と……、何もかも納得して簡単に殺されていった母親と、その眼は酷く似ていた。
「――ハァ、もうお前と関わる気はない。……失せ!?」
赤の一閃。
「ガァッ、ァ……!!?」
胸の真ん中より少し左、
心臓をぶち抜いたのは、巨大な槍。
年端も行かぬ幼女のような妖怪が放ったにしては、巨大過ぎる。おそらくは自身の身長の軽く二倍を超える長大な得物だ。
どこからともなく表れた赤い槍を、驚愕と安心でない交ぜになった眼で見た。
凶々しいのではなく、神々しい。
胸から生えた柄を、恐れ多さから触ることすらできなかった。
「――私は――、お前が欲しい。……今そう決めた。」
「ウグッ! ガッ! それ……なら、やり、か……たが、ま――ちガッッッて、るぞ?」
串刺しにされた美鈴は血を吐きながら言った。
その槍は心臓を突き潰して背骨を分断し、壁に美鈴ごと突き刺さっている。
「間違ってないよ?」
幼女は笑う。
「お前は死んだ。」
妖怪は嗤う。
「そう、人間としてのお前は今、死んだ。」
王女は哂う。
「そしてこれからは妖怪として生きる。」
残酷に、
「私に仕え、共に生きよ。」
熾烈に、
「それがお前の――、運命だ。」
愉快に、
「……私がそう、決めた……」
狂乱に凶乱に
傍若無人に
傲岸不遜に
豪放磊落に
唯我独尊に
――朱く――赤く――紅く――
勝てない。
この幼女の、この妖怪の、この王女の、この女王の、
この――、方の、
目の前では、死すら許されない。
串刺された身体から槍が抜かれる。
有無を言わさず、自分という人間は殺された。
そして、妖怪として生きている。
重荷が全て取り払われたような気がした。
もう……、生きていいのか。
「さあ、行くぞ。」
美鈴が回復するまで、その妖怪は待っていた。
そして美鈴は、差し伸べられた手をとって、共に往った。
その夜、
新しい居場所ができた。
それは――血のような紅き満月を讃えた、新月の夜のこと……
……もう二度と見ることはないだろう。
☆龍☆
――翌日――
「おはようございます! 珍しく門から入るんですね?」
「一々不意打ちされちゃあおちおち空も飛べないからな。今日は大丈夫だろうな?」
「ええ、今日は通って頂いてもいいですよ♪」
「門番がそう言うなら遠慮なく入ってやろうじゃないか。っていうかいいのか? 本当に入るぞ?」
「いいって言ってるじゃないですか。そもそも魔理沙さんは妹様とパチュリー様から許可が出てるので、こちらに用事がない限り堂々と門を通ってもいいんですよ? 寧ろ空から来る度に館の一部を破壊されるのが何より面倒なので止めてくれます?」
「それは私の趣味だから今更止められないぜ?」
「だったら全力で止めるまでですよ?」
「あれは……、正直止めてほしいぜ……」
「あなたが行儀良くすれば私の手間は増えませんが?」
「あーあー、もうわかったぜ。憶えてたら門から入ってやるよ。」
「私に記憶の整理を押し付けないで下さいよぉ?」
「私は努力する魔法使いだぜ?」
「どうだか……」
「そういやお前、今日はやけに気分いいよな。昨日何かあったのか?」
「それは……、ひ・み・つ、です。」
「ケチだなぁ。ケチは泥棒の始まりっていうぜ?」
「泥棒のあなたが言うんですから説得力ありますねぇ?」
「何だよその全力で嫌そうな顔は。因みに私は泥棒じゃないぜ? ……わかったよ、こうなったらパチュリーに訊いてやるぜ!」
「訊いても無駄だと思いますけどね……。
――あっそうそう、私もあなたに訊きたいことがあったんでした。」
「へぇ、何だよ?」
……
「あなたには、守りたいものって、ありますか?」
了
いつでも吐いているため息で、一際四肢の力が抜けてしまう。
立っている気力など毛頭ないから、バラのつたが絡んだ、かといって特に古臭いわけではなく、むしろ錆どころか黒のペンキさえ一切剥がれていない、新品のような鉄製の門扉の前で、だらしなく内股開きの体育座りで座り込んでいた。
後ろの扉を憎らしそうに眺める。
『本日絶対面会謝絶ッ!! 御用があろうがなかろうがとっととお帰り下さい。』
……
本日の予定が鎖に括り付けられていた。
門扉にこのようなモノが掲げられることはとても珍しい。普段は何もかかっていないのだ。
つまり、いつだって面会謝絶なのだ。
ただし、お屋敷の主人が許可を出した者だけは通すように言われている。
それは博麗の巫女だったり、白黒の魔女だったり、人形遣いだったりするのだが、両手で数えられるぐらいしかおらず、人形遣い以外はまともに門を利用するような連中ではない。
それが、今日に限って看板を出すほど徹底した面会謝絶ということは、許可を出された者であっても決して通すな、という意味だろう。
こんなことはいつ以来だったろうか?
確か巷で言うところの紅霧異変のときでさえ、予定が開示されることはなかった。
それだけ異常なことである。
我らが紅きご主人様は今日、いったい何をするつもりなのか?
まぁ、お嬢様の予定なんて門番が考えたって詮無いことだ――、紅魔館のそれであるところの紅美鈴は、もう一つの懸念を思う。
『お嬢様含め、館の主要住民全員が、自分まで締め出している』ことだ。
わざわざ予定を鉄製の看板に焼付けているのは美鈴を、厳戒態勢をとらせることで館に入れないためであることも分かっている。
自分が世話をしている庭の花壇に咲く花々を、できれば今日もかまってやりたかったのに、それはメイド長の十六夜咲夜が代わりにやると言って、美鈴の主張を跳ね除けた。仕方がないので簡単に世話の仕方を説明した後、いつも通りに門番をしている。
『今日は彼女が来る予定なのに……、なんと日の悪いことか。』
気を落ち着かせるために太極拳をしていたが、太陽が十分昇った朝までは続けられなかった。
もうそろそろでその彼女が来る。
身体がだるくとも自分のためというわけではないにしろ、客人に対しては誠意を示さなければならない。故に一度後ろに脚の力だけで跳ね飛んで天地垂直の綺麗な倒立を極め、ニ、三度そのまま腕立て伏せをし、肘を軽く曲げた状態で、腕の力だけで身体全体を跳ね上げた。
腕も脚も伸ばしたまま後方宙返り。
「ほいっ!」
背を反らしながら月のような弧を描き、空中で腹に力を入れて上体を強引に戻す。
音もなく地に足をつけて、特に難しくもないバク転を完成させる。
自分の能力で髪や服に付いた砂や埃を、塵も残さず払い落として、自慢の長くて朱い髪を軽く振って整える。拾い上げた帽子から土ぼこりを払い、かぶり直した。
身形はそれだけ整えれば十分だ。
「はしたないわね。パンツが丸見えだったわよ?」
大きく両サイドにスリットの入った緑の中華服は、激しく動いて翻れば簡単に下着が見えてしまうことがあるが、どうも逆さまに立ったときに真正面の妖怪には見えていたらしい。
いつの間にか、今日始めての来客が自分のすぐ横に来ていた。
「ああ、おはようございます。大丈夫ですよ、今見ていたのはあなただけですから。」
いつもの無表情な笑みを張り付かせた顔が、今は不安や命の危機よりも、平常感を与えてくれていて実に安心した。
「鴉が盗撮に来ていたかもしれないわよ?」
相も変わらずド派手な服を平然と着こなして、
「鴉はこの近くにはいませんよ。それより、今日はパンツルックで来られたんですね、幽香さん?」
花の大妖――風見幽香が愛用の日傘をくるくる、さも上機嫌そうにこちらを見ていた。
「分からないわよ? 明日には新聞の第一面にあなたの破廉恥な画(え)が載っているかもしれないわ。ああ、明日が待ち遠しいわ。」
自分の服装の珍しさを横に置いて、まず明日起こることという不確かな事象について、美鈴を不安にさせようとする物言いは、やはり彼女が偉大なる加害愛好家であることを感じさせる。かといって、それが〝ありえない事象〟であることを美鈴は当然知っている。
「鴉の……いえ、天狗の気配っていうのは妖怪の中でも独特なんですよ。近くにいたらすぐに分かります。ですからカメラを構えて私を撮影できるような場所に彼女達はいません。」
気を自在に操るというのは、永遠亭の妖怪兎の狂気を操る能力と似ている。周りから放たれているありとあらゆる気を感じ、またそれを操作する力だ。
決定的に違うのは、妖怪兎の能力は主に外へ向かうものであるのに対し、美鈴の能力は主に自分自身に向かうものであるということだ。
簡単に言ってしまえば、美鈴の能力は身体強化や自己治癒力の上昇等、自分の手足の延長となる能力なのだ。
そのせいか、妖怪兎のように広範囲を知覚することはできない。
それでも数キロメートル先の気配ぐらいなら、どこの誰がどんな気持ちで何をしているのかぐらい簡単に感じ取ることができた。
この能力を最大限利用して感覚を広げ、息づくもの全ての気を探って、近くにいる妖怪が自分達二人だけであることを認識していた。
「あら残念♪」
幽香は特に残念がってもいない顔で、日が照っているにも関わらず日傘を閉じた。
「……まあ与太話はこれぐらいにして、はいこれ。」
どこから取り出したのか分からないが、小さな袋が差し出された。
「ありがとうございます。いつもすみません。」
笑って、両手で丁寧に受け取る。
上品な手織りの袋は毎回違った色彩を放つ。天然物の絹をキメ細かく織り込み、植物から抽出された染料が使われている――おそらくは彼女しか作れない至高の一品だ。
今回は爽やかな淡い黄緑色をしている。
しかし、花の大妖から袋だけをもらっているわけではない。
その中身が本命だ。
「品種改良に成功したから、今回はそれを持ってきたわ。」
中には、バラの種が入っている。
紅魔館の花壇には様々な花が咲いているが、取り分け多く植えられているのがバラだ。そしてバラの中でも特に多いのは赤いバラである。それらの扱いは特別で、他の花とは別の花壇に植えられている。
品種は様々だが、塀や門に絡まっているつるバラはツルクリムソングローリ、花壇にはロイヤル・スカーレット・ハイブリッドとロサ・ルゴサ・スカーレットが最も多い。他にレッドクィーン等もあり、ほとんどが赤い花をつけている。
紅魔館の主である吸血鬼、レミリア・スカーレットとその実妹であるフランドール・スカーレットの二人――紅魔の姉妹を象徴し、称えるための花だ。
今日もらった種も、あらかじめ頼んでおいた赤いバラのものである。
「へぇ~、すごいですねぇ! 名前は何と言うんですか?」
幻想郷で植物の品種改良ができるのは、それらを自在に操れる幽香しかいない。実際、紅魔館の庭園に植えられているほぼ全ての花々は幽香から分けてもらっている。
花が咲いた時点で時を止め、半永久的に咲かせ続けようと咲夜は提言したが、レミリアが『花は散るから美しい』と言ったことで、庭の花は美鈴が担当することになった。とはいえ、花の気を弄って長持ちするようにはしているのだが。
何はともあれ、庭園管理を任されていることもあり、こちらに来てからは幽香との付き合いを大切にしている。
「そうねぇ……。まだ決めてないのだけれど、ここのために作ったようなものだし……」
少しだけ館を眺めながら考えて、幽香は美鈴に視線を戻す。笑顔に変わりはないが、無表情ではなくなっているような気がした。
「あなたが決めていいわよ?」
そう言われると美鈴は困った表情になる。
「う~ん、そうなると私の一存では何とも……。お嬢様にお伺いを立てないことには決められませんねぇ。」
以前から育てているバラは、元々外の世界に在ったものらしく、名前もとっくに決められている。しかし今美鈴が手にしているのは、この幻想郷オリジナルの品種といってもいい代物だ。しかもこの館の――延いては姉妹のために改良されたバラとあっては、只の門番がその名前を決めていいはずがない。
図書館以外の、館の全てのものは、主人のレミリアに帰属する。
だが今日一日は伺いを立てることさえできない。
「ああそうでしたそうでした。言い忘れていて申し訳ありませんが、本日お屋敷のほうが立て込んでおりまして、敷地内へお入りいただくことができません。何人たりともお通しできませんので、重ねて申し訳ありません。」
ここまで畏まって言わなくとも幽香なら分かってくれるのだが、一応社交辞令として恭しく頭を下げた。
いつもだったら庭園を一通り回ってもらい、花の状態を小まめに見てもらっていることもあって、その分も含めての謝罪だ。
「そうなの? お庭の状態も確認したかったのだけれど……仕方ないわ、お家の事情ではね……。でもね、バラの名前はあなたに決めてほしいの。花を大事してくれるのなんて、私以外ではあなたぐらいだもの。」
当然美鈴は困惑した。
花絡みでこの妖怪が他人に譲ることがあるなんて、今まであった例がない。何か悪いものでも食べたのかと訊こうと思ったが、おそらくそんなことを口にしたら次の瞬間には首をへし折られているだろう。
そんな程度では死なないのだが、死ぬほど痛いのは分かりきっている。
だからそのことには触れないことにした。
「本当に……、私が決めてしまっていいのでしょうか?」
「ええ、どうぞ?」
「そんなにひねった名前思いつきませんけど……?」
「構わないわ。」
幽香に対してある種の恐怖を感じながら、自分でそんなに良くはないと思っている頭で思い浮かべてみる。
と、その花を連想しようとして、できないことに気付いた。咲いたところを見たことがないから、そもそも名前を付けるには、赤いバラというだけでは情報が少な過ぎる。
「あのぉ、どんなバラが咲くんですかねぇ? 咲いたところを見ないと名前の付けようが……」
「あぁ、そうだったわね。」
袋から種を一粒、幽香に手渡す。
受け取った幽香は掌をそのままに、土に植える動作もとらない。自然に咲くのを待っているだけとでもいうようにただじっとして、もう少しで昼食時に至る太陽に黙ってかざしている。
あっという間ではなかった。
だがしばらく待つ必要もなかった。
土も水もなしに、種からゆっくり――若々しい緑が芽吹いた。
土の付いていないきれいな根が、穢れを知らぬ清楚な指の間や掌を滑るように伸びていく。蕾は徐々に大きくなりながら茎と共に身を伸ばす。
深い緑が日を孕んで放ち、自身を眩しく、網膜を魅せる。
遅れて、バラの美しさを際立たせる棘が主張し、後は花開くを待つばかりとなる。
やがて……、先端が開放され、
麗しき紅は翼を広げる。
それは煌々しき真紅。
それは神々しき深紅。
「……」
思わず……、美鈴は見惚れてしまった。
今までに自分が見てきた赤いバラのイメージが残らず塗り替えられるほどの、この世にもあの世にも存在しない、神域深淵の紅。
惑乱という魔さえ感じさせるバラだった。
「どうしたの? そんなに見惚れて……」
「えっ!? あいやそのぉ……」
言葉を掛けられるまで意識を外すことができなかったこの花に、はたして自分が名前など付けていいのだろうか?
その行為をおこがましく感じてしまう。
「本当に付けなくてはいけませんか?」
しつこく思われそうだが、それでももう一度訊かざるを得なかった。
名前を付けてしまえば、この花の美しさが失われてしまいそうだと思ったのだ。
「名前がなければ存在が定着しないわ。それではせっかく生まれてきたのに、意味のない子になってしまう。幻想郷の中で幻想にされたら、この子は咲けないの。」
そう言われて思い直す。
幻想郷とは、外の世界から忘れ去られたものの行き着く最後の拠りどころなのだ。そこで名前がないものは、外界の名前あるものに淘汰される。名前というものは個を表す記号だけでなく、意味であり存在だ。
スペルカードルールとて同じこと。名を付け、宣言することでカードは意味と方向性を持ち、その名に合った力を外へ放出する。そうしなければ技が発動しないのだ。
このバラも、名前を付けなければ存在が保てず、簡単に消えていってしまう。
それは避けるべきだ。
咲く場所を作ってやらなければ、花がかわいそうだ。
「……つまらないことを訊いて申し訳ありませんでした。」
「謝り過ぎよ。それよりも……」
一歩前へ進んだ幽香と、伴って一際鮮明に覚めるバラは、美という像を一層結ぶ。
花を手にしているときの幽香はとても楽しそうだと思った。
彼女の笑顔は変わりなくとも、付き合いが長ければ長いほどその違いに気付く。
おそらく幽香は、この幻想郷に在ってから今まで一度もしたことのなかった試みをしていることに、内心戸惑っている。しかし同時に新鮮な経験として興味深く観察している。
美鈴の名付ける存在へ、思いを馳せているように見える。
いったいいつからそんなに人間臭くなったのか。
結局、考えたところで誰もが納得しそうないい名前は思いつかなかった。
「リィ……、リィシェンホンって、どうでしょう?」
「? 何となく人の名前っぽい発音ね。どうにも分かりづらいわ。」
外に居たときの母国語で言ったため、意味が伝わらなかったようだ。どうもこういう事態には以前の慣習が戻ってきてしまうらしい。
分かりやすかろう漢字の読みで言い直す。
「『麗しき女神の紅』と書いて、麗神紅(れいしんこう)と読みます。」
「ひねりも何もない、直線的な名前ねぇ。」
「ハハハっ、やっぱり駄目ですか?」
笑いながら訊ねる。
自分ではこれが限界だ。咲夜あたりならもっと上品で洒落な名前を思いつきそうだが、館の中で何をしているのか、買い物に出る気配も、後ろからナイフを投げてくる気配もない。
別の名前を考えていると、幽香は問いに対して首を横に振った。
「そんなことはないわ。変に回りくどい名前よりよっぽどマシよ。」
幽香は花を、時間を逆行させたように種まで退化させて、美鈴が開いたまま持っていた袋の中へ丁寧に戻した。
「これからその種は、あなたが付けた名前の通りに育ち、花を付けるわ。」
日傘を館の塀に立て掛けて、あり得ないほどにこやかな顔が言う。
ここまで裏のない顔をされると薄気味悪く感じてしまう。
やっぱり今日の幽香はどこか変だ。
詮索はしないけれども……
「名付け親になったのだから、しっかり育てなさい。次着たときに咲いているところを見せてもらうから……」
「あっ、はい! 任せてくださいっ!」
またいつか――という何ともはっきりしない約束をして、幽香は右腕の肘を左腕を曲げたところに挟んで、腰をテンポよく捻ったり戻したりをし始めた。
何をしているのだろう?
自信たっぷりに返事をした直後に不安たっぷりになる。
あれはどう見ても運動をする前の軽い準備体操だ。
「あ、ええっと、な何を、されてるんですか?」
恐る恐る伺ってみる。
何となく、悪い予感も簡単に裏切られる斜め上の何かを感じた。
「何って……」
右腕と左腕を交替させてまた腰を捻ったり戻したりしながら、これからやることに好奇心を沸かせている様子。
いつにもなく尋常ではない。
「あなたが朝やってる……、あれって何て名前だったかしら?」
「なっ、なな何ですかねぇ、それは……」
「あっそうそう、ゆるゆる動くあの体操のような……」
「……太極拳……ですか……?」
「そうそれね。それを教えてもらおうと思って……?」
美鈴は思い切り塀に背中を打ちつけるのも構わず、素早く幽香の傍から遠退いた。
「? 何その、今世最大の冗談を聞いたような驚いた顔は……」
まさにそれだ。
今世最大の冗談だと思った。
本能的に跳び退って、理解するまで数秒の間を要した。
『夢なら覚めて……』とは誰の言葉だったか……
「あ、あのぅ……」
こればかりは真偽を確かめねばならないと直感せざるを得なかった。
「何で、太極拳をしようと……?」
「ん~、特にこれといって理由はないのだけれど、強いて言うなら新鮮な刺激が欲しかった――というぐらいねぇ。」
寿命の概念を持たない妖怪という種にとって、刺激は定期的になくてはならないものだ。だからこそ突拍子もないことを言い、突如として動く。
永遠かもしれないその生は暇潰しの連続だ。太極拳をやることもそれかもしれないが、さていったい何が起きているのか。
……
とりあえず、考えるのはやめた。
彼女がなぜやりたくなったのかなんて理由はどうでもいい。
今までは一人でやっていた。
だから、
単純に一緒にやってくれる者がいるのが嬉しかった。
「……Shall we dance?」
幽香が洒落た言葉で誘い、右掌を上にして差し伸べる。
美鈴は失礼のないように帽子をとり、種の入った袋と一緒に門の侵入者妨害用の鏃形に尖った頂上に丁寧に引っ掛けて、
「いやぁははは、社交ダンスじゃないんですが……」
帽子はアーチ状の門の中心、最も背の高い鏃に軽く引っ掛かって、『龍』と書かれた金の星を輝かせた。
端を摘み上げられない中華服のスカートを少し恨めしく思いながら、膝を軽く曲げ、身体全体でお辞儀の姿勢をとる。
左手を差し出して右手に軽く触れさせる。
「……よろこんで……」
にこやかに答える。
応じたほうがリードして、
ゆったりゆっくり――ひと時を……
☆龍☆
昼頃まで幽香と太極拳をした後、また門番としての職務に戻った。
戻りながら、昼食をとることにした。
美鈴は朝昼晩の食事を自分一人で作っている。レミリアとフランドールは主に夜に向かう黄昏時から、朝へ向かう黄昏時にかけてが活動時間で、昼夜が逆転している。そのためメイド長である咲夜は、いつ寝ているのか分からないほど長時間働き詰めでいる。
そんな咲夜に自分の世話まで押し付けてはいけないと考え、自分の分は食事はもちろん洗濯から守衛室(夜に美鈴が詰めている部屋で、自室でもある)の掃除まで、全て一人でしている。
時には咲夜達の食事の分も余計に作り、家事の負担を和らげてもいた。
今日作ったのは春巻と、サルマーレとかいうどこか外の国の料理だ。春巻の作り方はもともと知っていたから簡単だった。もう一つは紅魔館内にある図書館で見つけた料理本に書かれていたのを初めてながら試してみたものである。
その料理本は何が書いてあるのかさっぱりだった。写真があったからそれが料理の本であることが辛うじてわかったものの、肝心の作り方については文字が全く読めなかった。どうしてもその内の一つを作りたくなり、図書館の主にしてレミリアの親友である魔法使い、パチュリー・ノーレッジに翻訳してもらい、一発本番で作ったのだ。
もちろん味見なんてしてはいない。
これからするのだ。
弁当箱はいつも、雨風に晒され続けて所々がデコボコに風化した石造りの塀の、下のほうにある唯一レンガ造りになっているブロックを外した奥に保管しておいてある。赤土で作られたような典型的なものではなく、飽くまで石造りの部分と見分けがつかないようにカムフラージュされている。
自分にだけ分かるように、レミリアに頼んで付け替えてもらった。
そのレンガを外すといつもの赤い弁当箱が……
「なっ……!?」
なかった。
跡形もなかった。
どうなっているのか一瞬分からなかった。
丹精込めた、自分の中に納まるべきものが、どこにも見当たらない。
見当たらないとはいうものの、そもそも弁当箱とレンガをはめれば、開いた空洞は完全に埋まるようになっているから、探す必要性がない。それでも中に手を入れて全くないことを改めて確認しなければ、自分の気が治まらなかった。
しかし一度落胆はすれども、昼食を諦める気はない。
あの程度で姿を隠せているとでも思っているのか。
誰が盗ったのかぐらい、その居場所諸共バレバレだ。
――ということで、
自分が嘆き悲しんでいると思って面白がっている盗人に背中を向けたまま、
その場から瞬間移動の如く掻き消えた。
予備動作も何もない、瞬きの間さえ与えない。
地上を走るのは半人半霊が最も速いと言われているけれども、美鈴は本来それ以上の速さで動くことができる。それどころか全身体能力を普通の人間より少し上ぐらいにした状態で抑えており、能力までも抑制している。
そのせいでいつも巫女やら妖怪やらに哀れな目で見られていた。
わざとそうしていることを、おそらく主人のレミリアしか知らないだろう。
――何故そうしているのか?
理由は簡単だ。下手に本気で警護しようものなら、一瞬で館が半壊するからだ。またそうでもしなければ、人間ぐらい指先一つで昇天させてしまいかねないからでもある。
まあ他にも理由はあるのだが、先に盗人を捕まえるとしよう。
十中八九弁当を盗んだ犯人は、自分が消滅していることに驚いているはず。
その意表をつく。
別にスキマ妖怪なんかのような、規格外な力を使ったわけではない。
ただ……後ろに跳んだだけだ。
たったそれだけで、門を見るには見晴らしのいい木に座っている、姿が見えない犯人達の背後へ回り込み、左脚一本で無音の制止。連中の座っている枝まで大体身長の三倍だが、片脚のバネだけで十分だ。身体能力の制限を少し外す程度でいい。気を練って脚力を増強する必要もない。
翼なき飛翔。
軽々とその太い枝まで自身の高さを合わせると、今度は大気を蹴って地面と平行に空中を走る。
左の手で虚空を掴む。
本来ならそんなところを掴んだところで空を切るだけだが、今そこはただの虚空ではない。
眼に映らない者が三人ほどいるのだ。
幻想郷だろうと外界だろうと、眼に映らないものが全て幻とは限らず、逆に眼に映るものが全て真実とも限らない。それは境界のようにあやふやで、光のようにおぼろげだ。
だから、目の前に姿がなくとも、躊躇う道理はない。
枝から動かないどんくさい三人の内、最も端にいた一人の後頭部を左手で鷲掴む。
柔らかい髪と肌の感触が手の形に窪む。捉えられた。
勢い殺さず、地面に着地と同時に、掴んだ頭を頑丈な塀に押し付けた。
「痛い痛いいたいイタイいたいっ!!」
相当の手加減は加えている。
本気で掴めば妖精の頭ぐらい鶏の卵程度の硬度しか持たない。実際に二百年ほど前、館に侵入しようとした妖精の頭を間違えて握り潰してしまったことがあり、館のメイド連中(全員妖精)からこっ酷く怒られたのを反省し、そのせいもあって膂力を抑えなければ満足に仕事もできないようになっていた。かといって、今回の犯行を逃がしては意味がないから制限した範囲内でできる限りの利き手と逆の片手アイアンクローを極めているのだ。
「私のお弁当、返していただけませんか? えぇっとぉ……」
顔は憶えているが、名前が思い出せない。
さてどんな名前だったか? 知っている名前を頭の中で列挙していると、捕まった当の泥棒は手始めに自分から名乗りを挙げた。
「スターっ! スター・サファイアですっ!」
俗に三月精と呼ばれている、ほぼいつも三人一組で魔法の森に出没する妖精トリオの内、比較的知識人然としたスターは、まさか自分が捕まえられるとは思っていなかったようで、こちらを化け物を見るような眼で見つめていた。
そういう眼には昔から慣れているから、特に気にせず後ろを振り向いた。
そこにはやっぱり残りの二人、サニー・ミルクとルナ・チャイルドが固まっていた。いとも簡単に見つかったことに動揺しているらしく、サニーは光を屈折させることを忘れ、ルナは音を消すことを忘れている。
まあ今更姿を隠したところで全く意味がないのだが……
その中で弁当箱を持っている一人を見つけた。
「サニーさぁん、その弁当を返していただけませんか?」
ここでまた怯えさせても面倒になるだけだから、とりあえずにっこり笑って、右手を差し伸べ、掌を上に手首だけを、スナップを利かせて上下に振る。
どうひいき目に見ても『かかってこい』的な仕草だ。
二人はさらに恐れおののいて石像になった。
「あぁ~、どうすれば返してくれますかねぇ?」
振り返ってスターに訊いてみるも、こっちも固まっている。
まともに話が出来るのはおそらく彼女だけだろう。手を離して開放する。
「ケホッ、こほっ……、返しますっ、返しますから、殺さないで下さい!」
「いやいや、殺しはしませんから返して下さい。返していただくだけで結構ですから。」
……
スターが固まったままのサニーから弁当箱を剥ぎ取って、両手の中に納めたことで、やっと美鈴は安心した。
「はぁ~よかったぁ。私のお弁当~♪」
弁当箱に頬擦りして、その存在を確かめる。
「「「すいませんでしたぁっ!!」」」
三月精は声をそろえて全力で謝った。余程自分の顔が怖かったのだろうか? そんな凄んだつもりはなかったのだが……
「もういいですからそれは。今後はこんなことしないで下さいよ?」
厳重注意だけで帰すことにした。三人とも深く反省しているようだからこれ以上追求しないことにしたのだ。
とにかく栄養補給できるのが弁当しかないから、戻ってきてよかった。
「そっそれじゃあ、私達はこれで……」
用はなくなったので、そそくさと帰ろうとする三妖精を放っておいて弁当箱を急いで開ける。お腹が減り過ぎて倒れそうだったのだ。
心なしか、三月精がビクッとはねた気がした。
「さぁ~て早速食べましょうか。私の――」
中にはサルマーレと春巻が美鈴を待っている。
早く食べたくてうずうずしていた。
「お~べ~ん~と~お~――、……ぉ?」
夢でも見ているのか? どうも弁当箱にギュウギュウに詰め込んだはずの料理が、春巻三分の一を残してきれいさっぱりなくなっていた。
ああ、だからあの三人組逃げたんだなぁ。
「……わぁーたぁーしぃーのおぉぉ……」
弁当箱を塀の上に上げると、前方の湖上空を飛んでいる三月精に向き直って半身を捻る。殺さない程度の手加減はして、尚且つそのギリギリの力を込め、拳を思い切り握って引き絞る。力の込め過ぎで腕全体が震えているが、そこへさらに、幻想郷ではおそらく自分だけが感じ取れる龍脈の気を吸い上げた。
伴って地どころか、湖から館から鳴動して震え上がる。
周りにいる獣も虫も、その異様な気の大流と乱れと集約を感じ取って、ついていけずに即座に気絶していく。
その気を残らず右拳に集めて、
「ぉぉおおおおゔぇええええんんんんんんとおおおおおおおおおおおおおっ!!」
全身全霊全力全壊、九歩手前ちょっぴり手加減……
大鵬拳(真空突き弾幕型)。
拳から撃ち放たれた気の大砲は、土も草も抉って塵にし、触れた木々をへし折って、巻き込んでまた塵に変える。
一直線に突き進むそれは、
見るも眩しい、虹の色。
螺旋を描く極彩は、周りの色さえ染め潰して、徐々に大きくなりながら、
美鈴の怒りが泥棒を猛追していった。
☆光☆
出せる限りの全力を出して、サニーもルナもスターも逃げていた。
「いくら美味しそうだったからって、つまみ食いはダメだって! ルナ!」
「美味しそうだったじゃなくて“美味しかった”よ? ていうか釣られて食べてたサニーだって同罪じゃない!?」
「頭変形してないかしら? すっごく痛かったぁ。」
「「スター、今関係ない話は後でしなさい!」」
「関係大ありよ!! 私はつまみ食いしてないのにどうしてこんな目にあうのよ!?」
口喧嘩を続けながら、スターは嫌な予感と嫌な事実を感じた。
スターは、生きとし生ける者、その中でも動いている者を探知する能力を持っている。それが如実に伝えてくるのは、さっきまで動いていた者が一切感知できなくなったことと、馬鹿でかい気配がこちらに向かって猛進してきている気がすることだ。
一応この三人の中では頭が働くほうであるスターは、恐ろしいほど冷えた空気と周辺情報を加味して、命の危機を直感した。
と思ったが、何もかも遅過ぎた。
「あっ……」
スターは、すでに目の前に広がっていた極彩に目を奪われた。
「「へっ?」」
その声に振り返って気付き、息をするのも忘れて蒼白になるサニーとルナ。
もう、避けられない。
「「「ひぃぃぃぃぃぃぃいいいいいっ!!?」」」
その直後、三月精がいったいどんな目にあったのか?
――語るまでもないだろう。
☆咲☆
「お嬢様っ! 大丈夫でしたかっ!?」
珍しく地震が起きたことに驚いて、一も二もなく主人のレミリアの寝室に駆け込んだのは、紅魔館のメイド長、十六夜咲夜だ。
地震とはいっても規模が小さく、館のどんな小物でもそんな程度では微動だにしないのだが、主人の安否は自分より優先させるべき事項である。
するだけ無駄という選択肢はない。小物さえ動かないというのに、館の主人の吸血鬼がベッドから動くはずもなく、死体のように日没までは眠り続けることが多いため、日常の一コマ以外の何ものでもないのだけれども、自身が従者でなかったとしても彼女に会ってさえいればそうしていただろう。
レミリアは起きた気配も、起きる気配もなく、ただ熟睡している。
日が妖怪の山に落ちるまでは、咲夜が大声を上げたところで起きそうにない。
別に日中でも普通に起きて活動することはたまにあるから、果たして今日はいつ起きるのかははっきりしないのだが。
紅霧異変の後になってようやく自由の身になったフランドールも、起きていたとしても地震程度で怯むような細い神経をしていない。
小さくため息を吐いて静かに扉を閉めた。
ふと疑問に思う。
『さっきの地震……、妙に感じ慣れた気配がしたけど、何だったのかしら?』
変な感覚に悩まされながらも、一先ず脇に置いておいて、レミリアが起きるまでにしておくべき家事と、後もう一つを片付けに戻る咲夜だった。
☆龍☆
「……あ~う~……」
春巻三分の一個で誰が満腹になろうか。少なくとも美鈴は全く満たされなかった。
石塀に背中を預け、脚を投げ出してだらしなく燃え尽きていた。
余計な力を使ったせいで一層空腹に拍車が掛かっている。
「せっかく作ったのにぃ……せっかく作ったのにぃ……」
哀れな妖怪に、平等にも非情に照りつける太陽が傾き始めて少し経った昼のこと。
初めて作った料理を奪われて意気阻喪する以外にやることがない。
一応水筒に入れて持ってきた中国茶(香霖堂の掘り出し物)を飲んだのだが、どんな味だったかいまいち思い出せないでいた。
侵入者探知用に張っていた半球状の気の膜も、無気力のせいで敷地内の花壇の一部までしか囲めていない。
いつもだったら昼時には惰眠を貪るのが常だ。
というのは冗談で、
仁王立ちのまま昼寝している振りをして精神統一を図り、索敵後瞬時に迎撃へ向かえるように、一種の待機状態を作っているのだ。また、それを見て油断して出てきた野良妖怪や雑魚妖怪なんかを叩き潰すためにもそうしている。
が、今は単純に寝たいと思っていた。
そしてふと、何も考えずに空を仰いだ。
そこに映ったのは、何の変哲もない青空と、何物にも囚われずに優雅に泳ぐ白い雲と、いつもだったら見逃していたあるモノが飛んでいた。
よりにもよって今日〝も〟来てしまった。
箒で空を飛んでいる白黒といえば、幻想郷ではほぼ十割の確立で霧雨魔理沙に違いない。
門から堂々と入らないことが日常茶飯事な娘で、パチュリーが許可を出しているから普段は無視するようにしているのだが、職務を全うするにはその普段の感覚を切らねばならない。
腹の虫さえ疲れて鳴かぬ気だるい身体を押して立ち上がると、掛け直しておいた制限をさっきよりさらに外す。
気を練るというのは相当の労力を要するため、緩急を付けて普段から溜め込んでおかないと、その場その場で急ごしらえをするにはさらに余計な労力を費やしてしまう。
だから――、
気を一切使わず、軽く屈んだ動作の後、直径一メートルの浅い窪みを残して……
消えた。
☆星☆
窓から入って窓から出る。
紅魔館における魔理沙の日課はそれから始まり、そして終わる。
門番がいるのは当然知っているが、特に何もしてこないから上空にいる奴にはあまり手出しできないのだろうと、そう判断していた。
「さってとぉ、今日もいいのを仕入れるかなぁ♪」
行く場所はもちろん図書館。やることは、本を読む・パチュリーと駄弁る・本を(死ぬまで)借りるのどれかだ。
たまに全部やることもあるが、日が傾き始めて夕方へ近づいている頃ではできることが限られてくる。主人が起きると面倒だからだ。よって今日は〝借りる〟だけにした。
久々に、立ったまま寝るという器用な妖怪を拝もうと下を見た。
日常的に無視を決め込んでいるのだが、どうして今日はそう思ったのか。
とはいえ、門の前にいるはずの中国妖怪が見当たらない。
日没までは何があろうと門を離れないはずの下っ端妖怪(簡単に倒せた相手をそう言うときがある)が、昼間から仕事をほったらかしているではないか。
「どなたをお探しですか、魔理沙さん?」
「いやぁお昼寝門番を誰にも知られず冷やかそうと思っ……て……」
「へぇ~、そうですか。――でも残念でしたね? あなたのせいでお昼寝はできなかったようです。」
驚愕に顔を引きつらせながら恐る恐る前を見た。
箒の先端につま先立ちをして、件の門番が腕組みをしていた。
「うおわっ!!?」
今まで驚くことはたくさんあったが、箒で美鈴と空を飛んだのは初めてだ。
驚き過ぎて操作を誤り、中空へ放り出されそうになるも、何とか天地反転したところで持ち堪えることができた。大事な帽子はしっかり押さえている。半回転しているのだから門番は今頃落っこちているはずだろう。
と思ったら、
「そんなに驚かないで下さいよぉ。落ちたら危ないじゃないですか。」
逆さまの状態で直立していた。
「きょっ今日はどういう風の吹き回しだぜ、中国?」
「何度も言うように、私は中国ではなく紅美鈴という名前がありますからきちんとそう呼んで下さいよ。」
「まままずスカート押さえたらどうだぜ?」
美鈴のスカートは身体が逆さまなせいで思いっきり捲りあがり、純白の紐パンを魔理沙の目の前に晒していた。
逆にダブルスリットのスカートは裏返っているため、顔をきれいに隠していた。
まさに頭隠して尻?隠さずだ。
「そんなことはどうでもいいんですよ。」
何だそんなことかとうんざり顔で一蹴された。顔は見えないのだが。
何で恥らわないのかわけが分からない。
「気にしないのはどうかと思うぜ?」
その忠告を無視して、美鈴は魔理沙に構った理由を社交辞令として思い出したように言った。
「えぇっと、本日紅魔館は立て込んでおりまして、何人たりともお通しすること罷り成りません。――というわけでとっととお帰り下さい。」
羞恥の欠片もない姿で言われても全く説得力がない。
それに……、
「無理矢理にでも押し通るって言ったら……、どうするんだ?」
笑いながら挑発した。
美鈴が魔理沙に挑んだのは、紅霧異変の時以外では一度たりともないのだ。おそらく今日に限って、どうしても入られたくない用事があるのだろう。その用事とやらを見てみたいと思う。と同時に、妖怪としてなら普通なのかもしれないが、空を飛んでいる細い竹箒の柄の先端に直立不動してみせた美鈴が、以前戦った時とどう違うのか。
そこに興味を惹かれたのだ。
門番が今日だけは全力で止めにくる。
下っ端妖怪がどれだけ頑張れるのか。
一つもんでやろうと思ったのだ。
「それでは……、仕方ありませんから、今出せる本気であなたを倒すとしましょうか。」
いきなり、美鈴は自分だけ箒の柄を軸に半回転した。
「はぁっ!?」
さっきまでどうやって逆さまに立っていたのかさえ不可解だったというのに、今度は予備動作なしで頭が天を向いている。
双方互いを見下ろした状態で目が合った。
美鈴の目を見て、それだけで直感した。
異変の時、門番が全く全力を出していなかったことを……
今でさえ、勝てる気が露ほどもしないのに、完全には全力を出す気がないことを……
風を含んだ朱い長髪と、両側を対称に結った三つ編みは、炎のように苛烈に、花のように可憐に靡く。
そしてその眼光が語るのは――まさに荒ぶる龍。
白い部分は反転して黒に、
角膜は人間のそれから激変して縦に細長く、
虹彩は冷たくも温もりある、輝く黄金色。
間違いなく、あの時見せなかった紅魔の門番、紅美鈴本気の姿だった。
こちらから申し込んでしまった以上、今更後には引けないが、
『……喧嘩売る相手間違えたかなぁ……?』
後に来るはずの後悔が先に来たような気がして、苦笑いの顔がさらに引き攣った。
本能を剥き出しにした美鈴は、凄絶に嗤う。
「さて……、龍の鱗に触れられるのは、どなたですか?」
☆龍星☆
と凄んで言ったものの、正直あまり気も体力も使いたくなかった。
昼飯を食べ損ねているから、殊更動きたくもない。
だが館に住む以上は、自身の義務を果たさなければならない。
幸い溜め込んでいる気の量は、魔理沙をあしらうぐらいなら十分残っている。
故に、短期決戦を挑む。
今度は脚に力を込める。
本来だったら、ただ間合いにいる相手を怯ませるか、直上へ少し浮かせて連撃を叩き込む足掛かりにする型の一部なのだが、制限を解いた妖怪としての一撃はそんな程度で済まされるものではない。
徐に上げられた左脚に言い知れない恐怖を感じる。
高空を駆ける箒の柄という明らかに細過ぎる足場で、片脚立ちをするその神がかったバランス感覚も相俟って、恐怖はさらに加速する。
『おいおい、なんだよそりゃあ……』
戦斧の如く振り下ろされる脚。
『――乗ったままかよっ!?』
「やばっ!」
気付いて箒を美鈴から遠ざけようとしたが、振り下ろされる動作を見てから動いたところで間に合うはずがない。
黄 震 脚っ!!
黄色どころか金色の波動を放つ、鍛え抜かれても線美を失わぬ滑らかな脚が、
僅かな足場を打ち抜いた。
箒が折れなかったのが奇跡以外の何ものでもない。
ないが、放たれた気の塊は黄金の柱を成し、落ちないために箒をしっかり掴んでいた魔理沙は当然のように巻き込まれた。
「ぐっ、ああああああああああああっ!!?」
箒ごと下へ踏み落とされた。
コントロールできずにきりもみしながら、始めにいた高度と地表の半分ぐらいまで墜落させられた。ついでに紅魔館までの距離がかなり離される。
持ち堪えて箒を制止させることに成功した。吹っ飛ばされた時に箒からも落とされそうになったものの、片腕だけで無理矢理しがみついて事なきを得た。
実際に踏み込みを受けたのが箒だったことがよかった。一応箒にはパチュリー仕込の硬化魔法が施されており、そう簡単には折れないようにしてあったのだ。何とか衝撃を和らげることができたが、それでもその一撃で箒が悲鳴を上げている。
それだけの攻撃が身体のほうに影響しないはずもない。
全身の骨が軋みを上げ、皮膚のところどころに歪な切り傷ができている。
帽子を押さえていた手を離し、特に響いた左脇腹あたりを押さえる。
「――グッ、……クソッ……!」
感触から肋骨が二本ほど折れていると判断した。
「ホントに……ハァ……、喧嘩売らなきゃよかった……」
だがこれで本当に足場を失った美鈴は死なないまでも、地面で対空戦を強いられるはずだ。
今度はこちらの番だ。
少し裂けたスカートの内側、ドロワーズの表面に強引に縫い付けたポケットから数本のガラスの小瓶を、指の間に挟んで抜き取る。
ただの人間が魔法を扱うには、外部に魔法の元となる燃料を所持していなければならない。人間であっても幻想郷においては内部で魔力を生成することができるのだが、それを魔法へ昇華させるには絶対量が足りない。そのため魔法使いと呼ばれる、魔法を使える種族へ転身することでかさばる物を用いずに行使できるようにする者がいる。
しかし魔理沙は人間であるが故に、幻想郷特産の化け物茸から外部燃料を抽出して持ち歩いている。
取り出したのは、何の変哲もない爆薬。
少し衝撃を加えることでお手軽に起爆させられる、スカートの中に仕込んでおくには物騒極まりない魔法の元だ。
それをぶつける相手を探そうと下を見た。
選択肢は二つ。
一つはまだ落下の最中。最も好ましい状況だ。着地に合わせて落とせば当たる確率が最も高い。
二つ目は開けた場所に着地している状況だ。十中八九爆薬を落としても避けられるが、そういう場所はあまりないため探す手間が省ける上に、空中で起爆させれば視界を塞ぐことも容易だからだ。
森の中に落ちたという選択肢もあるが、双方とも視界が狭まるため美鈴もそこは避けるはずだ。
それだけ考えて的を絞って美鈴を探したのに、どうにもこうにも見つからない。箒を一周させて見れる限りを見渡したのにそれでもどこにもいないのだ。
そして、全く予想だにしなかった選択肢があったことに、直後に否応なく気付かされる羽目になる。
「一発で墜ちて下さればこちらも余計な労力を使わずに済んだんですが……、意外としぶといですね?」
よもや、また箒の柄に着地していようとは思わなかった。
柄の先端を足場として、小さく屈んでこちらを見下ろしてくる金色の龍の眼。
普段は人間臭いのに、妖怪はどうしようもなく妖怪だった。
「……私はお前が落ちると思ってたぜ?」
「あなたの箒のおかげで落ちずに済んでます。」
苦笑いで嫌味を言ったが、ごく普通に返された。
だが、話すだけの余地があると思わせるのには成功した。
「だったら、これはどうだっ!」
「!?」
箒を操って九〇度回転させた。
これで美鈴の足場はなくなった。
「知ってたか? お前の足場は私が支配してたんだぜ!」
そしてダメ押しとばかりに、予め引き抜いておいた爆薬の小瓶を三つ、同時に放り投げた。三つが一塊にならないような絶妙の投擲。当てずっぽうでこんなにきれいにバラけたのは久しぶりだ。
間髪入れない攻撃に、美鈴は咄嗟に手を出さざるを得なかった。
一気に距離を離す。
有効範囲の及ばないところで、一つの炸裂音が耳を劈く。
何で一つだったのか?
まあ美鈴の近くで爆発したからよしとしよう。
「ぃっつつ~……」
折れた肋骨に耐えながら体制を立て直して、今度ばかりは二の轍を踏まないように全周囲を警戒する。下手に下や上に行くと却って見つからなくなってしまうから、なるべく高度はそのままにして天も地も関係なく見渡す。
爆発のせいでどこに行ったのかわからなくなって、見つけるにはかなり難儀すると思っていた。
緑色の光が網膜をよぎり、それに合わせて首ごと動かして直視した。
美鈴だ。
さすがにあの程度で痛手を負わせられるとは考えてなかったが、それにしてもその躍動には傷を負ったような感じを全く受けない。
そこに呆れて、意外と早く見つかったことに安心すると共に、自分の目を疑った。
八雲紫や竜宮の使いの永江衣玖に聞いたことのある、翼を持たぬ龍神様は、その尾を大気に打ちつけ全身をうねらせながら裂空を馳せるという。
こんなところでその、龍神様に遭遇するとは思わなかったのだ。
いや、実際には全然違う。
紛れもなく飽くまで美鈴だ。
だが――、そんな彼女が空を飛んでいたとしたら……、
誰だって龍神様の尾だと言うのではないか?
「……おいおい、冗談だろ……?」
縦横無尽な天衣無縫は万有引力を無視しながらゆっくりと、その実風の如く速く優雅に距離を詰めてきていた。
やがてある一点で止まって、まるでそこに壁でもあるように限界まで膝を曲げ、
身体丸ごと弾丸に変えて、バカ正直に突っ込んできた。
さっき黄震脚で不意を打たれたのは、相手の動作を見てから動いたせいだ。
結局今も後手に回っているのだが、狭い足場にいたときより確実に美鈴との距離は遠い。しかしたとえ遠くにいなくとも、あんな大妖怪じみた眼をして薄ら笑いを浮かべながら突進してくる弾を、どうして避けないでいられようか。たぶんあのスキマ妖怪ですら全力で回避しようとするだろう。
「くらってたまるか!」
これ以上当たると本気で危ない気がするので、上へ大きく舵を取って自分が耐えられる限界まで加速した。
さっきまで魔理沙がいたところを、轟音放ちながら通り過ぎる鉄拳。
間一髪で免れた。
もし判断が遅れてくらっていたら、受け止められたとしても骨折だけでは済まなかった。
そう確信させるほど、いつもとは全然感覚が違った。
「グッ……、どうしてお前飛べるんだよ!?」
「別に浮遊とか、飛行とか、そういう自由なものではありませんよ。」
足をつけるべき場がない空中でリズミカルなステップを踏みながら、美鈴は何故か滞空までしていた。
「……ただ……」
またトビ上がるために屈みこんで、足裏の爆発と共に高みへ登る。
「――空気を踏んで跳んでいるだけですから!」
「それがデタラメだっていうんだよっ!!」
肋骨のハンデは弾幕遊びの被弾など比べ物にならないほど大きく、攻撃から逃げるための急激な運動すら意識が遠退くぐらいの鋭い痛みが走り、鈍い痛みが五臓六腑を掻き乱す。
突進してくる敵を避けなければならないのに、その行為が堪らなく苦しい。
次にまともな一発を受けたら、確実に墜ちる。
自分から売った喧嘩である手前、何にもしないで倒されるなんてプライドが許さなかった。
頭もすっぽり隠してしまいそうなほど大きい黒基調、白フリルの魔女帽子の中から、正八角形の手のひらサイズを取り出す。
それは、木製のような外見をしているが、れっきとした火炉。
魔理沙の代名詞、ミニ八卦炉だ。
少しだけ魔力をくべて起動させれば、火の粉から山火事まで魔理沙の意のままに火を起こすことができる魔法のアイテムである。
「そうそう二度もくらってられるかってんだっ!」
これに元から仕込んである術式はたったの一つ。
火炉から出る炎を、破壊力のある光――レーザーへ変換するための式。
さらに少しだけ、その式を動かすための魔力を消費するが、こちらも一度スイッチを入れさえすれば後は魔力も何も必要ない。
照準なんてないし、狙いをつける必要もない。
すでに美鈴は逃げられない。
スペルカードとか、わざわざ弾幕ごっこ用に破壊力を下げた技なんて使ってやるものか。というか、そんなもの使っている余裕がない。
「お前が墜ちろっ!」
輝かしき光の如き自信と信頼を込めて、火炉の中心からスパークがあふれ出す。
「マ ス タァァァァァァ ☆ ス パアアアアアアァァァァァァ クッ!!」
「――ッ!!?」
小さな火花は瞬く間も与えず圧倒的な光量へと変じ、全てを焼き尽くさんと降り襲う。
その速度は光速。
その範囲は絶大。
凡そこの業を避けたような奴は、弾幕勝負をした中ではただの一人もいない。
本気を出されれば、紫なんかには避けられるだろうが、その破壊はどのような弾幕をも遥かに凌ぐ。
魔理沙の十八番、マスタースパーク。
目の前に広がる全ての波長を備えた極光にさすがの美鈴も為す術なく呑み込まれ、地表の森から地表そのものまで、空気さえも一直線に焼き払った。レーザーの照射に反動はない。それをいいことに二手目も追い討ちに使う。
「デザートも追加だぜっ!」
ウエストポーチから小さな球を四つ、指に挟んで取り出して、軽く前へ放り投げた。異変が起きたときならいざ知らず、日常持ち歩くならこのぐらいのほうが嵩張らなくていい。
球の色はそれぞれ、赤・黄・緑・青の四色。
レーザーの軌道軸を中心に、等間隔をとって回転を始める。
「オーレリーズ サンッ!」
四つの小球から細いレーザーが放たれる。その四本を、始め地表を焦点に集束させ、マスタースパークの威力補填に当てる。球の回転をそのままに今度は徐々に焦点を拡散させていった。
球は持っている中では最小だから、撃てるのはせいぜい一発分しかない。
使い捨てというやつだ。
消費した後は跡形もなくなくなるので、回収しなくていい。
それが尽きると同時に、先に撃ったほうも一端撃ち止めにした。
全部が全部大味な攻撃だが、ここまでして美鈴がただで済んでいるはずがない。
腹がとてつもなく痛い。
「――いってえぇ、何であんなに強いんだよぉ……いたたたたたっ……!」
警戒は解かない。
妖怪としての本気というものが、本当にマスタースパークとオーレリーズサンの同時射撃をくらって砕けるものなのか?
普段の美鈴を外見だけ知っているだけの魔理沙には、今日桁外れな力を見せた彼女がこのままくたばるとはとても思えなかった。
故に地上には降りず、ミニ八卦炉を構えたままでいる。
下手に降りても盛大に上げた土煙で周りなんて見えたものではない。
濛々と立ち上り、そして薄れてはっきりしていく一帯で思ったとおり……
彼女は屹立していた。
「ケホッ、けほっ……、まったく……、派手な弾幕撃たないで下さいよ? お嬢様が起きちゃうじゃないですか?」
「……」
被害状況を見るに案の定とはとても言いがたかった。
全然駄目だった。
必殺の思いで最も得意なマスタースパークまで撃ったというのに、服がところどころ焼け焦げているだけで目立つ外傷を負った様子は微塵も感じられない。かといって弾幕で相殺したようにも見受けられなかった。
半分以上焼けてなくなり、弱い風でもパタパタと下着を丸見えにさせるスカートが翻り、右肩から失われた上着はブラジャーを隠しきれていない。
それなりに無駄なエロさを増やしただけだった。
「やっぱりお前、メチャクチャだぜ……?」
ただ、こうなることを予測していないわけではなく、もう次の手の準備は始めている。
一瞬後にはすでに終わっていた。
後手に回っていた戦闘を立て直すには、こちらが先手にならなければならない。倒すのならこの機を逃さず畳み掛けるべきだ。
「そんじゃあ、お次はオードブルだぜっ!」
さすがにレーザーが効かないことを分かっていてもう一度大技を使うわけにはいかない。魔力増幅用の薬を今日は持ってきていないから、燃費が良くともそう何度も使えはしないからでもある。
無駄撃ちはできないが、かといってある程度の威力がないと倒せない。ちょうどいいものを見つけて、腰に差していたあるものを抜き放つ。
「メインディッシュの前に出して下さいよ!?」
呆れ顔で立ち尽くして何の行動もしない美鈴に対して、一歩も動かないことを祈りつつ、
「イベントホライズンッ!!」
指の先から肘ぐらいまでしかない小さなステッキを前方へ掲げると、魔理沙の周囲に魔法陣が青く浮き上がり、魔理沙を中心に全体が下方へ修正され……、
六つ全てから極彩色の星達が、
滝のごとく流星群と成って降り注ぐ。
「はぁ~……」
諦めてくれないことに辟易しつつ、一見すると隙間ない大量の星に向き直った。
両腕を前に突き出し、掌を上に硬く握って引き絞る。
足は大きく開いて重心を前に――踏み止まる姿勢を作る。
「……いいカゲン……」
単純な打撃なら……
絶対に負けることはない。
自身の力に究極の自信を込め、最小限度に節約した気の膜を自慢の拳へ纏わせて……
―― ヤ メ テ オ ケ ――!!
凄まじい物量は落下の速さも相まって、その全てが彗星と化し、美鈴を覆った。
先ほどと同じく、木も土も粉塵と巻き上げ、空気を切り裂いた弾幕を打ち止めて、立ち込めたものが自然に流れるまで待っていた。
「今度こそ、どうだ?」
こんなこと言うとベタベタなオチが予想できようというものだが、空気というやつにはどうしてもあらがいようがないらしい。
「……はぁ、さて……、オードブル・メインディッシュ・デザートと食べたからねぇ――ドリンクを飲みたいんだけど?」
何故か口調が馴れ馴れしくなっている門番が、再び箒の――今度は反対の端――魔理沙の背後に現れていた。柄のほうではなく、とてもよくしなるはずの掃く部分に乗っかっているのに、滑って落ちる気配は全くない。
「どうやったら、あれ、避けられるんだよ?」
マスタースパーク以外では一切ダメージを負っていないかに見える美鈴を、諦めた表情で振り返って見た。
次の言葉で、その諦めに納得してしまう。
「殴り落としただけよ、……全部ね。」
自分の身に衝突するコースをとっていた全ての弾幕を、ただ拳だけで砕き弾いたのだ。
『ああ、こりゃ勝てないぜ……』
端から弾幕を撃ちあう気がなかった肉弾戦最強クラスの妖怪に本気を出されたら、人間程度ではやはり敵わなかった。
「それじゃあ、最後にしてほしいことは何?」
一瞬慈悲深く聞こえるが、事実上の死刑宣告に他ならない。
だがここでまた反撃しようものなら、間違いなく腹の痛みで気絶してしまう。
もう限界だった。
「へっ、せめて痛くないようにやってくれ。」
精一杯気丈に振舞いながら、トドメをさされるのを偉そうに待つ。
それぐらい、聞き届けてくれるだろうとは本気で思っていた。
「あっ、それは無理♪」
「んな、ちょっ!!? ふンがッ!!」
問答無用の延髄一蹴。
意識も身体も墜落しないわけがない。
…………
……
☆星☆
……
…………
ああ、うん、死ぬかと思った。
美鈴に延髄を蹴られて、首が千切れ飛んで死んだんじゃないかと、気がついたときにはヒヤヒヤものだった。
首と胴が繋がっていることを確認して安心しつつ起き上がろうとしてみたが、小指一本の関節すらまともに動かせない有様だ。
どうも神経のほうがまいってしまっているようだ。
これからどうしたものかと困っていると、美鈴が意外と傍にいるのがわかった。
顔はどうにか動いたから、とりあえず聞いてみることにした。
「何で殺さなかったんだ?」
人間の首など思わずひょっこり圧し折りそうな脚力を持ちながら、結局殺さなかったのはどうしてか? 自分で言うのもなんだが、紅魔館の連中からはあんまりよく思われていない印象を毎回受けるような、受けないような……
「それは……、あなたが死ぬと困る方々がいらっしゃるからですよ。」
気絶している間にいつもどおりの口調に戻っていた美鈴が妙なことを口走ったので、具体的に誰がどのように困るのか問い質そうと口を開きかけたが、げっそりと不気味で不健康そうなその妖怪の顔を見てびっくりしてしまった。
どんな状況で戦っていたというのだろうか?
「あ~、そうか。仕方ないな。今日は諦めるぜ。」
自分が引き下がらないと今度はこいつが過労でぶっ倒れるんじゃないかと思い、急に哀れになった。
「それよりなぁ……」
美鈴が何で倒した相手の傍を離れないのかが気懸かりだ。というよりも魔理沙は、自分の脇腹をどうして美鈴が触れているのか不思議に思った。
「――お前、何やってるんだ?」
されているのは魔理沙自身だから、何をされているのかはもう分かっているが、それが意外過ぎて確認しなければ気が納まらなかった。
「何って、別に何も?」
治してくれていた。
美鈴は自分の気を使って魔理沙に負わせた傷を癒していたのだ。そのおかげで掠り傷どころか切り傷、骨折したはずの肋骨の痛みまで何もかも消え失せていた。
「素直じゃないぜ……」
「何か?」
「いんや、何でもないぜ♪」
もう全身の麻痺も治って、すぐに上半身を起き上がらせた。
「ォ――ンググッ~!」
肋骨が未だに軋みをあげていて鈍く痛むが、特に動けないということはない。
何か知らないが来たときよりも体調がよくなっている気がした。
「サンキュッ、元に戻ったぜ!」
そう言って勢い良く大地に立った。
と、美鈴は逆に脱力しきって倒れてしまった。
「ハァ……ハァ……」
「あ~っと、何かすまないなぁ。余計な気使わせちゃったみたいでさ?」
戦闘と回復に自身の力のほとんどを使い果たした彼女に軽く謝罪しながら、
「じゃあな、明日また来るぜ!」
明るく一方的に口約束をして、今日のところはへそ曲がりな魔理沙も正直に帰ることにした。怪我を治してもらっておいて弱ったところを攻略するなど、プライドが許さない。
魔理沙が箒に跨って帰っていく音を聞きながら、美鈴は右腕の肘から先だけを持ち上げて気だるそうにふらふら振った後、パタッと大の字になった。
☆龍☆
妖力も体力も枯渇寸前で、もう立っている気力がなかった。
いつもの勤務時間が過ぎても、咲夜が呼びに来るまでは敷地内に入ることができないのだ。何が来ても止め得る力は残っていないと推測する。
索敵用の結界もすでに張っていない。
それに気付いてくれるとどんなに嬉しいことか。
実際には誰も気付いてくれていない。
「何で、今日に、限ってぇ……」
恐ろしく忙しいのか?
博麗の巫女なんて足元にも及ばないほどの仕事量に呆れ返りながら、日没へ向かって加速する太陽を眺めている。
もうすぐ夜。
いつもなら日中だろうとレミリアは起きているのだが、今日に限っては夜まで起こすなと自室に引き篭もったきりだった。
そんな彼女が、夜の王女が起きるまで後少しだ。
メイド長が迎えに来るまでじっとしていようと、そのまま倒れていた。
誰も待ってはくれなかったが……
ビクッ!!?
矮小な気配がして思わず寝ていた場所から飛び退いた。
自分の目の前まで手が迫っていた。
「チッ、もう少しだったのによぉ!」
誰がどう見ても賊っぽい獣の皮で作った服を着た男達が、いつの間にか自分を囲んでいたのだ。
異様な気持ち悪さに口を押さえた。
「何です? あなた方は……?」
よもや幻想郷にこんな輩がいるとは思いもしなかった。
それでも全く無知というわけではない。
もの凄く疲れているにも関わらず、五人がかりで来られても何ら脅威に感じない。
つまり……
「ただの人間が当館に何の御用でしょうか?」
霊夢や魔理沙など、特殊な能力を有している人間は、何の能力も持たない人間とは一線を画する気配を持っている。だが今目の前にいる連中からはそういったものがこれっぽっちも感じられないのだ。
本当にただの、普通極まりない人間共だということだ。
そんな貧弱すぎる者がいったい、化け物だって恐怖してそうそう立ち寄らない紅魔館にどんな用事があるというのか?
「何の用かってなぁおい?」
「「「「へへへへへ……♪」」」」
訊かなくてもろくでもないことだというのは、頭が痛くなるほど理解できた。
まぁとりあえず容姿が似過ぎで区別がほとんどつかないから一番後ろで偉そうに踏ん反り返っているリーダーっぽい奴を仮に賊Aとし、後は適当に左から順に賊B~Eと割り振った。
賊D「ヒヒッ……、それはなぁ」
「ああもう喋らなくていいですよ? ただでさえ全身クサいんですから……」
賊C「んだとてめぇっ!」
お風呂に最低でも一週間は入っていないと見えて、馬鹿らしい気の淀みと悪臭に顔をしかめた。
ああだから自分は反射的に口を押さえたのか。
ついでに鼻のほうも押さえておこう。
身体はもちろん垢だらけで、口の中も虫歯が目立っている。
見るも耐えない醜態が服を着て歩いていることがこの上なく不快だった。
賊Aは賊Cをたしなめて、ヘラヘラ下卑た笑いを浮かべながらさらに頭を抱えたくなるような愚言を口走り始めた。
賊A「里から離れてここまで来たんだぜ? ただの散歩でこんなとこ来るわけねぇだろ。
俺たちゃ山賊なんだからよぉ!」
おおすごい。
空という空、山という山、森という森、川という川、果ては地下。
いかなるところにも妖怪が住み着いている幻想郷の中で、こいつらは山賊などという愚行をしているのだ。
今までよく野良妖怪共に喰われずに済んでいるものだ。
どうせこんな連中の肉を喰らっても腹を壊すだけだと、本能的に忌避されているのだろう。
美鈴は人肉を一切食べないから、その辺はよくわからないが……
賊A「人間の女は散々犯ってきたからなぁ、もうそんなんじゃつまらねぇんだよ。そこで
なぁ……」
ああ面倒臭い。
すでに何をしに来たのか分かっている分、門を通すどころか触れさせることすらおこがましい。
賊Aはさも高尚なことをのたまっているかのように自分に酔っていて、他の奴等もどうしたらここまで下品に笑えるのかというほどふざけた不細工顔を晒している。
魔理沙のときとは次元違いの早さでもってイラッとしてきた。
賊A「妖怪女ぶっ倒して犯ろうって話になってよぉ! そんでいい女がいるってウワサの
この家に来てみたらさぁ、そそる格好してる女が道端で寝てるじゃねぇか?」
「……」
御高説たれて美鈴に向き直った山賊共はさぞ怒ったことだろう。
途中から話を聞く気が失せた美鈴が、明後日の方向を向いて小指で軽く耳をほじくっていたのだから……
賊A「――だっ、だからよお、手始めにテメェを犯ることにしたんだよっ! おい聞いて
んのかゴラッ!? ……確かテメェは勝負の決まり事には忠実だってウワサを聞いて
よお。そこで俺等は正々堂々とした勝負を申し入れようと」
「ハア!?」
「「「「「っ!!」」」」」
一喝くれてやったら全員ビビッて黙りこくってしまった。
こんな奴等が視界に納まっていることが辛抱ならない。
「ああようやく理解できましたよ。貴様等は、馬鹿なんですね? たった五人で、紅魔館を落とせると本気で勘違いしている馬鹿共だ……。そんなバカ共の勝負事の決まりに従うと思っているんですか? 断じて否! 従うわけがないっ! ――そんなのを人間扱いしては人間に失礼です。
破壊しますっ!
汚物が紅魔の敷居を跨ぐなどもっての外! ましてやお嬢様にその醜物を晒すなど言語道断っ! そんな生ゴミは、消毒する価値すらないっ!!」
思ったままに捲くし立てて、心のたがも力の制限も完全に外した。
賊B「ハァッ? ボロボロのカッコしやがって偉そうに……!!」
賊Bの言葉を機に、山賊共は手に手に武器を持った。
木を粗く削っただけの棍棒。
手入れもろくにしていない錆だらけの短刀。
外の世界なら、もっとましに武装した山賊が居ただろう。
賊C「誘ってるんだろっ? ヒィヒィ言いてぇんだろっ!?」
聞くに堪えない下品な言葉だ。
じりじりと包囲の輪を縮めてくる。
悪臭放つ物が近づいてくるが、美鈴は一歩も引かずに対峙する。
賊E「汚物やら生ゴミやら言ってるくせに物怖じしないんだな。」
不思議なことに、この賊Eだけは身なりが妙に小ぎれいだ。
だが関係ない。
「私の仕事は――使命は……、この塀より、この門より奥の全てを守ることだ。」
龍脈から強引に気を吸い取り、無理矢理身体を動かして半歩前に出る。
「……汚れるのは、私一人でイイ。」
それを職務とは感じない。
私がしているのは、門番という運命だ。
――我が主のために、その堅牢なる盾として……
目の前の有象無象を破砕する!
賊A「言われなくてもすぐに汚してや!!?」
賊が雑言を途中で切らねばならないほどの、凍てついた大気が立ち込める。
制限が外れているせいで龍眼はすでに開いている。
ただの人間の動きなどノロい上に単純だ。
威力を思い切り狭い範囲に絞った震脚を放つ。
別に怯ませようと、転ばせようと、先の魔理沙のようにそれで攻撃をしようと放ったものではなく、あるものを地面から取り出すための一動作だ。
汚物共には気も弾幕も必要ない。
震脚の浸透に応じて右の足元近くの地面から出てきたものは、
――槍だ。
朱塗りの長柄と、ずっと土の中に眠っていたとは思えない、腐食もなく落陽を鮮やかに跳ね返す銀の刃。
文句なしの業物だ。
敷地外は権力範囲外ということで、紅魔館周辺は美鈴の好きなように細工していいことになっている。
つまり地面の中には、
剣、刀、斧、矛、槍、棍、弓、鎧、盾……
ヌンチャクや刺又、重さ二六七貫を余裕で越える鬼の金棒まで……
様々な種類、様々な形をした無数の武器が、館の塀をぐるりと囲んで埋まっている。
一層一列だけの話ではない。
その数は億を、兆を軽く越えている。
ついでにいえば、美鈴はこれら全ての武器の扱いに精通している。
また、本来の使い方を無視することもある。
地面との摩擦を無視して華麗に飛び出した槍を左手で軽く払って、空中で重心を中心とした円を描かせる。
右手を腰溜めに、右足を大きく一歩踏み込んで腰の捻りを戻す反動を利用し、高速回転を続ける槍の柄の先端に、掌半回転分の捻りを加えた掌底打ちを叩き込んだ。
最も離れた位置にいた賊Bが、朱い閃きを後に一瞬残し、音速を超えて飛来した回転する槍に貫かれ、踏み止まること叶わず背後の木に磔にされた。
これはただの、
威嚇行為だ。
貫いたのは股間。
貫通して臀部の穴から出た刃の切っ先は深々と幹を刺し、すでに刃の部分は見えない。
賊B「ォ……ォ……?」
いったい自分の身に何が起こったのか分かりかねるといった表情で、股間に生えた長さ五尺余りの長大な棒を不思議そうに眺めている賊B。
すぐに息の根を止めにかかる。
次の左一歩で間合へ飛び込む予備動作と共にまた震脚を放ち、出てきた武器を瞬時に理解して、両手で持って賊Bに突きつけた。
柄は長く、その先には二股に分かれた黒くつらつらした棒がくっ付いている。ゆるく凹んだ形をして、ちょっとしたトゲが見て取れる武器の名は、
前述の刺又だ。
たかだか拘束用の武具と思うことなかれ。
妖怪が刺又を使えば、正しい使い方で人を殺せるのだ。
胴体の真ん中より少し上へ、力任せに打ちつけた。
肋骨と心臓と肺をまとめて豆腐の如く押し潰して、木の幹と部分的に一体化させると共に絶命させた。
潰れた肺に残っていた空気は逃げ道を求めて気道を逆流し、破裂した心臓の中にあった大量の血液を押し上げて口から、鼻から、耳から、目から噴水みたいに吐き出される。
血飛沫が美鈴の全身を濡らしていく。
「「「「……」」」」
他の賊はあっという間の出来事に何の反応もできなかった。
「――ああ……」
やはりこんな物は館に入れるべきではない。
生理的に許せない。
本能的に許せない。
「……くさい。」
気だるげに振り返って、汚物共に全身血塗れの姿を晒す。
今までこんな光景を、こんな凄惨を見たことがなかったのだろう。
自分達が〝妖怪〟に喧嘩を売ったことを、ここでようやく理解できたようだ。
賊D「……うっ、うぅうそだろ? 門番は弱いって、聞いてるぞ!?」
「誰から話を聞いたか知らないが、確かに〝妖怪〟の中では弱いほうだろうな……」
妖怪としては、妖怪同士の戦闘となれば、確かに弱い部類に入る。弱点はなくとも限定された条件下で絶対的な力を誇る他の妖怪からすれば、万能型の美鈴は決定打に欠けてしまう。
だがそれが人間にも当てはまるとは、噂の上にも噂になっていない。
山賊はデマを掴まされたわけではなく、ただ自分達の都合のいいように間違っただけだ。
どれだけ致命的な間違いだろうか。
幻想郷では当たり前に死に直結する。
死体を館の誰にも見られたくなかったから、刺又と槍を片手に持って、
磔にしていた後ろの原生木ごと、軽々引っこ抜いて持ち上げた。
この程度、妖怪にとっては何てことないが、馬鹿共はそれさえ初めて見るのだろう。全員口を半開きにして唖然としている。
また空中で、今度は地面と平行に持っている木を、そのまま足元に落として、落ちきる前に何気なく蹴った。
その木の行方を目で追う賊共。
ちょうど死体の頭に蹴りが当たり、頭蓋が砕けて脳漿と血を飛び散らせながら、まあまあ大木だったはずのそれは空に吸い込まれて消えていった。
「次は誰だ?」
挑戦してくる奴がいるか、とりあえず確認をとってみる。
どうせ全部壊すのだが……
賊C「――ううぅ、あっ……、うあああああああああああああああああ!!」
自暴自棄になった賊Cが、持っていた短刀をメチャクチャに振り回しながら突貫を試みてきた。あの程度を見て発狂するようでは精神が未熟だ。
暴進してくる汚物に正面から向かい合って、短刀の間合いに入っても避ける素振りを見せず、相手の行動を予測して、合わせて徐に左拳を突き出した。
ベキンッ!
普通だったら拳が斬れるところだが、刀身が錆び付いている上に、妖怪の身体はそんな軟い物では傷一つ付けることができない。
周りでブンブン振られるのが面倒だから、あっさり武器を破壊した。
くるりと一回転して頬に裏拳を叩き込む。
案の定、回った拍子に肩が当たった程度の威力しか認識していなくても人間には強過ぎて、首が数回一周した後千切れ飛んだ。
もう両腕に隙間なく巻きつけていた白い包帯は、どす黒く変色していた。
その上からさらに、首から上を失った骸が噴霧する血煙を全身に浴びた。
脱力して倒れ込みかける骸の胴をさっきと同じように見知らぬ遠くへ蹴飛ばして、
「あと、三つ。」
残りがたじろぐほど凄んでみせる。
あっという間に二人殺され、ようやく硬直が解けてぎこちなく動き始めた。
賊A「おおおぉぉおまえらぁ~っ! 何ぼっぼさっとしてやがるっ! さっさと倒せってんだ!!」
見苦しく泣き出しそうに目に涙を溜めながら、賊Aは二人に命令した。
何の策もなく、さっきの賊C同様に突っ込んでくる。
足が震えているくせにプライドだけは高くて困る。
二人とも木の棒しか持っていない。力も技も何もかも不足している。
二人のうち背が低いほうの賊Eに狙いを定め、見られるより速く懐に飛び込むと、頭を両手で掴んで飛び上がり倒立を極める。
例え運動しているバランスの悪い場所でさえ、一切揺るがない鋭利な垂直。
体勢を保ったまま足を真横へ水平に開脚し、ニメートル以上ある巨漢の賊Dの顔面を、手だけで器用に回転を加えながら蹴り据えた。
足場がしっかりしていないせいでほとんど威力はなく、一発では殺せないが怯ませることはできる。
雑技団もかくやの曲芸じみた蹴りを放ち、頭の上で倒立一回転して、元の位置に戻って逆立ちを解く。
だがそのまま終わるわけがない。
肘はまっすぐ伸ばしたまま、両膝を限界まで曲げて肩の回転だけで上体を起こす。
頭全体を太股で挟み込む形の正座である。
妖怪であっても女性は女性。
美鈴の股間が、布一枚に隠れた局部が、賊Eの視界全体に広がっていることを……
認識させるまでもなく絶命させた。
太股でがっちり頭を押さえ込んだまま、
賊Eの身体諸共に倒立を敢行。
その最中に自身の身体を素早く半回転捻って、
ゴギッ!
脊椎を捩り千切ったからだ。
糸の切れた操り人形みたいにだらりとなった死体ごと逆立ちするというどんな武術家でも普通はできない離れ業を極め、足だけ器用に操って両足で真上に蹴り上げる。
バク転して大地に足をつけると、落っこちてきた死体に、光速の如き後ろ回し蹴りを腹にめり込ませた。
骸は森の中へ呆気なく消えていく。
善くも悪くも野良の餌決定だ。
賊Dがやっと持ち直そうとしていたのとほぼ同時に、蹴りの足で地を踏みならして埋めていた武器をまた取り出す。
今度は剣。
主に母国で使われていた、刀身がしなるほど薄い剣、一般的には軟剣と呼ばれる種類の武器を、簡素ながら豪華な作りの白鞘から引き抜いた。
剣に関しては大昔から散々やってきている。
今はくすんであまり思い出せない外の世界で一番初めに習った剣技は、太極剣という。
だが、今は純粋にその流派一筋ではない。とある妖怪に出会うまでの一〇〇〇年余りの間に、その土地土地の多種多様な武術を一つ残らず貪欲に呑み込んでいった結果、自身の中で混ぜ合わされ、変化し、淘汰され、ほとんどどの武術の原形をも留めおかない異常な武術体系へと変貌を遂げていた。
祖国の武術の名残が微かに残っているだけの、
武のカタマリ。
名前のある技は太極拳の流れを模しているが、だからといって美鈴自身はそれらを純粋な太極拳と思っていない。
そう呼んでいいのは、もう早朝にやっている気を整えるための一連の動作だけだ。
剣のほうも同じで、状況に応じて自由自在に形が変わる、それでいて我流には決してない流麗と王道を併せ備えた新たな剣法へ昇華していた。
でも賊なんかに使ってやるものか。
武術を習得しているなら、もしかしたらこちらも応えていたかもしれない。
思考がどうあれ、筋肉のつき方などから何かしらやっているわけではないことは百も承知しているが、武術は競うからこそ面白いと美鈴は考えている。
だから内心では微生物くらいの期待は持っていたし、分かった後でも然程驚きはしなかった。
剣の間合いまで気付かれることなく接近する。どこか外の国ではこの歩法を縮地法だとか何とか呼んでいたようだ。といっても自分が歩き方を意識したことはあまりないから、これが普通だと思っている。
祖国の仙術にもよく似たものはあるが、それはどこぞの死神のような実際に地を縮めてしまう術であるから正しくない。
簡単にいえば、距離をつめるために歩いた、ただそれだけだ。
賊Dはそう思わなかっただろうが。
完全に意表を突かれた賊Dが棒切れを構える前に、すでに腰溜めに構えた剣を空気の流れに乗せるように、自然に振り抜いた。
おそらく賊Dは、死ぬ前に一陣のそよ風を感じただろう。
一閃で、後々振り回されても困る棒切れと一緒に、支えている人差し指から親指にかけてを切り裂き、そのままに首をもまとめて斬り飛ばした。
本来祖国の剣は〝斬る〟ためにあるのではなく、〝突き刺す〟ためにある。
別に切断ができないわけではないが明らかに邪道といっていい。
賊相手ならそれで十分だと判断した。
飛ばした首を跳び蹴りで山のほうへ送り、着地後回転そのままの後ろ回し蹴りで胴を霧の湖のど真ん中へ放り込む。
(残り一つ。)
鞘に剣を収めて、最後の賊がいたほうを見ようと振り返った矢先、
「ひっひははっ、もらったああああああ!!」
「なっ!!?」
完全に存在を見落としていた賊Aが短刀の届く距離まで、目の前まで近づいていたのだ。
違うか。
見落としていたというより、無謀な行動をとるとは思わなかったというべきだ。
まあ失敗したところで避けられないことはない。
ぐぅ~……
「はぅあぁっ!?」
間の悪いことに、無理して抑え込んでいた空腹が限界を超えたらしい。気を使うにも多くの体力が必要で、今日は昼御飯なしのぶっ続け戦闘だ。
三食必要な人間なら尚更要るし、〝元々人間だった〟美鈴にしても、妖怪として回復する分のエネルギーではとても足りないから、食料で補給するしかない。
枯渇すればこうなることはとっくに想像できているが、不幸過ぎてこうならざるを得なかった。
足に力が入らず一瞬回避が遅れてしまった。
「あ……」
刃が左頬のすぐ横を通り抜ける。
何とか肌には当たらなかった。髪は数本持っていかれたようだが、大して痛くも痒くもない。
追撃が来ないように大きく跳び退いて乱れた呼吸を整える。
「スゥー……ハァー……」
一度背筋を伸ばして、柄に手をかけ構えなおす。
シュルッ……
何かが解ける音が耳元でして、急いでその部分を押さえて確かめた。
ない。
ない?
ない!
「やったぜぇ、もらったぁ。」
解けたのは、両側で三つ編みにしていた左側の髪だった。
そして美鈴の眼に映る、賊Aが切り落として、今拾って指に挟んでいる戦利品は、
三つ編みを留めていたリボンだ。
正確にはリボンで留めているのではなく、蝶結びにまとめたリボンにゴムが通してあるのだが、
「っ!!?」
「ははっ、お前もそんな顔するんだなぁ?」
「……」
賊に奪われたことよりも、
お気に入りの三つ編みが解けたことよりも、
もちろんそれだけでも十二分以上に腹立たしくあるのだが、
それは、
咲夜が美鈴とお揃いの髪型がしたいと言ったその日に、今の主自らが小さな手を傷だらけにして作ってくれた、初めてのプレゼントであり、
何より、咲夜も美鈴も同じ緑の、お揃いだったリボンを切られたことが、
無性に悲しかった。
力が抜けるよりも、逆に力が漲ってくる。
(ああ、怒っているのか――、私は……)
心身ともにほぼ限界を超えているのに、
〝こいつを殺すまでは、止まれる自信がない!〟
「へ、へへへっ、どうしたよ? これが、そんなに大事かよ?」
前に掲げてゆらゆら揺らされる大事なものに眼を向けて、さらに怒りが沸騰し、枯れんばかりに龍脈から自然の気を一気に吸い上げる。
堪らず悲鳴を上げる一帯の大地が、昼過ぎとは比べ物にならないほど激震し、美鈴を中心にひびを入れた。
「ひっ、ななな何だ!? どうなってんだ!!?」
地の震えに耐えられずに賊Aはしりもちをついて、美鈴を見ながら小動物のように震え上がっている。
山の鬼さえ恐れて逃げ出したほどの気迫とおぞましさが、周りの木の葉を残らず吹き飛ばす。
全て身体の内に収め、自然を鎮めて、柄にゆっくり手をかけた。
賊Aには、ただ柄に手をかけただけに見えただろう。
立ち上がって身構えていた賊Aが、逃げようと一歩後退する。
美鈴は柄から手を放して、普通に歩いて賊に近づく。
「まま待てよ……」
「……」
「待てっつってんだろ!? 止まれよ! これがどうなって――!!?」
自分の足が〝ずれた〟ことに気付いて、次いで倒れたことに驚愕しただろう。
賊Aの両足を、膝から上と下とに完全に分離した。
リボンを持っていた手は、肘のあたりから中空へ投げ出されていた。
無音。
無光。
あり得ない速度の居合。
しかもあまりの速さに離れた位置から〝物理的に〟切断したのだ。
斬り飛ばした手から零れ落ちたリボンを掴む。
「――あ……あし、俺の、アシ?」
自分の足であることは分かっているようだが、ほぼダルマにされたことは理解できていない、頭が追いついていないようだ。
状況をつかめていない脳は痛覚さえ伝わってきておらず、斬り口から大量の血を垂れ流しながら無様にジタバタもがいている。
剣はもう用済みだから捨て置く。
唯一動く右手で自分の足をくっつけようともがく賊Aにまっすぐ近づき、
「斬られたものは、もう元には戻らない。失った命は、もう戻らない。」
語る。
花の成長に邪魔な雑草を見るような眼で賊に言い聞かせながら、自らにも言い聞かせた。
「最初で最後の生涯学習は、ドウダッた?」
「!!?」
全身を紅に染めて、もう少しで死体になる奴の目の前に、
壁の如く立ちはだかる。
「おまっ、おまっが、こう、コッ、紅魔の……、もももも門番!?」
今日打ち止めの震脚を放つ。
足元の武器を取り出すものではなく、地下を伝播して遠くの武器を打ち上げるための一発だ。
手を高く掲げて、納まるためにそこに降ってくるものを待つ。
落ちたる其は天柱。
降りたる其は天誅。
手の中に納まるは、人の域では決して持ち得ぬ大きさと重さ。
夕焼けの赤を浴びてなお染まらぬ、黒く長大な鬼の金棒だった。
五〇〇貫を超える重さをものともせずに片手の上で器用にぶん回す。
「く……そっ、おま――えぇ!」
乱された空気の勢いだけで地面が削られ、無用心に挙げられた賊Aの腕を千切り潰した。
さすがに腕の潰れた痛みは頭も誤魔化しきれなかったらしい。
「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」
正真正銘ダルマにされて、本当に手も足も出なくなった。
激痛に奇妙に蠢く虫けらを見下す美鈴を、虫けらからはさぞ凶大な巨人に見えるだろう。
ゆらりと金棒を天へ掲げる。
後はこれを何気なく振り下ろすだけでいい。
「まっ! まままままま待てマテまてマテまて待てええええぇぇええっ!! この化け物おおおおおおおおおおおお!!」
慌てたところで、錯乱したところでもう遅い。
放っておいてもすぐに死ぬが、それまで生かしておく気も毛頭ない。
「……そうだ、私は化け物だ。敵に回す前に、よく考えるべきだったな……」
助けを請う賊に、
「まっ――」
無慈悲に振り下ろした。
☆咲☆
息の仕方さえ忘れてしまった。
そんな錯覚が頭の全てを支配するほどに、呆然と立ち尽くしていた。
それしかできなかった。
生まれて初めて、紅魔館に連れてこられて初めて、美鈴に出会って初めて、彼女の本気をナマで見たのだ。
いつも調子が良く、居眠りばかりしている門番だと思っていた。
最も新参者の咲夜に対しても崩れた敬語で気さくに話しかけてくる、とぼけた姉のような存在だった。
魔理沙との喧嘩を途中から見に、玄関外の庭園を抜けて門近くの花壇から覗いていた。本当だったら美鈴の外勤が済む時間に全ての用意を終えるはずだったのに、外では地震や爆発、閃光が立て続けに起きて、美鈴が戦っていることが分かった。
心配で、居ても立ってもいられなくなって、用意を途中で投げ出した。
軽く投げたナイフにも簡単に当たってしまうようなドンくさい美鈴にはトンでもない無茶振りなのではないか?
レミリアに『そこまでさせなくてもいい』と、今日分の侵入者を全て排除しろという命令を取り下げるようにと、駄目もとで申し立てをしたが、
「面白そうだから、たまにはいいじゃないか。」
と強引にはねのけられて、従者としては当然食い下がることができなかった。
つまり、少なくとも主人は知っていたことになる。
美鈴が最近全く本気を出していないどころか、その本気を、自身の何もかもを、並の人間程度にまで意図的に抑え込んでいたことをだ。
自分以外の、紅魔館の誰も彼もがおそらく知っていたのだ。隠すまでもなく、逆に語る必要もないことだと思っていたのだろう。
おかげで心臓が止まったと間違えるくらい驚いた。
今までずっと立っていただけだ。
魔理沙を撃退して、山賊共が来るまでだって、いくらでも時間はあったのに、
下衆共に襲われそうになってから、加勢する機会なんていくらでもあったのに、
怒涛の弾幕を守勢に回った上で圧倒し、疲労困憊のまま賊をあっという間に血祭りにあげていく彼女に見惚れて、見ていることしかできなかった。
本格的な戦闘のほとんどを見ていたが、まだ俄かには信じ難い。
足に巻きつけたベルトからナイフを一本抜き取る。
自分で確かめなければ、美鈴の強さを信じられなかった。
いつもやっているように門越しから必殺、後頭部直撃を狙って投擲する。日常茶飯事がゆえに、門の縦格子の間を縫って、絡みつくバラにさえ刃先も触れない絶技を平然とやってのけられるようになっていた。
狙い過たず、殺した余韻にボーっと浸っているように見える美鈴の後頭部へ銀尖は吸い込まれていく。
突き刺さるはずだった。
それで、倒れて気絶しなければおかしかった。
美鈴に、一切後ろを振り返られることなく、右の人差し指と中指でナイフを止められていたのだ。
細心の注意を払って観察していたのに、いつの間にか止められていた。
何で自分にだけ黙っていたのだ?
全く見当がつかなかった。
「――ぁっ……、さ……クや、さん――」
精も根も使い果たして、さっきまでの覇気が感じられなくなると同時にこちらに振り向いた。
無理して貼り付けているだけの、崩れた笑顔。
まだ立っていられることを、不思議に思った。
ボロボロの服も、腕に巻きつけた包帯も、身体も髪も何もかもを真っ赤にしている。
まさに〝紅の〟美鈴といった出で立ちに、妙な虚しささえ覚える。
(私は、美鈴の何を知っているのか? 彼女が、本当は博麗の巫女を簡単に捻り潰せるぐらい強いかもしれないことを、今になって初めて知ったのに……)
「すみません。」
「えっ?」
何に対して謝りたかったのか。
それは自分がみっともない格好をしているからなのか、賊達との戦いを見せてしまったことに対してなのか、はたまた咲夜のナイフを止めてしまったことなのか。
「ちょっ、やめなsっ!!?」
もう知る由もない。
ズギュッ!
バタンッ!
美鈴が、受け止めたナイフをあろうことか自分の後頭部にぶっ刺して気絶してしまったからだ。
この程度で妖怪である美鈴が死ぬはずがないのに、目の前で大切なものを失くしてしまったかのような絶望に一瞬襲われた気がした。
腑に落ちないことはたくさんできたが、今はとにかく気を落ち着かせて美鈴を館に運び入れることを優先した。
「……全く……」
美鈴の肩に手を回して、ぐったりした身体を持ち上げる。
筋肉は脂肪より重いと聞いたことがあるが、あれだけ身体能力が高いのに、美鈴の肉体は全く筋肉質ではなく、逆に恐ろしいほど柔らかでしなやかな感触だ。
だが単純に重くはあり、それは紅魔館で最大サイズを誇る、胸にある二つの巨大な山が多分に関係している。
さすがは人外だ。
でかいくせに美しい、出るところは出て引っ込むところは引っ込んでいるデタラメな曲線美に嫉妬しないほうがどうかしている。
「気絶する、くらいなら、自分で、歩きな、さいよっ!」
(他人に気を使っているくせに、世話が焼ける妖怪ね。)
☆龍☆
……
ああ、なんと温かい。
どうも全身水に浸かっているらしい。
自分の重さが感じられない。
背中には硬いものの感触があり、水底に沈んでいることがわかる。
霧の湖にでも落ちたのだろうか?
そんな記憶は全然ない。
湖の水が温かいはずがないのに、何故かしっかりした温もりが感じられる。
ああ、なんと安らかで……
ゆるやかに流れる水に、ピクリとも動かない我が身を任せる。
母のおなかの中にいるようで、
愛しき人に抱かれているようで、
不可思議な安心感に包まれている。
どこにいるのかなんて、この際どうでもいい。
ずっとこのままでいたいと思うほど、心が穏やかだ。
ああ、なんて……、なんて優しい。
ただよって、ただよって、ただよって……
その優しさを生まれたままの姿で全身に染み渡らせる。
自身の気を水の気と同調させて、一緒に大きな胎動へ流れる。
何もかも洗い流され、水のような清らかさだけを帯びて、
ゆっくり瞼を開けた。
一番始めに飛び込んできたのは、口からお湯をドバドバ無遠慮に吐きだしている厳つい顔のガーゴイルだった。
さっきまでの心地よさを下級悪魔にぶち壊されて少しばかり不機嫌になったが、すぐさま気を落ち着かせて状況把握に努める。
確か賊を殲滅した後、気力も体力も使い果たして気を失ったのではなかったか。
だったら何で今紅魔館の風呂になんて入っているのだろうか?
誰かにここまで運ばれたとしか思えない。ではいったい誰が運んでくれたのか?
生活に支障をきたさない程度には回復したらしい身体の所々を動かして思ったとおりに動かせることを確認して、
「おはよう、美鈴。」
「ああおはようございます、咲夜さん。」
すぐ隣で同じく風呂に浸かっていたメイド長にニッコリ微笑みながら自然にあいさつした。
首を真正面に戻して、数秒思案。
……
「――!?!? ぅ……ぁぁあれっ、咲夜さん!!?」
咲夜がいたことより、隣で肩を密着させている咲夜の気配に、自分が気付かなかったことに驚いて慌てふためいた。
気絶している自分を館内に運び入れたのは咲夜で間違いないだろうが、もうそんなに時間が経ってしまったのか?
従者が風呂に入るのは、決まってレミリアやフランドールが起きてから湯あみを終え、食事を済ませた後になっている。
規則ではなく、暗黙の了解というものだ。
「!? なっ何驚いてるのよ? こっちまで驚くじゃない!?」
つられて驚く咲夜の真正面にレーザーの如き速さで回りこんで対峙すると、湯船の底に額を叩きつけて土下座をした。
「ぼゔびばべばびばべン(申し訳ありません)っ!!」
「何言ってるのか分からないから!?」
この大浴場は主人達の入る風呂とは違い、従者専用となっている。まあ主人達もたまにはこちらに入るのだが。今は妖精メイドや小悪魔は入っておらず、湯気で反対側の端が見えない無駄にだだっ広い浴場に二人っきりだった。
だから、額で底にひびを入れながら謝る美鈴を見ているものはおらず、謝られているほうが恥ずかしいという事態にもなっていない。
そこまで慣習的に気を回してしまう自分に辟易しながら、今度は聞こえるように頭を上げた。
「ブクブクブクブクブクブクブクブクッ!!」
「口っ、くちっ!」
口だけ水面下すれすれのせいで、吐く息は水面に泡を作るばかりでしゃべっているつもりでも声が相手に届かない。
何でこんなに慌てているのだろうと、不思議に思った。
今度こそしっかりと姿勢を正す。
「……妹様の湯浴みのお手伝いは私の仕事だというのに、気絶して余計なお手間を掛けさせてしまってすみません。これから直ちに夜勤に移りますので!」
すぐに湯船から立ち上がって出て行こうとして、
気付いたときにはもう押し倒される直後だった。
「ふぇえっ!!?」
盛大にお湯飛沫を上げながら底に思い切り尻餅をついた。
浮力のおかげで全く痛くはなかったが。
おそらく咲夜の能力、時間を操る程度の能力を使ったのだろう。
「待ちなさい!」
「!?!?」
今まで咲夜との間に、これほど張り詰めた空気が流れたことがあったろうか?
いや、職務怠慢で怒られることはよくあったが、心の底から心配されたのは初めてだ。
だからその空気に戸惑いと変なむず痒さを感じて、反応できずにポカンとしたまま硬直した。
「……私に押された程度で倒れるぐらい疲れきってるくせに……、それにその腕!」
「――ぁ……」
擦り傷、切り傷、火傷……、そして幾多の殺し合いの中で浴び続け、いつしかこびり付いて取れなくなってしまった、多くの者の血による変色。
治りきらない傍から斬られ、突かれ、刺され、焼かれ……
いくら妖怪で、いくら回復力があろうと、もう元の傷一つない腕の容を思い出せない美鈴の腕は……
すでにボロボロだった。
両腕を隠すように身体を抱きしめながら咲夜に背中を向けた。
今まで話さなかったことが心苦しい。
話せなかったというべきか。
このことを言ってしまえば……、自分が紅魔館の門番になって以来、侵入者を誰彼構わず、妖怪だろうと、咲夜と同じ人間だろうと、屠り続けてきた証のことを言ってしまえば、咲夜との関係が決定的に変わってしまうのではないかと恐れていた。
咲夜の、自分に対するイメージを裏切りたくなくて、ひたすら隠し通してきたのに……
よりによって、久々に来た人間を殺した日に見つかるなんて……
話していればこんな後ろめたさを感じずにいれただろう。
「途中から仕事も見せてもらったわ。」
「――ああ、やっぱり見られてたんですか。」
戦いながら、うすうす誰かに見られているとは思っていた。それが館の中なのか外なのかは、気を抜くことのできない戦いの最中に判断できるものではなかったから捨て置いていた。
一番知られたくない相手だった。
知られてしまった以上、今更後悔したって仕方がない。
「これは……、直らないんですよ。」
「直らな、い?」
「私は、結果的にですが、祖国を一度滅ぼしています。――その頃についた傷ですよ。もう自分ではこの傷を癒せないんです……」
咲夜は酷く驚いた顔で絶句しているように見える。
まあ素っ裸で一国潰したと言われても、驚きはすれど冗談としか捉えてもらえないだろう。
「冗談と思っておられるなら、それでいいんです。私だって実感ありませんから。でもこれは……」
――私の、捨ててしまいたいけど、捨てられない記憶です。
心配かけさせまいとちょっとはにかみ笑いを浮かべながら、話を打ち切るために咲夜の横を通り過ぎて湯船を出た。
これ以上辛気臭い話を続けたところで何かが進むわけでもない。
「……戻りなさい!」
大浴場だから音は案外響くが、それにしたってかなり大きな声で呼び止められた。
いつもみたいに自然と引き返して、咲夜のすぐ横に腰を下ろした。
自分で隠してきたこと吐露したとしても、今までの、紅魔の従者と門番という関係を変えるつもりがないことを示すように並び座る。
二人して肩近くまで湯に浸かり直しながら、たっぷり時間をかけて深呼吸した。
「命令よ……」
「?」
身分的には同格であり、二人に直接命令できるのはレミリアかフランドール、パチュリーだけである。お互いに強制することはできない。
だから、美鈴が咲夜に何かを頼むときは必ず〝お願い〟になり、咲夜の〝命令〟は美鈴に何かを頼むときに発せられる言葉になる。
咲夜が小さなときはよくお願いし、命令されていたのだが、彼女が成長するにつれてあまりそういう機会はなくなっていた。
珍しく聞いた言葉の意味を、話される前から理解してしまう。
「そんな記憶、捨てなさい。」
ああ、やっぱり。
予想はできていたから特に驚きもせず返答した。
「できません。癒せない傷がある限り、過去を捨て去ることなどできません。ましてや完全になんて無理ですよ。――それよりも、とがめないんですか? 人間をむやみに殺すなって……」
「怒るわけないでしょ? どうせあの連中が馬鹿な理由で侵入しようとしたんでしょ? ああいうのはその辺で野垂れ死んだほうが世のためなのよ。美鈴の手にかかって死んだだけでも十分に過ぎた死に様だわ。」
酷い言いようだがこればかりは肯定せざるを得ない。
正真正銘の馬鹿ではあった。
でも今は過ぎたことなどどうでもよくなった。
(何だか担ぎ上げられてる気がする……?)
いつもだったら玄関先を汚すなとか、紅魔館のメイド長として当然の叱咤をするところを、何故だか賊の死に様について触れている。
しかも〝十分に過ぎた死に様〟など、違和感以外は感じ取れない。
「そう言って頂けるのは、門番冥利に尽きますよ。ありがとうございます。」
何となく、違和感に気付いていないように装って返した。
たぶんバレたくないのだろうと思った。
咲夜は気付かず、納得するように頷くと、
「……あなたにとって、私達との生活は、過去と決別できないほど退屈?」
「そっ、そんなこと!!」
あるわけがない。
首を全力で横に振って否定した。
そもそも紅魔館に来る前の記憶など、自分から進んで忘れたいと思ったほどだ。
そうできないのは腕に刻まれた傷があるからだ。
今までずっと自分で傷を消すためにいろいろ試してきた。
身体はその全てを拒絶した。
今日このときほど、自分の傷を消してしまいたいと思ったことはない。
「思い出も……傷も……、今のあなたがあるのはそのおかげでもあるけど、生きるのに枷になっているだけのものなんて、あるだけ無駄よ。」
「傷さえなければ忘れられるんですけどねぇ。」
冗談交じりに苦笑いした。
いくら時を操れるとはいっても、過去に起こってしまったことをなかったことには決してできないし、咲夜に傷を癒す力があるわけでもない。
「治せればいいのね?」
「? ええ、そうですが……?」
急に変なことを口走って、咲夜はさっきの美鈴のように湯船から出ていってしまった。
「あ、あの咲夜さん!?」
急いで後ろを振り返って、
「妹様の湯浴みはどうされたんですか?」
自分が担当しているはずだったことについて聞いてみる。まだだとしたら自分も浴場から出てすぐに準備に取り掛からなくてはならない。
だが後ろを向いたまま咲夜が言った言葉で、感じていた不可解が増大した。
「お嬢様方の湯浴みはもう終わっているわ。あなたは〝ゆっくり〟浸かって……、あっそうそう、今日のところは夜勤はいいから……」
「えっ!? えええぇぇえっ!!?」
何だ、どうなっているのだ?
食事以外がもう終わっているなんて……
かつてないことに驚愕して、拍子抜けるしかなかった。
「あいやぁ、申し訳ありません! 仕事をサボった上に私の身体まで洗っていただいて……、もう謝る以外にどうしていいか……」
気付いたときには湯船に浸かっていた以上、賊を相手に血まみれだった美鈴の身体を洗ったのも咲夜以外にあり得ない。本当に余計な手間を掛けさせてしまったことに、湯船から出て深々と土下座するしかない。
ゲシッ!
「フげっ!!?」
頭を踏んづけられて、さらにそのまま湯船へ落っことされた。
また盛大に水飛沫を上げながら、やっぱり全く状況が掴めずに目を白黒させた。
「まったく……、気にしすぎなのよ。いい? 〝くれぐれもゆっくり〟入ってなさい。いくら妖怪だからって、たまには休まないと身体壊すわよ?」
自分は咲夜に何かしてしまったのだろうか?
こんなに優しい言葉をかけられるなんて……
ある種の気持ち悪さを微かに感じたが、素直に好意に甘えることにした。
多分に腑に落ちないが……
「そう、ですね。それじゃあお言葉に甘えて、今夜はゆっくりさせていただきます。――ありがとうございます。」
「私は先に出るわ。また後でね。」
「あっ、はい。また後ほど……」
咲夜は振り返りもせず、まっすぐ脱衣場へ行ってしまった。
一人取り残されて、改めてちょっと考えてみた。
(……また後で……?)
妙な言い回しだと、美鈴は思った。
レミリアやフランドールが起きている以上、咲夜の仕事は日中よりも遥かに増えるのだ。非番になった門番に構っている暇などあろうはずがない。なのに、〝また後で〟というのは、〝レミリアが考案した催しをする〟以外に考えられなかった。
何をさせられるのだろうか?
咲夜がああ言った以上、美鈴にも何かしら役割が与えられるのだろう。
想像のつく限りそれについて没頭した。想像したってやらざるを得ないのだからするだけ無駄ではある。
何もかも思考を放棄して首まで湯につけて力を抜いた。
「ふぅ~。」
しばらくもせず、脈絡もなくいきなり目の前が真っ暗になって、意識が遠退いていく。
「ぁ……あれ? どう、なっ……て……」
湯船に頭の先まで突っ込んで……
意識が途切れた。
☆龍☆
……
「ぅっ、う~ん……」
また気を失って、気付いたら木製の天井が見えた。
紅魔館でこんな造りをしているところはそうそうない。紅魔館でない可能性も無きにしも非ずだが、居慣れた感覚でここが館内であることは確実といっていい。
どうも意識を失ったのではなく、奪われていたようだ。
誰が奪ったのかは考えるだけ意味がない。
妖怪の意識を奪えるような、強力かつ汎用性の高い術が使えるのは紅魔館の住人の中でもたった一人しかいないからだ。
紅魔館に併設されている巨大な図書館の主にして、レミリアの親友でもある『動かない大図書館』、パチュリー・ノーレッジだ。
彼女が美鈴の身体を一人で運べるわけもないから、一緒に専属司書の小悪魔もいたのだろう。
はて、何で意識を奪う必要があったのか?
風呂に入るなら入るで、別に堂々と入って来ればよかったと思うのだが……
(それとも、これも催しの余興か何かか。)
「ははっ、今夜は何をなさるのやら……」
何故だか腕の包帯だけが丁寧に巻かれている中途半端な状態で、脱衣場に投げ出されていた。
何で包帯だけ巻いたのか、疑問だらけだったがとりあえず立ち上がって、皮膚の表面に余計な水滴がついていないことに気付く。小悪魔あたりが拭いてくれたのか、手間が省けたことに感謝しながら、そして何で服は着せてくれなかったのか不思議に思いながら、誰に出くわすか分からないため服かバスタオルを探すことにした。
咲夜か誰かが着替えを用意しておいてくれていると思って、壁一面に取り付けられた棚をくまなく探して、次いでいつも干したてのバスタオルが畳まれ積まれているはずの台を見に行く。
紅魔館が幻想郷に移って以来、風呂場は脱衣場だけ改築され、しばらく時が経っているにも関わらず、未だ檜の匂い立ち込める癒しの空間が保たれていた。それもこれも咲夜が館だけ時間を止めているおかげだ。
そんな細やかさを持っている咲夜が、よもやバスタオルを忘れるとは……
「……」
力が抜けて、膝と手をついて項垂れた。
着るものなんて、着られるものなんて何にもなかった。
唯一隠せるものはといえば、腕に巻きつけてある二本の包帯だけだが、小悪魔によってきれいに巻かれているものを解くのが忍びないし、女性しかいない紅魔館では素っ裸でいるよりも傷を晒すことのほうが余程恥ずかしい。
ついでにいえば、力尽くで解こうにも包帯が解けないのだ。固く結ばれているわけではなく、パチュリーが包帯に何らかの術印を施していたらしく、証拠にうっすらと紫色の印が浮かんでいるのが見て取れる。
『えぇ~っと、咲夜さん――、あなたはいったい、私に何を求めてるんですかっ!?』
力尽くでなければ解けないことはないが、たぶんこれも催しの布石か何かだろう。
今日で一気に、自分が隠していたことをスカーレット姉妹以外の住民に知られてしまって、どうしたものかと考えるにしても、まず服がないことにはゆっくりできない。
自分の部屋なら着替えがある。
まさか咲夜も自分の部屋までは手をつけていないだろう。
美鈴は立ち上がると、脱衣場と廊下を繋ぐいつもの無駄に年季の入った木製扉に背中を押し付けて、後ろ手にドアノブを下に押して扉を少し開けると、見渡せる限りを警戒する。
いくらなんでも妖精メイドにこんな姿を見られたら紅魔の門番として示しが付かない。
極力誰にも見つからないように素早く部屋まで疾走しなければならない。
幸い、風呂場から部屋までは一直線、そうそう長い距離でもない。
風呂場は紅魔館の正面に対して右の端にある。
逆に美鈴の部屋は正面に対して玄関のすぐ左側に位置し、受付窓口のようなものを備え付けてあり、香霖堂から買ったマジックミラーとかいう物を窓口に使っている。
窓口が日中のままだったら、換気も兼ねてガラスが開いているはず……
滑り込めれば一旦停止することもなく自室に逃げ込める。
道中妨害がないことを祈って、
いざ、行かん!
――の前に扉を丁寧に閉めた。
閉めておかないと咲夜に怒られるからだ。
気を取り直して一足飛びに玄関先まであっさり到達し、身体を半回転捻って後ろに向かって跳んだ。館全体の床をたった一枚で網羅する恐ろしく長い紅絨毯のほんの一部を踏み込んで、背面跳びで部屋へ侵入する。
夜勤中に不審者が来たとき、いちいちドアを使って出ていては逃してしまう可能性が高い。そのため、窓口は美鈴の身体が通り抜けられるように、それでいてプライバシーの観点からギリギリの大きさで設計されている。
体術について、おそらく幻想郷最強の美鈴だからこそ、ちょっとした乱れで身体をぶつけてしまうような狭い枠を背面跳びで、自身がこれから通り抜ける空間をほとんど見ることなく、恐れもなしにやってのけられるのだ。
動作の一つ一つに無駄がなく、剥き出しの肉体美もあいまって、日の光で輝く一匹の魚が尾を靡かせて透き通る湖面を叩き、その身を中空へ躍らせたときのような風流さえ感じさせる。
一切身体を掠らせることもなく通り抜け、窓口のすぐ近くにある安楽椅子も跳び越えて、空中で無理矢理身体を丸めて半回転、ベッド横の何も置かれていない床に着地した。
「ふぅっ、お風呂に入ったばかりなのに無駄な運動させないで下さいよぉ。」
今に始まったことではないので、形だけ愚痴を零して窓口をすぐに閉めた。
その場で後ろへ振り返り、部屋の中を見渡した。
別に何か仕掛けを施して進入した者を調べているわけではない。咲夜か、他の住民が入ってきていないか、入っていたとしたらどこへ向かって何をしたのか、その気をたどって服を奪っていっていないか確かめるためだ。
果たして、気の変化は感じられた。
咲夜のものだけだ。
時間帯は三月精を〝殴った〟後ぐらいか。
クローゼットに近づいてはいるが、そこに長時間止まった気配はない。おそらく服を持ち出してはいないだろう。続けて確認をとるためにクローゼットを開け、一式全部揃っていることに安心した。
一つため息をついて、また足取りをたどる。
咲夜が、美鈴が気の流れの変化で過去の足跡をたどれることを知っているかはわからないが、あまり部屋を物色した様子はなかった。
それではいったい何をしにきたのか?
咲夜の足はベッド横、枕元までで途絶えている。
目的地はそこだったのだろう。
少し見ただけでも、その変化に気付くのは容易だった。
朝、仕事に出かける前にはなかった部屋の変化――
紅い――箱。
枕の横に置かれていたのは、厚い紙を成形して作られた円筒形の紅い箱だった。スポンジケーキより二回りくらい大きい程よく平べったいその箱は、専用の蓋まで付いていた。人間の里でもこんな形の箱は作られていないはずだ。
外の世界を、ヨーロッパを知っている者でなければ形さえ思いつかないだろう。
館の誰か――咲夜以外――の手作りの箱を、朝から晩まで働き詰めで、たまにある非番のときぐらいしか使わないアンティークの化粧台の上に置き、蓋を開けて静かに横に並べた。
箱は内側まで紅で染められて、さらに紅く柔らかな薄い紙が、まるで大輪のバラのように細工され、中の物を覆い隠していた。
そんな神がかった装飾ができるのは森の人形遣いしかいないだろうが、これは一度形作られたものを忠実に真似たものだろう。
箱と紙だけでも、かなり熟練した技巧が必要なはずだ。
何でこんなことをしたのだろうか?
勿体なくてバラの花弁を開くことが躊躇われるではないか。
けれども、開かなければたぶん皆を待たせることになってしまう。
恐る恐る、バラを元に戻せるように、破かないように、繊細に花弁の中心を指で分け入り、止め処なく胸を焦がす期待を押し殺しながら開けていく。
……
「!! これ――は……」
目の前に広げたそれは、
――いつの頃だったか……
☆咲☆
何もかも、時間を止めながら準備を進めていたが、途中で美鈴が気になって見に行ってしまい、その後急いで準備を再開してやっと今全て整ったところだった。
「フフッ、待ちくたびれたぞ? ようやく宴が始められるなぁ?」
妖精メイドも含めて住民全員を放り込んでも尚、その全面積の五分の一にすら達しないほど広大な大食堂の、扉から最も離れた一番奥の席……
腕と足を組んでふんぞり返り、何を企んでいるかわからない鋭く紅い眼がシャンデリアの光を無視して輝き、妙に伸びた犬歯を覗かせた薄ら笑いを浮かべている。
その高貴な椅子に座れるのは紅魔館でただ一人、
〝紅魔〟を継いだ、たったの一人、
紅き夜が、紅き満月が讃えるは……、彼女をおいて他になし。
紅魔館の主人にして、永遠に幼い紅き月――、レミリア・スカーレットだ。
「はい、後は主賓を待つばかりです。」
主人の右後ろに控えて、咲夜も微笑んだ。
「お姉様もとっても頑張ってたもんね?」
万物の破壊者にしてレミリアの妹、フランドール・スカーレットは姉の座っている椅子の、咲夜の身長よりも高い背もたれに両手をついて止まっている。彼女がそれだけ巨大なのではなく、レミリアのものとは全く異なる、七色に透き通る水晶のような羽をパタパタ動かしながら滞空しているのだ。
二人とも早めに起きて、これから始まる宴の準備を各自でしていた。
大々的な設営は咲夜主導の下、妖精メイド総出で行い、来賓を招くわけでもないのに全員がこの場に勢ぞろいしていた。
「といってもレミィがやってたのって主に箱作りだけだったと思うのだけれど……?」
当然その中にはレミリアの友人であるパチュリー・ノーレッジもいる。
いつもの気分悪そうな蒼白顔と半分閉じた眼は、友人のほうを向かずに、図書館から持ってこさせた本に影を落としている。もちろん持ってきたのは図書館専属司書の小悪魔で、現在もパチュリーの隣に控えていた。
「失敬な。私だって会場の設営を手伝ったぞ?」
悪魔に対しても歯に衣着せない賢者の言葉を、丸っきり意に介していないようにそのままの表情でレミリアは返す。
「私もっ、私もぉっ!」
フランドールはただただイベントの準備が楽しかっただけらしく、純粋な笑顔を咲かせている。
「フランは確かに手伝ってたけど、レミィって指図以外してないじゃない。まあそれが手伝いって言うならそうなんだろうけど?」
「今日はやけに突っかかるなぁ?」
「気のせいじゃない?」
パチュリーが手の届く距離で湯気をたてているティーカップを、本から眼を離さずに器用に取って口をつける。
それなりにパチュリーが不機嫌であるのは誰もがその理由と共に知っている。
何にも知らなかったとはいえ、美鈴に魔理沙をコテンパンにされたのが気に喰わないでいるのだ。今日だって魔理沙と図書館内で魔法の研究をする約束をしており、実際にそうするために魔理沙も来たのだろうが、レミリアの思いつきに、パチュリーの知らない間に魔理沙が引っ張り込まれていたことに対して怒っているのだろう。
幻想郷最高の魔法使いがあの人間のことをどう思っているかは、紅魔館の主要メンバー全員がすでに知っており、特に口を出すべきことでもないから知らない振りをしている。
触らぬ神に祟り無し。
「そうだな。予想外というものはことのほか起こるものだよ。疲れたのなら先に休むといい。」
「主賓をおいて先に退場なんてしないわよ。久しぶりにちゃんとした食事もしておきたいしね。――それにしても遅いわね?」
「食事する必要がないのにな。……まあ安心しろ、直に来る。」
レミリアはいつ主賓が扉を開くか知っているような口ぶりで自分の紅茶を一口飲んだ。
運命を操る程度の能力と聞いている。
その能力の一部で、〝特定人物の必然的未来を理解する〟というのがあるらしい。それを基にして運命を捻じ曲げるようだから、能力の基礎といえる。
故にそれはほぼ百発百中。
それこそレミリア本人が運命を捻じ曲げない限り、または必然と偶然の境界を遊び半分に弄りまわせるあの妖怪でもなければ、レミリアの能力から逃れられるはずもない。
つまり、本当にもうそろそろで来るのだ。
いったいどんな登場の仕方をするのだろうか。
とりあえず……
イベントに似つかわしくない普通な行動をとって、主の機嫌を損ねるようなことをしてみろ……
今度ばかりは脳天にナイフよりえげつないお仕置きをしてやろう。
思った以上に悪魔じみたにやけ顔だったようで、一応悪魔なはずの小悪魔がこちらを見ながら今にも泣き出しそうな引き攣った笑顔という器用な表情で固まっていた。
とそれぞれ主賓の到着を待っていたが、
「フラン!」
普通の登場を許さなかったのは姉妹のほうだった。
二人して右手を前に突き出すと、上に向けた掌から紅い光球が出現した。
いや、それは掌に集まってきたというほうが正しいらしい。
人間である咲夜には到底理解できないことなのだが、昼とか夜とか、廻り来る時にはそのときそのとき違う、気のようなものが流れており、パチュリーはそういったエネルギーのようなものを取り込んで術を行使することがあると言っていた。
吸血鬼と呼ばれる種族も、〝夜〟自体のエネルギーを、自身の内側から出る妖気とは別に取り込んで自在に力を魅せ付けられるというのだ。
更には、妖怪としての格によって制御できる、集束できるエネルギーの量は増減すると聞いたことがある。
レミリアとフランドールの手の中にある紅球は、そういうエネルギーの集積体なのだ。
紅魔の姉妹は、純血の誇り高き吸血鬼。
目で見えるほど極限まで収縮させた紅は、もはや自らが重力を発し、テーブルの食器類がカタカタとそれに向かって近づいていっている。
それだけ凝縮されたエネルギーの塊であり、それはそのまま――妖怪としての彼女等の品格を表している。
即ち、我等が主は、文句なしに最上級の王の品格を備えているということだ。
おそらく全力には程遠くあるはずだが、問答無用で陶酔させるほどの力の在り様を、ギュッと握り締めて、姉妹は同時に投擲の態勢を取った。
少なくともスカーレットの血縁では定番中の定番、
スピア・ザ・グングニル
主が使うのはよく見るのだが、どうやら妹も使えるようだ。
偏屈店主のガラクタ屋で埃を被っていた本には、グングニルという武器は名前を忘れたどこかの神が使っていた便利な物らしい。
本物か偽物か、この際どうでもいい。
神が駆使した武器の名を冠した技は今、壁の向こうにいるはずの主賓に向けられている。普通主賓に対してやることではなく、侵入者相手の不意打ちでやることだ(一般的にはそうだろうが、間違っても紅魔館の住人が不意打ちなどという姑息な手段を取るはずは当然ない)。
言ってしまえばただのお茶目なイタズラである。
そして、
自分の住処が壊れようが知ったことかと言わんばかりに椅子に座ったまま全力投球。無駄に広い空間を誇る食堂の奥から前扉までをどこぞのモノトーン人間の如き速さでもって一直線に駆け抜ける紅き光弾×2。放たれた直後から夜の残滓を後に残し、
槍のように
矢のように
彗星のように
鋭く飛んでいく。
威力は申し分なく、標的にされた前扉の少し左の哀れな壁は一瞬後には瓦礫と化しているだろう。その向こう側にいるはずの同じく哀れな主賓共々……。
結論から言えば壁は壊れず、代わりにグングニルがなくなった。
やはり妖怪は妖怪だったというべきか……
槍の尖端が触れる直前、赤茶色の木板で構成された食堂の風格ある壁が水面のようにたわんでぶち抜かれるはずだった一点を中心に波紋が広がり、
破軍の神器はやんわりと、強固に受け止められ、
槍の形を保ったまま制止し、
次第に波に同調して一緒に揺らめき始めた。
誰がやっているのか知っているからこそ、信じられずに咲夜は半開きの口元を手で隠すこともせずにただただ驚いた。
主賓とは……、言うまでもなく美鈴だった。
その証拠に、波立つ壁を彩るのは、人間の限界を遥かに超える可視領域を持つ妖怪の、あらゆる色彩の波動があった。もちろん人間である咲夜にはそのほんの一部しか見えていない。
今まで見たこともない技の冴えと美しさ。
昔、あの弱さは偽りだと、主は言った。
それが誰の弱さなのか、誰の偽りなのかは、当時幼かった咲夜にはわからなかった。
今やっと、誰だったのかを思い出した。
確かその言葉は、咲夜が自身の能力を自在に使いこなせるようになって初めて、美鈴と闘って勝った後に聞いたはずだ。
以前は子供ながらも、物騒にも殺す勢いで毎日のように美鈴に挑んで……
軽くあしらわれていた。
その時はまだ能力を正確に使えなかったからと思って常に自己研鑽し、主からもらった懐中時計を頼りにひたすら努力した。同時に能力を最大限に活かすための体力作りや体術を、日々の闘いの中で美鈴から盗んでいった。
遂にある時、咲夜はギリギリの状態から美鈴の隙を突いて脳天にナイフを突き刺し、初勝利した。妖怪がその程度で死なないことは十分にわかっていたとはいえ、勝利したというのに気持ち悪さしか残らなかった。
美鈴が単純に挑戦を受けていたのではなく、幻想郷と呼ばれる人間と妖怪達の弱肉強食で塗り潰された無法な閉塞世界で生き抜く術を、咲夜に教えながら闘っていたという、咲夜にとって嬉しくも腹立たしい事実は、パチュリーから大分後になってから明かされた。
それだけ大切に思ってくれていたことがどうしようもなく嬉しかった。
何も言葉では伝えてくれなかったことがどうしようもなく腹立たしかった。
素直にそう伝えることができず、半ば八つ当たりのように、サボっているように見える時を狙っては後ろからナイフを投げつけていた。
美鈴はナイフが飛んできても避けることはなかった。
確かにそれは絶対的な信頼だった。
そして、
『美鈴はいつも前を向き、いつも前に居て、私はいつも彼女の後ろ姿しか見ていなかった。』
……いつだって守られていた。
……ナイフの飛距離が延びれば延びるほど、それはそのまま咲夜と美鈴との決定的な力の差を表していた。
今その力の差を垣間見ている。
咲夜自身が今の美鈴だったなら、おそらく壁越しにグングニルを受け止めるなどという無謀な選択肢は始めから棄てていたことだろう。
だが美鈴は避けなかった。
あまつさえ、壁を破壊せず気だけを伝えて止めている。
やがて壁を輝かせていた虹は槍二本を押し包むように膨れ上がり、強烈な赤色を同化させていく。
まさかこんなことまでできるとは思わなかった。
生粋の吸血鬼の攻撃を無力化するなんて……
槍二本分のエネルギーさえ完全に取り込み残さず注ぎ込んで、
……蕾は華を成す。
其はとある聖人の、
其はとある神々の、
智慧と慈悲の象徴として、
聖性と清浄の象徴として、
幾度となく描かれ、形作られ、語り継がれた……、
世界全ての理が座す実在の華。
―― 蓮華 ――
その名を冠す気功の至高奥義。
彩光蓮華掌
自身に飛んできた主の攻撃を避けずに受け止め優しく包み込む虹の蓮華は、まるで御仏の如き深遠なる慈愛と包容力を備え、豪華な中に慎ましさや穏やかさ、清らかさを潜ませている。
その技は、紅魔館の今後の栄華を祈り、純粋な畏敬と永遠の忠誠を誓う証のように見えた。
御業であり、最高の芸術。
それこそが、美鈴が紅魔館の住民であり続ける証拠であり理由であり、
十二分の資格。
範囲をできる限り絞っているのは明らかで、おそらくレミリアやフランドールほどではなくとも手加減しているように見えなくもない。
いや、予想外のイベントのせいでほんの少し休んだ程度では回復しないぐらい疲弊しているはずだ。もうさっきので動く力はほとんど残っていないだろう。
華やかなる業は長く続くことはなく、食堂内の全員が見惚れている中、大気の中へ霞の如く雲散霧消した。
本日の美鈴の日課はこれで完全に終わりを迎える。もう侵入者が来たとしても誰か一人も止めることはできないだろう。そうなるように仕向けたのは隠すまでもなくレミリア以外にいるはずがない。
どこまでが仕掛けだったのかは当人しか知らず、訊いたところで見ている世界が違うから理解するのは難しい。故に〝なるようになった〟と考えるしかない。
レミリアならこの後美鈴がどんな行動をとるか知っているだろうが、誰もそんな無意味なことをわざわざ訊ねない。主賓の出席を前提とした宴なのだから、余興の後ならどんな登場の仕方をしてもいいと思っていた。
「お待たせ致しました。紅美鈴、只今馳せ参じて御座います。」
後ろからいきなり美鈴の声がした。
住民は全員度肝を抜かれて、慌ててさっきまで虹の蓮華に見惚れたのとは全く〝逆〟の、レミリアの席の後ろを凝視する。
見間違うはずはない。
レミリアのすぐ後ろに、美鈴が立っていた。
髪の一部を両側で三編みにまとめていなかったから少し戸惑ったが、燃えるような赤毛と紅魔館の主人を含めて咲夜を除外した住民全員が見上げなければいけないほどの長身は美鈴以外にあり得ない。
「あんなところにあるなんて初めて知ったぞ、美鈴?」
美鈴が奇妙な現れ方をしたというのに、主は特に驚きもせず、そもそも振り向きさえしていない。
だが、五〇〇年以上生きているはずのレミリアでさえ、美鈴が出てきたところは予想できなかったらしい。
「隠していたわけではありませんよ? ただ使う機会がなかっただけです。」
質問に対して平静淡々と答える美鈴。
紅魔館は館とはいえ、その巨大さは最早小城の域にある。当然館の主要住民でもその全容を把握できているのはほとんどいないのだ。だから比較的新参の咲夜が知らない部屋や仕掛けはことのほか多い。レミリアでも知らないことがあるのだから、咲夜が知らないのも無理はない。
例外はたった一人、――美鈴だけだ。
唯一彼女だけが紅魔館の構造を完璧に把握している。
先代のスカーレットが実権を揮っていた頃から紅魔館で住込みで働いている、現当主よりも古参の美鈴だから知っているのだ。
館の隅々まで張り巡らされた隠し通路。
先代が、先々代が、美鈴自身が、魔力で開かずの扉とした危険な仕掛けを施された部屋の数々――その内側にある物。
現在のメイドの統括者として、完全で瀟洒な一従者として、自分以上に知っていることが多い美鈴に時々ふと嫉妬することがある。
しかし今は全く別のことで、咲夜は嫉妬していた。
館の倉庫で眠っていた仕立て図を見つけ、森の人形師の所に持ち込んで指導を受けながら自分がこの手で仕立てた物とはいえ、着るべき者が着るとこうまで全体が映えるものなのか。
流石は中華民族といったところ。
チャイナドレスの着こなしは完璧の一言に尽きる。
そのドレスは食堂を照らす灯りを反射して赤々と猛々しく煌めき、それにも増して輝く、金糸で鱗一枚まで緻密に縁取られた龍が天へ舞い昇る様を表した簡潔にして豪奢な意匠が施された、材質からして最高級の逸品だった。
ノースリーブと深く切り込まれたダブルスリットの妖艶さといったらとてつもない。
紅魔館で美鈴だけが持つ化け物染みた魅惑の曲線美が余すことなくドレスの余裕を占領しており、身体の凹凸がくっきり出てしまっている。
本人は特に恥ずかしいとも思っていないようだが、妖精メイドの中には頬を赤く染めて目を逸らしてしまう者もいるぐらいだ。
念のため洗濯した普段着を採寸して万全を喫したはずなのに、胸のサイズだけ微妙に間違えた。
何なんだろうあの反則は……
何百年生きているのかわからないがまだ成長するのか。
不思議な理不尽にちょっとイラついたが、今日はまあ気にしないでおこう。
「着心地はどう?」
問うてみて、一瞬後にはどう返ってくるのかわかってしまい、誰にもわからない程度に苦笑した。
「ええ、とってもいいですよ。さすがは咲夜さんですね。完璧です。」
『ああやっぱり』
力の差はまだ如何ともし難い。
でも美鈴が何を考えているのかぐらいは、付き合いが短くとも主よりは知っているつもりだ。
今はそれだけでいい。
にっこり笑ったその顔は、
まるで紅い華のようだった。
☆龍☆
「しかし変ですね? 今日の祝い事は……」
言って同時に、席から立ち上がって振り向いたレミリアの前で跪き、
「お嬢様の五一四回目のお誕生日を祝う日のはずでは?」
騎士が王へ忠誠を誓うが如く頭を垂れた。
「どうして私だけが、〝給仕をさせて頂いていた頃〟の服を着ているのでしょうか?」
―ancient―
先代直属の給仕を勤めていた頃、物好きが高じた先代はシルクロードの商人から東国の品を強奪し、その中に一際心惹かれた服を見出した。
それが今美鈴が着ているドレスの原型だった。
ドレスは一度解体され、仕立て師によって図が起こされて、当時人間の大貴族が財産の半分を注ぎこんでやっと手に入れられるような最上級の布を易々と手に入れたかと思いきや、即座に全て湯水のように使ってそのドレスを数着仕立てた。
自身の奥方に着せるものではない。どう贔屓目に見ても尺が合わなかったのだ。
『おまえは東国の出身なのだから今日からこれを着て給仕しろ。』
そう無理矢理押し付けられた。
祖国を捨てた身としては二度と袖を通すまいと思っていたが、紅魔館の支配者には一給仕として逆らえるはずがない。
他の給仕達に羨ましがられながら初めてのお披露目。
まさか吸血鬼だらけの社交パーティーの場だとは思わなかった。
飲み物を運んでいる途中、幾度となく出席者から声をかけられた。
少しの物珍しさとあからさまな下心。
お尻を触られても我慢して仕事をしていた。
触ってきた吸血鬼の奥さんらしき女性は汚らわしそうにこちらを見て扇子で口を押さえながら夫を嗜めた。
『あんな土臭い女の尻に触るなんて……』
『いっいや何、あの上等な服の感触はきっとすばらしいものだと思ってな。』
必死で言い訳に頭を使う男。
不快感を顔に出せるはずもなく、引き続き配り続けていたら、いつの間にか宴の主催者である当主が横に来ていて飲み物を取りつつニヤニヤしながら、
『次におまえを触ってきた奴がいたら問答無用で蹴散らしてやれ。私が許す。おまえが誰の給仕なのか思い知らせてやれ。』
セクハラ野郎をブチのめす許可を下した。
結果的には、次にお尻に触ってきたのもさっきの男だったので、銀色のトレイにたくさんの飲み物を載せたまま、一滴も零さずそのセクハラオヤジを蹴り込んでボコボコにし、ドリブルしながら窓を開けて海へ蹴り落としてやった。
主から許可されたのは〝蹴散らす〟ことだけだったから、その命令通りに蹴散らした。
周りから大顰蹙を買うつもりでやったのだが、浴びせられたのは歓声と拍手喝采。
飲み物を大量に持ったままやったのがツボだったようで、引っ切り無しに門番や護衛の誘いが出てくる始末。
言葉攻めに対応しきれなくなって目を回していたら、
『私の門番だ。異議申し立ては一切受けん!』
先代の一喝は悪魔のような天使の一声だった。
――で、
その数週間後、先代が調子に乗って美鈴を妾にしようとし、光の速さで奥方(美鈴の雇い主)に見つかってこっ酷く絞られたのは、また別の話。
―return―
奥方に申し訳が立たないのと貞操の危機感から転属願いを出し、今の仕事である門番に落ち着いた。
という曰く付きのドレスなのだ。
最早呪いのドレスといってもいい。
何故自分だけそういうドレスを身にまとって、誕生日のはずの主人は普段着ている物なのか。
「ありがとう美鈴。初めて作ったにしてはプレゼント、なかなかおいしかったぞ。」
跪いている美鈴の頭に優しく掌を乗せるレミリア。
気高き優しさは母譲りか。
「気に入って頂けて光栄です。」
今日も門番を始める前、咲夜の負担を和らげるために、今回はよく作っている春巻ではなくサルマーレという料理を作っておいてあった。しかし普段から料理の手伝いをしているから、それでは特別な日の贈り物として十分とは言い難い。
もちろん誕生日のプレゼントは別に用意しようとしたのだが、当日になってやっとできたというのは誤算だった。
初挑戦の料理を主が気に入ってくれたのがせめてもの幸いだ。
「私達の母には及ぶべくもないが、久しぶりに外の世界にいた頃を思い出したよ。」
「おっ、奥様……ですか?」
今は亡き元雇い主である先代の奥方が顔に似合わず家庭料理を得意としていたのは、本人から聴いている上に実際に食べたこともあった。この世のものとは思えない美しい味だったのを、今でも鮮明に憶えているけれども、サルマーレを食べたことは記憶の許される限りを遡ったとしても到底経験がなかった。
ということはあれ以外に考えられない。
「真祖祭限定の料理ですか……」
「「「?」」」
咲夜が、パチュリーが、小悪魔が、先代のいた頃に行われていた何やら行事らしきものに疑問符を投げ掛ける。フランドールはおそらくその行事の意味を知らないだろう。
美鈴がレミリアの代わりに説明する。
「真祖祭というのは、吸血鬼全ての祖を称える日の夜食会を指します。といっても家族単位で行われるものですので、パーティーではありません。ひっそりとした夜食ではありますが、列席が許されるのは吸血鬼やそれに連なる血族だけで、私を含めた女中は食堂に入ることすらできない特別な行事なんですよ。」
「「「……へぇぇ~……」」」
説明を聞いても外の世界、特に吸血鬼の世界を知らない三人には実感が湧かなかったらしく、三人揃って生返事しかできなかった。
美鈴とてレミリアの母親から聴いただけだから、理解しているのは行事が行われる理由ぐらいで、実際の雰囲気等はレミリアしかわからないが、彼女がわざわざ語るわけもない。
「真祖祭では真祖の生まれ故郷の料理が振舞われるのが普通でな。サルマーレはそこの郷土料理としては有名なもののようだ。」
「そうだったんですか。測らずもお嬢様の祝日に見合う料理を提供できたことをうれしく思います。奥様に追いつけるよう精進していきたいと思います。」
そう締めくくって、それで……と続ける。
「それで……、お嬢様の誕生日以外に何か、私がドレスを着なければならない行事なんてありましたか?」
今度は美鈴が全く何も知らないから不思議そうにし、レミリアを含めて、他の全員は知っているから裏のなさそうなニヤニヤ顔を美鈴に向けた。
裏のない笑顔なんてそうそう見ない。
美鈴は何を告げられるのか気になって必要もないのに立ち上がって身構えた。
そんな無駄な仕種にクククッと笑いながら、
「それはな……」
普段は勿体ぶった言い方を好まないレミリアが含みを持たせている。
「……それは……」
ゴクリッ。
生唾を飲み込んでさらに強張った表情になる美鈴。
……
「お前が私の門番になってちょうど五一四年経った記念日だ!!」
……
…………
「……へっ……?」
身構えていた分だけ拍子抜けは一入だったが、身構えていなければ確実に心臓が止まっていたように思う。
驚き過ぎでしばらく思考停止を余儀なくされた。
「さっきよりも固まりましたね?」
「仕方ないですよ。だってサプライズですもん。」
「違うわよ小悪魔。記念日にするには中途半端過ぎたからよ。せめて後六年待ってたらまともに反応してくれたと思うけど……?」
「思いついたら吉日と言うじゃないか。この状態こそ願ったりだ。」
呆然と突っ立っている美鈴を余所にワインの注がれたグラスを持ち上げて勝手に乾杯を済ます面々。
妖精メイドさえ主賓を気にせずワインを飲み干す始末だ。
唯一フランドールだけは、アルコールで酔っ払われては命が本気で危ないのでトマトジュースに変更されている。姉のグラスを物欲しそうに見ているが、ところ構わずキュッとしてドカーン!されると堪ったものではない。こればかりは飲ませるわけにはいかないと全員が承知している。
「ねぇ、早く美鈴にプレゼント渡そうよ!」
宴が始まって早々にフランドールが焦れている。
どうやらすぐにプレゼントを渡したくてウズウズしているようで、七色に輝く水晶のような翼をパタパタ小刻みに動かしている。
プレゼントを渡すのは宴もたけなわになった頃と事前に示し合わせておいたのだが……
フランドールがたけなわの頃合いなんてわかるわけがない。
美鈴がいる手前、プレゼントの話題を出しておいて今更程よい時期までフランドールを我慢させることもできない。更に悪魔の妹が万一癇癪を起こせば宴どころではなくなってしまう。
結局なし崩し的にプレゼントを渡さざるを得なくなってしまった。
「まあいいか、宴が始まる前ならともかく、始まった後ならプレゼントの中身を晒しても問題ないだろう。」
レミリアがそう宣言すると、始めに一歩前へ出てきたのは小悪魔だった。率先して前座を務めるのは妖精メイドと相場が決まっているように思われるが、どうやら小悪魔からのプレゼントは妖精メイド達とセットで一つみたいだ。
「私と妖精メイド達からは、美鈴さんに定休日を贈りたいと思います。非番の時は私達が交代で門番に就きますから安心して下さい。……といっても頼りないかもしれないですけどねぇ……」
と頬を人差し指で掻きながら照れ臭そうに言った。
「いっ、いえいえそんな! いつも忙しくしていらっしゃる小悪魔さん達が私の仕事を手伝ってくれるなんて、これほど頼りになる申し出はありません。とても助かります!」
美鈴は立ち直って快く形ない贈り物を受け取った。
小悪魔達が返答の中に『休む』という文字が含まれていなかった意味を知るのは、初めての定休日が訪れる今から一〇日後のことになる。続いて間を置かずにパチュリーが今まで読んでいた分厚い魔導書をバタンと閉じた。
「もういいわよ。」
何がもういいのだろうか?
疑問符を頭の上に浮かべたすぐ後に、両腕のむず痒さと絹擦れの微かな音に驚いて、思わず両腕を持ち上げた。
「――あっ――」
魔法によって厳重に封をされていた両腕から包帯がひとりでに解け、床に落ちることなくパチュリーの閉じた本のページの間に吸い込まれていった。包帯に術を施したのではなく、そもそも包帯自体が魔法だったのか。
だが、そんなことよりもっと、
信じられないことが自分の身に起きていた。
目の前にあるのは……、普通の両腕。
自分の神経が、自分の気が、自分の血が通った自分自身の両腕だ。
こんな腕だったのか、自分の腕は……
あらゆる傷跡が消えていたことで、この腕が、自分の腕ではないように一瞬思ったが、瞬きも忘れて自らの腕を頻りにかざし見る。
ゆっくり見ている暇もなく、フランドールが目の前に近づいてきて、細長い茶色の紙を手渡してきた。
何処の人里へ探しに行ってもまずないような高級さが滲み出る羊皮紙に、拙い殴り書きで文字が書かれていた。
「私のプレゼントはこれっ!」
満面の笑みで手渡されたそれは、
『美鈴の肩を揉んであげる券』
だった。
美鈴の体調を気遣って作ってくれたものだろう。
腰の位置より少し高いところまでしかない身長で抱きついてきたフランドールに、万力に下半身全体を挟まれて締め上げられたような、思わず死んでしまいそうな苦痛に耐えながら、決して笑顔を崩すことなく軽く抱き返して、
「大事に使いますね。」
と優しく感謝の意を伝えた。
フランドールのありとあらゆるものを破壊する程度の能力は関係なく、ただ吸血鬼として、妖怪としての力の加減が満足にできないからこんなことになっている。
下手に券を使おうとすると元々凝りもしない肩が確実に粉砕される危険性があるが、
自分が将来どうなるかなど、正直どうでもいい。
「私からのプレゼントはもう渡してあるわ。当然わかるわよね?」
次は咲夜だ。
「はい、とても懐かしくて……、でもあのときよりもとても温かさを感じます。」
もう自らが着ているドレスを咲夜が作ったことはわかっている。
箱の中に仕込まれていた招待状はもとより、足でペダルを踏むことで車輪を回し、その動力をもって針を動かす、幻想郷の中において持っている者が限られるミシンで縫われた服の縫い目のくせなどで、誰の仕業か一目瞭然だった。
裁縫なんかを教えたのが他でもない、美鈴本人だからだ。
でも本当に見違えたものだ。
まじまじと見なければそんなくせを見つけるなんてとてもできない上に、ちょっと前に一通りを教えただけなのに、今では服一着を縫ってしまうまでになっている。服作りを教えたプロの裁縫家でもある魔法使いの指導は余程良かったのだろうが、それだけでなく、やはり咲夜の尋常ではない物覚えの良さこそ特筆すべきだと思う。
「気に入ってくれてよかった。大事にしてね?」
「はっ、はい! それはもう!」
勢いよく頭を下げて全力で確約した。
食堂に入る前からどうやってドレスを保存しようか考えていたところだ。
人型をした置物とガラスケースは最低条件で、スキマ妖怪あたりに外の防虫剤でも頼んでみようか。
どうやって保管しようか悩んでいると、
「――それと……」
咲夜がいきなり消えた。
と認識したときには、美鈴はすでに椅子に座っていた。
いつものことながら咲夜に座らされていたのだ。
「門に引っ掛かってたわよ?」
咲夜が持っていたのは黄緑色の小さな袋。
わざわざ頭の中の記憶を手繰る必要もない。見て一瞬でそれが朝風見幽香からもらった花の種が入った袋だってことがわかる。
「いやぁよかったです。探しに行く暇がなかったので……。お手数お掛けしてすみません。」
本当だったらもっと前に受け取って、
今日この時に間に合うように咲かせて誕生日を祝うつもりでいたのに。
何でこんなに遅れたんだろうか?
幽香だったらこれぐらい簡単にやってしまいそうに思うのだが……
「そして最後はこれだ。」
レミリアが美鈴の目の前でチラつかせたのは今日山賊に切られたはずの髪を留めていたリボンだった。
「あっ、あぁあのこれはっ!?」
「全く、らしくないなぁ♪ 下衆の刃を届かせるなんて。」
「んむぅ……、め、面目次第もありません……」
妖精に昼御飯を食べられて力が出なかったからなんていいわけにもならない。
素直に反省して項垂れる。
「今度はそう簡単には切れないぞ?」
「――え……」
すでに頬の両側を三つ編みに結ばれていた。
「やっぱりお前はこうでなくてはな。」
赤毛で、
両側三つ編みで、
砕けた敬語を適当に使う、
――いつもの自分だった。
「――――あ……あの、――――ありがとう、ございます……」
ずっとしがない門番でいようと思っていた。
ずっと、雇われていただけだと思っていた。
こんなこと、たぶん一生ないと思っていた。
主の思いつきは、普通じゃないけどいつものこと。
自分を祝ってもらえることが、急にいつものことのように思えた。
『たぶん、私は……』
「なぁに笑いながら泣いてるのよ? 器用ね。」
「誰だって祝ってもらえれば喜びますよ!」
「……それにしても大袈裟ね……」
「ねぇねぇ、何で泣いてるの? 何で何で?」
それぞれ別々に宴を楽しみながら、全員が一緒に笑っていた。
「どうして……?」
「どうしてって……」
「〝家族〟がやることだからな、いつが記念日だっていいじゃないか。」
私は、今の私であってよかったと誇りに思う。
そして……、
私は幸せだ。
☆龍☆
夜、美鈴は自身の過去を夢に見た。
美鈴は紅流太極拳の道場で、門下生達に稽古をつけていた。
自身はその道場の師範の娘で、物心ついた頃にはすでに拳法を父から教わっていた。
その頃は道場同士が試合を組んでいた。
年齢制限のないその試合に幼い頃から出されて以来一切の負けを知らず、神童という名を与えられていた。また本来の名である美鈴以外に、龍娘(ロンニャン)とも呼ばれ、大の大人をさえ圧倒する強さを誇った。
畏れられた存在と対等に戦える相手がいなくなる、それどころか試合をまともに組ませてもらえなくなるのには、そう時間はかからなかった。
結局、一八才ぐらいになるまでには師範たる父さえあっさり倒し、皆伝と共に道場の顧問を務めていた。
あの夜……、一人で練習をするために、道場近くの森に入った。
いつもの日課で、そのときも特に変わったことはない――はずだった。
森の奥から化け物が、妖怪が出てきた。
――やっと……、やっと、まともに自分と戦える相手を見つけた。
初めて妖怪を見たときに、そう心が疼いたのを憶えている。
強さには自信があった。
かといって、向上心は常に持ち、怠けるようなことは一切せず、周りに見せびらかすこともしない。
数は四。
道場には門下生もいれば家族もいる。
しかし美鈴は近づけてはならないとは全く思わず、ただただ喜び勇んで真正面から死合を挑んだ。
二匹は内臓をぶちまけさせた。
一匹は頭を強引にねじ切った。
妖怪の、暗くて何色か分からぬ血にまみれ、自身も傷つき血を噴出しながら、
ようやく叶った全力の殺し合いに、空っぽだった美鈴は満たされた。
最後の一匹に負けた。
左腕と左脚を根元から食い千切られ、
右腕右脚をぐちゃグチャの粉々にされて、
左脇腹から心臓近くまでを抉り取られて内蔵をかき出され、
喉笛に噛み付かれた。
中途半端なところから息が漏れてヒュウヒュウと唸る。
霞む目に見えるのは、自分から出た大量の血で作られた赤い池。
そんなどうしようもない状態でありながら、美鈴は笑っていた。
――なんという恍惚か。
失われる意識の中で、そう思うほどに焦がれた。
だから、
【――】
自身の喉を噛み潰した瀕死の妖怪が最後に言い残した言葉が何だったのか。
……理解するのに、少しだけ時間が必要だった。
目を覚ましたのは、一〇日ほど過ぎた朝だった。
確か自分の部屋だったと思う。
門下生から聞いた話だと、あの日帰りの遅かった美鈴を道場の全員で探していたところ、森の中で血みどろになっていたのを発見された。あの時食われ抉られたはずなのに、服以外はかすり傷一つなかったという。
何か得体の知れない獣の血に染まった美鈴は、母親に身体を洗われた後、まるで本当の死体であるかのように眠り続けていたらしい。
あの夜の記憶はほとんど抜け落ちていた。
自分の身体が元に戻った経緯なんて分からない。
だが……、その時感じた高揚感だけが気持ち悪く、心地良く身体に巡っていた。
そのおかげか回復は早く、それどころか以前よりも身体が鳥になったように軽かった。
全快後、師範の父が復帰祝いということで、十数年ぶりにまともな試合を組んでくれた。
どうも相手は、数年前から頭角を現してきていた同い年の男のようだった。
嬉しかった。
父が自分のことを思ってくれていたことだけではない。
あの夜に感じたものを、また感じられるかもしれない。
淡い気持ちで試合に臨んだ。
――そして、思い知らされた……
やってしまった後になって、妖怪の発した呪言を思い出した。
『……踏み外せ。……堕ちろ。我の代わりに怖れられろ。……災厄を撒け、同胞よ。』
殺してしまったのだ。
ただの一撃。
美鈴にしてみれば、ただ普通に殴っただけだった。
人の頭とは――こんなにも脆いものなのか。
くず折れる、頭をまるごと消し飛ばされた死体なんて、見ている余裕もない。
静寂に包まれる場内。
美鈴は血や脳漿がべったり付いた自身の右拳を見た。
あの時――、死んだのだ。
そして生まれ変わった。
自分が妖怪になってしまった。
こんなこと望んだはずがない。
こんなこと望んだわけじゃない。
――こんなこと、望んでない。
「いっ――、嫌ぁああああああああああああああああああああああああっ!!」
膝をついて、血に塗れるのも構わずに、頭を抱えて慟哭した……
――呪いは、成就せり。
祖国で過ごした残りの時は、血に塗れた地獄だった。
踏み外して、堕ちるしかなかった。
父は美鈴を、自らの手で殺すことを選んだ。
初めての過ちを不問にされ、何もかもに無気力になっていた美鈴には、ある意味願ってもないことではあった。
毒や何かでちまちまやられたところで、もう耐性が付いてしまってどんなものも効かなくなっていた。
何もかも終わらせるつもりで道場に向かい、何もせず殺される覚悟で対峙した。
父も覚悟はしていただろう。
――自分が殺されるかもしれないという覚悟に……
死ねなかった。
妖怪としての本能は、どうしようもなく生きることを選んでしまった。
そんな自分を殺そうとした父を、美鈴は殺した。
望んだ力の使い方は、望まない結果しか生まなかった。
どうして嘆かないでいられるだろう。
心臓を貫いたその指で父の顔に触れ、血の涙を流した。
門下生や、父に縁のある格闘家、それ以外の連中にまで狙われるようになった。
恋焦がれた殺し合いなどできるはずもない。
時に真正面から死合を申し込まれ、時に徒党を組んで襲いこられ、暗殺されることもあったが、殺されない。
死ねない。
どれだけ傷つこうとも、人間であれば死んでいるはずの攻撃を受けても、妖怪の頑丈な身体にはいずれも致死にならず、怪我さえすぐに完治していく。
結局、その退廃しきった怨嗟を断ち切ることしかできなかった。
悲しみも嘆きも……、全て自身への、こうすることしかできなかった自分への怒りに変えて……、
自分の今までの思い出を、村を街を……
跡形もなく殲滅した。
焦土となった生まれ故郷に佇んで、月のない夜空を見上げてただ泣いた。
それだけのことをしておいて、今更何もなかったことにはできるはずがない。
危険要素を速やかに排除するため、軍が動き出した。
反乱分子が美鈴を我が物にせんと動き出した。
祖国が追ってくる。
もう嫌だ。
そんな、関係のない権力闘争に巻き込まれるなんて御免だ。
だから逃げた。
追ってきた王朝の兵隊を皆殺しにし、追ってきた反乱分子達さえ血祭りに上げ、山脈と砂漠を越え、国境に辿り着いた時には、軍の八個師団を全滅させていた。
結果的に反乱分子に協力した形になり、後々で王朝の崩壊を知ることになるのだが、もう美鈴は祖国を捨てていた。
迷わず国境を越え、自分を殺してくれる者を求めた。
ひたすら西へ……
虎の潜む森を抜け、気が狂いそうなほど果てなき陸路を歩き、呆然と他の国を見て回った。妖怪と人間の味覚の違いに悩まされ、生きるのには必要ないはずの料理の勉強をしながら、異国の文化と人情に触れた。
それを繰り返して、
いつしか石とレンガで造られた、今までとは全く違う国に迷い込んだ。
それまで美鈴を殺せるような者は、人間も妖怪もおらず、行く先々で血と臓物の死屍累々を築いていた。
精神は疲弊し、磨耗し、自身を知る者のいないこの土地で、ひっそり生きようと思った。
路地裏で屯っていた人相の悪い人間共を速やかに排除して、その行き止まりで夜を明かそうと、蹲ってじっとしていた。
ちょっとでも裕福な生まれの連中なら誰も近寄らないようなそこへ、
小さな女の子が、
朱い幼女が、
輪郭を持たぬ影を落としていた。
いつからいたのか分からないが、こんな場所に最も似つかわしくない、今まで見てきた中で間違いなく一番高貴な出で立ちをした者だった。
「研ぎ澄まされた龍と死んだ魚が同居しているな、お前の眼は……」
初めは、傲岸不遜が服を着て立っている、そう思った。
美鈴の半分以下の身長で、どうしてそこまで周りにそう思わせられるような傲慢を撒き散らせるのか。
彼女が妖怪であるとしても、到底納得できるようなものではない。
「……黙れ。お前にとやかく言われる筋合いはない……」
「私には構ってほしそうな眼をしているように見えるが……?」
『知ったような口を……』
一層目つきを悪くして、
「それとも何だ。あんたが私を殺してくれるのか?」
と逆に噛み殺しそうな勢いで問い返した。
「死にたいの……? 私には、お前が何かを無性に殺したいように見えるけど……? 例えば今目の前にいる私とか……」
深淵を見詰める血のような赤い瞳は、表層だけを見るような温いものではない。
捉えた者の脳や心臓まで、その赤で塗り潰してしまいそうなほどの、
――鮮烈で刺激的で、魅惑的な赤。
そんな眼が、美鈴の――
死のうとする人間の理性と、
殺し合いを求めながら、生きようともがく妖怪の本能との葛藤を透かしている。
そう見えて、彼女と話すことが急に嫌になった。
自分の手で殺した母親と……、何もかも納得して簡単に殺されていった母親と、その眼は酷く似ていた。
「――ハァ、もうお前と関わる気はない。……失せ!?」
赤の一閃。
「ガァッ、ァ……!!?」
胸の真ん中より少し左、
心臓をぶち抜いたのは、巨大な槍。
年端も行かぬ幼女のような妖怪が放ったにしては、巨大過ぎる。おそらくは自身の身長の軽く二倍を超える長大な得物だ。
どこからともなく表れた赤い槍を、驚愕と安心でない交ぜになった眼で見た。
凶々しいのではなく、神々しい。
胸から生えた柄を、恐れ多さから触ることすらできなかった。
「――私は――、お前が欲しい。……今そう決めた。」
「ウグッ! ガッ! それ……なら、やり、か……たが、ま――ちガッッッて、るぞ?」
串刺しにされた美鈴は血を吐きながら言った。
その槍は心臓を突き潰して背骨を分断し、壁に美鈴ごと突き刺さっている。
「間違ってないよ?」
幼女は笑う。
「お前は死んだ。」
妖怪は嗤う。
「そう、人間としてのお前は今、死んだ。」
王女は哂う。
「そしてこれからは妖怪として生きる。」
残酷に、
「私に仕え、共に生きよ。」
熾烈に、
「それがお前の――、運命だ。」
愉快に、
「……私がそう、決めた……」
狂乱に凶乱に
傍若無人に
傲岸不遜に
豪放磊落に
唯我独尊に
――朱く――赤く――紅く――
勝てない。
この幼女の、この妖怪の、この王女の、この女王の、
この――、方の、
目の前では、死すら許されない。
串刺された身体から槍が抜かれる。
有無を言わさず、自分という人間は殺された。
そして、妖怪として生きている。
重荷が全て取り払われたような気がした。
もう……、生きていいのか。
「さあ、行くぞ。」
美鈴が回復するまで、その妖怪は待っていた。
そして美鈴は、差し伸べられた手をとって、共に往った。
その夜、
新しい居場所ができた。
それは――血のような紅き満月を讃えた、新月の夜のこと……
……もう二度と見ることはないだろう。
☆龍☆
――翌日――
「おはようございます! 珍しく門から入るんですね?」
「一々不意打ちされちゃあおちおち空も飛べないからな。今日は大丈夫だろうな?」
「ええ、今日は通って頂いてもいいですよ♪」
「門番がそう言うなら遠慮なく入ってやろうじゃないか。っていうかいいのか? 本当に入るぞ?」
「いいって言ってるじゃないですか。そもそも魔理沙さんは妹様とパチュリー様から許可が出てるので、こちらに用事がない限り堂々と門を通ってもいいんですよ? 寧ろ空から来る度に館の一部を破壊されるのが何より面倒なので止めてくれます?」
「それは私の趣味だから今更止められないぜ?」
「だったら全力で止めるまでですよ?」
「あれは……、正直止めてほしいぜ……」
「あなたが行儀良くすれば私の手間は増えませんが?」
「あーあー、もうわかったぜ。憶えてたら門から入ってやるよ。」
「私に記憶の整理を押し付けないで下さいよぉ?」
「私は努力する魔法使いだぜ?」
「どうだか……」
「そういやお前、今日はやけに気分いいよな。昨日何かあったのか?」
「それは……、ひ・み・つ、です。」
「ケチだなぁ。ケチは泥棒の始まりっていうぜ?」
「泥棒のあなたが言うんですから説得力ありますねぇ?」
「何だよその全力で嫌そうな顔は。因みに私は泥棒じゃないぜ? ……わかったよ、こうなったらパチュリーに訊いてやるぜ!」
「訊いても無駄だと思いますけどね……。
――あっそうそう、私もあなたに訊きたいことがあったんでした。」
「へぇ、何だよ?」
……
「あなたには、守りたいものって、ありますか?」
了
レミリアの母が最後に美鈴を自分の従者にしたのなら、その後レミリアの誕生と門番への就任シーンがあった方がいいと思いました。
この日魔理沙はパチュリーとの約束があり、そのために来たのだろうと地の文であるのに
美鈴と対戦した時そのことを一言も言わず今日は借りるだけにしとこうという文もあります。流石におかしいと感じました。
あと、魔理沙撃退後から山賊の迎え撃ちの間に「今日に限って何でこんなに忙しい」という
場面がありますが、美鈴があれだけの力を持っていながら実際何があればあんなにばてるのですか?
それと、紅魔館を色々と妙な造りにしているのは咲夜なので、咲夜が知らない部屋や隠し通路があるというのを変に感じました。
最後に、これは結構気になる読者が多いだろうことで、「」や()の文末に。は使わない方がいいでしょう。
色々突っ込みましたが、描写は力強く長編を書ききった筆力は素直に凄いと思います。
厨二は個人的に二次創作の華だと思っていますので、これからも執筆頑張ってください。
正直、戦闘の部分は必要なかった気がする
設定間に矛盾が生じてる場面があったり、場面転換などで説明不足な部分が見られました
フローチャートなどを使って章ごとに分けて、一目でわかりやすい状態で製作・推敲すれば設定の矛盾は抑えられたかもしれません
しかし戦闘部分に非常に魅力を感じたので、この点数を入れさせてもらいます
厨二バトルっていいですよね。燃え燃え
過剰な描写で水増しされてる感じ
もっと削って普通に美鈴の日常でよかったんじゃないの?
あと美鈴の強く説明されすぎてる
わざわざ「ほんとはこれぐらい強いんだけどね」みたいのを説明されても……
話の中で活用されない設定って必要?
全体的に不必要なものが多いと感じました。逆に言えば、さらに練りこめば素晴らしい名作になると思いました。めーさくだけに。スイマセン
東方のコンセプト的にあまり幻想郷の妖怪たちに似つかわしいとは思いませんが
じっくりとした描写の仕方は同じ物書きとして少し見習いたいなと思ったり
多分私が求めていたものとssの内容が食い違っていたからなんだろうけど
中2バトルも特定のキャラクター無双もそれ自体は嫌いではないんだけど、何故そうなったのかの説明が省かれていて(取ってつけたようにしか見えないとも言う)話にのめり込む事が出来なかったのが残念
描写も上手いと思う部分もあれば、会話文連発だったりこれは酷いと思うところもあってなんともいえない気分
これも上のコメントと被るけど、中盤以降の会話にしろ場面にしろを削ればくどくなかったかも……というかこのssが何をテーマとして伝えたかったのかよく分からなかった
単なる日常物であれば起こる出来事の内容をもっと凝縮して描いて欲しいし、それ以外(バトルなりストーリー)なら無駄な部分はバッサリカットした方が
水増しを減らして芯を通し、なお長文が書けるようになったら作者の作品は最高に素晴らしいものになるに違いない
悪いところばかりあげつらっているけれど面白くなかったわけではなかった
途中gdgdになってるところもありましたが、
要所での引き込み方が半端ないと感じましたね
内容は完全に自分の好みでした
作者さんのssはいずれ名作と言えるものができそうな気がしますので
これからの成長に期待させていただきます
というわけで高得点で