昔はよかった。
こんなことを言うと年寄り扱いをされてしまう。
だけどわたしは気にしない。
だって私は、この国の歴史よりも遥かに長く生きてきたのだから。
とはいうものの、今わたしが懐かしむのはそんな昔のことではなく。
ほんの数年前、わたしにとってはほんの少し前のこと。
毎日のちょっとしたことをうれしそうに、時に自慢げに話すその子の頭を撫でてあげていた。
その子もうれしそうににっこり笑って、わたしのことをこう呼んでくれた。
「お姉ちゃん」
と。
-お姉ちゃんだもんっ!-
「それでは神奈子様、行って参ります」
早苗が境内でアグラをかく神奈子にお辞儀をする。
「あいよ、気をつけるんだよ」
そう言って気のない風を装いながら、本当はソワソワしていることくらいわたしにはお見通しだ。
まるで子離れできない母親みたいだ、なんてことを思いながら鳥居の影からその様子をのぞき見る。
振り返った早苗はそんなわたしに気付くと、にっこりと笑った。
「行ってきます、諏訪子さま」
なんだか神奈子と比べてぞんざいというか軽いのは気のせいだろうか。特に「さま」のあたり。
わたしを見上げていた女の子は、いつしかわたし"が"見上げる女の子になっていた。
……なんだろう、この感じは。
さびしい、とか、くやしい、とか。とにかくおもしろくない。
だけどわたしはそんなことで騒いだりはしない。
だって、わたしは―――
「お夕飯までには戻りますから、待っててくださいね」
―――あう。
ふわりと風に乗って飛んでいく早苗。
だめよー、ぱんつ見えちゃうよー。
そんな気の抜けた忠告なんて届くわけもなく、ただ見送るしかなかった。
どのくらいたってからだろうか。背後からのいやらしい視線に気がついたのは。
「な、なによ」
きっ、とにらみつけたところで神奈子は動じない。
もともとにらみ合いともなれば、ヘビが相手じゃ勝ち目がないのだけど。
……てか、なによその勝ち誇った目は。
「いやあ、早苗も大きくなったもんだねぇ」
大きく、の部分をやたらと強調するのはなんで?
あ、いいわよ答えなくて。
「あらあら、親離れしていくのがつらいのかしら?」
そこでこう言いかえす。どうやらズボシだったようで、神奈子はいじけたように視線を逸らした。
まったく、なんだかんだで心配症なんだから。
「べ、別にそういうわけじゃないぞ? ただ―――」
「いいのいいの、早苗を大事に思うのはわたしも同じだから」
そうだ、神奈子はあてにならない。わたしがしっかりしなきゃ。
理由など決まっている、私は―――
「そうかい、やっぱり"お姉ちゃん"が恋しいかい」
「神奈子のばかーーーーーーーーーっ!!」
そしてわたしは鳥居を抜けて、妖怪の山を下りていった。
「あーうーっ! 早苗も神奈子もバカにしてーっ!」
わたしだって神様だ。こんな子供じみたカンシャクを起こしてたら、それこそ子供じゃないか。それはわかっている。
だけど早苗にまで子供扱いされては、いくらなんでも面目が立たない。
一度ちゃーんと、そのあたりをはっきりさせないと……
「……ここ、どこ?」
その前に、現在地をはっきりさせないと。
とりあえず山は下りた。それは間違いない。
じゃあ、山の下のどこ?
わかりません。
「……あう」
そういえば山の下なんて来たことがなかった。というか、神社から出たこと自体が何……百……千年ぶり?
だ、大丈夫。早苗はもう何度も下の世界に行っては無事に帰ってきた。
早苗が大丈夫なら、わたしも大丈夫。そうだ。
由緒正しき祟り神であるわたしが、そんじょそこらの妖怪に遅れなどとるわけがないんだ。
「こらー、そこどけぇー!」
「え?」
どーん、と衝撃がきた。
うん、いたい。すごく。
見事な受身をとれた。ごめん、ウソついた。
顔面からいっちゃったら受身じゃないよね。うん。
なにはともあれ、この私にこんな屈辱をくれた奴には仕返し……もとい、神罰が必要だ。
「ちょっと、なにすん……」
そこで凍りついた。
いや、凍りついていたのはわたしじゃなくて。
「の……」
その、ぶつかってきたやつの手の中の。
「よ……」
氷漬けの、カエル。
「あああああああああああううううううううううううう!!!!????」
「んー? なによアンタ、あたいになんか用?」
ぽーんぽーんとその氷漬けを弄ぶ姿は、さながらに悪魔。
背丈はわたしとあまり違わないけど、不機嫌そうな目からは考えが読みとれない。
ひょっとして何も考えてないんじゃないかなーと思ったのもつかの間、勇気を出して話しかける。
「え、えっと……こんにちは」
ちがぁぁぁぁう! なんでこんなに下手に出るの!?
だって凍らされるのイヤだもん。だよねー。
「……? あたい、いま忙しいんだけど……あっ」
「ああああ!」
そいつの手からぽろりと落ちる氷。わたしは今日二度目の顔面ダイブでそれをキャッチした。
「あ……あう……あぶなかった……」
本当にあと少し。ちょっとでも遅れていたら、この子は氷ごと粉々だった。
なんてことを。カエルのことをなんだと思っているんだ。
悪魔だろうがなんだろうが、怖がってる場合じゃない。
「ちょっと、あんたねぇ!」
だって私は―――
「ありがと!」
「へ?」
悪魔はものすごく無防備な笑顔でお礼を言ってきた。
「あたいのカエル、いのちがけで守ってくれたでしょ? だから、ありがと!」
「ど、どういたしまして……?」
「このあたいがお礼をいうなんてメッタにないんだからね! こーえーに思うのよ!」
「は、はい……」
なにこれ。なんでこんな上から目線なの? そしてなんで言いなりなのわたし?
こんな「ところでこーえーってなんなのかしら?」とか言ってるやつに。
なんだか深く考えるだけムダなような気がしてきた。
はやいところ会話を切り上げて……逃げよう。
「じ、じゃあわたしはこれで」
「アンタ、気に入ったわ! とっておきのトコにつれてってあげる!」
「え? う、ううんいいのいいの! わたしは……」
「エンリョなんていらないわよ。凍らせてでもつれてくからね!」
脅迫入りました。今日のわたしは限りなくデッドオアアライブ。幻想郷は危険が危ない!
「さ、いくわよ……えっと」
「す、諏訪子! 洩矢 諏訪子!」
ああ、名乗っちゃった。わたしのバカ。
「……も……す? ながいわよ、三文字以内で!」
「諏訪子って三文字でしょー!?」
「じゃあいいや、もす」
「なによその時々早苗が買ってきてくれたハンバーガーみたいなの! てか二文字じゃん!」
「あたいにかかれば二も三もおんなじようなもんよ! あたいったら最強ね!」
「区別しようよそれは! 全力でバカだよ!」
「バカじゃないわよ、最強よ!」
「最強のバカぁぁぁぁ!」
バカはわたしじゃない、こいつだ。
そりゃあもう、思いっきり断言できるくらいに。
道に迷った次は人に迷ってる。人じゃないけど。
「さあ、いくわよ……えっと、もりこ?」
惜しい。そして全然違う。
「……諏訪子。あんたは?」
「あたい? チルノよ。このへんであたいの名前を知らないヤツはモグラなんだから」
「うん、意味わかんないけど理由は分かる気がする」
もう頭痛い。けどこいつと言い合いをするだけいろんなものの無駄だとも思った。
今は素直に言うとおりにしてやろう……。
一体どこに連れて行くつもりなのだろう。
見たところ氷かなにかの妖精なんだろうけど、いったいこんな森の中に何があるんだろうか。
「ねえ、すりこ」
「うん、もう一歩。なに?」
「ここどこ?」
「うん、教えてくれる?」
ある程度覚悟はできていたから、もう驚かなかった。驚けなかった。
「このあたいも知らない場所があったなんてね!幻想郷はこーだいだわ……」
なんでそんな広大な場所で、よりによってこんな奴に出会ってしまったんだろう。
つくづく心細い。こんなの放っといてわたしだけでも帰っちゃおうかな。
たとえ地理が解らなくても地脈の流れを読むなりすれば、自分の住まいくらい探し当てるのは難しくない。
今の今までそんなことに気付かなかった自分が恥ずかしいくらいだ。
「ん? どうしたのムズカしい顔して」
「あう? べ、別にっ」
「心配しなくてもいいのよ、ぜーんぶあたいに任せていいからね」
いったいどこからその自信が出てくるんだろう。
根拠なんてないのは明らかだけど―――なんだろう、決して悪い気はしない。
まあそれ以上に、ほっといたらもっと面倒なことになりそうだし……ね?
「あ、そうだ! 思い出した!」
「え、ホント?」
「今日のおやつは野いちごにしようって思ってた」
「めんどくさいなこの子!」
構っても面倒、放っといても面倒。進退きわまるとはまさにこういうことだ。
「チルノちゃーん」
その声は不意に上から落ちてきた。
「さな、え……?」
ほんの一瞬、見違えた。
声の主は妖精。透き通るような色の紙と金細工のような模様の羽。
穏やかな表情は、ともすれば自分よりも大人びているように見えた。
「あっ、だーいちゃーん!」
チルノが手をぶんぶんと振る。太陽みたいな笑顔で。
なるほど、とわたしは納得する。
このふたりの関係はきっと、そういうものなのだろうと。
「こんにちは、チルノちゃん。今日も元気みたいだね」
「とーぜんよ! ちからがモテモテっていうか」
「うん、持て余してるんだね。……それで、そっちの子は?」
チルノに向けていたのとはうって変わって訝しげな目。
ついでに言うと「子」呼ばわりされたのもちょっと気に障った。けど、その程度でヘソを曲げてちゃ神様は務まらない。
……あるよ? おヘソ。
「こいつ? 迷子になってたからホゴしてやったのよ」
「そうなの。えっと、チルノちゃんがお世話になりました」
「え? あ、うん」
わたしが反論するよりも先にその妖精は正しく理解してくれたらしい。
ああ、これは話せそうだ。ダテに早苗のそっくりさんをしていないね。
「ま、まあ……道に迷ってたのは本当だし。ちょっと道案内してもらえるかな?」
「え……えと、どちらまでですか?」
しめた。この子なら間違いない。
「そうだね、人里まで出られればあとは自分で帰れるよ」
「人里……ですか」
目に見えてその子の顔が曇った。
たしかに妖精を人里に近づけるのは、ちょっとマズいかもしれない。
大体の方向だけでも、と言い直そうとしたらまたしてもジャマが入った。
「えー? 人間よりもカエルで遊ぼうよ」
そんな風に平然と口にしたところでなにが無邪気なものか。むしろ邪悪だ。
そうだね、人里よりもまずオマエの始末だね……。
「ダメだよチルノちゃん、この……えっと?」
そういえばまだ名乗ってなかった。
「ああ、わたしは洩矢」
「もやこ」
「もやこさん困ってるんだから」
「うん、すごく困ったことになったよ」
誤解が二重になってしまった。なんだってもうこのバカ妖精は!
「諏訪子ね。す・わ・こ」
「ご、ごめんなさい諏訪子さん……」
「気にしなくていいよ大ちゃん、あたいが許す」
「うん、大ちゃんは許す。あんたは許さない」
おーけー、もう実力行使に出ていいよね?
「ね、ねえチルノちゃん……後でいいよね? 先に諏訪子さん送ってくるから……」
バカの方の妖精―――チルノは、思いっきりイヤそうな顔をした。
「えーっ? いいよそんなの後でさぁ」
さすがにバカ相手でもガマンにだって限界がある。理解するほどのアタマもないのなら―――本能に、教え込んでやるまで。
「そんなの―――?」
出来る限り重々しく、この胸の内に澱の如く溜まった総ての生物が畏れる代物を滾らせて、両の眸に浮かべて睨みつける。
「な、なにさ……っ!?」
まだ口が聞けるとは大した奴だ。それでもその怯えぶりは実に心地良い。
如何する? 是で満足してやるか?それとも―――
「ご、ごめんなさいっ!」
期待していた言葉は予期せぬ方向から。
だいちゃん、と呼ばれていた子が頭を下げていた。
なに、これ? どうしてあんたが謝るの?
そう言おうとしても口にできず、誰もが黙ってしまう。
風がぱらぱらと木々の葉っぱを鳴らす音だけが聞こえていた。
「……だいちゃんの、ばかっ」
それだけが、小さく聞こえた。
「ちょっ……!」
なんでその子に言うのよ。その子がアンタに何をしたっていうのよ。
そうハッキリと言い返せなかったのは、きっとその先にある言葉を知っていたから。
―――本当に悪いのは、わたしなのに。
弾かれたみたいにチルノが走っていく。
「チルノちゃん!」
大ちゃんの叫びが胸に刺さった。
どうしてこんなことになって―――ううん、こんなことにしてしまったんだろう。
まったく神様が聞いて呆れる。バカみたいな意地を張って、後味の悪い思いをして。子供扱いされて当然だ。
「その……ごめん」
手遅れの言葉を口にする。「大ちゃん」は首を振ると、
「それじゃ……行きましょうか」
わたしの方を見ることなく、歩きはじめた。
さくりさくりと音を立てて、ヒザくらいまでの高さはある草むらを進んでいく。
人間だったら完ぺきに迷子になりそうな、道なき道すらない道。
おまけに「大ちゃん」の後ろには踏み荒らされたようなあともない。
妖精は自然と一体で、おたがいをジャマにせず生きているんだと今更ながらおどろいていた。
だけどそんなことより、わたしたちの間にじっとりと貼りついた無言がいたたまれない。
ええい、なにを迷っているんだわたしは。そんなに黙っているのがイヤなら自分から話をすればいいんだ。
「……仲良いんだね、あのチルノってのと」
あたりさわりのない話から始めようと思ったら、いきなりアウトなフリをした気がする。
そもそも今の状況の原因がアイツじゃないのよ!
「寂しがりやなんです、わたしたちは」
ワケも分からず、ただハッとなった。
わたしたち、というのが「大ちゃん」とチルノのことなのか、それとも妖精全てのことなのか。
それともその中には、わたしも入っているのだろうか。
一番ありえない最後のほうが、今のわたしにはしっくりきた。
寂しい。その気持ちはずっとずっと、わたしの中にあったものだから。
足が止まる。それを察してか「大ちゃん」も立ち止まってこっちを振りかえった。
「諏訪子さん?」
わたしだってそうじゃないか。
誰かに見てほしくて、かまってほしくて。
「―――やっぱ、いいや」
「えっ?」
きょとんとする大ちゃんの手を取る。
「探しにいこ、チルノのこと」
「で、でも諏訪子さんは」
ぽん、と頭に手を置いてその先を止める。
「お姉ちゃんに任せなさい」
自然と口をついた言葉は、なんだかとても相応しい気がした。
大ちゃんの顔は少しずつ赤くなって、やがて下を向いてしまう。
確かめるようにぽんぽん、とまた軽く頭をなでてあげた。
「……池の方に、いると思います」
「いけ?」
聞き取りにすこし自信がなくて聞き返す。
「はい、その……あそこ、カエルがいるから」
「行こう。すぐ行こう。早く行こう」
これ以上有無は言わせない。
事は一刻を争うようだ。
知り合ってほんの数時間だけど、アイツのやりそうなことはだいたい想像できる。単純だし。
友達とケンカしたばかりだ。池のカエルを片っぱしから凍らせるくらいのことはするに決まっている。
まだ見たこともない場所の知らないカエルたち、間に合って! 今すぐ神様が行くからね!
大ちゃんが息を切らしているのが聞こえる。
……駄目だ、遅い。
飛べば良いだろうに、私ならその跡を辿るくらい容易だというのに!
そこで思い至る。
妖精に「道」なんてものは要らない。そんな物が必要なのは人間だけだ。
私まで人間に染まってどうする、さあ道を開けろ!
彼女を追い越し、駆ける。
見知らぬ土地が何だ、全ての土は私の味方だ。
生い茂る草が、立ち並ぶ木々が、進む道から退いていく。
走るような足取りは飛ぶが如きものになる。
いつしか私には助けを呼ぶ声が聞こえていた。
行くべき場所はこの先にある。救うべき者はこの先に居る―――!
「こ、このーっ! はなせーっ!」
いた。なんか予想と違ったけど。
たしかにチルノはいる。カエルもいる。
けれど……逆だ。
わたしが助けるはずのカエルは、わたしが止めるはずのチルノを捕まえていた。
デカい。こんな大ガマを見たのはどれくらいぶりだろう。
さすが幻想郷だね、とトンチキなことを考えてしまった。
いや、そんな場合じゃない。見つけたからには……あれ?
わたしはなにがしたくて、ここまで来たんだろう?
(何だお前は)
そんな声が耳ではないところで聞こえた。
長い舌でチルノをぐるぐる巻きにした大ガマがわたしを見ている。
なるほど、今のはコイツか。
お前、だ? いい度胸だ。誰に向かって口を聞いているのか、身の程を―――
「わこすーっ! 来ちゃダメだよーっ!」
「ええい、パーツは合ってるというのに!」
そうだ、忘れてた。わたしはコイツに言いたいことがあるんだ。
(こいつの仲間か)
大ガマがそう聞いてきた。
「仲間? そんなんじゃないさ。生憎ついさっき知り合ったばかりでね」
と返す。
けど会話はそこで終わり。近付いてきたまた別の気配に、お互い目を向ける。
「まって……待って、ください……」
よろめきながら、大きく肩で息をしながら。大ちゃんが立っていた。
それでも顔はとても真剣で―――悪いけど、わたしにはまた面倒が増える予感がした。
「チルノちゃんのことなら、謝ります……責任も、わたしが取りますから……」
がくりとヒザをつく。力尽きたようにも、ひざまずくようにも見えた。
「チルノちゃんを、許してあげてください」
(責任じゃと?)
大ガマが大ちゃんをジロリと睨んだ。
(つまり、こいつの代わりに食い殺されても構わんというのか)
思わず口を挟みそうになるよりも早く、
「はい」
大ちゃんはキッパリと答えた。
……そこまで言えるのか。わたしは半分あきれて、もう半分は―――なんだかよくわからない気持ちになった。
イヤな予感にも似ている。イライラしているような気もする。そしてなによりも、大ちゃんの思いに共感している。
寂しい思いはもうイヤだから。いっしょにいてくれる誰かのためなら、自分のことだってどうでもよくなれるから。
そう、よくわかる。わたしはかつて、そうしたことがあったから。
そしてそれは、決して幸せな選択ではないことも知っている。
「や、やだ……やめてよ、大ちゃん……」
チルノが震える声で訴えている。
「いいの、それでチルノちゃんが助かるならね」
大ちゃんの笑顔。それが精一杯の作り笑いなのはひと目で判る。
(ふん、妖精ごとき死んだところで問題あるまい。どうせすぐに生き還る)
大ガマが勝ち誇ったように言い放つ。
実に不愉快だ。
何がって、この私を差し置いて勝手に話を進めていることだ。
お前達はそれで満足だろうさ。だがこの私が納得しない。
「待ちなよ」
どろどろとした怒りが体を駆け巡る。この場で一番偉いのは誰なのか思い知れ。
「チルノ。どうすんのさ? これはアンタが招いた結果だよ」
「そっ……そんなのわかってるわよっ!」
「解ってるなら、何故改めない? そこでビービー泣き喚くだけか」
チルノは押し黙る。当然だ。お前の足りない頭でもこの状況は理解しているだろう。
「そんな……っ! チルノちゃんは悪くなんか……」
「そうだね、お前が悪い」
横槍の反駁を切り捨てる。
驚きと困惑の入り混じった表情を浮かべる彼女に、私はなおも語を継いだ。
「甘え甘やかしの結果がこれだよ。コイツは自分の悪さを教えられず、お前は嫌われたくない一心でこいつを咎めなかった」
「ち、違っ……! それは―――」
「挙句に勝手な自己犠牲? 笑わせるね」
生き物のように辛辣な言葉が流れ出てくる。
そう、認め難い事実は良く似ているのだ。私の根源に。畏れに。祟りに。
体に力が満ちてくるのを感じる―――その一方で。
わたしはなにをしているんだ。そんな自己嫌悪が頭をもたげていた。
是が私の望みだったのか? そうだ。だけどわたしのしたかったことじゃない。
知っているくせに。大ちゃんがどんな思いなのかだって、こんな風に責めるものじゃないんだって。
わたしの中がバラバラだ。私の胸裏に苛立ちが満ちていく。
(餓鬼の説教は終わりか? そろそろ退け)
そしてその苛立ちに、とうとう火が着いた。
もういいや、全部コイツが悪いことにしよう。
「退け、だと―――?」
稚拙な感情とは裏腹の猛り。それは溶けた鉄のように溢れ出した。
「誰に向かって口を聞いている」
体から出た声ではない。音ではない。純粋な意思そのものだ。
大ガマも、二人の妖精も、その身を強張らせているのが手に取るように解る。
当然だ。私は何だ?
神だ。
「たかが餓鬼の悪戯に『食い殺す』だと? その無様な腹は何だ? 余程喰ってきたと見えるな」
ああ、こりゃひどい。ただの「いたずら」で済ませられないことだろうに。
カエルのお腹にオヘソがないのも出っ張っているのも生まれつきだろうに。
どうやら「私」はかなりキレているみたいだけど、まあしょうがない。
その怒りはわたしから出てきたもの。だから止めない。というか……やっちゃえ。
(な、何だ貴様は!? 一体何者だ!?)
ああ、良く聞こえる。こいつの狼狽も恐怖も、全てが私の力となって流れ込んでくる。
「いいぞ、もっと慄け。畏れろ。跪け。慈悲を請え。その果てに―――」
うんうん、その果てに?
「腹を裂いて往ね」
それはやりすぎだと思う。
もうやめようよ、充分じゃないか。
何が充分だ? 奴が私にしたことを考えたらまだ足りないだろう。
わたしがなにをされた?
奪われようとしているじゃないか。
なにを?
お前が欲しかったものだよ。
わたしがなにを欲しがった?
寂しかったんだろう?
寂しい? 何のことさ?
相手にされなくなったからさ。
だから幻想郷に来た。信仰も得られた。寂しくなんかない。
解っていないな、お前が欲しかったのはそんなものじゃあない。
じゃあなんだっていうのよ!
後ろを見てみろ。
……なに?
そこのバカだよ。
「ごめんなさい」
飛んできたその一言で、全てが固まった。
予想外にもほどがある。なにより意味がわかんない。
わたしも、大ちゃんも、大ガマまでも、ただ頭を下げるチルノのことを見つめていた。
……まあ「頭を下げる」というよりは何かの体操みたいに不恰好だけど。
「……なにが?」
思わず出た声は、いつものわたしのものだった。
私は引っ込んでいた。というより顔を背けて笑っているような気さえする。
それがわたしにも伝染して、口の端がなんだかヒクヒクした。
「だれかが怒ってるのは、たぶんあたいのせいだから」
そのまま笑うことはできない言葉だった。
伏せたままの顔は、どんな表情を浮かべているのだろう。
なにを気負ってるんだか、バカのくせに。
……ううん、気負っているのはわたしの方か。
わたしがこの場を仕切るんだ、なんて。
簡単なことじゃないか。コイツは―――チルノは、自分のしたことを今は解っている。
もちろん、それで済むようなことじゃないんだろうけど……わたしの出番はそれからでいい。
「チルノちゃん……またカエルさんたちで遊んだの?」
そう、この子の後でいい。
「……うん」
「ダメって言ったよね。カエルさんたちがかわいそうでしょ?」
声が少しだけ震えていた。今まで口にしなかった言葉に、大ちゃん自身がおびえている。
それでも言わなくちゃいけない。言うんだと決めたんだと思う。
怖がるんじゃなくて。傷つかないようにじゃなくて。
「だって……だってぇ……」
ああ、嫌なもんだね。子供が泣き出す瞬間というのはどうにも胸が痛む。
遠回しとはいえ、私が泣かせたようなもんだと知ればこそ尚更。
きっとそれは大ちゃんだって同じだ。チルノが何を言いたいのか解っているはず。
だけどそれを代わりに言ってあげてはいけない。自分から言わせなきゃいけない。
……なんだ、解ってるじゃないか。
「だって……こうしたら、大ちゃん……きてくれるもん……っ! ダメだよって……しかってくれるもん……っ!」
まったくワガママなやつ。そんなので凍らされるカエルの身にもなってほしい。
「ばかっ!」
一際鋭い声を上げて、大ちゃんがチルノの頭を叩いた。おお、ちょっと衝撃映像。
「わたしだってチルノちゃんがいないと寂しいよっ! こんなことしないで、ちゃんと言ってほしいよっ!」
ぼろぼろと涙が溢れ出している。もうどっちが慰めているのかわからない。
「ううっ……ごめんなさぁ~い!」
チルノがぎゅっと抱きつく。大ちゃんはそれを優しく抱きとめる。
「わたしも……ごめんね。チルノちゃんが寂しいの、わかってたのに……」
こんな時、一緒に泣いてあげたり、まとめて慰めてあげるお姉ちゃんだったらよかったのに。
その時わたしがぽつりと呟いたのは、
「なんだこれ」
という、正直かつ台無しな一言だった。
いやね、キミタチはそれでいいのかもしれないけど。なんかいい話みたいになってるけど。
なにひとつとして丸くまとまってないからね? キミタチのバカップルぶりで収まる話じゃないよ?
そこはこうね、わたしと大ガマさんを交えてね? ちゃんとお話をしようよと。
ふと横に目を向けると、ポカーンとしていた大ガマが少しずつブチ切れるタイミングを計っている。
うん、もっともだ。オマエは今怒っていい。けどわたし的にはちょっとご勘弁。
これ以上この場がグダグダになるのだけはなんとかしたい。
仕方ない。私がひと肌脱いでやるか。
「ねえ、お兄さん?」
デカい腹がビクッと震えた。そんなに怖がることはないじゃないか。
内心傷付きながら(という名目で苛立ちながら)上目遣いで、ついで唇をぺロリと舐める。
「凍らされて死んじゃった子、居るの?」
するり、身体を寄せる。
少し大ガマが身を引いたのは怖れのせいか、それとも私の魅力にたじろいだのか。
(こ、凍らされはしたが……死んだかどうか、知らん)
まあ死にはするだろうけど。そこでハッキリと言えないのはどうしてだろう。
まさか妖精をイジメるために話を大きくしてただけとか?
それともわたしが―――私が怖いのか?
となると少し怖がらせすぎたかも。ちょっとサービスというか、和ませてあげないと。
「なんなら……私が産んでやろうか?」
うっわー、ダイタンってか下品。
いいじゃないか、どうせお子様はアッチで二人の世界だ。
(い、一体何者……で、あるか)
畏まりきれない言い回しについ吹き出す。
こりゃ脈ナシ? 別にそれでいいけどさ。
「なんだ、意外とウブだねぇ? ―――ほら、帰った帰った」
わたしは軽く手を振る。それだけで大ガマはスゴスゴと池の中へと戻っていった。
「まったく、ヘソどころかタマも無いのかい」
よし、黙れ。黙ろう。
井の中の蛙。ふと浮かんだその言葉に、わたしも同じようなもんだねとため息をひとつ。
この幻想郷のことも、そこに居るやつらのことも、わたしはほとんど知らずにいた。
まあ、理解しかねる奴らだということは解ったか?
ヒネたことを考えるのはやめようってのに。とりあえずは目の前のやつらから。
「こーらっ」
ぽかり、というよりはこつん、という感じで、チルノと大ちゃんの頭を小突く。
「いたっ」
「たっ」
声に出すほどでもないだろうに、まったく。
「うっさい、勝手に盛り上がってんじゃないの」
……まあ、ちょっと力が入ったのは認める。
「う~っ……あれ? あいつは?」
「あいつって……ホントに反省してるんだか。わたしが話をつけといたよ」
「話って……」
大ちゃんは何か言いたげだが、手を上げて制す。
わたしが何者なのか、とかそんなことを考えているんだろう。
あたしゃ神様だよ。そう名乗ってビックリさせてやろうか?
ムダだろうね。
大ちゃんは縮こまるだろうし、なんか目をキラキラさせてるそっちのバカは理解するかどうかも怪しい。
かといって子供相手に嘘をつきたくはない。そこは神様だからね。
ま、こういうのは単純な、ホントのことがいい。
「わたしもカエルだからね。カエルの妖精みたいなもんさ」
そう言って私は笑う。ケロケロと。
「妖精……なんですか?」
「羽はないけどね」
さすがに無理があったかな? とチルノの方を見る。
「あ、あたい……そうとは知らずに」
あ、やばいまたマジ泣きしそう。
ちゃんと反省してるみたいじゃないか、よしよし。
「ごめんね……ごめんねすわこぉ……!」
なんかすごく感動した。不覚にも。ようやく名前を呼んでくれたというだけなのに。
だからもう泣くんじゃない、抱きつくんじゃない。鼻水付くでしょうが。
「ケロちゃんでいいよ」
「ふえ?」
ああ、案の定鼻水が糸引いてる。
「二文字なら簡単でしょ? 大ちゃんとケロちゃんで語呂もいいしね」
「だいちゃんと……けろ、ちゃん……」
呟きながらポケーッとしていた顔は、雲の切れ間から陽が差すように笑顔へと変わっていった。
「ケロちゃん! うん、ケロちゃんだ! 新しい友達だ!」
「早いね! ステップアップ早いね?」
なんとまあ図々しい。まだ名乗りを済ませたくらいだというのに。
いいじゃないか、乗ってやる。
お前と遊ぶくらい造作もないことだ。
だってわたしは、お姉ちゃんだもん。
「よかったね、チルノちゃん?」
「うんっ!」
「それじゃ……いこっか?」
「いく? いいよ、どこに?」
大ちゃんがちらりとわたしを見た。
一瞬なんのことだか解らなくて、思い当たったときにはもう誤解されていた。
「諏訪子さん―――ケロ、ちゃんのこと送っていかないと」
「あ……」
しゅん、とうなだれるチルノ。
いいんだよ、別に。そこはワガママで。
わたしだって、せっかく―――
「あたいも、おくってく……」
え、という声が重なった。大ちゃんと、わたし。
さて、どうしよう?
せっかく芽を出したチルノのガマンだ。大事にしてやりたい。
だけど今は、そんなオトナのリクツだとか、どうでもいい。
わたしはケロちゃん。カエルの妖精さん。することなんか決まってる。
「いいよ、もっと遊ぼう」
それはきっと、私も望んでいたことだから。
わたしが欲しかったものは、そう。
一緒に遊んでくれる、友達だったのだから。
その日わたしは、夕日に照らされながら汚れた服で帰った。
早苗にお姉ちゃんみたく叱られた。
神奈子には笑われた。
いつものように。
だけど、不思議と悪い気はしなかった。
昔はよかった。
そんなことを毎日のように考えていた。
だけど今は、その「昔」がいつのことだか解らない。
もうわたしは、そんな昔のことを思い出す必要もないのだから。
そんなわけで、今わたしが楽しんでいるものはちょっとしたお散歩。
ほとんど毎日のように出掛けていく。
妖精にしては大人びたしっかり者と、妖精にしても本当におバカだけど素直な子たちと遊ぶ日々。
あの子たちはわたしをこう呼んでくれる。
「ケロちゃん」と。
「それじゃ早苗、行ってくるね」
「はい、諏訪子さま。今日はあまり遅くなっちゃダメですからね?」
最近は早苗からの保護者目線がまた強くなった気がする。
というかもう完全に子ども扱いじゃないか。
わたしは早苗どころか、横でニヤニヤしている神奈子よりもお姉ちゃんだというのに。
「そうよ諏訪子、あんまり遅いとご飯抜きだからね?」
よしそのケンカ買った。
「神奈子こそご飯抜いた方が良いんじゃないの? 最近お腹出てきてるよ」
「んなっ!?」
逃げ腰になってお腹を抑える。ばーか、神様が太るもんか。
「ん~? まさか心当たりあるの? そっかぁ、ずっとゴロゴロしてるだけだもんねぇ」
「ぬ、な、こ、このっ……!」
「す、諏訪子さまっ!」
神奈子が怒る。早苗が慌てる。
どーよ、これが年上の余裕ってやつ。
「じゃっ、いってきま~す!」
とん、と石畳を蹴って飛び立つ。
怒鳴り声となだめる声が遠くなる。
あんたたちが可愛いのは確かだけど、あんたたちだけに構ってもいられない。
お姉ちゃんは忙しいんだからね?
こんなことを言うと年寄り扱いをされてしまう。
だけどわたしは気にしない。
だって私は、この国の歴史よりも遥かに長く生きてきたのだから。
とはいうものの、今わたしが懐かしむのはそんな昔のことではなく。
ほんの数年前、わたしにとってはほんの少し前のこと。
毎日のちょっとしたことをうれしそうに、時に自慢げに話すその子の頭を撫でてあげていた。
その子もうれしそうににっこり笑って、わたしのことをこう呼んでくれた。
「お姉ちゃん」
と。
-お姉ちゃんだもんっ!-
「それでは神奈子様、行って参ります」
早苗が境内でアグラをかく神奈子にお辞儀をする。
「あいよ、気をつけるんだよ」
そう言って気のない風を装いながら、本当はソワソワしていることくらいわたしにはお見通しだ。
まるで子離れできない母親みたいだ、なんてことを思いながら鳥居の影からその様子をのぞき見る。
振り返った早苗はそんなわたしに気付くと、にっこりと笑った。
「行ってきます、諏訪子さま」
なんだか神奈子と比べてぞんざいというか軽いのは気のせいだろうか。特に「さま」のあたり。
わたしを見上げていた女の子は、いつしかわたし"が"見上げる女の子になっていた。
……なんだろう、この感じは。
さびしい、とか、くやしい、とか。とにかくおもしろくない。
だけどわたしはそんなことで騒いだりはしない。
だって、わたしは―――
「お夕飯までには戻りますから、待っててくださいね」
―――あう。
ふわりと風に乗って飛んでいく早苗。
だめよー、ぱんつ見えちゃうよー。
そんな気の抜けた忠告なんて届くわけもなく、ただ見送るしかなかった。
どのくらいたってからだろうか。背後からのいやらしい視線に気がついたのは。
「な、なによ」
きっ、とにらみつけたところで神奈子は動じない。
もともとにらみ合いともなれば、ヘビが相手じゃ勝ち目がないのだけど。
……てか、なによその勝ち誇った目は。
「いやあ、早苗も大きくなったもんだねぇ」
大きく、の部分をやたらと強調するのはなんで?
あ、いいわよ答えなくて。
「あらあら、親離れしていくのがつらいのかしら?」
そこでこう言いかえす。どうやらズボシだったようで、神奈子はいじけたように視線を逸らした。
まったく、なんだかんだで心配症なんだから。
「べ、別にそういうわけじゃないぞ? ただ―――」
「いいのいいの、早苗を大事に思うのはわたしも同じだから」
そうだ、神奈子はあてにならない。わたしがしっかりしなきゃ。
理由など決まっている、私は―――
「そうかい、やっぱり"お姉ちゃん"が恋しいかい」
「神奈子のばかーーーーーーーーーっ!!」
そしてわたしは鳥居を抜けて、妖怪の山を下りていった。
「あーうーっ! 早苗も神奈子もバカにしてーっ!」
わたしだって神様だ。こんな子供じみたカンシャクを起こしてたら、それこそ子供じゃないか。それはわかっている。
だけど早苗にまで子供扱いされては、いくらなんでも面目が立たない。
一度ちゃーんと、そのあたりをはっきりさせないと……
「……ここ、どこ?」
その前に、現在地をはっきりさせないと。
とりあえず山は下りた。それは間違いない。
じゃあ、山の下のどこ?
わかりません。
「……あう」
そういえば山の下なんて来たことがなかった。というか、神社から出たこと自体が何……百……千年ぶり?
だ、大丈夫。早苗はもう何度も下の世界に行っては無事に帰ってきた。
早苗が大丈夫なら、わたしも大丈夫。そうだ。
由緒正しき祟り神であるわたしが、そんじょそこらの妖怪に遅れなどとるわけがないんだ。
「こらー、そこどけぇー!」
「え?」
どーん、と衝撃がきた。
うん、いたい。すごく。
見事な受身をとれた。ごめん、ウソついた。
顔面からいっちゃったら受身じゃないよね。うん。
なにはともあれ、この私にこんな屈辱をくれた奴には仕返し……もとい、神罰が必要だ。
「ちょっと、なにすん……」
そこで凍りついた。
いや、凍りついていたのはわたしじゃなくて。
「の……」
その、ぶつかってきたやつの手の中の。
「よ……」
氷漬けの、カエル。
「あああああああああああううううううううううううう!!!!????」
「んー? なによアンタ、あたいになんか用?」
ぽーんぽーんとその氷漬けを弄ぶ姿は、さながらに悪魔。
背丈はわたしとあまり違わないけど、不機嫌そうな目からは考えが読みとれない。
ひょっとして何も考えてないんじゃないかなーと思ったのもつかの間、勇気を出して話しかける。
「え、えっと……こんにちは」
ちがぁぁぁぁう! なんでこんなに下手に出るの!?
だって凍らされるのイヤだもん。だよねー。
「……? あたい、いま忙しいんだけど……あっ」
「ああああ!」
そいつの手からぽろりと落ちる氷。わたしは今日二度目の顔面ダイブでそれをキャッチした。
「あ……あう……あぶなかった……」
本当にあと少し。ちょっとでも遅れていたら、この子は氷ごと粉々だった。
なんてことを。カエルのことをなんだと思っているんだ。
悪魔だろうがなんだろうが、怖がってる場合じゃない。
「ちょっと、あんたねぇ!」
だって私は―――
「ありがと!」
「へ?」
悪魔はものすごく無防備な笑顔でお礼を言ってきた。
「あたいのカエル、いのちがけで守ってくれたでしょ? だから、ありがと!」
「ど、どういたしまして……?」
「このあたいがお礼をいうなんてメッタにないんだからね! こーえーに思うのよ!」
「は、はい……」
なにこれ。なんでこんな上から目線なの? そしてなんで言いなりなのわたし?
こんな「ところでこーえーってなんなのかしら?」とか言ってるやつに。
なんだか深く考えるだけムダなような気がしてきた。
はやいところ会話を切り上げて……逃げよう。
「じ、じゃあわたしはこれで」
「アンタ、気に入ったわ! とっておきのトコにつれてってあげる!」
「え? う、ううんいいのいいの! わたしは……」
「エンリョなんていらないわよ。凍らせてでもつれてくからね!」
脅迫入りました。今日のわたしは限りなくデッドオアアライブ。幻想郷は危険が危ない!
「さ、いくわよ……えっと」
「す、諏訪子! 洩矢 諏訪子!」
ああ、名乗っちゃった。わたしのバカ。
「……も……す? ながいわよ、三文字以内で!」
「諏訪子って三文字でしょー!?」
「じゃあいいや、もす」
「なによその時々早苗が買ってきてくれたハンバーガーみたいなの! てか二文字じゃん!」
「あたいにかかれば二も三もおんなじようなもんよ! あたいったら最強ね!」
「区別しようよそれは! 全力でバカだよ!」
「バカじゃないわよ、最強よ!」
「最強のバカぁぁぁぁ!」
バカはわたしじゃない、こいつだ。
そりゃあもう、思いっきり断言できるくらいに。
道に迷った次は人に迷ってる。人じゃないけど。
「さあ、いくわよ……えっと、もりこ?」
惜しい。そして全然違う。
「……諏訪子。あんたは?」
「あたい? チルノよ。このへんであたいの名前を知らないヤツはモグラなんだから」
「うん、意味わかんないけど理由は分かる気がする」
もう頭痛い。けどこいつと言い合いをするだけいろんなものの無駄だとも思った。
今は素直に言うとおりにしてやろう……。
一体どこに連れて行くつもりなのだろう。
見たところ氷かなにかの妖精なんだろうけど、いったいこんな森の中に何があるんだろうか。
「ねえ、すりこ」
「うん、もう一歩。なに?」
「ここどこ?」
「うん、教えてくれる?」
ある程度覚悟はできていたから、もう驚かなかった。驚けなかった。
「このあたいも知らない場所があったなんてね!幻想郷はこーだいだわ……」
なんでそんな広大な場所で、よりによってこんな奴に出会ってしまったんだろう。
つくづく心細い。こんなの放っといてわたしだけでも帰っちゃおうかな。
たとえ地理が解らなくても地脈の流れを読むなりすれば、自分の住まいくらい探し当てるのは難しくない。
今の今までそんなことに気付かなかった自分が恥ずかしいくらいだ。
「ん? どうしたのムズカしい顔して」
「あう? べ、別にっ」
「心配しなくてもいいのよ、ぜーんぶあたいに任せていいからね」
いったいどこからその自信が出てくるんだろう。
根拠なんてないのは明らかだけど―――なんだろう、決して悪い気はしない。
まあそれ以上に、ほっといたらもっと面倒なことになりそうだし……ね?
「あ、そうだ! 思い出した!」
「え、ホント?」
「今日のおやつは野いちごにしようって思ってた」
「めんどくさいなこの子!」
構っても面倒、放っといても面倒。進退きわまるとはまさにこういうことだ。
「チルノちゃーん」
その声は不意に上から落ちてきた。
「さな、え……?」
ほんの一瞬、見違えた。
声の主は妖精。透き通るような色の紙と金細工のような模様の羽。
穏やかな表情は、ともすれば自分よりも大人びているように見えた。
「あっ、だーいちゃーん!」
チルノが手をぶんぶんと振る。太陽みたいな笑顔で。
なるほど、とわたしは納得する。
このふたりの関係はきっと、そういうものなのだろうと。
「こんにちは、チルノちゃん。今日も元気みたいだね」
「とーぜんよ! ちからがモテモテっていうか」
「うん、持て余してるんだね。……それで、そっちの子は?」
チルノに向けていたのとはうって変わって訝しげな目。
ついでに言うと「子」呼ばわりされたのもちょっと気に障った。けど、その程度でヘソを曲げてちゃ神様は務まらない。
……あるよ? おヘソ。
「こいつ? 迷子になってたからホゴしてやったのよ」
「そうなの。えっと、チルノちゃんがお世話になりました」
「え? あ、うん」
わたしが反論するよりも先にその妖精は正しく理解してくれたらしい。
ああ、これは話せそうだ。ダテに早苗のそっくりさんをしていないね。
「ま、まあ……道に迷ってたのは本当だし。ちょっと道案内してもらえるかな?」
「え……えと、どちらまでですか?」
しめた。この子なら間違いない。
「そうだね、人里まで出られればあとは自分で帰れるよ」
「人里……ですか」
目に見えてその子の顔が曇った。
たしかに妖精を人里に近づけるのは、ちょっとマズいかもしれない。
大体の方向だけでも、と言い直そうとしたらまたしてもジャマが入った。
「えー? 人間よりもカエルで遊ぼうよ」
そんな風に平然と口にしたところでなにが無邪気なものか。むしろ邪悪だ。
そうだね、人里よりもまずオマエの始末だね……。
「ダメだよチルノちゃん、この……えっと?」
そういえばまだ名乗ってなかった。
「ああ、わたしは洩矢」
「もやこ」
「もやこさん困ってるんだから」
「うん、すごく困ったことになったよ」
誤解が二重になってしまった。なんだってもうこのバカ妖精は!
「諏訪子ね。す・わ・こ」
「ご、ごめんなさい諏訪子さん……」
「気にしなくていいよ大ちゃん、あたいが許す」
「うん、大ちゃんは許す。あんたは許さない」
おーけー、もう実力行使に出ていいよね?
「ね、ねえチルノちゃん……後でいいよね? 先に諏訪子さん送ってくるから……」
バカの方の妖精―――チルノは、思いっきりイヤそうな顔をした。
「えーっ? いいよそんなの後でさぁ」
さすがにバカ相手でもガマンにだって限界がある。理解するほどのアタマもないのなら―――本能に、教え込んでやるまで。
「そんなの―――?」
出来る限り重々しく、この胸の内に澱の如く溜まった総ての生物が畏れる代物を滾らせて、両の眸に浮かべて睨みつける。
「な、なにさ……っ!?」
まだ口が聞けるとは大した奴だ。それでもその怯えぶりは実に心地良い。
如何する? 是で満足してやるか?それとも―――
「ご、ごめんなさいっ!」
期待していた言葉は予期せぬ方向から。
だいちゃん、と呼ばれていた子が頭を下げていた。
なに、これ? どうしてあんたが謝るの?
そう言おうとしても口にできず、誰もが黙ってしまう。
風がぱらぱらと木々の葉っぱを鳴らす音だけが聞こえていた。
「……だいちゃんの、ばかっ」
それだけが、小さく聞こえた。
「ちょっ……!」
なんでその子に言うのよ。その子がアンタに何をしたっていうのよ。
そうハッキリと言い返せなかったのは、きっとその先にある言葉を知っていたから。
―――本当に悪いのは、わたしなのに。
弾かれたみたいにチルノが走っていく。
「チルノちゃん!」
大ちゃんの叫びが胸に刺さった。
どうしてこんなことになって―――ううん、こんなことにしてしまったんだろう。
まったく神様が聞いて呆れる。バカみたいな意地を張って、後味の悪い思いをして。子供扱いされて当然だ。
「その……ごめん」
手遅れの言葉を口にする。「大ちゃん」は首を振ると、
「それじゃ……行きましょうか」
わたしの方を見ることなく、歩きはじめた。
さくりさくりと音を立てて、ヒザくらいまでの高さはある草むらを進んでいく。
人間だったら完ぺきに迷子になりそうな、道なき道すらない道。
おまけに「大ちゃん」の後ろには踏み荒らされたようなあともない。
妖精は自然と一体で、おたがいをジャマにせず生きているんだと今更ながらおどろいていた。
だけどそんなことより、わたしたちの間にじっとりと貼りついた無言がいたたまれない。
ええい、なにを迷っているんだわたしは。そんなに黙っているのがイヤなら自分から話をすればいいんだ。
「……仲良いんだね、あのチルノってのと」
あたりさわりのない話から始めようと思ったら、いきなりアウトなフリをした気がする。
そもそも今の状況の原因がアイツじゃないのよ!
「寂しがりやなんです、わたしたちは」
ワケも分からず、ただハッとなった。
わたしたち、というのが「大ちゃん」とチルノのことなのか、それとも妖精全てのことなのか。
それともその中には、わたしも入っているのだろうか。
一番ありえない最後のほうが、今のわたしにはしっくりきた。
寂しい。その気持ちはずっとずっと、わたしの中にあったものだから。
足が止まる。それを察してか「大ちゃん」も立ち止まってこっちを振りかえった。
「諏訪子さん?」
わたしだってそうじゃないか。
誰かに見てほしくて、かまってほしくて。
「―――やっぱ、いいや」
「えっ?」
きょとんとする大ちゃんの手を取る。
「探しにいこ、チルノのこと」
「で、でも諏訪子さんは」
ぽん、と頭に手を置いてその先を止める。
「お姉ちゃんに任せなさい」
自然と口をついた言葉は、なんだかとても相応しい気がした。
大ちゃんの顔は少しずつ赤くなって、やがて下を向いてしまう。
確かめるようにぽんぽん、とまた軽く頭をなでてあげた。
「……池の方に、いると思います」
「いけ?」
聞き取りにすこし自信がなくて聞き返す。
「はい、その……あそこ、カエルがいるから」
「行こう。すぐ行こう。早く行こう」
これ以上有無は言わせない。
事は一刻を争うようだ。
知り合ってほんの数時間だけど、アイツのやりそうなことはだいたい想像できる。単純だし。
友達とケンカしたばかりだ。池のカエルを片っぱしから凍らせるくらいのことはするに決まっている。
まだ見たこともない場所の知らないカエルたち、間に合って! 今すぐ神様が行くからね!
大ちゃんが息を切らしているのが聞こえる。
……駄目だ、遅い。
飛べば良いだろうに、私ならその跡を辿るくらい容易だというのに!
そこで思い至る。
妖精に「道」なんてものは要らない。そんな物が必要なのは人間だけだ。
私まで人間に染まってどうする、さあ道を開けろ!
彼女を追い越し、駆ける。
見知らぬ土地が何だ、全ての土は私の味方だ。
生い茂る草が、立ち並ぶ木々が、進む道から退いていく。
走るような足取りは飛ぶが如きものになる。
いつしか私には助けを呼ぶ声が聞こえていた。
行くべき場所はこの先にある。救うべき者はこの先に居る―――!
「こ、このーっ! はなせーっ!」
いた。なんか予想と違ったけど。
たしかにチルノはいる。カエルもいる。
けれど……逆だ。
わたしが助けるはずのカエルは、わたしが止めるはずのチルノを捕まえていた。
デカい。こんな大ガマを見たのはどれくらいぶりだろう。
さすが幻想郷だね、とトンチキなことを考えてしまった。
いや、そんな場合じゃない。見つけたからには……あれ?
わたしはなにがしたくて、ここまで来たんだろう?
(何だお前は)
そんな声が耳ではないところで聞こえた。
長い舌でチルノをぐるぐる巻きにした大ガマがわたしを見ている。
なるほど、今のはコイツか。
お前、だ? いい度胸だ。誰に向かって口を聞いているのか、身の程を―――
「わこすーっ! 来ちゃダメだよーっ!」
「ええい、パーツは合ってるというのに!」
そうだ、忘れてた。わたしはコイツに言いたいことがあるんだ。
(こいつの仲間か)
大ガマがそう聞いてきた。
「仲間? そんなんじゃないさ。生憎ついさっき知り合ったばかりでね」
と返す。
けど会話はそこで終わり。近付いてきたまた別の気配に、お互い目を向ける。
「まって……待って、ください……」
よろめきながら、大きく肩で息をしながら。大ちゃんが立っていた。
それでも顔はとても真剣で―――悪いけど、わたしにはまた面倒が増える予感がした。
「チルノちゃんのことなら、謝ります……責任も、わたしが取りますから……」
がくりとヒザをつく。力尽きたようにも、ひざまずくようにも見えた。
「チルノちゃんを、許してあげてください」
(責任じゃと?)
大ガマが大ちゃんをジロリと睨んだ。
(つまり、こいつの代わりに食い殺されても構わんというのか)
思わず口を挟みそうになるよりも早く、
「はい」
大ちゃんはキッパリと答えた。
……そこまで言えるのか。わたしは半分あきれて、もう半分は―――なんだかよくわからない気持ちになった。
イヤな予感にも似ている。イライラしているような気もする。そしてなによりも、大ちゃんの思いに共感している。
寂しい思いはもうイヤだから。いっしょにいてくれる誰かのためなら、自分のことだってどうでもよくなれるから。
そう、よくわかる。わたしはかつて、そうしたことがあったから。
そしてそれは、決して幸せな選択ではないことも知っている。
「や、やだ……やめてよ、大ちゃん……」
チルノが震える声で訴えている。
「いいの、それでチルノちゃんが助かるならね」
大ちゃんの笑顔。それが精一杯の作り笑いなのはひと目で判る。
(ふん、妖精ごとき死んだところで問題あるまい。どうせすぐに生き還る)
大ガマが勝ち誇ったように言い放つ。
実に不愉快だ。
何がって、この私を差し置いて勝手に話を進めていることだ。
お前達はそれで満足だろうさ。だがこの私が納得しない。
「待ちなよ」
どろどろとした怒りが体を駆け巡る。この場で一番偉いのは誰なのか思い知れ。
「チルノ。どうすんのさ? これはアンタが招いた結果だよ」
「そっ……そんなのわかってるわよっ!」
「解ってるなら、何故改めない? そこでビービー泣き喚くだけか」
チルノは押し黙る。当然だ。お前の足りない頭でもこの状況は理解しているだろう。
「そんな……っ! チルノちゃんは悪くなんか……」
「そうだね、お前が悪い」
横槍の反駁を切り捨てる。
驚きと困惑の入り混じった表情を浮かべる彼女に、私はなおも語を継いだ。
「甘え甘やかしの結果がこれだよ。コイツは自分の悪さを教えられず、お前は嫌われたくない一心でこいつを咎めなかった」
「ち、違っ……! それは―――」
「挙句に勝手な自己犠牲? 笑わせるね」
生き物のように辛辣な言葉が流れ出てくる。
そう、認め難い事実は良く似ているのだ。私の根源に。畏れに。祟りに。
体に力が満ちてくるのを感じる―――その一方で。
わたしはなにをしているんだ。そんな自己嫌悪が頭をもたげていた。
是が私の望みだったのか? そうだ。だけどわたしのしたかったことじゃない。
知っているくせに。大ちゃんがどんな思いなのかだって、こんな風に責めるものじゃないんだって。
わたしの中がバラバラだ。私の胸裏に苛立ちが満ちていく。
(餓鬼の説教は終わりか? そろそろ退け)
そしてその苛立ちに、とうとう火が着いた。
もういいや、全部コイツが悪いことにしよう。
「退け、だと―――?」
稚拙な感情とは裏腹の猛り。それは溶けた鉄のように溢れ出した。
「誰に向かって口を聞いている」
体から出た声ではない。音ではない。純粋な意思そのものだ。
大ガマも、二人の妖精も、その身を強張らせているのが手に取るように解る。
当然だ。私は何だ?
神だ。
「たかが餓鬼の悪戯に『食い殺す』だと? その無様な腹は何だ? 余程喰ってきたと見えるな」
ああ、こりゃひどい。ただの「いたずら」で済ませられないことだろうに。
カエルのお腹にオヘソがないのも出っ張っているのも生まれつきだろうに。
どうやら「私」はかなりキレているみたいだけど、まあしょうがない。
その怒りはわたしから出てきたもの。だから止めない。というか……やっちゃえ。
(な、何だ貴様は!? 一体何者だ!?)
ああ、良く聞こえる。こいつの狼狽も恐怖も、全てが私の力となって流れ込んでくる。
「いいぞ、もっと慄け。畏れろ。跪け。慈悲を請え。その果てに―――」
うんうん、その果てに?
「腹を裂いて往ね」
それはやりすぎだと思う。
もうやめようよ、充分じゃないか。
何が充分だ? 奴が私にしたことを考えたらまだ足りないだろう。
わたしがなにをされた?
奪われようとしているじゃないか。
なにを?
お前が欲しかったものだよ。
わたしがなにを欲しがった?
寂しかったんだろう?
寂しい? 何のことさ?
相手にされなくなったからさ。
だから幻想郷に来た。信仰も得られた。寂しくなんかない。
解っていないな、お前が欲しかったのはそんなものじゃあない。
じゃあなんだっていうのよ!
後ろを見てみろ。
……なに?
そこのバカだよ。
「ごめんなさい」
飛んできたその一言で、全てが固まった。
予想外にもほどがある。なにより意味がわかんない。
わたしも、大ちゃんも、大ガマまでも、ただ頭を下げるチルノのことを見つめていた。
……まあ「頭を下げる」というよりは何かの体操みたいに不恰好だけど。
「……なにが?」
思わず出た声は、いつものわたしのものだった。
私は引っ込んでいた。というより顔を背けて笑っているような気さえする。
それがわたしにも伝染して、口の端がなんだかヒクヒクした。
「だれかが怒ってるのは、たぶんあたいのせいだから」
そのまま笑うことはできない言葉だった。
伏せたままの顔は、どんな表情を浮かべているのだろう。
なにを気負ってるんだか、バカのくせに。
……ううん、気負っているのはわたしの方か。
わたしがこの場を仕切るんだ、なんて。
簡単なことじゃないか。コイツは―――チルノは、自分のしたことを今は解っている。
もちろん、それで済むようなことじゃないんだろうけど……わたしの出番はそれからでいい。
「チルノちゃん……またカエルさんたちで遊んだの?」
そう、この子の後でいい。
「……うん」
「ダメって言ったよね。カエルさんたちがかわいそうでしょ?」
声が少しだけ震えていた。今まで口にしなかった言葉に、大ちゃん自身がおびえている。
それでも言わなくちゃいけない。言うんだと決めたんだと思う。
怖がるんじゃなくて。傷つかないようにじゃなくて。
「だって……だってぇ……」
ああ、嫌なもんだね。子供が泣き出す瞬間というのはどうにも胸が痛む。
遠回しとはいえ、私が泣かせたようなもんだと知ればこそ尚更。
きっとそれは大ちゃんだって同じだ。チルノが何を言いたいのか解っているはず。
だけどそれを代わりに言ってあげてはいけない。自分から言わせなきゃいけない。
……なんだ、解ってるじゃないか。
「だって……こうしたら、大ちゃん……きてくれるもん……っ! ダメだよって……しかってくれるもん……っ!」
まったくワガママなやつ。そんなので凍らされるカエルの身にもなってほしい。
「ばかっ!」
一際鋭い声を上げて、大ちゃんがチルノの頭を叩いた。おお、ちょっと衝撃映像。
「わたしだってチルノちゃんがいないと寂しいよっ! こんなことしないで、ちゃんと言ってほしいよっ!」
ぼろぼろと涙が溢れ出している。もうどっちが慰めているのかわからない。
「ううっ……ごめんなさぁ~い!」
チルノがぎゅっと抱きつく。大ちゃんはそれを優しく抱きとめる。
「わたしも……ごめんね。チルノちゃんが寂しいの、わかってたのに……」
こんな時、一緒に泣いてあげたり、まとめて慰めてあげるお姉ちゃんだったらよかったのに。
その時わたしがぽつりと呟いたのは、
「なんだこれ」
という、正直かつ台無しな一言だった。
いやね、キミタチはそれでいいのかもしれないけど。なんかいい話みたいになってるけど。
なにひとつとして丸くまとまってないからね? キミタチのバカップルぶりで収まる話じゃないよ?
そこはこうね、わたしと大ガマさんを交えてね? ちゃんとお話をしようよと。
ふと横に目を向けると、ポカーンとしていた大ガマが少しずつブチ切れるタイミングを計っている。
うん、もっともだ。オマエは今怒っていい。けどわたし的にはちょっとご勘弁。
これ以上この場がグダグダになるのだけはなんとかしたい。
仕方ない。私がひと肌脱いでやるか。
「ねえ、お兄さん?」
デカい腹がビクッと震えた。そんなに怖がることはないじゃないか。
内心傷付きながら(という名目で苛立ちながら)上目遣いで、ついで唇をぺロリと舐める。
「凍らされて死んじゃった子、居るの?」
するり、身体を寄せる。
少し大ガマが身を引いたのは怖れのせいか、それとも私の魅力にたじろいだのか。
(こ、凍らされはしたが……死んだかどうか、知らん)
まあ死にはするだろうけど。そこでハッキリと言えないのはどうしてだろう。
まさか妖精をイジメるために話を大きくしてただけとか?
それともわたしが―――私が怖いのか?
となると少し怖がらせすぎたかも。ちょっとサービスというか、和ませてあげないと。
「なんなら……私が産んでやろうか?」
うっわー、ダイタンってか下品。
いいじゃないか、どうせお子様はアッチで二人の世界だ。
(い、一体何者……で、あるか)
畏まりきれない言い回しについ吹き出す。
こりゃ脈ナシ? 別にそれでいいけどさ。
「なんだ、意外とウブだねぇ? ―――ほら、帰った帰った」
わたしは軽く手を振る。それだけで大ガマはスゴスゴと池の中へと戻っていった。
「まったく、ヘソどころかタマも無いのかい」
よし、黙れ。黙ろう。
井の中の蛙。ふと浮かんだその言葉に、わたしも同じようなもんだねとため息をひとつ。
この幻想郷のことも、そこに居るやつらのことも、わたしはほとんど知らずにいた。
まあ、理解しかねる奴らだということは解ったか?
ヒネたことを考えるのはやめようってのに。とりあえずは目の前のやつらから。
「こーらっ」
ぽかり、というよりはこつん、という感じで、チルノと大ちゃんの頭を小突く。
「いたっ」
「たっ」
声に出すほどでもないだろうに、まったく。
「うっさい、勝手に盛り上がってんじゃないの」
……まあ、ちょっと力が入ったのは認める。
「う~っ……あれ? あいつは?」
「あいつって……ホントに反省してるんだか。わたしが話をつけといたよ」
「話って……」
大ちゃんは何か言いたげだが、手を上げて制す。
わたしが何者なのか、とかそんなことを考えているんだろう。
あたしゃ神様だよ。そう名乗ってビックリさせてやろうか?
ムダだろうね。
大ちゃんは縮こまるだろうし、なんか目をキラキラさせてるそっちのバカは理解するかどうかも怪しい。
かといって子供相手に嘘をつきたくはない。そこは神様だからね。
ま、こういうのは単純な、ホントのことがいい。
「わたしもカエルだからね。カエルの妖精みたいなもんさ」
そう言って私は笑う。ケロケロと。
「妖精……なんですか?」
「羽はないけどね」
さすがに無理があったかな? とチルノの方を見る。
「あ、あたい……そうとは知らずに」
あ、やばいまたマジ泣きしそう。
ちゃんと反省してるみたいじゃないか、よしよし。
「ごめんね……ごめんねすわこぉ……!」
なんかすごく感動した。不覚にも。ようやく名前を呼んでくれたというだけなのに。
だからもう泣くんじゃない、抱きつくんじゃない。鼻水付くでしょうが。
「ケロちゃんでいいよ」
「ふえ?」
ああ、案の定鼻水が糸引いてる。
「二文字なら簡単でしょ? 大ちゃんとケロちゃんで語呂もいいしね」
「だいちゃんと……けろ、ちゃん……」
呟きながらポケーッとしていた顔は、雲の切れ間から陽が差すように笑顔へと変わっていった。
「ケロちゃん! うん、ケロちゃんだ! 新しい友達だ!」
「早いね! ステップアップ早いね?」
なんとまあ図々しい。まだ名乗りを済ませたくらいだというのに。
いいじゃないか、乗ってやる。
お前と遊ぶくらい造作もないことだ。
だってわたしは、お姉ちゃんだもん。
「よかったね、チルノちゃん?」
「うんっ!」
「それじゃ……いこっか?」
「いく? いいよ、どこに?」
大ちゃんがちらりとわたしを見た。
一瞬なんのことだか解らなくて、思い当たったときにはもう誤解されていた。
「諏訪子さん―――ケロ、ちゃんのこと送っていかないと」
「あ……」
しゅん、とうなだれるチルノ。
いいんだよ、別に。そこはワガママで。
わたしだって、せっかく―――
「あたいも、おくってく……」
え、という声が重なった。大ちゃんと、わたし。
さて、どうしよう?
せっかく芽を出したチルノのガマンだ。大事にしてやりたい。
だけど今は、そんなオトナのリクツだとか、どうでもいい。
わたしはケロちゃん。カエルの妖精さん。することなんか決まってる。
「いいよ、もっと遊ぼう」
それはきっと、私も望んでいたことだから。
わたしが欲しかったものは、そう。
一緒に遊んでくれる、友達だったのだから。
その日わたしは、夕日に照らされながら汚れた服で帰った。
早苗にお姉ちゃんみたく叱られた。
神奈子には笑われた。
いつものように。
だけど、不思議と悪い気はしなかった。
昔はよかった。
そんなことを毎日のように考えていた。
だけど今は、その「昔」がいつのことだか解らない。
もうわたしは、そんな昔のことを思い出す必要もないのだから。
そんなわけで、今わたしが楽しんでいるものはちょっとしたお散歩。
ほとんど毎日のように出掛けていく。
妖精にしては大人びたしっかり者と、妖精にしても本当におバカだけど素直な子たちと遊ぶ日々。
あの子たちはわたしをこう呼んでくれる。
「ケロちゃん」と。
「それじゃ早苗、行ってくるね」
「はい、諏訪子さま。今日はあまり遅くなっちゃダメですからね?」
最近は早苗からの保護者目線がまた強くなった気がする。
というかもう完全に子ども扱いじゃないか。
わたしは早苗どころか、横でニヤニヤしている神奈子よりもお姉ちゃんだというのに。
「そうよ諏訪子、あんまり遅いとご飯抜きだからね?」
よしそのケンカ買った。
「神奈子こそご飯抜いた方が良いんじゃないの? 最近お腹出てきてるよ」
「んなっ!?」
逃げ腰になってお腹を抑える。ばーか、神様が太るもんか。
「ん~? まさか心当たりあるの? そっかぁ、ずっとゴロゴロしてるだけだもんねぇ」
「ぬ、な、こ、このっ……!」
「す、諏訪子さまっ!」
神奈子が怒る。早苗が慌てる。
どーよ、これが年上の余裕ってやつ。
「じゃっ、いってきま~す!」
とん、と石畳を蹴って飛び立つ。
怒鳴り声となだめる声が遠くなる。
あんたたちが可愛いのは確かだけど、あんたたちだけに構ってもいられない。
お姉ちゃんは忙しいんだからね?
いーい⑨をいただきました!
かみさまー!ww
神奈子ェ・・・
ケロちゃん「ぐぬぬ...」
なんかケンカがグダグタだけど。大ガマよ、それでいいのか。
ともかくほっこりです。ケロちゃんケロケロ。
皆いいやつらだなあ
あと諏訪子さま俺に同じ台詞言ってくれないかなあ