Chapter0 “1/2”
突き抜けるような青空と、人間はいうのだろうか。
雲一つなく澄み渡った単色の風景を見上げる彼女は、決まり切った言葉を口にする。
「なんて最悪な天気なのかしらね、咲夜」
日傘を自分の手で指して、皮肉混じりの声をぶつける。
それでも目の前の咲夜は傘を手に取ろうとはしない。
なにせ――
「駄目ね。そんなに小さな体では届くはずがないのに」
レミリアの身長が、いつのまにか咲夜の倍以上になっていたのだから。
Chapter1 “=”
ほんの少しだけ、昔の話。
本当にちょっとだけ、昔の話。
「なんだ、まだ子供じゃない。こんなおちびちゃんが相手なんてハズレを引いたかしら?」
なんだか小生意気な人間がいた。
よくわからない世界に呼び込まれて少しした頃だっただろうか。パチュリーや美鈴が玉座の横に控えていたはずなので、たぶん間違いない。
「子供が親の真似事をするものではないわ。さっさと主を出しなさい」
レミリアの座る椅子がここの館の主のモノだと判断した少女は、強気な姿勢を崩さない。黒一色の布で体全身を巻いただけのような、異質な服装を見せ付けながら。
「ふん、最近の人間は礼節というモノを心得ていないのか? それとも人間に見えるだけの野良犬か?」
玉座に肩肘を付き、見せつけるように足を組む。優雅に薄桃色の衣服を翻すことも忘れずに。口を二回も開かせてやったのは、白銀の髪をした珍しい人間に興味が湧いたからだったか。それとも、単なる気まぐれか。
パチュリーの意見では、
『同じくらいの身長だったから親近感あったんじゃない?』
と、馬鹿馬鹿しい見解を述べてくるが、それはありえない。
座っているからわかりにくいだけで、レミリアの方が5㎜は高い。いや、最低7㎜はあるか。それだけ大きな差があるのに、魔女の目は節穴のようだ。本に齧り付いているだけでは人間を見る目がなくなるという良い例だろう。
「気配から判断すれば、幾分か魔物を知る者のようだが。紛い物ばかり相手にしてきたようね。純血種の吸血鬼は初見かな?」
とにかく、レミリア・スカーレットの前で3分以上生きている人間という意味では珍しい部類だ。自分を同等な立場に置く人間の子供。それを見るのが初めてだったから、興味が沸いただけなのかもしれない。
「ふふふ、お前のような野良犬が妖精メイドを抜いてここに来たその努力に免じて、一つプレゼントを与えようではないか。ほら、好きなタイミングで打ち込んでいらっしゃいな。それをこの身で受けて――」
と、レミリアは不意に言葉を止めて。無造作に手を顔の前に持ってくる。ティータイムにカップを傾けるような自然な仕草で、頬杖とは逆の左手を差し出し。
ざくり、と。
手の平を犠牲にして、一本のナイフを受け止める。
さきほどまで半眼だった彼女の瞳は大きく見開かれ、ナイフの先端から流れ落ちる血が自らの服を濡らすのをじっと眺めていた。そしてその驚きの表情は次第に笑みの形へと変化していく。
「あら? 約束が違うわね。一撃を受けてくれるのでは?」
「……気が変わったよ、悪かったね犬などと呼んで。今の能力はなんだ? 空間への干渉か? それとも空間と時間両方?」
「ご想像にお任せします」
「はは、はははっ、いいじゃないか。その態度、その自信。人間よ、もしその力で私を打ち負かせるなら、私に連なるすべてをお前に与えよう」
レミリアは臨戦体制を取ろうとする美鈴をナイフが刺さったままの左手で制し、新しいおもちゃを見つけた子供のように笑う。その様子に呆れ顔のパチュリーは、『好きになさい』と、ため息混じりに背中を押す。レミリアの性格をよく知るからこそ、止めるだけ無駄なことがわかりきっていたからだ。
「私の持つ屋敷、部下、財宝、すべてがお前の物になる。それは素晴らしいことだろう?」
芝居がかった態度で腰を椅子から上げると、レミリアは不適に両腕を広げる。まるで心臓にナイフを投げつけてみろと誘うかのように、無防備な姿を晒した。
「しかし私が勝ったらおまえの存在をすべて我が物としよう。名も存在価値も、私のためにあることとしよう――さあ、励みたまえよ人間、そうでなければ――」
少女はナイフを構えた。
構えたかったからではない、構えずにはいられなかった。
彼女と同じくらいのレミリアの体から紅の魔力が立ち上り、その姿が数倍に膨れ上がったように見えたから。純粋な魔族の気配に当てられ、全身の毛穴から冷水を注ぎ込まれたようだった。
「こんなにも月が赤いから、ついついやりすぎてしまいそうよ」
確かに、今宵は満月であるが、屋敷の中にあればそれは見えるはずがない。
しかし、魔力を放し続けるレミリアの足元には、円形の力の象徴が――
――真紅の月が、確かにあった。
Chapter2 “=”
目を開けたのに世界が暗い。
ベッドに眠らされた少女が目を覚ましたとき顔面に奇妙な紙が置かれていた。
『満月+1……』
無理だとは知りながら、顔にかぶさった部分だけを読んでみるが、何を意味しているのかがまったく理解できない。ぐるぐる巻きにした包帯の感触と、全身が訴え続ける鈍い痛みで生きていることは把握できるが。この文字だけはいくら考えても、意味不明だ。全部読めばわかるだろうかとなんとか手を動かして顔からその紙を離してみる。
『満月+1-1=名前』
謎が増えた。
彼女が知りうるすべての数式を導入しても、この解は出ない。肩幅くらいある無駄に大きな紙とにらめっこを続けていると、コトンっとベッドの横で物音がした。
「気分はいかが? まあ、生きてるなら問題はないでしょうけど」
気にしているのか、気にされていないのか。まったく抑揚のない声が響いた。そちへと彼女が顔を向けると、本を読みながら紅茶を啜る少女が一人。ちらりっと視線を時折ベッドへと向けるが、特に関心がなさそうにまた本へと戻す。その本の題名は――
『時間と空間を利用した魔術理論』
「……私の能力の研究?」
「そうね、気になる題材であることは確か。けれど、固有の者しか使えない技術を研究するのはあまり意味がない。技術を解明し活用する、それが魔法ですもの。それを行うためにオリジナルの協力は不可欠」
「私が素直に教えると思っているの?」
すると、本を読んでいた少女は口をカップに当てたまま小さく声を漏らす。
「教えるに決まっているでしょう?」
「何故私が吸血鬼の一味などに」
「だって負けたじゃない、昨日の夜レミィに。だから、あなたはもう紅魔館の所有物、あーゆーおっけぃ?」
昨日の、夜。吸血鬼――
そこで少女は、やっと自分の身に降りかかったことを思い出す。
彼女は、歩いているだけだった。
ナイフを何度投げつけても命中した部分が紅霧となって消え、瞬く間に肉体として再生。時間を止めて複数のナイフを設置し、他方向からの一斉攻撃を加えてもその進行速度は変わらない。実体はあるのに、物理攻撃のすべてがキャンセルされ隙を突いたはずの攻撃も、何故か読まれる。
時間を止めた直接攻撃ですら、軽くあしらわれる。
気がつけば、吸血鬼と少女の距離は腕が届くほどの距離になり。
「――っ!」
動揺を抑えきれぬまま引こうとした少女は、急に体勢を崩してしまう。
自分が取り落とした、ナイフの一本を『偶然』踏んでしまい、大きくバランスを崩してしまう。
まずい、そう思ったときはすでに吸血鬼の右腕が引かれていて。
「防御を腹部に集中なさい、運が良ければ、『死なないはず』よ」
そこからはもう、記憶がない。
痛かった気がするし、大きな音を聞いた気もする。
おそらくそれは彼女の脳が覚えている記憶ではなく、全身が記憶した彼女の恐怖によるものだろう。
ただ一つ理解できることは。
「……私は負けた」
たった一発。
魔術でも、特殊能力でもなんでもなく。
たった一つの拳でやられた。
完膚なきまでの、敗北。圧倒的な戦力差。
「たぶん敗北したような気がする……」
「あなた、相当負けず嫌いでしょう? あれで認めないってどういう感性なのよ。満月の夜にレミィに挑もうと思うくらいでしょうから、相当ずれてるのでしょうね」
「満月だと、問題がある?」
「……なんとも迂闊な狩人だこと、無知は大罪とはよく言ったもの」
パジャマのような服を着た少女は呆れ顔で本を閉じ、頬杖を突いた。しかし呆れながらも、笑う。奇妙な紙を自分の体の上に掲げ続ける、そんな怪我人を興味深そうに眺めながら。
「パチュリーよ。そう呼びなさい。種族は、魔法使いとでも言っておこうかしら。しばらくの間、あなたと暮らす者として名前くらい知っておいても損はないでしょう? 元気になって逃げ出すまでの間だとしてもね」
「……わかった、パチュリー」
と、何故かパチュリーの肩眉が跳ねる。
なので少女はもう一度自分が口にした言葉を思い出し、恐る恐る口を開いてみた。
「……様?」
「うん、良くできました。一応あなたと私はそういった関係になるらしいから、気をつけなさいな」
「わかった、じゃなくて……わかりました。えっと、私の名前は」
「はい、ストップ」
名乗られたのなら、名前を返さないと失礼に当たる。そう判断したのに、何故かパチュリーがそれを止めた。
「忘れたの、名前も、存在も、この館にいる間はこちら側の望む物になるのよ」
そうだったと、少女は思い出す。あの勝負で敗北したことにより、彼女のすべてはこの館の。吸血鬼の所有物となった。
「え? 名前?」
そして、その単語をどこか間近で見たような気がした少女は、また天井の方へ持ち上げていた紙へと視線を移す。
『満月+1-1=名前』
まさかとは思う。
吸血鬼の感性が人間と違うというのは、常識的に理解できる。
しかし、しかしだ。
『満月+1-1』
これが名前に見える感性が、吸血鬼にあるというのだろうか。
まったく持って恐ろしい種族である。
「ま、まんげつたすいちひくいち?」
どこまでが苗字かとか、そういう問題ではない。
声に出してみてもなんだか違和感が大きくなるばかりで、なんだか泣きたくなってくる。それでもパチュリーはその少女の言葉にうんうんっと頷き。
「日本語というニュアンスは正しい。けれど、それを変換する技術が必要ね」
「まったくだね。人間というものはどうしてこう教養がないのだろう。いやはや飼い主としては最低限の知識は持って欲しいものだ。ふふふ、ははははっ」
と、パチュリーの言葉を受けて別の高い声が響いてくる。
部屋の全体を覆いつくして響いてくるような、それでも姿がまったく見えない。まさか天井にいるのかとシャンデリアの奥を探ってみても、人の形がない。あの吸血鬼のものに間違いないのに、また体を霧や他の物に変容させているのだろうか。
少女が混乱し、首を左右に振り続けるのをどこかで見ているかのように、部屋を覆う含み笑いは大きくなっていく。
「恐怖するか、私の存在に。仕方あるまい、人間は闇を恐れるもの。つまり純粋なる闇の眷属である私を恐れるのはいわば必然。恥じることなどない」
名前の書いてある紙を放り投げ、ベッドの付近も探る。痛む体を無視して体を起こし、部屋のすべてを見渡す。光を通さないように加工された窓には隠れやすいカーテンは存在しない。机や椅子といった家具はあるが、普段は使われていない部屋のようで隠れられるクローゼットもタンスもなかった。ならば、やはり不可視の存在となって。
とす。
そのときだった。パチュリーが魔術で一本のフォークを少女の方へと飛ばしたのだ。もちろん命中はせず、枕の側のマットレスに突き刺さるだけ。なんのつもりかと視線で訴えるより早く、パチュリーがちょいちょいっと下を指差しているのに気がついた。
何気なくその指先が示す方向に目を落とすと。
「人間如きが私の下に付けることを喜びながら、恐れなさい。このレミリア・スカーレットの偉大さを知りなさい!」
なんだか、黒い三角形がはみ出している。ベッドの下から、はっきりと。
それは部屋に声が響くたびにぴくぴくと小刻みに震えており、何かと繋がっていることは間違いない。
「ははははは、あ~~っはっはっはっ!」
間違いないので、すぽっ、とマットに刺さったフォークを引き抜いて。
「えいっ」
ナイフ投げの要領で床にしゅっと投げた。もちろん奇妙に動く三角形に向かって。重力にしたがって突き進む白銀はあっという間に目標に到達し。
サクっと。
「ははは――」
フォークがなんだか黒い物体に突き刺さった瞬間。笑い声が停止し。
「い、いたぁぁぁぁあああああっ!」
がたんがたん、と。ベッドの下がうるさくなる。
そして、羽に異常があると判断したその生き物は羽の実体化を解除し、ほふく前進して狭い空間から脱出した。
「痛いじゃないの! 私の威厳ある行動中にいきなり攻撃を仕掛けてくるなんて、なんて飼い犬かしら! そんなこと教えていないわよ!」
驚かすためだけのためにベッド下に入るのは威厳ある行動というらしい。声がどこから出ているのかはっきりわからなかったのは、ほとんど自分と重なった位置から聞こえていたからなのだろう。そもそも魔物に分類される生き物が、こんな珍妙な行動をするなど想像もしないことだ。
「咲夜! お前には私直々の教育が必要そうね! 覚悟なさい!」
学ばなくて良い知識を得た少女がまじまじとレミリアを見ていると、人差し指と同時に怒りの声が飛んできた。まあ羽をいきなり突き刺されたのだから、その反応はわからなくはない。不忠な視線も不満に繋がったと推測できる、が。
「さく、や?」
少女は思わず後ろを振り返る。
怒りに押されて、視線を逃がしたわけではない。
レミリアが指差す先にパチュリーのような、彼女に仕える誰かが居ると思ったからだ。そもそも少女はそんな名前ではないのだから。しかし視界の先にはクリーム色の壁しか存在せず。
「何? お前、本気であの程度の謎かけが解けなかったというの?」
視線を戻すと、さらに不満の色を濃くしたレミリアが腕を組んでいた。そもそも怒りの原因の半分はフォークを渡したパチュリーにあるのだが、彼女は何故か本で顔を隠し、肩を震わせている。
どうやら、一人隠れて爆笑しているらしい。
「どこを見ている! 主が話をしているときは私に集中なさい! わかった、咲夜?」
「えーっと、あの。度々出てくるその、『さくや』というのは?」
「……まったく、理解の足りない飼い犬め。耳の穴かっぽじって良く効きなさいよ。満月と言えばこの地域の文化では『十五夜』と呼ぶ。それに1を足すんだよ」
「十六夜……『いざよい』……?」
『満月+1』つまりこの式の一部は苗字を表していたのだろう。
となると、残りの『-1』が名前ということになり。
「そうよ、そして。満月はその前日の夜だから。『昨夜』ね。でもそれだから名前として相応しくない。だから当て字で花開くという意味の『咲く』を振った。私がここまで考えてやったんだからありがたく思うことね」
「いざよい、さくや」
「何よ、不満?」
「え、いや、あの……」
あまりに以外だった。
魔物にとって人間は、畜生程度の価値しかない。少女はそう教えられて育ち、それらを倒す技術を仕込まれた。だからもし魔物に捉えられた人間が居た場合、弄ばれて壊されるだけのおもちゃ。そう思い込んでいた。
「良いと、思います」
だから咲夜は、素直に頷いてしまう。この得体の知れない吸血鬼の一部に触れた気がして、
「良いのは当然ね。吸血鬼に力を与える満月を名前に込めたのよ。お前の生涯を飾る名として誇りに思いなさい」
過去にあった自分の名前など霞んでしまうほどの響き。その甘い声に咲夜は胸が躍った。昨日は殺し合いをしていたというのに、彼女を認めようとしている。まるで運命の歯車が狂ってしまったかのように。
「で、でもね、もし不満だったら、別の名前にしてもいいのよ?」
だが、そこで何故かレミリアが急にしおらしくなる。
さきほどまでの威厳はどこへやら、挙動不審に手を胸の前でもじもじさせ始めて。
「ナイフガール・オブ・フルムーンとか」
「咲夜でいいです」
「スカーレット・シスターとか」
「咲夜でいいです」
「紅き吸血鬼の忠実なる――」
「咲夜でいいです」
「……うぅぅぅぅっ!」
「咲夜でお願いします」
不満らしい。何故かこの場面で瞳に涙を溜め始めた。しかし咲夜は引かない。引いてはいけないと本能が告げる。この致命的なネーミングセンスしか持たない吸血鬼が生み出した『いざよいさくや』という名が奇跡の産物だと理解したから。これ以上はまず有り得ないと一瞬で悟ってしまったから。
「……はぁ、まあいいわ。あまりこだわって躾が遅れても問題だものね。パチェ、美鈴は?」
「部屋の前を見張らせたから、呼べばすぐ入ってくると思うわよ」
「そう、ならば話は早い。美鈴、聞こえているなら近場の妖精メイドと一緒に部屋へ入りなさい。ノックは必要ないわ」
その名を聞いて咲夜は思わず身構える。昨日の夜、レミリアと一緒に居た女性の魔物に違いないと判断したからだ。まったく行動をすることはなかったが、隙のない立ち姿だけは記憶に残っている。
「はい、お嬢様。妖精メイドも二名つれてまいりました」
「ご苦労、こちらまで進みなさい」
咲夜の予想通り、パチュリーが魔術なら、美鈴は武術。その足の運び方からも独特なものを感じられる。しかし何故だろう。
「ああ、昨日の人間起きたんですね。近くで見ると中々可愛らしいじゃないですか!」
達人とかそんな感じが全然伝わってこない。咲夜の姿を見つけてきゃっきゃと騒ぎ出すのは、お気に入りのぬいぐるみを見つけた子供のようにすら見える。
「こら、私が指示するまでは横で待機!」
「はーい」
「まったくもう、それで咲夜、これからの仕事について説明する。お前は時間を操ることができる、その認識に間違いはない?」
こくり、と。素直に答える。今更嘘をつく必要もないし、すでにパチュリーも把握したことだ。隠す利点がない。
「あの複数のナイフによる攻撃も、ある時間軸からナイフを『借りてきている』からできる。数秒後の未来か、別の時間軸か。そこにあるはずのものを無意識に抜き出し、無数の武器として扱う。現にお前はあの服の下に6本しかナイフを保有していなかったし。倒した瞬間、床に転がっていたいくつものナイフが消えたのもその能力によるものね」
時間を操るということは、空間を操るということ、らしい。だから、どこか数秒後の別の時間から部屋を間借りして大きくしたりすることもできる。パチュリーが空間という題名の本を持っていたことからしても、それをレミリアが知っている可能性は大きかった。
そしてこの能力の本当の恐ろしさも。
「その能力は実に素晴らしいものだよ。何せ、お前のような脆弱な人間が時間に干渉できない存在を置き去りにできるのだ。相手が気付かぬうちに、把握できないタイミングでお前は動くことができる。その能力こそ、私が求めるものの一つ」
いくら強大であっても、油断し実力を出していない状況で致命的な弱点を付かれれば滅ぼされてしまう。ただし、その多くが弱点を晒す前に実力を示すだろう。
だが、その時間が与えられなければどうだ。
開始ゼロ秒で、その弱点を突かれたならどうなる。
「私が不快と思うものを排除し、望むものを作り出してくれる」
咲夜の胸が、ずきり、と痛む。
結局、化け物も人間も同じなのだと理解する。時間停止能力を殺戮の手段のみとして利用するだけなのだと。そして化け物が不快に思うものといえばやはり。
「消せと?」
「ええ、汚いものは掃除する必要があるでしょう?」
『人間』だろう、彼女に敵対する狩人たち。それを滅ぼせと。レミリアは満足そうに笑みを作り、改めて咲夜に使命を与えた。
彼女のここでの存在価値を、決定付けた。
「咲夜、お前をメイド長に任命する。家事に励め、以上」
「はっ?」
暗殺者でもなく、狩人でもなく。メイド。
レミリアの言葉に、咲夜の目は点になる。
時間とか、そんな話からどうやってその職業が出てくるというのか。
「は? じゃないでしょう? 返事は?」
「え? いや、だって、変でしょう? 時間停止能力ですよ? 知覚できない攻撃ですよ? それにさっき、気付かぬうちにとか。それに汚いものは排除とか言ってましたし」
「ええ、言ったわよ? パチェってば掃除にうるさくてね、埃を立てるとすぐにセキをするのよ。妖精メイドたちがハタキを持って図書館に入っただけで、追い出そうとする。だから気付かないうちに、把握できない動きで埃を落とす。汚らしいものを排除する。綺麗な屋敷なら私も生活がしやすいからね」
「掃除……そ、その程度のことのために……」
初めてだった。
咲夜は自分の能力がこんな下らないことに活用されるなんて思っても見なかった。
その発想があまりに馬鹿馬鹿しくて、
「ふふふ、あはははっ」
笑っていた、傷が痛むのを気にせず声を出して、全身を揺らして。馬鹿みたいに笑ってしまう。
「何? 不満?」
「い、いえっ、ち、違います。違いますけど、可笑しくて……」
「そうなの? 人間の笑いのツボというのは妙なところにあるのね、パチェ、あなたはどう?」
「そうね、私の感性からしたら面白いわけではないけれど。レミィはとても素晴らしい主だと思うわ」
「わかりきったことを今更言われてもどうしようもない」
パチュリーの意見を聞いて安心したのか、堂々とした態度でまだ半笑いの咲夜を見る。身長が同じくらいの、人間の少女を。
「それと、私がお前を攻撃に使うような想像をしているようだけれど、自惚れるな。その脆弱さで何ができる。たった一発殴られただけで気を失う未熟さで私の駒気取りか? 大概にしろよ、飼い犬風情が」
「あ、……はい」
「もし戦闘行為があった場合は、私や美鈴が出る。お前は家事に専念し、私が帰る場所を保つ。理解したか?」
「……はい」
「飼い犬の一匹くらい、私が守ってやる。過去に何があったかは知らないが……本来、子供というのは血生臭い場所にいるべきではない。守られながら学習し、それでも何かを成し遂げるために力を使いたいなら、そのときは私に示せ。私が横に立つことを許すまでは、その手を返り血に染めることを禁ずるが、良いな?」
「……はいっ」
三回の返事を聞きながらも、レミリアは不思議そうに首を傾げる。
「ねぇ、パチェ……。この子、なんで泣いてるのかしら?」
「痛いんじゃない、いろいろと、ね」
「妖精メイドに治療を任せたのがまずかったか。小悪魔にお願いしていい?」
「まったく、鋭いのか、鈍いのか。その辺が魅力なのかしらね」
「よくわからないことを言わないでくれる?」
「はいはい、小悪魔ね。ご命令どおりに致しますよ、お嬢様」
Chapter3 ”以上”
傷が癒えた咲夜が紅魔館を出ようとしない理由。
それについてパチュリーは考察したことがある。その原因としてまず上げられるのは、咲夜がこの世界の住人ではなく、帰る家がないこと。第二は、別世界で魔物を狩り報酬を得ていたらしいのだが、別の世界に来たことで魔物を狩る必要性がなくなったこと。そして第三に上げられることこそ、最も重要でパチュリーが納得できるものだった。
「凄いですよ、お嬢様! 一年間で5mmも身長がお伸びになるなんて、素晴らしいですわ!」
「それは嫌味かしら? 嫌味よね? 嫌味以外の何物でもないのよね?」
レミリア弄りが、物凄く楽しいこと。
「いえいえ、私など人間の癖に6cmしか伸びませんでしたから。成長期のお嬢様が羨ましいです」
「そう、じゃあ聞くけれど、なんで半笑いなの? ねえ、答えなさい。答えようによってはグングニルの刑よ?」
そりゃあ、笑いたくもなる。
毎年、レミリアは自分の部屋にある一本の柱を使って身長をチェックしているわけだが。そのチェックするための柱が、重なった線のせいで真っ黒になってしまっていた。ここまでくると線というか、たんなる黒塗りされた長方形しか存在しない。つまり、500年かけてほとんど成長していないということになるだろうか。
「いえ、お嬢様の成長を喜ばしく思う気持ちが外に出た結果、笑顔という形で表現されてしまったのです」
「まあ、そういうことなら許してあげるけど」
幼き月という二つ名のとおり、レミリアの外見は一年たっても変化がない。それでいて成長には人一倍興味があるのだから、困ったものである。あっという間にレミリアの身長を抜いた咲夜に対し、地味な嫌がらせが発生したこともあった。
少し前までは同じ目線だったのに、それが少し上がった。それだけのことだが、レミリアにとってはそれほどのこと。悪い癖のようなものだと咲夜は諦めていた。
「こうも種族差がでると、なんだか腹が立つわね」
「特性が違うんだもの、気にするだけ無駄だと思うわよ。自分の運命をいじって、長身の美女になるようにしてみれば?」」
「パチェ、それでは面白みがない。それに運命というものは己の欲望で軽々しく変えるものではないわ」
「まあ任意に変化させられるほど器用じゃないでしょうしね」
「うぅぅぅぅっ! やろうと思えばできるっ、やらないだけだと言っているだろう!」
図星を突かれたらムキになって唸り声を上げるのも、咲夜が一年間で見つけた癖の一つ。メイド服に袖を通してから数ヶ月間は館の掃除だけで手一杯で仕草を眺めることすらできなかった。けれど仕事一つ一つに余裕が持てるようになってからは、住人の何気ない動作を追い続けるのが何よりの楽しみとなっていた。
コンコン。
「レミリアお嬢様、いらっしゃいますか?」
「おや、やっと食事か」
レミリアに指示される前に咲夜は時を止め、入り口の前に移動。そこで時間を元に戻し小柄な小悪魔を招き入れた。食事用のカートを押して部屋の中央にあるテーブルへと移動した後、手馴れた手つきで食事を並べ始める。その横で読書を続けているパチュリーの前に何も置かないのは、食事の必要性がないからである。
「私はコーヒーね」
なので、レミリアに付き合う形で飲み物だけを注文するのがお決まりになっていた。小食のレミリアは一品か二品で満足してしまうので、ティータイム程度の時間しか必要としない。時間的に丁度よいのである。
「小悪魔、フランはどうしたの?」
「もうすぐいらっしゃるかと、妖精メイドと遊んでいるようでしたので」
「また遊んでしまったのね。変わりの妖精の手配が必要か、私の妹ながら困ったものね」
吸血鬼の3食は人間で言えば、昼食と夕食そして夜食にあたる時間帯になる。レミリアは妹であるフランドールと食事は共にするよう心がけているようだが、普段の生活ではあまり接点がない。咲夜にも不用意に近付くなと釘を刺すほどなのだから。
「妹様の興味は内面ばかり、自分の能力を使うのが楽しくて仕方ないのでしょうね。加減の方法も学ぼうとしない。もし今の考え方のまま外に目を向けてしまったら、わかるわよねレミィ?」
「そうね、私たちはまだこの世界に認めらているとはいえない。早急に選ぶ必要があるな」
咲夜は二人が何か大きな決断をしようとしていることを感じ取る。
ならば、自分もと食事中の二人へと一歩近づこうとするが。
「っ!」
突如として、レミリアの背から威圧感が生まれたことで一歩が踏み出せなくなってしまう。椅子に座っているだけのレミリアに、あと一歩だけ足を前に踏み出せば並べるというのに。人間である部分が、吸血鬼という存在を恐れてしまう。
「まだ、早い。この程度の気配で足を止めるのなら、お前はまだ連れて行けない。わかるな、咲夜」
「はい、レミリアお嬢様……」
身体だけは大人びてきているのに、まだ自分は単なるメイドでしかありえない。レミリアの隣に立つことはできないと、思い知らされ唇を噛んだ。
しかし、半分ほど食事を終えたレミリアが咲夜へと振り返り……
「よくぞ一年でここまで辿り着いた。私が留守の間は愚妹を守ってやってほしい」
自分よりも高くなった咲夜の頭を、そっと撫でた。
何度も、何度も。
Chapter4 ”より大きい”
どちらかを選ぶ。
レミリアがそう言ったとき、咲夜は予想した。
『敵対』か『友好』か。
世界を支配する手段としてどちらかを選んでいるものとばかり思っていた。紅魔館から出ず、レミリアやフランドールという強大な吸血鬼以外の妖を知らなかった故、一つの可能性を頭から放り捨てていた。
しかし、ある日。その思考が過ちだと思い知らされる。
「皆、苦労をかけたね。契約はなんとか取り付けたよ。これで紅魔館はこの地で生き抜くことができる……」
「お、お嬢様……レミリアお嬢様っ!」
いつものように戦場に飛び立ったレミリアが、美鈴に肩を支えられて屋敷に戻ってきたのだ。驚異的な再生能力を持つはずの肉体にはいくつもの傷が残り続け、衣服もただ肩から掛かっている布にしか見えない。
その姿こそ、レミリアが挑んだ戦いのすべてだと、咲夜は知らされた。
選択肢は、二つ。
高貴なる滅亡か、泥にまみれる従属か。
初めから勝利など頭の中にはなく、レミリアはただ自分の力を見せ付け続けたのだという。自分の力は素晴らしいだろう、と。もしこの力がそちらに付けば、安定した未来を望むことができるだろう、と。
結果、レミリアの部隊は敗北することにはなったのだが。
『今後二度と人里の人間を襲わない』
そういった約束と引き換えにして、安定した食料供給を取り付けた。幻想郷全体の軍勢とは比較にならない矮小な戦力、それでこの条件に押しとどめたのだ。それはレミリアにとって勝利に等しい戦果だった。
「すぐに治療の準備を致します!」
「いらないよ、今日はこの傷や痛みが実に愛おしい。どうせ明日には消えてしまうんですもの」
「しかし、血が……」
「咲夜、見誤るんじゃない。私の血など安いものよ、外から取り入れればすぐに元に戻る。でもね、あなたたちは一度失ったら戻って来ない。ならばどちらを犠牲にするべきかなど、判断するまでもないだろう。よって準備すべきは治療道具ではない。自分が何をすべきか、わかるでしょう?」
咲夜は伸ばし掛けた右手を自らの左手で押さえ込み、深い呼吸を繰り返す。自らの成すべきことは何かを、今レミリアが求めているのは何かを冷静に探した。
「……ワインは白と赤どちらに?」
「赤だ、とびっきりのやつを」
「はい、今宵はお嬢様に相応しい夜を演出してみせますわ」
「ええ、期待しているわ。それと美鈴、悪いのだけれど……」
「このままお部屋までですね?」
「ああ、助かる」
同じ戦場に立ち、レミリアを支え続けた美鈴。
今も尚頼られ続けるその背中に、咲夜は少しだけ嫉妬した。
だから――
「小悪魔様、少しよろしいでしょうか」
咲夜は、一歩を踏み出そうと決めた。
何があろうと引き下がらないと、強く自分に言い聞かせて。
「あ~~ん」
珍しい光景だった。
いつもの四角いテーブルではなく、円卓の上に料理が6セット。使用人である咲夜や小悪魔、そして食事を摂取する必要がないパチュリーの分の料理が同じ机に並ぶはずがない。しかし全員で同じテーブルに付くことをレミリアが望み、いままでにない食卓が実現したわけだ。
「あ~~ん」
そして、もう一つの珍しい光景が。フランドールがレミリアに甘えているということ。普段は『あいつ』や『こいつ』と冷たい呼び方をするのに。その刺々しさが薄れているように見える。本能的に何か感じることがあったのかもしれない。姉が達成した、勇気ある敗北について。
「……お止めなさい……フラン。それは年端もいかない子供が」
「隙あり!」
「んむぅっ!」
静止の声を出そうと口を動かしたのが拙かった。顔を赤くしながら小さく口を開けたレミリアに向かって。フランドールは容赦なくスプーンを押し込む。豪快に突っ込まれたそれを舌で押し出すよりも早く。中身を口の中に落としたスプーンは、物凄い速度で引き抜かれた。
「美味しい? ねえ、お姉様、美味しい?」
「……いしい」
「え~? なに~? 聞こえな~~い」
円卓なので、全員が全員の顔を見ることができる。つまり、恥ずかしさで赤くなるレミリアの様子は絶賛放映中なのである。
『顔色もスカーレットってところかしらね』というパチュリーを睨んでから。
「お・い・し・い! 美味しいって言ってるの、フランあなたわかってやって」
「はい、どーんっ」
「んむぅ~~っ!」
もうすでに『あ~ん』の規格を超えたやり取りだった。相手に食べさせてあげる行為ではなく、レミリアが口をあけた瞬間にスプーンを入れるゲームと化していた。
「妹様その勢いで口からスプーンを出し入れしたら、いつかレミィの歯が全滅してしまうわ。お世話はもういいから自分の食事に手をつけなさい」
「はーい、いっただきまーす」
素直に従い、自分の分を食べ始める。妹が嬉しそうに料理を頬張る姿を見つめて、口の中に無理やり入れられた料理を舌の上で転がす。羞恥心を刺激され適当に美味しいと答えたが、じっくり味わってみると。
「む……」
思わず、妙な声が漏れてしまう。その声を掻き消すようにレミリアの左隣に座る美鈴が目を丸くして驚く。
「小悪魔さん凄いです! いつのまにこんな味付けを?」
「ええ、中々ね。また一つ腕を上げたというところかしら」
その声でフランドールの横にいた小悪魔に視線が集中した。普段なら、誉められるのに慣れていない彼女のこと。照れくさそうに料理をいじり回したりするものだが、何故か今回の彼女の動きは違った。
頷くでもなく、謙遜するでもなく。ただ、視線を横に動かす。何の関係もないはずの咲夜の方へと。
「どうしたの小悪魔、賛辞は素直に受け取るべき――」
レミリアもその視線に釣られて、咲夜の方を見る。もちろんそこには、皆と同じ料理が並んでいた。普段の癖のせいかまだ手を付けてはいないが、そこには湯気を立てる美味しそうなハンバーグがある。
見た目も、皿の模様も。
まったく同じ。
「咲夜、何をしているの?」
ただ一つ、異なっているのは。
レミリアの対面に座る咲夜の指が、細かく震えているということ。
「何をしているのかと聞いているのよ、咲夜? この輝かしい日に、目障りな真似をする。それに何か意味があるのなら聞いてやろうと言っているのよ?」
この料理に使われている材料が何か、それを知っているものならば。咲夜が何をしようとしていたかを理解できた。しかしレミリアはその理由を欲した。紅魔館がこの世界に受け入れられた日に、それを行おうとした必然性を問うた。
「申し訳ありません、お嬢様。……お嬢様と共に歩くということがどういった意味を持つかわかっていながら、私は自分というものを捨てられませんでした……」
その肉を口に含むことができれば、何かが変わると咲夜は思った。
だから小悪魔に進言したのだ。
今夜は自分も、同じ料理を食べると。そして――
「この料理を作ったのも、小悪魔ではなくお前だな?」
「はい、そこまでは。そこまでは耐えることができました。お嬢様の苦しみに比べればこんなものどうということはないと。しかし、しかし――どうしても、最後の一歩が踏み出せないのです。人間を……捨てられない……」
円卓の上に敷かれた白いテーブルクロスに、ぽたりぽたり、と水滴が落ちる。申し訳なさと、情けなさ。両方の感情に打ちひしがれた咲夜は、泣いて詫びるくらいしかできない。すっかりと静かになってしまった祝いの場を場を、取り繕うことすらできない、
「美鈴、あなた。静かなところで仕事がしたいと、そう言っていたかしら?」
「え? あ、ああっ! はい! そうですそうです! 戦いが一段楽したら、体をゆっくり休めたいなって思ってたんですよ。どこかいい場所ありませんかね?」
「そうね、退屈でいいのなら、門番なんていかが?」
「え、えーっと。居眠りは可でしょうか?」
「……10分だけね」
「はい、10分だけ!」
と、そんなとき。いきなりレミリアが美鈴の部所変更を命じた。話題を変えるため、なのだろうか。咲夜が瞳に涙を溜めながら顔を上げると、レミリアの妖艶な笑みをぶつかった。
「しかし困ったわね、比較的安全になったとは言え、主を守る従者が必要となる。それをこの宴席が終わってから告げようとしていたのだけれど、誰かさんのせいで段取りが狂ってしまったわ。まったく空気の読めない飼い犬はこれだから困る」
視線がぶつかり合う中、ゆっくりとその手にもつフォークを目の前に向けて、告げる。
「十六夜、咲夜。あなたを私の護衛に任命する」
「――――」
「それともう一つ、咲夜らしい、咲夜でいろ。無理はするな」
声にならない歓喜が、体中を駆け巡る。
血が沸騰するくらい熱くなり、手の震えが増した。
けれど、さきほどのような嫌悪感による震えではない。ただ、純粋な興奮による身体の異常だ。激情が、全身を支配した結果だ。
咲夜はもう、口を抑えて頷き続けることしかできず。
小悪魔が手渡したハンカチで真っ赤になった顔を覆う。
「隠しては駄目よ、咲夜。ほら、美鈴交代なさい」
ぼろぼろと泣き続ける咲夜の背を小悪魔が押し、レミリアの横の席へと移動させる。そして咲夜が落ち着くのを待ってから、パチュリーが自分のグラスを高く掲げる。
「それで? 仕切りなおしの乾杯は誰が?」
「パチェ、それを尋ねるのは無粋だよ」
「そうだよね! ほらほら、咲夜。立って立って!」
フランドールに急かされ、その場の主役となった彼女は。
涙をハンカチで拭い取り、高らかに宣言する。
「親愛なるレミリアお嬢様に、乾杯!」
「かんぱーいっ!」
かちん、かちん。と。グラスをぶつけ合う咲夜と、紅魔館の住人たち。そんなほほえましい光景の中で、レミリアはふと気が付いた。
咲夜の顔を、見上げて気が付いた。
「あなた、こんなに背が高かったかしら……」
Chapter5 “3/2”
「あー、あー、メイド長?」
「咲夜です、お嬢様」
「では、咲夜くん。現在私たちの目前にある液体は何かね?」
「紅茶ですが?」
「ほほぅ、君の国ではこれを紅茶というのかね」
「はい、アールグレイを使用しておりまして」
「しかし、咲夜くん。いくら“グレイ”という名がついていたとしてもだ、灰色の液体を紅茶と言うのは、なんだか料理への冒涜と受け取られないだろうか」
「いえ、人はそれを未知への挑戦と呼びます」
「ひと時のティーテイムって、冒険のためにあったのかしらね……」
「……飲んでください」
「断る」
「わかりました、ではもう一度作り直しますわ」
「ええ、そうして頂戴……って色一緒じゃないのよ!」
ばんっ、と。そんなやり取りを記載した文面をテーブルに叩き付け、レミリアは宣言する。
「諸君、私たちは過去。異変の代表者となり事件を引き起こした。敗北はしたが、敗北以上に得るものがあったはずだ。しかし今回、私たち勝利を得なければいけない!」
円卓を囲み集まる紅魔館の面々。全員が息を呑む気配を感じ取ったレミリアは、1テンポ遅らせてから、びしっと咲夜を指差し。
「本来の紅茶を取り戻さなければならないのだ!」
『却下』
「え、えぇ~~~~っ!」
民主主義は残酷である。
美鈴以外の3名があっさりと否定した。小悪魔も席にはついているが、パチュリーの意見が優先されるので、実質3対2。
お嬢様の健康のため足りない栄養素を混ぜているだけ、と咲夜が言い。
好き嫌いは駄目だといつも叱られた、とフランドールが言い。
私に被害がないならいいわ、と親友のパチュリーが言う。
親友であるはずの存在が一番酷いと思うのは、気のせいだろうか。
「レミィ、そんなこと言うために私たちを集めたの?」
「そんなことって、私には死活問題なのだけれど……、まあ、いいわ。皆も話だけなら聞いたことがあるかもしれないのだけれど、スペルカードというものが戦闘のルールとして使われることとなった。理性ある者同士の争い限定にはなるのだけれど」
「ああ、この前配ったあのカードのこと。殺傷力を弱めた自分の能力を弾幕として撃つためのものだったかしら?」
レミリアが引き起こした事件のせいで、幻想郷の一部分が大きな被害を受けた。妖怪が全力で争った場合世界も傷つく。そう判断した管理者たちが新たなルールを作成した。それが『スペルカードバトル』。
「そうだ。争いにスポーツ、娯楽という概念がくっついた形だ。現在小規模では新ルールに従った争いが繰り広げられてはいるが、大規模な衝突はまだ発生していない。ならば、私たちがそれを先駆けるのは実に興味深いとは思わないか?」
「敗北者となっても、ですか?」
「ふふ、咲夜、理解しているじゃないか。そうだよ。今回の戦いも勝利する必要などない。さっきも言っただろう。娯楽だと。娯楽で敗北したところで、名が穢れると思うか? この世界でスペルカードを利用した事件を私たちが最初に起こす。その事実を残すことの方に意味がある」
「そんなことを言って……レミィは新しいおもちゃでおもいっきり遊びたいだけでしょう? 誰よりも先に」
「……要約しないで、悲しくなるから」
図星らしい。吸血鬼が昼間でも外に出られるようにすることを名目とし、幻想郷を覆い尽くす霧を発生させるのだ。と、レミリアは語るが。やはり本当の目的はスペルカードで遊ぶこと。
長い生を持つ妖怪にとって、『おもしろそう』は十分すぎる動機なのだから。
「なら、敵を迎え撃つ順番を決めておくべきね。レミィの案はあるの?」
パチュリーが問い掛けると、レミリアは不敵に微笑み。自らのカードを取り出した。
「スペルカードは4枚、被弾可能数は3」
「……まさか」
「ええ、そのまさか。最も強い者が際奥で敵を待ち受ける。実にシンプルだろう? 棄権したければしても構わないよ。異変の間はその誰かが門番になるだけだろうからね」
「じゃあ、レミィが門番もありえると?」
「パチェが私を打ち負かせればね」
なんだか話に置いていかれた美鈴と小悪魔は、棄権のタイミングを逃し顔を青くした。先の戦いでは功績を上げた美鈴であったが、弾幕戦だけは超がつくほど苦手なのだ。小悪魔に至っては戦闘など経験したことがないのだから、目を点にしたままである。
逆に大はしゃぎしているのはフランドールで、レミリアが宣言した瞬間自分が持っているカードをキラキラした瞳で見つめ始める。そして、人知れず熱い感情を持っているのがあと一人。
「あのレミリアお嬢様、パチュリー様、少しよろしいでしょうか?」
静かにことの顛末を見守っていた咲夜から声を掛けられ、二人は同時にそちらを向く。その二つの疑問の視線が重なったところで、メイド長は静かに口を開く。
「その異変中は、私が玉座に座っても構わないのでしょうか?」
ぴしりっ、と。空間が歪む音がした。
レミリアの笑みは益々と濃くなり、その体から魔力を放出し始める。そしてパチュリーはというと、外見では特に変わった様子はない。けれど、その横の小悪魔がカタカタと震え始めているところを見ると相当思うところがあるらしい。
「ほほぅ、良くぞ言ったぞ咲夜。私から奪い取りたければ力を示すがいい!」
「……あなたにはレミィの隣を譲ってあげようかと思ったけど、気が変わったわ。門番がお似合いかもしれないわね」
「そうですわね。お二人が私よりお強いのなら、ご自由に」
『……上等!』
がたんっと、三つの音が重なり。戦場となる庭へ足を進める。雨も振っていない綺麗な星空の下へ。そして肩を落とした美鈴と小悪魔が遅れて立ち上がり、フランドールが楽しそうにその背中を押していく。
かくして、第一回紅魔館予選大会が幕を開け。
その結果。
第6位 小悪魔 全敗
第5位 美鈴 1勝4敗
第4位 パチュリー 2勝3敗
第3位 咲夜 3勝2敗
そして堂々の第一位は――
二位 レミリア 4勝1敗
一位 フランドール 全勝
『う、うわぁ……』
パチュリーが咲夜に負けたとか、咲夜とレミリアが中々好勝負だったとか。そんな結果を打ち消すほど、事実は残酷であった。
「なんでよ……なんでフランがあんなに強いのよ、おかしいじゃない……私は紅魔館の主であの子の姉で……」
勝負の後、レミリアは部屋の隅で膝を抱えて座り込み、右手の指で『の』の字を書き続けている。ほかの誰に負けても、絶対勝たなければいけない相手に完封されたのだから、その心的ショックはかなりのもののようだ。
「ねえねえ、あいつに勝ったってことは私が一番偉い所に座ってもいいってことでしょう?」
結果、そうなるわけだが。このままではレミリアが危ない。いろんな意味で危ない。そんな主の危機にいち早く動いたのは、咲夜だった。
「妹様は一番の強いので『秘密兵器』になってはいかがでしょう?」
「秘密、兵器? なにそれ! なにそれ!」
なんだかかっこいい響きに、フランドールの顔がぱぁっと明るくなる。その反応を確認してから、咲夜は畳み掛けるように言葉を続ける。
「もし、レミリアお嬢様でも敵わない相手が現れたときのための、『切り札』ですわ。紅魔館の『最後の砦』とでもいいましょうか」
「秘密兵器、切り札、最後の砦……」
「ええ、妹様が皆を支えるのですよ。こんな役目は他に頼めません」
「うん! うんうん! やる! 私、秘密兵器やる!」
「では、レミリアお嬢様はいつもの椅子ということで」
「……咲夜、恐ろしい子……」
パチュリーはメイド長の成長に恐れ戦きながら、ビッ、と親指を立てたのだった。
「悪いわね、咲夜。フランのこと」
「いえ、私こそ妹様を騙すような真似を」
「いや、妹に勝てなかった私の落ち度だろうからね。それにあの子はカッとなったら、遊びでは済まない手段を使う恐れがある。まだ手加減をする戦いは難しいさ」
後二時間もすれば朝日が顔を出す。
そんな時間帯に、二人はバルコニーで星を眺めていた。誘ったのはもちろんレミリアで、咲夜はそれに従っただけ。レミリアは軽く飛び上がると、手すりを椅子代わりにして座った。もちろん、足などつくはずもなく。ぶらぶらと、空中で揺らすことしかできない。
「ここまでして、やっと同じ高さか。ずいぶんと差を付けられてしまった」
「そうですか、私はまだお嬢様に追いついてすらいない気分なのですが」
「当たり前だ。身長で負けているだけでなく、実力で負けては主の名がすたる。しかし、だ。あの弾幕の戦いの中で、お前は一度、私に当てた」
「偶然ですわ」
「そうか、偶然なら仕方ないな」
レミリアは月明かりの下で微笑みながら、左胸を撫でた。そこは先ほどの戦いで被弾した場所。咲夜がナイフ型弾幕を当てた部位だった。
「吸血鬼とは名乗っているがね、フランも私も弱点の固まりだ。正式な手順を踏めば人間の子供にだって滅ぼすことができる。それを隠すための身体能力と特殊能力を有してはいるが、本気になった咲夜と真剣勝負をしたら、今度は私が負けるかもしれない。今日の攻撃が白木の杭であったならと思うと、ぞっとするよ」
「いえ、しかし、私が被弾した数のほうが多いわけですし」
「本気と、言っただろう? お前は本気で相手を滅ぼそうと思った相手に、準備させる時間を与えるか?」
くすり、と微笑んで手すりから飛び降りると、後ろで手を組んだ。そして一歩、二歩、と。咲夜に背を向けて歩き。
「私は一度、できるだけ気配を消して咲夜の部屋に入ろうとしたことがある。そのとき驚かせてやろうという好奇心のままにね。でも、咲夜は私がドアノブを握ると同時に目を覚ましていた。布団で隠れてよく見えなかったけれど、膝を曲げ何が起きても良い体勢を取っていた」
三歩進んだところで、振り向いた。悲しそうな微笑を浮かべて、咲夜を見上げる。静寂が支配する真っ暗な空間では、星だけが瞬き続け。虫たちも、鳥たちも、咲夜でさえ声を発することができなかった。悲しそうなのに何故か嬉しそうにも映るレミリアの不思議な表情に、風景のすべてが見惚れてしまったかのだった。
「しかし私は、咲夜の傍で寝息を立てることができる。何の疑いも持たず、平気で寝顔を晒す事ができるようになってしまった。揺り起こされることすら、喜びに感じるようにね。だから咲夜が私を殺すのは簡単だ」
「しかしお嬢様、その解は当てはまることはありません。仮定が間違っているのですから」
主人が吐き出した、わずかな弱音。
咲夜は内心驚かされながらも、安堵を覚えた。
自分が仕える主が、自分と同じように悩みを抱えていると知り。その距離が縮まったように感じたから。
だから咲夜はスカートを掴み、メイドらしく頭を下げる。
「十六夜咲夜は、お嬢様を盲信しておりますので」
「そうか。ならば咲夜、お前は私と――」
不意に、レミリアが言葉を止める。迷いの色を秘めた目を瞑り、首を振って何かを否定していた。再びその目蓋を開けたときには、いつもの紅い瞳がそこにあった。
「ところで、咲夜。あなた、まだ身長は伸びているの? 最近はあまり変化していないように見えるのだけれど」
「そうですね、成長という観点で言えば止まったのかもしれません」
「そうか、違いない。人間の成長は早いとパチェも言っていたから」
「お嬢様?」
「私も早く成長するために眠るとするよ、おやすみ、咲夜」
レミリアが何を言い掛けて、なぜ最後にあの会話を選んだのか。それを理解できなかった。伸ばしかけた手を引き戻し、咲夜は深く頭を下げて主を見送る。レミリアが去ったあとも咲夜はその場から動くことはできず、気が付けば背中から朝日が顔をだしていた。
Chapter6 “以下”
レミリアの異変を皮切りに、幻想郷内ではスペルカードバトルが主な戦闘として定着した。その後の異変でもその傾向は強く。先駆者である紅魔館の住人たちは異変の解決者としても活躍したという。
しかし、それがあるときパタリと成りを潜めた。レミリアやフランドールといった主要人物がまったく異変に参加しなくなったのである。面白そうなことを知ると裏でも表でも何らかの形で参加しようとしていた紅魔館の沈黙に、一部関係者は不信感を持ったが、内情を知る者は別段干渉しようともしなかった。
「A班B班は1Fの廊下を、C班は部屋を中心に掃除を、D班は洗濯を行いなさい」
壁にかかったランプが廊下を照らす中、メイド長が妖精たちに命令を出していく。本来妖精は遊びたがりなので、仕事を命ずると少し嫌そうな顔をするのだが、
「仕事の後の4時間を自由時間とします。ただし手を抜いたらなしですので」
そのメイド長の言葉に、キランっと目を輝かせる。つまりその時間であれば遊んでいても文句を言われないのだから。命令を受けた妖精たちは我先にとその場から駆け出し、咲夜の目の前には誰もいなくなってしまう。
「餌で釣るか、さすがメイド長」
「咲夜とお呼びください、お嬢様」
「ああ、悪かったね。しかし妖精がああも一生懸命働くというのは、違和感を通り越して不気味だね」
「仕事の中に楽しみを見つけられればいいのです、時には競争させるのもいいですね。品物を雑に扱うことがなければ」
カラカラという音を響かせて、咲夜が廊下を進む。コツコツという足音ではなく、その何か重いものが転がるような音が、今の咲夜が発する音。廊下を進む車椅子が彼女の足となっていた。
「あの、お嬢様。押していただけなくても自分で動かせますので」
「私が押してあげているのが不服というの?」
「いえ、決してそういうわけではなくてですね。申し訳ないといいますか」
「それなら問題ないじゃないの、私が好きでやっていることですもの。さあ、次はどこに行くのかしら」
「では、庭の方へ。玄関までお願いします」
「日傘はどこにあったかしらね?」
「お嬢様……」
上半身をひねっておやめくださいと目で訴えても、レミリアは鼻歌を鳴らすばかり。少し見上げないといけなくなったレミリアは最近、自ら進んで咲夜の世話をかって出ている。それではメイドの意味がないと嫌がるが、時にはフランドールも連れてきて無理についてくるのだ。
「小悪魔がお嬢様の自室でお茶の準備をしております」
「待たせておけばいい」
「パチュリー様もご一緒すると」
「パチェは本があれば退屈しない」
「……強情ですね」
「ええ、どこかの従者と一緒でね。お茶を飲むのなら咲夜も共に、わかるだろう?」
「わかりました……では、庭で妖精たちへ指示を終えてからお茶としましょうか」
レミリアの生活時間は変化した。吸血鬼であるなら日中は睡眠をとるべきはず。しかし咲夜と生活時間を合わせるため昼型の生活をするようになった。その理由を尋ねても『好きにしているだけ』の一点張りで、咲夜を困らせ続けた。
体の自由が利かなくなり始めた咲夜の側にいること、レミリアが異変に姿を見せなくなった本当の理由はそこにあった。それより優先すべきものなどどこにもない。そう自身で示しているようだったという。
車椅子を押し。
食事の給仕を行い。
寝床の準備をする。
それは咲夜がレミリアにしてきたことと同じ。どうしてもメイドたちと比べれば雑な部分も見ることはできたが、咲夜は嫌がりナがらもそれを受け入れ続ける。
そんな日がいくつも続いた、ある日。
「すみません……お嬢様」
咲夜が布団から自力で起き上がれなくなった。
それでもレミリアはそのベッドの横で咲夜に付き添う。
「私が体調を崩したとき、咲夜がこうしていただろう? その一部を返しているだけだ。何の問題がある? 咲夜は気にせずに体を休めるといい」
借りを返しているだけ。実に、レミリアらしい言い方だった。けれど、そこから何日経っても、咲夜が自分で車椅子に乗ることはなかった。誰かが体を支えてやらなければ、移動することもままならない。
何かの病気かもしれないと、レミリアが永遠亭に使いを走らせ診療を依頼した。
すぐさまやってきたのは、正式に医者となった鈴仙で。
「大体わかったけど、師匠と相談してみる」
それだけ残して去っていってしまう。
そして次の日。
その日は、とても暖かく。晩秋を忘れさせるほどの、過ごし易い日だった。
だからレミリアがこんなことを言い出したのかもしれない。
「今日は、少し出かけてようか。雲もあまりないし、雨の心配もない。小悪魔も手料理を準備しているしね」
外出をしよう、と。最近ではほとんど使っていなかった車椅子をベッドの横に並べて。今までは体を休めろとばかり言っていたのに、急なものだと咲夜が返すと。
「状況は変わるものよ。あのパチュリーだって今日くらいは外に出ても良いと言っているし、フランだって。そうだ、美鈴も連れて行きましょう。一日くらい門番がいなくても大丈夫なはずよ」
やはり強引に連れ出そうとする。紅魔館の全員で、紅葉でも見に行こうと。
笑顔で言葉を続け、布団をそっと外そうとする。そんなレミリアの仕草で、咲夜は気付いた。そして、ふぅっと小さく息を吐き出して。見慣れた天井をじっと見つめた。
「私は、ここがいいです。お嬢様」
レミリアはふと、手を止める。
咲夜が何を言っているのか理解できなかったからだろう。
「ダメよ。いい天気のときくらい外へ出ないと、パチュリーの病気がうつってしまうわ」
「いい天気? ですか?」
「そうよ、悪い?」
「いえ、悪くはないと思うのですが私はやっぱり」
だから、わがままをいっているだけと捉えた。
さあさあ、急かしながら布団を剥がし終え、咲夜の肩を抱こうとする。
だが――
「私の最期は、ここ以外考えられません」
レミリアの笑顔が一瞬崩れる。車椅子に動かそうとしていた手が止まり、指先が細かく震え始めた。そんな姿を間近で見ても咲夜は温和な笑みを浮かべ続ける。
「何を言っているの? 私はただ、久しぶりに皆と外へ出かけたかっただけ」
「いえ、私だって今の自分の状況くらい理解しているつもりです」
「ずっと部屋に篭もってばかりだからそういう嫌な考えが浮かぶのよ、だから咲夜……」
なんとか外へ連れ出そうとしても、咲夜は頑なに拒む。
こんなにも嫌がることなど今までなかったはずなのに、首を左右に振ってレミリアに懇願する。
「正直にお答えください、お嬢様。私の運命は、どうなっていますか?」
「出かけましょう、みんな待って」
「今日一日、私は生きることができますか?」
レミリアから、小さな悲鳴が聞こえた。
それと同時に、咲夜から飛び退り。
睨み付ける。
紅い瞳に、輝くものを目一杯溜めて。
「――できないわよ、馬鹿!」
はっきりと言い切った。
ずっと胸に秘めていようと決めていた言葉を、悲鳴のように吐き出した。
「なんなのよ! 最後の日くらい、楽しませてやろうと思ったのにっ!」
帽子を投げ捨て、頭をくしゃくしゃに指で掻く。ぶつけようもない憤りを抱えて、どんっと大きく足を鳴らす。
「あのウサギにも言われたわ、今まで生きてきたのが奇跡だって。何よ奇跡って……起こりえるはずのないことなんでしょう? なんで奇跡が起きたのに、あなたが死ぬのよ! おかしいじゃないっ!」
現実を否定したくて、レミリアは『運命』を使った。
咲夜が死なないような未来を、自分で掴み取ろうとした。
しかしその結果は、永遠の命ではない。
吸血鬼としてまだ未熟な彼女ができたのは延命措置だけ。
今日という日まで、一人の人間の命を引き伸ばしただけ。
「あなたも、あなたよ! わかったんなら、それが途中でわかったんなら。素直に頷きなさいよ。最期くらい主らしいことさせてくれたっていいじゃない、馬鹿っ!!」
溢れ出る涙を拭い、それでも咲夜を睨み続ける。すると咲夜は、ぐっとその手に力を込めて、前日まで起こせなかった体を自力で持ち上げた。
「では、お嬢様。私のわがままをお聞き届けいただけるのなら、今日はずっと側にいてくれませんか?」
「昨日も、一緒だった」
「ええ」
「一昨日も、一緒だった」
「ええ」
「その前も、その前も、一緒だった」
「ええ、ですから」
咲夜は、額に汗を浮かべていた。
当然だ。昨日までまったく動かなかった体を無理に動かしたのだから。
それはきっと、辛いこと。
それはきっと、苦しいこと。
そうであったに違いないのに、咲夜はレミリアに微笑み続ける。
「それ以上の幸せは、私にはありません。私を受け入れてくださってから、ここにいること自体が幸福だったのです。それ以上何を望めばいいのか」
「なら、ならっ! 今日だけは咲夜の部屋で、みんなで過ごしましょう」
「……それは、それは凄く。すばらしいことだと思いますわ」
咲夜の最期の強がり、そして最期の希望をレミリアは受けた。だから外出予定をすべて取りやめ、咲夜の部屋に皆を集めてわいわいと宴会を始める。はじめは遠慮していた美鈴や小悪魔も、その場の空気に流されて踊りや歌を披露し。パチュリーとフランドールは魔術で、場を盛り上げた。車椅子に体を移した咲夜はそれを楽しそうに、心から楽しそうに見つめ続け。
「ねえ、咲夜? あなたが、あなたが望むのであれば――」
その横で咲夜と手を繋ぎ続けるレミリアは、そっと伝える。
小さな唇を控えめに動かし、咲夜以外には聞こえないようにして。
「私と、ずっと一緒な時間を過ごしたいとは思わない?」
そっと告げる。
人間を、捨ててくれないかと。
咲夜が自分から捨てようとして、捨てきれなかったものをもう一度願った。
「従者作りはまだ成功したことがないのだけれど、咲夜なら、あなたなら絶対上手くいく気がするの。いえ、上手くやって見せるわ」
咲夜らしい咲夜であれと命じたのはレミリア本人であるというのに、欲望に負け耳元で優しく囁いた。
けれど、咲夜は何も言わず楽しそうに前を見ていた。
「だから、ねえ? 私と契約しましょう、そうすれば全盛期のあなたの力を取り戻すことだってできる。空だって一緒に飛べるわ」
異変を起こそうとしたあの夜から、心の中に芽生えた感情がとうとう抑えきれなくなり、咲夜を誘う。
けれど、咲夜は何も言わない。
「だから、咲夜。お願い、もう一度だけ、あなたの言葉を聞かせて?」
それでも、答えない。
「拒否しても、いい。 ……どんな答えでも許してあげるから、声を……」
反応を示さない咲夜の手を、レミリアは握り締める。
少しだけ冷たくなった彼女の手を、両手で包んで願った。
しかし、その行為に気付いたパチュリーたちが、顔色を暗くしてレミリアを呼ぶ。
「レミィ……」
「黙っていて、パチェこれは私と咲夜の問題よ!」
「お姉様……」
「フランも私を馬鹿にするつもり? いいわよ、馬鹿になさい。それでも私は!」
「お嬢様……」
「美鈴も、小悪魔も、なんて顔かしら。情けない主に落胆した? 笑いたければ笑うがいい!」
「……レミィ、もういいのよ」
「何がいいのよ、だって、だってまだ答えを」
そしてパチュリーは意を決して動く。
レミリアと咲夜の間に入り、その手を無理やり振り解くと、力なく床に転がったレミリアの胸倉を掴んで引き起こす。
「咲夜は理解していたわ! 吸血鬼の従者である彼女が、本当の『従者』のことを調べないとでも思ったの? だからあなたが教えるのが遅かったわけじゃない! 教えていても、首を横に振ったはずよ! 人間のままあなたに仕えることを、彼女は誇りに思っていた! だからあなたのせいで間に合わなかったわけじゃない!」
「パチェ……」
「だから、もう、やめて……咲夜は、こんなに幸せそうじゃない……あなたと一緒にいられてこんなにも幸せそうだったじゃない……あなたが最期を穢してどうするのよっ!」
レミリアが後に言った話なのだが、パチェにそう怒鳴られた後の記憶がないそうだ。ぷつりと記憶の糸が途切れてしまったようだと。だから一年ほど経ってから恥ずかしそうに他の者に聞いてまわったという。自分がそのときどんな行動をとったのかと。
そのとき、皆が口を揃えて、
『この屋敷に居られて良かった』
そんな言葉を少し照れながら言ったのだという。
Chapter7 “1/2 + 3/2 = 0”
一年という周期というのは妖怪にとってとても短い。
気がつけば風のように過ぎ去ってしまうほんのわずかな時間だ。しかし、私にはこの日があるからそれを忘れずにいられる。
「どちらかといえば、思い出したいのだけれど」
あの瞬間、最期のとき。自分が興奮の中でどんな行動を取ったか、ここにくれば思い出せるような気がしたから。
「ねえ、咲夜。教えて、私はあのとき紅魔館の主として恥じるべきことを続けなかったのか」
館の裏の、少し高い丘。その先端で、私は咲夜に問いかける。
私の身長の半分くらいの、硬い石の塊に向かって。
咲夜の名が刻まれた石へと毎年のように尋ねてみるけれど、
「意地悪ね、少しくらい教えてくれてもいいじゃない。日傘も持ってくれないし」
名前のみがそこに残る彼女の虚像は、声もその姿も私に示してはくれない。ただ、じっと私を見つめ返しているだけだった。日当たりも良く、とても悪い天気の中で。風だけが妙に心地好い。思い返してみると、ここに立つ日は決まって空が晴れる。雨が降れば自分の力で書き換えることもできる。
「運命の悪戯か。私が言うと奇妙極まりないな」
しかし、実際そうなのだから仕方ない。
私はいつもどおり、咲夜の好きな花束を墓石に捧げて踵を返した。今日くらいはゆっくりしたいが、幻想郷の中で不穏な動きがあるとあの胡散臭い妖怪が騒いでいた。どうやら私の力も必要になるらしい。
何代目か忘れたが博麗の巫女がまだ自分の力に慣れていない状況だから、こちらにも助力を求めてきたのでしょうね。
帰路につこうと足を進めようとしたとき、私の目の前に銀色の髪をしたメイドが一人現れる。私の進路を邪魔しないよう斜め前に位置取り、深く頭を下げていた。そして御辞儀を止めた彼女が顔を上げたとき、そこには懐かしい顔があった。
十六夜咲夜、そのものの顔が。
「お嬢様、八雲橙様がいらっしゃいました」
「おや、三人目の八雲か、紫が出るまで待たせておけばいいものを……迂闊だなメイド長」
「申し訳ありません、お嬢様」
「……やはり、気休めだな」
「何か?」
吸血鬼の使徒、という存在らしい。
あのときの私はどうやら本当に弱く、恥ずべき存在だったんだろうね。咲夜の抜け殻を使ってリビングデッドを作り出した。とは言っても、心臓も機能しているし、脳も再生しており腐敗したゾンビとはわけが違うのだが。意思というものはほとんど存在せず、私の言うことを忠実に聞く人形と化していた。
「メイド長」
「はい」
やはり違う。
自分は咲夜だと、言い返してこない。
抜け殻に何を期待しているんだろうな、私は。今のこの行動も、『来客があれば私に知らせろ』という単純な命令を実行したに過ぎない。もちろん能力も使用不能、妖精メイドよりも少々便利な使用人程度でしかない。
私はメイド長を一瞥し、その横を通り過ぎようとして――
大事なことを忘れていることを思い出した。
「メイド長、私とお前の身長差はいかほどか?」
「……おおよそ、30cmかと」
「正確に」
「……30.8cmかと」
なんだかサバを読まれて少し腹が立ったが、人形に怒りをぶつけても仕方ない。あの頃、1.5倍くらいあった身長がそこまで追いついたのだから、喜ぶべきことだろう。そこで私は続けざまに質問を投げかけた。
「その差を埋めるのに何年かかる?」
「99年程度はかかるかと思われます。お嬢様は現在成長期に入っておりますので」
「そうか、ふふふ、100年を切ったか」
私は笑みを隠すことなく、咲夜の横を通り過ぎる。
こんな姿をあの妖怪に見られれば、余計な言い合いをすることになるだろうが、そんなことは知ったことか。
「運命よ、信じてもいいのだろう?」
実は私には隠し事がある。
あの夜、咲夜がいなくなった夜に運命を操る能力が私に見せた奇妙な映像があるのを。話せば馬鹿にされると、そう思ったんだろうね当時の私は。しかしそれは、明らかに夢幻とは違う。瞼を閉じれば、今でもはっきりと浮かび上がる静止画だ。
その絵の中には三人の人物がいた。
咲夜と同じ身長まで背が伸びた私と、
その私を不思議そうに見上げる銀髪の少女と、
そして、それを後ろから見守る。咲夜とよく似た姿の誰か。
あのときは、その誰かという存在がなんなのか理解できなかったが、この咲夜の入れ物を指しているのなら納得がいく。そして、そのとき私の目の前にいる幼子こそ……
「あら、私の可愛い式があなたの屋敷を訪れたというのに、あなたはこんな辺鄙なところで何をしているのかしら?」
「おやおや、そちらこそ。私が帰るのを待てないということは、それほどの?」
まったく無礼な妖怪だ。
私が久しい感情を思い出しているときに姿を見せるとは。
「そういうことになるかしらね。それで? 紅魔館の主の回答は?」
いつもは回りくどいやり方でこちらの本心を探ってくるのだが、それほど今回の巫女は急作りということか。まったく、お互い人間に振り回されるものよな、八雲紫よ。
「100年だ」
私は一本指を立て、そのせっかちな妖怪に笑みを向けて宣言し、
「100年以上お前がこの幻想郷を保ち続けると約束するなら、紅魔館は全面的にそちらに協力しよう。私たちを阻もうとするなら、運命を呪い、あらゆるものを破壊すると」
私自身に、誓った。
100年程度の時間なら、この世界の守護者でもなんでも気取ってやろうと。
あのメイドを自分から迎えに行く、そのときまでは。
でも最後あたりの展開がちょっと速くて物足りなかったかな、と。
次も楽しみにしています。
ありがとうございました。
死で終わらないのが素晴らしい。
その分へたレミリアになってしまった時のコメディタッチなノリも面白かったです
しかしその落差や展開の目まぐるしさも相成って、主題となる部分が幾分ぼやけてしまっているように感じました
レミリアと咲夜を中心とした二人の心情をもっと読ませて欲しかったです
文句なしにこの点数を
>私が留守の間は愚昧を守ってやってほしい
>美味しし?
>美鈴と以外の3名があっさりと否定した
上から順番にパッチェさん、レミリア、フラン、のセリフ、
お茶会の時、です。
たぶん、誤字、脱字、余分な語だと思います。
久方ぶりにこういった話を読みました。
咲夜の気持ちが伝わってきてるようでスクリーンが見えない。
お嬢様のカリスマのせいでスクリーンが見えない。
紅魔館のみんなの優しさのせいでスクリーンが見えない。
感動しました!
眼球清浄完了です。
長さが気にならないくらい引っ張られて最後まで一気読みした後、読み返しては泣きました。
レミリアの優しさや未熟さが愛おしい。
面白かった また読みたくなるだろう作品でした
咲夜に対するレミリアの愛情に心が暖まりました。
「咲夜らしく、咲夜でいい」あたりからじんわり心に響いてきたのですが、レミリアと咲夜の最後の一日でボロ泣きしてしまいました。
咲夜を愛している、咲夜の自由を願うレミリアと、咲夜を捕まえたい、咲夜を永遠に自分のものにしたいというレミリアの葛藤が胸に刺さります。
大好きなレミ咲です。