怒った蓮子は一目散に走った。
憤怒の狂走で大学の廊下を駆け抜ける。激しいその足音が廊下に響いた。夕焼けの学棟にはまだ大勢の学生達が残っていて、その誰もがいったい何事なのかとふり向く。そうして学生達の注目を次々に浴びながらも蓮子はけして走るのを止めなかった。つり上がった凶暴な眼はただ前を見据え、そこに浮かぶメリーの幻影を射抜いていた。
「メリーの馬鹿」
蓮子の食いしばった歯の隙間からそんなうめき声が小さく洩れた。
一刻も早くメリーに会わなければ!
その激しい思いが蓮子を突き動かしている。
だが、怒りに満ちたその表情とは裏腹に、心にはむしろ切望の色がある。メリーに会いたい。早く。早くメリーのいる場所にたどり着きたい。不安と、そして寂しさがある。
エレベーターホールに至り、初めて蓮子は立ち止まった。メリーがいるはずの研究室は六階。今蓮子がいる場所は一階である。
肩を激しく上下させながら蓮子は苛立たしげにエレベーターのボタンを連打した。
「ちょっと。どうしたのよ」
蓮子の異様な様子を遠巻きに眺めていた学生達の間からゼミ仲間の女学生が顔をだした。
普段から男勝りで飄々としているその友人はこんな時でもやんちゃな笑みを浮かべている。臆することなく蓮子に近づいて、ふざけた。
「ははーん。分かったよ。マリーさんと喧嘩でもしたんでしょう?」
『マリーさん』とはメリーの事だ。マエリベリー・ハーンのマリーである。マエリベリー・ハーンの事を『メリー』という愛称で呼ぶのは蓮子だけなのだ。
「まぁねぇ。あんだけいつも一緒にいるんだからねぇ。たまには痴話喧嘩もするわよねぇ」
この友人は、蓮子とメリーの仲についていつも妖しげな妄想をして冗談を言う。
「うっさいわよ! べつに喧嘩してるわけじゃない」
蓮子はゼィゼィと呼吸しながら、友人のいやらしい笑みをにらんだ。
まだエレベーターはこない。
「ああもうっ」
蓮子はどうにもじっとしていられなかった。
エレベーターを待ったほうが結局は早いと分かりつつも、ホールの隅にある非常用階段のドアをぶち開けてしまう。
そして再び激しく床を蹴って二段飛びで階段を駆け上がっていくのだ。
「早く仲直りしなよー」
友人のまとはずれな笑い声が階段を追いかけてきた。
「メリー!!」
蓮子は乱暴にドアを押し開けた。そこはメリーが常駐している相対性精神学研究生室である。
どこかカビくさいこの部屋には、書類やら本やらが散らばった乱雑なデスクが六つ並んでいる。
一番廊下側の机にメリーがいた。
「蓮子?」
メリーはいきなり現れた蓮子に目を丸くしていた。
メリー以外には誰も部屋にいない事を蓮子は今更ながらに確認した。それから、肩を怒らせてずんずんとメリーに近づいていく。
メリーが眉をひそめた。
「バタバタうるさいのが廊下にいると思ったら蓮子だったのね。いったいどうしたの?」
「メリー。私は怒っているの」
「そうみたいね」
「ねぇ。何か私に隠してる事があるでしょう」
「へ?」
メリーのきょとんとした顔。それが苛立つ蓮子のカンに触った。口を開くと怒鳴ってしまいそうだったから、メリーの隣の椅子にドカンと座って、しばらく口を閉じて鼻で深呼吸。
それから低い声で言った。
「……メリー。お願いだから、私に隠している事を正直に白状して」
もっと蓮子が素直だったなら全ての言葉をこの時に伝えられただろう。
――メリーが私に隠し事をしているなんて、そんなの嫌よ。
だが蓮子の口から覗くのは苛立たしげな声だけで。人はそう素直になれるものではない。
「隠し事って言われても」
戸惑いながらメリーはあれこれと心あたりを探っているようだった。
だが蓮子にはその態度すら白々しく思えてしまう。
「あ」
と、メリーが、ばつの悪そうな呟きを漏らした。
「ごめんなさい」
そして手を合わせながら、ぺこりと頭を下げた。
「やっと白状する気になったのね」
「蓮子が買ったあのバカ高い口紅を、何度かこっそり使いました。……ばれちゃったのね」
それは蓮子にとってはまったくの寝耳に水であった。
「はぁ!?」
『バカ高い口紅』というと、先月に酔った勢いで買ったとある口紅に違いなかった。京都と東京をひろしげで二度往還できるくらいの値段だった。『未来の自分への投資よ!』などと寝言をのたまっていた気がする。翌日酒がぬけてからものすごく後悔した。
いやそんな事よりも。
「な、何してんのよ!? かってに使わないでよ! 私まだ一度しか使ってないよ!?」
もったいなさ過ぎて使えないのだ。
「えっ。このことじゃないの」
メリーは「あちゃあ」という顔をした。それからあたふたと小走りに言った。
「あ、で、で、でもね? 他には黙ってる事なんて無いんだけどー……」
少しでもいいから口紅から話を逸らそう、という気持ちがあからさまに透けて見えた。
それはそれで気に食わないが、だが今はそれより大事な事がある。
「メリー……なんで正直に言ってくれないのよ」
蓮子の苛立たし気な声の中にほんの少し悲しみの粒子が混じった。
俯いてほぞをかみながら、蓮子は呟いた。
蓮子は言いながらその言葉を呪った。その言葉が意味する事を理解したくはなかった。
「……彼氏がいるんでしょ」
口にしたとたん、蓮子の心に何か冷たいものがめり込んできた。
「何で隠すのよ……。酷いじゃない……」
頭が重い。蓮子は顔を上げてメリーを睨むのにかなりの努力を必要とした。ともすれば眉が八の字になりそうだった。メリーの顔を見るのが怖くもあった。
蓮子がゾンビみたいにゆるりと顔をあげると――
ポカァンとした顔のメリーが目の前にいた。
そして困惑した風に言った。
「へ? 彼氏なんていないけど……」
蓮子はかっとなって机を叩いた。不安定に積み上げられた書類が何箇所かで雪崩をおこした。
「嘘つき! さっきメリーのゼミ仲間から聞いたんだから! 国もとに結婚前提の彼氏がいるんでしょ!? 超遠距離恋愛してるって――」
「ああ。それは。私に男が寄り付かないように友達が流してくれたデマよ」
「……へ?」
今度は蓮子がぽかぁんとなる番だった。メリーの言葉の意味は理解できるのだが想定外すぎて急に頭がついていけない。
「日本人って今だに外人がめずらしいのかしらね? 月に二、三度は付き合わないかっていろんな人に言われるんだもの。私、困ってしまって友達に相談したの。そしたら、ね」
蓮子はそうとうに間抜けな顔をしているようで、それを見たメリーが吹きだした。
「まさか蓮子までひっかかるとは思わなかったけれど」
「え……え……」
「けど、そこまで怒ることかなぁ。あ、先を越されたと思って焦った?」
けらけらとメリーが笑った。
蓮子は口をぱくぱくさせながら、だんだんと顔に血が昇ってきて、頬が赤くなった。とんだ一人相撲を見せてしまったのだ。
「……デ、デマぁ!? メリーったら何いやらしいことしてるのよ! だいたい男が寄って来て困るとかなんの自慢よ!」
蓮子は頭にまで血がのぼってバンバンと何度も机を叩いた。あとでデスクの主がさぞ書類整理に困るだろう。
「自慢なんてしないわ。それに今のところ彼氏を作る気は無いし」
「その言い方もなんだか余裕ぶって腹が立つわねっ」
鼻息を荒くしながら、けれど蓮子は心の中で安堵していた。
「……けど、そうなの? メリーは彼氏とかいらないんだ」
「うん。蓮子は、欲しいの?」
「ん……私も今は別に……」
「私もね、恋もいいけど、今は秘封倶楽部の活動のほうが楽しいから」
そう言ってメリーは微笑んだ。
『今は』――お互いの口からでたその言葉に遠い未来の寂しさの影をわずかに感じてしまうけれど、それでも、メリーがそう言ってくれたことで、冷えていた蓮子の心は再びぽわわんと暖かになった。
どんなイライラやすれ違いだって二人がお互いに顔を合わせれば消せてしまえるのだ。やっぱりメリーと一緒にいる時が一番心地良い。蓮子は心からそう思った。
「……あっ。ていうか口紅の事も黙ってたのね! 何してくれてるのよメリー!」
「あ……あー、うー……ちょっとだけよ! ほんの少しだけしか使ってないわっ!?」
「許さーん!」
叶うなら。いつまでもこんな日々を。
メリーの綺麗な金髪をシェイクしながら蓮子はそう願った。
その日の夜。
大学の近くに借りたアパート。電気を消した暗い部屋で、蓮子はベッドに横たわっていた。ベッドは窓際にあるから、カーテンを開けておけば寝そべったまま寂しい星空を眺める事ができる。
1時11分11秒――
蓮子の目が星達を眺める。ゾロ目をゲットするとなんだか良い気分になる。
12秒・13秒・14秒・15秒――1a6.b02e3
星空に飛行機の光点が混じって蓮子の時間感覚にノイズが混じった。都会では星の光点が少ない為かそれでだけでも障害になる。
感覚が狂うのは少し気持ちが悪い。蓮子は目をつむった。すぐにメリーの顔が浮かんだ。その幻に漠然と問いかける。
「メリーは今何をしてるかな」
ずいぶんと乙女チックな事だ、と苦笑いする。
それから夕方の事をふりかえる。メリーはあまり突っ込んでこなかったけど自分の態度をどう思ったのだろう。たとえ友人が彼氏の事を隠していたからといって、あそこまで怒るのは普通じゃない。
「……しかたないじゃない? だって、メリーなんだから」
蓮子は暗い天井に呟く。
特別な相手なのだから、こちらの反応だって特別になるに決まっていた。
「メリー……」
宇佐見蓮子にとってマエリベリー・ハーンは世界で唯一の仲間だ。この世界に確かに存在する未知の領域を、多くの人が気づきもしないこの世の不思議を、一緒に共有できるただ一人の仲間。ようやく出会えた掛け替えのない人。
「他の誰かになんか、メリーを取られてたまるもんですか」
蓮子は真剣にそう思っている。自分だけの相手でいてほしいからこそ自分だけの愛称だって考えた。
けれどそれは、蓮子はメリーの事が好きだとかそういう感情ではない――おそらく。
ただそれと似た、いやあるいはそれより強い独占欲が蓮子の心には確かにあるのだ。
メリーにとっての一番特別な相手でありたいし、特別な仲でありたい。
その切なる想いが、例えば夕刻の一件のように、時折蓮子に普通じゃない行動をとらせる。
けれど蓮子はその特殊な心の内をメリーに告げられずにいる。
メリーは自分の事をどう思っているのだろう? メリーにそんな自分の気持ちを伝えたら彼女はそれをどう思うのだろう? もしも気持ち悪いと思われたら……。
そしてまた蓮子は、メリーを思う。
「口紅……」
ベッドから降りて、電気は消したまま、鏡台の化粧箱をあさる。それほど充実した化粧箱でもないから目的の口紅はすぐに見つかった。キャップを開ける。暗がりの中で抜き身になった真紅がエロティックな艶やかさをかもしだす。
――メリーの唇に触れた口紅。
そう考えたとたん、蓮子の体内を心臓のあたりから脳天にかけて、何か得体の知れない高揚が駆け巡った。ぬるい焼酎を脳髄に流し込まれるような……。
「メリー」
赤い口紅がメリーの柔い唇とダブって見えた。
蓮子はゆっくりと己の唇に口紅を近づけてゆく。唇にぬる、というのではないく、明らかにキスをするという様子で。
自分がどんなつもりでそんな事をするのか、それは蓮子にもよくわからなかった。自分はレズビアンでは無いとは思う。同性に興奮したことも無い。ただメリーに対してだけは、友情も、仲間意識も、そして愛情も、あらゆる気持ちを感じてしまえる。蓮子の異能を心から信じ、蓮子という異常な存在を全て肯定してくれる唯一の相手。メリーが一緒にいてくれないと蓮子は未知の世界でまた一人ぼっちになってしまう。
「メリー……」
蓮子の吐息が、わずかに濡れた。
口紅は、思ったよりも冷たかった。
翌朝目覚めた蓮子は昨夜の痴態を思い出して頭を抱えた。窓の外の青空が眩しい。
「深夜のテンション……かなぁ。何やってんだか」
冷たい水で顔を洗う。赤らんだ頬がようやく冷めた頃に机の上の携帯がなった。
メリーだった。
「もしもし。起きてるよ。うん。予定通りの待ち合わせで。じゃあね」
今日は秘封倶楽部の活動日である。
一面記事を読みながらご飯を食べ。髪をとぎ。化粧をして。鏡の前でダンスをしながら服を着る。
ちょっと迷ってからあの口紅で唇をなぞった。
少しだけいつもより綺麗な自分になれた気がした。
神戸諏訪山――
六甲山系の麓。神戸市ニュー元町に面した小さな山である。名前の通り諏訪大明神を祭る山だ。二車線の道路沿いにある階段を少しのぼると諏訪神社がある。
涼しい週末。薄い雲が少しいるが、秋晴れである。
「うーん。期待したほどじゃあなかったかしら」
メリーが幾分落胆した調子で言った。
二人はすでに諏訪神社を見終わって、今はその裏手から伸びる長い石階段を登っている。
蓮子が後ろを振り向くと、階段の眼下に諏訪神社がこじんまりと鎮座していた。敷地も社もごくささやかなものだ。見て回るのにしても三十分もかからなかった。
「まぁ。諏訪大社みたいには、ね」
「結界の裂け目すら一つもなかったなぁ。長野の諏訪はすごかったんだけど」
蓮子とメリーは以前に諏訪大社を訪れたことがある。その時にすっかり諏訪を好きになってしまっていたのだ。山に囲まれた美しい湖の景色もさることながら、メリーいわくの異常なほど沢山存在する結界の隙間や、そしてなによりこの地に残る不思議な言い伝えが二人の心を虜にした。
『百年ほど昔。この地にいた神様は諏訪湖と共に別の世界へ攻め入っていった。今存在する諏訪湖や諏訪大社は神様が残した模造品にすぎない』
諏訪湖のほとりで日向ぼっこをしていた何人かの老人が二人にそんな事を話してくれた。百年前とは言っても、すでにこの国が近代化して久しい頃である。そんな時期にそんな話が残っている事は異常だ。二人は大いに瞳を輝かせた。そして調査するうち、その頃を境に諏訪湖の水質が微妙に変化しただとか、当時の巫女が一人失踪しているだとか、何かを匂わせる情報も現れて、以来二人は諏訪伝説に魅いられてしまったのだ。もちろん、奇妙な自然現象や別個の事件を人間がかってに結びつけてありもしない与太話を想像した、なんて無粋な事を秘封倶楽部のメンバーは絶対に言わないのだ。
「まーしかたないじゃないメリー。今日は天気も良いし。あとは観光ね。デートよデート」
「……なんで蓮子と」
「する相手いないでしょ?」
「お互い様でしょ」
二人で肩を小突き合う。
昨晩あんな事をしておきながら、そういう冗談を軽く言えてしまう自分が、蓮子はなんだか可笑しかった。
メリーの反応がそっけないのが少し寂しかったが。
二人はそのまま神戸の町並みを眺めつつ山を登った。と言ってもコンクリートで舗装された坂である。三十分もしないうちに『ネオビーナステラス』と名づけられた展望台にでた。
そして二人は広場の光景に目をむいた。
「うわぁ。何これ」
「南京錠……みたいね」
広場の柵という柵に膨大な数の南京錠がとめられていた。広場の中央に備えられた六基の前衛的な鉄骨オブジェ『愛の鍵モニュメント』とやらにも隙間無く鍵がとめられている。
「すごい。幾つあるのかしら」
「南京錠伝説……縁結びのおまじないみたいね。このモニュメント、最初は一基だけだったんですって」
メリーが広場の案内板を読みながら説明した。
蓮子があたりを見回すと確かにかなりの数のアベックがいた。家族連れや散歩のお年寄りもいるからアベックだらけというわけではないのだが。
「どうする? 私達も付けていく? 南京錠売ってるけど」
メリーがさらっとそんな事を言った。
「え、ええーメリーと?」
「何よ蓮子ったら。変な顔して」
本当は全然嫌じゃないのにメリーの目を気にしてそんな反応をしてしまう。
「だってこれ、恋人同士がするおまじないなんでしょ?」
「縁結びって男女の事だけじゃないみたいよ? 家族とか、友達とかだって」
「あ、ああ……そうなんだ」
「馬鹿ねぇ。何を意識しちゃってるのよ。気持ち悪い」
「い、意識なんかしてない」
蓮子はもちろん意識しまくりだった。
こういうところで妙に抵抗を感じてしまうあたり、やっぱり自分はレズじゃあないよね、とは思いつつ、変に気にしてしまう事自体ちょっとおかしいのかな、と複雑な気分になる。
二人は売店で南京錠を買った。
鍵だらけのモニュメントになんとか自分達の場所を見つけようとする。
どこか浮ついている自分を感じて蓮子はまたおかしな気分だった。
ようやく場所を見つけて二人がいそいそと鍵をつけようとした時だ。
背後から誰かが二人を呼んだ。
「あれ? 蓮子とマリーさん?」
振り向くと、そこには手を繋いだ一組の男女がいた。蓮子のゼミ仲間だった。
「おー。やっほー」
蓮子は手を振って、メリーは静かにペコリとお辞儀をした。
蓮子が親しげに言った。
「やー羨ましいねぇ。何してんの? って、デートにきまってるか。あはは」
友人二人はゼミ内でも付き合っている事を公言しているのだ。
「みてみて蓮子。二人の名前を書いたの! 一度ここに来てみたかったのよねー」
にこにこと笑っている友人の手には、可愛い文字で二人分の名前が書かれた銀の南京錠があった。
続いて隣の彼氏が人のよさそうな笑みを浮かべて言った。
「そっちは二人で何してんの? なんとかっていうサークル活動?」
「ええーこんなところで?」
その二人の笑みが、蓮子の手に握られた南京錠を見つけた。
するとその顔にきょとんとしたものが混じった。
「あれ、蓮子とマリーさんも南京錠……を……?」
友人の言葉が尻切れて、微妙な沈黙。
明らかに場の空気が奇妙な色に変わりつつあった……。
――女同士で?
友人達の見えない声が蓮子にはっきりと聞こえた。
だがメリーが、さらっと空気をもとにもどした。
「本当はこの下の諏訪神社にきたんだけど、そのついでにね。すごい数の鍵だよね。どうせだから、私達もやってみようかって。友人や家族の縁を強めるおまじないでもあるみたいだし」
「あ、ああ、そっか。ほんと仲いいよな二人って」
完全ではないけれど、それで場の雰囲気はおおかた元に戻って、四人はベンチに腰掛け、神戸の空を眺めながら、お喋りをした。
少ししてメリーがトイレに立った。
「広場の反対側にあったよ」
教えた友人に礼を言って、メリーの金色の背中が小さくなっていった。
なんとなく、三人でその背中を眺める。
「マリーさんて本当に綺麗よねー」
と、彼女がほぅと感心の吐息を吐く。
「だよなぁ。なぁ蓮子。ぶっちゃけた話さ」
と、彼氏が、冗談ぶった口調の中に本物の興味をちらつかせながら蓮子に聞いた。
「お前らってさ……マジにそーゆう仲だったりする?」
あまりにも唐突でさすがに蓮子もたじろいでしまう。
「へ!? い、いきなり何よ」
「やー二人ともメチャ仲良いしさ、なんかこう、雰囲気もあるし……『メリー』とか二人だけの愛称なんてさぁ」
「雰囲気って……曖昧な」
彼氏をなんとかしてくれ、と彼女の方に助けを求めると、しかしその彼女もまた興味しんしんという顔をして彼氏の疑問に追従していた。蓮子は溜め息を吐いた。
「いやでも俺さ、もしそうだとしても全然気にしないぜ。二人ともすげえ良い奴だし。まぁ、ちょっとはびっくりするけど……」
「うん。あたしも」
「て、適当な事言わないでよ。だいたいメリーには国もとに彼氏がいるんだから。知らないの?」
照れ隠しではないと思うのだが、蓮子は少し口調を尖らせながらデマを口にしてしまう。
「え、そうなの?」
と、彼女は簡単にのってくれた。しかし、彼氏のほうはなぜか奥歯にものがつまったような顔をしている。
「……あんまし、お前のまえで言いたくないんだけどさ」
「何なのよ?」
「それって、嘘じゃないかっていう奴もいる」
蓮子はドキリとしながらも、まぁわざと流した噂なんて、そんなもんかな、と内心肩をすくめさせた。
だが、彼氏が次に言ったことは、蓮子を心底仰天させた。
「二人が付き合ってるのを隠すために自分達でわざと流した噂じゃないかって」
「は、はぁぁぁ!?」
「ご、誤解しないでくれな。俺は……普段のお前らを見てて、付き合ってるのかなってそう思ったんだ。けど、そうやってよく知りもせずおもしろがってそういう奴もいる。まぁ……どっちも大差はないのかもしれないけど……」
蓮子は立ち上がって拳を握った。激しい憤りが胸のうちにあった。
「ふざけんじゃないわよ!」
と、人に聞かれるのも気にせずに神戸の空に怒鳴る。
「れ、蓮子?」
「もし私が本当にメリーと付き合うとしても私は隠したりしない! どうどうと付き合うわっ」
友人達はそんな蓮子をあっけにとられて……それから顔を見合わせ、そして気持ちの良い笑い方をした。
「ははっ。だよな。うん。お前はそういう奴だよ」
「蓮子ってちょっと変ってるけど、でも我が道を行くってやつよね。蓮子らしい」
「私……らしい?」
蓮子はふと、何かに気づかされた。
「そうだよー。人からどう思われても、自分のしたいようにする。蓮子ってそういう奴でしょ?」
「だよな」
「……そっか、そうだよね」
蓮子は振り上げていた拳を下ろして、ぺたんとベンチにお尻から倒れこんだ。
――私は自分の気持ちをメリーに隠してるんだな……。どうどうとせずに、こそこそと……。怯えて……。
思いがけず、蓮子はそんな事に気づいてしまった。いや今までだって気づいてはいたのに、怖いから、その事を見てみぬふりしていた。
友人達は、蓮子の急な変化に不思議そうな顔をしていた。
それからメリーがトイレから戻ってきて二組はまた分かれた。
「頑張れよっ」
先ほどの蓮子の様子を変に邪推したのか友人達は余計な別れの挨拶をよこした。
メリーは首をかしげ、蓮子はあさっての方を向いた。
「ちょっと蓮子。ちゃんと持っててよ」
「……あ、うん」
二人で南京錠をかける。
蓮子が鍵本体を持ち、メリーが逆U字の鉄腕を押し込む。
蓮子はなんとなくずっと気持ちが漂っていた。ふとメリーの顔をじっと見つめてしまったりして今ひとつ心が定まらない。
後は錠腕を一押しするだけ、というところで手を止めてメリーが聞いた。
「願い事とかしたほうがいいのかしら」
「……あー。うん。そうね」
「どんなのがいい?」
「ん……秘封倶楽部の活動が末永く続きますように、とか」
「無難ー。けど、本当にそうね」
メリーがくっと力を入れる。蓮子の手に少し圧力がかかる。カチっと音がして南京錠の腕がはまった。
「叶うといいわね」
と、メリー。
「……そうねー」
けれど、この錠が先々何十年もここに存在するのだと思うと不思議な感慨があった。
それから二人は少し時間をかけて摩耶山に移動し、マグネウェイ――人工永久磁場を利用した小型リニア。前世紀のロープウェイにとって代わった――で頂上に上り、二人で夕焼けを眺めた。崖に面した手すりに二人並んで肘をつく。
「綺麗ね」
「……そうねー」
錠をかけてから今まで、蓮子は何度か自分の心を取り出して眺めていた。
恐れ、不安。そんな感情が渦巻いていた。自分の本当の気持ちを伝えたら、メリーになんて思われるかな、という恐怖だ。それに縛られていた。
「ねぇ蓮子。なんだかずっと上の空ね」
どうやらメリーも相方の様子に気づいていたようだ。
「……う。ごめん」
蓮子の潔い精神が自分のそんな状態をいやがっていた。
「ねぇメリー」
「なに?」
不確定な未来を恐れて、今の自分に閉じこもるのは自分ではないと思った。
蓮子はもう一度拳を握って、そして言った。
「私。メリーに黙ってた事があるの。ごめん」
メリーが少し眉を上げて蓮子を見た。
蓮子の目は空を眺めているようで眺めていない。
「と言うか、ちゃんと伝えていなかったというか……」
蓮子は、誰しもには明かさない無防備で脆い心の底をメリーにだけ見せようとしているのだ。気軽にできる事じゃない。勇気もいる。
早くも蓮子の鼓動が駆け始めていた。頬にあたる六甲の風もさきほどより冷たくなった。
「ふぅん。それで上の空だったの。色々考えてたのね」
「そうなのよねぇ……聞いてくれる?」
「ええ。いつでもいいわよ」
それから少しの沈黙。メリーはきっと、蓮子が話すまで黙って待つのだろう。
緊張から、蓮子は唾を飲んだ。
だがシチュエーションは上々だ。関西圏を一望できる絶景と、オレンジに燃える幻想的な空と雲。地上800メートルの風と、香る緑。そして、触れ合う互いの肩。
込み入った話をするのに悪いタイミングじゃない。
蓮子は腹に力を入れた。
「ふぅ」
未来が叶うように願うのではない。願う未来は、己の手で叶えるのだ。それが蓮子なのだ。
「ねぇメリー」
「うん」
「現在。16時21分34秒ね。あそこに一番星」
「日が落ちるが早くなったわね」
「この目の事を心から信じてくれるのはメリーだけよ」
「そうね」
「だから、私の全てを理解してくれるのは、メリーだけ」
「……全てと言い切るのは早計だけど。そうかもね」
「今だ解明されないこの世の真実を求めて、私は超統一理論の道を選んだ。それは私自身の証明でもあるの」
「あまりつっこむのも申し訳ないけれど何かのモノローグみたい」
メリーがいちいちチャチャを入れるので蓮子が肘でつついた。
「うるさいわねっ。緊張してんだからっ」
「ごめんなさい。……実は私もちょっと。だから許して」
「そ、そうなの?」
「だって……すごく大切そうな話じゃない」
メリーの顔が少し強張っていて、蓮子はちょっとだけ気が楽になった。
「まぁ、ね……ごほん。秘封倶楽部をつくったのは、この世の不思議を見つけて、世界にはそういう事があるんだって証明して、自分を認めたかったから。だって、その頃私は一人だったんだもの。誰も私の目の事を信じてくれなかった。まぁ、無理もないけど」
「孤独感、ね。分かるわ。私も……」
「でも今は、メリーがいてくれる。メリーだけは私の全部を信じてくれる。同じ世界を見てくれる」
「……」
「で、まぁ、言いたい事はここからなんだけど……」
「……うん」
蓮子は一呼吸おいてから、きっぱりと言った。
「私。メリーに彼氏ができたら、嫌」
メリーは大げさに手すりに頭をうずめて、うめいた。
「え? なんか今、話がとんだような……」
蓮子はあわてて自分の言葉足らずを補う。
「え、ええと、つまりね。メリーは私の特別な人よ。私もメリーの特別な人でいたい。でも、メリーに彼氏ができて、将来その人との間に子供ができたりしたら」
「え、う、うん?」
顔をあげたメリーは目を白黒させながら、なんとか蓮子の話についていこうとしていた。
「そしたら、その人はメリーにとってすごく特別な人になっちゃうじゃない? きっと、私以上に。それが嫌なの。メリーに私以上に大切な人ができるのが」
「うー……なんとなく、蓮子の言いたい事は分かるけど」
「そう? よかった」
「それで……蓮子は私にどうしてほしいの……?」
「うん……。でも私がそんな我侭を言ったって、いつかはメリーにだって恋人はできるだろうし、それはしかたないじゃない? でも頭では分かってても、今の私には、まだ気持ちの覚悟ができてないの。だから」
蓮子は顔の前で両手を合わせて、メリーに頭を下げた。
「だからお願い! せめて大学にいる間だけは、ううん、来年まででもいい! 彼氏とか作らずに、私と一緒にいて! その間に、私もっと強くなるから! メリーがいなくても、一人で秘封倶楽部ができるくらいに!」
「蓮子……」
全部言えた……と蓮子は思った。とても他人にはいえないような、心の底の底までさらけ出した。頭は沸騰しそうで、脳みそがカッカしている。顔が熱くてじんじんする。けれど……とてもすっきりした気分だった。
後はメリーさえ気持ちに応えてくれたなら。
そのメリーは、神戸の町並みを眺めながら固まっていた。実際はどこを見ているのだろう。
「私……今、蓮子に告白されたのかなぁ?」
どこか力のぬけた声で、メリーはやっとそう言った。
蓮子は一緒に空を見つめながら言葉を返した。
「好きとか恋とか、そういうのかどうかはわかんないわ。正直、自分の気持ち、よくわからないのよね。そういう趣味があるって、思うようなことも今までなかったし。けど私、メリーをほかのだれにも渡したくない。それは本当の気持ち」
メリーは、すぅーはぁーっと、見えている雲の全てを吹き飛ばしそうなくらい、大きく深呼吸をした。少し顔が赤いのは、やっぱり夕日のせいだけではないだろう。
少しむずがゆそうな顔で、蓮子に微笑みかけて、言った。
「とりあえず帰ろっか」
「へ!?」
と、蓮子はたまげた。
「で、でも返事がまだなのに……」
「だって」
と、メリーの瞳が揺れていた。頬が紅潮したその恥ずかしそうな表情は、蓮子が今までにみた何よりも可愛らしい。
「こんな事言われたの初めてよ。ちょっと頭が混乱して……時間、ほしい」
「いや……けど……」
実のところ蓮子は、NOという返事が返ってくるとは思っていなかった。すぐにYESが返ってくると思っていた。だってメリーも昨日いっていたのだ。『今は彼氏をつくるつもりはない』と。
やっぱり自分の言った事に引いたのだろうか? 気持ち悪がられたのだろうか?
違う理由で、蓮子の鼓動が高まった。そして顔が今度は冷たくなった。
「晩御飯はどうする?」
メリーがどうでもいい事を聞いた。
そんな事知るか! と蓮子は思った。
「何か買って、蓮子の家で食べよ?」
「う、うん」
とりあえずこのまま各自の家に帰る、という最悪の選択肢ではなかったので蓮子はホッとして痙攣まじりに頷いた。
蓮子の家に帰るまでは時間にするとけっこうな間だが、二人はほとんど口をきかなかった。ただ、視線だけがなんども交わった。向かいあった電車の席。お互いに窓の外を眺めているフリをしながら相手の様子を探り合っていた。
蓮子は内心かなりまいっていた。
なぜなら、やっと自分の心の底を吐露したのにそれ以前にもましてメリーの気持ちが分からなくなってしまったのだから。どうしろというのだろう。待つしかないのだろうか。
けれど――蓮子が本当にまいってしまうのは、まだまだこれからの事だったのだ。
晩御飯は、近所のお好み焼きやで持ち帰りをした。店で食べるのは、メリーが嫌がった。たしかに蓮子も、そんな気分ではなかった。
家路を並んで歩く二人に言葉は無い。三階建ての蓮子のアパート。エレベーターはない。最上階にある蓮子の部屋まで階段を登る。蓮子が前で、メリーが後ろ。蓮子は階段を登る間中背後のメリーの音が気になってしかたなかった。足音とか、お好み焼きの入ったビニール袋のがさがさという音とか、それだけなのだが。
玄関の鍵を開ける。蓮子がドアを開ける。
「ただいまー……」
普段はそんな事言わないのに、何故か今は言ってしまった。
「おじゃまします……」
と、控えめにメリー。
蓮子が蛍光灯をつける。
1Kで、部屋の家具はベッドと簡易テーブル、机、化粧台と箪笥。細々したものは押入れに。
二人はまだ無言。
蓮子は鞄を床に下ろした。お好み焼きの入った袋を机に置いた。背後でメリーが同じようにする音を聞いた。そして蓮子は上着を脱いだ。
蓮子は、振り返って、メリーに言おうとした。
『メリー? できれば食べる前に返事を聞かせてほしいんだけど』
だが、蓮子は言えなかった。言おうとして――
「メリー? できれば食べる前にへ――きゃぁ!?」
背後にいるメリーに蓮子が90度ほど振り向いた時である。
この上なく突然にメリーが蓮子にしがみついてきたのだ。相撲取りが相手のマワシを取るように、という言うのは変だが、まさにあのような勢いでメリーが全身をぶつけてきた。
「ちょっ、な、何っ、うわぁ!?」
そのまま蓮子はベッドに押し倒されてしまった。
視界の上から天井が前面に回りこんでくる。目の前にメリーの金髪が広がった。何が起こったのかわからず、一瞬あぜんとする。メリーの頭は蓮子の胸元あたりにある。メリーが蓮子の胴に手を回してきた。そのメリーの腕にぎゅっと力が篭る。体が密着した。
「ひゃ!?」
さらにメリーが蓮子の首筋に顔を埋める。妙に熱い吐息が、蓮子のうなじにかかった。
蓮子の背中にゾクリと電気が走る。
「メ、メリー! メリーメリー!? メリーメリーメリー! メリーーー!?」
蓮子は何度もメリーの名前を叫んだ。何度叫んだか分からなかった。
その間もメリーは何度も蓮子の首筋に唇を触れさせ、同時にその手の平が蓮子の背中をさすり回した。二人の足がベッドの上でからんだ。
「蓮子の馬鹿っ」
メリーが蓮子の耳元で、苦しげに呟いた。
「あんな事言われたら、私、もう我慢できないっ」
「メ……リィ……?」
「蓮子と一緒にいる時も、蓮子と一緒にお風呂に入る時も、蓮子と一緒に同じ部屋で寝る時も、私、すごいドキドキしてた、でも、ずっと我慢してたのに」
「何、言ってるの……?」
「だって蓮子に、気持ち悪いって思われたくない……っ。私にだって蓮子はたった一人の……」
蓮子はとうとう声がでなくなった。何が起こっているのか理解できなくて。頭が混乱して。メリーの言っている事がわからなくて。
「でももうだめ……耐えられないっ。私、蓮子が好きっ」
かみ締めたメリーの声はすすり泣いているようにも聞こえた。
蓮子がそう思った直後、メリーの手が蓮子のブラウスの中に入ってきた。
メリーの冷たい手が蓮子のわき腹の肌に直接触れる。それが蛇のような動きで乳房までのぼってきた。
「ひっ」
蓮子は本能的な悪寒を感じた。それで、思いがけず悲鳴が漏れてしまった。
「メリー! やめて!」
その拒絶こそメリーが一番恐れていた声なんだ、とふいに蓮子が直感したのは、メリーの手がピタリと止まったそのすぐ後の事だった。
「……ごめん。ごめんね蓮子」
メリーが幽鬼よりも暗い声で、ゆらりと起き上がった。
「メ、メリー……」
ベッドから立ち上がったメリーの背中は泣いているようだった。震える手で鞄を取り、聞こえるか聞こえないかの声で蓮子に告げた。
「ごめんね。帰る」
それで蓮子は、慌てて飛び起きた。ふらりと玄関に向かうメリーの腕を思い切り掴んだ。
そして叫んだ。
「絶対駄目! 帰っちゃ駄目!」
振り返ったメリーは、頬にまで髪がばさばさになって、涙は流れていないけれど瞳はとびきりに潤んでいて、迷子になった少女みたいだった。
蓮子はまだ混乱している。メリーと何を話さなければいけないのか、そんな事はわからなかった。だがら、口からでた言葉は随分と間抜けなものだった。
「お好み焼き……まだ食べてない」
もっと気の利いた事は言えないのか! と蓮子はポンコツな己の頭を恨んだ。
それでも、メリーはほんの少しだけ救われたような顔になって、小さく頷いたのだった。
お好み焼きの味はさっぱり分からなかった。それでもなんとかもそもそと半分まで食べた頃、蓮子が始めて口を開いた。
「メリーは……」
メリーも箸をとめた。
「えと、女の子が好きな人なの?」
おずおずと、あえて核心をずらして蓮子が聞いた。
メリーは、恐る恐る、という風に頷いた。
「……黙ってて、ごめんね」
蓮子は二切れお好み焼きを食べる間に、返事を考えた。たいした返事は浮かばなかった。
ただ、自分の知らないメリーがいたことに驚いていた。メリーの事はなんでも知っていると自惚れていたのだ。
「メリーったらまた私に隠し事してたんだ。……う、ごめん。今のはイジワル」
蓮子だってメリーに対しての想いを今日までずっと言えずにいたのだから。
「蓮子に嫌われるのが、怖くて。でも、私、蓮子があんなふうにいってくれたから、すごくドキドキして、気持ちを抑えられなくて。……家に帰るまで、必死に我慢してたんだから」
メリーが囁くようにいった。外国美人のメリーが力なさ気に呟くのは、本当にどこかのお姫様みたいだった。
ひょっとして、過去に何か嫌な経験があるのかな? と蓮子は思ったが、それを聞くような事はしなかった。今大切なのは、自分とメリーの事なのだから。
「メリーの気持ちわかる。私も、メリーに彼氏を作ってほしくないって伝えるの、気持ち悪いって思われるかなって、すごく怖かった」
蓮子はお好み焼きのパックを机において、メリーの揺れる目をじっと見つめた。
「けどそれが私の本心だもん。メリーには全部伝える。メリーもそうしてくれると嬉しいなぁ」
「蓮子」
「大丈夫だよ。私、ちょっとやそっとじゃ、ううん。とんでもないことでだって、メリーを嫌いになったりしない。どんなメリーだって、私は受け止めるわよ。だって私は……メリーに首ったけなんだもん」
そう言って、蓮子はメリーに、世界一の笑顔になるように頑張って、にっこりと笑いかけた。今だ、メリーがレズだという事には少しの混乱がある。けれど、自分のメリーへの想いが変らない事に間違いはなかった。
メリーは少し驚いた顔をした後、自分も笑おうとしたようだ。けれどその前に、ポロリと一粒涙が零れ落ちて、それで、笑えなくなってしまったようだった。メリーは俯いて、金のベールで泣き顔を隠してしまった。
「ありがとう蓮子……」
かすれた声で、そう聞こえた。
「メリー……」
蓮子はそれから、またお好み焼きの残りを食べ始めた。
ちょっと情けないけど、今どんな言葉をかけたらいいのか、よく分からなかったのだ。泣きたい時は泣くのがいい。どこかで聞いたそんな言葉を、とりあえず頼った。声も無く肩を震わせるメリーをおかずに、蓮子はお好み焼きを食べた。
蓮子が食べ終わる頃に、メリーは泣き止んだ。半分ほどのこっていたお好み焼きをメリーも食べ始めた。
食べながら、メリーは赤い目で蓮子を睨んだ。
「蓮子って、ほんとデリカシーがないのね」
「う。否定はしません」
「さっきみたいな時はね。黙って肩を抱いてくれたらいいのに」
「……覚えときます」
泣きながら色々と考えたのか、単にすっきりしたのか、メリーはほとんどいつものメリーに戻っていた。蓮子は、泣いているメリーなんて見ていたくなかったから、安心した。
「それで、さ。一応。もう一度確認なんだけど」
蓮子が聞いた。
「メリーはつまり……私の事が好きなの? その、男女的な意味で。男女じゃ、ない、けどさ」
言葉を詰まらせながら、なんとか言い切る。
お互い目を合わせるのが、なかなか難しかった。
「……うん」
メリーがこくりとうなずいた。
蓮子は、不思議な暖かいモノに、心が満たされるのを感じた。
それからメリーがお好み焼きを食べ終わった。そして立ち上がった。
「メリー?」
メリーは机を回り込んできて、蓮子の隣に腰を下ろした。
そして、頭を蓮子の肩にあずけて、手を絡ませた。
「メ、メ、メリィさん?」
「もう。もっと、堂々としてよ」
「へ? は、はぁ……」
メリーはしばらく黙って蓮子に寄り添ったあと、何も言わずに、ちょっと顎を上げて、目を瞑って、蓮子に顔を向けた。
「え」
蓮子はメリーが何を求めているのか、分かってしまった。
あの口紅の事が、頭に浮かんだ。今、本物が目の前にある。
蓮子は食い入るようにメリーの唇を見つめた。ピンク色で、柔らかそう。キュッと結ばれて、少し、震えている。
そして蓮子は――。
「ご、ごめん。ちょっと、そういうのはまだ」
――とんでもない事を言ってのけた。
「はぁ!?」
メリーの目がつり上がった。絡んだ腕に、力が篭った。
「な、何よそれ!?」
「いや、だ、だって」
「蓮子も私の事、好きなのよね!? え? 違った?」
怒り半分、不安半分、という様子でメリーが迫った。
「もちろんメリーは世界で一番大切な人よ。メリーの気持ちが本当にうれしい。で、でも」
「でも何よ」
「お、女同士で、そういう事とかは、その……あんまり考えたことなくて……ま、まだ心の準備が」
そうなのだ。心の奥の肝心なところで、二人は噛みあっていない。メリーはずっと恋の感情をいだいていたけれど、蓮子は少し違うのだ。それは、これからゆっくりと調整してゆかなければならないのだが……。
「な、な……」
怒りのあまりか、メリーは口をぱくぱくさせて、蓮子を凝視した。
蓮子は何も言えず、そのメリーから目をそらし続けていた。
するとメリーが立ち上がった。そして言い捨てた。
「帰る! 心の準備ができた時にでもまた連絡して!!」
「ええええ! メ、メ、メリー待って!」
先ほどメリーを呼び止めたときのかっこよさは微塵も無く、蓮子はメリーの足にしがみついた。
「離して!」
「駄目ー! 帰っちゃ駄目ー! 一人にしないで!」
「うるさーい! 彼氏を作るなとか、何もかも話せとか、私には好き勝手言うくせに! そのくせ蓮子はキスの一つもしてくれないなんてふざけてるわ!」
そう言われると、たしかに蓮子には何も言い返せない。
「するから! いつか絶対するから!」
と、情けない口約束が精一杯。
「今すぐしてよ意気地なし! ……ほ、ほんとは、やっぱり私の事を気持ち悪いと思ってるんじゃ」
メリーの弱気になった声を聞いて、蓮子の顔つきが変わった。その想いだけは本心だから、心に気合が入るのだが……。
「そんな事ない。絶対に無いわメリー」
「蓮子……」
「私、メリーがかってに使ったのあの口紅にこっそりキスしたもの」
「そ、そんな事してたの蓮子……。じゃ、じゃあ私にもしてよ!」
蓮子の顔から力が抜けた。
「す、すぐは、その……」
「もう!」
と、メリーがじたんだを踏んだ。
「じゃあ口紅をだして!」
「へ?」
「早く! 今すぐ!」
蓮子は背中を押されて、どもりながら、化粧箱をひっくり返した。
口紅をとりだすと、メリーがそれをひったくった。
メリーはキャップを取り外して、高速で底を回してもりもり本体を露出させた。
そして二人の顔の間に、それを掲げた。
「な、何をするのメリー?」
「口紅ごしでいいから、して」
「へ……? えぇぇぇぇ!? 何それメリー!」
つまり、口紅の円柱の片方に蓮子がキスをして、その反対側にメリーがキスをする、という事だ。
その妖艶な情景を頭に思い浮かべた蓮子の頬が、ボッと燃え上がった。
「な、なんかえっちぃよ!?」
「蓮子が直接してくれないからよっ。さっさとしてっ。私……ずっと蓮子とキスしたかったんだから! やっとできると思ったのに……」
「う、うう」
有無を言わさぬメリーの勢いに、蓮子は屈服していまう。
蓮子はしぶしぶ少し顔を傾けて、口紅に唇を近づけけていく。その向かいでは、メリーが同じように、顔を寄せる。ほとんど、直接にキスするような感じだった。
――ちゅ
と口紅にキスをした。反対側では、メリーが。メリーの少し高い鼻が、蓮子の頬に触れる。視界も、匂いも、メリーで一杯だった。口紅は冷たいはずなのに、蓮子は唇が温かかった。メリーの唇の熱が、口紅を通して伝わってきたみたいに思えた。
メリーは、目をつむって、静かになった。まるで、蓮子と直接キスしているのだと自分に言い聞かせているようで、蓮子は少し申し訳なかった。
数秒して、二人は離れた。互いの唇に、まったく同じ色の赤。
潤んだ目で、メリーが蓮子を睨んだ。
「早く心の準備をしてっ」
「はぁい……」
メリーの唇の赤にドギマギしながら、蓮子はへにゃりと頷いた。
それから数日が経って――
「メリー。今週はどうする?」
「そうね。十津川村なんてどうかしら。少し遠いけど、今なら秋の山が綺麗よ」
メリーの私室。実家暮らしのメリー宅よりは、一人暮らしの蓮子の家のほうが集まりやすいけど、居心地のよさは断然メリー宅のが上だ。
大学が午前休講なので、その隙に週末の活動予定を話し合う。
二人でふかふかのソファーに隣り合って座る。
結局あれからまだキスはしていない。まだ蓮子が恥ずかしがっている。
だからその代わりとして、
「いいわねぇ。となるとバスか。電車が通じてくれてたら――って、ちょっとメリー! 痛いっ。噛まないでよ!」
「あ、ごめんね。あむあむ」
メリーは蓮子のみみたぶを吸っていた。キスの代わりに、今まで我慢してたことを蓮子が我慢できる範囲でいいからいろいろさせて、とメリーが迫ったのだ。
昨日は普通にひざまくらをさせられただけだったが、今日はちょっとあれで、みみたぶ吸いだ。
「ええと……メリー、お、おいしい?」
「うん。とっても」
蓮子は正直ちょっと気持ち悪いと思わなくもなかったけど、それを言うとメリーが本気で傷つくので、黙っていた。隠し事はしないといったが、まぁ、思いやりこそが円満の秘訣だ……。
「明日は何をしてもらおうかしら」
「……早く心の準備を決めないと」
ちょっと呆れた声でそう溜め息をはく。
けれど、とても人には言えないようなことをメリーが自分にだけ求めてくれる事が、蓮子は嬉しいのだ。
KASAさんはやっぱこの作風だなあw
我が道を行って欲しい
同性愛ものに限らず、初々しい恋愛物で一番たのしいのってやっぱ、二人が踏ん切りつけるまでの過程だと思うわけで
今回の作品は今までのKASAさんの百合ものとくらべて、その辺が楽しみやすくなってた、見所になってたのが凄く好みだった
百合という狭義、という枠に囚われず濃いめのラブコメとして楽しめました
それでいて、同性愛というジレンマも調味料として良く利いてたのがベリーグッド
よおだ?
>蓮子はメリの足にしがみついた
ーが抜けてました
蓮メリちゅっちゅ!!!
へたれんことメリーのやり取りがよかった、すごいニヤニヤさせてもらいました。
だが宇佐見が宇佐美となっていたので-10点
蓮メリ蓮メリ
タイトルは今のにして正解だと思います
男女的なアレかは別として相方の一番大切な人でいたいって蓮子の気持ちは分かるなあ…
早くヘタレ解消するんだ蓮子!!そしてもっと素敵な秘封ちゅっちゅへ!!
口紅キッスとかほんと逆に変態的。この変態っ! スケベ! えっち!
こういう過程がたまらない
お好み焼きなんて食べた直後にやってもほとんどソース味だぞ。
しかし、二人とも可愛らしいなぁ。
ただなんとなく印象に残りづらいような、そんな雰囲気がある気がします
自分でも書いてて把握しきれてはいないのですが、
グッと引きつけて離さないインパクトが内容の何処かに絡んでくると良作から傑作になる気がします
あとその口紅食べたいなぁ 二人とキスできるし一石二鳥だ
まあ、それはともかく、いい秘封倶楽部でした。
メリーはトイレに行ってるから、蓮子さんでは?
諸々の仕草がいちいち可愛過ぎて、ディスプレイから視線を背けたくなる程に……スイートでした
「読んでるこっちが恥ずかしいわ!」って叫びたくなる位に甘くて素敵な作品でした。面白かったです
蓮子がすごく大切そうに話を切り出す時。極度のマイナスとプラスの想像を往ったり来たりのメリーさんの心中を考えると......。内緒で相手の出方を観察していたのはお互い様なのに、蓮子がすごくずるく見えてくる不思議。
傷つき傷つけてでもまっすぐに向き合う未来は、ずっと先かもしれないし来ないままかもしれませんね。
これぞ秘封これぞ蓮メリ…
続きをイカr…ゲフンゲフン
蓮メリわっふるわっふる
蓮子がヘタレというよりも、気持ちがそちらに傾くまではしょうがない。同性愛だからねぇ。メリーはもう辛抱たまらんという感じだけど落ちつけw
実際に現実で起きてもおかしくない話でした。面白かったです。
これはお見事な秘封ちゅっちゅ。メリーがいちいち可愛くて可愛くてたまらんでした。
蓮子頑張れ!
ネーミングセンスww
迫るメリーに対する蓮子の対応が、並みではないところが流石だと感じます。
もう口紅を、化粧の為だけの道具だと見ることができなくなってしまいました……
安心の百合ですね~!
いいぞもっとやれ。
後半、蓮子がメリーの押せ押せにストップを書けてるのが残念^^(え
2人のお話がもっと読みたいですね~っ!期待してます!
タイトルの件だけど3を選ばずに居てくれて本当に良かったw
タイトルがこれで良かった。
こっちより先に眼球キッスを読んだけど、こっちの方が辛さや苦しさがなくて明るい気持ちで読めて心がほこほこした
KASAさんがきっかけで蓮子とメリーを好きになった
人気投票が近いけど、二人の一票増やさせてもらいます!大好き!