前回の「酒何杯で酒鬼を呑む?」及び「手のひらサイズの鏡の国」を読まれていないとちょっと超展開なので注意してください
「・・・・・『紫』・・・・・!」
メリーが、ほとんど掠れた様な声で、席に座る女性の名を、呼んだ。
紫と呼ばれた女性は、少し宙を見据え、思い出したように呟く。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・ああ、もしかしてぇ、マエリベリーなのぅ?久しぶりねぇ、ずいぶん大きくなったじゃない」
「あれから何年経ったと思ってるのよ。急にいなくなったかと思えばそれっきり連絡の一つもよこさないんだから・・・」
紫は手元のコーヒーに乗ったホイップクリームをスプーンで溶かしながら、メリーは席についてメニューを手に取りながら、再会の挨拶を交わす。
「見知らぬ相席の人と友人が知り合いだった」という、そうは無い事態に頭が追いつけないでいる蓮子が、その説明をメリーに求めた。
「ちょっと待ってよ、え?何?メリー、この人と知り合いなの?」
「ええ、でもわたしだってびっくりしてるわよ・・・・まさかこんな所で会うなんて・・・!」
「そうねぇ・・・私も驚いてるわぁ。貴女がマエリベリーだと判った今をもって尚驚いてるのよぅ?」
「・・・まさか、あの頃ほんの子供だった貴女がボーイフレンドを連れるようになるなんてねぇ・・・これが所謂「男子三日会わざれば剋目して見よ」ってやつかしらぁ」
「「女子です!!」」
意図するところは二つ、ツッコミの言葉は一つだった。
「実際、すごく小さな頃だったからはっきりとは思い出せないことも多いんだけど―」
14,5年前―
日本に来て間もない頃、マエリベリー・ハーンは周りの子供達と会話することも出来ず、遊ぶ時はいつも独りであった。だが、メリーはそれでも寂しいと思わなかった。
メリーが独りで遊ぶ傍らにはいつも彼女がいたから。
いつも変わらない、その姿。日傘を差して、自分の傍らに座っているその女性を、メリーは不思議に思ったが、不審には思わなかった。
「ゆかりー。こっち、こっちー」
そして、その頃のメリーは新天地での仕事に振り回されていた両親に代わって、紫に色々な事を教わった。
この世界の事。
私や、両親や、他の誰かの生き方の話。
昔のこの世界の事。
世の教師が真面目に考えたことの無い道徳や倫理、摂理の話。
もっと昔のこの世界の事。
昔話、物語、ありとあらゆる幻想の話。
「両親がビックリしてたわね。自分達ではそんなこと教えてなかったから」
「あの時期に覚えた物事はずっと根付くものなのにねぇ。早期の教育は大事ですわぁ」
「あ、クリームソーダ一つで」
自らの瞳の話。
他人には見えない物をどうするかの話。
「あまり人には言ってはいけないわねぇ、皆は持っていないものだから。持っていないものは欲しくなるものなのよぅ。『気持ち悪い』なんて事を言う輩もきっといるわぁ。だから誰にも言わないことねぇ・・・あなたを守るために。『知らぬが仏』とも言いますわぁ」
「しら、ぬが、ほ」
「それと、結界の裂け目を見つけてもあまり不用意に近づいちゃ駄目よぅ?何があるか判らないし、もしかすると均衡を崩すかもしれないわぁ」
「きん、こう?おかね、いれるところ?」
「それは銀行。・・・もう少し大きくなったら解るわぁ」
こうやって紫と話すことで、少しずつ日本語も覚えていった。ゆっくり話す彼女の癖が幸いしたのかもしれない。
「話し方の癖までうつらなくて良かったわ」
「あらぁ失礼しちゃうわぁ」
幼いメリーは紫に尋ねる。
「ねえ、ゆかり、わー、なんで、あれ、しってる?」
「あら・・・何のことかしら?」
「あれ」
メリーが指をさしたのは実家の裏庭にある大きな石の所に生じた小さな結界の裂け目だった。おそらく出来てまだ間もないのだろう。今にも消えてしまいそうだ。
自分以外に視えない筈のものを、紫が何故知っているのかメリーには不思議だったのだ。
「ああ・・・それはねぇ、お姉さんにも同じものが視えるからなのよぅ」
「ゆかり、みえる?」
「ええ、はっきりくっきり」
「みんな、みえない?」
「そうね・・・これがもう少し大きくなって、向こう側が見えるくらいになれば、皆にもわかるようになるわねぇ」
「むこう?」
「ええ、結界の向こう・・・いえ、内側かしら?」
それだけ大きくなれば写真にも写るようになる。日頃蓮子が見つけてくるのはこういう大きくなったものなのだ。
「えい」
メリーが裂け目に手を突っ込もうとして、慌てて紫が止める。
「駄目よぅ?勝手にそれに触っちゃぁ」
「おおきくするー」
「だーめ」
「ぶー」
「あったわねぇそんなことも~」
「いや結構衝撃の事実なんですけど・・・」
蓮子からしてみれば、自分達以上に結界に詳しい人間なんているとは思っていなかったのだ。それに、メリー以外に結界の裂け目が見える人間なんて、考えもしなかった。
「メリーにしたって今まで紫さんのことなんて一言も口に出さなかったし・・・」
「ついさっきまで忘れてたんですもの。顔を見てようやく全部思い出したわ」
「おねしょした布団を一緒になって隠したりとかねぇ」
「え!?ちょっとなんでそんなことまで覚えてるのよアンタ!?」
親戚のおばさんとかが覚えていそうな話題である。
それにしても、と蓮子は二人を見わたして言った。
「結局、二人はどういう関係なの?親戚とかじゃないの?」
ちょっと似てるし。
「私の実家の近所に昔紫が住んでて、気付いたら引っ越してた」
メリーが簡潔に答えた。
「仕事の都合であの辺に住んでたんだけど、転勤になったのよ」
紫がそれに続く。
つまりはそういうことらしい。
「さっきから当たり前のように話しているけどぉ、蓮子さんは結界の事についてご存じみたいねぇ?」
結界という自分達しか知らないはずの話題に蓮子という第三者がついて来ている事に紫が疑問符を浮かべる。
「どうして蓮子さんに貴女の眼の事を話したのかしらぁ?いくら友達でも駄目って言ったじゃない、そこまで忘れていたわけじゃぁ無いんでしょぅ?」
蓮子がそれについて知り得るとするなら、それはメリーからに他ならないのだ。
「だって蓮子って私よりも気持ち悪い眼を持っているんですもの。私の眼のことを話したくらいじゃなんとも無いわよ」
「あんたの眼だって大概じゃないの」
大概である。
「あらあら、仲が良いのねぇ」
メリーに危険が及ばないように禁止した事なので、紫としては本人が何とも無いならいいのである。
ここで、メリーが今更ともいえることに気付く。
「そういえば紫、聞きたいんだけど・・・何でここに居るの?」
ここは蓮子とメリーが通う大学内のカフェテラスである。間違いなく部外者である紫がここに来る理由がよく判らない。大学によっては警備の厳しい所なら確実に門前払いだろう。それに京都観光と言っても大学の中にまで入ろうとするのはちょっとばかりマニアックな嗜好だ。
「あ・な・た・に・会・い・に?」
「さっきまで私のこと忘れてたわよね?」
ちょっと可愛らしく振舞ってみた紫だったが、成長したあの日の幼子は思ったよりクールだった。時の流れは無情である。ああ無常。
あまりふざけていても仕方が無いので白状することにした。
「ちょっと友人に探し物を頼まれていてねぇ。私の情報網によるとぉ、どうやらこの大学にあるみたいだからわざわざ来たのよぅ」
一体どんな情報網なのだろうか、蓮子といい紫といい、「情報網」とか「裏表ルート」とかなんとなくそれっぽい単語を使いたいだけで実際には何もアテが無いんじゃないだろうか、とメリーはこの手の単語に対して胡散臭さを感じていた。主に蓮子の所為で。
「探し物ですか・・・良かったら手伝いましょうか?ここに慣れた人間がいたほうが早く見つかると思いますし」
蓮子が提案する。確かに人数は多い方がいいだろうし、ここに来たばかりであろう紫が一人で探すよりは、その方がずっと良いだろう。
「あらぁ、そんな悪いですわぁ」
「蓮子に遠慮したって仕方ないわよ?基本的に人の言う事を聞かないから・・・それで?紫は何を探しに来たのかしら」
遠慮しても無駄だと観念したらしい、紫は両手で長方形を作りながら言った。
「このくらいの、木のオルゴールなんだけどぉ・・・・」
「「――――――――――!」」
二人は絶句した。
忘れようの無い心当たりが在ったからである。
「蓮子・・・」
「うん、私もあれ位しか心当たりが無いわ・・・」
恐るべき雰囲気の音色を、恐るべき完成度で演奏するオルゴール。
未だ、二人が出来うる限りこの話題を回避しようとする代物である。
だが、メリーはこのオルゴールを所持している。
言い表す事の出来ない好奇の騎手に駆られて。
抗う事の出来ない興味の爪に狩られて。
もし今も鞄に入っているこれが紫の「探し物」であるならば。
メリーはこのある種の呪縛から開放されるのだろうか。吸い込むたびに肺を焼く、毒のような呪縛から。
「紫・・・そのオルゴールって、もしかして・・・これ?」
メリーが鞄からオルゴールを取り出す。書かれた文字について「蓮子か漢字辞書に聞こう」と思って持ってきていたのである。
刹那、紫の顔がぱっと明るくなった。どうやら当たりらしい。
「あぁ!正にそれですわぁ!本当に、ここにあったのねぇ・・・!」
紫自身、どうやらここにあるという間違いない確証は無かったらしい。見つかった事で心底、安心している様子だ。
「ふふっ、なんかあっさり見つかっちゃったわね。私としてはもう少し手強いほうが良かったんだけど。」
蓮子が、少し拍子抜けしたように笑う。
「TVゲームとかでたまにイベントの順番間違えるとこういう事あるよね。話しかける前から必要なアイテムもう取っちゃってるの」
「たまになら別にいいでしょう?いつもはなんだかんだで手強いんだから」
だが、二人には一つ気になる事が出来た。
「ねえ紫、そのオルゴールの持ち主って何者なの?こう言っちゃ悪いけど、あまり言い趣味とは思えないわよ?そのオルゴールに入ってる曲は」
そう、個人の所有物である以上はあの音楽を好き好んで聴いている人間がいる事になる。観賞用の美術品として持っている可能性もあるが、装飾の少なさからそれは無さそうだった。
「感性の違い、という物ですわぁ。例えば世界的に観た時に生の魚や発酵させた大豆を食べている人種なんて気が狂っていると思われるかもしれないけれど、真っ青なケーキやゴム味の飴を食べている人たちは日本人から観た時変だと思うじゃない?つまりはそういうことですわ。『人がある者に触れた時どう感じるか』なんていう些細な事は、所詮はその時・場所・状況に左右されるものなのよぉ。このオルゴールの旋律を快いと思う人も、居る所には居るのよぅ」
そんな物だろうか。自分達が感じた恐怖はつまりエスカルゴ料理を気持ち悪いと言う日本人と蛸料理を気持ち悪いと言うフランス人のケンカと同種のものであると、紫は言った。
もしかするとその通りなのかもしれない。しかし、そこにある隔たりは異文化交流のそれよりも遥かに大きいものであるような、そんな気がメリーにはしたのだが。
メリーがオルゴールの一端を指差して尋ねる。
「そこに書いてあるのって、そのお友達さんの名前?なんて読むかはわからないけれど」
もしそうであれば、友人である紫に聞くのが一番早くて確実だろう。
「『稗田』のことかしらぁ?そうねぇ・・・あの子はずいぶん永い事愛用しているから、名前の一つでも書いて置いたんでしょうねぇ。まぁ拾い主にはその名前が読めなかったみたいだけどぉ」
紫はそう言って少しからかう様に笑った。
「さっきから聞いてばかりで悪いんだけど・・・」
「まぁ久しぶりですし、積る話もありますものねぇ、構いませんわぁ」
メリーはオルゴールを見つける少し前から気になっていた事について紫が答えを知っているものと考え、訊く事にした。
「『均衡』って・・・・何の事?」
「・・・・・・・・・・・!」
紫の表情がそれまでの柔和なものから突然険しいものになった。
「・・・・少し、長い話になるわよ?」
そうして紫は息を吐いた時、
――蓮子とメリーのまわりの時間が、止まったような感じがした。
「では、その話をするのに幾つか話さなくてはいけない事柄があるから、まずそっちから話す事にするわね。・・・・・まず、*****の話」
「――――え?」
「*****は―――が――と――――の――――、いいえ、――――と言っても構いませんわ。―――が――と――――はこの――の―――に―――――。――は――――――――なんだけど、――――――では――に点々と――――――――――に――――――――――わね。それは――の――の――を―――に――――は――――――――――よ。その―――――――が――――――――――――――――――――のよ。だから――に――な――――――や―――――――に――――――――――のよ。丁度―――――の―――における―――――――に―――――――――――と――――、これを――――――――――――――――――――。―――の様に――――――――――――に―――――――――はね。そうそう、言い忘れたんだけれど、―――――のよ。――についても少し触れておきましょう。――――――――――に―――――――――、まず――――――。――――――――――困る――――、それでも――――――――。――元々は――――に――――――――を――――――――――っていう―――――――――――――だから、――――――――――――――――――――かもしれないわね。この―――――――――――――――を――――――は無くて、それはさっきの―――――を聞けば判る通りね。―――――――――――。そして――――――――――――――――――――――。これは――――――――――――、極めて――――――――――――――――に―――――――。――――――――――――――――に対して――――、――――のように――――――――――――。――――――――――――――――、――――を――――――――――――があるみたいね。――――を―――――――――と―――――――――――無意識に――――――――――――――のよ。それは――――――――――――、あるいは―――――――――――――、――――――――――――――――――――――――。この――――を―――――、――――――――――、即ち―――――――――――――――だけれど、これが―――――――――――*****で、この―――――――――――――――――**―――*****の―――――――――――。――――――――――を―――――――、その中に――――――――――――――――――の――――を――――――――――いたのよ。偶に――――――――――――があるのだけれど、それは―――――――――。――――――――――――――もあってね、これは―――――――――――――――よりも、―――――――――――――――――――――――が――――――――――――――のよ。――――――――――――――――――――けれど――――――――――――――――――――――――。ただ、――――――、――――――――――――から、――――――――――――。まあそれで―――――――――*****を――――――――――――――――けれど。―――――――――――――――――――。――――――――――――――――、―――――――を――――――――で、――――――――――に――――――――――――――――――――――。―――――と――――――――する―――――――――、―――――――――――を――――――――――――――――――――。それで――――――――――を―――。―――*****。―――――――を――――――――――から、――――――には―――――――――――――わね。私が――――――――――――*****の――――――。」
紫が、何を言っているのかわからない。
別に、紫自身が声を出していない訳でも、メリーが耳を塞いでいる訳でもない
耳には聞こえるのに。まるで脳髄が耳からの信号を拒否するように。
いや、実際に拒否しているのだろう。それほどに、唐突かつ有り得ない内容であったのだろう。それらが空想ではない事として、事実であるという確証をもって耳に入ろうとしていた。それを脳がシャットアウトしたのかもしれない。
メリーは自分が恐怖している事に気付かないほどに混乱していた。隣の蓮子も興味よりも恐怖が勝っているようだった。
蓮子は考えていた。ここでメリーを連れて逃げなくてはならない、と。話はメリー同様わからなかったがそこから恐怖を汲み取る事は出来た。
だが、足が、手が、体が動かない。声も出ないし、目を逸らす事も、耳を塞ぐ事すら出来なかった。
紫は話を続けた。
「次に、――――のお話を少し。――――は***(***――――――――――)―――――――――――で、おそらく―――――――と比べると―――――勿論―――――――――の―――――――が―――――。その―――――――――、―――――。―――――――――自体が――――にはそもそも―――――、―――――――――――――――――もまた――――――。それに――――――――――――が――――――――――のよ。ただ、――――――が***と―――――――――――――――――――――がちょっとおかしな事になるのだけれど。そういえば――――――が―――――――――――――――。―――――――と――の関連性に―――――――――――――――、ただ、―――――――――――――――――は―――――を―――――――――――――――――から、――――のに――***―――――――――――――――なんていうちょっと可笑しな――――――――。ちなみに―――――*****の―――――――――のよ。***を――――――――――――――――――の関係で、―――――――――――――――――――――――――――。例えば、――――――――――――――――――――――。尤も、――――――――――――――――――――。だって、――――――。・・・――――についてはこのくらいでいいかしら」
何故これだけの事を話していてまわりの人間は全く気付かないのか、視線を動かす事も出来ないので今店内に誰か居るのかもわからない。
メリーと蓮子はただ話を聞き続けるしかなかった。
紫の話はいよいよもって狂気じみて来る。
「では、――――***の話に移りましょう。――、――――のなかった頃。――――――あった頃。――――――――と――――――が―――――。その――――、『**』――――が―――――。――――は―――――――――――――――――を――――――ですが、その――――――――――――――――でした。――――――――――で、―――――――――――を再び――――――――――だから――――――。―――――――――――――――を――――――――、―――――――を――――。ここに、**――――――が―――――――。しかし**―――――――――――、――――――――――――――。そして――――――――――――――。一人は――――――、――『**』――――――。もう一人は――――――――、――『***』――――――。二人は―――――、―――――――**を――――――――――――。――――――――――**――――――――――、―と**を――――――――――――。―――、――――――――――――――――ので、**は――――――――――を――、――――――――――――。これが――――――――――、即ち***です。**は――――――、――――を――――――――。これが****の――――――。――、――――**と――――――――・・・それは―――『***』――――――――、―――を――――――――――・・・――――。――――――に―――――――――――を求め、――――を――――――――――――――――――。―――――――――――――――――として***――――――、――――――――――に――――――、つまり*****―――――。ここから先は・・・関係のない話になるわね」
「少し――――――――――、――の話をしましょう。――はおそらく・・・この私をもってして確証は持てないのだけれど、********と言うのが尤もらしい所でしょうね。ただ、さっきも言った通り―――――***と――――――――――――それはおかしいのだけれど・・・***で――――――――――のが――――――。何故―――――――――――――――――――はおそらく―――――――――――――――ね。おそらく***に―――――――で、***の―――――――――、その―――――――――――――が発生して――――――――『***』が――――――・・・・と取るのが一番適切だと思うわ。また、***に―――――――――――――***――――――――――、『―――――――』――――――も―――――・・・この話は終わりにして、そろそろ本題に入ろうかしら」
話がいよいよ佳境に入るらしい。しかしほとんど聞き取れない二人には、まるで西洋の魔女狩りの拷問か何かのように永い永い苦痛にしか感じられなくなっていた。紫がもたらす知識はそれ程までにヒトの脳には不適切なものであった。
「では最後に『均衡』の話でもしましょうか。***―――についてはもうさっき話したけれど、では何故私があの時マエリベリーに「均衡を崩しかねない」と言ったのか・・・それについて話しましょうか。――――*****――――――――――、*****が――――――もあって非常に不安定だったのよ。今結界を開いて向こう側への道を一時的に開いたとしても、多くの場合――――――――――、ほとんど影響はないといえるわね。もし仮に―――――――――――――――ような状態で結界を開いたりしたらどうなるか答は明白ですわね。そこに――――――――――――――――、―――――――――が――――――――――――状態が作られてしまうわ。それでは――――――――――――。これは『―――――――――――』とかそういうことでは無くて、どちらかと言うと『―――――――――――――――――――――――』の方が近いわね。正に――――、――――――――――、――――――――――――、それは―――――では―――――です。あ、そうそう前に――――――――――――――なのだけれど、――――――――。だって―――――――――――――――と思っていなかったんですもの。――――――――――――――――――と思っていたから。でも―――――――――――――――みたいね、どういうことなのかしら。―――――――*****も―――――――、―――――も――――――――良いんだけど、もし――――――――――――――――――――・・・――――――――――――――話だったわね・・・・と」
紫が話を終えて、神社に参拝するように一度拍手した。
その時、辺りの止まっていた全ての時が動き出した。
同時にメリーと蓮子の思考も再起動する。
「あらぁ、お目覚めかしらぁ?」
「・・・あれ、わたし達いつの間に寝てたの?」
「さあ・・・?紫さんにオルゴール返した辺りまでは覚えてるんだけど・・・」
二人は「眠っていた」という事に一つの疑問も持たなかった。
人間の脳がもつ極めて重要な機能の一つ、それが物を忘れる事である。
忘却とは時として救いとなる。今回、蓮子とメリーの身に起こった恐怖の記憶は、影も形もなくなっていた。
「ごめんね、話してる途中で寝ちゃうなんて」
「疲れが溜まっていたんじゃないのぉ?若いのに大変ねぇ」
「それじゃあ私はこの辺で失礼する事にするわぁ。探し物も返ってきたしぃ」
そう言って紫は席を立つ。そんな紫にメリーが名残惜しそうに声を掛ける。
「あら、帰っちゃうの?もうちょっとゆっくりしていけばいいのに」
「こう見えても忙しい身なのよぅ。今日だって日帰りで来たんだものぉ」
紫が言うには、今日の夕方にはもう駅に着いていないといけないらしい。確かに、今から出発しないと間に合いそうに無い。
「それじゃあ名残惜しいけれど・・・じゃあね」
そう言ってテラスから出て行く紫は、どこか優しい表情をしていた。
今日は紫に会った事もあって、まともに活動出来ずじまいであった。まあ、最近の調子が良すぎたと言うか、普段別に活動しない日などいくらでもあるので別にどうという事は無いはずなのであるが。メリーには、何かが違ったのだ。
多分、何となくではあるが、今日の事はほとんど忘れてしまうのではないか。
紫の事も、以前のように名前すら思い出せない状態の戻るのではないか。
メリーは薄れつつある自身の記憶に気付いているのかもしれない。或いは無意識に忘却による救いを求めているのか。
何から救われるのだろうか?何を忘れて、何を覚えているのが自分にとって良いのか、それを考える事は愚かであろうか?流れに任せるしかないのだろうか?
「・・・ねえ蓮子?もしも、もしもよ?人の脳の中には今まで経験した事の記憶が全部入っていて、忘れている事も何もかもその記憶の扉の開け方さえ判れば開けられるのだとしたら、蓮子は全部の扉を開けてみたいと思う?」
「それは愚問よメリー、人間ってやつは思い出したくないことがあるから忘れられるようになったのよ?それなのにわざわざほじくり返してまで思い出す必要なんて無いわよ。いい事の記憶なら忘れてしまってもまたその事が新鮮に味わえるのなら私は大歓迎だしね。・・・まあ、テストの時とかは欲しくなるけど」
確かに、蓮子の言う通りなのだろう。しかし、メリーは別に紫自身が悪い記憶だとは思っていない。忘れられやすいタイプ、と言う事なのだろうか。紫が。
「蓮子はわたしの事、忘れないでね・・・?」
「ど、どうしたの急に?全く・・・こんなおかしなパートナーを忘れるわけ無いじゃない。それに、私はメリーの事忘れるほど離れるつもりも無いよ?」
蓮子は呆れるように言ったが、その一言はメリーを安心させるのには充分だったようだ。
「ごめん・・・ありがとう蓮子」
「どういたしまして。ほら、もう帰ろう?」
蓮子が手を差し伸べる。
メリーがその手をとる。
この二人は、ずっとそうしてきた。
これからも、そうするのだろう。
「そういえばメリーの親戚って皆メリーみたいなの?赤の他人の紫さんがあれだけ似てたってことは、両親ともなるとそれこそ瓜二つになるんじゃないかしら」
「何よその理屈は・・・言っておくけど、私の両親はそこまで似てないわよ?上手い事半々になったらしいから」
ちょっとおかしな二人が織り成す、ちょっとおかしな物語。
「それはそれで興味が湧いてくるわね・・・じゃあさ」
「ええ・・・それじゃあ」
「「――会いに、行ってみる?」」
二人の物語は、これからも続くのだ。
終
おまけ
「いやあ良かった良かった、本当にどうしようかと思っていたんですよ。これが無いと作業がいまいちはかどらないですから」
木製のオルゴールを手に、稗田家当主・稗田阿求はご満悦である。2週間ほど前、朝起きてみたらオルゴールを一つ紛失してしまっていたのだが、八雲紫の手によって現在無事に届けられたのである。
「最初はあなたが犯人だと思っていたんですが」
「あらぁ失礼な話ですわぁ」
日頃の行いと言うものがいかに大切か、ということだろう。
「しかし結界の向こう側にまで行っていたなんて・・・向こうからこっちに来るのならともかく」
「ああ、それなら一つ心当たりがありますわぁ」
何かの拍子にメリーに引き寄せられたのかもしれない。紫はそんな風に考えた。幻想郷に近い気質を持つメリーの様なものが幻想郷のものを引き付ける事がもしかしたらあるのかもしれない。というのは少々考えすぎだろうか。
「これが向こうの人に見つかったらと思うとぞっとしますね」
「ええ、とても危険なことですわねぇ」
「もしそんな事になったら、私たちがこの幻想の音楽を楽しめなくなってしまうじゃないですか」
そう、幻想の音楽は外の世界から消えて久しい。それ故に幻想郷に入ってきているのだが、阿求はこの音楽が相当お気に召しているらしい。もし外に出て行ってしまったら、外で流通してしまったら、きっと帰ってはこないだろう。もしそうなれば彼女は酷く落ち込んでしまう事だろう。
尤も、それは阿求だけでなく阿礼乙女全員に言えた事であった。誰かの代でそれに気付いたのだろうか、だからこそオルゴールに書かれた名前も「稗田」のみで名前を書かないようにしてあるのだ。
きっと次の阿礼乙女も聴くのだろう、途方も無いほどに永い間愛しているこの音楽を。
おまけ 終
「・・・・・『紫』・・・・・!」
メリーが、ほとんど掠れた様な声で、席に座る女性の名を、呼んだ。
紫と呼ばれた女性は、少し宙を見据え、思い出したように呟く。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・ああ、もしかしてぇ、マエリベリーなのぅ?久しぶりねぇ、ずいぶん大きくなったじゃない」
「あれから何年経ったと思ってるのよ。急にいなくなったかと思えばそれっきり連絡の一つもよこさないんだから・・・」
紫は手元のコーヒーに乗ったホイップクリームをスプーンで溶かしながら、メリーは席についてメニューを手に取りながら、再会の挨拶を交わす。
「見知らぬ相席の人と友人が知り合いだった」という、そうは無い事態に頭が追いつけないでいる蓮子が、その説明をメリーに求めた。
「ちょっと待ってよ、え?何?メリー、この人と知り合いなの?」
「ええ、でもわたしだってびっくりしてるわよ・・・・まさかこんな所で会うなんて・・・!」
「そうねぇ・・・私も驚いてるわぁ。貴女がマエリベリーだと判った今をもって尚驚いてるのよぅ?」
「・・・まさか、あの頃ほんの子供だった貴女がボーイフレンドを連れるようになるなんてねぇ・・・これが所謂「男子三日会わざれば剋目して見よ」ってやつかしらぁ」
「「女子です!!」」
意図するところは二つ、ツッコミの言葉は一つだった。
「実際、すごく小さな頃だったからはっきりとは思い出せないことも多いんだけど―」
14,5年前―
日本に来て間もない頃、マエリベリー・ハーンは周りの子供達と会話することも出来ず、遊ぶ時はいつも独りであった。だが、メリーはそれでも寂しいと思わなかった。
メリーが独りで遊ぶ傍らにはいつも彼女がいたから。
いつも変わらない、その姿。日傘を差して、自分の傍らに座っているその女性を、メリーは不思議に思ったが、不審には思わなかった。
「ゆかりー。こっち、こっちー」
そして、その頃のメリーは新天地での仕事に振り回されていた両親に代わって、紫に色々な事を教わった。
この世界の事。
私や、両親や、他の誰かの生き方の話。
昔のこの世界の事。
世の教師が真面目に考えたことの無い道徳や倫理、摂理の話。
もっと昔のこの世界の事。
昔話、物語、ありとあらゆる幻想の話。
「両親がビックリしてたわね。自分達ではそんなこと教えてなかったから」
「あの時期に覚えた物事はずっと根付くものなのにねぇ。早期の教育は大事ですわぁ」
「あ、クリームソーダ一つで」
自らの瞳の話。
他人には見えない物をどうするかの話。
「あまり人には言ってはいけないわねぇ、皆は持っていないものだから。持っていないものは欲しくなるものなのよぅ。『気持ち悪い』なんて事を言う輩もきっといるわぁ。だから誰にも言わないことねぇ・・・あなたを守るために。『知らぬが仏』とも言いますわぁ」
「しら、ぬが、ほ」
「それと、結界の裂け目を見つけてもあまり不用意に近づいちゃ駄目よぅ?何があるか判らないし、もしかすると均衡を崩すかもしれないわぁ」
「きん、こう?おかね、いれるところ?」
「それは銀行。・・・もう少し大きくなったら解るわぁ」
こうやって紫と話すことで、少しずつ日本語も覚えていった。ゆっくり話す彼女の癖が幸いしたのかもしれない。
「話し方の癖までうつらなくて良かったわ」
「あらぁ失礼しちゃうわぁ」
幼いメリーは紫に尋ねる。
「ねえ、ゆかり、わー、なんで、あれ、しってる?」
「あら・・・何のことかしら?」
「あれ」
メリーが指をさしたのは実家の裏庭にある大きな石の所に生じた小さな結界の裂け目だった。おそらく出来てまだ間もないのだろう。今にも消えてしまいそうだ。
自分以外に視えない筈のものを、紫が何故知っているのかメリーには不思議だったのだ。
「ああ・・・それはねぇ、お姉さんにも同じものが視えるからなのよぅ」
「ゆかり、みえる?」
「ええ、はっきりくっきり」
「みんな、みえない?」
「そうね・・・これがもう少し大きくなって、向こう側が見えるくらいになれば、皆にもわかるようになるわねぇ」
「むこう?」
「ええ、結界の向こう・・・いえ、内側かしら?」
それだけ大きくなれば写真にも写るようになる。日頃蓮子が見つけてくるのはこういう大きくなったものなのだ。
「えい」
メリーが裂け目に手を突っ込もうとして、慌てて紫が止める。
「駄目よぅ?勝手にそれに触っちゃぁ」
「おおきくするー」
「だーめ」
「ぶー」
「あったわねぇそんなことも~」
「いや結構衝撃の事実なんですけど・・・」
蓮子からしてみれば、自分達以上に結界に詳しい人間なんているとは思っていなかったのだ。それに、メリー以外に結界の裂け目が見える人間なんて、考えもしなかった。
「メリーにしたって今まで紫さんのことなんて一言も口に出さなかったし・・・」
「ついさっきまで忘れてたんですもの。顔を見てようやく全部思い出したわ」
「おねしょした布団を一緒になって隠したりとかねぇ」
「え!?ちょっとなんでそんなことまで覚えてるのよアンタ!?」
親戚のおばさんとかが覚えていそうな話題である。
それにしても、と蓮子は二人を見わたして言った。
「結局、二人はどういう関係なの?親戚とかじゃないの?」
ちょっと似てるし。
「私の実家の近所に昔紫が住んでて、気付いたら引っ越してた」
メリーが簡潔に答えた。
「仕事の都合であの辺に住んでたんだけど、転勤になったのよ」
紫がそれに続く。
つまりはそういうことらしい。
「さっきから当たり前のように話しているけどぉ、蓮子さんは結界の事についてご存じみたいねぇ?」
結界という自分達しか知らないはずの話題に蓮子という第三者がついて来ている事に紫が疑問符を浮かべる。
「どうして蓮子さんに貴女の眼の事を話したのかしらぁ?いくら友達でも駄目って言ったじゃない、そこまで忘れていたわけじゃぁ無いんでしょぅ?」
蓮子がそれについて知り得るとするなら、それはメリーからに他ならないのだ。
「だって蓮子って私よりも気持ち悪い眼を持っているんですもの。私の眼のことを話したくらいじゃなんとも無いわよ」
「あんたの眼だって大概じゃないの」
大概である。
「あらあら、仲が良いのねぇ」
メリーに危険が及ばないように禁止した事なので、紫としては本人が何とも無いならいいのである。
ここで、メリーが今更ともいえることに気付く。
「そういえば紫、聞きたいんだけど・・・何でここに居るの?」
ここは蓮子とメリーが通う大学内のカフェテラスである。間違いなく部外者である紫がここに来る理由がよく判らない。大学によっては警備の厳しい所なら確実に門前払いだろう。それに京都観光と言っても大学の中にまで入ろうとするのはちょっとばかりマニアックな嗜好だ。
「あ・な・た・に・会・い・に?」
「さっきまで私のこと忘れてたわよね?」
ちょっと可愛らしく振舞ってみた紫だったが、成長したあの日の幼子は思ったよりクールだった。時の流れは無情である。ああ無常。
あまりふざけていても仕方が無いので白状することにした。
「ちょっと友人に探し物を頼まれていてねぇ。私の情報網によるとぉ、どうやらこの大学にあるみたいだからわざわざ来たのよぅ」
一体どんな情報網なのだろうか、蓮子といい紫といい、「情報網」とか「裏表ルート」とかなんとなくそれっぽい単語を使いたいだけで実際には何もアテが無いんじゃないだろうか、とメリーはこの手の単語に対して胡散臭さを感じていた。主に蓮子の所為で。
「探し物ですか・・・良かったら手伝いましょうか?ここに慣れた人間がいたほうが早く見つかると思いますし」
蓮子が提案する。確かに人数は多い方がいいだろうし、ここに来たばかりであろう紫が一人で探すよりは、その方がずっと良いだろう。
「あらぁ、そんな悪いですわぁ」
「蓮子に遠慮したって仕方ないわよ?基本的に人の言う事を聞かないから・・・それで?紫は何を探しに来たのかしら」
遠慮しても無駄だと観念したらしい、紫は両手で長方形を作りながら言った。
「このくらいの、木のオルゴールなんだけどぉ・・・・」
「「――――――――――!」」
二人は絶句した。
忘れようの無い心当たりが在ったからである。
「蓮子・・・」
「うん、私もあれ位しか心当たりが無いわ・・・」
恐るべき雰囲気の音色を、恐るべき完成度で演奏するオルゴール。
未だ、二人が出来うる限りこの話題を回避しようとする代物である。
だが、メリーはこのオルゴールを所持している。
言い表す事の出来ない好奇の騎手に駆られて。
抗う事の出来ない興味の爪に狩られて。
もし今も鞄に入っているこれが紫の「探し物」であるならば。
メリーはこのある種の呪縛から開放されるのだろうか。吸い込むたびに肺を焼く、毒のような呪縛から。
「紫・・・そのオルゴールって、もしかして・・・これ?」
メリーが鞄からオルゴールを取り出す。書かれた文字について「蓮子か漢字辞書に聞こう」と思って持ってきていたのである。
刹那、紫の顔がぱっと明るくなった。どうやら当たりらしい。
「あぁ!正にそれですわぁ!本当に、ここにあったのねぇ・・・!」
紫自身、どうやらここにあるという間違いない確証は無かったらしい。見つかった事で心底、安心している様子だ。
「ふふっ、なんかあっさり見つかっちゃったわね。私としてはもう少し手強いほうが良かったんだけど。」
蓮子が、少し拍子抜けしたように笑う。
「TVゲームとかでたまにイベントの順番間違えるとこういう事あるよね。話しかける前から必要なアイテムもう取っちゃってるの」
「たまになら別にいいでしょう?いつもはなんだかんだで手強いんだから」
だが、二人には一つ気になる事が出来た。
「ねえ紫、そのオルゴールの持ち主って何者なの?こう言っちゃ悪いけど、あまり言い趣味とは思えないわよ?そのオルゴールに入ってる曲は」
そう、個人の所有物である以上はあの音楽を好き好んで聴いている人間がいる事になる。観賞用の美術品として持っている可能性もあるが、装飾の少なさからそれは無さそうだった。
「感性の違い、という物ですわぁ。例えば世界的に観た時に生の魚や発酵させた大豆を食べている人種なんて気が狂っていると思われるかもしれないけれど、真っ青なケーキやゴム味の飴を食べている人たちは日本人から観た時変だと思うじゃない?つまりはそういうことですわ。『人がある者に触れた時どう感じるか』なんていう些細な事は、所詮はその時・場所・状況に左右されるものなのよぉ。このオルゴールの旋律を快いと思う人も、居る所には居るのよぅ」
そんな物だろうか。自分達が感じた恐怖はつまりエスカルゴ料理を気持ち悪いと言う日本人と蛸料理を気持ち悪いと言うフランス人のケンカと同種のものであると、紫は言った。
もしかするとその通りなのかもしれない。しかし、そこにある隔たりは異文化交流のそれよりも遥かに大きいものであるような、そんな気がメリーにはしたのだが。
メリーがオルゴールの一端を指差して尋ねる。
「そこに書いてあるのって、そのお友達さんの名前?なんて読むかはわからないけれど」
もしそうであれば、友人である紫に聞くのが一番早くて確実だろう。
「『稗田』のことかしらぁ?そうねぇ・・・あの子はずいぶん永い事愛用しているから、名前の一つでも書いて置いたんでしょうねぇ。まぁ拾い主にはその名前が読めなかったみたいだけどぉ」
紫はそう言って少しからかう様に笑った。
「さっきから聞いてばかりで悪いんだけど・・・」
「まぁ久しぶりですし、積る話もありますものねぇ、構いませんわぁ」
メリーはオルゴールを見つける少し前から気になっていた事について紫が答えを知っているものと考え、訊く事にした。
「『均衡』って・・・・何の事?」
「・・・・・・・・・・・!」
紫の表情がそれまでの柔和なものから突然険しいものになった。
「・・・・少し、長い話になるわよ?」
そうして紫は息を吐いた時、
――蓮子とメリーのまわりの時間が、止まったような感じがした。
「では、その話をするのに幾つか話さなくてはいけない事柄があるから、まずそっちから話す事にするわね。・・・・・まず、*****の話」
「――――え?」
「*****は―――が――と――――の――――、いいえ、――――と言っても構いませんわ。―――が――と――――はこの――の―――に―――――。――は――――――――なんだけど、――――――では――に点々と――――――――――に――――――――――わね。それは――の――の――を―――に――――は――――――――――よ。その―――――――が――――――――――――――――――――のよ。だから――に――な――――――や―――――――に――――――――――のよ。丁度―――――の―――における―――――――に―――――――――――と――――、これを――――――――――――――――――――。―――の様に――――――――――――に―――――――――はね。そうそう、言い忘れたんだけれど、―――――のよ。――についても少し触れておきましょう。――――――――――に―――――――――、まず――――――。――――――――――困る――――、それでも――――――――。――元々は――――に――――――――を――――――――――っていう―――――――――――――だから、――――――――――――――――――――かもしれないわね。この―――――――――――――――を――――――は無くて、それはさっきの―――――を聞けば判る通りね。―――――――――――。そして――――――――――――――――――――――。これは――――――――――――、極めて――――――――――――――――に―――――――。――――――――――――――――に対して――――、――――のように――――――――――――。――――――――――――――――、――――を――――――――――――があるみたいね。――――を―――――――――と―――――――――――無意識に――――――――――――――のよ。それは――――――――――――、あるいは―――――――――――――、――――――――――――――――――――――――。この――――を―――――、――――――――――、即ち―――――――――――――――だけれど、これが―――――――――――*****で、この―――――――――――――――――**―――*****の―――――――――――。――――――――――を―――――――、その中に――――――――――――――――――の――――を――――――――――いたのよ。偶に――――――――――――があるのだけれど、それは―――――――――。――――――――――――――もあってね、これは―――――――――――――――よりも、―――――――――――――――――――――――が――――――――――――――のよ。――――――――――――――――――――けれど――――――――――――――――――――――――。ただ、――――――、――――――――――――から、――――――――――――。まあそれで―――――――――*****を――――――――――――――――けれど。―――――――――――――――――――。――――――――――――――――、―――――――を――――――――で、――――――――――に――――――――――――――――――――――。―――――と――――――――する―――――――――、―――――――――――を――――――――――――――――――――。それで――――――――――を―――。―――*****。―――――――を――――――――――から、――――――には―――――――――――――わね。私が――――――――――――*****の――――――。」
紫が、何を言っているのかわからない。
別に、紫自身が声を出していない訳でも、メリーが耳を塞いでいる訳でもない
耳には聞こえるのに。まるで脳髄が耳からの信号を拒否するように。
いや、実際に拒否しているのだろう。それほどに、唐突かつ有り得ない内容であったのだろう。それらが空想ではない事として、事実であるという確証をもって耳に入ろうとしていた。それを脳がシャットアウトしたのかもしれない。
メリーは自分が恐怖している事に気付かないほどに混乱していた。隣の蓮子も興味よりも恐怖が勝っているようだった。
蓮子は考えていた。ここでメリーを連れて逃げなくてはならない、と。話はメリー同様わからなかったがそこから恐怖を汲み取る事は出来た。
だが、足が、手が、体が動かない。声も出ないし、目を逸らす事も、耳を塞ぐ事すら出来なかった。
紫は話を続けた。
「次に、――――のお話を少し。――――は***(***――――――――――)―――――――――――で、おそらく―――――――と比べると―――――勿論―――――――――の―――――――が―――――。その―――――――――、―――――。―――――――――自体が――――にはそもそも―――――、―――――――――――――――――もまた――――――。それに――――――――――――が――――――――――のよ。ただ、――――――が***と―――――――――――――――――――――がちょっとおかしな事になるのだけれど。そういえば――――――が―――――――――――――――。―――――――と――の関連性に―――――――――――――――、ただ、―――――――――――――――――は―――――を―――――――――――――――――から、――――のに――***―――――――――――――――なんていうちょっと可笑しな――――――――。ちなみに―――――*****の―――――――――のよ。***を――――――――――――――――――の関係で、―――――――――――――――――――――――――――。例えば、――――――――――――――――――――――。尤も、――――――――――――――――――――。だって、――――――。・・・――――についてはこのくらいでいいかしら」
何故これだけの事を話していてまわりの人間は全く気付かないのか、視線を動かす事も出来ないので今店内に誰か居るのかもわからない。
メリーと蓮子はただ話を聞き続けるしかなかった。
紫の話はいよいよもって狂気じみて来る。
「では、――――***の話に移りましょう。――、――――のなかった頃。――――――あった頃。――――――――と――――――が―――――。その――――、『**』――――が―――――。――――は―――――――――――――――――を――――――ですが、その――――――――――――――――でした。――――――――――で、―――――――――――を再び――――――――――だから――――――。―――――――――――――――を――――――――、―――――――を――――。ここに、**――――――が―――――――。しかし**―――――――――――、――――――――――――――。そして――――――――――――――。一人は――――――、――『**』――――――。もう一人は――――――――、――『***』――――――。二人は―――――、―――――――**を――――――――――――。――――――――――**――――――――――、―と**を――――――――――――。―――、――――――――――――――――ので、**は――――――――――を――、――――――――――――。これが――――――――――、即ち***です。**は――――――、――――を――――――――。これが****の――――――。――、――――**と――――――――・・・それは―――『***』――――――――、―――を――――――――――・・・――――。――――――に―――――――――――を求め、――――を――――――――――――――――――。―――――――――――――――――として***――――――、――――――――――に――――――、つまり*****―――――。ここから先は・・・関係のない話になるわね」
「少し――――――――――、――の話をしましょう。――はおそらく・・・この私をもってして確証は持てないのだけれど、********と言うのが尤もらしい所でしょうね。ただ、さっきも言った通り―――――***と――――――――――――それはおかしいのだけれど・・・***で――――――――――のが――――――。何故―――――――――――――――――――はおそらく―――――――――――――――ね。おそらく***に―――――――で、***の―――――――――、その―――――――――――――が発生して――――――――『***』が――――――・・・・と取るのが一番適切だと思うわ。また、***に―――――――――――――***――――――――――、『―――――――』――――――も―――――・・・この話は終わりにして、そろそろ本題に入ろうかしら」
話がいよいよ佳境に入るらしい。しかしほとんど聞き取れない二人には、まるで西洋の魔女狩りの拷問か何かのように永い永い苦痛にしか感じられなくなっていた。紫がもたらす知識はそれ程までにヒトの脳には不適切なものであった。
「では最後に『均衡』の話でもしましょうか。***―――についてはもうさっき話したけれど、では何故私があの時マエリベリーに「均衡を崩しかねない」と言ったのか・・・それについて話しましょうか。――――*****――――――――――、*****が――――――もあって非常に不安定だったのよ。今結界を開いて向こう側への道を一時的に開いたとしても、多くの場合――――――――――、ほとんど影響はないといえるわね。もし仮に―――――――――――――――ような状態で結界を開いたりしたらどうなるか答は明白ですわね。そこに――――――――――――――――、―――――――――が――――――――――――状態が作られてしまうわ。それでは――――――――――――。これは『―――――――――――』とかそういうことでは無くて、どちらかと言うと『―――――――――――――――――――――――』の方が近いわね。正に――――、――――――――――、――――――――――――、それは―――――では―――――です。あ、そうそう前に――――――――――――――なのだけれど、――――――――。だって―――――――――――――――と思っていなかったんですもの。――――――――――――――――――と思っていたから。でも―――――――――――――――みたいね、どういうことなのかしら。―――――――*****も―――――――、―――――も――――――――良いんだけど、もし――――――――――――――――――――・・・――――――――――――――話だったわね・・・・と」
紫が話を終えて、神社に参拝するように一度拍手した。
その時、辺りの止まっていた全ての時が動き出した。
同時にメリーと蓮子の思考も再起動する。
「あらぁ、お目覚めかしらぁ?」
「・・・あれ、わたし達いつの間に寝てたの?」
「さあ・・・?紫さんにオルゴール返した辺りまでは覚えてるんだけど・・・」
二人は「眠っていた」という事に一つの疑問も持たなかった。
人間の脳がもつ極めて重要な機能の一つ、それが物を忘れる事である。
忘却とは時として救いとなる。今回、蓮子とメリーの身に起こった恐怖の記憶は、影も形もなくなっていた。
「ごめんね、話してる途中で寝ちゃうなんて」
「疲れが溜まっていたんじゃないのぉ?若いのに大変ねぇ」
「それじゃあ私はこの辺で失礼する事にするわぁ。探し物も返ってきたしぃ」
そう言って紫は席を立つ。そんな紫にメリーが名残惜しそうに声を掛ける。
「あら、帰っちゃうの?もうちょっとゆっくりしていけばいいのに」
「こう見えても忙しい身なのよぅ。今日だって日帰りで来たんだものぉ」
紫が言うには、今日の夕方にはもう駅に着いていないといけないらしい。確かに、今から出発しないと間に合いそうに無い。
「それじゃあ名残惜しいけれど・・・じゃあね」
そう言ってテラスから出て行く紫は、どこか優しい表情をしていた。
今日は紫に会った事もあって、まともに活動出来ずじまいであった。まあ、最近の調子が良すぎたと言うか、普段別に活動しない日などいくらでもあるので別にどうという事は無いはずなのであるが。メリーには、何かが違ったのだ。
多分、何となくではあるが、今日の事はほとんど忘れてしまうのではないか。
紫の事も、以前のように名前すら思い出せない状態の戻るのではないか。
メリーは薄れつつある自身の記憶に気付いているのかもしれない。或いは無意識に忘却による救いを求めているのか。
何から救われるのだろうか?何を忘れて、何を覚えているのが自分にとって良いのか、それを考える事は愚かであろうか?流れに任せるしかないのだろうか?
「・・・ねえ蓮子?もしも、もしもよ?人の脳の中には今まで経験した事の記憶が全部入っていて、忘れている事も何もかもその記憶の扉の開け方さえ判れば開けられるのだとしたら、蓮子は全部の扉を開けてみたいと思う?」
「それは愚問よメリー、人間ってやつは思い出したくないことがあるから忘れられるようになったのよ?それなのにわざわざほじくり返してまで思い出す必要なんて無いわよ。いい事の記憶なら忘れてしまってもまたその事が新鮮に味わえるのなら私は大歓迎だしね。・・・まあ、テストの時とかは欲しくなるけど」
確かに、蓮子の言う通りなのだろう。しかし、メリーは別に紫自身が悪い記憶だとは思っていない。忘れられやすいタイプ、と言う事なのだろうか。紫が。
「蓮子はわたしの事、忘れないでね・・・?」
「ど、どうしたの急に?全く・・・こんなおかしなパートナーを忘れるわけ無いじゃない。それに、私はメリーの事忘れるほど離れるつもりも無いよ?」
蓮子は呆れるように言ったが、その一言はメリーを安心させるのには充分だったようだ。
「ごめん・・・ありがとう蓮子」
「どういたしまして。ほら、もう帰ろう?」
蓮子が手を差し伸べる。
メリーがその手をとる。
この二人は、ずっとそうしてきた。
これからも、そうするのだろう。
「そういえばメリーの親戚って皆メリーみたいなの?赤の他人の紫さんがあれだけ似てたってことは、両親ともなるとそれこそ瓜二つになるんじゃないかしら」
「何よその理屈は・・・言っておくけど、私の両親はそこまで似てないわよ?上手い事半々になったらしいから」
ちょっとおかしな二人が織り成す、ちょっとおかしな物語。
「それはそれで興味が湧いてくるわね・・・じゃあさ」
「ええ・・・それじゃあ」
「「――会いに、行ってみる?」」
二人の物語は、これからも続くのだ。
終
おまけ
「いやあ良かった良かった、本当にどうしようかと思っていたんですよ。これが無いと作業がいまいちはかどらないですから」
木製のオルゴールを手に、稗田家当主・稗田阿求はご満悦である。2週間ほど前、朝起きてみたらオルゴールを一つ紛失してしまっていたのだが、八雲紫の手によって現在無事に届けられたのである。
「最初はあなたが犯人だと思っていたんですが」
「あらぁ失礼な話ですわぁ」
日頃の行いと言うものがいかに大切か、ということだろう。
「しかし結界の向こう側にまで行っていたなんて・・・向こうからこっちに来るのならともかく」
「ああ、それなら一つ心当たりがありますわぁ」
何かの拍子にメリーに引き寄せられたのかもしれない。紫はそんな風に考えた。幻想郷に近い気質を持つメリーの様なものが幻想郷のものを引き付ける事がもしかしたらあるのかもしれない。というのは少々考えすぎだろうか。
「これが向こうの人に見つかったらと思うとぞっとしますね」
「ええ、とても危険なことですわねぇ」
「もしそんな事になったら、私たちがこの幻想の音楽を楽しめなくなってしまうじゃないですか」
そう、幻想の音楽は外の世界から消えて久しい。それ故に幻想郷に入ってきているのだが、阿求はこの音楽が相当お気に召しているらしい。もし外に出て行ってしまったら、外で流通してしまったら、きっと帰ってはこないだろう。もしそうなれば彼女は酷く落ち込んでしまう事だろう。
尤も、それは阿求だけでなく阿礼乙女全員に言えた事であった。誰かの代でそれに気付いたのだろうか、だからこそオルゴールに書かれた名前も「稗田」のみで名前を書かないようにしてあるのだ。
きっと次の阿礼乙女も聴くのだろう、途方も無いほどに永い間愛しているこの音楽を。
おまけ 終
三話通しての一貫性がなさすぎて全体的に評価しにくい
3話に一貫性がないというかまとめに行ったらまとまらなかったという印象を持った・・・・・・元々そういうオチがバーンとくるような話じゃなかったのかもしれないけど、
2話目のラストの引っ張り方がこれから何かが起こるぞと言わんばかりだったので変な期待を持たせすぎたかも
ともあれ似非シリアス風味の秘封倶楽部は面白かったです!3話目のみが物足りなかった
しんみりした終わり方だけれどもそれもまた2人の日常に溶けていくんですね
幻想の音楽というものを私も一度聞いてみたいものです