※作品集127「その歌が、誰が為でも。」の設定を引き継いでいます。
一応そのままでも読める様にはなっていますが、そちらを読んでからだともうちょっと楽しめるかも。
*
「恋と好きの違いって知ってる?」
今の私は、この質問に淀みなく答える事ができる。
「『下心』があるかないか」
別に、『下心』がある「恋」を悪いと言ってるわけじゃない。
純粋に、そう思ってるだけ。
この質問に、きっと今のお燐は答えられない。
だって、まだ知らないから。
『下心』がない、「好き」って気持ちがあることを。
その「恋」が叶わなくたって、私達は、誰かを「好き」で居られる事を。
でも、きっといつかお燐もそれが分かる。
私達は、叶うことのない『下心』にずっと縋っていられるほど、強くはないから。
だから、私はお燐の傍に居る。
理由? 私はお燐が「好き」だから。それだけ。
そうだ、これは私が「好き」を知った日の話。
そして、多分、
お燐にもいつか来る、始まっていなかった「恋」の話。
*
その日は、朝から、さとり様の機嫌が良かった。
理由は簡単。こいし様が帰って来る日だったから。
普段は何処をふらついているかも知れないこいし様だけど、毎月この日だけは地霊殿に帰って来るのだ。
いつ時分になるかはその月によってまちまちだけれど。
どうしてこの日だけ、こいし様が「意識的に」帰って来れるのかは分からない。
多分、お二方だけの何かが、この日にあるのだろうと私は適当に考えている。
実は、こうやって分からない事を保留にしておきがちな私を、私自身は気にいっている。
だって、分からないのだから。その事象を受け入れた方が、辿り着かない解を求めるより余程楽である。
…まぁ、だからよくお燐には「お空は何にも考えてないんだから」「馬鹿お空」なんて言われる。
…別にいいもん。馬鹿だって。鴉だけど。
話は逸れたが、こいし様が帰って来る日は、さとり様の機嫌が良いのだ。
その理由も簡単。こいし様は、さとり様の「大切な人」だから。
お燐だって、(多分私だってきっと、)さとり様にとって大切な人なのは間違いないのだけれど。
こいし様へのそれは、私達に向けるものとは違う。
誰の目から見ても明らかなのに、その理由を聞くのがなんとなく憚られるくらいには。
優しい笑顔なら、私にだって向けてくれる。
叱ってくれる時は、怒り顔だって見せてくれる。
でも、壊れてしまった宝物を前にしたみたいな、あんなに悲しそうな顔は。
それでいて、それを捨てられない、子供の様な顔は。
こいし様の前でしか見せてくれないから。
だから、私達は聞けないままいる。
こいし様が、さとり様の「一番」である理由を。
私は、別にいい。さとり様も、こいし様も同じように大切だから。
「保留」にするのは、慣れてるし。
でも、目の前に、「保留」じゃ済まない馬鹿がいる。猫だけど。
私は、廊下で叱られた子供みたいにうずくまる、お燐に声をかけた。
「そこの化けね…馬鹿猫」
「…なんで言い直したのよ」
お燐は頭を上げ、私をジト目で見てきた。
良かった。目元は赤くない。 まだ。
私は得意げに見えるように胸を張る。
「上手い事言ったと思わない?」
「一回言いかけないと何と掛けたのか分からないようなのは、上手い事とは言わない」
「うぐ…」
少しは元気出た?
「なんの用?」
「ん?旧都に新しい甘味処が出来たんだって。昨日仲間の鴉が言ってた」
これは嘘。お燐とさとり様を二人にする為に地霊殿を出た時に、見つけただけだ。
「一緒に廃棄でも漁りに行こうって?あたいはそんな趣味ないけど」
「誰が廃棄漁りなんて言ったの…」
「金勘定なんてできそうもない頭じゃ、お金なんて残ってないでしょ」
実は、私達はさとり様から駄賃を貰っている。
私は火焔地獄跡を、お燐は怨霊を管理している、その対価と言っても良い。
「人型になれる二人は、旧都で遊ぶ機会もあるだろうから」と、毎月くれるのだ。
さとり様がそのお金をどこから捻り出しているのかまでは知らないけれど。
お燐の言った通り、私はあまり金使いが上手いとは言えない。
お燐みたいに月初めに貯金箱に入れたりなんかしないし。面倒なんだもの。
だけど、この日の為に、いつも少しだけは残してある。
何かと理由をつけて、お燐を外に出す為に。
辛い時間なんて、少ない方がいいに決まってる。
お燐が、さとり様に「恋」してるのに気付いたのは、いつだっただろうか。
ああ、こいし様の帰って来る日に、廊下でうずくまってるのを見たときからかもしれない。
気付いてからは、どうしようもないくらい、お燐はさとり様に「恋」してるのが分かった。
全ての行為が、さとり様の為にあって。
全ての言葉が、さとり様の為にあったから。
そして同時に、さとり様の「一番」がお燐でないことも分かった。
さとり様の全ても、こいし様に向いていたから。
だからこそ、言葉にして伝えない、お燐の気持ちも。
言葉にしなくてもお燐の気持ちを知っている、さとり様の気持ちも。
全部、理解した。事象を受け入れるのは慣れていたし。
だから、私はこの日、お燐を外に連れ出そうとする。
「お金ならお燐の分を出せるくらいは残ってるもん。これで行ったら全部無くなるけど」
「じゃあ取っておきな。お金は使ったら無くなるけど、甘味処はそうそうなくなんないからさ」
そして、いつものようにやんわりと断られる。
ひらひらと手を動かして、笑顔でお燐は私に言った。それは、暗に「ここから居なくなれ」という合図。
居なくなったら、泣くのかな。 嫌だな。
「…いいもん。独りで行ってくるから。そしてお土産を押し付けてやるんだ」
「無駄遣いしなさんなってば」
私はちょっと膨れたふりをして、お燐の頭を小突く。
お燐はそれに少し苦笑いをして、私を見送る。
それを背中に、私は外へ向かう。
甘味処なんて、独りで行く訳が無い。
「馬鹿お燐」
聞こえない様に、呟いた。
*
いつものように、適当に時間を潰して、地霊殿に戻ってきた。
こいし様はもう、帰ってきているようだ。地霊殿は洋館なので、靴では判別できない。だが、こいし様は帰って来ると、玄関の帽子置きに帽子かけておくのだ。
私は、複雑な溜息を吐いた。
帰ってきていなければ、また時間を潰しに外に出ていなければいけなかったし、
帰ってきていれば、ほら。
「…何やってんのさ」
リビングに繋がるドアに背中を預けて、やっぱりうずくまるお燐がいた。
頭も膝にうずめて、こっちを見ようともしない。
何をやってるのかは、知っていた。
お燐は、さとり様の歌を聞いてる。
今頃リビングの中では、ソファーの上で膝枕されたこいし様と、こいし様を膝に乗っけて子守唄を歌うさとり様が居るのだろう。
そこに入っていけないお燐は、その歌を聴いているのだ。
いじらしい? ここまでくれば、馬鹿馬鹿しいだろう。
外から見れば、の話だ。
「新しい甘味処、あまりに美味しくて、お燐の土産の分も食べてきたよ」
嘘だけど。今度一度行っておかないとボロが出るかな。
こうやって軽口を叩くことに意味があるかはわからないけれど、私は嫌なのだ。
お燐のこんな似合わない姿は。
「もう私の手持ちないから、今度はお燐のお金で連れて行ってね」
お燐は何も言わない。いつもは、軽口くらい返すのに。
「連れて行ってくれなかったら、あの貯金箱壊して、それで行くから」
何も言わない。嫌な、予感がした。
「…お燐?」
呼びかけて、お燐はやっと顔を上げた。
私の、一番見たくなかった顔を。
「っ…おく、おくう、…ぅあ、うああ…」
お燐が、泣いていた。
私の前で、憚らず泣いていた。
これまで、泣き顔だけは見せなかったのに。
「どう…したの…?」
私は、尋ねる。
いつもと違う親友を前に、戸惑いながら。
お燐の口が、ゆっくり動く。
「あたい、ね、…ひくっ、…さとりさまに、おね、…っおねがいしようと、した…」
私はお燐の背中を撫でながら答える。
「うん、ゆっくりで、いいから…。何をお願いしたの?」
しかし、お燐はいやいやするように、首を横に振った。
「おねっ、…おねがい、できなかった。あたいの…『あたいのいちばんに、なってください』って、いいたっ…ぅぁ…いいかった、のに」
「言えなかったの?」
気持ちを、伝えきれなかった自分が、口惜しいのだろうか。そう思って私は聞いた。
だが、お燐はやっぱり、いやいやをした。さっきよりも強く首を振って。
「っ…いおうと、したっら、『今日は、こいしが帰って来るから、ご馳走にしたの。上手く出来ていなかったら、ごめんなさいね』って…」
実際には、もっと途切れ途切れお燐は言ったのだが、さとり様は概ねそういう事を言ったらしい。
「あ、たい、いえなかった…!『いちばんに、なって』って、いえなかったよっ…!おくう、あたいっ」
なるべく大きく背中の羽根を広げて、お燐を包む。嫌なことなんか、何にも見えなくなるように。
私は、お燐のを優しく撫で続けた。リビングのドアを、睨みながら。
「大丈夫、大丈夫だよ」
何がかなんて知らない。でも、お燐は大丈夫じゃなきゃ、駄目なんだ。
私が。
優しく、できるだけ優しく訊ねる。
「お燐は、気持ちを伝えようとしたんだね?」
「…うん」
「さとり様は、言わせてくれなかったんだね?」
「ぁ…あう…、う、ん」
「さとり様は、『ごめんなさい』って、言ったんだね?」
「…う…ん」
ごめんね、お燐。辛いよね。ごめんね。
私は、もう一度だけ、お燐をぎゅっと抱き締めた。
ごめんね。
そして、リビングへのドアを見据える。
巫山戯るな。
巫山戯るな、そう思った。
別に、お燐の気持ちに応えなくたって良い。それが、貴女の「心」が弾き出した結果なら。
だが。
お燐が、どんな想いで言おうとしたかもわからない、その気持ちを告げる言葉を。
言わせないで『ごめんなさい』する権利が、貴女にあるのか?
泣きながら、それでも貴女の「幸せな時間」を壊さない為に、声を殺していたお燐を前に、同じ事が出来るか?
それでいて、お燐の言葉を封殺して、あわよくば「何もなかった日常」を演じさせるつもりだったのか?
お燐に、「いつか言わせてくれるかも」と思いながら、笑顔を浮かべさせるつもりだったのか?
巫山戯るな。
お燐は私の大切な人だ。誰にも、傷付けさせない。
憤っているのが、私のエゴなのだって気付いている。でもこれは、感情の問題だ。
「お燐、ごめんね?少しだけ、部屋に戻っててくれる?」
「…?」
「大丈夫だよ」
大丈夫だよ、お燐は、傷つけさせない。
だが、今日の「お二方の幸せな時間」くらいは壊させてもらう。
それで嫌われるのは、私だけで良い。
お燐の気持ちだけは、絶対に守る。
ドアノブに、手をかけた。
その先の、「幸せな時間」に、力を込めた。
*
しかし、ドアが開く事はなかった。
「…お燐?」
お燐の手が、私の手を押さえていた。
強く。絶対に、このドアは開けさせないと言わんばかりに、強く。
「…ありがとう、お空」
目元を赤くしたまま、いつもの笑顔を浮かべる。
「ごめんね、あたいは、大丈夫だよ。ありがとう」
ありがとう、と二回言った。それは、もういいよ、と同義。
「ど…どうして?だって、さとり様は、お燐のっ」
だって、このままじゃお燐が壊れちゃうじゃない。
しかし、続く言葉は、遮られた。少しだけ、いつもより弱弱しい声で。
「さとり様を、こいし様を、嫌いにならないで」
笑顔で、言った。
声を、失った。 だって、 だって、
お燐は、ドアノブにかかった私の指を、一本ずつはずしていった。
「ありがとう、お空」
「だって」
「ありがとう」
もうそれ以上言わないで、と聞こえた気がした。
力が抜けるのを、感じた。
私は。
お燐が、嫌な事を、したいわけじゃない。
「お空」
「…なに?」
「お二人の邪魔しちゃあれだからさ、今から甘味処でもいこっか?勘定できないお空に、あたいが奢ったげるよ?」
顔を上げて、いつものように、軽い口調でお燐は言う。
その笑顔が、見ていられなかった。
「…行かない!」
私は、踵を返して、自分の部屋に向かう。
口惜しかった。
自分が、何も出来ないのが。
そして、気付いてしまった。
私が、お燐を「好き」な事に。
私は、お燐の「一番」にはなれない。
気持ちを伝えさせてくれないのに、「嫌いにならないで」と願えるような、現実を目の当たりにすれば、それはすぐにわかった。
だけど、そんなお燐の傍に、ずっと居たいと思った。
その気持ちは、「一番」になれなくたって、揺るがない。
そこまで知って尚、部屋についた私はドアを閉めて、泣いた。
さっきのお燐と同じ様に、ドアに背をもたげて。声をあげて。
「恋」は、始まる事はなかった。
でも、『下心』のない、「好き」という気持ちがある事を知った。
その気持ちに、明確な理由はなかったとしても。
事象を受け入れる事には、慣れているから。
だから今は、この涙も受け入れる。
「好き」を知った自分も、始まらなかった「恋」への涙も、全部受け入れるんだ。
そうやって、私は、お燐も、さとり様も、こいし様も、「好き」で居る事を、決めた。
*
今でも、私は膝を抱えるお燐を見る度、こっそり部屋で泣いている。
辛そうな笑顔を浮かべるお燐を見ると、そこに自分の「恋」の欠片を見るから。
でも、私が自分を「好き」である為に、それも全部認めている。
辛いよ?
辛いけど、「好き」なんだもん。気持ちが、変わってくれないんだもん。
そうやって、私は今日もみんな「好き」でいられる。
お燐もきっと、いつか気付く。
「恋」と「好き」は違っていて、
「恋」はいつか終わっても、いつまでも「好き」では居られるって事に。
その日が来たら、私は訊ねようと思う。
「恋と好きの違いって知ってる?」
って。
甘味処で、軽口でも叩きながらね。
一応そのままでも読める様にはなっていますが、そちらを読んでからだともうちょっと楽しめるかも。
*
「恋と好きの違いって知ってる?」
今の私は、この質問に淀みなく答える事ができる。
「『下心』があるかないか」
別に、『下心』がある「恋」を悪いと言ってるわけじゃない。
純粋に、そう思ってるだけ。
この質問に、きっと今のお燐は答えられない。
だって、まだ知らないから。
『下心』がない、「好き」って気持ちがあることを。
その「恋」が叶わなくたって、私達は、誰かを「好き」で居られる事を。
でも、きっといつかお燐もそれが分かる。
私達は、叶うことのない『下心』にずっと縋っていられるほど、強くはないから。
だから、私はお燐の傍に居る。
理由? 私はお燐が「好き」だから。それだけ。
そうだ、これは私が「好き」を知った日の話。
そして、多分、
お燐にもいつか来る、始まっていなかった「恋」の話。
*
その日は、朝から、さとり様の機嫌が良かった。
理由は簡単。こいし様が帰って来る日だったから。
普段は何処をふらついているかも知れないこいし様だけど、毎月この日だけは地霊殿に帰って来るのだ。
いつ時分になるかはその月によってまちまちだけれど。
どうしてこの日だけ、こいし様が「意識的に」帰って来れるのかは分からない。
多分、お二方だけの何かが、この日にあるのだろうと私は適当に考えている。
実は、こうやって分からない事を保留にしておきがちな私を、私自身は気にいっている。
だって、分からないのだから。その事象を受け入れた方が、辿り着かない解を求めるより余程楽である。
…まぁ、だからよくお燐には「お空は何にも考えてないんだから」「馬鹿お空」なんて言われる。
…別にいいもん。馬鹿だって。鴉だけど。
話は逸れたが、こいし様が帰って来る日は、さとり様の機嫌が良いのだ。
その理由も簡単。こいし様は、さとり様の「大切な人」だから。
お燐だって、(多分私だってきっと、)さとり様にとって大切な人なのは間違いないのだけれど。
こいし様へのそれは、私達に向けるものとは違う。
誰の目から見ても明らかなのに、その理由を聞くのがなんとなく憚られるくらいには。
優しい笑顔なら、私にだって向けてくれる。
叱ってくれる時は、怒り顔だって見せてくれる。
でも、壊れてしまった宝物を前にしたみたいな、あんなに悲しそうな顔は。
それでいて、それを捨てられない、子供の様な顔は。
こいし様の前でしか見せてくれないから。
だから、私達は聞けないままいる。
こいし様が、さとり様の「一番」である理由を。
私は、別にいい。さとり様も、こいし様も同じように大切だから。
「保留」にするのは、慣れてるし。
でも、目の前に、「保留」じゃ済まない馬鹿がいる。猫だけど。
私は、廊下で叱られた子供みたいにうずくまる、お燐に声をかけた。
「そこの化けね…馬鹿猫」
「…なんで言い直したのよ」
お燐は頭を上げ、私をジト目で見てきた。
良かった。目元は赤くない。 まだ。
私は得意げに見えるように胸を張る。
「上手い事言ったと思わない?」
「一回言いかけないと何と掛けたのか分からないようなのは、上手い事とは言わない」
「うぐ…」
少しは元気出た?
「なんの用?」
「ん?旧都に新しい甘味処が出来たんだって。昨日仲間の鴉が言ってた」
これは嘘。お燐とさとり様を二人にする為に地霊殿を出た時に、見つけただけだ。
「一緒に廃棄でも漁りに行こうって?あたいはそんな趣味ないけど」
「誰が廃棄漁りなんて言ったの…」
「金勘定なんてできそうもない頭じゃ、お金なんて残ってないでしょ」
実は、私達はさとり様から駄賃を貰っている。
私は火焔地獄跡を、お燐は怨霊を管理している、その対価と言っても良い。
「人型になれる二人は、旧都で遊ぶ機会もあるだろうから」と、毎月くれるのだ。
さとり様がそのお金をどこから捻り出しているのかまでは知らないけれど。
お燐の言った通り、私はあまり金使いが上手いとは言えない。
お燐みたいに月初めに貯金箱に入れたりなんかしないし。面倒なんだもの。
だけど、この日の為に、いつも少しだけは残してある。
何かと理由をつけて、お燐を外に出す為に。
辛い時間なんて、少ない方がいいに決まってる。
お燐が、さとり様に「恋」してるのに気付いたのは、いつだっただろうか。
ああ、こいし様の帰って来る日に、廊下でうずくまってるのを見たときからかもしれない。
気付いてからは、どうしようもないくらい、お燐はさとり様に「恋」してるのが分かった。
全ての行為が、さとり様の為にあって。
全ての言葉が、さとり様の為にあったから。
そして同時に、さとり様の「一番」がお燐でないことも分かった。
さとり様の全ても、こいし様に向いていたから。
だからこそ、言葉にして伝えない、お燐の気持ちも。
言葉にしなくてもお燐の気持ちを知っている、さとり様の気持ちも。
全部、理解した。事象を受け入れるのは慣れていたし。
だから、私はこの日、お燐を外に連れ出そうとする。
「お金ならお燐の分を出せるくらいは残ってるもん。これで行ったら全部無くなるけど」
「じゃあ取っておきな。お金は使ったら無くなるけど、甘味処はそうそうなくなんないからさ」
そして、いつものようにやんわりと断られる。
ひらひらと手を動かして、笑顔でお燐は私に言った。それは、暗に「ここから居なくなれ」という合図。
居なくなったら、泣くのかな。 嫌だな。
「…いいもん。独りで行ってくるから。そしてお土産を押し付けてやるんだ」
「無駄遣いしなさんなってば」
私はちょっと膨れたふりをして、お燐の頭を小突く。
お燐はそれに少し苦笑いをして、私を見送る。
それを背中に、私は外へ向かう。
甘味処なんて、独りで行く訳が無い。
「馬鹿お燐」
聞こえない様に、呟いた。
*
いつものように、適当に時間を潰して、地霊殿に戻ってきた。
こいし様はもう、帰ってきているようだ。地霊殿は洋館なので、靴では判別できない。だが、こいし様は帰って来ると、玄関の帽子置きに帽子かけておくのだ。
私は、複雑な溜息を吐いた。
帰ってきていなければ、また時間を潰しに外に出ていなければいけなかったし、
帰ってきていれば、ほら。
「…何やってんのさ」
リビングに繋がるドアに背中を預けて、やっぱりうずくまるお燐がいた。
頭も膝にうずめて、こっちを見ようともしない。
何をやってるのかは、知っていた。
お燐は、さとり様の歌を聞いてる。
今頃リビングの中では、ソファーの上で膝枕されたこいし様と、こいし様を膝に乗っけて子守唄を歌うさとり様が居るのだろう。
そこに入っていけないお燐は、その歌を聴いているのだ。
いじらしい? ここまでくれば、馬鹿馬鹿しいだろう。
外から見れば、の話だ。
「新しい甘味処、あまりに美味しくて、お燐の土産の分も食べてきたよ」
嘘だけど。今度一度行っておかないとボロが出るかな。
こうやって軽口を叩くことに意味があるかはわからないけれど、私は嫌なのだ。
お燐のこんな似合わない姿は。
「もう私の手持ちないから、今度はお燐のお金で連れて行ってね」
お燐は何も言わない。いつもは、軽口くらい返すのに。
「連れて行ってくれなかったら、あの貯金箱壊して、それで行くから」
何も言わない。嫌な、予感がした。
「…お燐?」
呼びかけて、お燐はやっと顔を上げた。
私の、一番見たくなかった顔を。
「っ…おく、おくう、…ぅあ、うああ…」
お燐が、泣いていた。
私の前で、憚らず泣いていた。
これまで、泣き顔だけは見せなかったのに。
「どう…したの…?」
私は、尋ねる。
いつもと違う親友を前に、戸惑いながら。
お燐の口が、ゆっくり動く。
「あたい、ね、…ひくっ、…さとりさまに、おね、…っおねがいしようと、した…」
私はお燐の背中を撫でながら答える。
「うん、ゆっくりで、いいから…。何をお願いしたの?」
しかし、お燐はいやいやするように、首を横に振った。
「おねっ、…おねがい、できなかった。あたいの…『あたいのいちばんに、なってください』って、いいたっ…ぅぁ…いいかった、のに」
「言えなかったの?」
気持ちを、伝えきれなかった自分が、口惜しいのだろうか。そう思って私は聞いた。
だが、お燐はやっぱり、いやいやをした。さっきよりも強く首を振って。
「っ…いおうと、したっら、『今日は、こいしが帰って来るから、ご馳走にしたの。上手く出来ていなかったら、ごめんなさいね』って…」
実際には、もっと途切れ途切れお燐は言ったのだが、さとり様は概ねそういう事を言ったらしい。
「あ、たい、いえなかった…!『いちばんに、なって』って、いえなかったよっ…!おくう、あたいっ」
なるべく大きく背中の羽根を広げて、お燐を包む。嫌なことなんか、何にも見えなくなるように。
私は、お燐のを優しく撫で続けた。リビングのドアを、睨みながら。
「大丈夫、大丈夫だよ」
何がかなんて知らない。でも、お燐は大丈夫じゃなきゃ、駄目なんだ。
私が。
優しく、できるだけ優しく訊ねる。
「お燐は、気持ちを伝えようとしたんだね?」
「…うん」
「さとり様は、言わせてくれなかったんだね?」
「ぁ…あう…、う、ん」
「さとり様は、『ごめんなさい』って、言ったんだね?」
「…う…ん」
ごめんね、お燐。辛いよね。ごめんね。
私は、もう一度だけ、お燐をぎゅっと抱き締めた。
ごめんね。
そして、リビングへのドアを見据える。
巫山戯るな。
巫山戯るな、そう思った。
別に、お燐の気持ちに応えなくたって良い。それが、貴女の「心」が弾き出した結果なら。
だが。
お燐が、どんな想いで言おうとしたかもわからない、その気持ちを告げる言葉を。
言わせないで『ごめんなさい』する権利が、貴女にあるのか?
泣きながら、それでも貴女の「幸せな時間」を壊さない為に、声を殺していたお燐を前に、同じ事が出来るか?
それでいて、お燐の言葉を封殺して、あわよくば「何もなかった日常」を演じさせるつもりだったのか?
お燐に、「いつか言わせてくれるかも」と思いながら、笑顔を浮かべさせるつもりだったのか?
巫山戯るな。
お燐は私の大切な人だ。誰にも、傷付けさせない。
憤っているのが、私のエゴなのだって気付いている。でもこれは、感情の問題だ。
「お燐、ごめんね?少しだけ、部屋に戻っててくれる?」
「…?」
「大丈夫だよ」
大丈夫だよ、お燐は、傷つけさせない。
だが、今日の「お二方の幸せな時間」くらいは壊させてもらう。
それで嫌われるのは、私だけで良い。
お燐の気持ちだけは、絶対に守る。
ドアノブに、手をかけた。
その先の、「幸せな時間」に、力を込めた。
*
しかし、ドアが開く事はなかった。
「…お燐?」
お燐の手が、私の手を押さえていた。
強く。絶対に、このドアは開けさせないと言わんばかりに、強く。
「…ありがとう、お空」
目元を赤くしたまま、いつもの笑顔を浮かべる。
「ごめんね、あたいは、大丈夫だよ。ありがとう」
ありがとう、と二回言った。それは、もういいよ、と同義。
「ど…どうして?だって、さとり様は、お燐のっ」
だって、このままじゃお燐が壊れちゃうじゃない。
しかし、続く言葉は、遮られた。少しだけ、いつもより弱弱しい声で。
「さとり様を、こいし様を、嫌いにならないで」
笑顔で、言った。
声を、失った。 だって、 だって、
お燐は、ドアノブにかかった私の指を、一本ずつはずしていった。
「ありがとう、お空」
「だって」
「ありがとう」
もうそれ以上言わないで、と聞こえた気がした。
力が抜けるのを、感じた。
私は。
お燐が、嫌な事を、したいわけじゃない。
「お空」
「…なに?」
「お二人の邪魔しちゃあれだからさ、今から甘味処でもいこっか?勘定できないお空に、あたいが奢ったげるよ?」
顔を上げて、いつものように、軽い口調でお燐は言う。
その笑顔が、見ていられなかった。
「…行かない!」
私は、踵を返して、自分の部屋に向かう。
口惜しかった。
自分が、何も出来ないのが。
そして、気付いてしまった。
私が、お燐を「好き」な事に。
私は、お燐の「一番」にはなれない。
気持ちを伝えさせてくれないのに、「嫌いにならないで」と願えるような、現実を目の当たりにすれば、それはすぐにわかった。
だけど、そんなお燐の傍に、ずっと居たいと思った。
その気持ちは、「一番」になれなくたって、揺るがない。
そこまで知って尚、部屋についた私はドアを閉めて、泣いた。
さっきのお燐と同じ様に、ドアに背をもたげて。声をあげて。
「恋」は、始まる事はなかった。
でも、『下心』のない、「好き」という気持ちがある事を知った。
その気持ちに、明確な理由はなかったとしても。
事象を受け入れる事には、慣れているから。
だから今は、この涙も受け入れる。
「好き」を知った自分も、始まらなかった「恋」への涙も、全部受け入れるんだ。
そうやって、私は、お燐も、さとり様も、こいし様も、「好き」で居る事を、決めた。
*
今でも、私は膝を抱えるお燐を見る度、こっそり部屋で泣いている。
辛そうな笑顔を浮かべるお燐を見ると、そこに自分の「恋」の欠片を見るから。
でも、私が自分を「好き」である為に、それも全部認めている。
辛いよ?
辛いけど、「好き」なんだもん。気持ちが、変わってくれないんだもん。
そうやって、私は今日もみんな「好き」でいられる。
お燐もきっと、いつか気付く。
「恋」と「好き」は違っていて、
「恋」はいつか終わっても、いつまでも「好き」では居られるって事に。
その日が来たら、私は訊ねようと思う。
「恋と好きの違いって知ってる?」
って。
甘味処で、軽口でも叩きながらね。
相手にもまた、自分とおなじ心を持ってほしいから、そう書くのである。
人類は異性、たまに同性、奇特な所では神仏に対する下心を原動力にして世界を回して来たんだ。
最低なんかじゃ決して無い、下心最高!!
私は設定が続いている前二作を読まずに今作を拝読しました。
今の所は作品集を遡るつもりはありません、ごめんなさいね。
だってもうちょっとの間、お空に肩入れしてあげたいから。心情的にね。
切ない…切ないですねえ…
お燐、お空…