少女は、目を覚ました。
平時の快適な目覚めではない、物理的な衝撃による強制的な覚醒である。
「いったぁーーーーい! 何よもう!!」
少女は盛大に怒鳴り声を上げながら飛び起き、周囲を見渡した。
うらぶれた和風建築の建物に、赤色の門状の柱。整然と敷き詰められた玉砂利。
普通ならば、これらの情報から現在の場所を認識するのは容易である。
が、悲しいかな、少女にはそこから答えを導き出せる程の状況把握能力を持ち合わせていなかった。
端的に言うならば、おバカであったのだ。
「どこよここ……というか、私何してたんだっけ」
それでも、現状を把握しようという努力だけは惜しむ事は無い。
……まぁ当たり前の事ではあるのだが。
「あー、そうだ。確か散歩してたら急に変な声が聞こえてきて、それで気持ち悪くなって……」
そこまで思い出した所で、少女の思考は中断を余儀なくされた。
「ひゃっ!?」
突如として上空から飛来した弾幕を、寸での所で飛び退ける。
恐らくは先程の衝撃もこれによるものだったのだろう。
「ちょっと、一体なんだってぇのよ!」
弾幕の飛んできた方に向かって叫ぶ。
見ると、上空では二人の妖怪が対峙していた。
片方は、蝙蝠のような羽を持った小柄な少女。
もう一方は、巨大な扇を背に掲げた和風の少女。
「消し飛べ! この詐欺亡霊!」
「砕け散りさない! このイカサマ吸血鬼!」
常軌を逸した表情を浮かべつつ、猛烈な勢いで弾幕を展開する二人。
少女の叫びなど、まるで耳に届いていないようである。
「ふざけやがって~~!」
少女……チルノは、憤りをぶつけるかのように、一枚のスペルカードを展開した。
「落ちろっ! 『霜符』フロストコラムス!」
縦横無数に立ち並んだ大量の氷柱が、目標へと一斉に放たれる。
正確に狙いを付けたものではない、数で勝負の典型的な弾幕である。
速度を増した氷柱は、目標を埋め尽くさんかの勢いで押し迫り……
「ふんっ!」
瞬きする間も無く、すべての氷柱は霧散した。
これにはチルノも唖然とする他無かった。
別段、必殺の意を込めて放ったカードという訳ではないものの、
これまで幾度となくやってきた弾幕ごっこにおいて、それなりに効果をもたらしてきた一枚ではあった。
それが、僅かに腕の一振りで掻き消されたのだ。
事も無げにそれを行った相手は、目の前の相手にのみ視線を向けていた。
要するに、攻撃した事すら気が付かれていないのである。
「あ、あはは……」
思わず乾いた笑いが出る。
いかに無茶無謀が専売特許のチルノとはいえ、ここまで徹底的にレベルが違うと、流石にヤる気も萎えていた。
「そ、それじゃ帰ろうかなーっと」
回れ右をすると、全速を持って後方へと進軍を開始した。
「(危なぁ……アレって確か赤い家の親玉だよね……)」
チルノが住処としている湖に居を構える紅魔館の主、レミリア・スカーレット。
直接、何かしらの接触があった訳では無いものの、その噂はチルノの耳にも届いていた。
そんな大物と下手に事を構えては、何をされるか分かったものではない。
もう一人の妖怪はまったくチルノの知る所ではなかったが、何せレミリアと戦っているくらいだ。
恐らくは同等の力の持ち主なのだろう。
「逃がすかっ! 麻雀と同じで姑息な真似ばかりを!」
気付かれたかと思い、身を竦めたチルノだが、それは自分に向けられた言葉では無いと悟った。
「その言葉、そっくりそのまま返させて頂きますわ! 今日もイカサマご苦労様!」
例の少女が、自分の間近まで接近していたからだ。
「ちょ、ちょっと! なんでこっち来るのよぉ!」
チルノは半泣きになりながら、さらなる加速を試みるも、その少女にむんずと襟首を掴まれてしまう。
「ぐぇっ!」
「死ねぇ!!!」
物騒な台詞と共に、チルノは投擲された。
「ぁぁ ぁ ぁ ぁ ぁ ぁ ぁ!」
ドップラー効果を実証しながら、一直線に突き進むチルノ。
その速度は軽く音速を超えている。
抗うとかそういうレベルではなかった。
次第に霞んでいく視界の中、最後に目に入ったのは、
身体に似合わぬ巨大な槍を振りかぶったレミリアの姿だった。
紅魔館のある湖の畔に、妙に目立つ一軒の家があった。
屋根から壁から床からすべてが氷で作られたその家は、外気温の上がってきたこの季節にもかかわらず
一片として融解する事なく、悠然と形を保っている。
そんな家の中で、一人の少女がお茶などを啜っていた。
無論、中身は冷茶である。
「チルノ、遅いわね……ただの散歩って言ってた癖に、どうしたのかしら」
心配そうに呟くのは、冬の忘れ物ことレティ・ホワイトロック。
この家が形を保ち続けていられるのは、彼女の魔力によるものである。
寒気を自在に操る彼女にとって、この程度は造作も無い事だ。
「……もっとも、あの子の散歩が『ただ』で済むほうが珍しい、か」
ため息をつきながら、何ともなしに窓を開け放つ。
たちまち冷たい北風が吹き込んできた。
「いい風……でも、この分だとそう長くも無いかしら」
夜空には綺麗な満月が二つ、その淡い光を放っている。
「……え、二つ?」
ぱちぱちと瞬きをして、もう一度空を見やる。
浮かんでいる月は、一つ。
「何だったのかしら今の……」
もう一つ、月らしき物が見えた方向を凝視する。
と、その方向から何かが猛烈な勢いで近づいて来るのが見えた。
その何かというのが、人影であるのを認識したその時、
既にそれは窓のすぐ外……湖に強烈な音と水飛沫を上げて着水していた。
唖然としていたレティだが、その着水した人影を確認すると、思わず叫びを上げた。
「チルノっ!?」
「一体誰がこんな酷い事を……」
今だ目を覚まさぬチルノを前に、レティは憤りを抑えきれずにいた。
発見した時の姿と言ったら、それはもう酷いもので、目どころか色々と当てられない様であった。
幸いにもチルノは妖精の一族であり、こういった外傷の治りは非常に早いため、
今は顔色が悪い程度で、普段とほぼ変わらぬ様子にまで回復していた。
とは言ったところで、怪我は怪我である。妖精だろうが痛いものは痛い。
確かにチルノは普段から弾幕ごっこに興じる事が多く、怪我をするのも数え切れないくらいだが、
この有様はごっこの範疇を超えている。
「……う……」
「チルノ、大丈夫!?」
「ん……あれ、レティ?」
きょとんとした表情で辺りを見渡すチルノ。
「良かった、気が付いたのね……」
思わずチルノをぎゅむと抱きしめる。
「ち、ちょっと、痛いよレティ」
「あ、ご、ごめんね」
そう言いながらも、チルノの表情は別に嫌がったものではない。
この辺りに、二人の関係が見えるようだった。
「それにしても……一体何があったっていうのよ。散歩にしてはバイオレンスに過ぎるんじゃないの?」
「むかー! 私だって好きでやったんじゃないわよっ!」
ぷんすかと怒りながら、チルノは経緯を語った。
事象が途切れ途切れなので、イマイチ要領を得なかったものの、大体の事は把握できた。
「ふらふらっと飛んでいたら、いつの間にか神社まで来ていた。
そこで突然何者かの呪詛を受けて気絶。
すぐに目を覚ましたものの、今度は物理的に襲われた。
それぞれは大した奴じゃなかったけど、卑怯にも二人がかりでやられた為に敗退。
何とかここまでは戻ってきた所で力尽きた……と。そういう事?」
「ん、まぁ、そんなとこね」
何故か偉そうに頷くチルノ。
「(……恐らく、後半はほとんど誇張ね)」
チルノのプライドを尊重して、口には出さない。
「で、その襲ってきた相手ってどんな奴なの?」
「一人はあの悪趣味な家の吸血鬼だったけど……もう一人は知らない」
検索条件、一致。件数一件。
「……よりにもよって、あのお嬢様なの……」
この場所に居を構えている以上、その存在は嫌でも伝わってくる。
到底チルノの太刀打ちできる相手ではない。
「……ああ、それと、その知らない奴って、どんな格好してたか覚えてない?」
「分かんないわよそんなの。……あー、そう言えば頭にへんなぐるぐる模様くっ付けてたかも」
検索条件、一致。件数一件。
「……はぁ、更に厄介な相手ね」
レティはため息をつきつつ、内心で頭を抱えていた。
何の罪も無いチルノを、無慈悲にも害したことは、まったくをもって許し難い。
速攻乗り込んでいって、札幌雪祭りの会場にしてやりたい所だ。
……だが、いかにも相手が悪すぎる。
相手は共に幻想郷のヒエラルキーの最上位に位置する怪物である。
真っ向から挑んだところで無様に屍を晒す結果になるのは目に見えている。
だからと言ってこのまま泣き寝入りするのだけは耐えられそうに無い。
「(私は一体どうしたら……)」
「あー、レティ? 何悩んでるのか知らないけどさ、元気出そうよ。ね?」
チルノが何の邪気も無い、無垢な笑みを向けた。
一番辛いのは、被害にあった当人のチルノだろうに。
その健気さに思わずフリーズアクトレスをぶちかまして永久保存したい衝動に駆られるが
何とかそれを氷結の意志で押さえ込む。
鋼鉄ではない、そんな数千度如きで溶かされるような柔なものではないのだ。
「ところでさ、まーじゃんって何?」
「……は?」
突如として発された言葉に、レティの思考はパーフェクトにフリーズする。
「あいつらさぁ、まーじゃんでどうとかこうとか言いながら喧嘩して……
じゃなくて、売って来たのよ。そんなに凄いものなの?」
「……」
次第にレティの表情が怒りに染まっていく。
「麻雀……よりにもよってアレの為にチルノは散らされたと言うの……!?」
「いや、散ってないから」
「許せない……絶対に!!」
普段の温厚さは何処へやら、怒髪天を突くといった形相で立ち上がるレティ。
「チルノっ!」
「は、はいっ」
思わず起立するチルノ。
気分は鬼軍曹に睨まれた新兵だ。
「あいつらに、仕返ししたい?」
「……そりゃ、したいわよ」
「なら、これから一週間。何も言わずに私の指示に従いなさい。いいわね?」
「はぁ?」
「返事はイエス、サーのみ!」
「イ、イエス、サー!」
一つしか無い選択肢、それは一般的に強制と言うのだが、それに気付く事のできないチルノ。
もっとも、気付いたところで反抗する気も起こらなかったろう。
連中に一泡吹かせてやりたいという気があるのも事実なのだ。
「……とりあえず今日の所はお休みなさい」
レティは一瞬で何時もの温和な表情へと戻ると、チルノを布団へと寝かせた。
切り替えの早さは幻想郷住人の必須条件なのだろうか。
「う、うん」
戸惑っていたチルノだが、余程疲弊していたのだろう。すぐに寝息を立て始めた。
「……」
レティは暫くの間、その寝顔を見続けていた。
安らかな表情のチルノに対して、レティの顔に浮かんでいるのは……悲しみ。
やがて、静かに立ち上がると、冷蔵庫……もとい、クローゼットの扉を開けた。
「もう一度だけ……世話になるわよ」
一週間後。
「ふわぁ……ねむ……」
チルノは、あまり快適とは言い難い目覚めを迎えた。
もっともそれは今日に限った事ではない、ここ一週間ずっとだ。
「んー、なんでだろ……ま、どうでもいいや」
考えても分からない。
だから考えるのは止める。
これぞチルノ流二段論法である。
顔を洗い、着替えを済ませた所で、レティの姿が見えない事に気が付いた。
いつもなら起きて直ぐに顔を合わせる筈なのに。
「おはよう、チルノ」
そう思った所で、背後から聞きなれた声がした。
「あ、おはよーレ、ティ?」
振り向いたチルノの言葉が一瞬詰まる。
違和感。
そうとしか言い様の無い感覚を受ける。
確かに姿形はいつものレティではあるのだが、何かが決定的に違った。
「……違うわチルノ。今から私はレティ・ホワイトロックじゃない。
ただの『黒幕』よ」
そう言い捨てると、玄関へと向かって歩き出した。
「え、どこ行くの?」
「調べは付いているわ。奴らは間違いなくまたあの場所にいる。
今日がその勝負の時……そして、破滅の時」
振り向く事なく、空へと身を躍らせるレティ。
チルノは慌ててその後を追う。
この時、チルノは既に違和感の原因に気が付いていた。
だが、それを口にする事は出来なかった。
言えなかった……。
だから、一人。
心の中だけで言った。
『自分、それ黒幕やのうて黒シャツちゃうんかい』
暦上はもう春であるというのに、肌寒いどころか凍えるような陽気。
空はぶ厚い雲に覆われ、今にも雪でも降ってきそうな天気である。
「はぁ」
一人、縁側に座っていた霊夢は、そんな空を見上げつつ、深いため息をついた。
ため息をつく度に幸せが逃げるというのなら、彼女の幸せはとうにマイナスに転じ、
もはや返済可能限界を突破していることだろう。
その理由は……。
「ロン。リーチ三暗刻ドラ4に裏も乗ってドラ8。……これでドボンね」
「ドラ爆!?」
「ちっ、またトビか。今日はツイてないぜ」
「ピンは100GIL……ピンは100GIL……ピンは100GIL……」
かちゃかちゃという陶器がぶつかる音、そして喧騒。
それは既に、霊夢にとっては聞き慣れた物となっていた。
「はぁ」
再びため息をついて、手に持っていたお茶を啜る。
その中身は既に冷え切っており、それがまた一層、霊夢の心境を重くさせた。
「はぁ」
三度ため息をつきつつ、立ち上がって室内へと向かう。
大して広くもない部屋の中心に置かれた雀卓と、その周辺に群がる人妖達。
これもまた、見慣れた光景である。
あの壮絶かつ無意味な戦いから一週間。
味を占めたのか、連中は毎日押し寄せては闘牌を繰り広げていた。
それだけならまだしも、噂を聞きつけた博打好きの妖怪どもまでやってくる始末である。
当初は追い出しにかかっていた霊夢だが、事の発端でもある某妖怪から
『いっそ場代でも取ったほうが良いんじゃない? どうせ追い出しても来るんだし、
お賽銭を当てにするよりは堅実かもしれないわよ』
という魅惑的な進言を受け、気が付けばこのような状況となっていたのだ。
今では本業は雀荘のマスター、副業巫女というのが正解かも知れない。
無論、霊夢は激しく後悔しているのだが、希少極まりない収入源を得たという事を思うと、止めるのも惜しまれる。
そんなジレンマが、例のため息を生み出していた。
新しいお茶を注きつつ、卓を見ると、丁度決着が着いたところのようだ。
不機嫌そうな魔理沙と対照的に、レミリアがにこやかにスコアを書きとめている。
その横ではアリスが俯いてぶつぶつと呻いているが、これはいつもの事なので大した問題ではない。
「さて、もう半荘行きましょうか」
「あ、私もそろそろ行かないと……」
妖夢が思い出したかのように席を立つ。
も、というのは30分程前に出かけて行った咲夜を指しての事だろう。
従者には色々やる事がある、だそうな。
「では幽々子様、後はお願いします」
「ええ、行ってらっしゃい」
入れ替わりで、心底暇なのであろう主人の幽々子が席に着く。
「……」
心なしか、レミリアの表情が不機嫌なものへと変わったように見えた。
この二人、元々仲良しという訳では無かったが、それでも酒を酌み交わしては談笑する程度の関係ではあった。
が、あの日以来、どうにも殺伐としたものになっていた。
どちらかと言えば、レミリアが一方的に敵視しており、
それを幽々子が相変わらずの対応で、のらりくらりとかわしている、という状態である。
「……レート変更よ。1000点30000GILのワンスリー。更に割れ目に焼き鳥……」
「いやああああああああああああああああああああああ!!!」
突如、アリスが暴れだした。
あの日の一件がトラウマとなっているのだろう。
ついには頭を抱えて部屋の隅に蹲ってしまう。
「破産は嫌! 破産は嫌! 破産は嫌! 破産は嫌!」
「落ち付けアリス! まだ負けるって決まった訳じゃないだろ!」
「ま、魔理沙……ううん、駄目……駄目なのよ私は……肝心な時はいつもそう……」
「ふざけるな! やりもしない内から決め付けるんじゃない! それでも男か!」
「わたし、女の子……」
「そんなもんどっちでもいい! いいかアリス、お前は勝てる! 間違いない! 保障する!」
「本当に……? 人形達を質に入れなくても大丈夫……?」
「ああ、私はデマは飛ばすが嘘は吐かない。だからこの誓約書にサインしろ。そうすればお前は勝てる」
「うん、サインする……」
「アリスー! マタ ダマサレテルヨー!」
「こ、こら、余計な事を言うな!」
「(……抜けりゃいいじゃないの)」
二人の漫才を見て、霊夢が心の中で突っ込む。
それにしても、だ。
どうして麻雀となると、どいつもこいつもおかしくなってしまうのだろう。
「……」
霊夢はすぐに考えるのを止めた。
面倒だからでも答えが出ないからでもない。
人の事は言えない、と気がついたからだ。
「はぁ……」
もう幾度目とも知れないため息をつきつつ、再び縁側へと座り込む。
恐らくこの調子だと、今日も遅くまで打ち続けるつもりだろう。
「博麗神社というのはここかしら?」
「……ん?」
予期せぬ声を受け、霊夢が顔を上げる。
白を基調とした衣装の上に、何故かまるで似合わない黒シャツを羽織った少女がいた。
「あー、あんた確か……誰だっけ?」
「……覚えてないか。ま、いいわ。黒幕とでも呼んで頂戴」
「はぁ、黒幕ねぇ……んで、何か用なの?」
「雀荘に来たらやる事は一つでしょう。打たせてもらうわよ」
「……」
神社であると自分で言ったにも関わらず、この物言い。
もしかしたら『博麗神社』という名前の雀荘と思われてるのだろうか。
「グレてやる……」
「は?」
「……ああ、何でもないわよ。打ちたきゃ勝手にして頂戴。場代は払ってよね」
「ええ、ではお邪魔するわ」
一礼すると、黒幕とやらは室内へと消えた。
何かがその背中に張り付いていたようだが、面倒なので追求しなかった。
「はぁ……」
今日も霊夢の幸せは、大絶賛逃亡中であった。
「いたーーーーー!! あいつらだ!!」
その大声に、室内の注目が集まる。
声の主は、透き通るような小さな羽根を持った小柄な少女だった。
「お、チルノじゃないか。それと……レティ、だったか?」
「あら、あなたは物覚えが良いようね。……でも今日の私はレティじゃないわ。ただの黒幕よ」
「……なんだそりゃ。訳がわからんぞ」
レティは魔理沙の言葉を流すと、席に着いていた二人……レミリアと幽々子へと顔を向けた。
「この間はチルノが世話になったようね」
「「……?」」
その言葉に、二人は疑問符を浮かべる。
まぁ当然と言えば当然なのだが。
「あの、何の事かしら?」
「ふざけないでよっ! あんだけの事しといて……もがもが」
怒鳴り返すチルノの口をレティが慌てて塞ぐと、ずるずると部屋の隅まで引き摺った。
『ちょっと、何すんのよっ!』
『いいから。今は私の言う通りにしなさい。復讐したいんでしょう?』
『むー……』
渋々といった感じでチルノは怒気を抑える。
それを見たレティは、僅かに驚きを浮かべた。
「(……氷精の癖に瞬間湯沸かし器みたいなこの子が、こうもすんなり引き下がるなんて……本気のようね)」
納得したように一人、小さく頷くと、改めてといった感じで卓へと向き直る。
「覚えてないのならそれで構わないわ。思い出させてやるまでよ」
「訳の分からない事を……要するにお前は喧嘩を売りに来たということか?」
高圧的な物言いでレミリアが返す。
彼女は回りくどい事が嫌いなのだ。
「まぁ、そんな所ね。もっとも、喧嘩の手段は……」
レティは席に着くと、伏せられていた牌の一つをひっくり返した。
その牌は、白。
「麻雀よ」
そんなやり取りを、離れた所で眺めるアリスと魔理沙。
「何か、流れから取り残されちゃったわね……」
「ああ、そうだな」
「ま、打ち続けで疲れたことだし、丁度良かったわ」
「ああ、そうだな」
「ところで魔理沙。この誓約書は何のつもりかしら?」
「ああ、そうだな」
「……」
「ああ、そうだな」
「霊夢って、着痩せするタイプだと思わない?」
「ああ、そうだな」
「私の事、愛してる?」
「あの黒幕とやらは只者じゃないな……何かオーラみたいな物を感じるぜ」
「しっかり聞いてるんじゃないのぉーーーー!!」
等と相変わらずの漫才を繰り広げる二人であるが、場の空気から取り残されていたのは事実であった。
「ねー、レティ。こないだ言ったじゃん。私、まーじゃんなんて知らないよ?」
一種、緊迫していた空気を打ち破ったのは、チルノの能天気な一言だった。
「何よ、そんな奴を連れて勝負しようと思ったの? 舐められたものね」
「……ふふ、それはどうかしら」
レティは小さく笑うと、卓上の牌を素早く並べだした。
三三三四五六七 北北北 発発発
「チルノ、これは何面待ち?」
「24578萬の五面待ち。……へ? あれ?」
淀みなく答えた事に、一番驚いていたのはチルノ自身だった。
「へ? へ? なんで? どーして?」
「ふふ……睡眠学習の効果が出たようね」
「す、睡眠学習?」
そう言われると思い当たる節があった。
あの日、レティから脅迫紛いの宣告を受け、何をされるのかと戦々恐々としていたのだが、
実際は特訓らしき物を受ける事も無く、淡々と今日まで過ごして来た。
にも関わらず、何故か寝起きだけはやたら悪かったのだ。
「この一週間、あなたが寝てる間に、麻雀の技法の数々を刷り込ませ続けたのよ。
他にも遊んでいるときのサブリミナル学習から食事への薬物混入等々……その成果がこれよ!」
「そ、そーなのかー!」
何故か両手を広げて答えるチルノ。
これも睡眠学習の効果なのだろうか。
「それって、睡眠学習じゃなくて洗脳じゃないの……?」
「と、いう訳で、この勝負受けて貰うわよ」
アリスの疑問を涼やかにスルーして、宣言するレティ。
「ふふ、面白い。良いわ、まとめて叩き潰してあげる」
ニヤリと笑いつつレミリアが答えた。
が、もう一方の幽々子はというと、何やら難しい顔をしていた。
「んー……」
「何よ、あんたがやる気じゃないと意味無いじゃないの」
「……ん、やるわよ? ちょっと考え事してただけ」
言葉とは裏腹に、幽々子はある予兆めいたものを感じていた。
この勝負、そう甘いものではない、と。
冷え込みの激しい春の日の昼下がり。
博麗神社にて、また新たな戦いの歴史が刻まれようとしていた。
ひとえにそれはZUN帽と呼ばれる柔らかい布製の帽子についてなのだが、これを冠するものを列挙していけば、七曜の魔女、紅魔館の吸血鬼姉妹、天衣無縫の亡霊、九尾の狐と式、そして幻想の境界。このように幻想郷でも名立たる妖魔妖怪がこれを好んで着用している。
しかしこれは裏を返せば、実力のある妖魔妖怪でしかそれを着用する事をゆるされていないのではないか?という仮説が成り立つのである。
この度、雀荘に現れた『黒幕』。
レミリア、幽々子この2大妖を前に、しかし彼女の頭にもまた、白く柔らかい布の帽子が風に翻っているのである。 私の仮説が正しければ果たして・・・。
女性の方でも気軽に麻雀を楽しめる明るい雀荘です。
とか言う売り文句を思いつきましたが、元々女性ばかりで、しかも掛け金が半端じゃなくて気軽とはほど遠いというオチ。
というか、サブリミナルに薬物混入って思いっきり犯罪ですよレティ!
…それはともかく、次回楽しみにしております。
壮絶な戦いを期待しています。