その少女には何者にも譲れぬ、只一つの願いがあった。
大智万能であるがゆえに、存在意義も欲求も希薄であった少女が初めて心の底から
”欲しい”
と望んだ感情、
永遠に続く刹那の恋。
刹那に凝集された永遠の愛。
それは
そう、この世のすべてを敵に回してでも叶えたかった――無垢なる想いなのだ。
アポロ異聞 幕間 「 永遠の道化師 -妖星乱舞- 」
†
女が 歩いていた。
――カツ
<長い回廊を蹂躙する軍靴>
カツ カツ
――世はなべて、事も無し。
カツ カツ カツ
――我が謀(はかりごと)此処に極まれり。
カツ カツ カツ カツ
――すべては、姫のために。
……
…………
長い長い――無限に続くとも思える廊下を、颯爽と肩を靡かせて行進する女が独り。
凛とした姿勢。スレンダーながら出るところは出て引っ込むべき所は引っ込んでいる理想的な体型を、狩猟と潔癖を司る月の女神アルテミスのように禁欲的な軍服姿が包み込む。彼女が着用している衣装は、軍服といっても俗物的な下品感は露ほども無く、頭の先から爪先まで漆黒の色調で統一された高級感漂う美麗な配色。左右の襟元にはそれぞれ上弦・下弦の弓月をあしらったルーン文字のような黄金の徽章が輝く。その出で立ちは――そこはかとない色気と背徳感が多分に含まれた――極めて破壊的な代物であった。
王冠のように載せられた変形ベレー帽から覗く長い長い銀糸は、風も無いのにサラサラと後方に流れ、背中に垂らされた几帳面に編み込まれた三つ編みが ゆらゆらとゆらゆらと 死刑囚を永眠に誘う首吊りロープのように、死を思わせる危うい魅了の魔力を秘めて揺れていた。
少女が歩む廊下は異様に長い。それもその筈、此処には永続的に試練の罠が発動しているのである。
だが、なにゆえ外敵が侵入した訳でもない本拠の廊下で、このような無駄とも思えるトラップを貴重な魔力を消費して発動させ続けなければならないのか。
それは彼の組織”永遠亭”の実権を事実上掌握しているこの少女の提唱した、信念に満ちた発言に端を発していた。即ち――
優秀なる月の末裔に仕える者は、常に己が有能であることを総統閣下に示し続けなくてはならない。
たとえ誇り高き我らが組織の一員であろうとも、廊下に仕掛けられた無限ループ幻術を見破れぬ程度の力なき雑兵には、いと麗しき至高の我が姫に奉仕する下僕を務める資格なぞ皆無である。無能であるということは、それだけで罪。ぬるい俗世ではいざ知らず、無能とは永遠亭において許されぬ大罪なり。少女の私的見解ではあるが、紅魔館、白玉楼の偽カリスマどもとは違う――真にカリスマ溢るる敬愛すべき姫の持ち物、永遠亭の優秀性を貶める無能者どもはすべからく処断されるべきである。この――確固たる目的意識と絶対忠誠が無ければ突破できぬ――”淘汰回廊”にて。幻術の蜘蛛糸張り巡らされし13階段へと到る廊下で、無能者は情け容赦なく選別され無限螺旋の閉鎖地獄へと堕ち、無為に朽ち果てるのみ…。
永遠亭――彼の地は姫を讃える楽園(エリュシオン)でもあり、一度加入したが最後死ぬまで逃れられぬ奈落(アビス)でもある。
そう、此処には無駄飯喰らいの下等な輩など……
女が、ふと――廊下の隅に放置された襤褸布のかたまりに視線を向けた。
永遠廊下の呪いに晒され、ごく短期間で悠久の時間を経て老化したと思しき布切れには、妖怪兎のものらしき白骨が、寂寥とした残留思念と共に、凍えるように身を抱えた姿勢でくるまっていた。
その者にとって、
死は、やすらぎだったのか――
それとも……
白骨死体。それは恐らく、己の忠誠心の行方に疑問を持ってしまい、此処永遠亭に訓示される”素晴しき”生き方についていけなくなった下級兵卒の成れの果て。死因は――惰弱、かつ無能なレゾンデートル(存在理由)。これは此処、永遠亭で生きようとする者が決して抱いてはならない悪徳、結社入団時の洗礼において厳重注意された基本条項のひとつである。なんとも行き届いた邪悪でありながらも親切極まりない新人教育よ。……にも関わらずコイツは死んだ。言うなれば、この兵士(教団末端構成員)は自分の心に負けたのだ。その結果が、この、くだらない…無意味な行き倒れ死体なのであろう。
……。
「…ふん」 女は同志であった筈の遺体に黙祷するそぶりも見せず、ソレを無視。そのまま通り過ぎようと屍から視線を外しその場を後にする。
カツ
カツ
カツ…
「……」 ぴたり。
立ち止まった。女は無言で屍に向き直る。
そして――彼女は場に満ちた穢らわしい未練を払拭するかのように、腕組みしていた両腕を――まるで独逸、格式高き歴史ある交響楽団の指揮者の如き壮麗な動作で頭上に振り上げた。
バサァァ……ッ
軍服としか見えぬ教団幹部装束に羽織った黒い外套(マント)が、女の挙動に合わせてぶわっとはためいた。
その外套は彼女の永き人生に於いて唯一輝けるたいせつなもの、黒髪の姫君を連想させる色。ぬばたまの如き漆黒の闇を象徴する外地をベースに、裏地は紅魔の嬢もかくや、という程不吉で禍々しい緋色で染め上げられていた。
赤と黒。
狂気と、陰謀の――色。
ジャキッ…
女の両手には指揮棒(タクト)の代わりに、
” MAUSER(モーゼル) M712 ” が二丁。
それは奇妙なフォルムの銃であった。
まず目に付くのが、グリップ内臓方式とは一線を画する独特の装填方式――
トリガー前にずぶり、と差し込むかのように埋葬された黒い長方形。
その正体は――親愛なるゴミ屑諸君に確実な死を届ける――不吉の詰まった弾倉の棺なり。
そのどす黒いマガジンに装填される弾丸は、幻想郷一の人体破壊医術研究家のエキスパートである彼女が、幾多の人妖実験を経て完成させた特殊な薬品を含む”特殊反応座薬弾”
用途に応じて各種取り揃えられたいかがわしさ大爆発の20連装7.63モーゼル弾は、狙った獲物を踊り狂わせていたぶるかのように、魔薬配合された弾丸をフルオートでばら撒くことが可能。
ライエンホイヤー(連射)から、シュネルホイヤー(速射)へ。
そう…このモーゼルという銃は、まさに、名も無き熟達のガンスミスが暗い情熱を命がけで注ぎ込んだ職人魂の結晶とも言える、完成された一個のアーティファクトなのである。
……。
女は二丁拳銃の銃把を握る両腕を厳かに前方に伸ばした。
その腕を絡ませ天地に対して水平に銃口を傾けて構える様は、見るべきものが見れば――魔術と知識、医術などを司るトリスメギストス、ヘルメスの杖――カドゥケスを連想させる。
Achtung(アハトゥン)
――傾注せよ…!
二丁の毒蛇の台座に刻まれた銘、それこそまさしく…
『カドゥケス』
其は、二匹の蛇が螺旋状に絡み合う――医術と魔術、神秘のシンボルであり、
永琳が得意とするモーゼル二丁による水平フルオート射撃の名称でもある。
二本の両腕はそれぞれ永遠に許されざる生命の簒奪者”蛇”を意味し、
うねる蛇身の鎌首で牙を剥く真闇の口腔は、秘儀洗礼を施したモーゼルの銃口なのだ。
愚昧なる八意無き亡者どもよ…
医術の起源は魔術なり。
この薬学の粋を凝らした魔弾の前に、汝らは等しく戦慄するであろう。
無意味なことなれど…赦しが欲しくば…我らが姫の前に、穢き地に額を擦りつけ、ひれ伏すがいい。
その古代より現代にまで連綿と受け継がれる力ある魔術象形は、月世界のみならず幻想郷に於いても最高の天才と呼称される教団最高幹部――
神聖永夜第三帝国『永遠亭』総統代行
【 八意 永琳 】
にこそ相応しい。
己の信仰対象以外すべてを見下した、ひややかに冷め切った視線が、細くスマートな銃口の先にある『物体』に向かった。片目を瞑り、柔和とさえ思える首を傾げる所作。だが、それは処刑執行の無機的儀礼動作に過ぎぬのだ。そして…執行者、八意 永琳の清楚な口元が滑らかに上下し――面倒臭そうに、美しくも恐ろしい謳い文句を口ずさむ――
「his body to the suppository, earth to earth, ashes to ashes, dust to dust」
(彼の者の屍を座薬にゆだね、土は土に、灰は灰に、塵は塵に帰すべし)
――エイメン、という祈りと二丁のモーゼルが火を噴いたのは同時。
聖書の獣が――世界の終末に地上の生きとし生けるものすべてを贄として貪り喰らうかのような――連続した、聴くに堪えぬ物凄まじい咆哮が、無限に広がる淘汰回廊全体に反響した。
……
…………
「……感謝せよ。私の慈悲が貴官の無様な屍を解体したことを」
くるり 最早跡形も無い屍を背にする。
カサリ… マントの下で左腕の教団シンボル”杵十字腕章”が微かな擦過音を立てた。
カツ
カツ
カツ…
永琳は、気まぐれに興したささやかな葬送パレードの事実を闇に沈め、歩みを再開した。
向かう先は――
総統、蓬莱山 輝夜を崇拝する、志を同じくしたSS幹部連中の待つ集会場。
だが、その前に――
「……アポロ、また貴様を遣わねばならぬのか……。我らの暗躍を悟られぬ為とはいえ、腹立たしいこと」
永琳はチィ…と舌打ちしながら忌々しげに廊下の床板を踏む軍靴に力を込め――――カツン、と踵を一度打ち鳴らし、いつもアポロに依頼を行なう秘密の暗室へと行き先を定めた。
アポロ13。デューク東方とも呼称される稀代のスナイパー。彼女は超人思想”ツアラトゥストラ”に勘違い気味のヒントを得た八意 永琳が、度重なる薬物投与とあらゆる状況を視野に置いた徹底的な戦闘教練により完成させた要人暗殺のプロフェッショナル。それは”鈴仙・優曇華院・イナバ”であった可愛い少女の、無残な成れの果ての姿でもある。
その筋骨隆々としたどこかの殺し屋を思わせるシルエット。ニヒルで隙の無い性質は、例えようも無い程完膚なきまでにオリジナルの萌え要素を排斥され尽していた。師である永琳ですら、無償でアポロを従えることは不可能。…今の洒落の通じぬ彼女に「うどんげ♪」などとのたまう命知らずは、永琳を含めて、さしもの永遠亭にも居りはしない。
「けど、今回の依頼さえ遂行させれば…もはや奴は用済み、ね」
くすり。自分の作品にも関わらず、無条件で言うことを聞かせられ無い程に強力な自我とちからを持ってしまったかっての生意気な弟子を、思う存分座薬で懲らしめてやる光景を幻視し、永琳はサディスティックに頬を緩めた。
嗚呼、今宵行なわれるであろう
馬鹿どもの踊り狂う三つ巴狂騒曲の
なんと
愉快なことか。
仕込みは上々、仕上げは不肖なる我が元弟子
アポロ13の狙撃にて完成を見るであろう。
謳え
踊れ
泣け
喚け
憎め
愛せ
狂え
悶え
それは悲劇
それは喜劇
誰を裏切り
誰を救うか
煩悶せよ
懊悩せよ
「……」 ぎりっ…
不死の姫をあんな風になるまで
皆で……寄ってたかって虐めた
怨敵どもに、疑心暗鬼のコキュートス(煉獄)を。
秘儀りあうの
潰しあうのよ
私は赦さない
私は赦さない
本当は寂しかっただけの理由で、
あの闘争に参加した姫の心を
――壊した――
貴様ら外道なるガンナー(座薬遣い)を。
「待っていてください、姫。永琳は…」
本当はここまで事を荒らげるつもりなどさらさら無かった。
けど、賽は投げられた。今更後悔などすまい。
ひとたび放たれた矢は最早獲物に突き立つのみ。
今回は姫の仇敵であった妹紅と
その友人慧音までもが我らの陣営に属している。
愛憎の鉄鎖で固く繋がれた我ら蓬莱の三銃士
妹紅、私、そして――姫。
誰が欠けても立ち行かぬ完全形
憎みあいながらも愛しあう歪んだ永遠
我らが負ける筈も無い
勝利できぬ謂れも無い
” ジーク ハイル ”
――姫の閉ざされた天岩戸を開く時は――
――すぐ、そこだ。
《永遠の道化師-妖星乱舞- 完 次章: 開戦 へ》
犀は投げられた×
賽は投げられた○
これからが本戦ですか……どの勢力が生き残るのか(まぁ、ひぎられるってだけだが)
それともしかしたらと思ってたんですけど……
貴方もあの楽園物語の住人か!?
いいですよねぇ、あの独特の台詞回しと世界観は。
楽しみに待たせてもらいます!