『見えない敵』というのは、レミリアにとって初めてではなかった。
彼女の主な活動時間は夜だから必然的に暗所での行動が多くなるし、散歩に出ればちょっかいを出してくる愚かな妖怪やら妖精やらが後を絶たないので暗闇での戦闘経験も少なくはない。
たとえ周りが見えずとも、相手の放つ気配がその位置を正確に教えてくれる。その感覚を信じて力を解き放てば、彼女に刃向かう者は悉く同じ運命を辿り・・・・・・夜のレミリアはまさに無敵だった。
だが、この霧は違う。
パチュリーの姿を隠すだけでなく、その気配までも散らしているように感じられた。
上から来るようで下から来るようでもあり、前から来るようで後ろから来るようでもある。
左から来るようで右から来るようでもあり、近くにいるようで遠くにいるようでもある。
ゆえにレミリアは霧を少しでも晴らすという意味も含めて無差別に攻撃をしているのだが、それでも手ごたえは全くない。
それどころか、いくら撃ってもパチュリーの希薄な気配が纏わり付いて離れない感覚がレミリアをますます焦らせていた。
「くぅっ!このっ、このっ、このぉっ!」
この霧を一気に晴らす事もできるであろう切り札をレミリアはいくつか持っているが、それを使おうという決心はなかなか起こらないでいた。
それらはまさに切り札中の切り札、下手に使えば周囲を等しく無に還しかねないのでトコトン追い詰められてからでないと使う気にはなれなかったのだ。
「くそっ・・・・・こんな霧、こんな霧・・・・・・・・!」
『悪あがきタイム、終了よ・・・・・・・・・・・・じゃあ次は私のターン』
「・・・・パチェぇぇぇぇっ・・・・・・・・・!!」
『私も、妹様や咲夜が怒ると怖いからあなたは殺さないわ・・・・・・・・そう簡単には死なないでしょうけど』
怨嗟にも似たレミリアの呻きを受け流してパチュリーが淡々と言葉を続ける。
きっと、今もまだ表情一つ崩す事なく魔道書のページをめくったりしているのだろう・・・・・・・・・・・・そう考えるとますます腹が立ち、同時に立場が逆転してしまった事を改めて実感する。
追い詰める者から追い詰められる者の身へ・・・・・・・・・五感の中でも主要な二つが役に立たない上に気配による察知すらできない今、レミリアの力は大半を殺がれたような物だった。
『切り裂き、貫け・・・・・・オータムエッジ!』
不確かながら魔力が膨らむ感覚。
おぼろげながら響く鉄の擦れる音。そしてパチュリーの声。
――パチェの攻撃が始まった・・・・・・
これが普段のレミリアなら、弾幕を力ずくでねじ伏せるか多少の傷など意に介さず前に出ている所だ。
だが、どこにいるのか分からない相手にどうやって近付けというのだろう。
どこから来るのか分からない攻撃をどうやってねじ伏せればいいのだろう。
だからといって『夜王』たる者、いかなる状況においても夜であるならば退くわけにはいかない。
感覚の欠如は弾幕で補うべし・・・・・・ますますもってレミリアは、むやみやたらに撃ちまくる事しかできないでいた。
ピシュッ!
「うっ!?」
紅の弾幕の間を縫って、鉛色の魔法が腕を掠めた。
鋭い痛み、鋭い傷口、傷口より伝わる微かな脈動、出血・・・・・・・・・それらは、ただの魔力弾ではなく刃物のように鋭利な物体が肌を切ったという事を示している。
おぼろげに聞こえた『オータムエッジ』のかけ声と合わせれば、魔力で金属の刃を創りだしたという事は想像に難くない。
「・・・・・何をするかと思えば、この程度!?大した事ないわね!」
『・・・そう。じゃあ、これでもまだ強がっていられる?』
引き続き、魔力が膨らむ感覚。それも一つや二つではない。
レミリアが感知しただけでも十以上、魔力が膨らみ物質として収束する感覚があった。
またしても魔力の鉄塊を撃ちこむつもりなのだろう。一発腕を掠める程度ならどうという事はなかったが、同じ物が何発も何発も・・・しかも掠めるのではなく直撃だったとしたらどうなるかは分からない。
しかも、霧で感覚を狂わされているせいで飛来が全く予想できない。恐らくパチュリーにはレミリアの挙動が手に取るように分かるのだろうが、とりあえず動かない事には鴨撃ちだ。
ヒンッ!
これも風を切る音・・・・・・・とでも言うのだろうか。
不自然に甲高い音を纏い、厚い霧を蹴散らし、刃の一枚がレミリアを目指す。
とはいってもレミリアには見えていない。『一寸先は闇』ならぬ『一寸先は霧』という中で、見えない所から密かに放たれる一撃である。当てずっぽうの迎撃でも、単純に確率に頼るならその命中の機会は弾一発あたりわずか四千万分の一にも満たないのだ。
そして迎撃の嵐をかいくぐり、殺意を帯びた鉄塊はレミリアのすぐ傍まで迫ってきていた。
「!そこっ・・・・・・・・・!?」
音を頼りに身を横に開き、本来なら胸に突き立っていたのであろう一撃をなんとか避ける。
身を翻した勢いで飛び去る刃を撃ち壊し、レミリアは再び白い闇の中に閉ざされた。
続く音はない。レミリアの隙を注意深く探っているのか、または更なる罠を張っているのか、はたまたレミリアを静寂の中に置いて恐怖心を煽ろうとしているのか・・・姿の見えないパチュリーの行動は読めない。
だが攻撃が来ないのはレミリアにとっては普通にありがたい事。外向きの意識を集中させて空気を読み、同時に内向きの意識で思いを巡らせる。
――この『見えない攻撃』をどう捌く?
――正確に私を狙う攻撃、次はどう避ける?
――風切り音すら拡散、反響して位置がつかめない・・・・・・・・・
――・・・・・・・・・
――方向は分からないけど、確かに音はした・・・・・・
――それなら・・・・・・絶対とは言えないけど。
――『限りなく確実』に次も避けられる・・・
『・・・・・・・じゃあ、決めさせてもらうわ』
パチュリーが言う。憐憫の情は感じられず、極めて事務的な口調で。まるで死刑宣告でもするかのように。
だが彼女は『あなたは殺さない』と言っていたから、言い換えれば無茶なほどの生命力を持つ自分に対しては殺さない程度の攻撃は何の迷いもなくできてしまうのかも・・・・・・レミリアの顔に笑みが浮かぶ。
ヒィンッ!
あの不気味な音が再び響き渡る。
だが前の物とは微妙に、そして絶対的に違う・・・・・・複数の同じ音が重なり合い、震える大気が共鳴し、あるいは反発し、幅のある一つの音となっていた。
そして大気の震えを耳で聞き取り肌で感じ取り、斜め後ろに一歩レミリアが下がる。
「・・・そこっ!」
一歩退いた瞬間、たった今までいた空間を貫く刃がくっきりと見えた。
何枚もの刃が交錯し、しかしそのどれもが獲物を捉えられぬまま虚しく空を抉る。
不意に、レミリアの手が伸びた。
獲物を逃し飛び去ろうとする刃が二枚、三枚、手の中で暴れやがて大人しくなる。
言うなればこれは勲章。パチュリーの攻撃を破ったというこれ以上ない証。
これならパチュリーの鼻を明かすにはもってこいだろう。見せびらかせてやった時、彼女の慌てふためく顔が目に浮かぶ・・・・・・
そう考えると掴んだ刃を伝う血の流れも気にならなくなり、やっとレミリアは余裕に満ちた笑みを取り戻した。
レミリアが念じたからなのか、それともパチュリーの意志か、あれほど深く重く立ち込めていた霧が少しずつ晴れていった。
弾幕により霧を晴らすという無謀な作戦はその通りの結果に終わってしまったが、パチュリーの攻撃を見切り尚且つこの鬱陶しい霧が晴れてくれるのなら何も言う事はない。
あとは霧の中で掴んだ刃を見せびらかし、パチュリーがショックを受けた所で降参を迫るか最後の一押しをするか・・・
レミリアの中で未来日記が紡がれていく。
「あー、やっぱり外の空気は美味しいわね」
「・・・・あなた、それ・・・・・・・・・」
「ん?ああ、これの事かしら?」
霧が晴れ、ずっと見失っていたパチュリーの姿がレミリアの視界に入った。
その姿を捉えるやこれ見よがしに大きく伸びをし、血の滴る右手をアピールする。
右手に握られた刃が月の光を受け、パチュリーを射るように鋭い光を撥ね返していた。
「姿も気配も、音の方向までも巧く誤魔化していたけど、『音そのもの』だけはなぜか無理だったみたいね」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・っ」
「音が聞こえて、しかも正確に狙ってくるというのなら郷に従うのみ・・・・・・
最初は少し驚いたけど、やっぱり大した事なかったわ」
パキン、と乾いた音を立てて刃が砕け散る。
ただの鉄くずとなったそれはレミリアの手から零れ落ち、引力や風に従って虚空に散っていく。
その様子を見下ろしながらも表情だけは変えないパチュリー。だが、そんな彼女を見てレミリアは口の端をはっきり分かる程度ににつり上げた。
「残念だけど、これで終わりね」
「そうよ、もうあなたに打つ手はない・・・・・降参するか倒されるかの自由は認めてやってもよろしくてよ?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・何を言ってるの?終わるのはあなたよ」
「?」
いつものジト目でパチュリーがレミリアを睨む。
その目に諦めの色はなく、むしろ今まで以上の闘志を静かに燃やしているようにすら見て取れる。
パチュリーと百年程度の付き合いをしているレミリアだからこそ、ポーカーフェイスの中のわずかな表情の違いに気付く事が出来るのだ。
そして、パチュリーがハッタリや出まかせを言うような人物ではないという事はレミリア自身がよく知っている。
不吉な何かを感じ、レミリアの顔に再び険が戻ってきた。
「私はあなたの力を過小評価してるつもりはない・・・むしろそのデタラメな力と生命力は尊敬しているくらいよ。
そんな私があなたを倒すのに、あんな小技を最後に使うと思う?」
「・・・・・つまり『罠』、または何かの『布石』だった?」
「あなたは覚えているかしら・・・・・・・・・私が使った術の全てを」
小さな手を開き、その指先にほんのちょっぴり魔力を込める。
――まずは木と火の魔法
親指と人差し指に、緑と赤の光が点る。
――続いて土と水の魔法
中指と薬指に、紫と青の光が点る。
――そして最後に金の魔法
小指に黄の光が点る。
「あなたが最初に見せてくれた魔力の結界・・・・・・あれがいいヒントになってくれたわ。
お陰でここにはほら、既に五色の魔力が満たされてる」
「・・・・・・何・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・!?」
「正直、さっきのアレは私にとっても賭けだったの。防いでくれるのはいいけど避けられたら困るものね。
でもあなたは私の目論見どおり、避けようとせず正面から受けきってくれた・・・・・・
あなたの『夜王』としてのプライドには感謝してるわ」
「まさか・・・・・・・・・・だったらなぜ、そんな手の込んだ真似を?」
「普通に呪文を唱えてたらあなたは絶対潰しに来るでしょ・・・・・・・
これなら私の意図を知られる危険が減るし、同時にあなたへの足止めとなるし」
空間が、魔道書が、そしてパチュリーが。眩い五色の輝きを作り出し、辺り一帯を包み込む。
五行――即ち火水木金土の魔力が微粒子を成して相互に干渉し合っているのだ。
「なっ・・・・・・これは!?」
「お喋りはこれくらいにしましょ・・・手加減なしでいくわ」
複雑な光の乱反射はやがて五色から単一の白に変貌し、漂う粒子は五点に収束しそれぞれが六芒星を形作る。
五つの六芒星を横一列に並べ、その後ろでパチュリーは動かない。
六芒星の陰に隠れるような形で魔道書のページを繰り、そしてスペル発動のための最後の一節を唱え始めた。
――生まれよ、完全なる命
――生まれよ、完全たる理
――そして全ては弾幕の海で満ち溢れ
――そして全ては清浄の彼方に帰す
――火水木金土符『賢者の石』
(next)